「幽々子さまー。夜は短いんですからぼーっとしてると置いて行っちゃいますよー」
妖夢の声が響く。
今は真夜中。丸い月を頭上に仰ぎながら竹林を飛ぶ幽霊が二人、もとい幽霊一人と半人半霊が一人。
「ゆーゆーこーさーまー……はぁ」
どうしてもっとやる気を出してくれないんだろう。これでそう思ったのは何度目だろうか。
ちょっと目を離した隙にすぐいなくなるし、慌ててあちこちを探してみれば何事もなかったかのようにひょっこりと姿を現すし。
今だって、ほら。
「~♪」
少し離れているけれど嬉しそうな顔をしているのは雰囲気でわかる。
口をもぐもぐさせているところを見ると、またなにか食べているに違いない。
「拾い食いしちゃだめだってあれほど言ったのに……まったくもう!」
一閃。ふてくされて振った楼観剣は、しかし確実に一匹の妖怪を斬り裂いた。
続けて一振り。今度は白楼剣が、別の妖怪を打ち出した弾ごと斬り裂く。
それでも胸のむかむかは少しも晴れてはくれない。
(そうだ。これは全部幽々子さまが悪いんだ)
そもそも月がおかしいと言って人を連れ出したくせに、やっていることといえば食べることばかり。しかも虫やら鳥やらなんでもかんでも口に放り込む始末。これでは剣になり盾になり道を開いているこちらの苦労が報われないじゃないか。
「それにしたって、拾い食いなんてふつうのお嬢様なら絶対やらないのに」
――いやいや、お嬢様でなくても普通はやらない。
「そうねえ、拾い食いはいけないわ」
「そうですよね。お腹壊すといけないし…って、うわあ!?」
「『うわあ!?』ってひどいわ妖夢。そんな人を幽霊みたいに……」
よよよ、と空中で器用に泣き崩れてみせる幽々子。
その様子を見て妖夢は思い切りため息をついた。
「幽霊のくせに何言ってるんですか。あー、心臓が止まるかと思った」
むにゅ。
「止まってるわよ?」
「……」
「……(にこにこ)」
「ちょっ…どこ触ってるんですか!」
慌てて飛び退く妖夢。顔が真っ赤だ。
「だって触らないとわからないじゃない」
「触らなくてもわかります! 半分は人間だから動いてるんです! 多分!」
両手で胸を隠しながら後ずさる妖夢。にこにこ笑いながら近づく幽々子。
「あ、妖夢」
「何ですか?」
「後ろ」
「後ろ? その手には引っかかりませんよ。そうやって私が振り向いた――」
ゴン。
「み゛ょ!?」
大玉が妖夢の後頭部を直撃した。
「妖夢、よそ見はいけないわ」
「誰のせいだと思ってるんですか! あいたたた……頭が割れるかと思いました」
今日は散々だ。涙目になりながら頭をさすっていると、ふわりとやわらかい手が頭にふれた。
「ゆ、幽々子さま?」
「痛いの痛いの飛んでけ~。…ふふっ、昔を思い出すわね~」
なぜか知らないが幽々子は上機嫌のようだ。
にこにこ笑いながら妖夢の頭をなでている。
幽々子の手は、幽霊なのにやわらかくて血が通っているように暖かかった。
剣術を習い、鍛錬を日課としている自分の手とは大違いだと、妖夢は思った。
「あら、どうしたの妖夢? 自分の手をじっと見て」
「な、何でもありません。それより先を急ぎましょう。ゆ、幽々子さまのおかげで痛みもすっかり引きましたから……」
最後の方はゴニョゴニョと消え入るような声で言って妖夢は先へ進もうとした。
その体を甘い香りが包み込む。
「幽々子さま?」
幽々子は呆然とする妖夢を抱えたまま真横へ飛ぶ。
その影を射抜くように複数のレーザーが降り注いだ。
もしもあのままだったら……頭の中に浮かんだ嫌な想像を振り払う。
「あらあら、危ないわね。何のつもり?」
妖夢を降ろし、幽々子は月を見上げた。
