Coolier - 新生・東方創想話

宵闇と御札

2010/08/20 23:41:29
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 朔(さく)の日を、朔日(ついたち)と言うそうだ。夕刻の頃、私が宵闇をまとった姿で人間の里上空をふよふよ飛んでいた時に、それを耳にした。
 ついたち、とは一日の事だろうか。なら次は二日、それから三日……と考えて、変な数え方をするもんだと思った。最初だけ読み方が変だ。ひとか、と読めば順当だろうに、それをわざわざ、ついたち、と読むなんて人間はいかにも天邪鬼だ。
 そもそも人間は不便な考え方をする。天道がぐるりと周って一日という単位らしい。たったそれっぽっちの刻限を計って、何がどう変わるんだろう。寝て起きてすっきりするくらいなもんじゃないかしらん。赤児が二つの足で立ち上がるのだってそう早くはあるまい。

 してみると人間などは、実に短気な生き物だと思う。人間の諺に、短気は損気というのがあるらしい。成程そうして見れば、誰も彼もがせこせこと生き急いでいるように見える。皆短気だ。けれど別に厭な感じには見えない。むしろ小動物と同じで可愛いもんだと思う。

 まあ私としては、人間が天邪鬼で小動物的なのは結構な事だ。だからこそ人間は私達を怖がってくれる。居もしない、在りもしないはずの妖怪を、居るとして、在るとして勝手に怖がってくれる。要は天邪鬼で小動物的だからなんだろう。可愛いもんだ。


 さておき、今宵は朔で今は丑三つ。私達妖怪にとっては、月一の食事の刻限だ。人間が食えるので嬉しい。


 昨今の幻想郷は平和だそうだ。確かに私などもスペルカアド・ルウルというやつを覚えてからは、専らそれで人間を襲うようになった。人間も人間で、まあごく一部だけれど、同じようにルウルに則って妖怪退治をするらしい。
 これがなかなか単純明快で面白い。少なくとも昔のように、複雑に魔除け厄除け妖怪除けで攻め立てられたり、怪奇に化物づくしで襲ったりするような気苦労は無くなった。誰が考え付いたか知らないけれど、面白い事を提案する奴も居たもんだ。

 ただそのためか、見当違いをする輩というのも最近目にするようになった。曰く、最近の妖怪は人間を食わないらしい。そんな事はない。現に私なんかは、人間が好きで好きで思わず食ってしまいたくなる。
 人間と妖怪は明確に違う。来し方から行く末まで、そこが変わる事は決して無い。
 そのうえで、妖怪はやはり人間を食う。そうして人間は妖怪を退治する。その点においては、いくらスペルカアド・ルウルが面白い決闘方法だからと言って、決して相容れやしない。それが妖怪と人間との理なんだから。

 本当に人間は可愛いもんだ。恐れを知るくせに、短い間でそれを忘れたりする。だから妖怪は人を食う。人は妖怪に食われる。実に結構な事だと思う。


 そんな事をつらつら考えながら、私は人間の里から冥界へ続く「はずの」道境へと降り立った。朔日なので宵闇はまとっていない。
 今夜はここで食事をする事に決めていた。人妖の境界となる場所で、ここいらは穴場に違いないと前々から目星を付けていた。幸いにして他の妖怪も見あたらない。今日は誰に邪魔をされる事もなく、思う存分に人間を飲み込んでやれそうだ。

 幻想郷には幾つかの「境界」が点在する。不思議な事に朔の丑三つになると、何処からともなくそうした場所に人間がやって来る事がある。迷い人にしては、いささか妙な場所に出て来る。捨子か何かかと思えば、良い年をした大人さえ現れる。
 まるで神隠しにでも遭った先がここだった、という具合に、そうした人間は夢現(ゆめうつつ)でふらふらとしている。実に不思議だ。けれどそんな事は別にどうでも良い。重要なのは、私達妖怪にとってそれが「食べても良い人類」という事だ。

