皆様、ごきげんよう。
まさに酷暑と言うべき、暑さの厳しい日々が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
毘沙門天代理、寅丸星です。
皆さんご存じの通り、私は虎の妖怪です。
それが何の因果か毘沙門天の代わりを始めて、果たしてどれくらい経つでしょう。
昔はそんな大層な役が自分に務まるのか、不安で眠れぬ夜も多々ありました。
だってそうなのです。
元々私など、ただの一妖怪に過ぎないのです。獣の成り上がりなのです。
ちょっとばかし、周りの妖怪よりも力が強く、それゆえそれなりの信頼を寄せられていただけなのです。
それがたまたま毘沙門天様の目に留まって、引き抜きされたわけです。
だから、私が毘沙門天という肩肘張った堅苦しい役職名と、自分の備わった資質との間で板挟みに会い、悶々とした夜を過ごしたのも致し方なきことなのです。
しかし、どうにかこうにかここまでやって来ることが出来ました。
成り上がりにはなかなかに厳しい世界でありましたが、ちっぽけなプライド一つを胸に、ここまでやってきたのです。
腐っても虎です。そこらの獣とは品格が違います。
百獣の王の二つ名は伊達ではありません。
しかし、そんな私の胸に燃えたぎる秘めた野生の闘志を持ってしても、毘沙門天代理という役職はつらいものでした。
いっそのこと荷物を纏めてサバンナに亡命を謀ろうかと思ったことも、一度や二度ではありません。いえ、サバンナに行ったことはありませんが。
聞くところによると、動物がたくさん居る夢のようなところだということなので、恐らく新しく出来た動物園の類だと思われます。楽しそう。
しかし、そんな挫けてしまいそうなときには、私の周りにはいつも仲間がいたのです。
さっきはプライドだの品格だの、少し強がって見せましたが、結局のところ彼女たちが居なければ、私は仏教界から早々にリングアウトしていたでしょう。本当に感謝です。
まるで聖母のような慈愛で私たちを包み込んでくれる、聖。
私がボケると全力のげんこつスマッシュでクラーケンもびっくりのタコ殴りにしてくれる、一輪とナイスミドル雲山。
普段はちょっと抜けてるけど、いざというときは頼れる、我らがキャプテン・ムラサ。
あ、それと最近では鵺の妖怪、その名もズバリ封獣ぬえが仲間に加わって、さらに寺が賑やかになりました。
ぬえは、その加入時期もあって、私たちの中でも末っ子のようなポジションです。
私も、妹のように可愛がっています。
ちょっとわがままですが、可愛い子です。
一つ不満があるとすれば、少しイタズラ好きが過ぎることでしょうか。
その能力を遺憾なく発揮してイタズラを遂行しようとするのにはホトホト困り果てています。
毎日私の持ち物は正体不明の種をつけられまくりで変幻自在に変化しまくりです。百面相の如く。
ついこの間は、大事な宝塔に正体不明の種をつけられました。
朝起きたら、枕元に宝塔ならぬほうとう鍋が鎮座していたのです。ビビるわあ。
危うく騙されかけるところでしたが、かじってみてやたらと白菜が堅いことに気付いて、何が起こっているのか把握しました。
危なかったです。白菜らしからぬ音がしましたよ。ガキンって。
あれで自慢の八重歯が欠けたらどうするんでしょう。
ああ、でも良かったです。ナズーリンに「宝塔無くしました!」って泣きつく前に気付いて。
こないだきつくお説教されたばっかりですものね。
あ、そうです。そうそう。
大切なことを忘れていましたね。
そう、私がこれまでやってこれた理由、私の大切な仲間……それこそが彼女、ナズーリンです。
私の部下で、頼れるパートナー。
彼女が居なければ、私は早々に膝を折ってしまっていたに違いありません。
そう、感謝を最初に伝えねばならないのは、何に先んじても彼女に他ならないのです。
もちろん、感謝と労いの気持ちは、これまで何度も彼女に伝えて来ました。
ありがとう、ナズーリン。いつも済みませんね、ナズーリン。
そう言われる度、彼女は何ともない風を装って「この程度、礼を言われるまでもないさ」と済ましています。実にクールで、頼りになります。
しかし、私は知っています。
私にお礼を言われると、嬉しそうに耳がピクピク動いて、尻尾が少しだけぴょこぴょこ揺れるのを。
クールな振りしてるのに、動物の本能に逆らえないナズ可愛いよナズ。
口ではそんなこと言っても、体は正直だねフフフ。
そう、そのまま隙間無く飲み込んで、私の至宝の独鈷杵……。
おっといけない。
もう少しで何か新たな世界が見えそうでした。
最近ちょっとぼうっとする事が多いです。暑いからでしょうか。猛暑ですもんね。
いや、もしかしたらこれこそが聖の言う法悦という奴かもしれません。私が悟りを開くのもきっと近い。
話がずれましたね。戻しましょう。
ともかく、そうやって毎回感謝の言葉を口にするようにはしてはいますが、得てして言葉だけの気持ちというものは、なかなかうまく伝わらないものです。
捻れて伝わった結果、皮肉に受け取られたり、はたまた軽々しく使いすぎて心がこもってないと思われたり。
そうなってしまわないためにも、時々は感謝の気持ちは形にして伝えなければならないのです。
そう、つまりプレゼントです。
感謝の言葉とともに、相手の好物を贈るのです。
すなわち――。
じゃん。
これです。チーズです。
あのネズミの大好物、牛乳を発酵させて作ったクリーミーな食品。
見てください。毛むくじゃらで、長い直毛はさらさらで小さな体躯に可愛らしいくりくりした目――。
「ワン」
ってチーズはチーズでもマルチーズですこれー!?
