Coolier - 新生・東方創想話

ゴメンナサイ

2010/07/17 05:29:12
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※前々作『アカイミズタマリ』の続きになります。





私が美鈴と二人で門前のお茶会をするようになってから、早いことにもう数週間が過ぎる。
最初の数日間はお互い緊張して、ろくに会話もできなかったが、それもいくらか改善できた。
途中何度か会話が途切れてしまう時もあるが、すぐに別の話題を探せるようになったのだ。
そして何よりも私が美鈴の目を直視して話せるようになったことが大きいと思う。

知り合ってから数年が経つというのに、私が美鈴の目を覗けるようになったのはここ一ヶ月からだ。
それまで私は美鈴の目を意識的に、後に無意識的に見ないようにして話していた。
そしてこの意識の有無の間には、ほとんど顔を合わせず会話のない期間も存在して、その期間が一番長い。
だからおそろしいことに、私が美鈴の瞳の色を記憶したのは、ここ数週間での出来事なのである。
美鈴の瞳の色は藍とも翠ともつかない穏やかな碧色をしている。
初めて私にも好きな色というものができた。
メイド業務をこなしている時も、同系統の色を見つけると一瞬だけ目と手が止まってしまうようになった。

他にもたくさん分かったことがある。
それらは本当に好きな食べ物とその味付け、他には休日の過ごし方など多岐にわたる。
その中には出会って数年間なのに、それまで知らなかったことが普通ではないことも少なくなかった。
例えば利き腕のことで、美鈴は器用なことに両利きだった。毎回、カップや他の食器を持つ手が違うのだ。
私がそのことに感心すると、美鈴は苦笑しながら、少し前までは、片方をよく失くしていましたからと、
その左右の手に隔たりがない理由を教えてくれた。
どうやら先天的なものではなく、後天的なものらしい。
そして本来の利き腕は本人すらも忘れてしまっている。
もう確かめようがないが、私と同じ右利きだと嬉しい。

こうして見れば順風満帆の毎日を送っているように見えるが、それは少し違う。
たしかにここ数週間、私の人生の幸福度数表は右肩上がりで最高値を記録し続けている。
しかし懸念しなければならない大きな問題もある。
件の妖精メイドがより積極的になったのだ。
少し前まではお昼ご飯だけだったはずが、今では朝食まで作っているという話を子耳にはさんだ。
もはや、夕食までその手が伸びるのは時間の問題だろう。それだけは、なんとかして阻止したい。
三食とも美鈴と一緒なんてことを許せるほどに、寛容な心を私は持ち合わせていない。



「ごちそう様でした」
「おそまつ様でした」
美鈴が食べ終わったお皿を膝に置き、定型ながらも言葉をくれた。律義なことにその両手は合わさっている。
今日の差し入れは中華マンとアイスティーだ。付け合わせとしてはかなり変則的だが、これには理由がある。
私はお嬢様も好む洋菓子の方が得意なのだが、それに対して美鈴は和菓子や大陸風味のお菓子を好む。
そして紅魔館には紅茶の葉は大量に備蓄されているが、それ以外の葉は基本的に置いていない。
そのため差し入れのメニューがいかなる物であっても、その付け合わせはどうしても紅茶になってしまうのだ。
もちろん葉を選ぶ際には可能なだけ相性の良いものを吟味する。

しかしそれにも限界はある。
だけど美鈴はどんな場合でも喜んでくれる。作る側としては嬉しいながらも張り合いがないところもあり、
時には本当に喜んでくれているのか不安になることもある。疑心暗鬼はなかなか出て行ってくれない。
私はそれを追い出すためにも、差し入れよりも深い一手を打つことにした。

