1
どうもー、こんにちは。あれ? こんばんはでしょうか?
とにかく貴方、今お時間はありますか?
いえ、忙しくても何でも、とりあえず私の話を聞いていって下さいよ。
ええ、私と霊夢さんの、神社での同棲のお話です。
……えーっと、確かに世間一般的にはノロケ話になるのかもしれませんね。
でも良いじゃないですか。
だって今日で、同棲を始めて丁度1ヶ月が経つんですよ。
もう誰かに聞いて欲しくって、朝からずぅっとウズウズして仕方無かったんですから!
***
まず、私がこちらに住み込むことになった経緯ですけど、正直私自身よく分からないんですよね。
簡単に言いますと、お偉いさんと言いますか、私の上司のような方に命令されたんです。
『博麗神社に行って知らせて来い』と。
え、『何を知らせるのか』ですか? それこそ知らされていませんよ。本当に命令はそれだけでしたから。
ほら、私の力を知らしめるとか? ……冗談ですよ、霊夢さん相手じゃあ厳しいものがあります。
でも今回の命令って、何かしら重要な秘密があるんじゃないかと思うんです。
だって、私たちの種族って本来は団体で動くじゃないですか。
でも今回は私だけに声がかかった訳ですから、何かきな臭くありません?
……なーんて。まぁどうせ霊夢さんに取り入ろうとか、そういったものなんじゃないかと思うんですけどねー。
ほら、私って自分で言っちゃいますけど優秀な方ですから、だから選ばれちゃったんじゃないでしょうか。
まぁそんなこんなで神社に着きまして。で、当然次の行動に困りますよね。
だって何をすればいいのかもう分かりませんから。
そこで困った挙げ句に、なんとなぁく、ふらっと神社に上がり込んでみまして。
そうしたら意外や意外!
あの霊夢さんが、反対するどころか小言のひとつも漏らさなかったんですよ。
いやー、信じられませんよねー。今思い返してみてもあれは奇跡でした。
やっぱり腐っても神社、霊験だって起こり得るんですね。あ、今の嘘です忘れて下さい。
……まぁそれで、うまく居着きに成功した私なんですけれど、その住み心地がなんとも素晴らしいこと!
住めば都どころの話ではありません、これは楽園ですね。
もう前の住処には戻れませんよ、きっと。
と言いますのも、同棲相手の霊夢さんが大変優しくして下さるんです。
やっぱり居候って良いものですねー。
霊夢さんったらご飯も生活空間も、嫌な顔ひとつせずに用意してくれて。
本当は私、規則正しい食事が無くても生きていけるんですけどね。
いやぁ、でもやっぱり美味しいものは美味しいんですよ。
それに何と言っても、一番の特典と言えば霊夢さんとふたりっきりで過ごせる時間ですね!
縁側で過ごす一時の静かな横顔!
お饅頭を食べた時の幸せそうな笑顔!
お布団から覗く緩みきった寝顔!
霊夢さんの魅力は無垢で可愛いところだけじゃないんですよね。
偶に大人っぽい仕草もあって、その破壊力といったらもう!
……もしかすると、この胸のときめきを知らせろってことだったりして。
仮に、私が霊夢さんに気持ちをはっきり伝えたら……彼女はどう答えてくれると思います?
種族こそ違いますけど、あの綺麗な黒髪に……私の自慢のこの黒い羽は良く映えると思うんですけどね。
……と、話が逸れました。同棲のお話でしたよね、すいません。
とにかく、霊夢さんの可愛さのお陰で私は暮らしはバラ色なんですよー、えへへ。
ああ、そうそうっ!
そんなバラ色生活に、とっても大きな頭痛の種を植えつける厄介者がいまして……。
隙間の妖、八雲紫。ええ、あの賢者とか言われている大妖です。
彼女ったらいっつも神社にやって来ては、霊夢さんにちょっかいをかけてるんです。
それだけならまだしも、いえそれさえも許せないんですけどね、なんと私の命を脅かすんですよ!?
なんでも「博麗神社に害虫が住み着いてる」とか言っているみたいで。失礼な話ですよねっ!
