幻像。
そんな言葉が、頭の中で想起された。ふと顔を上げると、静かな場所だ。物音は何一つ聞こえない。
木々を震わす風も、伴侶を求める虫達の恋歌も、ここでは聞こえてこなかった。
無縁塚。
名の通り、身寄りの無いものが死んだ際、つまり無縁仏が野送りにされる墓地が此処だ。
墓地とは名前だけのようなもので、単に引き取り手が居ない者や外来人が死体で見つかった時など、要するに厄介者を人目のつかない奥地に投棄するだけのこと。実際には埋葬なんて事もしない。本当にただ死体を置いてゆくだけだ。そのためここ周辺で白骨体が見付かるなんて光景は見慣れたものである。
ついでに言うと、今私の前にも、幾つかの小骨と半壊した髑髏が転がっている。
少女だろうか少年だろうか。頭蓋の一部が欠損している髑髏は、片手に乗るくらいの大きさでどう見ても大人のものではない。おそらく外来人だろう。盗人や賊である可能性は低いし、里の子供ならこんなところへ捨てられはしまい。郷を彷徨っているところを妖怪に見付かったのだろう、頭部の損傷はその時のものか、きっともの凄く怖かったろうに。その死体を里の誰かが見付けてここまで運んできた筈だ。
里の人達のやり方が悪いとは思えない。自分達が生活する環境の近くに、子供の死体があるのも縁起の悪い事だろう。それに、死体というのは様々な災厄にも繋がる。いくら妖怪達との軋轢が減ったからって、問題の全てが解決した訳ではないのだ。抗争がぶり返す理由なんて幾らでもある。表向きは平和だが、裏にはまだまだ油のように染み付いた因縁がどろどろと蹶起を狙っている。
それでもやはり、世界は平和になったと思う。里には食物を買い付けに来たり、村人と酒を交わし合ったり、中には人間達を対象とした催し物まで開く妖怪も居る。そんな感じで人と妖怪との間は平和的にぐっと縮まり、少し前までは考えもしなかったであろう「親交」と言う名の形容が使える域まで寄り合ってきた。
…それだけに。
こういう、運無く逝ってしまう人達の思いは、どこへ向かえば良いのだろう。かつて無垢な輝きを放っていた眼には2つの冥い孔が空いている。この眼は私をどう見ているのだろう。
──一瞬──
呪いが視えた。この子の、まだ肉が残っていた頃の死に様がハッキリと焼き付いた。ダラリと伸びた舌、涙がいっぱいに溜まった目縁。しかしそれは一つしか残っていない、片方の眼球はだらし無くぶら下がり、タベラレた瞼はもはや閉じる事も出来ない。痛みすら感じさせる事の無い恐怖はしかし、遺恨となって叫喚の業苦をその子に形成させていた。強い遺志がこもった顔だ。何故、自分だけが。理不尽に。こんなめにあわなければいけないのか。こんなシニザマでなければいけないのか。いけないのか。畜生、悔しい、如何して、どうしてどうシテどウシテドウシテどうして──…っ。そんな呪いの顔貌だった。
「…運が無かったな」
聞こえる筈も無いのにそう呟いた。例え聞こえたとしても意味は無い。
今のは術式設置型の呪術だろう。対象と髑髏の目が合ったとき、その子についてなにか考える事がスイッチだ。それよりも。
幻像。
此処では何も聞こえない。風が吹く様子さえ無い。それなのに湿気は無く、空気は爽々としたものだ。全く持って気味が悪い。
無機感、そう、どうもここら辺は見えるものが幻のように現実感が無い。どこもかしこも、舞台の背景のように朧げなのだ。
おそらくこれも、術の一種。
さっきの様な強烈な意識が、ここ一帯に充満しているのだったら結界の揺らぎも十二分に考えられる。きっと、ここは半分ほどあの世なのだろう。生きている自分に取っては、少しばかり肩身が狭い思いだ。
ふっと思考が帰ってくる。
いけない、まるっきり意識を奪われていた。ここじゃあ何かに気を取られるとすぐこれだ。
周りを見まわしてにとりを探す。居た。
どうやら彼女は人間の雑念なんてそっちのけで手中の道具の分析に夢中になっている様だった。あれなら呪いなんて入り込む余地も無いだろう。元々呪いなんてものが通じるのか、カラダのつくりがそもそも違うのだから怪しいものだ。私は息を吐いてこうべに向き直る。
「まぁ、そうだな。お前は残念だったけど、今の幻想郷はこんな風に人間と妖怪が仲良くピクニック出来るくらいに進歩してきたんだ。外の世界よりも案外暮らしやすいかも知れないぞ。生まれ変わって、機会があったらまた来てみろよ。…ここは全てを受け入れるんだ」
/////////
