――私はこの日を忘れることが出来ない――
――こんなにも誰かを愛しいと想い こんなにも誰かを憎いと呪った日は無かった――
――霜月 十日 晴れ――
日が落ちる前を見計らってコータの庵に向かった。
西行寺 幽々子が動くとするなら、妖怪がもっとも活発になるこの時間帯と踏んでいたからだ。
ガラ
「ルナ……サ……?」
「あぁ、また来たぞ。
……どうしたそんな驚いた顔をして?」
「いや、もう来てくれないと思ってたから……」
「そんなわけ……」
言葉に詰まる。
「コータ、お前……」
対峙して気づいたが、コータの弱り方が尋常じゃなかった。
その肌は青白く……とても生者のそれとは見えなかった。
「あは……ゴホッ、ゴホッ……は……う……」
「コータ!」
「大丈夫……大丈夫だから、ルナサ……うっ……」
ゴホッ
びしゃ、と鮮血が庵を紅く染めあげる。
「……待ってろ。すぐに拭いて……」
「いいん……だ、ルナサ。いい……から」
……まるで「限が無いから」と続けるような口振りでコータは私を制止した。
「でも、コータ……」
「それ……より、ルナサ……こっちに……来て」
「……どうした?」
「きの……昨日はごめん……」
「何だ、そんなことを気にしていたのか?」
「だっ……て、ルナサ、怒って……たから」
「怒ってないさ。お前のことを心配していただけだ」
「……ごめ……ごめん、ルナサ」
「ホラホラ、男がそう涙を見せるものじゃないって、昨日言っただろう?」
そっとコータの目尻の涙を指で拭ってあげる。
「早く元気になれ、コータ。お前が笑っていないと……私が寂しい」
「うん……頑張る……よ、ルナサ」
そう言って浮かべた笑みは……とても弱弱しかった。
「……コータは体が回復したら何かしたいことがあるか?」
「僕……?」
「あぁ、私が何でも叶えてやる」
「僕……僕はルナサと……それに妹さん達と……演奏が……したいな」
「……お安い御用だ。腕が千切れるまで付き合ってやろう」
「あはは……ありがと、ルナサ……」
「今度は、私の願い……いや、希望と言った方がいいかな。とにかく、それを聞いてもらいたいんだ」
「うん……何でも……言っていいよ」
「コータ……私達と一緒に住まないか?」
「……えっ?」
「無駄に広い家でな、空き部屋なら余るほどあるんだ……」
「でも……」
「きっと、メルランもリリカも喜んでくれる。男家族というのも新鮮だからな」
「だけど、僕……何も……できないし」
「そんなことはないさ。お前には私達の仕事を手伝ってもらうからな」
「えっ?」
「私達はチンドン屋をやっていてな、場を盛り上げるのが仕事なんだ」
「そう……なんだ」
「だから、今度からは騒霊3姉妹+1だ。人気爆発間違い無しだぞ」
「あはは……」
「コラコラ、笑い事じゃないぞ。仕事の出来高で夕食の量が変わってくるからな。
下手を打ったらメルランに食事を抜かれるぞ」
「それは……厳しいな」
「だが、安心しろ。もし、そうなっても、私が夕食を分けてやろう。
なに、二人分頑張ればいいだけの話だ、心配いらない」
「そうだね……ルナサに……囲ってもらうのも……悪くないね」
「こ、言葉を選べ、バカ。それでは、まるで私が飼っているみたいではないか」
「あはは、ごめんごめん」
それは……紛れも無くコータの笑みだった。
初めて出会った日から私が惹かれ続けた……あのくすぐったい笑みだった。
「……やはり、いいな」
「……んっ?」
「お前にはやっぱりその笑顔が似合っている」
「そう……かな」
「あぁ」
私は静かに立ち上がる。
「だから、お前は……ずっと笑っていろ」
「ルナサ……」
「私がその笑顔を守る」
「えっ……?」
「……すぐ戻ってくる。心配するな」
そうして私はコータに背を向けると入り口に向かった。
「ルナサ」
ちょうど引き戸に手をかけたころ、コータが声をかけてきた。
「……何だ?」
「……ありがとう、それに……ごめんね」
「おかしな奴だ。感謝するのか、謝るかのどちらかにしておけ」
「じゃあ……ありがとう、ルナサ」
「あぁ……どういたしましてだ、コータ」
ピシャンと、引き戸を閉める音とともにコータとの会話も終わった。
……いや、断ち切ったというべきだろうか。
「さて……」
時刻はまさに逢魔が時。
夜の帳が今にも落ちようとしていた。
1歩、2歩と歩を進める。
そのたびプレッシャーがだんだんと大きくなってくる。
「……」
彼女を止められるとは思わない。
思わないけど……私はやらなければならない。
約束したから、コータを守ると。
あの笑顔を守ると。
そして……
「あら」
彼女は薄い暗闇の中に
「奇遇ね」
ボンヤリと佇んでいた。
「まったくです、幽々子嬢」
「暗くなりそうだったから幽霊には気をつけようと思ってましたのに」
「……残念な話です」
いつものような会話。
身も蓋もない戯言。
このままで話が終わってくれればいい。
終わってくれれば……
「……」
「……いかがなさいました、幽々子嬢?」
「私、そちらの方に用があるんですけど」
そう言って彼女は閉じた扇でコータの庵がある方角を指した。
「生憎ですがこちらには何もございませんよ」
「いいのよ、目的なんて無いようなものだから」
「……いえ、幽々子嬢の貴重なお時間を浪費させるわけには……」
「いやいやプリズムリバー。私はそちらに『行きたい』のよ」
「……それでも」
「行きたいな」
「……きっと」
「行きたい~」
「……無駄足になるかと……」
「……ルナサ・プリズムリバー」
背筋に戦慄が走る。
あの……氷の声。
命を射抜く絶対零度の死刑宣告。
「もう一度だけ言うわ。そちらに『行きたい』の」
「はっ……」
「だから……どいて頂けるかしら?」
「ぐっ……」
怖い怖い怖い怖い怖い。
何を考えているかわからない。
何がしたいのかわからない。
怖い怖い怖い怖い怖い。
無理だ。止められやしない。
消される。跡形も無く。
怖い怖い怖い怖い怖い。
逃げたい。逃げ出したい。
こんなバケモノと対峙したくない。
怖い怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い。
でも……この瞬間、一番怖い思いをして……震えているのは誰だろうか?
