" />彼女はミルクティーに似ている。 作者: 神田たつきち
Coolier - 新生・東方創想話

彼女はミルクティーに似ている。

2010/07/27 12:52:36
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 01.

 その日、守矢神社から緑の巫女が消えた。


 ――とだけ書くと、まるで彼女、東風谷早苗が何らかの事件に巻き込まれた様に捉えられてしまうが、安心して欲しい。決して彼女の生命に何らかの危機が訪れたわけではなく、今でも彼女は幻想郷で元気に暮らしている。

 では、彼女は今現在どうしているかと言うと、彼女が暮らしていた妖怪の山から少し離れた魔法の森と言う場所に居る。より厳密に言えば、魔法の森の、色鮮やかな方の魔法遣いの家に居る。そこで彼女は家主であるアリス・マーガトロイドと共に、二人での生活を始めたのだ。

 二人の関係は、言葉にするのが難しい。早苗はアリスを強く慕っており、きっとそれは友人や親友などと言う友愛を超え、いわば恋心と言ったほうが近い。対してアリスはと言うと、勿論早苗の事は嫌いではない。寧ろ好いている。しかし、良くも悪くも自身の感情に正直な早苗に比べると、そういった内面を隠してしまうのが彼女の癖なのだ。その為、周りから見れば、まるで仲の良い姉妹程度にしか見えない。とどのつまり、早苗が辛かったり困ったりした時、最初に頼るのは、巫女として自ら仕える二柱の神を除けば、必然的にアリスになるのだ。

 さりとて、今のこの状況が早苗の心からの願いだったかと言えば、決してそうではない。そこには幾つかの衝突があり、さながら砕けた隕石の様でもあった。早苗は早苗の意志でアリスの家に居るが、必ずしも全て前向きな感情ではない、と言う事が言える。

 故に早苗は無意識の内に、けれど絶対にアリスに見付からないように、窓の外を数字間に一度、眺めていた。しかしアリスの家は三百六十度背の高い木に囲まれており、窓の外には精々暗い色の葉か、或いは透明に近い、魔法の森特有の瘴気がうすらぼんやりと見える程度だった。

「暗いでしょう、此処」
「いえ、そんな事は」
「良いのよ。無理に嘘つかなくても。此処が暗いのは事実だもの」

 魔法の森には太陽の光さえ満足に入ってこない。

「白っぽい空気は、霧とは違うんですよね?」
「ええ、瘴気よ。普通の生物はまず生きられないわね。私はもう慣れたけれど」
「魔理沙さんもですか?」

 魔理沙、と言うのは、アリス以外に唯一この魔法の森で暮らす人間である(厳密にはアリスは人間ではないが)。同じ魔法遣いと言えど、二人は物の考え方や捉え方、はたまた日々の生活スタイルまで全て異なるので、決して仲が良いとは言えない。せいぜい偶然顔を合わせれば二言三言会話を交わし、食事を作りすぎたら相手のドアノブにぶら下げておく程度の付き合いだ。

「アイツは殺しても死なないでしょう」
「まぁ、そうですけど」
「貴女も、辛かったらいつでも神社に帰っても良いのよ」

 アリスの言葉が全てを語る。温くなったミルクティーを口に滑らせる事で、魔理沙の話は終わりだと暗に告げ、加えてさらりとそう促した。それに納得がいかないのは早苗の方で、残り僅かのミルクティーを眺めながら、ぷくりと頬を膨らませる。

「嫌です。絶対に帰りません。私は此処で早苗・マーガトロイドとして生きていくんです」
「どうでも良いけれど、それ、凄く格好悪い名前ね」
「なら東風谷アリスでも良いんですよ」
「一時間前に話が戻ってるわね」

 空になったカップを持ち、アリスが立ち上がる。現在時刻は午後四時。夏だと言うのに、森は暗く、既に数時間前からリビングには明かりが灯っていた。

(そう言えば、こんな時間まで一緒に居るのは初めてね)

 早苗は巫女だ。普段は必要以上に神社を離れたりせず、せいぜい人里へ赴き、買い物をするか信仰を広めるかそれくらいである。アリスと仲良くなったのはつい最近だし、そうなったからと言って神社の事を疎かにしたりはしない。神社と人里を往復する道のりにアリスに逢うと言う行動が挟まっただけだ。その為、一日に二人が逢う時間は決して長くない上に、間が悪い時には逢えない日もある。だから、この時間にこうして二人きりで居るのは有り得ない事なのだ。夜に逢う事も無いわけではないが、それは大抵がどこかで行われている宴会や祭りと言う、公衆の面前で鉢合わせをするに過ぎない。なのでそう言う場所では、酒に弱い早苗を仕方なく介抱する程度でしか触れ合わない様にアリスはしている。とは言え、二人の仲を知っている周りからすれば、対して普段と関係が変わっている様には、見えないのだが。

「ねぇ、アリスさん」

 キッチンでティーカップを洗い流し、もうとっくに冷めたであろう早苗のティーカップの為に、ガスレンジで湯を沸かす。そんな折に、早苗が声を挙げた。リビングとキッチンは直角に位置し、扉で区切られているが、夏の今は開いており、代わりにアリスが自ら縫いあげたレースのドアカーテンが左右に括り付けられている。その為アリスには早苗の顔は見えない。唯気だるそうに甘える早苗の声しか聞こえない。

「私お腹空いちゃいました」
「外に出れば幾らでもキノコがあるわよ」
「アリスさんの手料理が良いんですよぅ」
「そろそろ貴女の所の神様が本気で心配するわよ」
「なんだったらアリスさんでも良いですよ。なんちゃって」
「さっさと帰れ」

 火を止めてポットを持ち、踵を返す。早苗は机に突っ伏した状態だったが、アリスの姿を確認して、上体を持ち上げた。にこにこと微笑みながらカップを両手で持ち上げる。そんな早苗を見て何故だかアリスは犬みたいだと思ったが、本人には言わないでおく事にした。

「ありがとうございます……って、何でお湯なんですか?」
「あら、紅茶を淹れたなんて言った?」
「お湯が出てくるとも思わないでしょう」
「黙って飲むか今直ぐか得るかどっちかにしなさい」
「頂きます」

