早苗の様子がおかしいのに気付いたのは、いつも通り守矢神社に遊びに行ったときのことだった。さいきん梅雨が明けて日差しがひどくなったところで、やることがないわけじゃないけど早苗の顔を見に来るのが恒例になってたから、今日も容赦のない太陽に閉口しながら早苗に声をかけた。
早いとこ秋が来ればいいと思うけど、言わない。神様だもん。
「やふー、早苗、あそびましょー」
「ぁ……穣子、さま。こんにちは」
挨拶の時点で、もうおかしかった。それまではごく普通の態度で箒を動かしていたのに、あたしの姿を見たとたんにびくっと肩を揺らして視線を泳がせて、がっちり掴んでいたはずの箒を取り落とした。
まあ祝子にもいろいろあるよねー、なんて勝手に納得して箒を拾ってやって、覗き込んだ顔はこれまた見事な石榴の花の色。暑さのせいだけじゃないって、ひと目でわかる染まりぐあいだった。
「……早苗、あんた体調わるい?」
「へぅえ? だ、だいじょうぶです」
「いやー、明らかに大丈夫そうじゃないんだけど」
早苗が自分のことになると強情を張るのは、短い付き合いのなかでも分かっていたから、そのままずいと顔を寄せておでこをくっつけてやった。あたしが小さいころ、熱を測るのに静葉が好んだ方法。暑苦しいけどお手軽なのよね。
生まれたばかりのころは能力も安定してなくて、しょっちゅう体調を崩しては静葉の看病のお世話になってた。熱が出るとあたしは顔が真っ赤になって、紅葉みたいってよく笑われたっけ。
……うーん、おでこは熱くないのに、頬が真っ赤。どんな調子なんだろうか、これ? あたしは人間の病気とかには詳しくないからよく分からないけど、あんまりいいことでもないってのはなんとか分かる。
「んん……早苗、ほんとに平気? 無理とかしてないよねぇ」
「ほ、ほんとにへいきでつ!」
「つ?」
「……噛みました」
いつもの早苗らしからぬ失態。こりゃあ本当に強情張ってるなぁ。とはいえ、あたしみたいな余所の神が何か言ったところで、この意地っ張りで責任感のやたら強い祝子が素直に休むとも思えないし。
と来たら、あたしにできることなんて、たかが知れてる。ネッチュウショウ? だっけ? が流行る時期だから気をつけろってハクタクが言ってたからね。
「んじゃ、早苗にあんま無理させたくないし、今日のところは退散するよ」
「えっ……?」
「ひーちゃんとこでも行って構ってもらうことにする」
「穣子さま! わ、私ほんとに」
「いーからいーから。また明日来るよ。そいじゃね」
「……はい。また、明日……」
早苗はやたら寂しそうにあたしを見送った。うーん、失敗したか? 調子崩してるときって人恋しくなるって話だし、もしかしたら一緒にいてやった方がよかったかも。でもまあ、あそこの神社にはケロやんとか八坂のとか、早苗の家族もしっかりいるし、大丈夫だとは思うけど。
あした寝込んでたら、どうしようか。お見舞いのひとつでも持っていくべきかね?
せっかく遊びにきたものの、多忙な厄神ひーちゃんは不在だった。
よかろう、ならば河童のところだ。
河城邸に着くと、ちょうどにとりんは白黒の人間と連れだって出て行くところだった。
あたし、あいつ苦手っ。じゃあ他をあたりますよーだ。
ところがどっこい、今日にかぎって友人はみなあたしの相手をするほど暇じゃなかった。
河原にひとり膝を抱えて座り込むと、孤独感がいっそう増した気がした。なんと言っていいのか分からないけど、あれだ、今日はあたしタイミングが悪かったね。……寂しさはあたしの専門じゃないのになぁ。
暑さのせいか知らないけど、黙って座り込んでるとだんだん気分がささくれ立って、川すらあたしをあざ笑っている被害妄想。ばしゃーん、なんて音たてちゃってさ、生意気だっての。
石でも投げてやろうかと構えたあたしの視線の先には、宙空にぱっくり開いたスキマと着衣の乱れた秋静葉。
……いや、なんで?