「ねぇ、美鈴。あなたに一つ質問があるのだけど」
「明日の分のことですか? 咲夜さんが作ってくれるなら、何でも嬉しいです」
「ありがとう、だけど今回の質問は少し違うの」
「へ?」
呆気にとらわれる美鈴をしりめにして、私は言葉を続ける。
「私はいつも厨房の当番に関系なく自炊しているんだけど、一人分作るのも二人分作るのも
 あまり変わらないの。だから今日からは夕飯も私と一緒に食べてくれないかしら?」
最後の方は早口になってしまったが、それでも噛まずに言い切れた。
だけど美鈴は私から視線を逸らした、せっかく繋がっていたものを外される。
うつむく美鈴を見て、私は嫌な未来しか視えなくなる。
「えっと、お気持ちは嬉しいのですが、そのぉ、なんと言うか」
「やっぱり迷惑よね……ごめんなさい変な事を言って、この事は忘れてちょうだい」
「いえ、迷惑だなんて。そんなことないです。ただ、毎日美味しい物を頂いているのに、これ以上咲夜さんの
お手を煩わせたくないんです。私はいつも貰ってばかりで、咲夜さんに何もお返しできませんから……」
「お返しなんて考えなくてもいいのよ、私はただ――」
ただ――何と続ければいいのだろう、贖罪や罪滅ぼしといった単語が私の脳裏をかすめていく。
だけど、これらを口にすると、せっかく繋がりかけた美鈴との関係が、捻じれたものになりそうな予感がした。
そして素直に一緒にご飯を食べたいだとか、そんな綺麗な願いを口にできるほど私は美鈴に対して潔白ではない。
「咲夜さん?」
「ううん、なんでもない。気にしないで」
美鈴は不思議そうな顔をしたが、それ以上の詮索はしてこなかった。
果たして私は、血に汚れた両手でなおも幸せを求めていいのだろうか。
美鈴と対等で親密な関係になりたい、そんな幸福を。





失意とはまた別の感情にも苛まされながら、私は図書館へ向かった。
数少ないというか、唯一の相談相手であるパチュリー様に戦果の報告をするためだ。
戦果と言っても今回は何も挙げられなかったので、聞いてもらうものは愚痴ばかりになった。

「そこは律義に通達なんかせず、不意打ちでいくところでしょ」
「ですが美鈴にも予定というものが……」
「そんなものがあるわけないでしょう、あの子に」
安楽椅子に深く腰かけるパチュリー様は、そう言いながら座る腰よりも深い溜息をおつきになられた。
「差し入れだって奇襲で成功したよね。 あの子は突発的なことに弱いの」
「よくそれで門番を任せられていますね」
門番は少々過激で突発的なことに備えるためのものでもあるはずだ。
「それはレミィに言いなさい、私は人事には口出ししないもの」
「分かりました。次の人事異動の時に、美鈴を内勤にしてくれるよう直言してみます」
そうは言ったものの、門の前に立たず屋敷内で掃除や炊事に精を出す美鈴の姿はなかなかに想像できない。
またメイド服に身を包んだ美鈴というものも、おそらく似合わないと思う。
その代わり中身はともかく外見は端然な美鈴には、メイド服よりも男性向けの執事服の方が着映えするはずだ。
さらに欲を言えば、あの綺麗な紅い髪を後ろで結って一つに束ねて欲しい。うん惚れ惚れする。
そしてなにより、あの件の妖精メイドから美鈴を遠ざけられ、逆に私の近くに来てくれることにもなる。
まさに一石二鳥どころか三鳥の策。
「何を考えているかは、あえて聞かないでおくけど、そうそう上手くことは進まないわよ」
「………」
「少し乱暴に言えば、油断するなってこと」
パチュリー様に冷えた釘を刺され私の心の温度は低くなった。現実は想像よりも乾燥していて寒いのだ。
ほんの少し気を抜くだけで、今の暖かな関係が焼け落ちて、再び寒空に晒されてしまう可能性だってある。
慎重にならなければいけないのだ。失敗すれば即座に私はまたあの薄暗いところに戻されてしまうのだから。
それだけは避けなければ。
かつては慣れ親しんだものだが、今はそれが恐くてしかたがない。
「……そうですね、今の関係も砂上どころか、薄氷の上で成り立っていますから」
「どうしてそんなに浮き沈みが極端なのかしら、油断はともかく悲観的になる必要までないわ」
「そうは言っても、やはり気を引き締めるためには、ある程度の悲観が一番です」
「それも含めて極端だと言っているのだけど……言うだけ無駄みたいね」
パチュリー様の声には呆れの苦笑が混ざるが、私はあくまで本気だ。
勝ってもないのに兜の緒を緩める気はない。
この事に関して、明確な勝ち負けの規律はない。
しかし、それでも自分がまだ勝利を納めていないことくらいは分かる。
まだまだ勝利の美酒は遥か彼方にあるのだ。
勝ってその美酒に酔えるか、負けて後悔の涙に溺れるかは未だに見通しつかず。
もちろん私は溺れたくなんてない。
だけど私は石橋を叩いて渡る術は知っているが、薄氷を割らずに渡る術までは知らない。
そして、それが私の頭を悩ませる最大の問題だ。
薄氷の関係は慎重になり過ぎると溶けてしまうし、大雑把過ぎれば割れてしまい脆くも崩れ去ってしまう。
慎重になり過ぎればまた歪んだ関係になるし、かといって大胆になれるほど私に勇気と潔白はない。
これがどうしようもない極論だとは理解している。
だけど私がこれにすがるしかないことも事実なのだ。
「すみません。自分でも極端なのはいけないと分かっているのですが」
「自覚しても治らないということは、もはや末期ってことかしら」
「治るとか末期とか言う以前に、生まれついた性質だと思います」
「例えそうであったとしても、それだけは早いところ治すなり、変えるなりしなさい」
「善処します」
と言ったものの、何を変えればいいのだろうか。
多分それは美鈴と普通に接しろという意味なのだろう。
しかし私はその普通なるものが分からない。
今までの人生は対等な関係と縁がなく、私が体験したものは敵、主人、上司、部下それだけだ。
そもそも対等に付き合いたいと思ったのなんて美鈴が初めてなのだ。
そして何より、こんなにも対等で親密になりたいなんて思うのは、後にも先にも美鈴だけだろう。

