※オリキャラが出ています。苦手な方はご注意を。また、所々にグロテスクな表現があります。
『乙女恋愛狂想』
ここは幻想郷。特定の血筋を引いた人間が巫女の仕事をし、結界を以って現世と分け隔てている夢幻の世界。
妖怪という、科学にまみれた人間が信じようとしない存在が人間と共存している空間。
私は八雲紫。巫女とは別で、結界の綻びを管理する者だ。
私はこの幻想郷を愛する妖怪の一人。もうずっと昔から生きてきている。
幻想郷で生まれ、死に、転世して生まれ変わり、また死んでいく。そういう人間達を何度も見てきた。
成人し、結婚を経て子供を作り、老齢で死んだ者。妖怪と戦って死んで行った人間。戦うことすら出来ずに妖怪の餌となる人間。
魔術に手を出し、身を滅ぼした者。妖怪に成ろうとし、失敗した者。或いは神になろうとし、神々の怒りに触れた者。
そうした者達を見続けながら、今日も私はこの世界に生きている。
今日もまた誰かが死に、誰かがこの世に生まれてくるのだろう。
そうして人々や人でない者達、魂達がこの世とあの世を廻り続ける。
巡り廻って、輪廻転生。三千世界に終わりなき連鎖が生まれて、万物は円環する。
私はそういった者達を観察し、暇潰しにその輪の境界を弄ぶ者なり。
※ ※ ※
私は暇があれば幻想郷のどこか、そのときの気分で良さそうな場所を探してそこから幻想郷全体を見渡したりした。
この幻想郷に住んでいるありとあらゆる者達を観察するのが好きだからだ。
私は幻想郷を愛している。そして彼らは幻想郷の一部。故に彼らも愛している。
その彼らの活動を見ていて、楽しくならないはずがない。
いつからだったか、ある男の姿が目に付く様になった。里に住む人間のうちの、一人だ。
男と言ってもその者はとても小さい。まだ生まれたばかりの男児だ。
名前は知らないが里を散歩してみたり、遠くから観察しているとなぜか視界に入ってくるのだ。
別に珍しいことでもない、と私は考えていた。
里で目立ったことをしている人間を見つければ、自然とそういう者に視線を奪われてきたから。
だが今気にしている男児はそういうものではない。特に目立ったことをしているわけでもない。
稗田の一家みたいに特別な血筋の人間でもなさそうだ。それなのに興味が沸く。
私はこの男児の観察を続けることにした。自分にはそれをやるだけの暇はある。
どうせ普段の面倒事や仕事は使いの式、藍にやらせているのだから。
※ ※ ※
男児の家は農家の様であった。
里の中でも山に近いところで主に果物を植えているらしい。
その家族らは総出で畑仕事を行い、豊穣の神に参拝し、出来た果物を里で売りさばいて生計を立てていた。
家族の構成は父と母に例の男児。一人っ子ということになる。
一家の表札は「中村」で、男児は両親から「カツヒコ」と呼ばれていた。
なぜ私がここまで知っているのかは、私が近くまで様子を見に行ったからだ。
私の名は幻想郷中に広まっているだろうが、変装していれば問題はない。
身長、体格を縮め、髪の色を変え、化粧をし、服を変えればまず気付かれない。
ごくごく一部の、妖怪退治を生業としている人間か巫女にしか変装した私が妖怪だと気付けないだろうから。
男児の年は五や六の辺り。よく食べてよく寝、よく遊ぶといった年頃。
近所の子供らからも評判が良いらしく、普通の子供と行ったところだった。
今日はこの辺で観察を止めることにした。またふとした拍子に様子を見に来ることにしよう。
※ ※ ※
男児、カツヒコ君の成長した姿を見に行ってみようと思ったのは、あれから何度かの季節が変わってからだった。
また私は変装し、一家へ近づいて観察を試みた。
カツヒコ君は大きくなっていて、男児というより少年と呼んで良い体になっていた。
前に見たときよりもよく働くようになっている。体力が付いてきている年齢だろう。
だが様子が変であった。一日かけてその家を観察してみたが、父親の姿が見当たらない。
夜。境界を乗り越えて中村家へ忍び込んでみると、布団が二枚しか敷かれていなかった。
カツヒコ少年と母親らしき人物しか住んでいない様だった。
※ ※ ※
家の中の会話だけ聞ける様に小さなスキマを中村家に仕掛けて情報を集めることにした私。
暫くそれらしい話が聞こえてこなかったが、三日ばかり経った頃にカツヒコ君らしき口が父親の死に関することを呟いた。
「山の妖怪が居なければ父ちゃんは……」
確か少年のいる家は妖怪の山に近い所にあったはずだ。
ということは山から下りてきた妖怪にでも襲われた、ということなのだろう。
「もうその話はおやめ!」
少年の母親は夫の死を口にしたくないらしく、少年を叱った。
「絶対仇を取ってやる」
少年はそう強く言った。
一体どういう妖怪が中村家の主人を喰ったのかはわからないが、どうせ里に降りようとする様な妖怪だ。
大して有名なものではないだろう。すでに巫女や里に居る少数の妖怪退治屋に始末されている可能性が高い。
それに少年の言い様からすると妖怪であれば何でも倒す、と言っている風にも聞き取れる。
ますます少年の成長が楽しみになってきた。どこまで育つのか、この目で観察させてもらおう。
※ ※ ※
少年は毎日暇を見つけては弓の練習をしていた。
最初の頃は動物を狩るどころか、的に当てることすら出来ない程下手であった。
だが子供は物覚えが良いという言葉通りに少年は驚くほどの早さで成長していった。
一年、二年経った頃に様子を見てみるともうびっくり。大人の狩人程の腕前に成長していたのだ。
動かない的であればほぼ百発百中をしてみせるほど。空を飛ぶ鳥さえ狙って落とせるほどになっていた。
この手の人間は数種類ある。
諦める者。鍛錬不足で夢半ばに終わる者。別の道を探そうとする者。
彼はその中でもきちんと目標を立て、そこへ集中出来る者なのだろう。
はたしてこのカツヒコ少年は妖怪を憎む感情だけでどこまで突き進めるのか。楽しみはこれからだろう。
彼の数年後を楽しみにし、また私は眠りに落ちた。
※ ※ ※
一年で最も暑い時期がやってきた。トウモロコシが美味しい時期でもある。
私は秘密兵器を用意しておき、例の人間のところへ行くことにした。
このままの姿で出歩くのは何かと面倒なので、見た目年齢八歳程の少女に変装して少年の家へ近づいてみた。
真っ白のワンピース。つばの大きな麦藁帽子を被り、夏の日差し対策も万全である。
遠くから少年の住む中村家を遠くから観察していると、例の少年が訓練しているところを発見できた。
母親の姿が見当たらない。家の中にいるのか、はたまたお出かけ中なのか。
私はこれを好機だと判断し、思い切って少年に近づくことにしよう。
スキマに手を伸ばし、秘密兵器の氷菓子を取り出して少年に声をかけた。
「ねーねー、何してるの?」
「何だお前、誰だよ」
「食べる?」
「……」
「とっても冷たくて美味しいのよ?」
「……くれ」
「うん」
彼にあげたのは外の世界で言うところのアイスキャンデー。
汗を流していた彼にはピッタリの贈り物だろう。きっと喜んでもらえる。
「私めりいって言うの。お兄ちゃんは誰? それで何をするの?」
「めりい?」
「そう」
「お、俺は勝彦。これはあれだよ、秘密の訓練さ」
少し馴れ馴れしすぎるかもと思ったが、カツヒコ君は純粋な少年らしい。
人間の振りをしてお菓子でも与えれば近づけるなんて、簡単なものだ。
カツヒコ君は特に感想を言わずに食べるが、不味い等の不満を漏らさずあっという間にアイスキャンデーを平らげた。
「秘密の?」
「そう。母ちゃんはこんなこと辞めろ、なんて言うんだ」
「どうして?」
「危ないことらしいからさ。妖怪に喧嘩を売るのは無謀だ、って言うんだ」
「よーかい?」
「やべっ、秘密なのに言っちまったよ」
「あらあら」
知られては困る、という風に口では言うものの、やはり人間。隠しごとを共有したい友達が欲しいものなのだろう。
特訓について追求してみると、カツヒコ君は若干嬉しそうな顔をして弓を見せてきた。
「もっと大きくなって、もっと強くなったら俺は妖怪をやっつける、退治屋になるんだ!」
「へぇ~! 格好良いなぁ! カツヒコ君、すごい!」
「そ、そうかな」
少々わざとらしくカツヒコを褒めてみたが、彼にとっては満足できる反応だった様だ。
「お前めりいって言ったっけ? お前の話も聞かせてくれよ! 今日から俺とお前は友達だ!」
どうやら彼に認めてもらえたらしい。満面の笑みを浮かべる彼の表情に思わず惚れてしまった。
「んー、ダメ。私もう帰らないと」
「えー! どうしてだよー!」
「色々とね。それじゃあ! またね!」
「お、おい!」
大きく手を振り、私も純粋そうな少女を気取ってみせた。
彼の目が届かない所まで行くと周りに誰もいないのを確認してからスキマへ潜り込んだ。
※ ※ ※
すぐさま自分の家に到着。自分にかけていた術を消し、変装を解除した。
直後に部屋の襖が勢い良く開けられ、不機嫌そうな彼女が私に無断で入ってきた。
「紫様! どこに行っていたのですか!」
「あら、藍。ただいま」
「おかえりなさいませ……ではありませんよ。いつもいつも仕事を私に押し付けて」
今こうして文句を言って来ているのは私の式神、藍。
藍は私が前々からカツヒコ君に目をつけているのを快く思っていない様なのだ。
特定の人間に付き纏うのは辞めた方が良い、としきりに言ってくるのである。
今カツヒコ君の前から逃げたのはこのため。藍がうるさいから。
「また例の男の子を観察していたのですか。今日は何をしに行かれたのです?」
「挨拶に行ってきたわ。中々良い子だった」
「なっ!
