「さあ、早く行きますよ! 夜は短いんです!」
「わかった、わかったわよ~。そんなに引っ張らないで~」
妙にハイテンションな妖夢。縄でぐるぐる巻きにされて引っ張られている幽々子。
昨夜と立場がまるきり入れ替わった二人が夜の空を飛んでいた。
それもそのはず、二人は昨日から一睡もしていない。
白玉楼を通り越し、紅魔館の門をぶち壊し、博麗神社の鳥居を真っ二つ……そのままぐるりと幻想郷を一周して各地にかなりの被害を与えた後、霧雨邸の侵入者撃退用トラップに引っかかって宙づりになった幽々子を、いつの間にか博麗神社から持ってきた注連縄でぐるぐる巻きにして引きずり回してきたのだ。
本来ならとっくにエネルギー切れになっていてもおかしくはない妖夢――幽々子は実際そうなったせいで妖夢に捕まってしまったのだ――は、丸一日動いているはずなのに疲れというものを全く感じさせない。徹夜明けによく起こる、自然錯乱(ナチュラル・ハイ)というやつである。
「妖夢~眠い~」
「あ゛――!?」
「なんでもないわーなんでもないからそうやって睨まないでー」
完全に切れた妖夢の目にすっかりびびっている幽々子。
目に浮かんだ涙は恐怖の為か欠伸の為か。
「だったら黙っててください! 用がある時はこっちから声をかけますから!」
「わかったからそんな怒鳴らないでよ~。…………はぁ、お腹空いた」
さっきも言ったように、二人は丸一日壮絶な追いかけっこを続けていたのだ。
当然食事をとっている暇はない。
食いしん坊にとって空腹の波が治まるまでのこの時間は地獄にいるような気分だった。
そうこうしているうちに森が見えてきた。
そういえば、昨夜はこのあたりで大きな蛍を囓った覚えがある。
途中で逃げられたけれどちょっと甘酸っぱい感じがたまらなかった……。
それを思い出すとお腹が鳴った。
(うぅ~……お腹空いた~……)
身をよじるがお腹が空いて力が入らない上に滅茶苦茶に縛られているからちっとも縄が緩まない。
(……もしかしてこれって封印されてる?)
注連縄とはそもそも魔を防ぐ結界を作り出す物であり、幽霊という存在とはほとんど反対のベクトルに存在している物。だから食べることもできない。
それでもなんとかしようと必死にもがいていると、視界の隅でなにかが光った。
目を凝らすと木々の間から弾幕が飛び出してくる。
「――そこか!」
「え? ちょ、ちょっと妖夢?」
それを確認した妖夢はためらうことなく幽々子を投げつけた。
「い~や~~~~~!!」
撃ち出された弾幕に頭からつっこむ幽々子。
注連縄の効果か蝶を呼び出すことができない。その代わり体に触れた弾は片端から消滅していく。
さすが博麗神社の注連縄。その力は伊達ではない。
ほっとしつつ地面すれすれで体勢を立て直す幽々子。
「おりゃあああ!」
――ゴッ。
頭上で、鈍器で殴ったとき独特のとても痛そうな音がした。
「?」
見上げると巨大ゴキ……蛍のリグルが脳天を峰で殴られていた。
よく分からない悲鳴を上げながら落ちてくるリグル。
(ああっ、妖夢。私のためにご飯を獲ってくれたのね!)
