「さーて。何か良いネタはないですかねー?」
すいーっと青空を切って飛びながら、私は眼下の人里に目を向けた。
ある者は道を歩き、ある者は物を売り、またある者は軒先で茶を啜り……といった具合に、そこでは、人々がいつも通りの平和な日常を過ごしていた。
「ま、里で事件なんてそうそうないですよね」
やれやれと、軽く溜め息をつく。
ネタが無ければ自分で作るのが新聞記者だと今でも私は思っているが、しかしそれはあくまで最後の手段。
その辺にネタが転がっているのであれば、それを使わない手は無い。
「……巫女のところにでも行ってみますか」
博麗の巫女には、妖怪に好かれるという不思議な特性がある。
それならば、巫女目当てに神社を訪れた妖怪が、何かしらの事件なりトラブルなりを巻き起こしているやもしれぬ。
そんな記者としての勘を頼りに、私は神社へと羽根を向けた。
◇ ◇ ◇
「らんらんらん♪ らんらんらら~♪」
神社の裏手に回るや、やたらと上機嫌な巫女の歌が聞こえてきた。
ここの巫女は、テンションが高いと歌を歌い出すクセがあるのだ。
「らんらん♪ らららん♪」
微妙に音程が外れているが、それを全く気にしていないかのような堂々とした歌いっぷり。
それに誘われるように、私は気配を殺して歌声の発信源へと近づく。
「あ」
いた。
地面から二メートルほど浮いた、やや見下ろすような位置から窓の中を覗くと、にこにこしながら歌っている巫女の姿が目に入った。
位置的に、ここは台所だろう。
窓越しに見える様子から察するに、どうやら巫女は天ぷらを揚げているようである。
「ふむ……」
私はそうっと神社の壁に背を預け、聴覚に神経を集中させる。
こういう何気ない日常から非日常が幕を開けることは間々あることであり、そうである以上、私は記者として状況の把握をしておく必要があるからだ。
決して、巫女の拙いながらも楽しさがひしひしと伝わってくる歌を聴くのが好きだからとか、そういう理由ではない。
「よし、できたっと」
料理の完成を告げる巫女の声を合図に、再び窓越しに中の様子を覗き見る。
巫女は皿に天ぷらを載せているところだった。
と、そこで素っ頓狂な声が響き渡った。
「あ! 天つゆが無い!」
そう叫ぶや、わたわたと、台所中の戸棚という戸棚を引っ掻き回し始める巫女。
「しまった……そういえばこの前使い切っちゃったんだっけ。うぅ……今から里まで買いに行ってたら冷めちゃうわよねぇ……。揚げたてが一番美味しいのに……」
さっきまでの上機嫌はどこへやら、沈痛な面持ちを浮かべてべそべそと独りごちる巫女。
もう二、三回つっつくと泣いてしまいそうだ。
「……まったく、何をしているのやら」
天つゆの有無も確かめずに天ぷらを揚げ始めるなんて、愚の骨頂としか言いようがない。
どうも、今代の巫女は肝心なところで抜けているような気がしてならない。
私はやれやれと肩を竦めた後、幻想郷最速のスピードで人里まで飛んで行き商店で天つゆを購入しまた幻想郷最速のスピードで神社まで戻ってきてその天つゆを玄関入ってすぐのところにやや大きな音を立てて置いた。
「? 今、何か音が……」
すると案の定、音を聞きつけた巫女がひょこひょこと奥の方からやってきた。
「! 天つゆ!? え、何で!?」
目をぱちくりさせながら、床に置かれた天つゆの瓶を手に取る巫女。
「……あー、もしかして、外の世界のお供え物かしら!? ラッキー!」
先ほどまでとは打って変わって、満面の笑みを浮かべる巫女。
彼女は瓶を大事そうに抱きかかえると、また例の歌を口ずさみながら奥へと引っ込んでいった。
確かに、この博麗神社は外の世界とつながっている関係で、あちらの物がよく流れ着いてくる。
それは神社へのお供え物も例外ではなく、実際、神棚に捧げられたお酒などは、よくこっちの神社に現れるようだ。
「だからって、天つゆを神様にお供えする人間がいるとは思えませんが……」
その辺に何の疑問も持たないのが、巫女が巫女たるゆえんなのかもしれない。
何物にも縛られず囚われず、常に自由な巫女。
「……さて。では引き続き、観察するとしますか」
なお、一応断っておくが、私が巫女のために一肌脱いでやったのは、あのまま不貞寝でもされるとなんとなく後味が悪いからという、ただそれだけの理由である。
決して、しょんぼりしている巫女の姿をあれ以上見たくなかったからとか、そういう理由ではない。
◇ ◇ ◇
「いただきまーす!」
