※・ちっさくシリーズ。「鈴の鳴る夜」「昼間の月」「別つ目」「所詮第三者」「使えない子」ときっとどこかしらがつながってます。
・パッチェさんが主役
・過去とか妄想
・俺設定満載
おk?↓
―パチェはさ、あの子の母親になってやってよ
そう言った時の、彼女の悲しげな微笑みが、私の中の何かを、ゆらりと、動かした気がする。
■ ■ ■ ■
私、パチュリー・ノーレッジは、元々はただの人間だった。
とある拍子に魔術に触れ、そのとてつもないほどの奥の深さに魅入られて、今に至る。
一度踏み込んでしまえば、二度と抜け出せない世界であることは重々承知の上だった。早くに両親を亡くして、意地の悪い伯父に引き取られた今となっては、失うものすら何もない。こんな世界など、なくなってしまえばいいとすら思っていた。
きっと私はとうに、現実というものを見失っていたのだろう。
迷いなど、微塵もなかった。このままゆっくりと、人生を削るなどしたくなかった。
両親の遺した財産欲しさに、私をあの手この手で葬ろうとする伯父から逃れ続ける生活にも疲れ切っていた。
昼間、伯父が仕事に行っている間は、図書館や公共施設に入り浸り、日の当る場所で束の間の仮眠をとった。夜になると自室へこもり、神経を研ぎ澄まして、迫りくる恐怖にじっと耐える。
もう嫌。誰か助けて。
願っても誰も来ないことなど分かっていた。
未来を変えるのは、自分自身でしかないのだ。
そして、私は人間を捨てることを決意する。
あれは確か、数えて14の、暑い暑い、夏だった。
■ ■ ■ ■
重い扉が、ゆっくりと開かれる音がした。
ギィ、という重厚な音は、雑音と言うには少しばかり品格がありすぎる。
毛足の長い絨毯の上を歩いてくる足音は、二つ。
「失礼いたします、パチュリー様」
ここは林か、それとも森か、と思われるほどに、幾重にも連ねられた本棚の間を通り抜けると、少しばかり開けた場所に出る。
どういう魔法が使われているのかは不明だが、その場所には一本の木が生え、その周りを若草が這い、擬似的な太陽光が木漏れ日を作り出していた。
薄暗いこの紅魔館の中で、唯一穏やかな温もりを戴ける場所だ。ここならば、この館の主も外の雰囲気を楽しめる。
「あら、なにかしら。ティータイムならもう少し先だと思ったけれど?」
その場所に至る少し手前。大小の人影が、パチュリーを呼ぶ。
それに応えて顔を上げれば、小さな子供と手をつないだままで、メイド長が静かに膝を折った。
「このままにて失礼いたします。お見知りおき頂きたい者がおりまして」
その言葉に、パチュリーは視線を子供の方へ向けた。
真新しいメイド服を着た、小さな子供。
じっと見つめてくる青い瞳を見返して、パチュリーは少しばかり悲しくなった。
あれと手をつないでいた時とは、あからさまに様子が違う。
なんだか疲れ果ててしまったような表情は、過去の自分を思い起こさせる。
「パチュリー様?」
返事を返さないでいると、メイド長が下げたままだった頭を上げ、こちらをうかがってきた。
その視線から逃れるように手元の本へと視線を戻し、パチュリーは口を開く。
「……続けて」
メイド長は少し間を作ったが、何も言わずに、手をつないだ先の子供をついと促した。
銀灰の髪を心許なく揺らした子供は、一歩前に出てぎこちなく膝を折る。
「この度メイド見習いとなりました、十六夜咲夜と申します。以後、どうぞお見知りおきをお願いいたします」
呟くような声からは、なんの感情も読み取れなかった。パチュリーはその姿を見ることもせず、そう、とだけ呟く。
咲夜もパチュリーを見ることはせず、俯いたままで元の位置に戻っていった。
俯き気味のその子と再び手をつないだメイド長は、幼い指先を褒めるように撫でてやってから、再びパチュリーへと向き直る。その仕草は、あれがこの子にしてやるのとよく似ていた。
「パチュリー様」
「なに?」
「私としましては、反対なのですが……」
「?」
そんなパチュリーの回顧を知る由もなく、メイド長は続ける。
言いにくそうに眉を寄せるものなので、パチュリーは首をかしげた。