と私が驚いている間に、毛むくじゃらワンちゃんは、その姿を普通のチーズへと変えていきます。
あ、これもぬえの仕業か。
知らぬ間に隠して置いたチーズに正体不明の種を付けられたみたいです。焦った。
何だかイタズラのレベルが如実に上がってきている気がするのは気のせいでしょうか。
でもきっとこれも、私に苦行を課すことによって、精神を鍛えようとしてくれてるんですよね?
あんな可愛い子が、酷いことをするわけがない。
これも天のあたえたもうた試練なのです。
私、負けない。
ごほん。
気を取り直しましょう。
じゃん、見てください。
チーズです。今度こそ、毛むくじゃらじゃらでない、つるりと肌触りなめらか、あのチーズです。
幻想郷にはあまり出回ってない逸品なので、財宝を集める能力をフルに発揮して仕入れました。毘沙門天様の能力様々です。師事して良かった毘沙門天。
これで、ナズーリンに普段の感謝の気持ちを余すところ無く伝えられるに違いありません。
え? ナズーリンは別にチーズなんか好きじゃないんじゃないかって?
ふふふ……私に抜かりはありませんよ。ちゃんとナズーリンの嗜好は調査済みなのです。
ナズーリンは確かに「チーズみたいな赤みの薄い食べ物には興味はない」と言っていました。言っていましたね?
ところがどっこい! このチーズをよくご覧あれ!
赤みを豊富に含んだ鮮やかなオレンジ色! ミモレットと呼ばれる、少し堅めのおいしいおいしいチーズです! ナズーリン、あなたが欲しかったのはこれですね!?
これで鼠の一匹二匹、いちころりですよ! 鼠まっしぐら! ハートを鷲掴み、いや虎掴み!
これを持って、いざ、ナズーリンの元へ!
私は意気揚々と、彼女の部屋へと面舵を切ります。
◇ ◇ ◇
部屋の扉がエビラに変貌を遂げているのを見ると、さすがにそろそろあの悪ガキにも灸を据えてもいいんじゃないかと思う。
くそ、いい気になりやがって。ミニスカート+黒ニーソとか、普段スカートの下に白ズボン穿いてる、色気が皆無な私に対する当てつけか。
ちくしょう可愛いのう。
え、カメラもう回ってる?
……いや、失礼した。
はい、ところ変わって、ナズーリンの部屋の前です。こんにちは。
引き続き、実況は私、解説も私、その他諸々も私、寅丸星でお送りしたいと思います!