ちゃぶ台の上の天ぷらに向けて、弾けるような笑顔で手を合わせる巫女。
私は神社の庭に生えている林檎の木の陰から、その様子をそうっと眺めている。
繰り返すが、こういった日常的な光景からこそ、非日常的な出来事が発生したりするものなのだ。
ならば新聞記者として、何の変哲も無い巫女の食事風景であれ、つぶさに観察しておくのは至極当然の事といえよう。
「美味しい、美味しい」
巫女は私に見られていることなど気付きもしない様子で、嬉しそうに天ぷらを頬張っている。
「あーあー、あんなにがっついちゃって……」
思わず、一人苦笑する私。
この巫女が淑女としての嗜みを身に付けるようになるのは、まだまだ先になりそうである。
―――そんなこんなで、三十分ほどが経過した。
「あやや……」
さて、どうしたものか。
縁側の前に立ち、奥の部屋の様子を眺めながらぽりぽりと頬を掻く私。
「……すぅ……」
行儀の悪いこと山の如し。
天ぷらを食べ終えた巫女は、余程満腹になったのか、そのまま床にごろんと転がると、すぐに健やかな寝息を立て始めてしまった。
「もう、本当にだらしのない巫女ですねえ」
やれやれ、と嘆息する。
しかし、私もスクープを追う身。
巫女が眠ってしまったからといって、そう簡単にこの場を退くわけにはいかない。
それに、気になることがもう一つ。
「……あのままだと、風邪引いちゃうかも」
巫女は結界の管理者であり、幻想郷の守護者でもある。
巫女が風邪を引いて寝込んだりすれば、それはそのまま、幻想郷の危機に直結しうる。
「まったく、仕方のない巫女です」
これも幻想郷を守るため。
そう思い、私は渋々ながらも縁側から上がり込んだ。
巫女は、実に気持ち良さそうに眠っている。
「もう、あんまり手間掛けさせないで下さい」
押入れから薄手の毛布を取り出し、そっと掛けてやる。
しかし暑いのか、巫女はすぐにそれを蹴り飛ばした。
「ああ、もう。折角の人の厚意を……駄目ですよ。ちゃんと毛布掛けないと。お腹冷えちゃいますからね」
小さな声でそう言って、再び毛布を掛けてやる私。
だがやはり、間髪入れずに蹴り飛ばす巫女。
「むぅ……」
はてさて、どうしたものか。
なお、一応断っておくが、別に私個人としては、この巫女が風邪を引こうが腹を冷やそうがどうでもいいのだ。
ただ、先にも述べたように、幻想郷全体のことをも併せ考えると、巫女が体調を崩すのを安易に見過ごすわけにはいかないのである。
「……しょうがないですね」
私は軽く溜め息をつきつつ、いつ終わるとも知れぬ巫女との戦いを始める決意を固めた。
―――そして、再び三十分ほどが経過した。
「やっと落ち着きましたか」
毛布を掛けては蹴り飛ばされ、掛けては蹴り飛ばされを数十回繰り返した後、巫女はようやく私の厚意を受け入れ、毛布をお腹に掛けた状態ですやすやと眠っている。
「本当に世話の焼ける巫女です」
だがしかし、これも幻想郷を守るため。
清く正しい射命丸としては、その危機を見過ごすことなど到底できないのである。
そんな使命感を胸に抱きつつ、安らかな巫女の寝顔を何の気なしに眺めていると。
「……あ」
気付かなければよかったのに、気付いてしまった。
「食べかす……」
微かに上下している巫女の口元に付着した、天ぷらの衣の欠片とおぼしき物体。
「もう、本当にしょうがない巫女です」
食べかすは流石に幻想郷の危機とは関係ないが、でもやはり大人の女性として、年頃の少女がはしたない格好でいるのを放置しておくことなどできない。
あくまで私個人としては、この巫女がはしたなかろうがどうであろうがどうでもいいんだけど。
スカートのポケットからハンカチを取り出し、起こさないようにそっと口元を拭ってやる。
「よし、綺麗になりました」
「……くぅ……」
人の苦労もいざ知らず、巫女は暢気に眠ったまま。
まったく、いい気なものである。
「……しかし、なかなか事件も起こりそうにありませんね」
今日は鬼もスキマも吸血鬼も、さらには通い妻かと思うほどにこの神社に通い詰めている白黒の魔法使いまでもが、未だに姿を現していない。
来客(≠参拝客)の多いこの神社においては、そこそこ珍しいことのように思える。
「まあ、たまにはこういう日があってもいいですかね」
新聞記者としては、大いに不満だけど。
なんて愚痴をこぼしつつ、健やかに眠る巫女の頬を人差し指で軽くつっついてみる。
ぷにぷにとした弾力が心地よい。
「ん……」
するとそのとき、巫女が微かに呻いた。
やばい、起こしたか?