 ふぅふぅと早苗が表面に息を吹く。アリスは決して早苗に言わないが、実はアリスが注いだお湯は完全に沸騰していない。更にカップの中には冷たくなったミルクティーが少しながら残っていたので、温度はかなり下がっている。両手でカップを持ったまま早苗がこくりとカップを傾けた。

「……ん。アリスさん、ありがとうございます」
「なによ、改まって」
「私が猫舌なの知ってて、温くしてくれたんですね」
「ミルクティーが残ってた所為でしょう」
「もう。素直じゃないんですから。だって外側も熱くないですよ」

 早苗が持っているティーカップは、アリスが人里で購入した陶製の物だ。磁器に比べて陶器の方が厚く作られているので、猫舌猫肌の早苗には丁度良い。そこまでアリスが考えたかどうかは定かではないが、一目見た瞬間値段など度外視で衝動買いした、お気に入りの物であるのは確かだ。そして猫舌ではないアリスのティーカップは磁器で出来ており、それらが二つ一組で丁度売られていた。まさに二人の為に売られていたと言っても過言ではない。早苗もそれを気にっており、今では互いに使っている。

「はいはい、飲み終わったなら早く帰りなさい」
「あれれ、アリスさん? 顔が赤くないですか?」
「夕飯作らないわよ」
「作ってくれるんですか? やったぁ! アリスさん大好きです!」
「大声で馬鹿な事言わない!」

 アリスに抱き付こうとする早苗を引き剥がし、そそくさとアリスがキッチンに逃げる。

「アリスさん、せっかくですから和食にしましょうよ」
「和食ねぇ……」

 アリスが一つ溜息を吐く。そんなアリスに早苗が言った。

「大丈夫ですよ、私が付いてますから」

 どうしてそんなにストレートに言えるのだろうか、アリスはそんな言葉を喉で留めて、飲み込んだ。


























 02.

 アリス・マーガトロイドと言うその名前から分かる通り、アリスは元から幻想郷に居たわけではない。後からこの幻想郷に単身で来たのだ。その為、アリスの生活はかつて自身の家族と共に暮らしていたときと同様に、西洋式である事が多い。主食は専らパンかパスタだし、毎日のティータイムは欠かせない。甘い物と言ったら洋菓子で、紅白の方の神社に訪れる度に出される日本茶の味に慣れたのも、つい最近の事である。

 対して東風谷早苗は、見事なまでに正反対の日本人だ。麦や米を食べ、お茶といったら緑茶で相場が決まっている。最も、早苗がこの幻想郷に来た時には、アリスは既にこの魔法の森で腰を落ち着けていた。なので、アリスの様な西洋暮らしをする(していた)者の方が少ない幻想郷の文化にもアリスは既に慣れていたと言う事もあり、早苗と逢ったところでアリスにはさして驚きは無かった。

 しかし早苗からすればアリスとの出逢いはカルチャーショック以外の何物でもなかった。本やテレビの中でしか知り得なかった遠い国の暮らしが目の前にあるのだ。ティーパックではない、茶葉からアリスが選んだ紅茶を飲んでは驚き、アリスが洋菓子を作るのを傍で見ては口を開けっぱなしにし、レースの編み物をするアリスを見ては尊敬の眼差しでみるなど、まさにアリスに惚れていった。

 アリスとて人に好かれたり尊敬されたりされるのが嫌なわけがない。だからこそちょっとした編み物を早苗にあげ、宴会で早苗を見つけては理由を付けて傍により、早苗が家に訪れたら溜息を吐きながらも紅茶を用意するのだ。

 素直な早苗と、素直になれないアリス。
 こうも違うのに、否、こうも違うからこそ。
 二人は惹かれあったのかもしれない。

「難しいわね」
「練習あるのみです」

 アリスの家の食卓に、珍しく和食が並んだ。最後に似たような光景を作ったのは、和食派である魔理沙が余った料理をアリスにおすそ分けをした時で、およそ半年ほど前になる。そのときとは違うのは、アリスが今一人ではないと言う事だ。

 さて、アリスが(早苗の協力もあったとはいえ)慣れない和食を作ったのには、理由がある。それは今現在こうして早苗がアリスの家に居る事と大きく関係しているのだが――

「それより、これを食べたら本当に帰るのよ」
「駄目です、アリスさんが神奈子様を納得させる料理を作れるまで帰りません」

 そう、早苗が仕える神様。名を八坂神奈子と言うのだが、二人が仲よくしているのに、あまり良い顔をしていないのだ。何せ先に述べた通り、アリスは日本の出身ではない。神社の仕組みなど分からないし、それどころかこうして早苗の協力を得てようやく和食をつくる事しか出来ないのだ。以前から遠回りに二人に別れる様言っていた神奈子だったが、先日アリスが和食を作れないと言う事が分かると、鬼の首を取ったかのように神奈子がこう言った。

「お前さん、和食が作れないのか。それは残念だな。私が唯一早苗の恋人として設けた条件が“和食の作れる人”なんだよ。いや本当に残念だ。うん、残念だ」

 そう良いながらも神奈子は満面の笑みだったので、恐らく突発的に思いついた条件なのだろう。

「早苗の恋人、ひいては生涯を共にする者と言う事は、この神社を早苗と一緒に守る者だ。だから出来れば神社の、東洋の生活に慣れている人が良いんだよ。分かってくれ」

 そう言われてアリスは何も言い返さなかった。言い返せなかった、と言っても良い。和食の下りは別にしても、神奈子の言う事が概ね正しいとアリスでさえ思ったからだ。

 だからアリスは、正直な所、心の中で三割ほどはいつでも身を引く心構えでいた。何時か早苗が自分以上に、或いは自分と同等程度に誰かを好きになった時に、もしその人が自分よりも早苗の世界を理解出来る様だったら、早苗の隣を譲ろうと。そう出来る様に、直線的にアタックしてくる早苗を斜めに扱っていたのだ。