ふと、私は、先程のあいつの笑顔を思い出してみた。
……そうだ。私が守るんだ。
あいつの……コータの笑顔を。
「その申し入れは聞き入れられません、幽々子嬢」
「あら」
「早々にここから立ち去ってください」
「……ねぇ、何で、そんな意地悪をするのかしら?」
「あなたをコータに合わせるわけにはいかないからです」
「……どうして?」
「言ったはずです、幽々子嬢。私はコータを守る、と」
それを聞くと彼女はクスリと笑った。
「そうね、そうだったわね。でしたら……」
扇を広げ、天を仰ぐ。
その動作は幽雅で美しく、時が時なら見惚れていたかもしれない。
でも……
「……!」
彼女を中心に夥しい数の蝶が地から沸き出てくる。
そう、ここは戦場だ。
修羅が集まる舞闘会場。
舞え舞え その体が果てるまで。
舞え舞え その魂が尽きるまで。
舞うは聖(生)者。
舞えぬは愚者。
「その覚悟……見せて頂きますわ」
スペルカードを掲げ彼女は静かに口を開いた。
――死符「ギャストリドリーム」――
その声とともに地から沸いた蝶が一斉に弾けた。
その数、百から……千。
「くっ!」
私はヴァイオリンを召喚すると、それを媒体に結界を展開した。
正直、このようなチンケな結界じゃ、彼女の弾幕にはおそらく耐えられまい。
良くて5発……運が悪ければ一撃で終わりだ。
ガチガチと歯の根が震える。
目の前に迫りつつある千の絶望に活路は見えそうもない。
あぁ、まったく、本当に、分の悪い大博打だ……
強く奥歯を噛み締める。「震え」を「奮え」に変えるために。
「さあ、来い……西行寺 幽々子!!」
そうして、私は迷うことなくその死蝶の雲に突っ込んでいった。
狙うは……一撃必殺。
分が悪いことなどわかっていた。
不利だということも理解していた。
しかし
「くぅ……!」
これは……圧倒的ではないか。
作戦はこうだった。
彼女を中心として広がる死蝶の雲を抜けて、無防備の本体を叩く……というシンプルな作戦。
……ところが既に被弾した数は3。何とも幸先の良い話だった。
「!!」
気が付けば目の前には5匹の死蝶が迫っていた。
「……この!」
かわせるものは死ぬ気でかわし、被弾しそうなものは通常弾で相殺。
口にするのは容易いが……
「あぐ!!」
それを簡単に許さないから、彼女は、西行寺 幽々子は冥界の姫として君臨しているのだ。
4発めの被弾。
この時点でいいニュースがある。
それは、まだまだ結界が健在してくれているということだ。
存外、私の結界の作りは丈夫だったようだ。
この時点で悪いニュースもある。
それは、この丈夫な結界が今にも割れそうなことだ。
当初の予想では、「良くて」5発。
「もう、後はない……ということか」
状況はさらに悪化する。
この死蝶の雲の中心、つまり西行寺 幽々子に近づくにつれてその雲の密度も濃くなってきているのである。
さきほどとは比べ物にならない、霞のような大群がこちらに迫っていた。
逃げ道などあるはずもない。
既に私は死蝶の雲の中なのだ。
故に結末は2つ。
この雲の中で果てるか……
「ここを抜け切るか……だ!」
全速力で中心に向かう。
届け
頬に、腋に、死蝶がかする。
届け
いつ直撃をしてもおかしくない。
届け
避けることなどもはや考えていない。
届……
「くっ!!」
5発目の被弾。
しかし、なお結界は健在。
問題無い。問題など無い。
届け!
速度を上げる。
届け!
死蝶の雲がますます濃くなってくる。
届け!
たぶん……被弾した。
届け!
きっと結界ももう消えている。
届け!
死蝶に直接触れた……気がする。
届け!
体の至るところが黒く爛れている……気がする。
届け!
でも
問題無い。
問題など無い。
何も問題など無い。
最後に……腕一本残っていれば十分なのだから。
「届け!!」
そうして
「……プリズムリバー!?」
私は雲を抜けた。
「西行寺 幽々子!」
かろうじて動くほうの手でスペルカードを構える。
私のなけなしの一枚。
故に一撃「必殺」。
――弦奏「グァルネリ・デル・ジェス」――
「……っ、はぁ、はぁ……」
勝負は決した。
無防備の西行寺 幽々子は、成す術もなく紅と蒼の弾幕に呑みこまれた。
現状を把握することはできないが、一帯に広がった死蝶の雲が消えているのは確かだった。
勝った……勝ったのだ。
私は満身創痍の体で地面に倒れこんだ。
「うぐ……」
今頃になって、体中から痛みが押し寄せてくる。
体のあちこちは黒く爛れ、火傷のような痛みが続いている。
不幸中の幸いは、体が「何とか動く」ということだ。
千切れたり、再起不能になったりした箇所は無かった。
「……っ!」
と言ったところで、激痛が止むはずもない。
「くっ……」
それでも、私は……自分を待つ人のために、その体に鞭を打った。
「待っていろ、コータ……今、帰る」
そうやって、地をずりずりと這う。
無様だっていい。
惨めだっていい。
あそこに帰れば……私を迎えてくれるあの笑顔あるから。
「……んっ?」
突然……目の前に影がさす。
「えっ……?」
慌てて顔をあげた。
「……!」
……そして、月明かりを遮るその人物は……
「こんばんは」
西行寺 幽々子だった。
「なん……で」
彼女は健在していた。
それも五体満足で。
ところどころには、小さなダメージを見ることもできるが、満身創痍の私と比べるとその差は歴然だった。
「あなたはよくやったわ、ルナサ・プリズムリバー。
もう少し早く、私のところに辿りついていれば、結果は違っていたかもしれないわ」
「あ、あぁ……」
「……でも、現実は残酷。そう、残酷ですわ」
そう言って彼女は私に背を向けた。
「!!待ってください!」
とっさに彼女の足首を掴む。
「……」
「待ってください、幽々子嬢!コータを……コータを殺さないで……くれ」
「……」
「あいつは、あいつは良い奴なんだ。呑気で、お人よしで
……体が弱いくせに無理ばっかりして……」
「……」
「……っ!何故殺す!何で、あんないい奴を殺すんだ!?」
「……」
「何故だ!西行寺 幽々子!!」
「……そうね、何故かしら」
「えっ……?」
「何故、皆、あんないい子に責め苦を与えるのでしょうか?」
「何を……言って……」
「……プリズムリバー。現実は残酷なの。本当に残酷なの。
あなたに、その現実を受け入れる自信はありますか?」
「どういう……ことだ?」
「……ありますか?」
「……っ」
彼女が何を言っているのか、まったくわからなかった。
でも、確実に「良くない」と言うことだけはわかっていた。
だから……私は何も答えることができなかった。
「……」
「……そう。だったら……」
と言って、彼女は私の手を振り切った。
「あっ……!」
「……」
「待って……待ってくれ!!」
必死に必死に這いずりながら、離れていく彼女を追う。
「待ってくれ、待ってくれ!幽々子嬢、幽々子嬢!!」
最早、物理的に彼女を止める術は残されてなかった。
だから、届かないとわかっていても、こうしてひたすらに呼びかけるしかなかったのだ。
「待って……待って……」
「……」
「待っ……て」
「……あら」
急に幽々子嬢の歩みが止まった。
その目の前に立ち塞がる2つの影は……見間違うはずもない。
「……お止まりください、幽々子お嬢様」
メルランに。
「……」
リリカだった。
「お、お前達……」
メルランはトランペットを、リリカはキーボードを手に、幽々子嬢に対峙していた。
「何のつもりかしらあなた達?」
