真夏の日差しが幻想郷を照らす。
照らすもの全てに熱を与える光。その光に幻想郷の人も、妖怪と言えども屈せざるを得ない。よって、真夏の真昼間というものは人影一つないのが当たり前である。
そんな日差しの中に、汗だくで息を荒くした一匹の烏天狗が、木々がごっそりなくなった博麗神社裏庭へと降り立った。
*
博麗 霊夢は汗ばんだ体が冷えていくのを感じて目を覚ます。
まず感じたのは身を焦がすような暑さ。そして心地よい風だった。
外の明るさに対比した真っ暗な室内で、見覚えのある烏天狗が自慢の扇を扇いでいる霊夢は横目で確認した。
「……何やってんのよ。あんた」
「あややややや。起きてしまわれましたか」
ジト目の霊夢に、射命丸 文はまるでイタズラに失敗してしまった子どものような笑顔で笑った。
霊夢は上半身をゆっくりと起こす。
触った感じ、寝ていた布団はぐっしょりしている。汗で濡らしてしまったのは考えるまでもない。しかし、体は冷えていた。文が扇で扇いで、風を起こし、汗を蒸発させたからであろう。
そんなことより、霊夢は気になっていることがあった。
「文。今何時?」
まず時間。
「そうですね。午後零時近くといったところでしょうか?」
「……あ~~。寝すぎたわね……」
「本当に。何でこんな気温の中をグースカ寝ていられるんですか……」
「で、何であんたここにいるの?」
そして文がここにいることだ。
「え? 何で、って言われましても……」
「外はこんなにも暑いわけよね。それで何であんたみたいな真っ黒い熱吸収装置が外出歩いているよ。で、何で私のところいるのよ……」
「あ~~……」
文は言われてようやく気づいたかのような反応を取る。しばらく考え込んだ後、ポツリ「暇潰しですね」と呟いた。
「は?」
「いやですからね、今日人里でお祭りがあるんですよ。でもお祭りが始まるのは夜ですから、それまでどこかで時間を潰す必要があるんですよね」
あはは、と文は汗を流しながら笑う。
霊夢は布団から人里を見る。
先の宴会では酒の勢いによって本気の弾幕が放たれ、今では木がごっそりとなくなっていた。そのため、人里が一望できるようになっている。霊夢のところから見て、人の気配は全くない。
庭が拓けたことに伴う感情は置いておいて、霊夢は文に視線を戻す。
「はぁ……なるほどね。それは分かったけど。で、何で私のところ?」
「いえ、特には。ただ霊夢さんなら確実に暇しているだろうと思いまして」
拳骨を叩きこんでやった。
「い、痛いです……」
「本当ならもっと痛い思いさせてもいいんだけど、暑いから勘弁してあげるわ」
「それはどうもです……」
何の用事もないのにここに妖怪が集まるから参拝客が少ないし、地獄烏と御柱が本気で喧嘩して人里が見えるようになるのよ。と、ぶつくさ文句を言いながら、霊夢は立ち上がる。
「あややや? 霊夢さんどこに行くんです?」
「お風呂よ、お風呂。汗くさい体洗い流したいもん。あんた来ないでよ?」
「いや、確かに霊夢さんの裸には興味ありますけど、今は……」
霊夢は文が言い終わらないうちにお風呂場へと向かった。そして帰ってきた。
「どうかしましたか?」
「……水がもはや熱湯だった……」
「やっぱり……」
灼熱の太陽光線にとって、貯めていた水を手が入れられないぐらいの温度にするのは、簡単なことだった。
「あんな熱湯浴びたら、湯冷めする前にのぼせるわ! てか大火傷じゃ!」
「まぁまぁ、落ち着いてください」
「あー。もう太陽許さん。地底に行って退治してこようかしら。蹴りで」
「地獄の人工太陽退治しても、天然の太陽は何ら影響はないと思いますけど……まぁ、宴会の時の復讐にはなりますがね」
ちなみに噂の本人はさとりの部屋でお燐共々くたばっていた。下着一丁で。
薄紫のブラとショーツのさとりは「地上の熱って地下に篭るのよね……」と呟きながら倒れたのと同時であった。
それはともかくとして、霊夢は涼が欲しかった。ついでに汗くさい体を洗い流せるのがいい。風鈴は鳴っているが、心許ない。
どこぞの氷精をふん捕まえてこようかと思案していた時に文が「そうだ!」と膝をたたく。
「いいところがありますよ。冷たくて体を洗い流せる場所!」
「……?」