「……どうしてわざわざ川に落とすのよ、隙間さん」
まだ服もきちんと着てないのに、なんてぶつぶつ言いながら上がってきた静葉は、当然のようにあたしの隣に座る。ぐっしょり濡れた服がまとわりついて気持ち悪そうで、あたしはというと、呆気にとられて上手く反応できない。
静葉が水を吸った服に苦労する合間から、鎖骨のあたりに何か赤いものが見えて、妹として見てはいけないところを見てしまったような心持ちになる。そう思うと、静葉の肌すらもうっすら色づいているようにも見えてきた。
「……? どうしたの、穣子」
「い、いや、なんでも……」
あなたは隙間妖怪とそういう仲なんですか、とは、さしものあたしでも訊けない。いやむしろ訊いてみるべき?
いやいや何を言うんだ秋穣子、暑さで脳みそ茹であがってるのか?
でも静葉なら顔色ひとつ変えずに答えてくれそうな気がするなぁ! よし、訊こう!!
「え、えーと、静葉はその、隙間、と」
「ああ。別にそういうのじゃないわ。むこうがどう思ってるか知らないけど、わたしは別段なにも思ってないし」
……せっかく覚悟を決めて訊いたのに気勢を削ぐなよ、我が姉ながら淡白な奴め……。だけど、淡白ながら普段よりいくらか苛立って見えるのは気のせい?
静葉は服を整えると、膝を抱えこんであたしを見た。
「それで、穣子は何に悩んでいるの?」
「へ?」
「祝さまが浮かない顔をしていると聞いたわ」
それがなんで、そのままあたしに繋がるんだろうか? こいつの思考回路は妹であるあたしも理解できない。もしかして脳みそが加熱処理されてるのは静葉のほう?
「や、あたしは別に悩んでないよ。ただ、早苗が今日は調子悪そうだったから」
「ふうん……穣子から見て、どんな様子だったの?」
「んんー? えーとね、あたしの顔見るなり真っ赤になって挙動不審になって、」
「……ああ。だいたいわかったわ」
なんで今のだけで分かるんだろう。八坂とかから色々聞いてたのかな。……なんとなーく、面白くない。あたしは早苗の様子がおかしい理由もよくわかってないのに、早苗と面識すらないはずの静葉には分かるんだ。
「夏なのに春ねぇ」とかなんとか呟いてる静葉は訊いても何も教えてくれそうにない。っていうか意味分かんないし。
「……」
「何をむくれてるのよ……」
「べっつにぃ」
呆れ顔であたしの頬を突く静葉。たぶんこいつは、あたしがなんで拗ねてるかも知ってるんだろう。あたし自身にだってハッキリとは分からない、このもやもやの一番奥まで。
……なんて憎らしい姉。自分勝手で自己中心的でわがままで付き合いづらくて、でも、姉なんだなぁ。
「穣子」
「ん、なに?」
静葉の声はいつも通りむかつくくらい落ち着いている。抑揚が少なくて、耳に滑りこむけど残りにくい声。
「凪いだ風を一度でも掴んだのなら、手を放さないことね」
「は?」
「逃げていってしまうもの。わたしたちが想うより、ずっと簡単に」
静葉お得意の言葉遊び、じゃない。でも肝心の意図が読めなくて静葉の顔を見上げても、静葉はただ軽く笑んであたしを見るだけ。
……なんなんだ、いったい。忠告かなにかのつもりなら、もっと具体的に言えっての。でも、こういうときの静葉はこれ以上なにも言わない。独り言でなくあたしに向けた言葉だから、なおさら。
「……静葉」
「なに」
「濡れてるんだけど」
「濡らしてるのよ」
無言で殴ったら頭を撫でられた。嫌がらせか、このやろー。
その晩、もう昼の日差しの名残もなくて、ただ蒸すような熱気が庵を囲むころ、珍しくうちにケロやんが訪ねてきた。
「みのりん、明日はうちに来ないほうがいいよ」
「え? やだよ、なんで」
「神奈子が今すっごく不機嫌でさ、いやまぁわたしが悪かったんだけど」
ケロやんは焦っていた。いったい何したんだ。
帽子のぎょろ目までもがどことなく焦燥に駆られているような。……改めて見ると怖いなぁ、こいつ。
「いや、わたしがよりによって神奈子を早苗ネタでからかったから、ああもうとにかく明日は、」
「やだよ。約束したもん」
「や、約束って……」
あたしがまた明日って手を振って、早苗がまた明日って振り返したら、それはもう約束です。約束は守らなきゃいけないものだって、相場が決まってるんだから。
ケロやんは帽子ごと頭を抱えて、いつものようにあーうーと唸る。暑くないのかな?
