幻想郷で小悪魔と言えば紅魔館の地下にある大図書館の管理を任されている彼女がまず浮かぶ。
ここに住む住人に彼女の事を聞くと、皆口を揃えて彼女の事を褒めた。
清楚であり瀟洒であり思慮深く気遣いの良い小悪魔らしくない小悪魔だと。
それが紅魔館に住む者の、そして幻想郷での彼女のイメージだった。
彼女は司書らしく黒のスーツを身に纏い、長い赤髪を揺らし背に生えた羽を可愛らしくパタパタと動かしながら勤務に励む。
その姿は、まさしく紅魔館に咲く六つの花の一つに相応しい美しい物だった。
大図書館を訪れる者はまず彼女の姿を目にする。いつも何かしらの本を抱えている彼女は訪れる者があると決まって本を置いてから、柔らかな笑みで来訪者を迎えるのだ。
目的を告げれば彼女は穏やかな、落ち着きのある外見に相応しい声で返事をし、細く整った指先を揃え中を案内してくれた。
大図書館の主に用がある者には主がいる場所へ。
案内し終えるとその場を離れ、すぐに彼女が煎れた紅茶と彼女が作ったお茶菓子を運んできてくれる。
本に用がある者には彼女が先に立って高く連なる無数の本棚へ。
少しも迷わずまっすぐその一つへと歩み、本を探し出してくれた。
探している間も軽いジョークや雑談で飽きさせず、いつも気が付いたら訪れた者の手には目的の本があり、満足気に微笑む彼女の姿があった。
その微笑みに来訪者も微笑む、彼女の主人も見事仕事をこなして見せた彼女に、一人微笑むのだった。
紅魔館の誰もが彼女を慕い、静かなる信頼を寄せていた。
来訪者の誰もが彼女を慕い、確かなる信頼を寄せていた。
しかし、紅魔館の誰もが、彼女の心根を知らなかった
しかし、来訪者の誰もが、彼女の裏の顔を知らなかった。
小悪魔らしくない紅魔館の司書は、本当は至って小悪魔らしい悪戯好きの悪魔であった。
だらしがなく、あか抜けない、自分を一番に考えるのが本当の彼女であった。
しかし彼女がそんな様子を誰にも、一度も微塵たりとも見せないのは、誰もが彼女がそうだとは思っていないからで、彼女自身もそうでなくてはと思っていたからである。
それだから、今日も今日とて小悪魔は、紅魔館に咲く六つの花の一つとして相応しい振る舞いで来訪者を向かえ、そして目的を果たさせ、見送ったのだった。
キーィ……――
大図書館に唯一ある木製の大きな扉が閉じられる。
その間、小悪魔はじっとかしこまり、来訪者の姿が見えなくなっても微笑みを絶やさないで扉がしまるのを待ち。
――バタン!
「………………はぁ」
そして閉じられる音が聞こえなくなったと同時に、とても小さなため息をついた。
ため息に疲労の色はない。ストレスも無く、その吐息に込められた意味はいわゆる一つのフラストレーション。
遠く離れた所から主人が本をめくる紙の擦れた音が響く。
この広い大図書館は静寂に包まれ。そんな僅かな音でさえ聞えてしまうのに、聞えない程小さなため息が、小悪魔の薄く開かれた口から漏れた。
フラストレーション、ありのままの自分に感じる欲求不満。
もう何ヶ月も小悪魔は悪戯をしていなかった、毎日の様に訪れる白黒や日々増え続ける蔵書の整理で暇が無く。
また空いた時間も主人の話しに合わせる為に片っ端から主人が読み終えた本を読む事に費やしていた。
「ご苦労様」
振り向くと、主人のパチュリー・ノーレッジが微笑んで立っていた。小悪魔は一礼し、いつもの事だと言うと、パチュリーは誇らしげに頷いて返した。
大図書館の司書に恥じない働きをする事。
それが彼女が小悪魔に求めている物だった。
「いつもいつも悪いわね、世話を押し付けるようで」
「あなたの読書の時間が少しでも。安らかなままでいられるようにしただけですから」
そして小悪魔も、彼女が求めている様に振舞って見せた。
パチュリーは来訪者、霧雨魔理沙が出て行った扉を見つめ、ため息をついた。
最初の頃の霧雨魔理沙の傍若無人の様子でも思い出したのだろう。
我が物顔でやって来ては本を盗り散らして行った霧雨魔理沙。
その霧雨魔理沙が客人らしく謙虚に訪れ、本一つ借りるのにもいちいち許可を取るようになったのは最近になってから。
小悪魔が彼女か大図書館に来た時には必ずつきっきりで面倒を見るようになってからだった。
「それより何か御用でしょうか?」
「特に用事はないの、だからあなたにお休みをあげようと思って」
「お休み、ですか?」
思わず首を傾げる。今までも用事が無い事は結構あり、休み同然の時間を過す事は多かったが。
「ええ、たまには外の空気でも吸ってきなさい」
言葉にして言われたのは初めてだった。つまり、読書をする必要は無いという事だ。
それだけ言いに来たらしく、パチュリーはゆっくり休みなさいとだけ言い残し元の場所へと戻っていった。
さてどうしましょう?
