(ううん、居ないなあ鼠。このあたりに落っことしたと思うんだけれど)
昨日の事。正体不明たる私は、魔界で聖輦船から落ちてきた鼠の妖怪を拾い、幻想郷に戻って妖怪の山に棄てた。でもよく考えてみれば、村紗とは顔馴染みだから正体がばれる心配とかしなくても良かったのを思い出し、やっぱり届出をして一割謝礼を貰うことに決めたのだ。
人間が正体不明たる私を追い回すような世知辛い世の中。たまには良い事もあって良いはずだ。それにしても全く世知辛い。昨日の緑色の人間は一体何だったんだろう。幻想郷に戻ってから気持ち良く空に浮かんで寝ていたところに現れて、私を見るなり「貴方が犯人ですっ」と断定口調で御札だの蛙の形をした霊撃をばんばん投げてきて。ああ怖かった。全く、春になるとああいう人間が増えるから困る。
ふよふよ飛んで、柱が沢山生えている湖までやって来た。風神の湖と言うらしいが、なかなか広い。確かこの辺りに棄てたのだ。運が良ければまだ何処かに浮かんでいると思うのだけれど、さて何処に浮かんでいるだろう。
(呼んでみたら出て来るかなあ。ほ、ほ、ほーたる来い……蛍だねこれは。ううん鼠を呼ぶ呪文て何だろう。ずいずいずっころばし、ごまみそずい)
「こらっ」
「ぬえええええええっ」
いきなり首根っこを掴まれて吃驚した。吃驚してまた人の形を取ってしまった。けれど今日は魂が抜けたりはしなかった。昨日よりは冷静だ。どうだい私も大したもんだろう。
首根っこを掴んだ奴が、私をぐるりと回して顔を向ける。
「オヤ面白い。妖精か何かが悪戯しているのかと思ったが、お前は鵺(ぬえ)という妖怪だね」
「あ」
即ばれた。何で、どうして。正体不明なんだからばれる筈が、ああ人の形を取っている。やばい逃げなきゃ。
じたじたと手足を動かすが、掴まれた首根っこはびくともしない。やああ助けて。食べられる。
「おい少し落ち着きなさい。別に何もしやしないよ。私は八坂神奈子と言う、この山に住まう神だ。確かお前、昨日ナズーリンという鼠の妖怪を棄てて行ったろう」
「あれ、貴方ねず公の事知っているの」
「ウン助けてやった。昨日のうちに元気になって帰って行ったがね」
「ええー。はあ、損した」
「何が損なものかい。生きていて得をした。中々見所のある奴だったよ。ん、まあ少しばかり可哀想な事もしてしまったが……そうだ、お前少し頼まれてくれないかい」
「ええー……面倒な事は厭だよ」
ぶうらぶうらと、神奈子の腕に吊るされたまま不平を漏らしてみた。言ってからちょっと失敗したかなあと思う。相手、神様だって言うし。罰当たりな奴め、って怒られるかも知れない。
「何そんなに面倒な事ではないさ。この手紙をナズーリンの居る所へ届けて欲しいんだ。但しナズーリンに渡してはいけないよ。あと私からの手紙という事も伏せておいて欲しい。私が直々に渡すのも具合が悪くてね」
「む。……何か、見返りはあるの」
笑顔だ。なかなかどうして、気さくな神様みたいだ。そう思って御礼を要求してみた。
「うんそうだなあ。お使いをしてくれたら食べないでおいてやろう」
「やあああ、たすけてえ」
「ははは冗談だよ。そうだなあ。お使いをしてくれたら、褒美に諏訪子の御八つでもやろう。あいつの仕出かした事だ、それくらい良いだろう」
「おやつ。何か美味しい物かしらん」
「うむ。凍り餅と言ってな、今季作ったのはちょいと固いが歯応えがざくざくしていて好い。あと砂糖がかけてあるから甘い」
「甘いの。うんやる」
言ってみるもんだ。聖輦船に戻ったなら、多分雲山あたりを目印に探せばすぐ見付かるだろう。正体不明のお菓子のためだ、さっさとお使いを済ませて来よう。どんなお菓子かな。甘くて美味しいと嬉しいな。
そうして私は手紙の内容も渡す相手も取り敢えず、お菓子のために行動を開始したのだ。私の五感は、甘くて美味しいお菓子を現実的に空想すべく鋭敏に働いている。私の頭脳には、お菓子の三文字以外を考慮する余地も無い。
~洩矢神~
──果たし状、である。
何がどうして、明星が私の許へ果たし状なんてものを届けたのだろう。そもそもあれは明星だったろうか。あんな酔っ払いじみた明星など寡聞にして知らない。
「これ諏訪子様の字ですね。ほらこの蚯蚓(みみず)ののたくったような字。下手糞で読めないんです」
「君ね、仮にも守矢神社の神様じゃあないのかい。あまり酷い事を言ってはいけないよ」
苦笑して手紙を眺める。……成程確かに読めない。本当に蚯蚓が寝そべって悶えているとしか形容出来ない文字である。縦読みか横読みかすら解らない。逆さにしてみたところ、ますます解らない。「果たし状」だけがしっかりとした書体で記されているのだが、後はのそのそとした、芋虫のごときもどかしい字面である。
「上文(うわぶみ)だけは読めるのだがね。これでは一体何が書かれているやら解らないな」
ちらと、聖の表情を覗く。聖も頬に指をあて、首をかしげている。聖にも読めないのだ。恐らく内容は、解る者にしか読ませたくない暗号か何かなのだろう。それ程に私達の知る字面とはかけ離れている。
ただそれは、私にも読めない。祟神からの果たし状という事であれば、宛先はきっと私なのだと思ったのだが、違うのだろうか。そもそも聖や早苗が読めないのに一体誰がこれを読めるのだろう。
「……神代文字と呼ばれるもののようですね。星なら読めるでしょう」
「え。ご、ご主人様が読めるのかいこれを」
「ええ。星は私などより博識です。特に本邦の伝承について造詣がありますよ」
「へええ。寅さん凄いです。道理でナズさん苛めた犯人をずばりと言い当てたわけです」
知らなかった。目付役としていつも私はご主人様の傍に仕えていたが、どじな部分に目を瞑れば完璧過ぎる程完璧に毘沙門天様の代理を務めている。それはよく知っているし、これまで特に目立った報告事もなく共に過ごしてきた。けれど本邦の伝承について造詣があるなんて、聞いた事も無かった。
考えてみれば、そういう目でしか私はご主人様を見ていなかったのだと思う。それ以外の事を何も知らないのだ。仕事といえ我が主と認めておきながら、いささか薄情に過ぎたと反省する。昨日だってそうだ。私はあれ程皆から愛されていたというのに、私は皆の事を何も解っていない。
御仏の道にばかり目を向けるというのも、考えてみれば頑なに過ぎるのかも知れない。例えば聖や山の神様達が私を諫めてくれたように、御仏の道とて独りでは何もなし得ないのだ。私は私の態度を改めるばかりではなく、皆への接し方も考え直さなければならないようだ。いや、何というか。大変なものだな、と思う。
けれどそうする事で、聖も人妖の平等を説き、法界においては教えの布教にまで至る大成果を遂げたのだろう。ご主人様も智慧に長け、昨日私を祟った祟神のことを洞察して言い当てるような徳を見せたのだ。私だっていつかは二人のように──
いや、待て。今、早苗は何と言った。
「早苗さん。ご主人様は私の身に起きた事を知っているのかい」
「え。はい、さっきナズさんに、諏訪子様に苛められたんじゃないかって質問したのも、寅さんの考えからですよ」
どういう事だろう。何か、意図的なものを感じる。よく考えろ。
手紙には「果たし状」の文字だけが誰にでも読める明らかな書体で書かれ、その内容だけが隠されている。言い換えれば「果たし状」を送り付けた事を皆に知らしめたい、という事だろうか。
またその内容は、恐らくご主人様のみが読めるものなのだろう。聖でさえ読めないのだ、一輪や雲山、船長にも読めるとは思えない。奇しくも毘沙門天様の弟子であるご主人様のみ──
違う。まさか。まさかずっと。
見られていたのではないか。
ぞくり、とする。背中越しに何者かの視線を感じる。はっとして振り返ると、今まさに甲板から外へ逃れた、何者かの尾が見えた。何だ、あれは。
船縁から、眼下を眺める。する、すると動くものがある。二、三匹ばかりではない。数十匹の白蛇が、聖輦船から野へ帰って行くのが見えた。
「わ。ど、どうしたんですかナズさん突然」
私は甲板から船内の庫裏(くり)へ戻り、ご主人様の居室に向かった。
聖は昨晩、神様達が私を諫めて下さったのだと言った。その考えを否定する訳ではない。間違いだと責める訳ではない。
ただ、その真偽はどうあれ。祟りはなお続いているのではないか。彼の祟神の、毘沙門天様へ向ける恨みつらみは別問題なのではないか。
もしも、もしも私の推測が正しければ。あの祟神は、毘沙門天様に関係する、全てのものを祟るのに違いない。
「ご、ご主人様居るかっ」
「ふあ。……んんん。あははナズーリンおやすみなさい」
寝床からむくりと起き上がって片目をこすりこすり、大あくびをしてまた床に着く毘沙門天様の弟子。
「寝惚けている場合じゃあない、起きてくれ。なあご主人様、君は何かされていやしないか。無事なのかい、なあ」
「んんんんんん。無事じゃありません。とても眠いです」
「そんな事聞いていやしないよ。好い加減目を覚ましてくれないか。少し困った事になったかも知れないんだ、君に聞きたい事がある」
「何ですかもう薮から棒に……ふあ。私も困った事に朝は低血圧で不眠症で春眠暁を覚えないんです」
「知らないよそんな事は。なあご主人様、君は昨日早苗に私の事を話したと言ったそうだが、何処まで知っているんだい」
知らなければ良いと思った。仮に知っているとしても、苛められた程度の認識ならば都合が好い。
これは私が解決すべき問題だ。毘沙門天様や、その眷属である私が直接祟られるのならば仕方が無い。けれどご主人様は。聖や、船長や、一輪や雲山は。彼の宗教戦争とは、まるで関係が無いのだ。祟られる筋合いは、まるで無いのだ。
事情さえ知らないなら、私が直接果たし合いに出向いて懇願すれば何とかなる、かも知れない。けれどもし、少しでも知っていれば──
「んん。眠いですよう……まあ想像ですが、大体。風祝の巫女の出自と彼女に対する貴方の怯え方から、ミシャグジ神に祟られた事と、それが丁未(ていび)の乱に端を発しているだろう事と、それから」
──それでなお毘沙門天様を信仰するならば。祟られても構わない、と宣言したも同然だ。
それは想定し得る最悪の事態であろう。祟りは続いている。そしてご主人様は、私の祟られた訳を知っている。
ご主人様が、毘沙門天信仰を止す訳が無い。聖に見出され、聖に帰依し、聖に勧められて毘沙門天様の弟子となったご主人様が、今更宗旨替えなどする訳が無いのだ。
私は、ご主人様の両頬をぐいとつねった。
「ふひ。ひはひへふ、はふーひん」
ぱっと放す。ふよと戻る両頬は、僅かに赤みがかって痛そうに見える。
君がいけないんだ。智慧に長け、聡明に過ぎる君が。目付役でしかない私を、心配してくれる君が。
「ふうー、頬が伸びてしまいます。何なんですか突然」
「……なあご主人様。君毘沙門天信仰を止す気は無いか」
「無いですよ。当然です」
「だろうね……これだけはしたくなかったんだが。毘沙門天様の所へ行ってくる」
「毘沙門天様の所ですか。里帰りですか、また変な時期ですね、法要でもあるのですか」
「毘沙門天様に君の所業を有る事無い事報告してくる」
「わ。ま待って。ちょ、止して下さいナズーリンっ。有る事は仕方無いですが無い事は駄目です閻魔様に舌抜かれてしまいますからっ」
「止めないでくれっ。君が宗旨替えしないなら仕方無いだろう、毘沙門天様直々に破門にして貰うんだ。皆を守りたいんだっ」
「落ち着いて下さい、全然意味が解らないですってば。ちゃ、ちゃんと説明してください、私が悪ければ謝りますからっ」
ご主人様に腰元をぎゅうとしがみ付かれるが、皆を守るためには仕方無い。私は恨まれようと構わない、蔑まれようと構わない。ご主人様の不名誉となる嘘を吐き、主たる毘沙門天様を騙し、地獄界へ堕とされようと構わない。閻浮提(えんぶだい)を遥か九千由旬堕とされて、大叫喚(だいきょうかん)地獄で大釜に放り込まれても構わない。
私は、皆を守りたいのだ。私のごとき鼠妖怪を愛してくれて、心配してくれて、時に諫めてくれて、なお受け入れてくれる皆を。私の勝手な行動で、祟りに巻き込む訳にはいかないのだ。
ご主人様には申し訳無いが仕方無い。取りすがる手を払い除け、まとわり付く腕を振り払い……
「……ご、ご主人、様、おも、重い、潰れる」
「ひゃあ。ご、御免なさいナズーリン大丈夫ですか。貴方鼠ですもん、そりゃ私みたいな虎が伸し掛かったら重いですよね御免なさい」
全身で伸し掛かられた重圧に耐える術は流石に無い。動く左手でぺしぺしとご主人様の横腹を叩いて降参の意を示す。
あんこか何かが出るかと思った。少し本気で三途の河が見えた気がする。
「けれど少し落ち着いて下さい。話を聞かなければ、解るものも解りませんよ。一体どうしたんですか、私は何か失敗してしまいましたか」
ご主人様は至ってどじなので失敗はたびたびの事であるが、今はそれは関係無い。
「はーっ、はーっ……いやっ済まない。少し、気が動転していた。失敗したのは、むしろ私の方だ。君らを巻き込む事になってしまうと思って」
「ええ、ですから落ち着いて話をして下さい。少々の事なら私達は大丈夫です。ナズーリンのためなら何だって力になります。昨日だって、私達は貴方の事を本当に心配したのです。皆その思いは一緒ですよ」
「……あはは、それは嬉しいなあ。愛されているというやつだね」
「そうです。ナズーリン、私達は同じ道を志す仏徒です。けれどその前に、私達は家族です。家族は敬い、慕い合うものです。それこそ平等で無差別で、私達の望む世の中の縮図でなくては……いいえ、打算的な考え方は止しましょう。
ナズーリン、私は貴方の事を家族として愛しています。貴方だけではありません、聖の事も、村紗の事も、一輪の事も、雲山の事も。皆の気持ちは流石に断定出来ませんし、聖に対しては帰依する心も大きい。ですが私は、第一に私達が家族である事が大切だと思います。そうしてその点において、私達は皆同じ気持ちなのだと思っています。そうでなければ、皆がまたこの聖輦船に集う事も無かったはずです。
ナズーリン、勿論貴方もそうです。貴方は真面目過ぎるくらい真面目です。けれど少しくらいの失敗や、少しくらいの我侭はしても大丈夫です。私達は何だって受け入れます。貴方が私達を受け入れて、私達と一緒に居てくれるように、私達は貴方と一緒に居るんです」
そう、ご主人様は口早に言った。これまでの私なら、ご主人様の言葉であっても鼻で嗤い、なら君はもう少し真面目になった方が良い、と皮肉を述べたかも知れない。ご主人様の失敗や我侭は、少しばかりでは無いだろうと憎まれ口を叩いたかも知れない。
今、私はご主人様の言葉に真剣に耳を傾けている。じっとご主人様の目を見て、一言一言を噛み締めている。胸が熱い。喉が締まる。鼻奥に、つんとした感覚を覚えて、堪らない。
堪らなく、嬉しい。
「……ご主人様。御免……」
「いいえ。謝る事なんて無いのです。ナズーリン、貴方は毘沙門天様の眷属です。けれども私達と一緒に居る貴方は、私達の家族です。貴方は貴方の仕事を蔑ろにしてはいけません。私達も私達の行には真摯に向き合います。けれども、辛い時や苦しい時は、私達を頼って下さい。それは仕事ではありません。家族としてそうして欲しいです。貴方が無理をすれば、私は悲しいです。家族を悲しませてはいけません」
私は弱い。敵わないと見るや、すぐに逃げる質だ。そして狡猾だ。毘沙門天様の眷属として居るのだって、信仰以外に幾らか打算的な心もある。口先ばかり達者で、我というものが無い。それは徳ではなく、上辺だけの処世術である。
私は、決して家族になどなれない。皆から一歩引いて、目付役としての視線で眺めるしか出来ない。
──何だ。羨ましかったんじゃあないか。何だよ私は、今更。弱くて狡い私は、だから家族になれないって、皆から一歩引くべきだって。ただ、怖がっていただけじゃあないか。
