草木も眠る丑三つ時よりもさらに遅い夜。シンと静まり返る大図書館に、微かに灯る蝋燭の火があった。
小さい三本の蝋燭の灯りに照らされたパチュリー・ノーレッジの顔がじっ、とテーブルの上を見つめている。奥には乱雑に詰まれた本と、ほんの雫程度に紅茶が残ったティーカップ。そして手前に置いてある小さな小瓶。その小瓶に魔女の視線は注がれていた。
きつく蓋の閉められた小瓶の中身は、濁ったピンク色の液体で満たされている。底の方から浮かび上がるいくつもの気泡が浮んでは消えてを、もう三時間程も繰り返していた。
それからさらに一時間、パチュリーは小瓶の中身を見つめていく、そしてとうとう気泡が小さく、少なくなった時。やおら腕をあげると人差し指を立てて真上に上げた。
卵の殻を縦に割ったような形の天窓の蓋がそろそろと音も無く開いていく。広がるように差し込んだ満月の光りがさぁっとテーブルとパチュリーを照らした。
淡い月光を浴びた小瓶の液体がぐるぐると渦巻き始めた、パチュリーが眉をひそめ、真剣な表情でそれを覗き込む。
すると突然ピンク色の液体が月と同じ色に。かと思うと今度は薄紅色に。そして輝くようなアイスブルーへと目まぐるしく色を変え始めた。
パチュリーはいよいよもって確信し、舌で唇をしめらせた。液体は色を繰り返し変えていき、五回繰り返された所で――
「アリス・マーガトロイド」
――と小さくだがはっきりと呟いた。途端色の変化が止まる。小瓶の中の液体は最後に濁りが一切無い無色透明になり、泡末を一つ浮かせたきり何も起こらなくなった。
パチュリーは小瓶を手に取り天井に向けてそれをかざした。
ビンの向こうの天窓の、さらに奥に浮ぶ満月がビンの中で浮かぶように見え、そして滲んで消えていった。
両手でギュっと握り締め小瓶を胸元に抱き、パチュリーはようやく満足げに微笑んだ。
埃を被った魔道書から自分なりにアレンジを加え、長い時間をかけて作った『恋の妙薬が』たった今、完成したのだ。
「パチュリー様、就寝のご用意が出来ました」
闇の中から呼びかける声と共に小悪魔が蝋燭の火に照らし出される、微笑むパチュリーの顔を見て薬の作成が上手く行ったことに小悪魔も微笑み、うやうやしく一礼をした。
「ありがとう小悪魔、ずっと薬が出来るのを見てたけど。もう眠くてたまらないわ」
「お疲れ様です……薬は明日、メイド長へお渡しすればいいのですね」
パチュリーはうなずくとポケットから小さく畳んだ紙を取り出し瓶と一緒に小悪魔に渡した。小悪魔は丁重にそれを受け取るとポケットにしまい、ふらふらと椅子から立ち上がるパチュリーの手を引いて寝室へと連れて行った。
「……上手く行くかしら」
ベッドに横たわるパチュリーがおもむろに呟く。
「大丈夫ですよ、あなたの想いが詰まったこの薬、きっとアリス・マーガトロイドを恋に落としましょう。悪魔の私が保証します」
悪戯っぽく微笑む小悪魔にパチュリーは帽子を渡し、枕に頭を沈めさせた。
柔らかく布に沈んでいく後頭部の感触に眠気が増していく、うつらうつらと目を瞬きさせると小悪魔が顔をのぞきこみ、パチュリーの前髪を優しく撫でた。
「私が恋をしたアリスが、私に恋をしてくれるように……ねぇ小悪魔」
「はい、上手くいくように願っておきますよ」
薄く閉じられていく目を小悪魔に向け、小さく微笑むのを最後に。図書館と同じくらいに静かな寝室にやがて小さな寝息が聞えてきた。
「こんな物を使うより、素直に自分をどう想ってるか聞いた方が早いと思うんだけどなぁ……」
完全に眠ってしまったのを確認してから苦笑いを浮かべ、小悪魔が呟く。
そしてすやすやと眠る主の顔をもう一度覗きそっと頬を撫でてから。音を立てないように気をつけて小悪魔は寝室の入り口を開き、大図書館へと戻っていった。
人を待つという事はこんなにも気が落ち着かないとは思わなかった。
パチュリーは本から目を離し、振り子時計の方へ目をやった。時刻は午後の二時を過ぎたばかりで、アリスが来る時間までにはまだ三十分もある。
そわそわと勝手に体が動く。読み終えた本はもうすぐ十冊目を終えようとしているのに、どの本の内容も頭に入ってこなかった。
こちらに向かっているだろうアリスを思い浮かべる、今頃どこにいるだろう? 霧の湖か。もしかしたらもう門前まで来ていて美鈴と雑談でも交わしているのかもしれない。
午前二時三分。まるで時計の針はその動きを操作されてしまったかのように遅く時を進ませる、パチュリーは本を閉じると、すぐ横にある未読の本に手を伸ばした。
午前二時五分。裏表紙のあらすじに目を通してから表紙に戻して本編へ、出だしの描写をゆっくりと頭に思い浮かべてみる。
午前二時八分。登場人物が揃っていく。
午前二時十二分。物語に事件が起こる……アリスはまだだろうか?