反射的に指を引っ込める私。
「むぅ……」
しかしそれは杞憂だったようで、巫女は再び、すぅすぅと寝息を立て始めた。
ほっと胸を撫で下ろす。
「……ん……」
「!」
だがそれも束の間、巫女が再び呻きだした。
思わず身構える私。
巫女の唇が僅かに動く。
「……や……」
……。
……や?
…………あや?
「……今、『あや』と言いましたか、この巫女は」
まさか、夢の中で私の名を呼ぶとは……。
もしかして、この巫女は私に何か特別な感情でも抱いているのだろうか。
「……困りましたね」
私にとって博麗の巫女など、ただの取材の対象でしかないというのに。
それ以上に立ち入った関係になるつもりなど毛頭ないというか、でもそうなったらそれはそれで取材がやりやすくなっていいのかなとか考えなくもなくもなかったり……。
ていうか。
「……あつっ」
暑い。
否、熱い。
顔が、熱い。
「……一体、どうしたというんでしょう」
なぜか急速に熱を帯びてきた顔面を冷ますべく、私は懐から団扇を取り出した。
ばさばさと扇ぎ、一時の涼を得る。
するとまた、巫女の口元が動いた。
「……い……で……」
……。
……い……で?
…………いかないで?
「なんと」
先ほどの『あや』とつなげると、『あや、いかないで』。
「うーむ……」
まさか、巫女にここまで慕われていたとは……。
「……弱りましたねえ」
繰り返すが、博麗の巫女など、私にとってはただの取材の対象でしかないというのに。
先代の巫女とも先々代の巫女とも、ずっとずっとそういう付き合い方をしてきたというのに。
「……しかし、折角向けてもらった好意を無碍にするのも無粋というもの」
私は巫女の隣に横たわると、毛布を半分だけ自分の身体にも掛けた。
そしてそのまま、巫女の方に身体を寄せる。
「…………」
ほとんど密着に近い距離で、巫女の顔を見つめる。
異変解決時の引き締まった表情が嘘のように思えるほどの、気の抜けきった寝顔。
「……こうして見てると、やっぱりまだまだ子供ですね」
苦笑しつつ、その頬に再び指を伸ばす。
僅かに赤みを帯びたそれは、先ほどと変わらぬ弾力を返してきた。
「……仕方ないから、もう少しの間だけ、傍にいてあげます」
ここで私が帰ったりしたら、巫女が無意識のうちに不安を感じて、悪い夢を見たりするかもしれないし。
そうなったら寝汗をいっぱいかいて、風邪引いちゃうかもしれないし。
仮にも自分を慕ってくれている人間がそのような状況に陥るのを見過ごせるほど、私は冷血な妖怪ではないのだ。
「……まったく、世話の焼ける巫女です」
その黒い髪をさらっと撫でる。
しゅるしゅると指の間を抜けていく感触が心地よい。
「……ふあ」
ふいに自分の口からこぼれた欠伸に、少しだけ驚く。
どうやら私も、随分と気が抜けてしまっているらしい。
「……まあ、でも」
たまには、うん。
こういうのも、悪くはないかな。
緩やかなまどろみを感じながら、私は小さな声で語り掛けた。
「……おやすみ、霊夢」
巫女が微かに笑った気がした。
了
すいーっと青空を切って飛びながら、私は眼下の人里に目を向けた。
ある者は道を歩き、ある者は物を売り、またある者は軒先で茶を啜り……といった具合に、そこでは、人々がいつも通りの平和な日常を過ごしていた。
「ま、里で事件なんてそうそうないですよね」
やれやれと、軽く溜め息をつく。
ネタが無ければ自分で作るのが新聞記者だと今でも私は思っているが、しかしそれはあくまで最後の手段。
その辺にネタが転がっているのであれば、それを使わない手は無い。
「……巫女のところにでも行ってみますか」
博麗の巫女には、妖怪に好かれるという不思議な特性がある。
それならば、巫女目当てに神社を訪れた妖怪が、何かしらの事件なりトラブルなりを巻き起こしているやもしれぬ。
そんな記者としての勘を頼りに、私は神社へと羽根を向けた。
◇ ◇ ◇
「らんらんらん♪ らんらんらら~♪」
神社の裏手に回るや、やたらと上機嫌な巫女の歌が聞こえてきた。