「……事情は察し兼ねますが、少なくともあなたは姉の意思に反した行動をしているように見えます。
故に、ここを通すわけにはいきません」
「そ、そうです。退いてください」
「……『嫌だ』と言えば?」
「残念ですが……」
そう言ってメルランはトランペットを構え、リリカも震えながらそれに続いた。
「くっ……止めろ、メルラン、リリカ!お前達は関係無い!」
「……だってさ、リリカ。どうする?」
「う、う~ん……あはは、でも、ルナ姉の友達のことだし……」
「そうね、関係大ありよね。
……というわけで、ごめんルナ姉。言うこと聞けないや」
「バ、バカ!ふざけている場合か!」
「冗談じゃないよ。もう、冗談じゃない……みたい……」
「!!」
妹達に対峙する幽々子嬢から殺気が溢れ出してきた。
先ほどとは桁違いの、確実な殺意。
「……うっ」
リリカが思わず身じろぎした。
「リリカ」
「う、うん、わかってるよ、メル姉」
メルランに支えられ、リリカは何とか体勢を取り戻した。
……が、メルランもその額には大量の脂汗を浮かべていた。
「……あなた達の気は変わりませんか?」
「か、変わりません。私は私の意を……姉の意を押し通します」
「わ、私も。私も同じ!」
「……」
……そうして双方はどのくらい睨み合っただろうか。
場の緊張が限界に達するころ……
「そうですか」
と言って、幽々子嬢は微笑んだ。
「「「えっ?」」」
3姉妹同時に声をあげた。
それは……この場には、酷く不似合いな優しい笑みだったから。
「……幽々子嬢?」
「さて……」
幽々子嬢はメルラン達に背を向けると、ゆっくりと私のところまで歩いてきた。
「……?」
メルラン達はメルラン達で、その様子を不思議そうにポカンと見つめていた。
「ルナサ・プリズムリバー」
「は、はい」
「いい妹達をもったわね」
「えっ?」
「さすがに、あなた達3人と興じるのは骨が折れますから……」
「えっ?えっ?」
「今回はこれで手打ちにします」
「……えっ?」
聞き間違いだろうか?
彼女は今何て言った?
「これで……終わり、ということですか?」
「そうよ、これは終わり」
「本当に、本当に……いいんですか?」
「えぇ、もう……終わったみたいだから」
「??」
引っ掛かるところはあるが、この時点で確かなことが一つだけ。
悪夢は……終わったのである。
「は、はは……そうか……」
全身から力が抜け、目の前がブラックアウトしていく。
「あっ、ルナ姉!」
妹達が駆け寄ってくる音が、聞こえた、が……私は意識は、深遠へと、落ち…………
「ルナ姉!!」
・
・
・
・
・
「ほら、ルナ姉、無理しなくていいから、ゆっくりでいいから」
「す、すまない……メルラン」
あれからどれくらい時間がたったのだろうか?
さきほどまで月が見えていた空には雲がかかり、今にも雨が降りそうだった。
「……くっ!」
体を動かすたびに傷口が疼く。
それでも、幾分か痛みはマシになってきている。
どうやらメルランやリリカそれに幽々子嬢が、私が気を失っている間に治療を施してくれたらしい。
おかげ様で、この通り何とか他人の肩を借りて歩けるまで回復していた。
「焦りすぎだよ、ルナ姉」
「……早く、早く、あいつに伝えてやりたいんだ。『もう、終わった』って」
私は暗がりの道をメルランに支えられながら、リリカと……幽々子嬢の4人で歩いていた。
半刻前には想像もつかなかった光景だ。
「あれれ?こっちであってるの?こっちじゃないの?」
とんでもない方向を指差しながら幽々子嬢がそう言った。。
「そっちに行くと、庵から離れるだけですよ」
「えぇ~?」
……案外、私が止めなくても問題無かった気がしてきた。
「……幽々子嬢はどうしてコータを?」
「さぁ?気紛れかしら?」
「嘘ですね」
「あら、お言葉ね」
一通りやり合ってわかったことがある。
彼女の行動は一見無軌道であるが、その実綿密に計算されつくされているということだ。
短期で見てみれば何を考えているのかわからない行動も、長期で見るとそれら一つ一つがきちんと布石になっているのだ。
現に、先程のスペルカードでもそれはよく見えた。
パッと見たところは単なるばら撒きの弾幕にしか見えないが、蝶の動きや配置など嫌らしいぐらいに計算されていたのだ。
渦中の渦中にいた私が言うから間違いはない。
「じゃあ、あなたはどうして私がコータを狙ったと思うの?」
「そうですね……例えば、誰かに頼まれたとか」
「あらあら、物騒な話ね」
「まったくですよ」
きっとそいつが黒幕。
そいつこそが、私の……そしてコータの怨敵だ。
「もう少し私を疑ってもいいんじゃないかしら?」
「はは、幽々子嬢を疑うなんてとんでもないですよ」
半分冗談で、半分本気でそう言ってみた。
「あっ、ルナ姉、あの家だね」
「うん?……あぁ、そうだ」
そうこうしているうちにコータの庵にたどり着いた。
「うぇ~、ボロっちい~」
「コラコラ、何を言うかリリカ」
「そうよ、住めば都と言うじゃない」
ねぇ?と同意を求めてくる幽々子嬢。
……何というか、先程の死闘が嘘のように打ち解けてしまったな……
トントン
以前と同じように優しく引き戸を叩く。
「ねぇ、ねぇ、メル姉?『コータ』ってどんな奴だと思う?」
「えぇ?そんなのわからないわよ」
「私はねぇ……ものすごい髭面の山男だと思うな」
トントン
「え~?嫌だよ、そんなの……」
「だって、こんなところに住んでいるんだよ?」
……トントン
「でも……そんな不潔な人、ルナ姉に……似合わない」
「あ、あはは、冗談だよ、冗談。だから、落ち着いてメル姉。暴走しちゃ駄目だよ、ねっ?」
……
「あれ?どうしたの、ルナ姉?」
「返事がないんだ」
「寝てるんじゃないの?」
「寝てる……?」
……あっ……
ふと、昨日の惨劇を思いだす。
何度ノックしても返事が返ってくることはなく、業を煮やして踏み込んでみると……
「コータ!!」
考えている暇なんてない。
私は躊躇することなく引き戸を開けると、そのままの勢いで中に飛び込んだ。
「あっ、ルナ姉!」
私に続く形でメルランとリリカがなだれ込んでくる。
「コータ、コータ!」
庵の中は、昨日とは違って至極綺麗なものだった。
しかし、肝心のコータは……
「コータ……」
布団の中で……
「……」
呑気な顔で眠っていた。
「は……ぁ……」
私は自分の悪い考えが杞憂に終わったことに安堵した。
「もう、突然どうしたのよ、ルナ姉……って、その人がコータ?」
「うわ~、細ーい、白ーい、女の子みたい!この人ならいいよね、メル姉?」
「う、うん……いいかも」
メルランがゴクリと生唾を飲み込んだ。
「コラコラ、何を考えている」
メルランの頭を軽くこづくと、私はコータの布団までよろよろと歩き、その脇に腰を掛けた。
……コータの顔はさっきの様子が嘘のように穏やかなものだった。
「……起きろ、コータ。私だ、ルナサだ」
「……」
「コータ、コータ。客人も来ている。紹介したい、起きろ」
「……」
むっ……眠りの深いやつだな。
「コータ、コータ。きついのはわかるが伝えたいことがある。吉報だ、起きろ」
「……」
……仕方が無いか。
ならばと思って、私はコータの肩に手を持っていった。
「コー……」
そこで違和感。
おかしい。
……後ろを振り返る。
そこには
静かに私とコータを見下ろすメルランに、口を押さえ何故か震えているリリカ。
幽々子嬢は……庵に入ることなく、入り口で俯きながら佇んでいた。
はは
何だ?
