――明日は晴れだね。
あら、そうなんですか?
全く、嫌になるね。
お得意の運命ってやつですか?
長年の経験よ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「……という訳で、これが幸運をもたらす壺です」
「そうね。要らないわ」
目の前に突き出された壺を叩く。振るった右手の手のひらに冷たい水に翳したような感覚。
軽快な音を響かせるそれはまるで太鼓のようだ。
きっと目の前にある頭を叩けば同じような音がするような気がする。
力は加減していたが案外に軽いものだったようだ。少し悪い気もするが、やってしまったものは仕方ない。
予想以上に衝撃が伝わったのか、壺が彼女の手から零れ落ちそうになるのを見ながら、組んでいた腕を解いた。
「うわっ……ちょっと、落としたらどうするんですか」
「どうもしないわ」
ばっさり、と言うのが似合う程に簡単に言い切る。
残念ながら全くと言っていいほど興味がないのだ。
わざわざ訪ねて来たかと思えば、胡散臭い代物の解説を始められた。
その時点で、早々にお引き取り願いたかったのだが、流石にそれは気が引けてしまって今に至る。
大体、この館で「運」がどうのこうのと言うのがおかしいのだ。
主の能力を考えれば、選択肢から除外されて然るべきだろう。
「……言ったじゃないですか。これは――」
冷めた私とは逆に熱心に語る彼女。
どうやら、無関心な私の態度が火を着けてしまったようだ。
実に面倒だ。
次々に発される言葉を片耳から片耳へと抜け流す。
彼女曰く、今なら半額でお買い得だそうだ。
残念ながら、微塵も購入意欲は湧かない。
どうやって追い返したものか……
髪越しに頭を押さえる。
「まず、何この壺に巻き付いてる縄。これがまず悪趣味ね」
ここに持ってくれば、何でも買い取ると思うのは大間違いだ。
「縄じゃなくて蛇です。さっき言ったじゃないですか。いいですか――」
再び訪れる熱い言葉達を無視して流す。
その時、彼女の腕に見慣れないものを見つけたのだった。
きらり、と輝く何かはすぐに袖によって隠されてしまう。
一瞬だけ現れた光は太陽のように私の目に焼きついて、その奥のその奥の好奇心の蝋燭に火を灯すのだった。
「……ちょっと、聞いてますか?」
袖口に気を取られ過ぎたせいか、怒り半分呆れ半分といった感じの声が向けられる。
「んー、嫌でも一割くらいは頭に入って来るわね」
彼女は短く溜息を吐く。
こっちの方が溜息をつきたいくらいだ。
危うく愚痴が零れそうになったが顎に手を当てて堪えた。
「あなたのところって、こんな如何わしいものを押し売りしないといけないくらい貧しかったの?」
「いえ、そんなことはないですよ」
「なら、どうして?」
まあ、どうせ碌な理由ではないのだろうことは容易に予想可能だ。
「実はこの壺。要らないから捨てるよう頼まれたんですけど……」
「けど?」
「勿体無いな、と思いましてね。小金にでもならないかなと……」
自分で言っておきながら、乾いた声で小さく笑う彼女。
私も、どうせそんなところだろうと思った、と返しながら笑ってやる。
二人でしばらく笑い合った後、私はやれやれだと首を振る。
彼女は黙って後頭部を掻くのだった。
そして、ちらり、と見える手首。
太陽の光を浴びて輝くその腕は十字の星を飛ばす。
私を照らす小さな太陽は心の大地に恵みをもたらしてくれるような気がした。
「……ねえ、さっきから気になってたのだけど、その手首のは何?」
彼女は頭にあった手を一度降ろす。
それから改めて、右手を目の高さまで持ち上げるのだった。
「ああ、これですか……所謂、ビーズアクセサリーって言うやつですよ」
飾り気のない私には残念ながら聞いたことも見たこともない代物だ。
「昔私の周りで流行ったんですよ」
へーそうなの、と気のない返事をすると、向こうも、そうなんですよ、と投げやりな感じに返してきた。
雨でもないのに、小さな虹の輪を生み出すそれは、彼女が腕を捻る度に様々な色の光を放つ。
「この間見つけて、懐かしかったので着けてみたんです」
どうぞ、と彼女は腕輪を外すと私に手渡してくる。
折角なので着けさせて頂くとしようか。
手のひらを窄めて輪の中を通す。
見掛けはさほど大きくはないのに、身に付けてみると案外、存在感を放っている。
腕を翳してみれば、光を受けてビーズの一つ一つが輝いていた。
ビーズ越しに見る空は大きなステンドグラスになっていた。
自分の手によって生まれる薄い黒がそこに大きな穴を開けていた。
宝石のような煌びやかなものではないが、嫌みを感じさせない素朴な光だと思った。
「これ、あなたが作ったの?」
彼女は私の言葉を肯定することも否定することもなかった。
ただ、少しだけ顔が赤らんでいるのを、私は見逃さなかった。
「……折角ですし、あげますよ。それ」
「あら、いいの?」
彼女は僅かばかり目を細める。
視線の先は追うまでもない。
私はそれに答えるように、腕を前へと伸ばす。
手首に踊るそれを見詰める彼女の目は、遠い山の向こうを見据えるように朧げで儚いものだった。
そして、目を閉じてゆっくりとしっかり頷く。
「まだ幾つもあるので、気にしないで下さい」
