Coolier - 新生・東方創想話

十六夜の月は花火の空に

2010/08/15 23:34:40
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 しわくちゃの顔で、彼女はなおも笑う。
 紅い吸血鬼は不遜な態度を崩さずに、ベッドの端に腰掛ける。

「もう、逝くの?」

 そのまま、彼女を見る。すっかり細くなってしまった手足。水分がなくなってしまったかのような顔。昔はなかった細かい皺。だけれど、彼女は、そんなになっても間違いなく彼女だった。
 だから、吸血鬼は態度を崩さない。

「ええ、逝きます」

 彼女はこっくりと頷いた。

「そう」

 何でもないかのように、吸血鬼は嘆息する。彼女はじっとそれを見つめていた。視線に気がついた吸血鬼は彼女の方に手を伸ばす。なんとなく、なんとなくそうしたかった。
 彼女はその様子を見て、目を丸くして、ゆっくりと息を吐き出した。

「お嬢様」
「何?」
「一つだけ、お願いしてもよろしいですか?」

 いつもと変わらない、優しい笑顔。くしゃくしゃに顔を歪めて、だのに、彼女は笑うのだった。
 吸血鬼はくすりと悪戯っぽく笑い、指を一本立てた。

「一つだけなら」
「でしたら――――」





 その答えを聞いて、彼女はにっこりと満面の笑みを浮かべた。





◆◇





「お嬢様」
 

 すぅっと暗闇から突然現れるようにして、十六夜咲夜はレミリアの寝室に現れた。レミリアは寝巻きのままベッドに腰掛けて、足を前後にぶらぶら揺らしていた。
 咲夜はいつもと変わらないその様子に頬を緩ませた。薄暗い部屋にはやはり月明かりしか射さず、だけれど、彼女にははっきりと見えた。
 月光に輝いているように見える、己の主の姿が。

「お嬢様」

 もう一度、今度は少しだけ言葉を強めて呼ぶ。そうしてようやく気がついたように、レミリアは咲夜の方に視線をやった。

「あら、咲夜?」
「ええ、咲夜でございますわ」
「しばらくぶりね」
「しばらくと言える程でしょうか?」

 吸血鬼からすれば、妖怪から見れば、ほんの一瞬と言える時間ではないのだろうか。それでもしばらくと言ってくれるのが、咲夜は嬉しかった。

「しばらくよ」

 レミリアはやはりそう言って笑うのだった。

「そうですか」

 肩を竦めて、嘆息しながら咲夜はベッドの前まで近づいていく。ゆっくり、一歩一歩を踏みしめるようにして歩きながら、ベッドの前で立ち止まる。
 そこで、恭しく礼をした。そっと、その頬に変わらない小さな手が当てられる。

「久しぶり」

 咲夜は目をぱちくりとさせて、やがて小さな笑みを浮かべた。

「はい」

 薄暗い部屋。明かりもなにもない中で、二人、ちょっとだけの距離を保ちながら、じっと見詰め合って、やがてどちらともなく吹き出した。
 くくくっと笑いあって、咲夜は頬の手に己の手を添えた。
 そっと、そっと、その冷たさを確認するように、しっかりと握り締めた。

「変わらずに、冷たいのですね」
「当たり前よ。私は吸血鬼よ?」
「ですねぇ」

 だけど、それが良かった。それが、心地よかった。だから、ここにいられるのだと、そう思えた。
 だから、その冷たさを逃さないようにその変わらない細い指に、しっかりと指を絡ませた。

