「幻想郷に海、無いの?」
村紗水蜜は思わず呟いた。
海・海・海!
おやつの時間、命蓮寺の面子は揃って卓を囲んだ。
山と盛られた桃を食べながら、この夏幻想郷で一番行ってみたい場所の話をしていた。
送り盆が済めば夏休み。
今は忙しいけれど、仕事が終わればちょっとした旅行をする予定。妖精のいる湖が涼しそうだとか、天狗の滝まで行けば飛沫が冷たいに違いないとか、見事な向日葵の咲く畑があるそうだとか……。
各々興味のある場所を提案して、白蓮はその様子をにこにこしながら聴いていた。
彼女は時折自分の背後にいる少女に小皿に乗せた桃を渡し、少女……ぬえは丁寧にそれを口に運んでいる。
まるで母子のようだ。
意見もそこそこ、大きな桃をかぷかぷと威勢良く頬張っていた星が、ふと首を傾げた。
「海の話って聞きませんね……ね? ナズーリン」
泳ぎに行きたいなぁ、と衣に隠れた尻尾を揺らしている。
井戸で冷やした桃は滴る程たっぷりと蜜を含んでいて、無防備にかぶりついていた星の口元を汚していた。ナズーリンはハンカチを取り出して、ちょいちょいとその口元を拭ってやる。
「幻想郷には海は無いそうだよ、ご主人。それより気をつけないと衣が汚れる」
「それは残念……」
「ほら、食べるんだったらもう少し前に出て」
「うぅ……」
星の尻尾は動かなくなってしまった。桃の食べ方を注意されたからなのか、海が無いからなのか、見るからにしゅんとなってしまっている。
彼女の意気消沈振りもさるものながら、実はこの時もう一人、呆然としている人物がいた。最初に気が付いたのは、一輪だった。
「水蜜ちゃん、たれてるたれてる! ……雲山、手ぬぐい持ってきて」
村紗は口を開いたままの姿勢で固まっていた。
楊枝に刺した桃から沢山の汁が滴り、肘を伝って服を汚している。
「幻想郷に海、無いの?」
呟いて、桃を落とす。彼女の深緑の目は驚きで大きく開かれていた。一輪が慌てて宙で受け止め、桃の欠片を卓の小皿に乗せた。ぬえは面白そうに白蓮の背後から顔を出す。
雲山が濡らした手ぬぐいを運んできて、両手を出したナズーリンに渡した。
「一輪。……舟幽霊って海無くても平気なのかな?」
「動かないで、せんちょ……ッ。まだ拭けてないよ」
村紗は一輪に言うと、ふらりと立ち上がった。側で拭いていたナズーリンは、徐々に高くなる腕の位置について伸び上がりそのまま後ろにひっくり返る。
近くにいた一輪が今度は彼女をキャッチした。
「ちょっと、水蜜ちゃん! 何処に行くの?」
「船長、そっちは柱だよ?」
余りにあっさりと起きた出来事だったので、誰も止める事が出来なかった。村紗は柱にぶつかると、笑っていたぬえの上に一旦転んだ。ぬえが涙目で抗議したのにも気が付かずに再びふらっと浮くと部屋から出て行ってしまった。
見送る皆の後ろ。
風鈴の音が軒先で何事も無かったかのようにちりんと鳴った。
+++++
「余程ショックだったんでしょうね」
「我ながら、不用意な発言をしてしまったよ」
村紗の場合、霊から既に妖怪となってしまっている。白蓮の力で開放されたからといって、完全に海の無い世界で、海の妖怪・舟幽霊は存在することが出来るのだろうか。
庫裏に吊るした魚形の板、木魚。
朝夕二回の食事の時に鳴らされる音を、皆心待ちにしている。雲山が何時もより多めに叩いて食事を知らせたのだが、結局、村紗は夕餉の時刻になっても部屋から出てこなかった。
