Coolier - 新生・東方創想話

ラブ・モンスター

2010/07/20 03:26:41
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 カッチャンコッチャン。カッチャンコッチャン。
 凍りついたように静かな、紅魔館地下図書館。
 普段から静かといえば静かなのであるが、今日はいつも以上に静かであった。
 静かすぎるからこそ、柱時計の振り子の音が妙にうるさく響いている。

「……小悪魔」
「はい」
「あったかいレモンを」
「承知しました」

 レモンティーを用意するため、小悪魔はすっくと立ち上がる。そのまま、とことこと別室へ行ってしまった。
 パチュリーは、魔道書から目を離す素振りも見せない。
 カッチャンコッチャン。カッチャンコッチャン。
 振り子の音が、嫌に機械的に繰り返される。
 そこに、カチャリカチャリと陶器のぶつかる音と、紅茶の香りが加わった。
 小悪魔は静寂を壊さぬよう、主人の前にそっとカップを差し出した。

「ありがと」

 それっきり。結局地下図書館には、振り子時計の音しか存在しなくなった。
 紅茶をすする音も。ページをめくる音さえも。最初からありはしなかったし、今も無い。
 無闇やたらに、パチュリーは不動であったのだ。
 カッチャンコッチャン。カッチャンコッチャン。ゴーン……。ゴーン……。
 柱時計が二時を告げる。これが全ての合図となった。

「……小悪魔」
「はい」
「愛を」

 パーフェクトフリーズ。振り子の音さえ止んでしまった。
 しかし、小悪魔は訓練されている。これしきのことでも、その気品溢れる真摯な表情はまったく崩れない。眉毛一本動かさない。

「……すみません、パチュリー様。聞き取れませんでした。もう一度ご用件をお願いいたします」
「だから、愛よ」

 数秒頭を働かせた後、小悪魔は苦く笑いながら首を傾けた。

「えっと……。すみません。分かりません。パチュリー様が私に何を期待しているのか、全く」

 ボフンとパチュリー、突然にも魔道書を閉じる。
 と、同時に椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がった!

「愛が足りない! 愛が足りない! 愛が足りなーい!」
「パ、パパ、パチュリー様、何を突然パチュリー様!」
「おかしい! おかしいのよこの世界! 愛がなさすぎる! そうでしょう!? 小悪魔!」
「……えと。はい。そうですよねー」

 小悪魔の声に生気は含まれていない。適当に相槌を打つ様は、ただの首ふり人形のようである。
 それもそうだ。パチュリーの周りにドギツイ薔薇色した魔力がぐるぐるどろどろ流れているのが見えるのだ。
 その両手を頭上に挙げ、世界は終わったといわんばかりに震わせている。

「地下に篭って本ばっかり読んできて! 知識ばっかり得てきたけれど! 本じゃ愛は得られないのよ!? なのに、なのにー!」
「な、なのに?」
「なんで、なんで私達だけ置いてけぼりなのよー!」

 今日、紅魔館にいるのはフランとこの二人、あとは少しの妖精メイドだけであった。
 残りのメンバーはというと、どうやら全員外出しているらしい。
 このことをパチュリーが知ったのは、朝食のときである。テーブルの上に置手紙があったのだ。
 レミリアの丸っこくて可愛らしい筆跡が残っていたが、その内容は残酷なものであった。

「何がピクニックよ! 何でお留守番よ! 何で仲間外れなのよー!」

 図書館メンバーとフランを除いて、ピクニック。
 表面上はどうでもいい風を装っているが、パチュリーは皆と行く、たまの外出が楽しみで仕方なかったのである。
 それが、今回は仲間はずれ。
 ここまでいらいらを我慢していたものの、ついに決壊。感情の核爆発が起きてしまった。

「よしよし。パチュリー様、よしよし」
「何? 私との愛を守るためレミィは旅立ったの? 明日を見失うの? 死ぬの?」
「どーうどうどうどう。どーうどうどうどう」
「愛が! 愛が不足しているー! 愛を取り戻せ! 愛を取り戻さねば!」

