――あの小高い丘で 耳に残るは 君の笛の音――
――神無月 二十四日 曇り――
「疲れた……」
ルナサ・プリズムリバーは思わず溜息をもらした。
毎度毎度のお呼ばれにも関わらず、白玉楼での演奏は今だ気が張ってしょうがないのだ。
理由は言うまでもなく……冥界の姫君 西行寺 幽々子。
彼女のあの気紛れな性格は扱い難くてたまらない。
何を考えているかわからない。
何がしたいかわからない。
故に、こちらは常に相手の反応を待って行動するしかないのである。
「はあ……」
結局、毎度毎度アドリブ。
これでも一応プロのつもりなんだが……と思って、私は先ほどよりも深い溜息をついた。
「それでね、そいつが腕を握ると、パーン!って爆ぜるの!」
「うへぇ~、リリカ、よくそんなの見れるね……」
私とは対照的に疲労の色を微塵も見せず、隣ではメルランとリリカが漫画談義に花を咲かせていた。
3姉妹の漫画の嗜好は見事に分かれていた。
私はそもそも漫画を読まない。
メルランは少女漫画専門。
リリカは血生臭い少年漫画を好んでいる。
「ほら、パン!って手を叩くと自分に都合のいい幻覚が……」
「見えないわよ」
身振り手振りを存分に盛り込んだリリカの高説に、メルランもよく付いていっていると思う。
……私にはとても無理だろうな。
元々、私は他人とうまく会話が噛みあわないフシがある。
その上、話の内容にすら共通点が無かったのなら……絶望的だ。
「でねでね。一番すごいのが、こう、相手の視神経を、プツーンと……」
「ヤダヤダ、止めてってば~。聞いてるだけで痛くなってくるわ」
うーむ、リリカはすごいな。
よっぽど読みこんでいなければ、ここまでは語れまい。
私はどうだろうか?
そうだな……動物図鑑ならかなり読みこんでいる自信がある。
何といっても、動物限定でしりとりが出来るぐらいだからな。
ネコ、コアラ、ラマ、マ……
「……でね、マッハパンチを出そうとするんだけど、相手は『二千年前に通過した』って言い切っちゃうの」
「何よ、それ。意味がわからないわよ」
チ……チワワ、ワニ、ニンゲン……いかん、終わりだ。
……少し、熱意が足りなかったか。
「それでね~、私が一番好きなのはオーガなんだ」
「へぇ、強そうな名前だね」
「当~然」
一番好きなの……か。
私はやっぱりライオンだな。
あのフサフサが。
あのフサフサが。
触ったら気持ちよさそうなあのフサフサが……いい。
あれを触れたら……最興だな……
「ねぇ、ルナ姉?オーガが最強だよね?」
「あぁ……最興だ」
「ねっ、メル姉、言ったとおりでしょう?」
「うーん、ルナ姉が言うなら……間違いないか。でも、やっぱり、地上最強ってのはねぇ……」
「あー、まだ疑う!」
横でじゃれ合う妹達を尻目に私は夢想し続けていた。
フサフサ……フサフサ……フサ……んっ?
その時、微かな音色が耳に入ってきた。
「これは……笛か?」
「ふえ?どうかしたのルナ姉?」
「笛の音色が聞こえないか、リリカ?」
「え~、どうだろう。メル姉は?」
「ううん。私は何も」
「そうか……」
「きっと、ルナ姉お得意の白昼夢だよ」
「待て。まるで人をヌケサクのように……」
「あぁ、それなら納得納得」
「むぅ……」
このままでは、姉としての威厳が……
しかし、一体どう説明すればいいのやら。
私にだけ聞こえる音色……
私にだけ……私だけ……私……私は……誰だ?
……そういえば、昔リリカにこう言われたことがある。
『ルナ姉は本当に単純だね』
単純……つまり……正直者。
そうか。
「わかったぞ。私はヌケサクではなく、正直者だったんだ」
QEDだ。
もはや穴などあるまい。
「何やってんの、ルナ姉~置いてくよ~」
私の新理論に耳も貸さず、妹達は遥か彼方で私を呼んでいた。
「……」
私は妹達に踵を返した。
「あっ、怒っちゃった、ルナ姉」
「もう、リリカがちゃんと話を聞いてあげないからよ」
「え~、私~?」
……その想像は当たらずも遠からずだが、決定的ではない。
決定的なのは……この胸の高鳴り。
あの笛の音は、何故か私の心の奥底まで響いてくるようだったのだ。
「ならば……」
私はそのまま笛の音の聞こえる方に向かって飛んでいった。
「あ~あ、行っちゃった」
「まぁ、暗くなれば帰ってくるでしょう」
「そだね」
そうして、メルランとリリカは一足先に自宅に帰っていった。
・
・
・
・
・
「このあたりか……」
笛の音は確かだった。
現に、ある一点に近づくにつれて、だんだんとよく聞こえるようになってきていた。
その一点が……この小高い丘。
私は目を凝らして音の出所を捜してみた。
「…………あれか」
小高い丘でポツンと一人。
寂しそうに笛を吹き続ける者がいた。
「あれは……人間か?」
いや、それは後回しでいいとしても、まずオスかメスかがわからなかった。
透き通るような白い肌に、綺麗な銀髪。
どこか中性的な魅力を持った奴だった。
ただ、気になるのが、中身とは違い非常にみずぼらしい身なりだ。
その服は、ところどころ破けてたり、黒く薄汚れていたりしていて、見る人が見ればボロ雑巾にしか見えないだろう。
「これは……奇怪だな」
しばらく頭を捻っていたが、時間の無駄だと思ってすぐに止めた。
このような優しい音色を聞きながら、邪推をするなど無粋の極みだ。
「となれば、音には音で応えるのが礼儀……か」
私は自前のヴァイオリンを召喚すると、いつものポジションに構えた。
「お邪魔させてもらう」
そうして、小高い丘は幻奏に包まれた。
「ふぅ……」
私はヴァイオリンを下ろし、ふと視線を眼下にやってみると、そこではさっきの奴が手を振っていた。
まぁ、供に演奏した仲だ。
言葉ぐらい交し合ってもバチはあたらんだろう。
そう思って、そいつがいる場所に降りてみた。
「お疲れ様」
「あぁ、お前もな」
声を聞いてわかったが、こいつは……オスだ。
にもかかわらず、見れば見るほど、ヒョロヒョロとした体躯に病人のように白い肌。
これでは、言葉を交わすまでわかりはしなかっただろう。
「君は妖怪?」
「あぁ。お前は人間だな?」
「うん。……やっぱり、そういうのってわかるの?」
「お前は弱そうだからな」
「あはは……」
半分バカにされているのにも関わらず、そいつは嬉しそうに笑っていた。
変わった奴だな……
「どうしてこんなところに?」
「笛の音が聞こえたんで、ついフラッと……」
「僕の笛?」
「あぁ、優しくていい曲だ」
「……ありがとう。褒められたのは初めてだ」
「そうか?お前のまわりの奴らは、皆耳がついてないのか?」
「あはは、そんなわけないよ」
……それにしても、不思議な奴だ。
どうしてこんなにもニコニコとしているのだろうか?
