咲夜が転生して猫になった。
「な~お」
「…………」
流石の私も、この運命は読めなかった。
「はっはっは。可愛いですねぇ咲夜さん」
「にゃうぅ」
適応力には定評のある美鈴である。
「良かったじゃないの。レミィ」
「パチェ」
「形はどうあれ、これでまた咲夜と一緒に過ごせるんだから」
「……うん」
そうだな。
うん。
私は美鈴に抱き上げられている、銀色の毛を全身にまとった猫を眺めた。
その猫―――咲夜は、楽しそうに笑っていた。
「……どんな形であれ、か」
できればもう一度、人間の姿で現れてほしかったけど。
でもまあ、いいか。
どんな姿であれ、咲夜は、咲夜だ。
ただ、問題点が一つだけある。
「コミュニケーションは、どうやって図ればいいのかしら」
「そんなの問題ないわ」
私の素朴な疑問を一蹴するパチェ。
「どうするの?」
「猫語を話せばいい」
「…………」
パチェの表情はあくまで真剣だ。
どうしよう、反応に困るな。
するとパチェは、何度か咳払いをしてから、咲夜の方を向いて口を開いた。
「にゃ~」
えっ。
「…………」
咲夜は大きな目を見開いてこちらを見ている。
まさかとは思うが通じたのか?
「にゃ~」
すると咲夜も返した。
え、本当に通じたの?
慌てて私が振り向くと、パチェはいい笑顔で親指を立てた。
「レミィもやってみなさいよ」
「え、でも私、猫語なんて知らないわ」
「猫語なんて言葉なんだ。こんなのやれば誰だって出来るようになる」
「そ、そうかな……」
何故かいきなり口調の変わったパチェにツッコむことすら忘れて、私は真剣に頭を悩ませた。
だって猫語だよ?
私は幻想郷に来てから頑張って日本語を覚えたクチだけど、そのときとは訳が違う気がする。
「ほらレミィ。咲夜が待ってるわ」
「う、うん」
でもこれで、咲夜とコミュニケーションが取れるのなら。
そう思い、私は覚悟を決めて猫語を発することにした。
「に、にゃ~。(げ、元気? 咲夜)」
「…………」
咲夜は先ほどのパチェのときと同様、大きな目を見開いてこちらを見ている。
果たして、伝わったのだろうか。
というかこれで伝わったら、およそこの世界に存在する、あらゆる言語というものがその意味を失うような気がしてならないのだが。
咲夜は、その大きな瞳を何度かぱちくりとさせてから、
「にゃ~。(咲夜はすこぶる元気ですわ。お嬢様)」
「えっ!」
つ、伝わった!?
「ねっ」
パチェが一層いい笑顔になって、私の肩に手を置いた。
「ぱ、パチェ……」
「ちゃんと、伝わったでしょ?」
「……うん」
私は素直に頷く。
そう。
にわかには信じがたいことだが、確かに今、私は猫の咲夜と意思疎通を図ることに成功したのだ。
私の言葉が咲夜に伝わり、そしてまた、咲夜の言葉が私に伝わったのだ。
念のため、私はもう一度、咲夜に声を掛けた。
「……にゃ~あ。(ねえ咲夜? 私の言葉、ちゃんと伝わっているわよね?)」
するとすぐに、咲夜も返事をしてくれる。
「にゃう、にゃう。(ええ、ええ。勿論ですわ、お嬢様)」
「咲夜……!」
思わず感極まった私は、咲夜の方へと手を伸ばす。
咲夜はそれに応じるように、ひょいっと、美鈴の肩から飛んできた。
「わっ」
少し後ろによろけながらも、その小さな身体をしっかりと受け止める。
そしてそのままぎゅうっと抱きしめると、咲夜は嬉しそうに身をよじった。
「にゃうう」
「わっ。はは、こいつめ」
ぺろぺろと、私の頬を舐める咲夜。
なんだか、人間だった頃より甘えん坊になったみたいだ。
私は咲夜に頬擦りをしながら、猫語で話し掛けた。
「にゃあ。(ねえ、咲夜)」
「にゃ? (なんでしょう? お嬢様)」
「にゃうにゃうにゃ? (これからはまた、ずっと一緒にいられるのよね?)」
「にゃん、にゃん。(ええ、もちろんでございますわ。咲夜は死ぬまで、いえ、死んでも、お嬢様の従者ですから)」
「ははは、そうかそうか」
「?」
嬉しさのあまり、最後は思わず人語に戻ってしまった。
人語が分からない咲夜がきょとんとしているので、もう一度、「にゃうにゃ」と猫語で言い直す。
すると咲夜も満足そうに、
「にゃう」
と頷いた。
―――それから、咲夜と共に暮らす日々が始まった。
朝。
猫特有のざらつく舌触りを頬に受けつつ、私の一日が始まる。
「……にゃ~う。(……おはよう。咲夜)」
「にゃ~う。(おはようございます。お嬢様)」
寝ぼけ眼で、咲夜の頭をよしよしと撫でてやる。
咲夜は気持ち良さそうに目を細めた。
「にゃんにゃう。(すぐに、ごはんの用意するからね)」
「みゃ~お。(ありがとうございます)」
咲夜が人間のときとは逆に、今では私が、咲夜のごはんを用意してやっている。
まあ、咲夜は猫なんだから当たり前だが。
ミルクをとくとくと皿に注ぐと、咲夜はもう待ちきれないとばかりに、急いでぺろぺろと舐め始めた。
「にゃああ。(もう、そんなに慌てなくてもいいのに)」
「にゃふぅ。(えへへ、すみません)」
私はその銀色の背中を優しく撫でながら、確かな幸福感に包まれていた。
昼。
猫の咲夜にメイドの仕事をさせるわけにもいかないので、咲夜は基本、ずっと私の膝の上でゴロゴロしている。
私も私で、咲夜の温もりが非常に心地良いため、やめる気にはさらさらなれない。