「とりあえず、言ってみなさい」
「……はい。実は、……その、お嬢様のお言葉により、これからはこの者にこの場の掃除を一任させることとなったのです」
「……一任?」
反対だ、と言っただけはある。実に戸惑いを含んだ声で、メイド長は告白する。
メイドになったばかりの幼子が、主人の賓客の部屋を担当するなど、異例中の異例だ。普通なら考えもしない。
思わず聞き返してしまったパチュリーに、メイド長は一つ頷いてから、手をつないだ先の咲夜を見下ろす。
「筋はなかなか良いのです。けれど経験が足りませんし……」
俯いたままの少女は、メイド長の手を握り返すこともせず、ただじっと足元を見つめていた。
「……私は、構わないけれど」
「え?」
その姿に、幼いころの自分が重なる。
施設の者と手をつなぎ、伯父の家へ向かう時。無性に両親の手のひらが恋しくて仕方なかった。何度もつないだ手をさすってくれる彼女と、目線を合わせることもしないまま。
結局礼の一つも言わないままに、自分は悪魔に連れ去られてしまった。
もう二度と会うこともない、後悔の先。
「構わない、と言ったのよ。元々は小悪魔が一人で掃除していたのだもの。喜ぶでしょう」
メイドなどいらない、と言ったのはかつての自分。
せっかくの読書を、ぱたぱたと走り回る音に邪魔されたくなかった。傍仕えは一人で十分。
けれど。
「私も丁度、空間を広げる方法を探していたところなの。都合がいいわ」
この少女だけは、別だと思った。
この少女にだけは、笑っていてほしいと思ったのだ。
世に絶望したような、生気のない目を持ってはだめ。
ただ本を読み続けるだけの、排他的な生を送ってはダメ。
私は運命に出会うのが少しばかり遅かったけれど、あなたはまだ間に合うから。
「咲夜」
「……はい」
「よろしく。私はパチュリー。パチュリー・ノーレッジよ」
自己紹介なんてしなくても、お互いのことは知っていた。それでもここであらためて、決意するような面持ちで名を告げる。
差し出した手に、咲夜は戸惑うような表情をした。青い瞳が、今にも泣き出しそう。
パチュリーは座ったままで方向を変え、差し伸べる手を、片手から両手にする。
咲夜はその手とパチュリーの目を何度も何度も見比べてから、やがてゆっくりとメイド長のもとをはなれて、歩きだした。
「慣れないだろうけれど、頑張ってちょうだい。期待しているわ」
震える幼い指先が、パチュリーの手のひらの上にそっと降りる。
その手を包み込みながら、パチュリーは微笑んだ。
「いい子」
堪え切れなかったのだろう。ぽろぽろと、青い瞳から涙があふれてくる。
その涙を拭ってやりたいとパチュリーは思ったが、その両手は咲夜がぎゅっと握りこんでいた。
メイド長が、静かに礼をして去っていく。
パチュリーは、泣き続ける咲夜の額に口付けてやって、そっとその手を引いた。
膝の上に座らせると、咲夜が大きく口をあける。「あ」の形で唇を震わせて、それでも声は上がらなかった。はなされた両手が、パチュリーの服を必死に掴む。
その時、パチュリーには、咲夜の声なき悲鳴が聞こえた気がした。
あー、あー、あぁあああ、あーっ
ひ、ひ、と息をのみ、声を出して泣きたいのに、それができずに苦しんでいる。
見ていられなかった。
ただぎゅっと、抱きしめるしかできなかった。
辛かったろう、苦しかったろう。
どんなにか耐えてきたんだね。寂しかったね。
絶望もしたんだろう。叶うものも手に入らずに。
それでも頑張ってきたんだね。必死に、必死に。
「いい子……、いい子ね……泣いてもいいの。もう、頑張らなくてもいいのよ……」
パチュリーは膝の上の咲夜を抱きしめて、何度も何度もその髪をすいてやった。
もう自分には、差し伸べてやれる手がないけれど。両手はすでに本と、悪魔でふさがってしまっているけれど。
それでも、一時的に本を置くことならできたから、空いた手を、咲夜を抱きしめる為に使ってはやれる。
そこには、あれが咲夜へと傾けるような愛は芽生えないのだろうけれど、それでも泣き崩れる場所くらいなら作ってやれる。
―パチェはさ、あの子の母親になってやってよ
