照りつける日差し。
目に痛いほどに眩しい太陽。
青く澄んだ空。
喧しい蝉の声。
幻想郷は今、夏真っ盛りだ。
「幽香ちゃん、暑いわ」
「第一声がそれなのね」
ここは太陽の畑。
夏の間は辺り一面を陽気な向日葵達が覆いつくす。
その光景は、スキマ妖怪が日も高いうちから見に来る程度には美しい。
夏の暑さを差し引いても、見に来る価値のある光景だ。
紫が身なりを整え、スカートの裾をつまんで恭しく頭を下げる。
「ごきげんよう、幽香」
「ごきげんよう、紫。手土産に氷精を持って来るぐらいの配慮は無かったのかしら?」
「そのつもりだったんだけどね、霊夢に盗られちゃった」
「あっそ」
幽香は麦藁帽を被って、向日葵畑を散歩している途中だった。
そこにいつの間にか紫がいた。
少し言葉を交わしてから、また向日葵畑を歩いていく。
紫は少し遅れて、日傘を差して幽香の後についていく。
幽香が日陰に入るように、ほんの少し傘を傾けて。
「暑い中ご苦労なことね」
「日課だもの。それに、綺麗に咲いてくれないと嫌だし」
幽香は、一本ずつ向日葵の様子を確かめながら歩いている。
とても一日では回りきれない量だが、急ぐ様子も無く、のんびりと歩く。
花と戯れる。そんな言葉が似合う光景だ。
向日葵の花弁を整えている幽香に声をかける。
「向日葵。今年も綺麗に咲いたわね」
お世辞抜きで、紫が心からの称賛を口にする。
顔を上げると、見渡す限り一面の向日葵畑。
ピンと真っ直ぐ伸び、太陽の光を受けて眩しく輝いている。
無数の向日葵が、自分を見つめ、風に揺れて葉を鳴らしている。
この光景を見る者は、例外なく皆笑顔になる。
「ありがと。見に来てくれて嬉しいわ」
幽香が花のように可憐に笑う。
夏の暑さも忘れてしまいそうな、見惚れてしまう光景。
紫が幽香に歩み寄る。
二人が傘に隠れ、幽香の麦藁帽子が地面に落ちる。
「盛りでもついた?」
「あら、この程度は挨拶よ」
「キス魔」
「私がキスをするのは幽香だけ。嫌だったかしら?」
「いや」
幽香が後ろ手に組み、軽く体を揺らす。
「ねえ、もう一度キスして」
「あら、盛りでもついちゃった?」
「いいから早く」
「はいはい。我侭なお姫様ねえ」
紫が体を近付け、二人の影が重なる。
「これでいいかしら?」
「そうね、とりあえずは」
「キスしたくなったらいつでも言ってね。歓迎するわよ」
「うるさい」
つい語気が荒くなる。
嬉しさを隠そうとして、幽香が顔を背けて歩き出す。
その少し後を、紫が傘を持って追いかける。
飛びもせず、走りもせず、向日葵畑で追いかけっこ。
幽香が歩くと、遅れて紫も歩く。
幽香が止まると、紫も止まる。
幽香が待っていても、紫はそれ以上進もうとしない。
幽香が歩くと、それと同じだけ紫も歩く。
二人の間には3m程のスキマがある。
それ以上近付きもせず、遠ざかりもせず。
紫はそれだけの距離を離れて幽香の後についていく。
しばらく歩いた所で、幽香が立ち止まって後ろを振り向く。
「なにがしたいのよ、あんたは」
紫が、自分は関係ないのよと言わんばかりに後ろを振り向いて、他の誰かを探す。
「紫、ついて来るならもっと近くに来てよ」
紫が頬に手を当て、困ったように首をかしげる。
「近くっていうと、どのくらいまで近付けばいいのかしら?」
しなを作り、その場に立ち止まったまま動こうとしない。
「人にはパーソナルスペースっていうのがあってね。近付きすぎると嫌がられちゃうの。
だから、嫌われないように離れてたの。幽香ちゃんに近付くにしても、どのくらい近付いていいか分からないわあ」
紫がとぼけた顔で胡散臭い講釈を始める。
幽香が一歩前に出ると、紫が一歩後ろに下がる。
早足で近付こうとすると、風船のようにふわりと浮かび上がって離れてしまう。
