01.
「わだぢ、じんぶんぎじゃやべる」
私、新聞記者辞める――恐らく彼女、射命丸文はそう言ったのだろう。
この日は、近く開かれる天狗の新聞大会に向けて、私こと姫海棠はたての最大のライバルである彼女の様子を見に来たところだった。
幻想郷に住まう天狗の多くは独自の新聞を書くらしく、私や文もその例に漏れず、まぁさして売れもしない新聞を飽きずにせっせと書いているわけだ。
彼女の書く新聞の名前は「文々。新聞」と言う。恐らくは彼女自身の名前である「文」と引っ掛けているのだろう。洒落の効いている、面白そうで、かつ可愛らしいタイトルだ。
可愛らしいのはタイトルだけではなく、普段の小憎たらしい性格とはかけ離れた様な文体もそうだと言える。酷く癖のある、丸っこい字をせっせとテーブルに向かって書いている後ろ姿は、中々に微笑ましい。
これだけ書くと、まるで私が文に好意を持っている様に見えるが、それは断じて違う。私と文は同じ天狗、そして新聞記者と言う接点の多いライバルなのだ。
だから彼女の事は良く知っている。
例えば、人の神経を逆撫でする程度の才能。本人は営業スマイルを絶やさないから余計性質が悪い。
その癖、責められると割と弱い程度の中身。あいつの心はティッシュペーパー並の防御力しかない。
加えて、山の麓で厄神様をする程度の恋人。私には出逢いすら無いと言うのに今や一つ屋根の下だ。
因みに、部下は文を毛嫌いする程度の白狼。二人の会話が五分以上続いた場面を私は見た事が無い。
まぁ、纏めて言うと、自信家な癖に打たれ弱い、現在恋人と二人暮らしの部下に頭が上がらない烏天狗。それが射命丸文だった。
対して私はどうかと言うと、これが文以上に駄目なやつなのだ。「念写をする程度の能力」なんて言う能力を手にした所為で、外に出ずとも写真が撮れる。その為年中家に引き篭もってばかり。おかげで此処数十年、まともに会話をしたのは文かその部下かその恋人くらいだ。
しかもこれが万能の能力ならいざ知らず、中途半端に使いづらい能力で、人が撮った事のある写真しか撮れない。つまり私の写真や記事は常に二番煎じ。新鮮さが売りの新聞で、これは致命的な欠点だった。
これはどうにかしないといけない。この先新聞記者として名を馳せるには、やはり外に出なくちゃならない。そこで私はようやく危機感と言う物を感じたのだ。
とは言え、私に知り合いなんて者は片手で数えられる程度しか居ない。ましてや新聞の相談なんて出来るのは、文しか居ない。相談なんて癪だからしたくないけれど、減らず口を叩きあえればそれで良い。そう思ったのだ。
ところが、そんな私の出鼻を挫く様に(因みに言うが、天狗だからと言って私や文の鼻は決して高くない。普通の少女の、まぁ、小さい鼻だ)、文がそう言ったのだ。
泣きべそをかきながら顔を伏せる文を見て、思わず私はぽかんと口を開けっぱなしにしていた。
理由を聞こうにも、文は近くに座る厄神様の膝に顔をうずめていて話にならない。決して羨ましくはない。決して。
とは言え、このままでは埒が空かない。仕方なく、私は文の頭を優しく撫でる厄神様に話を聞く事にした。
「実は――」
02.
遡る事数日前。近く天狗同士の間で開かれる新聞大会に使うネタを探していた文は、色々な人物に取材をする。皆も知っての事だけれど、文もはたても新聞大会で上位に入るどころか、ランキングにすら乗る事がない。
普段だったら別に順位など気にしない文だったが、今年は違う。今までとは違って、今の文には厄神様と言う恋人が居る。その恋人の前で、ランキングにすら載らないと言う、みっともない真似は出来ないのだ。その為今年の文は良く動いた。
文の書く新聞といえば、幻想郷で起きた異変についてが主である。天狗の足もさることながら、弾幕勝負でも屈指の実力を持つ文は、その勝負の最中に相手の弾幕を写真で撮る事が多い。緊張感と鮮やかな色の弾幕で出来る風景が文のお気に入りで、そう言う写真が撮れたときには、その写真を元に新聞を描くことが時折ある。ある事無い事を何でも描く文の新聞は、普段はあまり売れないものの、弾幕の写真が載った時にはちょっぴり売り上げが増すのだ。
その為、今回の新聞大会では、弾幕特集を組もう――そう思っていた文だったものの、その当てが大きく外れる事になる。
何が誤算だったかと言うと、これはひとえに手帳を開いた時の文が皆に嫌われて居る事につきる。普段はそうでもないのだが、手帳を開いた時、いわゆる新聞記者としての顔を見せた時の文は、皆に避けられる。何せある事無い事書くのが文の新聞だ。下手に取材に答えようなら、どんな解釈をされて記事にされるか分からない。だから文が手帳を開いた時は速やかに逃げろ、と言うのが幻想郷での暗黙の了解だった。
ところが文からすればそんな事情、知りもしない。皆そこまでして私の取材が嫌なのか――そう思うだけである。ティッシュペーパー並の防御力しかない文の心は、早くも半分ハートブレイクしかけていた。
しかもそこに丁度椛を発見したのが運のつきだった。ここで少し凹みながら家に帰って居れば、まだ立ち直れていたかも知れない。最もその頃雛は厄神様として仕事をしていたので、家には居なかったけれど。
ともかく、椛なら取材に応じてくれるはず。そう思って声を掛けたのが間違いだったのだ。
犬走椛。上司と部下とはいえ、烏天狗と白狼天狗と言う違いかあるいはそれ以外に何か理由が在るのか、とにかく二人は仲が悪かった。というよりも、寧ろ、椛が一方的に文を敵視しているらしく、ことある毎に文に毒を吐くのが癖である。繰り返すようだが文は脆い。その為笑顔を顔に貼り付けながら、心ではしくしく泣いている事が多い。それでも文が椛に話しかけるのは、友人の少ない文にとって、仕事中の話し相手が他に居ないと言う事だ。だから嫌われない様に必死になっているのである。
