私は縁側に座りながら、大きく口を開く。
改めて言うまでもなく欠伸だ。
思いのままに口を開いてしまったが、やはり女性である以上、みっともない顔は晒したくはない。
慌てて口を手で覆い隠して、噛み殺す。
そんな一連の動作を終えた時。
横から、押し込めたような笑い声が聞こえてきた。
どうやら少し遅かったようだ。
「……失礼ね」
「いやー、人と話してる最中に欠伸をする方が失礼だと思いますよ」
私としては何か言い返したかったのだが、自分自身でも、全くその通りだ、と思ったので口を開くことはしなかった。
「ところで、お茶のお代わりを下さると非常に嬉しいのですけれど」
でも、ちょっと悔しかったので、わざと慇懃な態度を取ってやる。
足を綺麗に組んで、床に手を添えつつ頭を下げる。
我ながら綺麗な姿勢だと思う。
そんな私の方を一瞥さえもせず、彼女は呆れた声を漏らした。
「あー、はいはい分かりました。って、まだ半分以上も残ってるじゃないですか」
非難する色を表情に浮かべたまま、湯呑みを私へ突きつける。
そりゃあ、そうだろう。
私は口元が吊り上がるのを抑えられなかった。
ゆっくりと腕を伸ばして、指先までを真っ直ぐにしてある一点を指し示してやる。
何事かと目を向ける彼女。
「……なんか、私の湯呑みが空になってるんですけど」
「何ででしょうねー」
再び私へと向き直り、剣呑な視線を送る彼女から逃れるように、私は外へ目を向ける。
――青く開けた空が半分と、木造の庇が半分。
胸元のリボンを緩めると、随分と涼しくなったような気がした。
最近は気温も上がってきて実に過ごし辛い日々だ。
汗をかく程ではないが、蒸されているような不快感がある。
両手を組んで上へ伸ばしながら背を反らす。
肺へと吸い込まれた空気は熱されていて心地良いものではなかった。
視線をやや下へと移すと、鳥居が中央へと現れる。
見慣れたようで、どこか違った景色だ。
多分、鳥居の向こうの空が近くに見えるからだろう。
「……もしもし、聞いてますか?」
「ん、ああ。何かしら」
「だから、一体何の用で来たんですか」
これはどうしたものか。
何を隠そう、私がここに来た特別な理由などないのだから。
敢えて言うならば、休憩、兼、暇つぶし、だろうか。
勿論、私だって考えてあっての行動だ。
折角の休暇なのだ。最近は外に出ることもあまりなかったので、いろいろと巡ってみようと思ったのだ。
だがまあ、気候が気候だけに、いざ外に出てみると気力はすぐに萎えてしまったと言う訳だ。
紅白の方の神社に行ってもよかったのだが、向こうはなんだかんだで人が集まって来る。
そうすると、雑用が私に回ってくることが多々あるのだ。
今はゆっくりと過ごしたい気分だったので、こちらを選んだという訳だ。
「えーっと、そうね。折角の休みだから、見聞を広げようと思って」
結果的には正解だったのかも知れない。
山の上だけあって風通しは良いし、家主的立場の神様二人も、ゆっくりしていきなさいな、と好意的な態度を取ってくれたし。
横にいる騒がしいのも、人里やら何やらで面識は一応ある。
思っていたよりも快適に過ごせそうだ。
笑顔になる私を睨め付けながら彼女が言う。
「つまり、用はない訳ですか。暇つぶしに人の家に来るって……」
まあ、そういうことなんだが、それは直球で言ってはいけないだろう。
なんだか罪悪感を感じてしまうではないか……
「好きだから、いいじゃない」
勢い良く言い切ってやる。
私は働く量が他の者よりも多いから、労働が好きなんだと思われがちだが、私だって人間だ。
疲れることよりも、こうやって怠惰に過ごす方が好きに決まっている。
そこのところを皆に分かってもらいたいものだ。
雲を眺めながらそんなことを思っていると、左の頬に気配と僅かに風を感じた。
そちらを向けば、目の前に肌色が移る。
顔を引いて見ると、人差し指の腹だということが分かった。