 ところがその神奈子の言葉に、肝心の早苗が猛反発した。有体に言えば、キレたと言っても良いだろう。

「待ってください! 幾ら神奈子様のお言葉でもそれだけは嫌です!」

 これにはアリスも、そして神奈子も驚いた。それもそのはずである、なにせ今まで早苗が神奈子に反発する事など無かったのだから。

「早苗。聞いてくれ」
「嫌です」
「早苗」
「……」
「早苗」
「……」
「ああ、そうかい。なら良い、好きにしろ。その代わり今直ぐここから出ていけ」
「……っ。分かりました! そうします!」

 ここまで来ると、売り言葉に買い言葉だ。ぽんぽんと話は進み、気が付いたら二人ともアリスの家に居た。途中で誰も何も言わなかったのは、神奈子は言い争いをした張本人だし、アリスは話の展開に付いていけなかったからだ。神社には本来もう一人―神様なので、一柱と言うべきなのだが―の住人がいるものの、丁度今は出かけていてこの場には居なかった。或いは居たとしても、きっと状況に違いは無かっただろう。それほどまでに早苗は怒り心頭だったのだから。

 そして、現在に至る。世間一般で言う、家出と言う奴だ。

 つまりは、和食を上手に作れるようになって神奈子を見返す為に、こうして食卓に料理が並んだわけだ。最も、張り切っているのは早苗だけだが。

「ところでアリスさん」
「なに?」
「何故和食なのに、ナイフとフォークを使ってるんですか?」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「ごちそうさま」
「いやいやいや」

 逃げる様に席を立とうとしたアリスだったが、寸での所で早苗に腕を掴まれた。アリスとしては料理の話で紛らわそうとしたが、流石にバレない筈が無い。

「箸、使えないんですね? 食べられないんですね? そうなんですね!?」
「食べられるわよ、つい癖で楽な方を選んだだけ!」

 嘘である。本当は大豆はおろか卵焼きさえ掴めない。
 するとアリスを羽交い締めにしたまま、早苗が自分の箸を手に取った。つつぅ、と、アリスの頬を冷汗が伝う。この状況で考えられる早苗の行動といったら、一つしかない。早苗が器用に卵焼きを箸で摘んだ。そしてそれをアリスの口許に持っていく。

「ほうら、アリスさん。観念してください」
「い、や、よ」

 早苗がアリスに覆いかぶさる様に後ろから力を加える。ややもすれば息がかかるような距離だが、まるでロマンの欠片もないし、そんな余裕はどちらも持ち合わせて居ない。暫くアリスの口許で空中戦が続いたが、先に諦めたのはアリスだった。

「わ、分かったわよ。食べるから放して頂戴」
「駄目です、私が食べさせます」
「それじゃ私の練習にならないでしょ。自分で箸を使わなくちゃ」
「む、一理ありますね」

 一理どころかそれが十全である。
 ようやく早苗がアリスの背中から離れた。ほっとしたアリスだったが、それが命取りだった。

「……と見せかけて。えいっ!」
「ひゅむっ!?」

 完全に油断していたアリスに、再び早苗が背中から抱き付いた。そして掴んだままの卵焼きをアリスの口に滑らせる。薄く開いていたアリスの口の中に、卵と砂糖の味が広がった。

「あ、諦めましたね。それじゃあ次は何にしましょうか。やっぱりおかずの次はご飯ですよね。白いご飯は美味しいぞぅ、っと」

 アリスの口から箸を抜き、次はアリスのご飯を掬い取ろうとする。長年の癖で、アリスのご飯は茶碗ではなく平皿に盛られているので、前にアリスがいても掬いやすかった。

「はい、アリスさん。あ~……?」

 そこでようやく早苗は、アリスの様子が変な事に気が付いた。俯きながらぷるぷると震えている。
 もしかすると箸で口の中を傷つけてしまったのかもしれない。早苗はそう思い、箸を置いた。

「あ、アリスさん? どうかしましたか?」
「……」
「怒ってます……?」
「……う……」
「え、何ですか? 聞こえませんよ」
「調子に、乗るなぁ!」
「ひええ!? ごめんなさーい!」

 すぱーん、と、アリスが早苗の頭を引っぱたいた。小気味良い音を立てて早苗がその場に崩れ落ちる。

 その後、度重なる謝罪の元、ようやく早苗はアリスに許して貰った。




















 03.

「早苗、帰ってこないねぇ」
「当たり前だろう。帰ってきても追い返すよ」
「今頃二人で一緒にお風呂でも入ってたりして」
「……」
「冗談だよ。ああ怖い怖い」
「お前は、何とも思わないのか?」
「巫女だから恋もさせないだなんて、今日日そんな考え流行らないよ。今や紅魔館の箱入り娘さえ恋をする時代なんだから」
「時代、か」
「そう、時代」
「……」
「……」
「早苗、何時戻ってくるかね」
「そうだねぇ。長くて三日って所じゃない?」
「それは勘か?」
「うん。勘」
「三日後、か」
「そう。ああ、私は暫く食事は要らないから」
「恋人の所でも行くのかい?」
「ん。まぁ、そんな所」
「そうかい。まぁ、好きにしな」
「勿論好きに生きるよ。じゃね」

(さぁて、三日もつかな?)






















 04.

「……」
「……」

 夕食も終わり、お茶も飲んだ。歯も磨いた。しかし二人は妙にそわそわしている。落ち着きの無い視線が二つ、ふらふらと彷徨っては時折ぶつかる。その度にはっとしながら今日も暑いですね、などともう何度もした会話をする二人である。

 時刻は夜八時。いつも二人がそれぞれの生活に戻る時よりも四時間も長く一緒に居る。そうなると残された行動はそう多くない。

「そう言えば早苗」
「はっ、はいっ!」
「そんな大きな声出さなくても、聞こえるわよ」
「す、すみません」
「…………ふふっ」
「?」

 笑うアリスに対して早苗が小首を傾げた。くるくるとスプーンで紅茶を回しながら、アリスがその疑問に答える。

「神社を出る時はあんなに怒ってたのに、さっきは散々人で遊んで、今度は急に押し黙っちゃって」
「だって……」
「だって、何?」
「なんでもないです。アリスさんの馬鹿」