平常がこうだから、笑ったときにはこちらが恥ずかしくなるぐらい良い顔をする。
「……んっ?僕の顔に何かついてる?」
「汚れ」
「あ、あぁ。ごめんね。お風呂とかあまり入らないから……」
「それはいかんな」
「……やっぱり、妖怪でもお風呂に入ったりするの?」
「失礼な。私はメルランやリリカよりも綺麗好きだぞ」
「めるらん?りりか?君の家族?」
「あぁ、妹達だ」
「そっか、ちゃんと家族がいるんだ」
それは良い事だね、と言ってそいつはまた破顔した。
うっ……
「どうしたの?顔が紅いけど?」
「気にするな。持病の……そう、癪だ」
「えっ?大丈夫?」
そう言ってそいつは私に近づこうとして……
「うわぁ」
転んだ。
「待て待て。何もない所だぞ」
「あはは。僕、とろいから……」
「まったく、仕方が無いな……」
私はそう言って、そいつに手を差し出した。
「……えっ?」
「ほら、掴め」
「えっ、えっ?」
何を思っているのか、そいつは目をパチクリとしながら、私の顔と手を交互に見ていた。
「飲み込み悪い奴だ。引きあげてやるから、掴めって言っているんだ」
「えっ……触るんだよ?」
「??何を言ってる?当然だろう?」
「……本当にいいの?」
「くどい奴だな。私もそろそろ手が疲れてきたぞ」
「あっ、ご、ごめん!」
そう言って、やっとのことで、そいつは私の手を掴んでくれた。
「よいしょ」
「わっ」
……重量は全くといっていいほど無かった。まるで、紙切れのように。
「軽すぎだ。ちゃんと食べてるのか?」
「あはは、不摂生なもので…………あっ、ごめん」
何かに気づいたように、そいつはパッと私の手を離した。
「あの……ここを下りれば小川があるから……」
「??どういう意味だ?」
「そこで……洗って……」
「何を?」
「君の……手?」
「何で?」
「『何で』って……その」
「はっきりしない奴だな。言いたい事があるなら、言ってみろ」
「ご、ごめん……」
それを最後にそいつは黙りこんでしまった。
「……ふぅ。私はそろそろ帰るぞ」
「……うん。ごめんね」
「話の続きはまた明日だ」
「えっ?」
「妹達が待っているから今日は帰らせてもらうが、明日はゆっくりと話をしよう」
「また……会ってくれるの?」
「??会話の通らない奴だな。さっきからそう言ってるじゃないか」
「……あはは。うん、うん、ごめんね!」
そう言って、そいつはまたニパーと笑う。
うぅ……
何故だ……この笑顔には……とても弱い。
「そ、そういうことだ。それじゃあ、また明日だ」
「うん、また明日!」
離れていく私に向かって、そいつはいつまでも手を振っていた。
「んっ……調子の狂う奴だ……」
・
・
・
・
・
「ただいま」
「あっ、おかえりルナ姉。随分遅かったね」
家に帰るとまずメルランが出迎えてくれた。
「……メルラン」
「んっ、何?」
私はスッと手を差し出した。
ちょっとした実験だ。
「えっ?何?」
「……」
「握手?」
「……」
「……はい」
そう言ってメルランは私の手を恐る恐る握った。
「……12秒か」
「はっ?」
「リリカはどこにいる?」
「えっ……リビングだけど……ルナ姉?」
「そうか、スマンな」
目を点にしたメルランを残し、私は足早にリビングに向かった。
「フンフーン♪」
リビングではリリカが、呑気に鼻歌を歌いながら、お気に入りの漫画を読んでいた。
「リリカ」
「んっ、ルナ姉、帰ってきたんだ。何?」
メルランと同じようにリリカにも手を差し出した。
「へっ?」
メルランと同じ反応。
やはり目をパチクリとさせていた。
「……」
「……」
10秒経過……20秒経過(この時点で現在2位。ちなみに1位は1分28秒だ)……30秒経過……
そして、40秒にさしかかろうとしたところで、リリカは突然ニヤッと笑った。
「そ れ。知ってるよ~、ルナ姉」
「むっ、どういうことだ」
「『合気』でしょう、それって?」
「何?『合気』?」
「そうだよ。相手が手を握った瞬間、ヒョイっと投げられるんだよね?」
「投げられる?それは握られた相手がか?」
「違う違う。握った相手がだよ」
「握った相手が?一体、どういう原理なんだ?」
「それはわからないけど……意外とルナ姉も策士なんだね~」
「むぅ……」
QEDだ。
どうしてあいつが私の手を握るのをためらったか分かった。
まさか、そんなに物騒な行為だったとは……
「スマンな、リリカ」
「よくわかんないけど……うん、どういたしまして」
「やはり……世界は広いな」
「……どうでもいいけど、興味があるんだったら、ルナ姉もこの漫画読む?」
「んっ?興味がある?誰がだ?」
「えっ、だって、ルナ姉……」
「おかしな事を言う奴だな」
「……何か、理不尽」
しょっぱい顔のリリカを残し、私は食卓についた。
明日、改めてあいつに謝ろう。
******************************
――私の名前 君の名前――
――はじめまして ――
――はじめまして ――
――神無月 二十五日 晴れ――
「昨日は悪かった」
「……えっ?」
翌日、昨日と同じ場所で、私は昨日の無礼を詫びていた。
「何のことかな?」
「昨日の……手だ」
「握手?」
「あぁ、昨日、お前が私の手を握るのをためらっただろう?」
「あっ。あれはね……」
「すまなかった。手を差し出すというあの行為がそんなにも悪質だったとは……知らなかった」
「う、うん?」
「だから……今度は前もって宣言しておこう」
私はそいつの前に再び手を差し出した。
「えっ?」
「握手だ」
「えっ?えっ?」
「安心しろ。『合気』じゃないぞ」
「えっ、でも……いいの?」
「あぁ、怯えなくてもいい。私に『合気』の心得はないからな。本当だ」
「……うん。それじゃあ」
少しためらいはしたが、昨日よりはスムーズに手を握ってくれた。
新たな理論(握手の前には自らの素性を述べる)の誕生だ。
「……むっ。お前の手は本当に細いな」
「いや、あはは……お恥ずかしい。でも、君の手は本当に綺麗だね」
「んっ!……お、おかしな事を言う奴だな」
んん……本当に、調子が狂うな。
「そう言えば、君の名前は?」
手を離すと、そいつは私に聞いてきた。
そういえば、まだお互いの名前を知らなかったな。
「私か?私はルナサ・プリズムリバーだ。妹達には『ルナ姉』と呼ばれているが、お前は妹じゃないからな……」
「じゃあ、『ルナサ』って呼んでもいい?」
「『ルナサ』……」
よくよく考えてみれば、「ルナサ」と呼ばれることは滅多に無い。