二人の間には3m程のスキマがある。
幽香が目に見えてイラついてくる。
その不穏な空気を涼しい顔で受け流して話を続ける。
「親密な関係だと45cm以内、個人的な関係だと45cm~120cm、社交的な関係だと120cm~360cmって言われてるわ。
ねえ、幽香ちゃん。 私はどのくらいまで近付いていいのかしら?」
楽しそうに、蛇が獲物を狙うような執拗さで幽香を嬲る。
対する幽香は腕を組み、仁王立ちで不満を全身でアピールしている。
「そんなの、大体分かるでしょ」
「分からないから聞いてるのよ」
暖簾に腕押し。押しても引いても全く効果はない。
付き合いきれなくなった幽香が、紫に背を向けて歩き出す。
今度は、紫はついてこない。
その場に佇んだまま、幽香の後姿を見送るだけ。
十歩も進まぬうちに、幽香が足を止め、盛大に溜息を吐く。
それから、楽しそうな紫の方を振り向く。
結局、全て紫の思惑通りに事が進む。
「一度しか言わないから、ちゃんと聞きなさい」
「はい」
紫は両手で傘を持ち、少女のように柔らかく微笑む。
次に出てくる言葉を期待して、自然と頬が緩んでしまう。
「恋人の距離に居て。それ以上離れたら許さないから」
睨むように、紫の方をしっかりと見据えて言い放つ。
恥ずかしさで少し顔が赤くなる幽香と、幸せそうな笑みを隠そうともしない紫。
見つめあいながら、紫がゆっくりと近付いていく。
幽香は駆け出したいのを我慢して、その場で待っている
紫が一歩一歩確かめるように進み、ようやく二人が恋人の距離まで近付く。
「遅い」
「お待たせしました」
紫が幽香の首に抱きついて、体を寄せる。
とても嬉しそうな、恋する少女の瞳をしている。
「幽香、キスしてあげる」
「紫がしたいんでしょ」
「幽香だって、したいでしょ?」
「……」
「沈黙は肯定よ」
「あんたの煩い口は、少し塞いだ方がいいわね」
「大賛成」
幽香が紫を抱きしめ、口付けを交わす。
夏の暑さも忘れてしまいそうな、情熱的なキスを。
「もうしばらく散歩するから、付き合いなさいよ」
「ええ、もちろん」
紫が傘を持ってないほうの手で、幽香の腕に抱きついてくる。
日傘のおかげで影が出来たが、くっついているせいで多少暑苦しくもなった。
でも、この方が幸せだから離れたくはない。
紫がしたり顔で見上げる。
「恋人の距離って、こういうことでしょ?」
「割と汗かいてるんだけど」
「気にしないわ」
「私が気にするわよ」
紫が幽香の顔を見つめる。
「先にお風呂にでも入る?」
「もう少し歩いたらね」
「はーい」
今度はスキマなく、ぴったりと体をくっつけて歩く。
二人の距離は、このくらいで丁度いい。
・・・
「生き返るわねえ~」
「そうね」
「何でこっち向いてくれないのかしら?」
「別にいいじゃない」
「幽香って、変なとこで恥ずかしがり屋さんよねえ」
「紫の恥じらいが無さ過ぎるのよ」
向日葵畑を見た後、汗を流すためにお風呂に入っている。
お風呂と言っても、広い浴槽に水を張ったのでプールに近いのかもしれない。
そこで裸の美女二人、背中合わせで水に浸っている。
「広いんだし、わざわざくっつかなくてもいいでしょ」
「冷たい水と、火照った幽香の体、これが気持ちいいのよ」
紫は幽香に寄りかかり、脚を投げ出している。
「それにしても、贅沢なとこよねえ。いっつもこんなことしてるの?」
浴槽にはバラの花弁が贅沢に浮かべられ、芳醇な香りを放っている。
赤や黄、白の色鮮やかなバラの花が水面に漂い、壁面を様々な花が埋め尽くしている。
大きな窓からは陽の光が入り、向日葵畑と青い空とを一度に眺める事ができる。
ここは、幻想郷の中の楽園だ。
「夏だからね、花も元気になるのよ」
「ふぅん?」
「なによ」