ロッキングチェアーに揺られながら、咲夜と二人、気付けばまどろみの中にいた。
咲夜が人間だった頃は、二人で一緒に昼寝をすることなんて滅多になかった。
こういうのもいいなあなんて、しみじみと思った。
夜。
夕食後も、咲夜はずっと私の膝の上にいる。
もちろん、他の住人一同にもよく懐いているのだが、最後にはやっぱり私のところに来る。
私が少しでも席を外すと、すぐに不安そうな声で私を呼び始めるし、私が読書などに集中していると、構ってほしそうに足元に擦り寄ってくる。
どうやら咲夜は、人間だった頃より甘えん坊になったばかりか、寂しがり屋にもなったみたいだ。
まあ、そこがまた可愛いんだけど。
「にゃお、にゃう。(おやすみ、咲夜)」
「にゃお、みゃあ。(おやすみなさいませ、お嬢様)」
寝る前の挨拶を交わすと、私は咲夜を抱いて眠る。
咲夜はすぐに、すうすうと寝息を立て始めた。
そんな咲夜を見つめているうち、私も夢の世界へと。
幸せだった。
そこには、確信があった。
―――また、ある日のこと。
その日は久しぶりに、博麗神社での宴会に足を運んだ。
咲夜が死んで以来、碌に参加していなかったが、こうして咲夜と再会できたこともあって、行ってみることにしたのだ。
もちろん、隣には咲夜を伴って。
「はは、懐かしいな」
見渡すと、昔と大して変わっていない面々がいた。
しかしその一方で、もう姿を見ることができない者達もいる。
「……寂しい?」
そんな私の内心を見透かしたかのように、パチェが小さな声で尋ねる。
「まあ、ね」
あえて否定はしない。
無愛想な紅白巫女のことや、傍若無人な白黒魔法使いのことを思い出しながら。
「……でも、いいんだ」
そう言って、足元の咲夜を優しく抱き上げる。
「今は、咲夜がいるからね」
私がそう言うと、咲夜はそれに応えるかのように、私の頬をぺろりと舐めた。
ひょっとすると少しずつ、人語も分かるようになってきているのかもしれない。
だがパチェは、
「……そうね」
とだけ呟くと、何故かそれきり黙り込んでしまった。
何か気に障ったのだろうか。
気にはなったけれど、その後すぐに宴会が始まったため、結局うやむやになってしまった。
―――そうして始まった、宴会のさなか。
「みゃ~う」
「お、橙か。久しいな」
私は、ごろごろと膝元に擦り寄ってきた黒猫を抱き上げた。
昔よりは少し大きくなったような気はしたが、尻尾はまだ二本のままだった。
この分だと、彼女の主を超える日はまだまだ遠そうだ。
……と、そんなことを思っていると。
「お?」
ふいに、軽く引っ張られるような感じがして、振り返る。
「…………」
見ると、咲夜が私のスカートの裾を噛みながら、じとーっとした目で私を睨んでいた。
「さ、咲夜」
「…………」
毛が微妙に逆立っている。
しまった、咲夜の前で他の猫を愛でたのは迂闊だった。
「にゃ、にゃ~お。(さ、咲夜。そんなに怖い顔をしないでちょうだい)」
「……みゃあ。(……お嬢様は、黒猫がお好きだったんですね)」
「にゃ、にゃあにゃあ。(ち、違うわよ。私には咲夜だけよ)」
「……な~お。(……白々しい嘘を言わないで下さい。私という猫がありながら、他の猫にうつつを抜かすなんて)」
「にゃ、にゃ~。(さ、咲夜~)」
「……にゃっ。(……ふんっ)」
なんてやりとりをしているうちに、橙は訝しげな表情を浮かべて去って行った。
どうやら咲夜は、同じ猫の目から見ても奇異に映るくらい、やきもち焼きになっていたらしい。
―――その後、私が咲夜を膝に乗せ、ひたすら喉をごろごろしたり背中を撫でたりし続けた結果、宴会が終わる頃になってようやく、咲夜は機嫌を直してくれた。
やれやれ。
折角久しぶりの宴会だったっていうのに、ほとんど他の奴らと話せなかったじゃないの。
……ま、別にいいんだけどね。
咲夜が、いれば。
咲夜さえいてくれれば、それで……。
◇ ◇ ◇
―――そしてまた、ある日のこと。
いつものように、咲夜を肩に乗せて館内を歩く。
咲夜は今日もご機嫌だ。
「にゃ~? (今日はどこ行きたい? 咲夜)」
「にゃうにゃう。(図書館に行きたいですわ。お嬢様)」
「にゃん。(よしきた)」
もう猫語にもすっかり慣れた。
思えばパチェに背中を押されなければ、猫語は会得できなかったかもしれない。
図書館に行くついでに、パチェにお礼を言うとしようか。
「あれ、開いてる」
珍しいことに、図書館の扉は半分ほど開いたままだった。
「よし。どうせなら、後ろから驚かしてやろう」
こういう悪戯じみたことも、ここ暫くはやっていなかった。
全部、咲夜が戻ってきてくれたお陰だ。
気付かれないように扉をそっと押し開き、抜き足差し足で中に入る。
そろ~りそろ~りと歩を進めていくと、何やら人の話し声が聞こえた。
「? 誰か来てるのかしら」
本棚の影からそっと様子を伺うと、美鈴がパチェの隣に立って談笑している姿が目に入った。
「美鈴か。珍しいわね」
しかしこれでは、パチェを後ろから驚かすという悪戯をするのが難しくなってしまった。
仕方ない、もう普通に出て行くか―――。
そう思ったときだった。
「―――それにしても、うまくいきましたね」
「ええ、最初はどうなることかと思ったけど」
ん?