これは、どういうものだろう。黒い艶のある筐体で、ボディが上部と下部の二段に分けられていて、指でずらすと上部がスライドして下部の面が露になる。面には幾つかの自動復帰のプッシュボタンが配置されており、その位置からしてどうやら両手でもって操作するらしい。何かの制御器だろうか。当たり前だがどのボタンを押しても反応はない。外観は見たところキレイで目立つ欠損は無い。裏返してカバーを外す。カバーと同時になにか黒いものが地面に落ちた。こちらは本体と違って黒い外装が中身が漏れだした様で変色してしまっていた。よく見てみると小さく光る端子が側面に見える。本体と見比べると丁度対応する位置にオス型の端子が露出していた。成る程、こいつがバッテリか。しかしなかなか小型化されたものだ。本体の小ささに加え重量を考慮する必要があったのだろう。どうして良いつくり込みじゃないか。んん、と発電機は………あったあった。持ってきたリュックサックから携行用の発電機を取り出す。プラスとマイナスの端子をそれぞれの電極に接続する。電圧を最小にし、少しずつツマミを回していく。………反応はない。ボタンも色々押してみる。同じく反応はない。もっと電圧を上げる。ダメだ。多分内部に不具合があるのだろう。螺子を回して筐体の背面を露出させる。うわ、すごい!なんだこれ、…随分荒いつくりだなぁ。愛情不足っていうか。うんでもすごい。なんだこの部品、なんだこのチップは。すごいぞ、本物の質感がする。やっぱ雰囲気があるよね。こんなちっちゃなパーツでも。んっと、問題の箇所は…。電源端子から配線を辿っていく。電源自体入らないのならこの回線のどこかに欠損箇所があるハズ。…やっぱりだ、基盤の一カ所が抉れていた。多分ほかのパーツと強く接触してこうなったのだろう。ほら見た事か。愛情の無い設計が、こういうところでボロを出す。モノ自体はとても高い精度で作られているのに、つまらないミスでダメになる典型だ。一体どういうつもりで制作者はこれを作ったのだろう。技術の差がありすぎる。外の世界はやっぱりおかしなとこだな。ぼやきながもハンダで溶接する。元々モノが小さい上に隣接する回路が近いから骨が折れた。やっぱり自分の持っている大型のこてでは限界がある。こんど新しいのを作っておこう。ふむ。見たところ他には目立った傷は無い。背面カバーを取り付け再び電流を流す。んー電源ボタンはどれなんだろう。ガチャガチャと手当たり次第押してみる。すると突然電子音、同時に上部の黒かった部分に映像が表示された。うおおおおおおおおおおおお!?スッゲェ、なにこれすっげぇ!カッコイイ!!うわうわ、ヤバいヤバい。うわぁすごいなんかドキドキしてきたどうしようなにこれ。ヤバいヤバいヤバい、動く動くどうなってんのこれ。ぎゃああどうしようすごいテンション高いよ私。ああもう、落ち着け私、万歳、とりあえず外の世界万歳!マンセー!うわぁこれ映像再生出来るんだ、こんな小さいのに。あ~凄いなキミ!えぇ、これ外の世界の映像?わーなんだかイメージ来るなぁ。あ、でも刀なんて振り回してる。おかしいな、このくらいになればもう圧倒的に間接武器の方が主流のイメージあったのに…。ていうか、あれ、こんな戦っているって言う事は、外の世界でも争いは起きてるってことか。あーあしかし随分過酷そうだなぁ。こんなの私たちの比じゃ無いじゃん。そりゃ妖怪も居なくなる…あ!ていうことは、この機械は一種の記憶媒体なのかな。何となく形も石版ぽいし。へぇ。あれ、でもなんか音が割れてるな。当然だ、こんな長い間(?)ほったらかしだったんだし。よし。ついでに他の傷んでて代替できる箇所総取っ替えして修理もして……いやいや待てよこの際全バラして一つ一つ部品を研究してみようかな。あーとにかくバラそうバラそう。これがこうでー………。
…。
あれ。
気がつくと辺りはもう夕暮れに赤く染まっていた。
昼前にはここに着いたのに、どれくらい作業に没頭していたのか。時間の経過に全然気がつかなかった。
しばし放心する。
あれ、そう言えば。私は何故ここに居るのだろうか。
いや何が目的でここへ来たのかは分かっている。と言うかここへ来る理由と言ったら外の世界の漂流物を漁りに来る事くらいだ。そうじゃなくて、何を考えているのか。そもそも最近は手持ちの材料での工作が楽しくて工場に籠もりっきりだった。そんな私がなんで無縁塚なんかに…。
…………………………………………………………………。
あ、魔理沙!