 幻想郷に住む人間は、原則食ってはいけない事になっている。だから私達妖怪は、そうした幻想郷に「居ない」人間を食うことにしている。見れば解る。嗅げば判る。「食べても良い人類」は、見て呉れからして、匂いからして違う。

 ただ毎回そうした人間に有り付けるかと言えばそうでもなく、実際食いっ逸れる事の方が多い。何処に現れるのかがよく判らないのだ。
 点在する「境界」は様々な場所にある。目に見える境界は、例えば人間の里の門だったり、辻境だったり、山だったり。そうした場所には大概小さな祠があったり、地蔵が立っていたり、木石に注連縄が張られていたりして実に判り易い。──ただそうした場所は、判り易過ぎて駄目だ。単純に目立つ。
 理想的なのは、何も無い「境界」だ。ここは獣道のような細い小径で、冥界へ向かって延びた道が途中でぷっつりと途切れている。そこから先は雑草の生い茂る原っぱだ。道も何もあったもんじゃない。そこを苦も無く歩けるとすれば、それは妖怪だ。

 見た目だけでは判らない、人妖の境界の場所。そうした場所は、妖怪でなけりゃ判らない。そしてそうした場所に限り「食べても良い人類」が現れる。何やら作為的な感じも否めないけれど、まあどうであれ上手くいけば食事に有り付けられるんだし、良しとしよう。
 さて何処に隠れて様子を見ようか。辺りを見回し、手頃な草陰に目星を付け、そちらに潜んで食事が来るのを待とうと思って──

「ねえルーミア。今日はここに人間がやって来るのかな」

 肩越しに声をかけられて、吃驚して足を滑らせ、草むらに顔面から突っ込む羽目になった。




◇◇◇◇◇◇




「アラ。声かけてやったのにお尻向けるなんて失礼な奴」

 勝手な事を言う。誰のせいでこうしていると思っているんだ。とはいえそうしていても始まらないので、頭を振って立ち上がる。目に埃が入ってしまって少し痛い。頭に付いた枯れ草を払い、砂土で汚れた顔を袖口で拭って振り向くと、夜雀の怪──ミスティア・ローレライが、妙なものを見る眼差しでこちらを伺っていた。

「……び、吃驚したあ。妖怪を驚かすなんて不届きだ。こらミスティア、何だって私を驚かしたりするの」
「何って、勝手に驚いたんじゃない。私ずっと付いて来てたのに。人間だって夜雀に憑かれれば気付くわよ。鳴いて報せてあげるんだから。狼居るよ、山犬居るよ、ちん、ちんて」

 そう言い、ちんちんと鳴いて見せる。
 夜雀は音の怪といわれる。ちっ、ちっ、ちっと雀のような鳴き声をして、前から後から付いてくる。姿は無い。ただ、音だけがする。そういう妖怪だ。

「ふうん。けれど厭に品の無い鳴き方ね。ちんちん鳴くの」
「そうじゃないよ。こうね、もっと小刻みに甲高く、ちん、ちんて」

 ミスティアは若干舌足らずだ。本当は、ちっ、ちっ、ちっと鳴きたいんだろうと思うけれど、歌好きが災いしてか元々そうなのか、何だか鼻にかかって妙に間延びした声をする。だから鳴き声もちんちんとしか聞こえない。少し残念な子だと思う。

「どうでも良いけど憑くなら人間に憑けば良いでしょ。何だって私に憑いたの」
「ルーミアに憑いたんじゃないもん。ルーミアが私の前に居たんだもん。酷いよ、折角山犬に襲われないように守ってあげたってのにさ」
「うん、そうなの。それは有難う様。でもこのあたり人間の里が近いから山犬なんて」
「私が呼ぶに決まってるじゃん。夜雀ってそういうものよ」

