―――風見幽香は、昔から一本芯の通った妖怪であった。
彼女が生まれたのは砂漠の中。しかし、彼女自身も何故そのような場所で生まれたのかは知らない。気づいたら、そこにいたのだ。
理由もなく、目的もなく、果てしなく続く砂漠を歩き続ける毎日。旅の人間と出逢えば逃げられ、人間の集落を見つけて近づいてみれば動物の白骨を投げられ、たまに妖怪と出逢ってもろくでなしと言われて追い返される。彼女は、生まれてからずっと一人だった。
しかし彼女は、どれだけ長い間一人でも屈することはなかった。どんなに力が無くとも、どんなに自分が弱くとも、それを嘆いて立ち止まること無くただ前へと進み続けた。
そんな日が気が遠くなるほど長い間続いたが、幽香は何も変わらなかった。そのかわり、それとは違い周りは大きく変化していった。
まず、明らかに人間の数が減った。前までは三日に一度は集落を見つけることが出来たが、今では砂漠に埋もれた跡地ばかりが風景の中に映っている。時折集落を見つけると、前までは追い払われる程度だった威嚇ではなく完全に殺しに来るような攻撃をして来るようになった。また、妖怪は幽香を見つけると人間を殺せとほのめかしてきた。たが彼女は耳を貸さなかった、無意味に殺す行為はただ優越感に浸ることだと彼女は思っていたのである。そう伝えると、妖怪は幽香に殴りかかってきた。どれだけ強気でも、力の弱い幽香では攻撃を防ぐ事はできない。頭を殴られ、頬をはたかれ、倒れた身体を踏まれ、腹を蹴られ………それでも彼女は屈しなかった。幽香は、どれだけ痛めつけられても自分は弱いと認めることはなかったのだ。
更に時間は経ち、それでも幽香は砂漠を歩き続けていた。否、前に進むこと以外に何をすればいいか知らなかった。
そんなある日、幽香は今まで見たことのない建物を見つけた。普通の集落とは違い、その建物は中に入ることが出来ない作りになっていたのである。それなのに、中からは微妙な妖力が溢れていて、妖怪がここにいるのだということは理解できた。
気になった幽香はその建物に近づいて周りを散策した。しかし全体が壁に覆われ中を見ることは叶わない。そしてそろそろこの場から離れようと思ったとき、壁の一箇所が突然空いて中から一人の少女が出てきた。
少女は今まで見てきた人間や妖怪とは全く異なっていた。その身体に不釣合な大きな鎌を持ち、金色の髪の毛は少し長めで肩のあたりでカールしている。さらに服装は砂漠を歩くのに適していない貴婦人のようなものを身につけていた。幽香からすれば、初めて見る不思議な服という意識しか無かったが。
だが幽香は、それ以上に気になったことがあった。見た目は明らかに人間なのだが、不思議と妖力を感じる。それについて聞いてみると少女は笑って「妖怪だもの」と言った。幽香は、今まで見てきた妖怪の姿を思い浮かべて疑問でいっぱいになった。他の妖怪は人間よりも身体が大きく、ある者は獣のように、またある者は人外のような姿をしていた。しかし少女は見た限りでは人間と区別はつかない。その不思議な服装と鎌とわずかに漏れる妖力以外には。
普段は誰とも干渉しない幽香だったが、そんな不思議な存在に興味を惹かれている自分に気がついた。誰とも交わらず一人で生きていく意味だけを考えていた自分と、明らかに周りとは別の少女にもしかしたら親近感を感じたのかもしれない、と幽香は思う。
そんな幽香に対して、少女はまた笑って「貴方も私と同じじゃない」と言ってきた。もしかしたら心を読まれたかもしれないと幽香は思ったが、どうやら彼女がそう言ったのは偶然だったようだ。少女はもう一度笑って「貴方も私と似たような姿をしているじゃない」と言ってきた。
幽香は自分を見下ろしてみた。身体は昔拾ったぼろ布のようなフードを身につけ、無造作に伸びた髪の毛はくすんだ緑色をしている。今まで自分の姿などに興味を持たなかった幽香は、そんな自分の姿を見て少しだけ自分というものが分かった気がした。だが、少女を見た感じ同じ姿だとは思えない。彼女は綺麗な服を着て髪の毛はしっかり整えられた金髪である。それについて聞いてみたところ彼女は自分の鎌を幽香の前に差し出した。するとその表面には生気の感じられないくすんだ緑色の髪の毛の少女が映っていた。「これは誰だ」と幽香が問うと、少女はいたずらが成功した時のような笑顔で「貴方」と言った。
幽香から少女が鎌を離すと、鎌には幽香の全身が映った。自分が見下ろした時と同じ、身体は昔拾ったぼろ布のようなフードを身につけ、無造作に伸びた髪の毛はくすんだ緑色をしていた―――が、それ以上に驚いたことがあった。少女も言ったが、幽香はまるで人間のような姿をしていたのである。幽香は初めて、自分の中に焦りが生まれたのを実感した。
少なくとも幽香は自分のことを妖怪だと思っていて、今まで見た人間とは何か違いがあると思っていた。しかし見た目だけなら人間とは全く変わらない。少女が自分と同じだと表現した意味を、幽香はこの時理解した。
それからまた数年。
幽香は出会った少女と暮らしていた。それまで一人でただ歩くことだけを続けていた幽香であるが、少女と会った日に「少しここで暮らしてみたら」と誘われたのだ。その時の幽香は自分というものが分からず困り果てていたのと、特にあてのある旅でもなかったことから了承した。
まず、鎌を持った少女の名前はエリーと言った。一時期はその姿を利用して人間になりすまして生きていたのだが、成長しない身体を不審がられるため移住を繰り返していた。だが、そんな毎日を過ごすうちに自分と人間との違いを多く見て、やはりこの世界では人間と交わるべきではないと思ったらしい。そのため妖怪らしく生きようと思ったが、今まで一緒に過ごしてきた人間たちのことを考えるとそれも叶わなかった。なので、今は一人で居を構えてゆったりと過ごしてきたようだ。
対する幽香は、まだこの時名前はなかった。誰とも交わることもなかったし、そもそも名前という存在を知らなかったのだ。人間なら人間、妖怪なら妖怪だ。だからエリーは幽香に名前をつけた。幽香は必要ないと何度も言ったが。最初は「いきなりやってきて幽霊みたいだった」という理由で「幽霊」と名付けられかけたが、幽香自身そんな理由で名前をつけられるのは癪だったので抗議したところ「じゃあ、貴方は何だか懐かしい香りがするから………」という理由で幽香になった。幽霊から完全に離れきれなかったのは少しショックである。
そしてこの二人の生活が始まったのであるが、最初は幽香が聞きたいことを聞くことから始まった。
まず最初に聞いたのは、何故人間は幽香自身が妖怪だと分かったのか。エリーのように人間と見られなかった事に疑問を持っていたのである。それに関してエリーは「きっと肌が白かったから」といった。そのことについて幽香がエリーに尋ねると、彼女は少し考える仕草を見せるとこう言った。
「砂漠の中を簡単な布切れ一枚で過ごすのにも限界があるのよ、幽霊………いや、幽香。まず人間なら、日中はとてもじゃないけど全身を覆うほどの何かを身につけないと肌が焼けてしまうわ。多分貴方が見た人間は全員が全員その姿だったはずよ。後は夜はとても冷え込む。あなた自身分かってるとは思うけど、そんなボロボロの布では人間じゃ耐えられない。それでも大丈夫なのは貴方が力の『強い』妖怪である証拠」
しかし幽香は更に疑問に思ったことがあった。自分が力の強い妖怪であるということである。今までどの妖怪にも力が及ばず、とりあえず殴られるだけだった。どう考えても弱い………それについて尋ねたところ、今度は「憶測だけど」と前置きをしてエリーは言った。
「そんなことないと思うわよ。今まで妖怪に殴られても一度も屈したことは無いのでしょう? 貴方は誰よりも自分が強いことを知っている。ただ、その強さを留めてるだけだと思うわ………もしくは生まれて間もないから、自分の妖力をまだうまく扱いきれてないのかも。妖怪は人間と違ってかなり長い時を生きるから」
エリーはそう言うと、立ち上がってそのまま部屋の奥へと行った。エリーの話が終わってからも幽香は頭を悩ませて、とりあえず自分のことで今日分かったことを整理してみた。まずは自分が人間と同じ姿をした妖怪であること。人間はそんな自分を、本来の人間ならあり得ない姿だったから妖怪だと分かっていたこと。そしてなにより、自分がもしかすると強い妖力を持っていること―――。
幽香が思考に没頭してる時、奥の部屋からエリーが戻ってきた。その手には綺麗な長い布と桶が持たれていた。
「とりあえずそこの井戸で水を汲んでくるから身体を洗いましょう。砂だらけにしておくとお部屋が汚れちゃう」
―――あまりにもエリーが不憫そうな目を向けてくるので、幽香はよく分からずも首を縦に振った。
~◆~
エリーと幽香の生活は順調だった。