私はご主人様の胸にすがり付いた。顔は見せられない。ご主人様の背中に手を回して、作務衣越しに顔を押し付けた。
「……御免。少し、このままにさせて欲しい」
ぽん、ぽんと、ご主人様は私の頭を撫でてくれた。聖と同じ、優しい撫で方だった。
◇◇◇◇◇◇
「はあ、成程。昨晩そんな事があったのですね」
聖から二度目になる、妖怪の山から今日に至るまでの報告。そうでなくともご主人様は大体理解していたようで、報告は手短に済んだ。まるでこれまでの事を千里眼で見ており、ただ答え合わせをするだけのような理解力である。
これが智慧に長けるという事かと呟くと、ご主人様は笑って、聖の方がもっと凄いですと言った。本来智慧というものは知識経験だけからなるものではない。真理を知り、迷いを離れ、疑心を断じてそのものと一体となり、自身を以て知ること。ご主人様の場合はまだ小手先の推理に過ぎず、知識経験からなる理解に留まっているそうだ。だとしても凄いと思う。少なくとも今の私では、ご主人様の域すら果てしなく遠い。
「で、このお手紙が届いたと」
「そうなんだ。私に届いたという事は、早苗さんの言う通りこれは諏訪子さんの手になるものに違いない。けれど恥ずかしい事に、肝心の内容が解らないんだ。聖が言うには、ご主人様なら解ると」
「聖がそう言ったんですか。んん。責任重大ですねえ」
ぽりぽりと頭を掛いて難しい顔をするご主人様。難解な暗号にでもなっているのだろうか。ご主人様はなおも手紙を黙々と読み、ただ一人でふんとかへえとか言う。少しだけ除け者にされたような気がして寂しい。声に出してくれれば良いのに。それとももしかすると、ご主人様はまだ寝惚けているのだろうか。
「アッ、ナズーリン今私が寝惚けていると思ったでしょう」
「や、そんな事は無いよ。ただ出来れば手紙の内容を読んで聞かせて貰えないものかなと」
やはり千里眼くらい持っているのかも知れない。
「んん。何と言いましょうね。そうですねえ」
「もしかしてご主人様にも読めないかい」
「イエ結構簡単な文章ですよ。ただ、なかなか凝っていて面白いなあって」
「な、何が面白いもんかい。果たし状だろうそれは」
どうも変な感じである。他人事にすればそりゃあ面白いかも知れないが……いや。ご主人様の言葉を借りれば、私達は家族だ。家族に果たし状が届いて浮かれる者など居ないだろう。となると、余程変な事が書かれているのだろうか。
「まずですね、これは阿比留草(あひるくさ)文字、別名を物部文字という書体です。こんな文字で書くというのがなかなかに凝ったものなのですが、字は非常に綺麗です。一文字一文字がとても明確でですね、考古学的資料に照らし合わせても遜色無い。意外と文字の勉強にもなりますしね、文章自体も神様ならではと言いますか真面目の内に遊び心があり」
「そんな事はどうでも良いよ」
知識莫迦というやつである。どうでも良いと言われたためか、ご主人様は少し残念そうな顔をしている。そこでしょぼくれるのは絶対におかしいと思う。状況を解っていないのではなかろうか。成程これでは聖に及ばないと私でさえ思う。少しだけ、ご主人様の事を反面教師にしようと思った。
「あのねえご主人様。君は先刻私が伝えた内容を忘れてしまったのかい。事態は急を要するんだ。皆に危険が及ぶんだ」
「ん。成程、そういう事なんですね」
ぱっと明るい顔をして、ご主人様が私の方を向く。ようやく教えてくれる気になったのだ。
先程のご主人様の指摘から、この本文には物部文字という神代文字が使われている。もう間違い無い、これは祟神が私へと宛てた果たし状なのだ。その本文に書かれている事。恐らくは私への祟り。そうして、毘沙門天様に関わる皆への祟りか。
「じゃ、早速で悪いのだけれど内容を教えてくれないか」
「その前にナズーリン、二つ程質問しても宜しいですか。お時間は取らせません」
「ん……何だい」
私に手紙を返し、ご主人様はそう言った。相も変わらずにこにこした笑顔である。真剣味が無く、やはり寝惚けているようにしか見えない。それにしてもこの期に及んで、一体何の質問だろうか。祟りについての事であれば、容易に答えるわけにはいかない。私は、皆を巻き込みたくはないから、果たし合いには一人で行くつもりである。今回ばかりは、尻尾の籠で寝ている小鼠も置いていく。
「まず一つ。貴方は何を信仰しますか」
しかしご主人様の質問は、想像していたものとはまるで異なっていた。
「何って。ご主人様は知っているだろう」
「ええ。ですが貴方の口から、改めて答えて欲しい」
何故今、その質問なのだろう。さっぱり解らない。……けれども、答えなければ手紙の事は教えてくれそうに無い。まあ、祟りについての事でなければ差し支え無かろう。
「んん、何だか解らないが……私は毘沙門天様の眷属だ。今でこそ聖の許で皆と一緒に居るけれど、毘沙門天様を信仰しているのは今も昔も変わらない」
「はい。ではもう一つ。貴方は、何ですか」
この質問もよく解らない。ご主人様の意図も解らないが、今度は質問自体がよく解らない。
「何、って。どういう意味だい」
「別に謎掛けではありませんから、そのままの意味で捉えて下さい。貴方は何ですか」
「……鼠の妖怪、だね」
「はい。そうですよね。有難う御座います」
二つの質問とやらが終わってしまった。結局、ご主人様の問い掛けはよく解らない。頭の中には疑問符ばかりが浮かぶ。けれどそれは取り敢えず置いておこう。それより今は祟神に会わなければならない。会って、皆へ手出しさせないよう仕向けなければならない。
「お手紙の内容でしたね。妖怪の山山中、大蝦蟇の池にて待つ、としてあります」
「大蝦蟇の池か、有難うご主人様。……えっと、その」
「はい、行ってらっしゃい──あ、それと」
開け放たれたままの障子から廊下へ飛び出したところで、また呼び止められる。急いでいるというのに。今度は何事だろう。
「うん、何だい」
「貴方は鼠の妖怪です。けれど、人々の信仰する毘沙門天様の眷属です。そしてまた私は貴方の事を、私達の大切な家族だと思っています」
「そう、かい。……はは、有難うご主人様。きっと帰って来る」
そう言って私は走り、聖輦船を飛び出して山へと向かった。
もう外はすっかりと朝の景色である。早春のうららかなる蒼穹に、雀は今日もちんちんとさえずり、新聞をばら撒く烏天狗は今日も元気一杯である。
山もまた、いつも通りである。不気味なほど大きく、不安定になりそうな程明るい。速度を上げて近付くにつれ、山はずうと伸び、ぐうと広がるように私の目に映る。
未だ私は山に恐怖を感じている。私はまだ祟られている。けれど私は、祟りなど物ともしない財宝を手に入れた。いつまでもいつまでもさ迷い続けて、ようやく私は正道に至るための光明を探し当てた。そして今朝また、私は私の家族を探し当てた。
それらは何よりも価値あるものだ。弱くて狡くて臆病な私の、何よりも価値ある財宝なのだ。
──絶対に、守ってみせる。
◇◇◇◇◇◇
「ふあああぁぁあぁ……んむ」
朝も早よからナズーリンに起こされて眠いです。昨日は昨日で疲れたのに、ついつい夜更かしをしてしまいましたし。睡眠不足は脳の働きを鈍らせます。お肌にも悪いのです。
ナズーリンはそこが解っていないから困ります。そもそも彼女と私とでは体格からして違うのです。齧歯類の彼女は体も小さいから、寝起きもくるくる早いし食べ物もぽりぽり美味しそうに食べるのです。対して猫科の私は寒いと炬燵で丸くならなければなりません。すなわち夜は眠く朝は眠く昼は眠くご飯が美味しいのです。だからして、ええと。まあ良いや、取り敢えずお布団を畳んで着替えて朝餉を頂きましょう。
廊下へ出たところ、丁度聖が居ました。
「アッ、おやすみなさい、じゃなかった。お早う御座います聖」
「お早う御座います、星。お寝坊はまだ治らないのですね。もう皆起きて朝のお勤めをしていますよ」
「えへへ、御免なさい。春先はどうしても眠くていけませんねえ」
聖も朝早いです。朝は大体聖か一輪が一番に起きて、それからナズーリンと村紗が起きて、私が起きます。村紗もナズーリンくらい早起きですが、たまに大寝坊をします。理由を聞くと「実は私、海猫(うみねこ)だから炬燵で丸くなるの」と言います。海猫なら仕方ありません。
「ほら、しゃんとして。早くお顔を洗って、ちゃんと耳と尻尾を仕舞ってから本堂へ来て下さい」
「はい、解りました」
そうですねえ、朝はお顔を洗わないといけません。というわけで庫裏(くり)の隅にある炊事場へ。まだ聖輦船は船の形を保っていますから、井戸がありません。昨日はナズーリンを待つ間に川から水を汲んで来ましたが、汲み置きというのは不便です。早いところ良い場所を見付けて寺院を復興しないと、水汲みばかりが日課になってしまいます。今に水汲み方法が経典になって、汲み置き盥(たらい)が御本尊になってしまいます。ざぶざぶざぶ。
──覚醒しました。何やっているんですか私は。
濡れた髪の毛を手拭いで好い加減に拭いて、本堂へ急ぎました。すっかり忘れていたんです、今朝のナズーリンの事。
「ひ、聖──」
がらりと開けた本堂。中央奥には簡素な須弥壇(しゅみだん)が構えられ、立派な毘沙門天様の木像が据えられています。当寺の毘沙門天様は軍神のそれではなく、かつての財宝神であった頃の面影を残した御姿をしています。右手に小振りの傘を持ち、左手に鼠を乗せた、緑顔の毘沙門天様です。いかにも財宝神といった御姿で、実に優しげな御尊顔をしています。
本邦で一般に見られる像と違うのは何故か、と以前聖に問うた事があります。そうしたら、そちらは私が居るから良いのだとか。えへへ、ちょっと嬉しいですね。
で、その本堂にて聖は礼盤(らいばん)の前を辞し、手前には村紗と一輪、奥に聖が座して向かい合っていました。聖の隣では一輪がきちりと正座しています。村紗は相変わらずの格好で胡坐などかいています。足痺れますもんねえ。丁度聖の向かいが空いているので、多分そこへ座れという事でしょう。
「そ、その。遅くなって申し訳御座いません」
一輪から向けられる、ぎろりとした刺すような視線──が、感じられません。嘘。私が遅刻するときっと怒るのに。毎日のごとく寝坊しても、飽きもせず毎日怒るのに。心無しか、暗い雰囲気です。どうして──
ああそうでした。ナズーリンが居ないのです、ここに。
「……しょ、星。あの、その……ナズーリンは、何処へ行ってしまったのだ。まさか、また何か──」
「一輪、落ち着いて下さい。星、先程からナズーリンの行方が解りません。貴方の部屋を辞してから、何処かへ行ったようです。事情を説明して、私達の行動指針を決めて頂けますか」
暗に予測していた通り、聖は私に話を振ってきました。聖は恐らく事の次第をちゃんと把握しているのです。それはそうですよ、ナズーリンが持って来た手紙だって、私が読めて聖に読めないはずが無いですし。
こう見えて聖は意外と意地悪なのです。と言っても、聖は私達の事を理解したうえで意地悪をします。とてもよく考えられた意地悪です。
私は第一に、家族を愛する心が肝要だと思っています。虎は元来孤高なものです。自然界においては、それで良い。けれど妖怪となり、年を経た私は──一人は、寂しくて厭なのです。それが私の信仰における根本義です。
だからこそ、聖は私に話を振るのです。家族である皆の事をどれだけ見ていたか。そして私が、どう家族に接するのか。聖はいつでも私達の事を考えて、なお私達を含めた皆の道を示そうとしてくれます。
聖には敵いません。だから私は聖に帰依し、これまでもこれからも、ずっと付いて行こうと思うわけなのですけれども。
「はい。一輪、村紗も。落ち着いて聞いて下さいね。ナズーリンは今、神様に祟られています」
「……は、何て」
ぽかんとした顔で村紗が私を見ます。まあ取り敢えず続けましょう。
「話せば長いのですけれど、昨日聖輦船から落ちたナズーリンは、どういう訳か妖怪の山に落ちたのだそうです。そこで山の神様に助けられて」
「……ばっ、莫っ迦あぁぁぁぁっ」
怒号です。雲山の鉄拳を食らうよりもなお重い衝撃が全身を走りました。船体が揺れ、窓という窓は共鳴して割れ砕け、烈風が木々をさらい大地は轟々と裂け落ち──いささか誇張に過ぎますね。けれど凄まじい轟音を響かせて、堪らず私がころりころりと二つ程後ろ回りをしたのは事実です。びっくりしました。
隣では村紗がまだ、ぽかんとした顔で私を見ています。向かいの聖は、なおも黙ったままです。
「や、落ち着いて聞いて下さいって言ったのに」
「これが落ち着いて居られるものか、莫迦っ。しょ、星、お前そんな大事、何でもっと早くっ……」
だん、と勢いよく一輪は座り直しました。ぐっと拳を握って。──目からは、ぽろぽろと涙を零して。
え、あれ。予測していたのと違うのですが……まずナズーリンの現状を説明して、一連の流れを伝えたのちに二人にはナズーリンを助けに行って貰って……
「一輪、村紗も。落ち着いて下さい。少し話がややこしいのですが、ナズーリンはどうやら山の神様の一柱に祟られてしまったようなのです。けれど安心してください、命取りになる事は決してありません。それは山に居る別の神様から頂いた手紙で、保証して下さっています。言わばナズーリンには苦行のようなもの──ただ、ナズーリンだけでは荷が重いのも事実。私と星は、これから手紙を送って下さった神様の元へ向かおうと思います。貴方達二人は、ナズーリンの助けとなって頂けますか」
「わ、解った。ほら一輪、泣いてても仕様が無いってば、行くよ。それで聖、私達は何処へ行けば良いの」
「妖怪の山中腹あたりに、大蝦蟇の池という場所があります。恐らくナズーリンはそこへ向かったはずです」
「了解。そら一輪、雲山呼んで。っとにあの莫迦鼠、昨日迷惑掛けたと思ったらすぐこれだ……まだ一輪に謝っても無いくせに。あいつ殴ってやんなきゃ気が済まない」
どたばたと慌ただしく、村紗は一輪を引っ張って行ってしまいました。
それは私の考えた通りの展開です。けれど、それは聖の指示によるものです。──聖が、丸く収めてくれたのです。
「星、あの言い方では駄目ですよ。一輪も村紗も手紙の内容を知らないのですから、事情が解りません。また一輪の様子を見る限り、ナズーリンは一輪にまだ謝っていないようです。昨日の事もありますし、一輪の感じる心配はそれこそ胸も張り裂けんばかりです。まずは彼女達を安心させてあげなければ。ナズーリンが無事な事を最初に言ってあげなければ、心配で話なんて聞いて貰えませんよ」
「あ。……いや、その。お恥ずかしい」
ほら、ね。私のは、小手先の知恵なのです。智慧ではないのです、残念ながら。……全く自分が恥ずかしい。聖が意地悪だと思う瞬間です。そして、また。
「けれど、貴方の判断は素晴しいものです」
ぽん、ぽんと優しく私の頭を撫でる聖。聖には敵わないと思う瞬間なのです。
◇◇◇◇◇◇
妖怪の山は天狗の根城である。数多の白狼天狗が辺りをくまなく警備し、時には報道を旨とする烏天狗の素早さも借りて、常ならば外部からの侵入を許す事など決して無い。
特に白狼天狗は、大剣と大盾を獲物とする純粋な警備隊であるため強い。私のごとき小妖怪など力比べにもならない。だから大蝦蟇の池へ侵入する事さえ、私には到底不可能に近い──常ならば。
私は一つの確信を得ていた。昨晩、私は天狗に咎められる事も無く妖怪の山をさ迷ったのである。それは別に白狼天狗が皆して怠けていたのだとか、烏天狗が皆一大事件の報道に出払っていたのだとかいう訳では無かろう。彼等には恐らく、山の警備に支障を来す何かがあった──それは祟神の気配ではなかろうか。彼等は山を統べる者達である。なればこそ、山の神に畏怖と恭順の念を抱く。まして山の祟神に牙を向ける者など居はしまい。
そうならば、それは恐らく今も同じ事。遠目に見ても山の警備は厳しい。けれど一点、大蝦蟇の池のみ、天狗の警備はまるで無い。