 パチュリーはただの妖怪ではなくなった。もはやモンスターであった。
 愛を貪欲に求める、ただそれだけのモンスターと化してしまったのだ。
 喘息なんてどこへやら。図書館内を子どもの描く落書きのように縦横無尽に飛びまわる。

「愛がー! 愛がー!」

 そのまま、拳から波動弾を、上に下にと撒き散らす。
 本棚が数十は吹き飛んだが、今のパチュリーに本が必要あるはずなかった。
 知識などいらない。ただ、愛だけを欲しているのであった。
 小悪魔は世紀末と化したこの図書館の中を、半笑いのまま立ち尽くすしか選択肢が無かった。

「愛がーアッパッカッ!」

 突如拳を振り上げ、図書館の天井を突き破る! 図書館に、初めてのお日様が差し込んだ瞬間であった。
 カーテンのように降り注ぐ光を見て、小悪魔は本能的に神の到来を予感した。
 これが、パチュリー・ノーレッジ神伝説の幕開けとなる。そんな予感が。



==========

v.s. 寺子屋

「……では、昨日も言ったように、テストを行うぞ。机を離すように」

 ここ寺子屋では、子ども達の健やかな成長を願い、上白沢慧音による熱心な教育活動が日々行われている。
 ……が、子ども達のほうは、至って不満げな様子でテストの準備を始めていた。
 何もかもが壊されることを、知らずに。

「私みたいになりたいのか! 私みたいになりたいのか!」

 猛然と寺子屋へダッシュするものがいた!
 チーターか? ウサイン・ボルトか? パチュリーか? いや、ラブ・モンスターだ!
 寺子屋の壁を突き破り、「そこまでよ!」と荒々しく乱入。当然、壁にはパチュリー型の穴が開いた。

「な、なな、何を馬鹿な真似を! テストの時間だ、そこから消えろ!」
「くっくっく。馬鹿な真似はそっちよ! 知識ばかりの偏重教育。愛が足りない! 愛を取り戻しなさい!」
「何を言う。寺子屋がどういう場所か分かってるだろう! いいから早く帰った!」
「ふん、どちらが正しいかは、子ども達の目を見れば明らかだわ。どうよ!?」

 子ども達の目の色は、金色に輝いていた。神が舞い降りてきたと、そう言っている目であった。
 パチュリーは救世主と化していた。パチュリーは、親の目と頭突きという名の圧政から子ども達を救おうとしていたのだ!

「お、お前ら……!」
「テストを中止しなさい。そして愛の授業をするのよ! ありったけの愛を教えなさい!」
「そーだそーだ! テストしなくていいよ!」
「よくわからないけど、テストよりはマシだよね!」
「わしも慧音先生と愛の個人授業を受けたいのう」

 ここぞとばかりに、子ども達が革命ののろしを揚げる。なんとも好き勝手言い始めている。もはや学級崩壊である。
 子ども達が従わなくては、教師は何もすることができない。慧音先生、ピンチ。

「よくも、こんな、うちらを壊して……」
「さあ、愛の授業をするのよ!」
「何を! どう考えてもするわけないだろう!」
「問答無用、ラブ・ビーム!」

 パチュリーの突き出した人差し指から、尋常でない量のラブ粒子が放出されていく!
 その光線に浴びせられたものは、愛のことしか考えることができなくなってしまうのである。
 さすがは魔女である。これくらいのことはお手の物である。

「では、今日は妹紅の細胞の数について考えていこうと思う。数えたところ……」

 のろけ話が始まってしまった。他人の愛の話で、パチュリーは満足できるわけが無い。子ども達は楽しそうにしているが。
 こんなところに愛など無かった。パチュリーは新たな愛を求めて、立ち去った。もちろん出席点はつかなかった。



