Coolier - 新生・東方創想話

風の名は(八)

2005/03/24 08:32:35
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魂魄妖夢が蘇生する。白楼剣を突き刺したそのとき、夜明けの陽が森の木々を暗闇から浮き上がらせるのと似た按配で、人間的な記憶の全てが表層へ、顕現した。彼女の半身である霊体も然り、ずるりと引き出された小太刀を供に、それは出てきた。

人の想いの象徴として人形が存在するならば、その物象ではなく存在自体に価値が生じた瞬間、それは既に人形ではなく、化生という名の生物である。想いは別の場所で成就していた。それは一部の者達にとっては当初の想定とは違った経過であったが、妖夢の知る所ではなかった。

じきに紅い翼は広げられる。既に狼には見立てとしての価値は無い。そうして狼はようやく、吼えることができたのだった。



アリス・マーガトロイドは己が耳を疑った。目においては、妖夢の腹に突き刺されたはずの小太刀が血に塗れることなく引き抜かれた時点で、疑いを捨て去る段に至ることができたが、耳は未だに苛まれている。

指から生じる血とその末端の人形によって擬似的な結界と化している中にあって、アリスは概念の域にすら認識を広げている。草が風に凪ぐ音すら捉えることが可能である。それだというのに、先ほどから妖夢の精神を摩らせる舞台に響き渡る不快な音を正しく捉えられずにいた。

それは鼓動ではない。

それは肉の軋みではない。

高いわけでも低いわけでも、ましてや拍子を刻むわけでもない。

それは音の無い音である。

人は風が吹いていなくとも、丘にあれば風を感じることができるが、それは潜在的な不安の為せる業である。そしてこの音は、正に不安そのものと云って良かった。

今のアリスにとって、その音は致命的なものである。下手をすれば耳どころか脳、あるいはそれに代替する(もしくはそれが真である)自己を自己として構成している概念の骨子自体に罅が走る。

そのような焦り、己にあってはならぬとでも云いたげに、アリスは傴僂《せむし》でも患ったような格好になって、指の無い手で頭を抱えた。妄執は終点へとさしかかっている。



馬手《めて》に構えられた白楼剣は今に力を頂点に達していた。楼観剣は鞘に収められている。二刀の太刀にあって、その片方を使わないというのは一種の開き直りに近いものがあって、妖夢は富田流よろしく、陽を遮るような格好で、顔の横に刃の腹を上に向けている。弓手は腿の添えられていた。

不安を催す音は、白楼剣に浮き出た刃紋から生じているようであった。旨さ、暗さ、そういったものを肌から乖離させるようなそれは、ヘルツなどで表すことができるものではない。妖夢自身、そのようなものを知覚できてはいない。

アリスは自ら氷の張った水に足を置いているのである。

――それが判らぬならば、判らせるまでだ。

剣の道において、足の運びは敵へと至る歩みであると同時に、己へと至る歩みである。妖夢は傍目には足の動きがわからぬほどの速さで、身体を滑らせた。途中、人形たちが刃を振るうが、妖夢の小太刀を顔に添えられると、動きを止めた。

妖夢の腕が初めて大きく(それでも肘が動くかどうかという具合だが)動いた。小太刀はアリスの頭を横に薙ぐ。それは耳を千枚通しで貫くような衝撃を彼女に与えたが、それは錯覚であった。

音が止まる。不安を捨てたとき、人は死ぬ。化生はどうだろう。見立て、象徴としての力を失うだろう。それは一時的なものだったが、勝負が決するには充分であった、否、そもそもこれは勝負ですらない。

これまでのことは、鶏が卵を産むのを見守るのと大差は無い。だが、ここでは卵は産まれていない。むしろ蛇に丸飲みされた格好だ。

卵が産まれたのは紅魔館である。それは鶏が生まれる卵。



ネクロマンス。これと反魂だとか黄泉帰りだとかを同種のものと見るのは正しくない。ネクロマンスは降霊術の一種で、一般的なそれとの大きな差異は、己に『降ろす』かどうかという点にある。トランスとゾンビのそれに近いと云えよう。

