泥のように暑い空気の中、霊夢は縁側に座って団扇を扇いでいた。涼しくなるどころか体を動かす分、暑くなっているような気になってくる。それなのにやめないのは団扇を扇ぐことに意味があるのではないか、吹く風によって涼しくなるのではなく扇ぐという行為自体に意味があるのではないか。
暑さのせいかそんなどうでもいい思考に至る。
「こんにちは。今日も暑いですね」
空から現れた文は額の汗をぬぐいながら霊夢の隣に腰掛ける。その手には酒瓶が握られていた。
「いらっしゃい。ちょっとそれで扇いでくれない?」
霊夢は文が手にした羽団扇を指差し言う。まかり間違っても涼を取るために使うものでない。
「いきなりですね」
まあ、いいですけど。文は苦笑しながら葉団扇で霊夢を扇いでやる。そよそよとやさしく吹く風に団扇は他人に扇いでもらうものだと霊夢は思った。
「それは?」
涼しさに目を細めながら霊夢は酒瓶を指差す。
「見ての通りです。一緒にどうですか?」
「断ると思う?」
「いいえ」
文は笑顔で応え、霊夢も笑顔で返す。
「おつまみ、何か持ってくるわ」
「楽しみに待っています」
文の声を背に、足取り軽く霊夢は台所に向かった。
◆
「それでは」
「乾杯」
ぐい呑を軽くぶつけ合うと、風鈴に似た涼しげ音が響いた。霊夢はぐい呑を口元に運び、一口目は舐めるように味わい、二口目でのどを潤す。透き通るような瑞瑞しい味わいに思わず目を細める。ふと、隣の文を見ると一口目から一気に煽っていた。
「もう少し味わって飲みなさいよ」
「いいじゃないですか。霊夢さんの飲み方ケチ臭いですよ」
「うっ…」
「宴会のときもあんまり飲んでないですし。遠慮してるんですか?」
「そういうわけじゃないけど…」
霊夢が酒をゆっくり飲んでいるのは文に遠慮してるわけでもなく、ケチなわけでもない。別に理由があるのだが文にだけは知られたくない。間違いなくそれをネタにしてからかわれることになる。
「あ、実は霊夢さんってお酒弱いんですか?」
一瞬、霊夢の動きが止まる。すぐに何でもないようにぐい呑を運ぶが、内心苦々しい思いで一杯だった。何故、この天狗は余計なところで勘がいいのか。
霊夢は実のところ、あまりアルコールに強くなかった。ゆっくり飲めば平気なのだが、一気に飲むと記憶がなくなる。一度紫に(自身に記憶はないが)べったり甘えたことがあり、死ぬほど誂われシェルターを掘りたくなるほどの恥ずかしさを味わって以来、酒は飲んでも量は少なめにしていた。
「あれあれ。図星ですか?可愛いとこまた見つけちゃいました」
「違うわよ。私は職人に敬意を込めて味わって飲むようにしているの」
「へー」
「…ホントよ」
「そうですよね」
文はニヤニヤとこちらを見る。嫌な予感がした。そして、こういう時の勘は大抵当たるものだ。
「霊夢さんとあろうかたがお酒に弱いなんて訳ないですよねっ」
文は霊夢の予想通りの行動に出た。霊夢はまだ八分ほど残っているぐい呑を見る。これを飲まなければ酒に弱いことを肯定することになる。それを避けるためにはこれを一気に飲まねばならない。しかし、これを飲んで意識を保っていられるか。
霊夢は顔をあげて文を見る。こちらを試すように笑っていた。それを見て覚悟を決める。ぐい呑を傾け一気に煽る。喉を通る酒の量に怯むがここで引くわけにはいかない。巫女に逃走はないのだ。
なんとかカラにすることに成功すると、霊夢は叩きつけるようにぐい呑を置いた。一気にアルコールを摂取したせいで若干視界が歪む。それを隠しながら文を睨みつけるに視線を向けた。
「ど、どう。これで満足かしら」
