「うしし、今日も誰かが落っとし、穴♪」
誰が呼んだか悪戯兎。
今宵も竹林駆け回る。
静けさ纏う足取り軽く、木の葉散らしてぴょんと跳ねた。
「今日は満月? それとも新月? 緑の傘の何知るものぞ♪」
空を竹の葉でできた傘が夜空を覆い尽くしたいつもの風景。灯りがなければ手元すら危うい暗闇の中でも、彼女の視界はうっすらと周囲を見渡せた。いや、例え視界を闇に包まれたとしても、彼女にとっては広い庭程度でしかない。目を閉じて周囲の音だけ聞いていても、障害物に当たらずに活動できる自信はあった。
そうでなければ、楽しめない。
「家路に迷う愚か者。落ちれば天国、落ちねば地獄。ほらほらみんなの餌になる♪」
彼女には二つの名前があった。
『悪戯兎』と『幸運の白兎』
それが真に意味するものは、竹林に足を踏み入れた人間にしかわからない。
日中でも、深夜でも。
下手に入れば生きて出られない迷いの竹林にあって、悪魔にも天使にも見える存在。
そんな小さな兎が、竹の枯れ葉を鳴らして跳ねて。
トン、という着地の音と。
ドサリ、という別な音が重なった。
地面に何かがぶつかる音が、彼女の大きな耳に入ってくる。臆病な兎なら、普通その音から遠ざかろうとするのが常識。仲間の元へ逃げ帰り、あそこは危ないと注意するはず。
しかし、彼女が取った行動はまったくもって正反対。
あろうことか、縄張りに入ってきた相手に向けて、くくくっと楽しそうに笑い。
音がした方に高く、高く、飛び跳ねた。
「はいはい今宵も大当たり。一名様、ご案内♪」
兎が逃げないのは、音の正体を知っていたから。
あの重い響きは、急に地面を失った誰かが腰を打ち付けた音。彼女が作った落とし穴に綺麗にはまった証拠だ。
即興の詩を口ずさんで、足取り軽く、それでも出来る限り周囲に気を張って移動すれば。
ぽっかりと地面に開いた、人間を丸ごと飲み込みそうな大穴が一つ。
土を乗せていた細い枝の薄膜はすっかり破り抜かれていて、誰かが罠に掛かったことを示していた。もちろん特製の落とし穴に。
そして中から聞こえるのは、手で土を掻く弱々しい音だけ。
人間の大人の身長よりも少し高い程度の深さしかないので、妖怪であれば、怒鳴り散らしながら飛び上がったり、既に抜け出しているはず。消去法からして、中にいるのはあきらかに人間だろう。
いたずら兎は笑みを堪えて、深呼吸。
ここから楽しむためには偶然を装って接近しなければ行けない。臆病な兎らしく、慎重に、できるだけ音を消して……
「誰か、いるの?」
(……え?)
逆に驚かされた。
聴覚の劣る人間には聞き取れないくらいの音で移動したと思ったのに、穴を覗き込む寄りも先に声を掛けられたから。
しかし、単純に竹の葉がざわつく音と何かを聞き間違えた可能性もある。
気を取り直して最初に耳だけを穴の淵に貼り付けてみたら。
息を呑む音が聞こえた。
ごくり、と。
穴の中の誰かが喉を鳴らす。
警戒を示す音に、彼女の違和感が増した。
この罠に掛かった人間が、気配を明確に感じ取っている気がしたから。
(妖怪にでも追われて、気が張ってるだけ? それとも……?)
いつもと違う雰囲気に呑まれそうになり、不安が顔を出す。しかし罠に掛かった獲物を確認せずに帰るなんてプライドが許さない。
意を決して落とし穴の淵に手をかけた彼女は、体を動かすより先に呼びかけた。竹林の中でもはっきりと聞こえる、よく通る声で。
「やあやあ、お客さん。こんばんは、月は見えないけど良い夜だね♪」
いつもどおり嘲り半分の声音で片目を閉じて見せ、少しずつ顔を動かして暗闇の中を覗き込んで、
「私は兎、幸運の兎。あなたに幸せを届けに来たよ。人里までの片道切符の――」
彼女は声を止める。
漆黒の闇の中で、うっすらと浮かび上がった人影に思わず口を開けたまま固まってしまった。頭の上から伸びた耳だけを軽く揺らして、余裕の消えた瞳を一点だけに集中させた。信じられないものを見るかのように穴の中を凝視し続けるその姿は、逆に悪戯を仕掛けられたかと錯覚するほど。
「……え、えっと」
なぜなら、彼女が見つめるその頭の上には見慣れたものが一対。
暗闇の中でも、存在感を放つ。
真っ白な――大きな『耳』。
その全体像は見たこともない、妖怪兎そのものだった。それが、背中を穴の壁面に接触させ、怯えた様子で見上げている。
(うそ、何なのこの子……見たことない姿だし、別の地方の兎? 突然変異? 服がここの土とは違う何かで汚れているところを見ると、新しく幻想郷が招いた? う、うぅぅぅぅ……ああもう、どういうことなのよ! わけわかんない!)
これ以上ないくらい不意を突かれた彼女は、緊張でバクバクと鳴り響く心臓の音を気にしながらも、なんとか友好的な笑顔を作る。
人間に対する対処法も、妖怪に対する対処法も組み上げきっていた。
しかし、こんな想定外な事態をどうしろというのか
「こ、こんばんは?」
しばらく考えた結果、導き出した答えがこれ。
とりあえず挨拶だけしよう、という間抜けすぎる結論。
それでも若干引きつった笑みは不自然さ丸出しで……
だから、きっと。
その穴から這い上がる体力すら使い果たした、見た事もない兎は推測した。
悪い方へ、悪い方へと。
「嫌、嫌ぁ……捕まえないで、助けて、お願い……」
「……捕まえる? そんなことしないってば」
小さな、小さな地上の兎は、地の底に落ちた兎に手を伸ばす。
背中を冷たい土に押し付け、震え続ける兎に身を乗り出して手を伸ばす。
けれど、それすら見たこともない兎は振り払い。
「――――――っ!」
鼓膜が破れそうなくらいの奇声を発して、カクリ、と糸の切れた操り人形を思わせる動きで首を折る。
頬を涙で濡らし、全身を大地に預け気絶してしまう。
「あー、あー、なんなの急に……最近は厄介事ばっかり」
あの胡散臭い医者といい、自称姫といい。
そう静かに付け加え、耳鳴りを耐えつつ穴の中へと着地。力が抜けてずっしりと重さを感じる見知らぬ兎の体をなんとか肩に担いだ。しっかりと固定してしまえば、後は簡単。
「重っ、捨てちゃおうかな、途中で」
ぐっ、と足の裏に力を込めて、力一杯蹴り跳ねるだけ。
緑の天井を突き破れば、天井だった葉があっという間に緑の絨毯に早変わり。
肌に感じる爽快な風も、星々の明かりも、全てが彼女を包み込んだ。
しかし星の明かりだけにしてはヤケに眩しくて。
彼女は飛びながらくるりと体を上に向ける。
「ああ、なるほど」
夜空の星々を掻き消してしまうほど、圧倒的な存在感。
満月が堂々と世界を照らしていた。
妖怪たちが奇妙な行動を起こしやすい夜、きっとこの兎も何かに魅せられたのだろう。
「はじめましてくらい、言わせて欲しかったんだけどなぁ」
逆さまになったせいで落ちそうになった見知らぬ兎。
そんな綺麗な彼女の泣き顔を見つめて、小さな兎はふふっと笑い兎はある屋敷を目指す。彼女の住処とは別の、大きな屋敷。
『永遠亭』へと。
◇ ◇ ◇
「動かないで、動いたら撃つ! 動かなくても撃つ!」
「いやぁ~ん、鈴仙ったらこわぁい♪」
そう、彼女は鈴仙という妖怪兎。
青みがかった紫色の綺麗な髪が特徴の、地上とはまた別なところにいた兎。てゐには深く話そうとはしないが、永遠亭の二人とのやりとりだけ見てもそう考えるのが自然だった。
そもそもてゐとは身なりも大きく異なるのだから。
「返せ! 私の清楚で凛々しいイメージを返せ!」
「清楚? 凛々しい?」
「そうよ! 私は師匠のできる弟子として一生懸命やってるんだから!」
「できる、弟子? …………ぷっ」
「……てぇぇぇぇゐぃぃぃぃ!」
口元に右手を当てて、ニヤついて息を漏らす。
その仕草が鈴仙の逆鱗に触れ、指先から生み出された弾丸が前髪を掠めていった。紙一重で避けた弾丸は一本の竹の幹を粉々に砕き、闇の中に消えていく。
当たったら、ただでは済まない威力過ぎる。しかし物怖じするどころか、ふふんっと鼻を鳴らして、兎のヒットマンを挑発する。
「なぁに? 私は別に、嘘を吐いたわけじゃないよ。チルノや橙やリグルが、鈴仙との出会いについて知りたいって言ったから、ありのままを伝えただけだし」
「嘘、それでどうやって私が馬鹿にされることになるのよ! チルノにも指差して笑われたんだからね!」
「えー、だって、ねぇ?」
すっと手を前に持ってきて、指を立てる。
それを一本ずつ折り曲げつつ、てゐは楽しそうに笑った。
「まず、落とし穴に落ちたでしょ? その後私を見て泣きながら気絶したでしょ? それから永遠亭に連れて行ったら、二人を見て泣いたでしょ。で、私にお礼言いながらまた泣いて、それから、それから、あ、傷薬が痛いって泣いて、弟子として住まわせてあげるって言われて泣いて、うわっ、何コレ! 片手じゃ足りな――」
ずどんっと。
真横の地面が弾け飛んで、てゐは言葉を止めた。
顔を真っ赤にした鈴仙が指先を震わせて打ち出した弾丸の、先ほどとは比べ者にならない威力。洒落にならない爆発力に言葉を止めさせられた。
「まさか、全部じゃないわよね?」
「…………全部♪」
「て、撤回して来て! いますぐ! 嘘だったって言ってきて!」
「いやぁ、兎を束ねる責任ある私としては、嘘の情報を流すなんて良心が痛んで痛んで……、ああ、それを無理矢理やれだなんて……」
よよよ、と。竹林の地面の上に泣き崩れ、ハンカチで顔を覆う。
あまりにも嘘くさい仕草過ぎて鈴仙が呆気に取られていると、ハンカチの影から歪めた口元を出して。
「ああ、なんて酷い人でしょう。ドジで泣き虫な、れ・い・せ・ん・さんは♪」
「きしゃぁぁっ!」
竹林を破壊するいくつもの弾丸の中、てゐは軽々とそれを避け奥へ奥へと進んでいく。それでも、身体能力の差からか、その距離は進めば進ほど狭まっていき。
「いたぁっ!」
「はい、捕まえた!」
とうとう、耳を無理矢理捕まれてしまう。
今日こそどうしてやろうかと思案し、進行速度を緩めるために足を地に付けた。
瞬間、襲ってくる浮遊感。
「え?」
がさり、と。何かが崩れる音と共に、重力を思い出した体は落下を始めた。それを止めるために藁をも掴む思いで強く握ったてゐの耳が、
すぽんっと、抜けた。
「え、ぇぇぇぇえええええっ!」
抜けた、と錯覚して落下しつつてゐの頭の上を見れば、そこには元気良く揺れる耳が二つ。そして、手元には……本物と同じ毛並みの、耳カバー。
やられたと思ったときには時既に遅く、鈴仙は固い地面に尻餅を付いていた。
「おしい、狙いは良かったと思うけど。油断するのはどうかと思うよ」
「いたたたぁ、あー、もぅ! 昼から師匠の手伝で人里に行かないといけないのに! スカート汚れたじゃないのよ!」
「勝ったと思ったときが、負けたとき。相手が罠使いなら特に気を付けるべきだったね。我らの隊長殿♪」
「……隊長って、心の隅にもそんなこと思ってない癖に!」
「……す、凄い! 鈴仙って悟りの素質あるかも!」
「もういい、怒るの疲れた……」
永琳からは鈴仙がてゐや妖怪兎のリーダーとして過ごすようにとの命令が出ているのだが、肝心のてゐには部下の自覚がさらさらなく。妖怪兎に至ってはてゐ以外の言うことをほとんど聞かない始末。
「ま、私が信頼しても良いと思ったら、付いていってあげるよ」
「はいはい、先輩兎に認めて貰えるように頑張るわよ。だからせめて変な噂だけは流さないでよね」
「そうだね、ま、今回はちょっとだけ可哀想だから、訂正しといてあげる」
「絶対だからね!」
「うんうん、絶対」
頬をぽりぽり掻きながら、ホントかなぁとつぶやき。鈴仙が肩を下として穴から飛び上がったとき。
どさり、と、近くでまた土の落ちる音。
慌てて足元を見る鈴仙であったが、そもそも空中に浮かんでいるので落とし穴など関係ない状況である。落ちるはずがない。
なので、迷い込んだ人間か動物が落とし穴に掛かったのかと顔を上げれば。
「……おかえり、鈴仙」
「なにしてんの?」
「……落とし穴の、確認」
落とし穴の淵に手を置き、滑り落ちるのを我慢する小さな兎が居た。
◇ ◇ ◇
「ごめん、昨日馬鹿にしてたけど、違うって聞いたから謝っておいてあげる。さいきょーは、下々の者のことをかんがえないといけないからね!」
「すみません、本当にごめんなさい……これで謝ってるつもりなので、許してあげてください」
胸を張る妖精と、ほぼ直角に頭を下げる妖精。
人里に薬を配達に行った帰り道、紅魔館に喘息に効く薬を届けに行く途中の道でいきなり声を掛けられたと思ったらこれだ。
もちろん、噂を流したのはてゐという兎で、その噂を沈めたのも同様。
なら最初からやらないで欲しいと本気で思う彼女であったが、それが悪戯兎の本性なのだから仕方ない。
昔はその悪戯がたたって、神様にお仕置きをされたとも聞いたことがある。
問題は、懲りてはないところか。
「そっちはてゐの噂を信じただけだから、気にしなくていいわよ。悪いのは全部あいつ」
「ありがとうございます! チルノちゃん、許してくれるって!」
「ふふん、そんなの最初からわかりきってたもん」
この強気の半分でもあればどれだけ良いか。それを考えつつ別れようとしたが、お礼に館まで付いて行ってあげると聞かないので結局3人で紅魔館へ。
霧の湖を迂回して、昨日何して遊んだかを語り出すチルノの言葉を聞き流していたらあっという間に門前に到着。
するとチルノが二人より前に出て、門のところで直立していた美鈴を指差す。
「門番! あたいたちと弾幕勝負だ!」
「するか! ……話聞いてなかったでしょ、あんた」
「え?」
「チルノちゃん、鈴仙さんはお薬を届けに来ただけなんだって」
「え?」
てっきり、遊びに来たと思っていたのか。
チルノは羽を下げてしょんぼりと俯いてしまう。影を作る透明な水色が、余計に背中の悲しさを象徴している。
「ははは、大変ですね。お互い」
「そっちはたまに居眠りしてるけどね」
「うう、酷いです……」
客人にまでサボり扱いされる悲しさ、プライスレス。
悲しみに暮れながらも、ちゃんと妖精を呼んで咲夜に報告しに行かせるのはさすがに手慣れている。
「永遠亭の妖怪兎は容赦が無いですね、本当に……」
「あ、ごめんなさい。ちょっと朝からイライラすることが多くて、つい言葉にトゲが」
「なるほど、そうでしたか。咲夜さんと同じですね! お嬢様が拗ねて、部屋から無理矢理追い出されたとき――」
「……誰のことかしら?」
「ひゃぅっ!?」
時を止める能力を無駄遣いすると評判の、完璧すぎるメイド。
それがいきなり背後に現れて、美鈴は思わず身を固めた。しかし今すぐ折檻するつもりはないのか、くるりと背を向けて釘を刺す。
「くだらないことを言ってないで、早くお客様をお通ししてちょうだい。パチュリー様がお待ちだわ」
「は、はい、今すぐに! では、鈴仙さん、どうぞ。妖精のお二方はしばらく私と遊びましょうか!」
「……堂々とサボり発言しないでくれると助かるのだけれど」
「い、いやだなぁ、咲夜さん。これも門前の平和を守るためでして、あ、そうそうそのための弾幕バトルです」
「ほどほどにしておきなさい、業務に支障をきたさない程度に」
「は、はいっ! 紅美鈴! 誠心誠意を以て門番に望む次第です!」
敬礼、と、手を額に当てる美鈴をため息混じりに送り出して、客人を連れて紅魔屋敷へと入っていく。
すると、弾幕バトルと聞いて息を吹き返したチルノが美鈴の周りをぐるぐると飛び回る。
「ね、ねねねねねね、やるの? やるんだよね? カードは何枚? ルールは? 宣言は?」
「そんなに慌てないでください、私は逃げませんから、ね? ルールはそっちで決めて良いですよ」
「はぁーい!」
すると、美鈴から離れて地面に何かを書き始める。
どうやら一人作戦会議を開いているようで、大ちゃんが覗き込もうとしても、『秘密!』と追い払われてしまう。
「あらあら、仲良くしないと駄目ですよ」
「いいんです、チルノちゃんは夢中になったら周りが見えにくくなるだけで、本当は良い子ですから」
「それはよかった」
顔と顔を見合わせ、どちらからと言わず微笑み合う。そんなとき、ふと、ある言葉が思い出されて。
「そういえばさっき、鈴仙さんに永遠亭の兎は容赦ないって言ってましたけど。あれはてゐちゃんも含めて?」
「ええ、まぁ、お恥ずかしながら……、暖かい日差しの中で、ついうとうとしていたら。こっそり近付いてきて髪の間に花を刺していったり、『ねぼすけ』って紙を背中に貼り付けていったりと……、若干の被害が」
「……本当に、若干ですね」
「ええ、それよりもその後の咲夜さんの説教の方が怖いですけどね、油断しすぎだと」
「確かに……」
何故、それがてゐの仕業だとわかるのかと尋ねたら、庭を整備していた妖精が見ていたからだそうだ。
「実は、昨日も来ていたそうなんですけど……」
「じゃあ、また悪戯の被害に?」
「いえ、妖精の話では、居眠りしている私を遠くから眺めながら、ぼーっと立っていて。そのまま帰ったと」
「気が乗らなかったんでしょうか?」
「いつも気が乗らないでいてくれれば助かるんですけどね」
しかし大妖精は首を傾げる。
彼女も妖精の一人なので、基本的に悪戯は大好き。危なっかしいチルノと一緒でなければ、人間たちにちょっかいを出したりもする。
だから、わざわざここまでやってきて何もしないで帰るというのがイマイチ理解できなかったが。
「はいはーい! ルール決まった! さあ、勝負!」
スペルカードを3枚取り出したチルノの元気な姿を見ていたら、そんな些細なことなど消え去ってしまった。
◇ ◇ ◇
てゐが首を傾げる。
食卓で、正座したまま、何故か首を小さく振る。
座る位置が変、というわけでもない。
誰かが欠けているわけでもない。
上座が輝夜と、永琳、そして輝夜の前にてゐと、そして最期に鈴仙。たまに妹紅との勝負で負けた輝夜が不貞寝して朝食に出てこないことはあるが、今日はしっかりとそこにいる。
「味付け、濃かった?」
「んー、そんなことないけど……」
なら、味が悪いのかと思い、朝食担当の鈴仙が尋ねてみても、また首を振るだけ。そしてじっと、テーブルの方を真っ直ぐ見るのだ。
どこか、不安げな顔で、でも何も言わずに箸だけを動かす。
昨日と比べて、明らかに様子の違うてゐの姿がどうしても気になる。その原因を確かめようといくつか疑問を口にしてみても、同じ口調でやんわりと否定されるだけ。
「ごちそうさまでした」
疑問が解決しないまま、朝食が終わり後肩片付けの時間になる。すぐに部屋を出て行ったてゐを追うことなく、鈴仙が洗い物を黙々とこなしていると。
「だーれだ♪」
あからさまな裏声と同時に、視界が闇に覆われた。
目元から伝わる生暖かい感触と、後頭部から首筋にかけて伝わる吐息から誰かが後ろから抱きついてきたと言うことは理解できるが。
解せないことが、ただ一つ。
「……まさか、その高い声はてゐのモノマネですか? 姫様」
「どう、似てた? 似てた?」
「まったく、これっぽっちも」
正直言って、オウムに真似させた方が似てる気がする。
と、本音を言えるはずもなく、洗い物の手を止めてエプロンで手を拭いた。
「あら、そこは私を立てて、じっくり聞かないと判別できなかったとか言ってくれても良いのよ?」
「言っても、嬉しくないでしょ?」
「よくわかってるじゃない、さすがイナバね」
「鈴仙って呼んでくださいよ」
「いいじゃない、妖怪兎は全部イナバで。判別つかないもの」
実に姫様らしい、そう思いながらも鈴仙は話し相手を続ける。そうしないと、日中不機嫌になって無理難題を突きつけられかねないからだ。
「申し訳ないですが、話を聞くのは洗い物をしながらでもいいですか? 今日は洗濯当番もありますから」
「いいわよ、でも、聞き流さない方が良いと思うけれど。だって、てゐのことですもの」
「朝食の時の不自然さでしょう? それなら私でもわかってます」
そもそも、何度も尋ねたのだからわからない方がおかしい。
しかし輝夜は着物の長い袖を口元に当てて、ほほほ、っとわざとらしく笑う。
「そうじゃないのよ、イナバはね。私をずっと見ていたの、それに気が付いた?」
また、イナバという言葉が出てくる。
ただし今の『イナバ』はてゐを指しているようで、鈴仙のことではないようだ。
じゃあ関係ないか、と。
「……姫様を?」
危うく聞き流しそうになって、慌てて問い返す。すると自信満々の頷きが返答として戻ってきた。
「ええ、私も最初は机の上の醤油が欲しいのかと思って、わざと遠ざけてみたんだけど反応が変わらなかったから」
「最悪ですね」
「じゃあ何見てるんだろうって、ふと顔を上げたらね。目が合うのよ。ご飯を食べている間中、顔をあげたらすぐに」
「……気のせいでは?」
「10回を超えるチラ見を気のせいと言えるのなら、気のせいなんでしょうね」
その言葉が正しいのであれば、てゐは輝夜を見ていたことになる。しかし自由奔放なてゐが、今更輝夜に何の用事があるというのか。あると仮定して考えようとしたら、いろいろな意味で嫌な予感しかしないのは何故だろう。
「まさか、てゐに何か嫌がらせしました? にんじんの中に唐辛子を仕込んだとか」
「なんでそうなるのよ。わさびしか入れたことないわ」
「入れないでくださいよ、ていうかこの前妙に辛いにんじんをてゐから貰ったんですが?」
「……なかなかやるわね。この次は負けないわよ」
「お願いですから、子供染みたことはしないでください。っていうか何の勝負ですか……」
何はともあれ、ここで考察しても仕方ないと言う結論に至り、直接てゐに聞くことになった。幸いなことに、てゐは来週に控えた満月恒例餅つき大会の練習を部下の妖怪兎と一緒に行うために中庭にいるはず。
廊下の曲がり角からその様子を覗けば、ぎこちない動きの妖怪兎たちに対してゐが実践して教え回っている。
「てゐが休憩で廊下に腰掛けたら、作戦開始よ」
「作戦ってほどでもありませんけどね」
とりあえず、作戦準備のため輝夜が反対側の廊下へと屋根の越しに移動し準備完了。後は休憩時間を待って、鈴仙がお茶を持って行く。そうやって気を抜いたところで、輝夜がさっきのように『だーれだ』を実行し空気を軽くして話を効く。