その場所を目指して私は一直線に飛び込んだ。数匹の天狗には私の行動がばれたかも知れない。けれどここには入って来られないはずだ。
木々の間から、ちらと空を見上げる。鬱蒼とした樹海の木々に多少の視界を遮られ、遥か遠くに空の青が見える。ちらり、ちらりと天狗の飛び交う小さな影が映る。ゆら、ゆらと、風に流されて枝葉が揺れる。
水底にでも居るような気分になる……いや。ここは光の届かない、深淵の底の底だ。私は今、祟神の作り出す闇の中に居る。
「ん。おや誰かと思えば。昨日の鼠か」
声のした方を、向く。小さな池がある。日差しも弱く木漏れ日の届かないその池は、闇に溶けて底が見えない。ここには更なる深淵があるのだとばかりに、その深く暗い口を開けている。
畔には小さな祠がある。取り立てて語る事の無い、小さく簡素な、何処にでも在る祠。それこそ私達の生活区域のそこかしこに在り、私達の気付かぬ場所にじっと「立たるる」──そういう、祠。
祠は岩を背にして立っている。奇っ怪で、禍々しくもある岩。奇妙にねじれ、裂け、風雨に穿たれ。まるで命を宿して座すかのような奇岩。それは多く「蛙岩」と呼ばれるものである。そこに──
祟神が、片膝を抱えた姿で座し、こちらを見ていた。
「お前から出向くとはね。もう少し待っていれば、こちらから祟りに行ってやれたのに」
祟神直々に、私を、船の皆を祟る。それだけは、絶対にさせるものか。
「……ま、まず断っておくよ。私は君に、随分と失礼な振舞いをした。愚にも付かない事を言った。その、口調はすぐには直らないが、ええと。す、諏訪子さん。まずはその事を、謝る」
ぺこり、と大きく辞儀をする。だが直ぐに起き直り、顔を向ける。長く目を逸らすわけにはいかない。私も命懸けなのだ、仕方無い。
「ほう。殊勝な心掛けじゃあないか、ははは。感心したよ鼠」
「っ、その、出来れば感心ついでに、もう私や皆を祟るのを止して欲しいのだがね。……だ、駄目かな、やはり」
「ふん、何の事やら」
白を切られた。あくまで私や船の皆を祟ると、そういうつもりか。
「決闘には、応じる。けれど私だけだ。他の皆に手出しは──」
「決闘、決闘か。面白い、大きく出たものだね。はははははは」
ぬう、と祟神の影が伸びる。光乏しき樹海のなか、小さな池の闇よりもなお暗い影が、私の足元まで伸びる。市女笠に付いた得体の知れない目玉の影が、私の爪先に絡まる。
影は嗤う。両の眼を凄惨に光らせて、紅に裂けた口を恍惚と歪ませて。私を見、私に語る闇中の化け物は、高らかに嗤う。
「やろう。お前もスペルカアド・ルウルは知っていよう、大筋はそれに則ってやる。カアドは互い二枚まで、スペル・ブレイクまでは使用可。好きなカアドを使え、宣言は要るが事前提示は要らん。どうせ互いにスペルを見た事が無いんだ、提示するだけ無駄だ」
ここで言うスペル・ブレイクとは、スペルとなる何らかの事象や依代を破壊する事である。例えば私の「棒符・ビジーロッド」であれば、ロッド破壊でスペル・ブレイクとなるわけだ。何かを物理的に消耗するスペルでなければ、時間制限は無いに等しい。勝つには相手のスペルを破壊しなければならない。そういうルウルだ。
「けれどそれだけでは、つまらんな。お前には何か一つ、ハンディをやろう。適用の可否は私が決める。好きに考えろ」
「ん……それは、今決めた方が良いかい」
「何いつ決めても構わんさ。たかが鼠にハンディを一つくれてやる程度で、私が敗けるものか」
それならもっと沢山くれるが良いのに。けれどこれは好機かも知れない。それをどう活用すれば良いか今はまだ思い付かないが、相手は何でも良いと言ったのだ。流石にルウル破りは許されないだろうが、例えば私のスペルカアド宣言時に数瞬停止くらいは認められそうである。
ならば覚悟を決める事だ。大丈夫、私も毘沙門天様の眷属だ。軍神の眷属として、戦歴だって多い。使えるカアドは二枚。ここは慎重に選び、考え得る限りの戦局に有効なものを選択すべきだ。手持ちは……
二枚しか無い。
さあと顔が青醒める。昨日までは早苗と戦いもしたから、予備も含めて何枚か持っていたはずなのに、何故──泥にまみれて帰った後、服を洗濯に出したんだ。今の服、予備の着替えだ。
やばい。この服は生活着だから碌な装備をしていない。恐る恐るカアドを見る。「棒符・ビジーロッド」と無記名のカアドの二種。
「行くよ鼠。せいぜい恐怖におののけ」
「や、待っ、ちょ」
祟神の放つ、一対の交叉弾。それを引き金に、決闘は始まった──ええいもう、仕方が無い。二枚目のカアドは決闘のうちに作るしか無い。
弾幕とは、基本的に物理的なものと論理的なものに分かれる。その性質上、幕となる程多くの弾を費すため、殆どの場合は論理的なもの──魔法や術式、精神力を具象化したものとなる。私の場合は鼠の横列突進で挟み撃ちする戦術を得意とする。以前は本物の鼠を使う事もあったが、鼠は突進しながら何でもかんでも食い荒らすので、環境の事を考えてしなくなった。だから私の弾幕も、専ら精神力を具象化した鼠型弾幕である。
両手を巧みに振り上げて、敵を挟むように弾幕を展開。前歯の隙間を通して吹く特殊な音波を号令に、前後から襲い掛かる戦術だ。時に長く隊列を組み、時に小隊を数個に分けて。小さな大将の二つ名に恥じる事無く、軍神たる毘沙門天様の名を汚す事無く。幾つもの隊を緻密に操り、何処までも食い込み、追い詰め、行く手を塞ぐ。
かつては紀元前の頃、崑崙山脈北麓の和闐(コオタン)に攻め入る匈奴(くぬ)を退いて手柄を立てた。唐玄宗皇帝の御代にも、毘沙門天様の第二子、独健(どくこん)様と共に周辺国を蹴散らした武功もある。私の操る軍隊が、神とはいえ一柱を相手に傷一つ負わせられないはずが無い。本気を出した私の軍隊に、抗う事は誰にも出来ない。
そう、思った事もあった。こと弾幕勝負となると、それは全く違うのだ。彼の祟神は一枚も二枚も上手である。弾幕勝負において、弾幕とは何かを熟知している。それは戦術を知るのではない。戦略を知るに等しいのだ。
弾幕には、必ず穴がある。それは失策ではない、ルウルであり理なのだ。祟神はさもそうする事が当然であるかのごとく、的確に穴を見出し、すいすいと隙間を縫うように私の弾幕を避ける。そうして私を見て嗤い──私に向けて、反撃の牙を剥いた。
祟神の弾幕は、縦横無尽に張り巡らされる赤色と青色の交叉弾である。交叉弾、といってもそれは牙のように連なって、ぶうん、ぶうんと気味の悪い音を立てて絡み合う。その弾幕に、私は戦慄を覚えた。
それは赤と青ではない。血色と毒色の交叉だ。
「鼠よ。お前にはこの弾幕がどう見える」
それは、私や鼠達を噛み殺す、血塗られた牙だ。獲物の体に突き立てて弱らせる、毒蛇の牙だ──
一瞬の怯みが、危機を呼ぶ。ちりり、と血塗られた牙が脇腹をかすり、思わず私はアッと叫び足をもつれさせて転倒した。次なる毒の牙が私へと迫る。それを咄嗟に右手へ転がり、九死に一生を得る。けれど、そうは保たない。いずれこのままでは、私が食われるのは目に見えている──
ぱたりと弾幕が止んだ。一陣の風が、私と祟神との間を吹き抜ける。私は既に息も上がり、衣服も所々が裂け破れている。幸いな事に、今のところ被弾は無い。対して彼の祟神は──全くの無傷。闇中にぼんやりと浮かぶ祟神は、衣服のほつれの有無どころか、呼気さえ静かにして佇んでいる。
圧倒的な差。神と、妖怪の差。そこに決して越えられない壁が、隆々とそびえているのを私は見た。
「つまらんなあ。ただの弾幕ではつまらん。鼠、もう少し私を愉しませろ。私はスペルカアドを宣言しよう。見事ブレイクしてみせろ」
そうして祟神は一枚のカアドを掲げ、高らかに宣言した。
「蛙符・蛙は口ゆえ蛇に呑まるる」
宣言と同時に、祟神の周囲に緑色をした妖しげな霧が起きる。ずう、ずうと、周囲の空間を歪め固めるようにして霧は形をなし、その全容を現す。
祟神を中心にして、太く、長く。ぐるりと大きくとぐろを巻いて、忌まわしき大蛇が私を見据えていた。
◇◇◇◇◇◇
諏訪子様、諏訪子様。届いてますでしょうか。これから守矢神社へ戻ります。お土産はおあずけです。私、怒っているんですからね。帰ったらこてんこてんにお仕置きです。おやつもおあずけです。ちゃんとナズさんに謝るまで許してあげません。
なんて感じで諏訪子様に思念波を送って連絡しました。返答はやっぱりありません。まあでも、昨晩よりもびびびと来たのできっと伝わっているでしょう。あ、でも逃げられたらどうしよう。まあその時は神奈子様にも探すのを手伝って頂くことにしましょう。
というわけで私は現在守矢神社境内へ戻るべく、石段の真ん中を堂々と登っています。何たって神様ですから。えへん。
このあたり、霊夢さんなんかは作法を無視するので良くありません。そもそも神社の参道というのは神様の通い路なのです。鳥居は言うなれば神様の通る門ですね。信者の方や、まして神に仕えるべき巫女は真ん中を通っちゃいけないのです。通って良いのは神様です。それなのに霊夢さんたらこの間も、アラ疲れたわ守矢神社でお茶を頂きましょう、とか何とか言って堂々と真ん中を通るもんですから。私怒っちゃいましたよ、もう。
そういえば魔理沙さんも良くありませんね。オイ早苗おやつ寄越せ、なんて空から直接境内へ降りて来て。神社というものは良く出来た作りをしています。周りには鎮守の森があり、玉垣で囲われて中央に本殿が鎮座します。これらは皆注連縄と同じ結界なんです。鳩や鴉じゃあ無いんですから、飛んで入って来たりしちゃ駄目です。信者の方はちゃんと鳥居を潜って、参道の端を歩いて来なきゃいけません。結界に入るのも、ちゃんと作法はあるのです。私怒っちゃいましたよ、もう。
何て事をぷりぷり怒りながら、ようやく本殿へ到着しました。うん、正直面倒ですねえ。特にお買い物の帰りなんかは厭になります。鳩や鴉が羨ましいです。
「アッ、神奈子様ただいま帰りました」
本殿の前では、神奈子様が正面の段に腰を下ろして日向ぼっこしていました。なかなか心地良さそうです。
「オヤ早苗おかえり。疲れたろうね、お茶を淹れてやるから母屋でゆっくりしなさい。ああ、お饅頭があるから先に手を洗っておいで」
「わ、お饅頭好きです……じゃあなくて。神奈子様、諏訪子様はどちらにいらっしゃいますか」
「諏訪子かい、さあ。昨晩から山に籠っちまっているけれど。あいつがどうかしたかい」
「どうもこうも、諏訪子様酷いんです。ナズさんを苛めたばかりか、今朝方ナズさんに果たし状なんて送って来たんですよっ」
そう、今は美味しいお饅頭よりもナズさんの事が先です。今朝方ナズさんが手紙を受け取ってすぐ、私は諏訪子様に対し理不尽な怒りを感じて、急いでここに戻って来たのです。それくらい私は怒っているんです。
私は神奈子様に、昨晩寅さんから聞いた話をしました。
「ウンなるほど。聖輦船にはなかなか聡明な者が居るのだね。その者が語った話で早苗は怒っているのか」
「私だってまさかと思いました。けれど今朝ナズさんに話を聞いたら、本当の事だ、って。でも、諏訪子様は嘘を吐いているんです。毘沙門様に恨みがあるなんて嘘を吐いて、ナズさんを苛めて愉しんでいるんですっ。今朝だって果たし状なんか送り付けて、一体どういうつもりですかっ」
「まあまあ早苗落ち着きなさい。私に怒っても仕方無い……って、果たし状っていうのは」
「アッ、済みません。ええとですね、今朝方ナズさんの許に、果たし状、と掛かれた書簡が郵送されて来たんです」
そう、私が急いで戻って来た理由は、その果たし状の事なのです。昨晩の寅さんのお話では、どう考えてもナズさんちっとも悪くないんです。それなのにあんな物を送ってまでナズさんを苛めるなんて、諏訪子様はどうかしています。しかも切手も貼ってなければ消印も押されていませんでした。送料までけちって負担させる気なんて、酷いです。うん、けれどあのエイリアンは不足分の料金を請求しませんでした。そそっかしいエイリアンですね。
それにしてもエイリアンは既にこの世界の郵便事業にまで根を張っていたのですね。なかなか侮れません。諏訪子様も諏訪子様です、局員がエイリアンだと気付かずに配達をお願いするなんて、頼り無いです。もう人類の未来は私に懸かっていますね。これからは私がしっかりと人類を導いて、エイリアンに立ち向かうしかないのでしょう──
「エッ、手紙はナズーリンに渡されたのかい。仕方無い奴だなあ、あの子に直接渡しちゃあ駄目だと言っておいたのに。それで、ナズーリンは手紙が読めたのかい」
「いいえ、今は郵政民営化の移行段階にありますから事業展開もまずまずです。何か経営方針に大きな転換が見られるまで静観しましょう、エイリアンは必ず尻尾を出します」
「……早苗、疲れていやしないか。郵政民営化って何の話だい」
「ああいえこちらのお話ですからどうぞ気にしないで下さい」
危ない危ない。神奈子様は鋭い方です。思わず誘導尋問に引っ掛かってしまうところでした。エイリアンの件を公にするには時期尚早です、まずは地道な調査から。そうですね、言葉巧みに記念撮影なんかして、証拠を得てから公開する事にしましょう。
「それはそれとして、諏訪子様は一体何処に──」
「御免下さい、御頼み申し上げます」
そう声がかけられて、私の質問は遮られました。こんな早いうちに誰でしょう。山の参拝客にしては随分と礼儀正しいな、そう思って振り返る先に。
白蓮さんと、寅さんが居ました。
「いやどうも。今回早苗が修行に向かった先は空飛ぶ船だと聞いていたけれど、そこの仏さんかい」
私達四人は母屋の座敷へ上がり、話をする事にしました。本当なら今すぐにでもナズさんを助けて、諏訪子様を懲らしめなければならないのですが、神奈子様が心配する事は無い、と優しい顔で仰いましたから。何故そんな風に泰然として居られるのか、さっぱり解りません。けれど神奈子様の仰る事ですから、きっと間違いはありません。
客間兼大広間のこの部屋は、四十畳ある和室です。青畳が草原のようで清々しく、障子戸からはよく日が差してとても明るいです。宴会なんかでもよく使われて、たまに河童さんが酔っ払って測量を始めたりします。十間あるように見える大広間、実は対角は五間と半分と教わりました。私は尺貫法に慣れていないのでよく解りません。けれど周りの河童さん達は感心した顔をして、へぇを二十回も繰り返していました。
さておき。
「いえ、私も星も未だ修行の身、御仏の足元にさえ及ばぬ愚物に御座います。此度は早苗様に御力添え頂き大変助かりました、改めて御礼申し上げます」
「やあ、早苗もよくよく修行になったろうから、こちらこそ感謝するよ。この子は可愛いんだけれど、なにぶん力不足で思い込みが激しくてね。可愛いんだが我が強くて思った事を口にし過ぎていけない。可愛いんだが」
褒められているのかどうかよく解りません。少し恥ずかしいです。
「随分強調しますね。ナズーリンだって食べちゃいたいくらい可愛いです」
「いいえ、寅さんの方が可愛いです。耳とか尻尾とか」
「はははははは。随分と仲良くなったのだね、良い事だ」
「こら星、今日はそんなお話をしに来たのではありません。まあナズーリンの事に違いはありませんが」
何故か対抗する寅さんに便乗して、私も素直な感想を述べました。寅さんは顔を真っ赤にしてしまいました。神奈子様には大笑いされました。私は何だかやっぱり少し恥ずかしくて、黙ってお茶を飲んで話を聞くことにしました。
「そうだナズーリンだよ。あの子はあれからちゃんと貴方達の許に帰れたのかい」
「はい、大した怪我も無く戻りました。その節は誠に有難う御座います。ナズーリンも自らを省みる機会を与えられ、感謝して居りました。彼女はきっと正道に立ち返り、自身の信仰を求めて邁進する事でしょう。神様方の御陰です」
「アハハそうかい、ちゃんと立ち直れたんだねえあの子は。いや私もあの子は見所のある良い子だと思っているんだ。けれど済まなかったねえ、お節介だったのじゃあないかい」