特に気を揉んだのは、海に関する発言をした二人。
食事が終わるとどちらとも無く目配せし、食器を片付けながら約束を交わした。時刻は過ぎ、白蓮が夜毎唱える経が消えたのを合図に、星とナズーリンは一つの部屋で落ち合った。
「知将である貴女に相談があるんですが……」
行灯の明かりに照らされて、星の牙が光った。
ナズーリンは、その牙をなんとなく眺めた。噛まれたらさぞ痛いだろう……首の辺りがむずむずする。牙が使われる事は絶対に無いとは思うのだが、そう思わずにはいられない鋭さがあるのだ。
星はナズーリンの心を知らず、懐から携帯用の筆入れを取り出しつつ続ける。心なしか声に浮き立ったような所がある。
「海を作りませんか?」
ああ、笑っているのか。唐突にナズーリンは理解した。悪戯っぽく、星は笑っている。牙が良く見えた理由がやっとわかった。
妖怪でありながら毘沙門天に帰依している主人。
行灯に照らされて光る牙はまさしく虎のモノなのに、なんて子供みたいな心の持ち主なのか。
“海を作る”なんて。
責任を感じているには違いないが、この突拍子も無い思い付きを純粋に楽しんでいるのも間違いない。また尻尾が揺れている。
笑みがこぼれるのをナズーリンは止められなかった。主人のこういうところは嫌いじゃない。共犯作業も、きっと悪く無いものとなるだろう。
「いいけど……、でもどうやって?」
「それを今から考えるのです! まず必要なものは……入道雲」
星は白紙の巻物を畳の上に広げると、達筆な字で海で見られる景色一つ一つを書いていく。ナズーリンは主人の書いた物がどうやったら作れるかを模索した。
大きな白い布、青い絵の具を数種類、なるべく細かな白い砂も欲しい。塩も必要かもしれない……。
昔居た世界での景色を思い出しつつ、二人であれやこれやと意見を出し合い考えに考えた。
刻々と時は過ぎ、行灯の油が尽きて芯が燻り始める。
障子の外がぼんやり明るくなった頃、漸く海の設計図が完成した。
思わず歓声を上げると目を輝かせて互いで互いの墨で汚れた手を打った。そしてそのまま、同時にごろりと仰向けになった。
「あとは作るだけですね……ムラサは喜んでくれますかね」
「微妙なところだね。でもま、やるだけやってみよう」
夜鳴く虫と、この日最初の蝉の音が一緒に聞える。お互いの頭が触れるくらいの距離。畳に散った髪が幾筋か重なる。ナズーリンの鼻先を主人の使う石鹸の匂いが掠めた。
「入道雲は決まりだね」
「……そうですね。他にも、皆に……お願いしなければ」
「ご主人、ちょっとだけ寝ようか?」
「……はい……」
ご主人?
ナズーリンが呼びかけたけれど、返事の代わりは穏やかな寝息。なんて寝付きが良いんだろう。やはり子供みたいな人だ……。小さく息をついて彼女も目を閉じた。
+++++
まもなく、食事を知らせる木魚が鳴った。日は完全に昇っている。食堂に一同集まると、村紗に加えて星とナズーリンの姿が消えていた。
「あらあらあら?」
人数の減った卓を見て、白蓮は困った顔をした。きちんと盛られた香の物も、湯気を立てる味噌汁も、ぴかぴかに光るご飯も手付かずで置かれている。
作った一輪は少し怒り気味。
「姐さん、沢山召し上がって下さいね!」
「ええ。貴女も沢山……」
「お替りもまだまだありますから……はい!」
「!」