それは言うまでもなく彼女のものだ。
そして、何やら声を荒らげながら言ってくる。
「私は、えーっと、嫌いじゃありません……いや、やっぱり嫌いです」
まあ、そうだろうな、とは思う。
突然の来客など実際に接待する方としては迷惑極まりない存在だ。
私もその気持ちはよく分かっているつもりだ。
だから、ここは素直に謝ろうと思う。
それくらいはするべきだろう。
「やっぱり、迷惑だったかしら、ごめんなさいね」
失礼を詫びる言葉と共に頭を下げる。
そんな私の反応が意外だったのか、向こうは慌てて両手を振る。
いやー、あの、そんなつもりじゃなくて、と吃りながらぶつぶつと呟くのは見ていて笑いそうになってしまった。
一人、鼻息荒くなっている彼女に少々の戸惑いと親近感を覚えながら、声を掛けてやる。
「まあまあ、歓迎されてないのは分かってるけど、お茶でも飲んでのんびりしない?」
「……そのお茶がないんですけど、誰かさんのせいで」
今更ながら、悪いことしたなと反省する。
本当に今更すぎて、私にはどうすることもできない。
覆水盆に返らず、という奴だ。
どうしたものかと頭を捻るが、思い浮かぶ案は一つしかなかった。
私の湯呑みを彼女の方へ、それとなく移動させると、これ見よがしに突っ返された。
ちょっと傷付いたのは内緒だ。
「私、人の飲みかけとか気になるんですよね」
突っ慳貪な対応。
本当に気にしているのか、していないのかは表情から読み取ることはできなかった。
まあ例えそれが、茶を取られたことに対する仕返しのつもりなのだろうが、私にとっては然程効きはしないのだが。
「半分以上は貴女のなんだけどね」
返された湯呑みを手にとって中を見つめる。
こんなもの一度混ざってしまえば、誰のものだったかなんて意味はありはしないだろうに。
湯呑みはを横へ振ってみれば、表面が揺れて小さな飛沫を作り出す。
荒れる水面が収まらないうちに私はそれを口へと運ぶ。
当たり前のことだが、際立って美味くも不味くもない、普通の味だった。
私が湯呑みを置くと同時に、視界の横から伸ばされた人差し指が現れる。
それと同時に、何やら横で、関節がどうの鱚が云々と騒いぎ出す。
本人は私を馬鹿にしているつもりなのかは知らないが、生憎と殆どの言葉をわざと聞き流していたので問題はなかった。
茶を一杯取ったくらいでこの騒ぎ様は如何なものかと思う。
というか、自分が要らないと言ったんだろうに……
やれやれ困ったものだと、未だに騒いでいる彼女に向けて言い放つ。
「好きだから、いいのよ」
大抵のことは好きだからと言えば相手の意見など封じ込めることができる。
まさに魔法の言葉だ。
それに嘘をついている訳ではないのだから後ろめたさを感じることもない。
大体、こんなにも暑い日に飲み物が嫌いな奴などいるのだろうか。
今すぐにでもお代りをいただきいくらいだ。
因みに私自身としては、一見こんな形をしているから、西洋一辺倒だと思われがちだが、意外と和風なものが好きだったりする。
とまあ、下らないことを考えていると、いつの間にやら隣は静かになっていた。
予想以上に大人しくなったので、何事かと顔を向ける。
すると、何やら我慢できないとばかりの表情を浮かべて、真っ赤になった顔と対面した。
何をそんなに怒っているのか思い当たる節も、彼女の言葉を聞き流していたことや適当な返事をしたことなどを考えると、ないとは言えない。
だが流石にそこまで表情を変えるほどのことではないと思う。
とりあえず、無難な受け答えをして難を逃れるべきか。
「何をどう思おうが、私の勝手だと思うのだけど……」
「あ、あなたはもっと常識を持つべきです」
「ちょっとショックだわ」
ことある毎に常識を投げ捨てようとする奴に言われるなんて、流石に凹む。
額に手を当ててわざとらしい反応をとってみる。
すると、それが彼女の気に障ったらしく拗ねたような口振りになるのだった。
