「ね、お姉さま。私ってどんな顔をしているの?」
フランドール・スカーレットは、手に持った手鏡を愛しげに撫でて、問うた。
「私に似て、とても綺麗な顔をしているわ」
何を今さら、といった風の顔で、テーブルの向かい側に座る、レミリア・スカーレットは応える。咲夜が配合した特製の紅茶を一口飲んで、予想以上に熱かったのか、顔をしかめた。そして、自身の小さな失敗を取り繕うように、すました顔でティーカップを置くと、フランドールを見る。
「なんでそんなこと、突然訊くの?」
フランドールはテーブルの真ん中に置かれた洋菓子をちらと一瞥してから、また手鏡を眺める。その中には少女がいた。背は低くないが、高くもない。それなりに着馴れたメイド服から覗く白く細い腕にはトレイが抱えられている。肩にかかる程度の銀髪に、整った顔の造りをしつつも、ちょっと鋭い目。きっと人間には近寄りがたい雰囲気に感じられる彼女は、そのぴんと伸びた背筋と同じく、実直で、完全で瀟洒なメイドである。
……鏡の中にいたのは、背後の十六夜咲夜だけだった。フランドールは映っていない。
「吸血鬼は鏡に映らないから」
フランドールの、空いている方の手が、ぎゅっと握られると、ぱりん、と音がした。
レミリアの眉がぴくりと動き、フランドールの背後、戸の傍で佇んでいた咲夜も一歩こちらに進み出た。フランドールはそんな二人の様子に、くすりと笑うと、もう誰にも使えなくなった手鏡を、ぽとりとその場に落とした。
鏡の破片で切り傷を作った自身の腕を、フランドールはぺろりと舐める。
「お姉さま。私、欲しいものができたわ」
「何かしら」
レミリアはつまらなそうな顔をして、クッキーを一つ手で摘まむと、食べるでもなく、手の中で弄んでいる。
「魔法の鏡が欲しいわ。吸血鬼もちゃんと映してくれる、真面目で優しい鏡さん。私の顔が一度でいいから、見てみたいの」
レミリアがじっと見つめてくる。容姿こそ幼いが、その瞳には、五百年余りを暴れて憎まれて恐れられて生きた、強大な妖の光をたたえる吸血鬼。そんな彼女に、ほとんど睨むような目で見つめられたフランドールは、まるで臆することもなく、お決まりのおねだりをする。
「くれないと、私、怒るわ。怒って、館を抜け出して、めちゃくちゃに暴れちゃうわ」
フランドールの経験則から言えば、この言葉はかなり有効であった。
さすがのレミリアも、自らの妹には弱い。やろうと思えばできるはずなのに、本気で彼女を抑え込もうとはしないことからも、それは証明できる。地下室への幽閉などといった、形ばかりの束縛が関の山なのだ。中途半端な処置を取って、自分や従者たちを無理くり納得させるぐらいしか、彼女には出来ないのである。
そんなレミリアだ。フランドールが暴れると言ったら、強硬に束縛から逃れると言ったら、どうするか。
大事な妹を懲らしめて傷つけるか、彼女の他愛ないお願いを聞いてやるか。
どちらを選ぶかは、明白であった。
「……わかったわよ。また、パチェに迷惑かけるのも悪いしね」
レミリアはクッキーを口に放り込むと、音を立てて咀嚼した。そして、席を立つ。
「あら。今日はもうお終い?」
レミリアはすぐには応えず、無言のまま、一瞥もくれずにフランドールの傍を通り過ぎてから、従者によって開け放たれた戸の前に立ち、言う。
「フラン。貴女とのお茶は、しばらくは遠慮するわ。これからちょっと、忙しくなりそうだしね」
フランドールは、レミリアの不機嫌そうな顔に、やや険のある声音で返事をした。
「ああ、そう。忙しいのは別にいいけど。私のお願い、忘れないでよ?」
レミリアは少しだけ、寂しそうな顔をした。
「貴女は自分のことしか考えられないのね」
彼女の傍らの咲夜の、どこか気にかけるような、心配そうな目が、癇に障る。
フランドールはぷいとそっぽを向いた。薄暗い部屋の中、テーブルの上で、ゆらゆらと怪しく揺れる蝋燭の火を、意地になったようにじっと見つめていた。
背後に、戸が閉まる音がする。続いて、規則正しい足音。徐々に遠ざかっていく。
ふん、とフランドールは鼻を鳴らした。
トン、……トン。
不自然に間の空いたノックの音に、フランドールは戸の向こうの相手のためらいを想像する。彼女は、二度三度テーブルの端を指で叩いてから、どうぞ、とだけ言った。
やがて、ゆっくりと戸が開き、顔を覗かせたのは、小悪魔であった。
やはり、あの悪名高きフランドール・スカーレットの部屋を訪れるモノならば当然というか何というか。すっかり畏縮してしまっていた。
フランドールが手招きして、向かいの席を指し示すと、彼女は大人しくその席に着く。緊張というよりも恐怖に引きつった顔で、彼女は恐る恐るといった風に訊いてきた。
「あのお……これは一体?」
フランドールはにっこりと笑うと、腕を組んで言ってのける。
「前にお姉さまがしてたこと。私もやってみたいと思ってたのよね」
「はい?」
小悪魔は消え入りそうな声だ。目の前の蝋燭の火を、これが唯一の希望だとでも言うようにじっと見つめている。
「小悪魔。貴女を美鈴に呼ばせたのには理由があるの。訊きたいことがあるのよ」
手を膝の上にお行儀よく乗せたまま、小悪魔は沈黙している。
「レミリア・スカーレットは何か怪しい儀式を行おうとしているわね?」
「え、そうなんですか?」
即座に答え、小悪魔が目を丸くした。
え、そうなの?
言いたいのはこっちのほうだ。フランドールは拍子抜けしてしまった。美鈴には話を訊いて有益そうな奴だけ連れて来い、と言ってあったはずなのだが。何も知らないのだろうか。……演技ができるほど器用なモノのようにも見えない。恐らく、彼女はレミリアの『儀式』については本当に何も知らないのだろう。
「しらばっくれても無駄よ。調べはついてるんだから」
一応、もう一歩踏み込んでみるも、
「いえ、いえ! 知りませんって! 私は何も!」
彼女をいたずらに怯えさせるだけであった。フランドールは息を吐くと、頬杖をついて、また訊く。別に彼女をいじめたくて呼んだわけではない。
なるべくことを穏便に迅速に済ませようと、フランドールは態度を軟化させた。
「……わかったわよ。じゃ、質問を変えるわ。身の回りのことで何か変わったこととかなかった?」
小悪魔は必死に思考を巡らせているようだ。ぎゅっと目を瞑って、口をへの字にして、気の毒になるぐらいに真剣に記憶を洗っているようである。
「そ、そういえば」
「なに?」
あまり期待せずに、フランドールは問う。
「前に一度、咲夜さんに、香霖堂でラピスラズリを買ってくるよう言われました。それも、なるべく人目につかないように、と。いつもはそんなこと頼まれないのに、なんでだろってあのときは思ったんです……けど」
どうでしょう? とでも言いたげな顔で小悪魔がフランドールの表情を伺う。
「ラピスラズリ、ね」
正直、益があるのかないのかわからない情報だが、まあ収穫なしよりは良い。
「ありがとう。もう言っていいわよ」
しっしっと、追い払うような仕草をして、フランドールは小悪魔を帰した。