しかも直接手を下す気はないみたいで、姑息に罠やら毒やら使って……冗談じゃあありませんよ、まったく。
大方、私と霊夢さんとの同棲が気に食わないんでしょう。
大妖が覗き見に嫉妬狂い……ふふっ、何処ぞの橋姫さんの方がまだ可愛らしいですよね。
それで一応私はご存知の通り、身のこなしと言いますか、敏捷性には自信がありまして。
頭の方もさっきも言ったようにそこそこ優秀ですから、いまの内はなんとかやり過ごせています。
けれど、いざ彼女が本気になったらと思うと……。
……やれやれ、楽有れば苦有りですね。
と、まぁ霊夢さんとの同棲はだいたいこんな感じですね。
どうです?
身の危険はあれど、それでもやはり羨ましいでしょう?
今となっては、霊夢さんがお風呂でどこから洗い始めるかも知っていますからね。
いえ、それはもちろん私だけのヒミツです。
ほら、そうこうしている内に霊夢さんも掃除が終わったみたいですよ。
今日は天気が良いですし、きっと今から縁側でお茶ですね。
では先に行って待ってましょうか。
……で、本当に私は霊夢さんに一体何を知らせれば良いんでしょうね?
まぁこの生活が続くのなら文句は無いんですけど。
おっと、どうやら空からお客さんのようです。
えぇっと、あの姿、彼女は確か……
……ああ、そうですそうです。
あの特徴的な下駄と帽子、そして日を浴びて艶めく射干玉の黒い翼。
いくら私でも、“幻想郷最速”を謳う彼女に見付かった日には……
あれ? いま目が合っ――
***
2
「つーかまえたっ!!」
「ちょっと、勢い良くなに? 埃が舞うから止めてちょうだい」
「あや? 潰れちゃったかな?」
「話を聞きなさいよね……とりあえず、参拝ならあちらへどうぞ、っていつも言ってるでしょ?」
「こんにちは。今日は取材じゃないから安心して。それより貴方、ほらこれ、駄目じゃないの」
「うげ、ごきぶり? ……あんたずいぶん変わったお友達がいるのね。で、もうそれ死んでるの?」
「流石に殺しはしないわよ。友達なら多分踏んづけもしないし」
「分かったから早く何とかしなさいよ。うわぁ、動いてる……」
「はいはい……そこの茂みでいい? それよりコイツ貴方の家から出てきたわよ? 気をつけなさいね。
『1匹みたら100匹いると思え』って言うし」
「まるであんたら天狗みたいね。……100匹かぁ、清潔にはしてる筈だけど、紫にでも聞いてみようかなぁ」
***
3
うっすら開いた境界の向こう、博麗神社。今から私が覗くのものだ。
傍目から見れば趣味の悪い行動だが、これは義務なので仕方が無い。
なぜなら私は結界の維持を任されており、そうなると結果的に巫女の監視が必要となるからだ。決して他意は無い。
鼻息荒く狭間に目をやると、いつものように少女が縁側でくつろいでいた。
ふむ。今日も異常なし。いや、霊夢は“いつも異常に可愛い”ので今日も異常あり、だ。異常の誤用は気にしない。
更に息を荒げて彼女を見つめていると、不意に神社に来客が現れた。
山の妖怪、射命丸文。
ここひと月の間ほぼ毎日訪れてきているが、まさか良からぬ気持ちを抱いているのではないかと大変心配である。
ストーキングは犯罪だ。速やかに止めてもらいたい。神社周りに鴉避けの案山子でも立てようか。
霊夢に悪い虫が付くのは許せないし、絶対その展開は避けねばならない。
恐らく、結界への責任感が私を駆り立てるのだろう。ああ、仕事に生きる女は辛い。
虫で思い出したが、ひと月ほど前から神社に衛生害虫が住み着きだした。
最初発見したときは小さな体躯を生かし霊夢のお零れに預かっていて、私は怒りのあまり失神しかけた。
その後は早速外の道具も駆使し、あの手この手で駆除を試みたが、これがなかなかうまくいかない。
どうにも仕掛けを避けている嫌いがあるようだ。もしかすると他の個体よりも遥かに賢いのかもしれない。
本当は境界を操れば話は早いのだが、実のところ私はあの虫が大の苦手なのである。
隙間にあれを通すなど気味が悪いにも程があり、霊夢のためとは言え妖怪は心が資本、そんな自殺行為は無理だ。