妹達は「ルナ姉」だし、他の奴らはひとくくりで「プリズムリバー」だからな。
なんか……新鮮だ。
「新鮮だ」
「えっ?」
「いいだろう、気の済むまで『ルナサ』と呼んでくれ」
「う、うん。わかったよ、ルナサ」
あぁ……これは……いいな。
「ところで、お前の名前は何だ?」
「えっ?僕?」
「そうだ。こちらが名乗ったんだから、名乗り返すのが礼儀だろう?」
「僕の……僕の名前は……」
そう言ってそいつは昨日のように口ごもった。
「何だ、そんなに恥ずかしい名前なのか?」
「んっ……」
「気にするな。私の知ってる奴には『ウドンゲ』と呼ばれているのもいる」
「えっ……『ウドンゲ』?」
「あぁ、おかしいだろう?」
「う、うん」
「だから、お前も気兼ねをする必要はない。ドンと胸を張って言ってみろ」
「……ごめんね」
「うん?どうして謝る?」
「僕の……名前は無いんだ」
「名前が無い?そんな馬鹿な話があるか」
「ごめん……本当なんだ」
「そしたら、他の奴らはお前のことをどう呼んでいるんだ?」
「どうなんだろう……あんまり、親しい人いないから……」
「うーん」
これは困った。
名前が無いのでは呼びようがないではないか。
……名前か。
ここはひとつ私が考えてみるか……
私は自慢のロジック回路を展開した。
まず、注目すべきキーワードは、「名無し」。
これをカタカナに直すと、「ナナシ」。
さらにこれをひっくり返して、「シナナ」。
そして、由緒ある家名「プリズムリバー」を尻につけて、「シナナプリズムリバー」。
意味不明の単語、「シナナ」はノイズだから消去して……
導かれる答えは……「プリズムリバー」。
QEDだ。
こいつの名前は「プリズムリバー」つまり……
「光河だ」
「えっ?『コーガ』?」
「そう、お前の名前だ」
「そ、そんなカッコイイ名前、僕には勿体無いよ」
「謙遜するな。よく似合っていると思うぞ」
何たって、私が導いたのだからな。
「じゃ、じゃあ。コータ!コータでいいよ!」
「『コータ』?」
「うん、そのあたりが僕にはちょうどいいよ」
「むっ……確かにそっちの方がしっくりくるな」
「ねっ?」
「それじゃあ、改めてよろしくだ、コータ」
「うん、よろしく、ルナサ」
そう言って私達は3度目の握手をした。
・
・
・
・
・
「……」
「……」
「……」
その日の夕食、食卓を囲む3人の空気は異質だった。
いや、異質なのは1人だけで、他の2人はその空気に呑まれているだけだった。
「……あっ、ホラ、ルナ姉、それケチャップ」
そう言ってメルランはルナサの手にマヨネーズを握らせた。
「チキンライスにはマヨネーズでしょう?ルナ姉の場合」
「んっ……あぁ、悪い」
「もう……ボーっとしないでよ……って、また!」
ルナサは納豆に味付け海苔を入れようとしていた。
「納豆にはバターでしょう?ルナ姉の場合」
一見しなくても分かる、チキンライス(withマヨネーズ)×納豆(withバター)という無茶苦茶な献立。
それがこのプリズムリバー家では通るのだ。2人を除いて。
「こりゃあ……重症だね」
リリカが腕を組んで、ううんと唸る。
「リリカもそう思う?」
「うん」
そうして、2人はルナサの方を見た。
ルナサはルナサで、いつのまにか白飯を持ってきており、あろうことかその上に先ほどの納豆をかけようとしていた。
「あぁ……あんなことまで」
「あれをチキンライスにかけるのに……ルナ姉の場合」
「うまうま」
モシャモシャと夕食をほお張る姉を見て、メルランとリリカは溜息をついた。
「これは……」
「やっぱり……」
原因は明白。
他の誰でもない。
幻想郷で一番わかりやすい性格をしている姉だ。
メルランとリリカはお互いに顔を見合って……微笑んだ。
「「恋だね」」
ブーーーーーー
「嫌だ!汚い、ルナ姉!」
「ネバネバする~!」
ルナサの口から放たれたレーザーは2、3回へにょって、妹達に直撃した。
「な、な、な、な、何を言うんだ、いきなり!」
「もう、そんなのいいから。布巾とってよ、布巾!」
「何で、こんなに器用な吹き方するかな……ルナ姉は」
口のまわりのネバネバを拭き取ると、ルナサは食いかかるようにしてメルランに問いつめた。
「い、今、『恋』って言ったな。言ったな?」
「言ったけど、そんなに大げさに驚くこと……」
「待て待て待て待て!恋とは違うぞ、恋とは!」
「何でよ?」
「恋というのはだな……男が女に……って、んっ?いや、この場合は女が男に?」
「えっ!?ルナ姉の片思い!?」
リリカは顔を拭いていた布巾を投げ捨てると、目をキラキラ輝かせながら話に割り込んできた。
「な、何を言っている!私とコータはそのような……」
「コータ?コータって言うのその人?ねぇ、ねぇ、どんな人?」
「待て、何でコータのことを知っているんだ?」
「いいからいいから。ねっ、妖怪?人間?どっち?」
「むっ……まぁ、妖怪ではない、とだけ言っておこう」
完璧な回答だ、とルナサは自分のクールさを誇った。
「じゃあ人間!?うわ~、人種を越えたラブか。ルナ姉もやるね~」
「はぁう……」
……このときルナサは思った。
こいつはエスパーか?と。
******************************
――重ね合わせる――
――言葉――
――音――
――心――
――神無月 二十六日 晴れ――
「……というわけなんだ」
「あはは、面白いね。妹さん達」
次の日も、私はコータに合いにきていた。
「まぁな。意地悪だが……可愛い奴らだ」
「ルナサは本当に妹さん達が好きなんだね」
「私の唯一の肉親だからな」
「肉親……か」
そう言うと、コータは顔を伏せた。
「僕には……どんな気持ちかわからないな」
「何でだ?人間なら母親か父親がいるもんだろう?」
「ううん。僕は捨て子だったから……」
「捨て子」
「うん、物心つく前に捨てられちゃって」
コータはアハハと自嘲ぎみに笑った。
「それからどうしたんだ?」
「ふもとの村で拾われたんだけど……」
「うまくやっていけなかったのか?」
「…………うん、たぶん、そうだと思う」
「??はっきりしない奴だな」
「ごめん……」
「とにかく、そのせいでここに隠居しているってわけだな」
「……うん、そういうこと」
「まったく、難儀な奴だな」
「アハハ……」
……よくない話をした。
コータは笑っているが、明らかに先ほどより暗くなっている。
「んっ……」
私はすかさずヴァイオリンを召喚した。
「えっ?どうしたの?」
「こういうときはこれに限る」
「えっ、えっ?」
「お前も笛を持っているんだろう?