「……コータ、起きろ。終わったんだ」
肩を揺する。
違和感は今だ続く。
「コータ、起きろ。もういいだろう?」
また 揺する 揺する。
抵抗はない。
あって欲しかった。
「コータ、起きろ。しまいには……怒るぞ」
揺する 揺する 揺する。
そのたびにコータは揺れ、揺するのを止めるとピタリと止まった。
「……なぁ、コータ?」
……もう一度、後ろを振り返ってみた。
そこでは……メルランが必死に……泣きじゃくるリリカを抱きしめていた。
はは
……こらこら、お前達
「……起きろ、コータ。お前が起きないから……妹達が変な勘違いをしているぞ」
揺する 揺する 揺す……る。
違和感は変わらない。
やっぱり、私の手が触れるコータの体は……
「コータ、起きろ……」
…………冷たかった。
「起き……ろ」
視界が滲む。
何故だ。
ポロポロと目の奥から熱いもの零れてくる。
何故だ。
それはコータの腕を、胸を、そして頬を、濡らしていった。
何故だ!
「幽々子嬢!」
弾かれるようにして、コータの傍を離れ、私は幽々子嬢のところに駆け寄った。
「幽々子嬢、幽々子嬢!頼む、頼む、コータを助けてくれ……!」
「……」
「頼む、お願いだ。何でもする、一生、白玉楼で演奏し続けてもいい。あなたの望むことなら何でもする!」
「……」
「だから……だから、コータを……」
「…………ごめんなさい」
「……っ!!何でだ!お前は死を操ることができるんだろう!?それなのに、どうして、どうしてコータを助けない!?」
「……」
「答えろ、答えろ西行寺 幽々子!!答えろぉ!!!」
何故だ何でだ何故だ何でだ何故だ…………何故だ!!
「止めて、ルナ姉!」
引き剥されるようにして、後ろからメルランに抱きしめられた。
「離せ、離せ、メルラン!」
「止めて、もう止めてよ……ルナ姉……」
「ふざけるな!ふざけるな!こんなの……こんなの……私は認めるもんか!!」
認めない。
認めるもんか。
終わったのに、全部終わったのに。
悪夢は終わったのに。
夢は終わったのに……当の本人が目覚めないなんて……そんな馬鹿な話…………
「ああああああ!!」
慟哭が木霊する庵の外ではシトシトと時雨が降り始めていた。
「終わった……みたいだな」
「!」
その声は庵の入り口……ちょうど幽々子嬢の真後ろから聞こえた。
「……えぇ、先ほど」
「……最後は?」
「残念ですが……」
「そうか、無念だ……」
そう言って悔しそうに俯く、そいつは……上白沢 慧音。
半人半獣の妖怪だ。
それより……彼女達は何を話している?
幽々子嬢と彼女は何を話しているんだ?
「……どういうことですか、幽々子嬢?」
「……プリズムリバー」
死人のような表情で私は幽々子嬢に歩み寄った。
「……彼女には?」
「いえ、まだですわ」
「……?」
どういうことだ?
私があれこれ思案していると、幽々子嬢と上白沢 慧音は顔を見合わせ……頷いた。
そうして
「私が説明しよう」
「……」
名乗りでたのは上白沢 慧音だった。
「この人間の『呪い』は知っているか、プリズムリバー?」
「……コータだ」
「えっ?」
「コータだ。コータと呼んでくれ。一括りにされたく……ない」
「あぁ、スマン。ならば、改めて聞こう。コータの呪いは……知っているか?」
「知っている……誰がかけたのかは知らないがな」
そう言って、ジロリと上白沢 慧音を睨む。
「……私ではない」
「だったら、誰だと言うんだ。こんな……こんな……!」
再び目から涙が溢れてくる。
悔しくて、悔しくて……
「あれは……あの呪いをかけたのは……」
そこまで言って上白沢 慧音は言いよどむ。
「あの呪いをかけたのは……」
……しかし、私をキッと見つめると……言葉を……信じられない言葉を続けた。
「あの呪いをかけたのは……人間だ」
「……えっ?」
「あれはふもとの村人が……コータにかけた呪いなんだ」
「……どういうことだ?」
「コータは親無しの捨て子だった……この意味がわかるか?」
静かに首を横に振る。
「『忌み』の対象だったということだ」
「『忌み』?」
「あぁ、他の村人と何も繋がりがない、穢れを持ち込む『ヨソモノ』。
そういうものとして……コータは扱われていた」
「……」
『穢れ』?
そう、あれはいつか……
『えっ……触るんだよ?』
『??何を言ってる?当然だろう?』
『……本当にいいの?』
『あの……ここを下りれば小川があるから……』
『??どういう意味だ?』
『そこで……洗って……』
『何を?』
『君の……手?』
『何で?』
『「何で」って……その』
「どう……なんだ」
「『どう』……と言うと?」
「具体的には『どう』扱われていたのかと聞いているんだ」
「……それは」
「答えろ」
上白沢 慧音はグッと拳を握ると苦しそうに言葉を紡ぎ出した。
「……名前を与えられなかった」
知っている。
「……人としての扱いを受けなかった」
それも……今、納得した。
「……子供達は石で彼を追い立てた」
それは……
「……大人達は言葉で彼を追い立てた」
それ……は……
「……村は彼を拒絶し続けた」
なん……で
なんで……何もコータに与えない?