==========

v.s. 守矢神社

「神奈子様」
「ああ、どうした?」
「注連縄は食べ物ではありません」
「分かってる。でも、歯ごたえはあるよ」

 守矢神社では深刻な参拝客不足に見舞われていた。
 もちろん、博麗神社も同様ではあるが、あちらは数多の人間と妖怪のコネがある。
 そもそも、博麗の巫女を餓死させるわけにはいかない。なんだかんだ言って、食糧をもらっているのである。
 が、残念なことに守矢神社は新参かつ、幻想郷の重役から離れている。
 参拝客不足が即、食費に影響してしまうのであった。

「神奈子様」
「ああ。いたな」

 空の向こうに、紫な影が確認できる。高度も、方角も、明らかに守矢神社に来ていることが分かる!

「とうとう、なのですね。何ヶ月ぶりなのでしょう! やっと、やっとまともな食事にありつける!」
「ああ。早苗の、お陰だ」
「私、出迎えに行ってきます!」

 体内の残り少ないエネルギーを全て消費するように、早苗は全力で鳥居まで駆けていった。

「アガペー! 私にアガペー! 神の愛、プリーズ! プリーズギブミー、マウンテンオブ愛!」

 そこにはブリッジしながら飛行する未確認の物体があった。奇妙なパープルUFOが襲来である。
 さすがの早苗もこれには苦笑い。

「よ、ようこそ守矢神社へ! 何をいたしましょう? お守りがほしいんですか? 恋愛成就のご祈祷もできますよ? おみくじもその場でできますよ?」
「愛がほしいと言っておるのじゃー!」
「ひやああああ!」

 すかさずラブ・ビーム。無差別に人々を陥落させる様は、まさにラブ・モンスターである。

「あなたに愛を与えましょう! どうぞ、こちらへ。神奈子様の愛をお受けください……」

 と、いうわけであっさりと不審者の侵入を許すことになってしまった。
 本殿には、半分に折れた御柱と妙に細い注連縄をつけた神奈子が、なおも威厳たっぷりにどっしりと座っていた。

「愛がほしいと聞いたが……。まずは賽銭がほしい。すまない、我々も切実なんだ。このままでは早苗を食べてしまいかねない」

 ちなみに、神社には諏訪子の姿がない。どこかへ出かけているものと考えるのが自然だ。

「ふん。金で愛が買えるなら本望! 運がいいわね。私は幻想郷で唯一、金を操ることができる者なのよ!」

 ゴールドラッシュ? 知らんな。
 ともかく、パチュリーの呪文の一言一言に従って、床から希少金属が続々と湧き出てきた。
 火水木金土日月、そのうちの金は金属というより、もはや金そのものを操っているに等しかった。
 何しろ、彼女は紅魔館の資金源そのものとなっているのだ。
 金符による金属製品だけでなく、土符による宝石類といった装飾品も売れ行き好調である。
 余談であるが、最近は翡翠が市場に溢れてしまい、価格が暴落している。もはや売り物にならない。

「どう? 金銀プラチナ当たり前。ルビーにダイヤにエメラルド。なんなら家に帰ってレーヴァテインを持ってきましょうか?」
「いやいやいや、結構! もう、結構! いや、でもいいのかい? こ、こんなにもらっても、いいのかい?」
「まあ、今出したもんだし、減るもんじゃないもの。ただし! これだけやるのだから、それに見合った愛をくれなきゃ駄目よ!」
「ふむ……。よし、分かった。思う存分愛を受け取るがいい! やるよ、早苗!」
「はい!」

 そういって気合を入れた神様達は、ばたばたと、境内まで出て行ってしまった。
 何やら儀式の準備を始めるようだ。
 ろうそくを円形に並ばせて、太鼓を用意。中央には「愛」と書かれた紙が置かれている。 パチュリーはその円周に座らされた。これで、準備完了であるらしい。
 早苗は和太鼓をどんどこどこどこ叩き打ち、神奈子は怪しげな歌を歌いながらお粥をばらまきはじめた。