まずは幽香は妖怪としての知識と、人間としての知識をエリーに教えてくれるようお願いした。幽香はエリーと同じようにどちらにも成り切ることは出来ないと思ったことから、とりあえず両方の知識を得ようと思ったのである。そんな幽香の思いを汲み取ったのかエリーは快く承諾し、まずは人間の生活をしながら妖怪の知識を得ていくことで決まったのだ。
まず、エリーは幽香に服を提供した。長めのスカートに白いワイシャツという簡単な服だったが、幽香は今までとは違う自分の姿を見て非常に喜んだ。エリーは次に生活に必要なことについて教えた。まず寝るのは朝、起きるのは夜だというのは生き物の本能なのか幽香は理解していたので、料理について教えることにした。と言っても、砂漠にいるためそこまで凝ったものが出来ないのだが。話を聞くと、幽香は今まで少量の水分とたまに見る生き物を食して生きていたらしく、少なからずエリーは驚いた。妖力の弱い妖怪は定期的な栄養を摂取しないと自我を保てない場合もあるが、幽香はそれに当てはまらないらしい。きっと、自分自身よりも妖力は高いだろう、とエリーは思った。
そしてそんな毎日が過ぎ、エリーは幽香に妖怪としての力の使い方を教えようと考えた。本来なら教えるものではなく自分で気づくものであるが、幽香は自分の生まれた理由も分からなければ力を行使したこともない。そのため、エリーはとりあえず幽香に力作業や多少の格闘技も教えた。その甲斐があったのか、幽香は次第に力の使い方を憶え、今ではたまに食料を求めてやってくる知能の低い妖怪を軽くたたき返せるほどになっている。
更にそんな日が続き、幽香はエリーのことについて聞きたくなった。幽香自身、自分のことについて知りたい気持ちでいっぱいだったが、もしかしたら似たような境遇にいるエリーの話から何が分かるかもしれないという気持ちがあったのだ。
だから幽香はその日エリーについて聞くことにした。ちなみにこの時、幽香もエリーは『少女』というよりも『お姉さん』と言ったほうがしっくりくるような姿をしていた。
「エリー。話があるんだけどいいかしら?」
「どうしたのー?」
幽香は食器を洗いながら、洗濯物をたたんでいるエリーへと声をかけた。エリーは手を休めること無く、いつも通りの調子でのんびりと対応している。
食器を洗い終え、幽香は飲み物を準備してテーブルに置いた。そしてエリーの作業を手伝うと「ちょっと大事な話なの」と言ってテーブルへと誘った。エリーは不思議そうな顔をしていたが、話せば分かると思ったのか特に追求しては来なかった。
「で、話って何かしら?」
「エリーの昔の話なんだけど」
エリーは手元にあった飲み物を口に一口含むと、じっくりと味わってテーブルに戻した。彼女はそのまま幽香に微笑んだので、幽香はそれが話を促しているのだと感じ、言葉を続けた。
「エリーは一体どこで生まれたの?」
「普通に生まれたわよ」
「………普通に?」
「では逆に聞くけど、幽香はどうして生まれたのかしら?」
「………どうして?」
幽香は一番知りたいことをエリーに言われ、少なからず動揺した。思わずエリーから視線を離して言い訳を探してしまう。特に隠すことでもないのだが。
エリーはそんな幽香を見て軽くため息を付いて、こう言った。
「全く、そんな遠まわしに詮索しないで素直に聞きましょうよ。自分のことが知りたいーって」
「べ、別にそんなんじゃ………」
「別に恥ずかしいことじゃないわ。自分のことは自分が一番分からないんだから」
「そうなの?」
「多分」
「………」
「………ごめんなさい、余り昔の話はしたくないの。ただ一つだけ言えることがあるわ。妖怪は時に『強い想い』によって生まれることがあるの。私もそう、ある強い想いから生まれた妖怪。きっと貴方もそんな妖怪のはずよ」
「………そうなの、かしら」
「ええ。後こういうのも何だけど、一つ勝手な予想もあるわ」
そう言うとエリーは珍しく真剣な表情で幽香に人差し指を向けてきた。妙なことだが、エリーは時折冗談でもこんなことをする。一度彼女に尋ねたところ「何かカッコいい」と言っていたが、未だ幽香はその気持ちが分かっていない。
しかし今回のエリーはいつになく真面目だ。幽香は一つ深呼吸をすると、視線でエリーに先の話を促した。エリーは頷くと、そのまま話を続けた。
「憶測だけど、きっと幽香………貴方は『花の妖怪』よ。私が貴方に名前をつけたときに『懐かしい香りがする』と言ったと思うんだけど、アレは今思えば花の香りね」
「………花?」
「そう、花。幽香は知らないと思うけどとても綺麗な植物よ。季節によって咲かせるものと咲かせないものがあるわ。幽香はきっとその妖怪だと思う、きっと。まず貴方は砂漠の真ん中で生まれた。旅人が落としたのかは分からないけど、普通砂漠に花なんて数える程度しかないわ。きっと大事にされていたのでしょう。次に今言った強い想いからだけど………幽香は何も考えずに歩いたと言った。それはきっと何かを求めていたはず。一輪だけ咲いていた花が、また沢山の花の中で咲き誇りたいという『強い想い』から生まれたのだと私は思うわ」
「………」
「それになにより―――幽香は綺麗だしね。それ以外考えられないって」
「き―――綺麗って、ば、馬鹿じゃない、の!?」
「ちょ、動揺しないの! 家が壊れちゃうじゃない!!」
それから顔を真っ赤にして暴れる幽香を大人しくさせることに成功したエリーであるが、少しだけ家に亀裂が入ってしまった。少なくとも幽香が妖怪として素晴らしい才能を持っていることを喜んでいたが、少しだけその強さに焦燥感を持った瞬間であった。
それからしばらくして、エリーは幽香に花について教えた。まだ花の妖怪だと決まったわけではないが、幽香は嬉しそうに話を聞いていた。花にはいろいろな種類があること、一度に咲き誇るととても綺麗なこと、そして―――どれだけ踏まれたりしても、また咲き誇るだけの力強さを持っていること。
その後、幽香はエリーに「花が見たい」と伝えたが、ここは砂漠にあるため無理だと言った。すると「旅に出る」と幽香は強気に言ったので、エリーも困ってしまった。しかし、エリーも自分の存在に苦しんだ身。それに今では幽香は大事な家族である。家族のために動かなくては家族失格であると思ったので「じゃあ、旅に出ましょう」と幽香に伝えた。その時の幽香の嬉しそうな表情は今でも忘れられない。
そして次の日。
先日とは打って変わって、幽香は困った表情をしていた。つい勢いで旅に出ると言ってエリーを巻き込んでしまったが、彼女は幽香の恩人のようなもの………それなのに、自分のワガママに付きあわせ過ぎていることに今更気づいたのだ。
やっぱり自分一人で旅に出よう―――そう伝えようとエリーの部屋に言ったところ「今更前言撤回なんかしたら切るよ?」と笑顔で言われたのでそのまま逃げてきた。自分の発言には責任を持て、そういう気持ちを込めていたのだろう。
その後幽香が再度お願いしに行ったところ、エリーは怒るでもなく「楽しそうだから良いよ、私も久々の旅で楽しみだし」と気楽に言ってくれた。心からそう思ってくれているのかは別として、どう見ても楽しそうにしていたので幽香は少し気が楽になった。
~◆~
アレから数年になるが、一つとして花は見つからなかった。
どうやら昔以上に人間の姿も減ったようで集落も中々見つからず、情報収集も出来ない。たまに妖怪と出会うが知能が低い妖怪ばかりで、襲いかかって来てそれを追い払うの繰り返し。手がかりすらつかめない状況である。
エリー自身何か知っているかもしれないと最初は思ったが、どうやら彼女も地形が大分変化しているせいで地理がうまく把握できていないようだ。まさに、当てのない旅真っ最中である。
だが、旅をしていくうちに不思議に思うことがあった。人間の姿が少ないことと、知能の低い妖怪しかいないことである。そこで二人は、一旦花を探すことよりも昔までいた人間と知能の高い妖怪についての情報を集めることにした。もしかすると、この世界の変化が関係しているのかもしれないと思ったのである。
そして見つけたのは、今まで何度も見てきた集落の跡地―――大半は砂に埋れてしまっていたが、エリーが身体を回転させる容量で鎌を大きく振り回すと、跡地を埋めていた砂が一気に持ち上がった。この時、幽香が初めてエリーの妖怪らしさを見た瞬間である。
大抵は風化したのか残ってはいなかったが、時折見られる生活用品のようなものからやはり集団で住んでいたのだろう考えることが出来た。だが、そんな幽香の考えとは違ってエリーは複雑そうにその光景を見つめていた。
「どうかしたの?」
「………いえ、気のせいだと思うんだけど」
そう言うと、エリーは慎重に言葉を続けた。
「私の記憶だと、ここ周辺を襲うような砂嵐はなかったわ。それに地盤がしっかりしてる、きっと手入れをしていたと思うわ」
「どういうこと?」
「要はね、この集落はとても大きな場所だったのよ。集落というより町と読んだほうが良いかもしれない。多分………」
そう言うとエリーは少し離れたところまで歩いて、また砂を巻き上げた。それを数カ所繰り返し、更に念入りに砂を巻きあげていく。すると―――