……だったら、一昨日の続きだ」
「あっ……う、うん」
そう言ってコータはごそごそと懐から笛を取り出した。
「一昨日の曲の名前は?」
「そ、そんなのないよ。適当だよ」
「うん。それじゃあ、協奏『無銘』だ」
「えっ?」
「どうだ?いい名だろう?」
「う、うん」
「それじゃあ、行くぞ――」
私のリードに従ってコータの笛が重なった。
コータの笛は、荒削りで拙くはあるが、暖かくて本当に優しかった。
そのまま……しばらくの間、その小高い丘は穏やかな空気に包まれていた。
「ゴホッ」
突然、演奏中にコータが咳き込んだ。
「ゴホッ、ゴホッ……」
「おいおい、大丈夫か」
私はひとまず演奏を中断すると、慌ててコータに駆け寄った。
「ゴホッ……ご、ごめん、ルナサ」
「まったく、お前は見た目通り、体が弱いな」
「あはは……ゴホッ……申し訳ない」
私はやれやれと溜息をつくと、ヴァイオリンをしまった。
「今日はもう帰ったほうがいいな」
「ゴホッ……うん、ごめん」
「送っていかなくていいか?」
「うん……すぐそこだから、大丈夫」
そう言ってヨロヨロとコータは丘を下りていった。
本当に大丈夫だろうか?
あれこれ心配していると、コータは何かを思い出したようにこちらを振り向き。
「バイバイ」
と満面の笑顔で手を振ったのだった。
うわぁ……
その笑顔は不意打ちだった。
私は顔を見られまいと、俯きながら小さく手を振った。
そうして……
「そろそろ出てきてもよろしいかと」
コータの姿が見えなくなると、私はこの丘に唯一生えている木の方を向いて声をかけた。
「あら、気づいてたの」
そう言って、その木の陰から姿を現したのは……
「いい雰囲気だったから、お邪魔をしたくなくて」
西行寺 幽々子だった。
「ご冗談を」
私は畏まってそう返事をした。
「いい曲ね、プリズムリバー」
「はい。あの人間が作った曲です」
「まるで、レクイエムみたいな」
「レクイエム……ですか?」
「そう。だけど……とても暖かい曲だったわ」
「……私もそう思います」
暖かい……レクイエムか。言いえて妙だな。
「白玉楼じゃいつも騒がしい曲ばかりだから、たまにはこんな曲も悪くはないわ」
「善処してみますよ」
「あっ……でも、レクイエムだったら、私達成仏しちゃうかも?」
「大丈夫ですよ。幽々子嬢ほどのお方がこの程度の曲で……」
「だ~か~ら、冗談だってば。軽く流すのが雅ってものよ?」
「あっ、申し訳ございません……」
……彼女と言葉を交わすのは、正直怖い。
何を考えてるかわからないから、どの言葉が彼女の逆鱗に触れてしまうかわからない。
彼女にかかれば、私達のような雑霊を消すことなど造作もないだろう。
「それで、プリズムリバー」
「はい」
「さっきの人間の名は何と言うの?」
「はっ?あの……人間ですか?」
意外だった。
博麗 霊夢などの猛者ならわかるが、コータみたいに虫も殺せそうにない人間に興味を持たれるなんて……
「そう。教えてくれるかしら?」
「はい。コータと言いますが……」
真名ではなかったが、仕方があるまい。「名無しです」と言うより、ずっとマシだ。
「へぇ……そう」
――『コータ』……ね――
その声を聞いた瞬間、ゾクリと悪寒を感じた。
氷のように……冷たく凍てついた声。
「あの……コータが何か?」
「いえ、ただ、気になっただけよ」
「そう……ですか」
胸が……疼いていた。
一体、彼女は何を考えてるんだ……
「それで、あなたは明日もここに来るの?」
「は、はい。気が向いたら来てみようかと」
「そう……」
それを聞いて、彼女は哀しそうに顔を伏せた。
「あの……幽々子嬢?」
「大丈夫、何でもないわ。それより、冷え込んできたから、私はそろそろ帰るわね」
そう言って彼女は扇を掲げた。
「気が向いたらまた白玉楼に顔を出して頂戴」
「はい、必ず」
「それでは……御機嫌よう」
彼女が掲げた扇をフワッと下ろすと、丘一面に桜吹雪が待った。
「んっ……」
そして、その後には……彼女の姿は無かった。
「……」
……彼女の、あの冷たい声がずっと耳に残っていた。
・
・
・
・
・
「それで、もうキスとかしたの?」
ブハッ
「うわ、汚な!」
「リ、リリカ、お前な……」
リリカのトンチキな質問のせいで、昨日と同じように食べてる物を吹いてしまった。
ちなみに今日のメニューは豪華に生ハムメロン。
これが世間的に認知されているというから驚きが隠せない。
私の嗜好が世界標準になってきた……と思えばいいのか。
……じゃなくて。
「……お、お前、今、何て言った?」
「キスだよ、キス。チューの方がいい?」
「そ、そうではなくて……何でそんなことを……」
「だって、今日も『コータ』と会ってきたんでしょう?だったら、何か進展がないとおかしいじゃん」
「だから……な。私とコータはそんな……」
「ねぇ、どっちから先に迫ったの?」
「!!」
こ、こいつは、何を言ってるんだ。
「迫る」とか……何を考えて……
「やっぱり『コータ』の方から?無理やりに?」
「ち、違うぞ。あいつはそんな荒いことはしない」
「えっ!?じゃあ、ルナ姉から!?」
「ま、待て待て!どうしてそうなる!?」
「ルナ姉って意外にケダモノだったんだ……」
「だから待てと……」
……ふと、廊下の方から冷たい視線を感じたので、振り向いてみた。
「……」
「……メ、メルランか。驚いたぞ、そんな顔をしているから……」
「……ルナ姉、不潔」
「待て、誤解だぞ……メルラン」
まるで汚いものでも見るかのように私に一瞥をくれると、メルランはダッと走っていった。
「あ、あぁ……」
今まで築き上げてきた私のイメージが、この瞬間……無残にも崩れ去った。
実際のところ、たいしたイメージではなかったのだが……それは、また別のお話。
******************************
――優しい時間 くすぐったい時間――
――君との時間――
――霜月 二日 曇り――
「ゴホッ」
恒例となったこの丘での演奏会。
これもまた恒例のごとく、コータの咳き込みで中断した。
「ゴホッ……ご、ごめん」
「無理をしなくてもいいんだぞ?」
「で、でも……せっかく、ルナサが来てくれているのに……ゴホッ、ゴホッ!」
「お、おい。大丈夫か、コータ?」
「んっ……ごめん、すぐに……ゴホッ……よくなるから」
そうは言うものの、コータの咳き込みは一行に止むことは無かった。
「仕方あるまい……」
そう言って私はペタンと地面に座り込んだ。
「えっ……?」
「ほら、私の膝を貸してやる。ここで休め」
「えっ、えぇ!?」
何かおかしなことでも言ったのだろうか?