レミリア・スカーレットの『儀式』
フランドールは改めて考える。
レミリア・スカーレットの『儀式』とは何なのか。
発端は、美鈴が拾ってきた噂話であった。
レミリアお嬢様が、なにやらとても恐ろしい儀式を行っているらしい。
そのために、必要な材料を方々から収集し、扱うための知識を得るため、図書館に引きこもって魔道書を読み漁っているらしい。
そのあまりの恐ろしさに、まず一般のモノは関わることが許されないし、関わったモノたちもまた、恐怖に口をつぐんでその内容を語ろうとはしないらしい、などと。
……実際、噂の通りか否かは判別がつかないが、館の中を、なにやら特別な命を受けたらしい妖精メイドが駆け回ることが多くなり、咲夜の意図不明の外出も頻度を増し、人妖ともに、謎の客人をたまに見かけるようになった、と美鈴は語っていた。
とりあえず、紅魔館に何か異変が起こっているのは事実のようだ、と。
普段の彼女なら、ふうんそう、とでも言って終いだったかもしれない。面白そうね、とでも笑って、でもどうせ誰かのつまらない勘違いか嘘でしょ、などと軽くあしらっていたかもしれない。だが美鈴の話を聞いたときのフランドールには、それほどに冷静な対応ができない理由があった。
レミリア・スカーレット。彼女の姉との関係である。
ここ数日、フランドールはレミリアと会っていなかった。といっても、フランドール自身は、あくまでポーズであるとはいえ、幽閉されている身である。会っていない、のではなく、避けられていると表記したほうが正しいだろう。それと同時に、従者である咲夜もまた、避けている、というほどでもないが、どこか態度がよそよそしくなっていた。
何時ごろからだと記憶を巡れば、それは最後にしたお茶からということになるだろう。
時期はわかっても、理由はわからないのだけれど。
いつものように、フランドールがわざと姉を困らせるようなおねだりをして、レミリアもそんな彼女を怒りながらも、結局はそれを受け入れる、そんないつもの一時。
お茶をしていて起こったのはそれぐらいのことであった。
目立ったいざこざが起こったわけではなかった。それは、レミリアは呆れたような、悲しそうな顔をして出て行ったし、咲夜も哀れむような目でフランドールを見ていた。でも、それはいつものことなのだ。いつも、もう私たちの関係はこれでおしまいよ、みたいな顔をして出て行ったかと思ったら、なんだかんだでまた来るのが常だったのだ。
だがその日以来、彼女はフランドールの部屋に来ることはなくなった。
わからない。フランドールはわからなかった。
レミリアはなぜ、自分から離れていったのだろう。
自分から離れて、何をしようと言うのだろう。
本当を言うと、己の生活に、彼女が欠けることが、どれほど自分の気持ちを揺らがせるものか。あの頃のフランドールは、甘く見ていたように思う。
予想以上だった。
予想以上に……つまら、ない。
だから、である。フランドールも、彼女との仲違いの理由を懸命に思い出そうとしたのだが、難しかった。
フランドールはいつも納得がいかないような気持ちで、あの日の記憶に思考を巡らせて、結局、答えがでないでいた。
そんな時に聞いたのが、レミリアの『儀式』の噂である。
ろくな信憑性もない、具体性もない眉唾物の噂。いつもならば従者たちの中だけでまことしやかに囁かれて、やがて気づかない間に霧散するだけの仕様のない噂だ。
しかしその時のフランドールには、それこそが答えのように思えたのだ。なんだかんだで妹を見捨てない、見捨てられない姉が、自分と距離を置いた理由が、彼女たちが騒ぐ『儀式』にあるように思えてならなかったのだ。
そうでなければならない、と自分に言い聞かせたのである。
故に、フランドールは即座に命じたのだ。ただちに『儀式』に関しての情報を集めること、そして、その関係者らしきものを見かけたらここに連れてくるように、と。
美鈴が全部やったほうが早いかな、とも思うが、やはり待っているだけではつまらないし、低級の妖怪ならば、フランドールが訊いた方が威圧感があって情報が引き出しやすいかもしれない。かくして、フランドールは行動に移したのだ。
いつかのレミリアがそうしたように。
……今回は答えがでなかった。
次に期待しよう。
美鈴、次はちゃんとしたの連れてきてよね。
フランドールは心中に呟いた。
がちゃり、といきなり戸を開ける音がしたものだから、誰が来たものか、フランドールは容易に想像がついた。
今度の客は、恐らく期待薄である。
視線を向ければ、案の上、そこにいたのは普通の魔法使い、霧雨魔理沙であった。
「よ、フラン。久しぶり」
魔理沙はためらいなくフランドールのもとに近寄ると、椅子を引いてどかっと座った。そして、手に持っていた、ずいぶん使い古した、若干黄ばんだ袋を、近くに適当に放り投げた。きょろきょろと周りを見回しながら、帽子を取って、ぱたぱたと仰ぎだす。
「ここは何時来ても空気が悪いな。特に夏はひどい心地だ」
「相変わらず落ち着かないね、魔理沙は」
褒めたつもりはないが、そう言われた当の魔法使いは、にひひと笑った。
「館の環境が不満なら、どうしてここに来たの?」
フランドールが訊くと、魔理沙はさも当然のように答えた。
「住み心地は最悪だろうが、盗みに……遊びに入るのなら、それなりの旨味がある。あろうことか、門番に誘われるとは思ってなかったぜ」
フランドールはちらと、彼女が今さっき放り捨てた袋を見やる。そして、ため息を吐いた。あの中に何が入っているのやら。自分が命じたとはいえ、後でお姉さまにお咎めを受けることになったら悪いなあ、とフランドールはひそかに美鈴を想った。
「ま、貴女がどんな理由でここに来ようと、今はいいわ。魔理沙、呼ばれた理由はわかるでしょ。質問に答えてね」
「よし、来い」
魔理沙は本当にちゃんと答えてくれるのか、心配になる調子で返事をした。
「最近、レミリア・スカーレットが行っているらしい『儀式』について、何か知ってることはない?」
一瞬、端的にすぎたかな、と質問をもう少し詳しくしようかとも思ったが、目の前の魔法使いの表情を見るに、大丈夫そうであった。真っ当な思案顔である。
質問の意味がわからない、といった感じはしなかった。
ふむ、と魔理沙は顎をさすって、考え込むような仕草をしている。
やがて、数秒の沈黙の後、答えた。
「知らないな」
…………。フランドールはやはり、気落ちするものがあった。
まあ、よそ者の彼女が知っていることとも思えなかったけれど。
「なんだ。あいつまた、何かやらかそうってのか?」
魔理沙の質問に、フランドールはがっかり感に声のトーンを落としながらも、言う。
「まあ、たぶん。それが知りたくて、今もこうやって貴女と話しているんだけど」
ふうん、と魔理沙は適当な返事だ。
「まあ、知らないものは知らない」
わざわざ重ねて宣言しなくても良いのに。
「つっても、それだけで済ませるのはさすがに申し訳ないか。お土産代ぐらいは払わないとな」
なにそれ?