霊夢は訝りながらも、文の提案を捨てきれない。それに文だって暑いはずだ。先程から汗が流れて、毛先や羽の先から汗の滴が落ちている。
熱線の中を動く労力と、それに伴うメリットを秤にかけて、霊夢は外出を決意した。
ただ、太陽に近い位置にはなるべく行きたくなかったので、歩いて移動することにした。体内から発生する熱と直日焼きで貰い続ける熱。どっちがいいか、明白であろう。
この際、低空飛行という考えは暑さによって思いつきすらしなかったのだが。
こうして、霊夢と文は作ったおにぎりと水筒を霊夢が携えて、日陰を伝いながら移動して行った。
*
道の両端には高い木々が不規則ながら枝を大きく広げて並んでいた。
枝を広げてくれるおかげで、太陽の光は葉によって遮られ、木漏れ日として道を照らし出す。おかげで、直日よりは涼しいし、心身ともにリラックス出来る。
ただ当然ながら、気温は変わらない。高温の上に徒歩という運動を加えることで、二人の汗は滝のように流れる。
と、道の中途にちょうど腰くらいの高さがある岩があった。座るの相応しい。二人はその岩で休憩を取ることにした。
霊夢が竹筒を細工した水筒で水を飲み、文にほい、と手渡す。
「あや?」
「何よ? いらないの?」
「あややややや! いただきます! いただきます!」
まさか渡されるとは思ってなかった文は、水筒を急いで受け取って飲み始める。
相当渇いていたのだろう。水は甘く感じた。
「――ぷはっ! 霊夢さん、ありがとうございます」
「……大分減ったわねぇ……。まぁ、いいか。ほい」
「あやや?」
霊夢から再び手渡される。それは出立する時に、竹皮に包まれていたおにぎりであった。もちろん霊夢が握ったものである。
「……いいんですか?」
「もちろんよ。そもそも私普段こんなに多く作らないからね」
「いや、霊夢さんならペロリと食べちゃいそうですが……」
「いらないの?」
「あやややややや! 冗談です! いただきます!」
先程と同じように急いで受け取って、かぶりつく。おにぎりは中心部に梅干しと単純なものであったが、むしろそのシンプルさが疲弊した体にはありがたい。梅干しとおにぎり自体にまぶしてあった塩が。汗によって流れ出てい塩分を補給させる。
二口で食べ終えてしまった。
「早いわねぇ、もう。おかわりいる?」
「……んく。はい、いただきます!」
結局、霊夢よりも文のほうが数多く食べてしまった。
「すみません……」
「別にいいわよ。私そんなにおなか減ってたなかったし」
「……うぅ。すみません」
文からにしてみれば、その言葉は皮肉にしか聞こえなかった。
「だから気にしてないっつのこら」
「あうっ」
ポカリと霊夢は文の頭を軽く叩く。
「霊夢さんって結構暴力振るいますよね……」
「そりゃ私は巫女であんた妖怪だし」
「それ、今関係あるんですか?」
「大アリよ」
「大アリですか……」
「ところで、どうする? もう少しここにいる?」
「あぁ、そうですね。食休みついでに休んでいきましょう」
「そう」
それきり会話は続かなくなった。
真夏の太陽はますます上に昇り、今は空の頂に位置しているであろう。
周りには当然ながら人っ子一人いない。完全に霊夢と文が空間を支配していた。だからと言って、特別に何かをすることはないし、ただ二人で静謐のような静けさに身を置くしかなかった。
と、そこで霊夢は目線をなんとなく文に移動させて気づいた。
「ほぉ……今日のブラは若草色ですか……」
「へ? ……あ」
霊夢の視線が自分の胸元にあることで、文も気がついた。
文の服は夏仕様で生地が薄い。ただ、そんなYシャツのような生地が薄い服に、グッショリと汗が染みこむと、透ける。今は文の汗によってハッキリとライトグリーンの下着が露わになっていた。
「……あやぁ。なんか恥ずかしいです……」
文の顔が赤いのは暑さだけによるものではあるまい。
「……霊夢さん。なんかずるいです。霊夢さんは巫女服ですから、全然透けませんし、サラシですから恥ずかしくありませんしね」
「なーに言ってるのよ。てかよくそんな下着見つけたわね。質からして外の世界からっぽいし……。まさか、霖之助さんのところから?」