急に暇が出来た小悪魔は思わず首を傾げたまま主人の後ろ姿を見送り、そして溜まりに溜まったフラストレーションを解消する事を思いついた。
思い立ったがなんとやら。小悪魔は顔を輝かせパチュリーの元へ駆け寄った。
それから言いそびれた礼を言い、気持ちだけ急がせて大図書館を静かに出て行った。
さてどうしましょう?
紅魔館の長い長い廊下を歩きながら小悪魔は考えた。
悪戯をしようにも、急な事だからそうそういいアイデアが思いつかないのだ。
考えながら廊下に感覚的に置いてある燭台を眺める。
取り替えられたばかりの真新しい蝋燭、先の糸を切って使えなくしてみようかしら?
「あら小悪魔じゃない?」
なんて思っていると、後ろから声をかけられた。
振り返ると十六夜咲夜が手を振りながら小悪魔の方へ近づいて来ていた。
彼女はいつも持っている掃除道具の代わりに、何か良い匂いを漂わせながら小悪魔の前に立った。
「ああ、お昼ご飯を作ってたのよ」
それが何の匂いか聞くと、咲夜は少し恥ずかしそうに答えた。今はもう昼というには少し遅い時間で、仕事熱心な彼女は昼食を後回しにして勤務に励んでいたのだ。
「あなたも一緒にどう? ……ってもう食べてるわよね」
おそるおそる咲夜が聞く。
小悪魔は昼食は済ませていたがそれでも是非ご一緒にと答えると、咲夜は嬉しそうに顔をほころばせた。
落ち着いて話が出来る同僚。
それが彼女が小悪魔に求めている事だった。
廊下から階段を降り一階の厨房へ、扉を開くとふんわりと良い匂いが立ち込めている。
小さな鍋から湯気が立ち、その横にはパンが二切れ。それとスープ皿が一枚あった。
咲夜は食器棚から皿を一枚取り出し、お玉を持ってスープ皿へとよそっていく、小悪魔はそれをすぐ横のテーブルに置き、二人揃って手を合わせた。
『いただきます』
早速スープに口をつける咲夜を横目で見ながら、小悪魔は同じようにスープに口を付けてふと思った。
蝋燭に悪戯が出来ない今、次に考えるべきなのは十六夜咲夜へどう悪戯してやろうかと。
「ああ、我ながら美味しく出来た……いつも一人で食べるから淋しいけど、今日はあなたがいるからまた格別に美味しいわ」
「誰かと一緒に食べるのが何よりの調味料になりますね」
ほぅ、と息を吐く咲夜に微笑みを返す。
朝から晩まで働き詰めのせいなのか、どことなくその吐息には疲労の色が見えた。
メイド妖精達の世話、主人の相手、門番の監視。
一日中働く彼女が休めるのは彼女が止めた時の中と、日が差す中での睡眠時間だけ。
そう思うと何だか悪戯がし辛い気がし、小悪魔は結局何も思いつかないまま食事を終えてしまった。
いつもならお構いなしにやってしまうのだが……同じ従者の立場として小悪魔は同情を覚え、そのまま何もしない事にした。
それから後片付けを手伝って咲夜と別れ厨房を出た。
さてどうしましょう?
一階のホールを歩きながら小悪魔は考えた。
次の悪戯の相手を探そうか、それとも手頃な物で済まそうか。
考えていると、ふと壁掛け時計に目がいった。
時計の針がチクタクと、しかしゆっくりと動いている。どうやらネジが切れかけているらしい。
時計の針をあべこべに動かしてからネジを回してやろうかしら?