それに習い月を見ると、黒ずくめの、箒に乗った少女がいた。
「知らなかったのか? 夜に出歩いている妖怪は退治してもいいって決まりがあるんだぜ」
悪びれもせずに少女--魔理沙は言った。
周囲から膨大な量の魔力が彼女に流れ込んでいく。
妖怪退治の言葉通り、殺る気充分、である。
「そう。それならこれも覚えておくといいわね。――夜に出歩いている人間は食べてもいいの」
扇を開き、妖しく微笑む幽々子。
静かな口調とは裏腹に、息苦しくなるほどの妖気が立ちこめる。
その妖気に呼ばれ、あるいは惹かれて無数の蝶が現れた。
「おお、すごいすごい」
囃すように言いながらも魔理沙の顔からは遊びの色が消えていた。
それでも口調を変えないのは、本当に追いつめられないための、自分のどこかに余裕を残しておくための彼女なりのルールなのだろう。
「じゃ、こっちから行くぜ。魔符『スターダストレァヴリエ』!」
取り出されたスペルカードが魔理沙の声に反応し、星屑の雨を降らせる。
初めから狙いなどつけられていない。その必要がないほどの、広範囲・高密度の弾幕。
降り注ぐ星屑を前に、幽々子は扇を閉じて振り返った。
「妖夢、後はお願いね」
そしてにっこり笑ってそう言った。
「……は?」
「殺しては駄目よ。もちろん殺されるのも駄目。頑張ってね~」
「え? え? あそこまで煽っておいて後始末はわたしですか!?」
「だって、せっかくの食べ歩きなのに人間だなんてつまらないじゃない。この先には竜が待っているのよ?」
……虫=鳥>人間?
妖夢は思わず刀を取り落としそうになった。
が、迫る弾幕を前にそんなことをしてもいられない。
「ああもう!」
渾身の力を込めて刀を振り下ろす。続けて体を捻り真横へ振り抜く。
十字に交差された剣閃が絨毯のように広がった弾幕に小さな綻びを作る。
「幽々子さま、しっかりついてきてください!」
「は~い」
気の抜ける返事をする幽々子をつれて綻びへ突撃をかける。
広範囲にばらまいた弾幕に厚みを持たせることは難しい。
それはつまり、避けにくいが破りやすい、ということである。
「これで最後!」
事実、妖夢は手傷を負うこともなく弾幕を抜けきることに成功した。
その刹那――
「計算通り、だぜ?」
収束されたレーザーが眼前に迫っていた。
「――読み通りだ」
しかし妖夢は剣を盾のようにかざしてそれを弾いた。
撃ち出されるタイミング、場所を予測していなければできない行動だ。
「おー」
「わざと破りやすい段幕を張り、頭上をとる。上から見ればどこから出てくるのか一目瞭然だ。そこを狙い撃ちするのは基本だろう」
「わ~妖夢、すごいすごい」
「……ちょっと黙っててください。気が散ります」
「……妖夢の意地悪」
後ろで騒いでいる幽々子を黙らせると、妖夢は魔理沙に視線を走らせた。
スターダストレヴァリエを抜けたことでずいぶんと距離を稼いだようだ。
頭上にいたはずの魔理沙がほとんど同じ高さに見える。
(十メートル……いや、十二メートル)
目測ではそんなところか。
踏み込めば数秒とかからないが、それは相手も承知のはず。
「あー? なんだ、攻めてこないのか?」
魔理沙は指先をくるくる回す。
指先に灯った蛍火のようにかすかな光が宙に文字を描く。
「それならおとなしく退治されてくれ」
文字が連なり、複雑な幾何学模様と合わさって魔法陣となる。
「そんなつもりは毛頭ない」
妖夢は白楼剣を納め、かわりに一枚のスペルカードを取り出した。
ありったけの妖気を封じ込めると、それを楼観剣の鍔元から刃先に向かって滑らせる。
スペルカードは刀に溶け込むように消え、刃はその輝きをいっそう強くする。