「―――ほら、これだけ広い範囲で地面が整えられている。それにここなんて大きな穴まである。この町は多分、妖怪に襲撃されて全壊させられたと考えたほうが妥当でしょうね」
「それは本当?」
「予想が間違っていてくれたらいいけど、知能の低い妖力だけが高い妖怪ならやりかねないわね」
「それは………人も減るわね」
「幽香、何か思い当たることはない?」
そう言われて幽香はエリーと出会う前のことを思い出した。減っていく集落、でもまだその時はいた話しかけてくる知能の高い妖怪。
「………そうだ。私は妖怪に人間を殺せと言われたことがある」
「それはいつ頃?」
「貴方に会うよりもっと前よ、エリー。それにその頃は人間が私のことを殺しに来たわね」
「………ということは、やはり妖怪が人間の集落を襲っている方が妥当かしら。そして人間は集落を捨てて逃げて―――もしかしたら、ここみたいな町を作っているのかもしれないわね」
「………複雑ね、人間の姿をした妖怪の居場所なんて無いわ」
「………一時期人間と過ごしていただけに、私はショックよ。でも、これも仕方ないことなのかもね。幽香がいてくれて助かるわ」
「私もよ、エリー」
そう言うと二人はお互いに微笑みあった。それだけで、沈みかけていた気持ちが楽になるのがわかった。幽香は今まで一人で旅をしてきたが、この時本当の意味で仲間の重要さを理解したのだ。
それじゃ―――と前置きして幽香は言葉を続けた。
「とりあえずエリー、私たちはこれからどこへ向かおうかしら?」
「幽香は目星がついてるんじゃない?」
「………さすが私のことをよく分かってるじゃない。でも、一応貴方の意見を聞きたいわ」
「あら、昔は何もわからなかった少女がいつの間にか主導権を取るようになったのね。それじゃ、私の意見を聞いて下さるかしら?」
「ええ、聞いてあげるわ」
また幽香とエリーはお互いに微笑みあった。それだけで居心地がよくなるのだから不思議である。
そしてエリーは今まで歩いてきた方角へ鎌を向け―――
「―――貴方が生まれた場所に何か秘密があるとは思わないかしら、数年前とは言えそこには人がたくさんいたのでしょう?」
幽香はそんなエリーを見ながらやっぱり彼女は仲間だなあと思いながらこう言った。
「―――奇遇ね、私も同じことを考えていたわ」
そして二人は今まで来た道を戻り始めた。逃げるのではなく、前へ進むために。
~◆~
まず二人が見たのは、今までに見たことがない規模の町だった。
周りには大きなバリケードがあり、侵入者を拒むかのような作りをしている。上には煙が上がり、そこに人が暮らしていることは容易に想像出来た。唯一存在する入り口には体格のいい男性が数名立ち、いつでも門をとじれるよう待機している。幽香は自分が生まれた場所の近くにこのような場所があったことに少なからず驚いたが、思えば歩くに連れて人間や妖怪の数が減っていったのでむしろ当然のことかもしれないと思っていた。
とりあえず二人は人間になりすまして中に入ることにした。非常に残念なことだが、ここに来る途中に何度か人間の骨を見つけた。きっとここまで辿り着けなかったのだろう………もしくは邪魔者として置いて行かれたのか。
幽香は何度か攻撃されているため不安だったが、見た目は昔とは違って成長している。それに此処へ来る途中一度エリーの家に戻ってフードを回収したため、前のように妖怪だとバレることはないだろう。ただエリーの家は妖怪に襲撃されたのか大分荒らされていたので、それ以外は何も無かったのだが。
ふと幽香が横を向くとエリーが難しそうな表情で町を見つめていた。良くは分からないが、きっと昔のことを思い出しているのだろうと幽香は思う。エリーは未だ、幽香に過去のことを話したがらないのである。
しばらくしてエリーはダミーの服とフードを取り出し、幽香と共に一度その場から離れて着替えを行った。多少身体を汚すことも忘れない。これなら長旅で疲れた二人の人間に見えるだろう。
そして二人はふらふらとした足取りで門へと近づいていった。門番の一人が武器を持ちながら駆け寄ってきて「まずは姿を見せろ」と言ってきたので、エリーは素直に自分の姿を見せた。門番はそれを見て安心したようで「お前も姿を見せろ」と幽香に言った。幽香も素直にそれに従って自分の姿を見せたが「………ん?」と門番は不思議そうな顔をした。もしかしたらバレたかもしれない―――幽香は戦慄したが、エリーがすかさず「どうかされました?」と門番に話しかけた。何かを思い出そうとしていた門番は頭を振って、そのまま何事も無かったかのように二人を町へと招き入れた。
町に入ると、今までに見たことがない程多くの人間が敷き詰められていた。その中の数名が駆け寄ってきて「妖怪に襲われなかったか?」「無事辿りつけて良かった」「とりあえず休め」とすぐに休憩所へと案内してくれた。幽香は微妙に居心地の悪さを感じていたが、大事にされることに悪い気はしない。エリーに「人間ってちゃんとしてれば良いものね」と言おうとしたが、彼女があまりにも悲しそうな目をしていたから言葉を呑み込んだ。幽香は良く分からなかったが、とりあえずエリーと休憩所へと向かうと一休みすることにした。エリーも先程までの悲しそうな目ではなく、どこか無理をした表情で笑顔を作っていた。
しかし、それは突然訪れた。休憩室で人間らしく仮眠を取っていると、突然外が騒がしくなった。何事かと思って幽香が外を見ると、多くの人間が逃げ惑っていた。
エリーも気づいたらしく、その光景を苦しそうな表情で見つめている。幽香はエリーに「様子を見てくる」とだけ伝えると外へ飛び出した。エリーは聞こえていなかったのか、その光景をじっと見続けていた。
まず幽香が外に出て行なったのは情報収集だった。逃げ惑う人間たちは呼びかけても耳を貸してくれない。やむを得ず先ほど入った門の方まで行くと、そこは入った時とは違いしっかりと閉じられていた。その門が開かないように男たちは必死に押さえ、口々に「妖怪たきたぞ!」「ちきしょう、壁が持たない!」「くそったれが!」と悪態を付いていた。
門へと注意を向けてみると、門が揺れるたびに大きな音がする。きっと妖怪が攻めこんできて、門を破壊しようと叩いているのだろう―――幽香は冷静にそう分析した。
しばらくしても門は開かず、そのままの状態が何分もの間続いた。やがて叩く音も無くなり、門番たちが安心したその瞬間―――門番の一人の身体に何かが刺さった。
何が起こったのか、その場の誰も理解できなかった。ただ一人の門番を一本の槍の方なものが貫通していて、気づいたら絶命していた。突然の攻撃に門番たちはパニックになりながら門へと目を向けると―――門番を刺した槍が貫通した跡があった。それを見て幽香は更に冷静に分析した。きっと今外にいる妖怪は、自分の力で武器を作れるほど知能の高い妖怪であると。
次に門を襲ったのは斧のような物。妖怪が叩くたびに所々貫通していく。貫通した部分から更に斧が伸びてきて、門番の一人の身体を叩き切った。
門番たちはもう冷静ではいられなくなった。仲間を見捨ててそのまま全力で走りだし、われ先にと逃げ出した。途中幽香の横を通りすぎるが誰も気に止めない。最初の優しかった人間は、自分が危険になるとこうも簡単に仲間を見捨てるのだ。
幽香が門をじっと見つめていると、突然門が崩壊した。その先には5体ほどの妖怪たち。どれも人間の倍以上はある体躯で、まだ乾ききっていない血のついた斧を手にしている。そのうちの1体が、今絶命したばかりの門番を掴み上げ食べ始めた。幽香はそんな妖怪を見て吐き気を覚えたが、エリーに妖怪は人間を食べるものだと教わっていたのでなんとか吐き気を堪えることが出来た。
だがそれを見ているうちに幽香の中で人間に対する変化が出てきた。今妖怪が食している人間が、あまりにも美味しそうな食べ物のように―――
「―――て、何考えたんだ私は!」
幽香は力のかぎり自分の頬を殴った。一瞬自分が変な事を考えていたことに気づいて、身震いした。やはり自分は妖怪なのだと思う反面、あのようには生きて行きたくないと思う心がある。この時幽香は、心から自分は人間にも妖怪にもなりきれないのだと自覚した。
「―――」
妖怪は幽香を見て、しかし瞬間興味を失ったのかまだ息のあるもう一人の門番へと手を伸ばした。門番は苦しみながらも必死に逃げようと身体を動かすが、抵抗むなしく妖怪に掴み上げられ―――
「いい加減にしろ!」
幽香が力のかぎり妖怪の腕を殴った。妖怪の腕は嫌な音を立てながら折れ、痛みを訴えるように激しく叫んだ。その手から開放された門番を幽香は掴み上げると、少し離れた場所へと運んだ。門番は妖怪ではなく幽香に対して恐怖の視線を向けていたが、幽香はそれに気づかないふりをした。