「いや、『貴女のために飾り付けたのよ』くらい、嘘でもいいから言ってほしかったなあって」
「そのくらい、言わなくても分かってるんでしょ」
「え、なあに? 聞こえなあ~い」
「何も言ってないわよ」
「私のために飾り付けてくれたんでしょ、そのくらい分かってるわ」
「暑いからくっつかないでよ」
「いやよ~。恋人の距離って、こういうことでしょう?」
紫が幽香の方を向き、後ろから抱きつく。
幽香は少し体を揺すったものの、それほど嫌そうな様子ではない。
「こうして見ると、意外と焼けてるのね」
「多少はね」
服で隠れている部分と、そうでない部分とで、見比べなければ分からない程度に軽く焼けている。
その境目を指で撫でながら、紫が体をすりよせる。
「でも、こっちは白くて綺麗な肌」
首筋にキスをし、背中に手を這わす。
そして、その手を下の方へと動かす。
「涼を取るためのお風呂で、汗をかくようなことをしたくないんだけど」
「あら、何を期待してるのかしら? エッチな娘ねえ」
「……」
「悪かったわ。だから、もう少しこうしていましょうよ」
立ち上がろうとする幽香を押さえ、逃がさないように抱きしめる。
水面を波紋が伝わり、花が風に揺れるように踊る。
静謐が戻った頃、二人がぴったりと寄り添っていた。
「私のこと、嫌いじゃないんでしょう?」
「好きよ」
「うん。じゃあ、もう少しこうしていましょ」
「紫」
「なあに?」
「キスして」
「喜んで」
幽香が紫の方を向き、体を預ける。
ぴったりと体を寄せ合う。
「やっとこっちを見てくれた。でも、もう少し離れてくれないと、幽香の綺麗な体が見れないわ」
「見なくていいの。今は、私の顔だけ見てなさい」
「はーい」
幽香が、噛み付くようにキスをする。
紫の上にのしかかり、そして勢い余って二人とも水の中に倒れこむ。
水しぶきがあがり、二人の姿が花の間に隠れる。
水の中で見つめあい、少ししてから水面から顔を出す。
「ぷっ、あははははは」
「ふふふふ」
息を吸い込み、声を揃えて笑ってから、幽香が髪の滴を払いながら立ち上がる。
今度は体を隠そうとせず、水の滴る体を見せ付ける。
「そろそろあがりましょうか」
「そうね、これ以上いたら風邪ひいちゃいそう」
幽香の肢体を嘗め回すように見つめてから、紫は重そうに髪を持ち上げて浴槽から出る。
「あ、幽香ちゃん。着替えは用意しておいたから」
◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇
「どこから持ってきたの?」
「秘密。可愛いでしょ」
「良い趣味ね。向日葵の柄ならもっと良かったけど」
日が落ちて、幾分涼しくなってきた頃。
二人は紫が用意した浴衣を着て、向日葵畑に戻ってきた。
幽香には白地に紅く牡丹の柄が入った浴衣を。
紫は薄紫の生地に朝顔の柄の浴衣を着ている。
薄暗がりでも闇に呑まれず、凛とした美しさを醸し出している。
「そう言うと思って、髪飾りは向日葵にしてあげたのよ」
「あら、可愛いわね」
「着けてあげるわ」
「ありがと」
紫が手にした向日葵の髪飾りを見て、幽香の顔がほころぶ。
何だかんだ言いつつ、紫が用意してくれた服を気に入っているようだ。
幽香の後ろに回り、髪に手を入れる。
「ほんと、いい匂いがするわね。天然の香水みたい」
「終わったら離れなさいよ」
「そうね。折角の艶姿が見れないものね」
髪を結い上げ、幽香の前に回って、腕を広げて軽く一回り。
わざとらしく愛嬌をふりまく。
「似合うかしら?」
「綺麗よ。向日葵の次くらいには」
「ありがと」
幽香の最大級の賛辞に、紫が微笑む。
「幽香も綺麗よ。私と同じくらいには」
「ありがと。それって褒めてるのかしら?」
「褒めてるのよ。私以上の美人なんて存在しないもの」
「そういうことにしといてあげる」