もちろん、発案:輝夜、現場指揮:輝夜。
ただ、鈴仙の声真似をしつつ実行するという当初の行動は、一部の激しい反対により却下された。
「さあ、みんな。あと30回ついたら交代!」
そんな裏工作などあると知らずに、てゐは一通り個人授業を終えて廊下に腰掛けた。
そこへ、輝夜の命令通り。
「どう? 妖怪兎たちの様子は?」
「まだまだ、でも本番までには何とかしてみせるよ」
鈴仙が隣に座ってお茶を差し出す。
それを受けとって、てゐが両足を揺らしているところに、輝夜が背後から回り込んだ。
そして一息吐いたのを見計らって。
「だーれだ♪」
さっきと同じように、輝夜がてゐの後ろから目を隠す。
どうせ悪態の一つでもついて、冷めた目で見るに違いない、そう予想した鈴仙は自分用に持ってきたお茶を飲み、苦笑い。
けれど――
がしゃん、という予想外の破砕音がその場に響いた。
「……てゐ?」
頭の中のどこにもなかった映像を見せつけられ、か細い声しか出ない。それでも段々と現実味を増し始めた感覚の中で、鈴仙は再び彼女の名前を呼んだ、
「てゐ!」
強く、叱責する声で。
輝夜はまだ、何が起こったか理解できない様子で廊下に立って足元を見ている。そこにある割れた湯飲みと、そこから廊下に流れる暖かい液体を。
「謝りなさい! 早く!」
何があったか、言葉で言い表すのは簡単だった。
輝夜が目隠しをした瞬間に、てゐの体が大きく跳ね、あろうことか輝夜の手を本気で振り払った。その拍子に持っていた湯飲みは廊下に放り出され、割れた。事件の証拠が輝夜の手の甲、赤く変色した右手だ。
輝夜を振り払った直後、てゐは二人と逆の方の廊下へと足を付き身を低くした。
臨戦態勢、というわけである。
目隠しをされた、たったそれだけのことで、永遠亭の主に牙を剥こうとしている。
「姫様に向かってなんてことをしてるのよ!」
妖怪兎たちでさえ、てゐの行動を理解できず呆然と様子を見守るしか出来ない。静寂の中でただ鈴仙の声だけが響き渡り。
「姫、様?」
それにやっと、てゐの声が重なった。
低く、膝を折り曲げていた体勢を解き、恐る恐る輝夜の姿とその足下の湯飲みを見て。
「わ、私じゃない! 私がやるはずない!」
顔面を蒼白に変え、妖怪兎と、鈴仙の形相を見て……
背を向けて駆け出す。
鈴仙でも追いつけない初速で、竹林の中に消えていく。
しかし主に怪我をさせ、謝罪もせずに逃げるてゐを見逃すことなど出来るはずもなく。鈴仙はてゐを追うために輝夜の側を駆け抜けようとするが、
「……構わないわ」
それを左腕で制する。
感情の変化を感じさせない顔で、鈴仙の足を止めさせた。
「何故ですか! あのような無礼、許したままではいられないでしょう!」
「鈴仙、私はあなたや永琳にとってまだ姫なのかも知れない。けれど、この世界では一妖怪と同程度でしかないのよ。今の些細な衝突程度で罰などとは、元姫の器が知れるというもの。そうではないかしら?」
「……姫様が、そうおっしゃるのでしたら」
「ええ、やめなさい。てゐのことは永琳に任せることにしましょう。きっと、良い判断を下してくれるわ」
すぐに感情的になる自分より、師匠が適任……
なんとか自分で納得した鈴仙は、奇妙な不安を心の中に隠したまま輝夜に深く頭を下げたのだった。
胸の中に生まれた黒い靄を押し殺しながら。
◇ ◇ ◇
「や、おはよう、鈴仙♪」
……何、その明るい顔。
鈴仙は泣きそうだった、いや、むしろ心で泣いていた。
昨日あんなことがあって、どうやって顔を合わそうとか思って、一睡も出来なかった私の睡眠時間をどうしてくれる。
そう、心の中で嘆いていた。
「昨日は心配掛けちゃってゴメンね、昨日はちょっと間が悪かったって言うか。こう、驚いたって言うか、とにかく、罰として診療所の手伝いもすることになったからよろしく!」
「そういうことだから、仲良くね」
「ししょぉぉぉぉおおお……」
そういうことなら昨日のうちに何か一言欲しかったと思っても後の祭り。どうしても朝食前に相談したかったので、やってきたというのに……
「で、あなたはこんな朝早くに何を?」
「……あ、えっと、それは」
こうなるわけである。
二人が居る場面で素直に『てゐとどう接触して良いかわからなくて』などと今更相談できるはずもなく。
すでに要件が解決している中でどうしろというのか。
おそらく永琳はそれを察していて、わざと鈴仙を試しているに違いなかった。何故そう思えるかと言うと、すでに半笑いだからである。
「幻想郷の中で異変も多様化している中、私も早く師匠のような医療技術を身につけて患者に対応できるよう努力していこうかと思い、思い立ったら吉日というコトワザにもありますとおり、有言実行をですね……えーっと……」
「途中までよかったのに、詰めが甘い」
「鈴仙にそれを求めるのは辛いところだよ」
「寝起きで遊ばないでください、お願いですから……」
厄介者が二人に増えた。
さとりに心を読まれたら後で薬の実験台にさせられそうなことを考えて、それでも鈴仙は胸を撫で下ろしていた。
てゐが、思ったよりも元気そうだから。
昨日の気の迷いなんて気にならないほど『てゐ』らしくて、驚きより、嬉しさの方が大きかった。
「もう、朝ご飯の準備してきますから、遅れないでくださいよ!」
「うん、任せた!」
「てゐは手伝い!」
「えぇぇぇぇ……」
嫌そうに絞り出す声にすら安らぎを覚え、鈴仙は鼻歌を廊下に響かせつつ朝食の準備へと向かっていった。
それから、毎日。
てゐは輝夜に手を上げた罰として診療を手伝っていた。餅つきの練習の合間だったけれど、その評判は上々。
悪戯兎とは思えない、親切な対応をしてくれるらしい。
しかもあのてゐが敬語で話すというのだから、一見の価値はあるに違いない。
違いないのだけれど……
「何故、私だけ人里ですか……師匠……」
診療所が始まる前の調合だけ手伝って、後は薬配り。
そんな鈴仙はてゐの様子を見る機会すらなく、営業スマイルを振りまいて業務を続けていた。
そんな日が続いて、早一ヶ月。てゐの方が幻想郷に詳しいはずだと提案しても。
「却下」
なんて、きっぱりと二文字で返してくれるのだから、効率的である。理由なんてあったものではない。下手に反論しようものなら、論理武装された言葉の核弾頭が何発も投下されるのだから。
何度目かのため息をつき、仕方なく薬の配達を続けていたところで、後ろから小さい足音が近付いてきた。人間とは違う種族を間近で見たい子供に違いないが、相手にするとつけあがるため放置することに決めている。
そうやっていつもの通り歩く速度を緩めずに、薬箱だけを背負い直せば足音は遠のいていく。
ほら見たことか。
そんな小さな勝利の余韻に浸っていたら。
急に足音事態が消えてなくなる。
たぶん、歩くのをやめただけなんだろうと、対して気にしないでいたら。
何かが背中に入ってくる。
服と服の間の微妙な感覚を滑って入ってきたそれが何かと考察するより早く。
「きゃぅっ!」
思わず可愛らしい悲鳴を上げていた。
背筋に当たるその肌を刺す冷たさに、思わず背負った薬箱を投げ出そうとしてしまうほど。その感触からして間違いなく背中に入れられたのは氷。
ならば、手軽にこんな悪戯が出来る者は、たった一人しかいない。
「ちーるーのぉぉぉぉーー!」
「お、鋭い。さすが耳が大きいだけはある」
「冷たさに耳も何も関係ないのよ! 一体何様のつもり!」
「む、それはこっちの台詞だ! なんだよ、この前! 私を無視して!」
チルノを無視。
実際今それを行いたいところだが、その行為について彼女はまったく記憶にない。何せこの前付きまとわれたばかりなのだから。
「……それ、いつの話」
「この前!」
「この前っていつ?」
「この前はこの前!」
「相手は?」
「てゐ」
「私関係ないじゃない!」
しかも対象は別人。
一体どうしろというのかこの状況。
「あたい知ってるよ、そういうの『れんたいせきにん』って言うんだって。美鈴とかが使ってた」
「あー、メイドの教育の話ね……」
「そうそう、たぶんそれ! ということで、兎の無視は、兎に返す!」
「……もう良いけどね、でも、てゐが無視したからってどうだって言うのよ」
たぶん、てゐも今の状況と同様、付きまとわれるのが面倒になって無視したのではないか。そう考察した鈴仙は早く会話を切り上げようと核心部分に触れようとした。しかしチルノはぶんぶんっと首を振って一生懸命訴える。
「違うんだよ、その日、リグルとか橙とか、大ちゃんとか、みんなで集まって遊ぼうって話してたのにさ! 全然来なくて、仕方なく4人で遊んでたら、やってきたの!」
「どこが無視なのよ」
「その後だよ! やっときたって思って、私とか橙が呼んでるのにさ。耳びくってさせて逃げるの」
「……相当うるさかったとか?」
「違うよ、そんなに大声じゃないもん。それに近付いたりもしたけど、やっぱり凄い速さで逃げちゃうんだよ。泣きながら」
「いや、でもそれは、別な用事が…………今、なんて言った?」
ありえない単語が聞こえて、鈴仙は真剣な表情で問い返していた。
てゐが橙とチルノに怯えるわけがない。
どちらかと言えば、遊びながら意地悪して、やりすぎて喧嘩するくらい。だからその喧嘩の延長で取っ組み合いになるときもあるかもしれないけれど。
「んー、でも、あたいより橙に反応してたかな?」
話を聞く限り、ただ待ち合わせをしていただけ。チルノが情報を隠すことも考えにくく、その必要性もない。
冷静に考えれば考えるほど、言い知れない不安が胸を蝕んでいく。
しかも、それが起きたのは、『この前』なのだ。
てゐが診療所を手伝い始めてほとんど外出できなくなったよりも前だというのなら、時期的にちょうど……
輝夜に対して、異常な行動をとった日と重なる。
そんな欠片が組み合わさった途端、背筋に冷たい何かが走った。さっきの氷とはまた別な感覚。震えるほど冷たいのに、じっとりとした汗が額に滲む。
「ごめん、チルノ。急ぐから」
「え? 待て! 逃げるな!」
まだ文句を言い足りないのか、チルノが追い掛けようとする。だが、妖怪兎の脚力で屋根から屋根へと移動を始めた鈴仙に追いつけるはずもなく、できたことと言えば『ひきょうもの!』と叫ぶだけ。
しかし鈴仙の頭の中にはチルノのことなど片隅にすらなく。
『今はただ、一刻も早く薬を配り終えて永遠亭に戻る』それだけを考え、いつもの落ち着いた風貌を投げ捨て、また一つ大きく跳ねた。
「むぅ……」
ただ、そんな不満そうなチルノをその場に残すという行為、そして、いつも大人しく人里を歩き回るはずの鈴仙が取った大胆な行動が、
「あややややや、何かお困りですかな?」
一羽の鴉を呼び寄せた。
◇ ◇ ◇
いつもどおりだった。
診療所の中は怖いくらい、いつもどおり。
息を切らして鈴仙が診療所に戻っても、永琳は患者相手に診察を続け、てゐはその横で薬を磨り潰している。
「おそらく疲労からくるものですね、薬を飲んで安静にしていればすぐよくなりますよ。鈴仙、配達が終わったのなら薬箱の『あー4』をお願い」
待合室には誰もおらず、この男が今日最後の患者。
鈴仙は焦る気持ちを抑えて、笑顔で薬を手渡すとゆっくりと出て行男のく背中を見送った。
そして耳で他の来客がないかを確認しつつ、ばたんっと扉が閉まると同時に永琳に一歩近付いた。だが、それを見た永琳は鈴仙が口を開くより早く、苦笑いを浮かべる。
「何を焦っているのかは知らないけれど。まず、配達用の薬箱を片付けなさい。そうしないとこちらが落ち着けないわ」
「あ、す、すみません」
焦りのせいで片付けまで頭が回っていなかった鈴仙は、慌てて背中から空っぽになった箱を下ろして部屋の隅に置く。
そして、今も薬の材料を作り続けるてゐと簡単な挨拶を交わして元の位置へと戻った。
「薬の配達と、往診のことでちょっとした相談があるのですが……あの、できれば二人で」
落ち着いた様子で椅子に座る永琳が促すと、鈴仙はチラリと横を気にしつつ話し始める。
するとその仕草と言葉だけで全てを察したのか。
微笑を残してすっと立ち上がると、てゐにもう休んでいいと声を掛ける。二人の横をすり抜けて足取り軽く出て行く姿からは不安要素など感じられない。足音が遠く、診療所と繋がる屋敷の方へと消えた頃、書類整理を始めた永琳に向けて口を開いた。
「てゐの体に、何が起こってるんですか?」
「……あら、嘘吐きね。薬と往診はどうしたのかしら」
「すみません、今の私にはその言葉に乗る余裕はないんです。だから、言わせて下さい、師匠。姫様が、師匠に処分を任せると言ったときに気づくべきでした。きっとあのとき、姫様はわかっていたのでしょう? いえ、それだけではなく……師匠だって異変に気づいたはずです」
仕事机に手を起き、微笑みながら半身で話を聞いていた永琳の瞳が細まり、体の向きを変えた。
それでも、鈴仙は言葉をとめずに言葉を続ける。
「あの症状は……、人里の老人がたまに見せる行動に酷似しています。普通の生活を送っていたと思ったら、今度は突拍子もない行動を取る。私の知識の中でも、当てはまるものがあるんです。そして長寿という意味では、てゐは妖怪の中でも圧倒的な部類……高齢で発症し易い病の中でも……あれは……」
「うどんげ、医療従事者のあなたの言葉は、それが憶測だとしても重いものよ。それを理解した上で発言することはできる? 一緒に生活してきたあの子に対する希望的観測抜きで、正確な判断を下せる?」
「はい、師匠……」
弟子を試す、師匠からの冷徹な言葉。
それでも、鈴仙は体の横で手をぎゅっと握り締め力強く頷いた。
「あれは『忘失症』、人間の場合似た病名はあるものの、妖怪の場合は別。人間の場合は徐々に記憶を失うだけで済むが、精神に重きを置く妖怪や妖獣の場合、軽度でも身体能力、記憶に大きな変化を与え、重度の場合は極度の弱体化……自らを疑い……存在を焼失させる。
しかし……忘失症が発祥するケースは極稀で……通常は軽度の記憶障害である可能性が」
「希望的観測はいらない、そう言わなかったかしら?」
声を震えさせ始めた鈴仙に対し、あくまでも冷静に言葉を投げつける。
私情を捨て医師として判断しろ、と。
「しかし……可能性の問題として……」
「姫様を忘れ、今もそれが継続し、状況は悪化し続けている。もう可能性といえる段階ではないのよ、うどんげ」
「でも、だって……」
それでも、まだ何かに縋ろうとする鈴仙に対し、一度目を伏せ、自らの胸に手を当てた。厳しかった表情を緩め、ゆっくりと我が子に言い聞かせるように語る。
「基本的に忘れる順番って言うのには法則性があるの。その対象人物が親しくしていた人物ほど記憶に残り続ける。あなたは姫様が一番最初に忘れられたと思っているようだけれど……」
鈴仙は気付いた。
その笑みは弟子である彼女に向けられたものではなく。
「一番最初に忘れられるというのは、辛いわね。なまじ知識があるからこそ、余計にね」
自嘲の微笑だった。
てゐの異変に気づき、内密に輝夜と相談し根回しをする。そうやって一番最初に気付かされた永琳こそ、ぶつけようもない悲しみを味合わされていたのをやっと鈴仙は知る。
「師匠、すみません。私、何も気が付かなくて……」
「いいのよ、それでいい。あなたはてゐのお気に入りですもの。いつも悪戯の対称にされて、いつも遊んでいたもの。それだけ大切だって証拠よ」
「はい、でも、これから私はどうすれば……」
現状を把握したのは彼女にとっての一歩前進。
しかし足を進めたところが落とし穴では意味がない。何か解決策を探さなければいけないのに、それを持たない鈴仙は頼るしかなかった。
「一緒にいてあげればいいとかそんな安易なことくらいしか思いつかなくて」
「あら、それが一番の対処法なのに?」
「え? それだけで、ですか?」
「そうよ、でも相手がよくわからないことを言っても、安易に突っぱねてはいけないの。一度はちゃんと話を聞いてあげて、会話をする。それが大切、それと、もしあなたのことを見るてゐの顔が不安そうになったら、自分の名前をつぶやきなさい。それで応急処置になるわ」
「それだけで、いいのでしょうか?」
「ええ、大丈夫。それにね、記憶の機能を正常に戻すための投薬も終わっているから、後は経過を観察するだけ」
治療が終わっている。
その発言を聞いた鈴仙の表情がわずかに明るくなるが、それを見た永琳は首を左右に振った。
「でも即効性があるわけじゃない、下手に過剰に投与すれば副作用で余計に記憶能力に問題が起きる、だから遅効性のものを何回にも分けて使う必要があったの。そしてその記憶が正常化するのは、おそらく次の満月」
「ということは、後7日ですね」
「そう、その間に失われなかった記憶は正常化して残り続けるでしょう。けれど、消えてしまったものは消えたまま安定してしまう。だから、ね」
「姫様と、師匠のことは……」
「そうね、このままなら、あの子は忘れたまま暮らすことになるでしょう。偶然、記憶を取り戻す可能性はあるかもしれないと、姫様も言ったのよ確かに、でもね」
そこまで伝えてから、仕事机の上にあった天秤を指差し片方の皿を小さく押した。すると当然、天秤はもう片方を押し上げた。
「私は残酷なの。何万分の一という希望よりも、残りの限りなく100パーセントに近い解決方法を欲するのよ。例え、私と姫様の記憶を失ったままだとしても、あの子には妖怪兎として生きていて欲しい。それが私の結論。だって、記憶を失ってからも近くで暮らせるのなら、もう一度作り直せるじゃない」
「師匠……」
「さて、うどんげ。あなたは私のこんな馬鹿げた将来設計に付き合ってもらえる? それとも、てゐの記憶が全て戻る方に賭ける?」
てゐがすべてを取り戻す。それはとても魅力的な響きだった。それは鈴仙にとってだけでなく、事実を知る永遠亭の全員が思うところなのだから。それでも、鈴仙は……
「師匠、私も、その話に乗らせてください。例え私の記憶をてゐが失ったとしても、もう一度同じ妖怪兎として付き合ってみせますから!」
「ありがとう、鈴仙」
服で目元を擦って、強い意思のこもった瞳を永琳に向けた。
一度は仲間を捨てて地上へ逃げてきた鈴仙が、実戦よりも心を殺さねばいけない場面に立とうというのだ。
「では、師匠! 今からてゐのところに行ってきます!」
そんな、少しだけ大きくなった弟子の後姿に向けて、永琳は手を振り送り出して。
また、苦笑い。
表情を崩さずに軽く天井を見上げて、つぶやいた。
誰もいないはずの場所へと向けて、静かに声を飛ばす。
「出てきていいわよ、鼠さん」
「む、失礼ですね」
永琳の口から生まれた振動が、天井に届くか届かないか。そんなとき、黒い影が天井から降ってきて彼女の後ろにすっと、立つ。
「この私を、薄汚い鼠と一緒にしないでいただきたいですな」
「うふふ、ごめんなさいね。お待たせしたようで」
「ええ、ずいぶんと。おかげさまで白髪が一本増えたかもしれません」
ご自慢の手帖で額をぽんっと叩き、おどけてみせる。その姿と口ぶりはもちろん、噂の鴉天狗。
「なら、先ほどの件。お願いできるわよね?」
「……こちらの利は?」
「こういった職業をしていると、合法的に人間の死体を目にすることがあってね。多少欠落しても誰にも指摘されることはない。その一部が妖怪のお腹におさまったとしてもね」
「ふむ、いいでしょう。契約成立ということで」
「ええ、内密にね」
「はい、清く正しく迅速に、がモットーですからね、では」
一陣の風を残し、再び視界から消え去る。
再び一人になった月の賢者は……
「冷たい現実と、暖かい嘘。どちらが残酷かしらね……」
誰に言うでもなく、広く感じられる診療所の中で、ただ嘆いた。
◇ ◇ ◇
暦に赤丸を付けるなんて、あまり経験のないことだった。
後一週間が勝負と聞かされてから、一日の経過を日記にまとめてゐの様子を記していく。師匠である永琳からは人里の患者に対してもリストを作って経過を報告しろと言われているが、その報告書とは比べ物にならないくらい正確にてゐの症状を綴っていく。その内容を簡単に表現するなら。
『細かな症状は出ているが、大きな変化は特になし』
それがここ数日間のてゐの現状であった。
薬の配達のとき意外はできるだけ一緒にいるわけだが、時折、てゐが鈴仙の顔を見上げて動揺を見せるときがあった。その仕草をするときは、見たことはあるが名前がはっきりと出てこないときで、鈴仙が小さく自分の名前をつぶやくだけで和らいだ表情になる。それ以外は特に大きな変化もなく、時間が過ぎていた。
今の状況があと少し続いてくれれば……
後二日、たったそれだけの期間だけ続いてくれれば、満月の夜がくる。
鈴仙は全身を映す姿見の前で、『よしっ』と気合を入れ一直線に中庭へ。そこでは妖怪兎たちによる本格的な餅つき練習が開催されており、その練習に付き合うためてゐのもそこにいた。だから今日は診療所にいるのは永琳一人、ただてゐを一人にしておくのも危険なので、今日は薬の配達を夜に回して日中は一緒にいることにした。
「ここ空いてる?」
「勝手にどうぞ」
最近の練習の成果で、新人の妖怪兎たちも玄人に負けないほど元気良く杵を振っている。掛け声にあわせて餅をつく姿はとても愛らしく、小さい兎たちが動く風景を見ているだけでも心が和んでいく。
ただ、気になるのはその練習位置で……
「また盆栽とか壊さないでよ、大事なものなんだから」
「わかってるよ、あの、姫って人のやつでしょ? ばばくさい趣味なんてやめとけばいいのに、あの医者の先生も人使い荒いし敬語で話せって煩いし」
てゐの中ではもう忘れられてしまった存在。それでも、鈴仙の大切な人という認識は残っているのか、廊下で会っても輝夜と永琳には挨拶はしっかりと交わしていた。その姿をこっそり眺めるだけでも、てゐの経過が良好だとわかって嬉しくなる。
「鈴仙もたまに練習してみれば?」
「それもよさそうなんだけど、私は餅つきくらい簡単にこなせるからいいかな。ただでさえ配達で体力とか使うから」
「ふーん、太っても知らないよ?」