「文句でも?」
「ありますよ! 紫様ほどの大妖怪がどうでも良い人間に目をつけるなんて……どうかしています」
「彼を悪く言うのはやめなさい。どうでも良い、なんて言い方は今後一切禁じます」
「あの人間は紫様にとっての何なのです? まさかあの少年に惚れたとでも言うのですか?」
「まさか」
「じゃあ、今後こういうことは止めてください。人間なんて所詮食料でしかないんですから」
「いやまあそうだけど、人間あってこその私達よ? 人間も時には大事に扱わないと」
「そんなことをすれば人間が付け上がるだけですよ。とにかく、巫女みたいな者でもないただの人間に近づくは極力避けてください」
「……」
自分で拾い、自分で作った式にこうも一方的に説教されるとは思っていなかった。
藍にはもっと徹底的に調教を施すべきだろうか。
※ ※ ※
次に少年のところへ様子を見に行ったときには少年を通り越し、青年と呼べる年齢に達していた。
体つきは大人と変わらないぐらい。肉体労働と弓矢の鍛錬によってついた筋肉は中々逞しい所まで来ている。
私は自分に変装の術をかけ、以前カツヒコ君と会ったときの格好にして挨拶へ伺った。
身長は少し伸ばしておこう。顔つきも若干変えておく。
玄関から声をかけると彼が応じてくれた。顔にはまだ幼さが残っているが、少し年を食ったのがわかる。
「久しぶりじゃないか、めりい! でも……何か、あんまり変わっていないな」
私の白いワンピースと麦藁帽子から昔を思い出してくれた様で、彼は私のことをめりいと呼んだ。
「カツヒコ君……だったよね?」
「ああ」
「声、少し変わったね」
「喉仏が出てきたからだ」
「入っても良い?」
「ああ」
彼に入れてもらったお茶を飲みながら、堂々と家に入ったことである種の感動を覚える。
家の中は狭く、せいぜい三、四人程度しか住めないだろう間取り。
客間に当たるところも無さそうだ。部屋数も台所や風呂場を除けば二、三といったところだろう。
貧乏なのかと思ったが、彼の着ている服は大してボロボロというわけでもないからそういうわけではなさそうだ。
部屋の奥で内職をしている彼の母親は、美味しいものを食べてそれなりの肉と脂肪がついている感じ。
父親が死んだからこの家は二人暮らしなのだろう。二人暮らしならまあ、十分な広さか。
この家の人間は住まいに対して思い入れのない家族なのだろうか。随分と味気ない家だ。
「めりいはあれからどうしてたんだ?」
「うふふ、色々とね。秘密よ」
「今こうしてじっくり見てみると……めりいって不思議だな。目の色や雰囲気が何ていうか、外国の人みたいだ」
「あらそう?」
「里ではめりいを見たことがない。どこから来たんだ?」
「う~ん、言えないなあ。お家の人から漏らしちゃダメって言われてるの」
「そうか……」
奥で内職をしていた母親は台所へ向かい、食事の準備をし始めていた。
母親の表情は穏やかで、私のことを歓迎している様にも見える。
会釈をすれば笑顔を返してくれた。この家族には好感が持てる。素直にそう思った。
「めりいは普段何をしているんだ? 謎めいていて、全く想像できない」
「そんなことないわよ。普通に皆と同じ様な生活してるわ」
「う~ん、そうなのかあ。本当に不思議な奴だ。それにしてもめりいって綺麗だな」
「あら、嬉しい。褒めても何も出ないわよ?」
「べ、別にそういうつもりで言ったわけじゃねえよ」
彼は照れ隠しをするように下を向いてしまった。何て可愛らしいんだろう。
そして私のことも偽りの姿とはいえ綺麗だと褒めてくれた。
彼は私の素顔を見ても綺麗だと褒めてくれるのだろうか。
私が妖怪だと知ってなお、綺麗だと褒めてくれるのだろうか。
「今日はもう遅いし、泊まっていきなよ」
「そういうわけには……」
「暗いのに外へ出るなんて、危険すぎる。妖怪が出るかもしれないのに」
「で、でも」
「母ちゃんが夕食を作っているみたいだし、そうようぜ。な?」
「……」
彼は純粋そうな表情でそう言い、私を食事に誘った。
断るに断れないまま、私は行きずりでご馳走に。
彼の母親は私の正体に気付いていない様なので、まあ騒がれる恐れは無さそうだ。
食事自体はそれなりに豪勢であった。特に貧相なものを食べている、ということもない。
食うのには困っていない様である。彼の母親の料理も悪くない。
ご馳走様をすると彼と彼の母親が食器を片付け始めた。
隙を見てスキマに飛び込み、マヨヒガにいる藍に一言伝えておくべきか、と悩む。
ただでさえ快く思っていない藍に「人家で一食一泊の恩を受けた」と言えば怒り狂うのが目に見えている。
私は藍には黙っておくことにした。今はそういうことをしたくない。彼と過ごしている時間を大事にしたい。
「めりい? どうかしたのか?」
「え? ううん、別に。なんでもないわ」
「そ、そうか」
食器の片付けが終わったらしい。母親と彼は奥の方へ行き、布団を敷き始める。布団は二組しかなかった。
「めりいちゃんはどこで寝るの? と言っても、勝彦と寝かせるわけにはいかないねぇ」
「……」
「そろそろいい年なんだし、おばさんと寝ることにする?」
「そ、そうね、そうさせてもらいます」
彼の表情を伺うと、彼は顔を赤くしていた。女性に対して肉体的な接触は好まないらしい。
とはいえ、私もさすがに彼と同じ布団で寝たいとは思わなかった。
そんなことをすれば胸の高鳴りが激しくなりすぎて、どうにかなりそうだ。
彼は布団に入ると私に背を向ける形で横向きになった。母親は疲れていたのか、すぐに寝入る。
すぐ近くに憧れに近い存在のカツヒコ君がいる、という点ではむしろこっちが顔を背けたいぐらいだと言うのに。
私はそれよりも、先ほどから企んでいることを実行すべきかどうかで悩んでいる。
それは彼の母親を殺してみるべきか、ということだ。
彼は妖怪を憎んでいる。彼は愛すべき父親を妖怪に殺された。
残りの肉親である母親を彼の目の前で殺してしまったら、彼はどうするのだろう?
そして母親を殺している私の姿を見て、何を思うのだろう?
想像しただけで体が悶えた。口がにやけてきた。背筋が震えた。
どうやって殺害しよう。どんな手段を用いて命を奪えばいいだろう。
口を押さえていないと笑いが漏れてしまう。彼がすぐ近くで寝ているというのに、気付かれてしまいそうになる。
でも楽しくて仕方がない。計画を練るという仕事に対してこみ上げてくる悦楽に酔いしれてしまう。
冷静になって部屋の状況を考えよう。
同じ布団の中に彼の母親。今母親は寝息を立てている。私の企みに気付いている様子なんてない。
隣の布団に居る彼も同じく完全に眠っている。今が絶好の機会だった。
私はスキマから何かしらの武器を探し、指に当たった短い刀を手に取った。
深呼吸し、機会をうかがう。母親が息を吐いた瞬間を狙って手を伸ばした。
片方の手で母親の口を塞ぎ、もう片方の手ですぐさま刀をねじりこむ。
母親の寝間着にじわじわと血らしきものが滲んでいく。
暗くて色はわからないが、生暖かい液体と言えば血液しか考えられない。
少し気に入っていたワンピースも返り血によって濡れて行く。
母親が暴れだしたが、心臓を手探りで狙って刀で傷つけると母親は動かなくなった。
慌てて彼の布団へ目を向けると、彼は寝相で頭をかいていた。全く気付いていないらしい。
雰囲気を出すために母親の死体をわざとらしく壊すことにする。
手始めに指を全て切り落とし、そこら中に転がしておいた。
母親の片腕をできる限り静かに切り離し、彼の枕と交換しておいた。
次に母親の腹を切り開く。
普通の人間ならぶよぶよとした触り心地に嫌悪感しか抱かなさそうな内臓を手当たり次第に切り取り、部屋の隅に投げた。
お腹が減っているわけはないのでこの母親を食べる気にはならないが、雰囲気を出すために自分の口の周りを母親の血で濡らした。
後は彼、カツヒコ君が目を覚ましてくれるのを待つばかりである。
だが彼は中々目を覚まさなかった。
母親の腕枕に気付かず、何度も寝返りを打ってはいびきをかくばかり。
しかし鈍感な彼に対して怒りは沸いてこない。
それどころか、彼が気付かない振りをしているのではないかと感じた。
声を上げて驚くと私が喜ぶのを知っていて、わざと反応を示さないようにしているのはないだろうか。
そう、彼が私を焦らしているのではないのかという一種のプレイ。
私から声をかけて彼を起こしたらどうなのだろうか。彼はどんな反応をするのだろうか。
驚いてくれるのか。憎んでくれるのか。私に敵意を向けに来るのか。
私の口の周りに塗った血が乾き始めた。障子の向こう側が明るくなり始める。朝がやってきた。
いい加減目を覚まして欲しい。もう待ちくたびれた。
早くあなたの感情を爆発させて欲しい。あなたの叫び声を聞かせて欲しい。あなたに怒られたい。
「ん……?」
待ちに待った瞬間。彼が眠たそうな声で枕の異変に気付いてくれた。
さあ早く。驚いて。こっちを向いて。母親の成り果てた姿に恐怖を感じて。私を睨んで。
「うわっ!」
ああ、何て素晴らしい声をしてくれるのだろう。
彼は枕、母親の腕を蹴った。さぞかし驚いたであろう。私としては驚くよりも怖がって欲しいが。
そしてついに彼がこっちを向いた。
「あっ!」
彼が私を見ている。見てくれている。血に染まった短い刀を見ている。
お気に入りのワンピースが赤くなっているのを見られている。
わざとらしく濡らした口元も見てくれているはず。
「お前っ!」
彼が激しく怒っているのが手に取るようにわかる。激昂している。大声を上げて私を威嚇している。
もっと私に注目して欲しい。あなたが綺麗だと褒めてくれた私の本当の姿を見て欲しい。
私は指を鳴らし、自分にかけている変装の術を解いた。
「お前、めりいじゃないのか!?」
「めりい、というのはあなたと始めて会ったときに考えた仮名にすぎない。私の本名は八雲紫」
「へぇ、そうか……それがお前の本当の名か。八雲紫って女が、俺の家族を無茶苦茶にしてくれたのか!」
彼は跳んだ。私に飛び掛り、握り締めた拳を私の頬に打ちつけてくる。
私を押し倒し、なお続けて顔を殴られた。左右の拳で何度も。本当の姿の顔を気に入ってもらえなかったのだろうか?
「殺してやるっ!」
私の手から刀を奪い、私の胸へ突き刺した。引き抜いては刺してを繰り返し、私のドレスをボロボロにした。
私のお洒落を気に入ってもらえなかったのだろうか?