軽く笑い合い、しばらく互いの姿を目で堪能する。
それから、紫がちょっとした提案をする。
「幽香ちゃん、花火しましょうか」
・・・
「花火って言うから、打ち上げの派手なのを想像したんだけど」
「これはこれで風情があっていいじゃない。幽香の好きな向日葵の傍で出来るしね」
「それはそうなんだけど」
「綺麗でしょ?」
「そうね。とっても綺麗」
空に咲く花。
向日葵畑にしゃがみこみ、二人で線香花火をやっている。
打ち上げ花火ほどの華美さはないものの、この光は人を惹き付けるものがある。
炎が弾け、空に光の軌跡を刻む。
その姿が花のようにも見える。
一瞬だけ咲き、ちょっとした衝撃で儚く落ちてしまう。
燃え尽きてしまうまで、落とさないようにと気を配る。
火花を撒き散らすだけの花火より、儚さを感じさせる線香花火の方が幽香には合っている。
花を育てるように、花を愛でるように、花火を楽しんでいる。
せいぜい一分ほどしか持たない花火。
それを一本ずつ、丁寧に咲かせていく。
幽香は黙ったまま、その炎をじっと見つめている。
紫は花火もそこそこに、幽香の横顔を静かに見守っている。
月明かりと、朧な線香花火の灯りに照らされた幽香の顔に見惚れている。
「ねえ、幽香」
「ん?」
「大好きよ」
「ありがと」
空に花を咲かせたあと、流れ星のように光が地面に落ちる。
「私も好きよ、紫。花の次くらいにはね」
「嬉しいわ。それはこの世で二番目に好きってことよね」
「三番目よ。一番が向日葵、二番は四季の花、紫は三番目」
「それは喜んでいいのかしら?」
「光栄に思うといいわ。生き物の中では、紫のことが一番好きなんだから」
「ありがと、花の妖怪さん」
最後の線香花火が散る。
幽香は散る花を見つめ、紫は幽香を見つめ。
その美しさを瞳に焼き付ける。
「終わったわね」
「そうね。随分熱心にやってたじゃない」
「綺麗だったから。これって結構良いものでしょ?」
「花火より幽香の方がずっと綺麗よ」
「ありがと」
立ち上がり、のびをしてから服についた埃を払う。
目を上げると、力強い太陽の花が咲き乱れている。
夜になってもその黄色は褪せることなく、星よりも眩しく輝いている。
「少し散歩しましょうか」
「それもいいわね」
「ほら」
幽香が手を差し出す。
紫がその手を取る。
「手を繋ぐのもいいんだけどね」
幽香の手を引っ張って抱き寄せる。
「今日は、あんまり私の方を見てくれないわよね。どうしてなのかしら?」
紫が顔を近づける。
幽香が恥ずかしそうに顔を背ける
「あんたの顔を見てると、他の大事なことを色々と忘れちゃいそうだからよ」
紫が妖艶な笑みを湛える。
幽香の顔を掴んで正面を向かせ、おでこを合わせて見つめ合う。
「たまには面倒くさい事全部忘れちゃって、私に溺れてみるのもいいんじゃない?」
「そうね。暗いせいで、あんたの顔くらいしか見えないものね」
「私の顔が見えれば、それで十分よ」
「そうね」
ドン、と。
一度きり、重く低い音が鳴り渡る。
そして、ぱあんと夜空に大輪の花が咲き乱れる。
二人の顔が光に染められる。
「打ち上げ花火、用意してたのね」
「さあ? 私がやったわけじゃないわよ」
「……。まあ、どっちでもいいか」
「花火、見たかったんじゃないの?」
「どうかしら? 今は、ほかの事全てより紫のほうが大事」
幽香の方から、唇を近づける。
紫を逃がさないように、しっかりと抱きしめる。
貪るような、長い長いキス。
それが終わってから、互いに体を抱き寄せ見つめあう。
「この後はどうしましょうか?」
「どうでもいいわ。紫の好きにして」
「じゃあ、好きにさせてもらうわ」
紫がキスをして、二人が闇の中へと消える。
妖怪達の夜は、まだ始まったばかり。
目に痛いほどに眩しい太陽。