「ひゃ、ちょ、ちょっと、覗きこまないで下さいよ! 触るのもダメですってば!」
「いいじゃない。減るもんじゃないんだし……」
「そういう問題じゃありませんよ……。そもそもこれは早苗さんから貰ったんですよ。話ではもう着れなくなってしまったとかで……」
「……着れなくなった?」
霊夢が目を細めて、文のブラを至近距離から覗き込む。手はガッチリとホールドして文は胸を隠すことができない。文は嫌がってますます顔を赤くする。傍から見れば霊夢が文を押さえこんで、顔を胸に埋めているようにしか見えないだろう。
やがて霊夢は顔を離して、巫女服をつまみ、自分のソレと比較する。
「……ハァ……」
ガックリと霊夢は肩を落とした。
「大丈夫ですよ! 控え目なほうが好みの方とかいますから!」
「じゃかしい!」
霊夢は思いっきり文を叩き飛ばした。
「ほら! 行くわよ!」
「あーん、ちょっと待って下さいよ~」
足取りが乱暴になっている霊夢の後を、文は急いで追う。
*
ちなみに、守矢一家は同時刻。早苗はマリンブルーの下着。神奈子はサラシと褌。諏訪子に至っては生まれたままの姿になっていた。
そして、エアコン温度を電気消費量が多い、二十度に設定し、
『文明の利器、さいっこう……』
と大の字で呟いていた。
発電している地底組がこれを見たらどう思うのか、気になるところである。
*
とうとう霊夢と文は目的の場所へと到達した。
「あぁー。なるほど」
轟音を轟かせ、高い所から爆流が上から下へと落ちていく。
妖怪の山中腹にある滝である。
水しぶきが周囲の温度を下げ、滝壺で泳げば体も洗い流せる。まさに霊夢の希望を叶えてくれるところだ。
霊夢と文はかなり高いところまで来ていた。滝の高さを人間に例えると、肩の高さにまで当たる。そこからは太陽が力を失い、徐々に落ちていく様子もよく分かった。
「さて、泳ぎますか」
「え?」
霊夢が巫女服の上を脱ぎ、下を脱ぎ、ドロワとサラシだけになり、さらに、というところで文が止めに入った。
「ちょちょちょ! 何やってるんですか!?」
「何って……。ここに来たのは体を洗い流すためなんだから、裸にならなくちゃ意味ないじゃない」
「は、裸……」
「そうそう。それにここじゃ誰もいないんだから別にいいじゃない」
霊夢の言う通りだった。ここは妖怪の山で、しかも中腹に当たる。ここに来る人間はいないし、天狗だって今は夏の暑さに負けて文明の利器の力に入り浸っている状態だ。ちなみにもれなく全員下着で姿である。
「ほら、文も脱ぎなさいよー」
「え、ひゃ! や、止めてください!」
霊夢が文の服を脱がそうとし、文がそれに抵抗する。
しかし、ここは滝の近くである。足場は当然濡れている。そんな状態で抵抗したらどうなるか。
『あ……』
もちろん、足から滑り落ちる。
『~~~~~~~っ!』
人間で言う肩の部分から落ちたのだ。スピードもグングン上がり、しかも今はお互いに絡み合った状態でロクに飛ぶことができない。さすがにこんな状態で滝壺に叩きつけられたら一溜まりもないだろう。
そんな中、文が行動した。
まずキリモミに回転しているのを止めるため、霊夢をガッシリと抱き寄せる。霊夢のその意図に気付いてか、文に体を密着させて抱きしめる。
次に体勢が安定したところで、文は全力を込めて風を滝壺へと放った。
打ち出した反動、滝壺に叩きつけられた風による衝撃で一気に減速する。
そして、そのまま二人は抱き合ったまま、滝壺へバシャンと水柱を上げて落ちた。
二人は岸へと這い上がり、荒い呼吸を繰り返す。
「た、助かった……」
「生きてるんですよね……っツ!」
文の顔が苦痛に歪む。
「どうしたの?」
「あややや……ヘマしちゃったみたいですね……」
ハハハと苦笑しながら、文は腕を押さえる。見れば文の二の腕は、浅いながらも切れていて、血が流れていた。風を滝壺へと叩くつけた際、叩きつけられた風の一部が文の腕を切り裂いたのであろう。
「あぁ、大丈夫ですよ。私、妖怪ですからすぐに治ります……よ?」
霊夢はズカズカと文まで歩み寄り、出血している腕を強く掴む。
そして、ドロワーズを脱いで、比較的きれいな部分で傷口をギュッと押さえた。
「れ、れれ霊夢さん!?」
「動かないで。まずは止血が先だから」