「いいえ、恥を申せば私も星も他の者も、しばらくは己が事のみで精一杯でした。法界に囚われた私の解放に尽力してくれたのは大変嬉しい事でしたが、修行が疎かにもなりました。私共はまだ仏道の何たるかさえ理解に至らぬ未熟者。そうしたなか、神奈子様諏訪子様御両名に教えを頂けるとは非常の喜びを感じこそすれ、無碍に思うはずも御座いません」
「いや何というか、そう言われると恥ずかしいねえ。世話焼きだと思われていなければ良かったよ」
話が見えません。と、言うか。何で神奈子様が、ナズさんの事を知っているんでしょう。
「何で神奈子様が、ナズさんの事を知っているんでしょう」
「何だい早苗、出し抜けに。お前先刻までナズーリンの事しきりに私に話すから、てっきり全部知っているのかと思っていたのだけれど」
「いいえ、私の知っているのは先程神奈子様にお話した事だけです」
「何だ、諏訪子の事を聞くものだからどうもおかしいと思ったら……お前は粗忽者だ。少しはナズーリンを見習え」
「あ、ううん、御免なさい……」
少し悔しいですけれど、神奈子様の言う通りです。大慌てで戻って来たものですから、そんな事にまで気が回らず神奈子様を捲し立ててしまったのです。全く迂闊でした。
そう。疑問はそれだけではありません。考えてみれば、おかしな話ばかりなのです。
何故諏訪子様は、あんな嘘まで吐いてナズさんを執拗に祟るのか。
祟りだけならナズさんを呼ぶ必要は無いのに、何故諏訪子様は「果たし状」など送り付けたのか。
何故白蓮さんも寅さんも、ナズさんを助けてあげないのか。一輪さんに船長さんは、どうしてここに来ていないのか。
そして何より。何故神奈子様は、そんな風に泰然としていられるのか。
私にはもう何が何だか解りません……不可思議や奇想天外というものは、時に人に興味を抱かせます。ですから私は諏訪子様の御力を借りて、聖輦船を追い、今回の件に関わりました。
けれどそれも過ぎれば、殊更人を不安にさせるもの。何処までが真実で、何処までが虚構なのか。神奈子様のお考えは、諏訪子様のお考えは──
「か、神奈子様教えて下さい。神奈子様は、一体何処までご存じなのですか。ナズさんは、何故あんなに祟られているのですか。何故ナズさんを助けてあげないんですかっ」
「……早苗。お前は本当に未熟者だ。お前の言葉は疑問ばかりだ。お前には己の考え、己の信念は無いのか」
ぞくり、と背筋に震えが走る。そこに、いつもの神奈子様は居なくて。
一柱の畏ろしき神様が居る。
「何事も知らず、何事も弁えず。それでなお神の考え、神の為す事に疑心を抱き──それがお前の信仰か」
神様がこちらを向く。笑みも無く、目元険しく。私を見透かす目で、じっと私を見つめて。
「お前が彼女を助けるだと。恥知らずめ、身の程を弁えろ」
凛として、静かな、一喝。ずしりと響くその言葉が苦しい。息を呑む。つかえた呼気に胸を焦がす。頬が、瞳が熱い。
「……も、申し訳、御座いませんっ……」
平身低頭し、神奈子様に謝りました。私は、何を勘違いしているのだろう。私が神奈子様や諏訪子様を疑う権利なんて、ありません。
だって、何も解っていないじゃないですか、私は。まるで亀の子のように得手勝手に首を突っ込んで、他者の意見ばかり鸚鵡(おうむ)のように繰り返して。神奈子様が呆れるのも当然の事です。私は、どれだけ甘えていたのでしょう──
「……けれど神奈子様、解らないんですからそれは仕方無い事だと思います。知らない事は知れば良いし、分別は叱られながら覚えるものです。だいたい私に黙って悪戯ばかりする神奈子様と諏訪子様も良くないです。報告、連絡、相談は最低限のマナアだって昔学校で教えられましたよ私」
──まあ、反省はそのくらいで。そんな風に神奈子様が言うのなら、私だって負けてはいられません。何たって、私は神奈子様の巫女であり、神様なんですから。
一瞬の間を置いて、ぷふぅと神奈子様が笑い出しました。頬を膨らませて神奈子様に対する私と、膝を叩いてけらけら笑う神奈子様を見て、寅さんはきょとりとしています。対して白蓮さんは穏やかな顔をしています。とても出来た方です。
「あっはっはっは、いや敵わないね早苗にゃ。未熟というか現代っ子というか、それもここまで来ればいっそ清々しい」
「ひ、酷いです笑うなんて。……そりゃ、私だって考え無しだな、って自分で反省する事もあります。神奈子様や諏訪子様の御側に居るんですから、自分が未熟な事も解っているつもりです。だからこそ、少しでも神奈子様に、諏訪子様に近付くために、私はもっと色んな事を知りたいんです。子供だって言われるかも知れないですけど。けれどそれで、多角的に見識が広がるなら。そうして誰か何かの助けになれるのなら、私は未熟と言われたって構いません」
「ふむ、希求(けく)の念か。面白いね、それが早苗の根本義なのだね。良いだろう、少しそそっかしくて危な気だが、それもお前の立派な信仰の形として私は尊重しよう」
そう言って、神奈子様は頭を撫でて下さいました。そのお顔は凛々しくて、いつもの優しい神奈子様です。
「んん、ええと。聖、何ていうか風神様というのは、風祝の巫女に甘いんですねえ」
「ええ、まるで一輪達に接している星を見ているようですよ」
何やらぽそぽそと内緒話をして、また寅さんは顔を真っ赤にしています。寅さんのそうした顔を見て、私はやっぱり、何だか恥ずかしいような気がするのでした。
「ナズーリンも早苗くらいの自信があれば良いのだがね──さてと、いささか脱線し過ぎた。白蓮に、星と云ったね。手紙を読んで来てくれたのだろう」
「はい。果たし状、としてあるのには少々驚きましたが。あれ程までにナズーリンの事を気に掛けて頂き、感謝致します」
「いや別に感謝をする必要は無い。長い目で見れば、これは互いに益となる事でもあるのだ。むしろ反対されやしないか心配もしたがね、では私の考えも間違っていないと見て良いのだね」
「ええ。毘沙門天様の御意向との事でもありましたし、私も星も、いずれナズーリンには人妖の架け橋となって欲しいと望んでいます。勿論彼女自身の信仰こそが第一ですので、いずれは彼女の意思を尊重したいと思いますけれど」
「ウンそれが良い。ナズーリンは良い子だ、それがどのような道であれ間違った方向へは進むまい」
ええと。またよく解らない話の展開です。報告、連絡、相談は最低限のマナアだって言ったばかりじゃないですか、もう。けれど白蓮さんと寅さんがこちらへいらっしゃった理由がようやく解りました。成程、神奈子様は寅さん達にお手紙を出していたのですね。それにしても果たし状なんてまた何故そんな物騒なお手紙──
「え、あの、神奈子様っ。は、果たし状って、え。手紙って、一体どういう」
「ん、ああ済まない。早苗を置いてきぼりにしたかな。仕方無い、説明してやろう。お前今朝方ナズーリン宛に果たし状が届いたと言ったろう。あれはね、私が届けたんだ。諏訪子なんか知りもしないよ」
◇◇◇◇◇◇
防戦である。もう私が祟神に勝てる要素など、まるで無い。心根からして敗けている。当然だ、己の体躯より巨大な大蛇を目の前にして、誰が戦意など湧くものか。
だからそれは、防戦と呼ぶにも差し支える。ただ、食われたくない。生きたい。それだけの、往生際の悪い狂奔(きょうほん)である。
「ぼ、棒符・ビジーロッドっ」
ばりばりと破砕音を立てて迫り来る大蛇。その大顎に捕らわれる直前に、一枚目のカアドを切る。一対のロッドが力場を帯び、鋭敏で精密な手足となる。ロッドは大蛇の毒液垂れる牙に向かって交叉し、火花を散らしてこれを防ぐ。しかし大蛇の迫る勢いを削ぐ事は出来ない。そのまま私は牙を軸に半回転して逃がれ、大蛇の胴体を滑るようにして初手を防いだ。
元来私のロッドはダウジングに特化したものであるが、これでなかなか戦闘時にも役立つ。ダウジングというのは、そもそもダウザアの無意識下における身体動作、すなわち不覚筋動による装置への反射に過ぎない。しかし、だからこそそれは自身の潜在能力を顕現させる技術とも言える。失せ物の探索においては、第六感とも呼べる精神感応力が発揮されるのである。いわんや生死を分かつ戦いにおいてをや、潜在能力は最も顕著に働くわけである。
但し此度の戦いにおいて、私にはそれを攻めに働かせるだけの余裕は無い。私は私の身を守るために、襲い来る大蛇の牙をロッドで弾き、食らい付く大蛇の顎をロッドで殴り、精一杯に避けるばかりである──狂ったように、叫びながら。
「はあっ、はあっ、はあっ……な、何で蛇なんだよっ、蛙符って言ったじゃないかっ」
「鼻水垂らして喚き散らす程怖いかね。まあそれはそれで、祟神冥利に尽きるというものかな。そもそもお前は解っていないね。ミシャグジ様は何処にでも在る神だ。蛙の姿しかり、蛇の姿しかり。けれど実際は、決まった形など持たぬ神だ。ただ自然に在り、畏怖と恭順の念を抱くべき、畏ろしき祟神。それがミシャグジ様だ。蛙符というのはな、見立てだ。このスペルの本質は蛙を呑む蛇、これで合っているのさ」
その言葉そのままに、大口を開けた祟神の化身が私を呑み込まんとして迫る。すんでの所で頭を抱え、地に伏せて逃れたので呑み込まれはしなかった。
ただ、ロッドはもう駄目になってしまった。私の愛用のロッドは、周囲の樹木もろとも大蛇の大顎で噛み砕かれた。枯れ枝の折れるように、硝子(がらす)管の割れるように。目の前で噛み砕かれ、呑まれてしまった。
棒符・ビジーロッドのブレイク。彼の祟神は、まだ一枚目のカアドを使い続けている。そればかりか、既に擦傷や切り傷のおびただしい私と比べて、祟神自身には汚れ一つ無い。
圧倒的に過ぎる。敵うはずが無い。抗う術が、無い。
「恐怖に囚われているのかい、妖怪が。ははは、情け無い。お前は本当に何も解っていないね。口ばかり達者で、振舞いばかり一端(いっぱし)で、その実何も解っていない。草葉に隠れて高らかに鳴く蛙と一緒だ。そんな口は、要らんだろう。蛇にでも呑まれてしまうが良い」
祟神は動かない。ただ暗く深い影を伸ばして語る。両の目と、歪む口だけをてらてらと光らせて、私に向かって語る。
私の眼前には、大蛇が居る。双眸をぎらつかせて、悦び笑うように裂けた口を大きく開いて、じわじわと近付く。
恐怖に膝頭が震える。後ろ手に突いた両腕も、まるで棒切れのようで動こうとしない。いくら叫ぼうとしても、喉が震えるばかりである。その場にへたり込んで、私は大蛇の迫り来るのをじっと待つよりない。ロッドは、もう無い。
「……はあっ、はあっ、はあっ」
「息が荒いね。もう何も言わんのか。もう何も出来んか。つまらんなあ。お前は何だ。妖怪じゃあないのか。ただの鼠か」
じり、じりと迫る大蛇の大顎。ゆっくり、ゆっくりと私に近付き、首から上を噛み砕かんと、上下の牙を私の両肩に定める。
すう、と影が差す。大蛇の口が、私の頭を覆う。もう、駄目か──
「転覆・道連れアンカーっ」
ずどん、という音と共に落とされる巨大な錨。それは大蛇の尾を分断し、猛烈な砂煙を上げて地面に突き立った。激痛にのたうつように暴れ狂う大蛇。数瞬後に水飛沫の弾幕が展開し、大蛇にかかって水煙を上げる。
「そおーれ、もういっちょうっ」
再び起きる地鳴り。今度は祟神に向かい投げ飛ばされるが、祟神は数歩の動作でこれを避け、水飛沫の隙間に立って上を眺める。
「あれ、つれない。道連れになっちゃくれないのね」
「何だお前は。どうして私と鼠の愉しい弾幕勝負を邪魔するんだい」
「どうしてもこうしてもあるかい。そこの鼠はね、私達の家族なの。家族苛めたら餓鬼んちょだって手加減しないよ」
私の真上、木々の薙ぎ倒されてぽっかりと青空の見えるそこに。船長が居た。
「……せ、船長……」
「ふうん。鼠、お前の船の仲間か」
まずい。こうなる事を私は恐れて、だから独りでここへ来たのに。船長が来てしまったら、台無しだ。何で来てしまうんだよ。ご主人様に聞いたのか。それとも聖に聞いたのか。最悪だ、それくらい察してくれると思ったのに。何で、どうして──
どうして、私はこんなに嬉しいんだよ。どうして安心して、涙が出るんだよっ……莫迦。泣くな、私の莫迦。
「まあ鼠にも飽いたし。少し遊んでやろうか」
「せ、船長危い逃げろっ」
それまで腹ばかり蠢かせ、喘ぐようにしていた大蛇が、ぐうと鎌首をもたげる。その視線の先には船長が居る。
大蛇が、にいと嗤ったような気がした。途端、ばりばりと破砕音をがなり立て、螺旋状に飛び上がって船長に躍り掛かり──
「拳符・天網サンドバックっ」
ぬうと出て来た巨大な鬚面の親父にごんごん殴られてどたりと落ちる大蛇。……その、雲山には大変申し訳無いのだが。何というかここまで大振りなスペルが展開されると、いささか間抜けにも見える。壮観には違い無いが。
ぽん、と肩を叩かれ、私はぎくりとして振り向いた。一輪が居た。ほら、また。私は嬉しくて泣き出しそうに──ならない。オヤこれはどうした事だろう。
一輪はとても爽やかな笑顔を私に向けている。肩にそっと置かれた手も優しくて、掌の肉が衣服越しに感じられる程柔らか、く、えと、硬く押し付けられているような、あ、少し痛くなってきた、かな。爪立ってるねこれ、爪は切った方が良いなあうん。目の前の一輪さんの顔はそれでも柔和で、その、青筋が立っていて逆にとても怖いです。
「莫っ迦あぁぁぁぁっ」
怒号である。雲山の大目玉の雷に打たれるよりもなお痺れる衝撃が全身を走る。樹木が揺れ、枝葉は残らず弾け飛び、暴風が岩石を舞い上げて御山はがらがらと崩れ落ち──いささか誇張に過ぎる。けれど凄まじい轟音を響かせて、堪らず私がころりころりと二つ程後ろ回りをしたのは事実である。ああ驚いた。
そうして一輪は、私をぎゅうと抱き締めた。胸が潰れて苦しい程、強く強く抱き締めた。それには覚えがある。
「……この莫迦。大莫迦者……っ、ぶじで、よがっだ……」
またやってしまった。いつもの一輪に戻って欲しいと思っていたのに。つんつんして、真面目で、たまに笑い合ってくれる一輪で居て欲しいと思ったのに。私は何処まで愚かなのだろう。何度同じ誤ちをすれば気が済むのだろう。迷いばかりだ。毘沙門天様の眷属失格だ。これ以上同じ誤ちを繰り返すなら、私は一介の鼠から出直すべきだ。
私はぎゅうと一輪を抱き返した。強く、ありったけの思いを込めて。済まない事をした。私が莫迦だった。私が一輪を泣かせてしまった。勝手な行動をして迷惑を掛けてしまった。許して欲しいなんて思わない。ただ、済まない事をした。一輪にはいつもの一輪で居て欲しい。皆にもいつもの皆で居て欲しい。私も、私も──いつものように、皆と居るから。迷ってばかりだけれど、皆と共に道を歩みたいと思うから。
だから。
「…………ごめん……来てくれて、ありがとう……」
ぴくりと、一輪の肩が震える。そうして少しして、うん、うんと頷いてくれた。
しっかりと謝る事は出来なかったと思う。けれど、今はこれが精一杯だ。溢れるような熱い気持ちが、止め処無く零れ出して、私ももういっぱいいっぱいなんだ。
こつん、と私の頭を軽く叩く者が居る。気付けば隣に船長が立っていた。
「もう、この莫迦鼠。あんた何処まで莫迦正直で糞真面目なのよ。一輪にも謝らず出て行ってさ、一発ぶん殴ってやろうと思ったけれど……ま、私はこれで許してやるわ。どうせ後で一輪にこってり絞られるだろうしさ」
へへへ、と指で鼻を拭き、悪餓鬼のように笑う船長。
──愛されているのですよ、ナズーリンは。
それはとても嬉しい言葉だ。どれだけ聞いても、どれだけ言われても。聞けば聞く程、言われれば言われる程、嬉しい言葉だ。
愚かな私には、まだ幾らも迷いがある。どれだけ必死に考えて行動しても、数多くの間違いをする。間違いは、正せば良い。口で言うのは簡単だ。けれど何故、それが間違いだと知れるのか。何が正しいと決められるのか。それは口で言う程簡単な事では無いのだ。だから、私は。