さて、いよいよこれからナズーリンの牙城へと入り込むわけです。
本日、彼女に外出の予定はないので、部屋にいるはず。
「ナズーリンー?」
ノックしながら、彼女の名を呼びます。
しかし、待てども返事がありません。
聞こえてないのでしょうか。
「なずりん? なずなずー」
呼び方を変えて再度呼びかけます。
しかし、やっぱり応答はありません。
居ないのでしょうか? おかしいなあ。
「……入りますよ?」
襖をそっと開けて、中の様子をのぞき込みます。
ちょっと失礼な行為と言えなくもありませんが、私とナズーリンの仲ならきっと大丈夫です。
もし怒ったとしても、座布団のしかない畳の上に正座しながらの二時間耐久説教くらいで済ませてくれます。
「聞いてるのかい、ご主人様」と冷たい視線で見下ろしながら、頬をぺしぺしと尻尾で鞭打つというおまけ付きで。
大丈夫、それくらいなら私、耐えられます。何時間でも。
心頭を滅却すれば、火もまた涼し。じっと堪え忍んでいれば、やがてそれが快楽へと変わることも往々にしてありましょう。
さて、ほんの少し開けた隙間から、中の様子を窺います。
几帳面な彼女にしては意外なほど部屋は散らかっています。
ダウジングで集められたお宝がたくさんあるからです。
その中で、彼女の姿だけ見当たらず。
「なずっち……」
やはり留守なのでしょうか。折角プレゼントを持ってきたのに、とチーズを手にうなだれます。
すると。
すう、すう……。
規則正しい呼吸の音が、確かに聞こえるではありませんか。
耳を済まさねば聞き落としてしまいかねない、小さな小さな音です。
確かにそれが、部屋の中から聞こえるのです。
私は、意を決して部屋の中へ足を踏み入れました。
部屋の中は雑然としています。
足の踏み場もない、ということこそありませんが、思いがけないところに小さなガラクタが落ちているので油断は出来ません。
こそこそ、抜き足差し足忍び足で、奥へと進んでいきます。
まるで女豹が獲物に近づくよう。虎ですが。
すう、すう……。
音が近くなりましたよ。
どうやら、あの一等大きなガラクタの陰から聞こえてくるようです。
足下に気を付けながら、物陰をひょいとのぞき込みました。
「あっ……」
果たして、ナズーリンはそこにちゃんと居ました。
体を横たえ、すうすうと寝息を立てながら。
先ほど呼んでも返事がなかったのは、寝ていたためだったようです。
私は、しばらくナズーリンの寝顔を眺めます。
それにしても、なんと無防備なのでしょう。
両手両足をぐでーっと畳に投げ出して、穏やかな顔で寝ています。
普段、クールな彼女からは想像できないくらい無垢なその顔は、まるで夢の国からやってきた使者の如き愛くるしさです。
私は、思わず穴が開くほど彼女の姿態を見つめました。
そして舐めるように視線を這わせ尽くします。
その目が少しばかり熱を帯びているのを自覚していますが、夏なので仕方ない。
「ううん……」
と、ナズーリンが呻きました。
目を覚ましたのでしょうか?
私は一瞬身構えます。
といっても私には、とっさに仏像の振りをしてやり過ごす、もしくは猫の声真似でごまかすくらいの選択肢しかありません。しかもどちらもすこぶる成功率は低いです。
しかし、ナズーリンが目を覚ますことはありませんでした。
寝苦しそうに身を捩って少しだけ体勢を変えると、またそのまま夢の国へと旅立っていったみたいです。
助かった。
しかし、私はこのとき勘違いしていたのでした。
そう、助かってなど居なかったのです。ここからが本当の地獄だ。
おもむろにナズーリンが寝返りを打ったそのとき――。
ぽろり。
ちらっ。
「がおぅっ!?」
彼女のスカートは、大胆にも大きくめくれてしまったのです。
彼女が、寝返りの拍子に片膝を立てたのが原因でした。
重力に負けるようにして、スカートは立てた膝を降りていき、彼女のおみ足が太ももまで露わになってしまったのです。
思わず私が獣の咆哮を上げてしまったのも宜なるかな。
◇ ◇ ◇
さて、物語の途中ではありますが、ここで少し皆様の時間を頂戴したく思います。
有限かつ貴重な皆様の時間を割いてしまうのは、私としてもとても心苦しいことではありますが、そうしてでも説明せねばならぬ重要事項があるのです。
先ほどから、これでもかとわき道に逸れまくりな私の語りではありますが、今一度ここで横っ飛びに5ヤードくらい話がずれることをご容赦いただきたい。