「お、小悪魔じゃない」
そんな事を思っていると、後ろから声をかけられた。
振り返ると、汗だくの顔の紅美鈴が入り口の方で持っていたスコップをひらひらと振っていた。
膝辺りを土で汚した美鈴が近づくなり小悪魔の肩に手を置く。
小悪魔は何を言われるのか予想がついたが、黙って美鈴の言葉を待った。
「悪いけど、花壇の手入れ手伝ってくれない? 水遣りと雑草取りが終わらないのよー」
ああやっぱりと思い。小悪魔はわかりましたと答えると、美鈴はそうするのが当たり前だと言わんばかりに持っていたスコップを手に持たせ。戻るのではなく館の方へ入って行ってしまった。
頼まれると断る事が出来ない気の良い同僚。
それが彼女が小悪魔に求めている事だった。
花壇には雑草が生えに生えていた。
数日以上ほったらかしにしていたのか、数種の花の根元にはいくつもの雑草が固まっている。
小悪魔はその一つにスコップを差し、根っこを土ごと取り出した。
整えられた花壇にぽっこりと穴が開く。近くに置いてあった布袋に雑草を放り、小悪魔はこの花壇を穴ぼこだらけにしてやろうと思った。
そして手当たり次第に雑草を土ごと掘っていく、美鈴が時間をかけて整えただろう花壇は見る見るうちに無残な有様になって行った。
花を踏んだり根を傷つけないように気をつけながら花の根元の雑草も。
腰が痛くなる位に時間をかけ、膝を土で汚した小悪魔はそんな花壇を見回して一人満足げに頷いた。
美鈴の驚いた顔が目に浮かぶ。慣れてないとでも言い訳すれば彼女はきっと疑いもせず納得するだろう。
「あーー!」
予想通りの声が上がる、小悪魔が振り返ると――満面の笑みを浮かべた美鈴が、顔を輝かせていた。
「全部やってくれたの? ありがとー!」
「い、いえ、お役に立ててなによりです」
小悪魔の方が驚く事になった。
手に大きなバケツと如雨露を持った美鈴の視界はこの花壇を映しているに違いないというのに、驚くどころか礼まで言ったのだ。
「えーと、じゃあ私はこれで失礼します」
「あ、うん! このお礼は今度するから、ありがとね小悪魔」
バケツを置く美鈴に一礼し、小悪魔は花壇を離れた。
面白く無い。思っていたのと違う反応に小悪魔は呟いたが、バケツに如雨露を突っ込んでいる美鈴にその呟きが聞える事は無かった。
さてどうしましょう?
ホールから談話室へと続く廊下を歩きながら小悪魔は考えた
次の悪戯こそ成功させてやろうと、でも何をしようかと。
談話室にたどり着く。皆が良く集まるこの部屋だが今は誰もいないようだった。
内側から鍵をかけて入れないようにしてみようかしら?
「小悪魔ー……」
なんて思っていると、上の方から声をかけられた。
見あげると、天井に蝙蝠よろしくぶらさがったレミリア・スカーレットが。
眠たげな目をショボショボとさせながら小悪魔を見下ろし、いや見あげていた。
「早起きですね、おはようございますレミリア様」
奇妙な光景に小悪魔は動じず挨拶をすると、レミリアは返事の代わりに欠伸を一つ。
手で押さえてもないのにスカートがめくれていないのが不思議だった。
「早起きしすぎて退屈だわ……ちょうどあんたが通りかかったからいいけど」
天井から降り立ち、寝癖のままの頭を掻きながらレミリアが呟く。
退屈すぎる時にたまたまいればいい友人の従者。
それが彼女が小悪魔に求めている事だった。
「なぁ小悪魔。早起きは三文の得って聞くけれどこの退屈が三文の得って奴かね?」
「それって確か朝、家の前に鹿が死んでたら三文の罰金を払わないといけないから早起きして死体が無いか確認する意味で生まれた言葉ですよ?」
「へぇ、早起きすると良い事があるって意味とは別の意味があったのか」
読書で得た知識で説明すると、レミリアは感心したように頷いた。
「とりあえず門の前まで行って鹿の死体でも確認してみたらどうでしょう?」
「美鈴に行かせるよ、とりあえず三文分の得をする為に……もう一眠りしよ」
つまらなさそうに顔をしかめ、レミリアが談話室の扉を開く。
二度寝したら得も何もあったもんじゃないと言いたかったが、小悪魔はそれを口には出さず、ひっそりと心の中にしまい込んだ。
「ではおやすみなさい」
それだけ告げて、談話室の扉が閉まられるのを待ってから小悪魔はその場を離れた。
さてどうしましょう?
大図書館へ戻る長い長い廊下を歩きながら小悪魔は考えた。
紅魔館を大体回って結局悪戯らしい悪戯も出来ずに戻ってきてしまった。
最初に悪戯をしようと思った燭台の蝋燭が見えてくる。
先程出来なかった事をやってしまおうかしら?
