天の光の届かない地底。
そこで、一人の少女が不満げに頬を膨らませていた。
いつも通りたまの遊びに博麗神社を訪れた昨日の話である。
天界から降り立ったその少女は、神社の巫女から地底の話を聞いた。
巫女の話が半分頭を素通りする程に、少女はまだ見ぬ地底に心を躍らせた。
忌み嫌われた妖怪がいて、加えて帝都には地上を去った鬼がいる。
行けば、間違いなく天界では味わえない世界がそこにある。
少なくとも、天界の様に退屈することはあり得ない。
期待に居ても立ってもいられず、その日は日も高い内に神社を後にした。
聞き飽きた歌から耳を塞ぎ、見飽きた踊り目を瞑る。
いつも以上に早く寝て、いつも以上に早く起きた。
誰に行き先も告げず早朝から地上へ降り、更にその下の地底へと降りたのだ。
が
天子の期待はものの見事に打ち砕かれた。
「もうね、地底に降りたのっけから、岩がガンガン落ちてくるのよ。
その上左右から妖精は弾撃ってくるし。手荒な歓迎が地底の流儀なのかしらね。」
巫女から聞いた物はいずれもなかった。
岩は落ちず、妖精の編隊も見当たらない。
近くを通った妖怪に聞いたところ、人の出入りが多くなったので、少し道を整えたらしい。
「ふんっ。地底の流儀が聞いて呆れるわね。」
天子が不満げに残した捨て台詞は、しかしその妖怪には意味がわからなかった。
「やっと進んだかと思えば、今度はじとっとした眼の妖怪が恨み言を吐いて襲ってくるんだもの。
初対面なのに、妬ましい、てどういうことなのっての。」
巫女から聞いた通る者を妬む妖怪のいる橋は、まったく何事もなく素通りした。
橋の入り口に目つきの悪い妖怪がいたから声をかけたが、
「よほど怪しくない限り襲わないことにしたのよ。
地上の連中は妖怪どころか人間も地底以上に強いみたいだし。襲ったところで徒労だわ。
そもそも降りてくる奴どいつもこいつもなんで弾幕を恐れもせずに楽しむのよ。
力の光さえ、この地底には降り注がないのね。本当、妬ましいわ。」
と、何やら一方的に恨み事を吐かれるばかり。言葉の暴力こそあれ、弾の暴力はなかった。
「そうやって妬むことしかできないから、上に立てないのよ。
気持ちだけでも上にあろうとしない限り、あんたに光なんて届かないわ。」
こちらからも恨み事を撃ち返して、橋を後にする。
「旧都とか言ったかしら。
鬼の騒ぐ声で五月蝿いわ、相変わらず弾幕は止まないわ。
あげく一人の鬼に気に入られて、道中ずっと着いてこられるし。もう滅茶苦茶だったわ。」
件の旧都。
鬼の騒ぐ声はする。酒宴の囃子は確かに五月蝿い。
が、言わずもがな。ここまでの道中同様、弾なぞは豆粒ほども撃たれない。
むしろここまでよりも明るい分、余計に平和に感じる程だ。
「ちょっとごめんください、聞きたいことがあるのだけど。」
「おう、なんだいお嬢ちゃん。」
道に座っていた鬼に話しかけてみる。
強い酒の匂いに歪む顔を笑顔に変えながら。
天界で酒の匂いには慣れているつもりの少女だったが、鬼は更にその上をいく酒好きなのだろう。
「なんだか、この辺りで道を歩くだけで襲いかかって来る鬼の方がいると聞いたのだけど…」
「え?そんな奴がいたっけかな…」
「あぁ、お前、そりゃあれだ。勇儀じゃねぇのか?」
「ユーギ?」
「あぁ、そうかそうか。あれだ、お嬢ちゃん。俺ら鬼の中でも腕の立つお方でね。
力を持った物を見ると、喧嘩を仕掛けないと気が済まないお方なんだ。
でも安心しな。あの方も流石にお嬢ちゃんみたいなただの地上人を襲うような方じゃないからね。
地上から人や妖怪が出入りするようになってからは尚更な。
なんでも、見ればそいつが面白そうな力を持っているかどうかは簡単にわかる、だそうだな。」
「そう…それは安心ですね…」
緋想の剣を持ってくるべきだった。
己の準備不足を強く後悔しながら、旧都の先を目指す少女だった。
「その先の地霊殿なんて、何が襲ってきたと思う?