ここの巫女は、テンションが高いと歌を歌い出すクセがあるのだ。
「らんらん♪ らららん♪」
微妙に音程が外れているが、それを全く気にしていないかのような堂々とした歌いっぷり。
それに誘われるように、私は気配を殺して歌声の発信源へと近づく。
「あ」
いた。
地面から二メートルほど浮いた、やや見下ろすような位置から窓の中を覗くと、にこにこしながら歌っている巫女の姿が目に入った。
位置的に、ここは台所だろう。
窓越しに見える様子から察するに、どうやら巫女は天ぷらを揚げているようである。
「ふむ……」
私はそうっと神社の壁に背を預け、聴覚に神経を集中させる。
こういう何気ない日常から非日常が幕を開けることは間々あることであり、そうである以上、私は記者として状況の把握をしておく必要があるからだ。
決して、巫女の拙いながらも楽しさがひしひしと伝わってくる歌を聴くのが好きだからとか、そういう理由ではない。
「よし、できたっと」
料理の完成を告げる巫女の声を合図に、再び窓越しに中の様子を覗き見る。
巫女は皿に天ぷらを載せているところだった。
と、そこで素っ頓狂な声が響き渡った。
「あ! 天つゆが無い!」
そう叫ぶや、わたわたと、台所中の戸棚という戸棚を引っ掻き回し始める巫女。
「しまった……そういえばこの前使い切っちゃったんだっけ。うぅ……今から里まで買いに行ってたら冷めちゃうわよねぇ……。揚げたてが一番美味しいのに……」
さっきまでの上機嫌はどこへやら、沈痛な面持ちを浮かべてべそべそと独りごちる巫女。
もう二、三回つっつくと泣いてしまいそうだ。
「……まったく、何をしているのやら」
天つゆの有無も確かめずに天ぷらを揚げ始めるなんて、愚の骨頂としか言いようがない。
どうも、今代の巫女は肝心なところで抜けているような気がしてならない。
私はやれやれと肩を竦めた後、幻想郷最速のスピードで人里まで飛んで行き商店で天つゆを購入しまた幻想郷最速のスピードで神社まで戻ってきてその天つゆを玄関入ってすぐのところにやや大きな音を立てて置いた。
「? 今、何か音が……」
すると案の定、音を聞きつけた巫女がひょこひょこと奥の方からやってきた。
「! 天つゆ!? え、何で!?」
目をぱちくりさせながら、床に置かれた天つゆの瓶を手に取る巫女。
「……あー、もしかして、外の世界のお供え物かしら!? ラッキー!」
先ほどまでとは打って変わって、満面の笑みを浮かべる巫女。
彼女は瓶を大事そうに抱きかかえると、また例の歌を口ずさみながら奥へと引っ込んでいった。
確かに、この博麗神社は外の世界とつながっている関係で、あちらの物がよく流れ着いてくる。
それは神社へのお供え物も例外ではなく、実際、神棚に捧げられたお酒などは、よくこっちの神社に現れるようだ。
「だからって、天つゆを神様にお供えする人間がいるとは思えませんが……」
その辺に何の疑問も持たないのが、巫女が巫女たるゆえんなのかもしれない。
何物にも縛られず囚われず、常に自由な巫女。
「……さて。では引き続き、観察するとしますか」
なお、一応断っておくが、私が巫女のために一肌脱いでやったのは、あのまま不貞寝でもされるとなんとなく後味が悪いからという、ただそれだけの理由である。
決して、しょんぼりしている巫女の姿をあれ以上見たくなかったからとか、そういう理由ではない。
◇ ◇ ◇
「いただきまーす!」
ちゃぶ台の上の天ぷらに向けて、弾けるような笑顔で手を合わせる巫女。
私は神社の庭に生えている林檎の木の陰から、その様子をそうっと眺めている。
繰り返すが、こういった日常的な光景からこそ、非日常的な出来事が発生したりするものなのだ。
ならば新聞記者として、何の変哲も無い巫女の食事風景であれ、つぶさに観察しておくのは至極当然の事といえよう。
「美味しい、美味しい」
巫女は私に見られていることなど気付きもしない様子で、嬉しそうに天ぷらを頬張っている。