己に偽りの無いよう、己に悔いの無いように。私は皆を愛する心を持ちたい。それが私の、信仰における根本義だ。
「家族かい。なかなか愉快な奴らじゃあないか、御陰で私もスペル・ブレイクだ。良いだろう、その三者の介入をお前へのハンディと認めてやる」
耳元で囁かれたような声に驚き、私達四人は祟神の方を向いた。祟神は、依然として五、六間離れた場所に佇んでいる。
気味の悪い違和感を感じる。
「へえ面白い、私達四人を相手にするっての、この餓鬼んちょ。おイタをしたらお仕置きだ、鼠の分まで私がたっぷり意趣返ししてやるわ」
「まあ何人だろうと私は構わないさ。私は私が動くんじゃあない、ミシャグジ様に祟られるお前達がそれをどう捉えるか、それだけなのだからね。では二枚目のカアドを切ろう。存分に祟りを味わえ」
小袖から取り出される二枚目のスペルカアド。緩慢な動作で掲げられるのを、私は皆の前に立って身構え、睨む。
図らずも一輪達はここに来てしまった。それは私のせいであり、私のためである。けれど甘えてはならない、どんな無茶な相手でも、どんなに怖い思いをしても。私が心から決めた事だ。私は皆を、守るんだ。
「一輪、船長。巻き込んでしまって済まない。許してくれとは言えないが、せめて無事に帰れるように努力……いや。絶対無事に皆を帰す。少しの辛抱だ、私が何とかするからしばらくは耐えてくれるかい」
「……莫迦者。ナズーリン、お前はまだ勘違いしている。私達はな、お前を好いているから来たのだ。お前が何して神様の機嫌を損ねたかは知らんが、お前が無茶をするのは私達が厭だ。頼りたい時は私達を頼れ。私達もお前に頼る。そうして皆で無事に帰るのだ」
一輪の回りに漂う雲山も、大きく頷いてくれる。船長も黙って肩を叩いてくれた。
「うん。一輪、船長、雲山も。有難う、嬉しいね」
心強い。皆が居るだけで、私はきっと強くなれる。私は私に遠慮をせず、揺るぎ無い信仰心を持って居られる。御仏の道を歩んで行ける。祟りなんて、どうだと言うのだ。志半ばにして、決して倒れるものか。
「祟符・ミシャグジさま」
「ひゃあああああぁぁっ」
「きゃあああああぁぁっ」
祟神のスペルカアド宣言と共に、一帯の空気が尋常ならざるものに変わる。重苦しく、禍々しい空気が場を呑み込む。
祟神の足元に籠目(かごめ)の結界が展開し、薄く口を開けた大蝦蟇の影が浮かぶ。その大蝦蟇の漏らすどす黒い瘴気が合図だ。地表を這うように瘴気は展開、地面のそこかしこから、もこり、ごぼりと、何か這い出るものがある──蛙、山椒魚、蜥蜴、蛇──種々雑多の緑色をした両爬の類が、怒涛のごとく土中から湧き出て襲い掛かる。
全く、一瞬の出来事であった。一輪は、船長は、雲山は、その異様な「虫」共に祟られ、正体を無くして狂い叫ぶばかりである。そうして、また。
「さて鼠。少し話をしようか」
私の目の前に、祟神が立つ。
◇◇◇◇◇◇
守矢神社の客間。ここはなかなか良い所ですね。広々としていて、新鮮な青畳からは実に清涼な香りが立っています。お座布もふかふかして足が痺れません。
何よりお茶がとても美味しいです。ちょっぴりの渋みのなかに、ふくよかな甘みがあります。聖輦船でも一輪がお茶を淹れてくれますが、あの子渋好みなものですから、頂くときっと舌がぴりぴりするのです。あれはいけません、胃に穴が開いちゃいます。大体お茶と言えば透き通るような萌黄色でしょう。あの子の淹れるのは本当に木肌のような茶色をしています。たまに古木のような焦茶色をしてもいます。どうしたらああいう色が出るんでしょう。不思議です。
さてそんな客間にて、私の隣には聖、向かいに神様方が御座します。聖と風神様はにこにこと楽しそうな顔をしていますが、真向かいに御座します風祝の巫女は開いた口が塞がらない御様子です。まあ仕方無いかも知れませんね。お手紙の本文読んでいらっしゃらないようですし。
風神様はそんな風祝の巫女の口に、お饅頭を一つ放り込みました。風祝の巫女はそれをもぐもぐやって、少し落ち着いた様子です。いかにも美味しかったと言わんばかりの顔をしています。
「美味ひい……じゃあなくてですね。どうしてですか、何で神奈子様がナズさんに果たし状なんて送り付けたんですかっ」
「こら早苗はしたない、お茶を飲んで口を綺麗にしなさい。あんこが飛ぶよ」
「あ、失礼しました」
ずずず、とお茶を啜る音が座敷に響きます。呑気なものです。まあ確かに私も、あの「果たし状」の文句は少々物々し過ぎると感じましたけれど。結果ナズーリンをうまく焚き付けたようですし、良かったのでしょうか。
「順に話をしてやろう。つまりね早苗、こういう事さ。昨日私は風神の湖で溺れたナズーリンを助けてやった。そこで色々と話を聞いたが、これが驚いた事に妖怪でありながら仏を信仰しているというのだね。イヤ私もこの山で妖怪相手に信仰を集める神だ、妖怪に信仰心を芽生えさせるのが並大抵の事でないのは十分承知している。けれど全く異なる境遇に在りながら、信仰心ある妖怪が居る事を知ったものだから驚いたよ。そうしてすぐに興味を抱いた」
風神様はお茶を一口飲み、それからまた続けます。
「ウンやっぱり早苗の淹れてくれたお茶は美味い。今日は私が淹れようと思ったが、任せて正解だった。
まあそれで、諏訪子も同じ気持ちだったのには違い無かった。ただね、ナズーリンと話をしているうちに、あの子の未熟な部分というのも幾つか解った。折角信心深い子だ、異教とはいえ私としても是非あの子には信仰を大切にして貰いたい。そう考えてね、私はあの子に教えてやろうと思ったのだ。
だがね、いかんせん私は守矢神社の顔として、山の神という立場がある。異教徒であるナズーリンを直接諫めるのは山の妖怪達の不信を招く恐れがある。それを見兼ねて諏訪子が手を出してくれたのだ。まあ、あいつは根っからの祟神だからひねくれたやり方だし、少々やり過ぎのきらいはあるがね、それでも間違った事はあまりしない。だから諏訪子の祟りを通じて、それがナズーリンに成長の機会、自省の機会を与える事を期待したのだ」
そうです。私も昨晩、風祝の巫女と話をしていた時には大いに疑問に思いました。何故なら、そもそもの行動原理が変なのです。
それは勿論、ここは幻想郷ですから人格を得た神様は人間みたく行動するかも知れません。けれどそれはあくまで表向き。彼の祟神様が「伝承の洩矢神として」動くのであれば、それは伝承に沿った形として有り得る事でしょう。けれど「滅亡した物部氏に頼られて」動くことは有り得ません。それはかつての人々が感得した心の在り方であり、今の人々に伝わるものではありません。それだけでは祟神様の行動原理になりません。神様とてモノではなく、コトなのです。
……まあ実際のところ、それ自体が虚偽だという事もすぐ気付きましたが。さておき。
「諏訪子様の祟りで、ナズーリンは随分と怯えて帰って来ました。ですが同時に、その祟りに疑問を抱いてもおりましたし、責任も感じておりました。また神様方から諫められたという事もあり、ナズーリンは自身の迷いに気付き始めていました。帰って来た頃のナズーリンの狼狽振りに、始めこそ私も驚かされましたが、よくよく話を聞いてみて、そう私は理解致しました。
早苗様、時に厳しい諫め方というのも迷いある者には必要な事があるのです。諏訪子様はそれを実践して下さったのだと思いますよ。ですからどうか、諏訪子様のお考えも理解して差し上げて下さい。恐らくはナズーリンも、それ程諏訪子様に怒りを感じてはいないはずです」
風神様の言葉を受けて、そう聖は繋ぎました。私は今朝方ナズーリンの状況を知ったので、昨晩あの子がどんな気持ちだったのかはそれ程理解していません。今朝方のナズーリンは何処か責任感のある強い顔をしていました。祟神様の祟りと聖のお説教が余程効いたのでしょう。そうでなければ、あの冷静なナズーリンが私達のためにあんな必死になりはしないでしょうから。立ち直ったナズーリンも頼もしいですが、本当に聖には敵いませんねえ。
「んん、解りました。けれど、それと神奈子様が送った果たし状とは、どう繋がるのでしょう。しかも本文は蚯蚓(みみず)みたいな字面で、諏訪子様の落書きと勘違いしちゃいましたよ私」
「ウフフそりゃあ酷いねえ。まあ確かに諏訪子の書く字は汚いけれども。元々土着神だもの、倭文字(やまともじ)は全般苦手なのさあいつ。まああの本文はね、ナズーリンに内容を読ませたくなかったがための細工と考えてくれれば良い。けれど意外と知識はあるようだったし、ひょっとしてあの子が読めたらいけないと思ったが、ここに来なかったのを見ると狙い通りだったようだ。あの子にはね、後で上文(うわぶみ)だけ伝われば良かったのだ。あれは諏訪子の許へ行かせるための煽り文句さ」
風神様のお考えは、全て手紙に記されていました。驚いた事に、風神様はナズーリンの未熟な部分を、かなり深くまで見通しておいででした。
──ナズーリンは仏道を知識として捉えている。信仰はあるが、明確な形を得ていない。和を以て貴しと為す、その真意に及ばず、口は達者だが心は希薄。それがため慎みに欠け、相弟子や門徒との仲も希薄と見る。
昨晩は諏訪子の祟りを通じて彼女を試したが、彼女の信仰に対する明確な回答は得られず。少々煽り過ぎたが、素直な彼女の事、必ずやその真意に思い至る事と期待する。
言葉に訳すのは容易い。なれど本質の理解とは、識を克服し観心(かんじん)してのみ得られる。それでなお彼女が迷えば、諭してやるのが良い。聡明なる彼女が認める徳高き尼僧殿ならば、彼女も能く能く心に刻む事と思う。
それでなお信仰の何たるかに及ばざれば、妖怪の山山中、大蝦蟇の池に寄こすべし。再び諏訪子の力を貸す。
なんてな事が書かれていた訳です。まあ簡単に言うと、ナズーリンがどうにも勘違いして困るようだったら祟神様がまた叱るよ、と仰って下さったわけです。確かにお節介ですねえ。けれど評価は確かのようでした。ですから私は、ナズーリンを大蝦蟇の池へ向かわせました。
今朝方のナズーリンを見、話を聞く限りにおいては、あの子の迷いは晴れつつあります。けれどあの子は、まだ神様方が諫めて下さった本意にまで到達していないようでした。同様に自身の信仰についても、確固として得ていないようでした。そしてもう一つ、御仏の道に適う聖の信仰の根本義について。そうしてまた私の信仰の根本義について。それも知って欲しいと思い、ナズーリンを送った後に、村紗達を追わせたのでした。
人と妖怪の平等で無差別な世界。それは果たしてどういうものなのか。それを知る切っ掛けになってくれれば嬉しいのです。
手紙はまた、こうも続いていました。途中で面倒になったんですかね、かなりざっかけない表現になっていました。
──手紙を送るのが遅くなったのは申し訳無い。実は昨晩久々に浄土へ行ってね、そこで多聞天と話をした。私は本地仏(ほんじぶつ)として普賢菩薩(ふげんぼさつ)の顔も持っていたから、四天王の一柱である彼とは釈迦三尊(しゃかさんぞん)の立場でちょくちょく顔見知りなのだ。
久々に北倶廬洲(ほっくるしゅう)で一杯やりながらナズーリンの話をしたのだが、まあ莫迦正直で糞真面目だというのだね。何それは決して悪い事ではない。けれど過ぎたるは及ばざるが如しと言う。それでたびたび周りが見えなくなる事を、自分本意になり勝ちな事を彼は心配していた。
彼はナズーリンを監視役として送ったそうだが、目的はそれだけではない。いずれあの子自身得度をして、仏に至る事を望んでいる。ただそれを言葉にして伝えてはいない。それはそうだ、そんな事は自ずと理解すべきだ。まあそれで、人妖の平等を説き、妖怪を彼の弟子とした貴方達の許が適当だろうと、あの子を送ったそうだ。
ナズーリンには、人妖の平等を実現する架け橋となって貰いたい。あの子自身の意思で、それに至って欲しい。私もそれは同じ気持ちでね。願わくば、貴方達もそう思ってくれていれば良いと思う。まして幻想郷ならば、それはきっと叶う事なのだ。もし良ければ一度守矢神社へいらっしゃい。
「──という訳なんです。早苗さん、別に風神様や祟神様はナズーリンを苛めようとした訳じゃないです。傍目にはまあ、少しやり過ぎな感は否めませんし、随分と回りくどいやり方ですけれど」
「……そんな、深いお考えが……」
きらきらとした目で、風祝の巫女は風神様を見つめます。感化され易いですねえこの神様。考えてみれば穴だらけなんですけれど。ナズーリンが本文を読めたりしたら台無しですよ。それに「果たし状」の上文に踊らされて、直接ここに来ちゃったらどうするつもりですか。
そう思い、私は風神様に問い質しました。
「イヤ恐らく読めないだろう事は想像していた。本邦における毘沙門天は、鼠を眷属に持つ謂れは少ないからね。物部氏との戦においても直接関わりは無かったろうし、仮に信貴山あたりに物部氏ゆかりの宝物が奉納されていて、物部文字の書物なりがあったとしても、目にする心配は恐らく無い。あすこには虎の妖怪が居るというし、鼠のあの子が寄付く事も無かろう」
「ああ。それ私の事ですね」
そう。私が阿比留草(あひるくさ)文字、つまり物部文字を読めたのも、当時確かに信貴山に建立された毘沙門堂へ物部氏ゆかりの宝物が奉納されていたからなのです。それは争乱後の略奪物だったようで、ナズーリンと出会う前に失われてしまいました。恐らくは歴史にも残っていません。
「何だ貴方の事か。そりゃちょいと読み違えたねえ。上文を果たし状としたのは、ナズーリン以外の者が見れば不信に思って、まず誰か寺の博識な者に伝えると考えての事だ。そうしてあの子より先に内容を把握しておいて貰えば、あの子が多少の見識を得るのを待って、諏訪子からの果たし状が来た、と知らせてくれるだろうと思って」
「けれど手紙はナズーリンに直接渡りましたよ」
「いやまあ。見ず知らずの妖怪に任せたのがいけなかったかねえ。まあ結果良ければ何とやらだ、仮にナズーリンが何の見識も無しにここへ来ても、全部諏訪子のせいにしてまた別の手を考えれば良いし」
「……そんな、浅い考えで……」
どんよりとした目で、風祝の巫女は風神様を見据えます。本当に感化され易いですねえこの神様。
「じゃあ、諏訪子様はナズさんのためを思って祟っている、と考えて良いのですね。神奈子様も、ナズさんを苛めたくてした訳じゃないって事で良いんですよね」
「そんな事はしないよ。ナズーリンがこの幻想郷で、白蓮と星の許で彼女達の力になれば、その方が我々の益にもなるんだ」
「ん、そう言えば。風神様、その双方の益になる、というのはどういう訳なんですか」
「なに簡単な事さ。あの子が本当の信仰を得られれば、それは妖怪への宣伝に使える。そうすれば私達の信仰集めも楽になるのだ。教義の差異は有れ、いずれ同じ道だからね。ナズーリンを見習って私達を信仰する妖怪も増えてくれるのに違い無いのだ」
呵々大笑する風神様。
……風祝の巫女も、私も、流石の聖も。三者三様にぽかんとして風神様を見るしかありません。何というか、ううん。随分としたたかな神様ですね。
◇◇◇◇◇◇
一輪も、船長も、雲山もその場で悶えている。襲い来る「虫」共を払い除け蹴散らして、それでも全く衰える事の無い攻撃に、恐怖に引き攣った顔で悶えている。
実際にそれは物理的な攻撃ではない。「虫」共はただ遮二無二飛び掛かり、ひっ付くだけである。そうして手足から衣服の内へ這い入り、ぞわぞわと蠢くだけである。それ以外に何をするわけでもない。くすぐったいだけである。
ただそれは精神的な攻撃に他ならない。誰もが持つ原始的な心の在り方、恐怖を喚起し、暴走させる攻撃だ。
私もまた、同様の攻撃を受けている。ただそれは被弾の判定にはならない。一輪達のように「虫」共にまとわり付かれれば、決闘のルウルとして被弾と判定され、この決闘は簡単に勝負が付いたろう。そう、私は「虫」共からの攻撃を受けていない。