「最近仕事終わって一緒に帰ってくれないですね。偶にはお酒でも飲みに行きません?」
「文さんみたいに暇じゃないんで」
「休日も?」
「はっ、休日。自慢ですか?」
いつも通りの会話である。必死に取り繕う文に対して、椛は退屈そうに刀を眺めながら話す。その為二人の視線が交わる事は無い。
「いえ、そう言う訳では。ところで椛、ちょっと頼みがあるんですけど、良いですか?」
「出来れば嫌なんですけどね。なんですか」
「ちょっと椛に取材をしたくて」
「はぁ? 私に? 何の嫌がらせですか?」
「別にそう邪険にしなくても。新聞大会が近い事は貴女も知っているでしょう」
「そりゃまぁ……ああ、成程。手近な所でいつもみたいにでっち上げるんですね」
反論しようとした文よりも早く椛がぐっと足に力を入れて、上空に舞った。曇天の空を背に、椛が懐に手を忍ばせて、何かを取り出した。スペルカードである。
「せっかくだから、これでも写真に撮って下さいよ! それで出来れば帰ってください!」
そう叫びながら、椛が弾幕を放った。いきなりスペルカードを発動させるのは、通常ならば認められていない事なのだけれど、ある程度距離も離れているし、文にとっては初見とはいえど、そこまで密度は濃くもない。巫女や白黒なら、きっと寝起きでも避けるだろう、その程度の弾幕である。
しかし文は身動き一つ取らなかった。ぽかんと口を開けたままである。当然文は被弾し、吹っ飛んだ。薄れゆく意識の中、文が最後に見たのは、灰色の空に小さく映る椛の姿だった。
03.
「――それで、現在に至る、と」
「ええ」
つまる所、単に喧嘩に負けただけじゃないのか。ふ抜けにも程がある。
その文はと言うと、今は隣の部屋で寝ている。厄神様の話の最中もぐずぐずとうるさかったので退場して貰った。今なら勝てる気がするが、それは卑怯な気がする上に、もしそんな事をしたら呪い殺されそうなので辞めた。
「それにしても。椛。椛ねー」
「どうかしたの?」
「ん。や、実は昨日その椛に会ってるんだよねー。なんか風邪引いたとかで、お見舞いに行ったのよー。まぁ二番手だったみたいだけどー」
私が見舞いに行った時には、既にテーブルの上に誰かが持ってきたんだろうフルーツバスケットが置かれていた。ご丁寧にも袋に包まれたまま。包装を取ろうとすると凄い勢いで止められたから、ひょっとすると椛にも良い人が居るのかもしれないね。
「ああ、確か河童のにとりと仲が良いから。多分彼女じゃないかしら」
河童が胡瓜以外の見舞い品とな。とは言え、それはそうか。よもや風邪を引いた時にあんな栄養の無いものを渡されても困る。
「それにしても分かんないなぁ。ああまで凹む事は無いでしょ」
「実はね、私も文にその話を聞いてびっくりしたの」
「え、なんで?」
「だって、私の知ってる椛は、少なくともスペルカードなんて持って無かったから」
「……え?」
「持ってなかったのか使ってこなかったのかは分からないけど、とにかく椛が人前でスペルカードを取り出したのは、それが初めてなの。だから文は落ち込んでるのよ。“スペルカードを作ってまで私を攻撃した、皆やっぱり私が嫌いなんだ”って」
半分は自業自得の様な気がするけれど、そんな事をいったら多分私の命は無い。
「しかもその後、ここに帰ってくるまでの間に雨が降り始めていてね。玄関の外で倒れてたから風邪を引いちゃって。余計ナーバスになってるみたい」
「ふうむ」
……ん。んん? 今何かが、頭の隅に引っ掛かった。
今何か大切なヒントを貰った気がする。
「雛さん、聞きたいんだけど。雛さんが外で倒れてる文に気付いたのはなんで?」
「え、なんでって……ええと、そう、呼び鈴が鳴ったのよ」
「雛さんが外に出た時、文以外に誰か居た?」
「いいえ、居なかったけど……」
「そっか。……文!」
私の声に、文がびくっと反応する。親に悪戯が見つかった子供じゃあるまいに。
「な、なに……?」
「呼び鈴を押したのは文?」
「ううん、違う。私じゃない」
「じゃあ、誰が押したの?」
「分からないよぉ」
何だか幼児退行してないか。毛布で鼻を啜るのはどうかと思うけど、洗うのは私じゃないから放っておく。
「わ、私は弾幕を受けて、それで気を失っちゃったから。だから、分からない」
「そっか。じゃあ、もう一つだけ。文が気絶する直前って、雨降ってた?」
数秒の間があってから、文はゆっくりと首を横に振った。
「ううん、降ってなかった」
「そっか。有難う、もう良いよ。おやすみ」
「ぐずっ、うん」
繋がった。多分は、そう言うことだろう。しかしあれだ、私の想像通りだとすると、二人は相当な間抜けと言う事になる。
別に私がどうこうする義理は無いけれど、やはりライバルのふ抜けている姿は見たくない。こんなんじゃあ、私だって新聞を書く気にはなれないのだ。
「雛さん、ちょっと出掛けてくる。また来ても良い?」
「ええ、待ってるわ」
思わず返した踵を止めてしまった。半分だけ振り返ると、何と言うか、本当に柔らかい笑顔だ。何もかもお見通しらしい。文には勿体無い程の出来た人だ。人じゃないけど。
「文」
「は、はい」
びしっ、と、文に向かって人差し指を伸ばす。
「三十分。三十分で戻ってくるから、そのぐじゅぐじゅの顔を良く拭いておいてね!」
「え?」
返事を聞かず、再び私は背を向けた。今度は雛さんの顔も見ず。
玄関で靴を履き、一つ深呼吸をする。知らない場所に行くと言うのは、例えこの狭い幻想郷でさえ、今まで引きこもっていた私には躊躇を覚える。けれどそんな事に構ってはいられない。私の知っている射命丸文を取り戻す為に、飛ばなくちゃならないのだ。
意を決し扉を開ける。昨日と同じく灰色の空に向かって、私は翼を広げた。
04.