――ゴーン、ゴーン、ゴーン
時計塔の鐘の重く低い音が聞こえてきた。どうやら日が沈みきったらしい。
この鐘の音は特定の時間には鳴り響かない、鳴るのは日の出と日の入りの時だけだ。
そしてこの鐘の音を合図にして、昼勤組と夜勤組が交代するようになっている。
最近は人員が増えてきたのでその二つに加えて、もう一つ組を置こうか検討中だったりもする。
そうなると鐘の仕事も増えることになるだろう。

「もう少し静かな音にして欲しいものね。それはおいといて、今日はこれで勤務は終わりよね?」
「はい、今月いっぱいは昼勤です」
「ちなみにあの子は?」
「基本的に私と同じです。シフト作成は私の仕事ですから」
特別な理由がない限り、私は美鈴とシフトを合わせるようにしている。
職権濫用のような気もしないではないが、止めるつもりはない。こういった小さな努力が実を結ぶのだ。
「案外、一人でも普通の手も打てるのね。心配して損したわ」
珍しくパチュリー様はおかしそうに笑い、それに続けてもう一言。
「あぁ、それと待ち人が来たみたいだから、もう行きなさいな」



「お疲れ様です、咲夜さん」
「あなたもね、美鈴」
パチュリー様の言葉に背を押されて図書館から出た私を待っていたのは美鈴だった。
終業の鐘が鳴ってから急いでここまで来たらしく、少し髪と服装が乱れている。
「どうしたの? 図書館に何か用でもあるの?」
「用があるのは図書館ではなく咲夜さんの方です」
「私がここにいるってよく分かったわね」
私は図書館に行くことを美鈴には告げていないはずだ。
妖精メイドからでも聞いたのだろうか。
「気を探れば館内のどこに誰がいるかは把握できますから」
「便利な能力ね、試しに聞くけど厨房には今何人いるか分かる?」
「えっと……多分五人です」
「うん、正解。確かに今日の当番は五人だわ」
美鈴の能力に感心しつつも、心の奥底ではこれで美鈴は私を避けていたんだぁと自嘲する。
これだけ正確なら人間一人から逃げ続けるのは容易いことだろう。
「話が逸れたわね。私に何の用事かしら?」
「さきほどの夕飯の件です」
「あぁ、あれのこと。あの時も言ったけど、別に気にしなくてもいいのよ」
あなたにも予定はあるものね、と自分に言い聞かせるように呟いた。
対して美鈴は何故かうつむき私を覗き込むようになる。
「そうではなくて、今日の夕食は私が作るというのはダメでしょうか……?」
上目使いで私の目を見据える美鈴に、私は何一つ反応が間に合わなかった。
耳に残る美鈴の声を継ぎ接ぎして、その言葉の意味を精査する。
そして、そこから導き出された解を何度も見直して、やっと短い言葉を表す。
「いいの……?」
「毎日、美味しいお菓子を頂いているお返しです。全然足りてないですけど……」
「ううん、そんなことない。十分過ぎる、お釣りを出さないといけない」
「そんなに謙遜しないで下さいよ。咲夜さんの差し入れとても美味しいんですよ?」
「ぜんぜん謙遜なんてしてない。それに美味しいのだって関係ない」
美鈴は笑い混じりだが、私は真剣な声で応える。
「だって、私は――」
「今から準備しますので、しばらくしたら食堂まで来て下さい」
それでは失礼します、と一言残し美鈴は背を向けて歩きだした。
私はその背を追いかけられず、一人図書館の前で立ち尽くす。