青く澄んだ空。
喧しい蝉の声。
幻想郷は今、夏真っ盛りだ。
「幽香ちゃん、暑いわ」
「第一声がそれなのね」
ここは太陽の畑。
夏の間は辺り一面を陽気な向日葵達が覆いつくす。
その光景は、スキマ妖怪が日も高いうちから見に来る程度には美しい。
夏の暑さを差し引いても、見に来る価値のある光景だ。
紫が身なりを整え、スカートの裾をつまんで恭しく頭を下げる。
「ごきげんよう、幽香」
「ごきげんよう、紫。手土産に氷精を持って来るぐらいの配慮は無かったのかしら?」
「そのつもりだったんだけどね、霊夢に盗られちゃった」
「あっそ」
幽香は麦藁帽を被って、向日葵畑を散歩している途中だった。
そこにいつの間にか紫がいた。
少し言葉を交わしてから、また向日葵畑を歩いていく。
紫は少し遅れて、日傘を差して幽香の後についていく。
幽香が日陰に入るように、ほんの少し傘を傾けて。
「暑い中ご苦労なことね」
「日課だもの。それに、綺麗に咲いてくれないと嫌だし」
幽香は、一本ずつ向日葵の様子を確かめながら歩いている。
とても一日では回りきれない量だが、急ぐ様子も無く、のんびりと歩く。
花と戯れる。そんな言葉が似合う光景だ。
向日葵の花弁を整えている幽香に声をかける。
「向日葵。今年も綺麗に咲いたわね」
お世辞抜きで、紫が心からの称賛を口にする。
顔を上げると、見渡す限り一面の向日葵畑。
ピンと真っ直ぐ伸び、太陽の光を受けて眩しく輝いている。
無数の向日葵が、自分を見つめ、風に揺れて葉を鳴らしている。
この光景を見る者は、例外なく皆笑顔になる。
「ありがと。見に来てくれて嬉しいわ」
幽香が花のように可憐に笑う。
夏の暑さも忘れてしまいそうな、見惚れてしまう光景。
紫が幽香に歩み寄る。
二人が傘に隠れ、幽香の麦藁帽子が地面に落ちる。
「盛りでもついた?」
「あら、この程度は挨拶よ」
「キス魔」
「私がキスをするのは幽香だけ。嫌だったかしら?」
「いや」
幽香が後ろ手に組み、軽く体を揺らす。
「ねえ、もう一度キスして」
「あら、盛りでもついちゃった?」
「いいから早く」
「はいはい。我侭なお姫様ねえ」
紫が体を近付け、二人の影が重なる。
「これでいいかしら?」
「そうね、とりあえずは」
「キスしたくなったらいつでも言ってね。歓迎するわよ」
「うるさい」
つい語気が荒くなる。
嬉しさを隠そうとして、幽香が顔を背けて歩き出す。
その少し後を、紫が傘を持って追いかける。
飛びもせず、走りもせず、向日葵畑で追いかけっこ。
幽香が歩くと、遅れて紫も歩く。
幽香が止まると、紫も止まる。
幽香が待っていても、紫はそれ以上進もうとしない。
幽香が歩くと、それと同じだけ紫も歩く。
二人の間には3m程のスキマがある。
それ以上近付きもせず、遠ざかりもせず。
紫はそれだけの距離を離れて幽香の後についていく。
しばらく歩いた所で、幽香が立ち止まって後ろを振り向く。
「なにがしたいのよ、あんたは」
紫が、自分は関係ないのよと言わんばかりに後ろを振り向いて、他の誰かを探す。
「紫、ついて来るならもっと近くに来てよ」
紫が頬に手を当て、困ったように首をかしげる。
「近くっていうと、どのくらいまで近付けばいいのかしら?」
しなを作り、その場に立ち止まったまま動こうとしない。
「人にはパーソナルスペースっていうのがあってね。近付きすぎると嫌がられちゃうの。
だから、嫌われないように離れてたの。幽香ちゃんに近付くにしても、どのくらい近付いていいか分からないわあ」
紫がとぼけた顔で胡散臭い講釈を始める。
幽香が一歩前に出ると、紫が一歩後ろに下がる。
早足で近付こうとすると、風船のようにふわりと浮かび上がって離れてしまう。
二人の間には3m程のスキマがある。