「準備はいいか?」
「いつでも」
妖夢の言葉を受けて、魔理沙も一枚のスペルカードを取り出した。
全身を巡る魔力が集約され、スペルカードに込められる。
それはもはや強大を通り越して禍々しい。
「恋符――」
「人符――」
方や符を魔法陣に向けて突きだし、方や刀を両手で握り大きく振りかぶる。
「『マスタースパーク』!」
「『現世斬』!」
押し寄せる極彩色の奔流。
それを切り裂かんとする光の刃。
「くぅ……!」
妖夢の口から苦悶の声が漏れる。
初めこそ二つの光は拮抗していたものの、力で勝る魔理沙に徐々に押され始めている。
「もう一枚いくぜ?」
駄目押しとばかりにもう一枚のスペルカードを取り出す魔理沙。
手にあるスペルカードは二枚目のマスタースパーク。
妖夢の現世斬を押しながらも、さらに同等の魔力がスペルカードに流れ込んでいく。底なしとも思える魔力量だ。
「恋符『ダブルスパーク』!!」
倍に膨れあがった極彩色の奔流が、圧倒的な質量を持って光の刃を押し流す。
直後、楼観剣から光が抜け落ちる。刀と同化したスペルカードが燃え尽き、消滅したからだ。
しかし妖夢の顔にあきらめはなかった。
確固たる意志を持って、別のスペルカードを掲げる。
「人鬼――『未来永劫斬』!!」
主の声に答え、楼観剣と白楼剣に赤い光が宿る。
「やああああっ――!!」
裂帛の気合いと共に放たれる神速の斬撃。
拮抗する間もなく、赤い刃が極彩色の奔流を真っ二つに切り裂いた。
「しくじった……ぜ」
魔理沙を取り巻いていた魔力が霧散する。
手にしていた二枚のスペルカードは二つに断ち割られ、手から離れると同時に燃え尽きた。
「見たか。この楼観剣と白楼剣に切れぬ物などない!」
と言っても、ダブルスパークの余波で服はぼろぼろ、腕や足のあちこちに火傷を負っている。
しかも現世斬と未来永劫斬の連続使用で力はもうほとんど残っていない。
つまるところ“はったり”である。
「くくっ……あーっはっはっは」
しばし呆然としていた魔理沙は突然笑い始めた。
そして、取り出したのは今までとは別のスペルカード。
「それじゃこれも切れるかどうか試してみるか? 作ったばっかりで不安定だけど、威力は折り紙付きだぜ?」
スペルカードには膨大な魔力が込められていた。
それが普通とは逆に、スペルカードから魔理沙自身へと魔力が流れ込んでいく。
妖夢には真理沙自身が巨大な弾丸になったように見えた。
「いくぜ――」
「駄目よ」
声はどこからともなく聞こえてきた。
「幽々子さま!?」
振り返ると、後ろにいたはずの幽々子がどこにもいない。
辺りを見回すと魔理沙の後ろに降り立ったところだった。
「今の勝負はあなたの負け。負けず嫌いは嫌いじゃないけど、これは見苦しいわ」
「それで? こうなったらもう私にも止められないぜ?」
「大丈夫よ。その程度の魔法、簡単に止められるから」
「ほう……」
魔理沙の声に険悪なものが混じる。
魔理沙が幽々子へと振り返った瞬間――
「舞いなさい。幽幻の蝶たち」
何もなかった空間から無数の蝶が現れた。
そして広げた扇の指し示す標的へと襲いかかった。まるで竜巻のように魔理沙を巻き上げ、体当たりを仕掛けていく。
「……もういいわよ」
蝶たちは扇を閉じるとそれを合図に姿を消した。
後に残された魔理沙は全身にまとっていた魔力を根こそぎ剥ぎ取られ、なんとか箒に掴まっているという状態だった。
「あいたたた……」
「ご苦労様。もう帰っていいわよ」
「ちぇ……負けたから今日のところは帰って寝ることにするぜ」
ぼろぼろになった服をあちこち押さえて、魔理沙は帰っていった。