「で、でも私、妖怪ですし……」
「関係ないわよ」
それが「回復の早い妖怪でも関係ないという意味なのか、「霊夢が巫女で文は妖怪でも関係ない」という意味なのか。
恐らくどっちともであろう。
気まずそうに文が口を開く。
「あー……霊夢さん、下着が血で染まっちゃいましたね……」
「別にいいわよ。帰りは穿いていかないで帰るし」
「穿いていかないんですか!?」
「うるさい! 傷口が開く!」
「はい……」
霊夢が傷口を押さえて五分くらい立った時、
「よし、これでいいわね」
霊夢はドロワーズを文の傷口から離した。文の傷口からはもう血が流れることがない。止血は完了した。
「あんた妖怪だから、一応大丈夫だとは思うけど、念のために巻いとくわよ」
「へ? 巻くって何を……まさか」
霊夢がサラシを外し始めた。
予想通りだったことに文は叫んだ。
「うるさい! ほら巻くから腕出しなさい! てか出せ!」
霊夢の剣幕に恐れをなして、文は腕を差し出す。霊夢はその腕の傷口にクルクルとサラシを巻いていく。
「まぁ、水に落ちたせいでちょっと湿ってるけど大丈夫よね」
アバウトなところがいかにも霊夢らしい。しかし文にとって問題なのは、傷口の衛生状態よりも、巻いたサラシがほのかに温かいところなのだが。
そんなことに気がつくはずもなく、霊夢は
「さて、帰ろうか」
と、笑顔で言うのだった。日はすでに赤く染まり始めていた。
*
結局、霊夢がノードロワ、ノーサラシになってしまったため、風の抵抗が強い空を飛んで帰るわけにもいかず(霊夢は帰る気だったが、文が全力で阻止した)行きと同じように歩いて帰ることになった。
神社に帰った時、すでに空の色は赤と青の二種類に分かれていて、太陽は一層赤く燃える。
帰ってくる時も行きほどではないとは言え、汗をかくのだが、徒歩には見返りがあった。
「じゃじゃーん!」
「おぉ~~!」
新しい下着を穿いた霊夢が冷えたスイカを広げる。途中で人里に寄り、買ってきたのだ。
ちなみにお金は霊夢はなかったため、文が払っていた。文にとっては、お昼ご飯の借りを返す名目になっていたり。そんなことはお構いなしに霊夢は買ってきたスイカを豪快に真っ二つにする。
見事な赤の大輪が広がり、霊夢も文も歓声上げる。太陽はもう地平線へと沈んでいく直前だった。
二人はスプーンを使ってスイカを食べる。縁側で三人分くらいの間を空けて。
しばらく食べていると人里に明かりが灯りだし、霊夢は思い出した。
「そう言えば、あんた取材はいいの?」
「え? あ、あぁ……実はカメラ持ってくるの忘れちゃいまして」
「バカね。……まぁ、そんなことだろうかと思ったけど」
文の動きが少し固まる。
「……霊夢さん。それどういう意味です?」
霊夢はスプーンでほじくるのが面倒くさくなって、顔をスイカに埋める。
その後、果肉だらけになった顔を起こして、シャクシャクと咀嚼し、種を飛ばす。
「……器用ですね」
「そう? あんたも出来るわよ」
「そもそも私はそんな食べ方しませんから」
「そう? おいしいのに……」
またスイカに顔を埋め、咀嚼して種を飛ばす。
文はふぅ、と一息ため息を吐いて、セオリー通りにスプーンでスイカをほじくろうとした時、
「取材」
と霊夢は一言呟いた。
「……取材?」
「そ。あんたがここに来たのは取材の暇つぶしとか言ってたけど、それじゃおかしいのよ。そも、あんたなら暑かろうが何だろうが取材道具を持っているなら、それを使って無理やり取材を実行するはずなのよ。でも、あんたはやんなかった。簡単。取材道具がなかったから。道具がなくちゃ、取材出来ないもんね」
「…………」
文は黙る。否定もしない。すなわち黙認だ。
霊夢は気にもせず、口周りを赤い果肉で汚しながら食べ進める。
「……霊夢さんは私に訊かないんですか?」
文が唐突に尋ねた。
「んぐんぐ……何を?」
「私が、取材のためと偽ったことです」
「……っぷ。別に。あんたが話したくないんなら、別に話さなくていいんじゃないの?」
霊夢の受け答えに文は苦笑する。
「それ、優しさからですか?」
「んにゃ。めんどくさいだけ」
「やっぱり……」
くっくっくっとおかしそうに文は笑った。霊夢はそれを不審に思いながらも、結局スイカを優先することにする。