「正直、見るに耐えませんでしたからね。……咲夜さんが亡くなってからの、お嬢様は」
「まったくだわ。今は、見違えるように元気になったけど」
……んん?
「でも、いつまでもこのままってわけには……いきませんよね」
「まあね……普通の猫だから、そう遠くないうちに、死んでしまうだろうし」
「せめて妖怪猫なら、もっと永く生きられるんですが」
「でもそれだと、そもそも人語を理解できてしまうから駄目よ」
「そうなんですよねぇ」
…………。
えっと。
この二人は、一体何の話をしているんだろう?
「まあとにかく、今はこれでいいわ。レミィは本当に楽しそうにしているし。当分、暗示も切れないでしょう」
「……でも、ちょっと可哀相ですね。お嬢様は、あの猫が本当に咲夜さんだって、信じ込んでいるんですから」
―――え?
「まあね。ただの猫と会話ができている……いえ、できていると思い込んでいるのが、その証拠」
「でもいずれ、お嬢様が真実に気付いたとしたら……」
「……ええ。そのときは、おそらくもう……今のような、『会話』はできなくなるでしょうね」
なに?
なにを、いって……?
「もしそうなったら、お嬢様、また前の状態に戻っちゃうんじゃ……?」
「……確かに、その可能性もあるわ。でも逆に、レミィが真実に気付いたとき―――すなわち、レミィの暗示が解けたとき―――は、彼女が、咲夜の死を、本当の意味で受け入れることができたときかもしれない」
「……そう……ですね……って、お嬢様!?」
「え!?」
二人が、同時に振り返った。
気が付けば、私は本棚の影から姿を現していた。
「……パチェ。美鈴」
「…………」
「…………」
私が声を掛けると、二人は無言で顔を俯かせた。
「……今の話、どういうこと?」
「…………」
「…………」
私が問い掛けても、二人は何も答えない。
「……咲夜が、ただの猫だって……?」
「…………」
やがてパチェが、おずおずと顔を上げた。
彼女は、今までに見せたことのないような表情を浮かべていた。
私は縋るように問う。
「……そんなわけ、ないでしょ?」
「…………」
パチェは何も答えない。
鼓動が、早まる。
「だって、だって……パチェが、教えてくれたんじゃない」
「…………」
私は、肩に乗っている咲夜を指差しながら、続ける。
「この子は、咲夜の生まれ変わりだって」
「…………」
「魔法で、魂の同一性を確認したって。前世の記憶も、そのまま持ってるって」
「…………」
私が何を言っても、パチェはじっと押し黙ったまま。
埒が明かないので、私は美鈴の方に向き直った。
「ねえ? そうよね? 美鈴?」
「えっ、あっ……」
すると美鈴も、いつになく慌てた様子になり、言葉を濁す。
そんな様子に苛立って、私は思わず早口になる。
「この子は、私の知ってる、あの咲夜なんでしょ? 完璧で瀟洒だけど、でもちょっと抜けてる―――」
「うそよ」
私の言葉を切ったのは、驚くほど温度の篭っていない、パチェの声だった。
「……うそ?」
「ええ。全部―――うそ」
パチェはきっぱりと頷く。
そして、私の目を真っ直ぐに見据えながら、続けた。
「レミィ。さっきの話、聞いていたのよね?」
「…………うん」
「それならもう、これ以上は隠すだけ無駄だわ」
「…………」
「あなたの聞いたとおり、その猫は咲夜の生まれ変わりでもなんでもない、ただの普通の猫」
「パチュリー様!」
美鈴が声を上げるが、すぐにパチェが手で制止する。
美鈴は観念したように下を向いた。
「この猫は、毛色が咲夜の髪の色に似ていた。ただそれだけの理由で私が拾ってきた、どこにでもいるただの野良猫」
「…………」
「それを、あたかも咲夜の生まれ変わりであるかのように、あなたに信じ込ませた」
「…………」
「すべては、レミィ。あなたのために」
「…………」
咲夜の尻尾が、ふわりと私の頬を撫でた。
「咲夜が死んで以来、あなたはずっと塞ぎ込んでいた」
「…………」
「辛かった。そんなあなたを見ているのが」
「…………」
軽くつまむと、ふにふにと左右に揺れた。
「そんなとき、この子を見つけた。この銀色の毛を見て、一瞬、本当に咲夜の生まれ変わりなんじゃないかと思った」
「…………」
「そこでふと、思ったの。『もし本当にそうだったら』って」
「…………」
ぎゅっとつかむと、ねこじゃらしみたいにするっと抜けた。
「でも、ごめんなさい。レミィ。結果的に、あなたを傷つけてしまった」
「…………」
「本当なら、あなたがいずれ、きちんと咲夜の死を受け入れ、自ら立ち直ってくれたら……それが一番だったのだけど」
「…………」
咲夜の、死?
パチェはおかしなことを言う。
確かに、咲夜は死んだけど。
人間の、咲夜は死んだけど。
でも。
「咲夜、ここにいるじゃないの」
私は肩に乗っていた咲夜を抱き上げ、そのまま胸の前まで持ってきた。
ぎゅっと抱きしめてやると、咲夜はいつもと同じように、気持ち良さそうに目を細めた。
「……レミィ。違うのよ。その猫は、咲夜じゃ」
「パチェ。私は咲夜と話せるのよ。知ってるでしょ? それが、この子が咲夜であるという、この上ない証拠だわ。ね、咲夜?」
しかし私が話し掛けても、咲夜は特に反応をみせなかった。
一瞬、どうしてかしら、と考えて。
「ああ、そうか」
うっかり、人語で話し掛けてしまったからだと気付く。
咲夜はまだ、人語が分からないんだから、猫語じゃないとね。
私は咳払いをしてから、もう一度咲夜に問い掛けた。
「にゃ~お?(あなたは咲夜よね? 咲夜)」
「にゃ~」
……。
……あれ?