「妖夢、ご苦労様」
「いえ。……でも疲れました」
「あらそう? じゃ、帰りましょうか」
「え?」
「だってほら」
幽々子が指したのは東の空。すでにうっすらと日の光が差し始めている。
「夜が、夜が明けて……」
愕然とする妖夢をおいて幽々子は白玉楼に向かってふらふらと飛んでいく。
「明日はどんな珍味に出会えるかしらね~」
頭の中はすでに今夜へと飛んでいるようだ。
うっとりした顔でくるくると回っている。
「ま、まさか今までぐずぐずしていたのは全部そのため……?」
「さあ~なんのことかしら~?」
心なしか飛ぶスピードが上がったような気がする。
ギリギリギリ……キリキリキリ……。
歯を食いしばる音と胃が痛む音を同時に聞いたのは初めてだ。
自分はずいぶん我慢強い方だと思っていたがそうでもなかったらしい。
――ああ駄目だ、切れそうだ。
「大丈夫よ妖夢~。私達に残された時間は永いわ~」
――ぶち。
「だから今夜はお弁当をお願いね~」
――ぶちぶちぶち。
「十人分は作るのよ~」
――ぶつん。
最後の一言で完全に切れたらしい。
かっ、と目を見開いた妖夢の迫力たるやあちこちから聞こえてきた音が一斉に静まったほどだ。
「は、ははは。いったい私のどこにこんな力が眠っていたんでしょうねぇ……今なら妖怪桜の一本や二本、簡単に切り落とせそうですよ」
「あ、あら? 妖夢?」
異様な気配を察したのか、幽々子がゆっくりとこちらを振り返る。
冷や汗と脂汗で額の@がへたれていた。
「幽々子さま、今日という今日は……覚悟してもらいますよ?」
ゆらりと顔だけを向ける妖夢。額に血管が浮き、目が血走っている。いつもの落ち着いた雰囲気はもうどこにもない。
「や、やあねえ。冗談よ、冗談」
ほほほ、と扇で引きつった口元を隠しながら後ろへ後ろへさがっていく幽々子。
「…………」
にやりと笑いながら近づく妖夢。
その顔を見て、幽々子は唐突に背を向けて全力で逃げ始めた。
「やだー妖夢怖いー!」
「逃がすかー! 待てー!!」
その日、幻想卿の至る所で悲鳴を上げながら逃げ回る亡霊の姫と、それを追いかける鬼のような形相をした従者が確認されたそうな。
妖夢の声が響く。
今は真夜中。丸い月を頭上に仰ぎながら竹林を飛ぶ幽霊が二人、もとい幽霊一人と半人半霊が一人。
「ゆーゆーこーさーまー……はぁ」
どうしてもっとやる気を出してくれないんだろう。これでそう思ったのは何度目だろうか。
ちょっと目を離した隙にすぐいなくなるし、慌ててあちこちを探してみれば何事もなかったかのようにひょっこりと姿を現すし。
今だって、ほら。
「~♪」
少し離れているけれど嬉しそうな顔をしているのは雰囲気でわかる。
口をもぐもぐさせているところを見ると、またなにか食べているに違いない。
「拾い食いしちゃだめだってあれほど言ったのに……まったくもう!」
一閃。ふてくされて振った楼観剣は、しかし確実に一匹の妖怪を斬り裂いた。
続けて一振り。今度は白楼剣が、別の妖怪を打ち出した弾ごと斬り裂く。
それでも胸のむかむかは少しも晴れてはくれない。
(そうだ。これは全部幽々子さまが悪いんだ)
そもそも月がおかしいと言って人を連れ出したくせに、やっていることといえば食べることばかり。しかも虫やら鳥やらなんでもかんでも口に放り込む始末。これでは剣になり盾になり道を開いているこちらの苦労が報われないじゃないか。
「それにしたって、拾い食いなんてふつうのお嬢様なら絶対やらないのに」
――いやいや、お嬢様でなくても普通はやらない。
「そうねえ、拾い食いはいけないわ」
「そうですよね。お腹壊すといけないし…って、うわあ!?」