「はー、どんどこパチュリー」
「愛よ降れ降れ、パチュリーへ」
「どんどこどこどこパチュリーどこどこ!」
「愛よ降れ降れ、降れ降れパチュリー!」
「はい、どんどこパチュリーどこどこパチュリー!」
「おおおお、愛よ降れ降れ! パチュリー降れ降れ!」

 段々声が荒くなっていく。儀式は熱を帯び始め、早苗は太鼓の膜が破れるほどに殴りつける。
 雨乞い、いや、これは愛乞いであった。さすがは農業神。
 神奈子は愛の紙を拾い上げ、くしゃくしゃに丸め始めた。

「うおー。愛が集まってきたぞー。愛が集まってきたぞー」
「愛が集まってますよ! 愛が集まってますよ!」

 早苗も負けじとお払い棒をふりふり。その紙がパチュリーの頭を往復びんたする。

「おおー。愛がものすごく集まってきたぞー。愛がものすごく集まってきたぞー」
「愛がものすごく集まってます! 愛がものすごく集まってます!」

 最後の仕上げにと、早苗はパチュリーの頭へライスシャワーを投げつける。
 と、同時に神奈子はセットポジション。

「来た来た、これで愛が十分集まったぞ! 受け取ってくれ! これが私の愛だー!」

 ピッチャー神奈子、振りかぶって投げた!
 さすがの肩力、丸めた紙でもパチュリー目掛けて一直線!
 紙はパチュリーの額をこつんと叩いて、そのまま地面に落ちた。

「……ど、どうだ? これが私達の愛だ。よかっただろう? パチュリー」
「今の、愛でしたよね? 間違いなく愛でしたよね?」
「えっ終わり?」

 パチュリーの素の反応に、神奈子と早苗の顔は一瞬で青ざめていった。

「ああ、駄目だったよ早苗! 最初からやり直しだ! 今度は時間を倍にするよ!」
「はい、パチュリーさんが認めるまでやめません!」
「あ、えっと私、愛の伝道師する系の仕事があるのでこれで」
「ああ、待ってくれ! 納得いくまで、納得いくまでー!」

 さすがのラブ・モンスターも、これにはたじたじ。
 やはり、こんなところに愛は無かった。
 パチュリーはそういうことにして、新天地を目指すことにした。
 なお、金銀宝石は置いたままにされてある。どこまでも救世主であった。



==========

v.s. カクテルバー

 ごたごたとやっていると、いつの間にやら夕方になってしまった。
 パチュリーは結局、愛を一つも見つけることができなかった。
 そろそろ、レミリア達も帰ってくる頃である。
 ……が、しかし。パチュリーはこのままのこのこ帰るわけにはいかなかった。
 一人勝手に暴走し、結果、何も得られなかったという結末は、彼女のプライドが許さない。
 遅く帰ることが、レミリアへのささやかな復讐になるという考えもあった。
 そして何より、真っ赤な空を見ていると、パチュリーはさらに愛が欲しくて欲しくてたまらなくなってしまったのだ。
 かくして、パチュリーは道草を食ってから、紅魔館に戻ることにしたのであった。
 その帰り道のひょんなとこ。今の気分にぴったりの店を見つけることに成功した。

「カクテルバー、ムーンライトカクテル……」

 黒っぽい洋風なお店が、夕日の暗い光を浴びていた。
 パチュリーは、もはや酔ってしまいたかった。得られない愛なんてこと、もう忘れてもよくなっていたのだ。
 ドアを開けると、ベルの涼しげな音が、薄暗い店内に響き渡った。

「いらっしゃい」

 杉で作られたカウンターの奥に、スポットライトがついた。そこには、マスターのルーミアがいた。彼女はグラスを慣れた手つきで拭いている。
 早い時間だからか、客はパチュリーだけである。カウンター席に着いたのを見て、ルーミアは古典ジャズのレコードを流し始めた。
 暗いオレンジの落ち着いたライト、耳にするだけでほろ酔い気分になれるジャズの音色、そしてバーテンドレスが板についている黒白のルーミア。
 今までにない最高の環境だと、パチュリーは確信した。