内心の動揺が顔に出てしまったのか、魔理沙にくすりと笑われてしまった。
フランドールは自分の頬がわずかに朱に染まるのを感じながら、相手の言葉を待った。
魔理沙は、まだ何かめぼしいものがないか物色するような目で視線をちょろちょろさせている。が、やがてこちらを向いて言葉を続けた。
「その儀式とやらに関係があるかは知らないがな。香霖が言ってたぜ。最近、妙なものを咲夜が店に探しに来たってさ」
「妙なもの?」
またラピスラズリか。フランドールが復唱すると、魔理沙はどこか誇らしげにうなずいた。
「ああ。何でも、珊瑚が欲しかったんだそうだ」
「サンゴ?」
「そう、珊瑚」
ラピスラズリに、珊瑚。どんな意味があるものかな。
確かにここじゃ手に入れにくいものだろうけど、用途がわからない。
……にしても、この魔理沙の応対。違和感があるなあ。
「それともう一つ教えといてやろうか」
魔理沙は悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「人里で最近、人攫いが何件か起きてる。年齢はまばらだが、比較的高齢な人間が多いみたいだな。いずれも目撃証言はナシみたいでさ、犯人は今を以って不明だとよ」
笑顔のまま、魔理沙はさらに言葉を重ねた。
「近頃、この紅魔館あたりで人間を見たって話なら、私は聞いたけどな」
意味深な一言であった。
さて、と魔理沙はさっさと席を立ってしまう。袋を手に握って、帰るつもりのようだ。
「魔理沙」
フランドールは気づけば呼んでいた。魔理沙が振り向いて、言う。
「何だ?」
わずかの逡巡の末に、フランドールは問うていた。
「貴女、本当に知らないの? お姉さまの儀式について、何も」
魔理沙は肩をすくめると、答えた。
「知らないって。言ったろ」
「そのわりには、ここ最近の紅魔館の動向について、やたらに詳しかったじゃない。私に話すときだって、まるで答えを用意してたみたいに、すんなりしてて。もともと私に与える情報を決めてたみたい」
感じた違和感を、感じたままに、フランドールは魔理沙にぶつける。
しかし相手は、面倒そうな表情で、彼女の扱いに困った風に言うだけだった。
「フラン、あのな。必死なのはわかるけど、それは言いがかりだぜ。答えを用意してたっていうが、そりゃそうだろ? 私は美鈴からお前が何を知りたがってるか、あらかじめ聞いていたんだ。答えだって用意するさ」
「え、うーん……そう、かな」
そう言われたら、そうかな。フランドールは魔理沙の言葉に、これ以上強硬に出られなくなった。確かに、そうか。美鈴に頼まれて魔理沙はここに来たのだ。何も知らずにここに来た可能性は低い、か。
「じゃ、今度こそ私は失礼するぜ」
フランドールが悩んでいるうちに、軽快な足取りで魔理沙は出口に向かってしまう。
「姉妹仲良くしろよ、お前ら」
去り際の彼女の、悪戯っぽいにひひ笑いが、妙に印象に残った。
と、そのあたりで気づいたのだが。
小悪魔は何も知らされていないようだったのだから、魔理沙もまたフランドールにどのような用事があるのか、その内容までは知らないのが道理ではないか。
では、つまり、あれは。
魔理沙め……。
その後、妖精メイド数匹と、湖の氷精の話を聞いたが、結果はひどいものであった。
言うことが基本的に支離滅裂で、話題があっちへ飛びこっちへ飛び、氷精に至っては好きあらば悪戯をしようと油断ならないので、無駄に時間と体力だけが消費され、その上に大した成果はあがらなかった。
なんとか集めた、『儀式』関連らしき情報を挙げてみても、すでに無関係であることがほとんど自分に証明されていて、空しいだけのものであった。
血の調達に頭を悩ませていたというが、ただの食事の問題だろう。
氷精は自慢げに、メイドに貝殻をあげたとか言っていたが、それはあれが勝手に渡しただけであって、咲夜が求めたわけではないだろう。
あいつ、目に付いた奴を適当に引っ張ってきてるだけじゃないでしょうね……。
とんとんとん。
せっかちそうな、間隔の狭いノックの音がした。
もしや、とフランドールが内心に気持ちを躍らせると、やはりそうだった。
フランドールの声に、特に構えた風もなく入ってきたのは、レミリアの友人である魔女、パチュリー・ノーリッジであった。片手に分厚い本を抱えて、いかにも、本当は忙しいんだけど一応来てあげた観がある。
「またくだらないことだけ姉を真似て……」
パチュリーは嘆かわしいとばかりに額に手を当てたが、フランドールは全く意に介さず、むしろにこやかに目の前の空いた席を示した。どうぞお掛けになって、といった感じだ。
彼女が座ると同時に、フランドールは身を乗り出して問うた。
「貴女が本命よ、パチュリー。ぜひとも、貴女のお話を聞かせて!」
フランドールの勢いに気圧されたように、パチュリーは若干のけぞりながらも答えた。
「はあ。答えられる範囲でなら」
「噂になってると思うんだけど。お姉さまが秘密裏に行ってるか、または準備をしてる『儀式』について、教えて欲しいの」
パチュリーは無表情のまま、しばしの間押し黙っていた。
フランドールが、期待を込めてそのパチュリーの様子を眺めていると、やがて、ゆっくりと、彼女は言った。
「知らないわね」
え、とフランドールは絶句しつつも、一応、確認する。
「本当に……?」
パチュリーはぼんやりと自分が持ってきた本を眺めている。心なしか、目が虚ろであった。
「知らないわ」
言い切られてしまった。それも、相当につまらなそうな顔だ。こんな茶番に付き合ってられるかとでも言いたげな、端的に言えば単純に機嫌が悪そうな顔であった。
だが、とフランドールもめげない。知らないなら、知らないで良い。
なにせ彼女は本物の魔女、動かない大図書館である。
ここは本当に相談をしておきたいところなのだ。
「ね、それならパチュリー、ちょっと聞いて。これは私が独自に調べた情報なんだけど……」
大した情報ではないが、役に立たないこともないかもしれない。相手は魔法のエキスパートである。自分にはぴんとこないものであっても、彼女ならば。
フランドールは少ないながらも、これまで集めた情報をパチュリーに伝え、教えを乞うた。
「どう、パチュリー? 何か気づいた?」
期待を込めて、フランドールは言うも、パチュリーは渋い顔だ。唇を引き結んで、何も言わない。何度か視線だけはフランドールに向けられるも、言葉がなかった。
しかし、やがて何を決断したのか。パチュリーは静かに言葉を紡ぎだした。
「とりあえず。ラピスラズリと言ったわね」
フランドールはこくこくと首肯した。
「宝石には、元来、魔法に近しいものがあるわ。その妖しい、モノによってはヒトを狂わせるほどの美しさを持つ宝石は、時にヒトの気持ちを満たす装飾品となるし、ヒトのヒトとなりを歪ませ破滅させる呪いにもなる」
パチュリーは切り揃えられた前髪をいじりかけて、伸びた手をまた引っ込めた。
「種族を問わず、心的なものに訴えかけてくる宝石は、それ故、魔法の精製にはかかせない触媒となることがままあるの。その中には、力の弱いものも強いものもあるから、一概に、彼女がそれを利用して魔法的なものを作ろうとしていても、その危険度までは推し量れないけれど。……どう。同じ宝石を使った、魔法の例を挙げろというのなら何十何百と挙げられるけど、聞いとく?」
こちらにも聞きやすいように、という配慮だろうが、それでもちょっと穏やか過ぎるというか、のろりのろりとした口調で、パチュリーは言った。
「や、……それは止めとくわ。他は? 他はどう? 珊瑚とか。儀式の内容がわかるようなものは?」
聞いてたら日が明けてしまう。苦笑いしつつ、フランドールは断ってから、また訊く。
すると、パチュリーはついと後ろを向いて、何事かぶつぶつと呟いて思案に耽っているようだった。ただ単に愚痴を漏らしているようにも見えた。