「あーあー、あんなにがっついちゃって……」
思わず、一人苦笑する私。
この巫女が淑女としての嗜みを身に付けるようになるのは、まだまだ先になりそうである。
―――そんなこんなで、三十分ほどが経過した。
「あやや……」
さて、どうしたものか。
縁側の前に立ち、奥の部屋の様子を眺めながらぽりぽりと頬を掻く私。
「……すぅ……」
行儀の悪いこと山の如し。
天ぷらを食べ終えた巫女は、余程満腹になったのか、そのまま床にごろんと転がると、すぐに健やかな寝息を立て始めてしまった。
「もう、本当にだらしのない巫女ですねえ」
やれやれ、と嘆息する。
しかし、私もスクープを追う身。
巫女が眠ってしまったからといって、そう簡単にこの場を退くわけにはいかない。
それに、気になることがもう一つ。
「……あのままだと、風邪引いちゃうかも」
巫女は結界の管理者であり、幻想郷の守護者でもある。
巫女が風邪を引いて寝込んだりすれば、それはそのまま、幻想郷の危機に直結しうる。
「まったく、仕方のない巫女です」
これも幻想郷を守るため。
そう思い、私は渋々ながらも縁側から上がり込んだ。
巫女は、実に気持ち良さそうに眠っている。
「もう、あんまり手間掛けさせないで下さい」
押入れから薄手の毛布を取り出し、そっと掛けてやる。
しかし暑いのか、巫女はすぐにそれを蹴り飛ばした。
「ああ、もう。折角の人の厚意を……駄目ですよ。ちゃんと毛布掛けないと。お腹冷えちゃいますからね」
小さな声でそう言って、再び毛布を掛けてやる私。
だがやはり、間髪入れずに蹴り飛ばす巫女。
「むぅ……」
はてさて、どうしたものか。
なお、一応断っておくが、別に私個人としては、この巫女が風邪を引こうが腹を冷やそうがどうでもいいのだ。
ただ、先にも述べたように、幻想郷全体のことをも併せ考えると、巫女が体調を崩すのを安易に見過ごすわけにはいかないのである。
「……しょうがないですね」
私は軽く溜め息をつきつつ、いつ終わるとも知れぬ巫女との戦いを始める決意を固めた。
―――そして、再び三十分ほどが経過した。
「やっと落ち着きましたか」
毛布を掛けては蹴り飛ばされ、掛けては蹴り飛ばされを数十回繰り返した後、巫女はようやく私の厚意を受け入れ、毛布をお腹に掛けた状態ですやすやと眠っている。
「本当に世話の焼ける巫女です」
だがしかし、これも幻想郷を守るため。
清く正しい射命丸としては、その危機を見過ごすことなど到底できないのである。
そんな使命感を胸に抱きつつ、安らかな巫女の寝顔を何の気なしに眺めていると。
「……あ」
気付かなければよかったのに、気付いてしまった。
「食べかす……」
微かに上下している巫女の口元に付着した、天ぷらの衣の欠片とおぼしき物体。
「もう、本当にしょうがない巫女です」
食べかすは流石に幻想郷の危機とは関係ないが、でもやはり大人の女性として、年頃の少女がはしたない格好でいるのを放置しておくことなどできない。
あくまで私個人としては、この巫女がはしたなかろうがどうであろうがどうでもいいんだけど。
スカートのポケットからハンカチを取り出し、起こさないようにそっと口元を拭ってやる。
「よし、綺麗になりました」
「……くぅ……」
人の苦労もいざ知らず、巫女は暢気に眠ったまま。
まったく、いい気なものである。
「……しかし、なかなか事件も起こりそうにありませんね」
今日は鬼もスキマも吸血鬼も、さらには通い妻かと思うほどにこの神社に通い詰めている白黒の魔法使いまでもが、未だに姿を現していない。
来客(≠参拝客)の多いこの神社においては、そこそこ珍しいことのように思える。
「まあ、たまにはこういう日があってもいいですかね」
新聞記者としては、大いに不満だけど。
なんて愚痴をこぼしつつ、健やかに眠る巫女の頬を人差し指で軽くつっついてみる。
ぷにぷにとした弾力が心地よい。
「ん……」
するとそのとき、巫女が微かに呻いた。
やばい、起こしたか?