今度もまた私は語尾に何と続けようとしたのだろうか。
きっとそれは言わない方がいいものに違いない。そんな気がした。
貸し借りだとか、負い目だとかそんなものがあると、きっと薄氷は割れてしまうから。




「しばらく」とは一体どれくらいの時間を指すのだろうか。
料理をするのだから、少なくとも一分や二分ではないのは分かる。
それでは十分ではどうだろうか、多分これもかなり短いだろう。
三十分、これはどうなるだろう。作るモノによっては可能だろうけど心もとない。
だったら一時間、長いようで短くもあり何をするにしても目安となる数値だ。
少し手の込んだモノを作ろうとすればこれくらいはかかる。
だけど思いついたその日に、そんな料理を作ろうとするだろうか、やはりこれにも疑問が残る。
「間をとって四十五分くらいね」
散々悩んだ挙句、私はあの「しばらく」を本当に微妙な時間だと解釈した。
美鈴の背を見送ってからあれこれ考えていると、すぐに時計の長針はおおよそ四十周した。
あと四周したら食堂へ向かおう。
そうすれば五周目できっかり食堂に着く。
私はじっと時計の長針を凝視し続ける。
時間を止めることはできても、加速減速させることはできない。
それでも私は長針が走る速度を上げるように、またその速度を落とさないように見張る。
もちろん、長針はいつもの決まった速度を遵守し、こちらの願いを酌んではくれない
憎たらしいほどに規則正しい音を鳴らしながら、短針は時間の経過を知らせてくる。
それが焦らされているようで、気が立った私は時計の針を睨みつけ愚痴までこぼす。
「どうしてそんなゆっくりなの?もっときびきびしなさい」
「す、すみません」
顔を上げるとそこには美鈴が立っていた。


「こちらになります」
美鈴に案内されたのは厨房の隅の席だった。
あたりに妖精メイド達の姿は少なく、数えられる人数がちらほらいるだけだ。
席に着いた私は机に用意された料理に目を向ける。
たしかに自称初心者が作ったものだけあり、手の込んだものではない。
しかし、それらが懇切に作られたことは、その盛りつけの丁寧さからも想像できた。
「いただきます」
「召し上がって下さい」
一緒にご飯を食べるだけなのに、なんだか緊張してきた。
それは美鈴の方も同じみたいで、箸を構えただけで少しもその手を動かない。
その代わりに美鈴は、箸を動かす私の手をまじまじと見つめている。
食べづらいことこの上ない。まるで何かの試験や審査をしている気分になる。
美鈴の真剣で刺さるような視線を集め、最初の一口を食べた。
少し味が濃かった。だけどその分、主食の白米との相性は良く箸が進む。
二口目は一口目と比べ格段に味が薄い。どうやら味が均等になっていないみたいだ。
それでいても十分に美味しい。本当に初めて作ったものなのだろうか。
「お味はいかがでしょうか……?」
「うん、美味しい」
「本当ですか?!」
「だけど、ちょっと味のつけにバラつきがあるみたい」
「そんなぁ、しっかり混ぜたつもりなんですが……」
眩しいくらいに笑ったと思うと、急に泣き出しそうな顔になる。
そんな美鈴の豊かな表情に、私はお腹だけでなく心までも満たされていく。
「これくらい気にしなくてもいいわよ、ほんの少しだから」
「お世辞でも嬉しいですが、不慣れなのは自覚しています」
「お世辞なんかじゃない、美鈴のご飯は十分美味しいわ」
「えっと……その、ありがとう……ございます」
「なんで美鈴が言うの? それを言うのは私の方よ、ありがとう美鈴」
一番好きな言葉を一番好きなヒトから言われて、さすがの私も素直な言葉を紡ぐ。
「咲夜さんこそお礼なんていいですよ、いつもは貰ってばかりですから」
「それこそ気にしないで。そう……私が勝手にしているだけだし」
今度は上手く嘘をつけた。誰も傷つけないなら、それも赦されるはずだから。