結構な時間をそうしていたので、フランドールが彼女の顔を覗こうと席を立とうとすると、パチュリーが振り向いた。
「珊瑚や貝殻にはね。『外』のとある国、とある地方じゃ魔除けとして扱われていることがあるわ。呪術の一種だけど、それに悪魔が手を加えたらどうなるものかしらね」
そして、ふう、と息を吐いた。どうも神経を使う問答だったらしく、フランドールは、これ以上突っ込んでいくのが少し悪い気がしてくる。
ああでも、これでは情報がやはり足りない。
魔法的、呪術的なものが関わっていたとして、それぐらいではまるでその内容に見当がつかないではないか。もっと、考えないと。もっと、情報を集めないと。
フランドールが焦りにも似た苛立ちを抱きつつあった時だ。
「ところで、フランドール。私からも貴女に質問だけど」
「なに?」
そう訊くパチュリーの声音が、やたらに刺々しかったものだから、思わずフランドールは、相手の機嫌を伺うような、弱々しい声を出してしまう。
「貴女はその、レミィの儀式とやらを知って、なんになるっていうの?何か目的があっての行動なの、これは」
淡々とした、いつもの彼女らしい、やや早口の問いかけ。針で刺すような、ささやかでありながら確かな非難の色が、彼女の語調には表れていた。
「それは」
フランドールは、自分の声の震えを、自覚する。
「フランドール」
パチュリーの、諭すような声が、頭に響く。
「言わせてもらうとね。今の貴女、すごくみっともないわ。吸血鬼ともあろうものが、下々の連中の、真偽も定かでない噂に踊らされて。なりふり構わず、協力を仰いで。レミィが見たらなんて思うかしらね。きっと失望するわよ」
「そんな、……こと」
フランドールは反論しようとして、その材料がないことに、いまさらながら気づく。
たったの一言の反論にも迷う彼女に対し、パチュリーはあまりに冷静に、とめどなく言葉を紡いでいく。
「貴女の動機は、どうせつまらない意地か道楽なんでしょ。ばかばかしい。くだらないことに時間を取らせないで。私だけじゃないわ。あの門番も、小悪魔も、妖精メイドたちにだって仕事があるの。お嬢様の暇つぶしに付き合ってる暇なんてないのよ」
「だって……だって!」
「なに? 言いたいことがあるのなら、言いなさいよ」
フランドールは、ぐっと唇を噛んで、流れ出した血が顎まで伝うほどに強く噛んで、言いかける。でも、声に出ない。言葉に出せない。
だって、だって。
「言えないんでしょう。理由なんてないから、言えないのよ。貴女はそうやって、いつも好き勝手にヒトの迷惑をかけて、それで楽しんでる。あんなに妹思いのレミィも困らせて。どうせ今回のことも、またレミィの邪魔をするつもりだったんでしょ」
「違う!」
「じゃあなによ!」
パチュリーは席を立つと、一歩一歩を確かめるように、フランドールのもとに近寄る。そして、すぐ傍まで寄ると、彼女を見下ろしたまま、言い放った。
「答えてみなさい。フランドール。答えがあるんでしょ」
うう、と声が漏れるも、フランドールは覚悟を決めた。自分は吸血鬼だ。これ以上、みっともない真似はできなかった。答えなければ。ちゃんと。
たまらなく惨めで、途方もなくみっともない答えだけれど。
「だって、……そうよ。だって、寂しいから。お姉さまも、パチュリーも、美鈴も、咲夜も。ずっとはいないでしょ。限られた時間にしか会えないでしょ」
ぽつりぽつりと、言葉が零れる。
「もっと一緒にいたかったから。私がみんなのことを思ってるように、みんなにも私のことを……って、思っちゃったから。だから、……」
嫌だなあ、とフランドールは思う。
こんなときに限って、思い出してしまう。
あのレミリアの表情。呆れたような、悲しそうな。
不出来な妹を持って、苦労する姉の表情。
「だから、いつの間にか、会うたびに無茶なお願いするようになっちゃったって? どっちにせよ、身勝手な話ね」
「……ごめんなさい」
……。変な間が空いた。ふと、がっくりと頭を垂れていたフランドールが顔を上げると、パチュリーが口をあんぐりと開けて、硬直していた。しかし、フランドールに見つめられて、我に返ったんだろう。すました顔で、彼女は言う。
「それを、あのヒトに言ってあげなさいよ。たぶん、もうじき会えるから」
「ほんと!? お姉さまに会えるの!?」
ぐいいと顔を近づけたフランドールに、目を逸らしてパチュリーは頭を掻いた。
「あ、うん。たぶん……」
いきなり自信をなくしてしまった。
でも、そうか。パチュリーは不確定なことを話したりはしない。
またレミリアに会えることは、事実なのだ。
そう思うと、じわりと胸に広がる安心感がある。
なんだか泣きそうになって、フランドールは暗い天井を仰いだ。いつもなら陰鬱な印象しか受けないものだが、今日ばかりは少し、違って見えた。
半歩下がって、ぱんと、手を叩いてパチュリーが勝手に気を取り直したように、言う。
「それより。もうわけのわからない『儀式』のことはいいでしょ。誰か、存在忘れちゃってるお馬鹿さんがいるんじゃない?」
フランドールは、あれ、と思い返して、
「あ、美鈴……」
「あいつも一途な奴だから。さっさと回収してきなさい。放っとくと夜通しで命令こなしちゃうわよ。門番業をまるきり構わずね」
フランドールは小さく笑うと、彼女の言葉通り、さっさと彼女を迎えにいくことにした。
もう、いいのだ。全部、中途半端になってしまったけど、これで良い。
紅魔館、とある一室。
十六夜咲夜はうんざりした面持ちで自らの主の『儀式』を眺めていた。
傍らにはパチュリー、さらにその横には美鈴、今日は加えて彼女の横に小悪魔もいた。
部屋の隅ですっかり縮こまって怯えてしまっている人間たちがひたすらに哀れだ。中にはろくに歩くこともままならないご老体もいるというに、これはちと酷である。
「何枚描いたの?」
パチュリーが半ば、放心したような風情で、問う。昨夜、突然、図書館に押しかけてきた主に質問攻めにあったせいで、寝不足なのだという。
「さあ……。ずうっと篭もって描いてらっしゃいますし。結構な枚数にはなるかと思いますけど」
「それなのに、まるで成長が見られないってのは、なんでかし……ら……」
言い切らないうちに、パチュリーは大あくびをした。目をこすって、ぐったりと壁にもたれかかる。
咲夜は、部屋中に散らばった画用紙のうちの、手近にあった一枚を拾い上げた。
それは、……。
形容しがたいが、何だとはっきり示せない限り、形容するしかないので、無理に表現するならば、それは、……抽象画と言ってしまうと、失礼か。
例えば、トマトと卵をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、画用紙に叩きつけた後に、上から何度か踏みつければ、こうなるだろうか。とにかく、肖像画というにはアグレッシブすぎる一作であった。
「あ、どう? 咲夜?その絵、なかなか上達してきたでしょ?」
紅魔館の主たる吸血鬼レミリアは、爽やかさすら感じる笑みを浮かべて、言ってしまう。
咲夜は思わず顔を引きつらせて、近くの仲間たちに助けを求めるも、無情なものだ。
パチュリーは懸命に寝たふりをし、美鈴は本当に立ったまま寝ており、小悪魔はいつの間にか人間たちのなかに混じって縮こまっていた。
「お嬢様」
致し方なし、と、慎重に、咲夜は言う。
「やはり肖像画というのはですね。描く相手を目の前に置くのが普通かと……」
「それはどういう意味かしら、咲夜」
レミリアは笑みを浮かべたまま、ドスの訊いた声を出す。頬についた、鮮やかな群青色を拭った。あんな色、どこに使うんだろう……。と、考えて、何時だったかに背景がどうとか、レミリアが言っていたのを、咲夜は思い出した。
ああ、と人間のうちの一人が切ない声を上げた。それはそうだろう。レミリアが今さっき描きあげた絵を見てしまったのだ。
中年の画家が原料から作った貴重な絵の具が、老年の女性が大切に扱っていた絵筆が、むちゃくちゃに扱われた、無残な結果を見たのである。