 最後の方は小声だったので、アリスには聞こえなかったらしい。

「早苗は、私なんかのどこが良いの?」
「はい?」
「いえ、何でもないわ。忘れて頂戴」
「……そうですね。まず、綺麗です」

 紅茶を回していたアリスの手が、ぎこちなく鈍くなる。

「手なんかも細くて、しかも白いでしょう。私なんか一日中外にいるから、やっぱりどうしても荒れちゃうんですよね。霊夢さんなんかはあんまり気にしてないみたいですけど、やっぱり女の子はお肌が命なんですよね。だからアリスさんが羨ましくって。
 料理も上手ですし、裁縫なんかもう今まで見てきた中で一番凄いです。今度冬になったら、ロングマフラー二人で編みましょうよ。それで二人で買い物に行くんです。だから編み方教えてくださいね?」

 にこにこと、早苗が話す。にこにこと、唯、それだけの表情を浮かべて。

「初めて逢ったのは、宴会でしたよね。私達が初めて幻想郷にやってきて異変を起こして、霊夢さんにこっぴどく叱られました。それで無理矢理お酒を飲まされた私を介抱してくれたのがアリスさんでした。それからちょくちょく顔を合せる度に色々と声を掛けてくれて……凄く嬉しかったです」

 アリスの手は完全に止まって、宙に浮いたままだ。

「人里の皆も霊夢さんも魔理沙さんも、みんなみんな私の事を巫女としてしか見てくれない。でも、アリスさんは違いました。アリスさんだけは、私の事をちゃんと見てくれた」
「……」
「もしかしたらアリスさんは、私の事好きじゃないかもしれませんけど。私は……私は、好きです。アリスさんの事が、好きです」
「私、は……」
「もしかして、押しの強い子は嫌いですか? だったら、大人しくします。別に和食なんて作れなくて構いません。私が作りますから。だから……」

 かつん、と。アリスの手からスプーンが離れた。そのままスプーンはテーブルから滑り落ち、床へと落下した。かがんでそれを取ろうとしたアリスに、丁度早苗の下半身が見える。

(……? ……!)

 アリスは自分の目を疑った。膝の上でスカートを握り締めている早苗のその両手から、赤い雫が見えたからだ。すぐにアリスは立ち上がり、つかつかと早苗の横に立つ。

「どうしたんですか、アリスさん?」

 機械の様にアリスを見上げる早苗の表情は、未だに笑ったままだ。そんな早苗の左腕を、有無を言わさず掴みあげる。

「早苗、これはどう言う事?」
「あ……」

 持ち上げられた拍子に、早苗の手から血が零れ、床に落ちた。

「早苗、言いたい事が有るなら、言って頂戴。私で良ければ、聞かせて」

 掴んだ腕を一度放し、今度は手を握る。しゃがみこんで優しく諭すように早苗を見上げた。そのアリスの言葉を聞いて、早苗が俯く。にこにこと貼り付けたままだった笑顔が震え、今度は唇を噛んだ。
 しかし早苗の口から出た言葉は、アリスを動揺させるには十分な言葉だった。

「それは、私の台詞です……」
「え?」
「それは、私の台詞です!」

 ばっとアリスの腕を振り払うと、力一杯テーブルを叩いた。先程までアリスが座っていた位置を、まるでそこにアリスが居るかの様に睨み付ける。その双眸には涙が溢れ、あっという間に頬を伝って、テーブルの上の早苗の血と混ざり合った。

「アリスさんは、私の事どう思ってるんですか! いつも私の言葉をはぐらかして、まともに相手さえしてくれないじゃないですか!」
「早苗……」
「神奈子様の言葉にも何も言ってくれなかった。何か言ってくれればまだ分かるのに、いつも自分の事は隠してばかり。卑怯ですよ!」
「……」
「……嫌いなら、嫌いでも良いんです。いっそ、そう言ってくれれば、まだ楽に、なれるのに」

 ぽろぽろと早苗の瞳から涙が零れ落ちる。しかしアリスは、何も言えないで居た。振り払われた腕は虚空を彷徨い、やがて重力に従い、自分の膝元へと落ちる。

「……やっぱり、何も、言ってくれないんですね」

 言葉を途切れさせながらも、嗚咽と共に早苗がそう言った。

「……さよなら」

 ふらりと、早苗が玄関へと向かう。そしてドアノブに手を掛けた時、

「待って!」

 アリスが、早苗の腕を掴んだ。しかし反対の腕はドアノブにかかったままだ。ここでアリスが早苗の琴線に触れる事が出来なければ、早苗はそのまま出ていくだろう。そしてそれは二度とアリスの前で笑顔を見せないと言う事である。いくらアリスでも、それくらいの事は予想出来た。幾つか言葉を口の中で反芻させながら、ようやく意を決し喋り出す。

「えっと。ごめんなさい。貴女をそこまで追い詰めていたなんて、知らなかった。本当に、ごめんなさい」
「……」
「確かに私はあまり自分の事を言わなかった。貴女の気持ちを知っていながら、それを丁寧に扱ってこなかった。その事は謝るわ。
 でもね、早苗。これだけは言える。この家でミルクティーを飲むのは、貴女だけなの」

 ほんの少しだけ、アリスに掴まれた方の早苗の腕から力が抜けた。
 とは言え、今の早苗はアリスの言葉に真意を探しているだけで、決して踵を返してくれはしない。ここが勝負所だ、と、アリスは思った。

「だから貴女が居なくなったら、アッサムの茶葉が残り続ける事になる。もしそうなったら、私は棚を開ける度貴女を思い出して後悔しなければならない。それはきっと私には耐えられない事だと思う」
「……」

 言葉を選びながら、アリスが言う。

「そうだ、早苗、貴女いつも巫女服でしょう。折角だからもっと女の子らしい服を着ましょうよ。人里に、凄くセンスの良いお店が有るのよ。私が買ってあげる。レースのリボンがついてて凄く可愛いの。きっと貴女なら似合うわ」
「……」
「もしそれが気に入らなかったら、そうね、私が貴方の服を作ってあげる。ついでにマフラーの編み方も教えてあげるわ。貴女ならすぐに覚えられると思う。一緒に作りましょう。だから」

 ドアノブを握る早苗の手が、するりと落ちた。

「だから早苗。傍に居て頂戴。これでも私、貴女の事が好きだから」

 その手も握り、両の手を早苗の前でくっつける。丁度二人羽織の様になる。ぎゅう、と、力強く早苗を抱き締めた。早苗から零れるのは嗚咽と鼻を啜る音くらいだ。

「手、痛いでしょう。ごめんなさいね、私の所為で。今手当てしてあげるからね」

 早苗をその場に座らせて、救急箱を取りに行こうとするアリスだったが、服の裾を摘まれ、おもわず前につんのめった。
 当然アリスの他には早苗しかいないので、アリスの服の裾を摘んでいるのは早苗だ。俯いたままで、表情は見て取れない。

「……アリスさん」
「どうしたの?」

 ぽつりと、早苗が呟いた。

「帰りたくありません……一人にしないで下さい」



















 05.