コータは物珍しそうに私を見ていた。
「むっ……失礼なやつだな。私の膝では不満か?」
「そ、そんなことないけど……」
「心配するな。気持ち良さはリリカのお墨付きだ。昔はよくグズるあの子に貸してやったからな」
私はパンパンと膝を叩いた。
「さぁ、早く来い。いい加減にしないと、締め切るぞ」
「う、うん。それじゃあ……」
そう言ってコータは私の膝に頭を預けた。
「……」
「……」
「……コータ」
「んっ、どうしたのルナサ?」
「これは……意外と……恥ずかしいものだな」
「……っ!ル、ルナサが言わないでよ!ぼ、僕だって恥ずかしいんだから!」
「そ、そうか……スマン」
そうやって、2人して顔を真っ赤にした。
「んっ……?」
ふと、コータの笛が目に入った。
「お前の笛はかなりの年季ものだな」
「うん、僕と一緒に捨てられていたものだからね」
「一緒に?」
「そう。だから小さい時からずっと持ってるんだ」
「そうか……」
万物の物には九十九の神が宿るというが……コータの笛はまさにそれだった。
「お前は……この笛に愛されているな」
「えっ?」
「何の因果か、私には物に宿った想いが見えるんだ。
お前がこの笛を愛するように……この笛もお前を愛している」
「そ、そうなんだ。何か照れくさいな……」
「何を言う。誇りに思え。それだけお前がいい生き物だということだ」
「……ありがとう、ルナサ」
「私に礼を言っても仕方がないだろう。その笛に言ってやれ」
「……うん」
コータは笛を愛しげに抱くと、目を閉じた。
「少し、眠るか?」
「うん……ルナサの膝枕気持ちいいから……」
「んっ……む。そ、そうか。それは何よりだ」
「お休み……ルナサ。
…………ありがとう」
「あぁ」
そうして、コータは小さな寝息を立てだした。
「まるで子供のような顔をして寝るんだな……」
私はコータの頬を優しく撫でた。
そうやって、穏やかな時間は流れていった……
その場から少しばかり距離を離したところで、2人を見つめる影があった。
「……」
彼女は扇を口にあてると……つらそうに顔を伏せた。
そうして、一言……
「ごめんなさい」
とだけ呟いて、姿を消した。
その後には、桜の花ビラだけが残っていた。
・
・
・
・
・
「なぁ、メルラン」
「何、ルナ姉?」
その日の夜、私は思い切ってメルランに聞いてみることにした。
「膝枕をしてやろうか?」
「はっ?」
「だから、膝枕だ。懐かしいだろう?」
「そりゃあ懐かしいけど……何で、今さら?」
「『今さら』……とは?」
「この歳になって、さすがにそれは……って意味よ」
「ということは、やっぱり、恥ずかしいものなのか?」
「かなりね」
「むっ……」
それは……コータに悪いことをしたな。
そこまで恥ずかしい行為とはつゆ知らず……
「でも、何でいきなりそんなことを?」
「んっ?なに、単なる気紛れ……」
「『コータ』に膝枕してあげたとか?まさかね~」
「……あぅ」
駄目だ。
思い出したら……顔が茹で上がってしまった……
「……あ、あはは。……本気?」
「な、成り行きで仕方なくだ」
「お、思ったより、ルナ姉って大胆なんだね……ちょっと、ビックリ」
「待て、メルラン。お前は以前からおかしな勘違いをし続けているぞ」
「いいからいいから。私はルナ姉のことを信じてるから」
「待て。言動と行動が噛みあってないぞ。どうして、私から逃げる?」
「そんなことないよ……そんなこと…………っ!」
そう言い残してメルランは駆け出していった。
「あぁ……」
変な溝は深まるばかりだった……
******************************
――雨が嫌いではない――
――雨が好きでもない――
――でも この日は 好きな雨――
――霜月 八日 雨――
「ルナサは笑うともっと可愛いね」
「へっ?」
突然、布団の中から、コータがおかしなことを言い出した。
ここはコータの住む庵。
生憎の雨天に加え、コータの体調不良も重なって、今日はここで落ち合うことになった。
「い、いきなり、何を言いだすんだ、お前は?」
「ご、ごめん……」
笑顔とか……表情のことで褒められたのは初めてだった。
元々、私は顔に表情が出ない方で、喜怒哀楽もうまく表現できない……らしい。
酷いときには、リリカに「能面」とか言われて揶揄されたぐらいだ。
なのに……
「でも、やっぱりルナサの笑顔は可愛いよ」
そう言ってコータはニパーと笑った。
はぅ……うぅ……
視覚と聴覚のダブル攻めだ。
これは……たまらん。
「バ、バカ。あまり、からかうな。その……照れるじゃないか……」
「あはは。ルナサはすぐ顔に出るね」
「むぅ……」
何か完全にペースを握られている気がした。
……それでも、聞いておきたいことがあったので一応聞いておいた。
「お前には私の表情の変化がわかるのか?」
「んっ?どういうこと?」
「いや……私は、元来表情が出にくい……らしい」
「誰がそんなこと言ったの?君のまわりは、皆目がついてないの?」
「んん……そんなことはないが……」
「ルナサの表情はクルクル変わっているよ、面白いぐらいにね」
「そ、そうか?」
「うん。だからルナサは可愛い」
ま、また……!
「や、止めろというのに……」
「あはは……ゴホッ、ゴホッ!」
「それ見たことか、天罰だ」
「あはは、そうだね……うっ……ゴホッ!!」
「……おい、大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫……いつもの……ゴホッ!」
「……」
コータの容態は日に日に悪くなっている気がする。
……私の単なる思いすごしだといいが……
「……ねぇ、ルナサ」
「どうした、コータ?」
「君のヴァイオリンが聞きたいな」
「私のか?」
「うん、君一人だけの演奏は聞いたことがないから」
「聞くほどのものじゃないぞ」
「でも……聞いてみたいんだ。ダメ?」
「……まさか。私は誰かに聞かせることを生業としているからな。お安い御用だ」
そう言って私はヴァイオリンを呼び出した。
「居眠りなんてするなよ?」
「とんでもない。ずっと……聞いてるよ」
「うん……それじゃあ」
私はゆっくりと手にした弦を……弾いた。
パチパチパチ!
