――来た! やっと来た!
たぶん、こう考えるのは凄く不謹慎なんだろう。
地底の妖怪が頭の端にも置いちゃいけない感情なんだろう。
地上に恨みを持つみんなからしてみれば、あたいの行動は裏切りにしか過ぎないんだろう。
だからきっと、あたいは許されない。
この事件が終われば……
あたいの居場所も、仲間も、こんな細い腕から抜け落ちるに決まってる。
でもね、決めたことなんだよ。
全部あたいが背負うって、絶対あの子を救うって。
だからね、あたいはここには戻らない。
いや、ちょっと言い方が違うね。
戻らないんじゃなくてね、きっと、もう……
……戻れないんだ。
あたいの台車は死体専門。
そう思ってた時期もあったけれど、どうやら違う使い道もあるらしい。
こうやってね、底一杯に藁を敷き詰めてさ。
その上から柔らかいクッションを乗せてさ。
ちょっと目線を上にあげといて……
目標落下開始。
角度、速度、最大耐久力の範囲内。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
目標補足、確保する。
あたいは悲鳴を上げながら重力に引かれて加速する物体を視界に入れ微調整。縦、横、高さ、立体的な構造を頭の中で思い浮かべつつ、地面との衝突地点を導き出す。その場所に先回りして、来るべき衝撃を予測。
台車を握る手と、体を支える足におもいっきり力を込め――
「ぐぅっ!」
直後に来た腕の付け根ごと引き抜かれてしまいそうな衝撃と、足首ごと地面に打ち込もうとする重圧には耐えた。それでも風圧で藁が散乱する中、目を開け続けるのは無理というもの。頭に降りかかってくる大量の影を、瞼を閉じて逃げることなく被った。
逃げられるわけ、ないんだけどね。
だって、台車から途中で手を離そうもんなら、クッションに頭を埋めてるお姉さんが、おもいっきり地面とキスすることになってたからね。
「うにににっ、っぷはぁ! うわぁ、あぶなかったぁ……」
「強がりすぎだよお姉さん、もうちょっと空を飛べる余裕くらい残さないと」
クッションから顔を引き抜き、藁と綿を一杯頭にくっつけた黄色い髪のお姉さんが安堵の声を上げていた。この人は土蜘蛛妖怪のヤマメって言ってね、普段ならお姉さんも簡単に空を飛んだりできるんだけど。普段と違うからこうやって空から降ってきた。それくらい消耗したんだろう。
「あ、お燐、あんたが拾ってくれたんだ。助かったよ。これ以上痛いのはご免だもの」
でもねそんなまともに飛べない状態なのに、よろよろと体を台車から退けて。入り口の方へと歩いて行こうとするんだよ。お礼も早々に打ち切って、右腕を押さえながら。
だからあたいは、ぽんぽんっと無言でお姉さんの肩を叩いて、近くの岩陰を指して見せる。ヤマメお姉さんは一瞬それを無視して先に進もうとしたけど、何度も肩を叩くもんだからうざったくなったんだろうね。ちょっと怒り顔で振り返って、それからあたいの指を辿り岩場へと視線を動かし。
一瞬のうちに駆け出していた。
「キスメ! 大丈夫っ? キスメっ!」
そこには、あたいがヤマメお姉さんよりも前に助けたもう一人の地底妖怪。おおきな木製の桶に入った、つるべ落としのキスメお姉さんがいた。地底の先輩だから一応お姉さんってつけてるんだけど、全然そんな感じのしない。ついつい守ってあげたくなる可愛らしくて言葉数の少ない妖怪だよ。
まあ、今静かなのは気絶してるからなんだけどね。もちろん桶の中で。ぐったりと頭を桶に預けて、小さく呼吸だけしてる状況だ。それを確認したヤマメお姉さんは叫ぶのをやめて、愛おしそうにおでこを撫で始めた。
「ああ、あたいは医者じゃないからよくわかんないけど。たぶん怪我とかはほとんどしてないよ。しっかりと受け止めたからね」
「お燐っ! ありがとう! キスメも助けてくれたんだね!」
「いやぁ、まぁ、うん、そうなる」
「本当にありがとうっ!」