「父ちゃんを殺したのもお前だろう!」
「さあ? とはいえ、知らないと言っても信じてもらえないんでしょうけど」
「当たり前だ! 妖怪の言うことなんざ信じられるか!」
彼の手は休まらない。私の肉体を徹底的に破壊しようと努力している。
でも私はこんなものでは死なない。死ねない。
必死に私を殺そうとしてくる彼に微笑みかけた。
カツヒコ君の悔しそうな表情が愛おしくなり、私の唇は釣りあがるばかり。
「くそっ……なんで、なんで死なねぇんだ!」
「妖怪だからよ」
私の言葉を聞いて彼の手は止まってしまった。呼吸を荒くして私を睨んでいる。
怒りと母親を殺された悲しみが混じった表情をしている。
「何で、めりいが」
「めいいじゃない。八雲紫よ。紫って、気軽に呼んで」
「ふざけるなっ!」
彼は疲れきった体に残った力を振り絞った感じで、もう一度短刀で私の胸に突き刺した。
私の胸はもう原型を留めておらず、筋肉や内臓がボロボロ。短刀は胸のあった部分を貫通して畳に刺さっていた。
「酷い、こんなになるまで」
「何がだ! お前の方が酷いだろうが! 父ちゃんと母ちゃんを返せよ畜生!」
「ドレスも……ああ、おめかしし直さないといけないじゃない」
「俺の話を聞け!」
「ちょっと待ってね、今綺麗になるから」
私に覆いかぶさっているカツヒコ君を突き飛ばした。
ほんのちょっと力を入れただけなのに、彼は向かい側にある襖へ体当たりでもしたかの様に吹き飛んで行った。
「ぐっ……!」
「あ、痛かった? ごめんなさいね」
念じ、スキマの結界を発生させた。それに潜り、肉体を隠す。ついでに彼の傍へ結界を繋げて移動する。
結界から出た私にはもう傷一つ残っていない。服も元通り。
別に結界を潜らずとも怪我を治すことぐらい出来るが、こうやった方がおもしろく見えると思った。
私に突き飛ばされたダメージなのか、それとも疲れてしまっているのか、彼はいまだに寝転がっている。
「化け物……め」
「怪我を治して、服も直したっていうのに……あなたは私を綺麗だと褒めてくれないの?」
「死ね妖怪。お前に綺麗だなんて言った昨日の俺に反吐が出る」
彼の表情は憎悪そのもの。とうとう悲しみの表情をかき消すほどに怒りの感情が強くなっていた。
「酷い、カツヒコ君はそんなこと言う人じゃないと思ってたのに」
「ぶりっ子するのもいい加減にしろ! そうやって俺をおちょくって、何が楽しいんだ!」
「あらあら、妖怪は人間を弄んでこその妖怪なのに」
「黙れ!」
「もう、人に尋ねておいて黙れは無いんじゃない?」
「死ね!」
「んもう、カツヒコ君ったら暴力的よ」
こうやって彼の感情を逆撫でするのが楽しくてたまらない。
言葉で他人の感情や心を翻弄し、他人の感情や気を惹かせるのが気持ちよくって辞められない。
起き上がろうにも起き上がれないでいる彼に覆いかぶさり、さっきとは反対の状況。
私を殺したくてたまらないであろう彼は私の頬をまた殴った。目に涙を溜めて痛がってみると、彼はまた殴ってきた。
私は彼の手を取り、私の頬に手を当てるよう誘った。彼は握り拳を作り、私の手を振り払って再度殴ってきた。
「俺に触るな、死ね」
「酷いわカツヒコ君、あなたのためにお化粧までしてきたのに」
「ぶっ殺してやる」
「私の髪の毛触ってみてよ、念入りにシャンプーしてきたの」
「気持ち悪い、死ね」
「……どうして私のことを気に入ってくれないの。私はこんなにもあなたのことを愛しているのに」
「親の仇に愛されるなんて言われても、ハラワタが煮えくり返るだけだ!」
顔を覗き込む。唇と唇との距離を縮めていく。彼の憎悪に燃えて熱くなっているであろう彼の心を感じ取りたい。
いっそ彼とまぐわいたい。彼となら性交しても良い。むしろ彼としたいと思えてきた。
今ちょっとだけ後悔した。彼の母親と一緒に寝るんじゃなかった、と。
彼と同じ布団に入って彼の体温を感じていられたのなら、どれだけ嬉しくなっていたか。
「ねぇ、カツヒコ君。私あなたに愛されたい」
「死ね、今すぐ死ね」
「死ねしか言ってくれないの?」
「そうだよ! それが俺の望みだ!」
彼が一段と語尾を強める。胸に痛みが走った。また私の胸に短刀が突き刺さっている。
「へへっ、俺がこれを掴んでいたのを忘れていたのか?」
「……酷い、酷いわカツヒコ君」
「ざまぁ見ろ、くたばっちまえ」
「でもこんな武器じゃ私は殺せないって、さっきも言ったでしょう」
胸の刀を抜き、彼の顔の傍に突き立てた。驚き、少し引いている彼に微笑みかける。
私が胸から血を流してもなお彼を組み伏せているという状況に、カツヒコ君が心底驚いた表情を見せた。
「私を殺したいのなら、私の居るところまで来てみなさい」
「な、何を……」
「マヨヒガ。そこで私は待っているわ。ただの人間であるあなたに到達出来るのなら、そのとき相手になってあげる」
指を振って合図をし、スキマを広げた。カツヒコ君がスキマの中を覗き込もうとするので、私は慌てて結界を閉じた。
「ちょっと、恥ずかしいから見ないでよ」
「……」
彼は私の言葉に耳を傾けなかった。ただひたすらに私を睨んでいる。
ここまで一人の人間に怨まれたことが今まであっただろうか。
あったかもしれない。だがその中でも彼、カツヒコ君は一位、二位を争うほど私を憎んでいる気がしてきた。
私から決して視線をそらさず、殺気の篭もった眼圧をこちらに与えてくる。
ここまで睨まれることが気持ちよく感じることなど無かった。やはり彼は最高だ。
夫として迎え入れたい、とはまでは言わないがお気に入りの殿方に分類しても良い程である。
再度スキマを開き、彼にお別れの言葉を放った。
すると彼は最後の力を振り絞ってか、短刀を私に向かって投げつけてきた。
私は短刀が当たる前にスキマを閉じた。返してもらう程のものではないから、いっそ彼が持てば良いと思った。
この後彼がどの様にしてマヨヒガまで来るのか楽しみだ。
辿り着けずに道中の妖怪との戦いで命を落とすのか、それとも結界を飛び越えて私の目の前に現れるのか。
マヨヒガの屋敷に戻ると藍が物凄い剣幕を見せてきた。仕事をしろだの、人間に近づきすぎだのと。
私は彼女の怒る声を無視して自分の部屋に引きこもり、布団に入った。
目をつむるとカツヒコ君の睨む顔が思い浮かぶ。本当に彼が楽しみだ。
彼なら怒りのエネルギーだけで私の所へ本当に来る気がする。
私は私のことをめりいと呼んでいた頃のカツヒコ君を思い出しながら眠りについた。
※ ※ ※
つい最近人間側の結界を管理する者である、博麗の血筋を引くものが入れ替わった。
いわゆる世代交代というものだ。年老いた巫女が娘に役職を託す、ということだそうだ。
早速挨拶がてら新しい巫女を拝みに行ったのだが、なかなかどうして、食えそうにない巫女であった。
新しい巫女や他の妖怪と宴会を繰り返したりして、彼のことをすっかり忘れてしまっていた自分。
気付いたときには、もうあの頃から十年は経っていることになるだろうか。
いくら頭の良い式神といっても、藍も彼のことなど忘れているはずだ。
例の姿を変える術を使い、早速私は人里へ潜り込むことにした。
※ ※ ※
少し急ぎ気味で彼の家があった所へ向かった。彼の顔を久しぶりに拝みたい。
今まで忘れていたのは私のせいじゃない。私のところまで来てくれない彼が悪いのだ。
家があった所へ着いた。あの少し寂しい、古い家屋。だが表札の名前が全然別のものになっていた。
それどころか良く見てみると家の形が全然違うものであった。
庭先でくつろいでいる住民らしき者が居たが、彼の姿はなかった。太った夫婦がお茶を飲んでいる。
私に復讐心を燃やしていた彼は一体どこへ行ったというのだろうか。
このままではらちが明かない。私は夫婦に彼のことを聞いてみることにした。
「あのう、すみません。ここにナカムラという男の人が居ませんでしたか?」
「……ああ、その人なら今は里の西側へ引っ越して行きましたよ。家を取り壊して土地を地主に売って、ね」
「で、あなた方はこの土地を買って、ここに住まれてると?」
「そういうことですね」
一体どうして家を壊してしまったのだろう。私が少し酷いことをした様な気はするが……余り良く覚えていない。
「中村さんのこと、知らないのですか? この里の妖怪退治屋として有名なんですよ?」
「へえ……」
夫婦の話によると彼は里の妖怪退治屋として働いているということ。
私は夫婦に別れを告げて、里の賑やかな中心部へ行くことにした。
今の時間は夕方を過ぎた夜。
人の出入りが激しい酒屋に入り、主人に彼の話を伺ってみると彼は二桁を超える回数の妖怪退治に成功させていると教えてくれた。
その手法というのは弓矢と短い刀を使ってのものだとか。
彼のことを詳しく教えて欲しいと頼むと、手ぬぐいを頭に巻いた酒屋の主人は皮が荒れた唇を嬉しそうに開いてくれた。
「この辺であいつの名前を知らない奴はいねえだろうな。それぐらいあの男は腕が立つ。ま、博麗の巫女ってのには敵わないが」
「巫女というと、ここから少し離れたところに居る?」
「ああ、そうだ」
「でも彼はただの人間でしょう? どうしてそこまで」
「さあな。なんでもめりだったか、八雲って妖怪を追いかけてるって話だ」
「!?」
「どうかしたのかい? まあつまり、あの男はとある妖怪に恨みを持ってるってことだな」
「そう……」
嬉しいと思った。彼はいまだに私を追いかけているのだ。追いかけている最中なのだ。
妖怪退治屋として働きながら、腕を磨いているのだろう。私の所へ来られる日まで。
「ところでお嬢ちゃんは一体何者なんだい?」
「名乗るほどの者じゃありませんよ。ご馳走様でした」
焼酎とおつまみの代金を置いていき、酒屋を後にした。
今の時間帯は夜。仕事を終えた者達が酒屋に集まる時間帯。
なんとしてでも彼に会いたい。もう一度顔を見たい。めりいでも、紫でも良い。名前を呼ばれたい。
雑踏の中を何気なしに歩いていると、ある男が目に入った。
いつからか、ずうっとこちらを見ている気がする。その男に視線を返すとの男の視線は睨みに変わった。
その男の肌が微かな月光に照らされている。肉付きは凄まじいもので、ボディビルダーと思えるほど。
顔立ちはいい感じに年を食っているという具合。二十台後半、と言ったところか。
貧弱な妖怪であれば力負けしそうなほどの筋力を持って居そうな厳つい男。
背中には弓と矢筒を背負っており、腰には短い刀を差している。
次に男の表情を見たときには凄まじい憤怒のものになっていた。
「見つけたぞ!」
男が叫んだ。それはとても懐かしい感じがするもので、つまり彼のものだった。
男、いやカツヒコ君がすぐさま弓を構えた。周りにいる人々は彼の殺気に驚き、あっという間に下がっていった。
「変装したってわかるぞ。お前からバケモノの気配がする」
「あら」
折角変装したというのにまさか気配で正体を見破られるとは思っていなかった。
術を解くと周りにいる人々はすぐさま私が妖怪だということに気付いて逃げて行く。
「ここで会ったが百年目、てな」
「ん~、出来ればマヨヒガで相手をしたかったんだけど……折角だから遊んであげてもいいかな」
顎に人差し指を当てて気取ってみると、眉間に矢を打ち込まれた。
すんでの所で首を傾けて避けたが、驚かされる速度で矢は飛んで来ていた。
「お前を殺すために血の滲む思いで、俺はここまで強くなった」
「……うん、私も正直驚かされた。本当に強くなったのね、カツヒコ君」
「俺の名を呼ぶな!」
彼が第二波の矢を放つ。今度は避ける体勢を作って挑んだので対処出来たが、なんと飛んできた矢は二本であった。
「お前を殺すために俺は矢を二本放つ方法を編み出したんだ」
そして矢のかすった眉間に異変を感じる。じりじりとした痛みが気になった。
「矢の先には毒を塗ってある。並みの妖怪なら泣いて謝りだすほど痛いはずだ」
彼がどの様にして妖怪を退治してきたのかようやく理解した。
確かに彼はすごい。人間のくせにここまで工夫し、よく鍛錬してきたと感心した。
でも彼にはまだ何かが足りない。私からすればまだ赤ん坊に等しく感じてしまう。
弓矢の技術は凄まじいものを感じる。それこそ並大抵の妖怪となら対等に渡り合えるだろう。
だが私に対してはどうだろう? まだまだこんなものは痛いで済ませられるものに違いない。
私はこんな毒でやられるようなやわな妖怪ではないと自負している。
こんなオモチャで私に勝つ気で居る彼に対して怒りがこみ上げてきた。私は舐められているのでは、と。
再度放たれた二本の矢を私は手で掴んだ。すぐさまそれを折ってしまい、矢だったものを地面に叩き付けた。
「失望したわ」
「あ?」
「カツヒコ君ならもっと強くなると思っていたのに」
「なっ!」
「あなたには失望したわ。あなたにはもう何も期待しない」
自信たっぷりであった彼の得意げな表情はあっという間に崩れてしまい、呆然とした表情に変わっていった。
彼はこんなものではない。彼ならもっとすごい高みへ行けると信じている。だから私はあえて彼の自信を潰した。彼に厳しくしている。
いかにも「これなら私を倒せる」と思っている彼に、私の恐ろしさを思い出させるために私は彼を叱咤激励しているのだ。
もっと強くなってくれないと困る。もっと強くなってくれないと楽しめない。
そして何より、もっと強くないとちょっと名の知れた妖怪程度に殺されてしまうと思った。
こんな程度では人里に降りようとする愚かな弱小妖怪としか渡り合えないレベルだ。
それこそ私ではなく藍が相手になっていれば、今頃カツヒコ君が喰われてると言っても差し支えない。
もしカツヒコ君がマヨヒガに侵入できたとすれば、藍は全力でカツヒコ君を殺そうとするだろう。
その藍に勝てるほどの強さを持ってもらわないと、藍に彼の存在を認めさせることが出来ない。
「ま、待ってくれ……俺は、これでもお前と肩を並べられないというのか? ここまで強くなったのに……」
「だから何? そんな程度で自惚れないで。あなたよりずっと若く、小さい女の子である博麗の巫女の強さを知ってる? その逞しい肉体を持ったあなたなんか、木偶の坊にすぎないわ」
「……」
私は結界を開いた。もう彼に用はない。一刻も早く家に帰りたい。彼の顔など見たくない。
そう思ってスキマに入ろうと背中を向けた所で風切音が聞こえた。刹那、胸に鋭い痛みが走る。
背中から胸にかけて、彼が放ってあろう矢が深々と刺さっていた。
「こんなものでは私は死なない。例えいかなる毒を塗られていようが、私にとっては致命傷にならない。百万本撃たれようが……」
「本当にか?」
「……え?」
振り向くと呆気に取られていたはずの彼の表情が笑顔になっていた。
と、次の瞬間胸の痛みが急激に強くなった。純粋に痛い。一体これは何?