午前二時十八分。突然あらわれた探偵が、主人公を犯人だと決め付けたくだりで、パチュリーはとうとう悶々とする頭を振り、叩くように本を閉じた。
どうしようもなくアリスの事を考えてしまう、もどかしく、悩ましく、ため息にして吐き出し、パチュリーは本を読むのを諦め、時計を眺めて時間の経過を待った。
どうしようもなく時間が遅く感じられる、紅茶を飲み干し、ティーポットからまた注いだ。
午前二時二十七分。あともう少しでアリスが来ると思うと、緊張で心臓が高鳴った。
時計の針が動く音がやけに耳につく。カチ、カチと鳴るのに合わせて心臓も鼓動しているように感じ。
午前二時半。本を置いて入り口に目を向ける。しかし大図書館の扉は閉じたままだった。
「……まぁ、そうよねぇ」
自嘲気味に呟き。背に体重をかけて軽く椅子を浮かす、使い魔じゃあるまいし、時間通りに来る訳がない。
そう思ってみると、そわそわしていた体がすっかり落ち着いていき、本の続きを読もうとした時、キィと小さく擦れる音がした。
大図書館の入り口が開き、来客用のティーポットとカップをトレイに乗せた十六夜咲夜がまず入り、続いてようやく――アリス・マーガトロイドが姿を見せた。
またそわそわとしたくなるのを膝の上で拳を握り、パチュリーはこちらに近づく二人に気づかれないようにずっと本に熱中していた風を装うために置いた本を急いで開いた。
「アリス様がお越しになられました、パチュリー様」
「ご苦労様、後は私がやるわ」
本を置きなおし、軽く一礼する咲夜からトレイを受け取る。
「こんにちはパチュリー」
「こんにちはアリス、来てくれて嬉しいわ」
腰掛けるアリスに微笑み、ティーカップをテーブルに置く、ティーポットを持ちトレイを返すと、咲夜がこっそりとウィンクをした。ポットの中身の紅茶には予定通り恋の妙薬を入れた事の合図を受け取り頷くと咲夜はアリスにも一礼し、トレイを持って大図書館を出て行った。
「少し遅れちゃったわね、ごめんなさい」
「ううん、本を読んでいたから気にして無いわ」
アリスに微笑み、パチュリーはアリスのカップに紅茶を注いだ。ミルクも何も入っていない紅茶の色には紅茶以外の物が入れられた様子は見ただけではわからず。アリスは早速カップを口につけようとして、やおら思い出した様に図書館を見回した。
「そういえばあの娘がいないわね」
「小悪魔なら今日は休みを与えたわ、たまにはゆっくり羽を伸ばさせてあげないと思って」
本当は恋の妙薬を飲んだアリスと自分の事を見られたくないからなのだが。アリスは相槌を打ち、そういえばと呟いた。
「魔理沙もいないのね……」
「ええ、呼んで無いわ、二人で話したくて」
「……そういえば、私とパチュリーがこうして話すのって実は初めてよね」
パチュリーは頷き、自分の紅茶に口をつけた。
アリスの言葉通り、こうして二人きりで話すのは初めての事だった。大抵魔理沙が訪れる時についでについてくるか、魔理沙が無理矢理引っ張り込んで来るから。いつも話す時は魔理沙を挟んだ三人でしかなかった。
パチュリーがアリスに出会った時、自分と似た物静かな女性という印象を持った。
外を出歩く事が少ないパチュリーを見かねたのか、それとも話相手は多い方が良かったのか。手を引っ張られたアリスの呆れたような表情は今でも覚えている。
一方的に話す魔理沙や、話を振られて相槌を打つアリスの口数はとても少なかった。それでもだんだんと回数を重ねる事に自分からも喋るようになり、その頃からだろうか。パチュリーはアリスを気にするようになっていた。
「たまにはいいわね、うるさいのがいなくて落ち着くわ」
カップを置いてアリスが背をのばす、紅茶はまだ口につけておらず、もどかしさを覚えながらパチュリーはそんなアリスをじっ、と見つめた。
アリスが打ち解け、色々な表情を見せてくれる様になってから、パチュリーはアリスに恋に似た感情持ちはじめていた。どうしてそんな気持ちを抱きはじめたのかは今では分からなかった。
気が付けばアリスを見ていた。肩肘を付き、ウェーブがかった綺麗な金の色の髪をいじりながら魔理沙の話に耳を傾け、いつもの様に相槌を打つその声にパチュリーは耳を傾けた。そしてその恋心を確信したのは、ふと彼女が見せた笑顔を見た時だった。
なんて事の無い魔理沙の話しに、しょうがないといった感じの笑顔だったが、パチュリーはアリスが笑った事にとても驚いた。