私以外誰も居ない部屋に、私の吐いた溜息が広がった。
今日も空は憂鬱そうに暗い。それも相まってか、より一層私の心は深く沈んでいった。
目を瞑れば、すぐに昨日の事が頭をよぎる。
いつもそうだ。あの人はいつも取り繕う様に私と会話をする。言葉を選びながら、まるで地雷原を歩くかのような、そんな喋り方だ。他の人と話す時はそんな事は無い。私の時だけだ。それが癪に障って、だから辛辣に当たってしまう。ついつい言葉に棘を含ませてしまうのだ。本当は、それが原因だと、分かっているのに。
重い頭を軽く振る。昨日、「あんな事」をした所為で体調を崩してしまった。幸い今日は非番なので、このままゆっくり休んでいよう。そう思い、テーブルに視線を移した。そこにはバスケットが置かれており、中には数種類の果物が入っていて、その上に白い布が被さっている。更にそれは紙袋の中に入っており、傍目には何が入っているか分からない。けれど私はそれではなく、コップに手を滑らせる。透明なはずの水面に、何かが浮かんで見えた。それはあの人の顔なのか、それとも今の私の表情なのかはわからなかったが、きっとどちらも似たような顔をしているに違いない。一分ほどそれを眺めて、風邪薬と共にそれを飲み干した。薬の包み紙をゴミ箱に捨てる時、二枚のスペルカードがちらりと見えた。一瞬だけ躊躇いを覚えたものの、それらを拾う気にはならない。もうあれは必要の無いものだ。
最初で最後の、スペルカード。たった数秒間のスペルカード。
たったアレだけの為に、私はどれ程の時間を掛けたのだろう。数える気にもならなかったが、少なくとも、一人の心を傷つける程度の物にはなったらしい。
そんなつもりでは、なかったのに。
私がスペルカードを作ったのには、もっと別の理由があるのに――
「椛、いる?」
と、その時。ドアを叩く音と、声がした。
どきりとしたけれど、あの人の声ではなかった。
どうしようか。このまま、居留守でも使おうか。今は誰かと話をする気にはなれない。
「あんたが素直じゃないから、今文が苦しんでる。出てきて少し話を聞いてよ」
あの人の名前を聞いて、思わず私は立ち上がった。その拍子に、音を立ててコップが倒れた。床に落ちる前に慌ててそれを拾ったものの、音は聞こえてしまったらしい。扉の向こうで声が続けて聞こえた。
「……あんたが素直じゃない上に、文はあんたの本当の気持ちに気付いてない。このままじゃ、二人とも無駄に傷つくだけだと思うんだ」
カチャリ、と。玄関の鍵を開けた。つい先日も見舞いに来てくれたと言うのに、再び何の用だろうか。
ちらりと彼女が部屋の中に目をやった。ここからだと、昨日彼女が見舞いに来た時のまま、バスケットが置かれているのが見える。片付けて置くべきだったか。
「……本当、素直じゃないんだから。あれ、文にあげる奴でしょ?」
一晩で彼女に何があったのだろうか。昨日は意にも止めなかったそれの真意に気付くなんて。何故気付いたのか、そう私が問うよりも早く、彼女が素早く身体を滑りこませた。止めようとする間もなく、ずかずかと家に入り込む。
「ちょ、ちょっと。困りますよ。私が風邪を引いている事は知っているでしょう」
「知ってるよ。だってあんたが文を雛さんの所まで運んだんだから」
「……っ」
「弾幕を受けて気絶する時に雨は降ってなかったって、文は言ってた。そこでそそくさと帰ってたら、あんたは雨になんて濡れてない。でしょ?」
返す言葉を探したものの、見つからなかった。唯一つ思うのは、どうせだったら彼女ではなく、あの人に気付いて欲しかった――そう思うのは、エゴなのだろうか。
「あんたが文を雛さんの所に運ぶ最中に、雨は降ってきた。呼び鈴を押してそこで帰ったのはなんで?」
「……」
「まぁ、良いや。そこまで聞く義理は無いしね。でも、改めて会いに行く事は出来るでしょう?」
「どの面を下げて、会いに行けって言うんですか」
「知らないよ。私には関係ない」
「無責任な」
「じゃあ言葉にするのが面倒ならさ、弾幕でも撃てば良いじゃん。あの、わざわざ文の為に作ったスペルカードでさ」