目の前の祟神。今私は、それから精神的に追いつめられている。
「スペルカアドを宣言するならするが良い。口ばかりのお前に何が出来るかは知らんが、私のスペルをブレイクさせてみろ。そうすればお前の勝ちだ」
祟神は動かない。じっと私の前に立ったまま、嗜虐的な笑みをたたえて私を見据える。
私とて、ブレイクさせられるものならスペルカアドを宣言する。しかし、残る手持ちは白紙のカアド。この場にふさわしいスペルなど、全く思い浮かばないのだ。
「い、一輪達は関係ないだろうっ、頼むから解放してやってくれ」
「言ったろう、三者の介入をハンディとして認めると。介入の事実は事実だ、今更関係無いなどと覆せると思うか」
じり、と祟神が一歩近付く。ただそれだけで、祟神の影が山一つ分も大きく膨れ上がったように見える。伸し掛かるような恐怖に、私は一歩後ずさる。
こつり、と踵に当たるものがある。蛙が居る。蛇が居る。いつしか、私も「虫」共に囲まれてしまっている。
「逃げるなよ。お前からここへやって来たのだろう。何かしらの答えを得てここへやって来たのだろう。それともただ、私に嬲られに来たのか」
「う、ち、違う私は」
「そうか違うか。ならお前の答えを聞かせろ」
幼子の容姿に目玉を乗せた市女笠の影が、僅かの光をも吸い込んで伸びる。
「──物部の一族がどれ程恨みを抱いたか。どれ程憎しみを抱いたか。鼠、お前に解るか」
それは、私への祟りの原点であった。その時に見た憎悪の瞳に、私は魅せられ、祟られた。
私はまだそれを恐ろしいと感じる。当然だ、それはまだ感得して一日と経っていないのだ、慣れるわけが、いや──慣れる程度の恐怖が、祟りとして成立するわけがない。
恐ろしい。ただもう恐ろしい。
けれど、どんな無茶な相手でも、どんなに怖い思いをしても。
「わ、私には……そんなの、解らない」
「それが答えだと言うか」
「わ、解らないものは仕方無いじゃないか。だから、その、その問いの答えは、解らない。けれどただ、解る事もあるっ」
「ふうん。言え」
変わらず私を見つめる祟神に、生唾を飲む。厭な汗が止まらない。少しでも動けば、化け物に食われてしまうのだと思う。それでも、私は。
「……っその、彼らは、彼らの信仰があって、それを貫いたんだろう。結果それで滅んでしまって、恨みも、憎しみも抱いたのかも、知れない。けれど、後悔はしたのかい。ひたむきに信仰し、最期まで信念を貫いたのなら、後悔などしないはずだっ。……わ、私だってね、私の信仰を得たんだ。私だってそれに、ひたむきに生きるんだっ。もう迷いも無い偽りも無い悔いも無い、私は皆と共に道を歩むんだっ」
それでも私は口早に、そう言い切った。全く支離滅裂だ。およそ答えになっていない。けれど、そんな事は問題じゃない。
「わた、私だって、皆が好きなんだっ、皆愛しているんだっ」
「……ぷっ……あはははははははっ、あはははははははっ」
突然爆笑する祟神──え、あれ。私は何か変な事を口走っただろうか。
「転覆・道連れアンカーっ」
「拳符・天網サンドバックっ」
どかんどかんと土煙を上げて、一輪と船長が私の方へ飛び込んで来る。祟神の気が油断したものか、包囲網が緩んだ隙を突いてうまく逃げ出せたらしい。
……えっ。じゃあこの祟神、本気で腹を抱えて笑っているのか。
「ひえええ気持ち悪いっ。蛇だの蛙だの可愛いんだけど、これだけ居ると流石に引くわ。ちょっと鼠、これ何とかしてよっ、ほら鼠の眷属で食べちゃうとかさ」
「昔はよう焼いて食ったりもしたが、これが祟りってものかね。もう生臭は止して供養したのだがなあ。そらナズーリン、お前が頼りだ何とかせい。私達は大振りの攻撃ばかりだから的が小さいとよう当たらんのだ」
意外と、余裕がある。どういう事なの……あんなに「虫」共に囚われたら、いずれ発狂しかねないと思うのだが。
「な、え、いやあの、君達何でそんなにぴんぴんしているんだい」
「何でって。何あんた、あれ怖いの」
「いや……普通怖がるもんじゃなかろうか」
そう言うと、船長は目頭を手で覆って高笑いした。いや何その反応おかしいだろう。一輪も何とか言ってくれないかと見ると、ぽかんとして私を見るばかりである。
……何が何だかさっぱり解らない。むしろ何だか私が間違っているような気がしてくるのだが。
「あははははははは。莫迦。鼠あんたね、一体私達を何だと思ってんの」
「いや、何だって、それは妖怪……」
「……ああ、そういう事。はあ……ナズーリン、お前は本当に真面目というか素直というか……まあずうっと地上におったのだ、人の心により近しくなるのは仕方無いのか知れんが。けれどお前は人間ではない、妖怪だろう。妖怪とは何だ」
「え、よ、妖怪とは……」
妖怪とは、怪しく妖(あや)しいコトである。民間信仰において、人間の理解を超える奇っ怪で異常な現象、またはそれを引き起こす何かだ。それは現象の形を取るが、肝要なのはそこではない。心あるモノが感得するコトで、妖怪は生じる。妖怪とはそうしたコトなのである。つまり。
「……ああっ」
「何、ああって。え、何本当に怖がってたのあんた。あははははは。莫迦」
「船長、そんな笑ってはナズーリンに悪かろう。私達はナズーリンと違って久しく人のおらん地底で暮らしておったのだ、少しばかり妖怪寄りの考えが強いだけで、立場が違えば同じ感情が芽生えたかも知れん」
「あははははははは。だ、だってさあ。妖怪が人間みたく怖がるなんてさあ」
「船長はむしろ妖怪寄り過ぎていかん。……しかしまあ、情け無い。妖怪が神様に祟られたなんて言うから、私はまた余程手の込んだ破魔の御祓いでもされているのかと心配したのに。よもや本当の祟りとは思わなんだ」
成程確かに私が間違っていたのだ。妖怪として、祟りに怯えるというのがそもそもおかしいのだ。何故なら妖怪こそそうした心の闇を突く現象なのだから。
そしてまた、ここに来てご主人様のした二つの質問の意図が突然理解に及んだ。あれはつまり私への注意喚起だったのだ。私は確かに毘沙門天様の眷属として、御仏の道を歩む。けれど私の本質は妖怪だ。そこを忘れてはいけなかったのだ。妖怪たる私がそこを忘れては何事も立ち行かないのだ。
「……んな、な、な」
「あははははははっ。ああ可笑しかった。とうとう最後まで気付かないなんて思わなかったよ鼠。少々買い被り過ぎたかねえ、いまいち知識も疎いみたいだし」
「な──き、君、諏訪子さんも私を莫迦にしていたのかいっ」
流石に自分が恥ずかし過ぎる。昨日からの私の抱えた恐怖は、一体何だったのか。まるで鏡に映る自分の姿に驚いていたようなものだ。
「何そう莫迦にしてただけじゃないよ。祟りをしてみせたのは本当さ。お前は本当に祟られた、それはお前の未熟な部分なのに他ならない。お前はね、そこの娘が言うように、本当に真面目で素直だ。けれどそれも過ぎれば周りが見えなくなる。自分の心を本位にして、こうした単純な間違いにも気付けなくなるのさ。自身で気付くまで待とうと思ったんだけどね、イヤあまり必死に可愛い事を言うからつい笑っちゃった。御免御免」
かあと顔が熱くなる。あうあうとしか口も動かず、自分の思いを言葉にする事が出来ない。もっとも今の自分の思いなど、言葉にするには全く色々な感情が渦巻いて何の形にもならないが。
「さあしかし、弾幕ごっこは終わっちゃいないよ。これは祟りで繋がる私とお前との決闘だ。このスペルをブレイクさせて、すっきりと祟りを落としてみせなよ。あと一枚、お前もスペルカアドを持っているだろう。出してみな」
「おおそうなの。よし行け鼠、あんな餓鬼んちょ噛み返してやれ。愛の力だ愛の力」
「きっ、君ね、莫迦にするのは好い加減にしてくれないかっ」
こんな状況でまだ続けるなんて、良い恥晒しだ。大概は私の勘違いが悪いが、それにしても酷過ぎる。そうしてもうこんな奴ら放って帰ってしまおうかと考えていると。
一輪が、真剣な眼差しを向けて妙な事を言った。
「……祟神殿。済まんが今少し、弾幕勝負を待っては貰えんか」
「ん。まあ種は割れちゃったし、良いよ。あんた達はちゃんと妖怪の本分を弁えている、少し鼠を諭してやりなよ」
「かたじけない。なあナズーリン、私は別にお前の事を莫迦にはせんよ。そりゃ少しは情け無く思うが、間違いなど誰にもある。私達だってたびたび間違いをする。けれどそれは決して恥じる事ではない。いや、恥じてはいかんと思う。間違いは迷いが生むのだ。それはしっかりと受け入れて、見つめ直すべきものだ」
「……ん、うん」
先刻の今だ、そんな事考えられるものでもない。それより放っておいてくれないものか。私は今、深い自己嫌悪に陥っているのだ──
「ぶすたれる気も解るが、見つめ直さねばいかん。恐らくこれは星がお前に、暗に伝えようとした事に違い無い」
「──え。ご、ご主人様が何か言っていたのかい」
「何も言いはしないよ。けれど星が無駄に私達をここへやるとは思えん。本当にお前が危険なら、星は自分でここへ来る」
それは、確かにそうかも知れない。ご主人様は、私の力になってくれると言った。私を受け入れてくれると言った。私を大切な家族だと言ってくれた。どじで寝坊助だけれど、それだけは決して間違いの無い、ご主人様の真実だった。
ご主人様は私の置かれた状況を把握していた。それだのにご主人様自身がここへ来るのではなく一輪達を寄こしたのには、何か意味があるのだ。
「考えるのじゃあない。己の本質を見つめ直せ。そのうえで、私達の目指すべき先を見つめる事だ。和を以て貴しと為すとは何か。人間と妖怪の、平等で無差別な世とは何か。そうすれば自ずと本質が見えてくる」
「う、うん」
一輪に見透かされた気がした。けれどそう言われても、考えてみれば解らない事ばかりで──考えている。私は少し考え過ぎるのかも知れない。見つめるのだ、己を。そうして私達の目指すべき先を。
私は、妖怪だ。妖怪は人を驚かすものだ。そうして人は妖怪を退治するものだ。そんな私達妖怪が、人妖の平等を目指すというのはどういう事か。
そもそも和とは何か。多くそれは、穏やかで仲の良い関係と言われる。しかし御仏の教えにおいて、本当にそうした意味だろうか。平等で無差別な世とは、仲良しである事と同義だろうか。
そうではない。和とは調和だ。均衡し、矛盾なく、まとまる事だ。和を以て貴しと為さば、全は一、それ即ち仏なり。私達の目指す先は、そういう世なのだ。人間が妖怪に歩み寄る世ではない。妖怪が人間に歩み寄る世でもない。そんなものは平等でも無差別でもない、妥協であり、仲良しごっこだ。
人間は人間であるように、私達妖怪は妖怪である本質を見失ってははならない、ということだ。それは各々の信仰の根本義の核となる部分だ。そうしてそれを平等に、無差別に認めたうえでの調和だ。
──何という事だろう。そんな世など、見た事も聞いた事も無い。私は御仏の教えにおいて、衆生が皆成仏するごとく妖怪もそう成り、それを以て平等、無差別なのだと思っていた。それはある意味で正しいが、厳密には違う。
御仏とは、神様と同じく信仰する者の心が意味付けをしたものだ。しかしそんな形無き曖昧なものに成る事など出来はしない。ならば成仏の本義とは、仏性の顕現。彼女達にとっての仏性とは、すなわち。
聖の、ご主人様の、皆の目指す先が、それだというのか。何という途方も無い道だろう。何という、貴い道だろう。
「見えたかね。それは気の遠くなるような道程だろう。それは到達すら及ばぬような道程だろう。私達妖怪とて、いつ果てるか解らぬ身。その果て無き道を、どれだけ歩めるものかは知らん。星だって、姐さんだって知る由も無かろう。だが私達は歩むのだ。時に間違い、時に迷って、それでも歩むのだ。一歩進めば、それだけ仏性に近付く事を信じ、己が心の在り方に道を仰いで歩むのだ」
忘我し、一輪を見つめる。その瞳に迷いは無い。雲山も、船長も。まるで迷いを知らず、一心に歩む者の瞳をしている。
「ナズーリン、お前も一緒だ。衆生の信仰する毘沙門天様の信徒として、けれど先ず妖怪として。だから一緒に船へ戻ろう。まずはこの場をすっきり決着させてしまえ。ひとつ妖怪の本質というのを見せてやるが良い」
「……はは。あっはははははは。いや、何と言うか……うん。私は先ず妖怪だったね、危うく忘れるところだったよ。なら相手を大いに驚かせてやらなければ、妖怪の理に反するというものだ──なあ諏訪子さん。君にも随分と色々教えて貰った。正直腹は立ったけれど、でもそれを含めて色々と学んだよ。このスペルカアドはね、新作だ。これを以て返礼とさせて頂くよ」
そうして私は、白紙のスペルカアドを手に持つ。こんな無茶苦茶な展開になろうとは思いもしなかったけれど。いや、ある意味こんな事になったからこそ。
一つ、とっておきのスペルカアドを思い付いたのだ。
「ふふん、随分と強気だね。私のスペルをどうブレイクさせるのかねえ。まあせいぜいやってみせなよ鼠」
「残念だが、鼠を甘く見ると死ぬよ」
そのまま私は、白紙のスペルカアドを高く掲げて、宣言する。
「鼠符・大唐西域(だいとうさいいき)の白鼠っ」
◇◇◇◇◇◇
「ありゃあお前、ルウル違反だよ。まあ済んだ事だから良いけどさあ」
「いや申し訳無い、とっさの事だったからつい」
私は守矢神社の母屋の縁側に座り、諏訪子と二人で先程の決闘の話をしていた。
守矢神社の母屋にて、大広間を開放しての宴会。といってもごく内輪のもので、私達聖輦船の皆と守矢神社の三柱だけの、言わば懇親会的なものである。
大蝦蟇の池での決闘後、私と一輪と船長は気絶した諏訪子を担いで守矢神社へと雪崩れ込んだ。そこには守矢神社の残る二柱だけでなく、何故かご主人様と聖も居た。そうして神奈子がぽんと手を打って唐突に、宴会をしよう、と言い出したのだ。
気絶した諏訪子は介抱される事も無く、神奈子が足をひっ掴んで庭にある小さな池へ放り込み、無理矢理息を吹き返させた。何という酷い扱い。当然諏訪子は怒ったが、神奈子は宴会しようの一点張りで諏訪子の怒りを鎮めたのである。何という無茶苦茶。
宴も落ち着いた頃、私は少し風に当たりたくて縁側へ出た。まだ夕暮れ時である。酉(とり)の方は夕焼けに紅く燃え、山から見渡せる全てを黄昏に染める。季節はまだ春先。残雪は山ばかりでなく、里の方にもちらほらと残り、時折きらきらと朱に輝く。これから徐々に日が長くなる。春の訪れだ。一輪達は地底から戻って来た。聖も法界から解放された。長く苦しい冬はもう、終わったのだ。
そう考えながら休んでいたところへ諏訪子が来て、現在に至る。
「いや実際凄かった。鼠があんなに強いとは思わなかったねえ。大小様々の鼠があれだけ集うと実に壮観だ。御山が丸裸になるまで食い荒らされるかと思った。私はまだ体の節々が痛むよ」
「済まなかった。この通り。まあまあ一献。だからどうか、もうその話は止してくれないか。あれは完全に私の失敗だった。反省している。もう絶対やらない」
「当たり前だよ。まあせいぜい精進する事だね。見た目の華は無いけど使いこなせたらなかなか面白いスペルだよ、あれ」
「んん、精進する」
そう言い、諏訪子は私の注いだ酒を実に美味そうにごくごくと飲んだ。
決闘は、諏訪子のスペルをブレイクさせる事で決着した。けれどそれは私の勝利ではなく、無効に終わったのである。
私は二つの失敗を冒した。一つはルウル違反、もう一つはスペルの暴走。ルウル違反の理由は簡単だ。私の宣言したスペルカアドは全くの白紙であった。技名を契約書形式で記していなかったからスペルカアド・ルウルに反していたのである。仕方が無かったとはいえ、ルウルはルウルだ。それよりも問題はスペルの暴走であった。
スペル自体は命名の通りである。かつて唐の時代、私は毘沙門天様の眷属として幾つかの国を救ったことがある。多くは信仰篤い国を護るため、眷属である白頭の鼠の大群を侵略国に送り込み、武具を全て破壊したのだ。その戦術の要は、相手の武力を削ぐ事にあった。件の決闘においてそれは、直接スペル・ブレイクに繋がる。「白紙の」カアドを見て私はその時の戦術を思い出し、とっさにスペルとして組み込んだのだ。