「おお、なかなかの飲みっぷり」
「そ、そうれしょう。それじゃあ」
「では、もう一杯。遠慮無くどうぞ」
笑顔でなみなみと酒をつぐ文。霊夢はぐい呑を見て、文を見た。ニコニコ笑う文に対して霊夢はヤケになって酒を呑むことしか出来なかった。
◆
結果。
「だからね、紫ってば事あるごとに『博麗の巫女らしくしろ』ってうるさいのよ。私はなりたくてなったわけじゃないのに」
「はあ、それは大変ですね」
「文はわかってくれるの…?ああもう、大好き」
「ど、どうも」
顔を酔いで紅くした霊夢は普段からは考えられないようなことを繰り返す。いつもの強気な態度はどこへやら、寂しそうに目は伏せられ、その手は遠慮がちに文の手を握っていた。
まさかこれほどとは。酔った時の性格がその人物の本性と言うが、これがあの博麗霊夢なのだろうか。
「霊夢さんはその、『博麗の巫女』という立場が嫌なんですか?」
霊夢は首を横に振って否定する。
「そうじゃない。ただ…『博麗の巫女』として振舞えば振舞うほど、私は『博麗霊夢』として見られないじゃないかって、時々不安になるの。『博麗霊夢』を知っている者は誰もいないんじゃないかって」
「霊夢さん…」
俯いて呟く霊夢の横顔は儚げで、今にも消えてしまいそうな、そんな危うさを感じさせた。知らず、文は霊夢の手を握り返していた。
いくら力があると言っても彼女は人間で、少女なのだ。周りの人妖が思っているほど彼女は強い人間ではない。傷つきもすれば涙も流す。その弱さを隠すためには『博麗の巫女』として振舞えば簡単だ。しかし、振舞えば振舞うほど『博麗霊夢』の存在はいなくなる。そのジレンマを抱え続けたまま生きてきたのか。
「…文、怖い顔してる」
「…すいません、自分が情けなくて」
自分の鈍さが憎い。彼女の寂しさを気がついてやれずに私は今まで何をしてきたのだろう。自身、彼女を『博麗の巫女』としか見ていなかったのではないか。
「心配しないで。私は大丈夫だから」
だったら、どうしてそんな寂しそうな顔をするのか。酒に頼らないと弱音も吐けない彼女に『博麗の巫女』という盾は重すぎる。誰かがそんなものに頼らずに済むようにしてやるべきだったのに、自分は何もできなかった。
「…私は、霊夢さんに何が出来ますか」
「…何もしなくてもいい」
ただ、今は側にいて欲しい。
文は何も言えず霊夢の手を強く握り返した。
◆
夏の日差しに辟易しながら霊夢が境内を掃除していると文が訪ねてきた。
「霊夢さんこんちには!いい天気ですね!」
「あんたも飽きないわねえ…」
呆れたように霊夢は呟く。文はニコニコと笑うだけだ。
「今日もしっかり取材させてもらいますから!」
「巫女の一日なんて記事にしておもしろいの?」
「巫女の一日じゃなくて、霊夢さんの一日ですから」
「よくわからないけど…まあ、記事にするならしっかり書いてよね」
口ではそう言いつつも霊夢は満更でもなさそうだった。
「はい!霊夢さんに喜んでもらえるように頑張ります!」
彼女は何もしなくてもいいと言ったが、そうもいかない。自分は我侭なのだ。彼女には笑顔でいて欲しい。だから、『博麗の巫女』としての霊夢ではなく、一人の少女としての彼女を知ってもらいたい。無論、それをしたところでなにも変わらないかも知れない。ならば、自分ひとりだけでも『博麗霊夢』を知っていればいい。彼女が涙を流したときに、それを拭いてやれる者が隣にいればそれでいい。
その役目は誰にも譲りたくない。思いを胸に文はカメラを霊夢に向けた。
暑さのせいかそんなどうでもいい思考に至る。
「こんにちは。今日も暑いですね」