 特に理由は無いが、アリスのベッドはやけに広い。別段寝相が悪いわけではないのだが(少なくともアリス自身はそう思っている)、やはり狭いベッドよりは広いベッドの方が気分良く眠れる。当初この魔法の森に家を構えるにあたって、その程度の理由でベッドを大きく作ったアリスだったが、まさかそれがこう言う結果を招くとは思いもよらなかった。おかげで今アリスの隣にはぼんやりとした表情の早苗がいる。

 一人なら大きいが、二人なら狭い。よりにもよってそんな中途半端な大きさのベッドを作ってしまった所為で、二人はそれぞれの半身から相手の体温を直接感じ取っている。夏と言う事もあり、布団と言えばお腹を中心にタオルケットを一枚掛けているだけなのだが、かえって変な汗をかかないかどうか心配になっているアリスだった。

「アリスさんの匂いがします」
「そりゃそうでしょうね」

 今早苗が着ているパジャマはアリスのものだ。早苗が神社を飛び出した時に持ってきた物と言えばスペルカードと下着と財布くらいである。なにしろ普段は巫女服しか着ない。その為私服と呼べる物が皆無だったのだ。とは言え、まさか巫女服で寝ているわけではない。単に忘れただけだ。あの切羽詰った状況で、私服と言う括りの中にパジャマを加えろと言うのも難しい話ではあるが。

「ああ、なんだかぼんやりしてきました。これは多分、“アリス酔い”ですね」
「何よその珍妙なネーミングは」

 まるで何処かの吸血鬼の様なネーミングセンスだったが、早苗は気にしない。

「でも、今は私と早苗の匂いに違いは無いと思うけど」

 リンスインシャンプーもボディソープも洗顔フォームに至るまで、今日は全て二人とも同じ物を使用したのだから、そうとも言える。しかし早苗は首を横に振った。

「そういう匂いじゃなくて。なんていったら良いでしょうか、アリスさん自身に匂いがあるんですよ。紅茶の匂いでもありませんし、お菓子の匂いとも違います」
「じゃあ卵焼きかしら」
「違うって分かってて言ってません?」
「ふふ」

 きゅっ、と軽く早苗の手を握る。

「ん……」
「痛む?」
「いいえ、もう平気です。明日には、元に戻ってると思います」
「そう。良かった」

 二人して天井を見つめる。今度この部屋にプラネタリウムでも作ろうかしら、そう思って苦笑した。

(まるで明日も明後日も早苗が此処にいるみたいじゃない)

 それはきっと素敵な事なのだろうけれど。それも一つの幻想郷なのかも知れないけれど。

「ねぇ、早苗」
「……はい」

 眠くなってきたのか、少し鼻にかかったような声で早苗が返す。朝が早い巫女である早苗なら、もうとうに寝ている時間だったので無理も無い。アリスもその位の知識はあったので、無理に起こそうとはしなかった。このまま自分の声を子守唄にしてくれれば良いとさえ思えた。

「明日、神社に帰りましょう」
「……」

 返事は無い。横目で見やると、天井をぼんやりと見つめたままだ。返事を考えているのだろうか。

「こうしてずっと二人でいるのも幸せな事なんでしょうけど、でもそれだと何も解決しないわ。二人で神社に行って、思いを伝えましょう」

 まるで自分に言い聞かすかの様に、アリスはそう言った。

「早苗?」

 見ると早苗は眼を閉じていた。そんな早苗を見て、アリスが一つ溜息を吐いた。

「……神社に……」

 ふと、早苗がそう言った。目を瞑ったまま、握られた手に少しだけ力を入れて。もしかしたら寝ぼけて適当にアリスの言葉を反芻しただけかもしれない。
 果たして早苗は神社に行きたいのだろうか。それとも戻りたくないのだろうか。肝心な部分が聞けなかったのがもどかしい。しかし揺り起こしてまでその続きを聞こうとは思わなかった。その為、アリスは明日の行動を頭の中で刻んでいく。

(仮に神社に帰ると仮定して。明日は久々にモーニングティーでも淹れましょう。早苗の大好きなミルクティーで。そしたら朝食ね。スクランブルエッグにトーストに……ベーコンはあったかしら? 神社に行くのに手ぶらでいくのも何だし、何か作っていかないと。和菓子なんて私も早苗も作れないから、まぁケーキかクッキーで良いでしょう。二人でそれを作ったら、丁度良い時間だから、イレブンジィズを……ウバ茶で淹れて……)

 天井の景色が近くなったり遠くなったりしている。早苗に倣う様に、アリスもまた夢の世界へ向かっているのだ。

(ああ、分かった……卵焼きに、ケーキに、紅茶……。
全部、砂糖だ……私、砂糖の匂いがするの……かしら……)

 もし早苗が帰りたくないと行ったら。その場合の行動は、考えなかった。何故なら、それは唯に今日の生活が続くだけだからだ。アリスにとってそれは魅力的な可能性でもあった。心のどこかで、早苗がそう言ってくれれば良いなどと、思ってしまった。間違って、思ってしまった。

 夢の世界へ、落ちてゆく。手に残る温もりさえ、忘れるかの様に。


















 06.