「ちょ、変なこといわないでよ。私のどこが太ったっていうの?」
「……私の口からそれを言わせようだなんて」
「なんで照れるフリをするのよ、瞳潤ませてもダメ」
確かに鈴仙は餅つきの練習にほとんど参加しない。それはいつもどおりのことなのだが、最近、てゐは自分から杵を持たなくなった。他の兎からお手本を見せてとせがまれれば仕方なく実行しているものの、積極的ではない。
てゐ曰く『だるいから』だそうなのだが、それは明らかに身体能力の低下から来るもの。じわじわと病魔がてゐの体を蝕んでいる証拠だった。
それでも、廊下に腰掛けふざけあっている間は少しだけ病気のことを忘れていられる。鈴仙は餅つきの元気の良い掛け声の中で、何度も問い掛けた。多少違和感がある内容が戻ってきたとしても頷き、笑顔を返す。
その中で、てゐが表情をわずかに曇らせたら、
「れ・い・せ・ん」
唇をゆっくりと動かし、丁寧に教えてあげる。
そうしたら、はっと目を開いて何事もなかったかのように話を続けるのだ。
だから今日もそうなるはずだと、そう思っていた。
なのに――
「鈴、仙?」
てゐは、首を傾げ続ける。
不安そうに、横に座る妖怪兎を見上げてくる。
そんな困惑の視線を向けられても、鈴仙は微笑を崩さず、落ち着いた様子で事実を受け止める。
ああ、とうとうこのときが来た、と。
悪夢が始まるのは、予想できていた。
永琳が覚悟しておきなさいと、事前に話していたから。
名前を告げても瞳から不安が消えなくなる日が、いつか来るかもしれないと。
そう、理解している、つもりだった。
「はは、結構、つらいかな、これ……」
しかし見せつけられた現実に、胸が痛む。
大切なものを丸ごと抉り取られる激痛が、心を砕こうとする。笑顔を作り続けなければいけないのに、自然と瞳は潤み、唇が振動を始めてしまう。
そんな鈴仙に向け、てゐが口を開こうとする。
後何か一つでも致命的な刺激を受けたら泣き出してしまいそうな、窮地に立たされた兎を追い詰めるように、小さな唇を動かそうとしている。
心の奥で止めてと叫んでも、てゐは止まらない。
感情の堤防を砕きかねない言葉を、今にも作り出そうとして。
「……いつもみたいに、人里行かなくていいの? また師匠に叱られても知らないよ」
「……え?」
てゐの口から、平然と懐かしい単語が出た。
聞き間違いではない。
今確かに『師匠』と言ったのだ。
医者の先生としか言わなかったてゐが、自ら進んで師匠と言った。
「ね、ねぇ、てゐ、昨日また竹林の近くで大きな花火があがったんだけど」
「えー、また姫様と妹紅? 後片付けしろとかなしだからねっ! ――っ! 何! 何事っ?」
抱きついていた。
自分でも気がつかないうちに、鈴仙はてゐの小さな胸に顔を押し付け、その体をきつく抱きしめていた。
どうしても感情を抑えきれず、涙を堪えずに泣き叫んだ。
鈴仙のことしか記憶していなかったてゐが、別の名を口にした今。希望が確証に変わってしまったから、鈴仙は涙を止めない。
「は、離れてよ! 暑苦しい!」
餅つきをしていた他の妖怪兎たちも目を白黒させて、その光景を見守り続け。その好奇の視線に晒されることになったてゐは、顔をうっすら紅く染めて無理やり引き離そうとする。
けれど、永琳が言っていた『何万分の一の確率』を目の当たりにした鈴仙は中々手を離そうとせず、何度も近距離で蹴られてからやっと体を元の位置へ戻した。
「てゐ、よかったよぉ! よかったよぉ……」
「何で泣くのよ、意味わからないし、うざったいし! いきなりくっついてこられた身にもなって欲しいね!」
罵られながら、鈴仙は喜びに打ち震えた。
奇跡が起きた、と。
いつものてゐが戻ってきてくれたんだと、幻想郷中に叫んでしまいたいほど、狂喜乱舞したかった。
それでも、今は他の視線も、時間の問題もある。
「じゃ、じゃあ、てゐ、私、ちょっと師匠のところにいってくるから」
「うん、そうして。そのおかしな思考治してきて」
「……戻ったと思ったらこれだものね」
「なんか言った?」
「全然、何にも!」
肩を落とした鈴仙を見ようともせず、てゐは手を止めていた兎たちに指示するためにもう一度庭を見て。
「……ねえ、鈴仙。今日って……」
「今日がどうかしたの?」
「ん、いや、なんでもない」
疑問を口にしたと思ったら事故解決。
その日は、それ以上目立った変化もなく。
鈴仙が永琳に報告を終えて戻っても、夕方人里に薬を配達した後も、記憶が戻ったままだった。そのおかげで、約一ヶ月ぶりに騒がしい食卓も復活し、風呂場でも一騒動。その両方ともで被害者になった鈴仙であったが、終始笑顔で楽しい夜を過ごしたという。
気づけば、もう日付が変わる時間。
「また、明日」
「うん、おやすみ」
しん、と静まり返る廊下の上で二人の妖怪兎は別れ。
やってくる明日に、心を躍らせた。
◇ ◇ ◇
満月の夜まで、後一日。
記憶が固定されるまで、後一日とちょっと。
『記憶が戻ったとしても一時的なものかもしれない、だから今まで以上に注意を払うべきね』
そう言われた鈴仙だったが、正直なところ大袈裟だと思っていた。
あそこまではっきり記憶を取り戻したてゐの何を疑えというのか。
それがわからず、ただ、表面上だけ頷いて見せた。
永琳が心配性だからそういう結論になるんだと、否定すらしていた。
「てゐ~、洗濯するの手伝ってよ」
だから、いつものように。
小鳥が囀る、気持ちのいい空の下で洗い物をしようと部屋を訪れた。
瞼を擦り、嫌そうに低い声を出す小さな兎の姿を予想し、半ば笑いながら部屋の入り口を開いたら。
もぬけの空だった。
布団はたたまれておらず、掛け布団は半分だけ起こされた状態。
明らかに起きてそのまま出掛けたと予想できる。
「また師匠のところかな」
診療所の手伝いでもしにいったかと、回れ右して出て行こうとしたら。
敷き布団の枕の影に、紙が挟み込まれていた。
「メモ、かな?」
好奇心に誘われて布団の側まで寄り、紙を手に取ってみた。大きさは両の手の平を併せた程度で、その中に文字が書き込まれている。
間違いなく、てゐの字だ。
しかもその書き出しを見て、驚かされてしまう。
『鈴仙へ』
この紙はメモでも何でもなく、置き手紙。
鈴仙に向けた、想いが詰まったものだったから。
その細い文字に不安を感じ、慌てて文字を追っていけば……
『鈴仙へ
昨日、師匠のところへ行こうとしていたとき、私が声を止めたことあったでしょ? あれね、日付が聞きたかったんだ。
私さ、何度か庭で遊んでて盆栽壊したりすることあるから、位置とか形とか気を付けて見てるんだけどね。なんか変なんだよ。急に全部、大きくなったように見えたんだ。それに庭木の葉っぱの付き方が違った。
減るんなら、わかる。
でもね、短時間で大きくなるなんてありえないんだよ。
それで、今、何日かって聞いてみたかった。でも、その前の鈴仙の反応を思い出して、なんか気付いちゃった。
私、記憶とか思い出とか、そういうのを忘れてたんだよね?』
どさ、と。
鈴仙は膝を付く。
震える手で置き手紙を握り、瞳を震えさせながら手紙へと視線を落とし続ける。これ以上進むなと心が止めるのに、彼女の視線はスライドを続けた。
『……みんなにも聞いてみたらやっぱりそうだった。あ、今のみんなって私の部下たちだけど、そしたらさ私の知らない日付なんだよね。私の中の今日じゃない、少しだけ未来の日付なんだ。もう、決定。私はやっぱり何か忘れてるみたい。
だってね……
ほら、だって……
少し上に書いてある、言葉。
自分でかいたはずの姫様や師匠って単語が。
誰を指してるか、わからなくなってる』
鈴仙は、走った。
手紙を握りしめて、部屋を飛び出し、永遠亭の中を走り抜ける。そして、診療所まで辿り着くと、その場でてゐの姿を探し……
永琳が止めるのも聞かず、無言で竹林へと駆け出した。
だって、その手紙が……
『……だから、私、一人の妖怪兎に戻ろうと思う。
みんなを忘れるのが怖いから。
みんなに向けて、“誰?”と問いかける自分が嫌だから。
昔の自分に戻ろうと思う。
だから、ばいばい。
それと、ありがとね、鈴仙
自分勝手な悪戯兎より』
そんな悲しい言葉で締めくくられていたから。
彼女は、ただ、竹林の中を走り続けた。
世界が、夜の帳に覆われるまで……
永琳が鈴仙を見付けたのは、深夜だった。
診療所の片付けを終え、自室に帰ろうとしたとき外で物音が聞こえてきて、それを確認しに外へ出たらボロボロになった衣服を着た彼女が倒れていた。
慌てて診療所へと運び込んで応急処置して見れば、傷はそれほどでもなく倒れたのは疲労によるものと判明。
気つけ薬を飲ませ、しばらくベッドに寝かせていると。
「し、師匠、てゐは……?」
目を開けた瞬間、上半身を起こし尋ねてくる。
それだけで、永琳は全てを察した。
「てゐは、全て知ってしまったのね」
何万分の一の奇跡が生んだ残酷な結末に、ため息を漏らす。
ただ、それが自分を責めるものだと錯覚した鈴仙は、耳を垂らしてシーツを力一杯握りしめた。そしてすぐに診療所を出ようとベッドから身を翻し……
「え?」
かくり、と。膝を折って前のめりに倒れる。
それを予測していた永琳は床とぶつかりそうになる鈴仙の体に腕を回し、支えてやった。
「一日中てゐを探し回ったのでしょう? そんな疲労が蓄積した体でどうしようというのかしら? あなたの再生力でも、あと数時間は安静にしておく必要があるわ」
「でも、てゐが……てゐがっ!」
「あの子も記憶を失いながら竹林を進んでいる、もしかしたら、迷っているかも知れないわね。もしくは、自分から迷おうとするとか……何にせよ、一人で竹林を探しても無駄だと思わない?」
「……それは、そうですが。師匠も姫様もあまり詳しくないでしょうし」
もちろん、鈴仙だって馬鹿ではない。
てゐを探している間、誰かに助力を頼もうと思った。でも他の二人がどうしても構造に詳しいと思えなかったから、結局強がってこんな時間まで捜すこととなってしまった。
それを言いにくそうに上目遣いで返す弟子の額、そこをこんっと軽く握り拳を作って叩いた。
「私は、あなたに、妖怪兎たちの何になるようにと命令したかしら?」
「しかし、妖怪兎はてゐの命令しか……」
「それを何とかするのがあなたの役割でしょう?」
確かに、妖怪兎たちは竹林に詳しいものが多い。
それでも、余所者のレイセンのことについての認識は、てゐの友人くらいで命令を受け入れる者などほとんどいないのが現状だ。
しかし、永琳の言うとおり、兎たちをまとめないとてゐの居場所を早期に見つけるのは難しい。
「わかりました、師匠、やってみます」
「その意気よ、うどんげ。今日はここで休みなさい、栄養剤も投与しておくから」
「はい、ありがとうございます」
鈴仙をもう一度診療所のベッドに寝かせ、栄養剤を飲ませる。
もちろん、少量の睡眠薬入りの。
それに気付かず一気に飲み干した鈴仙は、しばらくして安らかな寝息を立て始めた。
「こうでもしないと、今日のあなたは眠らないだろうしね」
何度も鈴仙の顔の前で手を揺らし、瞳孔をチェック。起きていないかを再度確認した永琳は机の中から分厚い書物を取り出すと。
何故か窓から外へと投げ捨てる。
「あら、ちょっと手が滑ったかしらね」
わざとらしい声を残し、静かに眠る弟子の横の椅子に座ると。愛しそうにその額を撫でた。
何度も、そっと。
◇ ◇ ◇
「私知ってるんだから! あなたたちがてゐ様をおかしくしたことを!」
鈴仙が説明を終えた後に戻ってきたのは、冷たい言葉だった。
しかもてゐの状況を妖怪兎たちに説明していなかったせいで、あらぬ噂が生まれてしまっている。
「そうじゃないの。私たちはてゐを混乱させてはいけないと思って内密に動いていただけ。おかしなことをするためじゃない」
「信じられないよ、私たちにずっと内緒にして!」
餅つきの会場である中庭、そこでは本番の夜に向けて兎たちが準備をしていた。
てゐが事前に説明をしていたせいか、昨日のうちにほとんど大まかな準備は完了しており、後は餅米を炊くだけ。
仕事が一段落すると、やはり話は昨日から姿を見せていないてゐの話で持ちきりだった。そこでタイミング悪く鈴仙が現れたものだから、いきなり怒声が襲いかかってきた。
「変だなって思ってたよ、私だって! てゐ様、最近お疲れだったみたいで座ってるばかりだし、話しかけても無視されること多かったし! でも、今更そんな忘れる病気だって言って! 何の嫌がらせよ!」
「だから、嫌がらせでも何でもないの! とにかく今はてゐを探すのに協力して! 取り返しが付かなくなる前に!」
怒鳴り声に乗せられ、ついつい鈴仙も大声で返してしまう。
しまったと思ったときにはもう遅い。
「やっぱり、そうやって誤魔化してこき使うつもりなんだ!」
「新入りの癖に!」
妖怪兎たちの怒りを余計にヒートアップさせてしまった。
なんとか怒りを静めようと、優しく声を掛けても焼け石に水。聞く耳持たず、我先にと叫び続けるばかり。杵を手に持ち、鈴仙に襲いかかろうとする素振りの者もいるくらいなのだから。
「お願いだから、私の話を聞いて!」
「うるさい! あっちいってろ!」
と、そのとき。一人の興奮した妖怪兎が、行動に出た。
手に持つ杵を振りかぶって、廊下に立つ鈴仙に向かって走り出したのだ。
真っ直ぐに血を蹴り、大きく跳ね。
無防備な鈴仙へと振り下ろそうとする。
「てゐ様を、返して!」
その兎は、てゐを特に慕っていた一人。
居なくなったという噂を聞いて、心を痛めた者の一人。
それ故、感情のままに繰り出される攻撃は読み易く。
避けることなど、容易い。
涙を溜めた瞳のまま、重力に惹かれて縦に震われた杵は……
軽く、身を翻した鈴仙に避けられ……
「あぅぅっ!」
「え?」
ゴヅッと。
避けられることなく……鈴仙の額に直撃した。
その勢いで廊下に全身を叩き付けられ、大きく跳ねたその体は、廊下に面する部屋のフスマを突き破り、畳の上に横たわる。
「……あ、え、わた、私っ!」
冷静さを取り戻した小さな妖怪兎は、杵を放り投げてフルフルと顔を左右に振る。てゐと色違いの真っ白な衣服の裾を掴み、小刻みに声を発した。自分が何をしたか、やっと理解したのだろう。
部屋の中でゆっくりを起きあがろうとする鈴仙を見つめながら、とうとう腰を抜かして廊下にへたり込んでしまった。
「そんな、つもり、な、なくてっ、ちょっと、脅かしたくて!」
鈴仙の能力は、その場にいる全員が知っている。
狂気、つまり人間の感情に関わる波長を操る力。
そんな鈴仙を本気で怒らせたらどうなるか、皆、理解していた。だから、彼女一人以外行動に起こさなかったのだ。反撃が怖くて、あくまでも杵を持つのは仕草だけで、会話で打ち切ろうとした。
「そう、それだけのつもりだったの?」
思い杵の一撃でも、妖獣である鈴仙にとっては致命的な一撃には成りえず。額に血をにじませるだけ。それでも、相手を怒らせるには十分過ぎて……
小さな妖怪兎は、すぐ近くまで歩み寄ってきた大きな影に怯え、身を固くした。
だが――
次の瞬間、その影がすぐ近くで膝を付いたかと思うと。
両手の指を廊下に付き、頭を下げた。
あの鈴仙が、土下座したのだ。
「今の状況を作り出したのは私の失敗かもしれない。だから、あなたたちが杵で叩きたいというなら、この身に受けても構わない。でも、いくら私を傷つけても良いから、てゐを探すのだけには協力して。私が気にくわない子もいるのはわかってるけど、今だけで良いの、今日だけは私の指示で動いて欲しいの。お願いよ……」
頭を下げたせいで、鈴仙には周囲の状況は見えない。
けれど、空気や音の流れで何が起きているかは判断できる。
鈴仙の態度に動揺したのか、近くにいた妖怪兎は慌てて廊下から飛び降り、そのまま足音が消える。
それを合図にしたのか、声を発することなくいくつも走り出すような足音が聞こえて……
静寂だけが、残った。
いくら待っても、新しい音がほとんど聞こえない。
聞こえるのは、竹林から聞こえる鳥や、獣の声だけ。
――逃げちゃった、かな。
鈴仙は、ははっ、と自嘲の笑みを浮かべて、瞳に涙を浮かべ廊下へと落とす。
その音を三つ、数えてから。
静かに体を起こし。
その光景に口元を押さえ、また、涙を零した。
「……命令を、鈴仙隊長」
先ほどの、攻撃を仕掛けた妖怪兎を筆頭に……その場にいる全員が、鈴仙の前で整列していたから。列の格好はお世辞にも整っているとは言えないのに、その瞳に宿る意志は全て同じ。
『てゐを見つけ出す』
その、たった一色に染まっていた。
鈴仙の意志が、妖怪兎たちに伝わったのだ。
「……ありが」
「お礼の言葉なんていりません、私は、てゐ様のためになるから動くだけですから! さっきのも、もう謝りませんから!」
私も、私も、と。
皆、てゐのため、と続く。
しかし鈴仙は、それでいいと素直に思った。
これだけてゐが慕われているのなら、彼女の居場所はここにしかないと再認識できたから。
鈴仙は服で涙を拭き取り、すっと凛々しく立ち上がる。
「わかった、じゃあ私の言うとおりに整列しなおして。そこの前の三人を残して、あとは均等に後ろに。並び終わったら、あなたの横にいる他の二人と班を作成して動いて貰うわ。三人一組の班で竹林の中を塗りつぶすように調べて、異変があった一人はそこに待機、一人は待機する仲間が見える範囲で周囲を捜索し、もう一人は私まで報告! 私はここで待機して、みんなの情報からてゐの居場所を割り出すから」
素早く班を組んだ妖怪兎たちが頷き、自発的に役割を割り振る。その動きが一段落してから、改めて鈴仙は竹林を指差し。
「さあ、東からしらみ潰しに調査を開始して!」
「はいっ!」
『了解』を示す掛け声とは異なるが、力強い返事。
それを満足げに聞きながら、鈴仙は小さな影たちを見送った。
鈴仙は、急作りの竹林図っをテーブルの上に広げ、その中に円を描きながら報告を待っていた。
いままで妖怪兎が調べた範囲とそこに残っていた手掛かり、それから潜伏範囲を割り出し、範囲を狭めていく。
そろそろ確定的な証拠を得られてもいい頃合なのに、まだ妖怪兎からの連絡はない。
焦るな、と自分に言い聞かせても、地図の上をコツコツと叩く指が止まらない。
永遠亭はもう闇に覆われ、空には満月が昇っている。
永琳が言う、薬の効果が生まれる時間帯も当に過ぎていた。
「てゐの記憶は、どうなってしまったというの……」
もし、記憶がすべて戻った状態で効果が生まれたのであれば、すぐにでも餅つきに戻ってきていいはず。ならばやはり、永遠亭のことを忘れてしまい、竹林を抜けてどこか別の住処を探しているか。もしくは、病状が急激に進行し……消滅……
「鈴仙隊長!」
「はぅっ!?」
最悪な過程を思い浮かべた瞬間、中庭から飛び込んできた妖怪兎の声が響き悲鳴を上げてしまう。怪訝な顔をする期間限定の部下の前で咳払いをし、報告するよう促した。
すると――
「てゐ様が残したと思われる竹の傷を発見! まだ付近にいる可能性が高いとのこと!」
「っ! どこっ?」
「ここ、ここです! 西の中央付近!」
指差された位置に、急ぎ丸を付け、行動予測範囲を示す円を描く。
そしてそれが他の調査範囲と浣腸しあった結果……
「てゐは、この前姫様と妹紅が戦い、竹林に被害を出した付近に潜んでいる可能性が高いわ! すぐに皆に知らせて!」
「はい!」
「私はあなたの班と合流する、他の班にはポイント『11-F』を包囲せよと。拠点もそこに移すわ」
地図を折りたたみ服の中へと携帯した鈴仙は、中庭を大きく蹴って満月の夜へと飛び上がった。
上空から一気に拠点に到着した鈴仙を待っていたのは、あの杵で襲い掛かってきた妖怪兎の班だった。
光が届かない暗がりの中で、待機役の人員のもとへと駆け寄れば、慌てた様子で一本の竹を指差した。
「ここに、てゐ様のものと思われる切込みが……しかも、その……」
「何か重要なメッセージでも……っ!」
指先が示していたのは、太い竹の胴体。
節と節の間に小刀で切り裂かれたような、カタカナ文字が彫られていた。しかもそれが示すのは……
『レイセン』
どう見ても、誰が見ても、鈴仙の名そのものだった。
彫られていても綺麗に、区切りがわかるその文字は大切に記されているのが理解できる。
「てゐ……」
それを見ているだけで泣きそうになる自分をなんとか押さえ、それ以外がないかを妖怪兎に尋ねれば、再びそこより少し先にある竹を指差した。距離にして、十歩ほど。たったそれだけしか進んでいないというのに。
『レィセン』
その文字は、少し歪んでいた。
『ィ』の部分がやけに小さく自信のなさが伺える。
そしてさらに、十歩ほど進めば……
『レィセン』
という文字の上から、なぜか二重線で消したような切り傷が生まれており。
胸騒ぎを覚えて、その先を進んで。
『ダレ? レイセンってダレナノ……』
鈴仙の胸が酷く痛んだ。
おそらく、てゐは定期的に自分の記憶を探るため、頭の中にある名前を竹に彫ったのだろう。それが偶然『レイセン』で、しかもその名前が、わからなくなってしまった。
だから前の竹を見直しに戻って……
困惑して、消そうとした。
名前の上をなぞる事で、自分が書いたはずの文字を消そうと……
切り裂かれた名前の竹で動きを止めてしまった鈴仙を気遣い、待機命令中の妖怪兎が近付いて来る。それを音で感じ取り、一度だけこつんっと竹に額をぶつけ……
鈴仙は顔を上げた。
「この竹の切り傷は新しい、本当にてゐは近くにいるはずよ。記憶を多く失うということは、身体能力も低下するから」
進行方向は、竹を傷つけた順番に違いない。
後は、この傷が罠ではないことを祈って前進すればいい。そう思った鈴仙は、何かに気付いた。連絡役が鈴仙からの情報を流しているのは確かだ。そして待機命令を受けている妖怪兎はここにいる。ならば、もう一人はどこにいるのか。
付近探索は待機する者が見える範囲で行うべきと伝えたのに、何故姿が見えない。
しかも、後の一人は、てゐを特に慕っているはず。
だから発見まで命令違反するなど――
――まさか!