それからがばっと顔を上げて、
「よし、分かった。神奈子はわたしがなんとかしよう。みのりんは隙見て早苗連れ出して」
「う、うん、分かった」
ケロやんと帽子の両方に詰め寄られて、どうにか返事をして気付く。もしかして今けっこう大変なこと言った?
それに、ケロやんは八坂をどんな風にからかったんだろう。
「たいしたことじゃないさ。ただ、早苗がお嫁に行ったらどうするよーってね。じゃ、わたしは帰るよ」
「そっか。うん、じゃあね」
相変わらず調子を崩さない太陽がまた張り切り始めてしばらくしたころ、ちょっと頑張りすぎな熱気のなかで、早苗は相変わらずの様子で境内を掃き清めていた。それでも、ちらちらと空のほうを気にしているものだから、箒が何度も空振っていることに気付いてない。
早苗が振り返った拍子にばっちり目が合って、へらっと笑って見せると早苗の顔がりんご色に染まった。
……もう気にしないことにする。大きく手を振って早苗を呼ぶ、
「やふー、さな」
「早苗は嫁にはやらああぁぁぁん!!!」
訳のわからない叫びとともに乾が飛んできた。全身全霊をかけて避ける。続けざまに2本3本、弾幕ごっことは段違いの気迫がこもった、容赦のない攻撃だった。暑さとは関係ない汗が、つぅっと背中を滑った。
見れば、八坂は目に涙すら浮かべてあたしを睨んでいる。……あたし、八坂にこうまで恨まれるようなこと、した覚えがないんだけども。
八坂がさらにたくさんの乾を作り出してあたしに向ける。これはまずい。避けきれる自信が、あたしにはない。
「――みのりん!」
あたしを呼ぶ声とともに救世主が現れた。坤を投げていくつか八坂にぶち当ててから、
「ありがとう……って、ケロやん? ちょ、なんでそれこっち向けて」
「っの馬鹿、なんで正面から乗り込んでくんの馬鹿なの死ぬの!?」
すこーん、と小気味のいい音をたててひとつあたしにヒットさせた。
ていうか馬鹿って二回も言ったよ。ひどいや。
ぐらぐらする頭を押さえながら早苗を連れていくことにした。八坂はケロやんに正座させられている。
「今のうち、今のうち。逃げるよ早苗」
「え、あの、穣子さま? 神奈子さまは」
「ケロやんがなんとかしてくれるから平気」
箒を取り上げて鳥居に立てかけておいてから、早苗の手を引いて飛び上がる。ぎゅっと握った手のひらはあたしよりずっと熱い。坤に揺らされた頭が戻らない。脳震盪でも起こしてるのかもしれなかった。
ぐんぐん高度を上げていったら、ちょっと肌寒くなるくらいのところまで来た。夏っていうのは、地上から奪い取った冷気を、こんなところに隠しているらしい。太陽に近いところだから、みんな見つけても届かなくて、ただ暑い暑いと不満だけをもらすんだろう。
頬にあたる空気が冷えていて、ようやっと一息吐けた。こっそり深呼吸してから振り向いた先の早苗はまだ頬を上気させていて、指で突いてみたくなったけど、そうしたら熱さでいかれてしまいそうだったから、やめた。
「穣子さま、どうして……」
「うんー?」
うつむき気味に、あたしを少しだけ見上げる格好になった早苗は、瞳を潤ませてあたしに何かを期待していた。眉をハの字に寄せて不安げに、だけど目は縋るみたいな光があって、なんだか分からないけどくらっとした。
指先とか、体の末端が冷えている。地面の近くはあんなにも暑かったのに。頭の奥の方がぐーっと音が出るくらいに引き絞られてるみたいで、うまいこと頭が回らない。いや普段からたくさん回ってるかって聞かれたら自信ないけども。
「きのう、約束したからさ」
「約束……?」
「ん。また明日ねって、言ったでしょ、あたし」
どんな顔したらいいかわからなくて、とりあえず笑って見せたら、早苗のダムが決壊した。ぼろぼろ、ぼろぼろって大粒の滴が早苗の頬を転がり落ちて、でも早苗は拭おうともせずにあたしの右手を両手でしっかり握って離さない。
その手のひらが熱くて、でもあたしには熱すぎて、早苗のものじゃなかったら振り払ってしまいそう。
拭いてあげたほうがいいのかなー、って上げかけた左手が動かなくなって、結局あたしは早苗がぐずぐず泣くさまを見てるしかないんだ。
ぎゅるぎゅると内臓が撹拌されてる気がする。心なしか呼吸もしづらくなってきた。