「……マスター」
「はい」
「愛を」
「……かしこまりました」

 小悪魔よりは優秀ね、とパチュリーは小声でつぶやいた。
 注文を受けたルーミアは、ミキシング用のグラスを氷で冷却。その後、マドラーを使い、何かを混ぜ始めた。
 ジャズのスイングに合わせた手の回転は、まるでレコードに指揮をしているかのようである。
 最後に、ルーミアは透き通った丸い氷をグラスに入れ、そのパフォーマンスを完成させた。
 しかし、何かがおかしい。
 差し出されたグラスを見て、パチュリーは驚いた。
 グラスの中には、氷以外、何も入っていないのである。
 あまりに透明なカクテルなのかと思いきや、そうではないらしい。グラスを傾けると、氷がごろんと回るのみだ。

「これは……」

 パチュリーは持ち前の頭脳を総動員させて考える。
 せいぜい、愛という名のカクテルが出てくるものだと思っていた。
 甘酸っぱい味がうんぬんとこじつけられても、今日は騙されておこうと思っていた。
 しかし、これは何だ。氷しかないではないか。
 空虚。あまりに空虚すぎるカクテルだ。
 つまり、愛とは存在しないと、そう伝えたかったのだろうか。

 いや、違う。
 これは、商品である。ルーミアの作った商品である。
 なので、私はこれからこれを飲むことになる。
 まず。私は愛を注文した。
 愛とは、形の無い見えないものである。
 まさかルーミアは本当に形のない、見えないものをグラスに注いだのではないだろうか。
 つまり、このグラスの中に、愛をこめていると。
 彼女はそう表現したかった。そうに違いない。
 パチュリーは、もう一度驚いた。
 ルーミアの機転と、その発想が、想定の範疇を遥かに超えていたからだ。

「これはその、つまり、マスター! なな、なんというカクテルかしら……!」
「愛っす」
「……は?」
「だから、愛っす」

 愛っす、あいっす、あいす、アイス、ice……。
 カクテルバーは爆発した。ロイヤルフレアで爆発した。
 やはり、こんなところに愛は無かった。むしろ、どこの世界にも愛なんてなかった。
 パチュリーはそう結論付けて、一人寂しく紅魔館へ帰ることにした。



==========

v.s. 紅魔館

「あーい愛! あーい愛! パチュリーさーんだよー」

 そんな歌を叫びながら帰ってきたものの、エントランスには誰もいなかった。
 迎えのメイド妖精さえいない。夜だというのに、ろくな明かりすら点いていない。
 せっかくのハイテンションも、これではげんなりするものである。
 げんなりするどころか、パチュリーの目には既に涙さえ浮かんでいた。

「お帰りの一言もないなんて……」

 どうせ、レミリア達はピクニックついでに神社にでも寄って、そこで泊まっているのだと、パチュリーは決め付けた。
 しかし、それでも愛に飢えている。
 愛を求めど愛を求めど、心の穴が埋まることは無かった。埋めることは不可能であった。
 しかし、愛はどこにも存在しないと、そう結論付けたはずにも関わらず、パチュリーは愛を求めざるを得なかった。
 このままでは、胸の苦しみが癒えぬまま死んでしまいそうだと、本能が警鐘を鳴らしているからである。

「トリックオアトリート! ロイヤルオアラブ!」

 暗い石造りの階段を、こつんこつんと降りていく。地下図書館へ続く階段である。
 パチュリーに残された選択肢は、現実逃避だけであった。
 適当に本でも読んで寝れば、忘れられるかもしれないと考えたのだ。
 憂鬱な気分が肩にのしかかったまま、パチュリーは図書館の扉を開けた。
 すると、まばゆいばかりの光が差し込んできた。
 と、ともに割れんばかりの合唱の声が!

