既に真っ暗な夜の闇の中で、微かな光が揺れていた。
その光の正体は、屋台の提灯の赤い光であった。
二体の天狗がそこに腰かけ、普段は奔放な天狗とは思えない程、静かに呑みながら話をしているのだった。
「ああ・・・新聞のネタがなぁ・・・」
「そりゃお前、すっかり平和になっちまったもんだから、ネタなんてねえんだよ」
次の新聞大会に向けた話なのだろうが、どうにもネタ探しには困っている様子である。
しばらくは、天狗達の酒を啜る音と、寡黙な屋台の店主が焼き物を焼いている音しか聞こえてこなくなった。
「まーたゴシップ記事でも書かなきゃなんねーのかな」
「・・・そうだろうな」
沈黙を破る様にして一方の天狗が相方に向かって話しかける。
相方の方は気だるそうに返事をした。
「ああ、面白くない!景気づけにあの話の続きでもしてくれよ」
「あの話とは?」
「あの剣士の話さ」
「・・・魂魄妖忌か」
話を振られた方は満更でもなさそうな表情をした。
「あぁ、いいよ。俺はあの人の大ファンだからな。むしろ語らせてくれ」
「よしきた」
寡黙な店主が、空いた猪口に酒を注いでいるのにも気付かず、天狗達は嬉しそうな顔で物語を始めた。
―――それでな、妖忌は身の丈8尺はあらんばかりの鬼に向かって見事な大音声を叩きつけてやったんだ。
『やあやあ、其処の図体ばかりの冥府の飼い鬼め。我こそは―――』
明羅は今日も懐の寂しさに頭を悩ませていた。
妖怪退治稼業をやる者は人里にはほとんどおらず、おいしい商売のように思われるのだが、実際は仕事がほとんどない。
というのも、人里は保護された区域である為、妖怪を退治する必要がほぼないからである。
結局、偶に出没する野犬に毛の生えた程度の低級妖怪の討伐などという、しみったれた仕事と報酬で日々の生活を賄うことしかできない。
「はぁ・・・また仕事を探すか・・・」
明羅は、がっくりと項垂れながら自分の家を後にした。
「よぉ、里一番の美丈夫君。まぁた仕事探しかい」
「私は女だ!」
胡散臭い仕事の仲介業をやっている、これまた胡散臭い親父と軽口を叩き合いながら、明羅は親父の向かいの椅子に乱暴に座る。
ニヤニヤと、人の不幸を心の底から喜ぶかのような笑みを浮かべながら、店の親父は資料を手に取り、喋り始めた。
「丁度良かったな。一件だけ妖怪退治の仕事が出ているよ」
「そうか」
明羅は仏頂面ながら、内心穏やかになった。
これでしばらくは飯に困らない。
「それがなぁ、こいつがまた気持ち悪い妖怪で」
「何?」
『気持ち悪い妖怪』と聞いて明羅の顔が曇る。
「なんというか・・・人間程もある馬鹿デカいムカデみたいなやつで、毒液を飛ばしてくるんだとさ」
「な・・・」
親父はわざとらしく、声に抑揚を付けて話す。
明羅は眉間に皺を寄せた。彼女も女性だ。そんな巨大ムカデみたいなのとはできればやり合いたくない。
しかも、毒を持っているというのなら尚更だ。
「やめとくか?」
「むっ・・・」
「じゃあその仕事をワシにやらせてくれ」
声をかけられ、親父と明羅は声の主のいる店の入口の方を凝視した。
「アンタは・・・博打好きの爺さんじゃねえか」
「誰だ・・・?」
「知らねえのかい。ある日突然この里に現れてさ、いろんな店で呑むわ打つわで恐ろしく金使いの荒いジジイだって皆が噂してるんだぜ」
「ふーむ、博打などしたことがないから知らんな」
「アンタが世間知らずなだけだろうが」
「私は世間知らずなどではない!」
再び軽口を叩き合い始めた二人の傍に、その老人は近寄っていく。