差し出された茶碗には、白米が高さ約30cmのてんこ盛り。白蓮は頭の中で南無三と一言唱え、箸をつけた。
+++++
朝食後の勤行が終わった。白蓮は経をあげに檀家へと出掛けていった。朝食に寝坊した星も慌ててその後を追った。ナズーリンが更に追いかけ、何かのメモを主人の手に握らせた。
白蓮が出掛けた以外は何時も通りの日。境内を鶏が歩き、偶に時を告げる何時も通りの日中。ぬえは屋根に腰掛け、張り出して自分の上に木陰を作る枝から葉を一枚取った。
そこに種を仕掛け、投げては鶏を驚かす。
良い子の村紗が姿を見せないと、それはそれで調子が狂う。どうも、張り合いが無いのだ。葉をちぎるのを止めて口に銜え、真っ青に磨かれた空を見上げた。
+++++
「水蜜っちゃん、入るよ」
一輪が廊下から声をかけると、襖がぎしっと軋んだ。どうやら押さえられているらしい。
「おーい、姐さんも心配してたわよ?」
「出たくない」
襖の向こう側で、小さいがきっぱりとした声が聞えた。一輪は雲山と顔を見合わせた。兎も角海が無くても村紗は消えて無くなっていないのだから、今悩んでも仕方の無いことなのだ。
声をかけ引っ張り出して、ご飯でも食べさせてしまえばよい。
「こら、そんな事言って……! 早く出てくる。みーなみっちゃん!!!」
「や、駄目だってバ!」
雲山が襖に大きな手をかけた。あっけなく、部屋と廊下の境が開き、中の様子があらわになった。
「あ・ら?」
一輪は目を丸くした。
天井には舫い綱。壁には錨と紅白の浮き輪が掛けられている。聖輦船の船長室であり、今は村紗の部屋である。しかし、中にいた人物は見慣れたセーラー服を着てはいるものの……。
「一輪……」
「どうしたの……その、なんていうか昔みたいよ」
村紗の黒髪は長く伸びていた。普段は綺麗な深緑をした瞳も、見ていると引き込まれそうになる底の無い深さがあった。もともと白い肌は益々白く、陰になった部分が青く見える程だ。きっと口を一文字に結んでいる。唇は紅を引いたように赤い。
一輪が呆気に取られて見る間に、村紗の目に透明な何かが溜まった。口が戦慄いて、嗚咽が漏れ始める。
「あ・あのね。海なんか無くても良いけど……でもやっぱり私、海がないと」
大粒の涙がぼろぼろ零れた。
「海、大嫌いだけど……やっぱり大事なの。考えないようにしても、考えちゃって……気が付いたらまた前みたいな姿に……これじゃ私、皆の前に出られない」
「水蜜っちゃん……」
一輪は思わず村紗の肩に触れた。
すると、どう、と海鳴りが聞えた。
強い潮風が頭巾を飛ばし、一輪は思わず目を瞑った。壁に掛かっていた浮き輪が揺れる音がする。微かにカモメの鳴き声が聞え目を開くと其処は、一面の青い世界だった。
彼方では空と海が冷たく混ざり合い、周囲を見渡しても島影一つ無い。透き通った色が何処までも満ちていた。
なんという無垢な世界だろうか。
一輪は、自分が小さな点になってしまったような錯覚に襲われる。気が付くと雲山は居なくなっていて、自分がこの場でなんの力も無くしてしまった事を知る。足は小船の底を踏んでいた。頼りなく波に揺られ揺れる。
艀が傾く度に水が入り込んできた。こぷこぷと音をさせながら船底に溜まっていく透明なモノ。進路が予め水底に設定されているかのように、あっという間に舳先が傾く。
肌が一挙に冷えた。
一輪の衣はたっぷりと水を吸って、全身を引っ張られているかのように水中に沈んでしまう。
溺れる!