まず、腕の折れた妖怪が幽香に殴りかかってきた。幽香はそれをかわすと妖怪の腹を思いっきり蹴り飛ばし、後ろにいた4体の妖怪ごと門の外へと吹き飛ばした。幽香はそのまま門の外へ出ると、ダメージの少なかった妖怪が2体がかりで殴りかかってきた。それを避けると、自分の横を通過した二本の腕を掴んで思いっきり握った。手の中で何かが折れる嫌な感触がするが、自分の頬の痛みを意識して、なるべくその感触から遠ざかろうとする。すると1体の妖怪が手に持った斧を投げつけてきた。それを避けようとしたが直線上には町がある。幽香は仕方なくその斧を身をかわして避けると、そのまま柄の部分を掴んだ。妖怪は驚愕した表情を見せて、今度は槍を投げようとしたがそれよりも早く幽香が斧を投げ返した。それは妖怪の腕を切り裂いて、更に逃げようとしていた最後の1体の肩を切り裂いた。すると負傷を負った妖怪たちは一目散に逃げていった。幽香は初めての実践で気持ちが高ぶっていたが、深追いはせず見逃すことにした。
妖怪が見えなくなると一つ深呼吸をして、幽香は後ろを振り返った。するとそこには加勢してくれようとしたのか、多くの人間たちが弓などの武器を構えて立っていた。幽香はそれを見て緊張をとき近づこうとして―――
「あ、あいつだ! あいつ昔俺の集落を襲おうとした妖怪だ!」
「よ、妖怪め!」
「こ、こっちに来るな!」
―――幽香に向かって数えきれないほどの矢が降り注いだ。
幽香は何故自分が攻撃されるのか分からなかった。妖怪を追い払ったのに、今度は妖怪だと言われ殺されかけている。幽香は呆然とその光景を見つめて、逃げることも、反撃することも出来なかった。ただよくわからない無気力感だけが心を支配していた。
そして降りかかってきた矢が幽香に当たる瞬間、突然横から出てきた『彼女』は手に持った鎌を大きく旋回させて矢を切り落とした。それでも、全て切り落とすことは叶わなかったのか数本は彼女の身体を傷つけてしまったが。
「エリー!」
「逃げるよ、幽香!」
未だ呆然としている幽香を抱えながら、エリーは手にした鎌を巧みに使って攻撃をしのぎ―――そのまま去っていった。
~◆~
エリーは思った以上に重症だった。
矢は服を掠めるだけに留まらず、何本かはエリーの身体を貫通していた。幽香自身も傷はあったが、どれも掠り傷でエリーほど重度の怪我は負っていない。
幽香はそんなエリーを運びながら悩んでいた。自分は妖怪なのか、人間なのかということに。先程の攻撃で妖怪の方に気持ちが傾いたが、それでも人間のように生きたいと思っている自分がいる。でも、先程の裏切りでそれは叶わないと感じていた。だからこそ、エリーは幽香と会うまで一人でひっそりと生きていたのだろう。どちらにもなれない、中立という立場で。
きっとエリーはこうなることが分かっていたのだ。きっと彼女も昔似たようなことがあったのだろう。人間と一緒に暮らしていたとは言っていたが、詳しいことを言わなかったのも頷ける。それに彼女は普通に生まれたといった。妖怪にとっての普通は分からないが、幽香と同じという意味ならきっと彼女は鎌の妖怪なのだろう。もしかしたら、エリーは殺すための武器だけで終わりたくなかったのかもしれない。だからきっと、人間に歩み寄ろうと考えたのだろう。もちろんエリーにこのことを聞こうとは思わないが。
そんなことを考えていると、気づいたら不思議な場所にいた。周りは木々が生い茂り、陽の光を浴びた葉はエリーと出会ってからの幽香の髪の色のような色をしていた。日に当たらない不健康そうな葉は、昔の幽香のようなくすんだ髪の色をしていた。振り返ると広い砂漠がそこにはあった。幽香が生まれて進んだ方とは逆の方向にこのような場所があったのだ。
「一体ここは………」
「………山よ、幽香」
「エリー! 大丈夫!?」
幽香は近くにあった草の上にエリーを寝かせると、とりあえず彼女の顔色を伺った。出血は酷く、服は傷口の部分から湿り気を帯びている。もしエリーが人間なら、すでに死んでいてもおかしくないだろう。
とりあえず幽香は自分の服を裂いて、傷口の応急処置を施した。先程までは逃げることで精一杯で、傷の手当などする余裕もなかったのである。
「………幽香」
「何!?」
「………ここは山………植物がたくさんある場所よ………きっと貴方の観たかった花もある」
「ここに………花が?」
「………ええ、私は大丈夫だから………花を探しに―――」
「ふざけないで!」
幽香は溢れる涙を堪えながら必死にエリーの看病を続けた。エリーはそんな幽香を見つめているが、その目はだんだんと生気を失ってきている。そんなエリーの顔を見続けるのが怖くて、幽香は必死に看病をした。それでもエリーの傷口から溢れる出血は中々止まらず、幽香は必死にそれを止めようと頑張った。何度も何度も服を破いては傷口に巻き、助けを求めようと周りに視線を向ける。だが、そこには何も無い。それでも何か有るかもしれないと視線をさ迷わせていると―――不思議な『声』が聞こえた。
「………」
エリーの荒々しい息遣いと、自分の焦りから来る息遣い。それ以外に何かの『声』が聞こえたのだ。幽香はすがる思いで『声』のする方へと走りだした。足元をすくわれ転びながらも、必死に走り続けた。そしてそこに辿りつくと―――そこには花が咲いていた。
「………」
何故花の『声』がしたのかは分からない。ただ幽香はその花を見た瞬間、これがエリーを助けるために必要なものなのだと確信した。幽香はその花を一輪摘みとってエリーの元へと向かい、思うがままに土に突き刺した。
そして妖力を集中させる。良くは分からないが身体が勝手に反応していた。そしてその瞬間………幽香とエリーの周りには一面に花が咲いたのである。
幽香はその花を摘み取ると、手馴れたようにエリーの傷口に当てた。エリーは痛そうな表情をしていたが、それでも幽香は花を摘みとっては傷口に当てていった。
更に幽香は別の場所へと移動し、別の花を摘み取った。気づいたらそこに花があると知ったのである。幽香はそれをエリーの元へと持って行くと、先ほどと同じ容量で花を咲かせ、それをエリーに食べさせた。自力で食べれないほど衰弱していたので、一度幽香が噛み砕いたものを口移しさせることで何とか食べさせたのだが。
そんな時間が長い間―――もしかしたら一瞬かもしれない―――流れ、気づいたときにはエリーの血色は大分良くなっていた。今では息遣いも一定のリズムを刻んでいて、額から溢れていた汗も少し引いてきている。
そして日は経ち、エリーは自力で動けるまでに体力が回復した。それまでの間妖怪にも人間にも襲われなかったことは、幸運なことだろう。
そして更に山の奥へ入っていこうと準備を進めていたところ、陽の光がないせいか幽香の咲かせた花たちの元気がなくなってきていた。幽香が自らの妖力を花たちに与えると、見違えるほど元気に咲き誇り始めた。きっと、この花たちは生涯を終えるまで咲き続けることが出来るだろう。エリーはそれを見て驚いていたが「やっぱり私は花の妖怪だったみたいね」と言う幽香を見て納得したようだ。
そして幽香とエリーは歩き出した。幽香はまだ足取りな不安定なエリーの手を取って、できるだけゆっくりと前に進んでいく。そして、歩いていくうちに表現できないような、それでいて安心出来る懐かしい気配が幽香の心を満たしていた。きっとこの先に、幽香の待ち望んだ世界が広がっているのだろう、不思議とそんな予感がしていた。
更に気配のする方へ近づいていくとエリーも気がついたようで「懐かしい香りがする」と言っていた。きっと、エリーが幽香と出会った時に感じた香りだろう―――不思議と幽香はそう思った。きっとこれから見る花は、幽香が生まれる原点となったものなのだろう。
そして遠くの方に眼を向けると、木々の間に太陽の光が満ちた世界が見えた。幽香はエリーの手を優しく引きながら、ゆっくりと足を進めていく。目的地まで後少しだ。
そして木々の間を抜け、その眩しさに目を細めながら前を見ると―――そこには一面の向日葵畑が広がっていた。
「………これが私?」
「きっとそうよ、だってどれも貴方のようにまっすぐ咲いているもの………一本芯の通った力強い花よ。それに貴方の臭いがするわ、幽香」
「………だったらいいわね」
「きっと、いや絶対にそうよ」
「………ねえ、エリー」
「何?」
「私は自分というものが、貴方といて分かった気がする。だから私がまた旅に出るまで一緒に暮らしてくれないかしら?」
「そんなの、一緒に旅に出た日から決めてるわ」
「やっぱり私たちは人間と深く関わるべきではない。かと言って妖怪のように行きたくもない。お互い嫌われたまま生きていきましょう」
「………凄い後ろ向きだけど、だったらせめて似た者見つけて大きな館にでも住みましょう」
「それも良いわね」
時折風が吹くと、太陽の香りを運んでくれる。
二人はいつまでも向日葵畑を見下ろしていた―――。
―――何も無い場所に一本だけ咲いた強い花。それが風見幽香という『太陽の花』の妖怪なのである。
「―――ただいま」