「みのりこさま……っ」
「うん、どした?」
「わた……し、私は」
「うんうん」
早苗が顔を上げて、新緑の色をした瞳がはっきり見えた。首から上が紅葉してるから、色彩がやたら鮮やかで、ころころした涙の粒は甘唐辛子の表面を転がる雨粒みたいだった。
握られた指先から早苗の熱が伝播して、なのにあたしの芯は寒風にさらされたように凍えている。
自分自身びっくりするほど冷え切った、あたしの深い深い場所に早苗が、
「私は、穣子さまを、ずっと……――!!」
灼けついているのか、茹だっているのか、はっきりしないままに意識がぐらついた。
昨日からこっち、ずーっと不思議だった早苗の挙動とか表情とか顔色とか、そういうものが思い出されて、ぐるぐるぐるぐるぐるぐる回る、川の水に押される水車みたいに、早苗の感情に回されて、ああそうだ、あれがないと脱穀が大変なのよねぇ、そういえば川上のほうに不具合があったみたいだけど大丈夫かなぁ――
務めを終えた綿の実が弾けるような塩梅で、あたしは意識を手放した。
目が覚めると、そこは見慣れたあたしの部屋だった。木々に囲まれて暑気から隔離されたみたいな空気が気に入って、その昔静葉がこの庵を作ったとかいう話があって、その一室。
床の上にしては柔らかいから、どうやら布団の上に転がされているらしい。
「起きたわね」
「……静葉?」
布団の傍らには呆れ顔の静葉。その手には濡れているらしい手巾。
あたしはいったいどうしてしまったのか、尋ねるまでもなくあたしの視線で気付いたらしく、溜息でも吐くようにして解説をくれる。
「高山病って、知っているかしら」
「こーざん、びょう?」
「高いところに上ると頭痛がしたり気持ち悪くなったりすることよ。心当たりは?」
ありすぎて泣きそう。
静葉はあたしの顔色でそのあたりを察したのか、あたしの前髪をそっと分けて、「ばかね」と笑んだ。その表情と声にたまらなく落ち着くあたり、あたしはまだまだ子供なのか。
落ち着くと少しだけ余裕ができた。
「……静葉、」
「祝さまなら、そこよ」
この姉はいつの間にか覚にでもなっていたのだろうか。
視線を向けると、隣に敷かれた布団で早苗が眠っていた。目元が少し腫れているのが痛々しい。……あたしのせいか? そりゃそうだ。うん。
「泣き疲れて寝ちゃったの?」
「いいえ。自分も辛いくせにあなたの看病をすると言って聞かなかったから、さくっと」
刈ったのか。意識を。
木の葉にだいぶ熱気が緩和された、けどいくらかは熱い風が部屋に入ってくると、去りぎわに軽く微笑んで静葉は出て行った。「あとは若い二人に任せて」って、あんたはババァか。――本当に、どこまで見透かしているんだろう、あの寂しさと終焉の象徴は。
まあ、早苗が起きてから始まるだろう話は、たぶん姉に隣で聞かれてるには恥ずかしすぎるだろうから、丁度いいって言ってしまえば丁度いい……はず。
「……ん」
ちいさく息を吐いて、早苗が目を覚ます。
なんとなく向けてしまった視線をそらせずにいると、重たそうにまぶたを押し上げた新緑と、これ以上ないくらい視線がかみ合って、思わず身動きがとれなくなる。心なしか気温も上がってきたような錯覚。
こういうときは、こういうときは、ええと、どうすればいいんだっけ。
「は……はろー」
右手を挙げてご挨拶。早苗はぽかんと呆気にとられてた。
やだもう穴掘って埋まりたい。
「……こんにちは、穣子さま」
何事もなかったように振舞ってくれる早苗の優しさに、わけもなく涙が出そうだった。
太陽が中天から傾いていくのに意識をとられつつ、畳の上で向き合ってお互いに正座する。なんとなく早苗を直視できなくなって、ついと下を向いた。ちらり、確認した早苗の様子も似たようなものだった。
……やっぱり、あたしが口火を切るべきよね。
「えーと、早苗」
「ひゃいっ!」
すごい反応。早苗はよくわからないくらいに緊張してるみたいで、逆にあたしは肩から力が抜けたようだった。無為にこわばっていた背中やら腰やらの筋肉が弛緩して、早苗のおかげで落ち着いて話せそう。
「さっきの話、だけど」
「……はい」
「まずは、ええと、早苗があたしのこと、そう思ってくれてるのはすごく嬉しいです、はい」