 あっけらかんとして矛盾した物言いをする──ように感じるかも知れない、人間なら。けれど私達妖怪は、そうした矛盾こそ当たり前なのだ。


 夜雀は音の怪だ。けれどただ音がするだけでは怪異たる所以も薄い。勿論そうした音だけの怪異も例が無いわけじゃない──米かしとか、びしゃがつくとか。ただそれは、人気の途絶えた山野にあって人の立てる音がする──そうした「ありえない」音に対する違和感が怪異となるものだ。対して夜雀の鳴き声は、雀に似ているという。山野にあってそれは、特に違和感を覚えるものじゃあない。
 夜雀の怪異は、その音の後にやってくる。曰く、得体の知れない何かがまとわり付く感じがする。曰く、訳の判らない不安に駆られて足取りが重くなる。曰く、林間や岩陰の暗中において鳥目のように目がくらむ。曰く、狼や山犬が現れる──それらを総括して、夜雀は怪異といわれるのだ。

 夜雀は音の怪だけれど、場合によっては本当の意味で「人間を食う」妖怪だ。ミスティアの場合は、そうした形を取る事がすなわち「人間を食う」事なのだ。


「ややや、やめてよ。別に山犬なんて私はへいちゃらだけどさ、折角の食事が台無しになっちゃう」

 その食い方は、私には困る。ミスティアに彼女の「人間を食う」流儀があるように、私には私の流儀がある。
 よく他人からは人肉を食うんだろうと思われがちだけれど、別に人肉はそんなに好きじゃない。食っても良いんだけれど、まあ芋だの川魚を食うのと大差無いからあまりそういう事はしない。闇を操る私の場合、闇に怯える人間の心──恐怖の心が御馳走だ。

 ただ恐怖というものは、過ぎれば完全に人間を壊してしまうものらしい。あまりに反応の良い人間の心は、私には大御馳走なもんだから、完全に壊してしまう事もままある。それから後の人間の所在は、私は気にしない。その場で朽ちてしまうものか、失神して獣に食われるものか、気の狂れるまま自傷に走るものか。いずれ壊れた人間は、大概元には戻らない。それが為に、朽ちた骸を見て人肉を食うんだと誤解されたものかも知れない。

「む。そういえば人間を食べに来たんだっけ。ね、折角だし一緒に食べよ。一人で食べるより二人の方が楽しいじゃん。今なら無料で歌も憑くよ」
「要らないよそんな呪われそうなおまけ……はあ。んもう、折角の穴場なのになあ……ま、良いや。じゃあちゃんと手伝ってよね。今日はきっとここに現れそうなんだから」

 二人で食う方が楽しいかはさておき、確かに一人よりは二人の方が見落としが無いし、効率的だ。私は私で、ミスティアの食う分を残す程度に心を食えれば良い。それから後はミスティアにあげれば、後には何も残らない。まあ納得のいくところだ。
 それにミスティアの能力は、意外に私の能力と相性が良いかも知れない。ええと、目の前が真っ暗になるような歌を歌う程度の能力だっけ……いや違った。歌で人を狂わす程度の能力だ。心を蝕む彼女の能力は、私の御馳走に粋な調味料となってくれるのに違いない。

 上手くいくようなら、これからもミスティアと組んでも良いかもなあ。なんて取らぬ狸の皮算用も良いとこな考えで、私達は草陰に潜んで人間がやって来るのを待つ事にした。




◇◇◇◇◇◇




(ねえルーミア)

 隠れてから間も無く、ミスティアが小声で囁きかけた。もう何か見付けたんだろうか。
 きょろきょろと辺りを伺ってみたけれど、私には何も居るように見えない。傍らにミスティアの能天気な顔が浮いているだけだ。匂いも嗅いでみたけれど、夏の草むら特有の、雑草だの土砂が暑さにやられてくたびれたような匂いしかしない。