「!」
思わず心臓が跳ねた。それだけは気付かれたくなかったのに。
「あんたが最近文と別行動を取ってるのは、その為だったんでしょ? 新聞大会があるのはあんたも知ってた。でも文の評判はすこぶる悪い。このまま普通に新聞を出しても、優勝はおろかランキングにすら載らない」
「もう良いです」
「でもあんたはそんな世間の文に対する評価が嫌だった。文も今回は張り切っていろんな人に取材をしてた。内容は知っての通り、弾幕の写真を撮る事。でも誰も文の取材に応じない。そこであんたは考えた。協力しよう、文に自分の弾幕を撮らせよう、って」
「もう良いです!」
バン、と、テーブルを強く叩く。その拍子にコップが床に落ち、割れた。
それでもはたてさんは続ける。床の破片を一つ一つ拾いながら、続ける。
「でも一つ誤算があった。あんたはスペルカードを持ってない。唯の通常弾幕じゃ、どんなに文の腕が良くても他の新聞には勝てない。だからあんたは必死になってスペルカードを創った。文の誘いを断って、仕事の後も、休日も」
あの人の顔が頭をよぎる。私が誘いを断った時の、あの人の寂しそうな顔が。
けれどあの人は何も言わないのだ。部下の私に遠慮して、どうしてか文句の一つの言わないのだ。だから私も意地になって、あの人を遠ざけようとしてしまった。
「今、文凄い泣いてるよ。もう鬱陶しくなるくらい。あんたに嫌われた、新聞記者辞める、って。どうにかしてやってよ」
「……あの人は何時だって鬱陶しいですよ」
「うん、そう。あいつは確かに鬱陶しい。自信家な癖に弱虫で、口が悪い割に繊細すぎる。でもあんたは、それでも文が上司でいて欲しいんでしょ?」
「可笑しいですかね、そんなの」
「全然。だってここは、幻想郷だもん」
強がっているけれど、本当は笑えるくらい泣き虫で、その癖はっとする程綺麗で、嫌味に見えるほど丁寧で、いつも澄ました顔をしていて、それで――
「不思議なんです、あの人は。嫌いなはずなのに、どうしてかついていきたくなるんです」
「そうだね。そうかも知れない」
「……これ、内緒にしてくださいよ」
「おお、ようやく表情が出てきた。顔赤いよ?」
「風邪のせいです!」
「へー。ほー。ふーん。まぁ良いけどー」
にやにやと嫌らしい笑みを浮かべながら、彼女が踵を返した。
「外で待ってるから、着替えなよ。その見舞いを持ってさ」
そう言うと、彼女が玄関の扉を閉めた。たった数分の会話だったのにも拘らず、何故だかどっと疲れが押し寄せる。と同時に、体中の熱が頬に集まる錯覚に陥った。ゴミ箱に目を落す。そこには幾つかのゴミと一緒に、くしゃくしゃに丸められた二枚の紙があった。
(もう使うつもりは無いと思ってたけど)
仕方なく、それを拾う。あの人の為に作った、スペルカード。手で伸ばして見るも、一度出来た皺は消えてくれなかった。けれど、なんだかその方がしっくり手に収まる気がしてならない。
(不器用で不恰好。まるで私そのものだ)
だからかもしれない。
「まだー?」
「今行きますよ」
扉の向こうで彼女が急かす。スペルカードをポケットにしまう。
きっと今度は避けられるだろうけれど。きっとあの人に力にはなれないだろうけれど。それでも全力で、あの人に弾幕をぶつけてみようと思う。言葉にしようとすると、どうにも上手くいかないのだから。
玄関の扉を開ける。灰色の空の中に、ほんの僅かに光が見えた。明日か、早ければ今日の夜には空はいつもの色を取り戻すだろう。それより早く、私の思いをあの人に告げようと思う。
(まずは何から入ろうか。ごめんなさい、かな。大丈夫ですか、かな)
空を縫う様に進んでいく。わたしよりほんの少し先を飛ぶはたてさんの翼に、あの人を見た。
(そう言えば私、あの人の前で笑ったこと無いな)
両手で抱えたバスケットから、甘い香りがする。それをすっと一息吸って、空に吐いた。すると何故だろう、途端に気分が軽くなった。
(あーあ。考えるのやめた! 思い切り馬鹿にしてやろう!)