空から現れた文は額の汗をぬぐいながら霊夢の隣に腰掛ける。その手には酒瓶が握られていた。
「いらっしゃい。ちょっとそれで扇いでくれない?」
霊夢は文が手にした羽団扇を指差し言う。まかり間違っても涼を取るために使うものでない。
「いきなりですね」
まあ、いいですけど。文は苦笑しながら葉団扇で霊夢を扇いでやる。そよそよとやさしく吹く風に団扇は他人に扇いでもらうものだと霊夢は思った。
「それは?」
涼しさに目を細めながら霊夢は酒瓶を指差す。
「見ての通りです。一緒にどうですか?」
「断ると思う?」
「いいえ」
文は笑顔で応え、霊夢も笑顔で返す。
「おつまみ、何か持ってくるわ」
「楽しみに待っています」
文の声を背に、足取り軽く霊夢は台所に向かった。
◆
「それでは」
「乾杯」
ぐい呑を軽くぶつけ合うと、風鈴に似た涼しげ音が響いた。霊夢はぐい呑を口元に運び、一口目は舐めるように味わい、二口目でのどを潤す。透き通るような瑞瑞しい味わいに思わず目を細める。ふと、隣の文を見ると一口目から一気に煽っていた。
「もう少し味わって飲みなさいよ」
「いいじゃないですか。霊夢さんの飲み方ケチ臭いですよ」
「うっ…」
「宴会のときもあんまり飲んでないですし。遠慮してるんですか?」
「そういうわけじゃないけど…」
霊夢が酒をゆっくり飲んでいるのは文に遠慮してるわけでもなく、ケチなわけでもない。別に理由があるのだが文にだけは知られたくない。間違いなくそれをネタにしてからかわれることになる。
「あ、実は霊夢さんってお酒弱いんですか?」
一瞬、霊夢の動きが止まる。すぐに何でもないようにぐい呑を運ぶが、内心苦々しい思いで一杯だった。何故、この天狗は余計なところで勘がいいのか。
霊夢は実のところ、あまりアルコールに強くなかった。ゆっくり飲めば平気なのだが、一気に飲むと記憶がなくなる。一度紫に(自身に記憶はないが)べったり甘えたことがあり、死ぬほど誂われシェルターを掘りたくなるほどの恥ずかしさを味わって以来、酒は飲んでも量は少なめにしていた。
「あれあれ。図星ですか?可愛いとこまた見つけちゃいました」
「違うわよ。私は職人に敬意を込めて味わって飲むようにしているの」
「へー」
「…ホントよ」
「そうですよね」
文はニヤニヤとこちらを見る。嫌な予感がした。そして、こういう時の勘は大抵当たるものだ。
「霊夢さんとあろうかたがお酒に弱いなんて訳ないですよねっ」
文は霊夢の予想通りの行動に出た。霊夢はまだ八分ほど残っているぐい呑を見る。これを飲まなければ酒に弱いことを肯定することになる。それを避けるためにはこれを一気に飲まねばならない。しかし、これを飲んで意識を保っていられるか。
霊夢は顔をあげて文を見る。こちらを試すように笑っていた。それを見て覚悟を決める。ぐい呑を傾け一気に煽る。喉を通る酒の量に怯むがここで引くわけにはいかない。巫女に逃走はないのだ。
なんとかカラにすることに成功すると、霊夢は叩きつけるようにぐい呑を置いた。一気にアルコールを摂取したせいで若干視界が歪む。それを隠しながら文を睨みつけるに視線を向けた。
「ど、どう。これで満足かしら」
「おお、なかなかの飲みっぷり」
「そ、そうれしょう。それじゃあ」
「では、もう一杯。遠慮無くどうぞ」
笑顔でなみなみと酒をつぐ文。霊夢はぐい呑を見て、文を見た。ニコニコ笑う文に対して霊夢はヤケになって酒を呑むことしか出来なかった。
◆
結果。
「だからね、紫ってば事あるごとに『博麗の巫女らしくしろ』ってうるさいのよ。私はなりたくてなったわけじゃないのに」