「それにしても初めて作ったとは思えないくらい美味しいわ」
「えへへ、実を言うと少し前から練習していたんですよ」
「私なんかのために……なんだか悪いわね。大変だったでしょう」
「いえ、部下の子に教えてもらいました。その子も少し前に練習したらしくて」
「そう……相談できる子がいてよかったわね」
「その子、毎日私にお昼ご飯を、今は朝もでした、作ってくれるんですよ」
あぁ、やっぱり。
――そんなに上手くことは進まない。
パチュリー様の言葉が私の耳によみがえる。
「……部下に恵まれているのね。羨ましいわ」
「はい、私の数少ない自慢です」
あれだけ美味しかったご飯が急に味気なくなる。
それを美鈴に悟られないように、私は箸を動かす。
どうして悟られてはいけないのか、分かり切ったその理由を考えていると不安そうな美鈴の声が聞こえてきた。
悲しそうな美鈴の顔を見て、しまったと思うがもう遅い。
「どうか、しましたか……?」
「ううん、なんでもない」
「でも、浮かれない顔をされていますよ……」
「気のせいよ、ほらここ部屋の角だから少し薄暗いじゃない」
気の利いた言葉は見つからず、たどたどしい嘘しか思いつかなかった。
そんなもので誤魔化せられるわけもなく、美鈴の顔はどんどん悲しげなものになっていく。
「やはりお口に合いませんでしたか……すみません」
「違う、そんなんじゃない。美鈴のご飯、本当に美味しい」
「いいんですよ、そんなに気を遣われなくても」
小さな嘘を重ねた。本音を言えるわけがなかった。
だけど私は懲りずに小さな嘘をどんどん重ねる。
「気なんて遣ってない、本当よ、嘘じゃない」
「ありがとうございます」
「お願い、私の言葉を信じて」
「咲夜さんのそのお気遣いだけで、私は満足です」
先のありがとうよりも、そのありがとうは澄んだ声をしていた。
気が付けば悲しげだった顔もいつの間にか、優しい笑みに変わっている。
それがなんだかとても悲しくて、私はそれ以上のことを何も言えなくなった。

私は美鈴のご飯を残さずに食べた。食べる間、美鈴は透き通った表情をしたままだった。
どんなことを思っているのか、どんなふうに考えているのか分からない。
分かるのは、どうやら私はまた美鈴を傷つけたということだけ。

「ごめんなさい、咲夜さん」
別れ際の言葉は一番聞きたくないものだった。






少し前に私は白昼夢を見た。
美鈴が血塗れになって地に伏せているといった悪夢じみたものだ。
それ以降、その手の刺激の強い夢は一度も見ていないが、ふと思い出すことがある。
その度に胸の動悸は嫌な旋律を奏でて、体から熱を奪い去る。
どういうわけか、その夢を思い出すのは美鈴に会う前後であることが多い。
まるで何者かが、そうすることで私を戒めているようにすら感じる。
忘れたいのに忘れられない、逃れたいのに逃れられない、まさに悪夢というものだろう。
そして今、私はその夢を現実として目の当たりにしている。




天気は雨。雲は厚く真昼だというのに辺りは薄暗い。
私の目の前には人型の異形が胸部から大量の緑の血と紺の内臓を撒いて斃れている。
その異形に首はなく頭部と胴体がほぼ一体化しており、全身を爬虫類のような硬い鱗で覆われている。
両腕は私の胴よりも太く、その先端には五指の代わりに凶悪な大きさと鋭さをもつ爪が四本ある。

ソレにまともな知能は無かったが、それを補うだけの動物的な狡猾さは持っており、
私は手間取れば大事に至ると判断し、時を止めてその胸にナイフを突き立てようとした。
しかし、鉄すら穿つ私のナイフを持ってしても、その鱗には小さな窪みを作るのが限界だった。
それどころかナイフの方が御釈迦になる始末、この時点で私が打てる手はほぼ無くなっていた。