仕組みは単純だ。私は久々に眷属の鼠を呼び、彼女の「虫」共を捕食するよう命じたのである。腹を空かせた眷属は蛙だろうと蛇だろうとお構い無しに飛び掛かって捕食した。但しそこはあくまで弾幕勝負である、一匹につき一つの「虫」だけを捕食させ、後は進行方向そのままに突撃を命じた。つまり弾幕を追尾する弾幕として仕組み、動きに多少の複雑性を持たせたのである。捕食対象が諏訪子に近ければ狙ったように彼女を襲い、遠ければ流れ弾として彼女を攪乱させるのだ。
果たして目論見は成功し、場内にある諏訪子の「虫」共は次々と捕食され、複雑に動き回る鼠に彼女を翻弄させる事が出来た。彼女が弾幕を張ろうにも、発生直後を狙う鼠で一網打尽にされるので容易に展開できない。そうして徐々に戦力を削ぎ、ついに場内の「虫」共を捕食し尽くしてスペル・ブレイクとなったのである。
だが、それで私のスペルは止まらなかった。スペル発動を止めてもなお、眷属はぞろぞろと私の許に集ったのである。そうして今度はそこいらの木や草をぼりぼりとやり始めた。幾ら止めても聞きやしない。終いには眷属ですら無い鼠ものこのこ現れて、大暴れに暴れ出した。完全なるスペルの暴走である。
私は懸命に命令を下したが、鼠の勢いは増すばかりであった。一輪も雲山も船長も追い払おうと努めたが、焼け石に水であった。栗鼠(りす)だの山根がのこのこやって来る分には構わない。海狸(ビーバー)だの水豚(カピバラ)は割と本気で止して欲しい。まさか樹齢数百年の大木を四半刻掛けず齧り倒すとは思わなかった。確認してはいないが池の畔にあった小さな祠などもう跡形も無かろう。ヌシの大蝦蟇には大変申し訳無い事をした。後で直しておこうと思う。
それにしても人を呪わば穴二つと言おうか、諏訪子などは見ていて全く悲惨であった。まず野衾(のぶすま)が来て諏訪子を窒息させた。彼女はじたじたと動き、木に側頭を撲つけてひっくり返った。ところへ山あらしが大挙して踏み付けて行った。山あらしは巨体なうえ全身に棘がある。踏まれるととても痛そうである。彼女は、きゃあああと悲痛な叫びを上げたのち沈黙した。
成程、野衾も山あらしも、元ねたは鼠目(ねずみもく)の生物であったろうがこれはいささか酷い解釈である。流石は妖怪の山である。さておき。
結局その騒動は、白紙のスペルカアドによるルウル違反の宣言が原因であった。スペルカアドは、宣言する名前こそが重要である。よってそれは言霊となり、カアドは言霊を宿す依代でもあったのだ。言霊に長けた者であれば、言の葉に乗せるだけで発動させる事も容易かも知れない。しかし私にそこまでの力は無い。結果、依代の無いスペルは決闘後も発動し続けたわけである。一輪がそれに気付いて指摘したので、私は慌てて正式なスペルカアドとして作成、これを破ってスペル・ブレイクとし収束した。
「っかあ美味い。真面目に神様やった後の一杯はたまらないねえ。実にすっとして腹に沁みるよ。この一杯の為に在るって感じだね私は」
「君いささか親父臭いよ。それに一杯って、もう四度は繰り返したよ。幾ら神様だって飲み過ぎは良く無い。体が心配だ」
「ははあ、諫め方が柔らかくなったねえ。昨日みたく仏性がどうだとは言わないのかい」
「止してくれったら。これでも私だって反省はする。それとも私の蘊蓄を聞きたいのかい。良ければ知識として語って差し上げるが」
「あははははは。蘊蓄、知識ときたね。実に良い。お前は変わったねえ。もう鼠と呼んじゃ申し訳ないね。ちゃんと名前で、ナズーリンと呼ぼう」
「……はは。何だね少しその、嬉しいけれど気恥ずかしいね」
そう、話は戻るが宴会である。宴会であるから食い物も出るし、飲み物も出る。有難い事に食い物の方は、神奈子が私達の立場を考えて菜食や乳製品中心にしてくれた。私はチイズを幾つか貰って、もぐもぐやっている。エマンタルという高級品らしい。味は淡白だがぐっと弾力のある歯応えでなかなか好みだ。何よりその芳香が秋の木の実を思わせて良い。
で、飲み物であるが宴会と言えば決まっている。般若湯だ。酒だって、何言っているんだい私達仏弟子がそんな物を頂く訳が無いじゃあないか。これはね、般若湯だ。良いかい般若湯なのだ。
何て戯言はさておき、実のところ私達が酒を飲むのは別に悪い事でも何でもない。不飲酒戒などと言うが、それは出家者ではなく在家者に宛てられた戒めである。出家者の飲酒は特に問題無い。得度をすればそれだけで迷い少なく、多少の事で堕落などしないからだ。酒に三十五の過失有りと言うが、要はそんなものを撥ね付ける精神が修養されていれば良いのである。
見よ、私達聖輦船の皆の精神力を。聖はまるで水のように、飲んでも飲んでもまるで変わらない。肝臓を強化しているらしい。少し狡い気がする。ご主人様は……見なかった事にしようかな。うん私は何も見なかった。一輪は真面目だ、彼女は聖の教えを受けているからとても静かに、ええと、聖の膝枕で寝息を立てているね。まああれだ、早苗も神奈子の膝枕で寝ているからおあいこだ。雲山は雲散霧消。
「あはっはっはぁ。ひく。こら鼠、あんた飲んでるのオ。駄目よウそんなじゃあ。偉ァい毘沙門天様に叱られッちゃうんだからア」
船長はむしろ妖怪寄り過ぎていけない。船にも酔えば酒にも酔う。節度という言葉を知らないのである。だから他人様に向けて錨なんか投げるのだと思う。
「いやあ楽しんでくれているようだね船長さん。今日は無礼講だ、沢山楽しんで行くと良いよ。お前のアンカもなかなか面白いスペルだったよ、うん。また遊びたいねえ」
「ああ。あら。見所あるじゃァん諏訪ちゃんたら。よっし乾杯ィ」
互いに肩を組んで飲むわ飲むわ。呆れて物も言えない。出家者の飲酒の悪い見本である。
とはいえ私ももう猪口に二杯は頂き、いささか体が熱い。元が鼠であるから新陳代謝も早く、すぐに酒の回る質なのだ。これ以上飲んでしまえばご主人様や船長の二の舞である。流石にそんな醜態は晒せないので、少し胸元を扇いで涼を得る事にした。
と、胸元のポッケットから、何かががさりと落ちた。果たし状である。それを見て私は、入道雲の湧き立つごとく、むくむくと色々な疑問が湧くのを感じた。
「なあ諏訪子さん、幾つか疑問があるのだが聞いて良いかな」
「おん、何さ」
「君が私を諫めてくれたのは、先の決闘で良く解ったつもりで居るよ。けれどどうも解せない事が多くてね。まずこの果たし状だ。これは君が私を呼ぶためのものなのだろうけれど、何だってこんな読めない文字で書いたんだい」
「果たし状って何だい」
「これだよ、わざわざ君が送り付けたんだろう。早苗さんがこれを諏訪子さんの字だって断定してくれたよ。けれど内容が読めないから、私はご主人様に頼んで読んで貰って、大蝦蟇の池に行けたんだ。こんな回りくどい事をした意味が解らないよ」
そう言って、手紙を諏訪子に渡す。諏訪子はじろじろとそれを眺めて、眉根を寄せた。
「んん……知らないよこんなの。大体これは神奈子の字だ私のじゃあない」
「え。……いやいや、君の字だろうそれ。こう言うと早苗さんに悪いが、その蚯蚓(みみず)の寝そべったような字は諏訪子さんのだから読めないって……」
「早苗がそう言ったかい。酷いなあ。そりゃ私自身字が下手なの認めるけどさあ、いくら何でも読めない字なんて書きやしないよ。大体ナズーリンの話は矛盾してやしないか。果たし状って文言は読めるじゃない。それにお前の主人に内容も読んで貰ったんだろう、読める字なんじゃないか。何が汚い字なものか」
成程、よくよく考えてみればそうなのである。ご主人様は確かにそれを物部文字と断定し、非常に綺麗な字とまで言ったのだ。早苗はそんな文字など知らなくて、字面だけ掴まえて断定したのかも知れない。つまり私の勘違い──いや、勘違いでは無い。ご主人様に、仕向けられたのだ。
少しご主人様を憎らしく思う。とはいえ、終わってみればそれは、私の信仰に確固たる形を与える切っ掛けとなった。また私達の進む道を、私自身の精神的経験として伝える事にもなったのだ。決して悪戯に、考え無しに仕向けられた事では無い。何処までがご主人様の本意に沿ったものかは解らないが、いずれそうした考えあっての事なのに違い無いのだ。
「ううん……しかしそうすると、ますます解らない。では何故神奈子さんが私に果たし状なんて送るんだい」
「そんな事は神奈子に聞きなよ。大体私は私の思うように祟るつもりでいたんだ。言ったろう、もう少し待ってれば私から祟りに行くつもりだったって」
「そういえば、そんな事を、言っていた、ような気がする」
確かに私は諏訪子に祟られていた。それは徹頭徹尾、一貫した祟りであった。現に私は早苗の表情に祟神としての諏訪子を感得したし、自身の本質に立ち返るまでずっとその影に恐怖を抱いていた。聖の説教の御陰で多少の見識は付いたが、それでもなお諏訪子の祟りは本物だったのである。それだのに、果たし状なんて莫迦げたものを送り付ける必要など無い。
つまり最初からそれは「まやかし」だったのだ。私は私の勝手な思い込みで祟りに怯え、必死の思いでその意味を理解しようとし、また自分の誤ちに気付いて、信仰を得るに至った。それらは全て、そうなるよう仕組まれた事だったのだろう。恐らくはこの果たし状によって、神奈子という風神様に。
「……はは、は。いや、実に参った……諏訪子さん。神様というのは、実に有難いものだね」
「うん、そうかね。まあお前が何を感得したかは知らんけど。崇拝するなら存分に崇拝するが良いよ」
「イヤ遠慮しておくよ。畏れ多すぎて適わない。けれどそうすると、ある意味諏訪子さんも神奈子さんに踊らされた、という事になるのか」
「そうだよ。全く神奈子がいけないのさ。あいつ本当に厭な奴だ。折角私が一晩かけて新しい祟り技を編み出したってのに、台無しだ」
「祟り技って、もしかして聖輦船から逃げて行った白蛇の事かい。それにしては何もせず逃げてしまったようだが」
「ああ気付いたのあれ。あれはそうじゃあないよ、単なる偵察兼調査隊。元々早苗を向かわせた理由からして調査目的だったのだけれど、あの子はどうも夢見勝ちで碌な調査結果を出しそうに無かったからねえ。けれど御陰で宝船より良い物が見つかった」
にっこりと、無邪気な笑みで私を見る諏訪子。その表情は、祟神のそれでは無い。純粋に私達を受け入れてくれる、そうした爽やかな顔であった。
「けれどまだ謎は残ってるんだよねえ。未確認飛行物体とか。それはともかく、私の祟り技ってのはこれ」
そうして諏訪子は、何かを小袖から取り出して口に付け、ぷうと膨らませる。何だと思って見てみると、三割大の諏訪子風船である……いや本当、何だこれ。
「何だこれ」
「素直だねお前は。思った事口にしたろう。これはね、まあまだ名前は決めていないのだけれど、妖怪型自動操作人形なのさ。蛙の吹く泡で作った試作品でね、瓦斯(ガス)の量でふわふわと勝手に動く。こいつをもっと丈夫にして等身大にして、沢山作ってお前の所に送ろうと思ってたんだ。きっと吃驚するだろうと思って」
何だそれ。
「あは、何これ諏訪ちゃん。ひく。あははははは。面白い。これ面白いねエ。突っつくとふわふわするねェ」
とんとん突っついて遊ぶ船長。完全に出来上がっている、こうなれば箸が転んでも可笑しかろう。
「面白いだろ。物が小さいから、取り敢えず内側に炭酸ソオダを仕込んでみたんだ。適当に振れば瓦斯が出て何も考えないような動きをする。どうだい不気味な動きをするだろう」
「あははははは。くっだらないねェ。不気味ってより滑稽だねコレ。ひく。こんなんに祟られちゃァ笑い過ぎでお腹破れて死ンじゃう」
「んん、そうかなあ。いずれ量産化して簡単祟りグッズにして信仰集めをしようと思ったんだけれど」
「ひく。あははははは。そりゃ駄目だい、売り方が上手くないよゥ……ウンそうだ。ねえ諏訪ちゃん、これもっともっと大きなのこさえてさあ、広告気球にしたらどうよ。んでね、地底から吹いてる蒸気を使って動かすの。ひく。んふふ、面白可笑しいよォ。そっちの方がスッゴイ不気味だよォきっと」
「おお。そりゃあ面白そうだ。ウンよし簡単祟りグッズは止そう。そうだなあ河童にも手伝わせて、うんと大きいのを拵えようか。山の宣伝にもなりそうだ、こりゃ良い案だね」
「いや、あの」
何だか勝手に盛り上がっていらっしゃる。まあそんなのは勝手にするが良いが、まだ私の疑問は済んでいないのだ。
「何だいナズーリン。やっぱり崇拝する気になったかい。そら存分に崇拝するが良い」
「イヤもう絶対に遠慮しておく。いくら何だって、そんな風船の玩具が祟りになるものか」
「ふふん、そう思うかい。それはお前浅はかというものさ。大体ね、お前は祟りってものを解っちゃあいない。一体祟りを何だと思っている」
「何って。それは……恨みを持つ者がこう、恨む相手に良くない気持ちで念じて……」
「ふふふ。それから何」
「うん、それから……ううん」
そう言われて黙る。元来祟りとはどういう物なのか、そう問われると私は答えを知らない。けれど諏訪子は私を祟ったと言った。そして私が恐怖を感じたのは確かな事である。ただそれは、私がそう感じただけであった。その間、諏訪子は何もしていない。それはつまりどういう事だと言えるのだろう。考えてみれば、それは本体が無いからまるで説明の付かない事象なのだ。
「そら解っちゃいない。良いかい、祟りのそもそもは立たるる事。良くご先祖様が枕元に立つと言うだろう、あれだよ。ミシャグジ様の祟りもそう、ただ人々の側に立ち、見ているんだ」
「いや、しかしだね。昔の書物を紐解けば祟りで殺される話なんかは幾らでも」
「ウン祟りで死ぬ話は数多ある。事実、祟りは人を殺す事もあるよ。けれどね、それは一体誰が殺すと思う」
「祟った者じゃあ、ないのかい」
「ないない。勝手に祟られたと思い込んで、勝手に死ぬのさ。心というものは脆く儚いようで、実は何よりも強い。だがねそれは外的な強さじゃあない、内的な強さだ。殺されると思い込めば、恐怖に蝕まれて過剰に身を守ろうとする。心の休まる暇が無いから、体も休まる暇が無い。そうして衰弱して死ぬのさ。逆にそんなもの何とも思わなければ、祟りなんて成立しない。幽霊の正体見たり枯尾花、と言うだろう。それと同じ事さ」
祟りとは、祟る側が何かしら物質的な行動を起こして実現するものではない。ただ何かちょっとした切っ掛けを与える事で、祟られる側が勝手に判断し記憶して、行動するもの。
祟られる側が恐怖に駆られれば、何を見たって「祟られた」と思うのだ。それは枯尾花しかり、白蛇しかり。成程風船の玩具にさえ、ともすればそうした思いを抱くのかも知れない。
「……思い込みだって言うのかい」
「そうだよ。祟りというのはそういうもの。祟神はね、人々の側に立ち、見ている。ただそれだけだ。それに何を感得し、どう解釈するかは人々の側という事だ。吉兆も凶兆も、全て勝手な思い込みさ」
「じゃあ、君が私を祟ったのは……昨日の夕刻の時だけだった、という事なのかい」
「だから語源を知っているか、と問うたのに。それから先はお前の勉強不足が祟ったというだけ。まだまだ未熟者だねえ」
「な……何なんだよ、それはぁ……」
からからと笑い、また酒を呷る諏訪子。何て事だ。本当に私は未熟だった。それは確かに、神奈子にも諏訪子にも見抜かれ、諫められるわけである。
逆に考えれば、本当にこの神様達は私の事を心配して諫めてくれたのだ。全くお節介な神様達。そんな事をして益になる事があると私には思えない。勿論世の中、利得尽くめで行動するばかりが全てではないとは思う。けれど、それにしたって出会って間も無い私に対し、そんなにも諫言してくれたのはどういう訳なんだろう。大いなる謎は、そこだ。