鈴仙は命令があるまで待機、と改めて指示してから文字が示す道の先を行く。あの兎が命令を忘れ、それよりも優先することがあるというのなら、まずそれは間違いない。
竹林独特の固い地面を蹴り、鈴仙は目的の場所に向かって進む。
妹紅の炎で焼き払われ、竹林の中で唯一空が望める場所。
満月の光が、淡い光の柱のように見える空間。
そこへ向かって、最後の一歩を踏み出したとき。
「てゐ!」
栗色の癖のある髪、子供と見紛うほど華奢な体、竹やぶの中で破れ汚れた桃色の衣服、そして、不思議そうな顔で鈴仙を見上げる妖怪兎。半径5メートルはありそうな光の柱の中で全身を淡く輝かせるその姿は、まさに月の使者にも勝る美しさと、愛らしさ。そんな小さな妖怪兎が地面の上に腰を落とし、その横からもう一人の妖怪兎が抱きついている。
何も言わず、ただ、幸せそうに。
「てゐ!」
再度名前を呼ばれた妖怪兎は、いきなり現れた鈴仙を見て目をパチパチさせてから。
『あぁっ!』
と、短く高い声を上げて微笑んだ。
そして、横から抱き付く一回り小さな妖怪兎の頭をなで始める。その手つきはまるで母親が子供をあやすようだった。
その光景に見とれていた鈴仙は次の言葉で、意表を付かれてしまう。
「よかった……」
微笑み続けるてゐが、そう言ったのだ。
鈴仙と、抱き付く妖怪兎を見て、満足そうな笑顔を作ったのだ。
竹の文字から察し、てゐはほとんどの記憶を失っていると考えていた鈴仙の気持ちを高ぶらせるにはその一言で十分だった。
そして……
「この子、『てゐ』ちゃんって言うんですね。ほら、『てゐ』ちゃん、怖がらなくていいよ、お姉さんが迎えに来てくれたからね」
「……て、ゐ?」
「……てゐ、様?」
後に続いた言葉は、鈴仙と妖怪兎を地獄に突き落とすには十分過ぎた。
驚愕に目を見開く二人の妖怪兎を前にして、てゐはきょとんとした顔で周囲を見渡す。まるで、別の誰かを。『てゐ』を探す仕草を続ける。
「あの、失礼ですが誰か別の方をお探しですか? ここには、私とあなたたちの三人しか居ないようですし」
困惑し、助け舟を求める視線。
その柔和な表情の、なんと苦しいことか。なんと悲しいことか。
一瞬でも奇跡が起きたと思ったこの期待感を、どこに捨てればいいというのか。
「な、何言ってるの! おかしいですよ、てゐ様!」
どう足掻いて覆らない。
明確な現実を見せ付けられても、小さな妖怪兎は引き下がろうとしない。
てゐの前に自分の顔を持ってきて、もっとよく見てと訴える。
しかし、抱きついたまま必死で体を揺さ振るのは、少し体が大きいだけのてゐには耐えられず。痛みで顔を歪めてしまう。
「痛っ! 暴れないでください……膝が地面とこすれて……」
「……は、ははは、こ、こら、迷惑をかけちゃ駄目でしょう!」
「何するの! 離して! てゐ様、てゐ様!」
鈴仙が後ろから抱えて引き離しても、その手は必死にてゐを求め空中を彷徨う。
悲壮的な光景に罪悪感を覚えつつ、鈴仙はなんとか二人を引き離し、ちょうど鈴仙が入ってきた場所まで戻った。
その間も胸に抱きかかえられた妖怪兎はてゐの名を呼び、啜り泣きを続けていた。
「すみません、どうやら、知人と間違えてしまったようでして……失礼を」
「あ、そうでしたか。でも、そのお方はとても立派な方なんでしょうね、そんな小さな子にまで愛されて」
「いえ、少々悪戯が過ぎる、元気の良い奴です」
「まぁ、羨ましい。私、妖怪兎の癖に思うように体が動かせなくて、虚弱体質なのかもしれません」
ころころと、手を口に当てて微笑む姿はまるで別人。
いや、別人だと思い込みたいのかもしれない。
本物のてゐは、別な場所にいて。
この人は他人の空似。
よし、じゃあ気を取り直して別な場所を探そう!
なんてね。
そんな馬鹿げた空想に浸りたくなるほど、目の前の出来事は残酷で……
「体が弱いと、普通頭くらい良いって言うじゃないですか。でも、そうじゃないみたいで。私、どうやってここまできたかとか、全然覚えてないんですよ。困りますよね、トロくて頭脳指数ゼロですよ。生存競争する気あるのかと自分で自分を叱りたいくらいです」
薬の効果で固定されてしまった『てゐ』は、昔の面影なんてどこにもなくて……
「名前は、ないんですか?」
「そうですね、個別の呼び名というのは知りません。妖怪兎、じゃ駄目ですか?」
「でもそれじゃ、仲間の間の呼び合いに困りません?」
「それもそうなんですけど、仲間がいるのかさえわからなくて」
「そう、ですか……」
月明かりの下で苦笑いする『てゐ』には、何も落ち度なんてない。
それなのに、ぶつけようもない苛立ちだけが鈴仙を満たしていく。
「じゃあ、出身地の参考になるかもしれないので、少し質問させてください」
「あ、はい、そういったものなら喜んで!」
声も体も、てゐと同じはずなのに。
中身だけがすべて別物にすり替えられた。
それを確かめるために、鈴仙は身を削る思いで単語に関する質問をぶつけていく。
「永遠亭、はわかります?」
「……んー、人間が使う店の名前でしょうか。亭が付くのでご飯が食べられそうですね」
「八意は?」
「神様のことですか?」
「……輝夜は?」
「あ、知ってます。おとぎ話の!」
冗談は止めて、と。
答えが返ってくるたび、鈴仙は怒鳴りそうになる。
あくまでもてゐは真剣に答えているのに、空しさだけがその場を埋め尽くしていく。
もう駄目だと、心の中では思いながらも最後にもう一つだけ、尋ねた。
「鈴仙・優曇華院・イナバという言葉は?」
諦めつつ声にする。
だが、その言葉を聞いた直後、てゐの耳が大きく跳ねた。
そして再び何かを探すように、周囲を見渡し始めて……胸に両手を当てる。
「なんだか、懐かしい気がします。なんなのかわからないのですが、懐かしい。もしかしてお名前か何かでしょうか」
「ええ、たぶん」
「もしかしたら、小さい頃のお友達の名前かもしれません。思い出そうとするとなんだか胸が苦しくて」
ここにいる、と言い出したかったが。
それができない。
今のてゐを壊してしまいそうで、どうしても自ら名乗り出ることはできない。
その勇気のなさが、再び彼女を追い詰めた。
「きっと、鈴仙さんと、優曇華院さんと、イナバさんの三人と私は、とても素晴らしい関係だったんじゃないでしょうか」
友達と言われて、わずかに喜びを感じた胸が。また押し潰されそうだった。
目一杯の幸せそうな笑顔で、いもしない三人の『鈴仙』を呼ぶ姿をどうしても直視することができない。
目を目を合わせたら、きっと涙を止められなくなるから。
「わ、わかりまし、た。も、もしよろしければなのですが、この近くに妖怪の住む大きな屋敷があるので、そちらで一休みしませんか?」
「ええ! いいんですかっ! ありがとうございます、こんな見ず知らずの私に親切にしていただいて!」
「同じ、妖怪兎仲間じゃないですか……気に入っていただいたら、一緒に住んでいただいても構いませんし、仲間が増えるのは私たちも、うれし、くて……あ、すみません、ちょっと失礼します……」
抱える妖怪兎の泣き声につられ、とうとう耐え切れなくなった瞳から頬へと一筋。
淡い光に輝く線が生まれた。
それを取り繕うため、鈴仙は慌てて手の平で拭い取りまた目を細めて無理やり笑みを作り出した。
「それじゃあ、お仲間になるついでに私のお願いも聞いていただけません?」
「なん、ですか?」
「そこの竹の枝に荷物を掛けたんですが、私、そのときに足を挫いてしまいまして、情けないことに立てないんですよ。ですから、代わりに……」
「はい、それくらいなら大丈夫ですよ。あ、あの桃色の手提げ鞄ですか?」
「ええ、お願いします」
確かに、奥の竹林の手前、その枝の先に鞄が掛けてある。
鈴仙の頭より少し高い程度の、立つことができればなんでもない高さではあるが、座ったままでまず届かない位置だ。
沈んだ気分を振り払い、これが新しいてゐとの一歩目だと自分に言い聞かせ、鈴仙は力強く足を踏み出し。
ずぼっ
「え?」
足が、はまった。
綺麗に、太ももまで。
そう思っていたら、周囲の地面に亀裂が入って。
「えぇぇぇぇぇえええっ!?」
悲鳴と土の崩れる音が響いたあとには、二つのドスンっという尻餅の音が重なった。
何が起きたかわからず、痛む腰をさすりながら鈴仙と、妖怪兎が体を起こしたら。ちょうどその落とし穴の壁面に、こんな張り紙があった。
大きく、わかりやすい字体で。
『ウソうさ♪』
と、書かれた紙が……
――え、嘘?
何が嘘なのか、それすら整理できない鈴仙の頭の上。
満月が見える空を遮るように、満面の笑みを浮かべたてゐが穴に落ちた二人を覗き込んでいて。
「鈴仙も、すゑも、まだまだ甘い。私の演技にころっと騙されちゃうんだもんね。その結果が何? 満月の夜に餅つきじゃなくて、尻餅つき? あっはっはっは、おっかしぃ~♪」
整理しよう。
鈴仙は、額に指を一本当てて、今の言葉の意味を考え直す。
――えっと、この子って『すゑ』って名前だったんだ、って情報はどうでもいいとして。
何? 嘘? 今、確かにてゐは名前を簡単に呼んだし、覚えてるってこと?
じゃあ、今までああやって知らない振りをするのは全部演技?
あの竹の名前も、全部このための布石――
「いやぁ、大変だった。今夜になって急に頭がすっきりして永遠亭に戻ろうとしたんだけどさ、なんだかみんな私をすごい形相で探してて、怖くなってね。妙ないたずらでもしたかなぁって不安になって。だから記憶無くした振りしていろいろ聞こうかと思ったんだけど、気にするほどのことがなかったからネタ晴らしってわけよ」
「へぇ……振り、でしたか、てゐさん?」
「騙したんですね、てゐ様?」
「んふ~、そゆこと♪ でも、いいじゃない。餅つきの替わりの運動になって。私もなんだか生き返った気分だし」
そうやって穴の淵で立ち上がり、大きく伸びをする。
そんな達成感溢れるてゐの足を、いきなり何かが掴んだ。
「ほぅ、生き返ったんなら、もっかい地獄に落ちてみようか♪」
「私もお手伝いしますね♪」
しかも、両足首。
恐る恐るその地獄の穴の中を見やれば、口元をにんまりと歪めた亡者が二体。
冷や汗を流すより先に、小さな体はあっという間に闇の中に引きずり込まれた。
「しぃぃぃねぇぇぇぇっ!!」
「あ、いや、ちょっと待って! 頭グリグリとか無理! 反則! いた、いたたたたたたたたたっ! ごめん、わかった、わかったから、私の言葉を聞いて!」
「往生際が悪いわね! 何よ、今更!」
「えっと……ウソうさ♪」
「…………」
「…………」
「4倍だあぁぁぁぁぁぁああああああ」
「4倍はだめぇぇぇぇぇええええええ」
悲痛な悲鳴が夜空に吸い込まれていき、そのあまりの声に星が瞬き驚いているようにも見える。
そんな悲鳴が、半刻ほど続いた後。
「ねえ、これってさ、飴と鞭?」
「うるさい、黙って乗っときなさいよ」
竹林で何も食べずに行動していたため、歩くのもやっとだったてゐを背負い。鈴仙は帰路についていた。その周囲を妖怪兎たちが取り囲み、てゐの悪口をぶつぶつとつぶやいている。
まさに、精神的には鞭で、肉体的には飴。
「でもさ、本当に私が記憶喪失だったなんて。不思議なこともあるもんだね」
「ねぇ、本当に自覚とかそういうのないの?」
「え? いつの?」
「……まあ、いいけどね」
穴で折檻された後、事情を残りの妖怪兎に説明して捜索を止めさせたところ。全員が顔を真っ赤にして怒り、これからは絶対にてゐ様に悪戯させないと意気込んでしまった。その結果がこの周囲を覆う鉄壁ガードであるのだが、その効果がいつまで続くかは謎である。
そんな光景を見ていると苦笑しか出てこないわけで……
結果、奇跡的に記憶が戻ったのに、素直に喜べない。
「ねえ、鈴仙」
「ああもう、何度も何よ」
「ちょっと気になったんだけどさ、私たちって、初めて会ったときちゃんと挨拶してないよね?」
「そう、だっけ?」
「ほら、鈴仙泣いてたって」
「……忘れて、お願いだからそれだけは忘れて」
「んー、無かった事にしてもいいんだけどね」
「え、ホント! って、こら! いきなり背中蹴らないでよ」
おんぶされていたてゐが、鈴仙を足場にして宙返り。体力が戻っていないせいでふらつく着地になってしまった。小さな失敗を照れ隠しするように、鈴仙が振り返るのを見計らって舌をぺろっと出し、手を後ろに組む。
「なしにしてあげる代わりに、今、もう一度『はじめまして』しようよ」
「何でいまさら?」
「あれ? いつまでも泣き虫エピソード引きずっていいの?」
「うぐ、わ、わかったわよ。挨拶すればいいんでしょ、まったくもう」
二人は、妖怪兎がじっと見つめる中で適度に距離を取り、顔を見合わせる。
そしてどちらも、ちょっと照れくさそうに頬を赤くして。
「はじめまして♪」
「は、はじめまして」
声を揃えて、可愛らしくお辞儀した。
たったそれだけのことなのに、てゐは何故か本当に嬉しそうで。
その姿は、鈴仙が何か裏があるんじゃないかと疑いたくなるほど。
そして再び鈴仙の背中に飛び乗ったてゐは、鼻歌を竹林の中に響かせて永遠亭へと思いを馳せる。
満月が、竹林の上から静かに見守る中で……
そして、黒い羽を持つ人影が、もう一つ。
「……なんと、優しく、残酷な選択を」
静かにじゃれ合う兎達を、竹林の隙間から見下ろしていた。
その胸に、『てゐにまつわる永遠亭のすべて』という書物と、
仲の良さそうな四人の姿が、診療所前で並ぶ記事を抱きしめて。
誰が呼んだか悪戯兎。
今宵も竹林駆け回る。
静けさ纏う足取り軽く、木の葉散らしてぴょんと跳ねた。
「今日は満月? それとも新月? 緑の傘の何知るものぞ♪」
空を竹の葉でできた傘が夜空を覆い尽くしたいつもの風景。灯りがなければ手元すら危うい暗闇の中でも、彼女の視界はうっすらと周囲を見渡せた。いや、例え視界を闇に包まれたとしても、彼女にとっては広い庭程度でしかない。目を閉じて周囲の音だけ聞いていても、障害物に当たらずに活動できる自信はあった。
そうでなければ、楽しめない。
「家路に迷う愚か者。落ちれば天国、落ちねば地獄。ほらほらみんなの餌になる♪」
彼女には二つの名前があった。
『悪戯兎』と『幸運の白兎』
それが真に意味するものは、竹林に足を踏み入れた人間にしかわからない。
日中でも、深夜でも。
下手に入れば生きて出られない迷いの竹林にあって、悪魔にも天使にも見える存在。
そんな小さな兎が、竹の枯れ葉を鳴らして跳ねて。
トン、という着地の音と。
ドサリ、という別な音が重なった。
地面に何かがぶつかる音が、彼女の大きな耳に入ってくる。臆病な兎なら、普通その音から遠ざかろうとするのが常識。仲間の元へ逃げ帰り、あそこは危ないと注意するはず。
しかし、彼女が取った行動はまったくもって正反対。
あろうことか、縄張りに入ってきた相手に向けて、くくくっと楽しそうに笑い。
音がした方に高く、高く、飛び跳ねた。
「はいはい今宵も大当たり。一名様、ご案内♪」
兎が逃げないのは、音の正体を知っていたから。
あの重い響きは、急に地面を失った誰かが腰を打ち付けた音。彼女が作った落とし穴に綺麗にはまった証拠だ。
即興の詩を口ずさんで、足取り軽く、それでも出来る限り周囲に気を張って移動すれば。
ぽっかりと地面に開いた、人間を丸ごと飲み込みそうな大穴が一つ。
土を乗せていた細い枝の薄膜はすっかり破り抜かれていて、誰かが罠に掛かったことを示していた。もちろん特製の落とし穴に。
そして中から聞こえるのは、手で土を掻く弱々しい音だけ。
人間の大人の身長よりも少し高い程度の深さしかないので、妖怪であれば、怒鳴り散らしながら飛び上がったり、既に抜け出しているはず。消去法からして、中にいるのはあきらかに人間だろう。
いたずら兎は笑みを堪えて、深呼吸。
ここから楽しむためには偶然を装って接近しなければ行けない。臆病な兎らしく、慎重に、できるだけ音を消して……
「誰か、いるの?」
(……え?)