言いたい事を言えば良い。言いたい事を言って欲しい。きっと多分、それだけの事に違いない。
あの人の家が見える。と、玄関の外に、二つの影が見えた。あの人と、雛さんだ。どうしようかと少し悩んで、私はくんとスピードを上げた。隣に並んだはたてさんに向かって、バスケットを投げる。
「うわ、ちょっと!」
驚くもはたてさんはちゃんとバスケットを受け取ってくれた。流石は天狗か。そしてポケットからスペルカードを二枚取り出す。するとはたてさんは私の考えを掴んでくれたのか、すぐににやりと笑った。
「良いじゃん、悪くないよ!」
その言葉に押されて、私は直角に飛ぶ角度を変え、高く上空へと舞い上がった。そして地上の二人にも見える様にスペルカードを空に翳した。遅れて数秒、雛さんがあの人の肩を叩く。するとそれを確認して、あの人もまたスペルカードを取り出した。
(さて、あの人の本気か。どの位持つことやら)
五分、いや三分持てば良いほうか。まぁ、たまにはこう言うのも、悪くない。
あの人が地面を蹴る。と同時に、私は地上へと急降下する。どうせ勝てないなら、思い切りぶつかったほうがいいだろう。
幻想郷、妖怪の山。灰色の空の中、高らかにスペルカード発動の声が二つ同時に響き渡った。
「わだぢ、じんぶんぎじゃやべる」
私、新聞記者辞める――恐らく彼女、射命丸文はそう言ったのだろう。
この日は、近く開かれる天狗の新聞大会に向けて、私こと姫海棠はたての最大のライバルである彼女の様子を見に来たところだった。
幻想郷に住まう天狗の多くは独自の新聞を書くらしく、私や文もその例に漏れず、まぁさして売れもしない新聞を飽きずにせっせと書いているわけだ。
彼女の書く新聞の名前は「文々。新聞」と言う。恐らくは彼女自身の名前である「文」と引っ掛けているのだろう。洒落の効いている、面白そうで、かつ可愛らしいタイトルだ。
可愛らしいのはタイトルだけではなく、普段の小憎たらしい性格とはかけ離れた様な文体もそうだと言える。酷く癖のある、丸っこい字をせっせとテーブルに向かって書いている後ろ姿は、中々に微笑ましい。
これだけ書くと、まるで私が文に好意を持っている様に見えるが、それは断じて違う。私と文は同じ天狗、そして新聞記者と言う接点の多いライバルなのだ。
だから彼女の事は良く知っている。
例えば、人の神経を逆撫でする程度の才能。本人は営業スマイルを絶やさないから余計性質が悪い。
その癖、責められると割と弱い程度の中身。あいつの心はティッシュペーパー並の防御力しかない。
加えて、山の麓で厄神様をする程度の恋人。私には出逢いすら無いと言うのに今や一つ屋根の下だ。
因みに、部下は文を毛嫌いする程度の白狼。二人の会話が五分以上続いた場面を私は見た事が無い。
まぁ、纏めて言うと、自信家な癖に打たれ弱い、現在恋人と二人暮らしの部下に頭が上がらない烏天狗。それが射命丸文だった。
対して私はどうかと言うと、これが文以上に駄目なやつなのだ。「念写をする程度の能力」なんて言う能力を手にした所為で、外に出ずとも写真が撮れる。その為年中家に引き篭もってばかり。おかげで此処数十年、まともに会話をしたのは文かその部下かその恋人くらいだ。
しかもこれが万能の能力ならいざ知らず、中途半端に使いづらい能力で、人が撮った事のある写真しか撮れない。つまり私の写真や記事は常に二番煎じ。新鮮さが売りの新聞で、これは致命的な欠点だった。
これはどうにかしないといけない。この先新聞記者として名を馳せるには、やはり外に出なくちゃならない。そこで私はようやく危機感と言う物を感じたのだ。
とは言え、私に知り合いなんて者は片手で数えられる程度しか居ない。ましてや新聞の相談なんて出来るのは、文しか居ない。相談なんて癪だからしたくないけれど、減らず口を叩きあえればそれで良い。そう思ったのだ。
ところが、そんな私の出鼻を挫く様に(因みに言うが、天狗だからと言って私や文の鼻は決して高くない。普通の少女の、まぁ、小さい鼻だ)、文がそう言ったのだ。
泣きべそをかきながら顔を伏せる文を見て、思わず私はぽかんと口を開けっぱなしにしていた。
理由を聞こうにも、文は近くに座る厄神様の膝に顔をうずめていて話にならない。決して羨ましくはない。決して。
とは言え、このままでは埒が空かない。仕方なく、私は文の頭を優しく撫でる厄神様に話を聞く事にした。
「実は――」
02.
遡る事数日前。近く天狗同士の間で開かれる新聞大会に使うネタを探していた文は、色々な人物に取材をする。皆も知っての事だけれど、文もはたても新聞大会で上位に入るどころか、ランキングにすら乗る事がない。
普段だったら別に順位など気にしない文だったが、今年は違う。今までとは違って、今の文には厄神様と言う恋人が居る。その恋人の前で、ランキングにすら載らないと言う、みっともない真似は出来ないのだ。その為今年の文は良く動いた。
文の書く新聞といえば、幻想郷で起きた異変についてが主である。天狗の足もさることながら、弾幕勝負でも屈指の実力を持つ文は、その勝負の最中に相手の弾幕を写真で撮る事が多い。緊張感と鮮やかな色の弾幕で出来る風景が文のお気に入りで、そう言う写真が撮れたときには、その写真を元に新聞を描くことが時折ある。ある事無い事を何でも描く文の新聞は、普段はあまり売れないものの、弾幕の写真が載った時にはちょっぴり売り上げが増すのだ。
その為、今回の新聞大会では、弾幕特集を組もう――そう思っていた文だったものの、その当てが大きく外れる事になる。
何が誤算だったかと言うと、これはひとえに手帳を開いた時の文が皆に嫌われて居る事につきる。普段はそうでもないのだが、手帳を開いた時、いわゆる新聞記者としての顔を見せた時の文は、皆に避けられる。何せある事無い事書くのが文の新聞だ。下手に取材に答えようなら、どんな解釈をされて記事にされるか分からない。だから文が手帳を開いた時は速やかに逃げろ、と言うのが幻想郷での暗黙の了解だった。
ところが文からすればそんな事情、知りもしない。皆そこまでして私の取材が嫌なのか――そう思うだけである。ティッシュペーパー並の防御力しかない文の心は、早くも半分ハートブレイクしかけていた。
しかもそこに丁度椛を発見したのが運のつきだった。ここで少し凹みながら家に帰って居れば、まだ立ち直れていたかも知れない。最もその頃雛は厄神様として仕事をしていたので、家には居なかったけれど。