寂しそうに笑って、親友はそう言った。
あの時は曖昧に答えたけれど、今ならば約束できる。契約を交わしたっていい。
「咲夜、辛い時はいつでもここにいらっしゃい。私がおいしい紅茶をいれてあげる」
だから。
パチュリーは、この時初めて運命へ祈った。
捨てたはずの悲しみを手繰り寄せ、向き合おうとすら思った。
どうか私に似たこの子に、救いがありますように。
そんな漠然とした祈りに対し、パチュリーの知る運命は、ただ面倒くさそうに顔をしかめただけだった。
■ ■ ■ ■
「あの子の母親になってほしいの」
「母親?」
血のように赤い紅茶が入ったカップを傾けながら、親友は言う。
パチュリーはその言葉を反芻してから、その端正な顔をくしゃりと歪める。
「出産経験なんてないのだけれど?」
また無理難題を押し付けて。
大概この親友が言うことは、我儘で脈絡もなくて嫌になる。
いい加減にしてよね、と視線で訴えても、彼女は面白そうにコロコロ笑うだけだった。
「そう嫌そうな顔をしないで?」
「その傍若無人ぶりをなんとかしてくれれば、すぐにでも顔のパーツを修正するわ」
微笑みに嫌味を返して、パチュリーも紅茶を含んだ。
久しぶりにミルクをいれてみたそれは、酷く滑らかで心地よい。たまにはいいものね、と思い、音をたてないようにそっと元の位置へ。
再び顔をあげて、そこでパチュリーは絶句した。
親友が、見たこともないような表情で、じっとこちらを見つめていたから。
「……レミィ?」
泣きたいような、愛おしいような。なんとも言えない表情だった。
何かを手に入れるために何かを諦めた者の、達観したような、笑みだった。
「私はさ」
その笑みのまま、彼女はパチュリーから視線を外し、手元のカップを覗きこむ。
赤い液体の揺れる様を見つめながら、そぉっと、話を始めた。
「私はさ、上に立つものじゃないか。フランがいて、従者たちがいて。パチェ達がいて」
たたまれた翼が、一瞬揺らめく。
「皆を導かなくちゃいけないから、一人をずーっと抱きしめていてやることはできないんだよ」
たとえそれが肉親であっても。
「道を示してやることはできる。叱咤して、鼓舞して、立ち上がらせることもできる。でもね」
数百の命を預かる者として、組織の頂点に立つ者として。
「甘やかしてやることは、できないんだよ。そんな風にね、ころころと手のひらを返しちゃあいけないんだ」
先を行く者が言葉を違えれば、後に続く者が道を見失うから。
「こうと決めたら、それを曲げてはいけないの。辛かったね、痛かったね。もう頑張らなくてもいいんだよ。なんて、言ってしまってはいけないの」
どんなに可哀そうに思っても、一人のために妥協したのでは、他の者に示しがつかない。
それが、上に立つ者の、孤独と痛み。
「私では、父親にしかなれないんだよ。でも、今の咲夜に必要なのは、許し、手を引いてくれる母親だから」
その胸で泣かせてくれる。
そっと髪をすいてくれる。
温かい紅茶をいれてくれる。
いろいろなことを教えてくれる。
そんな、母親の存在だから。
……だから。
「パチェはさ、あの子の母親になってやってよ」
そう言って、レミリアは目を細めて微笑んだ。
寂しそうで、悲しそうで、それでも愛しげで、何かを慈しむように。
パチュリーは、ただその瞳を見つめることしかできなかった。
まだその時は、自分がどうしたいのか、見つからないままだったのだ。
■ ■ ■ ■
「…っ、めい……っ、…いり……っ」
「……」
今、膝の上で泣いている咲夜を抱きしめながら、あぁ、これが愛しさだと気付く。
めいりん、めいりん。
必死になってあれの名を呼ぶ子供。
今はまだ、大丈夫、だなんて軽々しく言ってはやれないけれど。
それでも。
「さくや……」
信じていれば、きっと届くよ。
自分が絶望の底から、運命という名の悪魔に救い上げられたように。
「いい子ね……」
今はただ、思う存分泣けばいい。
泣き疲れたら少し寝て、立てそうだったらまた頑張って。
その繰り返しで、のんびりいこう。
私はいつだって、本を置いて、あなたの場所をあけておくから。
だから、ね?