慌てて周囲を見渡す。居ない、居ない。帰っちゃった!?私が夢中になっていたから、呆れて…。
うわぁ、バカバカバカ!!
「魔理沙!」
「ああ、ここにいるぜ」
思わず口を出てしまった言葉には、意外にも間髪を入れずに返事が返って来た。反射的に声のする方を見る。と、地面にうずくまって(もぞもぞと)何かをやっている魔理沙の姿があった。
ああ、良かった、居てくれた。さっきは慌てていた所為か、広場の端の方に居た魔理沙に気付かなかった様だ。ほっとして彼女の方へ走っていく。
「あれ、何してるの魔理沙」
「…霊夢のまねごと。呪いを祓ってんのさ」
見ると、何やら掘った穴を埋め直しているようだった。中にチラホラと白いモノが視えている。新しい魔法か何かだろうか。
「その、白いの。何ソレ?」
「んん。人骨。」
「げげ、人間!?」
思わず後退りする。一体なんで、そんな物を素手で扱っているのだろう。
しかも、そんな表情のない顔で。
「何だよ。お前妖怪のくせに妙な反応するな」
しかし、話す台詞はいつもの彼女で、いつも通りの呆れ顔の微笑だった。
私は少し安心したが、それでも魔理沙は手を止めずに作業を続けている。
「いや、だって、河童と人間は盟友だし…」
「だってお前らよく子供を川に引きずり込むんだろ?」
「ソ、それは一部の奴らだよ!それにそいつらだって構って欲しくてちょっかい出してるだけだし」
「へぇ、そいつは初耳だ。そうか…じゃあにとりは人間喰った事とかないの?」
ぶんぶんと首を振ると、魔理沙はまた笑いながら「変わってんなぁ」と言い、少し間を置いてこんな事を言った。
「こいつも、河童に遭ってれば死なずに済んだかもしれないのにな」
それを言う時の魔理沙はやっぱり無表情で、私には彼女の気持ちが読めなかった。
誰かの死体をキレイに埋葬し終えた魔理沙は、立ち上がるとパンパンと泥で汚れた手をスカートで払った。
「あ、そうだ」
「ん?」
「私、一瞬魔理沙に置いてかれちゃったかと思った。最初気付いて周り見回したんだけど、焦ってて魔理沙分からなかったから」
「ははっ」魔理沙は一笑する。
「心外だぜ。私がそんなふうに見えるかね」
「ご、ごめん!そうじゃなくて、えっと、魔理沙全然そんな風に見えないよ!」
しかしそう言ったら、魔理沙は本当に意外そうに、猫みたいに目をまるくした。
「ソ、そうか?いや、そういう風に言われた事無かったから…」
「え、あれ、あ、ご…ごめん!」
何か私は変な事を言ってしまったのだろうか。魔理沙の難しそうな顔を見ていたら、なんだかそんな気持ちになってきた。
「ごめんね魔理沙。私なんか変な事言っちゃった?」
「いや別にそんなこと……言ってるな」魔理沙はこめかみのところをポリポリ掻きながら言う。顔を伏せてしまって表情は判らなかった。
「にとり、お前変だな」
「え……」
ズドン、と。
その一言で、私は何だか失意の底に突き落とされた気分になった。
なんだろう、ざわざわする。別にそんな事今までも言われた事が無かった訳じゃないし、その時だってなんとも思った事無いのに。
「う、あ…ごめん」
ごめん。その言葉を口にした途端に、どうしてかとても情けなく思えてしまって、思わず魔理沙から目を背けた。何だろう、自分でもよく分からない。とにかく魔理沙と目を合わせていたくなかった。…少しばかりは、この自分でも良く分からない感情を、いつもの様に上手に魔理沙が汲み取ってくれて、優しく諭してくれるのを期待していたのかも知れない。でも、その考えは甘かった。
「くぁっはっはっはっはっはっっっ!!!コ、こりゃたまらん。にとり、お前ヤバいぜソレ、ひっひっひっ…」
…っ!