「最近調子が悪くてな、もう少しですってんてんになる所だわい。頼むからその仕事をやらせてくれ」
「こう言ってるぜ、明羅さんよ。」
「しかし・・・爺様よ、アンタはどうやって妖怪を退治するんだ?そんなに老いて、しかも得物も持ってないだろうに・・・」
「だな、俺も久しくこの商売をやってるけどな、博打野郎が妖怪退治なんて聞いたことないぜ」
店の親父が小声で明羅にそう話しかけた。
古びた紺色の長着を着て、その上からやたらと体型と合っていない大きな黒色の羽織を着ているこの老人は、
里でもよく見かける普通の老人の格好そのものである。勿論、武器の類は持っていないように見えるが・・・
「武器はなぁ・・・ここにあるじゃないか」
「ん?その刀は・・・」
明羅は老人の持っている刀を見た後、自分の腰の辺りを見る。
案の定、そこにあったはずの自分の刀がなかった。
「ハッハッハ!後で返すぞ!」
「やられた!あのジジイめ!」
「へェ・・・あの爺さん、意外と器用なんだな」
感心している親父を尻目に、明羅は慌てて老人を追いかけて夕暮れ道を走っていった。
夕暮れ時は妖怪達の動きだす時間である。
さらに暗さの為、目もよく効かない。
明羅は老人を見失い、更に里の外れまで来てしまった自分の危うい状況にやっと気付いた。
「くそ・・・刀が無ければ為す術がないじゃないか」
明羅は酷く落ち込み、里に引き返そうとしたが、何かの物音が聞こえたのでその場で踏みとどまった。
物音のした方向を確認し、その方向へまっしぐらに駆けていった。
「これは・・・」
「おぉ、先程の二枚目さんではないか」
「私は女だと言っているだろう!」
明羅が向かった先には、巨大なムカデのような妖怪を3つか4つにバラバラに斬り刻んだものがあり、更にその傍には老人の姿があった。
よく男に勘違いされることに腹を立てながらも、明羅は目の前の光景に驚きを隠せなかった。
「これはアンタがやったのか?」
「そうだ」
老人は少しだけ笑いながら答えた。
明羅はこの老人の腕前に感服していた。
「凄いな・・・化け物を相手にして、大根を切るかのように斬り伏せてしまうんだな」
「ハッハッハ・・・ま、そろそろ帰ろうかね」
老人は、妖怪の頭部(らしき部位)を抱えてその場を立ち去っていく。
明羅は刀も返してもらってない為、仕方なくその後についていった。
「ホレ。まずはお前さんの刀を返すぞ」
「・・・もうやるなよ」
店の親父の所で報酬を貰った後、明羅と老人は二人で静かな居酒屋に来ていた。
客はこの二人以外おらず、店主は完全に酔いつぶれている。これでいいのだろうか。
「辺鄙な店だな」
「内密な話をするにはうってつけの穴場だろう?」
老人は得意そうな顔をして見せた。
一方の明羅は怪訝そうな顔をしたが。
「内密な話とは?」
「・・・ワシの話を聞きに来たのだろう?なぜ刀を扱えるのか、とな」
「わかっていたのか」
「そりゃぁ、知りたいだろう。特にお前さんみたいに鼻っ柱の強そうな若者は」
「見透かされていたか・・・本当にアンタは何者なんだ」
「それは今から話す。その前に・・・これは刀の借り賃だ。さっきの報酬の半分で良いだろう」
「半分もか!?」
「ハハハ・・・化け物の体を持っていった時の店主の慌てふためいた顔が忘れられんわい」
「・・・・・・・・・・・」
老人は静かに笑っていたが、明羅が黙りこくっているのを見るとすぐに笑うのをやめた。
「わかったわかった。今からワシの話をしてやろう」
「どうも・・・」
老人は手に持っていた酒瓶から一口呑むと、厳かに語り始めた。