他になす術は無いのかと常日頃考えてはいるが、手詰まり感が拭えないのが現状と言えよう。
今に至るまで霊夢も気が付いていない、というのがせめてもの救いではあるが、いつでも遭遇はありえる。
そして私は、彼女が味わうであろう心的苦痛を想像し、自分の非力さに今夜も枕をじっとりと濡らすのだ。
未だ両の目は境界の向こうの可愛い霊夢から離れないが、やはり心は鬱々とした気分に沈み込んでゆく。
駄目だ、このままでも結局心を病んでしまいかねない。
そんな時、転機は突然やってきた。
隙間の中における一瞬のことだった。
ある意味害虫とも言えるあの天狗が、ゆったりと神社へ降り立とうとした刹那。
表情を一変させると風を纏い急滑空。
そして見事あれを踏み潰したのである。
私は目を見張った。そしてただ唖然。
開いた口塞がらず、呼吸さえも忘れていた。
その後押し寄せるのは、猛烈な感謝感激の波。
――やっと救われた。
霊夢を、そして私を救ってくれてありがとう。ありがとう射命丸文。
私の枕は、霊夢を模した等身大抱き枕はこれ以上しょっぱくならずに済んだのだ。
素晴らしい。射命丸、貴女は鴉天狗の、いや妖怪の鑑と言えよう。
もう泣かずに済むことにむせび泣く私であったが、そこへ更なる幸福が訪れる。
なんと霊夢が私の名前を出し、私のことを求めているではないか。
今日は一体なんなのだろう。
盆と正月どころではない、祝日と言う祝日が皆でスクラムを組んでやってきたかのようにめでたいではないか。
そうだ、赤飯を炊こう。
感動に震えながらも、なんとか顔にいつものポーカーフェイスを貼り付ける。涼しげな目元には勿論赤みなど残さない。
準備は万端、さあ、行きましょう。
まったく、結界管理も大変ですわね。
「あら、霊夢。呼んだかしら?」
***
4
「これはこれは、奇遇で」
「……紫、まさかあんたいつも皆の会話を聞いてるわけ?」
「それも面白そうですけれど、生憎そんなに暇じゃありませんわ。……ところで射命丸文」
「は、はい。なんですか?」
「よくやったわね。あの虫、退治してくれたでしょう? 実は私、あれに悩んでいたの」
「はぁ、さっきのゴキブリですか」
「なんでうちのごきぶりであんたが悩むのよ」
「それは可愛い霊夢の悩みですもの。……心からお礼をいいますわ、どうもありがとうございます」
「ちょっと踏んづけただけなのに、なんかむず痒いですねぇ。どういたしまして。……んん? 虫……むし……?」
「文? どうしたの?」
「ちょっと虫という言葉が引っかかって……」
「神様にお祈りでもしてきたら?」
「蟲……思い出したわ! 先月の新聞のネタ! リグルさんの蟲の知らせサービス!」
「うん? ああ、そんなのもあったわね。大体あんた、それがきっかけでうちに通ってたんじゃなかった?」
「すっかり忘れてたなぁ」
「私だけ仲間外れは酷いんじゃなくって? 何の話なの?」
「えーっと、リグルさんの営業はご存知ですよね? 我が文々。新聞は先月それをネタに特集を、と考えたんです。
リグルさんは喜んでお試しの虫を提供してくれることになったんですけど、妖怪の山は虫までが排他的でして……」
「それで、山には送れないから私のところにってなったわけ。文がくれたお饅頭もお煎餅も美味しかったし」
「…………」
「何でも方向性を変えたみたいで、量より質をモットーに蟲を這わせたみたいですけど……で、どうだったの? 霊夢、何を知らされたの?」
「どうもこうもないわ。神社で変わった蟲なんて見かけなかったもの」
「……うーん、確かに私も今日まで通ってて何も感じなかったし」
「それで、その後リグルは何か言ってたの?」
「まだ会ってもいないわ。悪いことしちゃったわね……とりあえず謝りに行くから、できたら話も聞いてみるわ」
「…………」
「紫? さっきから変な顔してどうしたの?」
「……まったく、結界管理も大変ですわね」
「はぁ?」
了
どうもー、こんにちは。あれ? こんばんはでしょうか?