「けれど諏訪子さん、君が私を祟ったのは事実だ。かつての宗教戦争を今に持ち出したくらいだ、私に恨みを抱いているのは変わらないのじゃあないのかい」
そうして私は、少し迂遠な問い掛けで諏訪子の本意を暴くことにした。少しばかりの意地悪を含んで。それくらいは許して欲しい、勘違いとはいえ私だって怖い思いをしたのだ。いくらそうして諫めてくれたとはいえ、私にも多少は怒る権利くらいあると思う。
これで諏訪子が肯定すれば、私も多少は顔が立つ。やはり諏訪子の祟りは私の思うように、恨みつらみの想念だろうと指摘出来る。そうして少しだけ文句を言って、けれど素直に感謝を述べて、それでようやくすっきり解決出来ると思って。
けれど諏訪子の答えは、全く私の想像を越えるものであった。
「ああそれ。別に。そもそも私にゃ関係無い話だし、目的はそこに無かったからねえ」
「か、関係無いって。君それは少し酷くないかい。仮にも洩矢神を頼った者達の話だろう。立場上私が言うのも変な話だが、それでは彼らが報われない」
「関係無いってば……あ、そういう事。道理でお前決闘で問い掛けた時に滅茶苦茶な答えをすると思った。ナズーリン、お前思ったより物知らずだね」
「わ、悪かったね。それは確かに、祟りを誤解していたのは私だが」
「違う違う、昨日の話を真に受け過ぎだって事。んもう、これも私が説明しなくちゃいけないの、面倒だなあ。お前誰かに相談しなかったの」
「いや、それはその……」
関係無いとはどういう事だろう。真に受け過ぎとは何の事だろう。まるで理解が追い付かない。それに何だか私の想像していた話の流れとも異なり、いささか雲行きが怪しい。何だか随分と莫迦な質問をしたような気にもなる。
取り敢えず今は諏訪子の問い掛けに正直に答え、話を聞くより他に仕様が無い。
「正直に言うよ。私は昨晩まで、本当に思い上がっていたんだ。一緒に居た皆の事を、少なからず莫迦にしてもいた。聖には相談した。それで私は、ようやく自分の愚かさに気付いたんだ」
「ふうん。……でもまあ、妖怪ながらそこに気付けば大したもんか。良いよ、昨日の今日でここまで己を見つめ直したんだ、お前への祟りを完全に鎮めてやる。けれどこれ一回きり。私の好意だかんね」
「う、うん」
「良いかい、昨日の話にゃ一つ大嘘を仕込んだのさ。そこがお前への祟りの味噌。それだけで私がお前を祟った、という事実を作り上げたの。それに気付けば、お前は祟られやしなかった」
昨日の夕刻に受けた祟りの「切っ掛け」。そこに大嘘があると言う。
そんなはずは無い。丁未(ていび)の乱は確かに歴史上の出来事だ。それが切っ掛けで本邦に御仏の教えが広まった事も事実だ。物部氏は、確かに蘇我氏に討たれた。毘沙門天様の加護を受けた厩戸王(うまやどのおう)の軍勢に攻略され、物部守屋が迹見赤檮(とみのいちい)に射落とされたのは史実のはずである。
「大嘘……いや、しかし私は毘沙門天様からも、同様の話を教えられたよ。その話と大きな違いは無かったと思うが」
「まあそうだろうね。多聞天に言わせても、話の流れは大体同じだろう。だから大嘘はそこじゃあない。もっと根底の部分に大嘘を仕込んだ」
「根底の……んん、済まない、さっぱり話が見えない」
「鈍いなあ。まあ知らないものは仕方無いかね。だからさ、私がお前を祟る、その理由を大嘘で作り上げたの。物部氏が私を頼ったというのが大嘘」
それはとんでもない大嘘だ。本当に根底の部分じゃあないか。
「な……いや、いやいやいやいや。そんな、だって。守屋山には確かに彼の大連(おおむらじ)を祀る神社があって」
「ああそうさ、確かにあるよ。物部の大連を祀る神社だ。私やミシャグジ様を祀る神社じゃあない」
「……………………ええっ」
「驚く事じゃ無いよ。名前からしてそうじゃあないか、あすこは物部守屋神社と言うんだ。それにそもそも、彼等の主祭神はちゃんと別にある。布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)、霊剣さ。そうでなくとも彼等は軍事を司っていたのに、ミシャグジ様を祀る理由は無いよ。ミシャグジ様は自然神、軍事なんていう人間臭い事業になど関わるものかい」
本当に全く関係が無かった。恨みつらみどころの話ではない。
「え、あの、いや、だって……こ、根本的な部分じゃあないかっ」
「だからそう言ってるじゃない。第一、物部氏は名を変えて現代まで子孫を残しているよ。物部氏としては滅んでしまったというだけの事。ほらね、私とは別に関係無い話だろ」
「な、そうだけどっ……正直もう、何を信用して良いのやらさっぱりで頭が痛いよっ。だ、大体そんな大法螺を吹いて、一体何の目的で」
「おい一回きりと言ったろう、もう終いだよ。それとも何か。お前は、それ以上の事を私に言わせる程の大莫迦者なのか」
「あ……」
そう。私はつい昨日まで思い上がっていた。智慧も無ければ覚悟も無く、だのに御仏の道の何たるかを口先ばかりで語っていた。それを諏訪子は諫めてくれたのだ。
だからそれは、単純に大嘘と切って捨てるものではない。言うなれば問答であった。諏訪子はそうして私の智慧を試し、覚悟への道を示してくれたのだ。
「……その。有難う。ようやく、君の諫めてくれた事が解った。祟りも、すっかり晴れた。それ以上の事も得られた。感謝してもし切れないくらいだ。……けれどもし叶うなら、一つだけ答えて欲しい。っその、君達は何故、私を諫めてくれたのかな」
ここに至り、私は諏訪子に尊敬の念を抱いた。怒る権利など、最初から有るものか。本意を暴くなど、それこそ魔境の極だ。諏訪子は智慧もある。覚悟もある。私に無いものを、全て持っている。神様なのだ。
だから私は敬虔な気持ちで最後にそう、教えを請うた。
「ん……んむむ。何故、ねえ。はてな。まあ気紛れと言ってしまえば、それまでなんだけれど……早苗みたいだと思ったんだよね、未熟なところが。素質は十分有るのにさ、何かこう、足りなくてさ。もどかしいんだよ。あと一息なのに、勿体無い。まあそういう事さ」
「それのみではないよ。私も諏訪子もね、ナズーリンには期待しているのだ。妖怪でありながら、白蓮の許で仏道を歩む貴方に。勿論貴方ばかり贔屓に考えての事じゃあない。貴方を通じて、聖輦船の者達には大いに期待している」
いつの間にか、神奈子が私の隣に座していた。早苗はご主人様の膝枕に移ったらしい。見ればご主人様も満更ではない顔で、うとうとと船を漕いでいる。ちなみに船長は縁側で三割大諏訪子風船と添い寝を極め込んでいる。
「人間と妖怪の平等で無差別な世、大いに結構。ここ幻想郷ではね、それはいずれ不可能な事ではないのだ。私達が受け入れられたように、貴方達もまた受け入れられる。それはまだ先の長い話だろう。精進に精進を重ねてもなお届かないだろう。けれどまずは刮目する事だ。どうだ、貴方にこの世界はどう見える」
──刮目する。私の両隣には、神様が居る。回りには、私を慕い、私の慕う皆が居る。かつては人であった神様に、かつては人であった聖が居る。皆それぞれに個性が強く、同様に各々篤い信仰心を持つ者達である。
聖が優しく微笑み、暮れ泥(なず)む幻想郷を見る。そうして私もまた、同じように幻想郷を見る。
優しい色をたたえて、ゆっくり、ゆっくりと暮れ行く幻想郷。それは豆粒よりもなお小さく映ったが、確かに幻想郷に住む者達の姿であった。
烏天狗が一匹、魔法使いと騒がしく天翔けて。巫女が山へ戻る途中、妖精や妖怪が挨拶をして別れて。小さく儚い人里から生活の薄煙がゆるゆると立ち上り、人が出入りし、妖怪が出入りし、妖精が出入りし、幽霊が出入りして。
彼らは互いを敬い、互いを対等に見て、互いの生活を持ち、互いの交流を経て。
それはどこか、いつか夢見た光景によく似ているのではなかろうか。誰かの目指した、理想を喚び起こすものではなかろうか。
「ナズーリン、貴方はこの地で皆と精進するのが良い。貴方は貴方の信仰に偽りなく、皆を愛して皆を慈しみ、そうして自分を愛し自分を慈しむと良い。貴方は皆を見失ってはいけない。けれど自分も見失ってはいけない。そうした貴方の信仰を、私は尊重しよう」
「……有難う、御座いました」
私は庭に下り、二柱の神様に深く辞儀をしていた。心を洗うような清々しい涙が、幾らも零れた。零れる涙をそのままに、ずっとそうして私は二柱の神様に感謝した。
くすり、と二柱の神様は微笑みを漏らす。そうして二柱、私の肩に手を置いて答えた。
「まああれだよ。足りないものは補えば良い。もう道にも迷わんさ、お前は良い子だもの」
「ああそうだ。貴方は貴方の信仰を得られたのだ、もう大丈夫。貴方は良い子なのだから」
そうして今はっきりと、私は私の信仰を得、私の道を歩み出せた。
ああ。私は本当に愛されている。私も本当に皆を愛している。
~洩矢神~ 了
確かに橋渡し役には適任かもしれませんね、神仏や人妖問わず好かれるというか
放っておかれないナズーリンなら。ま、早苗さんが人間かは微妙な所ですが。
これからしばらくは短いお話が続くかもしれないとのことですが、
なーんか貴方の作風を考えると50KB位の短編? が来る予感もするんですよねぇ。
どちらにしてもドンと来いですよ、私としては。
作者様はその道に詳しいお方のようですね。
難しく上手く呑み込めませんでしたがエンターテイメントとしても楽しいお話でした。
たとえ理解できなくても、仏道を真面目に語る寺組の話を読んでみたいと思っていましたし。
小道具や言葉遣いから作者様の中にある「幻想郷」の世界観が伺えるのも心良かったです。
弱くて未熟なナズーリンというのもやや新鮮でしたが物語の中では違和感はありませんでした。
ところで、ぬえはどうなったんでしょうか、冷やいお菓子に心弾ませながら神社にもどってくるぬええが目に浮かぶようですが。
私の頭では全てを理解することはできませんでしたが、とても楽しかったです。
何より、ナズーリンは毘沙門天の眷属だということを再認識できました。
二柱の神様っぷりもよかったです。
しかしながら、おろかな自分に気づくことができれば、自分を戒めながら道を進んでいけるのではないだろうかな・・?
私はこの物語を読んでそんな感想を得ました。
すごく面白かったです。長くても、短くても読みます!
>ご主人様は……見なかった事にしようかな。うん私は何も見なかった。
星ちゃんの状況をkwsk
物部の丁未の乱みたく、どちらかを滅ぼす減算ではなく。
人も妖全部ひっくるめて和。
全は一ってのもそういうことなんでしょうかね。
なんてひとり納得しました。幻想郷は平和ですね。
> コチドリ様
早苗は所謂新人類かも知れず。それにしても50KBの短編なんていやまさかそんな。。。そうなるかも知れない。。。(遠い目
> 10様
拙い知識で書かせて頂きましたが、楽しんで頂けて嬉しいです。因みに「凍り餅」は長野地方の伝統的なお菓子だそうです。お菓子に夢中な彼女はお使い済ませてすぐさまご褒美を貰いに戻ったに違いありません。それにしても正体不明なのに何故ばれたし。
> 11様
楽しんで頂けて良かったです。風神録組と星蓮船組は、絡ませると妄想が膨らんでとても楽しいことになります(主に筆者が)。
> 14様
何事に関わらず、思い込みって実は大変怖い事なのだと筆者は思ったりします。けれど原動力にもなるので時と場合によっては大事かも。星は酒飲んでトラになりました。それからまた酒飲んで大トラになりました。星だけに。
> 山の賢者様
成程、和合の和。素敵なご感想有難う御座います。幻想郷がそんな楽園だと良いなあ。
面白かったです。前中後という構成でも問題ないように感じました。ナズーリンが悩み周りに誘導されながらも自分なりの考えを見つけていくのは感動的でした。神様達のカリスマが半端なかったです。地の文もそうですが果たし状の言い回しは最高ですね。脱帽です。これから作者さんの他の作品も読みたいと思いました。
> 18様
神様ヤバイ。毎度の事では御座いますが、この地の文だと東方二次創作に合わないかなあと思っていたり。けれど楽しんで頂けたなら、とても嬉しいです。有難う御座います。
なぜ妙に有無を言わせぬ高圧的な口調なのでしょう。寅丸さんの方が偉いのでしょうが、もう少し柔らかい言い方でもいいのでは? ちょっとびっくりしました。
>只管打坐
後編にあった表現だと思いますが。命蓮寺って禅宗でしたっけ?
何かの洒落でしたら御免なさい。
こういう性格の話を読んでいて思うのですが、現代の幻想郷で「正しい」知識を基に書くとなんとも座りが悪いように思います。それが設定の根幹にあればある程なおさらに。
幻想郷で現実を描き過ぎるとそこはもう幻想郷ではないというか。
幻想郷と現実は相性が悪いですし。
今作はその点がそれほど酷いとは思いませんでした。
ナズーリンが人間的過ぎたのでそう感じたのでしょう。
精神的に普通の妖怪が仏道を歩むというのは一体どういうことなのでしょうね。
家族の絆や愛なんて、仏教の原義としては妨げでしかないのでしょうし。
設定自体で何処かに何かが障りそうな、いや障ってるんですけど。
まあ、矛盾を含むのは、とても人間らしいことですし。
面白かったです。
まずは少しだけ裏話になってしまいます事、また少しだけ長くなってしまいます事をお断り致します。
高圧的な口調は、結局星も妖怪だ、という思いから来ています。妖怪は全体的に横柄な感じに。筆者個人の解釈ですね。気になりましたら御免なさい。
命蓮寺の宗派は正直調べが付きませんでした。検索すると真言系のように云われているようですが、どうやらそれも今の朝護孫子寺がそうだから、という解釈以上に見付かりません。
そこで筆者は、元ねたである命蓮上人自身を天台密教系に据えて、八宗兼学を混ぜた感じに考察しました。つまりごちゃ混ぜ。飛鉢の法などは天台系に多く見られる話のようですし、そこかなあと。
これも命蓮上人の出自が調べ切れなかった事による考察です。実際は全然違うかも知れませんが、筆者の無学なところです。
そもそも八宗兼学の意味を履き違えていたら土下座するしかありません(汗)。結局筆者も調査結果でしか物を語れません。
と、いうわけで。言い訳がましくなってしまい非常に恥ずかしいのですが、これもまた「正しい」知識では無いと筆者は考えております。いずれ私も「現実」はあまり書かないでいる、つもり。全ては宗教観であり、伝承であり、逸話を元にしています。「それ本当?」と問われて「そう本に書いてある」としか答えられそうにない部分ですね。言葉は現実世界のものですが、小説である以上は止むを得ないと考えています。
家族の絆や愛についても、あって然りとは申せませんが、仏教の原義の妨げにはならないと筆者は考えています。貪愛は別ですが、まず識や心があり、そして仏性が伴うと考えないと、筆者などはきっと救い難い愚か者として生きていくしかありません(笑)。
勿論捉え方は皆様異なりますので、断じる事は出来ません。拙作もまた筆者個人としての考察結果ですので、受け入れられるか否かは何とも言えないなあ、という思いで拙作を公開させて頂きました。ただ、とても楽しかったです。
とても嬉しいご意見、有難う御座いました!
ただ個人的に少しまとまりに欠ける部分があったように思います。
特に早苗の一連の流れはなんとなく終わってしまった感が。
徹頭徹尾ナズーリンの視点で描いて最後に他者からの視点を補足しネタばらしってほうがまとまった印象を受けたかも。
あくまで個人的な印象ですがね。
ただ本当に全体としての話はとても面白かったです。次回作も期待しています。
ご指摘ありがとうございます。イエ全くその通り、この補編、最初の執筆時はえらい斜め上を辿りまして。。。そちらは一度保留にして書き直したものを投稿しましたが、面白く感じて頂けて良かったです。留保物件は。。。またいつか、日の目が見られますように。。。