反射的に指を引っ込める私。
「むぅ……」
しかしそれは杞憂だったようで、巫女は再び、すぅすぅと寝息を立て始めた。
ほっと胸を撫で下ろす。
「……ん……」
「!」
だがそれも束の間、巫女が再び呻きだした。
思わず身構える私。
巫女の唇が僅かに動く。
「……や……」
……。
……や?
…………あや?
「……今、『あや』と言いましたか、この巫女は」
まさか、夢の中で私の名を呼ぶとは……。
もしかして、この巫女は私に何か特別な感情でも抱いているのだろうか。
「……困りましたね」
私にとって博麗の巫女など、ただの取材の対象でしかないというのに。
それ以上に立ち入った関係になるつもりなど毛頭ないというか、でもそうなったらそれはそれで取材がやりやすくなっていいのかなとか考えなくもなくもなかったり……。
ていうか。
「……あつっ」
暑い。
否、熱い。
顔が、熱い。
「……一体、どうしたというんでしょう」
なぜか急速に熱を帯びてきた顔面を冷ますべく、私は懐から団扇を取り出した。
ばさばさと扇ぎ、一時の涼を得る。
するとまた、巫女の口元が動いた。
「……い……で……」
……。
……い……で?
…………いかないで?
「なんと」
先ほどの『あや』とつなげると、『あや、いかないで』。
「うーむ……」
まさか、巫女にここまで慕われていたとは……。
「……弱りましたねえ」
繰り返すが、博麗の巫女など、私にとってはただの取材の対象でしかないというのに。
先代の巫女とも先々代の巫女とも、ずっとずっとそういう付き合い方をしてきたというのに。
「……しかし、折角向けてもらった好意を無碍にするのも無粋というもの」
私は巫女の隣に横たわると、毛布を半分だけ自分の身体にも掛けた。
そしてそのまま、巫女の方に身体を寄せる。
「…………」
ほとんど密着に近い距離で、巫女の顔を見つめる。
異変解決時の引き締まった表情が嘘のように思えるほどの、気の抜けきった寝顔。
「……こうして見てると、やっぱりまだまだ子供ですね」
苦笑しつつ、その頬に再び指を伸ばす。
僅かに赤みを帯びたそれは、先ほどと変わらぬ弾力を返してきた。
「……仕方ないから、もう少しの間だけ、傍にいてあげます」
ここで私が帰ったりしたら、巫女が無意識のうちに不安を感じて、悪い夢を見たりするかもしれないし。
そうなったら寝汗をいっぱいかいて、風邪引いちゃうかもしれないし。
仮にも自分を慕ってくれている人間がそのような状況に陥るのを見過ごせるほど、私は冷血な妖怪ではないのだ。
「……まったく、世話の焼ける巫女です」
その黒い髪をさらっと撫でる。
しゅるしゅると指の間を抜けていく感触が心地よい。
「……ふあ」
ふいに自分の口からこぼれた欠伸に、少しだけ驚く。
どうやら私も、随分と気が抜けてしまっているらしい。
「……まあ、でも」
たまには、うん。
こういうのも、悪くはないかな。
緩やかなまどろみを感じながら、私は小さな声で語り掛けた。
「……おやすみ、霊夢」
巫女が微かに笑った気がした。
了
天ぷらと西瓜を一緒に食べてしまったことを思い出してしまった…。
委託待ちの自分にとって羨ましい限りです。
霊夢さんも文さんもとても可愛かったと思います。
ありがとうございます。