とにかく貴方、今お時間はありますか?
いえ、忙しくても何でも、とりあえず私の話を聞いていって下さいよ。
ええ、私と霊夢さんの、神社での同棲のお話です。
……えーっと、確かに世間一般的にはノロケ話になるのかもしれませんね。
でも良いじゃないですか。
だって今日で、同棲を始めて丁度1ヶ月が経つんですよ。
もう誰かに聞いて欲しくって、朝からずぅっとウズウズして仕方無かったんですから!
***
まず、私がこちらに住み込むことになった経緯ですけど、正直私自身よく分からないんですよね。
簡単に言いますと、お偉いさんと言いますか、私の上司のような方に命令されたんです。
『博麗神社に行って知らせて来い』と。
え、『何を知らせるのか』ですか? それこそ知らされていませんよ。本当に命令はそれだけでしたから。
ほら、私の力を知らしめるとか? ……冗談ですよ、霊夢さん相手じゃあ厳しいものがあります。
でも今回の命令って、何かしら重要な秘密があるんじゃないかと思うんです。
だって、私たちの種族って本来は団体で動くじゃないですか。
でも今回は私だけに声がかかった訳ですから、何かきな臭くありません?
……なーんて。まぁどうせ霊夢さんに取り入ろうとか、そういったものなんじゃないかと思うんですけどねー。
ほら、私って自分で言っちゃいますけど優秀な方ですから、だから選ばれちゃったんじゃないでしょうか。
まぁそんなこんなで神社に着きまして。で、当然次の行動に困りますよね。
だって何をすればいいのかもう分かりませんから。
そこで困った挙げ句に、なんとなぁく、ふらっと神社に上がり込んでみまして。
そうしたら意外や意外!
あの霊夢さんが、反対するどころか小言のひとつも漏らさなかったんですよ。
いやー、信じられませんよねー。今思い返してみてもあれは奇跡でした。
やっぱり腐っても神社、霊験だって起こり得るんですね。あ、今の嘘です忘れて下さい。
……まぁそれで、うまく居着きに成功した私なんですけれど、その住み心地がなんとも素晴らしいこと!
住めば都どころの話ではありません、これは楽園ですね。
もう前の住処には戻れませんよ、きっと。
と言いますのも、同棲相手の霊夢さんが大変優しくして下さるんです。
やっぱり居候って良いものですねー。
霊夢さんったらご飯も生活空間も、嫌な顔ひとつせずに用意してくれて。
本当は私、規則正しい食事が無くても生きていけるんですけどね。
いやぁ、でもやっぱり美味しいものは美味しいんですよ。
それに何と言っても、一番の特典と言えば霊夢さんとふたりっきりで過ごせる時間ですね!
縁側で過ごす一時の静かな横顔!
お饅頭を食べた時の幸せそうな笑顔!
お布団から覗く緩みきった寝顔!
霊夢さんの魅力は無垢で可愛いところだけじゃないんですよね。
偶に大人っぽい仕草もあって、その破壊力といったらもう!
……もしかすると、この胸のときめきを知らせろってことだったりして。
仮に、私が霊夢さんに気持ちをはっきり伝えたら……彼女はどう答えてくれると思います?
種族こそ違いますけど、あの綺麗な黒髪に……私の自慢のこの黒い羽は良く映えると思うんですけどね。
……と、話が逸れました。同棲のお話でしたよね、すいません。
とにかく、霊夢さんの可愛さのお陰で私は暮らしはバラ色なんですよー、えへへ。
ああ、そうそうっ!
そんなバラ色生活に、とっても大きな頭痛の種を植えつける厄介者がいまして……。
隙間の妖、八雲紫。ええ、あの賢者とか言われている大妖です。
彼女ったらいっつも神社にやって来ては、霊夢さんにちょっかいをかけてるんです。
それだけならまだしも、いえそれさえも許せないんですけどね、なんと私の命を脅かすんですよ!?
なんでも「博麗神社に害虫が住み着いてる」とか言っているみたいで。失礼な話ですよねっ!