「昔、魂魄妖忌という剣士がいた」
「あの伝説の・・・しかし、それがアンタと関係あるのか?」
「まあ最後まで聞け」
老人は右手を前に出して明羅を制止させた。
やむなく、老人の話を黙って聞くことにした明羅。不機嫌そうに腕を組んでいる。
「ソイツはな、剣を極めようと躍起になっていた。来る日も来る日も鍛錬に励み、ソイツの周りの者に一切の気も配らず、まるで修羅のように刀を振るっていた。しかしな・・・ある日悟ってしまったんだ」
「ふむ」
「この平和な時代に剣を極める必要があるものかと、な」
「馬鹿な・・・初耳だぞ。魂魄妖忌と言えば、剣を志す者なら誰しも知っている剣豪だ。出鱈目を言うな」
「いいから落ちつけ、な?」
興奮気味になってきた明羅を窘める老人。
明羅はそれでも落ちつかない様子だ。
「結局、自分が時代遅れで、必要性の全くない者だと知った妖忌は・・・近しい者にも何も告げずにいなくなってしまったのだ」
「・・・・・・・・・」
「ここで質問だが、今妖忌はどこにいると思う?」
「地獄で鬼でも斬っているんじゃないか?」
明羅はすっかり拗ねた様子で答えた。
「違うな」
「・・・まさかアンタとか?」
「・・・・・・・・・・」
明羅の冗談交じりの回答に、老人は押し黙ってしまう。
彼女はその時、何かを確信した。
「そうか、信じたくなかったが・・・アンタが妖忌だったのか」
「そうだ・・・薄々気づいていたのだろう?」
そう言いながら妖忌は大きすぎる羽織を脱いでみせる。
その中には、半透明の半霊が隠れていた。
「これが、半人半霊の魂魄家の証拠だ」
「なるほど、あれ程の素晴らしい斬りっぷりも納得できる」
「それでな、ここからがワシの一番言いたい所なんだが」
「はぁ、剣豪の仰ることなら何でも聞き申し上げるよ」
「そんな馬鹿丁寧な言葉を使わんでもいいわい」
老人は大笑いをすると、また真面目な顔に戻った。
「明羅・・・お前さんは優しい。里では近寄りがたい雰囲気を出しているようだが、本当は虫も殺せない性分のはずだ」
「なっ・・・何を!」
「いーや、お前さんは優しい。それでいてツメが甘い。ワシの孫のようだ。だがな、その優しさが剣の道には致命的なものとなる。剣の道は弱肉強食、阿修羅のような世界で、一時も気を休めることができない。更にこんな平和な時代には、周りの者からは煙たがられ、自分の不必要さにある日―――」
「そんなことはない!貴方の口からそれを聞きたくはなかった!」
「何を言おうと、いつか虚しくなる時が来るぞ」
「馬鹿な・・・」
「別に良いではないか、無理に剣を極めようとしなくとも。ほどほどが一番だ。それをお前さんに忠告する為に、お前さんの仕事と刀を奪ってまでこの席を設けたのだからな」
「何を・・・もういい!帰らせて頂く!」
「あ・・・おーい!この話は他言無用だからな!」
激昂し、立ち上がって店の出口の戸を開けっ放しにしたまま去っていく明羅に慌てて声をかける妖忌。
彼女の姿が見えなくなると、妖忌は残っていた酒を飲み干し、残念そうに酒瓶を置いた。
「どうしたの妖夢。思いつめたような表情をして」
「あ、幽々子様。すみません、ちょっと考え事を・・・」
巨大な白玉楼の縁側に腰掛け、ぼーっとしている様子の妖夢に優しく話しかける主の幽々子。
妖夢は主にそんな姿を見られ、恥ずかしそうに主の方に向き直った。
「・・・また妖忌のことでも考えていたの?」
「・・・ええ、そうです」
我が主には隠し事はできないな、と改めて思い知らされる妖夢。