「はあ、それは大変ですね」
「文はわかってくれるの…?ああもう、大好き」
「ど、どうも」
顔を酔いで紅くした霊夢は普段からは考えられないようなことを繰り返す。いつもの強気な態度はどこへやら、寂しそうに目は伏せられ、その手は遠慮がちに文の手を握っていた。
まさかこれほどとは。酔った時の性格がその人物の本性と言うが、これがあの博麗霊夢なのだろうか。
「霊夢さんはその、『博麗の巫女』という立場が嫌なんですか?」
霊夢は首を横に振って否定する。
「そうじゃない。ただ…『博麗の巫女』として振舞えば振舞うほど、私は『博麗霊夢』として見られないじゃないかって、時々不安になるの。『博麗霊夢』を知っている者は誰もいないんじゃないかって」
「霊夢さん…」
俯いて呟く霊夢の横顔は儚げで、今にも消えてしまいそうな、そんな危うさを感じさせた。知らず、文は霊夢の手を握り返していた。
いくら力があると言っても彼女は人間で、少女なのだ。周りの人妖が思っているほど彼女は強い人間ではない。傷つきもすれば涙も流す。その弱さを隠すためには『博麗の巫女』として振舞えば簡単だ。しかし、振舞えば振舞うほど『博麗霊夢』の存在はいなくなる。そのジレンマを抱え続けたまま生きてきたのか。
「…文、怖い顔してる」
「…すいません、自分が情けなくて」
自分の鈍さが憎い。彼女の寂しさを気がついてやれずに私は今まで何をしてきたのだろう。自身、彼女を『博麗の巫女』としか見ていなかったのではないか。
「心配しないで。私は大丈夫だから」
だったら、どうしてそんな寂しそうな顔をするのか。酒に頼らないと弱音も吐けない彼女に『博麗の巫女』という盾は重すぎる。誰かがそんなものに頼らずに済むようにしてやるべきだったのに、自分は何もできなかった。
「…私は、霊夢さんに何が出来ますか」
「…何もしなくてもいい」
ただ、今は側にいて欲しい。
文は何も言えず霊夢の手を強く握り返した。
◆
夏の日差しに辟易しながら霊夢が境内を掃除していると文が訪ねてきた。
「霊夢さんこんちには!いい天気ですね!」
「あんたも飽きないわねえ…」
呆れたように霊夢は呟く。文はニコニコと笑うだけだ。
「今日もしっかり取材させてもらいますから!」
「巫女の一日なんて記事にしておもしろいの?」
「巫女の一日じゃなくて、霊夢さんの一日ですから」
「よくわからないけど…まあ、記事にするならしっかり書いてよね」
口ではそう言いつつも霊夢は満更でもなさそうだった。
「はい!霊夢さんに喜んでもらえるように頑張ります!」
彼女は何もしなくてもいいと言ったが、そうもいかない。自分は我侭なのだ。彼女には笑顔でいて欲しい。だから、『博麗の巫女』としての霊夢ではなく、一人の少女としての彼女を知ってもらいたい。無論、それをしたところでなにも変わらないかも知れない。ならば、自分ひとりだけでも『博麗霊夢』を知っていればいい。彼女が涙を流したときに、それを拭いてやれる者が隣にいればそれでいい。
その役目は誰にも譲りたくない。思いを胸に文はカメラを霊夢に向けた。
匿名票満点のつもりでこの点数を
なんというか、私の目指すようなほのぼのだった気がします。
可愛らしいお二人の様子、御馳走様でした
霊夢も人の子だもんね。うん。
そんな霊夢に心打たれました。
あやれいむ最高っす!
とても良いあやれいむです。甘い甘い。
そして甘い中にもほんの少しのスパイスが。それがより甘さを引き立てる……
文さんの気持ちに少し鼻がツンとなりました。
ご馳走様でございます。仕合わせ!