しかも直接手を下す気はないみたいで、姑息に罠やら毒やら使って……冗談じゃあありませんよ、まったく。
大方、私と霊夢さんとの同棲が気に食わないんでしょう。
大妖が覗き見に嫉妬狂い……ふふっ、何処ぞの橋姫さんの方がまだ可愛らしいですよね。
それで一応私はご存知の通り、身のこなしと言いますか、敏捷性には自信がありまして。
頭の方もさっきも言ったようにそこそこ優秀ですから、いまの内はなんとかやり過ごせています。
けれど、いざ彼女が本気になったらと思うと……。
……やれやれ、楽有れば苦有りですね。
と、まぁ霊夢さんとの同棲はだいたいこんな感じですね。
どうです?
身の危険はあれど、それでもやはり羨ましいでしょう?
今となっては、霊夢さんがお風呂でどこから洗い始めるかも知っていますからね。
いえ、それはもちろん私だけのヒミツです。
ほら、そうこうしている内に霊夢さんも掃除が終わったみたいですよ。
今日は天気が良いですし、きっと今から縁側でお茶ですね。
では先に行って待ってましょうか。
……で、本当に私は霊夢さんに一体何を知らせれば良いんでしょうね?
まぁこの生活が続くのなら文句は無いんですけど。
おっと、どうやら空からお客さんのようです。
えぇっと、あの姿、彼女は確か……
……ああ、そうですそうです。
あの特徴的な下駄と帽子、そして日を浴びて艶めく射干玉の黒い翼。
いくら私でも、“幻想郷最速”を謳う彼女に見付かった日には……
あれ? いま目が合っ――
***
2
「つーかまえたっ!!」
「ちょっと、勢い良くなに? 埃が舞うから止めてちょうだい」
「あや? 潰れちゃったかな?」
「話を聞きなさいよね……とりあえず、参拝ならあちらへどうぞ、っていつも言ってるでしょ?」
「こんにちは。今日は取材じゃないから安心して。それより貴方、ほらこれ、駄目じゃないの」
「うげ、ごきぶり? ……あんたずいぶん変わったお友達がいるのね。で、もうそれ死んでるの?」
「流石に殺しはしないわよ。友達なら多分踏んづけもしないし」
「分かったから早く何とかしなさいよ。うわぁ、動いてる……」
「はいはい……そこの茂みでいい? それよりコイツ貴方の家から出てきたわよ? 気をつけなさいね。
『1匹みたら100匹いると思え』って言うし」
「まるであんたら天狗みたいね。……100匹かぁ、清潔にはしてる筈だけど、紫にでも聞いてみようかなぁ」
***
3
うっすら開いた境界の向こう、博麗神社。今から私が覗くのものだ。
傍目から見れば趣味の悪い行動だが、これは義務なので仕方が無い。
なぜなら私は結界の維持を任されており、そうなると結果的に巫女の監視が必要となるからだ。決して他意は無い。
鼻息荒く狭間に目をやると、いつものように少女が縁側でくつろいでいた。
ふむ。今日も異常なし。いや、霊夢は“いつも異常に可愛い”ので今日も異常あり、だ。異常の誤用は気にしない。
更に息を荒げて彼女を見つめていると、不意に神社に来客が現れた。
山の妖怪、射命丸文。
ここひと月の間ほぼ毎日訪れてきているが、まさか良からぬ気持ちを抱いているのではないかと大変心配である。
ストーキングは犯罪だ。速やかに止めてもらいたい。神社周りに鴉避けの案山子でも立てようか。
霊夢に悪い虫が付くのは許せないし、絶対その展開は避けねばならない。
恐らく、結界への責任感が私を駆り立てるのだろう。ああ、仕事に生きる女は辛い。
虫で思い出したが、ひと月ほど前から神社に衛生害虫が住み着きだした。
最初発見したときは小さな体躯を生かし霊夢のお零れに預かっていて、私は怒りのあまり失神しかけた。
その後は早速外の道具も駆使し、あの手この手で駆除を試みたが、これがなかなかうまくいかない。
どうにも仕掛けを避けている嫌いがあるようだ。もしかすると他の個体よりも遥かに賢いのかもしれない。
本当は境界を操れば話は早いのだが、実のところ私はあの虫が大の苦手なのである。