「それが俺の切り札だ。痛いだろう? 俺の怨念という名の毒がたっぷり仕込まれた矢だ」
胸に刺さった矢をよく観察してみると札が貼られていた。
札には魔除けか、結界にでも使われる様な言葉がつづられていた。
さらにそれは血の様なもので書かれている様に見える。
「痛いだろう? 先代の巫女さんに教わった、対妖怪用の武器だ」
「あっ、ぐぐ……」
「もっと苦しめバケモノめ。いっそここで死んでしまえ」
本当に苦しい。まさかこんなものを隠し持っていたなんて。
物理的な武器しか持って居ないと思えば、きちんと妖怪向けの武器を持っていたなんて予想外だ。
息ができない。体が上手く動いてくれない。私の無様な姿を笑う彼に睨みを返せない。
私はただの人間であるカツヒコ君に対して、初めて退散してしまうことになった。
※ ※ ※
通常魔除けの札は墨と筆、それに紙で作られる。
だが稀に術者の体液を用いて魔除けの呪文を書いたり、特別神聖な材質で作る場合がある。
こういう場合、普通に札を作るよりも効果が高くなることが多い。
彼の場合であれば自分自身の血を絞って対妖怪の札を作った、と行ったところになると思う。
単純な武器ではない。これはまさに、私にとって一番嫌な毒の一種と言えよう。
私ら妖怪の肉体の限界など、人間のそれより遥かな高みに到達している。
いくら刀で斬られようが、弓矢で貫かれようが、酒でも呑んで寝れば次の日には治っている。
鉛弾を打ち込まれようが、爆弾で吹き飛ばされようが死ぬことはまずない。
そんな妖怪にとって一番苦手なものは何か。それは精神攻撃である。
チェーンソーやマシンガンなんて近代的な兵器は効かない。
だが三種の神器を持ち出されたりするとどうだろう。錆びていようが、古来から伝わる謂われの込められたもの。
かの有名なヤマタノオロチを倒すのに使われた剣、なんてものに斬られれば私はなす術もなく殺されるだろう。
ここで挙げた一例は極端な話ではあるが、彼は妖怪が精神攻撃に弱いことをすでに知っているのだ。
スキマを通って自分の部屋に帰ってきても胸の痛みは治まらない。いまだに胸に刺さったままの矢を抜こうとするが、矢に触ることすら苦痛。
まるで博麗の巫女が妖怪退治に用いる陰陽玉である。陰陽玉が矢の形を成して私を貫いている様な錯覚を覚える。
それでも声を上げて必死に矢を掴み、引き抜いてやった。
傷口からは血が留処なく流れ出ている。いつもの様に治らない。傷口どころか出血さえ止められない。
だがここまで来ればもう大丈夫だろう。人間がやっているみたいに止血するための包帯を巻いておけばそのうち治る。
「紫様! 紫様、一体どうされたのです!?」
藍が大慌てで部屋に入ってきた。私の声を聞いて飛んできたのだろう。
布団の上には血溜まりが出来ている。少々スプラッタな光景になっているが藍は驚かなかった。
「ああ、ちょっと博麗の巫女にやられちゃってね」
「……巫女は矢なんて使わないはずですが」
引き抜くだけで精一杯だった矢を処分し忘れていた。
「一体どこのどいつです? 紫様をこんな目に合わせたのは!」
「……」
「どうして答えてくれないのですか!」
「あなたが首を突っ込むことではないわ。包帯を持ってきて」
「わかりました。例の男ですね?」
「っ!?」
「いくら私でも気付きますよ。今思い出しました」
まさか感付かれるとは思っていなかった。藍の指摘に驚き、平静を装うことも出来ずに反応してしまった。
「私が勝手に里へ降りて調べましたよ。カツヒコという男が紫様を追いかけている、ということも」
「……」
「あの男は今から私が殺しに行きます。紫様はその怪我がありますし、安静になさってください」
「ま、待ちなさい! カツヒコ君を殺すなんて私は許さないわよ!」
「……あの人間は紫様にとって何だと言うのです? 紫様らしくありませんよ」
「あなたこそおかしいわ。なぜここまで私に文句を言うのよ? 恋愛ぐらい好きにさせなさいよ!」
「……わかりました、私はもう何も言いません」
「当然よ! 式ごときに私の邪魔なんてさせないわ!」
藍は目を伏せて部屋を出て行った。まさか思わず恋愛、と言ってしまうとは思わなかった。
改めて口にしてみると猛烈な恥ずかしさに襲われた。そう、私は彼に恋焦がれているのだ。
そう思い返してみると、矢に貫かれた胸の痛みが愛しい彼を想って出来る痛みに思えてきた。
さしずめ私のハートを彼に射抜かれた、と言ったところ。
なんてロマンチックなことをしてくれたのだろう。彼に感謝しなければいけないかもしれない。
早く彼がここに来てくれれば良いのに。私が最高のおもてなしをしてあげるのに。
※ ※ ※
季節は何度も巡り廻る。博麗の巫女らと宴会を繰り返したりした。
その頃にまた私は彼が愛しくなり、彼を探すことにした。
今の季節は梅雨の時期であった。今は運良く雨が降っていないが、いつ降ってもおかしくない空色。
いつもの様に変装し、里の酒屋へ向かった。
酒屋に入ると若い男と女の声が私を迎えた。前に居た酒屋の主人は居なかった。
「あの、前に年のいった主人が居たと思うんだけど」
「ああ、あれは僕の親父です。その親父も結構な年だしということで、息子の僕が店を引き継いだんです」
「なるほど、そういうことね。そこの女性は娘さん?」
「いえ……僕の家内です」
新しい店の主人は顔を赤くして照れた。さすが親子。前の主人に良く似た顔をしている。
「ねえあなた、カツヒコという人をご存知?」
「カツヒコというと……中村さんですか? 知らないわけないじゃないですか、中村さんは有名人ですから」
いつもの様に焼酎とおつまみを頼み、彼のことを聞き出すことにした。
「彼は今どうしてるか知っている?」
「確か山の方へ行ってますよ。今朝お店に来られて、そう言って出て行きましたから」
「山ねぇ。そう、わかったわ。ありがとう」
「でもどうして中村さんのことを訊くんです? もしかして彼のことが好きなんですか?」
「……」
「隠さなくっても良いじゃないですか。そうなんでしょう?」
若い新主人が朗らかな笑顔を見せてそう言い、近くのテーブル客へ酒を出しに行った。
「ええ、まあね」
主人がカウンターへ帰ってくる。追加の注文をし、お替りの焼酎を注いでもらった。
「辞めておいた方が良いですよ。あの人、随分と無欲な感じの人ですから」
「というと?」
「今まで彼に交際を申し込んだ女の人は何人か居たらしんですけど、いずれも断ったそうです」
「どうして? 好みじゃなかったの?」
「違います。彼は邪魔だから、と言って断ったそうですよ」
「邪魔?」
「あの人、ある妖怪を追っているらしんですよね。確か名前は……めりいって言ってました」
「……」
もう彼もかなり良い年に来ているはずだ。
暫く見ていないが、前に矢を撃たれて別れた後から五、六年は経ってるだろう。
今彼の年齢は三十台を超えた頃であろう。肉体的なピークが近づいてきている年頃。
もうそろそろ私のところへ来ても良い頃なのではないか。
というより、そろそろ来てくれないと困る。私が待ちくたびれてしまう。
私は彼に会いたくなったので、もう店を出ることにした。
いつもの様にお酒とおつまみの代金を置いて主人に頭を下げて出て行こうとする。
「あの」
「ん?」
若い主人に引き止められた。何か彼に関わる情報でもあるのだろうか。
「すみません、今年は凶作でおつまみの落花生があまり取れなかったために値上げしているんです」
「……代金が足りないってことね」
「すみませんね」
前の主人は面倒臭がってなのか、それとも良心的故か値上げなんてしなかったのに……と思いながら私はお金を足して店を出た。
人の気配がないところを探してスキマを広げ、妖怪の山へ向かった。
山へ入って妖怪や神々に適当な挨拶をしながら登っていくと、騒がしいところを発見。
どうやら誰かが決闘をしているところだった。
その内の一人は彼、カツヒコ君であった。相手は天狗。その中でも警備や哨戒の仕事をこなす白狼天狗であった。
二人を刺激しない様気配と身を隠して二人の闘いを見物する。どちらも引かない、互角の勝負であった。
天狗を良く見ればかなりの手練れの様子。下っ端等ではなさそうだ。
そんな天狗と互角に戦う人間はなかなか珍しい。いつの時代にもこういう人間が一人や二人は居るものだが、それが彼になろうとは嬉しい限りだ。
彼の戦闘スタイルは相変わらずの様だ。弓矢の飛び道具。そして短刀による白兵戦。
その弓はいつもの弓ではなかった。腕にくっついているのだ。さしずめボウガンと言ったところ。
古来から伝わる大きな弓とは違う。扱い易く、矢の装填を素早くできる。
弓が小さい分射程は縮まるが取り回しと連射性能は上がっているだろう。
より効率の良い戦い方が出来る、と言った感じだ。
一方の天狗は盾と刀での接近戦。カツヒコ君は斬り合いの最中に矢を使っての牽制を織り交ぜている。
一番驚くのは妖怪同様、自由に飛び回ることの出来る機動力を持つ敵と対峙していようが、お構いなしに闘えているカツヒコ君の戦闘技術。
そして人間より鍛えているであろう肉体を持つ天狗とも力比べをして、張り合える筋力を持っているカツヒコ君の体。