おかしいな。
今、咲夜が何て言ったのか、よく分からなかったわ。
まあ、普通に人語で会話していても、こういうことは間々あるものね。
気にせず、慌てず、もう一度。
「にゃ~お?(あなたは咲夜よね? 咲夜)」
「みゃあ」
「……え?」
あれ?
今もまた、咲夜の発した言葉の意味が分からなかった。
なんで?
どうして?
「……レミィ」
パチェが震える声で言う。
「……猫語なんて、ないのよ」
パチェは何故か、泣いていた。
「私がこの子に、予め、訓練をつけていただけなの」
「…………」
「こちらが猫の鳴き真似をすれば、それに反応して、鳴き声を上げるようにしただけなの」
「…………」
「だから、この子が今日までしていた反応は、コミュニケーションの結果じゃないの。与えられた条件に対する、ただの反射に過ぎないのよ」
「…………」
ねえ、パチェ?
あなたはどうして、ないてるの?
「……それをあなたは、その子に自分の言葉が通じていると、思い込んでいただけ」
「…………」
「……そして同じように、自分にその子の言葉が通じていると、思い込んでいただけ」
「…………」
あれ、おかしいな。
私も、なんだか。
視界が、にじんで……。
「だって、その子は……ただの猫なんだから」
咲夜が、しゅたっと私の腕のなかからおりた。
そのまま、床にうずくまって、ねむそうにあくびをした。
私もぺたんと、床に腰をおとした。
パチェはずっと、泣いていて。
気付くと、美鈴も泣いていて。
何がなんだかわからなくて、私は咲夜に向かって手をのばした。
咲夜はぺろぺろと、私の指をなめてくれた。
昨日までそうしていたのと、まったく同じように。
◇ ◇ ◇
「―――うわっ!」
目を覚ますと、そこには私の顔を覗き込む咲夜の姿があった。
「さ、さくや……?」
「大丈夫ですか? お嬢様。随分うなされていたようですが」
「え? え……?」
辺りを見回すと、夕暮れの日差しに包まれた部屋が、鮮やかなオレンジに染まっていた。
「ゆ、ゆめか……」
どっと、全身で脱力する。
相当寝汗をかいていたらしく、ベッドのシーツがうっすらと湿っていた。
私は非難を込めた視線を咲夜に向ける。
「……もう、主がうなされているのを黙って見てるなんて、趣味が悪いわよ。咲夜」
「申し訳ございません」
大して悪びれた風も見せずに言う咲夜。
まったく、こいつときたら。
相変わらず、微妙に忠誠心が足りてないんだから。
「…………」
そこでふと、思った。
私はそのままの姿勢で、咲夜に問う。
「……ねぇ」
「はい」
「あなたは咲夜よね? 咲夜」
「ええ。私は頭の先から足の爪まで、間違いなく十六夜咲夜でございますわ」
「……ん。ならいい」
「それが、何か?」
「……べつに」
ぶっきらぼうに言って、私は咲夜から顔を背けた。
くそ、なんだか顔が熱いじゃないか。
―――後日。
博麗神社での、宴会にて。
「みゃ~う」
「お、橙か。よしよし」
宴の途中、私は、ごろごろと膝元に擦り寄ってきた黒猫を抱き上げた。
二本の尻尾がゆらゆらと揺れている。
……と、そのとき。
「お?」
ふいに、軽く引っ張られるような感じがして振り返る。
「…………」
咲夜が、私のスカートの裾を手でぎゅっと押さえながら、じとーっとした目で私を睨んでいた。
……やれやれ。
私が橙を下に置きつつ、
「おいで、咲夜」
そう言うと、咲夜はごろりと寝そべって、私の膝の上に顎を乗せた。
すると、そんな私たちの様子を見た橙は、半ば呆れたような溜め息をついて去って行った。
何が言いたい。
……まあ、いいか。
他人にどう思われようと、これが私と咲夜の関係なのだ。
誰にも、文句を言われる筋合いはない。
「ほら、咲夜。よしよし」
優しく頭を撫でてやると、咲夜は気持ち良さそうに目を細めた。
そんな咲夜の表情に癒されつつ、ふと、周りを見渡す。
目に映るは、昔と大して変わっていない面々。
しかし一方で、もう姿を見ることができない者達もいる。
若干の郷愁を覚えつつ、私は咲夜に語り掛ける。
「……霊夢や魔理沙も、早くあなたみたいに生まれ変わればいいのに。……ね、咲夜」
了
「な~お」
「…………」
流石の私も、この運命は読めなかった。
「はっはっは。可愛いですねぇ咲夜さん」
「にゃうぅ」
適応力には定評のある美鈴である。
「良かったじゃないの。レミィ」
「パチェ」
「形はどうあれ、これでまた咲夜と一緒に過ごせるんだから」
「……うん」
そうだな。
うん。
私は美鈴に抱き上げられている、銀色の毛を全身にまとった猫を眺めた。
その猫―――咲夜は、楽しそうに笑っていた。
「……どんな形であれ、か」
できればもう一度、人間の姿で現れてほしかったけど。
でもまあ、いいか。
どんな姿であれ、咲夜は、咲夜だ。
ただ、問題点が一つだけある。
「コミュニケーションは、どうやって図ればいいのかしら」
「そんなの問題ないわ」
私の素朴な疑問を一蹴するパチェ。
「どうするの?」
「猫語を話せばいい」
「…………」
パチェの表情はあくまで真剣だ。
どうしよう、反応に困るな。
するとパチェは、何度か咳払いをしてから、咲夜の方を向いて口を開いた。
「にゃ~」
えっ。
「…………」
咲夜は大きな目を見開いてこちらを見ている。
まさかとは思うが通じたのか?