私の独奏が終わると、コータは割れんばかりの拍手を送ってくれた。
「すごいよ、ルナサ。とっても、綺麗な曲だね」
「感謝の極みだ」
「何ていう曲なの?」
「『グァルネリ・デル・ジェス』だ」
「ぐぁるねり……?あはは、とにかく素敵な曲だね」
「そう言ってもらえると、弾きがいがあるというものだ」
「だけど……」
「んっ?どうした?感想なら何でも言っていいぞ」
「うん……ごめん。綺麗だけど、ちょっと寂しいな……って思ったから」
「何だ、そんなことか」
「えっ、ルナサ?」
「寂しいのは当然だ。ソロだからな」
「どういうこと?」
「私達姉妹は3人で一つの楽曲を奏でるんだ。だから、それが分散してしまえば寂しいのも当然だろう」
「じゃあ、3人そろったらどうなるの?」
「それはそれは、底抜けに明るくて……騒がしい曲になる」
「へぇ、いつか聞いてみたいな」
「……ちなみにコータの笛に私のヴァイオリンを重ねると、底抜けに優しい曲になるぞ」
「えっ?」
「コータの笛は私の曲調とよく合うからな」
「そんな……」
「……また一緒に演奏しような」
「……うん、今度は妹さん達も加えて、ね」
そう言って二人で微笑みあった。
庵を出ると外は気持ちがいいくらい晴れていた。
「んっ……」
私は背伸びをして……ふと、地面に散らばっているものに目がいった。
「これは……桜の花ビラ?」
季節外れもいいところだが……唯一の心当たりがあった。
「……幽々子嬢?」
慌ててあたりを見回したが、それらしい影はなかった。
・
・
・
・
・
「メルラン、リリカ。お前たちに話がある」
一同の会する夕食の席で、私は足早に切り出した。
「何、ルナ姉?」
「また、説教~?」
「安心しろ、リリカ。悪い話じゃない」
「だったら……」
「お前たち『コータ』に会いたくないか?」
「「!」」
ガタッと音を立てて、立ち上がったのはメルランだった。
「そ、そんな……ルナ姉が……私のルナ姉が……!」
そうして、メルランはダッと駆け出そうとした。
「待て待て。メルラン」
予想できた反応だったので、メルランの襟首を掴んで阻止した。
「いや、離してルナ姉!不潔、不潔よ!」
「不潔って、お前なぁ……」
「……でも、いきなり家族に紹介ってのは飛躍しすぎだよ、ルナ姉」
「待て待て、リリカ。その言い方には語弊があるぞ」
「でも~」
「とにかく……だ」
ガッ
とりあえず、暴走しかけているメルランの首に手刀を入れておく。
「黙って私の話を聞いてくれ」
「メル姉白目剥いてるよ……」
「大丈夫だ。私の話が終わるころには目を覚ます。全てを忘れて」
「いやいや、ルナ姉……」
何か言いたそうなリリカを無視して、メルランを席につかせる。人形を座らせる要領でだ。
「んっ……と。なかなか骨が折れるな。コータより重いんじゃないのか?」
「……失礼ね」
「あっ、メル姉、もう目が覚めたんだ」
「……仕方が無い」
私はスチャリと手刀を構えた。
「あー、待って待って、ルナ姉。ちゃんと、落ち着いて話を聞くから」
「本当だな?」
「うん……たぶん」
「うむ、いいだろう」
そう言って、私も席についた。
「それでは、話の続きだ」
「……」
「……」
「……コータがお前たちに会いたいと言っていた」
「……『コータ』が?何で?」
メルランが至極嫌そうな顔で聞いてきた。
「一緒に演奏をしたいのだそうだ」
「へえ~、『コータ』も楽器弾けるんだ?」
「あぁ。優しい……笛を吹くんだ」
私はしみじみと、コータの笛の音を思い出していた。
「……」
「……」
「んっ?どうした、2人とも黙り込んで?」
「……ルナ姉って」
「……本当に『コータ』のことが好きなんだね」
「待て。どうしてそうなる」
「だって……ねぇ、リリカ?」
「うん……あんな顔されたら……ねぇ?」
うむむむむむ。
何だ、この私だけが疎外されてるような空気は。
「……そ、それでどうするんだ。会ってくれるのか?」
「愚問だよ、ルナ姉」
「そうね、リリカ。悔しいけど、ルナ姉にこんな顔をさせる『コータ』ってのも見てみたいし」
「……スマンな、お前達」
「それで、私達はいつ会いにいけばいいの?」
「ん……コータの病状が回復してからだな」
「えっ、何?コータって病気なの?」
「あぁ、あまり体が強くなくてな。寝込みがちなんだ」
「へぇ~」
私とメルランのやり取りを聞くと、リリカは嫌らしい表情で私を見てきた。
「何だ。何が言いたい?」
「寝込み襲うなよ、ルナ姉」
「な、な、な、何を!?」
また、この子は!!と思って席を立ち上がったが……
私のすぐ横から、ジワジワと感じる負の空気に思わず目がいった。
「メ、メルラン……?」
「……不潔、不潔、不潔」
「あぁ……」
どうやら、スイッチが入ってしまったらしい。
暴走……だ。
耳の奥でカウントダウンが開始し始めた。
5……
すでにリリカは退避している。抜け目の無い奴だ。点火したくせに。
4……
メルランがトランペットを構えた。家の中でやるつもりだ。
3……
……はぁ。
2……
私はヴァイオリンを召喚すると、防御姿勢をとった。
1……
明日、コータのところに行けるぐらいの体力は残しておかなければな……
0
「不潔~~!!」
その日のプリズムリバー家は朝まで賑やかだった。
******************************
――紅 紅 紅 紅――
――嫌な紅 忘れたい紅――
――霜月 九日 晴れ――
「あいたたた……まったく、メルランの奴……」
私は軋む体を摩りながら、空に向かって愚痴をこぼした。
「それにしても、コータは遅いな……」
いつものように、私はあの小高い丘でコータを待っていた。
今日は晴天。
気候も穏やかで、むしろ暖かいぐらいだ。
……それなのに、コータは一向に姿を見せる気配は無かった。
「しょうがないな……」
私は腰を上げると、丘を下り始めた。
「コータの庵まで行ってみるか……」
コータの庵は相変わらず粗末なものだった。
藁葺きの屋根に、取ってつけたような引き戸。
とても、玄人が作ったとは思えない粗雑な出来だった。
「コータ、いるのか?」
私は引き戸を壊さないように軽くノックした。
……
……
返事は無い。
「まったく、まだ寝てるのか……」
私はやれやれと溜息をついて、引き戸に手をかけた。
「勝手に入るぞ」
引き戸は抵抗なく開いた。
「コータ、起きろ、コー……」
その光景に一瞬、目を疑った。
この粗末な庵には不似合いな、紅い……絨毯。
「コータ……?」
その中心で……コータは苦しそうに蹲っていた。
「コータ!」
私は慌ててコータに駆け寄った。
「おい、コータ、大丈夫か!しっかりしろ、コータ!!」
庵の中はむせ返るほど……血の匂いが充満していた。
「本当に大丈夫か?」
私は布団の中で荒い息を吐き続けるコータに問いかけた。
庵を侵食していた血はある程度拭き取ったし、コータにも最低限の治療を施した。
もっとも、あの血は外傷によるものではなく、コータが吐いたものだったから……本当に「最低限」の治療しか施せなかった。
「う、うん……だいじょう……ゴホッ」
虚勢をはろうとして、コータはまた咳き込んだ。
……その咳は、やはり今までのものとはどこか違い、ところどころに赤いものが交じっていた。
「無理をするな、コータ」
「ごめん……ルナサ」
「悪いと思うなら、早く体を治せ」
「あはは、うん、頑張る」
そう言ってコータは布団の中に潜り込んだ。
「……それにしても、お前の病状がこんなに酷かったとは……」
「うん……僕もびっくりした」
「何だ、お前も気づいてなかったのか?