「いいこと、咲夜? それでは意味がないのよ。わかる?」
「はあ」
「事前にばれていてはダメなの。それだと……その、かっこ悪いじゃない。こんなに苦労しているのを見られちゃ。そのために、カムフラージュにカムフラージュを重ねて、わざわざ面倒な絵の具の原料から取り寄せたり、飲みたい血を絵に使ってさ。人里からこっそり協力者を募ったりしたんじゃない」
大嘘吐いて、説得しといてこのざまじゃ情けないわね……。
傍らで、心底疲れ果てたような声が聞こえた。
「ここまで、気取られないように努力してきたんだもの。みんな、最後まで協力しなさい。いいわね」
レミリアが当然のようにそう言って、あたりを見回すと、返事がどこからも湧かなかったが、レミリアは気にしにしていないようだ。
「それと、咲夜? 私の絵の出来に不安があるそうだけれど」
「いえ、そんなことは……」
「それは間違いよ」
はっきりと断言されてしまった。
「私はこの目で、ずっとずっと五百年ぐらいあの子を見てきたのよ。目の前にいようがいまいが、あの子の姿なんて簡単に思い描けるわ。後はそれを、画用紙に移すだけよ。それだけだもの。もうちょっとよ、本当にもうちょっと」
咲夜は、ため息をついた。
熱意がなければ自然に止めるだろうし、善意でないなら説得も簡単だ。
ところが、どちらもあるからわが主は困る。どちらも、あり余っているのだ。
驚くほどに、満ち足りている。
「あの子のことは私が一番わかってるのよ」
レミリアの笑顔に、咲夜は呆れつつも、つられて笑ってしまった。
本当に、なんてことなんだろう。恐ろしい。
従者たちにとっては苦でしかない、それはそれは恐ろしい『儀式』は、きっとまだまだ続いてしまうのだろう。
姉が妹を想い、妹が姉を想う限り、形を変え場を変えて、ずっと。
フランドール・スカーレットは、手に持った手鏡を愛しげに撫でて、問うた。
「私に似て、とても綺麗な顔をしているわ」
何を今さら、といった風の顔で、テーブルの向かい側に座る、レミリア・スカーレットは応える。咲夜が配合した特製の紅茶を一口飲んで、予想以上に熱かったのか、顔をしかめた。そして、自身の小さな失敗を取り繕うように、すました顔でティーカップを置くと、フランドールを見る。
「なんでそんなこと、突然訊くの?」
フランドールはテーブルの真ん中に置かれた洋菓子をちらと一瞥してから、また手鏡を眺める。その中には少女がいた。背は低くないが、高くもない。それなりに着馴れたメイド服から覗く白く細い腕にはトレイが抱えられている。肩にかかる程度の銀髪に、整った顔の造りをしつつも、ちょっと鋭い目。きっと人間には近寄りがたい雰囲気に感じられる彼女は、そのぴんと伸びた背筋と同じく、実直で、完全で瀟洒なメイドである。
……鏡の中にいたのは、背後の十六夜咲夜だけだった。フランドールは映っていない。
「吸血鬼は鏡に映らないから」
フランドールの、空いている方の手が、ぎゅっと握られると、ぱりん、と音がした。
レミリアの眉がぴくりと動き、フランドールの背後、戸の傍で佇んでいた咲夜も一歩こちらに進み出た。フランドールはそんな二人の様子に、くすりと笑うと、もう誰にも使えなくなった手鏡を、ぽとりとその場に落とした。
鏡の破片で切り傷を作った自身の腕を、フランドールはぺろりと舐める。
「お姉さま。私、欲しいものができたわ」
「何かしら」
レミリアはつまらなそうな顔をして、クッキーを一つ手で摘まむと、食べるでもなく、手の中で弄んでいる。
「魔法の鏡が欲しいわ。吸血鬼もちゃんと映してくれる、真面目で優しい鏡さん。私の顔が一度でいいから、見てみたいの」
レミリアがじっと見つめてくる。容姿こそ幼いが、その瞳には、五百年余りを暴れて憎まれて恐れられて生きた、強大な妖の光をたたえる吸血鬼。そんな彼女に、ほとんど睨むような目で見つめられたフランドールは、まるで臆することもなく、お決まりのおねだりをする。
「くれないと、私、怒るわ。怒って、館を抜け出して、めちゃくちゃに暴れちゃうわ」
フランドールの経験則から言えば、この言葉はかなり有効であった。
さすがのレミリアも、自らの妹には弱い。やろうと思えばできるはずなのに、本気で彼女を抑え込もうとはしないことからも、それは証明できる。地下室への幽閉などといった、形ばかりの束縛が関の山なのだ。中途半端な処置を取って、自分や従者たちを無理くり納得させるぐらいしか、彼女には出来ないのである。
そんなレミリアだ。フランドールが暴れると言ったら、強硬に束縛から逃れると言ったら、どうするか。
大事な妹を懲らしめて傷つけるか、彼女の他愛ないお願いを聞いてやるか。
どちらを選ぶかは、明白であった。
「……わかったわよ。また、パチェに迷惑かけるのも悪いしね」
レミリアはクッキーを口に放り込むと、音を立てて咀嚼した。そして、席を立つ。
「あら。今日はもうお終い?」
レミリアはすぐには応えず、無言のまま、一瞥もくれずにフランドールの傍を通り過ぎてから、従者によって開け放たれた戸の前に立ち、言う。
「フラン。貴女とのお茶は、しばらくは遠慮するわ。これからちょっと、忙しくなりそうだしね」
フランドールは、レミリアの不機嫌そうな顔に、やや険のある声音で返事をした。
「ああ、そう。忙しいのは別にいいけど。私のお願い、忘れないでよ?」
レミリアは少しだけ、寂しそうな顔をした。
「貴女は自分のことしか考えられないのね」
彼女の傍らの咲夜の、どこか気にかけるような、心配そうな目が、癇に障る。
フランドールはぷいとそっぽを向いた。薄暗い部屋の中、テーブルの上で、ゆらゆらと怪しく揺れる蝋燭の火を、意地になったようにじっと見つめていた。
背後に、戸が閉まる音がする。続いて、規則正しい足音。徐々に遠ざかっていく。
ふん、とフランドールは鼻を鳴らした。
トン、……トン。
不自然に間の空いたノックの音に、フランドールは戸の向こうの相手のためらいを想像する。彼女は、二度三度テーブルの端を指で叩いてから、どうぞ、とだけ言った。
やがて、ゆっくりと戸が開き、顔を覗かせたのは、小悪魔であった。
やはり、あの悪名高きフランドール・スカーレットの部屋を訪れるモノならば当然というか何というか。すっかり畏縮してしまっていた。
フランドールが手招きして、向かいの席を指し示すと、彼女は大人しくその席に着く。緊張というよりも恐怖に引きつった顔で、彼女は恐る恐るといった風に訊いてきた。
「あのお……これは一体?」
フランドールはにっこりと笑うと、腕を組んで言ってのける。
「前にお姉さまがしてたこと。私もやってみたいと思ってたのよね」
「はい?」
小悪魔は消え入りそうな声だ。目の前の蝋燭の火を、これが唯一の希望だとでも言うようにじっと見つめている。
「小悪魔。貴女を美鈴に呼ばせたのには理由があるの。訊きたいことがあるのよ」
手を膝の上にお行儀よく乗せたまま、小悪魔は沈黙している。
「レミリア・スカーレットは何か怪しい儀式を行おうとしているわね?」
「え、そうなんですか?」
即座に答え、小悪魔が目を丸くした。
え、そうなの?
言いたいのはこっちのほうだ。フランドールは拍子抜けしてしまった。美鈴には話を訊いて有益そうな奴だけ連れて来い、と言ってあったはずなのだが。何も知らないのだろうか。……演技ができるほど器用なモノのようにも見えない。恐らく、彼女はレミリアの『儀式』については本当に何も知らないのだろう。
「しらばっくれても無駄よ。調べはついてるんだから」
一応、もう一歩踏み込んでみるも、
「いえ、いえ! 知りませんって! 私は何も!」
彼女をいたずらに怯えさせるだけであった。フランドールは息を吐くと、頬杖をついて、また訊く。別に彼女をいじめたくて呼んだわけではない。
なるべくことを穏便に迅速に済ませようと、フランドールは態度を軟化させた。