「はい……」
「ありがとう。ほんとに嬉しいです」
そこで一息。平気、まだ頭はごちゃごちゃしてない。混乱し始めたらきっとふたりでグダグダになるから、とりあえずあたしはしっかりしてなきゃ。
一度だけ深呼吸して、一番の疑問をぶつけるべく早苗を窺う。
「あーっと、それで、訊いていい?」
「はい、なんでしょう」
「早苗は、さ……その、どうしてあたしをそんなに、えと、慕って……くれるのかな」
あたしが尋ねると、早苗はまた紅葉した。烏瓜やら枸杞やらの実を散らした色であたしの顔をそっと見上げる。
さっきと違って体調の万全なあたしは正面から視線を受け止めた。
「その……穣子さまは、覚えていらっしゃいますか?」
「なにを?」
「初めてお会いした日のことを、です」
早苗との初対面……守矢一家が来たときの騒ぎでは結局しっかり会ってないから、そのあと……ああ、収穫祭の誘いに行ったときだ。今よりずっと涼しい時期のこと。
あのときは、引っ越してきたくせに挨拶のひとつも寄越さないのに苛立って、乗り込んでいったはいいけど寸前で怖気づいてたんだ。早苗はそのあたしを振り向いて誰何した。当たり前のことなのに、あたしは勝手に腹を立てて、真面目なだけの早苗に芋を投げた。
『これでも食らえダメ祝! ばーかばーか2Pカラー!』
『ええっ? あ、ちょ、なにこれ芋!?』
『この神社は祝子にどんな教育をしてるのか!』
『い、いきなりなんですか失礼な――』
『うっさいうっさい! 収穫祭には雁首そろって来なさいよね!!』
捨て台詞はたしか、『どうせ知名度なんて低いわよー!』だっけ? それで収穫祭に顔を出した八坂にひたすら絡みまくったんだ。
……うっわ、ろくな出会いじゃねぇや。
「あのころはとっても苛々していた時期なのです……静葉は基本的に無関心不干渉だし……守矢神社の二柱はあたし達の存在すら知らなかったし……」
「いえ、そんな……それで、収穫祭で潰れてしまった私を介抱してくださった穣子さまは、とてもお優しくて」
ころっといったわけだ。……こいつ、将来は駄目男に貢いだりしそうだ。
早苗は今度は風に負けた秋桜のように首を傾げてみせた。
「それ以来、穣子さまはうちに来てくださるようになって。……気付いたら」
「……そ、っか」
なにやら、とてつもなくむずがゆい何かがあたしの背中を這い回っている気がして、途方もなく居心地が悪くなる。蟋蟀なんかが肌にくっついてる気分。
もぞもぞとお尻の位置を調整したり意味もなく視線をあちこちに飛ばしたり、色々したけど妙な沈黙はあたし達の間に居座ったままだった。
「な、なんか、照れくさいや」
「そうですね」
「へへ。……んで、えーと」
しばらく言葉を探す。早苗は今ではあたしをまっすぐに見つめている。
いまの早苗は静まり返った水面みたいだった。海なんて見たことないあたしだけど、こういうのを凪っていうんだろう。
なんとなく静葉の言葉を思い出す。びしょ濡れ静葉があたしに寄越した、名状しがたい助言のようなもの。早苗は風じゃないけれど、それでも捕まえるにはあたしが揺れすぎている。
「あたし、は」
「はい」
「……正直な話、気持ちの整理がついてません」
「え……?」
早苗の瞳がさっきより強い光を宿している気がして、うっかり呑まれそうになったりして、それでもなんとか自分で出した答えをぶつけるべく顔は上げたままに、息を大きく吸い込んで吐いた。
もしかしたら幻滅されるかもしれない。静葉に聞かれたら多分、いや絶対に鼻で笑われるような、へたれの極みでしかない返事を、今からあたしはしなきゃいけない。
「えっと、卑怯な答えになっちゃうけど、……時間をください」
言うなり深く土下座する。
人間に頭下げるなんて神の風格はどうしたって? 知るか、そんなもん! いやだって今まで早苗のことそんな風に意識したことなかったし、っていうかそんな対象すらいなかったし、でもでも早苗にとってはそれはすごく大事な感情だと思うから大切にしてほしいと思うし、だけど相手があたしじゃ絶対もったいないし、だから、だから、あの、……中途半端な気持ちで答えたら早苗に失礼だし、その、つまり――なんだっていうんだ、まったくもう!!