「『うわあ!?』ってひどいわ妖夢。そんな人を幽霊みたいに……」
よよよ、と空中で器用に泣き崩れてみせる幽々子。
その様子を見て妖夢は思い切りため息をついた。
「幽霊のくせに何言ってるんですか。あー、心臓が止まるかと思った」
むにゅ。
「止まってるわよ?」
「……」
「……(にこにこ)」
「ちょっ…どこ触ってるんですか!」
慌てて飛び退く妖夢。顔が真っ赤だ。
「だって触らないとわからないじゃない」
「触らなくてもわかります! 半分は人間だから動いてるんです! 多分!」
両手で胸を隠しながら後ずさる妖夢。にこにこ笑いながら近づく幽々子。
「あ、妖夢」
「何ですか?」
「後ろ」
「後ろ? その手には引っかかりませんよ。そうやって私が振り向いた――」
ゴン。
「み゛ょ!?」
大玉が妖夢の後頭部を直撃した。
「妖夢、よそ見はいけないわ」
「誰のせいだと思ってるんですか! あいたたた……頭が割れるかと思いました」
今日は散々だ。涙目になりながら頭をさすっていると、ふわりとやわらかい手が頭にふれた。
「ゆ、幽々子さま?」
「痛いの痛いの飛んでけ~。…ふふっ、昔を思い出すわね~」
なぜか知らないが幽々子は上機嫌のようだ。
にこにこ笑いながら妖夢の頭をなでている。
幽々子の手は、幽霊なのにやわらかくて血が通っているように暖かかった。
剣術を習い、鍛錬を日課としている自分の手とは大違いだと、妖夢は思った。
「あら、どうしたの妖夢? 自分の手をじっと見て」
「な、何でもありません。それより先を急ぎましょう。ゆ、幽々子さまのおかげで痛みもすっかり引きましたから……」
最後の方はゴニョゴニョと消え入るような声で言って妖夢は先へ進もうとした。
その体を甘い香りが包み込む。
「幽々子さま?」
幽々子は呆然とする妖夢を抱えたまま真横へ飛ぶ。
その影を射抜くように複数のレーザーが降り注いだ。
もしもあのままだったら……頭の中に浮かんだ嫌な想像を振り払う。
「あらあら、危ないわね。何のつもり?」
妖夢を降ろし、幽々子は月を見上げた。
それに習い月を見ると、黒ずくめの、箒に乗った少女がいた。
「知らなかったのか? 夜に出歩いている妖怪は退治してもいいって決まりがあるんだぜ」
悪びれもせずに少女--魔理沙は言った。
周囲から膨大な量の魔力が彼女に流れ込んでいく。
妖怪退治の言葉通り、殺る気充分、である。
「そう。それならこれも覚えておくといいわね。――夜に出歩いている人間は食べてもいいの」
扇を開き、妖しく微笑む幽々子。
静かな口調とは裏腹に、息苦しくなるほどの妖気が立ちこめる。
その妖気に呼ばれ、あるいは惹かれて無数の蝶が現れた。
「おお、すごいすごい」
囃すように言いながらも魔理沙の顔からは遊びの色が消えていた。
それでも口調を変えないのは、本当に追いつめられないための、自分のどこかに余裕を残しておくための彼女なりのルールなのだろう。
「じゃ、こっちから行くぜ。魔符『スターダストレァヴリエ』!」
取り出されたスペルカードが魔理沙の声に反応し、星屑の雨を降らせる。
初めから狙いなどつけられていない。その必要がないほどの、広範囲・高密度の弾幕。
降り注ぐ星屑を前に、幽々子は扇を閉じて振り返った。
「妖夢、後はお願いね」
そしてにっこり笑ってそう言った。
「……は?」
「殺しては駄目よ。もちろん殺されるのも駄目。頑張ってね~」
「え? え? あそこまで煽っておいて後始末はわたしですか!?」
「だって、せっかくの食べ歩きなのに人間だなんてつまらないじゃない。この先には竜が待っているのよ?」
……虫=鳥>人間?