えっとね。
ヤマメお姉さん。
そうやって急接近して、手を握られてぶんぶん振られるとさ。さっきお姉さん受け止めたときのダメージが抜けきってないから。地味に痛いんだよね。
それにね。
そんな嬉しそうな顔を向けられたらね。
痛いんだよ。
こう、胸の奥がね。
この事件を引き起こしたのが誰か、あたいが一番わかってるから。響くんだよ。
「うん、あたいもお姉さんたちが無事でよかったよ。がんばった甲斐があった」
「やっぱりしっかり者だね、お燐は。あそこのペットの中で一番頼りになるよ」
「あははははっ、そう言われるとちょっと嬉しくなっちゃうねぇ」
だからね、あたいは仮面を被るんだ。
笑顔っていう便利なお面さ。
さとり様の前では使うことはないけど、それ以外のみんなには効果抜群。
心の中ではね『ごめんなさい』って叫びつづけてる弱いあたいがいるんだけど。お面を被ってる間は、大丈夫なんだ。
胸が苦しくても、みんなが知ってる『お燐』でいられる。
みんなを危険に晒してる馬鹿な自分を隠すことができる。
「それにしても地上の弾幕って凄いのね。戦闘で負けていつもみたいに強がり言ってたら、急に飛んでいられなくなるんだもん」
「弾幕勝負って言うのは地上が本家らしいからね、仕方ないよ。ほら、お姉さん、あたいにばっかり構ってないでそっちを介抱してあげたほうがいいかもねぇ」
「あ、うん、それもそうだね! わかったよ。それとお燐」
「ん、なんだい?」
「お燐も戦うとは思うけど、絶対負けちゃだめだからね!」
戦う? あたいが?
あはは、お姉さん……面白いことを言うね……
「うん、気をつけるよ。でも、それより先にもう一人くらい助けたほうがいいかねぇ?」
「あ、わかった。パルスィだね。あいつも絶対強がって、飛べなくなるまで皮肉言うタイプだよ、勇儀の方は平気だろうけど」
「あー、そこまで理解されてるパルスィお姉さんが素敵だよ」
「ふふ、でも駄目だよ?」
「何がさ?」
「最初に助けるって考えるってことは、『パルスィや勇儀に負けて欲しい』って言うのと同じ意味だから、失礼かも」
「……そ、そうだね」
……なるほどね、さすがヤマメお姉さん。
あたいの悪いところをしっかり指摘してくれたよ。
そうか、うん、そうだよね。
そっちの方が、自然だね……
「じゃあ、お姉さんたちを応援しながら、ちょっとだけ妨害してみるよ」
「そうだよ。私より弾幕上手なんだから、しっかりね!」
「うん、がんばるよ」
あたいは台車を怨霊に運ばせ、自分は黒猫に変化して走る。
速さだけならこっちの方が上だし、何より小回りが効く。パルスィお姉さんがあの地上からやってきた巫女に負けたら、変化を解いて受け止めてあげればいいだけだし。
この姿なら、見つかっても猫の妖怪としか思われないからね。
旧都の方で足止め食らって迷わないように、ちゃんと案内してあげる必要もある。
全部あたい一人でやらないといけないから。
協力者がいちゃ、いけないから。
うん、そうだよ、ヤマメお姉さん。
死ぬ気で、がんばるよ。
岩場をとんっと軽く蹴って。
あたいはただ一つの目的のために前進する。
あの子を救うためだけに、後ろなんて振り返らないように。ただ、足を進めていく。
色鮮やかな弾幕の前に力を失って急降下する地底の仲間たち。
そんな映像を両目に見せ付けられながら、あたいは牙を噛み締めた。
うん、やっぱりあの人凄いよ。
勇儀お姉さんもパルスィお姉さんもあっという間に退けて、とうとう地霊殿まで来ちゃった。
さすがに『悟り』能力のさとり様には苦労してるみたいだけど、本当に苦労してるだけ。ぎりぎりで弾幕を捌くさとり様と違って、あの巫女は誰かと会話しながら簡単に回避する。そうやってジリ貧の戦いを続ければどっちが先に消耗するかなんて目に見えた。
目に見えたから、あたいはさとり様の援護をせずに、中庭へ移動した。