なんで……与えないのに……奪い続ける?
なんで なんで
「……そうして、その末にコータは……」
「……この呪いを……?」
上白沢 慧音は静かに頷いた。
「この呪いは、かけた相手を依代(よりしろ)として使う」
「依代?」
「あぁ……天災や疫病など一切合切の不幸を……その身に受け持たせる」
つまり……コータのあの苦しみは……
「……村人は自分の村に降りかかるべき不幸を、全て……忌み子のコータに押し付けたんだ」
「っ!」
頭がカッと熱くなった。
頬を濡らす涙はもう哀しさだけではなく、悔しさだけでもなく……
「ふざけるな!そんな話がまかり通るものか!」
「落ち着いてくれ、プリズムリバー。お前のその気持ちも……わかる」
「わかるなら……何故止めなかった!お前は村の守護者だったんだろう!?」
「知らなかった……知らなかったんだ。私も今の今まで、そのような悪しき習慣があったなんて知らなかったんだ……」
「だったら、それを知ったお前は何をしにきた?ここに何をしにきた!?」
「……私『が』しにきたんたんじゃない。私は頼まれたんだ……その村の村長に」
「……村長に?何をだ?」
村長……コータを忌み、呪った村の中心人物じゃないか。
そいつが今さら何を……
「村長は……自分達がコータにした行為を悔いていた。そして、出来ることなら罪滅ぼしとして……」
「……」
「罪滅ぼしとして……せめてあいつを……コータを楽にしてやってくれと」
「なっ……」
そんなの……そんなの……
「それを受けて私は西行寺 幽々子に依頼した。コータを……安らかに死に導いてくれるように」
そんなの……
「……しかし、それも間に合わなかった。結局、コータは……呪いで……」
そんなの……!!
ゴッ!
庵に鈍い音が響いた。
「……なっ、プリズムリバー?」
私は……その拳で上白沢 慧音を殴っていた。
「……勝手だ」
「……えっ?」
「勝手だ、勝手だ!!お前達は勝手だ!!」
「プリズムリバー……」
「都合よくコータを生贄にしたてあげて、今度は『悪いと思ったから楽にしてくれ』だと!?」
「それは……」
「勝手だ、勝手だ!!
お前達の……お前達の勝手な都合でコータがどれだけ……
…………くっ!!」
「!!待て、プリズムリバー!」
制止の声を聞くはずもなく……私は入り口にいた幽々子嬢を押しのけて外に飛び出していった。
「……」
ルナサが飛び出した後の庵は静寂が支配していた。
誰一人として口を開こうとするものはいなかった……が、
「……上白沢 慧音……でしたか?」
メルランの一言でその沈黙が破られた。
「あぁ。お前は……?」
「メルラン・プリズムリバーです。先ほどは姉が失礼を」
「いや」
「あなたに手を上げるのは筋違いだとわかっていますが……姉をどうか許してやってください」
「あぁ、気にしてないさ。一番つらいのはあいつだからな……」
慧音はメルランに背を向けると入り口の方へ向かった。
「……どこへ?」
入り口にいる西行寺 幽々子がすれ違い様に問いかける。
「あいつが変な気を起して……村を襲ったりしないか心配だ。だから、あいつを捜してくる」
「……私が行きますわ」
「いいのか、西行寺 幽々子?」
「えぇ、大体いるところは見当がつきますし」
「……スマンな。何から何まで手伝ってもらって」
「あまりお気になさらずに」
「幽々子お嬢様……姉をお願いします」
「お願いします……」
メルランとリリカが静かに頭を下げた。。
幽々子はそれに頷くと、コータが眠る布団の傍に腰を下ろした。
「ごめんなさい、あなたの意に反してしまいますけど……でも……想いは必ず届けますから」
そう言って幽々子はその布団の下に手を入れた。
・
・
・
・
・
ここはあの丘。
あの思い出の丘。
「……」
流す涙も枯れ果てた。
いや……最早何のために泣けばいいのすらわからない。
コータはもういない。
あの声も、あの笑顔も、二度と……見ることはできない。
それを奪ったのは……コータと同じ村の人間達。
「……私はどうするべきだろうか?」
コータがいつも座っていた場所に問いかける。
もちろん返事など期待するはずも無い。
「敵をとって欲しいか?それとも……」
それとも……何だろう。
わからない。
どうすればいいかわからない。
「私は……」
「あなたがすべきことは何も無いわ」
突然の声。
……それでも、それは予想の範疇の事だった。
「……幽々子嬢ですか」
「お隣いいかしら?」
「……」
黙って少し横にずれる。
「……空が綺麗ね」
「……雨が降ってますけど」
「いいえ、綺麗よ。まるで空が泣いてるみたい」
「……コータのためにとでも言いたいんですか?」
「さあ?でも、誰かの涙で鎮魂ができると思う?」
「……無理ですね。今しがたそれを思い知りました。
泣いても泣いても、何も変わらないし何も起こらない。
ただ悔しさと哀しさが募るだけです」
「だったらあなたはどうするの?」
「私は……何かをしたい。コータのために何かをしてやりたいです」
「その想いがもう届かないとしても?」
「ええ。それが私の『区切り』ですから」
「……例えば村を襲うとか?」
「はは、悪くないですね」
乾いた笑い。
冗談でも何でもいい。
何かをしたい。
何かをするきっかけが欲しい。
「危ういわね、プリズムリバー」
「そうですか?
……そうかもしれませんね」
そう言って黒く濁った空を仰ぐ。
「先ほど幽々子嬢が仰っていた言葉の意味がわかりました。現実というのは……本当に残酷ですね」
「……知らなければよかった?」
「ええ。このまま何も知らずに……」
「ダメよ」
「えっ?」
「それはダメよ、プリズムリバー。あなたには全てを知る義務があるわ」
「全て……?」
「上白沢 慧音が述べた話は真実ではないわ。おそらく、彼女も本当のことを知らされてないのでしょうね」
「……説明してもらえますか?」
「もちろんそのつもりよ。でも……その前にこれだけは聞いておくわ」
「……」
「私が今から述べることは私の意志によるもの。コータの意思には反することよ」
「コータの?」
「ええ。だから、本来ならばあなたが聞くべき話ではないわ」
「それでも、私に話すのは……」
「さきほども言ったようにあなたには義務があるからよ。コータの親友として全てを聞く義務が」
「義務……ですか」
「義務はこなすべきもの。だけど……最後にコータの意を尊重してあなたに聞いておきます。
プリズムリバー、あなたにこの現実を受け入れる自信はありますか?」
先程の問いかけ。
今度は迷う暇すらなかった。
私は静かに首を縦に振った。
「わかりました。それではまず初めに……」
「……」
「コータは……自害をしました」
「……えっ?」
「それでも……」
「待て。待ってくれ。何故コータが自害をしなければならない?」
「……それは順を追って説明します」
「……」
「……それでも、コータが村人に呪いをかけられていたのは真実」
「……そうだ。コータは呪いをかけられていて……その呪いで……」
「ええ。その呪いで命を落としたわ」
「でも、幽々子嬢はさきほど自害と……」
「そう……呪いによる死と自害による死は同義なのよ」
「つまり……?」
「あの呪いはコータの自害をもって成就する……というものだったの」
頭が混乱してくる。
幽々子嬢はコータが自ら命を絶ったと言った。
さらに……それによって呪いが成就されただと?