天狗と鍔迫り合いになっても押すことは出来ないが、押されることもない彼。
まさかここまで強くなっているとは思わなかった。そしてついに彼は天狗を倒してしまった。
疲れて油断をした白狼天狗のわき腹に刀を突き刺したのだ。
天狗はそれで死んだわけではないが、負けを認めて降参をしたのだ。
おもしろい。天狗とこれだけ張り合える実力を持っているのなら、私のところへ来るのも時間の問題だろう。
早く来て欲しい。また私に憎しみの眼差しを向けて欲しい。
今日はもう満足してしまった。あえて彼の前に現れないまま帰ることにしよう。
私は彼の横顔を堪能し、スキマの中へ潜った。
※ ※ ※
至福の時。それは惰眠のことである。
藍に何度も起こされながらも抵抗して寝転がっているのは気持ちの良いものである。
「紫様~、もうお昼ですよ~。いい加減起きたらどうですか」
「ん~ん~」
「紫様の昼食、捨てますよ」
「んーんー」
「……二日、三日も寝ようとするなんてだらしないですよ」
「放っておきなさい! それに私はまだ半日しか寝てないじゃない!」
「そういう問題ではないかと……大体妖怪なんですから、睡眠なんてしなくても生きていけるじゃないですか」
「わかってないわね」
「睡眠なんて、そんなの人間の振りしてるだけじゃないですか」
「じゃあ、あなたは寝ないの?」
「休憩はしますけどね。なにぶん、頭を使うことが多いですから」
「ほら見なさい。私だって脳を休めたいのよ」
「休みすぎです。紫様は単純に寝たいだけじゃないですか」
「だからそういう意味をこめて寝たいのに」
「……」
何か諦めたような表情をして部屋を出て行った。しめしめ、これでまた暫く寝ることができる。
そう思って布団を被り直すと、またまた藍が部屋に入ってきた。
「た、た、た、た、大変です!」
「……何よー」
これまた随分と慌てた表情になって帰ってきた。そんな風に騒がれてしまっては眠気が覚めてしまうではないか。
「侵入者ですよ! 巫女と人間が……」
「えぇ!?」
寝ていられる状況じゃなくなった。巫女と人間がこのマヨヒガに侵入してきただと?
「今そいつらはどうしている?」
「警備をさせている式神が人間にやられました。ただ、巫女は何もしていない様です」
「はい?」
「巫女はついてきただけ、みたいですね。人間が一人で暴れています。すぐに殺しに行ってきますよ」
「待ちなさい、その人間は私を狙ってるに違いないわ」
「……まさか、例の男とでも?」
「絶対にそうよ」
「いい加減にしてください。恋愛だか何だか知りませんが、人間一人にマヨヒガを無茶苦茶にされてるんです。これは舐められているってことですよ」
「だから何? 私はずっと彼が来るのを待っていたのよ」
一体どうやって彼が来たというのだろう、と不思議に思っていたが巫女が居るということで推理は出来た。
結界を張ったり、破ったりするのが得意な巫女に頼んでマヨヒガへ侵入して来たというところだろう。
慌てて衣服を整えて表へ出た。髪を梳く時間も惜しんで、彼に早く会いたい。
表へ出てみると随分と荒らされた様子になっていた。良い感じに私を憎んでくれているままの様だ。
階段を降りたところに広がる庭の花壇は踏み荒らされ、壊滅状態。門の扉も破壊されている。
外の世界から持ってきたお洒落な扉だったのに、酷い有様。
家の前の石畳になっているところに彼が座っていた。その近くには巫女が居て、彼と何か喋っている様だった。
「本当に帰ってしまっても大丈夫なの? 私が居なくなったら、あなたはどうやって帰るつもりなのよ」
「あいつとやった後のことなんか知らねぇよ、適当にやるだけだ」
「……本当に知らないわよ」
黒い髪に紅白の巫女装束を来た博麗の巫女が彼を心配そうな顔で見ている。
巫女は踵を返し、空を飛んでこのマヨヒガから出て行った。彼一人が取り残された、ということになる。
いや、話からすると彼は帰るつもりが無い様である。私と心中でもするつもりなのだろうか?
「よう、めりい。いや、八雲紫か。ようやくお前の所に来てやったぞ……」
「ええ、良く来てくれたわね。歓迎するわよ、カツヒコ君」
微笑んで会釈をした。厳つい表情の彼も一瞬笑った。かと思うと、すかさず矢が飛んできた。
手で受け止めてやったが、例の札が貼られた物だった様で手に火傷でも負った感じの痛みがした。
「もう逃がさねえぞ。今日こそ殺す。絶対殺す」
彼が背中に背負っている矢筒を良く見ると、全ての矢に札が貼られていた。
まさか量産してやって来るとは思ってもみなかった。
カツヒコ君が勢い良く飛び出し、階段を駆け上がってくる。その間も矢の射撃は止まらない。
私も彼の様に飛び道具で応戦してみようと思い、結界の力を応用して光線状の射撃を打ち込んだ。
私の攻撃に彼が驚いた表情を見せるが、彼は飛び跳ねてそれを避けた。
人間なのに良い反射神経と運動神経をしている、と心底関心した。
あれからまた鍛えてきたのだろう。やはり彼は最高だ。最高の人間だ。
おそらく今の私にとって殺しあいをする相手としては、彼以外にありえないだろう。
「死ねっ!」
私のすぐ傍まで接近していた彼が刀を抜き、振り下ろしてきた。その刀には札がビッシリと貼られている。
スキマに手を伸ばし、適当な刀を手に取って私も応戦する。ちょっとチャンバラごっこでもしてやろう。
「この野郎、父ちゃんと母ちゃんの仇を今日こそ……!」
前に彼が天狗を倒したときのことを思い出す。実際にこうして斬り合ってみると彼の努力の結果に納得する。
大して刀の稽古をしている私ではないが、それでも妖怪としての身体能力だけで勝てると思っていたのに中々どうして、勝てないものなのだ。
二刀流に切り替え、手数で押してみようとするがそれでも押し切れない。
「おいおい、どうしたんだよ大妖怪の八雲さんよぉ! さんざん馬鹿にしてきた俺にこうやって押されて……悔しくねぇのかっ!?」
「……ふふ、もっと攻めてくれて構わないわよ。大好きなあなたに、斬られるのなら」
刹那、彼が大きく跳躍した、らしい。手加減してはいたが、突然の出来事に一瞬彼が消えたように見えた。
瞬間、胸と腹に襲ってきた大きな痛み。怨念の篭もった刀が私を袈裟懸けに斬ったのだ。
「ざまぁみろ、くたばっちまえ!」
「……」
物陰から私と彼の戦いを見ていた藍は今にも飛び出してきそうな感じであった。
笑顔を見せて彼女を制止し、彼にも微笑えんだ。
「何を笑っていやがる」
「嬉しいのよ。ここまで強い人間は珍しいものだから」
「……おいおい、この刀で斬っても死なないっていうのか、お前は」
対妖怪の札は怖い。それに当てられれば痛い。だがはっきりいって死ぬ危険性はない。
初めてあの札の貼られた矢を打ち込まれたときは本当にびっくりする程痛かったが、あれで死ぬとは思っていなかった。
所詮人の作ったものなど限度があるということ。
巫女の様に生まれながらにして妖怪を退治する術を知っている者でもないのに、私を完全に殺そうなど笑止千万。
私の肩を切り裂き、胸にまで食い込んだところで止まっている短刀に手を置き、力任せに刀を砕いた。
唖然とする表情になっていくカツヒコ君。勝負ありだとわかってくれた藍は家の中へ入って行った。
「嘘だろ……お前、これが効くんじゃなかったのかよ!」
「嘘じゃない、効くことは効く。ただ、それでも私を殺せるほどじゃなかったということでしょう」
「ふざけるなよ! くそ!」
彼がやけくそ気味に矢をボウガンに装填し、私に矢を打ち込む。矢筒に残っているものを全て私に打ち込む。
折角お洒落してきたドレスが穴だらけになっちゃった、と思いながら刺さった矢をそのままで彼を突き飛ばし、石畳のところまで運んでやった。
「おい、待ってくれ……俺は何のためにここまで来たと思ってるんだよ……こんなのってありかよ!」
「これが現実。これが人間と妖怪の差、よ」
彼は愕然としている。刀を失い、矢も切れた彼にはもう武器が何一つ残されていない。
歩いて近づき、倒れている彼の左足を思い切り踏み潰す。彼の左足ごと石畳がへこんだ。
初めて見る彼の泣き顔。鼓膜に響く喚き声を上げている。私はカツヒコ君の悲鳴を聞いて性的快楽に似た気持ち良さを得ていた。
「酷い、酷いわ。カツヒコ君ったら私のお気に入りのドレスをボロボロにしたんですもの」
「足が! くそっ!」
「女の子にここまで暴力振るなんて、ほんとカツヒコ君って最低だわ」
今度は彼の右手を踏み潰してやった。彼は目から溢れんばかりの涙を流している。
「ま、待、手……動かな……」
次にできるだけ力を抜いた踏みつけを彼のお腹に見舞い、憂さ晴らしさせてもらう。
それだけなのに彼は血を何度も吐き、そのうち動かなくなってしまった。
「……」
「力を抜いてあげたのに、本当に人間って脆いものね」
彼の大事そうなボウガンも踏みつけて破壊する。もうきっと彼も戦意を失っているだろう。
だがそうじゃなかった。彼は私にしがみ付き、起き上がろうとしているのだ。
「ふざけ……このまま、死ねるわけ……」
「あら、すごいわね。まだやろうって言うなんて」
必死に顔を起こし、私に憎悪の表情を見せてくる。私は彼の髪の毛を握り締め、持ち上げた。