ともかく、椛なら取材に応じてくれるはず。そう思って声を掛けたのが間違いだったのだ。
犬走椛。上司と部下とはいえ、烏天狗と白狼天狗と言う違いかあるいはそれ以外に何か理由が在るのか、とにかく二人は仲が悪かった。というよりも、寧ろ、椛が一方的に文を敵視しているらしく、ことある毎に文に毒を吐くのが癖である。繰り返すようだが文は脆い。その為笑顔を顔に貼り付けながら、心ではしくしく泣いている事が多い。それでも文が椛に話しかけるのは、友人の少ない文にとって、仕事中の話し相手が他に居ないと言う事だ。だから嫌われない様に必死になっているのである。
「最近仕事終わって一緒に帰ってくれないですね。偶にはお酒でも飲みに行きません?」
「文さんみたいに暇じゃないんで」
「休日も?」
「はっ、休日。自慢ですか?」
いつも通りの会話である。必死に取り繕う文に対して、椛は退屈そうに刀を眺めながら話す。その為二人の視線が交わる事は無い。
「いえ、そう言う訳では。ところで椛、ちょっと頼みがあるんですけど、良いですか?」
「出来れば嫌なんですけどね。なんですか」
「ちょっと椛に取材をしたくて」
「はぁ? 私に? 何の嫌がらせですか?」
「別にそう邪険にしなくても。新聞大会が近い事は貴女も知っているでしょう」
「そりゃまぁ……ああ、成程。手近な所でいつもみたいにでっち上げるんですね」
反論しようとした文よりも早く椛がぐっと足に力を入れて、上空に舞った。曇天の空を背に、椛が懐に手を忍ばせて、何かを取り出した。スペルカードである。
「せっかくだから、これでも写真に撮って下さいよ! それで出来れば帰ってください!」
そう叫びながら、椛が弾幕を放った。いきなりスペルカードを発動させるのは、通常ならば認められていない事なのだけれど、ある程度距離も離れているし、文にとっては初見とはいえど、そこまで密度は濃くもない。巫女や白黒なら、きっと寝起きでも避けるだろう、その程度の弾幕である。
しかし文は身動き一つ取らなかった。ぽかんと口を開けたままである。当然文は被弾し、吹っ飛んだ。薄れゆく意識の中、文が最後に見たのは、灰色の空に小さく映る椛の姿だった。
03.
「――それで、現在に至る、と」
「ええ」
つまる所、単に喧嘩に負けただけじゃないのか。ふ抜けにも程がある。
その文はと言うと、今は隣の部屋で寝ている。厄神様の話の最中もぐずぐずとうるさかったので退場して貰った。今なら勝てる気がするが、それは卑怯な気がする上に、もしそんな事をしたら呪い殺されそうなので辞めた。
「それにしても。椛。椛ねー」
「どうかしたの?」
「ん。や、実は昨日その椛に会ってるんだよねー。なんか風邪引いたとかで、お見舞いに行ったのよー。まぁ二番手だったみたいだけどー」
私が見舞いに行った時には、既にテーブルの上に誰かが持ってきたんだろうフルーツバスケットが置かれていた。ご丁寧にも袋に包まれたまま。包装を取ろうとすると凄い勢いで止められたから、ひょっとすると椛にも良い人が居るのかもしれないね。
「ああ、確か河童のにとりと仲が良いから。多分彼女じゃないかしら」
河童が胡瓜以外の見舞い品とな。とは言え、それはそうか。よもや風邪を引いた時にあんな栄養の無いものを渡されても困る。
「それにしても分かんないなぁ。ああまで凹む事は無いでしょ」
「実はね、私も文にその話を聞いてびっくりしたの」
「え、なんで?」
「だって、私の知ってる椛は、少なくともスペルカードなんて持って無かったから」
「……え?」
「持ってなかったのか使ってこなかったのかは分からないけど、とにかく椛が人前でスペルカードを取り出したのは、それが初めてなの。だから文は落ち込んでるのよ。“スペルカードを作ってまで私を攻撃した、皆やっぱり私が嫌いなんだ”って」
半分は自業自得の様な気がするけれど、そんな事をいったら多分私の命は無い。
「しかもその後、ここに帰ってくるまでの間に雨が降り始めていてね。玄関の外で倒れてたから風邪を引いちゃって。余計ナーバスになってるみたい」
「ふうむ」
……ん。んん? 今何かが、頭の隅に引っ掛かった。
今何か大切なヒントを貰った気がする。
「雛さん、聞きたいんだけど。雛さんが外で倒れてる文に気付いたのはなんで?」
「え、なんでって……ええと、そう、呼び鈴が鳴ったのよ」
「雛さんが外に出た時、文以外に誰か居た?」
「いいえ、居なかったけど……」
「そっか。……文!」
私の声に、文がびくっと反応する。親に悪戯が見つかった子供じゃあるまいに。
「な、なに……?」
「呼び鈴を押したのは文?」
「ううん、違う。私じゃない」
「じゃあ、誰が押したの?」
「分からないよぉ」
何だか幼児退行してないか。毛布で鼻を啜るのはどうかと思うけど、洗うのは私じゃないから放っておく。
「わ、私は弾幕を受けて、それで気を失っちゃったから。だから、分からない」
「そっか。じゃあ、もう一つだけ。文が気絶する直前って、雨降ってた?」
数秒の間があってから、文はゆっくりと首を横に振った。
「ううん、降ってなかった」
「そっか。有難う、もう良いよ。おやすみ」
「ぐずっ、うん」
繋がった。多分は、そう言うことだろう。しかしあれだ、私の想像通りだとすると、二人は相当な間抜けと言う事になる。
別に私がどうこうする義理は無いけれど、やはりライバルのふ抜けている姿は見たくない。こんなんじゃあ、私だって新聞を書く気にはなれないのだ。
「雛さん、ちょっと出掛けてくる。また来ても良い?」
「ええ、待ってるわ」
思わず返した踵を止めてしまった。半分だけ振り返ると、何と言うか、本当に柔らかい笑顔だ。何もかもお見通しらしい。文には勿体無い程の出来た人だ。人じゃないけど。
「文」
「は、はい」
びしっ、と、文に向かって人差し指を伸ばす。
「三十分。三十分で戻ってくるから、そのぐじゅぐじゅの顔を良く拭いておいてね!」
「え?」
返事を聞かず、再び私は背を向けた。今度は雛さんの顔も見ず。
玄関で靴を履き、一つ深呼吸をする。知らない場所に行くと言うのは、例えこの狭い幻想郷でさえ、今まで引きこもっていた私には躊躇を覚える。けれどそんな事に構ってはいられない。私の知っている射命丸文を取り戻す為に、飛ばなくちゃならないのだ。
意を決し扉を開ける。昨日と同じく灰色の空に向かって、私は翼を広げた。
04.