満面の笑みで涎を垂らしながら落下地点へ急ぐ幽々子。
ヘッドスライディングのように、地面に落っこちて呻いているリグルに飛びかかる。
「い~ただ~きま~す!」
「ひぃ――!?」
恐怖にゆがむリグルの顔。それさえも今の幽々子にとっては極上のスパイスに他ならない。
喰らいつくまであと二秒……一秒……。
「あら? ららら?」
ぎりぎりまで伸びきったゴムが反動で戻るように、リグルの顔がものすごい勢いで遠ざかる。
「なにやってるんですか! 夜は短いって言ったでしょう!」
「ご飯がー私のご飯がー!」
慣性の法則に従って幽々子の口から飛び出した涎をまともに食らったリグルが白目を剥いて倒れた。
かわいそうに、心に一生消えない傷を負ったことだろう。南無。
「さあ幽々子さま、次はどっちですか?」
「た、多分、あっち……」
びびりながらも幽々子はこのおかしな気配の大元、昨夜の竹林の方を顎で指した。
「多分?」
「い、いやいや絶対」
「じゃあ昨夜のあれは本当に回り道だったと、そういうことですか」
じろりと睨む妖夢。それを必死に首を振って否定しようとする幽々子。もちろん説得力など欠片もない。
と、妖夢の目が全身をくまなく眺めていることに気づいた。
「ど、どうしたの妖夢?」
「……無傷だったんですか?」
「え? ええ」
「………………ちっ」
「――ちょっと妖夢、今なんて!?」
答える代わりに妖夢はまたものすごいスピードで飛び始めた。
ただでさえ飛行速度は妖夢の方が上なのだ。力が入らない今ならなおさらのこと。
幽々子は再び引きずられるようにして飛んでいく羽目になった。
――ただいま竹林上空。
「う゛~ぅ~お腹空いた~」
「黙ってて下さい! 舌噛みますよ!」
襲ってくる敵を斬り、潰し、殴り、蹴り、妖夢は進んでいく。
途中で幽々子を盾として使えることに気づいてしまった妖夢は、集中的に弾幕を打ち込まれた時、避けるのが面倒な時、気分でと様々な場面でそれを活用していた。
幽々子は幽々子で空腹が限界に達しているために、意識が朦朧として正常な判断ができていない。
投げつけられたのではなくて餌が近づいてきているとでも思っているのだろうか、果敢に弾幕に食いつこうとしている。
結果、幽々子が多くの弾を掻き消しその隙をついて妖夢が敵を倒すという奇妙なコンビネーションが成立していた。
と、竹林の一部が焼け落ち、ミステリーサークルのようになった場所に出た。
ここは――そう、昨夜魔理沙に遭遇したあの場所である。
使命→復讐
妖夢の頭の中でスイッチが切り替わった。
「どこだ、黒いの! 出てこい!」
昨日の憂さを晴らさんとばかりに声を張り上げる妖夢。
そう、今の彼女にとってはこの月の異変も、お腹を空かせている幽々子も、全ては二の次。どうでもいいことなのだ。
「おー庭師、呼ん……だ…か?」
出てこなければいいものを律儀に出てきてしまう魔理沙。
しかし、ぎろりと睨み付ける妖夢にただならぬものを感じたのか、その言葉は尻すぼみに小さくなっていった。
「おい……なんか今日のお前変だぞ? それにそっちのお嬢様大丈夫か? 今にも死にそうな顔してるぞ? ……いや、もう死んでるんだが」
「そんなことはどうでもいい!」
「――いいのか!?」
さすがにこの台詞には魔理沙も突っ込まずにはいられなかった。
昨日まではあんなに真面目だったこいつがどうして……?
魔理沙の顔には動揺がありありと浮かんでいた。
「今日の私は昨日とは違う。お前にはもう負けない!」
ビシッ、と刀を突きつける妖夢。
その立ち姿はとても決まっているのだが……怖い……いや、はっきり言って危ない。特に目のあたりが。
「ま、まぁ、やるって言うなら相手になるぜ」
しかし、そこは魔理沙も幻想郷の住人。立ち直りは早かった。
スペルカードを取り出し早くも臨戦態勢だ。
対する妖夢も幽々子を構えて準備完了。
「…………真面目にやってるのか?」
「相手を見た目で判断すると痛い目を見るぞ?」
見た目とかそういう問題じゃなくて主人を武器(防具?)として使うことに何の抵抗もないのか!?