「……わかったわよ。じゃ、質問を変えるわ。身の回りのことで何か変わったこととかなかった?」
小悪魔は必死に思考を巡らせているようだ。ぎゅっと目を瞑って、口をへの字にして、気の毒になるぐらいに真剣に記憶を洗っているようである。
「そ、そういえば」
「なに?」
あまり期待せずに、フランドールは問う。
「前に一度、咲夜さんに、香霖堂でラピスラズリを買ってくるよう言われました。それも、なるべく人目につかないように、と。いつもはそんなこと頼まれないのに、なんでだろってあのときは思ったんです……けど」
どうでしょう? とでも言いたげな顔で小悪魔がフランドールの表情を伺う。
「ラピスラズリ、ね」
正直、益があるのかないのかわからない情報だが、まあ収穫なしよりは良い。
「ありがとう。もう言っていいわよ」
しっしっと、追い払うような仕草をして、フランドールは小悪魔を帰した。
レミリア・スカーレットの『儀式』
フランドールは改めて考える。
レミリア・スカーレットの『儀式』とは何なのか。
発端は、美鈴が拾ってきた噂話であった。
レミリアお嬢様が、なにやらとても恐ろしい儀式を行っているらしい。
そのために、必要な材料を方々から収集し、扱うための知識を得るため、図書館に引きこもって魔道書を読み漁っているらしい。
そのあまりの恐ろしさに、まず一般のモノは関わることが許されないし、関わったモノたちもまた、恐怖に口をつぐんでその内容を語ろうとはしないらしい、などと。
……実際、噂の通りか否かは判別がつかないが、館の中を、なにやら特別な命を受けたらしい妖精メイドが駆け回ることが多くなり、咲夜の意図不明の外出も頻度を増し、人妖ともに、謎の客人をたまに見かけるようになった、と美鈴は語っていた。
とりあえず、紅魔館に何か異変が起こっているのは事実のようだ、と。
普段の彼女なら、ふうんそう、とでも言って終いだったかもしれない。面白そうね、とでも笑って、でもどうせ誰かのつまらない勘違いか嘘でしょ、などと軽くあしらっていたかもしれない。だが美鈴の話を聞いたときのフランドールには、それほどに冷静な対応ができない理由があった。
レミリア・スカーレット。彼女の姉との関係である。
ここ数日、フランドールはレミリアと会っていなかった。といっても、フランドール自身は、あくまでポーズであるとはいえ、幽閉されている身である。会っていない、のではなく、避けられていると表記したほうが正しいだろう。それと同時に、従者である咲夜もまた、避けている、というほどでもないが、どこか態度がよそよそしくなっていた。
何時ごろからだと記憶を巡れば、それは最後にしたお茶からということになるだろう。
時期はわかっても、理由はわからないのだけれど。
いつものように、フランドールがわざと姉を困らせるようなおねだりをして、レミリアもそんな彼女を怒りながらも、結局はそれを受け入れる、そんないつもの一時。
お茶をしていて起こったのはそれぐらいのことであった。
目立ったいざこざが起こったわけではなかった。それは、レミリアは呆れたような、悲しそうな顔をして出て行ったし、咲夜も哀れむような目でフランドールを見ていた。でも、それはいつものことなのだ。いつも、もう私たちの関係はこれでおしまいよ、みたいな顔をして出て行ったかと思ったら、なんだかんだでまた来るのが常だったのだ。
だがその日以来、彼女はフランドールの部屋に来ることはなくなった。
わからない。フランドールはわからなかった。
レミリアはなぜ、自分から離れていったのだろう。
自分から離れて、何をしようと言うのだろう。
本当を言うと、己の生活に、彼女が欠けることが、どれほど自分の気持ちを揺らがせるものか。あの頃のフランドールは、甘く見ていたように思う。
予想以上だった。
予想以上に……つまら、ない。
だから、である。フランドールも、彼女との仲違いの理由を懸命に思い出そうとしたのだが、難しかった。
フランドールはいつも納得がいかないような気持ちで、あの日の記憶に思考を巡らせて、結局、答えがでないでいた。
そんな時に聞いたのが、レミリアの『儀式』の噂である。
ろくな信憑性もない、具体性もない眉唾物の噂。いつもならば従者たちの中だけでまことしやかに囁かれて、やがて気づかない間に霧散するだけの仕様のない噂だ。
しかしその時のフランドールには、それこそが答えのように思えたのだ。なんだかんだで妹を見捨てない、見捨てられない姉が、自分と距離を置いた理由が、彼女たちが騒ぐ『儀式』にあるように思えてならなかったのだ。
そうでなければならない、と自分に言い聞かせたのである。
故に、フランドールは即座に命じたのだ。ただちに『儀式』に関しての情報を集めること、そして、その関係者らしきものを見かけたらここに連れてくるように、と。
美鈴が全部やったほうが早いかな、とも思うが、やはり待っているだけではつまらないし、低級の妖怪ならば、フランドールが訊いた方が威圧感があって情報が引き出しやすいかもしれない。かくして、フランドールは行動に移したのだ。
いつかのレミリアがそうしたように。
……今回は答えがでなかった。
次に期待しよう。
美鈴、次はちゃんとしたの連れてきてよね。
フランドールは心中に呟いた。
がちゃり、といきなり戸を開ける音がしたものだから、誰が来たものか、フランドールは容易に想像がついた。
今度の客は、恐らく期待薄である。
視線を向ければ、案の上、そこにいたのは普通の魔法使い、霧雨魔理沙であった。
「よ、フラン。久しぶり」
魔理沙はためらいなくフランドールのもとに近寄ると、椅子を引いてどかっと座った。そして、手に持っていた、ずいぶん使い古した、若干黄ばんだ袋を、近くに適当に放り投げた。きょろきょろと周りを見回しながら、帽子を取って、ぱたぱたと仰ぎだす。
「ここは何時来ても空気が悪いな。特に夏はひどい心地だ」
「相変わらず落ち着かないね、魔理沙は」
褒めたつもりはないが、そう言われた当の魔法使いは、にひひと笑った。
「館の環境が不満なら、どうしてここに来たの?」
フランドールが訊くと、魔理沙はさも当然のように答えた。
「住み心地は最悪だろうが、盗みに……遊びに入るのなら、それなりの旨味がある。あろうことか、門番に誘われるとは思ってなかったぜ」
フランドールはちらと、彼女が今さっき放り捨てた袋を見やる。そして、ため息を吐いた。あの中に何が入っているのやら。自分が命じたとはいえ、後でお姉さまにお咎めを受けることになったら悪いなあ、とフランドールはひそかに美鈴を想った。
「ま、貴女がどんな理由でここに来ようと、今はいいわ。魔理沙、呼ばれた理由はわかるでしょ。質問に答えてね」
「よし、来い」
魔理沙は本当にちゃんと答えてくれるのか、心配になる調子で返事をした。
「最近、レミリア・スカーレットが行っているらしい『儀式』について、何か知ってることはない?」
一瞬、端的にすぎたかな、と質問をもう少し詳しくしようかとも思ったが、目の前の魔法使いの表情を見るに、大丈夫そうであった。真っ当な思案顔である。
質問の意味がわからない、といった感じはしなかった。
ふむ、と魔理沙は顎をさすって、考え込むような仕草をしている。
やがて、数秒の沈黙の後、答えた。
「知らないな」
…………。フランドールはやはり、気落ちするものがあった。
まあ、よそ者の彼女が知っていることとも思えなかったけれど。
「なんだ。あいつまた、何かやらかそうってのか?」
魔理沙の質問に、フランドールはがっかり感に声のトーンを落としながらも、言う。
「まあ、たぶん。それが知りたくて、今もこうやって貴女と話しているんだけど」
ふうん、と魔理沙は適当な返事だ。
「まあ、知らないものは知らない」
わざわざ重ねて宣言しなくても良いのに。
「つっても、それだけで済ませるのはさすがに申し訳ないか。お土産代ぐらいは払わないとな」
なにそれ?