彼女が生まれたのは砂漠の中。しかし、彼女自身も何故そのような場所で生まれたのかは知らない。気づいたら、そこにいたのだ。
理由もなく、目的もなく、果てしなく続く砂漠を歩き続ける毎日。旅の人間と出逢えば逃げられ、人間の集落を見つけて近づいてみれば動物の白骨を投げられ、たまに妖怪と出逢ってもろくでなしと言われて追い返される。彼女は、生まれてからずっと一人だった。
しかし彼女は、どれだけ長い間一人でも屈することはなかった。どんなに力が無くとも、どんなに自分が弱くとも、それを嘆いて立ち止まること無くただ前へと進み続けた。
そんな日が気が遠くなるほど長い間続いたが、幽香は何も変わらなかった。そのかわり、それとは違い周りは大きく変化していった。
まず、明らかに人間の数が減った。前までは三日に一度は集落を見つけることが出来たが、今では砂漠に埋もれた跡地ばかりが風景の中に映っている。時折集落を見つけると、前までは追い払われる程度だった威嚇ではなく完全に殺しに来るような攻撃をして来るようになった。また、妖怪は幽香を見つけると人間を殺せとほのめかしてきた。たが彼女は耳を貸さなかった、無意味に殺す行為はただ優越感に浸ることだと彼女は思っていたのである。そう伝えると、妖怪は幽香に殴りかかってきた。どれだけ強気でも、力の弱い幽香では攻撃を防ぐ事はできない。頭を殴られ、頬をはたかれ、倒れた身体を踏まれ、腹を蹴られ………それでも彼女は屈しなかった。幽香は、どれだけ痛めつけられても自分は弱いと認めることはなかったのだ。
更に時間は経ち、それでも幽香は砂漠を歩き続けていた。否、前に進むこと以外に何をすればいいか知らなかった。
そんなある日、幽香は今まで見たことのない建物を見つけた。普通の集落とは違い、その建物は中に入ることが出来ない作りになっていたのである。それなのに、中からは微妙な妖力が溢れていて、妖怪がここにいるのだということは理解できた。
気になった幽香はその建物に近づいて周りを散策した。しかし全体が壁に覆われ中を見ることは叶わない。そしてそろそろこの場から離れようと思ったとき、壁の一箇所が突然空いて中から一人の少女が出てきた。
少女は今まで見てきた人間や妖怪とは全く異なっていた。その身体に不釣合な大きな鎌を持ち、金色の髪の毛は少し長めで肩のあたりでカールしている。さらに服装は砂漠を歩くのに適していない貴婦人のようなものを身につけていた。幽香からすれば、初めて見る不思議な服という意識しか無かったが。
だが幽香は、それ以上に気になったことがあった。見た目は明らかに人間なのだが、不思議と妖力を感じる。それについて聞いてみると少女は笑って「妖怪だもの」と言った。幽香は、今まで見てきた妖怪の姿を思い浮かべて疑問でいっぱいになった。他の妖怪は人間よりも身体が大きく、ある者は獣のように、またある者は人外のような姿をしていた。しかし少女は見た限りでは人間と区別はつかない。その不思議な服装と鎌とわずかに漏れる妖力以外には。
普段は誰とも干渉しない幽香だったが、そんな不思議な存在に興味を惹かれている自分に気がついた。誰とも交わらず一人で生きていく意味だけを考えていた自分と、明らかに周りとは別の少女にもしかしたら親近感を感じたのかもしれない、と幽香は思う。
そんな幽香に対して、少女はまた笑って「貴方も私と同じじゃない」と言ってきた。もしかしたら心を読まれたかもしれないと幽香は思ったが、どうやら彼女がそう言ったのは偶然だったようだ。少女はもう一度笑って「貴方も私と似たような姿をしているじゃない」と言ってきた。
幽香は自分を見下ろしてみた。身体は昔拾ったぼろ布のようなフードを身につけ、無造作に伸びた髪の毛はくすんだ緑色をしている。今まで自分の姿などに興味を持たなかった幽香は、そんな自分の姿を見て少しだけ自分というものが分かった気がした。だが、少女を見た感じ同じ姿だとは思えない。彼女は綺麗な服を着て髪の毛はしっかり整えられた金髪である。それについて聞いてみたところ彼女は自分の鎌を幽香の前に差し出した。するとその表面には生気の感じられないくすんだ緑色の髪の毛の少女が映っていた。「これは誰だ」と幽香が問うと、少女はいたずらが成功した時のような笑顔で「貴方」と言った。
幽香から少女が鎌を離すと、鎌には幽香の全身が映った。自分が見下ろした時と同じ、身体は昔拾ったぼろ布のようなフードを身につけ、無造作に伸びた髪の毛はくすんだ緑色をしていた―――が、それ以上に驚いたことがあった。少女も言ったが、幽香はまるで人間のような姿をしていたのである。幽香は初めて、自分の中に焦りが生まれたのを実感した。
少なくとも幽香は自分のことを妖怪だと思っていて、今まで見た人間とは何か違いがあると思っていた。しかし見た目だけなら人間とは全く変わらない。少女が自分と同じだと表現した意味を、幽香はこの時理解した。
それからまた数年。
幽香は出会った少女と暮らしていた。それまで一人でただ歩くことだけを続けていた幽香であるが、少女と会った日に「少しここで暮らしてみたら」と誘われたのだ。その時の幽香は自分というものが分からず困り果てていたのと、特にあてのある旅でもなかったことから了承した。
まず、鎌を持った少女の名前はエリーと言った。一時期はその姿を利用して人間になりすまして生きていたのだが、成長しない身体を不審がられるため移住を繰り返していた。だが、そんな毎日を過ごすうちに自分と人間との違いを多く見て、やはりこの世界では人間と交わるべきではないと思ったらしい。そのため妖怪らしく生きようと思ったが、今まで一緒に過ごしてきた人間たちのことを考えるとそれも叶わなかった。なので、今は一人で居を構えてゆったりと過ごしてきたようだ。
対する幽香は、まだこの時名前はなかった。誰とも交わることもなかったし、そもそも名前という存在を知らなかったのだ。人間なら人間、妖怪なら妖怪だ。だからエリーは幽香に名前をつけた。幽香は必要ないと何度も言ったが。最初は「いきなりやってきて幽霊みたいだった」という理由で「幽霊」と名付けられかけたが、幽香自身そんな理由で名前をつけられるのは癪だったので抗議したところ「じゃあ、貴方は何だか懐かしい香りがするから………」という理由で幽香になった。幽霊から完全に離れきれなかったのは少しショックである。
そしてこの二人の生活が始まったのであるが、最初は幽香が聞きたいことを聞くことから始まった。
まず最初に聞いたのは、何故人間は幽香自身が妖怪だと分かったのか。エリーのように人間と見られなかった事に疑問を持っていたのである。それに関してエリーは「きっと肌が白かったから」といった。そのことについて幽香がエリーに尋ねると、彼女は少し考える仕草を見せるとこう言った。
「砂漠の中を簡単な布切れ一枚で過ごすのにも限界があるのよ、幽霊………いや、幽香。まず人間なら、日中はとてもじゃないけど全身を覆うほどの何かを身につけないと肌が焼けてしまうわ。多分貴方が見た人間は全員が全員その姿だったはずよ。後は夜はとても冷え込む。あなた自身分かってるとは思うけど、そんなボロボロの布では人間じゃ耐えられない。それでも大丈夫なのは貴方が力の『強い』妖怪である証拠」
しかし幽香は更に疑問に思ったことがあった。自分が力の強い妖怪であるということである。今までどの妖怪にも力が及ばず、とりあえず殴られるだけだった。どう考えても弱い………それについて尋ねたところ、今度は「憶測だけど」と前置きをしてエリーは言った。
「そんなことないと思うわよ。今まで妖怪に殴られても一度も屈したことは無いのでしょう? 貴方は誰よりも自分が強いことを知っている。ただ、その強さを留めてるだけだと思うわ………もしくは生まれて間もないから、自分の妖力をまだうまく扱いきれてないのかも。妖怪は人間と違ってかなり長い時を生きるから」
エリーはそう言うと、立ち上がってそのまま部屋の奥へと行った。エリーの話が終わってからも幽香は頭を悩ませて、とりあえず自分のことで今日分かったことを整理してみた。まずは自分が人間と同じ姿をした妖怪であること。人間はそんな自分を、本来の人間ならあり得ない姿だったから妖怪だと分かっていたこと。そしてなにより、自分がもしかすると強い妖力を持っていること―――。
幽香が思考に没頭してる時、奥の部屋からエリーが戻ってきた。その手には綺麗な長い布と桶が持たれていた。
「とりあえずそこの井戸で水を汲んでくるから身体を洗いましょう。砂だらけにしておくとお部屋が汚れちゃう」
―――あまりにもエリーが不憫そうな目を向けてくるので、幽香はよく分からずも首を縦に振った。
~◆~
エリーと幽香の生活は順調だった。
まずは幽香は妖怪としての知識と、人間としての知識をエリーに教えてくれるようお願いした。幽香はエリーと同じようにどちらにも成り切ることは出来ないと思ったことから、とりあえず両方の知識を得ようと思ったのである。そんな幽香の思いを汲み取ったのかエリーは快く承諾し、まずは人間の生活をしながら妖怪の知識を得ていくことで決まったのだ。