さて、これに際して必要なのは、見立てるための儀式、それに肝心の魂である。見立てにおいて大事なのは、それをする場所そのものを用意することで、これが難しい。世々においての因果が集積された場所を見つけるのは苦労中の苦労で、ネクロマンスの失敗は全てこれに起因すると云って良いと十三世紀の魔術師は友人への手紙に記している。一方、見つけるのではなく用意すれば良いと考えた結果、それに一生を費やした者もいて、笑い話にもならない。

「笑えないのは私だけど」

パチュリーは回想と供に呟いた。どうして、一番、戸惑っているのは彼女である。いくら友人の頼みとはいえ、自分のためでない研究の実証はどうにも喉が詰まるのである。然し、その友人は別にどうという気も無いのであった。成功したらしたで良し、失敗したらしたで良し。一体全体、吸血鬼としての自分を何と心得ているのか、パチュリーには疑わしいのであった。舞台が整う兆しが無ければ、動くことも無かったろうに。

何はともあれ、後は自律した人形を待つのみである。それは妖夢のことではなく、上手く構造が理解できれば浮気心も出たというものだが、思ったよりもシビアな時間割でもあったし、それは不可能であった。仏ほっとけ神かまうな、パチュリーが一人で納得すると、メイド長が事も無げに部屋へ入ってきたのだった。

「お夕飯に目玉焼きはいかがでしょう?」
「もうちょっと豪勢なのが良いわね。それに……魚の目玉以外は目玉焼きとは云わないでしょ」
「何の目玉もそうは云いませんけど」
「ならなんで目玉焼きと云うのか知ら」
「目玉が食べたいからじゃないですか」
「少なくともその目玉はいらない」

咲夜は愛用のナイフを振って、その先に刺さっていたものを抜き投げた。パチュリーがぶつぶつと短く唱えると、それは燃えてカスとなる。咲夜は大儀そうにナイフをハンカチで拭ってから、首を回し、パチュリーの頭の上を眺めたのだった。

「こんなに汚してしまわれたら、お嬢様が怒るんじゃ?」

壁に掛けられたタペストリーには筆先の絵の具を吹き付けたようにして翼状に血が撒かれていた。血なら洗えば落ちるとはいえ、こういったものはどう洗えば良いものかと咲夜は面倒くさそうに考え込んだ。

「あの子たちは?」
「三馬鹿トリオなら、とりあえず掃除させてますよ」
「病み上がりなのに可哀想なことね」
「お嬢様には、一部の跳ねっ返りに不意打ちをもらって、誤解した者が騒ぎを広めたということにしてありますから、まだ可愛がってる範疇ですよ」
「実際、冥界のが目を覚ましたときには、もう不意打ちされた後だったんでしょう? 誤解も何も無いじゃない」
「騒ぎの張本人がパチュリー様なのですから、誤解ということにしておきます」
「それは必要無いわ。だって、張本人はレミィだもの」

またですか、と咲夜は別に驚いた風も無い。それよりも、あの結成から幾日も経っていないトリオがきちんと掃除が出来ているかが気になった。パチュリーは、またよ、と笑ってから、指を鳴らした。

「もっとも、またあなたがきちんと面倒を看れるかどうか、見物だわ」

某かの祈りが込められたタペストリーが舞う。それは咲夜があっと云う間も無く、彼女を包んでしまった。内側には血の厭な臭いが篭り、悪戯にしては度が過ぎると咲夜は暢気に考えていた。また同時に、この状態ではナイフも能力も役に立たないと冷静に分析していた。

人の頭をした鷲はネクロマンスの見立てである。それを制御するに当たっては、バルバトスのような鳥に深く精通した者の知恵を借りる必要があったが、それももう過ぎたことだ。この館に長く存在し続け、なおかつそれ自体が思念の塊であるタペストリーは、当該の者を断片的に降ろすには充分であった。

「吸血鬼の魂なんて、身内だからって勝手に降ろして、罰《ばち》が当たらなきゃ良いけど」

降魔の儀式は、最終段階に入っていた。
八話で終わりませんでした。まだまだ甘いなぁ……。
司馬漬け
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