日本人は古来より、真面目で勤勉で過労死という言葉が良く似合う民族だと言われている。
しかし、あれは嘘だ。日本人が勤勉であったのは、外国より資本主義が流れ込み、「働かざるもの食うべからず」などという醜悪な言葉が流行り始めた明治維新以降からであり、それ以前は働きもせず日がな一日寝て過ごし、気が向いた時にだけ稼ぎに出るような、ニートやフリーター然とした暮らしを送る者も多かった。(古典落語を聴いてみるに、そういった印象を受ける)
そんな時代の生活スタイルが色濃く残る幻想郷に、当然のようにその男は居た。
その男、人里でも評判の怠け者で、要領も悪く頭も悪い。それは氷精や地獄鴉並みで、その癖、人間の持つ欲や業は人一倍なものだったから、より始末の悪い男だった。
棟割り長屋に住むが家賃をまともに払うことの方が珍しく、仕事はと訊かれれば「依頼を受ければ駆けつける何でも屋だ」と吹聴するが、こんな男に自分から仕事を頼む者も居らず、要するに何もせずに惰眠を貪る毎日なのだ。
この日も男は、やることも無いので、寝転がり、ほじった鼻糞を数えて暇を潰していた。
九百九十五。
九百九十六。
九百九十七。
九百九十八。
九百九十「ぐぅ~」。
一千の大台に乗ろうとしたとき、男の腹が異変を告げた。空腹である。時計を見ると、およそ正午だった。
丁度良い。腹を満たし、晴れ晴れとした気持ちで一千個目の鼻糞を迎えようではないか。そう思い、男は部屋の隅に置かれた米櫃を開けて覗き込んだ。
中身は空だった。そう言えば、昨日の夜で全て食い尽くしたのだった。買い足すにも金が無く、仕方なく今日は働きに出ようと早起きしたものの、朝は調子が出ず良い仕事は出来ないと、誰にとも無く言い訳し、布団の中で鼻糞を数え始めて今に至る。
しかし、さすがにこれ以上の空腹は耐えかねる。巫女も解決できないこの腹の異変を終わらせるため、渋々男は立ち上がり、食い扶持を得るため、里の通りへと向かった。
働くといっても、この男、定職が無い。依頼の来ない「何でも屋」は、こちらから「営業」に出かけなくてはならない。
男は、いくつかの古い知人を当たってみることにした。
まずは、茶屋を当たった。駄目だった。
要領が悪く、接客も碌に出来ない男に、茶屋の仕事は向いていなかった。
次に、道具屋を当たった。一蹴された。
頭が悪く、勘定の計算もろくすっぽ任せられない男に、道具屋の仕事は向いていなかった。
最後に、酒屋を当たった。刎ね付けられた。
目を離せばすぐに売り物に手を付けかねない怠け者に、大事な酒の番は向いていなかった。
大工や農作業の仕事も、当たってみようと考えたが、腹が減ってるのに力仕事などもっての他だと、一番最初に諦めた。
知り合いのつてを無くした穀潰しが、次に考えることといえば、たいていは盗みである。
しかし、この男に盗みという選択肢は存在しない。
これは、金は無くとも心は錦、などと殊勝な考えによるものでは全くなく、ただ単に、この男の盗みは、持ち前の要領と頭の悪さゆえ、必ず失敗するのである。
しかもここは幻想郷の人里。上白沢慧音や八雲紫といった妖怪共(誇張的表現ではなくマジに妖怪だ!)が管理するここで、盗みが失敗したとあっては明日の命の保障は無い。
そんな中で、男に「盗み」という選択肢が与えられるはずも無く、行動は次のステップへと移行する。
男がやってきたのは、求人広告の貼られる立看板だった。
本来ならば、盗みよりまず、ここに来るべきなのだろうが、幻想郷という土地柄、およそまともな人間のする仕事はここには無い。人里の、人間の経営する真っ当な仕事であれば、知人同士の口コミにより働き手を捜すのが一般的で、故に必然、ここに貼り出される仕事というのは、「人間」の働き手を必要とする「妖怪」からの求人であり、それが真っ当と呼ぶにはかけ離れたものであることは、この男にあっても容易に想像できるところである。
しかしまあ、中には一つくらい、出来なくもない仕事もあるかも知れんと、男は掲示板の貼紙を、右から順に眺めることにした。
まずは一番右端の貼紙から。
『急募! 小さな女の子と遊ぶだけの簡単なお仕事です。最悪、傍に居てもらうだけで、何もしなくても可。
御連絡は紅魔館まで』
却下である。
第一に、場所が無謀である。
よく読んでみれば、待遇や賃金は悪くないどころか、他に例を見ないほど素晴らしいものだ。人によっては一生分の金が稼げるだろう。
ところがこの貼紙、何度か張り直した後があるものの、ぼろぼろであり、長い間雨風に晒され続けたと見える。その通り、長い間この貼紙はここに貼られ続けている。
つまり、それでもまだ人手を欲するということは、曰く付きなのだ。
かつての放蕩仲間も、一年前にこの待遇賃金に釣られ、「この仕事が終わったら、一生分の酒を奢ってやるぜ」などと意気揚々と行ったきり、戻ってこない。
一度様子を見に行ったことがあった。門番に尋ねると「来た」とは答えるが仲間のその後は「知らないほうが良い」と言われ追い返された。
そしてその後も依然としてこの貼紙はここに貼られ続けている。曰く付きとなるはずだ。
そんなことを思い出しながら、男は次の広告へと目線を移す。
『超人気音楽バンドのコンサートへ御招待! 私達の素晴らしい演奏を聴いているだけでお金が貰えちゃう素敵な仕事です!