「ハッピバースデートゥーユー」
「ハッピバースデートゥーユー」
「え、み、みんな……?」

 パチュリーは思わず、溜まりに溜まった涙をこぼしそうになる。
 レミリアが、咲夜が、美鈴が、フランもいて、メイド達もが朗らかに歌っているではないか。
 パチュリー、大混乱。さすがに、大混乱。
 なぜなら……。

「ハッピバースデーディーア……」
「小悪魔ー」
「うわああああああ、やっぱり私じゃないいいい!?」

 今日はパチュリーの誕生日では無いからだ。
 
「ベタな展開でよかったのに! ベタな展開でよかったのにいいいいい!」
「う、うわ。パチェいたの!? って、当たり前じゃない。今日はあなたの誕生日じゃないんだから」
「で、でも! 小悪魔より! 私のほうが今の今! 愛を欲している! 愛に飢えている! 餓死しそう! そうでしょ、小悪魔!」
「そ、そうかもしれませんけど……。で、パチュリー様、ひょっとして私の誕生日、忘れてました……?」
「わ、忘れるわけないじゃない! ちょっと今日が何日か知らなかっただけよ!」

 曜日には詳しいが、日付には無頓着なパチュリーであった。
 だが、従者の誕生日と分かった今でも、パチュリーはもはやそれどころではない。
 全身が愛の供給不足で苦しくなってきているのである。

「お願い……。レミィ、あなたなら分かってくれるはず! 愛をちょうだい! 愛を、愛を、プリーズギヴミーユア愛!」
「パチェ。あなたは基本を忘れているわ。愛は求めるものではないのよ」
「で、でも! ほんと、求めないと苦しくて! 死にそうで! ほんとに! ほんっとに!」
「落ち着きなさい。愛を得ることができるのは、愛を与えたものだけよ。さあパチェ、愛を得るために、私に愛を与えなさい!」
「無理……! 無理! 愛されてないのに、愛せよだなんて、無理! お願い、早く愛を、ぐふぇ!?」

 ひどくあっさりと、パチュリーは膝から倒れこんだ。
 喘息のような、体調面の異常ではないと、誰が見ても分かる。
 顔から魂が抜け、目の色が消えかかっている。
 心の栄養失調である。この状態で、他者に栄養を分け与えるなど、彼女には到底不可能であった。
 愛欠乏症候群、それが彼女の病名であった。



==========

v.s. ???

 パチュリーにとって聞き覚えのある声が響いた。それで、彼女は眼が覚めたのだ。

「おはよう、パチュリー。具合はいかがかしら?」
「……八雲紫。どうして、あんたが……」
「それはね、私があなたに愛を与えられる、唯一の存在だからよ」

 愛。その言葉に、パチュリーは怯えのようなものさえ覚えてしまった。

「何が! 愛なんて、どこにも無いに決まってるじゃない! レミィも言っていたわ。与えなくちゃ、得られないって! でも、私にはもうそんな元気、どこにもなくって!」

 愛されたいが、愛する気力をパチュリーは失っていた。
 愛されなければ愛されないほど、愛する気力を失ってしまう。
 愛する気力を失えば失うほど、愛されなくなってしまう。
 この無限ループに、パチュリーは知らず知らずのうちに足を踏み入れてしまっていたのである。
 これが、全ての元凶であった。

「それが……。愛があるのよ。酔狂な者たちによる、無償の愛というものが、あるのよ」
「そ、そんなおいしい話、あるわけ……」
「これを見なさい」

 パチュリーの目の前に、妙なまでに整った文字列が浮かび上がった。
 空間の一部を紙にし、そこに活字の文字が並んでいるようだった。
 パチュリーは、外の世界で流通している「液晶画面」を思い浮かべたが、紫のことである。分からないものは分からないということにした。

「これは、外の人間達のメッセージ。特にここに書かれてあるのは、あなたのことばかりね」
「外の人間って……。うそ、こんな、いっぱい……」
「不特定多数の、こんな大勢の者があなたを愛している。これが、その証よ」