猫よ猫。猫が弾幕を撃ってきたんだから。
まぁ尻尾も二本あったし、後でわかったんだけど普通の猫じゃなかったんだけどね。
猫もいよいよ、虐待に対して逆襲する時でも来るのかしらねー。」
地霊殿。
地下には不釣り合いな様な、相応しい様な、立派な建物であった。
話を聞くには、やはりこの戸を抜けた先に自分を目掛けた無数の弾がお出迎えしてくれるはず…
らしいが、既に特に期待も出来ず。
期待を捨てて正解か、やはり出迎えてくれたのは戸の開く音だけだった。
「…最低だわ。」
緋想の剣を持ってきて、ここらで人暴れでもすれば、いっそ相手側も襲ってきたのだろうか。
少女は心の底から準備不足を後悔した。
「にゃーん」
と、うな垂れた少女の目線の先に、一匹の黒猫が飛び込んできた。
耳に付いた赤いリボン・二本の尻尾。
間違いなく、巫女から聞いた猫だろう。
「…ふふふ。」
「にゃーん?」
うっぷんを晴らすついでに、捕まえようとすれば弾の一つぐらいは撃ってくるかもしれない。
「えぇい!!」
「にゃーん!」
バッと身を屈め、猫を捕まえようと手を伸ばす。
が、空を切るだけで、猫にはかわされてしまう。
そればかりか、襲ってくるでもなく、猫は振り向きもせずにさっさと逃げ去ってしまった。
「……!あああああああもう!なんなのよ!!なんなのよこれええええええええええ!!!」
地底で積もった少女の不満が爆発し、地霊殿に木霊した。
「何よ!なんなのよこれぇ!!聞いていた話と全然違うじゃない!
何も襲ってこないし何もないし暗いしじめじめしてるし空気は澱んで汚いし土臭いし!!
同じ退屈でもこれなら天界の方がまだ幾らかマシじゃない!
あああああああああああああああああああああああ!!もう!
なんなのよ!あぁもうなんなのよおおおおおおおおおおおおおお!!!」
小さな手を握りしめて、その場で一人不満を叫ぶその様は、とても天人とは思えない程無様なものだった。
「随分と騒がしいお客さんですね。」
「あー?」
ぎぃ、と戸の開く音と共に、不思議に澄んだ声がした。
音に振り向くと、そこには自分よりも少し幼く見える少女が一人立っていた。
「初めまして。私はこの地霊殿の主のさとりと申します。」
「そう。何、不法侵入を咎めでもしてくれるわけ?」
人の屋敷に勝手に侵入し、地団太を踏みながら叫び声を上げているなど、どう考えても少女の方にのみ非があるが…
不機嫌を極めに極めている今の少女は、いつも以上に身勝手な感情によって支配されており
常識などと言うものへの配慮は欠片程も心に残ってはいなかった。
「そうしても構いませんが、不思議と貴女に悪意は感じられませんね。
むしろもっと純粋な興味…あぁそう、なるほど。天界に住んで…」
「ふんっ。本当、地底にいる奴ってのはどいつもこいつも寝むそうな顔をしてるのね。
一切光が届かないと、頭が覚醒しないのかしら。」
突如現れた館の主の声に、地底には似つかわしくない綺麗さと、
心まで見透かされそうな不思議な魔力に似た何かを感じたのだが、
そんなことは飲みこんで、ここまでの不平不満をぶつけることを少女は選んだ。
理不尽な怒りを初対面の相手にぶつける様は、文字通り不良そのものである。
「…照れますね。まぁいいです。…あぁ、あの巫女から話を聞いて。
…そうですね、確かに大分地底も通りやすくなっていると思います。
うちの子達も、地上に行きやすくなったと言っていましたしね。」
「はぁ?何一人でぶつぶつ言ってるの?寝ぼけてるの?」
「…そう。そのことは聞いていないのですね。私にとっては気が楽ですが。
…そうですか。退屈…ねぇ…」
「あぁもう!言いたいことがあるならハッキリ言ったらどう?