「咲夜」
「なんでしょう?」
「そろそろ離さない?」

 ああ、とぱっと手を離した。
 名残惜しそうにじっと自分の指を見つめる。

「ねぇ、咲夜」
「はい」

 頭を上げて、レミリアを見る。ベッドから立ち上がって、レミリアは咲夜の腰に手を回した。

「外はお祭りよ」
「そのようで」

 窓の外には、ちらちらと小さな明かりが見える。神社の方から、喧騒が小さく聞こえる。遠く小さく、けれどもしっかりと耳に届いた。賑やかで華やかで、楽しそうで――

「だけど――」

 一旦、言葉を切る。問いかけるように、じっと咲夜の瞳に視線を合わせる。

「はい」
「あなたは私に付き合ってくれるかしら?」

 咲夜は、逡巡も躊躇もなく、応えるように答える。何一つ、迷うことなどないのだから。疑問などなく、即座にその返答をできたのだ。
 だから、手を伸ばした。腰の手に、ゆっくりと己の指を這わせる。頷くようにして、

「喜んで」

 と答えた。











 傘を差すこともなく、ゆったりとゆっくりと、レミリアと咲夜は夜の森を歩いていく。言葉はなく、ただ、風の流れる音が聞こえる。その中に混じって、木々のざわめく音。
 葉の擦れる音。
 動物の鳴き声。
 遠くの祭りの喧騒。
 風が運んでくる、夜の騒がしさ。
 祭りの夜の、騒がしさ。
 夜空には十六夜の月が優しい光を大地に落としていた。木々の合間から木漏れ日のようにして、月光が射している。その中を、浴びるように歩く。踏みしめるように、言葉交わさずに。
 交わすことなんて、ないかのように。
 ぱきり、と枯れ枝を踏む。
 気にもせず。

 やがて、森を抜ける。
 開けるようにして、丘が見えた。小さな、誰にも知られない、だけれど、空が綺麗に見える小高い丘。森の奥にあって、誰も来ることはないけれど、それは確かに其処にあった。
 レミリアは手を広げるようにして、胸を張った。
 ぐぐっと、仰け反るようにして、大きく息を吸い込んだ。
 咲夜も同じようにして、空を仰いだ。優しい十六夜の月に、それに負けないように輝く満天の星空。輝きながら、どこか控えめに見えた。控えめに、優しくて、心地良い。
 風がひょうと吹いて、髪の毛を揺らす。
 押さえもせず、どちらも吹かれるがままにしていた。丘の頂上に立って、満天の星空を見ながら、風に吹かれて。ただ、茫漠としながら、動かずに遠くを見つめていた。
 それは、いつか。
 いつか、遠くを見つめているように見えた。
 いつかを月に馳せながら、見ているように見えた。