妖夢は思わず刀を取り落としそうになった。
が、迫る弾幕を前にそんなことをしてもいられない。
「ああもう!」
渾身の力を込めて刀を振り下ろす。続けて体を捻り真横へ振り抜く。
十字に交差された剣閃が絨毯のように広がった弾幕に小さな綻びを作る。
「幽々子さま、しっかりついてきてください!」
「は~い」
気の抜ける返事をする幽々子をつれて綻びへ突撃をかける。
広範囲にばらまいた弾幕に厚みを持たせることは難しい。
それはつまり、避けにくいが破りやすい、ということである。
「これで最後!」
事実、妖夢は手傷を負うこともなく弾幕を抜けきることに成功した。
その刹那――
「計算通り、だぜ?」
収束されたレーザーが眼前に迫っていた。
「――読み通りだ」
しかし妖夢は剣を盾のようにかざしてそれを弾いた。
撃ち出されるタイミング、場所を予測していなければできない行動だ。
「おー」
「わざと破りやすい段幕を張り、頭上をとる。上から見ればどこから出てくるのか一目瞭然だ。そこを狙い撃ちするのは基本だろう」
「わ~妖夢、すごいすごい」
「……ちょっと黙っててください。気が散ります」
「……妖夢の意地悪」
後ろで騒いでいる幽々子を黙らせると、妖夢は魔理沙に視線を走らせた。
スターダストレヴァリエを抜けたことでずいぶんと距離を稼いだようだ。
頭上にいたはずの魔理沙がほとんど同じ高さに見える。
(十メートル……いや、十二メートル)
目測ではそんなところか。
踏み込めば数秒とかからないが、それは相手も承知のはず。
「あー? なんだ、攻めてこないのか?」
魔理沙は指先をくるくる回す。
指先に灯った蛍火のようにかすかな光が宙に文字を描く。
「それならおとなしく退治されてくれ」
文字が連なり、複雑な幾何学模様と合わさって魔法陣となる。
「そんなつもりは毛頭ない」
妖夢は白楼剣を納め、かわりに一枚のスペルカードを取り出した。
ありったけの妖気を封じ込めると、それを楼観剣の鍔元から刃先に向かって滑らせる。
スペルカードは刀に溶け込むように消え、刃はその輝きをいっそう強くする。
「準備はいいか?」
「いつでも」
妖夢の言葉を受けて、魔理沙も一枚のスペルカードを取り出した。
全身を巡る魔力が集約され、スペルカードに込められる。
それはもはや強大を通り越して禍々しい。
「恋符――」
「人符――」
方や符を魔法陣に向けて突きだし、方や刀を両手で握り大きく振りかぶる。
「『マスタースパーク』!」
「『現世斬』!」
押し寄せる極彩色の奔流。
それを切り裂かんとする光の刃。
「くぅ……!」
妖夢の口から苦悶の声が漏れる。
初めこそ二つの光は拮抗していたものの、力で勝る魔理沙に徐々に押され始めている。
「もう一枚いくぜ?」
駄目押しとばかりにもう一枚のスペルカードを取り出す魔理沙。
手にあるスペルカードは二枚目のマスタースパーク。
妖夢の現世斬を押しながらも、さらに同等の魔力がスペルカードに流れ込んでいく。底なしとも思える魔力量だ。
「恋符『ダブルスパーク』!!」
倍に膨れあがった極彩色の奔流が、圧倒的な質量を持って光の刃を押し流す。
直後、楼観剣から光が抜け落ちる。刀と同化したスペルカードが燃え尽き、消滅したからだ。
しかし妖夢の顔にあきらめはなかった。
確固たる意志を持って、別のスペルカードを掲げる。
「人鬼――『未来永劫斬』!!」
主の声に答え、楼観剣と白楼剣に赤い光が宿る。
「やああああっ――!!」
裂帛の気合いと共に放たれる神速の斬撃。
拮抗する間もなく、赤い刃が極彩色の奔流を真っ二つに切り裂いた。
「しくじった……ぜ」
魔理沙を取り巻いていた魔力が霧散する。
手にしていた二枚のスペルカードは二つに断ち割られ、手から離れると同時に燃え尽きた。
「見たか。この楼観剣と白楼剣に切れぬ物などない!」
と言っても、ダブルスパークの余波で服はぼろぼろ、腕や足のあちこちに火傷を負っている。
しかも現世斬と未来永劫斬の連続使用で力はもうほとんど残っていない。