私以外誰も居ない部屋に、私の吐いた溜息が広がった。
今日も空は憂鬱そうに暗い。それも相まってか、より一層私の心は深く沈んでいった。
目を瞑れば、すぐに昨日の事が頭をよぎる。
いつもそうだ。あの人はいつも取り繕う様に私と会話をする。言葉を選びながら、まるで地雷原を歩くかのような、そんな喋り方だ。他の人と話す時はそんな事は無い。私の時だけだ。それが癪に障って、だから辛辣に当たってしまう。ついつい言葉に棘を含ませてしまうのだ。本当は、それが原因だと、分かっているのに。
重い頭を軽く振る。昨日、「あんな事」をした所為で体調を崩してしまった。幸い今日は非番なので、このままゆっくり休んでいよう。そう思い、テーブルに視線を移した。そこにはバスケットが置かれており、中には数種類の果物が入っていて、その上に白い布が被さっている。更にそれは紙袋の中に入っており、傍目には何が入っているか分からない。けれど私はそれではなく、コップに手を滑らせる。透明なはずの水面に、何かが浮かんで見えた。それはあの人の顔なのか、それとも今の私の表情なのかはわからなかったが、きっとどちらも似たような顔をしているに違いない。一分ほどそれを眺めて、風邪薬と共にそれを飲み干した。薬の包み紙をゴミ箱に捨てる時、二枚のスペルカードがちらりと見えた。一瞬だけ躊躇いを覚えたものの、それらを拾う気にはならない。もうあれは必要の無いものだ。
最初で最後の、スペルカード。たった数秒間のスペルカード。
たったアレだけの為に、私はどれ程の時間を掛けたのだろう。数える気にもならなかったが、少なくとも、一人の心を傷つける程度の物にはなったらしい。
そんなつもりでは、なかったのに。
私がスペルカードを作ったのには、もっと別の理由があるのに――
「椛、いる?」
と、その時。ドアを叩く音と、声がした。
どきりとしたけれど、あの人の声ではなかった。
どうしようか。このまま、居留守でも使おうか。今は誰かと話をする気にはなれない。
「あんたが素直じゃないから、今文が苦しんでる。出てきて少し話を聞いてよ」
あの人の名前を聞いて、思わず私は立ち上がった。その拍子に、音を立ててコップが倒れた。床に落ちる前に慌ててそれを拾ったものの、音は聞こえてしまったらしい。扉の向こうで声が続けて聞こえた。
「……あんたが素直じゃない上に、文はあんたの本当の気持ちに気付いてない。このままじゃ、二人とも無駄に傷つくだけだと思うんだ」
カチャリ、と。玄関の鍵を開けた。つい先日も見舞いに来てくれたと言うのに、再び何の用だろうか。
ちらりと彼女が部屋の中に目をやった。ここからだと、昨日彼女が見舞いに来た時のまま、バスケットが置かれているのが見える。片付けて置くべきだったか。
「……本当、素直じゃないんだから。あれ、文にあげる奴でしょ?」
一晩で彼女に何があったのだろうか。昨日は意にも止めなかったそれの真意に気付くなんて。何故気付いたのか、そう私が問うよりも早く、彼女が素早く身体を滑りこませた。止めようとする間もなく、ずかずかと家に入り込む。
「ちょ、ちょっと。困りますよ。私が風邪を引いている事は知っているでしょう」
「知ってるよ。だってあんたが文を雛さんの所まで運んだんだから」
「……っ」
「弾幕を受けて気絶する時に雨は降ってなかったって、文は言ってた。そこでそそくさと帰ってたら、あんたは雨になんて濡れてない。でしょ?」
返す言葉を探したものの、見つからなかった。唯一つ思うのは、どうせだったら彼女ではなく、あの人に気付いて欲しかった――そう思うのは、エゴなのだろうか。
「あんたが文を雛さんの所に運ぶ最中に、雨は降ってきた。呼び鈴を押してそこで帰ったのはなんで?」
「……」
「まぁ、良いや。そこまで聞く義理は無いしね。でも、改めて会いに行く事は出来るでしょう?」
「どの面を下げて、会いに行けって言うんですか」
「知らないよ。私には関係ない」
「無責任な」
「じゃあ言葉にするのが面倒ならさ、弾幕でも撃てば良いじゃん。あの、わざわざ文の為に作ったスペルカードでさ」
「!」
思わず心臓が跳ねた。それだけは気付かれたくなかったのに。
「あんたが最近文と別行動を取ってるのは、その為だったんでしょ? 新聞大会があるのはあんたも知ってた。でも文の評判はすこぶる悪い。このまま普通に新聞を出しても、優勝はおろかランキングにすら載らない」
「もう良いです」
「でもあんたはそんな世間の文に対する評価が嫌だった。文も今回は張り切っていろんな人に取材をしてた。内容は知っての通り、弾幕の写真を撮る事。でも誰も文の取材に応じない。そこであんたは考えた。協力しよう、文に自分の弾幕を撮らせよう、って」
「もう良いです!」
バン、と、テーブルを強く叩く。その拍子にコップが床に落ち、割れた。
それでもはたてさんは続ける。床の破片を一つ一つ拾いながら、続ける。