逆に驚かされた。
聴覚の劣る人間には聞き取れないくらいの音で移動したと思ったのに、穴を覗き込む寄りも先に声を掛けられたから。
しかし、単純に竹の葉がざわつく音と何かを聞き間違えた可能性もある。
気を取り直して最初に耳だけを穴の淵に貼り付けてみたら。
息を呑む音が聞こえた。
ごくり、と。
穴の中の誰かが喉を鳴らす。
警戒を示す音に、彼女の違和感が増した。
この罠に掛かった人間が、気配を明確に感じ取っている気がしたから。
(妖怪にでも追われて、気が張ってるだけ? それとも……?)
いつもと違う雰囲気に呑まれそうになり、不安が顔を出す。しかし罠に掛かった獲物を確認せずに帰るなんてプライドが許さない。
意を決して落とし穴の淵に手をかけた彼女は、体を動かすより先に呼びかけた。竹林の中でもはっきりと聞こえる、よく通る声で。
「やあやあ、お客さん。こんばんは、月は見えないけど良い夜だね♪」
いつもどおり嘲り半分の声音で片目を閉じて見せ、少しずつ顔を動かして暗闇の中を覗き込んで、
「私は兎、幸運の兎。あなたに幸せを届けに来たよ。人里までの片道切符の――」
彼女は声を止める。
漆黒の闇の中で、うっすらと浮かび上がった人影に思わず口を開けたまま固まってしまった。頭の上から伸びた耳だけを軽く揺らして、余裕の消えた瞳を一点だけに集中させた。信じられないものを見るかのように穴の中を凝視し続けるその姿は、逆に悪戯を仕掛けられたかと錯覚するほど。
「……え、えっと」
なぜなら、彼女が見つめるその頭の上には見慣れたものが一対。
暗闇の中でも、存在感を放つ。
真っ白な――大きな『耳』。
その全体像は見たこともない、妖怪兎そのものだった。それが、背中を穴の壁面に接触させ、怯えた様子で見上げている。
(うそ、何なのこの子……見たことない姿だし、別の地方の兎? 突然変異? 服がここの土とは違う何かで汚れているところを見ると、新しく幻想郷が招いた? う、うぅぅぅぅ……ああもう、どういうことなのよ! わけわかんない!)
これ以上ないくらい不意を突かれた彼女は、緊張でバクバクと鳴り響く心臓の音を気にしながらも、なんとか友好的な笑顔を作る。
人間に対する対処法も、妖怪に対する対処法も組み上げきっていた。
しかし、こんな想定外な事態をどうしろというのか
「こ、こんばんは?」
しばらく考えた結果、導き出した答えがこれ。
とりあえず挨拶だけしよう、という間抜けすぎる結論。
それでも若干引きつった笑みは不自然さ丸出しで……
だから、きっと。
その穴から這い上がる体力すら使い果たした、見た事もない兎は推測した。
悪い方へ、悪い方へと。
「嫌、嫌ぁ……捕まえないで、助けて、お願い……」
「……捕まえる? そんなことしないってば」
小さな、小さな地上の兎は、地の底に落ちた兎に手を伸ばす。
背中を冷たい土に押し付け、震え続ける兎に身を乗り出して手を伸ばす。
けれど、それすら見たこともない兎は振り払い。
「――――――っ!」
鼓膜が破れそうなくらいの奇声を発して、カクリ、と糸の切れた操り人形を思わせる動きで首を折る。
頬を涙で濡らし、全身を大地に預け気絶してしまう。
「あー、あー、なんなの急に……最近は厄介事ばっかり」
あの胡散臭い医者といい、自称姫といい。
そう静かに付け加え、耳鳴りを耐えつつ穴の中へと着地。力が抜けてずっしりと重さを感じる見知らぬ兎の体をなんとか肩に担いだ。しっかりと固定してしまえば、後は簡単。
「重っ、捨てちゃおうかな、途中で」
ぐっ、と足の裏に力を込めて、力一杯蹴り跳ねるだけ。
緑の天井を突き破れば、天井だった葉があっという間に緑の絨毯に早変わり。
肌に感じる爽快な風も、星々の明かりも、全てが彼女を包み込んだ。
しかし星の明かりだけにしてはヤケに眩しくて。
彼女は飛びながらくるりと体を上に向ける。
「ああ、なるほど」
夜空の星々を掻き消してしまうほど、圧倒的な存在感。
満月が堂々と世界を照らしていた。
妖怪たちが奇妙な行動を起こしやすい夜、きっとこの兎も何かに魅せられたのだろう。
「はじめましてくらい、言わせて欲しかったんだけどなぁ」
逆さまになったせいで落ちそうになった見知らぬ兎。
そんな綺麗な彼女の泣き顔を見つめて、小さな兎はふふっと笑い兎はある屋敷を目指す。彼女の住処とは別の、大きな屋敷。
『永遠亭』へと。
◇ ◇ ◇
「動かないで、動いたら撃つ! 動かなくても撃つ!」
「いやぁ~ん、鈴仙ったらこわぁい♪」
そう、彼女は鈴仙という妖怪兎。
青みがかった紫色の綺麗な髪が特徴の、地上とはまた別なところにいた兎。てゐには深く話そうとはしないが、永遠亭の二人とのやりとりだけ見てもそう考えるのが自然だった。
そもそもてゐとは身なりも大きく異なるのだから。
「返せ! 私の清楚で凛々しいイメージを返せ!」
「清楚? 凛々しい?」
「そうよ! 私は師匠のできる弟子として一生懸命やってるんだから!」
「できる、弟子? …………ぷっ」
「……てぇぇぇぇゐぃぃぃぃ!」
口元に右手を当てて、ニヤついて息を漏らす。
その仕草が鈴仙の逆鱗に触れ、指先から生み出された弾丸が前髪を掠めていった。紙一重で避けた弾丸は一本の竹の幹を粉々に砕き、闇の中に消えていく。
当たったら、ただでは済まない威力過ぎる。しかし物怖じするどころか、ふふんっと鼻を鳴らして、兎のヒットマンを挑発する。
「なぁに? 私は別に、嘘を吐いたわけじゃないよ。チルノや橙やリグルが、鈴仙との出会いについて知りたいって言ったから、ありのままを伝えただけだし」
「嘘、それでどうやって私が馬鹿にされることになるのよ! チルノにも指差して笑われたんだからね!」
「えー、だって、ねぇ?」
すっと手を前に持ってきて、指を立てる。
それを一本ずつ折り曲げつつ、てゐは楽しそうに笑った。
「まず、落とし穴に落ちたでしょ? その後私を見て泣きながら気絶したでしょ? それから永遠亭に連れて行ったら、二人を見て泣いたでしょ。で、私にお礼言いながらまた泣いて、それから、それから、あ、傷薬が痛いって泣いて、弟子として住まわせてあげるって言われて泣いて、うわっ、何コレ! 片手じゃ足りな――」
ずどんっと。
真横の地面が弾け飛んで、てゐは言葉を止めた。
顔を真っ赤にした鈴仙が指先を震わせて打ち出した弾丸の、先ほどとは比べ者にならない威力。洒落にならない爆発力に言葉を止めさせられた。
「まさか、全部じゃないわよね?」
「…………全部♪」
「て、撤回して来て! いますぐ! 嘘だったって言ってきて!」
「いやぁ、兎を束ねる責任ある私としては、嘘の情報を流すなんて良心が痛んで痛んで……、ああ、それを無理矢理やれだなんて……」
よよよ、と。竹林の地面の上に泣き崩れ、ハンカチで顔を覆う。
あまりにも嘘くさい仕草過ぎて鈴仙が呆気に取られていると、ハンカチの影から歪めた口元を出して。
「ああ、なんて酷い人でしょう。ドジで泣き虫な、れ・い・せ・ん・さんは♪」
「きしゃぁぁっ!」
竹林を破壊するいくつもの弾丸の中、てゐは軽々とそれを避け奥へ奥へと進んでいく。それでも、身体能力の差からか、その距離は進めば進ほど狭まっていき。
「いたぁっ!」
「はい、捕まえた!」
とうとう、耳を無理矢理捕まれてしまう。
今日こそどうしてやろうかと思案し、進行速度を緩めるために足を地に付けた。
瞬間、襲ってくる浮遊感。
「え?」
がさり、と。何かが崩れる音と共に、重力を思い出した体は落下を始めた。それを止めるために藁をも掴む思いで強く握ったてゐの耳が、
すぽんっと、抜けた。
「え、ぇぇぇぇえええええっ!」
抜けた、と錯覚して落下しつつてゐの頭の上を見れば、そこには元気良く揺れる耳が二つ。そして、手元には……本物と同じ毛並みの、耳カバー。
やられたと思ったときには時既に遅く、鈴仙は固い地面に尻餅を付いていた。
「おしい、狙いは良かったと思うけど。油断するのはどうかと思うよ」
「いたたたぁ、あー、もぅ! 昼から師匠の手伝で人里に行かないといけないのに! スカート汚れたじゃないのよ!」
「勝ったと思ったときが、負けたとき。相手が罠使いなら特に気を付けるべきだったね。我らの隊長殿♪」
「……隊長って、心の隅にもそんなこと思ってない癖に!」
「……す、凄い! 鈴仙って悟りの素質あるかも!」
「もういい、怒るの疲れた……」
永琳からは鈴仙がてゐや妖怪兎のリーダーとして過ごすようにとの命令が出ているのだが、肝心のてゐには部下の自覚がさらさらなく。妖怪兎に至ってはてゐ以外の言うことをほとんど聞かない始末。
「ま、私が信頼しても良いと思ったら、付いていってあげるよ」
「はいはい、先輩兎に認めて貰えるように頑張るわよ。だからせめて変な噂だけは流さないでよね」
「そうだね、ま、今回はちょっとだけ可哀想だから、訂正しといてあげる」
「絶対だからね!」
「うんうん、絶対」
頬をぽりぽり掻きながら、ホントかなぁとつぶやき。鈴仙が肩を下として穴から飛び上がったとき。
どさり、と、近くでまた土の落ちる音。
慌てて足元を見る鈴仙であったが、そもそも空中に浮かんでいるので落とし穴など関係ない状況である。落ちるはずがない。
なので、迷い込んだ人間か動物が落とし穴に掛かったのかと顔を上げれば。
「……おかえり、鈴仙」
「なにしてんの?」
「……落とし穴の、確認」
落とし穴の淵に手を置き、滑り落ちるのを我慢する小さな兎が居た。
◇ ◇ ◇
「ごめん、昨日馬鹿にしてたけど、違うって聞いたから謝っておいてあげる。さいきょーは、下々の者のことをかんがえないといけないからね!」
「すみません、本当にごめんなさい……これで謝ってるつもりなので、許してあげてください」
胸を張る妖精と、ほぼ直角に頭を下げる妖精。
人里に薬を配達に行った帰り道、紅魔館に喘息に効く薬を届けに行く途中の道でいきなり声を掛けられたと思ったらこれだ。
もちろん、噂を流したのはてゐという兎で、その噂を沈めたのも同様。
なら最初からやらないで欲しいと本気で思う彼女であったが、それが悪戯兎の本性なのだから仕方ない。
昔はその悪戯がたたって、神様にお仕置きをされたとも聞いたことがある。
問題は、懲りてはないところか。
「そっちはてゐの噂を信じただけだから、気にしなくていいわよ。悪いのは全部あいつ」
「ありがとうございます! チルノちゃん、許してくれるって!」
「ふふん、そんなの最初からわかりきってたもん」
この強気の半分でもあればどれだけ良いか。それを考えつつ別れようとしたが、お礼に館まで付いて行ってあげると聞かないので結局3人で紅魔館へ。
霧の湖を迂回して、昨日何して遊んだかを語り出すチルノの言葉を聞き流していたらあっという間に門前に到着。
するとチルノが二人より前に出て、門のところで直立していた美鈴を指差す。
「門番! あたいたちと弾幕勝負だ!」
「するか! ……話聞いてなかったでしょ、あんた」
「え?」
「チルノちゃん、鈴仙さんはお薬を届けに来ただけなんだって」
「え?」
てっきり、遊びに来たと思っていたのか。
チルノは羽を下げてしょんぼりと俯いてしまう。影を作る透明な水色が、余計に背中の悲しさを象徴している。
「ははは、大変ですね。お互い」
「そっちはたまに居眠りしてるけどね」
「うう、酷いです……」
客人にまでサボり扱いされる悲しさ、プライスレス。
悲しみに暮れながらも、ちゃんと妖精を呼んで咲夜に報告しに行かせるのはさすがに手慣れている。
「永遠亭の妖怪兎は容赦が無いですね、本当に……」
「あ、ごめんなさい。ちょっと朝からイライラすることが多くて、つい言葉にトゲが」
「なるほど、そうでしたか。咲夜さんと同じですね! お嬢様が拗ねて、部屋から無理矢理追い出されたとき――」
「……誰のことかしら?」
「ひゃぅっ!?」
時を止める能力を無駄遣いすると評判の、完璧すぎるメイド。
それがいきなり背後に現れて、美鈴は思わず身を固めた。しかし今すぐ折檻するつもりはないのか、くるりと背を向けて釘を刺す。
「くだらないことを言ってないで、早くお客様をお通ししてちょうだい。パチュリー様がお待ちだわ」
「は、はい、今すぐに! では、鈴仙さん、どうぞ。妖精のお二方はしばらく私と遊びましょうか!」
「……堂々とサボり発言しないでくれると助かるのだけれど」
「い、いやだなぁ、咲夜さん。これも門前の平和を守るためでして、あ、そうそうそのための弾幕バトルです」
「ほどほどにしておきなさい、業務に支障をきたさない程度に」
「は、はいっ! 紅美鈴! 誠心誠意を以て門番に望む次第です!」
敬礼、と、手を額に当てる美鈴をため息混じりに送り出して、客人を連れて紅魔屋敷へと入っていく。
すると、弾幕バトルと聞いて息を吹き返したチルノが美鈴の周りをぐるぐると飛び回る。
「ね、ねねねねねね、やるの? やるんだよね? カードは何枚? ルールは? 宣言は?」
「そんなに慌てないでください、私は逃げませんから、ね? ルールはそっちで決めて良いですよ」
「はぁーい!」
すると、美鈴から離れて地面に何かを書き始める。
どうやら一人作戦会議を開いているようで、大ちゃんが覗き込もうとしても、『秘密!』と追い払われてしまう。
「あらあら、仲良くしないと駄目ですよ」
「いいんです、チルノちゃんは夢中になったら周りが見えにくくなるだけで、本当は良い子ですから」
「それはよかった」
顔と顔を見合わせ、どちらからと言わず微笑み合う。そんなとき、ふと、ある言葉が思い出されて。
「そういえばさっき、鈴仙さんに永遠亭の兎は容赦ないって言ってましたけど。あれはてゐちゃんも含めて?」
「ええ、まぁ、お恥ずかしながら……、暖かい日差しの中で、ついうとうとしていたら。こっそり近付いてきて髪の間に花を刺していったり、『ねぼすけ』って紙を背中に貼り付けていったりと……、若干の被害が」
「……本当に、若干ですね」
「ええ、それよりもその後の咲夜さんの説教の方が怖いですけどね、油断しすぎだと」
「確かに……」
何故、それがてゐの仕業だとわかるのかと尋ねたら、庭を整備していた妖精が見ていたからだそうだ。
「実は、昨日も来ていたそうなんですけど……」
「じゃあ、また悪戯の被害に?」
「いえ、妖精の話では、居眠りしている私を遠くから眺めながら、ぼーっと立っていて。そのまま帰ったと」
「気が乗らなかったんでしょうか?」
「いつも気が乗らないでいてくれれば助かるんですけどね」
しかし大妖精は首を傾げる。
彼女も妖精の一人なので、基本的に悪戯は大好き。危なっかしいチルノと一緒でなければ、人間たちにちょっかいを出したりもする。
だから、わざわざここまでやってきて何もしないで帰るというのがイマイチ理解できなかったが。
「はいはーい! ルール決まった! さあ、勝負!」
スペルカードを3枚取り出したチルノの元気な姿を見ていたら、そんな些細なことなど消え去ってしまった。
◇ ◇ ◇
てゐが首を傾げる。
食卓で、正座したまま、何故か首を小さく振る。
座る位置が変、というわけでもない。
誰かが欠けているわけでもない。
上座が輝夜と、永琳、そして輝夜の前にてゐと、そして最期に鈴仙。たまに妹紅との勝負で負けた輝夜が不貞寝して朝食に出てこないことはあるが、今日はしっかりとそこにいる。
「味付け、濃かった?」
「んー、そんなことないけど……」
なら、味が悪いのかと思い、朝食担当の鈴仙が尋ねてみても、また首を振るだけ。そしてじっと、テーブルの方を真っ直ぐ見るのだ。
どこか、不安げな顔で、でも何も言わずに箸だけを動かす。
昨日と比べて、明らかに様子の違うてゐの姿がどうしても気になる。その原因を確かめようといくつか疑問を口にしてみても、同じ口調でやんわりと否定されるだけ。
「ごちそうさまでした」
疑問が解決しないまま、朝食が終わり後肩片付けの時間になる。すぐに部屋を出て行ったてゐを追うことなく、鈴仙が洗い物を黙々とこなしていると。
「だーれだ♪」
あからさまな裏声と同時に、視界が闇に覆われた。
目元から伝わる生暖かい感触と、後頭部から首筋にかけて伝わる吐息から誰かが後ろから抱きついてきたと言うことは理解できるが。
解せないことが、ただ一つ。
「……まさか、その高い声はてゐのモノマネですか? 姫様」
「どう、似てた? 似てた?」
「まったく、これっぽっちも」
正直言って、オウムに真似させた方が似てる気がする。
と、本音を言えるはずもなく、洗い物の手を止めてエプロンで手を拭いた。
「あら、そこは私を立てて、じっくり聞かないと判別できなかったとか言ってくれても良いのよ?」
「言っても、嬉しくないでしょ?」
「よくわかってるじゃない、さすがイナバね」
「鈴仙って呼んでくださいよ」
「いいじゃない、妖怪兎は全部イナバで。判別つかないもの」
実に姫様らしい、そう思いながらも鈴仙は話し相手を続ける。そうしないと、日中不機嫌になって無理難題を突きつけられかねないからだ。
「申し訳ないですが、話を聞くのは洗い物をしながらでもいいですか? 今日は洗濯当番もありますから」
「いいわよ、でも、聞き流さない方が良いと思うけれど。だって、てゐのことですもの」
「朝食の時の不自然さでしょう? それなら私でもわかってます」
そもそも、何度も尋ねたのだからわからない方がおかしい。
しかし輝夜は着物の長い袖を口元に当てて、ほほほ、っとわざとらしく笑う。
「そうじゃないのよ、イナバはね。私をずっと見ていたの、それに気が付いた?」
また、イナバという言葉が出てくる。
ただし今の『イナバ』はてゐを指しているようで、鈴仙のことではないようだ。
じゃあ関係ないか、と。
「……姫様を?」
危うく聞き流しそうになって、慌てて問い返す。すると自信満々の頷きが返答として戻ってきた。
「ええ、私も最初は机の上の醤油が欲しいのかと思って、わざと遠ざけてみたんだけど反応が変わらなかったから」
「最悪ですね」
「じゃあ何見てるんだろうって、ふと顔を上げたらね。目が合うのよ。ご飯を食べている間中、顔をあげたらすぐに」
「……気のせいでは?」
「10回を超えるチラ見を気のせいと言えるのなら、気のせいなんでしょうね」
その言葉が正しいのであれば、てゐは輝夜を見ていたことになる。しかし自由奔放なてゐが、今更輝夜に何の用事があるというのか。あると仮定して考えようとしたら、いろいろな意味で嫌な予感しかしないのは何故だろう。
「まさか、てゐに何か嫌がらせしました? にんじんの中に唐辛子を仕込んだとか」
「なんでそうなるのよ。わさびしか入れたことないわ」
「入れないでくださいよ、ていうかこの前妙に辛いにんじんをてゐから貰ったんですが?」
「……なかなかやるわね。この次は負けないわよ」
「お願いですから、子供染みたことはしないでください。っていうか何の勝負ですか……」
何はともあれ、ここで考察しても仕方ないと言う結論に至り、直接てゐに聞くことになった。幸いなことに、てゐは来週に控えた満月恒例餅つき大会の練習を部下の妖怪兎と一緒に行うために中庭にいるはず。
廊下の曲がり角からその様子を覗けば、ぎこちない動きの妖怪兎たちに対してゐが実践して教え回っている。
「てゐが休憩で廊下に腰掛けたら、作戦開始よ」
「作戦ってほどでもありませんけどね」
とりあえず、作戦準備のため輝夜が反対側の廊下へと屋根の越しに移動し準備完了。後は休憩時間を待って、鈴仙がお茶を持って行く。そうやって気を抜いたところで、輝夜がさっきのように『だーれだ』を実行し空気を軽くして話を効く。
もちろん、発案:輝夜、現場指揮:輝夜。
ただ、鈴仙の声真似をしつつ実行するという当初の行動は、一部の激しい反対により却下された。
「さあ、みんな。あと30回ついたら交代!」
そんな裏工作などあると知らずに、てゐは一通り個人授業を終えて廊下に腰掛けた。
そこへ、輝夜の命令通り。
「どう? 妖怪兎たちの様子は?」
「まだまだ、でも本番までには何とかしてみせるよ」
鈴仙が隣に座ってお茶を差し出す。
それを受けとって、てゐが両足を揺らしているところに、輝夜が背後から回り込んだ。
そして一息吐いたのを見計らって。
「だーれだ♪」
さっきと同じように、輝夜がてゐの後ろから目を隠す。
どうせ悪態の一つでもついて、冷めた目で見るに違いない、そう予想した鈴仙は自分用に持ってきたお茶を飲み、苦笑い。
けれど――
がしゃん、という予想外の破砕音がその場に響いた。
「……てゐ?」
頭の中のどこにもなかった映像を見せつけられ、か細い声しか出ない。それでも段々と現実味を増し始めた感覚の中で、鈴仙は再び彼女の名前を呼んだ、
「てゐ!」
強く、叱責する声で。
輝夜はまだ、何が起こったか理解できない様子で廊下に立って足元を見ている。そこにある割れた湯飲みと、そこから廊下に流れる暖かい液体を。
「謝りなさい! 早く!」
何があったか、言葉で言い表すのは簡単だった。
輝夜が目隠しをした瞬間に、てゐの体が大きく跳ね、あろうことか輝夜の手を本気で振り払った。その拍子に持っていた湯飲みは廊下に放り出され、割れた。事件の証拠が輝夜の手の甲、赤く変色した右手だ。
輝夜を振り払った直後、てゐは二人と逆の方の廊下へと足を付き身を低くした。