重要事項と申しますのは無論、彼女、ナズーリンの魅力についてに他なりません。
さて、ナズーリンの魅力とは一体何でしょう。
彼女はどうして私たちをこんなにも魅了して止まないのでしょう。
見た目幼女だからでしょうか? 勿論それもあるでしょう。
愛くるしい小動物のようなキュートな彼女の立ち振る舞いを見ているだけでとても癒されます。
あるいは獣属性ゆえ? ええ、それもあるでしょうね。
彼女のピクピクと良く動く大きなネズ耳。ご機嫌にふりふり振り回される尻尾。
ついでに言うと、鼻もヒクヒクと良く動きます。
彼女の所作は、その幼女の如き容姿と相まってまさにマスコットキャラと言うに相応しい愛くるしさです。
今でこそそのマスコットキャラの座をぬえに譲り渡した彼女ですが、ぬえが命蓮寺に来る以前まで命蓮寺マスコットキャラの座を雲山と二分していたことも記憶に新しい。
それとも、容姿と言動のギャップでしょうか? ええ、ええ、それも十分にあるでしょう。
そのマスコット的愛嬌を持つ彼女の口から飛び出す、毒舌、毒舌、また毒舌。
彼女の毒の吐きっぷりときたら、鈴蘭畑のメランコちゃんも裸足で逃げ出すことでしょう。いえ、裸足と言わず、もう裸で逃げ出すことでしょう。
その愛くるしい見た目と刺々しい言葉とのギャップに、私どもはハートをいろんな意味で打ち抜かれる訳です。
さて、彼女の魅力はざっとこんなところでしょうか。
――いやいや、ところがどっこい。
先に挙げただけでは、彼女の魅力を100パーセンント著述したとは言い難い。
確かにどれも彼女の魅力を語る上で外すことのできない大事な要素でありましょう。
しかし、まだ足りない。
決定的な「ある要素」が足りないが為に、彼女の魅力を引き出すことが出来ていないのです。
ならば、ナズーリンの魅力における、決定的な「ある要素」とは、一体なんでしょう。
それは――そう、太ももなのです。
◇ ◇ ◇
ものすごい勢いで思考が右から左へと流れていきました。
随分長い時間だった気もしますが、実際この間わずか2秒。
私はその短い間、太ももを見つめながら生唾を飲み込んでいただけです。
私の目前に晒された、彼女の太もも。
小柄体型な彼女のおみ足は、無駄な肉などついておらず、すらりとしています。
しかしよく観察してみると、意外なことに逞しい筋肉が程良くとついているのが解ります。
さすがダウザー、暇さえあれば野山に分け行っていく根っからのアウトドア派です。
その適度についた筋肉は、その野外活動の賜物なのでしょう。
その、ややほっそりとして、しかし無駄なくしっかりついた筋肉は、柔らな起伏を称え、見事な脚線美を形成しています。
謂わば、彼女の太ももは、実に健康的な魅力にあふれているのです。
しかし、そこは私。平生ならそんなことで騒ぎ立てたりしません。
ナズーリン・ソムリエがそろそろ公称出来そうなほどナズーリン経験値が溜まっている私です。
伊達に1000年も彼女の足を見続けてきたわけではないのです。侮ってもらっては困る。
しかし、しかしです。
私はここに来て驚くべき発見をしてしまったのです。
ナズーリンの、何のためにあるのかまるで分からないスカートの裾に開けられた穴。
そこからも、ちらちらと太ももが覗いているではありませんか!
普通のスカートなら隠されて見えない筈の領域にまで及んだその穴から、彼女の太ももがバッチリ見えるのです。
四角く切り取られた、肌色の幻想郷。チラリズム万歳。オーラロードが私にも見える!
私は、桃色の欲望が、心の中で夏の入道雲のようにむくむくと広がり始めたのを感じました。
しかし、ここでその桃色の欲望のままに行動してしまっては、毘沙門天の名に傷が付いてしまう。
何とか堪えなければ。くそ、鎮まれ私のハングリータイガー……!
そうやって苦悩しているうちに、また一つ気付いたことがあります。
何だか、そのスカートの穴が、いつもより大きいのです。
気のせいでしょうか。
いや、気のせいではありません。
私の妄想や白昼夢などではなく、確かにそのスカートの穴は、普段のそれよりも断然大きく口を広げているのです。具体的には、普段の二倍くらい(当社比)。
これはどうしたことでしょう。
まさか――。
誘ってる? 誘ってるんですかナズーリン!?