「わからない。何でそんな呪いをかける意味がある」
「正確には呪いではないわ。一種の願掛けといった方がいいかしら」
「願掛け?」
「そう。呪いをかけた相手にあらゆる責め苦を与え自害に追い込む。
そして、それを成しえた暁には……願いが叶うというものなの」
こんな……こんな人柱まがいの行いを願掛けと……呼べるのか。
「……何だ、それでは何が対価なんだ。コータの命を懸けるに相応しい対価とは何なんだ?」
「それは……わからないわ。
少なくとも……何かしら村の役得につながることだとは思うけど……」
「……はっ」
村の役得?
よってたかって一人を責め抜くことが……『役』だと?
そんな……そんなやつらのために……コータは……
「……そいつらはどうしてるんですか?」
「えっ?」
「村のやつらはどうしているんですか?」
「それは……」
コータの訃報を聞いて小躍りでもしてるのだろうか。
考えただけで反吐が出てくる。
たまらない。
辛抱できない。
「プリズムリバー。少し落ち着きなさい」
「落ち着く、か……笑える冗談です」
「プリズムリバー」
「ありがとうございます、幽々子嬢。何をすべきかやっとわかってきました」
「……何をするつもり?」
「弔いです。村を襲います」
「本気で言っているの?そんな感情で人を殺めれば……」
「ええ、『堕ちて』しまいますね。でも、大丈夫、問題ありません。
もしそうなったら……その土地に憑いてやりますよ。未来永劫、誰も住めなくなるように」
もう何もないカラッポの私だ。
今さらどうなろうと関係ない。
何も、何も。
「それはコータが望むことかしら?」
「わかりません」
「それを聞いてコータはどんな顔をするかしら?」
「……わかりません」
「それは……」
「……じゃあ、じゃあ!どうしろと言うんですか!」
「プリズムリバー……」
「捨てられ、忌まれ、呪われた。誰もコータに何もしてあげなかった、何も与えなかった」
「……」
「その上、私まで何もしてあげられなかったら……コータは……コータは!!」
報われないんだ。
あまりにも。
あまりにも。
「教えて下さい……幽々子嬢。私は何をすればいい……コータのために何をすればいい?」
「……」
「私はあいつの笑顔が好きだった。守っていきたかった。なのに……なのに……」
何も出来なかったんだ、私は。
本当の意味で苦しんでいるコータに何もできず……口では偉そうなことを言って……
「私も……結局はあの村人達と同罪かもしれない……」
「……違うわ、プリズムリバー」
「えっ……」
「少なくともあなたはコータを救ってあげた……これは確かよ」
そう言って幽々子嬢は懐から一枚の手紙を取り出した。
「……これは?」
「コータから……あなたによ」
「コータが……」
私はそれを受け取ると静かに開いてみた。
「……」
字などまともに教えてもらったことなどないのだろう。
その手紙の文字はひどく歪で文脈も無茶苦茶だった。
でも……
「……っ」
その感情はまっすぐに私の心に響いた。
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るなさ え
こわい けど さいごに がんばります ごめんなさい
やくそく まもれなくて ごめんなさい
めいわく を たくさんかけました ごめんなさい
ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい
ありがとう
------------------------------------------------
手紙の中でもコータはずっと……謝り続けていた。
何一つ悪いことなどしていないのに。
「コー……タっ……」
ただただ涙は溢れるばかりだった。
「プリズムリバー」
そっと幽々子嬢の手が私の肩に置かれる。
「今日……コータは最後にあなたに何と言ったか覚えている?」
「コータは……」
『……ありがとう、それに……ごめんね』
『……おかしな奴だ。感謝するのか、謝るかのどちらかにしておけ』
『じゃあ……』
「『ありがとう』……と」
「それが答えよ。コータからあなたへの全ての答え」
「本当に……?」
「ええ。だからそれを聞いてあなたはどうするの?何をするの?」
「私は……私は……」
言葉に詰まる。
私は……コータのために……
「何もできないのよ」
「……えっ」
「もう……何もできないのよ。あなたが何をしようとコータは泣かない、怒らない……そして、笑わない」
「それでも……」
「……何かをしたいと言うのなら……泣いてあげて」
「コータのために?」
「いいえ。あなたのためよ」
「私の……?」
「あなたの涙でコータの魂が鎮魂できるなんて……都合のいい話はないわ。
でも、少なくともその涙はあなたの慰めにはなるわ」
「……」
「強くなりなさい、プリズムリバー。それがコータの……望むところでもあるのだから」
「幽々子嬢……」
その言葉は優しくて厳しかった。
前だけを見て歩けと……そう言っているみたいだった。
「……最後に一つ聞いていいですか」
「ええ」
「コータは……あの『万寿草』とかいう草を飲んで……?」
「……気づいていたの?」
「はい、幽々子嬢の話を聞いた後で……ですけど」
「そう。あれは正しくは『万呪草』。呪いの終わりを担う……猛毒の植物よ」
「……やはり、現実というのは残酷ですね」
「知らなければよかった?」
「ええ。……でも、何も知らずに生きていく方が……つらいですから」
「……そうね。その答えが言えるならもう大丈夫」
そう言って幽々子嬢は私を抱きしめた。
「泣きなさい。雨が……止まないうちに」
空が泣いてくれているうちに。
・
・
・
・
・
ガララ
木戸を押し開ける上白沢 慧音の気持ちは重かった。
目の前で……人間が死んでいくのはたまらない。
それでも……自分は義務を……この悪しき出来事の顛末を報告する義務をこなさなければならない。
「おぉ、慧音様!お帰りなさい!」
そう言って彼女を迎えたのは初老の男性。
うっすらと白の混じった頭髪は薄く、顔の染みが醜く目立っていた。
「あぁ……」
「どうなさったんですか?酷くお疲れのようですが?」
「何でもない。大丈夫だ、村長」
「はぁ、そうですか。……それで、結果のほどは?」
つまりこの男はこう聞きたいのだ。
『コータはどのようにして死んだのかと?』
本来ならばコータに呪いをかけた渦中の人物が吐ける台詞ではないのだが……
少なくとも、村長は私に嘆願してきた。
コータを楽にしてくれ、と。
ならば、その最後の良心には応えてやらねばなるまい……と慧音は思った。
「申し訳ないが……私の力は及ばなかった」
「と言いますと?」
「コータは呪いで……死んだ」
「……ということはあなたが手を下さずに?」
「あぁ……」
「それは……」
「……」
「良かった」
「…………何?」
慧音はその発言を聞き逃さなかった。
どんな状況であれ、この場では絶対に出てくるはずの無い言葉だったからだ。
「……あぁ。そう言えば慧音様にはお話しておりませんでしたな」
村長は下卑た笑いを浮かべながらポリポリと頭を掻いていた。
まるで……「うっかり」言い忘れてしまったことを恥じるみたいに。
「説明してくれ……村長」
「いえね。話すことでもないと思っていたのですが……」
「いいから、説明してくれ」
「……正確に言うとあの忌み子に掛けたのは呪いじゃないんですよ」
「呪いじゃない?」
「まぁ、願掛けの一種ですかな。豊作の」
「何だ……それは」
「この村の慣習でしてね。ちょうど収穫の周期に合うように、用意してるんですよ、何人も。
あっ、誤解なさらないでくださいね?『出来るだけ』村人は使ってませんから。
大体、罪人か流れ者というのが相場ですね。どちらにしろ村に必要のない人間ですから」
「……」
「いやぁ、それにしても良かった。やっとあの忌み子が死んでくれて。これで狂いかけていた収穫の周期も元に戻りますよ。
やはりどんな阿呆といえども、妖怪に祟られるよりは自らの手で死んだ方がマシということですかな?