「にゃ~」
すると咲夜も返した。
え、本当に通じたの?
慌てて私が振り向くと、パチェはいい笑顔で親指を立てた。
「レミィもやってみなさいよ」
「え、でも私、猫語なんて知らないわ」
「猫語なんて言葉なんだ。こんなのやれば誰だって出来るようになる」
「そ、そうかな……」
何故かいきなり口調の変わったパチェにツッコむことすら忘れて、私は真剣に頭を悩ませた。
だって猫語だよ?
私は幻想郷に来てから頑張って日本語を覚えたクチだけど、そのときとは訳が違う気がする。
「ほらレミィ。咲夜が待ってるわ」
「う、うん」
でもこれで、咲夜とコミュニケーションが取れるのなら。
そう思い、私は覚悟を決めて猫語を発することにした。
「に、にゃ~。(げ、元気? 咲夜)」
「…………」
咲夜は先ほどのパチェのときと同様、大きな目を見開いてこちらを見ている。
果たして、伝わったのだろうか。
というかこれで伝わったら、およそこの世界に存在する、あらゆる言語というものがその意味を失うような気がしてならないのだが。
咲夜は、その大きな瞳を何度かぱちくりとさせてから、
「にゃ~。(咲夜はすこぶる元気ですわ。お嬢様)」
「えっ!」
つ、伝わった!?
「ねっ」
パチェが一層いい笑顔になって、私の肩に手を置いた。
「ぱ、パチェ……」
「ちゃんと、伝わったでしょ?」
「……うん」
私は素直に頷く。
そう。
にわかには信じがたいことだが、確かに今、私は猫の咲夜と意思疎通を図ることに成功したのだ。
私の言葉が咲夜に伝わり、そしてまた、咲夜の言葉が私に伝わったのだ。
念のため、私はもう一度、咲夜に声を掛けた。
「……にゃ~あ。(ねえ咲夜? 私の言葉、ちゃんと伝わっているわよね?)」
するとすぐに、咲夜も返事をしてくれる。
「にゃう、にゃう。(ええ、ええ。勿論ですわ、お嬢様)」
「咲夜……!」
思わず感極まった私は、咲夜の方へと手を伸ばす。
咲夜はそれに応じるように、ひょいっと、美鈴の肩から飛んできた。
「わっ」
少し後ろによろけながらも、その小さな身体をしっかりと受け止める。
そしてそのままぎゅうっと抱きしめると、咲夜は嬉しそうに身をよじった。
「にゃうう」
「わっ。はは、こいつめ」
ぺろぺろと、私の頬を舐める咲夜。
なんだか、人間だった頃より甘えん坊になったみたいだ。
私は咲夜に頬擦りをしながら、猫語で話し掛けた。
「にゃあ。(ねえ、咲夜)」
「にゃ? (なんでしょう? お嬢様)」
「にゃうにゃうにゃ? (これからはまた、ずっと一緒にいられるのよね?)」
「にゃん、にゃん。(ええ、もちろんでございますわ。咲夜は死ぬまで、いえ、死んでも、お嬢様の従者ですから)」
「ははは、そうかそうか」
「?」
嬉しさのあまり、最後は思わず人語に戻ってしまった。
人語が分からない咲夜がきょとんとしているので、もう一度、「にゃうにゃ」と猫語で言い直す。
すると咲夜も満足そうに、
「にゃう」
と頷いた。
―――それから、咲夜と共に暮らす日々が始まった。
朝。
猫特有のざらつく舌触りを頬に受けつつ、私の一日が始まる。
「……にゃ~う。(……おはよう。咲夜)」
「にゃ~う。(おはようございます。お嬢様)」
寝ぼけ眼で、咲夜の頭をよしよしと撫でてやる。
咲夜は気持ち良さそうに目を細めた。
「にゃんにゃう。(すぐに、ごはんの用意するからね)」
「みゃ~お。(ありがとうございます)」
咲夜が人間のときとは逆に、今では私が、咲夜のごはんを用意してやっている。
まあ、咲夜は猫なんだから当たり前だが。
ミルクをとくとくと皿に注ぐと、咲夜はもう待ちきれないとばかりに、急いでぺろぺろと舐め始めた。
「にゃああ。(もう、そんなに慌てなくてもいいのに)」
「にゃふぅ。(えへへ、すみません)」
私はその銀色の背中を優しく撫でながら、確かな幸福感に包まれていた。
昼。
猫の咲夜にメイドの仕事をさせるわけにもいかないので、咲夜は基本、ずっと私の膝の上でゴロゴロしている。
私も私で、咲夜の温もりが非常に心地良いため、やめる気にはさらさらなれない。
ロッキングチェアーに揺られながら、咲夜と二人、気付けばまどろみの中にいた。
咲夜が人間だった頃は、二人で一緒に昼寝をすることなんて滅多になかった。
こういうのもいいなあなんて、しみじみと思った。
夜。
夕食後も、咲夜はずっと私の膝の上にいる。
もちろん、他の住人一同にもよく懐いているのだが、最後にはやっぱり私のところに来る。
私が少しでも席を外すと、すぐに不安そうな声で私を呼び始めるし、私が読書などに集中していると、構ってほしそうに足元に擦り寄ってくる。
どうやら咲夜は、人間だった頃より甘えん坊になったばかりか、寂しがり屋にもなったみたいだ。
まあ、そこがまた可愛いんだけど。
「にゃお、にゃう。(おやすみ、咲夜)」
「にゃお、みゃあ。(おやすみなさいませ、お嬢様)」
寝る前の挨拶を交わすと、私は咲夜を抱いて眠る。