 となれば、ミスティアは何かしら人間を掴まえる妙案でも得ていたものだろうか。
 何たって彼女から行動を共にする事を提案したんだ。私は人間を待ち伏せて食おうと思い、こうして隠れた。だけれど、そういえばミスティアだって彼女なりの了見があって私に付いて来たものかも知れない。上手く行けば向後も宜しく付き合うべき相方だ、どんな意見でも拝聴してきっと損は無い。

 少し先走った考えを持っていた私は、そんな風に考えて返事をした。

(何)
(おなかすいた)
(うん私もおなかすいた)
(もうそろそろ人間来ても良さそうなのにねえ)

 たったの二言で前言撤回しようという気になった。とりあえずこいつは何も考えていないことだけは確かだ。

(あのねえミスティア。たった今隠れたばかりだよ。こういうのはおなかすいても、じっくり待たなきゃ)

 舌足らずの声と相俟って何だか可哀相に思えたので、そう優しく諭してやった。ミスティアは無邪気に目を輝かせて、幾度も頷き返した。




(ねえルーミア)

 しばらくして、また舌足らずの声が囁く。小声でも美声なもんだから、少しばかり、ぞくりとする。成程こうした声で歌われたら、人心も惑うものかも知れない。声だけを聞けば、私でさえ心が震えるような気がする。
 音の怪であるミスティアは、それだからこそ幻想的な声を持っている。妙な言い方だけれど、天性の妖怪なんだ。ふとした時にそう思わされるもんだから、なかなかに侮れない。そこへ私の操る闇が加われば、どんなに美味な人間の心が食えるだろう。実に楽しみだ。

(何)
(飽きた)

 ついに一言、たった三文字で前言撤回だ。こいつ邪魔。帰ってしまえば良いのに。

(……知らないよ、そんなの)

 もう放って置こうと思って、草むらから周囲の様子を伺うことに専念した。相方にしようなんて気も、もうこれっぽっちも無い。人間見付けたって分けてなんかやらない。これから何を言っても無視してやろうと思った。

「まっくら朔のぉー、宵闇妖ー怪ー」
「ば、莫迦っ」

 ばちん、と音を立ててミスティアの口を塞ぎ、力任せに頭を草むらの陰に忍ばせる。もがもが呻いてじたじたと暴れたけれど、そんなの知った事じゃない。
 大慌てで辺りを伺い、まずは人気の無い事を確認する。実際人気が無かったのは残念だけれど、それでもこの瞬間に人気が無くて幸いだった。人を食うどころか、これじゃあ良い笑いのたねだ。
 ほうと一息。ミスティアのじたじたと暴れるのが、ぽかぽかと私を叩くようになって煩いので、押さえ付けた口を放してやった。彼女の口元は綺麗な紅葉に色付いていた。

(いたあい。んもう、何すんのよ折角気持ち良く歌おうとしたのに)
(何すんの、ってこっちの台詞だよっ。何でいきなり大声で歌い出すのっ)
(えー、だって。飽きたら歌うのよ。ルーミアも歌お。まっくら暗ぁい、黒ぉい)

 ミスティアは、まるで現状を理解していない顔で子供じみた事を言った。そしてまた歌い出す。放って置けばまた顔を上げて大声を出しそうだったので、少し強めに、シイッと諫めてやった。

(何で一歩も歩かないのに今の状況忘れてるの……あのねえ。私はねえ、食事をしに来たの。静かにしてなきゃ人間にばれちゃうでしょう)
(あ、そうそう。おなかすいた)

 何も考えていないどころじゃあない。鳥頭だってこうも酷くは無いと思う。

 恐らくミスティアは忘れっぽいのとは違う。彼女は全く妖怪の在るべき通りに、今現在にしか価値を見出さないんだ。過去を語るのは妖怪のする事じゃない。それはそうだろう、人間にとってたった今起きた事が奇っ怪だからこそ、そこに妖怪を幻視するんだ。過去を語るのは、逸話だの怪談に任せておけば良い。
 してみると私の言動は、いささか妖怪らしくないって事になるけど……それにしたって、何も今そんな風に妖怪風を吹かせる事も無いだろうと思う。私は人間を食いにここに来ているんだ。それを邪魔されちゃ、たまったものじゃない。