幽香が目に見えてイラついてくる。
その不穏な空気を涼しい顔で受け流して話を続ける。
「親密な関係だと45cm以内、個人的な関係だと45cm~120cm、社交的な関係だと120cm~360cmって言われてるわ。
ねえ、幽香ちゃん。 私はどのくらいまで近付いていいのかしら?」
楽しそうに、蛇が獲物を狙うような執拗さで幽香を嬲る。
対する幽香は腕を組み、仁王立ちで不満を全身でアピールしている。
「そんなの、大体分かるでしょ」
「分からないから聞いてるのよ」
暖簾に腕押し。押しても引いても全く効果はない。
付き合いきれなくなった幽香が、紫に背を向けて歩き出す。
今度は、紫はついてこない。
その場に佇んだまま、幽香の後姿を見送るだけ。
十歩も進まぬうちに、幽香が足を止め、盛大に溜息を吐く。
それから、楽しそうな紫の方を振り向く。
結局、全て紫の思惑通りに事が進む。
「一度しか言わないから、ちゃんと聞きなさい」
「はい」
紫は両手で傘を持ち、少女のように柔らかく微笑む。
次に出てくる言葉を期待して、自然と頬が緩んでしまう。
「恋人の距離に居て。それ以上離れたら許さないから」
睨むように、紫の方をしっかりと見据えて言い放つ。
恥ずかしさで少し顔が赤くなる幽香と、幸せそうな笑みを隠そうともしない紫。
見つめあいながら、紫がゆっくりと近付いていく。
幽香は駆け出したいのを我慢して、その場で待っている
紫が一歩一歩確かめるように進み、ようやく二人が恋人の距離まで近付く。
「遅い」
「お待たせしました」
紫が幽香の首に抱きついて、体を寄せる。
とても嬉しそうな、恋する少女の瞳をしている。
「幽香、キスしてあげる」
「紫がしたいんでしょ」
「幽香だって、したいでしょ?」
「……」
「沈黙は肯定よ」
「あんたの煩い口は、少し塞いだ方がいいわね」
「大賛成」
幽香が紫を抱きしめ、口付けを交わす。
夏の暑さも忘れてしまいそうな、情熱的なキスを。
「もうしばらく散歩するから、付き合いなさいよ」
「ええ、もちろん」
紫が傘を持ってないほうの手で、幽香の腕に抱きついてくる。
日傘のおかげで影が出来たが、くっついているせいで多少暑苦しくもなった。
でも、この方が幸せだから離れたくはない。
紫がしたり顔で見上げる。
「恋人の距離って、こういうことでしょ?」
「割と汗かいてるんだけど」
「気にしないわ」
「私が気にするわよ」
紫が幽香の顔を見つめる。
「先にお風呂にでも入る?」
「もう少し歩いたらね」
「はーい」
今度はスキマなく、ぴったりと体をくっつけて歩く。
二人の距離は、このくらいで丁度いい。
・・・
「生き返るわねえ~」
「そうね」
「何でこっち向いてくれないのかしら?」
「別にいいじゃない」
「幽香って、変なとこで恥ずかしがり屋さんよねえ」
「紫の恥じらいが無さ過ぎるのよ」
向日葵畑を見た後、汗を流すためにお風呂に入っている。
お風呂と言っても、広い浴槽に水を張ったのでプールに近いのかもしれない。
そこで裸の美女二人、背中合わせで水に浸っている。
「広いんだし、わざわざくっつかなくてもいいでしょ」
「冷たい水と、火照った幽香の体、これが気持ちいいのよ」
紫は幽香に寄りかかり、脚を投げ出している。
「それにしても、贅沢なとこよねえ。いっつもこんなことしてるの?」
浴槽にはバラの花弁が贅沢に浮かべられ、芳醇な香りを放っている。
赤や黄、白の色鮮やかなバラの花が水面に漂い、壁面を様々な花が埋め尽くしている。
大きな窓からは陽の光が入り、向日葵畑と青い空とを一度に眺める事ができる。
ここは、幻想郷の中の楽園だ。
「夏だからね、花も元気になるのよ」
「ふぅん?」
「なによ」
「いや、『貴女のために飾り付けたのよ』くらい、嘘でもいいから言ってほしかったなあって」