「……そういうことなら、ありがたく貰いますわ」
素直に受け取っていいものか、迷わないでもなかった。
けれど、彼女の言葉を彩っていた綺麗な空色に、後押しされるように私の口は動いたのだった。
彼女に一度頭を下げる。
そして、先程の腕輪を外してポケットにしまう。
今更ながらだが、なんだか気恥ずかしくなったのだ。
そんな私の所作を見ながら、彼女は嬉しいのか悲しいのか判断できない、曖昧な表情を浮かべていた。
そういえば、まだ何の感想も言っていなかったことを思い出す。
「なかなか悪くないんじゃないかしら」
ポケットの中で腕輪を握りながら、そう言ってやる。
すると彼女は、先程よりも少しだけ嬉しそうな顔で、ありがとう、と言うのだった。
そして、私に向けられたものなのか、それとも独り言なのか、判断のつかない言葉を漏らす。
「そうですね……みんなに配って流行らしてみるのも、面白いかも知れません」
遠くの方を見つめながら、そう続ける彼女。
一体、何に思いを馳せているのだろうか。
私には想像すらできない。
ただ、このビーズの集まりには彼女の思い出が、多少なりとも籠もっているのだろう、きっと。
それを贈られるのは、とても感謝すべきことなのだろう。
そう思うと、ついさっき貰ったばかりのものなのに、愛着が湧いてくる。
大切にしよう。
彼女に倣って空を仰ぎながら、そう心の中で呟くのだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
夜も更けて来た頃。
私は紅茶を注ぐ腕を見ていた。
見慣れないそれは、何故だか気になって仕方がなかった。
腕に踊る彩り鮮やかな水晶は、お互いの色を映しあって、暖かな空色になっていた。
「ねえ、その手首のは何かしら?」
その言葉を待っていた、とでも言うように彼女は満面の笑みを浮かべる。
「貰ったんですよ、これ」
そう答えると同時に、可愛いと思いませんか、としつこく聞いてくる。
私に見せ付けるように腕を伸ばして、それを指し示す。
私としては、一人ではしゃぐその姿が、どうにも鼻についた。
カップの受け皿の縁をなぞりながら、彼女の問いを素知らぬ顔で受け流す。
返事がないのが不安なのか、彼女の声は徐々に尻すぼみになっていった。
可愛いと思いませんか、から、可愛いと思うんですけど、へと、更に、可愛くないのかな、と移っていく発言を聞いていると、思わず笑ってしまいそうになった。
そうだな、少し意地悪をしてやろうか。
「貧乏臭いアクセサリーね」
できるだけ素っ気なく、短く言い切ってやる。
「あ、いいんですか。そんなこと言ってしまって、紅茶淹れませんよ」
口では偉そうなことを言うが、本人もどこか気にしているところがあるのだろう。
先程までと同様に笑顔を浮かべてはいるが、私の軽口の雲が空を覆ってしまったようだ。
私は頬杖を突きながらカップを手に取る。
もちろん中身は注がれている。
口でこそ色々と言うが、きちんとやることはやっているのが小憎らしい。
ごめん、ごめん、と適当な謝罪を入れてやるれば、それで満足したのか何度も首を縦に振っていた。
「それにしても、手首にそんなものを着けてて邪魔じゃないの?」
「そこまで気にはなりませんよ。一通り自慢して回ったら外しますよ」
そんなものを自慢されても困るだろうに。
これから付き合わされるであろう者の、微妙な愛想笑いを思い浮かべると溜息が出た。
「それでは失礼します」
頭を下げて出て行く姿を見送る。
その時、照明を反射させて、それが光った。
貴重品でもない、ありふれた安っぽい光。
宝石のように、特別美しい訳でもない。
きっと、私が着けてもちぐはぐにしか映らないだろう。
それでも、どうしてか羨ましいと思った。
小さな空から溢れ出す光には、何か優しいものがあって、それは日差しのように明るいものだった。
残光は一瞬の間。
淡い一筋を残して消える。
そうだな……
やっぱり、ちょっと羨ましいかも知れない。
――扉が閉まると同時に、私の口から溜息が零れた。
あいつも随分と変わったなあ、と。
茶目っ気に磨きがかかったと言うか。
まあ、困ることはないので、構わないのだが……
これからも珍しいものを見せられるのかと思うと、やや気落ちした。
けれども、それはそれで退屈しなくて良いかも知れないな。
そんなことを思いながら、カップに口をつけるのだった。
――そう、今日は晴れの日。
去り際に見せた、緩い日差しのような笑顔を思い出して、私はやれやれと頬を掻いた。
楽しいものだったんだなと思いました。
ほのぼのしてて好きです。
それにしても早苗さん廃品を縁起物として売っ払おうとは良い性格してるな。
作者様の描く咲夜さんに対する私の印象です。
強いけど脆い、結構掴みどころのない性格なんだけど妙に可愛げがある。
気を許した存在には無意識に甘えてしまう所なんか特に可愛いなぁ。
まあ、全て私の主観なんですけどね。
ビーズアクセサリーにしても、想いがつまった物を譲ってくれた早苗の自分に対する
友情のようなものがとっても嬉しかったんだろうなぁ、自慢したくなる位に。
訂正、やっぱ単純に好きだわ俺、あなたの咲夜さんが。
SSのキャラに惚れそうになりましたぜ。