つまるところ“はったり”である。
「くくっ……あーっはっはっは」
しばし呆然としていた魔理沙は突然笑い始めた。
そして、取り出したのは今までとは別のスペルカード。
「それじゃこれも切れるかどうか試してみるか? 作ったばっかりで不安定だけど、威力は折り紙付きだぜ?」
スペルカードには膨大な魔力が込められていた。
それが普通とは逆に、スペルカードから魔理沙自身へと魔力が流れ込んでいく。
妖夢には真理沙自身が巨大な弾丸になったように見えた。
「いくぜ――」
「駄目よ」
声はどこからともなく聞こえてきた。
「幽々子さま!?」
振り返ると、後ろにいたはずの幽々子がどこにもいない。
辺りを見回すと魔理沙の後ろに降り立ったところだった。
「今の勝負はあなたの負け。負けず嫌いは嫌いじゃないけど、これは見苦しいわ」
「それで? こうなったらもう私にも止められないぜ?」
「大丈夫よ。その程度の魔法、簡単に止められるから」
「ほう……」
魔理沙の声に険悪なものが混じる。
魔理沙が幽々子へと振り返った瞬間――
「舞いなさい。幽幻の蝶たち」
何もなかった空間から無数の蝶が現れた。
そして広げた扇の指し示す標的へと襲いかかった。まるで竜巻のように魔理沙を巻き上げ、体当たりを仕掛けていく。
「……もういいわよ」
蝶たちは扇を閉じるとそれを合図に姿を消した。
後に残された魔理沙は全身にまとっていた魔力を根こそぎ剥ぎ取られ、なんとか箒に掴まっているという状態だった。
「あいたたた……」
「ご苦労様。もう帰っていいわよ」
「ちぇ……負けたから今日のところは帰って寝ることにするぜ」
ぼろぼろになった服をあちこち押さえて、魔理沙は帰っていった。
「妖夢、ご苦労様」
「いえ。……でも疲れました」
「あらそう? じゃ、帰りましょうか」
「え?」
「だってほら」
幽々子が指したのは東の空。すでにうっすらと日の光が差し始めている。
「夜が、夜が明けて……」
愕然とする妖夢をおいて幽々子は白玉楼に向かってふらふらと飛んでいく。
「明日はどんな珍味に出会えるかしらね~」
頭の中はすでに今夜へと飛んでいるようだ。
うっとりした顔でくるくると回っている。
「ま、まさか今までぐずぐずしていたのは全部そのため……?」
「さあ~なんのことかしら~?」
心なしか飛ぶスピードが上がったような気がする。
ギリギリギリ……キリキリキリ……。
歯を食いしばる音と胃が痛む音を同時に聞いたのは初めてだ。
自分はずいぶん我慢強い方だと思っていたがそうでもなかったらしい。
――ああ駄目だ、切れそうだ。
「大丈夫よ妖夢~。私達に残された時間は永いわ~」
――ぶち。
「だから今夜はお弁当をお願いね~」
――ぶちぶちぶち。
「十人分は作るのよ~」
――ぶつん。
最後の一言で完全に切れたらしい。
かっ、と目を見開いた妖夢の迫力たるやあちこちから聞こえてきた音が一斉に静まったほどだ。
「は、ははは。いったい私のどこにこんな力が眠っていたんでしょうねぇ……今なら妖怪桜の一本や二本、簡単に切り落とせそうですよ」
「あ、あら? 妖夢?」
異様な気配を察したのか、幽々子がゆっくりとこちらを振り返る。
冷や汗と脂汗で額の@がへたれていた。
「幽々子さま、今日という今日は……覚悟してもらいますよ?」
ゆらりと顔だけを向ける妖夢。額に血管が浮き、目が血走っている。いつもの落ち着いた雰囲気はもうどこにもない。
「や、やあねえ。冗談よ、冗談」
ほほほ、と扇で引きつった口元を隠しながら後ろへ後ろへさがっていく幽々子。
「…………」
にやりと笑いながら近づく妖夢。
その顔を見て、幽々子は唐突に背を向けて全力で逃げ始めた。
「やだー妖夢怖いー!」
「逃がすかー! 待てー!!」
その日、幻想卿の至る所で悲鳴を上げながら逃げ回る亡霊の姫と、それを追いかける鬼のような形相をした従者が確認されたそうな。
かってに相手の負けだと言い、見苦しいと言い、不意打ち。
見苦しい。