そのありそうでなかった発想に思い当たり、私の心はまた俄に色めき出します。
ごめんねナズーリン、私に向けてずっとサインを出し続けていたのに、それに気付かないなんて。莫迦な私を許しておくれ。
私は、彼女の期待に応えるべく、心に渦巻いた野生の衝動に突き動かされるまま、ナズーリンにルパン・ダイブをしようとしました。
――いやいや、待て待て。
しかし、そんな私に待ったをかける者がいます。私の理性の冷静な部分です。
落ち着け、よく考えろ。私の耳元で囁きかけます。
誘ってる? 果たして本当にそうだろうか。
例えば、単純に暑いからそんな大胆な格好をしているとは考えられないだろうか。
そして仮に、勘違いをしたまま私が衝動の赴くまま彼女に襲ったとしたらどうなる?
想像して、私は思わず身震いしました。
そして、背中を冷たいものが駆け抜けました。
真夏に冷や汗をかくという、稀有な体験をしたのはこれが初めてです。
もし勘違いで彼女の寝込みを襲ったとしたら、それはそれは恐ろしいことになるでしょう。
口にするのも憚られるような、極悪非道のお仕置き地獄が私を待ち受けているのです。
私は、私を思いとどまらせようとする理性と、胸中に渦巻くハングリー精神(ハングリータイガー的な精神)との間を行ったり来たりしながら煩悶しました。悩みに悩みました。四半刻たっぷり悩み抜きました。
この間ナズーリンが目を覚まさなかったのはもはや奇跡です。
そうして、何とか私は野生の衝動を抑えきることに成功したのです。
きっと日々の修行の賜物です。
鍛錬された己の肉体と精神は決して無駄ではなかったのです。
私は神仏に通ずる身として、簡単に欲望に飲まれたりはしない強靱な心を手に入れていたのです。
私は落ち着いて、静かな心でもう一度辺りを見回します。
すると、何ということでしょう!
目に映るものすべてが、きらきらと神々しく輝いて見えるではありませんか。
清々しい心で見渡せば、こんなに世界が見違えるなんて!
そして、その世界の中心に横たわるのはナズーリン。
もちろん彼女も、その輝かしい世界の中で一等強くきらめいています。
その寝顔は、この世の汚れをまるで知らない小さな子供の如く、無垢であどけない。
そう、彼女こそこの現世に使わされた天の使い、すなわち天使なのです。
そう思わせるくらい、彼女の寝顔は可愛らしいのです。ナズーリンちゃんまじ天使。
ああ、さっきまでの私は一体何ということを考えていたのでしょう。
破廉恥極まりない衝動に突き動かされ、もう少しで彼女を汚してしまうところだったのです。
深く深く、間欠泉地下センターよりも深く反省せねばなりますまい。
「済みませんでした、ナズーリン」
私はそう言いながら、清らかな心で彼女の髪を撫でました。
彼女はまだ夢の中。くすぐったそうにしながらそれでも起きる気配はありません。
私は慈愛を込めて、ナズーリンの髪に指を滑らせます。
そうしていると、ふと聖を思い出しました。
彼女もきっと、こんな安らかな気持ちで、すべての者に平等に愛を注いでいるのでしょう。
少しだけ、彼女の気持ちが理解できた気がします。
「うう……ん」
ナズーリンが、もう一度くすぐったそうにうめき声を上げました。
そしておもむろに、ナズーリンは口を開きます。
おそらく寝言でも言うのでしょう。
ふふ、かわいいナズーリン。私は微笑ましい気持ちで彼女を見つめました。
むにゃむにゃと聞き取れない言葉を発した後で、ナズーリンは寝言を言いました。
「ん……ちゅぅ……」
その瞬間、あまりの可愛らしさに虎符「ハングリータイガー」が宣言無しにぶっ放されたのは言うまでもありません。私のハートに食らいボム。
□ □ □
私が廊下で歩いていると、聖と出くわした。
「あら、ナズちゃん」
「やあ、聖――ふわあ」