 二人並んで、どちらも何も交わさずに、ただ時間だけが流れていく。

 それが、良かった。

 それだけで、満足だった。
 それだけが、良かった。

 どれだけの時が過ぎただろうか

「咲夜」

 レミリアが、ぽつり、と言った。

「私は、」

 続けるように、ぽつり、ぽつり、と。咲夜は黙って聞いている。黙っているしか、できない。相槌もなければ、返事もない。けれど、聴いている。

「私は、約束、守れたのかしら?」
「約束?」
「ほら、ずっと前にしたじゃないの」
「……ああ!」

 ぽん、と手を叩いて、大仰に驚く。

「お前ね、忘れていたのかよ」
「いえいえ、一日たりとも忘れてはいませんよ」
「ならどうしてそこまで驚くよ?」
「いや、まあ、ほら、ねぇ」
「何が、ねぇ、よ」

 呆れたようにふるふると首を振る。咲夜は困ったように笑う。

「ほら、自分の言ったことって大体忘れちゃうじゃないですか」
「……それにしたって覚えとくもんじゃない?」
「ええ、覚えていましたとも。ただ――」
「ただ?」

 咲夜は一拍置いて、息を吸った。
 暑い空気を吸い込むように。いつかの空気を吸い込むように。深く深く、息をした。
 そして、レミリアの方を見つめながら言う。

「私はあれを、約束と思っていませんでしたから。どちらかと言うと、私にとってはお願いだったのです」

 うん、と腕を組んで頷きながら咲夜は言う。

「それにしたって、どうしてまた急にそんなことを?」
「なんとなく」
「なんとなく、ですか?」
「悪い?」
「いいえ」

 ふるり、と首を一振り。レミリアは小さく満足そうに息を吸う。
 それを、ゆっくりと静かに吐いていく。

「なら、いいじゃないの」
「ですか」
「……で?」

 ん? と小首を傾げる咲夜。レミリアはやはり呆れたように息を吐いた。

「だぁからさぁ、私は守れたかい?」

 じっと、瞳を見つめる。冷えたナイフのような、けれどどこか優しい瞳。
 咲夜は見つめ返しながら、口を開く。
 小さく、けれど確かに聞こえる声で、彼女は言った。

「――はい」

 満足げに笑って、咲夜は言った。
 ひょう、と風が吹く。熱を孕んだ風。涼しげな、風。涼しい、風。喧騒を運んでくる風。遠くからお祭りの囃子が聞こえてくる。静かな丘に、一瞬の騒がしさが滲む。
 過ぎ去っていくと、後には静寂が残った。


「――――そっか」


 静寂の末にレミリアは、それだけを零した。
 それっきり、咲夜は消えてしまった。夢幻のように、どこにも見当たらない。けれど、レミリアは、探すことをしなかった。何故ならもう彼女は知っていたからだ。
 探す必要なんてなく、そのことに悲しむ必要なんてなかった。

 ぱっと花が咲いた。夜空に大輪が咲いた。紅い花が咲いて、ぱらぱらと火花が散っていく。少し遅れて、どおん、と腹に響く大音が鳴る。腹の底に響く音を心地良く感じながら、レミリアは薄く笑う。
 花が次々と咲いて、咲いては散って。
 夜空を彩る花の中、十六夜の月がやけに綺麗に見えた。
 そんな気がした。
 レミリアは踵を返す。
 振り向いて、歩き出す。
 家に、帰るために。
 ゆっくりと、踏みしめるように歩き出す。

 今度は、一人で。けれど、独りではなくて。

 聞こえる花火の音が、やけに寂しく聞こえた。

 十六夜咲夜はもういないのだ。





◇◆





「でしたら――」
「うん」
「泣いてください」
「は?」
「もしも、私がいなくなったら、泣いてください」
「皆の前で?」
「いいえ。私はいつものように送って欲しいのです。ですが、泣いてください。一人の時にでも」
「一人の時でいいの?」
「はい。寝る前にでも思い出してくださいな」
「枕にでも泣けって言うの?」
「まぁ、その時は考えてくださいな」
「そう」
「――で? どうなのですか?」
「構わないわ」
「そうですか」
「うん」
「良かった――」

 その答えを聞いて、彼女はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
 それっきり、ベッドの上から動かなくなった。
 しわくちゃの手を握り締めて、レミリア・スカーレットは涙を流した。

 つぅっと一滴、頬を伝った。










[了]
 ――――言われなくたって、私は泣いたって言うのになぁ。



 ◆◇◆


 お盆ですね。
 夏ももう中頃です。
 真夏の夕暮れを見ると、どこかに消えてしまいそうになります。
 個人的に、ですが。
 
月空
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コメント



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8.100名前が無い程度の能力削除
涙線がじわってなった。これだからこの二人は大好きなんだよね。
14.100削除
夜中に読んで、泣きそうになるの堪えました。
花火と最後の会話が良かったです。
18.100コチドリ削除
千言を交わすより万感の無言を。
実にこの主従らしいと思わせてくれる、とてもしっとりした良いお話でした。

今度の夏は紅魔館ファミリー全員で賑やかに過ごすというのもいいかもしれませんね。
25.100名前が無い程度の能力削除
ベタには違いない。でも感じ入らずにはいられない。
後書きの一行でもうダメだ。目頭が熱くなる。
とても切なくて、そして優しさに溢れたお話でした。
29.90もえてドーン削除
思い出が涙になるのなら、きっと涸れることはないのでしょうね。
30.90名前が無い程度の能力削除
内容も素晴らしく、雰囲気や風景が伝わってくるようでした。
31.100夜空削除
さり気ないやりとりの中に伝わる想いが素敵ですね
運命を受け入れたレミリアの面影はあまりにも美しかった……