そう突っ込もうとした魔理沙はすんでのところで思いとどまった。
目を見ればわかる。こいつはマジだ。大マジだ。気を抜けばこちらがやられてしまう。
「先手必勝! いくぜ、恋符『ノンディレクショナルレーザー』!」
右回り、左回りと二種類の回転ベクトルを持つレーザーが迫る。
そのどちらもが不規則に高さを変えるため、見切ることが難しい。
「どうだ? 降参するなら今のうちだぜ?」
「つまらない冗談はよしてもらおう」
「……そうかい」
――パチン。
魔理沙が指を鳴らすとレーザーの回転速度が上がった。
ところが妖夢に動じた様子は見られない。
とはいうものの、回転速度の上がった二本のレーザーを避け続けられるはずもなく、あっという間に絶体絶命に陥った。
「行けっ! 幽々子バリアー!」
「…………ぇ? なに? ご飯!?」
その瞬間、聞き捨てならない言葉と共に幽々子を振り回したのは妖夢。
何をトチ狂ったのかレーザーに喰いつこうとする幽々子。
まったく訳のわからない魔理沙。
「――な、なにぃぃぃぃ!!?」
だが、魔理沙はその行動の意味をすぐに理解することとなった。
幽々子に触れるか触れないか、その刹那にレーザーが掻き消されてしまうのだ。
その現象に――というより『幽々子バリアー』という名前に気をとられたのは蒐集家としての性か。
とにもかくにもそこに隙が生まれた。
それを見逃す今の妖夢ではない。
「もらったぁー!」
嬉々として、いや鬼々として突撃する妖夢。
その気迫にびびった魔理沙は一瞬回避が遅れてしまった。
「一・刀・両・断!」
剛剣一閃。
黒い影が縦に二つに割れて落ちる。
「……また、つまらぬものを斬ってしまった。さあ、先を急ぎますよ!」
落ちていくそれには目もくれず、刀を納めると再び目的地に向かって飛び出す妖夢。
「ご……は…ん」
虫の息で引きずられていく幽々子。
二人が見えなくなってから落ちた箒を拾い上げる人影がひとつ。
「やれやれだぜ。……いったい何だったんだ?」
魔理沙である。
あの瞬間に帽子と上着とちょっとした魔法でダミーを作り、自身は真下へ飛び降りていたのだ。
意識が完全にダミーに向かっていたから騙せたものの、そうでなかったら今頃どうなっていたか。
「にしても……っくしゅ! う~妙に冷えるな。早いところ帰ろ」
その原因が、びびったあまりかきまくった冷や汗にあるとは、彼女は終始気づかなかった模様。
「う゛ー……あ゛ー……」
竹林の奥に館――永遠亭を見つけた頃、幽々子はすでに空腹の限界を超えていた。
顔は土気色、ふくよかだった頬は痩け、目は濁ってどんよりしている。
「はぁ……はぁ……」
妖夢の様子もおかしかった。
さっきまでの元気はどこへやら、やたらと気怠そうに刀を握るその有様は、先代の妖忌が見れば失意のあまりに切腹しかねないほどにひどい。
「あ……もう駄目……眠…い」
それはそうだ。限界を超えて丸一日動き続ければ誰でもそうなる。
二本の刀をそこら辺にほっぽり出して妖夢は地面に倒れ伏した。
その直後、安らかな寝息が聞こえてくる。
「あ゛ー……あ゛ー……あ゛ーーー!!!」
入れ違いにスイッチが入った幽霊が一人。
お薬の切れてしまったジャンキーさんのようにがたがたと体を震わせる。その有様を妖忌が見たならば、切腹どころか介錯まで自分でやってしまいそうだ。
しかし前述の通り、博麗神社の注連縄にぐるぐる巻されている以上動くことなどできない。
それを悟っておとなしくなるかと思いきや、なんと幽々子は注連縄に喰いついた!