咄嗟に思い、片手でやはり海中にある舟につかまった。もう片方の腕を伸ばしたら水面に指先が出たが、それも一瞬のこと。次第に光の網目模様が見え、それも徐々に遠くなる。
『……いちりん』
良く知る声と供にすう、と白い腕が伸び、舟につかまる一輪の身体を優しく降ろした。意思とは関係なしでもがく身体を抱きすくめられる。身体中の空気が吐き出され、煌きながら上へ上へと昇っていった。
黒くたゆたう髪が一輪の視界の端に映った。
手足が痙攣する。
昇る泡はほんの僅かになり、浮遊感を感じるようになる。
一輪は、ぼんやりと景色を眺めた。徐々に暗く深くなる蒼。水は冷たくなり、恐怖に代わり痺れるように甘い刺激に脳をじらされる。今までいた小船は完全に沈むこともなく、空を浮く船のように水中に固定されていた。海面上から射す光を全体に浴びて、まるであれは……。
「一輪!」
名を呼ばれ、はっとした。油蝉の煩く鳴く声が響いていた。
続いて思い出したように苦しさが込み上げて、激しく咳き込んでしまう。肺の手前で留まっていた水は、塩辛い味がした。
+++++
「我ながらみっともないわ……」
結局村紗を引っ張り出せずに、一輪は境内を掃いていた。雨も降らない猛暑の中、随分涼しい思いをしてしまった。地上においてまで、他を溺れさせる事の出来る村紗の力。体感してみて解った事が一つ。
「あの子自身が半分海みたいなものなのね」
酷な事だ。もしも村紗が事故を生き延びていたのなら、防衛本能から単純に海嫌いになっただけだろう。
しかし彼女は死んだ。
そして、永い時を海と供に過ごしてきたのだ。霊魂が妖へと精製されるまでの本当に永い時間を。呪縛が解けたからと言って、それは彼女の意思が、人々の恐怖の念から自由になっただけの事。自身を妖へと変えた海そのものに対して、今更生者のように嫌いになったり出来るのだろうか。
「ていうかね、あの子の場合嫌いっていうか好きっていうか……」
雲山に話しかけると、彼は重々しく大きく頷いた。スペルカード一つ取ってみても、村紗は海関連のものばかり扱うのだ。
「動揺して、如何にも妖怪っぽい姿に戻っちゃって……あ、雲山アレ持ってきて」
あの後、一輪が回復するのを待って、村紗は廊下を指差した。部屋から出て行くように訴える。一輪は白蓮のところに村紗を連れて行きたかったのだが、頑として彼女は言う事をきかなかった。そして、終いにはポケットから数枚の手札を引き出したのだ。
スペルカードを取り出されてしまっては、一輪はもう引くしかなかった。勝負するにしても、雲山も村紗のアンカーも広範囲且つ巨大だから、寺を破壊してしまう。
「……どうしたものか、姐さんが帰ってきたら相談してみようかしら」
雲山が打ち水用の桶と柄杓を持ってきた。柄杓はきちんと底がはめられている。一輪は箒を立てかけると柄杓に水を一杯入れて、
「わ、冷たッ!!」
前を通ったナズーリンに気が付かず、思い切り掛けてしまった。
「ごめんね、ナズーリン! 大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ、服がびしゃびしゃ……あ、それより君を探してたんだ」
ダウジングロッドを纏めて片手に持つと、まずナズーリンは雲山を見た。そして一輪を見ると、目をきらりと輝かす。
「海、作らないかい?」
「海?」
一輪と雲山は互いに顔を見合わせた。
+++++
白く埃っぽい村の道を、白蓮と星は歩いていた。
家々の門の前には茄子やきゅうりの牛馬が飾られている。中にはちゃんとくつわをはめている凝った細工もある。通りは賑やかだった。子供等が走り回り、桶で冷やされたスイカを狙う。冷やし飴を売る行商の声に大人達も思わず首をそちらに伸ばす。流石に一年の中でも殊に賑やかな時期とあって、活気に溢れていた。
