サトリが失明した。
失明したものの今まで通りに振舞う彼女にみな同じ疑問と不安を抱いた。
どうしてそうなったのか彼女は語ろうとしない。
失明したという結果だけが残った。
ペットたちは次第にそんなことは忘れ、今まで通りの日常が戻ろうとしていた。
サトリの妹を除いて。
「こいしが家出したわね」
「あ、バレた」
失明してからは、サトリはペットを目の代わりにしていた。
人間も失明した者は犬を連れて歩くらしい。
サトリも同じようにペットを連れて歩く。人間のようにペットに特別な訓練は必要ない。
妖怪であるサトリに他人の視覚を奪うことなど簡単なことだった。
こいしが家出をしたことを隠そうとしていたペットの心を読んだサトリは地霊殿を出た。
隠そうとしていたペットを連れて、こいしを探す。
大したことではない。
地獄の底には様々な妖怪がいる。こいしを知らない者はいない。
大そう嫌われているし、見たモノはすぐさま逃げたことだろう。
同じようにサトリを見て逃げ出したモノを読めば良い。
どこに妹がいるか、それは教えてくれる。
「こいし」
地獄の端、何も無い枯れた朽木が並ぶ雑木林の果てに妹はいた。
どうしてペットが隠そうとしたのか借りた視界越しにサトリは理解した。
我が妹ながら、おぞましい。
サトリに家出を知らせるのが怖かったのだろう。震えるペットを撫で、こいしに歩み寄る。
「こんな所に居るなとは言わないわ。ただ、貴女にはもっと地霊殿の主として相応しい行いが必要だわ。ここに来るまで一体どれだけの迷惑を振舞ったのかしら? こいし」
すべてを言いたくは無い。それでも叱らないようには出来なかった。
「目の調子はどう?」
「良好よ。いずれ治ることだから、貴女が気に病む必要はないわ」
「いずれ? それは何年先の話なの? 十年? 百年?」
「さあ。私は医者じゃないから分からないわ。それにそんなこと関係無いもの。私には目の代わりになってくれるヒトがたくさんいるから」
ペットの体が吹き飛んで、枯れた地面に転がった。
死ぬようなことじゃない。サトリはその思考を一瞥して、こいしを見た。
「これでも?」
何も見えなくなってしまった。さすがに気絶したモノの視界は奪えない。
「まだ貴女の目があるわ。帰りましょう。こいし」
こいしの心を読もうとした。
黒く塗り潰された視界に光が戻る。黒が白で塗り潰され何も見えなくなった。
「……こいし」
「ふふ……あははははっ気付いた? 私の目は盗めない。瞳を閉じたから」
第三の眼を閉じる妖怪はいた。
その選択肢はあった。
妹の選択が間違っているとか決め付けたりはしない。
ただ、地霊殿の主として正しい行いかどうか判断するのなら否。断じて否。
泣いて叫んで謝っても許しはしない。
閉じた瞳を人目に晒すなど。負け犬と泣き叫びながら狂って転げ回ることに等しい。
「こいし」
失明したことなど大したことではないのだ。
こうして何の不自由もなく暮らしていけるのだから。
こいし。
どうして泣いているのか。
「これでも平気でいられるっ?」
「失明なんてどうってことないわよ」
「またそれ? 何でもないどうでもいい大したことじゃない貴女には関係ない! そればっかり! 私は見たわよ。すごく不安だった。すごく暗かった。目が見えないことに怯えていた。それが嫌だったから強く抱いたの」
失明した時はこいしに抱きしめられた。
不安もそれで消えた。そこに妹がいると分かったから。
「もう一度してほしいわ」
何かが頬をかすめた。
ペットを吹き飛ばした妹の作り出した「弾」だ。
何気なく放ったソレにサトリの視界は失われてしまった。
「怖いでしょ? 次は当てるわ」
「当ててみなさい」
こいしは動揺した。
家出をすれば怒られると思った。
他人に迷惑を働けば怒られると思った。
ペットを苛めれば怒られると思った。
瞳を閉じたら怒られると思った。
全部やれば今まで以上に怒ると思った。
失明しても平然と笑う姉の顔を歪められると思った。
なんで? なんでなんでなんでなんで?
なんでいつもと変わらない顔をしていられるの?
「ムカツくのよぉ!」
「弾」がサトリを精確に狙い放たれる。
スルりと、身を捩るだけでサトリは「弾」を避けた。
「なんで……?」
「感覚は目だけじゃないでしょ。風を切る音と風の流れる感触も中々良い情報ね。人間は良い感覚を獲得したわね感謝しないと」
「は……」
「何よりも、貴女の癖は良く知っているわ」
無数の「弾」がこいしを包む。
初めて生み出す「弾幕」。
放たれる数が増えようとまったく関係が無かった。
朽木に足を捕らわれることなく、幕の隙間をかいくぐる。
サトリの手に「弾」が生まれる。
こいしの身体が反射的に強張る。「弾」を放つことに慣れてきたものの避けることには慣れていない。
その隙をサトリは逃さなかった。
こいしの腹を抉り「弾」が飛び散る。
衝撃で吹き飛ばされたこいしは蹲ったまま立ち上がることが出来なかった。
失明したことを物ともしない姉に。
見せる顔はもはや持ち合わせていない。
「なんで……なんでなの。お姉ちゃんすごいわ……。いつのまにそんな風になったの?」
「前からよ」
「目が見えなくてもあんなことできたの?」
「そんなわけないじゃない」
「……?」
「とても目の良い子がいるの。あっちに」
こいしはとても当たり前のことを忘れていた。
サトリのペットはたくさんいるのだ。目が見えないことが苦にならないほどに。
「……ずるい」
「帰って練習しましょう」
「…………」
頷きかけたこいしの背筋が凍る。
蹲ったままだったが、一層立ち上がるのが怖くなった。
「勉強も進めなくちゃ今日は百七十九頁目からよ。ご飯が終わったら歯を磨くのよお風呂も必ず入ってもらうわ。二十一時には寝なくちゃならないから時間もあまりないの」
嘘だ。
そんな当たり前のことで済ませてはくれない。
顔には見えないが「怒っている」のだ。今まで以上に。「怒らせてしまった」のだ。
「恐れたわね。心が読めないことを。その調子でもう一度、瞼を開くことを願うわ。お姉ちゃん出来る限りのことをするから」
「ああ……」
その後、何があったのか知っている者は少なく、そして誰も語ろうとはしない。
結果として残っているのはサトリの失明は癒えていて、こいしの瞳は閉じたままだという事だ。