さくや。
・
・パッチェさんが主役
・過去とか妄想
・俺設定満載
おk?↓
―パチェはさ、あの子の母親になってやってよ
そう言った時の、彼女の悲しげな微笑みが、私の中の何かを、ゆらりと、動かした気がする。
■ ■ ■ ■
私、パチュリー・ノーレッジは、元々はただの人間だった。
とある拍子に魔術に触れ、そのとてつもないほどの奥の深さに魅入られて、今に至る。
一度踏み込んでしまえば、二度と抜け出せない世界であることは重々承知の上だった。早くに両親を亡くして、意地の悪い伯父に引き取られた今となっては、失うものすら何もない。こんな世界など、なくなってしまえばいいとすら思っていた。
きっと私はとうに、現実というものを見失っていたのだろう。
迷いなど、微塵もなかった。このままゆっくりと、人生を削るなどしたくなかった。
両親の遺した財産欲しさに、私をあの手この手で葬ろうとする伯父から逃れ続ける生活にも疲れ切っていた。
昼間、伯父が仕事に行っている間は、図書館や公共施設に入り浸り、日の当る場所で束の間の仮眠をとった。夜になると自室へこもり、神経を研ぎ澄まして、迫りくる恐怖にじっと耐える。
もう嫌。誰か助けて。
願っても誰も来ないことなど分かっていた。
未来を変えるのは、自分自身でしかないのだ。
そして、私は人間を捨てることを決意する。
あれは確か、数えて14の、暑い暑い、夏だった。
■ ■ ■ ■
重い扉が、ゆっくりと開かれる音がした。
ギィ、という重厚な音は、雑音と言うには少しばかり品格がありすぎる。
毛足の長い絨毯の上を歩いてくる足音は、二つ。
「失礼いたします、パチュリー様」
ここは林か、それとも森か、と思われるほどに、幾重にも連ねられた本棚の間を通り抜けると、少しばかり開けた場所に出る。
どういう魔法が使われているのかは不明だが、その場所には一本の木が生え、その周りを若草が這い、擬似的な太陽光が木漏れ日を作り出していた。
薄暗いこの紅魔館の中で、唯一穏やかな温もりを戴ける場所だ。ここならば、この館の主も外の雰囲気を楽しめる。
「あら、なにかしら。ティータイムならもう少し先だと思ったけれど?」
その場所に至る少し手前。大小の人影が、パチュリーを呼ぶ。
それに応えて顔を上げれば、小さな子供と手をつないだままで、メイド長が静かに膝を折った。
「このままにて失礼いたします。お見知りおき頂きたい者がおりまして」
その言葉に、パチュリーは視線を子供の方へ向けた。
真新しいメイド服を着た、小さな子供。
じっと見つめてくる青い瞳を見返して、パチュリーは少しばかり悲しくなった。
あれと手をつないでいた時とは、あからさまに様子が違う。
なんだか疲れ果ててしまったような表情は、過去の自分を思い起こさせる。
「パチュリー様?」
返事を返さないでいると、メイド長が下げたままだった頭を上げ、こちらをうかがってきた。
その視線から逃れるように手元の本へと視線を戻し、パチュリーは口を開く。
「……続けて」
メイド長は少し間を作ったが、何も言わずに、手をつないだ先の子供をついと促した。
銀灰の髪を心許なく揺らした子供は、一歩前に出てぎこちなく膝を折る。
「この度メイド見習いとなりました、十六夜咲夜と申します。以後、どうぞお見知りおきをお願いいたします」
呟くような声からは、なんの感情も読み取れなかった。パチュリーはその姿を見ることもせず、そう、とだけ呟く。
咲夜もパチュリーを見ることはせず、俯いたままで元の位置に戻っていった。
俯き気味のその子と再び手をつないだメイド長は、幼い指先を褒めるように撫でてやってから、再びパチュリーへと向き直る。その仕草は、あれがこの子にしてやるのとよく似ていた。
「パチュリー様」
「なに?」
「私としましては、反対なのですが……」
「?」
そんなパチュリーの回顧を知る由もなく、メイド長は続ける。
言いにくそうに眉を寄せるものなので、パチュリーは首をかしげた。
「とりあえず、言ってみなさい」
「……はい。実は、……その、お嬢様のお言葉により、これからはこの者にこの場の掃除を一任させることとなったのです」