挨拶の後半が、欠伸に取って代わられる。
堪えようとしてと口元を抑えたが、結局聖の前で大欠伸を披露してしまった。
何とも恥ずかしい話である。
「眠そうですね。お昼寝でもしてたの?」
おっとりとした動作で頬に手をやって、聖はたおやかに微笑んだ。
それを認めるのも何となく癪なので、
「いや、そういうわけではないよ」
と曖昧にごまかした。
聖は「あらあらうふふ」と、ごまかされたんだかどうだか分からない言葉を発した。
よく分からない人である。
「そうそう、ナズちゃんナズちゃん」
「何だい――って、そう呼ぶのはやめてくれないか。もうちょっと人の上に立つ者という意識を持ってだな、厳格な呼び方をしてくれたまえ。いくらなんでも『ちゃん』付けは、些か浮薄にすぎる呼称ではないか」
私は、彼女の言葉を遮ってそう言った。
ちょっと命蓮寺の連中は、全体的に緩すぎる。
互いに切磋琢磨しあう仲間というよりも、気の置けない友達同士みたいに互いを思っている嫌いがある。
それをすべて悪いと一蹴するつもりもないが、さりとてもう少し緊張感みたいなものがあって欲しいと思う。
少し厳しいようではあるが、ここは一つ心を鬼にして、はっきりと言っておくのも優しさというものだ。
「そ、そうですね。ごめんなさい……」
その言葉に、聖はしゅんとして落ち込んでしまった。
その様子は、まるで虎に睨まれた鼠とも言うべき落ち込みようである。
いたいけな小動物を虐めているような罪悪感。ちょっと居たたまれない。
「いや、分かればいいんだ。その、ちょっと言い過ぎたよ。うん。ところで、私に何か用かい?」
何故か私の方がどぎまぎしながら、話題の転換を計った。
まるで私が悪者のようだ。何だ、私が悪いのか。
私が話の先を促すと、聖は明るい表情に戻った。
「そうそう、ナズちゃんナズちゃん」
わぁ、まるで話を聞いちゃいないよこの人。私の罪悪感を返せ。
「星ちゃんを知らないかしら? さっきから探しているのだけど、どこにもいなくて」
ぴくり。私の耳が、『星ちゃん』の単語に反応する。
私は、先ほど私に不埒な行為を行おうとした不届きなご主人の姿を想い浮かべた。
あの主人ときたら、人の寝込みを襲おうとしたのだ。まるで節操のない獣である。
全く、何のつもりなんだか。
私は静まりかけた怒りが、また頭をもたげ始めたのを感じた。
「いやあ、知らないなあー」
明後日の方向を向きながら答える。
もちろん、嘘である。
彼女は今頃、命蓮寺の庭に植えられた大きな松の木に罰として吊るされていることを、私は知っている。というか、私がやった。
ダウジングロッドを首後ろの襟に引っ掛けられて吊るされているその様は、さながら首根っ子を捕まえられて身動きが取れなくなっている子猫のようだった。
ダウジングロッドにはこういう使い方もあるんだ。
しかし、私は素知らぬ顔で、聖に飄々と嘘を吐いた。
さり気なく口笛を吹いてさりげなさをアッピールするのも忘れない。
ぴーぴょろろーぴろぴろぴろ……うぬう、『小さな小さな賢将』って口笛で吹きにくいな。
当然、聖は私の巧みな嘘に気付く筈もなく「困ったわね」と頬に手を当てながら首を傾げている。
しばらく思案していたが、やがて諦めたように軽く息を吐いた。
「まあ、後でいいわ」
「ああ、それじゃ私はこれで」
私は身を翻す。
さて、そろそろご主人のお仕置きも終わりにしてあげなければ。
このカンカン照りの夏の太陽の下で、さすがに参っていることだろう。子猫のように吊るされたご主人は、もしかしたら子猫のように助けを求めて泣いているかもしれぬ。
「あ、ちょっとナズちゃん」
しかし、聖に呼びとめられた。
まだ何か用があるのだろうか。私は振り返る。
彼女は、私の下半身を見つめていた。
え、何? また貞操の危機? 一難去ってまた一難?