霊夢がスイカを食べている時、文は勝手に話し始めた。
「私が今日起きたのは、結構遅くて、多分……十一時くらいじゃないですかね。その時、『あぁ……なんてこんな遅い時間に起きたんだ……』と思いましたよ」
霊夢はスイカを食べながら、「あんたもあんな気温の中でグースカ寝てたじゃん」とぼやきながら食べ進める。
「私の家にはエアコンがついてますから……」
霊夢から鋭い視線を感じたが、文はそれを苦笑いで流して、話を続ける。
「そうしていつも通り準備をして、あぁ、取材の準備ですよ。それから、ふと窓を見たんです。誰もいませんでした。そりゃ、そうですよね。真夏の真昼間なんですから。
でも、その時ふと思ったんですよ。『今この瞬間。幻想郷にいるのは私だけじゃないか?』って……。馬鹿みたいですよね。分かってます。でも、その時は異常なくらいリアリティがあって、本当に一人ぼっちにじゃないのか、本当に私は孤独になったんじゃないかと、おぞましい不安に襲われまして。気がついたら取材道具ほっぽいて外に出てましたよ。真夏の真昼間の太陽光線を太陽に近いところで浴びながら。
それよりも、心の安寧が欲しかった。私は一人じゃないって、証明してくれる人が欲しかった。そんな時に、真っ先に心に思い浮かんだおんが、霊夢さんだったんです」
霊夢はふぅ、とお腹を押さえて、柱にもたれかかる。今日の夕飯はもういらないな、と思っていた。
「……『もしも霊夢さんがいなかったらどうしよう』『私はずっと孤独なんじゃないか?』そんなこと思ってた時に、霊夢さんの寝顔は、言葉に言い表せないほど、救ってくれましたよ。ほんとに、愛らしい笑顔でした……。ついつい扇で扇いじゃうほどに。
……霊夢さん。馬鹿らしいですよね。こんな理由で、霊夢さんを巻き込んで……」
その時、霊夢はスクッと立ちあがった。突然の行動に文は話しを中断する。
話している最中に立ち上がることは、人として褒められたことではないが、元々霊夢は何事にも縛られず、マイペースで動く節があるため、文は気にしない。
むしろ、なぜ霊夢が動いたのかが気になって、霊夢の動きを注視する。
霊夢はそのままスタスタとすぐに人三人分くらいの距離をすぐに縮めて、文の隣に座った。
そして、突然サラシを巻いている方の手を掴んで、サラシを外す。
もう文の傷はすっかり治っていて、ただの傷跡となっていた。
とうとう文は耐えきれずに口を開く。
「あの……霊夢さん。何を?」
「文、あんたキスしたことある?」
「へ? い、いえ。ありませんけど……」
「そう」
霊夢は軽く、本当に軽く「そう」と言って――
文の唇に、自分の唇を重ねた。
「~~!?」
霊夢は目を閉じて、全てを唇に委ねる。
一方文は目を見開いて、霊夢のあどけない顔を間近で見ることとなった。
体は霊夢にガッチリと腕を掴まれて固定され、また緊張による硬直でしばらく動くことができない。胸の鼓動が激しくなって汗が一筋、頬を伝い落ちる。
と、唐突に霊夢が顔を離した。
文はしばらく声が出ない。まず思ったことは「甘い」という味覚から来る情報。霊夢の口に残っていたスイカの甘さだった。
頭の動きを止めること十秒。ようやく事の重大さに気がつく。
「な、なな、何を……!?」
文がうろたえる中、霊夢はマイペースを貫く。
「あんたは私に初めてを奪われ、それは心に傷跡として残る」
「はい?」
「そして、あんたは私のためにその傷跡を残した」
霊夢が文の腕を取り、目を配る。
「――二つの傷跡は、私を忘れさせない。もし私がいなくなっても、あんたが一人ぼっちになったとしても。これらの傷跡があれば私を身近に感じることができるでしょう?」
「……! …………」
文は腕の傷を見る。自分の胸に手を当てる。――二つの傷跡を、確認する。
(……確かに傷跡だ)
文は少し深刻そうに呟いた。
霊夢の言うとおり、腕に負った傷の跡は残るだろうし、今手を伝って感じている激しい動悸も忘れそうにはない。
そうして残った傷跡は霊夢を克明に思い出させることができる。
文は少し、嬉しくなった。
その時、霊夢は視界に映った何かに気付いて、フッと笑う。
「……まぁ、それにね。ほら」