生きているからには笑うというのは当然だが、不意に見せたその笑顔に心が揺るぎ、そして確信した。
それからも、数える程だが、彼女は魔理沙の話しに笑顔を見せた、パチュリーはその度魔理沙を羨ましく思い、自分にも笑ってほしいと強く思うようになった。
しかしアリスは自分の言葉に笑ってくれる事はなかった、ふと真面目な顔になって意見を返したり、相槌を打ったりするだけだった。
パチュリーは自分が魔理沙のように喋れないからだと思い、尚更魔理沙がアリスを笑顔にさせられる事を羨ましく思った。
口が上手い訳でもなく、それでもアリスに笑って欲しかった、この気持ちを知って欲しかった。
「どうしたの?」
アリスに声をかけられ、パチュリーはハっとしてアリスから顔を逸らした、見つめていた事に恥ずかしさが沸き、悟られないように本で隠した。
「紅茶、飲まないの?」
「あ、うん。いただくわ」
テーブルとカップの擦れる音がする、おそるおそる本から顔を覗かせると、アリスが紅茶を飲み、ふぅと息をついた。
恋の妙薬がアリスの中へと、やがて少しずつ染み入る様にその効果を発揮してくれるだろう。
そしてパチュリーを見て、同じように恋心を抱いてくれれば、きっと自分にも笑いんかけてくれるだろう。
「時々あなたがうらやましくなるわ、美味しい紅茶を煎れられるメイドがいるんだもの」
カップを置きながらアリスが呟く。なら一緒に住んでみない? なんて冗談が浮かんだが変に思われたくないので。
「なんなら、貸してあげようか?」
と返すと、それもいいわねと答え、アリスは手近な本を手に取ると表紙を眺めながらまた紅茶に口をつけた。
気になったのか、アリスはおもむろに本を開き、読み始める。パチュリーも先程読んでいた本を開き、読む振りをしながら適当にページを開き、時折りアリスをちらりと見た。
薬の効果がどう作用するか作り方をアレンジしたせいでわからない、ただその変化が早く現れて欲しいと願い、パチュリーはまたページをめくった、
言葉の変わりに、淡々とお互いの本から紙の擦れる音だけがする。会話は無いが特に気まずい空気になるわけではない。こういうのは魔理沙がいた時にもよくあった。
そんな事よりも、アリスの変化が気になって仕方が無かった。ドキドキと胸を高鳴らせるのだろうか? それとも人が変わった様に愛を囁くようになるのだろうか?
本が期待外れだったのか、読むのを止めたアリスが本を閉じてテーブルに置き、また紅茶を飲む。そして別の本を物色しはじめるが……いつまで経ってもアリスの表情や動作に変化が見られる事は無かった。
まさか失敗したのかと思い、パチュリーは本を読むのを止めて別の本を読み始めたアリスをまじまじと見た。
「……パチュリー? どうかしたの?」
「え? 何でもないわ」
視線に気づいたアリスに、首を横に振る。アリスは怪訝な顔をすると本を置きパチュリーを見つめ返した。
「あなた、なんかいつもと調子が違うわ」
「そうかしら……」
ぎくり、と心臓が跳ね、背中がヒヤリとした。
その反応にアリスが眉を潜める、まずいと思った途端。
「やっぱり違う、何か落ち着きが無いわ……」
じっ、とアリスの目が細くなる。パチュリーは何か話題作ろうと思い、本について話そうとテーブルの上の本を見回し、思わずあっ、と小さく声を上げた。
その声に鋭く反応しアリスがパチュリーの視線を追い、さっと手を伸ばした。
パチュリーも手を伸ばしたがそれよりも早くアリスが本を取る――置きっぱなしにしていた魔道書を手にし、パチュリーと交互に見比べた。
「あっ、それは……」
思わず呟いてしまい、何か確信を覚えたアリスはパチュリーが制止しようとする前に魔道書を開いた。
ドッグイヤーをつけていたページが真っ先に開かれる、そこに書かれている文字を読み。
「び、媚薬!?」
アリスが驚きの声を上げた。
「違う、違うの」
立ち上がり、アリスから本を奪う様に本を取る、アリスは目を丸くさせてパチュリーを見あげ、それから紅茶を見た。
「元は媚薬だけど、違うの……恋の妙薬は私が手を加えたから、これは……」
『愛の妙薬』と書かれた魔道書を抱きしめ、パチュリーは震えそうな声で言った。
気づかれて、今更自分が馬鹿な事をしたと後悔したが。時は既に遅く、カップを持ち上げたアリスが納得したように紅茶を眺めた。