灼熱地獄へ続く道で、巫女の姿がしっかり見える位置で身を隠す。
「主人の敗北を願うなんて、ペット失格かな……」
硬い無機質な壁に身を預け、瞳を閉じれば、さとり様と暮らした日々が少しだけ瞼の裏に出てきた。
あたいが嫌だっていうのに、『かえんびょう』って呼んで意地悪するさとり様。
あたいが嫌だっていうのに、お風呂に入れようとするさとり様。
あたいが嫌だっていうのに、何でも食べさせようとするさとり様。
あたいが嫌だっていうのに、風邪が治るまで看病してくれたさとり様。
そんなさとり様を、私は今簡単に裏切ろうとしていて。
心が重く押しつぶされそうなのに……
でも、止まらない。
あたいは、行動を止めない。
天秤に掛けたもう一つが、あまりにも大きすぎるから。
あたいがすべてを掛けて守ってもいいって、本気で思えるやつだから。
だからごめんなさい、さとり様。
あたいは、助けません。
だって、近づけばすべて知られてしまう。
あたいが犯した罪のすべてを知られてしまう。
もし、あたいの手助けでさとり様が勝ってしまったら、そのときにすべてが終わってしまう。
お空に異常が起きていることが今知られたら、絶対あの子とさとり様がぶつかることになる。
それだけは、絶対にいけない。
お空の居場所がなくなることを、させちゃいけない。
「もう、そんなことは気にしなくてよさそうだけどね……」
あたいが自分の中で感情を抑えているうちに、遠くに点が見えた。
地底では珍しい、赤と白が混ざった色の人影。
目の良いあたいだから見えるけど、きっとあっちはわからないだろうね。
――さぁて、じゃあ最後の演技と行こうか。
あの向かってくる巫女の前にあたいが飛び出て、怨霊を操ってたのはあたいだと正直に話して、でも間欠泉が出たのは別のやつの仕業だって言ってお空にぶつけさせる。
それであたいの役目は終わり。
それでお空が巫女を倒せば、地上からきた敵対勢力を打ち破ったと称えられるはず。地上に恨みを持ったやつは多いから、お空が地上を滅ぼすつもりだったってことが知られても厳重注意程度で収まるかもしれない。
でも、これじゃあお空を抑える根本的な解決にはならないから。
あたいが望む本命は、また別な方。
あの巫女がお空を倒して、馬鹿なことを考えるお空を止めること。
それが全部丸く収まる唯一の方法。
お空も知らない人が相手だから、全力で攻撃しても心が痛まないし。
それで負けたんなら諦めも付くだろう。
でも、ちょっと痛い思いとか苦しい思いとかさせちゃうけど、仕方ないよね。
あの子のためだもの。
「さぁって、いらないスペルカードは捨てとかないとね」
巫女の攻撃に反応してついつい本気の弾幕戦やっちゃったら困るしね。
スカートの中からカードを取り出してっと。
うん、えーっと、1枚、2枚……
そういえば、スペルカードの弾幕ってまともに食らうと結構響くんだよね。
こんなときに考えるのもどうかと思うけどさ。
やっぱり妖怪退治専門っていう、巫女さんが使うと威力も段違いだったりして。キスメもヤマメも最後にはふらふらだったし、パルスィお姉さんも強がってずっと飛んでたせいで倒れちゃったし。
あはは、うん、ちょっと、それをお空に受けさせるのは可愛そうかなぁ。
あ、でも、仕方ない、よね……、
「あはは……、何、考えてるんだろうね」
巫女は戦わずに、いらない消耗をさせずにお空のところに通す。
それが作戦の大前提。
だから、あたいは誘導のための接触はしても、絶対に戦わない。
そう、決めた。
「違うんだよ、お空を守ることは……今、戦うことじゃないんだ。巫女を通さないといけないんだよ……」
それなのに、手が言うことを聞いてくれない。
捨てなければいけないカードを、手放してくれない。
強くカードを握り締めたまま震えるだけで、あたいの作戦を形にしてくれない。
確かに、お空が苦しむ姿は見たくない。
想像したくないけど。
違うだろう、あたい!