俯く文の肩を叩いて、霊夢は人里へと指さす。
「……わぁ」
顔を上げた文はそれに見入って、感嘆の声を漏らした。
昼間には生の気配が微塵も感じられなかった人里に、無数の灯りがともり、祭りが始まっていた。
耳を澄ますと、微かに人々の活気が伝わってくる。
「文。明かない夜はないって言うけどね、暮れない昼もないのよ?」
そう言って、霊夢は軽くウィンクを送った。
文は霊夢から人里へと視線を戻す。
昼間にはあれだけ人がいなかったのに、今はギッシリと人が詰まって、祭りを楽しんでいるのが分かる。
今の幻想郷は荒廃した世界などではない。生が蔓延り、各々混じりあっている世界だ。文もあの中に飛び込んで、混じりあうことだってできる。
――私はもう孤独ではない。
そう思った時、
文に強烈な違和感が襲った。
「!?」
文は驚き、注意深くそれを探る。
――幻想郷には人がいる。今こうして祭りを楽しんでいる。自分は一人じゃない。孤独ではない。
しかし、文の心には何かが引っかかった。
一人じゃないと霊夢が証明してくれたのに、未だに何かへの恐怖は残っていた。
その恐怖は文の心の奥底で、正しい答えを言わないと退かない、スフィンクスとなって居座っている。
文は自分の心に答えを探し求め始めた。情景や心情。自分の記憶に仕舞われている情報を引き出して、解を作る。
(……一人になるのが、怖かったわけじゃない?)
唐突に浮かんだ答えは文の異物感にフィットした。
――そもそも自分は一人で活動することの方が多いのだ。孤独なんてしょっちゅう感じている。
道理から言って、これは正しい解のようだった。
一人になるのが怖かったわけではない。けれどもあの時に感じた異常なまでの恐怖心は本物だ。そこまでは分かる。
問題は次の問いだ。
『どうして怖かったのか』
この問題の解が分からない。
夏の日差しで、人影一つ見なかったあの光景に一体何の恐怖を感じたのか……。
……何かを失うのが怖かった? 一体、何を失うのが……。
「――や。文!」
「あ……」
気がつけば、霊夢が目を鋭角にして怒っていた。
「あやややや……すみません。少し考え事をしてまして……」
あははは、と文は頭を掻く。
「それで、そういうご用件でしょう?」
「スイカ。温くなってるわよ」
「あや?」
そう言えば、と自分の膝の上に半球状の物体が置かれていることを思い出す。
「あや……。すみません。早く食べちゃいますね」
「ん。折角買ったんだから、食べないと勿体ない!」
実に霊夢さんらしい思考だ、と文は苦笑する。
視線をスイカに戻し、スプーンで果実をすくって口に運ぶ。
スイカの甘さが味覚から来る情報として脳に伝わった。
「甘い――」
その瞬間、心の中で傷跡がうずいた。
「……!」
不意に映像として蘇る、先程の光景。
そしてなくなる異物感。スフィンクスは無意識にはじき出した答えに満足して帰って行ったらしい。
――スフィンクスに、正しい答えを言った。
「……そうか。そういうことだったんですね……」
気がついてしまった感情。気がついてしまったからには、もう無視できない。
「ん……? 何か言った……?」
霊夢が文の独り言に何を問うた時、
視界に鮮やかな光が飛びこんだ。
遅れて響く、重たい破裂音。
「あ、花火」
霊夢が空を見上げる。最初の一発は先程食べたスイカのような赤。夜空に見事な赤の大輪が広がっていた。
「きれい……」
霊夢がぽつりと漏らす。人里も夜空に開く花たちに歓声を送っているようだ。
霊夢も人里も花火に目を奪われているそんな中。文は別のものに目を奪われていた。
「……」
文はおそるおそるそれに手を伸ばし、――霊夢の手を握った。
急に握られてビクリと霊夢は体を震わせる。
そして何事かと振り向くと、文の真剣な眼差しに息を詰まらせる。
――どうして、幻想郷に誰もいないと錯覚した時、真っ先に思い浮かんだのが、同胞の天狗ではなく、博麗 霊夢だったのか。
――どうして、一人になることが怖かったわけでもないのに、あんな異常な恐怖を感じたのか。
――どうして、“何か”を失うことが怖かったのか。
それらの疑問は、たった一つの答えによって収束される。
「霊夢さん……」