まったく……呑気もここまでくると、呆れてくるな」
「あはは」
「いいか、コータ。今度から、少しでも体の変化を感じたら私に知らせるんだ。
当の本人が当てにならんから、私が判断をする」
「ええ?信用ないんだな……僕って」
「当然だ。今日みたいなことが起きたら、私は許さないぞ?」
「……うん、ごめんね」
「んっ……責めてるわけではないんだ。そう、暗い顔をするな」
「うん……」
どうも今日のコータは元気が無いように感じる。
いつものあの笑顔を見れないのは……寂しいな。
「そうだ、コータ。一つおもしろい話をしてやろう」
「えっ、どんな話?」
「『覚悟』の話だ」
「『覚悟』?」
「そうだ。もっとも、リリカの受け売りだがな」
「それで、どんな話なの?」
「『覚悟の量を見極めれば、体はどんな責め苦にも耐えてくれる』という話だ」
「……どういうこと?」
「深い意味は私にもわからんが、要するに『強い心は、そのまま体を守る盾となる』というところだろう」
「強い心……か」
「あぁ、その心をお前は持っている」
「僕が?そんな……」
「謙遜するな。お前は誰よりも気高く……強い」
「そこまで言われると、何か照れるな……」
「……もっとも、コータの場合は、いくら盾が強くても中身の『体』が弱いからな……」
「あはは、酷いな、ルナサは」
「待て待て。話は最後まで聞くもんだぞ」
「えっ?」
「お前の『体』は弱いから……私もお前を守る『盾』となろう、という話だ」
「ルナサ……」
「2つも『盾』があれば十分だろう?どんな苦痛もお前には届くまい」
「……ありがとう、ルナサ」
「気にするな。親友なら当然だ」
「うん、ありがと……う」
「コータ?泣いてるのか?大袈裟な奴だな」
「あはは……は、ごめんね、嬉しくて」
「まぁ、悪いことではないが、男がメソメソするのもどうかと……」
「ごめんね……ごめん……」
そう言ってコータはボロボロと涙を流し始めた。
「……コータ?」
「ごめん……ごめん……ルナサ」
「……おかしな奴だな、嬉しいなら、謝るな」
「うん……でも、本当に……ごめん」
「まったく……しょうがない奴だな」
コータの様子に違和感は感じていたが、こうやって私の前で素の感情を見せてくれるのは素直に嬉しかった。
「ホラ、そろそろ泣き止め。いいかげん、私も愛想をつかすぞ?」
「……うん、ごめん」
コータは掛け布団で目の周りを拭うと、いつものように明るい声で私に話しかけてきた。
「お願いがあるんだ、ルナサ」
「何だ?何でも言ってみろ」
「薬草……を採ってきて欲しいんだ」
「薬草?この付近に生えてるのか?」
「うん。『万寿草』っていうんだ。紅くてとても目立つ草だから、すぐに見つかると思うよ」
「紅い……草か。よし、心得た」
「ごめんね、僕、こんな体だから採りにいけなくて……」
「馬鹿なことを言うな。そんな体で動こうとしたら、柱にくくりつけていたぞ」
「あはは、そうだね」
「すぐに採ってきてやるから、大人しくしてるんだぞ?」
「うん、ルナサ、怒ると怖いからね」
そう言って、コータはニパーっといつもの笑みを浮かべてくれた。
うん、やっぱりこれが一番だ。
私は、もう一度安静にしておくように念を押すと、庵を出発した。
コータの言うように薬草はすぐ見つかった。
庵から結構遠い場所にあったが、群生していたので容易に目に止まった。
「まったく、こんなに採りやすいなら、普段から常備しておけばいいものを……」
まぁコータらしいか、と思いながら、私は手早く薬草を摘んだ。
……その薬草は見事までに紅く、観賞用としても悪くない。
「んっ……いかんな。さすがに、不謹慎か」
私はそのまま、それをバックに詰め込むと、帰路についた。
「あっ……」
帰り道、意外な人物に出くわした。
「幽々子嬢」
「あら、プリズムリバー?」
「奇遇ですね、どうしてこんなところまで?」
「いえ。ちょっと気が向きまして……」
「はぁ」
まったく何を考えているかわからない。
気が向いたからと言って、こんな侘しい場所を訪れるだろうか?
「それより、あなたはどうしたの?」
「私は……その」
正直、コータの名前を出していいものか戸惑った。
脳裏には、あの日の幽々子嬢の冷たい声が蘇っていた……
「……」
「……?どうしたの?」
「いえ、何でもありません。私もブラッと散歩のつもりで立ち寄りました」
「そうなの?あなたも物好きね」
「あはは、お恥ずかしい」
そうして、2 3の雑談を交わした後、そろそろ帰路につこうとしたとき……
「プリズムリバー」
幽々子嬢が真剣な声色で話しかけてきた。
「はい。何でしょう?」
「あなたは、あの人間……コータのことをどう思っているの?」
「えっ?コータ……ですか?」
何故、ここで、コータの話が……
「あなたの正直な気持ちが聞きたいの」
「……」
「答えたくない」というのが本音だったたが、今さら嘘を言う気にもならなかったし、コータへの想いも偽りたくもなかった。
だから……
「コータは……私の大事な親友です」
私は思いの丈を伝えた。
「『親友』?」
「はい。私が……あいつを守るんです。そう、約束しました」
「……」
幽々子嬢はしばらく黙り込んだ後、哀しいのか嬉しいのかわからない表情で微笑んだ。
「そう、それがあなたの答えでいいのね?」
『答え』という単語が引っ掛かったが、私はその問いに胸を張って「はい」と答えた。
「……わかったわ、プリズムリバー」
そう言って幽々子嬢は私に背を向けた。
「……それじゃあ、私はもう少し散歩を楽しんでから帰りますけど……」
「私は……あいつが待ってますんで」
「コータが?早く言ってくれれば、もう少し早く解放してあげましたのに……」
「ご冗談を」
ハハと笑って、私は幽々子嬢に一礼をした。
「それでは、失礼します、幽々子嬢」
「えぇ、そろそろ暗くなるから、幽霊には気をつけてね」
「はい、お心使い感謝します」
「もう、冗談だってば。相変わらず、硬いんだから」
幽々子嬢はウフフと扇で口を隠しながら、そのまま何処へと消えていった。
「……」
……胸の中には、何とも言えないようななムカムカだけが残っていた。
「お帰り、ルナサ。随分、遅かったね?」
庵に帰ると、コータは先ほどより元気そうだった。
「あぁ、ちょっと迷ってな」
私は摘んできた薬草をコータに渡すと、そのままコータのとなりに座りこんだ。
「ルナサって方向音痴なの?」
「失敬な。私は東西南北しっかりと理解しているぞ」
「じゃあ、東ってどっち?」
「そんなの、簡単だ。お箸を持つ方の手だ」
「え……」
「何だ、コータはそんなことも知らないのか?リリカでも知っているぞ。
……まぁ、かくゆう私もそのリリカから聞いたのだが」
「ちょっと、ルナサ右向いてみて」
「むっ……これでいいのか?」
「じゃあ、改めて、東はどっち?」
「くどいな。お箸を持つ方の手だろう?」
「……今度はそのまま後ろ向いてみて」
「お前は一体何がやりたいんだ?まったく……仕方無い……」
「それじゃあ、今度こそ聞くけど、東はどっち?」
「一体何度言えばわかるんだ?だから、お箸を持つ方の手だと……」
「3回とも全部方向が違うよ、ルナサ」
「んっ?だからどうした?」
「……ううん、いや、いいや」
「待て。その目はあれだ。私を馬鹿にしているだろう?」
「そ、そんなことないよ」
「……顔が笑ってるぞ、コータ」
「そ、そ、そんなことないよ……プッ」
「~~~~!」
「あはは……駄目だ、我慢できない!」
「わ、笑うなコータ!私も怒るぞ!」
「ご、ごめん……ルナサ。でも……あはは!」
「こ、この……!」
そうしてしばらく笑い続けるコータをポカポカと叩いていた。
「そう言えばコータ。お前、ちゃんと体は洗っているのか?」
一段落つくと、私はコータに当然の疑問を聞いてみた。
「えっ……」
「……今、ギクッとしたな?したな?」
「そ、そんなことないよ。ちゃんと入ってるよ」
「そうか?それにしては汗臭いぞ」
「あ、あはは……」
「綺麗好きの私としては……見過ごせんな」
「あ……は。ルナサ、顔……怖いよ」
「拭くものはあるか?」
「えっ……どうするつもり?」
「聞くまでもないだろう……私が体を拭いてやる」
「!!」
このとき、私はどんな顔をしていただろうか?