宙ぶらりになっても彼はもがこうと必死だった。私の顔に向かって血の混じった唾液を吐きかけたりもしてきた。
「離せよ……」
「ええ、離してあげるわよ」
後ろを向き、振り下ろす様に彼を地面へと叩きつける。体の中にある臓器が潰れたのか、大量の血が飛び散った。
手を離してやると千切れた髪の毛が何本か手に残っていたので、両手を叩いて彼の毛を捨てた。
「ほら? 離してあげたでしょう?」
「……」
「もう、何か言ってよ」
「……」
「死んだ?」
「うっ……」
「良かった、生きてるじゃない」
生きてるとい言っても、瀕死に近いだろう。最早呼吸をする以外のことは出来なさそうだ。
仰向けのままで動こうとしない彼の右手。私が踏み潰した彼の右手。私はそれをスキマから取り出した新しい刀で切り落としてやった。
「っっっっっ!」
「もう骨は粉々でしょうし、いらないでしょう? どうせあっても邪魔だと思うわ♪」
もう一つ潰していた彼の左足も切り落としてやった。後で煮込みにでもしてお昼ご飯に使えばいい。
大量の血を流し、体の一部を失って虫の息のカツヒコ君。なんて無様な姿であろうか。
それをしたのは私であるが、カツヒコ君ならもっとがんばれると思った。もっと私を苦しめてくれると思った。
「やっぱり巫女には全然届きそうにないわね。空も飛べない人間が私を殺すなんて無理だった、ということかしら」
彼は何も言い返してくれない。もう私に悪口を言ってくれなくなった。
この場で彼を殺してやっても良いが、見せしめとして里へ送り届けてあげようと思う。
私を睨んでくれない、死にかけのカツヒコ君になんかもう興味がない。
「さようなら、私を恨んでくれた人」
指を鳴らし、スキマを広げて彼を飲み込んだ。結界を彼の住まいがあった場所へ繋げ、彼をそこまで運んでやった。
藍を呼んで彼の左足と右手を煮込みにして頂戴、と頼んだ。
ここまで体を死なない程度に潰しておけば、もう私に刃向かおうとしなくなるだろう。
失望した。心底失望した。もう私から彼に会いに行くということはないだろう。
彼を里へ送った後も生きているか死んでいるかなんてどうでもいい。
今はお土産として頂戴した彼の手足を手向け代わりに食べてやるだけ。
「紫様~、出来ましたよ~」
「あら、ありがとう」
暫くしてようやく運ばれた人間の手、足の煮込み。
手や足というのは当然ながら肉や脂肪が少ない。故に味付けをしっかりしてやらないと美味しくならない。
だし、ではなく醤油を使った濃いめの味付けで食べるのが一番美味しい調理法だ。
この手足を煮込むにも本当は数時間必要なのだがお腹が空いて仕方がないので三十分だけで、と藍には頼んだ。
私の前にだけ置かれる箸。どうやら藍は食べないつもりらしい。
「藍は食べないの?」
「さっきお昼を頂いてお腹が一杯ですから……」
「ああ、そうだったわね」
「それに、それは私が食べてはいけない気がします」
「気を使ってくれるなんて、ありがとうね藍。じゃあ私一人で頂くわ」
手の場合は皮と手の平にある少しの脂肪付きの肉、そして骨についている繊維状の筋肉が可食部になる。
足の場合も殆ど似た部分になるが、踵の部分は切り落とし、骨を捨てる。ここは唐揚げにして食べた方が美味しい。
「それじゃあ、頂きます」
彼との思い出を頭に浮かべながら味わっていく。今頃死んでいるかもしれない、等と心配しながら彼の体の一部だけを体に取り込む。
踏み潰して骨を砕いていたせいか、中身がボロボロで非常に食べにくいことになっていた。
「それにしても紫様ったら優しいんですね。殺さないなんて」
「わかってないわね、あういう復讐に溺れた人間は生かしておくことが一番の苦しみになるのよ」
「殺したい相手に生かされる、というのが悔しいということですか?」
「そういうことね」
私は幻想郷を愛している。幻想郷に住んでいる者達も幻想郷の一部。故に彼らも愛している。
その彼らは出来る限り自分の手では殺したくない。彼、カツヒコ君も同様である。
今回は藍に説明させた通りの状況だから生かしたままで良かった。
そうでなければ藍に笑われる所であった。
妖怪のくせに人一人殺せない軟弱物、と思われされるなんてのは避けなければいけない。
藍は今でも彼のことを快く思っていないはずだ。そのことを突かれては自分の式神に弱みを握られるのと同じ。
「ああ、美味しかったわ。久しぶりの人間、ご馳走様」
「お粗末様でした。綺麗に召し上がられましたね」
「お腹が減っていたからね」
「でも良かったんですか」
「何を?」
「紫様はあの人間に好意を寄せていたのでは……」
「乙女の心というのは、秋の空の様に移り変わりが激しいものなのよ」
「本当ですか~?」
「……じゃあ後片付けよろしく。私は巫女のところへ行ってくるわ」
「はぁ」
面倒なことを押し付けて博麗神社へ逃げる振りをする。神社へ行ったというのは嘘。
人気のない所へ逃げ、カツヒコ君の幼い頃を思い出したりして一人で失恋の寂しさに耽った。
※ ※ ※
藍にはああ言ったが、やはり彼のことが心配になってきたのだった。
そう思いながらもいつもの様に里へ行くことは暫く自粛してきた。
だが半年ほど我慢した頃、居ても立ってもいられなくなった私はまたまた変装し、里へ向かった。
里の喧騒さは相変わらずだった。特に不審なところは見られない。
例の酒屋へ入り、いつもの焼酎とおつまみを頼む。
主人は若い男。確かこの前主人の息子がこの店を引き継いだとかだったはず。
店内を見渡すと店の人は息子さん一人であった。
「お待たせしました、焼酎とおつまみです」
「あの、奥さんが居なかったかしら?」
「……二ヶ月前に亡くなりました」
「え?」
「妖怪に襲われて……ああ、いえ、お酒が不味くなりますので、もう、あの、はい」
「いえ」
「本当に、すいませんね」
主人の息子さんは客の私を気遣った。あんなに仲が良さそうな感じだったのに、そういうことになっていたとは。
「あの、尋ねたいことがあるんだけど……大丈夫かしら」
こういう空気になるとは思っていなかっただけに、話しかけ辛い。
だが若主人は気丈にも笑顔を見せてくれた。
「大丈夫ですよ」
「……」
「本当に、大丈夫ですから。幻想郷じゃ妖怪に襲われるのは仕方ないですし。……ということで妻の死をないがしろにしているわけではありませんけど、くよくよしたって、どうしようもありませんし」
「そう……」
「それで、中村さんのことでしたっけ?」
「どうしてそれを? 覚えてくれていたの?」
「ええ、まあ……。あの人でしたらこの前強い妖怪に挑んで、ボロボロになって帰ってきましたよ」
「死んだの?」
「いえ、お医者さんのお陰で命の方は助かりましたよ。ただ、右手と左足を妖怪に奪われたとかで、生活に苦しんでいるそうです」
「そう……」
生きているということに驚いた。出血も酷い状況だったろうに。
ただ、安堵した。彼を治療した医者に対して感謝の気持ちが生まれる程に。
「ただ、あの人はもう妖怪退治の仕事、無理でしょうね」
「というと?」
「だって、体が不自由なんですよ?」
「不自由だろうと、彼は彼よ。きっと彼は妖怪退治の道を諦めないわ」
愛人を妖怪に殺されたという、少し可哀想な主人に代金を多めに置いていった。
また値上げしました、なんて言われるのではと思ったからだ。
そして偶然にも彼との再会はすぐであった。酒屋を出たところで彼にバッタリ会うのであった。
「お前!」
「か、カツヒコ君?」
彼の姿は随分とみすぼらしい姿になっていた。筋肉が随分と落ちていたのだ。
これでは天狗どころか、野良妖怪にさえ負けるのでは、と疑うほどに体がなまっていそうに見える。
右手には傷口を隠すために布が巻かれている。その右手の腕には新しいボウガンがついていた。
左足のあった所には特別製の靴をつけている。靴といっても靴底の部分に長めの木の棒がくっついている、義足の様なものである。
「こんな所で何してやがる!」
「酒屋から出てきたのよ。お酒を呑みにきた以外ないでしょう?」
「うるせぇっ!」
すかさず彼は矢を装填しようとする。……が、動作がとても遅い。
矢筒に伸びた、彼の左手は震えている。指も同様に震えており、明らかに怪我が完治していない様子。
よく見れば足もガクガクとしていて非常に不安定だ。よくもまあこんな状態になっても妖怪退治を諦めないものだ。
だがこうでなければカツヒコ君らしくない、とも思えた。
とはいえ相当酷い状態。よくこんな体になっても喧嘩を売ってくるものだ。
「く、くそ……」
「まだなの?」
唯一無事な方の手も随分と痛めつけていたせいか、彼はまともに動かせないでいる。
ようやく矢を掴んだかと思うと地面に落としてしまった。
「何やってるのよ、もう」
矢を拾って彼に渡そうとした。彼は矢を振り払ってしまった。
「余計なお世話だ! お前、殺されたいのか!」
「そんなもので私は殺せないというのに」
彼はボロボロの体を動かして自分で矢を拾おうとしている。
こんな体をしているのに。そんな玩具じゃ私は殺せないというのに。
それでも私を憎んでいる彼の姿を、これ以上見ていられなくなってきた。
どうして彼は私に敵わないということを理解しようとしないのだ?
いい加減諦めたらどうなのだ?