臨戦態勢、というわけである。
目隠しをされた、たったそれだけのことで、永遠亭の主に牙を剥こうとしている。
「姫様に向かってなんてことをしてるのよ!」
妖怪兎たちでさえ、てゐの行動を理解できず呆然と様子を見守るしか出来ない。静寂の中でただ鈴仙の声だけが響き渡り。
「姫、様?」
それにやっと、てゐの声が重なった。
低く、膝を折り曲げていた体勢を解き、恐る恐る輝夜の姿とその足下の湯飲みを見て。
「わ、私じゃない! 私がやるはずない!」
顔面を蒼白に変え、妖怪兎と、鈴仙の形相を見て……
背を向けて駆け出す。
鈴仙でも追いつけない初速で、竹林の中に消えていく。
しかし主に怪我をさせ、謝罪もせずに逃げるてゐを見逃すことなど出来るはずもなく。鈴仙はてゐを追うために輝夜の側を駆け抜けようとするが、
「……構わないわ」
それを左腕で制する。
感情の変化を感じさせない顔で、鈴仙の足を止めさせた。
「何故ですか! あのような無礼、許したままではいられないでしょう!」
「鈴仙、私はあなたや永琳にとってまだ姫なのかも知れない。けれど、この世界では一妖怪と同程度でしかないのよ。今の些細な衝突程度で罰などとは、元姫の器が知れるというもの。そうではないかしら?」
「……姫様が、そうおっしゃるのでしたら」
「ええ、やめなさい。てゐのことは永琳に任せることにしましょう。きっと、良い判断を下してくれるわ」
すぐに感情的になる自分より、師匠が適任……
なんとか自分で納得した鈴仙は、奇妙な不安を心の中に隠したまま輝夜に深く頭を下げたのだった。
胸の中に生まれた黒い靄を押し殺しながら。
◇ ◇ ◇
「や、おはよう、鈴仙♪」
……何、その明るい顔。
鈴仙は泣きそうだった、いや、むしろ心で泣いていた。
昨日あんなことがあって、どうやって顔を合わそうとか思って、一睡も出来なかった私の睡眠時間をどうしてくれる。
そう、心の中で嘆いていた。
「昨日は心配掛けちゃってゴメンね、昨日はちょっと間が悪かったって言うか。こう、驚いたって言うか、とにかく、罰として診療所の手伝いもすることになったからよろしく!」
「そういうことだから、仲良くね」
「ししょぉぉぉぉおおお……」
そういうことなら昨日のうちに何か一言欲しかったと思っても後の祭り。どうしても朝食前に相談したかったので、やってきたというのに……
「で、あなたはこんな朝早くに何を?」
「……あ、えっと、それは」
こうなるわけである。
二人が居る場面で素直に『てゐとどう接触して良いかわからなくて』などと今更相談できるはずもなく。
すでに要件が解決している中でどうしろというのか。
おそらく永琳はそれを察していて、わざと鈴仙を試しているに違いなかった。何故そう思えるかと言うと、すでに半笑いだからである。
「幻想郷の中で異変も多様化している中、私も早く師匠のような医療技術を身につけて患者に対応できるよう努力していこうかと思い、思い立ったら吉日というコトワザにもありますとおり、有言実行をですね……えーっと……」
「途中までよかったのに、詰めが甘い」
「鈴仙にそれを求めるのは辛いところだよ」
「寝起きで遊ばないでください、お願いですから……」
厄介者が二人に増えた。
さとりに心を読まれたら後で薬の実験台にさせられそうなことを考えて、それでも鈴仙は胸を撫で下ろしていた。
てゐが、思ったよりも元気そうだから。
昨日の気の迷いなんて気にならないほど『てゐ』らしくて、驚きより、嬉しさの方が大きかった。
「もう、朝ご飯の準備してきますから、遅れないでくださいよ!」
「うん、任せた!」
「てゐは手伝い!」
「えぇぇぇぇ……」
嫌そうに絞り出す声にすら安らぎを覚え、鈴仙は鼻歌を廊下に響かせつつ朝食の準備へと向かっていった。
それから、毎日。
てゐは輝夜に手を上げた罰として診療を手伝っていた。餅つきの練習の合間だったけれど、その評判は上々。
悪戯兎とは思えない、親切な対応をしてくれるらしい。
しかもあのてゐが敬語で話すというのだから、一見の価値はあるに違いない。
違いないのだけれど……
「何故、私だけ人里ですか……師匠……」
診療所が始まる前の調合だけ手伝って、後は薬配り。
そんな鈴仙はてゐの様子を見る機会すらなく、営業スマイルを振りまいて業務を続けていた。
そんな日が続いて、早一ヶ月。てゐの方が幻想郷に詳しいはずだと提案しても。
「却下」
なんて、きっぱりと二文字で返してくれるのだから、効率的である。理由なんてあったものではない。下手に反論しようものなら、論理武装された言葉の核弾頭が何発も投下されるのだから。
何度目かのため息をつき、仕方なく薬の配達を続けていたところで、後ろから小さい足音が近付いてきた。人間とは違う種族を間近で見たい子供に違いないが、相手にするとつけあがるため放置することに決めている。
そうやっていつもの通り歩く速度を緩めずに、薬箱だけを背負い直せば足音は遠のいていく。
ほら見たことか。
そんな小さな勝利の余韻に浸っていたら。
急に足音事態が消えてなくなる。
たぶん、歩くのをやめただけなんだろうと、対して気にしないでいたら。
何かが背中に入ってくる。
服と服の間の微妙な感覚を滑って入ってきたそれが何かと考察するより早く。
「きゃぅっ!」
思わず可愛らしい悲鳴を上げていた。
背筋に当たるその肌を刺す冷たさに、思わず背負った薬箱を投げ出そうとしてしまうほど。その感触からして間違いなく背中に入れられたのは氷。
ならば、手軽にこんな悪戯が出来る者は、たった一人しかいない。
「ちーるーのぉぉぉぉーー!」
「お、鋭い。さすが耳が大きいだけはある」
「冷たさに耳も何も関係ないのよ! 一体何様のつもり!」
「む、それはこっちの台詞だ! なんだよ、この前! 私を無視して!」
チルノを無視。
実際今それを行いたいところだが、その行為について彼女はまったく記憶にない。何せこの前付きまとわれたばかりなのだから。
「……それ、いつの話」
「この前!」
「この前っていつ?」
「この前はこの前!」
「相手は?」
「てゐ」
「私関係ないじゃない!」
しかも対象は別人。
一体どうしろというのかこの状況。
「あたい知ってるよ、そういうの『れんたいせきにん』って言うんだって。美鈴とかが使ってた」
「あー、メイドの教育の話ね……」
「そうそう、たぶんそれ! ということで、兎の無視は、兎に返す!」
「……もう良いけどね、でも、てゐが無視したからってどうだって言うのよ」
たぶん、てゐも今の状況と同様、付きまとわれるのが面倒になって無視したのではないか。そう考察した鈴仙は早く会話を切り上げようと核心部分に触れようとした。しかしチルノはぶんぶんっと首を振って一生懸命訴える。
「違うんだよ、その日、リグルとか橙とか、大ちゃんとか、みんなで集まって遊ぼうって話してたのにさ! 全然来なくて、仕方なく4人で遊んでたら、やってきたの!」
「どこが無視なのよ」
「その後だよ! やっときたって思って、私とか橙が呼んでるのにさ。耳びくってさせて逃げるの」
「……相当うるさかったとか?」
「違うよ、そんなに大声じゃないもん。それに近付いたりもしたけど、やっぱり凄い速さで逃げちゃうんだよ。泣きながら」
「いや、でもそれは、別な用事が…………今、なんて言った?」
ありえない単語が聞こえて、鈴仙は真剣な表情で問い返していた。
てゐが橙とチルノに怯えるわけがない。
どちらかと言えば、遊びながら意地悪して、やりすぎて喧嘩するくらい。だからその喧嘩の延長で取っ組み合いになるときもあるかもしれないけれど。
「んー、でも、あたいより橙に反応してたかな?」
話を聞く限り、ただ待ち合わせをしていただけ。チルノが情報を隠すことも考えにくく、その必要性もない。
冷静に考えれば考えるほど、言い知れない不安が胸を蝕んでいく。
しかも、それが起きたのは、『この前』なのだ。
てゐが診療所を手伝い始めてほとんど外出できなくなったよりも前だというのなら、時期的にちょうど……
輝夜に対して、異常な行動をとった日と重なる。
そんな欠片が組み合わさった途端、背筋に冷たい何かが走った。さっきの氷とはまた別な感覚。震えるほど冷たいのに、じっとりとした汗が額に滲む。
「ごめん、チルノ。急ぐから」
「え? 待て! 逃げるな!」
まだ文句を言い足りないのか、チルノが追い掛けようとする。だが、妖怪兎の脚力で屋根から屋根へと移動を始めた鈴仙に追いつけるはずもなく、できたことと言えば『ひきょうもの!』と叫ぶだけ。
しかし鈴仙の頭の中にはチルノのことなど片隅にすらなく。
『今はただ、一刻も早く薬を配り終えて永遠亭に戻る』それだけを考え、いつもの落ち着いた風貌を投げ捨て、また一つ大きく跳ねた。
「むぅ……」
ただ、そんな不満そうなチルノをその場に残すという行為、そして、いつも大人しく人里を歩き回るはずの鈴仙が取った大胆な行動が、
「あややややや、何かお困りですかな?」
一羽の鴉を呼び寄せた。
◇ ◇ ◇
いつもどおりだった。
診療所の中は怖いくらい、いつもどおり。
息を切らして鈴仙が診療所に戻っても、永琳は患者相手に診察を続け、てゐはその横で薬を磨り潰している。
「おそらく疲労からくるものですね、薬を飲んで安静にしていればすぐよくなりますよ。鈴仙、配達が終わったのなら薬箱の『あー4』をお願い」
待合室には誰もおらず、この男が今日最後の患者。
鈴仙は焦る気持ちを抑えて、笑顔で薬を手渡すとゆっくりと出て行男のく背中を見送った。
そして耳で他の来客がないかを確認しつつ、ばたんっと扉が閉まると同時に永琳に一歩近付いた。だが、それを見た永琳は鈴仙が口を開くより早く、苦笑いを浮かべる。
「何を焦っているのかは知らないけれど。まず、配達用の薬箱を片付けなさい。そうしないとこちらが落ち着けないわ」
「あ、す、すみません」
焦りのせいで片付けまで頭が回っていなかった鈴仙は、慌てて背中から空っぽになった箱を下ろして部屋の隅に置く。
そして、今も薬の材料を作り続けるてゐと簡単な挨拶を交わして元の位置へと戻った。
「薬の配達と、往診のことでちょっとした相談があるのですが……あの、できれば二人で」
落ち着いた様子で椅子に座る永琳が促すと、鈴仙はチラリと横を気にしつつ話し始める。
するとその仕草と言葉だけで全てを察したのか。
微笑を残してすっと立ち上がると、てゐにもう休んでいいと声を掛ける。二人の横をすり抜けて足取り軽く出て行く姿からは不安要素など感じられない。足音が遠く、診療所と繋がる屋敷の方へと消えた頃、書類整理を始めた永琳に向けて口を開いた。
「てゐの体に、何が起こってるんですか?」
「……あら、嘘吐きね。薬と往診はどうしたのかしら」
「すみません、今の私にはその言葉に乗る余裕はないんです。だから、言わせて下さい、師匠。姫様が、師匠に処分を任せると言ったときに気づくべきでした。きっとあのとき、姫様はわかっていたのでしょう? いえ、それだけではなく……師匠だって異変に気づいたはずです」
仕事机に手を起き、微笑みながら半身で話を聞いていた永琳の瞳が細まり、体の向きを変えた。
それでも、鈴仙は言葉をとめずに言葉を続ける。
「あの症状は……、人里の老人がたまに見せる行動に酷似しています。普通の生活を送っていたと思ったら、今度は突拍子もない行動を取る。私の知識の中でも、当てはまるものがあるんです。そして長寿という意味では、てゐは妖怪の中でも圧倒的な部類……高齢で発症し易い病の中でも……あれは……」
「うどんげ、医療従事者のあなたの言葉は、それが憶測だとしても重いものよ。それを理解した上で発言することはできる? 一緒に生活してきたあの子に対する希望的観測抜きで、正確な判断を下せる?」
「はい、師匠……」
弟子を試す、師匠からの冷徹な言葉。
それでも、鈴仙は体の横で手をぎゅっと握り締め力強く頷いた。
「あれは『忘失症』、人間の場合似た病名はあるものの、妖怪の場合は別。人間の場合は徐々に記憶を失うだけで済むが、精神に重きを置く妖怪や妖獣の場合、軽度でも身体能力、記憶に大きな変化を与え、重度の場合は極度の弱体化……自らを疑い……存在を焼失させる。
しかし……忘失症が発祥するケースは極稀で……通常は軽度の記憶障害である可能性が」
「希望的観測はいらない、そう言わなかったかしら?」
声を震えさせ始めた鈴仙に対し、あくまでも冷静に言葉を投げつける。
私情を捨て医師として判断しろ、と。
「しかし……可能性の問題として……」
「姫様を忘れ、今もそれが継続し、状況は悪化し続けている。もう可能性といえる段階ではないのよ、うどんげ」
「でも、だって……」
それでも、まだ何かに縋ろうとする鈴仙に対し、一度目を伏せ、自らの胸に手を当てた。厳しかった表情を緩め、ゆっくりと我が子に言い聞かせるように語る。
「基本的に忘れる順番って言うのには法則性があるの。その対象人物が親しくしていた人物ほど記憶に残り続ける。あなたは姫様が一番最初に忘れられたと思っているようだけれど……」
鈴仙は気付いた。
その笑みは弟子である彼女に向けられたものではなく。
「一番最初に忘れられるというのは、辛いわね。なまじ知識があるからこそ、余計にね」
自嘲の微笑だった。
てゐの異変に気づき、内密に輝夜と相談し根回しをする。そうやって一番最初に気付かされた永琳こそ、ぶつけようもない悲しみを味合わされていたのをやっと鈴仙は知る。
「師匠、すみません。私、何も気が付かなくて……」
「いいのよ、それでいい。あなたはてゐのお気に入りですもの。いつも悪戯の対称にされて、いつも遊んでいたもの。それだけ大切だって証拠よ」
「はい、でも、これから私はどうすれば……」
現状を把握したのは彼女にとっての一歩前進。
しかし足を進めたところが落とし穴では意味がない。何か解決策を探さなければいけないのに、それを持たない鈴仙は頼るしかなかった。
「一緒にいてあげればいいとかそんな安易なことくらいしか思いつかなくて」
「あら、それが一番の対処法なのに?」
「え? それだけで、ですか?」
「そうよ、でも相手がよくわからないことを言っても、安易に突っぱねてはいけないの。一度はちゃんと話を聞いてあげて、会話をする。それが大切、それと、もしあなたのことを見るてゐの顔が不安そうになったら、自分の名前をつぶやきなさい。それで応急処置になるわ」
「それだけで、いいのでしょうか?」
「ええ、大丈夫。それにね、記憶の機能を正常に戻すための投薬も終わっているから、後は経過を観察するだけ」
治療が終わっている。
その発言を聞いた鈴仙の表情がわずかに明るくなるが、それを見た永琳は首を左右に振った。
「でも即効性があるわけじゃない、下手に過剰に投与すれば副作用で余計に記憶能力に問題が起きる、だから遅効性のものを何回にも分けて使う必要があったの。そしてその記憶が正常化するのは、おそらく次の満月」
「ということは、後7日ですね」
「そう、その間に失われなかった記憶は正常化して残り続けるでしょう。けれど、消えてしまったものは消えたまま安定してしまう。だから、ね」
「姫様と、師匠のことは……」
「そうね、このままなら、あの子は忘れたまま暮らすことになるでしょう。偶然、記憶を取り戻す可能性はあるかもしれないと、姫様も言ったのよ確かに、でもね」
そこまで伝えてから、仕事机の上にあった天秤を指差し片方の皿を小さく押した。すると当然、天秤はもう片方を押し上げた。
「私は残酷なの。何万分の一という希望よりも、残りの限りなく100パーセントに近い解決方法を欲するのよ。例え、私と姫様の記憶を失ったままだとしても、あの子には妖怪兎として生きていて欲しい。それが私の結論。だって、記憶を失ってからも近くで暮らせるのなら、もう一度作り直せるじゃない」
「師匠……」
「さて、うどんげ。あなたは私のこんな馬鹿げた将来設計に付き合ってもらえる? それとも、てゐの記憶が全て戻る方に賭ける?」
てゐがすべてを取り戻す。それはとても魅力的な響きだった。それは鈴仙にとってだけでなく、事実を知る永遠亭の全員が思うところなのだから。それでも、鈴仙は……
「師匠、私も、その話に乗らせてください。例え私の記憶をてゐが失ったとしても、もう一度同じ妖怪兎として付き合ってみせますから!」
「ありがとう、鈴仙」
服で目元を擦って、強い意思のこもった瞳を永琳に向けた。
一度は仲間を捨てて地上へ逃げてきた鈴仙が、実戦よりも心を殺さねばいけない場面に立とうというのだ。
「では、師匠! 今からてゐのところに行ってきます!」
そんな、少しだけ大きくなった弟子の後姿に向けて、永琳は手を振り送り出して。
また、苦笑い。
表情を崩さずに軽く天井を見上げて、つぶやいた。
誰もいないはずの場所へと向けて、静かに声を飛ばす。
「出てきていいわよ、鼠さん」
「む、失礼ですね」
永琳の口から生まれた振動が、天井に届くか届かないか。そんなとき、黒い影が天井から降ってきて彼女の後ろにすっと、立つ。
「この私を、薄汚い鼠と一緒にしないでいただきたいですな」
「うふふ、ごめんなさいね。お待たせしたようで」
「ええ、ずいぶんと。おかげさまで白髪が一本増えたかもしれません」
ご自慢の手帖で額をぽんっと叩き、おどけてみせる。その姿と口ぶりはもちろん、噂の鴉天狗。
「なら、先ほどの件。お願いできるわよね?」
「……こちらの利は?」
「こういった職業をしていると、合法的に人間の死体を目にすることがあってね。多少欠落しても誰にも指摘されることはない。その一部が妖怪のお腹におさまったとしてもね」
「ふむ、いいでしょう。契約成立ということで」
「ええ、内密にね」
「はい、清く正しく迅速に、がモットーですからね、では」
一陣の風を残し、再び視界から消え去る。
再び一人になった月の賢者は……
「冷たい現実と、暖かい嘘。どちらが残酷かしらね……」
誰に言うでもなく、広く感じられる診療所の中で、ただ嘆いた。
◇ ◇ ◇
暦に赤丸を付けるなんて、あまり経験のないことだった。
後一週間が勝負と聞かされてから、一日の経過を日記にまとめてゐの様子を記していく。師匠である永琳からは人里の患者に対してもリストを作って経過を報告しろと言われているが、その報告書とは比べ物にならないくらい正確にてゐの症状を綴っていく。その内容を簡単に表現するなら。
『細かな症状は出ているが、大きな変化は特になし』
それがここ数日間のてゐの現状であった。
薬の配達のとき意外はできるだけ一緒にいるわけだが、時折、てゐが鈴仙の顔を見上げて動揺を見せるときがあった。その仕草をするときは、見たことはあるが名前がはっきりと出てこないときで、鈴仙が小さく自分の名前をつぶやくだけで和らいだ表情になる。それ以外は特に大きな変化もなく、時間が過ぎていた。
今の状況があと少し続いてくれれば……
後二日、たったそれだけの期間だけ続いてくれれば、満月の夜がくる。
鈴仙は全身を映す姿見の前で、『よしっ』と気合を入れ一直線に中庭へ。そこでは妖怪兎たちによる本格的な餅つき練習が開催されており、その練習に付き合うためてゐのもそこにいた。だから今日は診療所にいるのは永琳一人、ただてゐを一人にしておくのも危険なので、今日は薬の配達を夜に回して日中は一緒にいることにした。
「ここ空いてる?」
「勝手にどうぞ」
最近の練習の成果で、新人の妖怪兎たちも玄人に負けないほど元気良く杵を振っている。掛け声にあわせて餅をつく姿はとても愛らしく、小さい兎たちが動く風景を見ているだけでも心が和んでいく。
ただ、気になるのはその練習位置で……
「また盆栽とか壊さないでよ、大事なものなんだから」
「わかってるよ、あの、姫って人のやつでしょ? ばばくさい趣味なんてやめとけばいいのに、あの医者の先生も人使い荒いし敬語で話せって煩いし」
てゐの中ではもう忘れられてしまった存在。それでも、鈴仙の大切な人という認識は残っているのか、廊下で会っても輝夜と永琳には挨拶はしっかりと交わしていた。その姿をこっそり眺めるだけでも、てゐの経過が良好だとわかって嬉しくなる。
「鈴仙もたまに練習してみれば?」
「それもよさそうなんだけど、私は餅つきくらい簡単にこなせるからいいかな。ただでさえ配達で体力とか使うから」
「ふーん、太っても知らないよ?」
「ちょ、変なこといわないでよ。私のどこが太ったっていうの?」
「……私の口からそれを言わせようだなんて」
「なんで照れるフリをするのよ、瞳潤ませてもダメ」
確かに鈴仙は餅つきの練習にほとんど参加しない。それはいつもどおりのことなのだが、最近、てゐは自分から杵を持たなくなった。他の兎からお手本を見せてとせがまれれば仕方なく実行しているものの、積極的ではない。
てゐ曰く『だるいから』だそうなのだが、それは明らかに身体能力の低下から来るもの。じわじわと病魔がてゐの体を蝕んでいる証拠だった。
それでも、廊下に腰掛けふざけあっている間は少しだけ病気のことを忘れていられる。鈴仙は餅つきの元気の良い掛け声の中で、何度も問い掛けた。多少違和感がある内容が戻ってきたとしても頷き、笑顔を返す。