(……ああもう。解ったから静かにしていてよ)

 そう言うと、ミスティアはまた無邪気に目を輝かせて首肯した。
 けれど、きっと静かにしてはくれないだろう。彼女の爛々と輝く瞳を見るにつけ、今夜は食いっ逸れる事になりそうな予感がした。




◇◇◇◇◇◇




(ねえルーミア)
(……)

 諫めて頷いたかと思えば、またこれだ。少しむっとして、しばらく黙っておく事にする。

(ルーミアったら)

 ミスティアはまるで意に介さない。私の左腕を掴んで、ぐらぐらと大いに揺する。たまに長い爪が脇腹を突いて、ちくちくする。
 ……残念な子というのは、本当に残念だから仕方無い。また大声を出されたりしても困るので、仕方無く応対してやった。

(んもう。今度は何なの)
(あのね、頭に付けてるリボン取って良いかな)

 対応してやればやったで、妙な事しか言わない。考えて出て来た言葉じゃないだろう。大方集中力に欠ける者の散漫な思考と視線が、この薄ぼんやりとしたモノクロオムの視界に、目立つ金髪と、更に一点異彩を放つ赤色の御札をとりあえずの拠り所としただけに違いない。

(何、突然)
(や、違うの。おなかすいたからリボン食べたいとかじゃないの。赤くて綺麗だから見てみたいの。お月様みたいな髪の毛の色に、赤い鬼灯(ほおずき)みたいで綺麗だなって)

 ほら。恐らくもうミスティアの頭の中には、食事の事なんて無いんだろう。それを肯定するように、彼女の視線は私の頭の上ばかりに注がれている。
 もっとも、先刻の通り妖怪らしいと言えば、らしい。妖怪には意味なんて無い。どんな風に振る舞おうと、どこまでも無意味なものが妖怪だ。ただ、怪しい。そうした化け物のコトだ。
 だからミスティアの一連の行動は、もし妖怪というモノが居れば、きっとそうした意味の無い事ばかりするモノなんだ、という事だ。

 ……ならやっぱり、私の言動は妖怪のそれとは違うのかも知れない。もちろん私のこんな考えなんか、まるで意味の無い戯言じみたものに違いない。けれど、なら妖怪じみているのかと問われたら。どうも違う、そんな気がする。
 じゃあ人間の考えに近いんだろうか、と思って、それもまた違う気がした。私は人間を食いにここに来ている。もうその時点で、少なくとも化け物と呼ばれるだけの資格はありそうだ。はて、そうすると私は何なんだろう。妖怪ではない化け物──そんな矛盾したモノなど、居るんだろうか。

 ふとミスティアを見ると、私が少しばかり沈思していたのが気に食わなかったものか、むっつりとして三白眼でこちらを見ている。問いかけた彼女に対して、少し失敬したかも知れない。
 私は少し視線を泳がせて、頭に手をやりながらミスティアに答えてやった。

(んん。これ御札だよ。残念だけれど、私これに触れないの。ほら)

 御札の有るはずの、頭の左上。そこに左手をぽんと添える。
 掌に返る感触は、さらさらとした髪の毛の感触だけだ。

(ね。私も水面なんかでこの御札を見るんだけど、触ろうとするとある筈の場所に無いの。御札が逃げちゃうの)

 ぽん、ぽん、ぽんと三度繰り返す。御札らしき、かさりとした感触はまるで無い。と言って、結われた御札が逃げるような、髪の引っ張られる感覚もまるで無い。するとあるいは、幻か何かなのかも知れないと思う。私だけでなく他人にも見えている、というのは何とも不思議な話だけれど。

(えー。そんな事ないよ。だいいちルーミア、全然見当違いの所触ってるよ。ほらここ)