おもわずかけだしていた
体が勝手に動いていた。最初私自身びっくりしたが、体の中をなにか別の生き物のようなものが暴れだすのを感じると我慢なんて出来なかった。
「ニ、にとり!」
「やだッ!!」
途中魔理沙に腕を掴まれたけど、ほぼ反射的に振り払っていた。自分でも驚く程乱暴で力強かった。後ろでバキバキと木の枝が折れる音がした。魔理沙だ。そうだ、妖怪の自分が人間の彼女相手に本気を出したら当然そうなる。いや、構うものか。魔理沙の馬鹿っ!
そうして、自分でも訳が判らないままただ走っていた。
/////////
あ、まずったな私
にとりが泣きながら駆け出した時そう思った。
あ、こりゃあ飛ぶな私
にとりの腕を掴んでいた手からもの凄いエネルギーの変遷を感じた時そう思った。
あ、生きてる 生きてるがこのままじゃ死ぬよな私
意識がとんで空中を遊泳している事が周りの逆走する風景を見て判った時そう思った。
「…って思ってる場合じゃない!そろそろ行くぜ」
魔力で逆ベクトルを生み出して姿勢制御、同時に進路捕捉、補正、姿勢微調整、さらに方向微修正…捉えたっ。フル・バーナ!
「あぁもう、馬鹿やった私!」
/////////
どこをどう走っているのか。
体より先に、頭の方がスタミナが切れたのか、先ほどの真っ白になる様な強烈な燃え上がりはだんだんと収まっていった。
「はぁ…はぁ、はぁ、はぁ」
体は特に疲れている訳でも熱くなっている訳でもない。でも、そのかわり、胸の奥が、熱くて、痛くて…。
「……くっうぐ。…ぁうっぐ!?」
その胸の熱いのがだんだんと上ってきて、遂には口と目から溢れ出した。それは実際とても熱くて、頬を伝った時にびっくりしてしまった。目からはお湯として出てくるが、口から出てくるのはおんなじくらい熱い吐息と自分でも信じられないくらい可笑しくて奇特で情けない声。しかし、その声も何故か頻繁に起こる吃逆のような痙攣にいちいち中断されて、尚更酷いものになる。
「あうぅぅ。く。ぁあ…っく、えう」
止めよう、ヤダヤダ。こんな変な声、変な姿、恥ずかしくてやってられない。
でも、止めようとしても、息をしないようにしても、どうしても出来ない。何故だろう、情けない情けない。仕舞いには鼻水まで顔を汚す始末だ。自分でもどうしようもないこの事態に、抵抗するのも無駄のように思えてきて、もうなるようになってしまえば良いのかなと思ったところで、やっと私は気付いたのだ。
(あ、これ、泣いてる?)