咲夜はすぐに、すうすうと寝息を立て始めた。
そんな咲夜を見つめているうち、私も夢の世界へと。
幸せだった。
そこには、確信があった。
―――また、ある日のこと。
その日は久しぶりに、博麗神社での宴会に足を運んだ。
咲夜が死んで以来、碌に参加していなかったが、こうして咲夜と再会できたこともあって、行ってみることにしたのだ。
もちろん、隣には咲夜を伴って。
「はは、懐かしいな」
見渡すと、昔と大して変わっていない面々がいた。
しかしその一方で、もう姿を見ることができない者達もいる。
「……寂しい?」
そんな私の内心を見透かしたかのように、パチェが小さな声で尋ねる。
「まあ、ね」
あえて否定はしない。
無愛想な紅白巫女のことや、傍若無人な白黒魔法使いのことを思い出しながら。
「……でも、いいんだ」
そう言って、足元の咲夜を優しく抱き上げる。
「今は、咲夜がいるからね」
私がそう言うと、咲夜はそれに応えるかのように、私の頬をぺろりと舐めた。
ひょっとすると少しずつ、人語も分かるようになってきているのかもしれない。
だがパチェは、
「……そうね」
とだけ呟くと、何故かそれきり黙り込んでしまった。
何か気に障ったのだろうか。
気にはなったけれど、その後すぐに宴会が始まったため、結局うやむやになってしまった。
―――そうして始まった、宴会のさなか。
「みゃ~う」
「お、橙か。久しいな」
私は、ごろごろと膝元に擦り寄ってきた黒猫を抱き上げた。
昔よりは少し大きくなったような気はしたが、尻尾はまだ二本のままだった。
この分だと、彼女の主を超える日はまだまだ遠そうだ。
……と、そんなことを思っていると。
「お?」
ふいに、軽く引っ張られるような感じがして、振り返る。
「…………」
見ると、咲夜が私のスカートの裾を噛みながら、じとーっとした目で私を睨んでいた。
「さ、咲夜」
「…………」
毛が微妙に逆立っている。
しまった、咲夜の前で他の猫を愛でたのは迂闊だった。
「にゃ、にゃ~お。(さ、咲夜。そんなに怖い顔をしないでちょうだい)」
「……みゃあ。(……お嬢様は、黒猫がお好きだったんですね)」
「にゃ、にゃあにゃあ。(ち、違うわよ。私には咲夜だけよ)」
「……な~お。(……白々しい嘘を言わないで下さい。私という猫がありながら、他の猫にうつつを抜かすなんて)」
「にゃ、にゃ~。(さ、咲夜~)」
「……にゃっ。(……ふんっ)」
なんてやりとりをしているうちに、橙は訝しげな表情を浮かべて去って行った。
どうやら咲夜は、同じ猫の目から見ても奇異に映るくらい、やきもち焼きになっていたらしい。
―――その後、私が咲夜を膝に乗せ、ひたすら喉をごろごろしたり背中を撫でたりし続けた結果、宴会が終わる頃になってようやく、咲夜は機嫌を直してくれた。
やれやれ。
折角久しぶりの宴会だったっていうのに、ほとんど他の奴らと話せなかったじゃないの。
……ま、別にいいんだけどね。
咲夜が、いれば。
咲夜さえいてくれれば、それで……。
◇ ◇ ◇
―――そしてまた、ある日のこと。
いつものように、咲夜を肩に乗せて館内を歩く。
咲夜は今日もご機嫌だ。
「にゃ~? (今日はどこ行きたい? 咲夜)」
「にゃうにゃう。(図書館に行きたいですわ。お嬢様)」
「にゃん。(よしきた)」
もう猫語にもすっかり慣れた。
思えばパチェに背中を押されなければ、猫語は会得できなかったかもしれない。
図書館に行くついでに、パチェにお礼を言うとしようか。
「あれ、開いてる」
珍しいことに、図書館の扉は半分ほど開いたままだった。
「よし。どうせなら、後ろから驚かしてやろう」
こういう悪戯じみたことも、ここ暫くはやっていなかった。
全部、咲夜が戻ってきてくれたお陰だ。
気付かれないように扉をそっと押し開き、抜き足差し足で中に入る。
そろ~りそろ~りと歩を進めていくと、何やら人の話し声が聞こえた。
「? 誰か来てるのかしら」
本棚の影からそっと様子を伺うと、美鈴がパチェの隣に立って談笑している姿が目に入った。
「美鈴か。珍しいわね」
しかしこれでは、パチェを後ろから驚かすという悪戯をするのが難しくなってしまった。
仕方ない、もう普通に出て行くか―――。
そう思ったときだった。
「―――それにしても、うまくいきましたね」
「ええ、最初はどうなることかと思ったけど」
ん?
「正直、見るに耐えませんでしたからね。……咲夜さんが亡くなってからの、お嬢様は」
「まったくだわ。今は、見違えるように元気になったけど」
……んん?
「でも、いつまでもこのままってわけには……いきませんよね」
「まあね……普通の猫だから、そう遠くないうちに、死んでしまうだろうし」
「せめて妖怪猫なら、もっと永く生きられるんですが」
「でもそれだと、そもそも人語を理解できてしまうから駄目よ」
「そうなんですよねぇ」
…………。
えっと。
この二人は、一体何の話をしているんだろう?