「そのくらい、言わなくても分かってるんでしょ」
「え、なあに? 聞こえなあ~い」
「何も言ってないわよ」
「私のために飾り付けてくれたんでしょ、そのくらい分かってるわ」
「暑いからくっつかないでよ」
「いやよ~。恋人の距離って、こういうことでしょう?」
紫が幽香の方を向き、後ろから抱きつく。
幽香は少し体を揺すったものの、それほど嫌そうな様子ではない。
「こうして見ると、意外と焼けてるのね」
「多少はね」
服で隠れている部分と、そうでない部分とで、見比べなければ分からない程度に軽く焼けている。
その境目を指で撫でながら、紫が体をすりよせる。
「でも、こっちは白くて綺麗な肌」
首筋にキスをし、背中に手を這わす。
そして、その手を下の方へと動かす。
「涼を取るためのお風呂で、汗をかくようなことをしたくないんだけど」
「あら、何を期待してるのかしら? エッチな娘ねえ」
「……」
「悪かったわ。だから、もう少しこうしていましょうよ」
立ち上がろうとする幽香を押さえ、逃がさないように抱きしめる。
水面を波紋が伝わり、花が風に揺れるように踊る。
静謐が戻った頃、二人がぴったりと寄り添っていた。
「私のこと、嫌いじゃないんでしょう?」
「好きよ」
「うん。じゃあ、もう少しこうしていましょ」
「紫」
「なあに?」
「キスして」
「喜んで」
幽香が紫の方を向き、体を預ける。
ぴったりと体を寄せ合う。
「やっとこっちを見てくれた。でも、もう少し離れてくれないと、幽香の綺麗な体が見れないわ」
「見なくていいの。今は、私の顔だけ見てなさい」
「はーい」
幽香が、噛み付くようにキスをする。
紫の上にのしかかり、そして勢い余って二人とも水の中に倒れこむ。
水しぶきがあがり、二人の姿が花の間に隠れる。
水の中で見つめあい、少ししてから水面から顔を出す。
「ぷっ、あははははは」
「ふふふふ」
息を吸い込み、声を揃えて笑ってから、幽香が髪の滴を払いながら立ち上がる。
今度は体を隠そうとせず、水の滴る体を見せ付ける。
「そろそろあがりましょうか」
「そうね、これ以上いたら風邪ひいちゃいそう」
幽香の肢体を嘗め回すように見つめてから、紫は重そうに髪を持ち上げて浴槽から出る。
「あ、幽香ちゃん。着替えは用意しておいたから」
◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇
「どこから持ってきたの?」
「秘密。可愛いでしょ」
「良い趣味ね。向日葵の柄ならもっと良かったけど」
日が落ちて、幾分涼しくなってきた頃。
二人は紫が用意した浴衣を着て、向日葵畑に戻ってきた。
幽香には白地に紅く牡丹の柄が入った浴衣を。
紫は薄紫の生地に朝顔の柄の浴衣を着ている。
薄暗がりでも闇に呑まれず、凛とした美しさを醸し出している。
「そう言うと思って、髪飾りは向日葵にしてあげたのよ」
「あら、可愛いわね」
「着けてあげるわ」
「ありがと」
紫が手にした向日葵の髪飾りを見て、幽香の顔がほころぶ。
何だかんだ言いつつ、紫が用意してくれた服を気に入っているようだ。
幽香の後ろに回り、髪に手を入れる。
「ほんと、いい匂いがするわね。天然の香水みたい」
「終わったら離れなさいよ」
「そうね。折角の艶姿が見れないものね」
髪を結い上げ、幽香の前に回って、腕を広げて軽く一回り。
わざとらしく愛嬌をふりまく。
「似合うかしら?」
「綺麗よ。向日葵の次くらいには」
「ありがと」
幽香の最大級の賛辞に、紫が微笑む。
「幽香も綺麗よ。私と同じくらいには」
「ありがと。それって褒めてるのかしら?」
「褒めてるのよ。私以上の美人なんて存在しないもの」
「そういうことにしといてあげる」
軽く笑い合い、しばらく互いの姿を目で堪能する。