ただ、心の奥では先ほどの仕返しができると思って、いきり立っていたのは確かだった。
「そ、そんな……冗談だろう、ルナサ?」
「いいや、私は本気だ。さぁ、大人しく服を脱いでもらおうか」
「ま、またの機会でいいから」
「……問答無用だ」
そう言って、私はコータの衣服に手をかけた。
「あっ……」
「コラ、女みたいな声を出すな。誤解しそうじゃないか」
「だ、だって……」
「いいから……大人しく……脱ぐんだ!」
「あぁ!!」
必死に抵抗するコータの手を振り切り、バッと衣服を剥いた。
露わになるコータの上半身。
その裸体は白くて、美しく……
「……何だ、これは」
「……」
……コータの体にあったのは夥しい量の……紋様らしきもの。
「これは……彫ってあるのか」
「……」
前面は言うに及ばず、それはコータの背中にまでびっしりと彫り込んであった。
「……答えろ、コータ。これは何だ?」
「……あはは、単なる痣だから」
そう言ってコータは剥かれた衣服を再び着ようとしていた。
「誤魔化すな。それが痣のように見えるか?」
「……ルナサ」
「答えてくれ、コータ。これがお前の体調と何か関係があるんだな?」
「そんな……違うよ」
「コータ、私の目を見ろ。ちゃんとこっちを見て喋るんだ、コータ!」
そっぽを向こうとしていたコータの手を引っ張り、無理やりこっちを向かせた。
「い、痛いよ、ルナサ」
「いいから、答えろコータ。これは何だ?」
「……」
「頼む、教えてくれ……コータ」
「……」
「教えてくれ……そうでなければ、私はお前を……守れない」
「……」
「なぁ、コー……」
「ごめん、ルナサ」
そう言い切ったコータの表情は、今まで見たことの無いものだった。
まっすぐ……強く……そして何処か憂いを帯びた表情だった。
私はこれ以上の問答は意味をなさないと悟った。
「そう……か」
「……」
「だったら……長居は無用か」
「えっ……ルナサ?」
コータが不安そうに私を見つめた。
「心配するな。怒ったんじゃない」
「でも……」
「明日、また来よう」
「……うん、ごめん」
そうして、別れの挨拶もつげず、私は足早に庵を出た。
そう、怒ったんじゃない。
コータが教えてくれないなら、私が自ら調べようと思ったからだ。
・
・
・
・
・
「メルラン、リリカ、これを見てくれ」
私は記憶に残る限り出来るだけ正確に、コータに彫られていた紋様を図に表してみた。
「うへぇ~、何なのこれ?気持ち悪~」
「あんまり穏やかな話じゃなさそうだね」
「これが……コータの体に彫ってあったんだ。お前達、何か知らないか?」
この場に及んで回りくどい話は無しだ。
私は単刀直入に聞いてみた。
「え~、『体』ってやらし~。ねぇ、メル姉?」
いつもの様な軽口でリリカはメルランを煽ったが……
「リリカ」
「あ……うん、ごめんルナ姉」
ピシャリとメルランに窘められた。
「すまん、メルラン」
「ううん……それより、これ、私見覚えあるよ」
「何、本当か?」
「うん、気を悪くして欲しくないんだけど……」
「構わない。どんな話でもコータを救う鍵になるかもしれん」
「うん……これ、たぶん、呪いの一種だと思う」
「呪い……?」
「私もかじった程度だからよくわからないけど、相当性質の悪いヤツ……だと思う」
「そうか……」
呪い……だと?
だったら、一体誰がコータにこんなことを?
「ルナ姉……これが『コータ』の病気に関係あるの?」
さっきまで黙っていたリリカが恐る恐る聞いたきた。
「恐らく……いや、間違いないだろう」
「だったら……誰がこんな酷いことをしたんだろうね?」
「私も……それが疑問なんだ」
どんな理由があろうと許すわけにはいかない。
コータが何故こんな仕打ちを受けなければいけないのだ……!
私はギリギリと拳を握りこんだ。
「ルナ姉」
「……どうした、メルラン」
「『コータ』のまわりで人の動きはなかった?」
「人?」
「うん、これは人為的なものだから、誰かがコータに近づいて呪いをかけたとか……」
「いや、あいつは人との関わりはない。あの場所には私以外、訪れ……」
ない。
はずだ。
いや、違う。よく考えてみろ。
私は、今日、あそこで、あの場所で、会うはずが無い人物に「偶然」出くわしたじゃないか。
いや、それ以前にも姿こそ見えなかったが、存在を醸しだすものが残っていたじゃないか。
……彼女の凍りつくようなあの声が、三度蘇ってきた。
「ルナ姉?ルナ姉?」
「……あぁ、聞いてるよメルラン」
「大丈夫、顔色悪いよ?ちょっと、休んだら?」
「あぁ……そうさせてもらう」
私はそう言ってフラフラと自分の寝室に向かった。
西行寺 幽々子……一体、何を考えている?
全ての答えは……明日か。
to be continued……
後編期待しますぞ。
「不潔~~~~!!」
ってのも少女漫画購読者かつ年相応な感じでよいですが
「めるぽ~~~!!」
だったら100点でした
へにょり、へにょり。
愉快な食卓シーンとルナサが素敵。要マーク。