その中で、てゐが表情をわずかに曇らせたら、
「れ・い・せ・ん」
唇をゆっくりと動かし、丁寧に教えてあげる。
そうしたら、はっと目を開いて何事もなかったかのように話を続けるのだ。
だから今日もそうなるはずだと、そう思っていた。
なのに――
「鈴、仙?」
てゐは、首を傾げ続ける。
不安そうに、横に座る妖怪兎を見上げてくる。
そんな困惑の視線を向けられても、鈴仙は微笑を崩さず、落ち着いた様子で事実を受け止める。
ああ、とうとうこのときが来た、と。
悪夢が始まるのは、予想できていた。
永琳が覚悟しておきなさいと、事前に話していたから。
名前を告げても瞳から不安が消えなくなる日が、いつか来るかもしれないと。
そう、理解している、つもりだった。
「はは、結構、つらいかな、これ……」
しかし見せつけられた現実に、胸が痛む。
大切なものを丸ごと抉り取られる激痛が、心を砕こうとする。笑顔を作り続けなければいけないのに、自然と瞳は潤み、唇が振動を始めてしまう。
そんな鈴仙に向け、てゐが口を開こうとする。
後何か一つでも致命的な刺激を受けたら泣き出してしまいそうな、窮地に立たされた兎を追い詰めるように、小さな唇を動かそうとしている。
心の奥で止めてと叫んでも、てゐは止まらない。
感情の堤防を砕きかねない言葉を、今にも作り出そうとして。
「……いつもみたいに、人里行かなくていいの? また師匠に叱られても知らないよ」
「……え?」
てゐの口から、平然と懐かしい単語が出た。
聞き間違いではない。
今確かに『師匠』と言ったのだ。
医者の先生としか言わなかったてゐが、自ら進んで師匠と言った。
「ね、ねぇ、てゐ、昨日また竹林の近くで大きな花火があがったんだけど」
「えー、また姫様と妹紅? 後片付けしろとかなしだからねっ! ――っ! 何! 何事っ?」
抱きついていた。
自分でも気がつかないうちに、鈴仙はてゐの小さな胸に顔を押し付け、その体をきつく抱きしめていた。
どうしても感情を抑えきれず、涙を堪えずに泣き叫んだ。
鈴仙のことしか記憶していなかったてゐが、別の名を口にした今。希望が確証に変わってしまったから、鈴仙は涙を止めない。
「は、離れてよ! 暑苦しい!」
餅つきをしていた他の妖怪兎たちも目を白黒させて、その光景を見守り続け。その好奇の視線に晒されることになったてゐは、顔をうっすら紅く染めて無理やり引き離そうとする。
けれど、永琳が言っていた『何万分の一の確率』を目の当たりにした鈴仙は中々手を離そうとせず、何度も近距離で蹴られてからやっと体を元の位置へ戻した。
「てゐ、よかったよぉ! よかったよぉ……」
「何で泣くのよ、意味わからないし、うざったいし! いきなりくっついてこられた身にもなって欲しいね!」
罵られながら、鈴仙は喜びに打ち震えた。
奇跡が起きた、と。
いつものてゐが戻ってきてくれたんだと、幻想郷中に叫んでしまいたいほど、狂喜乱舞したかった。
それでも、今は他の視線も、時間の問題もある。
「じゃ、じゃあ、てゐ、私、ちょっと師匠のところにいってくるから」
「うん、そうして。そのおかしな思考治してきて」
「……戻ったと思ったらこれだものね」
「なんか言った?」
「全然、何にも!」
肩を落とした鈴仙を見ようともせず、てゐは手を止めていた兎たちに指示するためにもう一度庭を見て。
「……ねえ、鈴仙。今日って……」
「今日がどうかしたの?」
「ん、いや、なんでもない」
疑問を口にしたと思ったら事故解決。
その日は、それ以上目立った変化もなく。
鈴仙が永琳に報告を終えて戻っても、夕方人里に薬を配達した後も、記憶が戻ったままだった。そのおかげで、約一ヶ月ぶりに騒がしい食卓も復活し、風呂場でも一騒動。その両方ともで被害者になった鈴仙であったが、終始笑顔で楽しい夜を過ごしたという。
気づけば、もう日付が変わる時間。
「また、明日」
「うん、おやすみ」
しん、と静まり返る廊下の上で二人の妖怪兎は別れ。
やってくる明日に、心を躍らせた。
◇ ◇ ◇
満月の夜まで、後一日。
記憶が固定されるまで、後一日とちょっと。
『記憶が戻ったとしても一時的なものかもしれない、だから今まで以上に注意を払うべきね』
そう言われた鈴仙だったが、正直なところ大袈裟だと思っていた。
あそこまではっきり記憶を取り戻したてゐの何を疑えというのか。
それがわからず、ただ、表面上だけ頷いて見せた。
永琳が心配性だからそういう結論になるんだと、否定すらしていた。
「てゐ~、洗濯するの手伝ってよ」
だから、いつものように。
小鳥が囀る、気持ちのいい空の下で洗い物をしようと部屋を訪れた。
瞼を擦り、嫌そうに低い声を出す小さな兎の姿を予想し、半ば笑いながら部屋の入り口を開いたら。
もぬけの空だった。
布団はたたまれておらず、掛け布団は半分だけ起こされた状態。
明らかに起きてそのまま出掛けたと予想できる。
「また師匠のところかな」
診療所の手伝いでもしにいったかと、回れ右して出て行こうとしたら。
敷き布団の枕の影に、紙が挟み込まれていた。
「メモ、かな?」
好奇心に誘われて布団の側まで寄り、紙を手に取ってみた。大きさは両の手の平を併せた程度で、その中に文字が書き込まれている。
間違いなく、てゐの字だ。
しかもその書き出しを見て、驚かされてしまう。
『鈴仙へ』
この紙はメモでも何でもなく、置き手紙。
鈴仙に向けた、想いが詰まったものだったから。
その細い文字に不安を感じ、慌てて文字を追っていけば……
『鈴仙へ
昨日、師匠のところへ行こうとしていたとき、私が声を止めたことあったでしょ? あれね、日付が聞きたかったんだ。
私さ、何度か庭で遊んでて盆栽壊したりすることあるから、位置とか形とか気を付けて見てるんだけどね。なんか変なんだよ。急に全部、大きくなったように見えたんだ。それに庭木の葉っぱの付き方が違った。
減るんなら、わかる。
でもね、短時間で大きくなるなんてありえないんだよ。
それで、今、何日かって聞いてみたかった。でも、その前の鈴仙の反応を思い出して、なんか気付いちゃった。
私、記憶とか思い出とか、そういうのを忘れてたんだよね?』
どさ、と。
鈴仙は膝を付く。
震える手で置き手紙を握り、瞳を震えさせながら手紙へと視線を落とし続ける。これ以上進むなと心が止めるのに、彼女の視線はスライドを続けた。
『……みんなにも聞いてみたらやっぱりそうだった。あ、今のみんなって私の部下たちだけど、そしたらさ私の知らない日付なんだよね。私の中の今日じゃない、少しだけ未来の日付なんだ。もう、決定。私はやっぱり何か忘れてるみたい。
だってね……
ほら、だって……
少し上に書いてある、言葉。
自分でかいたはずの姫様や師匠って単語が。
誰を指してるか、わからなくなってる』
鈴仙は、走った。
手紙を握りしめて、部屋を飛び出し、永遠亭の中を走り抜ける。そして、診療所まで辿り着くと、その場でてゐの姿を探し……
永琳が止めるのも聞かず、無言で竹林へと駆け出した。
だって、その手紙が……
『……だから、私、一人の妖怪兎に戻ろうと思う。
みんなを忘れるのが怖いから。
みんなに向けて、“誰?”と問いかける自分が嫌だから。
昔の自分に戻ろうと思う。
だから、ばいばい。
それと、ありがとね、鈴仙
自分勝手な悪戯兎より』
そんな悲しい言葉で締めくくられていたから。
彼女は、ただ、竹林の中を走り続けた。
世界が、夜の帳に覆われるまで……
永琳が鈴仙を見付けたのは、深夜だった。
診療所の片付けを終え、自室に帰ろうとしたとき外で物音が聞こえてきて、それを確認しに外へ出たらボロボロになった衣服を着た彼女が倒れていた。
慌てて診療所へと運び込んで応急処置して見れば、傷はそれほどでもなく倒れたのは疲労によるものと判明。
気つけ薬を飲ませ、しばらくベッドに寝かせていると。
「し、師匠、てゐは……?」
目を開けた瞬間、上半身を起こし尋ねてくる。
それだけで、永琳は全てを察した。
「てゐは、全て知ってしまったのね」
何万分の一の奇跡が生んだ残酷な結末に、ため息を漏らす。
ただ、それが自分を責めるものだと錯覚した鈴仙は、耳を垂らしてシーツを力一杯握りしめた。そしてすぐに診療所を出ようとベッドから身を翻し……
「え?」
かくり、と。膝を折って前のめりに倒れる。
それを予測していた永琳は床とぶつかりそうになる鈴仙の体に腕を回し、支えてやった。
「一日中てゐを探し回ったのでしょう? そんな疲労が蓄積した体でどうしようというのかしら? あなたの再生力でも、あと数時間は安静にしておく必要があるわ」
「でも、てゐが……てゐがっ!」
「あの子も記憶を失いながら竹林を進んでいる、もしかしたら、迷っているかも知れないわね。もしくは、自分から迷おうとするとか……何にせよ、一人で竹林を探しても無駄だと思わない?」
「……それは、そうですが。師匠も姫様もあまり詳しくないでしょうし」
もちろん、鈴仙だって馬鹿ではない。
てゐを探している間、誰かに助力を頼もうと思った。でも他の二人がどうしても構造に詳しいと思えなかったから、結局強がってこんな時間まで捜すこととなってしまった。
それを言いにくそうに上目遣いで返す弟子の額、そこをこんっと軽く握り拳を作って叩いた。
「私は、あなたに、妖怪兎たちの何になるようにと命令したかしら?」
「しかし、妖怪兎はてゐの命令しか……」
「それを何とかするのがあなたの役割でしょう?」
確かに、妖怪兎たちは竹林に詳しいものが多い。
それでも、余所者のレイセンのことについての認識は、てゐの友人くらいで命令を受け入れる者などほとんどいないのが現状だ。
しかし、永琳の言うとおり、兎たちをまとめないとてゐの居場所を早期に見つけるのは難しい。
「わかりました、師匠、やってみます」
「その意気よ、うどんげ。今日はここで休みなさい、栄養剤も投与しておくから」
「はい、ありがとうございます」
鈴仙をもう一度診療所のベッドに寝かせ、栄養剤を飲ませる。
もちろん、少量の睡眠薬入りの。
それに気付かず一気に飲み干した鈴仙は、しばらくして安らかな寝息を立て始めた。
「こうでもしないと、今日のあなたは眠らないだろうしね」
何度も鈴仙の顔の前で手を揺らし、瞳孔をチェック。起きていないかを再度確認した永琳は机の中から分厚い書物を取り出すと。
何故か窓から外へと投げ捨てる。
「あら、ちょっと手が滑ったかしらね」
わざとらしい声を残し、静かに眠る弟子の横の椅子に座ると。愛しそうにその額を撫でた。
何度も、そっと。
◇ ◇ ◇
「私知ってるんだから! あなたたちがてゐ様をおかしくしたことを!」
鈴仙が説明を終えた後に戻ってきたのは、冷たい言葉だった。
しかもてゐの状況を妖怪兎たちに説明していなかったせいで、あらぬ噂が生まれてしまっている。
「そうじゃないの。私たちはてゐを混乱させてはいけないと思って内密に動いていただけ。おかしなことをするためじゃない」
「信じられないよ、私たちにずっと内緒にして!」
餅つきの会場である中庭、そこでは本番の夜に向けて兎たちが準備をしていた。
てゐが事前に説明をしていたせいか、昨日のうちにほとんど大まかな準備は完了しており、後は餅米を炊くだけ。
仕事が一段落すると、やはり話は昨日から姿を見せていないてゐの話で持ちきりだった。そこでタイミング悪く鈴仙が現れたものだから、いきなり怒声が襲いかかってきた。
「変だなって思ってたよ、私だって! てゐ様、最近お疲れだったみたいで座ってるばかりだし、話しかけても無視されること多かったし! でも、今更そんな忘れる病気だって言って! 何の嫌がらせよ!」
「だから、嫌がらせでも何でもないの! とにかく今はてゐを探すのに協力して! 取り返しが付かなくなる前に!」
怒鳴り声に乗せられ、ついつい鈴仙も大声で返してしまう。
しまったと思ったときにはもう遅い。
「やっぱり、そうやって誤魔化してこき使うつもりなんだ!」
「新入りの癖に!」
妖怪兎たちの怒りを余計にヒートアップさせてしまった。
なんとか怒りを静めようと、優しく声を掛けても焼け石に水。聞く耳持たず、我先にと叫び続けるばかり。杵を手に持ち、鈴仙に襲いかかろうとする素振りの者もいるくらいなのだから。
「お願いだから、私の話を聞いて!」
「うるさい! あっちいってろ!」
と、そのとき。一人の興奮した妖怪兎が、行動に出た。
手に持つ杵を振りかぶって、廊下に立つ鈴仙に向かって走り出したのだ。
真っ直ぐに血を蹴り、大きく跳ね。
無防備な鈴仙へと振り下ろそうとする。
「てゐ様を、返して!」
その兎は、てゐを特に慕っていた一人。
居なくなったという噂を聞いて、心を痛めた者の一人。
それ故、感情のままに繰り出される攻撃は読み易く。
避けることなど、容易い。
涙を溜めた瞳のまま、重力に惹かれて縦に震われた杵は……
軽く、身を翻した鈴仙に避けられ……
「あぅぅっ!」
「え?」
ゴヅッと。
避けられることなく……鈴仙の額に直撃した。
その勢いで廊下に全身を叩き付けられ、大きく跳ねたその体は、廊下に面する部屋のフスマを突き破り、畳の上に横たわる。
「……あ、え、わた、私っ!」
冷静さを取り戻した小さな妖怪兎は、杵を放り投げてフルフルと顔を左右に振る。てゐと色違いの真っ白な衣服の裾を掴み、小刻みに声を発した。自分が何をしたか、やっと理解したのだろう。
部屋の中でゆっくりを起きあがろうとする鈴仙を見つめながら、とうとう腰を抜かして廊下にへたり込んでしまった。
「そんな、つもり、な、なくてっ、ちょっと、脅かしたくて!」
鈴仙の能力は、その場にいる全員が知っている。
狂気、つまり人間の感情に関わる波長を操る力。
そんな鈴仙を本気で怒らせたらどうなるか、皆、理解していた。だから、彼女一人以外行動に起こさなかったのだ。反撃が怖くて、あくまでも杵を持つのは仕草だけで、会話で打ち切ろうとした。
「そう、それだけのつもりだったの?」
思い杵の一撃でも、妖獣である鈴仙にとっては致命的な一撃には成りえず。額に血をにじませるだけ。それでも、相手を怒らせるには十分過ぎて……
小さな妖怪兎は、すぐ近くまで歩み寄ってきた大きな影に怯え、身を固くした。
だが――
次の瞬間、その影がすぐ近くで膝を付いたかと思うと。
両手の指を廊下に付き、頭を下げた。
あの鈴仙が、土下座したのだ。
「今の状況を作り出したのは私の失敗かもしれない。だから、あなたたちが杵で叩きたいというなら、この身に受けても構わない。でも、いくら私を傷つけても良いから、てゐを探すのだけには協力して。私が気にくわない子もいるのはわかってるけど、今だけで良いの、今日だけは私の指示で動いて欲しいの。お願いよ……」
頭を下げたせいで、鈴仙には周囲の状況は見えない。
けれど、空気や音の流れで何が起きているかは判断できる。
鈴仙の態度に動揺したのか、近くにいた妖怪兎は慌てて廊下から飛び降り、そのまま足音が消える。
それを合図にしたのか、声を発することなくいくつも走り出すような足音が聞こえて……
静寂だけが、残った。
いくら待っても、新しい音がほとんど聞こえない。
聞こえるのは、竹林から聞こえる鳥や、獣の声だけ。
――逃げちゃった、かな。
鈴仙は、ははっ、と自嘲の笑みを浮かべて、瞳に涙を浮かべ廊下へと落とす。
その音を三つ、数えてから。
静かに体を起こし。
その光景に口元を押さえ、また、涙を零した。
「……命令を、鈴仙隊長」
先ほどの、攻撃を仕掛けた妖怪兎を筆頭に……その場にいる全員が、鈴仙の前で整列していたから。列の格好はお世辞にも整っているとは言えないのに、その瞳に宿る意志は全て同じ。
『てゐを見つけ出す』
その、たった一色に染まっていた。
鈴仙の意志が、妖怪兎たちに伝わったのだ。
「……ありが」
「お礼の言葉なんていりません、私は、てゐ様のためになるから動くだけですから! さっきのも、もう謝りませんから!」
私も、私も、と。
皆、てゐのため、と続く。
しかし鈴仙は、それでいいと素直に思った。
これだけてゐが慕われているのなら、彼女の居場所はここにしかないと再認識できたから。
鈴仙は服で涙を拭き取り、すっと凛々しく立ち上がる。
「わかった、じゃあ私の言うとおりに整列しなおして。そこの前の三人を残して、あとは均等に後ろに。並び終わったら、あなたの横にいる他の二人と班を作成して動いて貰うわ。三人一組の班で竹林の中を塗りつぶすように調べて、異変があった一人はそこに待機、一人は待機する仲間が見える範囲で周囲を捜索し、もう一人は私まで報告! 私はここで待機して、みんなの情報からてゐの居場所を割り出すから」
素早く班を組んだ妖怪兎たちが頷き、自発的に役割を割り振る。その動きが一段落してから、改めて鈴仙は竹林を指差し。
「さあ、東からしらみ潰しに調査を開始して!」
「はいっ!」
『了解』を示す掛け声とは異なるが、力強い返事。
それを満足げに聞きながら、鈴仙は小さな影たちを見送った。
鈴仙は、急作りの竹林図っをテーブルの上に広げ、その中に円を描きながら報告を待っていた。
いままで妖怪兎が調べた範囲とそこに残っていた手掛かり、それから潜伏範囲を割り出し、範囲を狭めていく。
そろそろ確定的な証拠を得られてもいい頃合なのに、まだ妖怪兎からの連絡はない。
焦るな、と自分に言い聞かせても、地図の上をコツコツと叩く指が止まらない。
永遠亭はもう闇に覆われ、空には満月が昇っている。
永琳が言う、薬の効果が生まれる時間帯も当に過ぎていた。
「てゐの記憶は、どうなってしまったというの……」
もし、記憶がすべて戻った状態で効果が生まれたのであれば、すぐにでも餅つきに戻ってきていいはず。ならばやはり、永遠亭のことを忘れてしまい、竹林を抜けてどこか別の住処を探しているか。もしくは、病状が急激に進行し……消滅……
「鈴仙隊長!」
「はぅっ!?」
最悪な過程を思い浮かべた瞬間、中庭から飛び込んできた妖怪兎の声が響き悲鳴を上げてしまう。怪訝な顔をする期間限定の部下の前で咳払いをし、報告するよう促した。
すると――
「てゐ様が残したと思われる竹の傷を発見! まだ付近にいる可能性が高いとのこと!」
「っ! どこっ?」
「ここ、ここです! 西の中央付近!」
指差された位置に、急ぎ丸を付け、行動予測範囲を示す円を描く。
そしてそれが他の調査範囲と浣腸しあった結果……
「てゐは、この前姫様と妹紅が戦い、竹林に被害を出した付近に潜んでいる可能性が高いわ! すぐに皆に知らせて!」
「はい!」
「私はあなたの班と合流する、他の班にはポイント『11-F』を包囲せよと。拠点もそこに移すわ」
地図を折りたたみ服の中へと携帯した鈴仙は、中庭を大きく蹴って満月の夜へと飛び上がった。
上空から一気に拠点に到着した鈴仙を待っていたのは、あの杵で襲い掛かってきた妖怪兎の班だった。
光が届かない暗がりの中で、待機役の人員のもとへと駆け寄れば、慌てた様子で一本の竹を指差した。
「ここに、てゐ様のものと思われる切込みが……しかも、その……」
「何か重要なメッセージでも……っ!」
指先が示していたのは、太い竹の胴体。
節と節の間に小刀で切り裂かれたような、カタカナ文字が彫られていた。しかもそれが示すのは……
『レイセン』
どう見ても、誰が見ても、鈴仙の名そのものだった。
彫られていても綺麗に、区切りがわかるその文字は大切に記されているのが理解できる。
「てゐ……」
それを見ているだけで泣きそうになる自分をなんとか押さえ、それ以外がないかを妖怪兎に尋ねれば、再びそこより少し先にある竹を指差した。距離にして、十歩ほど。たったそれだけしか進んでいないというのに。
『レィセン』
その文字は、少し歪んでいた。
『ィ』の部分がやけに小さく自信のなさが伺える。
そしてさらに、十歩ほど進めば……
『レィセン』
という文字の上から、なぜか二重線で消したような切り傷が生まれており。
胸騒ぎを覚えて、その先を進んで。
『ダレ? レイセンってダレナノ……』
鈴仙の胸が酷く痛んだ。
おそらく、てゐは定期的に自分の記憶を探るため、頭の中にある名前を竹に彫ったのだろう。それが偶然『レイセン』で、しかもその名前が、わからなくなってしまった。
だから前の竹を見直しに戻って……
困惑して、消そうとした。
名前の上をなぞる事で、自分が書いたはずの文字を消そうと……
切り裂かれた名前の竹で動きを止めてしまった鈴仙を気遣い、待機命令中の妖怪兎が近付いて来る。それを音で感じ取り、一度だけこつんっと竹に額をぶつけ……
鈴仙は顔を上げた。
「この竹の切り傷は新しい、本当にてゐは近くにいるはずよ。記憶を多く失うということは、身体能力も低下するから」
進行方向は、竹を傷つけた順番に違いない。
後は、この傷が罠ではないことを祈って前進すればいい。そう思った鈴仙は、何かに気付いた。連絡役が鈴仙からの情報を流しているのは確かだ。そして待機命令を受けている妖怪兎はここにいる。ならば、もう一人はどこにいるのか。
付近探索は待機する者が見える範囲で行うべきと伝えたのに、何故姿が見えない。
しかも、後の一人は、てゐを特に慕っているはず。
だから発見まで命令違反するなど――
――まさか!