"パッチェさんが好きで好きでたまらない"
"最近、寝ても起きてもパチェのことばっかりなんだが……"

「ど、どうして……。どうして、知らない人なのに、こんなに愛をくれるのよ……!」
「あなたの知らないところで、あなたを見てくれている者がいる。愛してくれている者がいるのよ。ほら、たった今、この瞬間も」

 文字列に続きが表示される。メッセージの投稿日時は、確かに今日の今の時間を表している。

"小悪魔ときゃっきゃうふふしてるところを、パチェのジト目で睨まれたい"
"パチュリーに紅茶出して味に文句言われたい"
"パッチェさんって肩こってそうだよな。俺、小一時間揉んでやるんだ……"

「な、何てこと! ああ、すごい! 愛が満ちていく! 心が愛で潤っていく! 誰だか知らないのに、こんなにも愛を感じるなんて!」

 不特定多数からの愛。無条件の愛。
 愛に飢えていたパチュリーにとって、これは極上のご馳走であった。
 天にも昇る心地の中、少女は一字一字を確かめながら読んでいく。

"パチェ最高!"
"パチェ愛してる!"
"パチェ、結婚してくれ!"

「私、愛されているのね!? こんなにもたくさん、愛されているのね!? 信じられない!」
「気に入ってもらえたようで、なによりですわ。他には、こんなものも……」
「どれどれ……」

"パチェ! パチェ! パチェ! パチェぇぇぅぅうううわぁああああん!!!"
"あぁクンカクンカ! クンカクンカ! スーハースーハー! スーハースーハー! いい匂いだなぁ……くんくん"
"紅魔郷のパチェたんかわいかったよぅ! あぁぁああ……あああ……あっあぁああああ! ふぁぁあああんんっ!"
"ううっうぅうう! 俺の想いよパチェへ届け! 幻想郷のパチェへ届け!"

 パチュリーは気絶した。
 自らの知識に異物を混入させないため、意識を断ったのだ……。



==========

v.s. You

 数日後。そこには元気に本を読むパチュリーの姿が!
 すっかり心は愛に満たされ、健康な精神を手に入れた。
 ……かに見えた。

「パチュリー様、紅茶が入りましたよ」
「ひ、ひぃいい!」
「ちょ、ちょっとどうしたんですか、今度は!」
「お、お願い、優しくしないでちょうだい! 愛がお腹いっぱいすぎて、というか、愛が怖くって!」

 かの一件以来、パチュリーは愛に対して怯えるようになってしまった。
 見知った仲間が「パチェ! パチェ! ぁぁああクンカクンカ!」となり得る可能性を考えると、パチュリーは恐ろしくて仕方なくなってしまうのであった。
 恐ろしさのあまり、パチュリーは机の下にもぐりこんでしまう。
 その時、タイミングを見計らったかのように図書館の扉が開いた。

「パチェ、いるんでしょ? パチェー」

 レミリアが、普段より淑やかに歩いてやってきた。
 パチュリーは対地震用防御体勢のまま話を聞くことにした。ひどく嫌な予感がしたからである。

「パチェ。あの時、ごめんなさいね? 私達だけで行っちゃって……」
「や、やめ! お願い、レミィ、私、今、愛を受け取ると……!」
「でも、あの時は仕方なかったのよね。パチェまで連れてくと、小悪魔が可哀想だし、なにより不自然すぎるし、ね? パチェなら分かってくれるわよね?」
「分かってくれます! 分かってあげます! 了解してるわ! だからターンアンドゴーバックナウ!」

 あからさまなまでに拒否反応を示すパチュリー。しかし、レミリアは一向に引こうとしていない。

「でもね。やっぱり、パチェにも悪かったかなと思って。だから久しぶりに、一緒に遊びにいこうかなと思うの。いいでしょ?」
「なにゃ、にゃにゃにゃにゃ、ふにゃにゃ!」

 レミリアじきじきのお誘いなど、実に数十年ぶりの話である。
 パチュリーの理性は吹き飛んでしまった。
 アレルギー症状と、新たな感情の波がぶつかり合い、パチュリーの小さな口からは何も言語化することはできない。