…はぁ。普段見下ろしても見えない地底がどんな物かと思えば、所詮は光さえも届かない惨めなところね。
天界よりもつまらない場所を初めて見たわ。本当に最低の気分よ。」
「…確かに、歌と踊りだけでは退屈そうですね。」
「ふんっ、あんたみたいのでも天界については知っているのね。」
「…そうですか。いいでしょう。私も私が住む世界を知りもせずに退屈と揶揄されるのは愉快ではないです。
主として、館の中を少し案内してあげますよ。さぁ、どうぞ?」
相も変わらずどこか意思疎通ができない(気がする)さとりと名乗った館の主は、
自身が入ってきた物とはまた違う戸の向こうへと入って行った。
どうせ大したこともないだろうし、いっそもっと馬鹿にしてやろう。
非常に情けない動機で、戸の先へと進む少女。
巫女の話に登場した、「心を読んでくる少女」のことは、不機嫌な彼女の頭の中には欠片も残ってはいなかった。
「…そう。暗い地下の風景に飽き飽きしているのね。ならまず、こんなのはいかがかしら。」
「何よ。ここだって地底…え?!」
さとりが明けた戸の先では、床も壁も天井も、その全てが恐ろしい程に様々な色の輝きを放っていた。
見ているだけで脳の焼きれそうな赤、心まで飲みこまれそうな深い青
目を潰さんばかりに明るい黄色、襲いかかりそうな程輝く紫、元が中性色とは思えぬ光彩を目に突き付ける緑。
天界では見たこともない、毒々しい程に豊かな色彩が、少女の瞳と心を塗りつぶす。
「…何これ…(凄い)」
「地底に住む魂達の輝きです。元々はただの透明な板と、その向こうに少しの明かりがあるだけですが。
怨霊、亡霊、ここには輪廻から外れた様々な魂がいます。
それらが光を透かしたり反射したり、様々な色を映し出すのです。」
「…綺麗…(綺麗!なにこれ、なんで地下なのにこんなに色んな色があるの?!)」
「あら。外の人なら恐れるかと思いましたが…
…ああ。そうですね。貴女には死の恐れと言うのは、自身に対しての関連性は感じられないでしょうね。
…あぁいえ、巫女達はこの部屋には来ていませんよ。
彼女達を襲った…襲われたのは私達の方なのですが…その話は、もっと別な亡霊達がいる場所ですので。
…なるほど。それなら、中庭の方が貴女の見たい世界かもしれませんね。どうぞ。」
「…(凄いなぁ…)」
この時、少女はさとりの話など殆ど聞いておらず、いつも通り極めて自分本位に、
初めて目にする地底の極彩色に目を奪われ、巫女から聞いた話をあれこれと思い出していただけだったのだが、
そのおかげでさとりの妙に気付くこともなく、気味悪がることもなかった。
さとりもまた、少女がそうして一心不乱に「考え」に耽るお陰で、
次にどうするべきかが簡単に決められた。
少女の自分勝手な振る舞いが、場に円滑な流れを生み出した貴重な場面だった。
「元々、中庭は人が入るような場所ではありません。
今行っても、多少はスリリングな気分も味わえるでしょう。
とは言え、私がいますから突然弾幕が降り注ぐ、なんて期待はしないでくださいね。
…随分さっきの部屋をお気に召したようですね。私は、光り輝く天の世界の方が美しいと思うのですが…
さぁ、どうぞ。」
どこからともなく吹き続け、肌をぬるりと撫でる熱風。
そこかしこを漂う怨霊・悪霊・亡霊の類。
人であれば、景観そのもの以上に、本能的な不快感を感ずるであろう地底の中庭。
しかし、とかく新しい世界に憧れる少女にとってそれらは、鮮烈な風景として好意的に心に刻まれた。
「…そうですね。
私にも、さっきの部屋にいた怨霊と、中庭を漂っている怨霊にどんな差があるのかは詳しくわかりません。
それを知りたいなら、私よりも…えぇと…お燐、お燐ー!」
「にゃー…ん?!」
さとりの呼び声に、一匹の、見覚えのある黒猫が寄ってきた。
「あ、お前、さっきの!」
「…あら。そんなことが。」
少し体が光った後、その黒猫は黒い少女に姿を変える。
現れた黒い少女は、言葉を得るや否や大声を上げた。
「さとり様!こいつ!こいつさっき!」
「そう。でもそうね、そう悪い人ではないと思うわよ。邪気も企みも何もないから。
説明するには少し面倒なんだけど…そんなに警戒しなくても大丈夫よ。」
「ぅー…さとり様がそう言うなら…」
「…あっ!そうだ、やっぱり!あんたでしょ!?霊夢と弾幕ごっこしたの!!」
「霊夢ぅ?ん~、あぁ~、あの地上の巫女?お嬢ちゃん、あのお姉さんと知り合いなの?」
「あぁもう!あぁ~もう、本当なんで緋想の剣置いてきたのかしら…」
「…そう。その武器が必要なのね。
そうねぇ…なら、お燐の弾幕をよければいいんじゃないかしら?」
「あ、いいねぇ!あんなことされたままじゃ、あたいもなんとも悔しいしねぇ!
