夏の夜。冷気妖術の効いた自分の部屋で、天子は生まれて初めて小説を書いた。
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わたしこと天花(てんか)の隣では、衣子(いこ)がスヤスヤと眠っている。
深夜ふと目を覚ますと、そこは音の無い藍色の世界で。この狭い寝室と、窓辺のふかふかベットと、隣で一緒に眠る衣子の寝息だけが、今の私の世界のすべて。
音も光もほとんどない世界にいると、なんだか死んでしまったみたいで不安になる。こんな時間だから、世界の光は、窓から見上げた空に見えるお月様の輝きだけ。でもその光はあんまりにも静かだから、わたしには衣子の小さな寝息しか頼れるものがない。なのに衣子ったら、わたしに背を向けて寝ているのだから、しかたなくわたしは衣子の背中にちょっと顔をくっつけて、大好きな匂いをかおる。何も無い世界にいても、衣子の匂いがすると、ちょっと、安心する。
目が覚めた時、隣に衣子がいてくれると、なんだか幸せ。一人じゃない、みたいな。深い夜に目覚めて誰かが隣にいるのって、なんだか不思議な気分。子供の頃からずっと、一人でいたからかなぁ。お母さんは子供の頃に死んじゃったし。お父さんとはあんまり仲良くないし。
……衣子とお喋りしたいな。唐突にわたしはそう思った。
だってしかたないじゃない。わたしは衣子の匂いにすがりついて寂しさをまぎらわせているのに、衣子ったら自分だけ気持ちよさそうに寝て、しかも私の方を向いていてくれないなんて、なんか、ずるい、許せない。
「衣子。衣子。ねぇ衣子」
衣子の暖かくて柔らかい背中を軽くゆすりながら、私は子猫のおねだりみたいな声をだした。子猫のおねだりは、無視しちゃいけないと思うの。
「んぅ……なんですか……」
眠気にすり潰されたようなかすれ声で衣子が喘いだ。私の好きな声。普段はハキハキしている衣子の、私だけが知ってる秘密の声。
「衣子って……好きな人いるの?」
「……。……はぁ?」
深夜に枕を並べてする事っていったら、恋バナが鉄板よね! なのに衣子ったら寝たきりのおばあちゃんみたいな声をだして、うん。空気読めてないよね! 今だにこっちを向いてくれないしっ。
「いや……私寝てるんですけど……」
「だから起きてよ。衣子とお喋りしたいの」
「明日起きたら、してあげますから……」
「朝じゃだめなの! 今衣子とお喋りしたいの!」
「勘弁してくださいよ……なんなんですか真夜中に……おやすみなさい……」
「寝ちゃ駄目ええええ!」
夜に二人でお喋りなんて、すごい特別な感じでしょ? それがいいのに! 衣子ほんと空気読めてない!
かってに寝ようとする衣子の背中に手をあてて、私は起きて起きてした。
「ん゛あ゛ーもぅ……」
ゾンビみたいに衣子が呻いた。今のはちょっと……幻滅かも。
でもでも、衣子はやっとこっちを向いてくれた。同じベットの中で向い合うなんて、なんだか。どきどきする。
二人の顔はお互いの寝息を感じられるくらいに近くて……眠そうな衣子の顔がとっても素敵。
「で。何の話でしたか」
少し若返った声で、衣子。
なんだかんだで私の言う事を聞いてくれる、素敵な王子様。それを言うと、私は女性だからお姫様でしょって衣子は文句を口にするかもしれないけれど、それでも、私がお姫様をやりたいといったら、しかたないですねと私の好きな笑い方で言って、きっと王子様をやってくれる。だから衣子って好き好きすー。
「キス……」
「は?」
「な、なんでもない! ええと、何だっけ、そう、衣子って好きな人いるの?」
「……好きな人、ですか」
衣子は枕に頬杖を付いて、なんだか不思議な優しい目で私を見る。さっきまであんなにしょぼしょぼした目をしてたのに……。あ、あんまり私の顔をジロジロ見ないでほしいなぁ。
「いますよ。多分。どういう好きか、まだ私もよくわからないけど」
「えっ……」
衣子……好きな人いるんだ……。ガーン……。
「時々はちょっと嫌いになりますけどね。そうですね。つい今しがたも、少し嫌いでした」
嫌いになるの? じゃあ、あんまり仲良しじゃないのかな? それは嬉しいけど……ででででもっ。『さっき』って言ったよね!? じゃあ、私の隣で眠りながら、そいつの事考えてたの!?
……なんか……なんか。
「……もう寝る」
「え?」
「お休み」
「……お喋りはいいんですか?」
「もういいっ」
衣子の顔を見ているとなぜだかとっても切なくて、ついさっきの衣子みたいに、私は背を向けた。衣子の馬鹿。
「人を無理やり起こしておいて……やっぱり勝手なんだから」
言葉だけを聴くと怒ってるのに、衣子の声は笑ってる。
「でもね。嫌にもなりますけど、不思議とそういうところが好きでもあるんですよ」
もうやめてよ……そんな知らない誰かの話……聞きたくない……。
「総領娘様。その娘名前、知りたいですか」
「……別に」
そんなもの知りたくもない……知っても苦しいだけよ……。
「まぁ聞いてください」
「……嫌。どーでもいいし!」
どーでもよくなんか、もちろん全然ないのだけれど。
「どうでもいいとは、傷つきますね。……天花。比那亜璃(ひなあり)天花」
いつもは頼んでも私を名前で呼んでくれないのに、急に言うものだから、ドキリと、私の心臓がはねちゃう。
「な、何よ。なんでいきなり……」
私はいぶかしげに思って、寝返りをうって衣子と向い合った。
衣子の顔がすぐ目の前にあって、またあの不思議な瞳で私の事を見ていた。なんだか、ドキドキふわふわした気持ちになっちゃう。
「天花」
「だ、だからなんなのよ!」
「……わかりませんか?」
「な、何が――」
わけがわからない! 気になっている人の名前を私に教えるとか言っておきながら、いきなり普段は絶対に言わない私の名前を呼んだりして、衣子が何をしたいのかさっぱりわからない。さっぱり――
……。
――え?