今、あたいが巫女を追い返したら、あの子はもっと苦しむことになる。
何も知らないまま地上に出て、破壊を振りまいて。
その結果がどうなるか、わかるはずだよ。
あの子一人で、全部できるはずがないんだ。
絶対、泣くに決まってる。
寂しいって、苦しいって。
大声で泣いて、傷ついて。
でも、救われない。
そんな未来にあの子を進ませるわけにはいけないのに……
「あはははははは、はははっ……」
あたいは、馬鹿だ。
今、弾幕を受けて痛いって言うかもしれないお空の姿を……
助けてって言うお空の姿を、頭の片隅に思い浮かべただけで……
この手を、引けなくなる。
みんなが傷つくのを我慢して、唇を噛み締めて見て来たっていうのに。
なんで、今の一瞬を耐えられないんだよ。
おかしいよ、なんでさ。
なんで、猫の姿になって巫女の後ろに回ってさ。
迎え撃つ準備をしてるのさ……
「じゃじゃ~ん、お姉さん、楽しいことしてるね! あたいも混ぜてくれるかい?」
本気を隠すためにおどけた口調まで取ってさ。
油断させてから、どんってね。
どこまであたいは馬鹿なんだ……
「あー、間欠泉? ああ、あの子のこと。あんな危ない烏はほっといて、私と遊ぼうよ!」
遊びなんて、嘘。
最初から全開。
巫女と向き合っちゃったらね、もう、歯止めが利かなかった。
あたいは持てる力を全部ぶつけるつもりで、死霊たちを操り、お姉さんに向かっていった。
ふふ、あたいはね全部みてきたんだ。
お姉さんの戦い方を、ね。
だからさ、知は力なり。お姉さんがあたいに勝とうなんて、無理な話なんだよ。
ほら、さっさと!
あたいに運ばれる死体になっちゃいなっ!
――ってね?
強がった結果が、これ。
地熱で暖められた岩の上に転がされて、暗い天井を眺めるだけ。
一発も弾幕を浴びせられずに、かっこ悪く転がるだけ。
あ~あ、なんだろうね。あたい。
結果、作戦どおりになったからいいんだけど。
ちょっとかっこ悪いなぁ。
馬鹿みたいに本気になってさ、結局なにもできなくて。
あたいがしてあげたかったことは、全部別の誰かが……
よこからかっさらっていく。
ああ、そうか。
そうだったんだ。
あたいは、あの巫女からお空を守りたかったんじゃなくて。
お空を救うのが、あたい以外の誰かだってことが嫌だったんだ。
それにやっと気付いて。
無茶して……
「……また、会えるかな、お空」
禁を犯したことを、やっと後悔した。
でも、全部がもう手遅れで……
「元の、優しいお空に、会いたいよ……」
あたいはただ、子猫のように震えて。
にゃーん、て鳴いた。
優しいお燐の心情に泣きました。
お空を想うあまりのお燐の複雑な心中と行動が良く描かれていると思います。
さりげないヤマキスと、前作と合わせ技にこの点数で。
異変後を描いた続編も読んでみたいです…!