 そう言って、ミスティアは私の頭に触れる。どうせミスティアも触れられはしまい。そう思っていると。


 かさり。


(……あれ。どうして逃げるの)

 草陰に隠れて腹這いのまま、思わず一間ほどミスティアから離れていた。

 何故そんな行動を取ったのか、私にもよく解らない。べつに御札だからと言って、妖怪変化の忌み嫌うような不可思議なエネルギイが迸ったとか、そういう変化が起きたわけじゃあない。
 ただ、そのかさりとした感触が、私には気持ち悪いほど生々しく──少し、違う。言葉にするのが難しい。体を直接、握り締められたような。そうかと思えば、体がとろとろと溶け流れてしまうような──表現には限界がある。ただ、とにかく私には何だか厭に感じた。

(え。や、いや……と、とにかく。気にしないでよこんなの。ほら、それより人間が来るかも知れないよ。見張ってなきゃ駄目だよ)

 そう言って、私はミスティアから少し離れたまま、草むらに潜んで人間が来るのを待つ事にした。
 彼女の視線は、未だ私の頭の上にある。それが何だか、私にはたまらなく厭に感じた。




◇◇◇◇◇◇




(──来た)

 さく、さくと足音がする。足取りはやや早い。狼狽え、慌てている心の表れだ。
 それに草土を踏む音は、弾力のある軽快な音をしている。人間の里では靴も流通しているけれど、革靴ばかりだ。それはもっと固く響くような音がする。後は草鞋や雪駄、下駄だけれど、草鞋ならもっと踏み締めるような、ぎゅっとした音になる。雪駄や下駄ならぱたぱたとやかましい。似たような音は裸足の場合だけれど、こんな暗がりに素足のまま、これだけしっかりと音を立てて草土を踏み歩く奴は居まい。
 これもまた、幻想郷に「居ない」人間の特徴だ。恐らくその人間は、ここいらでは見かけない珍妙な履物で来たのに違いない。

 そして何より、朔の闇夜で明かりも持たずにふらふらとしている。間違い無い。「食べても良い人類」が、私の狙い通りにここにやって来たんだ。

(ほら、人間来たよ。私から食べるんだからね、でもちゃんと残しておいてあげるからミスティアは少しだけ待って──)

 立ち上がりしな、ミスティアの方を向いてそう声をかける、と。
 向いたすぐ目と鼻の先に、腕を伸ばしたミスティアが見えて。

 ミスティアの右手に、古めかしい短冊状の、小さな御札があって。


 風が、ひょうと吹いて。




 かさりと。おふだがたなびいて。






 みすてぃあが めをみひらいて なにか くちを うごかし








「開けては駄目。それはタアロアの遺した貝殻なの」










 ────。




◇◇◇◇◇◇




 真っ暗。暗い、暗い。


 遥かな昔。私の中には、神様が住んでいた。神様は、私の固く閉ざす口を大きく開いた。
 半分は、天蓋に。後の半分は、砕いて島に。
 天蓋は、ルミアと名付けられたんだって。

 それが私か、って。そんな訳無いよ。
 私は、私。


 神様が嫌って残した、闇。




◇◇◇◇◇◇




 目を開けると、遥か向こうの山から朝日が差していた。山間は夏場でも朝靄が酷い。ゆらゆらと不確かな視界に、まだ昏く沈む野山があって、天道は靄ばかりを白く照らしている。
 はっきりとしない曖昧な視界に、ミスティアの心配そうな顔だけがはっきりと浮かぶ。そちらへ目をやると、彼女は安堵したようにひとつ息を吐いた。