私はとっさに身構えるが、彼女の視線をよくよく追ってみると、彼女は、どうやら私の身体ではなくスカートを見ているらしい。危なかった。
「私のスカートが何か?」
手で裾を軽くつまんで、ひらひらさせてみせる。彼女はひらひらと踊るスカートに這わせている。
やがて、聖は口を開いた。
「ねえ、ナズちゃん。このスカート、どうしたの?」
「どうしたの、とは?」
私は、聖と同様に、自分のスカートに目を落とした。
シンプルな、ちょっと短めのスカート。
アクセントとして開けられた穴がおしゃれ。
うん、いつもと何も変わらない。
ただ、こないだ山野に分け入ってダウジングに興じていた際に、穴に枝を引っ掛けてしまった所為で、裂けて穴が少し大きくなっているが、大したことはあるまい。
「何かおかしいところが?」
私が疑問に思って首を傾げてみせると、彼女は大きくため息を吐いて首を大きく振った。
解ってないな、お前は、ってな感じで、なかなか腹の立つ所作である。
「ナズちゃん、そんなボロボロな服のままじゃ駄目じゃないの」
どうやら、私のこのスカートの穴を憂いているらしい。
もっともな指摘だが、大きなお世話である。
私はダウザー、すなわちアウトドア派だ。
東に吸血鬼の館ありと聞けば図書館に忍び込んで目ぼしい本を勝手に漁り、西に古道具屋ありと聞けば行って断りなしに商品を漁り、南にマヨヒガありと聞けば、軽くて身近な日常品を中心に漁り、北に博麗神社ありと聞けば、賽銭箱を勝手に漁って悲しい気分になる。
そうやって、幻想郷狭しと飛びまわることが仕事なのだ。
衣服の一つや二つを気にしていたら務まらない。
それに、この最近の熱暑を考えれば、むしろ涼しくて快適というくらいである。
しかし、私のそんな考えなど何処吹く風、聖は服装を正すことの重要性を切々と話し始めた。
服装の乱れは心の乱れ云々、乙女たるものもっと恥じらいをもって云々。
全く、彼女に説教をさせるものではない。口を挟む暇もない程、喋る喋る。
「あー、悪いんだけどね、聖。ちょっと急いでいるからまた後にしてくれないか」
私は強引に話をねじ切った。
そして、返事を聞かずに戦略的撤退を決め込むことにする。「あ、こらナズちゃん!」という言葉も、聞かなかったことにして、その場を早足で立ち去った。
□ □ □
「全く、細かいんだからなあ聖は」
聖が見えなくなったところで、早足をやめて立ち止まった。
一息吐いた拍子に視線に入ったのは、自分のスカートだ。
ぱっくりと、スカートの穴が口を広げている。
確かに、言われてみればみっともないかもしれない。
ぱたぱたと、手持無沙汰にはためかせた。
夏の熱気によって火照った身体に、送られる風が涼しくて心地よい。
「女の子なんだから……ねえ」
確かに、ちょっと女子(おなご)としてどうかというくらい太ももをはだけさせているのは、はしたないと自分でも思う。
しかし。しかしだな。
たとえ私があられもない姿をさらしたとして、一体どこの誰が情欲を燃やすというのだ。
小さな大将のその名の表わす通りの、女性的な魅力の嘆かわしいほど溢れていない、小さな体躯。
肉付きの良くない、各種部位。
それに、男勝りの口調ときたもんだ。
服装が乱れたくらいでは私の周りの風紀が乱れようもないのは明白ではないか。
心配せずとも、私を襲おうとする者など――。
「――居た」
居た。すごく身近に居た。
私の視線の先、松の木に吊るされ、子猫のようにしてそこに居た。
「あっ、ナズーリン」
目があった。微笑みかけてきた。
――うん、思ったより余裕そうだ。これなら、あと一時間は行けるな。
とか思ったりもしたが、さすがにこれ以上炎天下に放り出しておくのも可哀想なので、助けてあげることにしよう。
それにしても、このご主人は、何故私などを襲おうとしたのか。
まさか、私のあられもない服装からあふれ出る甘美で淫らなオーラに当てられて――なわけないか。
私は自分の都合のいい妄想に苦笑しながら、縁側から庭に下りる。
すると、遮るものが無くなったのを良いことに、夏の太陽が私をガンガン照りつけてきた。
暑い。ただでさえ暑いのに、加えてこの直射日光。たちまち汗が体中に浮かんだ。
――もしかしたら、このお仕置きはちょっとヤバかったかも知れない。
衝動的にやってしまったとはいえ、もう少し考えるべきだった。二時間耐久説教とかの方が良かったかも知れない。
まあ、とりあえずはご主人が干物になっていなくてよかった。
とにかく、太陽の下にずっといるのはキツい。さっさとご主人を解放して、屋根の下に逃げ込もう。
私は、宙ぶらりん子猫状態のご主人に近づいていく。
すると、途端にぱあっと彼女の表情が明るくなった。