そして本能の赴くまま、それを、本質的に相容れないものをばりばりと喰いちぎり、飲み込んでいく。
――一分と経たないうちに幽々子を縛るものはなくなっていた。……博麗の力が食欲に破れた瞬間である。
「うー……ふー……うー……」
もはや幽々子の目には動くもの全てが食料に見えるのかもしれない。幸運にも妖夢はすぐ後ろで静かな寝息を立てている。
しかし、異常を察知して館から出てきた兎たちはまさに空飛ぶ肉のかたまり、フライドチキン。
それらは幽々子の食欲をいたく刺激した。
「に……く……肉……肉肉肉肉肉肉肉!!!」
大口開けて兎の群れに突進するその姿は、さながら羊の群れに解き放たれた腹ぺこオオカミ……いや、むしろオキアミの群れを一呑みにするジンベイザメ。
瞬く間に全てを喰らい尽くした幽々子の目には、もはや永遠亭は肉の貯蔵庫としか見えなかった。
「う……ふ……ふふふふふ」
危ない光をその目に湛え、幽々子は門の中へと消えていった……。
――後日談。
「どうした妹紅。『永遠亭』? なんだそれは? そんなもの、幻想郷の歴史には存在しないぞ?」
「わかった、わかったわよ~。そんなに引っ張らないで~」
妙にハイテンションな妖夢。縄でぐるぐる巻きにされて引っ張られている幽々子。
昨夜と立場がまるきり入れ替わった二人が夜の空を飛んでいた。
それもそのはず、二人は昨日から一睡もしていない。
白玉楼を通り越し、紅魔館の門をぶち壊し、博麗神社の鳥居を真っ二つ……そのままぐるりと幻想郷を一周して各地にかなりの被害を与えた後、霧雨邸の侵入者撃退用トラップに引っかかって宙づりになった幽々子を、いつの間にか博麗神社から持ってきた注連縄でぐるぐる巻きにして引きずり回してきたのだ。
本来ならとっくにエネルギー切れになっていてもおかしくはない妖夢――幽々子は実際そうなったせいで妖夢に捕まってしまったのだ――は、丸一日動いているはずなのに疲れというものを全く感じさせない。徹夜明けによく起こる、自然錯乱(ナチュラル・ハイ)というやつである。
「妖夢~眠い~」
「あ゛――!?」
「なんでもないわーなんでもないからそうやって睨まないでー」
完全に切れた妖夢の目にすっかりびびっている幽々子。
目に浮かんだ涙は恐怖の為か欠伸の為か。
「だったら黙っててください! 用がある時はこっちから声をかけますから!」
「わかったからそんな怒鳴らないでよ~。…………はぁ、お腹空いた」
さっきも言ったように、二人は丸一日壮絶な追いかけっこを続けていたのだ。
当然食事をとっている暇はない。
食いしん坊にとって空腹の波が治まるまでのこの時間は地獄にいるような気分だった。
そうこうしているうちに森が見えてきた。
そういえば、昨夜はこのあたりで大きな蛍を囓った覚えがある。
途中で逃げられたけれどちょっと甘酸っぱい感じがたまらなかった……。
それを思い出すとお腹が鳴った。
(うぅ~……お腹空いた~……)
身をよじるがお腹が空いて力が入らない上に滅茶苦茶に縛られているからちっとも縄が緩まない。
(……もしかしてこれって封印されてる?)
注連縄とはそもそも魔を防ぐ結界を作り出す物であり、幽霊という存在とはほとんど反対のベクトルに存在している物。だから食べることもできない。
それでもなんとかしようと必死にもがいていると、視界の隅でなにかが光った。
目を凝らすと木々の間から弾幕が飛び出してくる。
「――そこか!」
「え? ちょ、ちょっと妖夢?」
それを確認した妖夢はためらうことなく幽々子を投げつけた。
「い~や~~~~~!!」
撃ち出された弾幕に頭からつっこむ幽々子。
注連縄の効果か蝶を呼び出すことができない。その代わり体に触れた弾は片端から消滅していく。
さすが博麗神社の注連縄。その力は伊達ではない。
ほっとしつつ地面すれすれで体勢を立て直す幽々子。
「おりゃあああ!」
――ゴッ。
頭上で、鈍器で殴ったとき独特のとても痛そうな音がした。
「?」
見上げると巨大ゴキ……蛍のリグルが脳天を峰で殴られていた。
よく分からない悲鳴を上げながら落ちてくるリグル。
(ああっ、妖夢。私のためにご飯を獲ってくれたのね!)