……と失礼。これは慧音様のことを悪く言っているわけではなく……」
聞きたいのはそのような取り繕いの言い訳ではなかった。
聞くべきことは……
「何だ……『自らの手で』というのは?」
「あぁ、そういう願掛けでしてね。
呪詛を彫られた奴はありとあらゆる責め苦を受けてね、大抵は1年もたたないうちに狂って……」
そこまで言って村長は手で首を掻っ切るポーズをした。
心底愉快そうに。
「だから……あいつは自害をしたと?」
「えぇ。自殺以外じゃ『死ねない』呪いですからね。
……まぁ、でもあの忌み子は意外でしたな。元々が阿呆だから責め苦を感じなかったのでしょうかね?
2年経っても、3年経っても中々しぶとくて……業を煮やして村から追い出したんですよ。
死にやすいように、毒草が生えているところに追いやって」
「……」
「ちょうど壊れかけた庵があったんでくれてやりましたよ。冥土の土産にね。
……なのにあの阿呆は何を勘違いしたのか……言うに事欠いて『ありがとう』ですよ?
まったく、礼を言う暇があったら早く死ねと……」
そうして村長はブツブツと文句を言い始めた。
それは聞くに堪えない……本当に些細で汚い文句だった。
「……でも、これでやっと終わりましたな。良かった良かった」
そう言って村長は薄汚い紙を取り出し……
『八十四』と書かれた文字に横線を引っ張った。
その上の行にも下の行にも、似たように横線が引かれていた。
「……それでは早速『欠番』を埋めなければなりませんな。
運がいいことにちょうどいいのがいまして……村外れの百姓のところの子供でしてね。
どうやら間引き損なって困ってるそうなんですよ。だから、それを…………と、慧音様?」
先ほどから一言も発さない慧音を不思議に思い、村長はその顔を覗きこんだ。
「……おや、頬が赤いですね?」
「……」
それはルナサ・プリズムリバーに殴られた箇所だった。
「ははぁ、さては……」
グイッと、とっくりを煽るポーズを取る。
「ははは、慧音様も好きですな?まぁ、祝杯をあげたい気持ちもわからんではないですが……」
「……それだけか?」
「…………はっ?」
「言いたいことはそれだけか……と聞いたんだ」
「慧音……様?」
村長はパチクリと目を瞬かせる。
その声は今まで聞いたことも無いような……地の底から響き渡る憎悪の声。
それを……よりにもよって村の守護者が吐くとは予想だにしなかったのだ。
「あの……どう……なさったんでしょう?私が何か……」
「これは……あいつの……コータの一番の親友からの伝言だ」
慧音が拳を振り上げる。
「……受け取れ」
「えっ?」
瞬きなどする暇もなかった。
その拳は残酷に冷酷に……向かう先のものを打ち砕いた。
グシャリ
鈍い嫌な音が建物の中に静かに響いた。
「…………はっ」
慧音の拳はまっすぐに振り下ろされ……
「……はっ、はっ」
迷うことなく『それ』を打ち砕いた。
「はっ……はあぁぁぁ!!」
村長は腰を抜かしてその場に崩れ落ちた。
頭の上には真っ直ぐに慧音の拳が伸びており、背にしていた柱を見事なまでに打ち砕いてた。
「……」
慧音はゆっくりと拳を戻すと、そのまま村長を見下ろした。
冷たい、冷たい瞳で。
「おい」
「ひっ……」
「おい」
「ひっ……は、はい」
「……お前に最後の良心があるなら……あいつを弔ってやれ」
「へ……?」
「いいな?」
「はっ、はいい!!」
慧音はクルリと踵を返した。
こんなところには……もう用がないのだ。
「あ、あの……慧音様?」
「……何だ?」
「む、村の守護は?」
「……やってやるさ。ただし……このような人柱まがいの儀式を止めるならの話だ」
「そ、そうは言われましても……」
慧音は背中越しにギロリと睨んだ。
「ひっ……」
「……私が滅ぼしてもいいんだぞ?」
「へっ……あっ……ひっ……!わ、わかりました、すぐに、すぐにぃ!!」
それだけ聞くと慧音は出口に向かい歩を進めた。
相変わらず背中からはおざなりの謝罪が聞こえるが……意に介さなかった。
ガララ
外はまだまだ雨が降っていた。
空は泣いているのだろうか?もしそうならば誰のために?