隙間にあれを通すなど気味が悪いにも程があり、霊夢のためとは言え妖怪は心が資本、そんな自殺行為は無理だ。
他になす術は無いのかと常日頃考えてはいるが、手詰まり感が拭えないのが現状と言えよう。
今に至るまで霊夢も気が付いていない、というのがせめてもの救いではあるが、いつでも遭遇はありえる。
そして私は、彼女が味わうであろう心的苦痛を想像し、自分の非力さに今夜も枕をじっとりと濡らすのだ。
未だ両の目は境界の向こうの可愛い霊夢から離れないが、やはり心は鬱々とした気分に沈み込んでゆく。
駄目だ、このままでも結局心を病んでしまいかねない。
そんな時、転機は突然やってきた。
隙間の中における一瞬のことだった。
ある意味害虫とも言えるあの天狗が、ゆったりと神社へ降り立とうとした刹那。
表情を一変させると風を纏い急滑空。
そして見事あれを踏み潰したのである。
私は目を見張った。そしてただ唖然。
開いた口塞がらず、呼吸さえも忘れていた。
その後押し寄せるのは、猛烈な感謝感激の波。
――やっと救われた。
霊夢を、そして私を救ってくれてありがとう。ありがとう射命丸文。
私の枕は、霊夢を模した等身大抱き枕はこれ以上しょっぱくならずに済んだのだ。
素晴らしい。射命丸、貴女は鴉天狗の、いや妖怪の鑑と言えよう。
もう泣かずに済むことにむせび泣く私であったが、そこへ更なる幸福が訪れる。
なんと霊夢が私の名前を出し、私のことを求めているではないか。
今日は一体なんなのだろう。
盆と正月どころではない、祝日と言う祝日が皆でスクラムを組んでやってきたかのようにめでたいではないか。
そうだ、赤飯を炊こう。
感動に震えながらも、なんとか顔にいつものポーカーフェイスを貼り付ける。涼しげな目元には勿論赤みなど残さない。
準備は万端、さあ、行きましょう。
まったく、結界管理も大変ですわね。
「あら、霊夢。呼んだかしら?」
***
4
「これはこれは、奇遇で」
「……紫、まさかあんたいつも皆の会話を聞いてるわけ?」
「それも面白そうですけれど、生憎そんなに暇じゃありませんわ。……ところで射命丸文」
「は、はい。なんですか?」
「よくやったわね。あの虫、退治してくれたでしょう? 実は私、あれに悩んでいたの」
「はぁ、さっきのゴキブリですか」
「なんでうちのごきぶりであんたが悩むのよ」
「それは可愛い霊夢の悩みですもの。……心からお礼をいいますわ、どうもありがとうございます」
「ちょっと踏んづけただけなのに、なんかむず痒いですねぇ。どういたしまして。……んん? 虫……むし……?」
「文? どうしたの?」
「ちょっと虫という言葉が引っかかって……」
「神様にお祈りでもしてきたら?」
「蟲……思い出したわ! 先月の新聞のネタ! リグルさんの蟲の知らせサービス!」
「うん? ああ、そんなのもあったわね。大体あんた、それがきっかけでうちに通ってたんじゃなかった?」
「すっかり忘れてたなぁ」
「私だけ仲間外れは酷いんじゃなくって? 何の話なの?」
「えーっと、リグルさんの営業はご存知ですよね? 我が文々。新聞は先月それをネタに特集を、と考えたんです。
リグルさんは喜んでお試しの虫を提供してくれることになったんですけど、妖怪の山は虫までが排他的でして……」
「それで、山には送れないから私のところにってなったわけ。文がくれたお饅頭もお煎餅も美味しかったし」
「…………」
「何でも方向性を変えたみたいで、量より質をモットーに蟲を這わせたみたいですけど……で、どうだったの? 霊夢、何を知らされたの?」
「どうもこうもないわ。神社で変わった蟲なんて見かけなかったもの」
「……うーん、確かに私も今日まで通ってて何も感じなかったし」
「それで、その後リグルは何か言ってたの?」
「まだ会ってもいないわ。悪いことしちゃったわね……とりあえず謝りに行くから、できたら話も聞いてみるわ」
「…………」
「紫? さっきから変な顔してどうしたの?」
「……まったく、結界管理も大変ですわね」
「はぁ?」
了