「でも一つ誤算があった。あんたはスペルカードを持ってない。唯の通常弾幕じゃ、どんなに文の腕が良くても他の新聞には勝てない。だからあんたは必死になってスペルカードを創った。文の誘いを断って、仕事の後も、休日も」
あの人の顔が頭をよぎる。私が誘いを断った時の、あの人の寂しそうな顔が。
けれどあの人は何も言わないのだ。部下の私に遠慮して、どうしてか文句の一つの言わないのだ。だから私も意地になって、あの人を遠ざけようとしてしまった。
「今、文凄い泣いてるよ。もう鬱陶しくなるくらい。あんたに嫌われた、新聞記者辞める、って。どうにかしてやってよ」
「……あの人は何時だって鬱陶しいですよ」
「うん、そう。あいつは確かに鬱陶しい。自信家な癖に弱虫で、口が悪い割に繊細すぎる。でもあんたは、それでも文が上司でいて欲しいんでしょ?」
「可笑しいですかね、そんなの」
「全然。だってここは、幻想郷だもん」
強がっているけれど、本当は笑えるくらい泣き虫で、その癖はっとする程綺麗で、嫌味に見えるほど丁寧で、いつも澄ました顔をしていて、それで――
「不思議なんです、あの人は。嫌いなはずなのに、どうしてかついていきたくなるんです」
「そうだね。そうかも知れない」
「……これ、内緒にしてくださいよ」
「おお、ようやく表情が出てきた。顔赤いよ?」
「風邪のせいです!」
「へー。ほー。ふーん。まぁ良いけどー」
にやにやと嫌らしい笑みを浮かべながら、彼女が踵を返した。
「外で待ってるから、着替えなよ。その見舞いを持ってさ」
そう言うと、彼女が玄関の扉を閉めた。たった数分の会話だったのにも拘らず、何故だかどっと疲れが押し寄せる。と同時に、体中の熱が頬に集まる錯覚に陥った。ゴミ箱に目を落す。そこには幾つかのゴミと一緒に、くしゃくしゃに丸められた二枚の紙があった。
(もう使うつもりは無いと思ってたけど)
仕方なく、それを拾う。あの人の為に作った、スペルカード。手で伸ばして見るも、一度出来た皺は消えてくれなかった。けれど、なんだかその方がしっくり手に収まる気がしてならない。
(不器用で不恰好。まるで私そのものだ)
だからかもしれない。
「まだー?」
「今行きますよ」
扉の向こうで彼女が急かす。スペルカードをポケットにしまう。
きっと今度は避けられるだろうけれど。きっとあの人に力にはなれないだろうけれど。それでも全力で、あの人に弾幕をぶつけてみようと思う。言葉にしようとすると、どうにも上手くいかないのだから。
玄関の扉を開ける。灰色の空の中に、ほんの僅かに光が見えた。明日か、早ければ今日の夜には空はいつもの色を取り戻すだろう。それより早く、私の思いをあの人に告げようと思う。
(まずは何から入ろうか。ごめんなさい、かな。大丈夫ですか、かな)
空を縫う様に進んでいく。わたしよりほんの少し先を飛ぶはたてさんの翼に、あの人を見た。
(そう言えば私、あの人の前で笑ったこと無いな)
両手で抱えたバスケットから、甘い香りがする。それをすっと一息吸って、空に吐いた。すると何故だろう、途端に気分が軽くなった。
(あーあ。考えるのやめた! 思い切り馬鹿にしてやろう!)
言いたい事を言えば良い。言いたい事を言って欲しい。きっと多分、それだけの事に違いない。
あの人の家が見える。と、玄関の外に、二つの影が見えた。あの人と、雛さんだ。どうしようかと少し悩んで、私はくんとスピードを上げた。隣に並んだはたてさんに向かって、バスケットを投げる。
「うわ、ちょっと!」
驚くもはたてさんはちゃんとバスケットを受け取ってくれた。流石は天狗か。そしてポケットからスペルカードを二枚取り出す。するとはたてさんは私の考えを掴んでくれたのか、すぐににやりと笑った。
「良いじゃん、悪くないよ!」
その言葉に押されて、私は直角に飛ぶ角度を変え、高く上空へと舞い上がった。そして地上の二人にも見える様にスペルカードを空に翳した。遅れて数秒、雛さんがあの人の肩を叩く。するとそれを確認して、あの人もまたスペルカードを取り出した。
(さて、あの人の本気か。どの位持つことやら)
五分、いや三分持てば良いほうか。まぁ、たまにはこう言うのも、悪くない。
あの人が地面を蹴る。と同時に、私は地上へと急降下する。どうせ勝てないなら、思い切りぶつかったほうがいいだろう。
幻想郷、妖怪の山。灰色の空の中、高らかにスペルカード発動の声が二つ同時に響き渡った。
雛好きとしては出てくるだけでもテンションあがるのに、そのポジション美味しいです。
ありがとうございます。
これだけ目を覚まさせてくれた作品は久しぶりです。
本当にありがとう。
面白かったです。
キーボードでもコンプできる!
異論?ありませんが何か??
何が言いたいかというと、もみじおいしいです(ぇ
DS版あやもみ参考になりました
でも、そのスペルはキーボードのほうが楽だよね。
はたてが脇役なのかメインなのか半端になってしまったのが惜しい気がする。
この雛さんは厄ではなく幸せを引き寄せている。間違いなく。