まず、エリーは幽香に服を提供した。長めのスカートに白いワイシャツという簡単な服だったが、幽香は今までとは違う自分の姿を見て非常に喜んだ。エリーは次に生活に必要なことについて教えた。まず寝るのは朝、起きるのは夜だというのは生き物の本能なのか幽香は理解していたので、料理について教えることにした。と言っても、砂漠にいるためそこまで凝ったものが出来ないのだが。話を聞くと、幽香は今まで少量の水分とたまに見る生き物を食して生きていたらしく、少なからずエリーは驚いた。妖力の弱い妖怪は定期的な栄養を摂取しないと自我を保てない場合もあるが、幽香はそれに当てはまらないらしい。きっと、自分自身よりも妖力は高いだろう、とエリーは思った。
そしてそんな毎日が過ぎ、エリーは幽香に妖怪としての力の使い方を教えようと考えた。本来なら教えるものではなく自分で気づくものであるが、幽香は自分の生まれた理由も分からなければ力を行使したこともない。そのため、エリーはとりあえず幽香に力作業や多少の格闘技も教えた。その甲斐があったのか、幽香は次第に力の使い方を憶え、今ではたまに食料を求めてやってくる知能の低い妖怪を軽くたたき返せるほどになっている。
更にそんな日が続き、幽香はエリーのことについて聞きたくなった。幽香自身、自分のことについて知りたい気持ちでいっぱいだったが、もしかしたら似たような境遇にいるエリーの話から何が分かるかもしれないという気持ちがあったのだ。
だから幽香はその日エリーについて聞くことにした。ちなみにこの時、幽香もエリーは『少女』というよりも『お姉さん』と言ったほうがしっくりくるような姿をしていた。
「エリー。話があるんだけどいいかしら?」
「どうしたのー?」
幽香は食器を洗いながら、洗濯物をたたんでいるエリーへと声をかけた。エリーは手を休めること無く、いつも通りの調子でのんびりと対応している。
食器を洗い終え、幽香は飲み物を準備してテーブルに置いた。そしてエリーの作業を手伝うと「ちょっと大事な話なの」と言ってテーブルへと誘った。エリーは不思議そうな顔をしていたが、話せば分かると思ったのか特に追求しては来なかった。
「で、話って何かしら?」
「エリーの昔の話なんだけど」
エリーは手元にあった飲み物を口に一口含むと、じっくりと味わってテーブルに戻した。彼女はそのまま幽香に微笑んだので、幽香はそれが話を促しているのだと感じ、言葉を続けた。
「エリーは一体どこで生まれたの?」
「普通に生まれたわよ」
「………普通に?」
「では逆に聞くけど、幽香はどうして生まれたのかしら?」
「………どうして?」
幽香は一番知りたいことをエリーに言われ、少なからず動揺した。思わずエリーから視線を離して言い訳を探してしまう。特に隠すことでもないのだが。
エリーはそんな幽香を見て軽くため息を付いて、こう言った。
「全く、そんな遠まわしに詮索しないで素直に聞きましょうよ。自分のことが知りたいーって」
「べ、別にそんなんじゃ………」
「別に恥ずかしいことじゃないわ。自分のことは自分が一番分からないんだから」
「そうなの?」
「多分」
「………」
「………ごめんなさい、余り昔の話はしたくないの。ただ一つだけ言えることがあるわ。妖怪は時に『強い想い』によって生まれることがあるの。私もそう、ある強い想いから生まれた妖怪。きっと貴方もそんな妖怪のはずよ」
「………そうなの、かしら」
「ええ。後こういうのも何だけど、一つ勝手な予想もあるわ」
そう言うとエリーは珍しく真剣な表情で幽香に人差し指を向けてきた。妙なことだが、エリーは時折冗談でもこんなことをする。一度彼女に尋ねたところ「何かカッコいい」と言っていたが、未だ幽香はその気持ちが分かっていない。
しかし今回のエリーはいつになく真面目だ。幽香は一つ深呼吸をすると、視線でエリーに先の話を促した。エリーは頷くと、そのまま話を続けた。
「憶測だけど、きっと幽香………貴方は『花の妖怪』よ。私が貴方に名前をつけたときに『懐かしい香りがする』と言ったと思うんだけど、アレは今思えば花の香りね」
「………花?」
「そう、花。幽香は知らないと思うけどとても綺麗な植物よ。季節によって咲かせるものと咲かせないものがあるわ。幽香はきっとその妖怪だと思う、きっと。まず貴方は砂漠の真ん中で生まれた。旅人が落としたのかは分からないけど、普通砂漠に花なんて数える程度しかないわ。きっと大事にされていたのでしょう。次に今言った強い想いからだけど………幽香は何も考えずに歩いたと言った。それはきっと何かを求めていたはず。一輪だけ咲いていた花が、また沢山の花の中で咲き誇りたいという『強い想い』から生まれたのだと私は思うわ」
「………」
「それになにより―――幽香は綺麗だしね。それ以外考えられないって」
「き―――綺麗って、ば、馬鹿じゃない、の!?」
「ちょ、動揺しないの! 家が壊れちゃうじゃない!!」
それから顔を真っ赤にして暴れる幽香を大人しくさせることに成功したエリーであるが、少しだけ家に亀裂が入ってしまった。少なくとも幽香が妖怪として素晴らしい才能を持っていることを喜んでいたが、少しだけその強さに焦燥感を持った瞬間であった。
それからしばらくして、エリーは幽香に花について教えた。まだ花の妖怪だと決まったわけではないが、幽香は嬉しそうに話を聞いていた。花にはいろいろな種類があること、一度に咲き誇るととても綺麗なこと、そして―――どれだけ踏まれたりしても、また咲き誇るだけの力強さを持っていること。
その後、幽香はエリーに「花が見たい」と伝えたが、ここは砂漠にあるため無理だと言った。すると「旅に出る」と幽香は強気に言ったので、エリーも困ってしまった。しかし、エリーも自分の存在に苦しんだ身。それに今では幽香は大事な家族である。家族のために動かなくては家族失格であると思ったので「じゃあ、旅に出ましょう」と幽香に伝えた。その時の幽香の嬉しそうな表情は今でも忘れられない。
そして次の日。
先日とは打って変わって、幽香は困った表情をしていた。つい勢いで旅に出ると言ってエリーを巻き込んでしまったが、彼女は幽香の恩人のようなもの………それなのに、自分のワガママに付きあわせ過ぎていることに今更気づいたのだ。
やっぱり自分一人で旅に出よう―――そう伝えようとエリーの部屋に言ったところ「今更前言撤回なんかしたら切るよ?」と笑顔で言われたのでそのまま逃げてきた。自分の発言には責任を持て、そういう気持ちを込めていたのだろう。
その後幽香が再度お願いしに行ったところ、エリーは怒るでもなく「楽しそうだから良いよ、私も久々の旅で楽しみだし」と気楽に言ってくれた。心からそう思ってくれているのかは別として、どう見ても楽しそうにしていたので幽香は少し気が楽になった。
~◆~
アレから数年になるが、一つとして花は見つからなかった。
どうやら昔以上に人間の姿も減ったようで集落も中々見つからず、情報収集も出来ない。たまに妖怪と出会うが知能が低い妖怪ばかりで、襲いかかって来てそれを追い払うの繰り返し。手がかりすらつかめない状況である。
エリー自身何か知っているかもしれないと最初は思ったが、どうやら彼女も地形が大分変化しているせいで地理がうまく把握できていないようだ。まさに、当てのない旅真っ最中である。
だが、旅をしていくうちに不思議に思うことがあった。人間の姿が少ないことと、知能の低い妖怪しかいないことである。そこで二人は、一旦花を探すことよりも昔までいた人間と知能の高い妖怪についての情報を集めることにした。もしかすると、この世界の変化が関係しているのかもしれないと思ったのである。
そして見つけたのは、今まで何度も見てきた集落の跡地―――大半は砂に埋れてしまっていたが、エリーが身体を回転させる容量で鎌を大きく振り回すと、跡地を埋めていた砂が一気に持ち上がった。この時、幽香が初めてエリーの妖怪らしさを見た瞬間である。
大抵は風化したのか残ってはいなかったが、時折見られる生活用品のようなものからやはり集団で住んでいたのだろう考えることが出来た。だが、そんな幽香の考えとは違ってエリーは複雑そうにその光景を見つめていた。
「どうかしたの?」
「………いえ、気のせいだと思うんだけど」
そう言うと、エリーは慎重に言葉を続けた。
「私の記憶だと、ここ周辺を襲うような砂嵐はなかったわ。それに地盤がしっかりしてる、きっと手入れをしていたと思うわ」
「どういうこと?」
「要はね、この集落はとても大きな場所だったのよ。集落というより町と読んだほうが良いかもしれない。多分………」
そう言うとエリーは少し離れたところまで歩いて、また砂を巻き上げた。それを数カ所繰り返し、更に念入りに砂を巻きあげていく。すると―――