 アリスが目を覚ました時、早苗はまだ眠っていた。

「早苗」

 小さく囁いてみるも、早苗は起きない。数ミリほど開いた小さい唇からすぅすぅと、規則正しい呼吸音が聞こえる。一瞬、その唇を塞いでしまおうかとも考えたアリスだったが、すぐに頭を振った。そして昨夜繋いだままになっている手を、名残惜しいながらもゆっくりと指一本ずつ放していく。決して早苗が起きない様に、慎重に。
 ベッドを降りる時、僅かながらにバネが軋む音が寝室に響き思わずアリスは足を止めたものの、早苗が起きなかったので安心しながら一階のリビングへと向かった。
 ガスレンジで火を沸かし、ティーカップと受け皿を二枚ずつ用意する。そして片方にだけ水道水を入れすぐに捨て、もう片方には沸いたお湯を入れた。残ったお湯をティーポットに入れ、その間に冷蔵庫から牛乳を取り出し、容器に注いだ。次いで戸棚からスプーンを二つ、取り出した。そしてティーカップのお湯を捨て、今度はティーポットの紅茶を淹れる。続いて早苗用のティーカップに紅茶を入れ、トレーに全て乗せて、二階へと戻った。

(早苗、まだ寝てる)

 ゆったりと、先程よりもやや緩い呼吸で早苗が眠っている。小さめのテーブルにトレーを置き、ここでアリスは一度伸びをした。窓の外は見慣れた暗色だ。やがて少しの間そのまま窓の外を眺めていたアリスだったが、

「早苗?」

 ふと、眠っている早苗に声を掛けた。しかし早苗は起きない。先程から、否、昨日から変わらないままの緩やかな緩やかな呼吸音だけが――

(緩やか過ぎる!)

 ようやく、ここでようやくアリスは早苗の異変に気が付いた。短い距離を跳躍するかの様に早苗の所へ駆け寄った。

「早苗、返事をして頂戴、早苗!?」

 しかし早苗からは何の反応も無い。左手はアリスが先ほど解いたままで固まっている。すぐに早苗の胸元へ耳を当てた。恥ずかしさなど感じている余裕も無い。

(遅い……!?)

 有体に言えば、意識不明の状態だった。すぐに昨日からの二人の行動を思い返すものの、アリスには原因が思いあたらなかった。食事は一緒に摂ったし、入浴も一緒だった。傷の手当も十分にした。ちゃんと優しく手を握ってもいたし、とそこまで考えて、ある事に思い至る。

「あ……」
「そう、瘴気だあね」

 アリスの呟きにありえない筈の第三者の声がして、思わずアリスは飛び上がった。そんなアリスの反応など気にもせず、寝室の扉に寄り掛かる様にして、アリスよりも低い背の女性が言った。

「だって此処は魔法の森」

 くるくると、手に持った帽子を回しながら女性が薄く笑う。その笑みを見て、アリスは居住まいを正さずにはいられなかった。

「早苗を連れ戻しに来たんですか? 洩矢諏訪子様」
「やだな、そう身構えないでよ。ちょっと通りがかっただけなのに」

 勿論、それが嘘だと言う事はアリスにも十分分かっていた。

「こんななにも無い場所に、わざわざ用事ですか。さぞかし神様も忙しいようすね」

 精一杯の虚勢を張りながら、アリスが諏訪子に言う。しかし諏訪子は見た目では考えられない程長く生きている。アリスの皮肉など、歯牙にも掛けない。
 諏訪子が一歩二歩と、二人の元に足を近づける。その度にアリスは早苗の手を強く握った。そんなアリスの姿を見て、諏訪子はふっと、先程とは違う笑みを浮かべた。それはどちらかと言うと、二人を優しく包むような、どこか哀しみを帯びた表情にも見え、ますますアリスは混乱してしまった。

「私はさ。神奈子と違って、二人が仲良くなる事は良い事だと思うんだ。巫女であろうが魔法遣いであろうが神様であろうが、誰だって恋はする」

 距離にして数メートル。その僅かな距離を、一歩一歩ゆっくりと埋める諏訪子をアリスは見上げる事しか出来ない。やがて諏訪子はアリスのすぐ傍にまで近づいた。

「あれでも神奈子は二人の事を思ってるんだよ」
「……私も、ですか? 早苗だけじゃなくて?」

 諏訪子の言葉に、思わず言葉を返すアリス。それもそのはずだ、これまで神奈子が早苗に対して言ってきた言葉にアリスを認める言葉など数えられる程しかなかった。少なくともアリスは、神奈子に直接何かを褒めてもらった事は無い。だからきっと、神奈子の中で私の評価は地にも近いのだろう、そうアリスは解釈していたのだから。

「神奈子もあんたと同じくらいに不器用な奴でさ。素直にあんたを認める事が出来なかったんだ」

 諏訪子がしゃがみ、アリスと同じ高さの目線になる。そして早苗の手を、それを握るアリスの手ごと包みこんだ。

「あんたは本気を出さないのがスタイルだ、って色んな所で聞くけど、それだけじゃ駄目だよ。弾幕勝負と恋は違うんだから」

 諏訪子の言葉が、水の様にアリスに染み入る。何故だかアリスはそれが心地よく感じられた。

「多分神奈子は、あんたに本気になってもらいたかったんだよ。不器用だから、ああやって悪役を背負う事でしか示せないけど」

 朝の魔法の森は良く冷える。諏訪子が何時から森に居たのか、アリスには分からなかったが、しかしひんやりとした諏訪子の手が、却ってアリスの鈍い腰を暖かく溶かしていった。

「……諏訪子様。ありがとうございます」
「やだな。様付けなんてやめてよ」
「もし早苗が目を覚ましていて、神社に帰る事を拒んだとしたら、きっと私はそれに甘えてずっとこうしているつもりでした。でも、やっと、決心がつきました」

 するりと、早苗の手を放す。同時に諏訪子の手がアリスから離れ、アリスの手はたちまち温もりを失った。少しだけ名残惜しさを感じたアリスだったが、すぐに立ち上がる。

「神社に行きます」
「うん、それが良い。そうしてあげて欲しい」

 それは誰の為なのだろうか。早苗の為なのか、神奈子の為なのか、或いはアリスの為なのか。もしかしたら全員を指しているかも知れないし指していないかもしれない。けれどアリスにとって今一番大事なのは、再び早苗の声を聞く事にある。だから無駄な会話はせずに、すぐに準備にとりかかった。身支度を整え、ミルクティーを片付け、そして再び寝室へと戻る。するとそこには早苗を抱きかかえた諏訪子の姿があった。一瞬驚いたものの、すぐに気を取り戻すアリス。