一度退けばよかったと思う、だけど負けん気が強く、前日のこともあり私はそのまま戦闘続行を選択。
それも美鈴達の応援を期待する持久戦ではなく、単独撃破を狙った短期戦という下策中の下策。
有効打のない私が追い詰められていくのに時間はそう必要なかったのも当然といえば当然のこと。
相手は私の能力を直感的にどういったものか理解したらしく、唯一急所になりえる顔面の前に
その太い片腕を盾のようにして構え、短期決戦を望む私に対して消耗戦を挑んできたのだ。
人間と妖怪の耐久力勝負、それが迎える結末は火を見るよりも明らかだった。

降りしきる雨と肉体よりも精神を削る敵の爪撃に徐々に私の集中力は乱されてゆき、
最初は楽にいなしていた攻撃も、しだいにかすめるようになり、遂には軽めながら被弾をはじめる。
そしてまともなナイフを一振り残したところで、私の足はぬかるみにはまり体勢を崩してしまった。
異形がそんな絶好の機会を逃してくれるわけもなく、その凶爪で命を纂奪する一撃を放ってきた。

だけど、その一撃が私にとどくことはなかった。




前夜から続く雨が私の体を濡らし、乱れた髪の何束かが頬に張り付き気持ち悪い。
いつもなら冷たいだけの雨水も傷だらけの体には痛みをもたらし、それが疑似的な熱を生む。
雨水を吸ったメイド服は鉛のように重たい上に肌に張り付き不快なことこの上ない。
ナイフの多くも根元から刃が折れて使い物にならなくなった。
今の私を一言で表現するなら満身創痍という言葉以外はありえないだろう。

それでも私はまだマシな方だ、自分の足で立っていられるのだから。

おそるおそる振り返る。
そこには腹部に開いた大穴から、おびただしい量の紅を流している美鈴の姿がある。
美鈴は座り込み両手をその大穴に当てて、無理矢理な止血をしているが意味を成せずにいる。
もしかしたら止血ではなくて、それ以上のものが零れ落ちないように抑えているのかもしれない。
美鈴の呼吸は少し離れている私の耳にも漏れなくとどき、その不規則さと荒さが伝わってくる。

美鈴は死神の鎌を私の代わりに受けるだけでなく、その拳で分厚い鱗を貫いてくれた。

重い体を動かし近くに寄って美鈴の体を支える。美鈴の体は冷たく強ばっていた。
美鈴は光彩を失った碧の瞳で、私を見据えて小さく微笑んでくれた。
だけど私の頭には、瀕死、虫の息、致命傷、そんな言葉ばかりが思い浮かぶ。
声をかけようにも私の顎は小さく震えるだけで、まともに動いてくれない。
ありがとう、ごめんなさい、あと他にもたくさん言いたいことはあるのに、それができない。
早くしないと二度と言えなくなるかもしれない、そう思っても口は上手く動いてくれない。
そんな時、血色を失い白くなった美鈴の唇が弱々しくも開いた。
「大……丈夫、ですか……?」

「見た、ところ、……ない、みたい……ですね」

「すみません……が、つくの……遅くて」

「で、も……間に、合って、よかった……す」

「……っきょく、わ、たし……ちゃん……と、お返し、でき、……せん、でした、ね……」

「ゴメン……ナ、サイ」

それだけ言うと、美鈴は目と唇を閉じて動かなくなった。
微笑んでいたはずのその綺麗な寝顔は、いつの間にか悲しげなものに変わっていた。
次で最後になる予定です。


読者の皆さまに感謝です。
砥石
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コメント



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6.100名前が無い程度の能力削除
よかったぁ

悲しさを表すところとかが詳しくてよかったとおもいます。
次で最後ですか・・・
ハッピーエンドを望む!w
9.100名前が無い程度の能力削除
この二人の関係がすごくもどかしくて好きです。

次で最後かぁ…。
気になって朝も眠れませんよ!!←
18.100名前が無い程度の能力削除
これで終わりじゃなくて良かった
20.100名前が無い程度の能力削除
最近このめーさくお互いのもどかしさと、いつ破錠するかという不安が快感になってきてる自分がいるんですが
とはいえ次が最後、どんな結末でも読ませて頂きます。
26.100名前が無い程度の能力削除
先が気になって仕様がないです…
二人の今後に期待せざるを得ないですね どうなることか、次回を心待ちにしています!