慧音はその雨に身を打たれながら……ジンジンと痛むその手を悔しそうに握った。
「すまない、プリズムリバー……
それでも……私は人間が好きなんだ」
【エピローグ】
――霜月 十二日 晴れ――
「よいしょ……」
私は最後の土を被せると額の汗を拭った。
「終わり、ルナ姉?」
「あぁ、これで……」
小石をその土の上にそっと置いた。
「……」
そうして一様に黙る。
コータは私の願いでこの丘に埋めることにした。
立会いはメルランとリリカ……それに幽々子嬢。
「……それにしても、プリズムリバー」
「何でしょうか、幽々子嬢?」
「ここは……随分と寂しいところね」
「ええ。でも問題無いですよ」
「へぇ、どうして?」
「寂しいところを賑やかにする……それが我々3姉妹の生業ですから」
そう言って、私もメルランもリリカも申し合わせたように楽器を構えた。
「成る程成る程。確かに一理あるわ」
「……メルラン、リリカ、いいか?」
「ええ」
「うん、練習通り」
「よし、それじゃあ……」
「ストップ」
「……どうしたんですか、幽々子嬢?」
「私も参加させてもらいますわ」
「参加って……楽器は?」
「ホラ」
と言って、突き出されたその手にあったのは……
「コータの笛?」
「その通り」
「幽々子嬢、笛とか吹けましたか?」
「いいえ」
「……はぁ」
「でも、大丈夫。気合と雰囲気で……」
「雰囲気だけで結構ですよ。それっぽく咥えていていてください」
「あら、なかなか言うようになったわね、プリズムリバー?」
「大分慣れましたから」
苦い笑いを浮かべると、私は場を仕切りなおした。
「さぁ、いくぞ――」
私のリードに続いて、メルランとリリカが演奏を始める。
久方ぶりにこの丘に幻奏が広がった。
それは騒がしいぐらいに愉快で……
でも……どことなく、何かが欠けているような……そんな感じもしていた。
「……」
その演奏を聴きながら、西行寺 幽々子は虚空を見つめいてた。
(……あら、やっぱり来たわね)
確かに彼はそこにいた。
彼女だけが気づいていた。
(生を起すことは出来ないけど……一時的に魂を呼ぶことならできるから……)
だから……
(お貸ししますわ……コータ)
――反魂「口寄せ」――
その変化にまず気づいたのはルナサだった。
愉快で騒がしいけど何かが欠けているようなこの演奏に……微かに音が加わった。
(コータ?)
それは優しく……暖かい彼の音色だった。
(あぁ……そうか、そこにいるんだな)
そうして、ルナサは『そこ』に背を合わせた。
(お前の願いだ。騒霊3姉妹+1の愉快で騒がしくて……暖かい演奏会だ)
ルナサは静かに目を閉じた。
瞼の裏に映るコータの顔は……やっぱり笑っていた。
『自分』と背を合わせながら演奏をするルナサを見ながら、幽々子はあの日の出来事を思い出していた。
3日前……コータが命を落とす前の日。
その日に幽々子はコータと顔を合わせていた。
『こんにちは』
『あっ……えっ?』
ルナサが庵を出るや否や、突然の来客。
『あの……誰ですか?』
『さぁて、誰でしょうか?』
『……』
ルナサ以外にここを訪れるような人物は……
『追剥ぎですか?』
『実は』
『あの……ここには何もありませんよ?』
『あなたがいるわ』
『僕……ですか?』
『ええ、あなたの命をもらいます』
『……えっ?』
『コータですね?
私は西行寺 幽々子……ルナサ・プリズムリバーの知り合いと思ってもらえればいいわ』
『ルナサの?』
『ええ、今日は……あなたを解放するためにきました』
『解放?』
『そう……あなたを囲う全てシガラミから』
『……『死ねる』ってことですか?』
『そうなるわね』
『……』
そこまで聞いてコータは黙り込んだ。
……それでも、その顔は穏やかで……とても死刑宣告を受けたような者の顔ではなかった。
『……折角ですけど』
『そう言うと思ったわ』
『えっ?』
『あなたは……いつまで頑張るつもりかしら?』
『頑張るって……』
『もしかしたら、体は耐えてくれるかもしれないわ。それでも……心の方はどうかしら?』
『……』
『残酷な言い方になりますけど、あなたが狂い死ぬのも時間の問題です。
むしろ、ここまでもったのが不思議なぐらいで……』
『でも……』
『このままでいいの?このままあの村人達の成すがままにされて……』
『違うんです』
『えっ?』
『もう……頑張るつもりは無いんです。もう……』
『……どういうことかしら?』
『明日です。明日が……僕の最後の日です』
『……待って、それは自害をするということ?』
『……はい』
『それでいいの?あなたはあの村人達に屈してしまうのよ?それでもいいの?』
『……そういうのはいいんです。今まで死ねなかったのはそういう意地じゃなくて……単に怖かったから』
『……』
『親も名前も……何も無いまま一人で死ぬのは……怖かったから』
『……コータ』
『だけど……もう……大丈夫です。今までずっと、出来るはずは無いと思っていた……友達も出来たし……もう……』
静かに閉じられたコータの瞳からスーと涙が流れる。
『強いのね……あなたは』
『だとしたら……ルナサのおかげです。彼女のおかげで僕は……』
『……その彼女には何と言うつもり?』
『何も言いません。きっとルナサのことだから、変に自分に責任を感じて……』
『それは優しさじゃないわ』
『いいんです。僕は頭が悪いからこのぐらいしか考えつかなくて……
ルナサとは最後まで普通の友達でいたいから……』
『つらいわよ?』
『覚悟の上です』
『……そう、だったら何も言うことは無いわ』
『ありがとうございます…………あの、それでお願いがあるんですけど』
『何かしら?』
『明日……ルナサを外に連れ出してくれませんか?』
『死に際は見せたくない……と?』
『はい……すいません、我儘で』
『手段は問わないわよ?』
『……出来るだけ、お手柔らかに』
『善処してみますわ』
『……それと、もう一つ』
『はいはい。一つでも二つでもいいわよ』
『あの……』
――手紙の書き方を……教えてくれませんか?――
end
などと良作を台無しに追いやる一言を吐き残していく私ですが
今回は完敗です。久々に目頭熱くなりました。
これからもがんばってください。
とても感動できる作品でしたありがとうございます。
しかし村長があまりにも酷すぎるような・・・村のために人柱にしこそすれあの態度はないかなと。
so氏の作品には感動させまくってもらってます。
次回作も楽しみにしておりますね!
いつもとは違うなにやら怖いゆゆ様が印象的でした。でもやっぱり色々わけ有りだったのでホント良かった良かった。
多少露骨ですが兎に角必要悪っぷりな見苦しい村長萌え・・・
人間命の慧音さんの見たことの無い怒りにも納得。 とにかくお見事です。
今現在でも同等のものか近いものがされているでしょう、実際に。無いといったら嘘になりますよね、こんなにも多くの子供達が大人達が、自らの手でこの世を去っていく時代なんですから。
えらく重い話になってしまいました。投稿した時点で反省していないのがばればれ。
コータは幽霊として生きて(?)いけないのだろうか。(←どうしてもコータとルナサが一緒になることをあきらめきれない人。)
ゆゆ様らぶ。
ついでに人間の愚かさを知りつつ、それでも人間が好きと言う慧音の愛は本物でしょう。私もこのように誰かを愛せたらなと思います。
感服です、感無量です。
確かに昔は村に災害や凶作が続くと神に「人柱」を
捧げる風習も残ってますね。悲しい話ですが・・・