「……一任?」
反対だ、と言っただけはある。実に戸惑いを含んだ声で、メイド長は告白する。
メイドになったばかりの幼子が、主人の賓客の部屋を担当するなど、異例中の異例だ。普通なら考えもしない。
思わず聞き返してしまったパチュリーに、メイド長は一つ頷いてから、手をつないだ先の咲夜を見下ろす。
「筋はなかなか良いのです。けれど経験が足りませんし……」
俯いたままの少女は、メイド長の手を握り返すこともせず、ただじっと足元を見つめていた。
「……私は、構わないけれど」
「え?」
その姿に、幼いころの自分が重なる。
施設の者と手をつなぎ、伯父の家へ向かう時。無性に両親の手のひらが恋しくて仕方なかった。何度もつないだ手をさすってくれる彼女と、目線を合わせることもしないまま。
結局礼の一つも言わないままに、自分は悪魔に連れ去られてしまった。
もう二度と会うこともない、後悔の先。
「構わない、と言ったのよ。元々は小悪魔が一人で掃除していたのだもの。喜ぶでしょう」
メイドなどいらない、と言ったのはかつての自分。
せっかくの読書を、ぱたぱたと走り回る音に邪魔されたくなかった。傍仕えは一人で十分。
けれど。
「私も丁度、空間を広げる方法を探していたところなの。都合がいいわ」
この少女だけは、別だと思った。
この少女にだけは、笑っていてほしいと思ったのだ。
世に絶望したような、生気のない目を持ってはだめ。
ただ本を読み続けるだけの、排他的な生を送ってはダメ。
私は運命に出会うのが少しばかり遅かったけれど、あなたはまだ間に合うから。
「咲夜」
「……はい」
「よろしく。私はパチュリー。パチュリー・ノーレッジよ」
自己紹介なんてしなくても、お互いのことは知っていた。それでもここであらためて、決意するような面持ちで名を告げる。
差し出した手に、咲夜は戸惑うような表情をした。青い瞳が、今にも泣き出しそう。
パチュリーは座ったままで方向を変え、差し伸べる手を、片手から両手にする。
咲夜はその手とパチュリーの目を何度も何度も見比べてから、やがてゆっくりとメイド長のもとをはなれて、歩きだした。
「慣れないだろうけれど、頑張ってちょうだい。期待しているわ」
震える幼い指先が、パチュリーの手のひらの上にそっと降りる。
その手を包み込みながら、パチュリーは微笑んだ。
「いい子」
堪え切れなかったのだろう。ぽろぽろと、青い瞳から涙があふれてくる。
その涙を拭ってやりたいとパチュリーは思ったが、その両手は咲夜がぎゅっと握りこんでいた。
メイド長が、静かに礼をして去っていく。
パチュリーは、泣き続ける咲夜の額に口付けてやって、そっとその手を引いた。
膝の上に座らせると、咲夜が大きく口をあける。「あ」の形で唇を震わせて、それでも声は上がらなかった。はなされた両手が、パチュリーの服を必死に掴む。
その時、パチュリーには、咲夜の声なき悲鳴が聞こえた気がした。
あー、あー、あぁあああ、あーっ
ひ、ひ、と息をのみ、声を出して泣きたいのに、それができずに苦しんでいる。
見ていられなかった。
ただぎゅっと、抱きしめるしかできなかった。
辛かったろう、苦しかったろう。
どんなにか耐えてきたんだね。寂しかったね。
絶望もしたんだろう。叶うものも手に入らずに。
それでも頑張ってきたんだね。必死に、必死に。
「いい子……、いい子ね……泣いてもいいの。もう、頑張らなくてもいいのよ……」
パチュリーは膝の上の咲夜を抱きしめて、何度も何度もその髪をすいてやった。
もう自分には、差し伸べてやれる手がないけれど。両手はすでに本と、悪魔でふさがってしまっているけれど。
それでも、一時的に本を置くことならできたから、空いた手を、咲夜を抱きしめる為に使ってはやれる。
そこには、あれが咲夜へと傾けるような愛は芽生えないのだろうけれど、それでも泣き崩れる場所くらいなら作ってやれる。
―パチェはさ、あの子の母親になってやってよ
寂しそうに笑って、親友はそう言った。
あの時は曖昧に答えたけれど、今ならば約束できる。契約を交わしたっていい。
「咲夜、辛い時はいつでもここにいらっしゃい。私がおいしい紅茶をいれてあげる」