「もう何でもいいです」
「何開き直ってるのよ」
見せ付けるられるように溜息を吐かれる。
あまりの白々しさに頭を小突いてやりたくなる。
まあ、そんなことをすればまた何を言われるか分かったものではないので、流石に実行に移しはしないが。
仕方ないので代わりに頭の中でやってやる。
存外に痛快さがあった。
「……一人で何を笑ってるんですか」
「別に何でもー」
私としたことが顔に出ていたようだ。
これは気を付けないといけない。
まあ結局、面倒さが勝ってしまって、引き締めた気は僅か数秒程度しか持たなかったのだが。
涼やかな風に流されるように、私は身体を後ろに倒した。
木張りの床は太陽に熱されて暑い部分と、日陰になっていて比較的に冷たい箇所に分かれていた。
大きく伸びをして、ごろり、と横に転がってうつ伏せになる。
そして、そのまま肘を使って少しだけ前に進む。
そうすると腿の部分までが縁側に上がるのだった。
「ちょっと、何やってるんですか」
「見たら分かるでしょ。寝転がってる」
咎めるような口振りに相反する気の抜けた声色で返してやる。
足を伸ばしたままだと疲れてしまいそうだったので、膝を曲げる。
「随分と図々しいですね」
「文句は転がりたくなる気分にさせる天気にどうぞ」
足首を掴んでこようとする彼女を手で追い払いながら深く息を吸い込む。
新鮮な空気が肺を満たす。
それはなかなかに素敵なのだけれど、やはり蒸し暑いのは勘弁して欲しい。
ふう、と息を吐き切る。
何にもしていないのに随分と疲れてしまった。
目を閉じて腕を枕にすれば、頬を風が撫でるのがよく感じられた。
確かに暑いことに変わりはないが、案外悪くないかもしれない。
「寝ないで下さい。顔に落書きしますよ」
「これでも起きてるわよ」
「そうやって目を瞑ってるのを寝るって言うんですよ」
五月蝿い小言に対して手で耳を塞いでやる。
そして、彼女から遠ざかるように一回転。
床の冷たい感触が甦る。
はあ、と息を吐く。
すると額をぺちり、と叩かれた。
「ちょっと……痛いじゃない」
「図々しい人には神罰です」
目を開けて非難するような視線を送ってやる。
けれど、あまり効果はなかったようで、してやったりな顔で返されてしまう。
なんとなく鼻についたが、何かやり返す気にはならなかった。
「少しくらい見逃してよ、私いつも頑張ってるんだし」
「そんなことは、私の知ったことじゃありません」
「ついでに風を吹かせてくれるとありがたいのだけどね」
「私は団扇じゃありません」
食い下がってくる彼女の腕を掴んで引き寄せる。
また、叩かれでもしたらかなわない。
抵抗する彼女に対して、私もわりと本気で力を込める。
流石にそれは耐え切れなかったのか、バランスを崩した彼女はうつ伏せになるのだった。
「もう、本当に何しに来たんですか……」
悔しそうな、けれどもどこか楽しそうな色を含んだ声が伝わって来る。
横を見れば、いつの間にか仰向けになっていた彼女と目が合う。
「ついさっき、昼寝という目的が生まれたわ」
「あー、もう面倒くさい人だなあ」
……もう少し、歯に衣着せてもいいんじゃないかと思う。
でも、その言葉の表のように本気で嫌がっている訳ではないことくらいはお見通しだ。
「ごめんなさいね」
だから、謝りはするけれども、悪びれる気はない。
それに、今日は休みだから。
気の赴くままに振る舞ってもいいだろう。
こうして、友人と気負わずにじゃれ合うのもいいだろう。
私だって人間なのだから。
――今日は、これからもっと日差しが強まるだろう。
そんな暑い季節の内の鬱陶しい一日。
それにしては、悪くない日になりそうだ。
こういう等身大な咲夜さんも素敵だ。
二十作品目の投稿、おめでとうございます。
人間で言えば成人式、更なる気合を込めるも良し、自然体で行くのも良し。
作者様らしい執筆活動を続けられることをお祈りします。
おもしろかったです。