それから、紫がちょっとした提案をする。
「幽香ちゃん、花火しましょうか」
・・・
「花火って言うから、打ち上げの派手なのを想像したんだけど」
「これはこれで風情があっていいじゃない。幽香の好きな向日葵の傍で出来るしね」
「それはそうなんだけど」
「綺麗でしょ?」
「そうね。とっても綺麗」
空に咲く花。
向日葵畑にしゃがみこみ、二人で線香花火をやっている。
打ち上げ花火ほどの華美さはないものの、この光は人を惹き付けるものがある。
炎が弾け、空に光の軌跡を刻む。
その姿が花のようにも見える。
一瞬だけ咲き、ちょっとした衝撃で儚く落ちてしまう。
燃え尽きてしまうまで、落とさないようにと気を配る。
火花を撒き散らすだけの花火より、儚さを感じさせる線香花火の方が幽香には合っている。
花を育てるように、花を愛でるように、花火を楽しんでいる。
せいぜい一分ほどしか持たない花火。
それを一本ずつ、丁寧に咲かせていく。
幽香は黙ったまま、その炎をじっと見つめている。
紫は花火もそこそこに、幽香の横顔を静かに見守っている。
月明かりと、朧な線香花火の灯りに照らされた幽香の顔に見惚れている。
「ねえ、幽香」
「ん?」
「大好きよ」
「ありがと」
空に花を咲かせたあと、流れ星のように光が地面に落ちる。
「私も好きよ、紫。花の次くらいにはね」
「嬉しいわ。それはこの世で二番目に好きってことよね」
「三番目よ。一番が向日葵、二番は四季の花、紫は三番目」
「それは喜んでいいのかしら?」
「光栄に思うといいわ。生き物の中では、紫のことが一番好きなんだから」
「ありがと、花の妖怪さん」
最後の線香花火が散る。
幽香は散る花を見つめ、紫は幽香を見つめ。
その美しさを瞳に焼き付ける。
「終わったわね」
「そうね。随分熱心にやってたじゃない」
「綺麗だったから。これって結構良いものでしょ?」
「花火より幽香の方がずっと綺麗よ」
「ありがと」
立ち上がり、のびをしてから服についた埃を払う。
目を上げると、力強い太陽の花が咲き乱れている。
夜になってもその黄色は褪せることなく、星よりも眩しく輝いている。
「少し散歩しましょうか」
「それもいいわね」
「ほら」
幽香が手を差し出す。
紫がその手を取る。
「手を繋ぐのもいいんだけどね」
幽香の手を引っ張って抱き寄せる。
「今日は、あんまり私の方を見てくれないわよね。どうしてなのかしら?」
紫が顔を近づける。
幽香が恥ずかしそうに顔を背ける
「あんたの顔を見てると、他の大事なことを色々と忘れちゃいそうだからよ」
紫が妖艶な笑みを湛える。
幽香の顔を掴んで正面を向かせ、おでこを合わせて見つめ合う。
「たまには面倒くさい事全部忘れちゃって、私に溺れてみるのもいいんじゃない?」
「そうね。暗いせいで、あんたの顔くらいしか見えないものね」
「私の顔が見えれば、それで十分よ」
「そうね」
ドン、と。
一度きり、重く低い音が鳴り渡る。
そして、ぱあんと夜空に大輪の花が咲き乱れる。
二人の顔が光に染められる。
「打ち上げ花火、用意してたのね」
「さあ? 私がやったわけじゃないわよ」
「……。まあ、どっちでもいいか」
「花火、見たかったんじゃないの?」
「どうかしら? 今は、ほかの事全てより紫のほうが大事」
幽香の方から、唇を近づける。
紫を逃がさないように、しっかりと抱きしめる。
貪るような、長い長いキス。
それが終わってから、互いに体を抱き寄せ見つめあう。
「この後はどうしましょうか?」
「どうでもいいわ。紫の好きにして」
「じゃあ、好きにさせてもらうわ」
紫がキスをして、二人が闇の中へと消える。
妖怪達の夜は、まだ始まったばかり。
デレゆうかりんは正義。
大人な二人は素敵だった
面白かったです。