衣子は、今から好きな人の名前を言うといって、そのあと私の名前を読んだ?
え?
え……?
えぇぇぇーーーーー!?
私はびっくりして、衣子の顔を見る。衣子は相変わらず私のすべてを見通すような目をしていて……私は、とても耐えられなくなって、寝返りをうって衣子に背を向けた。でも辛いからじゃない。顔が沸騰しそうだったから……。
「総領娘様」
今度は、いつもの呼び方。
「分かりましたか? 私の好きな……私の想うオテンバなお姫様の名前」
「……」
ドクン、ドクン。衣子に聞こえるのじゃないかと不安になるくらい、鼓動の音が大きい。
「ふ、ふんっ! 何いってんだか!」
ああ、馬鹿。私の馬鹿。どうしてこういうとき、妙な強がりをしてしまうの? なぜ素直になれないの? こんなに嬉しいのに!
「どうせ私をからかってるんでしょ! 衣子のやりそうな事よ! ふん!」
衣子はいつもの王子様の笑顔で、やれやれって感じで笑った。その仕草にますますドキドキとしてしまって、それが悔しいから、私は頭までふとんを被って、また衣子に背を向けて貝になった。
「信じてくれないのですか?」
「……なら、し、証拠をみせてよ!」
もうっ! また私ったらまたこんなくだらないを言って……!
でも、衣子はそんなくだらない私の癇癪に、優しくこたえてくれた。……やっぱり好きぃ!
衣子は自分も布団にもぐって……もぞもぞと動いて私のほうに近寄り、足に、おなかに、胸に、ぴったりと身体をくっつけたの。そうね、一緒に浮かぶラッコの親子を真横からみたみたいに……。それから私のおへその辺りに手を回して、きゅっと抱き寄せて……。もう二人は隙間がなくらいに密着して……。衣子は私のくびすじにちゅっとキスをして、言ったの。
「好きですよ。私の可愛い総領娘様」
って。
「……」
私、もうなんだか頭がボーっとしちゃって……もっと何か気のきいた返事ができたらいいのに……。なんとか言えたのはたった一言だけ。
「……もっと、ぎゅってして」
衣子は、何も言わずに、腕の力をきつくして、私は衣子と一つになっちゃったみたいで。
私はとっても幸せな気分になって、ぽわーっとした気分になって……ときおり首筋に衣子の唇を感じながら、そのまままどろみの中に落ちていったの。
明日の朝、衣子と何を話そう。
そんなことを考えながら、私は幸せな夢を見る……。
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ようやく天子は筆を置いた。
時計を見る。すでに早朝5時すぎ。冬でなければ、日があけ始めているだろう。書き始めてから、4時間がたったわけだ。
「私。才能あるかも……」
比那名居邸の私室で、天子は一人万感の思いにふける。
机の上に完成した、原稿用紙数枚にわたる稀代の恋愛譚。天花と衣子の甘い恋模様が、緻密で繊細な心理描写とともにかつてない美しさで描かれている……。
昨日読んだ恋愛漫画に影響されて、ためしにと思い筆をとってみたのだが……予想以上の完成度である。
「実在の人物をモチーフにしたのもよかったのかも」
冷静な分析である。
誰かというのは、うん。今はまだ秘密。
「どうしよう。天狗の新聞とかに、小説をのっけてるのがあったわよね」
投稿すべきだろうか。
「幻想郷中で絶賛とかされちゃったりしたら、どうしよう……」
なぞの新人作家あらわる! そんな見出しが、天子の脳内で展開される。
天子は、すばらしい処女作を完成させた達成感からか、妙にハイテンションになっていた。今ならなでもできそうである。
続きの展開を考えてみると、多種多様がイメージがぽんぽんと沸いてくる。そのどれもが、素晴らしい。
幻想郷でブームになっても、最初は実名はふせよう。そして、何年かたって人気が不動のものになったころ、突然カミングアウトするのだ。いつもは私を馬鹿にする、地上の連中の尊敬のまなざしを想像して、悦にはいる。
「あ。ペンネームとか……いるよね」
しばし机に向かい、黙考。
「『羽衣乙女 天姫』うん。いいかも」
羽衣は、衣玖の服のイメージからとった。こんなに素敵な物語を想像できたのは、衣玖のおかげでもあるから。
「サインとか……練習したほうがいいかな……」
たしかにその通りである。サインをねだられて、かっこよい字がかけなかったら、まずい。
適当な紙にためし書きをする。
「うーん……」
いまいち、キマってない。
「ふぁぁ」
あくびがでた。さすがに眠い。
「寝よ」
明日の朝、もう一度文章を読み直して、それからサインの研究だ! 天狗どもへの投稿の準備もせねば……。
これから始まる華々しいサクセスロードを想像して、天子の胸が躍る……。
でも調子に乗ってる時の総領娘様はとっても輝いてますよ
所々衣子が伊子になってるけど、天子ちゃんだと思うと許せる
天子ちゃんは友達にしたいタイプですよね!! 超門番