だから。
パチュリーは、この時初めて運命へ祈った。
捨てたはずの悲しみを手繰り寄せ、向き合おうとすら思った。
どうか私に似たこの子に、救いがありますように。
そんな漠然とした祈りに対し、パチュリーの知る運命は、ただ面倒くさそうに顔をしかめただけだった。
■ ■ ■ ■
「あの子の母親になってほしいの」
「母親?」
血のように赤い紅茶が入ったカップを傾けながら、親友は言う。
パチュリーはその言葉を反芻してから、その端正な顔をくしゃりと歪める。
「出産経験なんてないのだけれど?」
また無理難題を押し付けて。
大概この親友が言うことは、我儘で脈絡もなくて嫌になる。
いい加減にしてよね、と視線で訴えても、彼女は面白そうにコロコロ笑うだけだった。
「そう嫌そうな顔をしないで?」
「その傍若無人ぶりをなんとかしてくれれば、すぐにでも顔のパーツを修正するわ」
微笑みに嫌味を返して、パチュリーも紅茶を含んだ。
久しぶりにミルクをいれてみたそれは、酷く滑らかで心地よい。たまにはいいものね、と思い、音をたてないようにそっと元の位置へ。
再び顔をあげて、そこでパチュリーは絶句した。
親友が、見たこともないような表情で、じっとこちらを見つめていたから。
「……レミィ?」
泣きたいような、愛おしいような。なんとも言えない表情だった。
何かを手に入れるために何かを諦めた者の、達観したような、笑みだった。
「私はさ」
その笑みのまま、彼女はパチュリーから視線を外し、手元のカップを覗きこむ。
赤い液体の揺れる様を見つめながら、そぉっと、話を始めた。
「私はさ、上に立つものじゃないか。フランがいて、従者たちがいて。パチェ達がいて」
たたまれた翼が、一瞬揺らめく。
「皆を導かなくちゃいけないから、一人をずーっと抱きしめていてやることはできないんだよ」
たとえそれが肉親であっても。
「道を示してやることはできる。叱咤して、鼓舞して、立ち上がらせることもできる。でもね」
数百の命を預かる者として、組織の頂点に立つ者として。
「甘やかしてやることは、できないんだよ。そんな風にね、ころころと手のひらを返しちゃあいけないんだ」
先を行く者が言葉を違えれば、後に続く者が道を見失うから。
「こうと決めたら、それを曲げてはいけないの。辛かったね、痛かったね。もう頑張らなくてもいいんだよ。なんて、言ってしまってはいけないの」
どんなに可哀そうに思っても、一人のために妥協したのでは、他の者に示しがつかない。
それが、上に立つ者の、孤独と痛み。
「私では、父親にしかなれないんだよ。でも、今の咲夜に必要なのは、許し、手を引いてくれる母親だから」
その胸で泣かせてくれる。
そっと髪をすいてくれる。
温かい紅茶をいれてくれる。
いろいろなことを教えてくれる。
そんな、母親の存在だから。
……だから。
「パチェはさ、あの子の母親になってやってよ」
そう言って、レミリアは目を細めて微笑んだ。
寂しそうで、悲しそうで、それでも愛しげで、何かを慈しむように。
パチュリーは、ただその瞳を見つめることしかできなかった。
まだその時は、自分がどうしたいのか、見つからないままだったのだ。
■ ■ ■ ■
「…っ、めい……っ、…いり……っ」
「……」
今、膝の上で泣いている咲夜を抱きしめながら、あぁ、これが愛しさだと気付く。
めいりん、めいりん。
必死になってあれの名を呼ぶ子供。
今はまだ、大丈夫、だなんて軽々しく言ってはやれないけれど。
それでも。
「さくや……」
信じていれば、きっと届くよ。
自分が絶望の底から、運命という名の悪魔に救い上げられたように。
「いい子ね……」
今はただ、思う存分泣けばいい。
泣き疲れたら少し寝て、立てそうだったらまた頑張って。
その繰り返しで、のんびりいこう。
私はいつだって、本を置いて、あなたの場所をあけておくから。
だから、ね?
さくや。
・
パチェとレミィの優しさに涙が止まらない
めーさく最高ーーーーーーーーーー
泣けるよ奥さん
これ泣ける(;∇;)/~~
ちびさくや凄く可愛いですよ
そして物語が泣ける(ToT)