「―――ほら、これだけ広い範囲で地面が整えられている。それにここなんて大きな穴まである。この町は多分、妖怪に襲撃されて全壊させられたと考えたほうが妥当でしょうね」
「それは本当?」
「予想が間違っていてくれたらいいけど、知能の低い妖力だけが高い妖怪ならやりかねないわね」
「それは………人も減るわね」
「幽香、何か思い当たることはない?」
そう言われて幽香はエリーと出会う前のことを思い出した。減っていく集落、でもまだその時はいた話しかけてくる知能の高い妖怪。
「………そうだ。私は妖怪に人間を殺せと言われたことがある」
「それはいつ頃?」
「貴方に会うよりもっと前よ、エリー。それにその頃は人間が私のことを殺しに来たわね」
「………ということは、やはり妖怪が人間の集落を襲っている方が妥当かしら。そして人間は集落を捨てて逃げて―――もしかしたら、ここみたいな町を作っているのかもしれないわね」
「………複雑ね、人間の姿をした妖怪の居場所なんて無いわ」
「………一時期人間と過ごしていただけに、私はショックよ。でも、これも仕方ないことなのかもね。幽香がいてくれて助かるわ」
「私もよ、エリー」
そう言うと二人はお互いに微笑みあった。それだけで、沈みかけていた気持ちが楽になるのがわかった。幽香は今まで一人で旅をしてきたが、この時本当の意味で仲間の重要さを理解したのだ。
それじゃ―――と前置きして幽香は言葉を続けた。
「とりあえずエリー、私たちはこれからどこへ向かおうかしら?」
「幽香は目星がついてるんじゃない?」
「………さすが私のことをよく分かってるじゃない。でも、一応貴方の意見を聞きたいわ」
「あら、昔は何もわからなかった少女がいつの間にか主導権を取るようになったのね。それじゃ、私の意見を聞いて下さるかしら?」
「ええ、聞いてあげるわ」
また幽香とエリーはお互いに微笑みあった。それだけで居心地がよくなるのだから不思議である。
そしてエリーは今まで歩いてきた方角へ鎌を向け―――
「―――貴方が生まれた場所に何か秘密があるとは思わないかしら、数年前とは言えそこには人がたくさんいたのでしょう?」
幽香はそんなエリーを見ながらやっぱり彼女は仲間だなあと思いながらこう言った。
「―――奇遇ね、私も同じことを考えていたわ」
そして二人は今まで来た道を戻り始めた。逃げるのではなく、前へ進むために。
~◆~
まず二人が見たのは、今までに見たことがない規模の町だった。
周りには大きなバリケードがあり、侵入者を拒むかのような作りをしている。上には煙が上がり、そこに人が暮らしていることは容易に想像出来た。唯一存在する入り口には体格のいい男性が数名立ち、いつでも門をとじれるよう待機している。幽香は自分が生まれた場所の近くにこのような場所があったことに少なからず驚いたが、思えば歩くに連れて人間や妖怪の数が減っていったのでむしろ当然のことかもしれないと思っていた。
とりあえず二人は人間になりすまして中に入ることにした。非常に残念なことだが、ここに来る途中に何度か人間の骨を見つけた。きっとここまで辿り着けなかったのだろう………もしくは邪魔者として置いて行かれたのか。
幽香は何度か攻撃されているため不安だったが、見た目は昔とは違って成長している。それに此処へ来る途中一度エリーの家に戻ってフードを回収したため、前のように妖怪だとバレることはないだろう。ただエリーの家は妖怪に襲撃されたのか大分荒らされていたので、それ以外は何も無かったのだが。
ふと幽香が横を向くとエリーが難しそうな表情で町を見つめていた。良くは分からないが、きっと昔のことを思い出しているのだろうと幽香は思う。エリーは未だ、幽香に過去のことを話したがらないのである。
しばらくしてエリーはダミーの服とフードを取り出し、幽香と共に一度その場から離れて着替えを行った。多少身体を汚すことも忘れない。これなら長旅で疲れた二人の人間に見えるだろう。
そして二人はふらふらとした足取りで門へと近づいていった。門番の一人が武器を持ちながら駆け寄ってきて「まずは姿を見せろ」と言ってきたので、エリーは素直に自分の姿を見せた。門番はそれを見て安心したようで「お前も姿を見せろ」と幽香に言った。幽香も素直にそれに従って自分の姿を見せたが「………ん?」と門番は不思議そうな顔をした。もしかしたらバレたかもしれない―――幽香は戦慄したが、エリーがすかさず「どうかされました?」と門番に話しかけた。何かを思い出そうとしていた門番は頭を振って、そのまま何事も無かったかのように二人を町へと招き入れた。
町に入ると、今までに見たことがない程多くの人間が敷き詰められていた。その中の数名が駆け寄ってきて「妖怪に襲われなかったか?」「無事辿りつけて良かった」「とりあえず休め」とすぐに休憩所へと案内してくれた。幽香は微妙に居心地の悪さを感じていたが、大事にされることに悪い気はしない。エリーに「人間ってちゃんとしてれば良いものね」と言おうとしたが、彼女があまりにも悲しそうな目をしていたから言葉を呑み込んだ。幽香は良く分からなかったが、とりあえずエリーと休憩所へと向かうと一休みすることにした。エリーも先程までの悲しそうな目ではなく、どこか無理をした表情で笑顔を作っていた。
しかし、それは突然訪れた。休憩室で人間らしく仮眠を取っていると、突然外が騒がしくなった。何事かと思って幽香が外を見ると、多くの人間が逃げ惑っていた。
エリーも気づいたらしく、その光景を苦しそうな表情で見つめている。幽香はエリーに「様子を見てくる」とだけ伝えると外へ飛び出した。エリーは聞こえていなかったのか、その光景をじっと見続けていた。
まず幽香が外に出て行なったのは情報収集だった。逃げ惑う人間たちは呼びかけても耳を貸してくれない。やむを得ず先ほど入った門の方まで行くと、そこは入った時とは違いしっかりと閉じられていた。その門が開かないように男たちは必死に押さえ、口々に「妖怪たきたぞ!」「ちきしょう、壁が持たない!」「くそったれが!」と悪態を付いていた。
門へと注意を向けてみると、門が揺れるたびに大きな音がする。きっと妖怪が攻めこんできて、門を破壊しようと叩いているのだろう―――幽香は冷静にそう分析した。
しばらくしても門は開かず、そのままの状態が何分もの間続いた。やがて叩く音も無くなり、門番たちが安心したその瞬間―――門番の一人の身体に何かが刺さった。
何が起こったのか、その場の誰も理解できなかった。ただ一人の門番を一本の槍の方なものが貫通していて、気づいたら絶命していた。突然の攻撃に門番たちはパニックになりながら門へと目を向けると―――門番を刺した槍が貫通した跡があった。それを見て幽香は更に冷静に分析した。きっと今外にいる妖怪は、自分の力で武器を作れるほど知能の高い妖怪であると。
次に門を襲ったのは斧のような物。妖怪が叩くたびに所々貫通していく。貫通した部分から更に斧が伸びてきて、門番の一人の身体を叩き切った。
門番たちはもう冷静ではいられなくなった。仲間を見捨ててそのまま全力で走りだし、われ先にと逃げ出した。途中幽香の横を通りすぎるが誰も気に止めない。最初の優しかった人間は、自分が危険になるとこうも簡単に仲間を見捨てるのだ。
幽香が門をじっと見つめていると、突然門が崩壊した。その先には5体ほどの妖怪たち。どれも人間の倍以上はある体躯で、まだ乾ききっていない血のついた斧を手にしている。そのうちの1体が、今絶命したばかりの門番を掴み上げ食べ始めた。幽香はそんな妖怪を見て吐き気を覚えたが、エリーに妖怪は人間を食べるものだと教わっていたのでなんとか吐き気を堪えることが出来た。
だがそれを見ているうちに幽香の中で人間に対する変化が出てきた。今妖怪が食している人間が、あまりにも美味しそうな食べ物のように―――
「―――て、何考えたんだ私は!」
幽香は力のかぎり自分の頬を殴った。一瞬自分が変な事を考えていたことに気づいて、身震いした。やはり自分は妖怪なのだと思う反面、あのようには生きて行きたくないと思う心がある。この時幽香は、心から自分は人間にも妖怪にもなりきれないのだと自覚した。
「―――」
妖怪は幽香を見て、しかし瞬間興味を失ったのかまだ息のあるもう一人の門番へと手を伸ばした。門番は苦しみながらも必死に逃げようと身体を動かすが、抵抗むなしく妖怪に掴み上げられ―――
「いい加減にしろ!」
幽香が力のかぎり妖怪の腕を殴った。妖怪の腕は嫌な音を立てながら折れ、痛みを訴えるように激しく叫んだ。その手から開放された門番を幽香は掴み上げると、少し離れた場所へと運んだ。門番は妖怪ではなく幽香に対して恐怖の視線を向けていたが、幽香はそれに気づかないふりをした。
