目を覚ますと、隣に咲夜さんがいた。
その事実に、何を感じるより先に幸せを感じた。
手元には、私が持ってきた家庭菜園の本がある。それを真剣そうな表情で見ている。
この無表情に近い真剣な眼差しが好きなので、私は動かず、しばしぼんやりと眺めた。
でも、やっぱりすぐに見つかってしまって、何見てるの? と視線をそのままに尋ねられた。
「何だか、声をかけるのがもったいなくて……」
「何それ」
本を閉じると、咲夜さんは呆れ顔で見下ろしてきた。
変な感覚なのかもしれないけど、私は、こうして呆れられるのは嫌いじゃない。
何だかどろどろに甘やかされて、子供っぽい自分を許してもらってるような気がするから。
ぐずるようにタオルケットを口元まで引き上げて、怒らないで下さいよ、と拗ねた声を上げると、咲夜さんは眉根を寄せて、大仰にため息をついた。
「誰が、いつ怒ったって?」
「怒ってるじゃないですか、今」
「あぁ、そう。そんなに怒って欲しいんだ」
「別に、怒って欲しいわけじゃないですけど……」
「じゃあ、どうして欲しいのよ」
情け容赦なく、タオルケットを剥ぎ取られる。
目を細めて、咲夜さんは何だか楽しそうな表情をしている。
形ばかりの抵抗をする私も、きっと笑ってしまっているだろう。
二人して、この状況を楽しんでいる。ただの喧嘩ごっこだけど、これがなかなか楽しい。
いや、ひょっとしたら、咲夜さんのほうは、私が眠ってしまったことを少しは怒っているのかもしれないけど……。
「私は、出来るなら、どろどろに甘やかしてもらいたいです」
「どろどろねぇ……」
咲夜さんはタオルケットを放り捨てながら、思案顔になった。
一点に集中すると、他はどうでもよくなるのが咲夜さんだ。変なところで粗野になる。
「まぁ、そうねぇ、美鈴は私のこと、すごく良く考えてくれてるみたいだしね……」
そう言って、咲夜さんは家庭菜園の本を私の目の前に突き出した。
「これ、この野菜は、私のために作ってくれるんでしょう?」
「え? えぇ、お嬢様が許して下さるならですが。人の体に新鮮な野菜は不可欠だと思って……」
「やっぱりね。私の部屋にまで持ってくるなんて、よっぽどアピールしたいのね。……ねぇ、ひょっとしてうたた寝したのも、わざと? 私がこの本を見ると思って?」
「そ、それは違います」
雲行きが怪しくなってきたので、慌てて否定した。そんな計算は全然してない。
そんなことを言ったら、私は恋愛小説だって持って来てるし、そっちのほうがアピール度が高いと思うし、まず そっちを指摘して欲しい。
いや、別に指摘して欲しいわけじゃないんだけど……。
「私に無言で、こんなに想ってますって、アピールしてくれてたんじゃないの?」
「違いますよ。……あの、甘やかしてはくれないんですか?」
「え……? 十分、甘やかしてるつもりなんだけど」
どこが! という言葉は飲み込んだ。
代わりに奪うように本に手を伸ばすと、本は寝台の端のほうへ、放物線を描いて飛んで行った。
あぁ、今のパチュリー様が見たら、きっとくどくどねちねち怒るだろうなぁ……。
非難がましく咲夜さんを見つめると、ふん、と鼻を鳴らした。
そんなの全然瀟洒じゃない、という言葉も飲み込む。
「全然、甘やかしてくれてないじゃないですか」
「そう? こんなに貴女だけを見てるのに? 私は今、貴女のことしか考えてないけど」
貴女は、今、何を考えてる……? と囁かれて、どきりとした。
剥ぎ取られたタオルケット。放り投げられた本。向けられる眼差しと、心。
まずい。どきどきしてきた。こんなのは反則だ。私はこんなどきどき要求してない。
これじゃ甘やかすというより、甘くとろかすような……どろどろ……あぁ、なるほど!
……って、気付いたからと言って、どうなるものでもないけど。
思考を巡らす間に、銀のナイフを使う指先で、頬をなぞられた。
水仕事のため、ややかさついた、そして、存外骨ばった指先に、どきどきが加速する。
困り切って眉根を寄せると、咲夜さんは意地悪そうな表情から一変し、ふっと微笑んだ。
「ごめん。加減が出来なかった」
目尻に口付けられて、髪を撫でられると、肩の力が抜けていくのが分かった。
「……咲夜さん、今度はとろとろで、お願いします」
目を閉じてぽつりとそう言うと、一泊の後に、すぐ傍で喉を鳴らして可笑しそうに笑う声がした。
欲ばり、その一言に、何だか身悶えしそうになる。それは私を期待させる言葉だから。
ようやく与えられた、甘くとろとろとした口付けを受けながら、私は身体の力を抜いた。
とろとろ、甘く酔い知れながら、でも、どろどろも嫌いじゃない、とぼんやり思った。