「よ、良かったあぁ。このまま消えて無くなっちゃったらどうしようかって思ったあ。あのね、ごめんねルーミア、本当にごめんね」

 ミスティアは御免をしきりに繰り返すが、何だかよく解らない。何だかよく解らないので、少し整理をしてみた。

 状況からすると、もう闇夜を越して朝だ。確か私はここに人間を食いに来たはずだ。けれど、どうも満腹感は無い。してみると食いっ逸れたわけだな、と思う。ミスティアが謝るとしたら、彼女が食いっ逸れの原因なんだろう。
 ただ、どうして彼女に邪魔をされたものか、とんと見当が付かない。見当付かないのは仕方無いから、彼女に聞いてみるしかない。刹那を行く妖怪の代表みたいな彼女が、果たしてどれだけ理解しているか甚だ怪しいけれど、まあ聞いてみる事にした。

「……よく、覚えてないんだけど。ミスティア、私に何かしたの」
「うん。あのね。ごめんね。ルーミアが消えちゃうなんて知らなかったの。ただ私は、頭のリボンが見たかっただけなの。ごめんね」

 しきりに御免を織り交ぜながら支離滅裂に答えようとするので、一旦ミスティアを落ち着かせる事にした。とりあえず私は怒ってなんかいないから、何が起きたのか説明して欲しいと──実際のところ私はそんなに怒っていない。何が起きたんだか解らないんだから、何を怒れば良いのか解らない。
 人間を食い損ねたのは残念だが、残念なのと怒るのとは何か違う気もする。だからまあ、昨晩は運が悪かったんだ。誰のせいでもない。

 そうして私はミスティアに話を聞いた。ミスティアは相変わらず舌足らずで、話の方もあっちに行ったりこっちに行ったり、そのうえ意味不明な所で御免を繰り返すもんだから、たっぷり半刻程かけて聞くことになった。

 要約すると、ミスティアは好奇心に駆られて私の頭にある御札を解いたらしい。それは実に簡単に、するりと解けてしまった。途端今度は私が闇に溶けた……いや、私から闇が溶け出したんだそうだ。
 というのも、私は確かに薄れて消えた。けれど同時に、朔の闇夜でも僅かに見えていた色々な景色まで消えてしまったらしい。彼女は大慌てで御札を私に戻そうとしたけれど、その私ももう居なくてどう仕様も無くなったんだとか。
 そうして彼女が途方に暮れて頭を抱えていると、突然空を裂き、隙間から一匹の妖怪が出てきて私を集め直してくれたそうだ。

 ミスティアはその妖怪にこっ酷く叱られたらしい。けれどその内容はもう殆ど忘れてしまったというんだから、まあ実に能天気で呆れたもんだ。

「……んもう。だから気にしないでって言ったのに。そりゃ私も、そんな御札だなんて知らなかったけど。もう絶対止してよね」
「うんごめん。もうしないよ。隙間の妖怪さんにも怒られたもん。酷いんだよ、私を見ていきなり、ごちんって殴ったの。たん瘤が出来たよ。莫迦になっちゃったらどうするのよ」
「うんまあ。あんまり心配してないけれど」

 むしろ刺激になって良い効果が得られるかも知れない。そう呟いてみたけれど、ミスティアは特に気にもしなかった。もう少し刺激を与えても良かったのに。

「はあぁ。折角人間がやって来たのに、惜しい事したなあ」
「んん、ごめんってば。ね、おなかすいてたら、取っときの木の実あげるよ。川魚もあげる。最近八目鰻ってのが取れる川を見付けたの」
「いや、まあ良いよ。お互い運が悪かったんだよ。折角だから川魚は食べるけど。もう怒ってなんかいないよ」
「本当、良かったあ。もう絶対あんな事しないからね。隙間の妖怪さんも、結んであるものを無闇に解いちゃ駄目って言ってたし」


 それを聞いて私は、ああ成程、と思った。
 結んであるものを解いてはいけない──この御札は、貼られたり飾られたりしているんじゃあない。私に「結ばれて」いるんだ。それは結界だ。闇を穢れとし、外へ出さないための。