内心の動揺が顔に出てしまったのか、魔理沙にくすりと笑われてしまった。
フランドールは自分の頬がわずかに朱に染まるのを感じながら、相手の言葉を待った。
魔理沙は、まだ何かめぼしいものがないか物色するような目で視線をちょろちょろさせている。が、やがてこちらを向いて言葉を続けた。
「その儀式とやらに関係があるかは知らないがな。香霖が言ってたぜ。最近、妙なものを咲夜が店に探しに来たってさ」
「妙なもの?」
またラピスラズリか。フランドールが復唱すると、魔理沙はどこか誇らしげにうなずいた。
「ああ。何でも、珊瑚が欲しかったんだそうだ」
「サンゴ?」
「そう、珊瑚」
ラピスラズリに、珊瑚。どんな意味があるものかな。
確かにここじゃ手に入れにくいものだろうけど、用途がわからない。
……にしても、この魔理沙の応対。違和感があるなあ。
「それともう一つ教えといてやろうか」
魔理沙は悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「人里で最近、人攫いが何件か起きてる。年齢はまばらだが、比較的高齢な人間が多いみたいだな。いずれも目撃証言はナシみたいでさ、犯人は今を以って不明だとよ」
笑顔のまま、魔理沙はさらに言葉を重ねた。
「近頃、この紅魔館あたりで人間を見たって話なら、私は聞いたけどな」
意味深な一言であった。
さて、と魔理沙はさっさと席を立ってしまう。袋を手に握って、帰るつもりのようだ。
「魔理沙」
フランドールは気づけば呼んでいた。魔理沙が振り向いて、言う。
「何だ?」
わずかの逡巡の末に、フランドールは問うていた。
「貴女、本当に知らないの? お姉さまの儀式について、何も」
魔理沙は肩をすくめると、答えた。
「知らないって。言ったろ」
「そのわりには、ここ最近の紅魔館の動向について、やたらに詳しかったじゃない。私に話すときだって、まるで答えを用意してたみたいに、すんなりしてて。もともと私に与える情報を決めてたみたい」
感じた違和感を、感じたままに、フランドールは魔理沙にぶつける。
しかし相手は、面倒そうな表情で、彼女の扱いに困った風に言うだけだった。
「フラン、あのな。必死なのはわかるけど、それは言いがかりだぜ。答えを用意してたっていうが、そりゃそうだろ? 私は美鈴からお前が何を知りたがってるか、あらかじめ聞いていたんだ。答えだって用意するさ」
「え、うーん……そう、かな」
そう言われたら、そうかな。フランドールは魔理沙の言葉に、これ以上強硬に出られなくなった。確かに、そうか。美鈴に頼まれて魔理沙はここに来たのだ。何も知らずにここに来た可能性は低い、か。
「じゃ、今度こそ私は失礼するぜ」
フランドールが悩んでいるうちに、軽快な足取りで魔理沙は出口に向かってしまう。
「姉妹仲良くしろよ、お前ら」
去り際の彼女の、悪戯っぽいにひひ笑いが、妙に印象に残った。
と、そのあたりで気づいたのだが。
小悪魔は何も知らされていないようだったのだから、魔理沙もまたフランドールにどのような用事があるのか、その内容までは知らないのが道理ではないか。
では、つまり、あれは。
魔理沙め……。
その後、妖精メイド数匹と、湖の氷精の話を聞いたが、結果はひどいものであった。
言うことが基本的に支離滅裂で、話題があっちへ飛びこっちへ飛び、氷精に至っては好きあらば悪戯をしようと油断ならないので、無駄に時間と体力だけが消費され、その上に大した成果はあがらなかった。
なんとか集めた、『儀式』関連らしき情報を挙げてみても、すでに無関係であることがほとんど自分に証明されていて、空しいだけのものであった。
血の調達に頭を悩ませていたというが、ただの食事の問題だろう。
氷精は自慢げに、メイドに貝殻をあげたとか言っていたが、それはあれが勝手に渡しただけであって、咲夜が求めたわけではないだろう。
あいつ、目に付いた奴を適当に引っ張ってきてるだけじゃないでしょうね……。
とんとんとん。
せっかちそうな、間隔の狭いノックの音がした。
もしや、とフランドールが内心に気持ちを躍らせると、やはりそうだった。
フランドールの声に、特に構えた風もなく入ってきたのは、レミリアの友人である魔女、パチュリー・ノーリッジであった。片手に分厚い本を抱えて、いかにも、本当は忙しいんだけど一応来てあげた観がある。
「またくだらないことだけ姉を真似て……」
パチュリーは嘆かわしいとばかりに額に手を当てたが、フランドールは全く意に介さず、むしろにこやかに目の前の空いた席を示した。どうぞお掛けになって、といった感じだ。
彼女が座ると同時に、フランドールは身を乗り出して問うた。
「貴女が本命よ、パチュリー。ぜひとも、貴女のお話を聞かせて!」
フランドールの勢いに気圧されたように、パチュリーは若干のけぞりながらも答えた。
「はあ。答えられる範囲でなら」
「噂になってると思うんだけど。お姉さまが秘密裏に行ってるか、または準備をしてる『儀式』について、教えて欲しいの」
パチュリーは無表情のまま、しばしの間押し黙っていた。
フランドールが、期待を込めてそのパチュリーの様子を眺めていると、やがて、ゆっくりと、彼女は言った。
「知らないわね」
え、とフランドールは絶句しつつも、一応、確認する。
「本当に……?」
パチュリーはぼんやりと自分が持ってきた本を眺めている。心なしか、目が虚ろであった。
「知らないわ」
言い切られてしまった。それも、相当につまらなそうな顔だ。こんな茶番に付き合ってられるかとでも言いたげな、端的に言えば単純に機嫌が悪そうな顔であった。
だが、とフランドールもめげない。知らないなら、知らないで良い。
なにせ彼女は本物の魔女、動かない大図書館である。
ここは本当に相談をしておきたいところなのだ。
「ね、それならパチュリー、ちょっと聞いて。これは私が独自に調べた情報なんだけど……」
大した情報ではないが、役に立たないこともないかもしれない。相手は魔法のエキスパートである。自分にはぴんとこないものであっても、彼女ならば。
フランドールは少ないながらも、これまで集めた情報をパチュリーに伝え、教えを乞うた。
「どう、パチュリー? 何か気づいた?」
期待を込めて、フランドールは言うも、パチュリーは渋い顔だ。唇を引き結んで、何も言わない。何度か視線だけはフランドールに向けられるも、言葉がなかった。
しかし、やがて何を決断したのか。パチュリーは静かに言葉を紡ぎだした。
「とりあえず。ラピスラズリと言ったわね」
フランドールはこくこくと首肯した。
「宝石には、元来、魔法に近しいものがあるわ。その妖しい、モノによってはヒトを狂わせるほどの美しさを持つ宝石は、時にヒトの気持ちを満たす装飾品となるし、ヒトのヒトとなりを歪ませ破滅させる呪いにもなる」
パチュリーは切り揃えられた前髪をいじりかけて、伸びた手をまた引っ込めた。
「種族を問わず、心的なものに訴えかけてくる宝石は、それ故、魔法の精製にはかかせない触媒となることがままあるの。その中には、力の弱いものも強いものもあるから、一概に、彼女がそれを利用して魔法的なものを作ろうとしていても、その危険度までは推し量れないけれど。……どう。同じ宝石を使った、魔法の例を挙げろというのなら何十何百と挙げられるけど、聞いとく?」
こちらにも聞きやすいように、という配慮だろうが、それでもちょっと穏やか過ぎるというか、のろりのろりとした口調で、パチュリーは言った。
「や、……それは止めとくわ。他は? 他はどう? 珊瑚とか。儀式の内容がわかるようなものは?」
聞いてたら日が明けてしまう。苦笑いしつつ、フランドールは断ってから、また訊く。
すると、パチュリーはついと後ろを向いて、何事かぶつぶつと呟いて思案に耽っているようだった。ただ単に愚痴を漏らしているようにも見えた。
結構な時間をそうしていたので、フランドールが彼女の顔を覗こうと席を立とうとすると、パチュリーが振り向いた。
「珊瑚や貝殻にはね。『外』のとある国、とある地方じゃ魔除けとして扱われていることがあるわ。呪術の一種だけど、それに悪魔が手を加えたらどうなるものかしらね」
そして、ふう、と息を吐いた。どうも神経を使う問答だったらしく、フランドールは、これ以上突っ込んでいくのが少し悪い気がしてくる。
ああでも、これでは情報がやはり足りない。
魔法的、呪術的なものが関わっていたとして、それぐらいではまるでその内容に見当がつかないではないか。もっと、考えないと。もっと、情報を集めないと。
フランドールが焦りにも似た苛立ちを抱きつつあった時だ。
「ところで、フランドール。私からも貴女に質問だけど」
「なに?」
そう訊くパチュリーの声音が、やたらに刺々しかったものだから、思わずフランドールは、相手の機嫌を伺うような、弱々しい声を出してしまう。
「貴女はその、レミィの儀式とやらを知って、なんになるっていうの?何か目的があっての行動なの、これは」
淡々とした、いつもの彼女らしい、やや早口の問いかけ。針で刺すような、ささやかでありながら確かな非難の色が、彼女の語調には表れていた。
「それは」
フランドールは、自分の声の震えを、自覚する。