「さ、早苗……?」
「……ふふ」
笑われた! 一大決心して捻り出した答えを笑われたよ! まさか早苗がこんな子だったなんて思わなかったなぁ!!
「穣子さま……全部、声に出てます」
嘘ぉ!?
「ほんとです」
なんだこの羞恥プレイは。いやもう本気でね、穴掘って埋まるか今ここでのたうち回るかしたい。
頭を抱え込んでうずくまったあたしの手を、なにか熱いものが包んだ。
静葉監修の涼しさについては折り紙つきのここにある熱いものといったら、あたしの知る限りひとつしかなくて、確認しようと顔を上げたら思ったとおり早苗があたしの手をとっていた。
「穣子さま」
「なんでしょう……」
「私、待ちます」
「……へ?」
「待たせてください、いつまでだって。……あ、でも、私がおばあちゃんになるまでには答え、欲しいですけど」
「え、あ、うん。それはもちろん」
煮えていてもおかしくない脳みそでどうにか理解したことには、なんだ、早苗はあたしがきちんと向き合えるまで、待ってくれるって?
目の前でにこにこ微笑む顔を見る限り、あながち間違ってはいないみたい。……ああもう、これじゃあどっちが年上だか分からないじゃないか。
「で。早苗はいつまで笑ってる気かな」
「ふふ、だって、さっきの穣子さまがあんまり可愛らしくて」
「あー……うん。ここまで取り乱したのって初めてかもね」
「そうなんですか?」
「なんで嬉しそうなんですか早苗さん。まあ、いっつもなんだかんだで静葉が助けてくれてたから」
「静葉さまが……?」
「うん。あいつだって一応、お姉ちゃんだからね」
姉と呼んでいたのは最初の数十年で、いつか絶対に超えてやると決意してからは、意地でも姉とは呼ばなくなった。静葉はなにも言わないから、どう思ってるのかは知らない。
早苗はいつのまにか不機嫌になっていた。なんでだ。
「……早苗?」
「穣子さま、私、決めました」
「は、はい? どうしたのいきなり」
「私は必ずや静葉さまをこの手で打ち倒し、穣子さまをみごと奪い取ってみせます!」
「ちょ、ちょっと待って早苗。早苗ちゃーん。なんのスイッチが入ったの?」
早苗は目元を赤くしてるくせにやたら凛々しい表情で、こころなしか蛙と蛇の髪飾りすらもキリッとさせて、あたしをちょっとだけ充血した新緑の色で射抜いて言う。
今まさにがんばりすぎてる太陽みたいな瞳。熱風すら吹かない炎天下にいるような気にさせられる。
「待っていてください、穣子さま。早苗がきっと攫ってみせますから」
一瞬だけ気押されたら、もうそこであたしの負けは決まっていて、馬鹿みたいに首肯を返すしかない。
「え、あ、うん……?」
しかし、おかしい。
何がって、全部おかしい。さっきまでの話の流れでは、早苗があたしを待ってくれるっていう感じだったはず。それがなんだって、あたしが早苗を待つような感じに?
……ええと。あいつはなかなかしぶといから、倒すのはかなり大変ですよ、早苗さん。
「ねえ早苗。もう日も落ちてきたし、そろそろ帰りませんか」
「なんならお泊りという方向でも私は構いません」
「あたしが構います! ほら、静葉も帰ってくるだろうし、ね?」
「それは好都合というものです。静葉さまがお帰りになったら好敵手としてご挨拶を」
「さっくり意識刈られてたひとが何を言うの!」
そのあと結局なし崩しにお泊りの流れに持っていかれて、次の日あたしが八坂渾身の乾を食らってぴちゅーんしたのは、言うまでもないので割愛する。
今までになく温度の高いあたしの夏は、まだまだ始まったばっかりだった。
やっと氏の作品に満点を入れることができます。
初々しい?早苗と穣子に身悶えが止まりません!
早苗さんと穣子も青春っぽさがあって良かったです。
みのさなとは新しい
スキマ怖あ・・・
でも、奇跡の力で時期を早めてしまいそうな早苗さんが実に素敵です。