「…く。うぁああああああああああ───────────」
気付いた途端、ダメになった。何かが切れてしまったかのように、私は声を張り上げた。見てくれなんて気にならない。とにかく声が出したかった。出して出して出して出し切って、それでもまだまだ湧いてくる。
「ああああああああああああああああああああ」
悲しくて悲しくて、底抜けに苦しくて。声を出す度に胸がきゅーっと痛くなる。でも我慢するともっと痛くて。叫んでなければいられなかった。さっきの魔理沙に変って言われた事を思い出す。叫んだ。その後のズキリとした感覚をを思い出す。叫んだ。…魔理沙に笑われた事を思い出す。狂ったように叫んだ。一体この声どもは何処から出てくるんだろう。自分にこんな機能があるなんて知らなかった。しかし、あれは非酷かった、笑われるなんて思っても見なかった。まさか魔理沙にあんな対応をとられるなんて。酷い酷い酷い酷い………。
(あっでも)
不意に嗚咽はピタリと止んだ。
そうだ、魔理沙は大丈夫だったろうか、あの後私は駆け寄ってきた彼女を振り払ってしまったのだ。見て確認した訳ではないけれど、その後上方で激しく枝の折れる音がした。明らかにそういう事だ。怪我してしまっただろうか。いやしかし、自分は妖怪で相手は人間だ。その差を甘く見てはいけない。実は結構重傷かも知れない。というか、自分が吹っ飛ばした時点で気でも失っていたらどうしよう。最悪、受け身を取り損ねてとんでもない事になってるかも知れない…。
…どうして…あんな事をしてしまったんだろう。
それまで不思議と止められていた息に、再び嗚咽が混ざり始めた。
/////////
一度は止んだかのように思えたにとりの慟哭も、今また弱々しく始まってしまった。
さっきから木陰で様子を伺っていたのだが、なかなか言葉をかけにいくタイミングが掴めない。流石にさっき大声をあげて泣いていた時にいっても逆効果だろうし、少しの間だがぴたりと泣き止んだ時だって何か考え事をしていたみたいだったので下手に刺激して声をかけて吃驚させてしまうかも知れないと思うと微妙な間だった。
(と、なると、存外今が潮時かもな)
にとりが一度考え込んでから泣く勢いが少し弱くなった。若干冷静にもなれたのだろう。
「よう、にとり」
影から出て、なるべく刺激しないように、柔らかく抑制した声音で話しかける。
「…魔理沙」
しかしにとりはそれでもはっとしたように顔を強張らせた。
…ひどい顔だ。顔面は真っ赤に紅潮してて、特に目のふちと鼻の頭が目立つ。涙が通った箇所は乾燥してしわばんでおり、顔全体がおびえるようにぴくりぴくりと引き攣って、非常にみすぼらしい相貌だ…。
「あー。その、済まない。お前の気持ちが分からなかった」
「…」
にとりは相変わらず微動だにしなかった。無意識に頭を掻こうとして左手に痛み。間違えた、こっちじゃない。
「ごめんな、お前をそんなに傷つけてしまうなんて思わなかったんだ。…許してくれ、にとり」
「…まりさ」
「うん?」
微妙ににとりの顔つきが変わるのが判った。さっきの苦しそうで怯えた表情と違って、何かを心配する様な、不安そうな色が広がるのが見て取れた。
「…だいじょぶ、魔理沙?わ、わたしが、乱暴な事しちゃって」
なんだ、そんなこと。
この妖怪は本当にらしくない。本来保身主義である筈の妖怪が、他者の心配するなんてヘンだ。可笑しくてまた笑ってしまいそうになり、慌てて思考を停止させた。
「ああ、あんなの、怒らせた時の霊夢の相手するより何十倍もマシだぜ」
そう言って跳躍してクルリと一回転する(間に全身に治癒魔法をかける)。着地してから自分で最高に元気に見えると思う笑顔で微笑んだ。
「見ろよこの力強くも引き締まった美しい二の腕。力こぶ、は生憎出ないが、あれだけ吹っ飛ばされて生傷一つ無いなんてなかなかのもんだろ?…っと」
どん、と鈍い衝撃。
にとりの涼しげな露草色の頭がすぐ顎の下にあった。ぐんぐんと力が加えられていって、けっこう胸が苦しい。
まぁ首に腕を回してくれて助かった。
「…私、魔理沙投げ飛しちゃったから、大丈夫な訳ないって、心配で、もしもの、本当に取り返しのつかない事になっちゃったら、私どうしようかって、恐くて…!」