まず、腕の折れた妖怪が幽香に殴りかかってきた。幽香はそれをかわすと妖怪の腹を思いっきり蹴り飛ばし、後ろにいた4体の妖怪ごと門の外へと吹き飛ばした。幽香はそのまま門の外へ出ると、ダメージの少なかった妖怪が2体がかりで殴りかかってきた。それを避けると、自分の横を通過した二本の腕を掴んで思いっきり握った。手の中で何かが折れる嫌な感触がするが、自分の頬の痛みを意識して、なるべくその感触から遠ざかろうとする。すると1体の妖怪が手に持った斧を投げつけてきた。それを避けようとしたが直線上には町がある。幽香は仕方なくその斧を身をかわして避けると、そのまま柄の部分を掴んだ。妖怪は驚愕した表情を見せて、今度は槍を投げようとしたがそれよりも早く幽香が斧を投げ返した。それは妖怪の腕を切り裂いて、更に逃げようとしていた最後の1体の肩を切り裂いた。すると負傷を負った妖怪たちは一目散に逃げていった。幽香は初めての実践で気持ちが高ぶっていたが、深追いはせず見逃すことにした。
妖怪が見えなくなると一つ深呼吸をして、幽香は後ろを振り返った。するとそこには加勢してくれようとしたのか、多くの人間たちが弓などの武器を構えて立っていた。幽香はそれを見て緊張をとき近づこうとして―――
「あ、あいつだ! あいつ昔俺の集落を襲おうとした妖怪だ!」
「よ、妖怪め!」
「こ、こっちに来るな!」
―――幽香に向かって数えきれないほどの矢が降り注いだ。
幽香は何故自分が攻撃されるのか分からなかった。妖怪を追い払ったのに、今度は妖怪だと言われ殺されかけている。幽香は呆然とその光景を見つめて、逃げることも、反撃することも出来なかった。ただよくわからない無気力感だけが心を支配していた。
そして降りかかってきた矢が幽香に当たる瞬間、突然横から出てきた『彼女』は手に持った鎌を大きく旋回させて矢を切り落とした。それでも、全て切り落とすことは叶わなかったのか数本は彼女の身体を傷つけてしまったが。
「エリー!」
「逃げるよ、幽香!」
未だ呆然としている幽香を抱えながら、エリーは手にした鎌を巧みに使って攻撃をしのぎ―――そのまま去っていった。
~◆~
エリーは思った以上に重症だった。
矢は服を掠めるだけに留まらず、何本かはエリーの身体を貫通していた。幽香自身も傷はあったが、どれも掠り傷でエリーほど重度の怪我は負っていない。
幽香はそんなエリーを運びながら悩んでいた。自分は妖怪なのか、人間なのかということに。先程の攻撃で妖怪の方に気持ちが傾いたが、それでも人間のように生きたいと思っている自分がいる。でも、先程の裏切りでそれは叶わないと感じていた。だからこそ、エリーは幽香と会うまで一人でひっそりと生きていたのだろう。どちらにもなれない、中立という立場で。
きっとエリーはこうなることが分かっていたのだ。きっと彼女も昔似たようなことがあったのだろう。人間と一緒に暮らしていたとは言っていたが、詳しいことを言わなかったのも頷ける。それに彼女は普通に生まれたといった。妖怪にとっての普通は分からないが、幽香と同じという意味ならきっと彼女は鎌の妖怪なのだろう。もしかしたら、エリーは殺すための武器だけで終わりたくなかったのかもしれない。だからきっと、人間に歩み寄ろうと考えたのだろう。もちろんエリーにこのことを聞こうとは思わないが。
そんなことを考えていると、気づいたら不思議な場所にいた。周りは木々が生い茂り、陽の光を浴びた葉はエリーと出会ってからの幽香の髪の色のような色をしていた。日に当たらない不健康そうな葉は、昔の幽香のようなくすんだ髪の色をしていた。振り返ると広い砂漠がそこにはあった。幽香が生まれて進んだ方とは逆の方向にこのような場所があったのだ。
「一体ここは………」
「………山よ、幽香」
「エリー! 大丈夫!?」
幽香は近くにあった草の上にエリーを寝かせると、とりあえず彼女の顔色を伺った。出血は酷く、服は傷口の部分から湿り気を帯びている。もしエリーが人間なら、すでに死んでいてもおかしくないだろう。
とりあえず幽香は自分の服を裂いて、傷口の応急処置を施した。先程までは逃げることで精一杯で、傷の手当などする余裕もなかったのである。
「………幽香」
「何!?」
「………ここは山………植物がたくさんある場所よ………きっと貴方の観たかった花もある」
「ここに………花が?」
「………ええ、私は大丈夫だから………花を探しに―――」
「ふざけないで!」
幽香は溢れる涙を堪えながら必死にエリーの看病を続けた。エリーはそんな幽香を見つめているが、その目はだんだんと生気を失ってきている。そんなエリーの顔を見続けるのが怖くて、幽香は必死に看病をした。それでもエリーの傷口から溢れる出血は中々止まらず、幽香は必死にそれを止めようと頑張った。何度も何度も服を破いては傷口に巻き、助けを求めようと周りに視線を向ける。だが、そこには何も無い。それでも何か有るかもしれないと視線をさ迷わせていると―――不思議な『声』が聞こえた。
「………」
エリーの荒々しい息遣いと、自分の焦りから来る息遣い。それ以外に何かの『声』が聞こえたのだ。幽香はすがる思いで『声』のする方へと走りだした。足元をすくわれ転びながらも、必死に走り続けた。そしてそこに辿りつくと―――そこには花が咲いていた。
「………」
何故花の『声』がしたのかは分からない。ただ幽香はその花を見た瞬間、これがエリーを助けるために必要なものなのだと確信した。幽香はその花を一輪摘みとってエリーの元へと向かい、思うがままに土に突き刺した。
そして妖力を集中させる。良くは分からないが身体が勝手に反応していた。そしてその瞬間………幽香とエリーの周りには一面に花が咲いたのである。
幽香はその花を摘み取ると、手馴れたようにエリーの傷口に当てた。エリーは痛そうな表情をしていたが、それでも幽香は花を摘みとっては傷口に当てていった。
更に幽香は別の場所へと移動し、別の花を摘み取った。気づいたらそこに花があると知ったのである。幽香はそれをエリーの元へと持って行くと、先ほどと同じ容量で花を咲かせ、それをエリーに食べさせた。自力で食べれないほど衰弱していたので、一度幽香が噛み砕いたものを口移しさせることで何とか食べさせたのだが。
そんな時間が長い間―――もしかしたら一瞬かもしれない―――流れ、気づいたときにはエリーの血色は大分良くなっていた。今では息遣いも一定のリズムを刻んでいて、額から溢れていた汗も少し引いてきている。
そして日は経ち、エリーは自力で動けるまでに体力が回復した。それまでの間妖怪にも人間にも襲われなかったことは、幸運なことだろう。
そして更に山の奥へ入っていこうと準備を進めていたところ、陽の光がないせいか幽香の咲かせた花たちの元気がなくなってきていた。幽香が自らの妖力を花たちに与えると、見違えるほど元気に咲き誇り始めた。きっと、この花たちは生涯を終えるまで咲き続けることが出来るだろう。エリーはそれを見て驚いていたが「やっぱり私は花の妖怪だったみたいね」と言う幽香を見て納得したようだ。
そして幽香とエリーは歩き出した。幽香はまだ足取りな不安定なエリーの手を取って、できるだけゆっくりと前に進んでいく。そして、歩いていくうちに表現できないような、それでいて安心出来る懐かしい気配が幽香の心を満たしていた。きっとこの先に、幽香の待ち望んだ世界が広がっているのだろう、不思議とそんな予感がしていた。
更に気配のする方へ近づいていくとエリーも気がついたようで「懐かしい香りがする」と言っていた。きっと、エリーが幽香と出会った時に感じた香りだろう―――不思議と幽香はそう思った。きっとこれから見る花は、幽香が生まれる原点となったものなのだろう。
そして遠くの方に眼を向けると、木々の間に太陽の光が満ちた世界が見えた。幽香はエリーの手を優しく引きながら、ゆっくりと足を進めていく。目的地まで後少しだ。
そして木々の間を抜け、その眩しさに目を細めながら前を見ると―――そこには一面の向日葵畑が広がっていた。
「………これが私?」
「きっとそうよ、だってどれも貴方のようにまっすぐ咲いているもの………一本芯の通った力強い花よ。それに貴方の臭いがするわ、幽香」
「………だったらいいわね」
「きっと、いや絶対にそうよ」
「………ねえ、エリー」
「何?」
「私は自分というものが、貴方といて分かった気がする。だから私がまた旅に出るまで一緒に暮らしてくれないかしら?」
「そんなの、一緒に旅に出た日から決めてるわ」
「やっぱり私たちは人間と深く関わるべきではない。かと言って妖怪のように行きたくもない。お互い嫌われたまま生きていきましょう」
「………凄い後ろ向きだけど、だったらせめて似た者見つけて大きな館にでも住みましょう」
「それも良いわね」
時折風が吹くと、太陽の香りを運んでくれる。
二人はいつまでも向日葵畑を見下ろしていた―――。
―――何も無い場所に一本だけ咲いた強い花。それが風見幽香という『太陽の花』の妖怪なのである。
「―――ただいま」
これだけ内容濃いなら前後編で見たかった気が少ししました
エリー「幽香はワシが育てた」