幽々子は優しく微笑んでいるだけだった。
「し、師匠は・・・今どこにいるのでしょうか?」
「あらあら・・・それは私にもわからないわ・・・」
「ですよね・・・」
何度聞いても帰ってくる返事は変わらない。
これ以上自分の主を困らせるものではない、と妖夢はその場を去ろうとした。
「そういえば妖忌はね、白玉楼に来る前は、それはもう怖い人だったのよ~」
「ここで庭師をする前のことですか?」
「ええ・・・300年ぐらい庭師を務めてくれたけど・・・やっぱり退屈だったのかしらね」
「ということは・・・師匠は」
「今頃怖い人になっちゃってるかもしれないわよ?」
「そそそそそんな!」
顔を赤くしてどもる妖夢を『まあまあ』とあしらう幽々子。
彼女がどこまで知っていて、どこまで知らないのか・・・それは彼女自身にも分からないことである。
あの妖怪退治から3週間が過ぎた。
あの老人が妖怪退治をしたという話は明羅と店の親父以外は知らない。
『他言無用』とは言っていたが、言った所で誰も信じはしまい。
明羅はそう考えながら、今日も財布の中を覗いてはあれやこれやと唸っていた。
「ん?なんだあの騒ぎ声は?」
ふと明羅の耳に普段とは違った様子の里の喧騒が聞こえてきた。
気になったので、わらじをはき、自宅の外に出てみる。
家の前の通りには人だかりができていて、その通りの真ん中には妖忌を太い縄で縛り上げて無理やり歩かせている大きな鬼がいた。
「妖忌殿!一体何が!?しかもこんな里の中に鬼が・・・」
「なんだお前は。俺は是非曲直庁の獄卒様だぞ」
思わず妖忌のもとに駆け寄って質問攻めにする明羅。
そんな彼女に対し、鬼は偉そうに答えた。身の丈は8尺は軽くあるだろうか。
「是非曲直庁が!?」
是非曲直庁と聞いて驚いたのは明羅だけではない。
周りの人間達も同様である。喧騒が更に大きくなる。
「おい!『伝説』の魂魄妖忌よ。こいつはお前の知り合いか?」
「そうだな」
「へっへっへ・・・知り合いなら教えてやるよ。こいつはな、大昔はそれはもう極悪人でな。無闇に妖怪を斬り殺したり、是非曲直庁に刃向かったりで、本当に手のつけようのない奴だったんだ。まあ、その強さが伝説になって今では尊敬している馬鹿者もたくさんいるんだが」
「妖忌殿が!?」
「あぁそうだよ。是非曲直庁に狙われるようになった後は、白玉楼で庭師でもやって俺達の監視の目を緩めようとしてたのか知らんが、やっぱり退屈だったんだろう。冥界から抜け出したとは聞いていたが、今では幻想郷の至る所で暴れているもんだから、これは再び是非曲直庁にも刃向かいだすなということで、閻魔大王様達が直々に俺らに命令を下してコイツを捕まえたって訳だ。最初は俺に対して『やあやあ、其処の図体ばかりの冥府の飼い鬼め』なーんて言って斬りかかってきたが、『白玉楼のお嬢様が泣いておるぞ?』と言ってやったら急に大人しくなったよ」
「妖忌殿!嘘だと言ってくれ!それに貴方が刀を握ったのはこの前の一回きりだろう!?」
「それがな・・・あの時に刀を握ったのが良くなかったのだろうな・・・。もう300年以上も大人しくしておったから大丈夫だと思ったが、あれ以来昔の病気が再発してしまったのだ。やっぱりワシは極悪人だわい」
獄卒がそこで妖忌の背中を蹴って、前に進むように促したため、明羅との会話はそこで途切れてしまった。
明羅は妖忌の豪快な笑い声が遠ざかっていくのを聞きながら、いつまでもそこに佇んでいた。
妖忌△
でもこの時代に生きてる設定はちと無理がありますよねぇ。