「……せっかくだし、二人で、ね」

 机の下に、レミリアは手を差し伸ばす。すると、おずおずとその指を掴む白い手があった。
 引っ張りあげて、パチュリーを立たせる。が、足元が怪しい。

「ご、ごめんなさ……。うっぷ。愛、受け取りすぎて……。気持ちが悪いような、嬉しいような、うぅ!」
「パ、パチェ!? そうだ! パチェ! 愛を取りすぎたのなら、放出すればいいじゃない! 愛を吐き出して!」
「なるほど、その手があったわね!」

 パチュリーは世界中からの愛を受け、苦しんでしまった。
 それならば、愛を全世界に向けて発信するほか無いだろう。
 愛の放出といえば、パチュリーには一つだけ思い当たる節があった。
 
「私の愛よ、世界へ届け! 全世界ラブ・ビーム!」

 こうして、パチュリーは神となった。
 幻想郷の住民は皆、そのラブ粒子に当てられ、誰かを愛さずにはいられなくなってしまったのである。
 いや、幻想郷どころではない。
 ラブ粒子の力は文字通り世界に届いたのである。
 外の世界の人間達も、この瞬間をもって、愛を振りまかざるを得なくなってしまったのである。
 そう、これはあなたも例外ではない。
 愛するための気力が無くなったときも、心配無用である。
 パチュリーは今もどこかで、ラブ粒子を不特定多数に向けてばら撒き続けているのだから……。
くそ、ここはもう駄目だ! 俺に構わず早く逃げないと、ラブ粒子が来……。
うわあああああ、みすちー! みすちいいいいい!
飛び入り魚
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コメント



0.840簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
ここまで書いといてまさかのみすちーかww
4.100名前が無い程度の能力削除
愛は惜しみなく奪うものですよ。
6.無評価名前が無い程度の能力削除
>曜日には詳しいが、日付には無頓着なパチュリーであった。
その設定すっかり忘れてたわw

ところで、何で俺のところには愛が届かないのだろう……藍でもいいけど。
7.90名前が無い程度の能力削除
点の入れ忘れです、すみません。
12.100名前が無い程度の能力削除
この気持ち、まさしく愛だ!
13.90名前が無い程度の能力削除
ラブ粒子でトランザムしそうだこのパッチェさんww

ここにもそろそろラブ粒子が流れてくるころか……
14.100名前が無い程度の能力削除
守矢神社がさいきょー過ぎて怖い。
いきなりこんなのが引っ越してきた日には、妖怪連中もさぞ頭を抱えただろーな。
16.60名前が無い程度の能力削除
勢いがあって良かったです。
17.80名前が無い程度の能力削除
なんだか凄かった。
18.90名前が無い程度の能力削除
なんだこれはww力技で走りきった感がw
21.90oblivion削除
パチェはいつだってラブリーだ
22.無評価名前が無い程度の能力削除
いやぁ、ひどいwwwwww
23.100名前が無い程度の能力削除
愛っすくそ吹いた
27.100名前が無い程度の能力削除
これが愛か……
これが愛なのか。
愛っすか。
そうっすか。


みすちぃぃぃぃぃ!!
30.100名前が無い程度の能力削除
スピード感あるお話でとても楽しかったです。
>ちなみに、神社には諏訪子の姿がない。どこかへ出かけているものと考えるのが自然だ。
ここで一際笑いました。
31.100おぅ削除
愛か……
ふふ、一時期は私も愛を求めた事があっtうわあぁぁぁぁぁ幽々子様ァァァァァァァァ結婚してくれェェェェェェェェェ!!!
32.80名前が無い程度の能力削除
いい疾走感ww
なんというか、オンリーワンな作風をお持ちですねえ……。