「……そういう事でしたか」
星は朝食に遅れた理由を、道々きちんと白蓮に語り、詫びた。白蓮は興味深げに頷きながら聴いていた。全て聴き終わると、彼女は星にある事を言った。星は目をぱちくりさせている。
「どういうことですか、聖」
「それは……」
白蓮の説明を耳を傾けて聴いた星は、得心がいったとぽんと手を打つ。その際、懐に入れたナズーリンの材料リストがかさりと音を立てた。星は必死に考えた計画を思い出して、残念そうな声をあげる。
「ああ、では私達が海を作るのは意味が無いという事ですね」
「それはまた別。あなた達は作るべき……言うなればこれは夏休みの課題です。あと二軒終わったら私も買い物を手伝いますよ」
白蓮は楽しそうに声を弾ませて、道を急いだ。
+++++
夜。
木魚は鳴らなかった。
庭に篝火を焚き、部屋にも明かしをなるたけ灯して明るさを保つ。ナズーリンから話を聴いた一輪が昼間のうちに台所に立ち、おにぎりとお萩を山ほど作って長丁場に備えていた。味見を手伝ったぬえもしっかり面子に加わっている。
まずは全員で、磯の香りを再現する。昆布やわかめは外の世界から流れ着くのだという。丁度、里で大量に売っていたのを白蓮が購入した。それらを少し水に戻し、簾に貼り付けて其処此処に立てかける。香りが辺りに漂った。
それが終わると各々分担の仕事を始めた。
大きな白い布に、星が流麗な筆運びで遠くまで続く海岸線を描いた。絵の具の濃淡を使って本物よりも本物らしい絵を作り上げていく。雲山が砂を境内に敷き。それに塩を混ぜて浜を作り出す。貝等の細工は手先の器用な一輪が作り、ナズーリンが手下のねずみ達と供に砂の上にばら撒いた。
白蓮が星の独鈷で地面を打つと、水が噴出す。空まであがる噴水だ。その様子を見て、ナズーリンが何かを思いついたようだ。ぬえに近づいて提案する。
「うーん、一応海のビジョンを皆で共有してるから大丈夫だとは思うけれど……」
「物は試しだよ? ほらほら!」
ナズーリンに言われ、ぬえが皆に見えぬように水中に正体不明の種を隠すと、周りの景色を巻き込んで水が果てなく広がっていく。白蓮以外の全員が……仕掛けたぬえさえも驚いて腰を抜かした。
「これ、昼間でなくて良かったですね……」
「絶対姐さんが加担してるわよね?」
一輪と星は部屋の中で幻の海を見ながら言った。
工事の音は村紗の部屋まで届いていた。何の音か気になったが、分からないまま時間が過ぎて、気が付けばあたりは静かになっていた。
すずめの鳴き声が聞える。
そろそろ、出ようかな……。
一輪を溺れさせた不安定な力も、大分収まりつつあった。取り乱しすぎたのかもしれない。長く伸びた髪は水中にあっては驚かすのに役立ったが、地上においてはただ鬱陶しいだけの代物だった。村紗は一房持ち上げて、ため息をつく。
……やっぱりちょっと恥ずかしいな。
手を二、三度握って開くも何時もと変わったところは無く、海が無いからといって消える事はないようだ。仲間にあんな姿を見せた事が、冷静になるにつれて段々と思い出され羞恥心で顔が赤くなった。
平常心、平常心……村紗は頭の中で考えながらぐっと心の波を抑える。見境無く船を沈めていた頃とは違うのだ。皆が起きる前に、髪を切らなければ。そして何時も通り顔を出すのだ。今日は送り盆。仕事納めでもあるのだから、しっかりしなければ。
鋏を探していると、ことん、と音がした。
縁側から聞える。
そっと襖を開けると、ねずみが一匹自分を見上げていた。ちゅう、と鳴いて村紗をまん丸な目で見つめる。
「ナズーのとこの……?」
少し進んでは自分の方を振り返るので、気になってついて行く事にした。久々に出た外。何時もより、朝もやの量が多いようだ。裸足を撫でる空気が冷たくて気持ちが良い。水の粒子の中をねずみの後を追って進む。角を二回曲がったところで、音を耳にした。