「まあとにかく、今はこれでいいわ。レミィは本当に楽しそうにしているし。当分、暗示も切れないでしょう」
「……でも、ちょっと可哀相ですね。お嬢様は、あの猫が本当に咲夜さんだって、信じ込んでいるんですから」
―――え?
「まあね。ただの猫と会話ができている……いえ、できていると思い込んでいるのが、その証拠」
「でもいずれ、お嬢様が真実に気付いたとしたら……」
「……ええ。そのときは、おそらくもう……今のような、『会話』はできなくなるでしょうね」
なに?
なにを、いって……?
「もしそうなったら、お嬢様、また前の状態に戻っちゃうんじゃ……?」
「……確かに、その可能性もあるわ。でも逆に、レミィが真実に気付いたとき―――すなわち、レミィの暗示が解けたとき―――は、彼女が、咲夜の死を、本当の意味で受け入れることができたときかもしれない」
「……そう……ですね……って、お嬢様!?」
「え!?」
二人が、同時に振り返った。
気が付けば、私は本棚の影から姿を現していた。
「……パチェ。美鈴」
「…………」
「…………」
私が声を掛けると、二人は無言で顔を俯かせた。
「……今の話、どういうこと?」
「…………」
「…………」
私が問い掛けても、二人は何も答えない。
「……咲夜が、ただの猫だって……?」
「…………」
やがてパチェが、おずおずと顔を上げた。
彼女は、今までに見せたことのないような表情を浮かべていた。
私は縋るように問う。
「……そんなわけ、ないでしょ?」
「…………」
パチェは何も答えない。
鼓動が、早まる。
「だって、だって……パチェが、教えてくれたんじゃない」
「…………」
私は、肩に乗っている咲夜を指差しながら、続ける。
「この子は、咲夜の生まれ変わりだって」
「…………」
「魔法で、魂の同一性を確認したって。前世の記憶も、そのまま持ってるって」
「…………」
私が何を言っても、パチェはじっと押し黙ったまま。
埒が明かないので、私は美鈴の方に向き直った。
「ねえ? そうよね? 美鈴?」
「えっ、あっ……」
すると美鈴も、いつになく慌てた様子になり、言葉を濁す。
そんな様子に苛立って、私は思わず早口になる。
「この子は、私の知ってる、あの咲夜なんでしょ? 完璧で瀟洒だけど、でもちょっと抜けてる―――」
「うそよ」
私の言葉を切ったのは、驚くほど温度の篭っていない、パチェの声だった。
「……うそ?」
「ええ。全部―――うそ」
パチェはきっぱりと頷く。
そして、私の目を真っ直ぐに見据えながら、続けた。
「レミィ。さっきの話、聞いていたのよね?」
「…………うん」
「それならもう、これ以上は隠すだけ無駄だわ」
「…………」
「あなたの聞いたとおり、その猫は咲夜の生まれ変わりでもなんでもない、ただの普通の猫」
「パチュリー様!」
美鈴が声を上げるが、すぐにパチェが手で制止する。
美鈴は観念したように下を向いた。
「この猫は、毛色が咲夜の髪の色に似ていた。ただそれだけの理由で私が拾ってきた、どこにでもいるただの野良猫」
「…………」
「それを、あたかも咲夜の生まれ変わりであるかのように、あなたに信じ込ませた」
「…………」
「すべては、レミィ。あなたのために」
「…………」
咲夜の尻尾が、ふわりと私の頬を撫でた。
「咲夜が死んで以来、あなたはずっと塞ぎ込んでいた」
「…………」
「辛かった。そんなあなたを見ているのが」
「…………」
軽くつまむと、ふにふにと左右に揺れた。
「そんなとき、この子を見つけた。この銀色の毛を見て、一瞬、本当に咲夜の生まれ変わりなんじゃないかと思った」
「…………」
「そこでふと、思ったの。『もし本当にそうだったら』って」
「…………」
ぎゅっとつかむと、ねこじゃらしみたいにするっと抜けた。
「でも、ごめんなさい。レミィ。結果的に、あなたを傷つけてしまった」
「…………」
「本当なら、あなたがいずれ、きちんと咲夜の死を受け入れ、自ら立ち直ってくれたら……それが一番だったのだけど」
「…………」
咲夜の、死?
パチェはおかしなことを言う。
確かに、咲夜は死んだけど。
人間の、咲夜は死んだけど。
でも。
「咲夜、ここにいるじゃないの」
私は肩に乗っていた咲夜を抱き上げ、そのまま胸の前まで持ってきた。
ぎゅっと抱きしめてやると、咲夜はいつもと同じように、気持ち良さそうに目を細めた。
「……レミィ。違うのよ。その猫は、咲夜じゃ」
「パチェ。私は咲夜と話せるのよ。知ってるでしょ? それが、この子が咲夜であるという、この上ない証拠だわ。ね、咲夜?」
しかし私が話し掛けても、咲夜は特に反応をみせなかった。
一瞬、どうしてかしら、と考えて。
「ああ、そうか」
うっかり、人語で話し掛けてしまったからだと気付く。
咲夜はまだ、人語が分からないんだから、猫語じゃないとね。
私は咳払いをしてから、もう一度咲夜に問い掛けた。
「にゃ~お?(あなたは咲夜よね? 咲夜)」
「にゃ~」
……。
……あれ?
おかしいな。
今、咲夜が何て言ったのか、よく分からなかったわ。
まあ、普通に人語で会話していても、こういうことは間々あるものね。
気にせず、慌てず、もう一度。
「にゃ~お?(あなたは咲夜よね? 咲夜)」
「みゃあ」
「……え?」
あれ?
今もまた、咲夜の発した言葉の意味が分からなかった。
なんで?
どうして?