満面の笑みで涎を垂らしながら落下地点へ急ぐ幽々子。
ヘッドスライディングのように、地面に落っこちて呻いているリグルに飛びかかる。
「い~ただ~きま~す!」
「ひぃ――!?」
恐怖にゆがむリグルの顔。それさえも今の幽々子にとっては極上のスパイスに他ならない。
喰らいつくまであと二秒……一秒……。
「あら? ららら?」
ぎりぎりまで伸びきったゴムが反動で戻るように、リグルの顔がものすごい勢いで遠ざかる。
「なにやってるんですか! 夜は短いって言ったでしょう!」
「ご飯がー私のご飯がー!」
慣性の法則に従って幽々子の口から飛び出した涎をまともに食らったリグルが白目を剥いて倒れた。
かわいそうに、心に一生消えない傷を負ったことだろう。南無。
「さあ幽々子さま、次はどっちですか?」
「た、多分、あっち……」
びびりながらも幽々子はこのおかしな気配の大元、昨夜の竹林の方を顎で指した。
「多分?」
「い、いやいや絶対」
「じゃあ昨夜のあれは本当に回り道だったと、そういうことですか」
じろりと睨む妖夢。それを必死に首を振って否定しようとする幽々子。もちろん説得力など欠片もない。
と、妖夢の目が全身をくまなく眺めていることに気づいた。
「ど、どうしたの妖夢?」
「……無傷だったんですか?」
「え? ええ」
「………………ちっ」
「――ちょっと妖夢、今なんて!?」
答える代わりに妖夢はまたものすごいスピードで飛び始めた。
ただでさえ飛行速度は妖夢の方が上なのだ。力が入らない今ならなおさらのこと。
幽々子は再び引きずられるようにして飛んでいく羽目になった。
――ただいま竹林上空。
「う゛~ぅ~お腹空いた~」
「黙ってて下さい! 舌噛みますよ!」
襲ってくる敵を斬り、潰し、殴り、蹴り、妖夢は進んでいく。
途中で幽々子を盾として使えることに気づいてしまった妖夢は、集中的に弾幕を打ち込まれた時、避けるのが面倒な時、気分でと様々な場面でそれを活用していた。
幽々子は幽々子で空腹が限界に達しているために、意識が朦朧として正常な判断ができていない。
投げつけられたのではなくて餌が近づいてきているとでも思っているのだろうか、果敢に弾幕に食いつこうとしている。
結果、幽々子が多くの弾を掻き消しその隙をついて妖夢が敵を倒すという奇妙なコンビネーションが成立していた。
と、竹林の一部が焼け落ち、ミステリーサークルのようになった場所に出た。
ここは――そう、昨夜魔理沙に遭遇したあの場所である。
使命→復讐
妖夢の頭の中でスイッチが切り替わった。
「どこだ、黒いの! 出てこい!」
昨日の憂さを晴らさんとばかりに声を張り上げる妖夢。
そう、今の彼女にとってはこの月の異変も、お腹を空かせている幽々子も、全ては二の次。どうでもいいことなのだ。
「おー庭師、呼ん……だ…か?」
出てこなければいいものを律儀に出てきてしまう魔理沙。
しかし、ぎろりと睨み付ける妖夢にただならぬものを感じたのか、その言葉は尻すぼみに小さくなっていった。
「おい……なんか今日のお前変だぞ? それにそっちのお嬢様大丈夫か? 今にも死にそうな顔してるぞ? ……いや、もう死んでるんだが」
「そんなことはどうでもいい!」
「――いいのか!?」
さすがにこの台詞には魔理沙も突っ込まずにはいられなかった。
昨日まではあんなに真面目だったこいつがどうして……?
魔理沙の顔には動揺がありありと浮かんでいた。
「今日の私は昨日とは違う。お前にはもう負けない!」
ビシッ、と刀を突きつける妖夢。
その立ち姿はとても決まっているのだが……怖い……いや、はっきり言って危ない。特に目のあたりが。
「ま、まぁ、やるって言うなら相手になるぜ」
しかし、そこは魔理沙も幻想郷の住人。立ち直りは早かった。
スペルカードを取り出し早くも臨戦態勢だ。
対する妖夢も幽々子を構えて準備完了。
「…………真面目にやってるのか?」
「相手を見た目で判断すると痛い目を見るぞ?」
見た目とかそういう問題じゃなくて主人を武器(防具?)として使うことに何の抵抗もないのか!?