 私の体は常闇だ。何処までも深く、暗くて。私の髪は月光だ。闇を御し、闇に囚われて。
 私は、はじまりの化け物なんだ。

 ……何て言うと、いささか詩的で恥ずかしい気もするけれど。ただ私という曖昧な存在が、一体何なのかというものが見えたような気がして。
 私は黙ってしまった。


 闇、か。
 穢れとされ、忌み嫌われる闇。心を蝕み、心に巣喰う闇。光を呑み、光に生じる闇。朔日の夜に姿を晒す、朔日の夜と同じ闇。
 悪くは無い。実に妖怪らしい響きじゃあないか。けれど。

 ──本当の闇は、何も見えない。神様さえ耐え難い、寂しい所なんだ。

 それは私にとっても、寂しい事かも知れないと思った。
「ついたち」の語源は「月立ち」、新月からまた月が顔を出し始める初日なのだそうですね。それはともかく、ルーミアってどんな妖怪なんでしょう。そんな感じの小説でした。
。。。同様に、紅美鈴もどんな妖怪なんでしょうね。風見幽香あたりも。何か思い付いたら、またこんな小説を書いてしまうかも知れません。

毎度の事ながら、拙い文章で読者の皆様には毎度お目汚し失礼致します。
もし何事か思うところあれば、ご意見ご感想を頂けると、筆者が喜んでのたのたします。

http://mypage.syosetu.com/68221/
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コメント



0.830簡易評価
2.50名前が無い程度の能力削除
後半からパタパタと、ミスティアにテーマを言わせすぎているような気がします。もうちょっと堪えて溜めてもよかったかも
7.70名前が無い程度の能力削除
新しいな
8.80名前が無い程度の能力削除
正しく読み解くには知識が要りそう。あとミスティア可愛い
12.90コチドリ削除
>要は天邪鬼で小動物的だからなんだろう。可愛いもんだ。
……お前もな。

>たん瘤が出来たよ。莫迦になっちゃったらどうするのよ
……残念ながら手遅れサ。

本当はもうちょっと真面目なコメントをするつもりだったのに、
二人があまりにも可愛すぎてこのザマさ。つまり作者様が悪いのだ。

次は美鈴が幽香かもしれない? 期待させてくれちゃって、まったくー。
13.70名前が無い程度の能力削除
このミスチーUZEEEEEEEEEE!!!
ルミアの元ネタが神様とは初耳です。ぐぐってもそれらしい記述はなし…勉強になります。
会話のテンポは相変わらず良い。二人とも歌っているようです。すらすらと読めました。
15.無評価削除
皆様ご感想ありがとうございます。

>2 様
ううん、そう感じられましたか。短めに抑えると構成が難しいですね。今後は少し気を付けて執筆しようと思います。

>7 様
新作ですもの(違 小説などであまり見ない解釈と思われたら狙い通り。とても嬉しいです。

>8 様
書かれた通りにお受け取り頂ければ大丈夫かな、と思います。その上で筆者は、皆様それぞれ抱かれた感想が正解なんだ、などと思ったりします。

>コチドリ様
このルーミアが可愛いと思った貴方は筆者と同類なのだと思うのです(ぉ 美鈴や幽香は、も少しお待ちを。特に美鈴、考察が纏まらないのん。。。

>13 様
だって夜雀ですもの。
参考: こちらの六枚目画像 ttp://plaza.rakuten.co.jp/ryugekihou/diary/200804200000/

ルミアの元ねたは、こちら↓の神話から、と考察されている方もいらっしゃるようです。筆者もその説を採用させて頂き、追考致しました。
参考: ポリネシアの神話と伝承 ttp://www.legendaryhawaii.com/poly/pol06.htm
23.100名前が無い程度の能力削除
この二人でこの雰囲気。
すばらしい。胸を撃ち抜かれました
24.100名前が無い程度の能力削除
怖すぎるでもなく、優しすぎるでもなく、妖怪の理想郷たる幻想郷の雰囲気がすごい好みです。
ていうか、二人ともかわいすぎるわ。