そう、一度気付いてしまったからには、もう無視できない想い――
「好きです」
ドンッ! と花火が先程より遠くの方で鳴ったように聞こえた。
訪れる、しばらくの静寂。
それから、文には止めどない冷や汗が流れる。
「あ、あややややややややや! いや、ついですね、こういう雰囲気だから言ってしまったという気の違いでして! いや、確かに霊夢さんのことは好きですけれど! でも困りますよね! アハハハハ! 嫌なら忘れていいんです! はい! 別に忘れてもらっても――」
「バカ」
霊夢が俯きながら、一言で文を制した。
「……言うんなら、ごまかさないでよ……」
霊夢は頬を染めながら、キュッと文の手を握る。
それで、返答は十分だった……。
「霊夢さん……」
「私もね。今日あんたと行動してね、何というか……。そう、心に引っかかる感じがあったのよ」
文は驚く。それは自分も抱いていた感覚だ。
「それがハッキリしたのは、滝で私の不注意で一緒に落ちた時。あんたは私を庇って、怪我までして。なのに私に一言も文句を言わなかった……」
霊夢が文の傷跡を見る。
「あんた、優しいのよ……。妖怪のくせに、人を気遣ってるんじゃないわよ……!」
霊夢の顔が真っ赤に染まる。
「あやや……」
文はなんと言っていいか分からなかった。言語を操る、新聞記者のくせに、言葉に詰まった。
花火がしきりに上がっている。キレイな花が、夜空に映える。
人里の歓声がハッキリと聞こえるくらい、博麗神社は静かだった。
――文は決心した。さらなる傷をつけることを。
「霊夢さん」
一言言って、顔を覗き込む。霊夢もその意図に気づいたようで、視線を合わせる。
――これは自傷行為だな、と文はふと思った。
自分の心に傷をつける。そのために行動する。
きっと霊夢にも傷をつける。そして、きっとその傷跡は、呪いのようにお互いを縛り付ける。
しかし、文は厭わない。その傷が、この先ずっと文を苦しませる楔となっても。
――この先、様々な刃物が私たちを襲うだろう。だからこそ、予め一番深い、心の奥に傷を作っておくのだ。
それが、私たちを繋げさせる“キズナ”となるのだから……。
「ねぇ、早く」
しかし、霊夢の催促によって思考が途切れ、文はガクッと肩を落とした。
「何よ?」
「いえ……霊夢さんらしいなぁ……と」
――この巫女は私がどれだけの覚悟を決めているのか知らないで、ただ自分の気分次第で動いている……。
……よくよく考えれば、こんな巫女に覚悟とか、決心と言った類のものは似合わないですよね。
と、文は今までに自分が考えていたことの馬鹿さ加減に笑った。
「何よ」
霊夢がいよいよ頬を膨らませる。その阿古も可愛らしかったのだが、いい加減にしないと不機嫌になってしまうだけなので、文は考えることを止めた。
「いえいえ。じゃ、いきますよ」
「ん」
霊夢が目を閉じる。文も苦笑しながらため息一つ吐いて、目を閉じる。
(そう。私たちはこういうラフな関係でいいんだから……)
そう思いながら、軽く、二人は傷をつけあった。
花火を背に重なる二つのシルエット。心許なかった風鈴の音が、二つの“傷跡”に響き合う……。
~了~
~EXTRA~
祭りの中を二柱と現人神が闊歩する。
「いや~、お祭りは楽しいね! ね!」
「諏訪子様。あまり走られると着物がはだけてしまいますよ」
「まぁいいじゃない。諏訪子もあんなに楽しそうだし」
諏訪子、早苗は着物に着替えていた。外の世界から持ってきたもので、薄い布地が心地よい。
ちなみに神奈子がいつも通りの服装であるのは、諏訪子が着ている着物が早苗のお古であることに関係がある。二柱の着物は最初っからないのだ。
「それにしても、昼間とは大違いですよね」
「あぁ。さすがに暑かったからなぁー。エアコンがなければ祭りで遊ぶ気にもならなかっただろう」
「エアコン様々ですね!」
「そのエアコンというものはどういうものなのでしょうか?」
「ん?」 あぁ。それはだな。電気を消費して涼しさを作ってくれる文明の利器だよ。電気は地底のやつらが作ってくれて使い放題だから、今日は一日中つけてしまったってわけさ。本当、文明の利器って最高だね」
「神奈子様。それエアコンが分からない人に言っても分かりませんよ」