真新しい蝋燭の糸を切って使えなくする、小悪魔は燭台の一つに近づき、ポケットからハサミを取り出してシャキシャキと準備運動をさせた。
「みーちゃった♪」
そして手前の糸を切ろうと思った矢先、後ろから声をかけられた。
振り返ると、七色の装飾がついた羽をパタパタと動かしているフランドール・スカーレットが意地悪げな、面白い物を見つけたと言わんばかりの笑顔で立っていた。
「あら妹様、おはようございます」
しまったと思いつつも、何とか顔に出さずに挨拶をする。
フランは糸を切ろうとしたままの体制の小悪魔の横に立つと、パッと顔を輝かせ。
「あら意外、小悪魔はこんな事をする人だったのね」
と子供らしくない調子で言った。
言い訳をしようと口を開いたが、良い言葉が浮かばず。
小悪魔が頷くと、フランは小悪魔と燭台を見比べ、ふむと呟いた。
「ねぇ小悪魔、何をしようとしていたの?」
小悪魔は答える代わりにハサミをシャキシャキと動かして見せた。
フランはそれで何をしようとしたのかを理解したのか、またにんまりと笑い。
「悪戯なら私も付き合うわ、どうせならぜーんぶ切っちゃいましょ!」
ピースサインを作って小悪魔に向け、ハサミのように動かして見せた。
小悪魔は一瞬呆気に取られたが、すぐにフランに笑みを返し、それから二人で長い長い廊下の蝋燭の糸を、片っ端から切り始めた。
小悪魔はハサミで、フランは少し伸びた爪でちょきんちょきんと。
見る見る間に蝋燭から糸が消え、代わりに二人のポケットには糸屑が溜まっていった。
「これから悪戯する時は、私も誘ってよ? いい訳にもなるしね」
「ふふ、そうします」
悪戯の共犯者。
それが彼女が小悪魔に求めた事だった。
全ての糸を切り終え、フランと別れた小悪魔はようやく満足してすっきりとした心のまま大図書館へと戻った。
奥の方ではいつも通りに主が読書に励んでいる、近づく小悪魔に気がつき、本から顔を上げてにっこりと微笑んだ。
「おかえり、もういいの?」
「ええ、いい気分転換になりましたよ」
そう言うと、パチュリーが満足げに微笑む。小悪魔はその横に腰掛け、いつも通り読書をしようと本を手に取った。
表紙を確認して、本を開こうとした時、不意に大図書館の扉が開く音が響く。
「あら、お客さんかしら?」
「では行って来ますね」
「たまには私が行こうか? せっかくお休みをあげたんだからもう少し自分の好きなようにしてていいのよ?」
開きかけた本を閉じる小悪魔にパチュリーが言う。
「私が好きでやってるから、大丈夫ですよ」
小悪魔は首を横に振って立ち上がり、にっこりと微笑んでパチュリーに答えた。
入り口の方から呼びかける声。小悪魔は返事を返し、では言ってきますと告げると、もう読書に戻っていたパチュリーが片手を上げてそれに答えた。
小悪魔は入り口まで駆け足で向かい、それから姿勢を良くして来訪者を迎えた。
柔らかな笑みで対応し、用件を聞き、それから指先を整えて中を案内する。
紅魔館の大図書館に相応しい司書。
それが小悪魔が小悪魔自身に求めている事だった。
蝋燭の件は悪戯して終わりですか。
物足りない感じがしました。
この小悪魔ちゃんは良い子だなぁ。
行ってみたい、こんな司書さんが居る大図書館に凄ぇ行ってみたいぜ。
特に最後に一言
てかフラストレーションは目標、契約が達成できない状態を指すのだから
司書たる事を自分に求めてそれを履行できている小悪魔がフラストレーション
溜まるっておかしくないかな?
悪戯ができなくてフラストレーションを感じるのなら、それは最後の二行と矛盾するわけで。
でも作品は面白かったです。
↓
ほーらやっぱり裏の顔あった!これからどんな悪どい事するの?(しかも冒頭の雰囲気から察するに完全犯罪を犯すんだな!?)
↓
なに、この…なんだこの可愛らしい悪魔は……!! ←イマココ
この小悪魔みたいに、大きな悪戯には考えも及ばず小さな悪戯に喜び見出す小悪魔が大好きなんです。
物語には次第に次第に引き込まれていく感じでした。気付けばいつの間にか読了していた、みたいな。
悪戯っ子の小悪魔をご馳走様でしたb
こあちゃん可愛いなー