鈴仙は命令があるまで待機、と改めて指示してから文字が示す道の先を行く。あの兎が命令を忘れ、それよりも優先することがあるというのなら、まずそれは間違いない。
竹林独特の固い地面を蹴り、鈴仙は目的の場所に向かって進む。
妹紅の炎で焼き払われ、竹林の中で唯一空が望める場所。
満月の光が、淡い光の柱のように見える空間。
そこへ向かって、最後の一歩を踏み出したとき。
「てゐ!」
栗色の癖のある髪、子供と見紛うほど華奢な体、竹やぶの中で破れ汚れた桃色の衣服、そして、不思議そうな顔で鈴仙を見上げる妖怪兎。半径5メートルはありそうな光の柱の中で全身を淡く輝かせるその姿は、まさに月の使者にも勝る美しさと、愛らしさ。そんな小さな妖怪兎が地面の上に腰を落とし、その横からもう一人の妖怪兎が抱きついている。
何も言わず、ただ、幸せそうに。
「てゐ!」
再度名前を呼ばれた妖怪兎は、いきなり現れた鈴仙を見て目をパチパチさせてから。
『あぁっ!』
と、短く高い声を上げて微笑んだ。
そして、横から抱き付く一回り小さな妖怪兎の頭をなで始める。その手つきはまるで母親が子供をあやすようだった。
その光景に見とれていた鈴仙は次の言葉で、意表を付かれてしまう。
「よかった……」
微笑み続けるてゐが、そう言ったのだ。
鈴仙と、抱き付く妖怪兎を見て、満足そうな笑顔を作ったのだ。
竹の文字から察し、てゐはほとんどの記憶を失っていると考えていた鈴仙の気持ちを高ぶらせるにはその一言で十分だった。
そして……
「この子、『てゐ』ちゃんって言うんですね。ほら、『てゐ』ちゃん、怖がらなくていいよ、お姉さんが迎えに来てくれたからね」
「……て、ゐ?」
「……てゐ、様?」
後に続いた言葉は、鈴仙と妖怪兎を地獄に突き落とすには十分過ぎた。
驚愕に目を見開く二人の妖怪兎を前にして、てゐはきょとんとした顔で周囲を見渡す。まるで、別の誰かを。『てゐ』を探す仕草を続ける。
「あの、失礼ですが誰か別の方をお探しですか? ここには、私とあなたたちの三人しか居ないようですし」
困惑し、助け舟を求める視線。
その柔和な表情の、なんと苦しいことか。なんと悲しいことか。
一瞬でも奇跡が起きたと思ったこの期待感を、どこに捨てればいいというのか。
「な、何言ってるの! おかしいですよ、てゐ様!」
どう足掻いて覆らない。
明確な現実を見せ付けられても、小さな妖怪兎は引き下がろうとしない。
てゐの前に自分の顔を持ってきて、もっとよく見てと訴える。
しかし、抱きついたまま必死で体を揺さ振るのは、少し体が大きいだけのてゐには耐えられず。痛みで顔を歪めてしまう。
「痛っ! 暴れないでください……膝が地面とこすれて……」
「……は、ははは、こ、こら、迷惑をかけちゃ駄目でしょう!」
「何するの! 離して! てゐ様、てゐ様!」
鈴仙が後ろから抱えて引き離しても、その手は必死にてゐを求め空中を彷徨う。
悲壮的な光景に罪悪感を覚えつつ、鈴仙はなんとか二人を引き離し、ちょうど鈴仙が入ってきた場所まで戻った。
その間も胸に抱きかかえられた妖怪兎はてゐの名を呼び、啜り泣きを続けていた。
「すみません、どうやら、知人と間違えてしまったようでして……失礼を」
「あ、そうでしたか。でも、そのお方はとても立派な方なんでしょうね、そんな小さな子にまで愛されて」
「いえ、少々悪戯が過ぎる、元気の良い奴です」
「まぁ、羨ましい。私、妖怪兎の癖に思うように体が動かせなくて、虚弱体質なのかもしれません」
ころころと、手を口に当てて微笑む姿はまるで別人。
いや、別人だと思い込みたいのかもしれない。
本物のてゐは、別な場所にいて。
この人は他人の空似。
よし、じゃあ気を取り直して別な場所を探そう!
なんてね。
そんな馬鹿げた空想に浸りたくなるほど、目の前の出来事は残酷で……
「体が弱いと、普通頭くらい良いって言うじゃないですか。でも、そうじゃないみたいで。私、どうやってここまできたかとか、全然覚えてないんですよ。困りますよね、トロくて頭脳指数ゼロですよ。生存競争する気あるのかと自分で自分を叱りたいくらいです」
薬の効果で固定されてしまった『てゐ』は、昔の面影なんてどこにもなくて……
「名前は、ないんですか?」
「そうですね、個別の呼び名というのは知りません。妖怪兎、じゃ駄目ですか?」
「でもそれじゃ、仲間の間の呼び合いに困りません?」
「それもそうなんですけど、仲間がいるのかさえわからなくて」
「そう、ですか……」
月明かりの下で苦笑いする『てゐ』には、何も落ち度なんてない。
それなのに、ぶつけようもない苛立ちだけが鈴仙を満たしていく。
「じゃあ、出身地の参考になるかもしれないので、少し質問させてください」
「あ、はい、そういったものなら喜んで!」
声も体も、てゐと同じはずなのに。
中身だけがすべて別物にすり替えられた。
それを確かめるために、鈴仙は身を削る思いで単語に関する質問をぶつけていく。
「永遠亭、はわかります?」
「……んー、人間が使う店の名前でしょうか。亭が付くのでご飯が食べられそうですね」
「八意は?」
「神様のことですか?」
「……輝夜は?」
「あ、知ってます。おとぎ話の!」
冗談は止めて、と。
答えが返ってくるたび、鈴仙は怒鳴りそうになる。
あくまでもてゐは真剣に答えているのに、空しさだけがその場を埋め尽くしていく。
もう駄目だと、心の中では思いながらも最後にもう一つだけ、尋ねた。
「鈴仙・優曇華院・イナバという言葉は?」
諦めつつ声にする。
だが、その言葉を聞いた直後、てゐの耳が大きく跳ねた。
そして再び何かを探すように、周囲を見渡し始めて……胸に両手を当てる。
「なんだか、懐かしい気がします。なんなのかわからないのですが、懐かしい。もしかしてお名前か何かでしょうか」
「ええ、たぶん」
「もしかしたら、小さい頃のお友達の名前かもしれません。思い出そうとするとなんだか胸が苦しくて」
ここにいる、と言い出したかったが。
それができない。
今のてゐを壊してしまいそうで、どうしても自ら名乗り出ることはできない。
その勇気のなさが、再び彼女を追い詰めた。
「きっと、鈴仙さんと、優曇華院さんと、イナバさんの三人と私は、とても素晴らしい関係だったんじゃないでしょうか」
友達と言われて、わずかに喜びを感じた胸が。また押し潰されそうだった。
目一杯の幸せそうな笑顔で、いもしない三人の『鈴仙』を呼ぶ姿をどうしても直視することができない。
目を目を合わせたら、きっと涙を止められなくなるから。
「わ、わかりまし、た。も、もしよろしければなのですが、この近くに妖怪の住む大きな屋敷があるので、そちらで一休みしませんか?」
「ええ! いいんですかっ! ありがとうございます、こんな見ず知らずの私に親切にしていただいて!」
「同じ、妖怪兎仲間じゃないですか……気に入っていただいたら、一緒に住んでいただいても構いませんし、仲間が増えるのは私たちも、うれし、くて……あ、すみません、ちょっと失礼します……」
抱える妖怪兎の泣き声につられ、とうとう耐え切れなくなった瞳から頬へと一筋。
淡い光に輝く線が生まれた。
それを取り繕うため、鈴仙は慌てて手の平で拭い取りまた目を細めて無理やり笑みを作り出した。
「それじゃあ、お仲間になるついでに私のお願いも聞いていただけません?」
「なん、ですか?」
「そこの竹の枝に荷物を掛けたんですが、私、そのときに足を挫いてしまいまして、情けないことに立てないんですよ。ですから、代わりに……」
「はい、それくらいなら大丈夫ですよ。あ、あの桃色の手提げ鞄ですか?」
「ええ、お願いします」
確かに、奥の竹林の手前、その枝の先に鞄が掛けてある。
鈴仙の頭より少し高い程度の、立つことができればなんでもない高さではあるが、座ったままでまず届かない位置だ。
沈んだ気分を振り払い、これが新しいてゐとの一歩目だと自分に言い聞かせ、鈴仙は力強く足を踏み出し。
ずぼっ
「え?」
足が、はまった。
綺麗に、太ももまで。
そう思っていたら、周囲の地面に亀裂が入って。
「えぇぇぇぇぇえええっ!?」
悲鳴と土の崩れる音が響いたあとには、二つのドスンっという尻餅の音が重なった。
何が起きたかわからず、痛む腰をさすりながら鈴仙と、妖怪兎が体を起こしたら。ちょうどその落とし穴の壁面に、こんな張り紙があった。
大きく、わかりやすい字体で。
『ウソうさ♪』
と、書かれた紙が……
――え、嘘?
何が嘘なのか、それすら整理できない鈴仙の頭の上。
満月が見える空を遮るように、満面の笑みを浮かべたてゐが穴に落ちた二人を覗き込んでいて。
「鈴仙も、すゑも、まだまだ甘い。私の演技にころっと騙されちゃうんだもんね。その結果が何? 満月の夜に餅つきじゃなくて、尻餅つき? あっはっはっは、おっかしぃ~♪」
整理しよう。
鈴仙は、額に指を一本当てて、今の言葉の意味を考え直す。
――えっと、この子って『すゑ』って名前だったんだ、って情報はどうでもいいとして。
何? 嘘? 今、確かにてゐは名前を簡単に呼んだし、覚えてるってこと?
じゃあ、今までああやって知らない振りをするのは全部演技?
あの竹の名前も、全部このための布石――
「いやぁ、大変だった。今夜になって急に頭がすっきりして永遠亭に戻ろうとしたんだけどさ、なんだかみんな私をすごい形相で探してて、怖くなってね。妙ないたずらでもしたかなぁって不安になって。だから記憶無くした振りしていろいろ聞こうかと思ったんだけど、気にするほどのことがなかったからネタ晴らしってわけよ」
「へぇ……振り、でしたか、てゐさん?」
「騙したんですね、てゐ様?」
「んふ~、そゆこと♪ でも、いいじゃない。餅つきの替わりの運動になって。私もなんだか生き返った気分だし」
そうやって穴の淵で立ち上がり、大きく伸びをする。
そんな達成感溢れるてゐの足を、いきなり何かが掴んだ。
「ほぅ、生き返ったんなら、もっかい地獄に落ちてみようか♪」
「私もお手伝いしますね♪」
しかも、両足首。
恐る恐るその地獄の穴の中を見やれば、口元をにんまりと歪めた亡者が二体。
冷や汗を流すより先に、小さな体はあっという間に闇の中に引きずり込まれた。
「しぃぃぃねぇぇぇぇっ!!」
「あ、いや、ちょっと待って! 頭グリグリとか無理! 反則! いた、いたたたたたたたたたっ! ごめん、わかった、わかったから、私の言葉を聞いて!」
「往生際が悪いわね! 何よ、今更!」
「えっと……ウソうさ♪」
「…………」
「…………」
「4倍だあぁぁぁぁぁぁああああああ」
「4倍はだめぇぇぇぇぇええええええ」
悲痛な悲鳴が夜空に吸い込まれていき、そのあまりの声に星が瞬き驚いているようにも見える。
そんな悲鳴が、半刻ほど続いた後。
「ねえ、これってさ、飴と鞭?」
「うるさい、黙って乗っときなさいよ」
竹林で何も食べずに行動していたため、歩くのもやっとだったてゐを背負い。鈴仙は帰路についていた。その周囲を妖怪兎たちが取り囲み、てゐの悪口をぶつぶつとつぶやいている。
まさに、精神的には鞭で、肉体的には飴。
「でもさ、本当に私が記憶喪失だったなんて。不思議なこともあるもんだね」
「ねぇ、本当に自覚とかそういうのないの?」
「え? いつの?」
「……まあ、いいけどね」
穴で折檻された後、事情を残りの妖怪兎に説明して捜索を止めさせたところ。全員が顔を真っ赤にして怒り、これからは絶対にてゐ様に悪戯させないと意気込んでしまった。その結果がこの周囲を覆う鉄壁ガードであるのだが、その効果がいつまで続くかは謎である。
そんな光景を見ていると苦笑しか出てこないわけで……
結果、奇跡的に記憶が戻ったのに、素直に喜べない。
「ねえ、鈴仙」
「ああもう、何度も何よ」
「ちょっと気になったんだけどさ、私たちって、初めて会ったときちゃんと挨拶してないよね?」
「そう、だっけ?」
「ほら、鈴仙泣いてたって」
「……忘れて、お願いだからそれだけは忘れて」
「んー、無かった事にしてもいいんだけどね」
「え、ホント! って、こら! いきなり背中蹴らないでよ」
おんぶされていたてゐが、鈴仙を足場にして宙返り。体力が戻っていないせいでふらつく着地になってしまった。小さな失敗を照れ隠しするように、鈴仙が振り返るのを見計らって舌をぺろっと出し、手を後ろに組む。
「なしにしてあげる代わりに、今、もう一度『はじめまして』しようよ」
「何でいまさら?」
「あれ? いつまでも泣き虫エピソード引きずっていいの?」
「うぐ、わ、わかったわよ。挨拶すればいいんでしょ、まったくもう」
二人は、妖怪兎がじっと見つめる中で適度に距離を取り、顔を見合わせる。
そしてどちらも、ちょっと照れくさそうに頬を赤くして。
「はじめまして♪」
「は、はじめまして」
声を揃えて、可愛らしくお辞儀した。
たったそれだけのことなのに、てゐは何故か本当に嬉しそうで。
その姿は、鈴仙が何か裏があるんじゃないかと疑いたくなるほど。
そして再び鈴仙の背中に飛び乗ったてゐは、鼻歌を竹林の中に響かせて永遠亭へと思いを馳せる。
満月が、竹林の上から静かに見守る中で……
そして、黒い羽を持つ人影が、もう一つ。
「……なんと、優しく、残酷な選択を」
静かにじゃれ合う兎達を、竹林の隙間から見下ろしていた。
その胸に、『てゐにまつわる永遠亭のすべて』という書物と、
仲の良さそうな四人の姿が、診療所前で並ぶ記事を抱きしめて。
これから永琳は鈴仙とてゐを見るたび罪悪感に押しつぶされそうになるのではないかと心配です。
死にネタはよくあるけどこの切り口はおもしろい
永琳はどんだけ背負ってるんだ……
とにかくすごいと思いました。面白かったです。
もうちょっと楽に生きて下さいよ……
話の出来は最高でした
なんせ調査範囲が人前で出来ないことしてますから。
えーりんが何かをてゐに投げつけたのは気づいたけど、それがまさかこんな結末に繋がるとは……
新しい切り口につい夢中になってしまいました。
・沢山の妖怪兎を、短時間で見分けられるようになるのか?
素点が100点、違和感で-5点。四捨五入して100点です。
そんな私にとってこのお話は強烈でした。
こんなにも優しさあふれるお話はなかなかありません。
だからこそ切なくて切なくて…本当に感動しました。
探しに来た鈴仙たちの姿に、「演じる」決意ができたのかも、と。
素敵な幻想でした。やるせない芯が残りますけど、彼女たちならなんとかしていくだろうと、信じる気持ちになれますね。
悲しく優しい奇跡ですね
永琳の罪悪感もそうですがてゐの記憶にない自分を偽っていくことを
思うとそれだけ鈴仙たちが必死だったとも取れますし
とても感情移入が出来た作品です
何か文がすると思っていましたが最後の優しい嘘が明かされて
数年ぶりに涙がこぼれてしまいました
とてもよい話でしたがあまりにも誤字が多く、それだけが残念でした
何故ならば、薬はねぇ···使い方を誤ればただの毒なんですよ。
必ず、違和感を感じるときが来るはずなんです。
その時が来る前に···天才が因幡を殺すかもしれないですけどねぇ?
「弟子馬鹿」この言葉がどこまでを意味するのかによりますけどね。
で、事態の恐ろしさに気づいて戦慄しました…(´;ω;`)
きっと「てゐ」も悩んだ末の決断だったんだろうなぁ…。
「(今からの自分は)うそウサ」
「決まってるじゃないですか、心に…ですよ。」って思わず言いたくなったというのは別の話…。