にとりは胸にすがるように顔を押し付けながら、「魔理沙、まりさ!」と連呼している。その腕はぎゅっと力を込められていて、自分のお気に入りのモノを絶対に離そうとしない幼子を連想させた。
(困ったな、なんだか)
その涼しげな髪を、そっと撫でる。
(ここまで愛嬌のある事されると)
その手に少し力を込めて、にとりに顔を上げさせる。
(なんか、ちょっと、こう)
「にとり」
「ぅん?…………ひぅ!?」
耳元に軽くキス。
手が片手しか使えないのが少し荒い感じだが、まぁ及第点としよう。
「あぅ、あ…ま、りさ」
見る見るうちに、さっきまでとは全く別の紅色が、耳の先まで広がっていく。目には先ほどからの涙が溜まって宝石のように潤んでいて、非常に可愛らしい。
「私は、大丈夫だよ…」
もう一度。
今度は若干角度を変えての首筋へのキス。
「あ、うぅ~…」
彼女は必死に耐える様な、若しくは何かを哀願するような目ででこちらを睨む。
その眼差しは、恥辱と恐ろしさと不安と、そして仄かな期待を含んでいた。
首を彼女の首と咬ませるように置いて、すっと頭を撫でるように寄せる。
「私は大丈夫だから。大丈夫。なぁ…?」
「…ん…」
ゆっくりと手を動かしながら、今しばらく抱擁してやる。最初は小刻みだったにとりの息づかいも、次第に穏やかになっていった。
/////////
何なんだろ、魔理沙って。
少し前までとても憎たらしかった筈なのに、今はそんなこと考える事も出来ない。
すごく、安心。できる。
彼女の体温が、カタチが、力の入れ具合が、全て私にとって心地いい。
全てを預けてしまっても良いと思えるような、そんな幻想の恍惚。
ずっとずっとこうしていたい。
これからもずっと。
そう思うのと同時に、自分の胸がとくとくと軽くなっていくのを私は感じた。
──────────────────────
もうけっこう経ったのだろうか。
手はもうほぼ無意識ににとりの頭をさすっている。その手の中の彼女は、もう眠ってしまったかのように静かになっていた。
少し顔を離して表情を伺うと、目を閉じていてすぅすぅと息を立てていて、もしかして本当に眠ってしまったのかも知れないと思った。私は体勢はそのままにして、ゆっくりと顔を上げた。
「ああ…」
星だ。星が見えた。
木々の隙間から見えるそら黒い空に、昂然と輝く数多の星々、此処が善くも悪くも霊的な力の強い場所だからなのか、それらはぐっと、澄み切った重たい空気と煌めく声を私に向けていた。
凄い質感だ。私の存在なんて比にもならない、ものすごく濃い魔力の粘度。
ふと、誰かの視線を感じた
何だろうと思って振り返ろうとしたけれど、にとりと体が密着したままなので上手く体が回せない。
その代わり、中途半端に横を向いた私の視線の先に、先ほど葬ってやった子供の白骨があるのを見付けた。
ちゃんと全部埋めきれていなかった様だ、一本の生白く細長い骨が地面から少しとび出していた。
(あれ、直してやらないと)
そう思うが、やはり体はにとりを抱き寄せたままだ。まさか彼女を放り出す訳にもいかないし、それにそこまでしなくても、ほんのちょっと土をかけるくらい後でも出来る。にとりが目を開けてから遣ればいい話だ。
…あれ?
私は間違いに気付く。
そして、あの後ろからの”誰か”の視線が消えている事に気がついた。
「にとり、ちょっと」
「ん、あ…まりさ」
にとりとの間に少しだけ隙間を空けて、視線を感じた方へ向き直る。
何も無かった。
はっと、閃いたような気がして。今度は骨が視えた方へ顔を向ける。
「…え、え。どうしたの魔理沙?」
「…無いな」
「え」
確かに視えていた白い骨は何処にも無かった。
というよりも、当たり前の事だ。ここはそもそもさっき居た広場とは違う場所だし、それに私たちが居る場所と言えば、にとりがぐちゃぐちゃに走ってきたお陰で道なんて呼べない完璧な雑木林の中なのだ。目の前にあるのは無秩序に乱立した木々ばかりである。先ほど視えたのは確かに広場の端に埋もれた一本の骨だった。
「わぁ、いつの間にかこんなに暗くなっちゃったね。そんなに長い間抱き…い、いっしょにいたのかなっ!?」
にとりはあはは~と良いながら距離を空ける。私はにとりを見据えて言った。
「なぁ、にとり。今とっても不思議な事があったんだ」