そう突っ込もうとした魔理沙はすんでのところで思いとどまった。
目を見ればわかる。こいつはマジだ。大マジだ。気を抜けばこちらがやられてしまう。
「先手必勝! いくぜ、恋符『ノンディレクショナルレーザー』!」
右回り、左回りと二種類の回転ベクトルを持つレーザーが迫る。
そのどちらもが不規則に高さを変えるため、見切ることが難しい。
「どうだ? 降参するなら今のうちだぜ?」
「つまらない冗談はよしてもらおう」
「……そうかい」
――パチン。
魔理沙が指を鳴らすとレーザーの回転速度が上がった。
ところが妖夢に動じた様子は見られない。
とはいうものの、回転速度の上がった二本のレーザーを避け続けられるはずもなく、あっという間に絶体絶命に陥った。
「行けっ! 幽々子バリアー!」
「…………ぇ? なに? ご飯!?」
その瞬間、聞き捨てならない言葉と共に幽々子を振り回したのは妖夢。
何をトチ狂ったのかレーザーに喰いつこうとする幽々子。
まったく訳のわからない魔理沙。
「――な、なにぃぃぃぃ!!?」
だが、魔理沙はその行動の意味をすぐに理解することとなった。
幽々子に触れるか触れないか、その刹那にレーザーが掻き消されてしまうのだ。
その現象に――というより『幽々子バリアー』という名前に気をとられたのは蒐集家としての性か。
とにもかくにもそこに隙が生まれた。
それを見逃す今の妖夢ではない。
「もらったぁー!」
嬉々として、いや鬼々として突撃する妖夢。
その気迫にびびった魔理沙は一瞬回避が遅れてしまった。
「一・刀・両・断!」
剛剣一閃。
黒い影が縦に二つに割れて落ちる。
「……また、つまらぬものを斬ってしまった。さあ、先を急ぎますよ!」
落ちていくそれには目もくれず、刀を納めると再び目的地に向かって飛び出す妖夢。
「ご……は…ん」
虫の息で引きずられていく幽々子。
二人が見えなくなってから落ちた箒を拾い上げる人影がひとつ。
「やれやれだぜ。……いったい何だったんだ?」
魔理沙である。
あの瞬間に帽子と上着とちょっとした魔法でダミーを作り、自身は真下へ飛び降りていたのだ。
意識が完全にダミーに向かっていたから騙せたものの、そうでなかったら今頃どうなっていたか。
「にしても……っくしゅ! う~妙に冷えるな。早いところ帰ろ」
その原因が、びびったあまりかきまくった冷や汗にあるとは、彼女は終始気づかなかった模様。
「う゛ー……あ゛ー……」
竹林の奥に館――永遠亭を見つけた頃、幽々子はすでに空腹の限界を超えていた。
顔は土気色、ふくよかだった頬は痩け、目は濁ってどんよりしている。
「はぁ……はぁ……」
妖夢の様子もおかしかった。
さっきまでの元気はどこへやら、やたらと気怠そうに刀を握るその有様は、先代の妖忌が見れば失意のあまりに切腹しかねないほどにひどい。
「あ……もう駄目……眠…い」
それはそうだ。限界を超えて丸一日動き続ければ誰でもそうなる。
二本の刀をそこら辺にほっぽり出して妖夢は地面に倒れ伏した。
その直後、安らかな寝息が聞こえてくる。
「あ゛ー……あ゛ー……あ゛ーーー!!!」
入れ違いにスイッチが入った幽霊が一人。
お薬の切れてしまったジャンキーさんのようにがたがたと体を震わせる。その有様を妖忌が見たならば、切腹どころか介錯まで自分でやってしまいそうだ。
しかし前述の通り、博麗神社の注連縄にぐるぐる巻されている以上動くことなどできない。
それを悟っておとなしくなるかと思いきや、なんと幽々子は注連縄に喰いついた!
そして本能の赴くまま、それを、本質的に相容れないものをばりばりと喰いちぎり、飲み込んでいく。
――一分と経たないうちに幽々子を縛るものはなくなっていた。……博麗の力が食欲に破れた瞬間である。
「うー……ふー……うー……」
もはや幽々子の目には動くもの全てが食料に見えるのかもしれない。幸運にも妖夢はすぐ後ろで静かな寝息を立てている。
しかし、異常を察知して館から出てきた兎たちはまさに空飛ぶ肉のかたまり、フライドチキン。
それらは幽々子の食欲をいたく刺激した。
「に……く……肉……肉肉肉肉肉肉肉!!!」
大口開けて兎の群れに突進するその姿は、さながら羊の群れに解き放たれた腹ぺこオオカミ……いや、むしろオキアミの群れを一呑みにするジンベイザメ。
瞬く間に全てを喰らい尽くした幽々子の目には、もはや永遠亭は肉の貯蔵庫としか見えなかった。
「う……ふ……ふふふふふ」
危ない光をその目に湛え、幽々子は門の中へと消えていった……。
――後日談。
「どうした妹紅。『永遠亭』? なんだそれは? そんなもの、幻想郷の歴史には存在しないぞ?」
全部幽々子の餌?
幽霊なんだから何も食べなくても平気だろ普通。
とにかく笑ったことは確かです。(ぉ