その笑顔は太陽のように眩しい――って、想像したら余計暑くなったぞコノヤロウ。
ご主人が吊り下げられた木の下まで行くと、彼女を見上げながら腰に手を当てて訊いた。
「反省、してるかい?」
「反省してますとも。ええ、とても反省してます」
こくこくと頷くご主人。
その言葉にはちょっと真剣味に欠けるように聞こえるが、良しとしよう。ふわり、と宙に浮かんで近づいていく。
途中、私の鼻がひくひく反応した。何か、変な匂いが鼻孔をくすぐったのである。
私はそのまま空中で留まり、匂いの元を目で辿っていく。
目の前の、ご主人のポケットからその香りは漂ってきている気がした。
私はご主人を降ろしてやる前に、その正体を確かめることにした。
スカートに無遠慮に手を突っ込むと、もぞもぞと手を動かして中を探る。
「あっ、ナズーリンたら大胆なんだから」
……戯れ言は無視だ。
中にあった何かを掴んで、引き抜いた。
すると、こぶし程度の大きさの、オレンジ色をした物体が姿を現す。
その物体から、やや饐えたミルクのような匂いが漂ってきた。
「あ、それ、ナズーリンにプレゼントです。チーズです、ミモレットっていう。綺麗な色でしょう? それならナズーリンも気に入ると思って」
未だ首元を引っ掛けられたまま、ご主人が説明した。
別に、私はチーズが好きなわけではないのだが……何をどう勘違いして、チーズを私にプレゼントをするという発想になったのだろう。
もしや鼠を馬鹿にしているのだろうか。これもある種の嫌がらせだろうか。
私は、彼女の顔を睨んだ。
しかし彼女は、
「いつもありがとうございます、ナズーリン」
と悪びれもせず言ってみせるのだった。笑顔で。もちろん、吊り下げられたまま。
なかなかシュールな光景だった。
彼女の顔は、晴れ晴れしていて一点の曇りもなかった。綺麗で満足そうな笑みだった。太陽のように暖かい笑顔だった。
――どくん。
私は、唐突に心がざわめくのを感じた。
何だかそわそわして全身がむずがゆい。
それに、何だか頬が火照って熱い。
何だこれ。熱射病?
(ナズちゃんも女の子なんだから、服装をきちんとしないと)
先ほどの、聖の言葉。
あのときは聞き流してしまったその言葉が、唐突に心を締め付けた。
まるで自分には縁のない話だと思っていたのに、ここに来て急激に私をせき立てている気がした。
目の前のご主人に、みすぼらしい格好で立っているのが、酷く恥ずかしいことに感じた。
思わずご主人の笑顔から顔を背け、私はスカートの裾を思いっ切りぐっと下へ引っ張る。
何故だか真正面からその視線を受け止めていられない。
よく分からない感情が、胸の中をぐるぐる回っていた。
ギラギラと照りつける夏の太陽が私をおかしくしているのではないか。
そうだ、そうに違いない。こんなに暑いのだから、身体が火照ってしまっても仕方ない。ボロボロのスカートを穿いているのが恥ずかしく思えてしまうのも、夏の太陽のせいだ。
ちらりと、私は横目でご主人の様子を伺う。
当たり前だが、ばっちり目が合ってしまった。慌てて顔を伏せた。
そうして落とした視線の先には、先ほどもらったチーズが、綺麗な橙色を湛えて私の右手の平に乗っていた。
それを数瞬じっと見つめていたが、おもむろに口元に持っていって齧りついた。
じっとしていることが、何故だか出来ないのだった。
酷く堅かったが、前歯で齧りとって口に含んで噛みしめる。
ご主人はそれを、吊り下げられながら微笑んでみている。
それを意識しないようにして、咀嚼し続ける。
何とも、おかしな光景である。
夏の太陽は、未だ弱くなる気配を見せず、無慈悲に私を焼き続けて私をおかしくする。
太陽のように笑う彼女も、太陽のように私をじっと見続けて、おかしくする。
私は二つの太陽に焼かれながら、チーズを食べた。
――後で聖にスカートを繕ってもらおう。そうしよう、うん。
そんなことをちらりと思った。
そのとき食べたチーズの味はよく覚えていないが、きっと少しだけ甘くて、とても酸っぱかった。
――了――
ナズーリン可愛いよ可愛いよナズーリン。
途中何度も耐えられなくなって何回かに分けて読みきった。
とりあえず今度一緒にスカートの穴について語り合いながら呑みましょう。
ひとつ気になったので
>百獣の王の二つ名は
百獣の王ってライオンじゃ?
虎はあえて言うなら密林の王かと
「夏雨林」とかエロくね。
投稿しちゃって構いませんか?いいですよね!(強制)
ナズーリンのスカートの穴は誘ってるようにしか見えませんね。全く・・・けしからんな
あ、あと星ちゃんから見るナズーリンのかわいいところについて全面的に同意します