「悪いね、お姫様だっこしちゃって」
「いえ、どうぞ。私は何時でも出来ますから」
「言うねぇ」

 決心した事で、多少気が大きくなったのもあるかも知れない。普段のアリスなら絶対に言わないような言葉だった。最も、この状況で早苗が自分の言葉を聞いているはずが無いと思っての発言だったが。

 魔法の森を飛び立ち、神社へと向かう。神社は山の頂上付近にある為、高く高く飛ぶ事になるのだが、幾ら高く飛ぼうと山の警備をする天狗の目は誤魔化せない。だから当然誰かしらと、最悪の場合あのゴシップ新聞記者に遭遇するつもりで身構えていたアリスだったが、意外な事に誰にも遭わなかった。或いは諏訪子が事前に話を通していたのかもしれない。聞けば何かしらを知っているとは思うが、アリスは別段疑問には思わなかった。仮にそれを聞いた所で、早苗が目を覚ますわけではない。それよりも今は、早く神奈子の元へ向かうのが最優先事項だった。

 二つ分の足音が、境内に響く。いつもなら早苗が掃除を終えている時間だが、今は違う。おかげで境内には緑の葉が風に散って、地面に落ちていた。その境内の中を、躊躇いも無くアリスは歩く。諏訪子は縁側に早苗を横たわらせ、何処かへ消えた。瘴気を体内から取り除く方法はアリスが良く知っており、此処に向かう最中に、諏訪子に用意してほしい物を伝えていたので、恐らくはそれを探しにいったのだろう。
 加えて、そうする事で、神奈子と二人で話す事ができる。アリスはそうも考えていた。だからこそ自宅で用意しようと思えば出来る、タオルなどの備品も、諏訪子に頼んだのだ。そしてその真意は、恐らく諏訪子には伝わっているに違いない。神社に着くなり何も言わず姿を消した諏訪子を目で見やって、アリスは心の中で礼を言った。

「……さて」

 一人になれたとは言え、肝心の神奈子が現れてくれなければ意味が無い。よもや諏訪子が神奈子を呼びにいくなどと言う野暮な事はしないだろう。きっとどこかで様子を伺っているに違いない。或いは隠れて見ているか。いずれにせよ、自らの力で状況を打破しないわけにはいかなかった。

「居るんでしょう?」

 アリスがそう声を出すと、閉じられた正面の障子の向こうで、誰かが動く気配がした。やや間があって、障子が開けられる。

「ああ、居るさ。早苗の事も知ってる」
「それは重畳。なら手短に言わせて頂戴」
「早苗はやらないよ」
「そうはいかないわ」

 緊張感と早苗への思いが、慣れない本音をコーティングする。そのせいでアリスは変に気分が高揚していた。

「こんな神社なんかで早苗の一生を終わらせてたまるもんですか。あの子を貰いに来たのよ」
「別に箱入りにするつもりはないがね。唯、相手は他にも居るって事だ」
「いいえ、それは無いわ」

 一度ブレーキが切れた列車は止まらない。理論もブレインもかなぐり捨てた今のアリスに、怖い物は何一つ無かった。

「だって、早苗は私が好きで、私も早苗が好きだもの。他に誰かが入るスペースなんて、これっぽっちも無いでしょう」

 まるで昨日のベッドの様に。そうも言おうとアリスだったが、それは言わないでおく。対して神奈子はと言うと、開いた口が塞がらない様子で、まるでアリスを初めて見たかのような顔だった。そして数分の空白の後、ようやく絞り出した言葉が、

「……お前さん、随分変わったねぇ」
「お蔭様で。神奈子様のおかげですわ」

 そんな神奈子の言葉に、まるでスカートの両端を摘みながら言うかの如く、アリスがそう返した。

「……早苗は、大丈夫なのかい?」
「ええ。寧ろ、一晩でここまで深く瘴気を吸い込むほうが不思議な程」

 神奈子の視線に釣られて、アリスも早苗に目をやる。縁側に鞄を置き、中から魔法道具を幾つか取り出す。神奈子は腰に手をやったまま、しかし心配そうに早苗を見詰めている。

「その理由、教えてあげようか」

 アリスが全ての準備を終え、作業にとりかかった時、廊下の角から諏訪子の声が聞こえた。

「早苗は毎日アリスの家に行ってたからね。体内に蓄積して行ったんだと思うよ」

 早苗は必ずアリスの家に足を運んでいた。そしてアリスが作業や研究に没頭し、早苗に気付かなかった時には何も言わず、踵を返していたのだ。決してアリスの邪魔はしない様に。

 諏訪子の言葉に耳だけを傾けて、作業を続ける。そして合間に、早苗の手を握った。昨日ついた傷も、今朝の内に包帯や絆創膏などは取れ、後は自然治癒をするのみである。

「きっと早苗も、分かってたんだと思う。自分の中に瘴気が溜っていってる事。だから普段は早い時間に帰ってたんだよ。倒れない内に」

 ところが昨日は一晩中アリスの家に居たのだ。

「それでも早苗はアリスに逢いに行ってたんだよ。神奈子、それがどういう事か、分かるよね?」

 いっそ嫌ってくれたら。いっそ逢えなかったら。昨日ほんの零した早苗の言葉が、アリスの脳内によぎる。

「毎日ちょっとの時間しか逢えない。それどころか会話も出来ない日もある。外から眺めるだけ。その相手は幾ら思いを告げても、好きとも嫌いとも言ってくれない。それでも早苗は文句一ついわずに、あの森に足を運んでたんだよ。私や神奈子に、早苗を止める権利は無いよ」