「フランドール」
パチュリーの、諭すような声が、頭に響く。
「言わせてもらうとね。今の貴女、すごくみっともないわ。吸血鬼ともあろうものが、下々の連中の、真偽も定かでない噂に踊らされて。なりふり構わず、協力を仰いで。レミィが見たらなんて思うかしらね。きっと失望するわよ」
「そんな、……こと」
フランドールは反論しようとして、その材料がないことに、いまさらながら気づく。
たったの一言の反論にも迷う彼女に対し、パチュリーはあまりに冷静に、とめどなく言葉を紡いでいく。
「貴女の動機は、どうせつまらない意地か道楽なんでしょ。ばかばかしい。くだらないことに時間を取らせないで。私だけじゃないわ。あの門番も、小悪魔も、妖精メイドたちにだって仕事があるの。お嬢様の暇つぶしに付き合ってる暇なんてないのよ」
「だって……だって!」
「なに? 言いたいことがあるのなら、言いなさいよ」
フランドールは、ぐっと唇を噛んで、流れ出した血が顎まで伝うほどに強く噛んで、言いかける。でも、声に出ない。言葉に出せない。
だって、だって。
「言えないんでしょう。理由なんてないから、言えないのよ。貴女はそうやって、いつも好き勝手にヒトの迷惑をかけて、それで楽しんでる。あんなに妹思いのレミィも困らせて。どうせ今回のことも、またレミィの邪魔をするつもりだったんでしょ」
「違う!」
「じゃあなによ!」
パチュリーは席を立つと、一歩一歩を確かめるように、フランドールのもとに近寄る。そして、すぐ傍まで寄ると、彼女を見下ろしたまま、言い放った。
「答えてみなさい。フランドール。答えがあるんでしょ」
うう、と声が漏れるも、フランドールは覚悟を決めた。自分は吸血鬼だ。これ以上、みっともない真似はできなかった。答えなければ。ちゃんと。
たまらなく惨めで、途方もなくみっともない答えだけれど。
「だって、……そうよ。だって、寂しいから。お姉さまも、パチュリーも、美鈴も、咲夜も。ずっとはいないでしょ。限られた時間にしか会えないでしょ」
ぽつりぽつりと、言葉が零れる。
「もっと一緒にいたかったから。私がみんなのことを思ってるように、みんなにも私のことを……って、思っちゃったから。だから、……」
嫌だなあ、とフランドールは思う。
こんなときに限って、思い出してしまう。
あのレミリアの表情。呆れたような、悲しそうな。
不出来な妹を持って、苦労する姉の表情。
「だから、いつの間にか、会うたびに無茶なお願いするようになっちゃったって? どっちにせよ、身勝手な話ね」
「……ごめんなさい」
……。変な間が空いた。ふと、がっくりと頭を垂れていたフランドールが顔を上げると、パチュリーが口をあんぐりと開けて、硬直していた。しかし、フランドールに見つめられて、我に返ったんだろう。すました顔で、彼女は言う。
「それを、あのヒトに言ってあげなさいよ。たぶん、もうじき会えるから」
「ほんと!? お姉さまに会えるの!?」
ぐいいと顔を近づけたフランドールに、目を逸らしてパチュリーは頭を掻いた。
「あ、うん。たぶん……」
いきなり自信をなくしてしまった。
でも、そうか。パチュリーは不確定なことを話したりはしない。
またレミリアに会えることは、事実なのだ。
そう思うと、じわりと胸に広がる安心感がある。
なんだか泣きそうになって、フランドールは暗い天井を仰いだ。いつもなら陰鬱な印象しか受けないものだが、今日ばかりは少し、違って見えた。
半歩下がって、ぱんと、手を叩いてパチュリーが勝手に気を取り直したように、言う。
「それより。もうわけのわからない『儀式』のことはいいでしょ。誰か、存在忘れちゃってるお馬鹿さんがいるんじゃない?」
フランドールは、あれ、と思い返して、
「あ、美鈴……」
「あいつも一途な奴だから。さっさと回収してきなさい。放っとくと夜通しで命令こなしちゃうわよ。門番業をまるきり構わずね」
フランドールは小さく笑うと、彼女の言葉通り、さっさと彼女を迎えにいくことにした。
もう、いいのだ。全部、中途半端になってしまったけど、これで良い。
紅魔館、とある一室。
十六夜咲夜はうんざりした面持ちで自らの主の『儀式』を眺めていた。
傍らにはパチュリー、さらにその横には美鈴、今日は加えて彼女の横に小悪魔もいた。
部屋の隅ですっかり縮こまって怯えてしまっている人間たちがひたすらに哀れだ。中にはろくに歩くこともままならないご老体もいるというに、これはちと酷である。
「何枚描いたの?」
パチュリーが半ば、放心したような風情で、問う。昨夜、突然、図書館に押しかけてきた主に質問攻めにあったせいで、寝不足なのだという。
「さあ……。ずうっと篭もって描いてらっしゃいますし。結構な枚数にはなるかと思いますけど」
「それなのに、まるで成長が見られないってのは、なんでかし……ら……」
言い切らないうちに、パチュリーは大あくびをした。目をこすって、ぐったりと壁にもたれかかる。
咲夜は、部屋中に散らばった画用紙のうちの、手近にあった一枚を拾い上げた。
それは、……。
形容しがたいが、何だとはっきり示せない限り、形容するしかないので、無理に表現するならば、それは、……抽象画と言ってしまうと、失礼か。
例えば、トマトと卵をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、画用紙に叩きつけた後に、上から何度か踏みつければ、こうなるだろうか。とにかく、肖像画というにはアグレッシブすぎる一作であった。
「あ、どう? 咲夜?その絵、なかなか上達してきたでしょ?」
紅魔館の主たる吸血鬼レミリアは、爽やかさすら感じる笑みを浮かべて、言ってしまう。
咲夜は思わず顔を引きつらせて、近くの仲間たちに助けを求めるも、無情なものだ。
パチュリーは懸命に寝たふりをし、美鈴は本当に立ったまま寝ており、小悪魔はいつの間にか人間たちのなかに混じって縮こまっていた。
「お嬢様」
致し方なし、と、慎重に、咲夜は言う。
「やはり肖像画というのはですね。描く相手を目の前に置くのが普通かと……」
「それはどういう意味かしら、咲夜」
レミリアは笑みを浮かべたまま、ドスの訊いた声を出す。頬についた、鮮やかな群青色を拭った。あんな色、どこに使うんだろう……。と、考えて、何時だったかに背景がどうとか、レミリアが言っていたのを、咲夜は思い出した。
ああ、と人間のうちの一人が切ない声を上げた。それはそうだろう。レミリアが今さっき描きあげた絵を見てしまったのだ。
中年の画家が原料から作った貴重な絵の具が、老年の女性が大切に扱っていた絵筆が、むちゃくちゃに扱われた、無残な結果を見たのである。
「いいこと、咲夜? それでは意味がないのよ。わかる?」
「はあ」
「事前にばれていてはダメなの。それだと……その、かっこ悪いじゃない。こんなに苦労しているのを見られちゃ。そのために、カムフラージュにカムフラージュを重ねて、わざわざ面倒な絵の具の原料から取り寄せたり、飲みたい血を絵に使ってさ。人里からこっそり協力者を募ったりしたんじゃない」
大嘘吐いて、説得しといてこのざまじゃ情けないわね……。
傍らで、心底疲れ果てたような声が聞こえた。
「ここまで、気取られないように努力してきたんだもの。みんな、最後まで協力しなさい。いいわね」
レミリアが当然のようにそう言って、あたりを見回すと、返事がどこからも湧かなかったが、レミリアは気にしにしていないようだ。
「それと、咲夜? 私の絵の出来に不安があるそうだけれど」
「いえ、そんなことは……」
「それは間違いよ」
はっきりと断言されてしまった。
「私はこの目で、ずっとずっと五百年ぐらいあの子を見てきたのよ。目の前にいようがいまいが、あの子の姿なんて簡単に思い描けるわ。後はそれを、画用紙に移すだけよ。それだけだもの。もうちょっとよ、本当にもうちょっと」
咲夜は、ため息をついた。
熱意がなければ自然に止めるだろうし、善意でないなら説得も簡単だ。
ところが、どちらもあるからわが主は困る。どちらも、あり余っているのだ。
驚くほどに、満ち足りている。
「あの子のことは私が一番わかってるのよ」
レミリアの笑顔に、咲夜は呆れつつも、つられて笑ってしまった。
本当に、なんてことなんだろう。恐ろしい。
従者たちにとっては苦でしかない、それはそれは恐ろしい『儀式』は、きっとまだまだ続いてしまうのだろう。
姉が妹を想い、妹が姉を想う限り、形を変え場を変えて、ずっと。
まさか絵具とは思わなかった。
彼女の瞳には君の可愛らしいお顔がきっと映っているはずだから。
……こいつはくせぇッー! 自分で言ってて鼻が曲がりそうだぜ!
とりあえず、姉馬鹿なレミリアお嬢様に乾杯!
それに何故このパチューリはこんなに感情を荒げているの? どうしてここまでフランドールに突っかかるの?
あっ、そう言えばこの作者の過去作には紅魔館を扱ったタイトルがあり自分はまだ未読だったかな?
一先ず過去作読んでみた――――納得がいった。
この話は『誰が誰のために 』の地続きであることを文頭に明記してもよいのかもしれない。
今は純粋な気持ちで読めそうにないのでフリーレスで。