応募受付は今だけ! お待ちしています。応募先はプリズムリバー』
却下である。
確かに賃金は安いが、数日食っていけるだけの金さえあれば良い今の男にとっては、十分ではあった。
しかし、応募先は、あのプリズムリバーである。
実際に聴いたことはないが、以前コンサートに行った奴の話によると、実に素晴らしい音楽を奏でるらしい。そう熱く語っていた奴の目は、明らかに常人の眼差しでは無かった。
そいつは数時間、「来なかったお前は一生後悔する」「次女のメルランの生足萌え」と途切れることなく熱弁を振るい、その後自殺した。
あれ以上、話を続けられたら、こっちの気が参って死んでしまいそうだったから、奴が死んだときは心のそこから安堵したものだった。
そんなわけで、男はそれ以来、絶対にこれに関わってはならないと強く思うこととなったのだ。まだ真新しいこの広告も、きっと先程の広告と同じように曰く付きの物となるに違いない。
次の広告。
『人の役に立つ医療のお仕事です。日々作られ続ける、新薬ですが、それが病人の元へ届くまでには、安全性の実証が不可欠です。
そこで、永遠亭では、新薬実験のモルモットを募集しています。若く健康な人間なら性別は問いません』
却下である。問答無用で却下である!
次の広告。
『私の取材の人柱に……』
却下!
次。
『貴方は食べられる人類?』
却下!
……
全滅だった。掲示板を眺めただけだった筈だが、男は強烈な徒労感を味わった。今日この時間だけで、妖怪共が我々人間をどう思っているのか、寺子屋で学ぶよりも、幻想郷縁起を読破するよりも、ずっとよく分かった気がする。
だが、この中から選ばねばならぬのだ。知人からも見放された。この掲示板も明日になればもっと劣悪な広告が貼られるだろう。なんとしても、今日、日が落ちる前に決断しなくてはならない。
男はあれこれと悩んだ。この男が、これほど真剣に物事に向き合った事があっただろうか。あったとするなら、それは前世の記憶である。
それほど男は考えた。考えながら、男は今までの人生を後悔した。
ああ、俺が今これほど頭を痛くしているのは、これまで怠けてきたツケが回ったきたのだ。
始めに頼みに行った、茶屋や道具屋や酒屋の親父達も、俺をまるで糞を見るような目で見下していた気がするなあ。
これで金を稼いだら、まずはあの親父達にこれまでの礼をしに行こう。
そして、もう一度働かせてもらえねえか頼もう。
本当に本当に考えた。これからの事。これまでの事。自分の人生について、考えた。
考えに考えた末、ようやく結論を出した。
男は、大金を稼ぐため、紅魔館へと歩き出した。
皆に心を入れ替えて振舞うなら、このくらいは稼がなくっちゃな。
悲しいかな、男は頭が悪かった。
無事に帰ってこいよー
次回はもっと長めのお話を読んでみたいですっ。
「面白かった」「次も期待」と言って頂けて、大変光栄です。
次に投稿する予定のネタはいくつか考えてあるのですが、いずれも今回のものよりは多少長く書く予定です。
その時もまた、楽しんで読んで頂けるよう、精進しようと思います。
自慰小説ですから。そそわじゃあまり見ませんがね。
とにかく面白かったので満足です。
こういう作品は好きです
彼岸あたりで会えているといいですね