「……レミィ」
パチェが震える声で言う。
「……猫語なんて、ないのよ」
パチェは何故か、泣いていた。
「私がこの子に、予め、訓練をつけていただけなの」
「…………」
「こちらが猫の鳴き真似をすれば、それに反応して、鳴き声を上げるようにしただけなの」
「…………」
「だから、この子が今日までしていた反応は、コミュニケーションの結果じゃないの。与えられた条件に対する、ただの反射に過ぎないのよ」
「…………」
ねえ、パチェ?
あなたはどうして、ないてるの?
「……それをあなたは、その子に自分の言葉が通じていると、思い込んでいただけ」
「…………」
「……そして同じように、自分にその子の言葉が通じていると、思い込んでいただけ」
「…………」
あれ、おかしいな。
私も、なんだか。
視界が、にじんで……。
「だって、その子は……ただの猫なんだから」
咲夜が、しゅたっと私の腕のなかからおりた。
そのまま、床にうずくまって、ねむそうにあくびをした。
私もぺたんと、床に腰をおとした。
パチェはずっと、泣いていて。
気付くと、美鈴も泣いていて。
何がなんだかわからなくて、私は咲夜に向かって手をのばした。
咲夜はぺろぺろと、私の指をなめてくれた。
昨日までそうしていたのと、まったく同じように。
◇ ◇ ◇
「―――うわっ!」
目を覚ますと、そこには私の顔を覗き込む咲夜の姿があった。
「さ、さくや……?」
「大丈夫ですか? お嬢様。随分うなされていたようですが」
「え? え……?」
辺りを見回すと、夕暮れの日差しに包まれた部屋が、鮮やかなオレンジに染まっていた。
「ゆ、ゆめか……」
どっと、全身で脱力する。
相当寝汗をかいていたらしく、ベッドのシーツがうっすらと湿っていた。
私は非難を込めた視線を咲夜に向ける。
「……もう、主がうなされているのを黙って見てるなんて、趣味が悪いわよ。咲夜」
「申し訳ございません」
大して悪びれた風も見せずに言う咲夜。
まったく、こいつときたら。
相変わらず、微妙に忠誠心が足りてないんだから。
「…………」
そこでふと、思った。
私はそのままの姿勢で、咲夜に問う。
「……ねぇ」
「はい」
「あなたは咲夜よね? 咲夜」
「ええ。私は頭の先から足の爪まで、間違いなく十六夜咲夜でございますわ」
「……ん。ならいい」
「それが、何か?」
「……べつに」
ぶっきらぼうに言って、私は咲夜から顔を背けた。
くそ、なんだか顔が熱いじゃないか。
―――後日。
博麗神社での、宴会にて。
「みゃ~う」
「お、橙か。よしよし」
宴の途中、私は、ごろごろと膝元に擦り寄ってきた黒猫を抱き上げた。
二本の尻尾がゆらゆらと揺れている。
……と、そのとき。
「お?」
ふいに、軽く引っ張られるような感じがして振り返る。
「…………」
咲夜が、私のスカートの裾を手でぎゅっと押さえながら、じとーっとした目で私を睨んでいた。
……やれやれ。
私が橙を下に置きつつ、
「おいで、咲夜」
そう言うと、咲夜はごろりと寝そべって、私の膝の上に顎を乗せた。
すると、そんな私たちの様子を見た橙は、半ば呆れたような溜め息をついて去って行った。
何が言いたい。
……まあ、いいか。
他人にどう思われようと、これが私と咲夜の関係なのだ。
誰にも、文句を言われる筋合いはない。
「ほら、咲夜。よしよし」
優しく頭を撫でてやると、咲夜は気持ち良さそうに目を細めた。
そんな咲夜の表情に癒されつつ、ふと、周りを見渡す。
目に映るは、昔と大して変わっていない面々。
しかし一方で、もう姿を見ることができない者達もいる。
若干の郷愁を覚えつつ、私は咲夜に語り掛ける。
「……霊夢や魔理沙も、早くあなたみたいに生まれ変わればいいのに。……ね、咲夜」
了
よかったです。
でも、いつの日か立ち上がってまた歩き始める。
レミリア・スカーレットは偉大な吸血鬼なのだから。
そう信じています。
面白かったです
異論は受け付けたくにぃ
何はともあれ、あなたのレミ咲を再び見ることができてよかったです。
何かどっかで聞いた言葉だww
最後の最後でどんでん返し!とっても良かったです!
聴覚・視覚ときて、次はどの感覚に暗示をかけるのですかパッチェさん…?
読み進むにつれて雲行きが怪しくなり、
夢落ちかと思いきやまさかの二段オチで……
もはや言葉も出ません。
うーん謎が残ったままで面白いですw
私は咲夜さんが生まれ変わったと信じたい。
いや、エンドですらないのかも、ですね。
いつかきっと、レミリアにハッピーエンドが訪れることを祈ってます。
夏なので最後さらっと寒気がしてよかったです。
ただちょっと不安なのは、最後の咲夜さんは本当に人間なんだろうか…
パチュリーの暗示にまだかかってるのでは…?
後味…
レミリアを見ている美鈴とパチュリーも苦しいんでしょうね。
なぜならそのほうが俺得だから。
たまにはこういう後味が悪いのも悪くない。
それでもいいじゃない、本人たちが幸せなら。
意表を付く二段落ちにびっくりしました。
さみしい思いなんてさせたら 知らないから! 』
そんなとある猫ソングの歌詞が思い起こされます。メイド的にも猫的にも。
この場合、寂しいのは飼い主の方なんですけどね。真実が何処にあれど、お嬢様が幸せになれるならそれでいいかな。
いや、いいのかな。とにかく寂しんぼお嬢様に幸多からん事を。にゃ。
再暗示かと思ったけど、本当に生まれ変わりだといいね