「不思議なこと?」
にとりはそれこそ不思議そうに首を傾げた、が、直ぐに何かを思い出したようにあっと声を上げた。
「まっ魔理沙っ!やな事思い出しちゃった!すぐ帰ろうっ」
言うが早いか、にとりは私の腕をとって飛び上がった。あわてて箒をつかむ。
「何だ、用事でもあったか?」
「ううん、あのね、魔理沙…」
無縁塚から離れるように進路を取りながら、私たちは飛んだ。
「前にね、聞いた事があるんだ。…無縁塚に出る怪物のハナシ」
ほう、と私は相づちを打つ。内心では、今起こった事を思い浮かべながら。
「草木も寝静まる丑の刻、無縁塚の奥地に居ると、とんでもない化け物と出会す事が在るんだって」
「ふうん、それはどういう風にとんでもないんだ?サイズが馬鹿げてるとか、妖気が桁違いとか」
妖気というよりは、あれは魔力だった。それもこの土地全てが醸し出しているような特大の規模の。
「そう言うんじゃなくってね、何か、エラく不吉なものらしいよ」
「そりゃ、またなんというか抽象的な言い回しだな」
「うーん、例えばね、仮にそいつと遭遇したとすると…消えちゃうんだ」
消える?それは物質的な転移魔術だろうか、それとも概念的な定義転換の禁戒か。
「良く分からないけれど、そいつと出会すと、無くなっちゃうんだって。また主語か無い話なんだけどさ…。ごめんね、私も小さい頃はそれで納得しちゃってたから」
いや、興味深い話だ。私がまた思索にふけろうとすると「ただ…」とにとりが付け加えた。
「なんだかね。これ…すっごく言うのも嫌なんだけど。…怖い‥らしいんだ。そいつの見た目」
見てしまうと自分が壊れちゃうんだって、とにとりは言った。
「成る程ね」
合点がいった。つまり奴の外観が自我を保てなくなるほどのモノらしい。自我の崩壊、つまりは自分が自分でいられなくなること。”無くなっちゃう”とは表現のアヤだろう。
…ふうん…
あの時の視線を思い出す。あれはやっぱりそいつだったのだろうか。もし振り向いていたら私はどうなっていたのだろうか。
それを止めたのは、幻想で視た、見えるハズのないあの子の骨だった。
「…お伽話じゃあるまいし」
「ホントだってば」
言葉の意味を誤解したらしくにとりは声を上げる。
「あ、でもあの時だったら、そんなヤツに遭っても平気だったかも」
「え、あの時って?」
「あのね、魔理沙が私をきゅうってしてくれた時、あの時私とってもしあ…わ…」
あ、う、ととなりで言葉に詰まるのが聞こえる。暗くて視えないが、多分今も耳の先まで真っ赤だろう。
そう思うと、また楽しさが込み上げてきた。ほんとう、全く。
「可愛いぜ、にとりって」
「まっまりさぁ………んンっ!?」
今度は口にしてやった。
悪戯だからほんの一瞬だったけど、にとりの飛行姿勢がぎこちなくなって、明らかに動揺している事が見て取れる。そんなのじゃあ人間と遊べないじゃないか、河童さん。
全く、お伽話みたいな一日だった。
幻想郷の出来事なら、紛れも無く、これもその幻想の一つなのだろう。
そんな幻想がこれからも続いていくのなら、この世界はなんて美しいのだろう。
まるで目の前に広がる星々の輝きが、私の前に広がる夢々みたいで、私とにとりはその中を更にスピードを絞って駆け抜けた。
<溶暗>
なんて、なんか、私じゃないみたいな考えだな
<終演>
「墓地とはよくいったもので」は、あとに続く文意からして誤用でしょう。「よくいったもの」は「なんともうまく表したものだ」と言う場合の表現かと思います。
あと後書きの「拝見」は読者の側がつかう言葉だと思われます。
意識的な誤用でしたらすみません。
>やっぱりだ、基盤の一カ所が抉れていた。
基盤→基板ですね。よくある間違いなだけに気になりました。
あとハンダ付けは溶接とは言わないかな~。
お節介でしょうが内容が良い分勿体無いので。
にとりかわいいよにとり
・・・にとりがいじってた黒いキカイはいったい何だったんだろう、気になるw
旧劇場版E〇Aが元ネタと思ったんですよ。
髑髏がア〇カのもので(片目がない)、機械がエ〇トリープ〇グで、無縁塚に出る怪物がア〇チATフ〇ールド(自我の崩壊、つまりは自分が自分でいられなくなること=L〇Lに還元される)と考えたので。