「……だから紅茶を飲むようにわざわざ言ったのね。ねぇパチュリー、何を入れたの」
尋ねるアリスの声は、いつもと同じ調子で薬を盛られた事に怒っている様ではなかった。それがますますパチュリーを後悔させ。
「ごめんなさい、惚れ薬を……」
「惚れ薬……?」
「ええ、好きになって欲しい相手に。細かい材料を変えて効果を薄くして、好きになってもらえるようにって……」
椅子に座りなおすパチュリーをアリスが見つめる、かと思った瞬間。アリスは残っていた紅茶を全て飲み干始めた。
今度はパチュリーが驚く番だった、あっと声出す間もなくアリスは空になったカップを置くと確かめるように自分の胸を押さえた。
「……アリス?」
「パチュリー、何で薬を私に?」
胸に手を当てたままアリスが聞く、パチュリーは観念して正直に自分の胸の内をアリスにそっくり全て話す事を心に堅く決めた。
「あなたが、好きだから」
アリスが、きょとんとした顔で目をぱちくりさせた。思っていた答えと違っていたのだろうか。
「実験とかそういう訳じゃなくて、本当に?」
聞きなおすアリスに頷いて返すと。アリスは気の抜けたような息を吐いた。
「恋人としてじゃなくてもいい。友人としてでも。あなたに笑ってほしくて、私に笑ってほしくて」
顔が熱くなりそうな感覚に、もうまともにアリスが見れなかった。うつむいた先にある紅茶に映った自分の顔がとても情けなく見えた。
「魔理沙と話してる時みたいに私とも話してほしかった。……本当にごめんなさい」
アリスがどういう表情をしているのか、パチュリーは怖くて見れなかった。
「もっと素直に言えばよかったかもしれないわね」
アリスが呆れた様子で言った、当然の言葉かもしれないとパチュリーは思った。
「私、あなたに謝らないといけないわ」
椅子が引く音がして、すぐにテーブルに影が差した。横に立ったアリスが肩に手を置き諭すように言った。
「あなたの事、もっと気難しい人だと思ってた、聞かれたら言葉を返したりする事がほとんどだったから」
「…………」
「だから遠慮して、あなたとは魔法使いらしく真面目に話そうと思ってた。でもそれが駄目だったのね。ごめんなさいパチュリー」
「アリスが謝る事じゃない。私が勝手に想ってただけだから」
顔をあげると、すぐそこにアリスの顔があった、身を少し屈めてパチュリーと同じ位置で下げたその顔は、申し訳無さそうな表情で首を横に振っていた。
「そうね、でも私も勝手に思ってただけだから……これからは、もっと私も素直になるわ」
そしてにっこりと、微笑んだ。
パチュリーは頷き、小さく微笑み返した。アリスがそっと、パチュリーに腕を伸ばし、優しく抱きしめた。
「……これからは、ね、お互いに、素直になりましょう」
「ありがとうアリス。ごめんなさい……」
アリスから離れ、パチュリーは持っていた魔道書をテーブルの上に置いた、もう必要の無くなった本を、押しやるように奥へと押した。
「……薬は失敗したけど、結果良ければ全て良し。と言ってもいいのかしらね」
「あら、失敗してないわよ」
「えっ? どうし――」
開きかけた口に、柔らかい感触があたり、一瞬だけだが先程よりももっと近くなったアリスの顔に驚いてパチュリーは目を丸くした。
それが唇だという事に、アリスが頬を薄く紅くさせているのを見て気づいた。
「あなたに好きって言われた時、私ドキっとしたもの。薬の効果が効いて、恋をしたのかもね」
そう言って、驚いたままのパチュリーに、悪戯っぽく笑って見せた。
地の文で主語がくどいくらいに使われていて、読んでいるとうんざりする事もありました
あと、序盤の地の文パートで文字が詰まっていて読みにくい気も。もうちょっと改行等に気をつけると、読みやすくなるのではないかなあと思いました
で、感想
冒頭の薬の色が変わるシーンやら、時間の経過と共に物語を読み進めつつアリスを待つシーンなんかが好きです
あと、最後の所。二人の掛け合いなんかも結構好みな気がします
今後とも頑張って下さい
そんなパチュリーにほだされた(?)お姉さんなアリスも素敵だ。
確かにこのパチュリーさんは可愛すぎて生きていくのが辛いww
違う!
パチュリーが可愛いからこそ生きていけるんだ!
良いものなんです……。
静かに進行していく文体とでも表現しましょうか、磨けば必ず伸びると思いました。