「それもそうだな。今の話が分かるのは、エアコン使ってる私たちや天狗か、作ってる河童か、あと電気作ってる地底のやつらぐらいだなぁ。いや、すまんすまん。今のは忘れてくれ。ハハハハハ」
「いえ、よく分かりましたよ。……ついでに、あなたがたがどれだけ快適に過ごしていたのかも」
「よかったねぇ、お空。計らずともリベンジできるよ」
「…………」
「ハ……」
その時、神奈子と早苗は冷たいさっきを感じた。数にして三。止めどない冷や汗が流れるのを感じながら、ゆっくりと振り返ると、そこには――
来ないのを不審に思い、帰って来た諏訪子が無邪気に訊いた。
「神奈子、祭り?」
「うん。血祭り……」
*
「それにしても、昼は暑かったわねー」
「そうですねー」
霊夢と文は二人並んで花火を見ている。肩と肩が触れ合う距離で。
「私、あの天気嫌だな……暑くなるもん」
「私は好きですよ?」
「は? あんた暑いの好きだっけ?」
「いいえ」
「じゃ、何で?」
「だって、霊夢さんの天気ですから」
「何を――っ!」
霊夢は途中で理解して、スイカのように真っ赤になる。
「あれ……?」
「う、うるさいわねっ! 顔なんて……赤くなってないわよ!」
「いえ……私は一言も……って赤くなってる霊夢さん可愛いですね」
「~~~~っ!」
ますます赤くなる霊夢。アハハと文は笑うが、さっき見た光景を思い出して、霊夢は注意を促す。
「何よ! ってあれ……」
霊夢も見る。人里の上空には明らかに花火とは違う類の輝きが瞬いている。
弾幕だ。しかも、ついこの間見たばかりの。
「あいつら……」
人里が見えるようになった元凶。奇しくも、それが霊夢と文を繋げたのだが。
ただ、先日の喧嘩とは違い、弾幕には殺気が篭っていたのに霊夢と文は気がつくが、それ以上のことは何も分からない。
「何があったんですかね?」
「さぁ。まぁ、どうせ下らない理由でしょ。エアコン寄こせとかなんとか」
「ハハハ……まさかそんな子どもじみた理由で戦うとは思えないですけどね……」
「まぁ、何はともあれ、行くわよ!」
「へ?」
「何してんのよ、文!」
「い、いえ……行くって……」
「文のスピードがないとさすがにあいつら相手にすんのキツイのよ。……それに」
急に俯き、口をもごもごと動かす霊夢。文は首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「~~っ! と、とにかく、私と一緒に来なさいよっ!」
文の手を取り、一気に加速する。バランスを崩した体勢を立て直し、文は苦笑いしながら霊夢に力を貸す。
実は霊夢の言ったことはキッチリ文に聞こえていた。
――今夜は、傍を離れたくないし……
*
「落ち着け! な? 落ち着けって!」
「うにゅ~! 絶っ対許さないんだからーー!」
お空が太陽のような火の玉を掲げた。その輝きは人里を昼間のように照らし出し、人間は急いで慧音の主導で人里の外へと避難する。
神奈子は理由が理由だけになかなか攻撃しづらく、早苗も同じように手も足もでない。遠慮なく攻撃してるのは諏訪子くらいだ。
再び人影が消えた人里。
しかし、昼夜逆転したその世界に、二つの声が木霊する!
「せっかく沈んだ太陽また出してんじゃないわよ!」
「一人ぼっちに感じるのはもうごめんですよ!」
『――!?』
神奈子とお空たちは声がした方向へと振り向く。
声の主たちは不敵に笑い、滝に落ちた時のように、体を密着させた。
『昼よ、暮れろぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーー!』
二つの木霊は一つの風となり――“キズナ”の蹴りがお空(タイヨウ)に炸裂した!
~EXTRA 了~
文可愛いよ!
そしてエクストラwwww
訳分からない事を言いましたが、堪能させてもらいました。ニヤニヤっと。そんな感じです。
このラフな関係がたまらなく好きですw
あふぅ・・・甘いなり~
エクストラで吹いたwww
ダブルライダーキックですねわかります
最高でした!エクストラいい味出してますよ?w
楽しく読ませていただきました。
ごちそうさまです!
文さんも霊夢さんも可愛らしい!
これはいいあやれいむ