 昨日早苗がアリスにぶつけた葛藤や苛立ちは、きっと全てでは無いだろう。

「神奈子さん……神奈子様」

 早苗の手を握ったまま、体を神奈子に向ける。神奈子は境内の階段を見たまま、アリスと目線を交えない。それでもアリスは続けた。

「正直な所、早苗の気持ちにちゃんと向きあえたのは、昨日が初めてです。これまで中途半端に早苗の気持ちを交わしていたのは、確かに神奈子様からすれば気分の良いものではなかったかもしれません。
 絶対幸せにするなんて言い切れません。時には喧嘩もすると思います。
 でも、早苗の傍に居たいんです。これまで正直になれなかった分をぶつけてあげたいんです。だからお願いします、早苗を……」
「家は、どうするんだい」

 アリスの言葉を遮って、神奈子がそういった。

「此処で早苗が目を覚ましても、あんたに遭いに行けば同じ事の繰り返しだろう」
「住む場所なんて、どうとでもなります。それに」
「それに?」
「此処にこんな立派な神社があるじゃないですか」
「……」

 朝の光が、神社の鳥居に丁度差し掛かる。それにやや目を細めて、神奈子が一つ深く、息を吐いた。

「巫女が恋なんて、なんて最初は思った」

 ぽつりと、神奈子が呟く。アリスも諏訪子も、黙って続きを待った。

「巫女が自ら仕える神様以外に強い感情を持つのは良い事だと思わなかったし、恋にうつつを抜かして信仰が増えるのか、なんて考えたりもした。しかも相手は、早苗とは正反対の西洋の魔法遣いって知って、ますます反対したさ。
 それでも相思相愛なら仕方がないか、と思ったけどそうじゃない。あんたは早苗の気持ちをどこか斜に構えて、ないがしろにしている様に思えた。だから私は納得が行かなかったんだ。もっと他に良い相手が居るだろう、って。もっと早苗の事を思ってくれる奴が居るだろう、って。
 でも、本当は違う。単に早苗が遠くに言ってしまう気がして、不安だったんだ。或いは嫉妬してたのかも知れない。今まで巫女の仕事以外に何も興味を持たなかった早苗が、この幻想郷に来て、どんどん変わっていくのを見て、羨ましかったのかもね。私だけが、外の世界の時のままだ。それがなんだか、情けないやら哀しいやら。だから私は、早苗を自分の知ってる早苗のままでおいておきたかったんだろう」

 神奈子がアリスの方へ向き直る。思わずアリスは正座をしてしまった。

「早苗を、よろしく頼む」

 さっぱりとした神奈子の表情に、数瞬ほどアリスは固まってしまった。神奈子の言葉を脳内で繰り返し、ぱくぱくと口を動かして言葉を探すものの、適度な返答が思いつかない。すると神奈子と諏訪子が苦笑する。

「さっきまではイケイケだったのに。元に戻っちゃったねぇ」
「おいおい頼むよ」

 二人にそう言われ、ますます顔を赤くするアリスだったが、ある事に気がつく。

「……あ」
「どうした?」
「早苗が、目を覚ましそう」

 アリスの手を、弱いながらも早苗が握り返したのだ。呼吸も先程よりはやや起伏に富んでおり、今にも目を覚ましそうである。そんな早苗を見て、アリスは二人に問いかけた。

「ねぇ、台所はどこかしら?」
「ん、何か必要かい?」
「ええ、まぁ。唯、私が自分でやりたいから、早苗をお願い」
「ああ、分かった」

 神奈子がアリスに変わって、早苗の傍に座る。アリスは鞄から幾つかの筒と水筒を取り出した。諏訪子はすぐにピンときたものの、神奈子は分からなかったらしく、アリスに尋ねる。

「それは茶葉、か? それだったら家にもあるよ」
「これを飲ませてあげたいのよ」

 諏訪子の後に続いてアリスが踵を返す。太陽の光が視界に入って、思わず目を伏せた。恐らく今日も暑くなるだろう。早苗が目を覚ました時、これを飲んだら“美味しい”と言ってくれるだろうか。そして自分に笑い掛けてくれるだろうか――アリスは、そんな事を考えた。

(これを早苗が飲んだら、一緒に朝食を作りましょう。卵焼きにお味噌汁。後は冷蔵庫を見て)

 トーストも良いけれど、そういう朝食も悪くない。昨日やられた分、今日はアリスが早苗にご飯を食べさせる心算だった。

 未だぽかんとしている神奈子に気付いて、アリスは茶葉の入った筒を一回振った。その拍子に、筒の隙間から、甘い匂いがアリスの鼻腔をくすぐる。

(私は砂糖の匂いだけど。もしかしたら早苗はこの匂いかもね)

 そしてアリスは神奈子に言った。







「砂糖いっぱいのミルクティーを、早苗にね」
 涙まで甘くなれる様に。
神田たつきち
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コメント



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ボリュームたっぷりのサナアリ、しかと堪能させていただきました!GJ!
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サナアリ!
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あとがきでこの後を想像できて、なお美味しいです。
本気のアリスもかっこよかった。

いや、さなアリはやはりいいものですね。
ところで、これは前の作品とは無関係です?
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お嬢さんを私にください!
早苗が乙女すぎて生きるのが辛い。
25.100点名前が無い程度の能力 削除
押しの強い子は嫌いですか?って早苗さんかわいすぎるだろおおお!!
そりゃ二柱も過保護になっちゃうよ!
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さ、サナアリッ!
31.100点名前が無い程度の能力 削除
これは良いサナアリ
堪能しました。
32.無評価名前が無い程度の能力 削除
好きな題材ではあるんだけど誤字・脱字が多かったり
宴会では近づかないようにしていると書いたすぐ後に
宴会では理由を見つけて傍によるとか書いているのが・・・
35.無評価神田たつきち 削除
>>1-5様 28-31様
サナアリひゃっほう!

>>16様
特に意識せずに書きましたが、関連付けるとすれば、これが前になりますかね。

>>17様
だが断る。共に逝こうか、幻想郷へ。

>>25様
構わん、むしろ押し倒せ。そう伝えておきます。

>>32様
HAHAHA,なんてこったい。申し訳ありませんorz
44.100点名前が無い程度の能力 削除
\すげえ!/
46.無評価名前が無い程度の能力 削除
数字間→数時間
48.100点名前が無い程度の能力 削除
うん。良いサナアリだ。