名残惜しくなってきたからわざわざ里にまで尋ねてきたは良いが、彼はどうしようもない愚か者でしかなかった。
まあいい。どうせその体ではもう二度とマヨヒガには来れまい。もし来たら藍に殺させよう。
「おい、待てよ!」
「死ね」
「あ?」
「もうあなたなんて大嫌い。一切の魅力を失ったカツヒコ君なんてもう見たくない」
「何言ってんだよ、おい!」
「さようなら。もうあなたと会うことはないでしょうね」
騒ぎを起こしたせいか、周りには里の視線が集まっていた。
それでも私は気にせずスキマを広げた。変装の術をかけたままであろうとお構いなしに結界を潜った。
とにかくその場から逃げ出したかった。
※ ※ ※
自分の部屋に戻ったところで猛烈な悲しみに襲われた。
私の中で一つの恋愛が終わったのだ。
私の方から目をつけ、自分勝手で始めた恋をまた自分の都合で終わらせた身勝手な恋。
人間と恋に落ちたことは今回が初めてではない。何度も経験した。
同じ数だけ終わりも経験した。なのに恋の終わりにやってくる悲しみには耐えられなかった。
胸が張り裂けそうになる。咽び泣いたところで悲しみは誤魔化せない。
カツヒコ君、カツヒコ君、カツヒコ君。彼の名前を呼んだところで私のことをめりいと呼ぶ彼は居ない。
がむしゃらに暴れまわったりしたところで、彼のことを忘れられるわけではない。
そのうち藍が飛び出すように入ってきた。私は藍に飛びつき、彼女の胸の中で泣いた。
※ ※ ※
あれからもう二、三十年は経っただろうか。
幼かった博麗の巫女は年を取って小皺が出てくる年齢に達していた。
そのうち巫女が世代交代する時期。もう何度見たことになるのか覚えていない光景。
何となく思い出した里の酒屋が恋しくなったので、いつぞやの様に変装して行った。
今の時間はお昼時。ここの酒屋はお昼でもやってくれるのでありがたい。
少し肌寒い季節。ワンピース一枚で来たのだがさすがに寒い私は、人気のないところでスキマから上着を取り寄せた。
酒は夜に呑むものではあるが、夜は夜で友人知人と呑む。こうやって一人で酒を呑みたいときはやはり昼間に限る。
酒屋へ入って行く。例の主人も年を取り、前の主人に顔が良く似てきた。
いつの間にか新しい奥さんも迎えていたようで、少し年のいった女の人と酒屋を切り盛りしていた。
「いらっしゃい! あ、確か中村さんをいつも探してる……」
「こんにちは。あれから暫く来ていなかったと思うんだけど、よく覚えていてくれたのね」
「ええ、まあ。あんた、確か……八雲紫さんだね?」
「あー……覚えていたの?」
「ええ。と言っても、子供の頃から知ってました」
「と、言うと?」
「だって、お父さんがこの店をやっていた頃からずっと来ているのに、年取ってる様に見えないんですから。お父さんからもあの人は妖怪だ、とか聞かされたりしてました」
「その妖怪である私を追い出したりしないの?」
「……確かにあなたは妖怪だ。その姿も変装したものだって聞いたことがある。でも僕の元妻を殺した妖怪かどうか知らないし、昔から来てもらっている常連客だ。妖怪だからといって邪険にするつもりはありませんよ」
「そう、ありがとうね」
「いえ。僕は中村さんみたいに生きられないので、割り切っていくしか無いだけです」
そして主人は黙って焼酎とおつまみを出してくれた。
「また中村さんの様子を見に来たんですか?」
「え、ええ。そう」
そういうつもりではなかった。ただ酒を呑みに来ただけだというのに。
ここでまた彼の消息を聞けば、あの悲しみに囚われるのではと怖くなった。
だが気にならないのか、と訊かれれば首を振ってしまうのだろう。
「あの人はもう、殆ど死んだようなもんですよ」
「ちょっと、それどういうこと?」
「ほら、あれですよ。ボケって奴」
「……」
「中村さんはあれからも、あなたをやっつけようと努力していたらしいです。ただやっぱりというか、あの体じゃ普通に生活するのに一杯一杯で。それにあの人、奥さん居ないんですよね。あなたを追いかけることにしか目が無かったわけですから。つまりボケたあの人を世話してくれる人が居ないんですよ」
「ああ……」
「中村さんの家、見に行きますか? 店があるので連れて行くってことは出来ませんけど、住所なら教えられますよ」
「いえ、いいわ」
「本当ですか? 本当に知りたくないんですか?」
「な、何よ」
「いえ、何となくあなたは中村さんの所へ行っておいた方が良いような気がして。あの、余計なお世話だとは思いますけど」
「……いいわ、教えて頂戴」
まさか主人からこんなダメだしをされるとは思っていなかった。
もう絶対に会わないと決めていたのに、あっさりとその決意を壊してしまった。だがこのまま会わずに居たらもう彼とは一生会えない気がしてきたのだ。
彼の住んでいる家の場所を聞いた私は代金を置き、急いで店を出た。
教わったカツヒコ君の住所は里の西の方であった。確か彼の昔の家は別の人間が住んでいたはずだから、そこではないことは知っていた。
辿り着いたところにある彼の家は随分と古ぼけたものであった。
そういえば彼が小さい頃家に泊まったときもこんな感じだったと思い出す。家に思い入れのない人だったか。
深呼吸し、気を落ち着けてからノック。だが反応は無かった。おそるおそる扉を開け、勝手に入らせて頂く。
声をかけてみるがやはり反応はない。
家の奥の方であまり嗅ぎたくない匂いがした。生活臭というか、すえた臭いがする。
堪えて奥の部屋に足を踏み入れた。そこには念願と言いたくは無いが、愛しかった彼がそこに居た。
いかにもなみすぼらしい姿で椅子に座っている。
食事をまともに取っているのか不安になるほど細い手足。部屋のあちこちから軽い異臭がする。顔色も悪い。
服もほとんど着たままなのか、酷く汚れている。お風呂にも余り入っていないのだろう。
「か、カツヒコ君?」
「あー」
「カツヒコ君?」
「うー」
「……」
「あー」
かなり重症な痴呆の様子だった。話しかけても返事はない。
彼の目の前で手を振っても反応がない。汚そうな肩を叩いてもやはり返事がない。
酒屋の主人から聞いていたよりも、ずっと酷い状態であった。
「お、おお……こっちおいで、ワシに顔を見せておくれ」
「え?」
彼が目を覚ました? いや、でも様子がおかしい。
「年寄りの爺に孫の顔ぐらい見せておくれ」
「わ、私が孫ですって? 冗談も程ほどにしてよ」
覚ましたわけではなかった。痴呆の症状であった。
「それにしても、お前さんみたいな顔……見覚えがあるのう」
「そう? そういえば……私もあなたの顔、すっごく見覚えがあるの」
ボケてはいるが話し相手になってあげても良いと思った。だから私は彼のボケ話に合わせる。
「ワシはある女性をずっと追いかけていた。その人に良く似ている。彼女……あいつは妖怪だったと思うが」
少しずつ思い出してきたのか? しかし老いては、体すらろくに動かないだろうに。
「とても綺麗な人だったと思うんじゃがな」
今彼は何と言った? 私が綺麗?
あんなにも私を憎んでいたカツヒコ君がそんなことを考えていただなんて、ありえない。
絶対にない。だって彼は私の素顔を気に入らなかったのだから。
だからこのボケたカツヒコ君の言っていることは妄言に違いない。
「そいつに良く似て、本当に美人じゃのう。思えば、あれは一種の恋だったかもしれん」
やめて、そんなこと言わないで。
あんなにも敵意むき出しただった彼の口からそんな言葉聞きたくない。
「確かすごく嫌いな相手だったと思うんだがな……ただ、綺麗だった。心の底からそう思った」
「やめて……やめて!」
ここまで自分が妖怪でいることを悔やんだことは無かったと思う。
もし私が普通の人間だったら。もし彼と人間の様な出会いをしていたら。
もし彼、カツヒコ君の父親が妖怪に殺されず、妖怪を怨まない人として育っていたら彼は妖怪の私でも好きと言ってくれただろうか。
「もうどうせ長くはない、どうか顔を近くで見せてはくれないか」
「駄目よ……駄目。それは出来ない。今更そんなことを言われても、卑怯じゃない!」
彼は虚ろな視線を空に放っている。私は出来るだけ目を合わせないようにするも、彼が気になって仕方がない。
今更好きだったみたいなことを言って、おまけに死期が近いなんて言われても困る。
私には人の死期を遠ざけるようなことは出来ないのに。
ふと気がつくと、彼が私を認識してこちらを見ている気がした。
慌てて見つめ返すと、やはりこちらを見つめている。
そしてその目が怒りに満ちたものに変わっていく。そう、懐かしい彼の表情だ。
憎悪に満ちた復讐の目つきをこちらに向けているのだ。
「思い出した?」
「思い出したよ……全部思い出したよ。俺の目の前にいる女が、殺したかった相手だってな」
「ええ、そうよ。私は──めりいよ」
昔の彼なら私に飛びついていただろう。だが今の彼ではそんなことも出来ないに違いない。
事実、私を睨んではいるが一向にそういうそぶりを見せない。そこまで体を動かすのが苦痛になってしまったのか。
「……今だから訊きたい。お前は本当に俺の父ちゃんを殺したか?」
珍しく彼が私の話を聞きたがっている。本当にもう時間がないのだろう。
「殺してないわ」
「じゃあ、母ちゃんを殺したのは?」
「あなたの気を惹くためよ」
「……それだけか? 本当に、それだけのために?」
「そうよ」
部屋に彼の歯軋りが響いた。今なお私を殺そうとしているのがわかる。
だが立ち上がることすら出来ないでいる彼に出来ることなど無かった。
弱々しい握り拳を肘掛にぶつけるぐらいしか、出来そうに無かった。
「なぜだ。何で俺につきまとった?」
「……」
「答えろ!」
「好きだから」
「……あ?」
「あなたのことが好きだから。だから、あなたの人生そのものを壊したのよ。私だけをずっと見ていて欲しかったから、あなたの復讐心を煽ったの」
「そうか……やっぱりお前はどうしようもない化物だ。妖怪だ。そんな身勝手な理由で俺の家庭をぶち壊しやがって、とんでもない奴だ」
「……」
「俺ももう長くないから正直に言おう。お前を綺麗だと思ったのは本心だ」
「え……」
「お前の中身はとんでもなくどす黒い、汚いもんだと思うがな、めりいとして出てきたとき綺麗だと感じた。変装を解いた姿を見たときは、本気で綺麗だと感じた。当然お前は憎たらしいが、同時にそう思ったんだ。俺は色恋沙汰だとか、そういうものに関して奥手だと思ってるし、お前の顔もどうせまやかしの術だと思ってた。でももっと別の……なんていうか、空気っていうか、心の奥底には物凄く純粋なものを抱えてるんだなって思った」
「カツヒコ君……」
「教えてくれ。お前は一体何なんだ? 何者なんだ? お前は一体何を考えて生きているんだ?」
「別に、ただ幻想郷が好きなだけよ」
「は?」
「言葉通りよ。この幻想郷に住んでいる、全てのものを愛している。あなたはその内の一つ」
「話が何だか、大きすぎてわからん。大体なんだ、それなら何でも好きってことじゃないか」
「あなたは特別なのよ!」
「……そうか」
彼は溜息をつき、背もたれに体重をかけて座り込んだ。
私の言葉は彼に届いているのだろうか? 私の気持ちは彼に通じているのだろうか?