低く静かに絶え間なく寄せて返す、波の音。
絹のようなもやの向こうに、水の気配。建物の外の景色がすっかりと変わっていた。
……え? まさか……
湿り気を帯びた砂に、思わず足を踏み出す。砂がきしんだ。長い髪が塩の味のする風になびく。
ぱっと日が射した。
見る間にもやが晴れていく。
遠くに見える入道雲。
「ああ!」
村紗は感嘆する。
どこまでも遠く広がり、空との境目さえも分からない其処は紛れも無く……。
遠く、海鳴りが聞えた。
「結局、なんで船長は大丈夫なのさ?」
しゃきしゃきと、白蓮が鋏を使う音を聴きながら、ナズーリンが星に尋ねた。一輪は重ねた座布団の山に寄り掛かりながら星を見る。きちんと正座してお茶を飲んでいた星が、尻尾をゆらゆら動かした。
「えびす様だそうですよ!」
「「えびすさま?」」
思わず二人の声が揃った。
「なんでも、今彼女は舟幽霊であり、えびす様でもあるそうです。えびす様は海でなくても大丈夫だから……」
漂流物をえびすと言う習慣があった。様々なものが縁起物として拾われた。村紗も白蓮に拾われた。
「彼女は、消えることがないんですよ」
「そんな単純な事だったの?」
一輪はため息をついた。
しかし、星はまじめな顔で続ける。
「単純ですが、もしこの偶然が無かったら彼女は此処には居ません」
ナズーリンは髪を切られてさっぱりとした村紗を見遣った。彼女がいなければ、白蓮の復活も無かったかもしれないのだ。偶然なのか、それともこういう運命なのか。
「ねえ」
ぬえが屋根から部屋を覗きこんだ。
「何時までこうしておく気? そろそろ種回収したいんだけど……ていうか種見つからないんだけど」
命蓮寺の周囲は未だに海に囲まれていた。ぬえの種と白蓮の法力が合わさって、まるで本物のように見える。星は自分の描いた海岸線をカニが歩いているのを見てしまったが、それを皆に伝えることはしなかった。
「明日、出掛けられるのかな……向日葵畑が……」
一輪がぼんやりと水平線を見ながら言う。雲山はまだ戻ってこなかった。遠く、入道雲の下辺りに帆船の影が浮かんでいる。
「もう、ここで海水浴すればいいんじゃないかい?」
ナズーリンもまた、ぼうっと魚が跳ねるのを見ている。どうやら旅行先は命蓮寺境内の海になりそうだ。
結局海は暫く消える事が無く、この夏幻想郷一の不思議な観光地としてちょっとした賑わいを見せたのだった。
おまけ!
「聖、なんで必要ないのに作る“べき”なんですか?」
「だって村紗を元気付ける為に考えたのでしょう? それならやっぱり海は作る“べき”です」
仕事と買い物を終え、寺に帰る二人。白蓮は山ほど荷物を持った星に悪戯っぽく笑いかけた。
星は嬉しくなって、荷物を無くさない様にぎゅうと抱え直し、白い牙を見せて笑顔を返した。
了!
えびす様…七福神繋がりとは、なるほど。
途中であの湖行くのかな?と思ったけど、こういうのもいいですね。
おもしろかた
工作に四苦八苦したトラウm……思い出が蘇ってきました。
まさに家族って感じの命蓮寺も良かったです。
夏休みの課題も今では良い思い出。私もまたトラウマ抱える一人です。
ものすごーく不器用で、大体出来上がってみると大変な形に……。
命蓮寺一家は良いですよー。プレイしてるとキャラが全体的に素直な印象を受けるんですよね。
今後、読んで下さった人の印象に残るような作品を作るように心掛け、精進します。
最後に、感想ありがとうございました!
八月も、残り僅かですね。泳げる時間も限られています(くらげ的な意味で)。夏もそろそろ終わりかと思うとちょっと寂しいな。
二重の意味で仮のものですが、海の雰囲気を楽しんでいただけたのなら良かったです。
聖さん頑張りすぎですww