あぁ~…でもお嬢ちゃん弱そうだしなぁ…お嬢ちゃんの死体いらないし。」
「大丈夫よお燐。この人は天人だから。そう簡単に死にはしな」
「ちょっと!誰が弱いってのよ!」
「だってお嬢ちゃん、あのお姉さんと比べて、見るからにてんで弱そうだもの。
あたいには勝てないと思うなぁ。これでも、あたい結構強いんだよ?」
「ふんっ!緋想の剣がなくったって、要石は扱えるわよ。化猫風情が、天人に叶うと思うんじゃないよ!」
「…へぇ。随分と凄いんですね、その緋想の剣。」
そうして場の勢いに任せて黒い少女と弾幕ごっこに夢中になるも
装備が万全でない以上、所詮はただの天人というだけ。
終始黒い少女の優勢が続くが、いつまでも引こうとせず、
相手が音を上げるまでは絶対に諦めない、との心を読まれ、さとりに止められて勝負はお預け。
「次は絶対に緋想の剣を持ってきて、ズタズタにしてやるわ!!」
と、殆ど負け惜しみに近いことを言い残し、少女は中庭を後にした。
「そろそろ地上では日が暮れます。
折角中庭まで降りたのですし、地獄の釜も見せて差し上げたいのですが…
今日はお空…釜の管理をしているペットがいないので、見に行ってもさほど見物にはならないですね。」
「あら、そう…ん~…ま、さっきの化猫と思い切り暴れられたし、いいわ。
絶対近いうちにリベンジに来るから、その時には地獄の釜も見せてちょうだい。」
「そうですね。機会があれば。
…そう、こちらも案内した甲斐があったと言う物です。」
結局、少女がさとりの能力に気付くことはなかった。
しかし、そのおかげでこの一日は終始円滑に進み、少女にとって非常に満足な結果を残したのだった。
「じゃぁ帰るわ。お礼に、今度来るときは天界の桃でも持って来てあげるわ。
貴女達みたいに暗い地底にいたんじゃ、口にする機会なんてないだろうしね。
さっきの猫もそうだけど、貴女にも借りを作っっちゃったし。
天人として、身分も土地も下の相手に借りを返さない訳にはいかないからね。」
「…そうですね。ありがたく受け取りましょう。」
少女の言葉に悪意はなく、あくまで彼女の性格から出た自然な一言。
無論、非常に質の悪いことには変わりは無い(むしろ嫌味で言うよりも悪い)のだが…
言葉以上に心を受け取れるさとりにとって、その言葉は表面以上に優しい物だった。
「じゃぁね。さとり、だよね?また来るわ。」
「えぇ。…そう。なら、しばらくはおくうは呼びとめておきます。では、また。」
ふわりふわりと。
初めて会った時の刺々しい雰囲気は微塵もなく、突如現れた身勝手な天人は地霊殿を去って行った。
自分の屋敷に勝手に入り、身勝手な不満を叫んだ来客。
勿論、当初さとりにとっても厄介な人物にしか映らず、何やら地霊殿を鑑賞したいようなので、
いきなり自分の住み家を貶された仕返しも兼ねて、毒々しく悪霊の輝く部屋へと招き入れたのだが…
その厄介な来客には思いの外好評で、間違いなく心から楽しんでいた。
中庭での弾幕ごっこも含め、邪気も企みも打算もなく、あくまで純粋な好奇心のみで動くその天人は、
人と会う度その二面性に辟易していたさとりにとって、気付けばとても居易い相手であった。
地上において、隠し事を出来ないと言うのは少々問題なのだろうが…
それでも、さとりにとって、それは何よりも落ち着くことだった。
「…可愛らしいお客さんだったこと。」
たのしかったなぁ…
うん、また来よう。絶対来よう!
明日か…明後日かその位なら、あの猫もまだ少しは疲れているかもしれない!
これだけ広いならもっと色んな部屋もあるはずだし!
もっと凄い部屋があるに決まっているわ!
地獄の釜ってのも早く見たいし…うん、きっと、絶対また来よう!
去りゆく背中から聞こえた大きな心の声を思い出しながら、
今日一日をほほえましく振り返り、地霊殿の戸を閉めるさとりであった。
翌日早朝。
地霊殿に大量の桃が持ち込まれ、
丸一日上機嫌の天人に館に住む一同りが、へとへとになるまで振り回されるのだが…
それはまた、別のお話。
さとりが 覚の妖怪であることを知っても、
なんで黙ってたのよ、とかって二言三言文句を言うだけでしょうか。
ひょっとすると、さとりに対して全く嫌悪を抱かない、数少ない方なのかもしれませんね。
てんこあいしてる
彼女にとってはさとりの力も「こまけぇこたぁいいんだよ!!」って感じなんでしょうね。
帝都×→旧都○
天子とこいしとか、どんなやりとりになるんでしょう。
これは誤字でしょうか?
「心を呼んでくる少女」→「心を読んでくる少女」
どこまでも真っ直ぐなところが彼女の良いところですよね。
誤字報告です「身に行って」→「見に行って」