彼は私のことを本当に綺麗だと褒めてくれた。ましてや、本心からだと言ってくれた。
今ここを離れれば彼が今すぐにでも死んでしまう気がしてきた。
憎悪の炎を燃やしていなければ、彼は意識を途絶えてしまうのではと思った。
だから話すべきことは、ここで全てやってしまいたい。
「私からも一つだけ、良い?」
「ああ、言えよ」
「どうしてカツヒコ君は私のことをめりいって言うの?」
「お前が俺のことをカツヒコ君、っつうからだ。だから俺はあえてそう言い続けた。それだけだ」
「カツヒコ君……」
「いい加減その君付け、辞めろよ。俺を何歳だと思ってやがる」
「私からすれば百年生きられるか生きられないかの寿命しかない人間なんて、皆赤ん坊よ」
もう一度彼は溜息をついた。何か考え事でもしているのか、目をつむってうんうん頷き始める。
「そうかそうか……結局のところ、俺はずっとお前の掌の上で踊らされたって奴なのか。お前の暇つぶしに付き合わされていたってことか」
「そ、そんなのじゃない! あ、いや、正直に言えば最初はそうだったかも……でも、次第に本気で好きになった」
「はっ! どうだかな!」
「信じてよ……こうやって皺くちゃになって、生きてるのか死んでるのかわからない、今のあなたを見ても私はカツヒコ君を愛しているの!」
「信用できねえな! 今こうして喋ってるのも、俺が死ぬのを待ってるんじゃねえのか?」
「ど、どうすれば信用してくれるの?」
「そうだな、切腹でもやってみろ。どうせ死なないんだろうから、簡単だろう?」
そんなことで信用してくれるのなら、と私はスキマに手を入れて手ごろな刀を探した。
私を馬鹿にしている様な彼の目をじっと見ながら一気に刀を腹の左の辺りに差し込む。
急激な、熱く燃える様な痛みに堪えながら刀を握り締め、右に刀身を動かして腹を切り開いた。
彼の目は見る見る内に変わっていき、ろくに動かせないであろう体で椅子から飛び出す。
呆気に取られている内に刀を奪われてしまった。
「俺が悪かった! だからもう、止めろ!」
「カツヒコ君? まだ切腹は終わってないわ、刀を返して」
「お前が本気だってことがよ~くわかった! 俺の負けのままでいい! だから切腹なんてもうしなくていい!」
ようやく彼は私のことを信じてくれたみたいだ。
以前の私ならここで高笑いし、彼を半殺しにまで追い詰めて裏切り、彼の感情を弄ぼうとしただろう。
でも今の私にはそんなことできない。そんなことをする余裕がない。
彼に信じてもらいたい。その一心で私は彼の言うことを聞いたのだ。
そして彼は私にもう切腹なんてしなくていいと言ってくれた。
なんて優しいんだろう。やはり私が好きになる程の人だ。
「ありがとうカツヒコ君、わかってくれたのね」
「ああ! つくづくお前は酷い女だ! 最低の女だ! こうやって俺の心が折れるとわかってて、やりやがったんだろう!」
カツヒコ君は震える手で私の切り裂いた腹に手を当ててくれた。
放っておいても傷は塞がるが、彼が傷を押さえてくれたお陰でより早く治っていく気がした。
「勘違いするなよ、俺はお前を許したわけじゃねえ。お前が俺を本気で好いてくれる、てことを理解しただけだ」
「ええ」
血が止まってきたところで彼にもう一度礼を言い、彼を椅子に座らせた。
驚くほどに軽い彼の体はとても脆そうで、頼りないものに見えた。
「なあ、最後に俺の頼みを聞いてくれないか」
「何でも言って」
「俺を愛してくれ。せめて死ぬ前に他人の温もりを味わいたい。後はもう、それだけだ」
「ええ……そんなことでいいのなら」
私は髪をかき上げ、彼の顔を覗き込んだ。相変わらず私を憎む目をしているが、今の彼には少しばかり優しさが滲み出ている。
彼が目を閉じた。私も目を閉じる。ゆっくりと体を前のめりに傾け、唇を重ねた。
初めて味わう、彼の唇。その唇はとても冷たかった。もう今にも逝ってしまいそうな程彼が儚く見える。
「次こそ殺す」
「え?」
「言っただろう、許したわけじゃないってな」
「ええ、わかってる。わかってる……」
「次に生まれ変わったら、お前を探し出して今度こそ殺す」
「カツヒコ君……」
「絶対殺す。必ず殺す。仇を取ってやる」
「ええ、待っているわ。いつまでも、ずっとあなたのことを待っているわ」
私はカツヒコ君に泣いていることを悟られないために慌てて背中を向け、家を出て行った。
※ ※ ※
あれから私は暫く顕界に顔を出さないことを決めた。マヨヒガに引きこもり、細々とした生活を送っていくことにしたのだ。
彼と別れた後、私は食事が喉を通らないほど苦しかった。
今頃死んでしまったのかもしれない。彼は葬式をしてもらえているのだろうか? きちんと成仏して、三途の川を渡りきれたのだろうか?
そうやって少しでも不安になると、自分の感情がネガティブな方向へ行くばかりであった。
一人で泣き出してしまうこともあった。藍と一緒に居るときでもお構いなしに泣いてしまうことがあった。
※ ※ ※
私は妖怪だ。それもかなり古くから生きていて、幻想郷の深い闇の部分に関係している妖怪だと思っている。
人生経験、もとい妖生経験だって自分が何歳になったのかよくわからない程度に積んできているはずだ。
そんな私でも彼と過ごしてきた瞬間を思い返すと酷く胸が痛んだ。
だからといって私は自然の摂理に背く様なことだけはしたくない。
私はその気になれば死後の世界に行くことができるし、彼の魂を現世に連れ戻すことだって出来る。
でもさすがに死んでしまった者を復活させるなんて出来ないし、そんなことをすれば閻魔の反感を買うだけだ。
それに彼だって、私の手引きを受けてまでしてこの世に生まれ変わることを望んでいないだろう。
楽園の閻魔がどんな判決を下すのかまでは私にはわからない。
彼の望む通り、すぐに転世してもらえるのか。普通の幽霊と同じく冥界に行って百年単位で転世を待つことになるのか。
少なくとも地獄に送られることは無いだろう。
常に私のことを憎んでいたが、彼と同じ人間にまで手荒な真似をする人じゃなかったと思うから。
※ ※ ※
遥か遠くから里や山を眺めているだけの生活が続いた。
博麗の巫女ももう二、三世代ぐらい交代しているであろう頃に私は意を決して里へ降りることにした。
藍がついていった方がいいのでは、と言ってくれたが断った。
さすがに彼のことは吹っ切れたと良い、心配させないようにしてマヨヒガを出た。
念のために変装の術も使っている。久しぶりに見るワンピース。
私は気分を変えるためにワンピースを辞め、無地のブラウスと地味な色のスカートにしておいた。
カツヒコ君が子供の頃住んでいた家は無くなっており、畑になっていた。
最後に彼と別れた場所は家を建て替えたのか、全然違う形の家が出来ていた。そこの住民も全然違う人であった。
彼の魂は今どこにいるのだろう。幻想郷のどこにいるのだろう。地獄に落とされることなく、転世できたのだろうか。
そんなことを考えながら、私はよく行っていた酒屋に向かった。
酒屋は看板や建物こそ変わっていたが、酒屋自体は運営を続けていた。
主人と思わしき者は中年ぐらいの女性になっており、夫と思われる同じく中年ぐらいの男性が雑用をこなしていた。
「いらっしゃい。何にします?」
そういえばここにはもう何十年、いや二、三百年ぐらい来ていなかっただろうか。
さすがに私を覚えている者など殆ど居ないだろう。今居る巫女にさえ挨拶していないのだから。
「焼酎と、何か適当なおつまみを頂戴な」
「わかりました、少々お待ちを」
きっといつもの、と頼んでも首を傾げられるだけだろう。だから私は普通に注文した。
今いる主人さんは見たことがない顔だった。前にいた主人とは殆ど似ていない。
もしかすると全然別の家系の人がやっている酒屋なのかもしれない。
「お待たせしました。お客さん、ここら辺で見ない人ですね? どこに住んでらっしゃるんで?」
「里から離れたところで一人暮らしですよ」
「そうなんですかー、通りで見たことのない人だと思って」
お酒を一口含んでみると、随分と味が変わっていることに驚いた。
昔とは違う酒屋から仕入れているのだろうか?
「あ、いらっしゃい」
カウンター席に新しい客が来た。私から一つ席を空けた所、隣の隣に若い男性客が座った。
体が大きく、筋肉の盛り上がりが凄まじい。力仕事でもしているのか、はたまた妖怪退治屋か。
「麦酒をくれないか。大きなグラスで欲しい」
「はい、ちょっとお待ちを」
男の横顔が気になって仕方がなかった。そう、見れば見るほど彼、カツヒコ君の顔にそっくりなのだ。
「お待ちどうさん」
「おう」
男はぐびぐびと酒を煽る様に飲み干してしまった。
カツヒコ君のお酒を呑む姿は見たことがないので比べ辛いのだが、雰囲気は限りなくカツヒコ君に近い。
「何だ?」
ジロジロ見てしまっていたのか、男に怪しまれてしまった。
折角なのでこの人にカツヒコ君のことを打ち明けてみようと思った私は隣の席に移動した。
「ナカムラカツヒコ、という人を知っていますか?」
「いや、知らん」
「あなたに良く似ているんです」
「そうか。でも俺はナカムラじゃねえよ」
「そうですよね……彼はもう、死んでしまった人なので」
「俺は一人で酒を呑みたいんだ、もう用が無いのなら離れてくれよ」
どうやら彼の生まれ変わった姿だろうこの人は私のことを快く思っていないらしい。
だが気持ちはわかる。私も一人で呑みにきた客の一人なのだから。
「すいません、お邪魔しました」
「いや、わかってくれればそれでいい」
また一つ間を空けた席に戻った。主人はこの男性客のことを「女性に興味を持たない人なんですよ」と言った。
「ご馳走様でした。お会計、お願いね」
「はいはい! ありがとうね!」
値段は前に来たときと大して変わっていなかった。
またこの酒屋に来れば彼の生まれ変わりと思わしき男と会うことが出来るのだろうか。
あの男が年老いて死に、また数百年して里を探し回れば彼の生まれ変わりに会えるのだろうか。
会えるだろう。ここが幻想郷だからだ。
彼は今でもこの幻想郷にいる。私はそう確信している。
私を殺す、と意気込んで死んで行った彼なら絶対に私を探し出すだろう。
そのときはまた憎しみの眼圧をかけて欲しい。そのときになれば私は彼を祝福したい。
だって私は彼を愛しているのだから。彼の住むこの世界、幻想郷そのものを愛しているのだから。
今日もまた誰かが死に、誰かがこの世に生まれてくるのだろう。
そうして人々や人でない者達、魂達がこの世とあの世を廻り続ける。
巡り廻って、輪廻転生。三千世界に終わりなき連鎖が生まれて、万物は円環する。
私はそういったもの達を観察し、暇潰しにその輪の境界を弄ぶ者なり。
妖怪の恐さと人間の成長がとてもよく出ていて、面白かったです。
ゆかりん可愛いよ…
正直100点では足りないな…
あらわしていて、とても素晴らしかったです!!
人間と妖怪の愛憎劇を余すところなく描写していて
まぎれもない力作でした。
好きなのしか読みたくないなら、こんなところにわざわざ来るなよ。
グロいことはグロいけど、そこまでぎゃーぎゃー騒ぐほどグロくないだろうに。
作品に対しては一言もないし。流石に失礼じゃね?
妖怪らしい無邪気な残虐さなのかなあ、と想いながら読んでいました。
おもしろかったです。