『ひぎる前に読むべからず』 ミッション1を制覇したスナイパーの方のみ入室許可。
ライセンス不所持の方はACID CLUB EASTへどうぞ。
冷たい風が吹いていた。
もうすぐ春にさしかかろうという3月の中旬。いまだ白銀の残り雪が白々と点在する湖のほとり。
吹く風は大分暖かくなってきたとはいえ、調子こいて全裸で半日ぐらい乾布摩擦したら夜の帳を待たずして風邪を引いてしまう程度の寒々しさだ。
だから、
冷気に弱い――ブリザドのダメージが倍化するような輩どもは、春の訪れを生暖かくじめった雪下の黒い大地の毛布にくるまり暢気に寝て過ごしているのが生活の知恵、生命の神秘だ。でも……
待ちきれなくなったのだろうか。
白い絨毯の上をぴよこん、ぴよこんと跳ねる緑色。ケツの先にぶっといチューブが挿入されたおもちゃのように、微笑ましい挙動を行なう下等な両生類が、ひやりと冷たい雪の上を懸命に踏破しようとあがいていた。
かわいいかわいいカエルさん。あなたのおうちはどこですか?
――ゲコ、ゲコ。
お家を聞かれても、自分が何処から来て何処に行くのかも解らない小さな脳みそ。
”我思わず、されど我在り”
結局の所、自分が何なのかなどという、小難しいことをいちいち考えなくとも、生きているものは生きているし、死んでいるものは死んでいるのが当たり前。
たとえ当の本人が深遠なる思考の果てに自己の確たる存在証明を持ちえていたとしても、そんなこと考えたことすら無かったとしても、それを傍から観測する者にとっては対象の自意識の有無など瑣末事でしかない。
その好例になるかどうかは微妙だが、こんな話がある。
生きているのに、死んでいる――箱の中の奇妙な猫。
額面どおりに受け取ると、そんな変態的なイキモノは――理論と思索のなかでしか存在し得ない奇怪な幻想。
量子論の世界ではそういうことも在るのかも知れないが、現実には観測できない現象。
よって、真実がどうあれ、インチキ臭い紅魔館の手品が得意な彼女の胸疑惑のように、証明不可能な事象。
まあ、此処…幻想郷では、そのような不安定な概念状態の空想の産物が目に見える形で存在してもおかしくないのだが。
たとえば、そう。すべての境界があやふやな……今頃ぐうぐう冬眠している怠惰なスキマ妖怪のように。
けれどそれは、あまりにも稀有な絶滅存在なので一部の例外として除外する。
兎にも角にも話を戻そう。
人間だけだ。
生きることや死ぬことに理由を欲するのは。
賢いは、愚か。
愚かは、賢い。
限りある生命を不毛な思索に費やし、挙句の果てに自ら死を呼び込んでしまう高等な知性と
生きることに必死で、否。その自覚も無いままに本能に従い、生命を謳歌する下等な知性と
どちらが――しあわせと言えるのであろうか。
何を持って、しあわせと定義づけることが真理なのであろうか。
価値観というものは所詮他者と比較することでしか得られない自己満足。
では、比較対象に価値観が無いときも、また――その天秤は有効に働くのだろうか? 相手がどうとも思っていないのに「お前は知性が無いから不幸だ」「私は知性があるから幸福だ」と一方的な価値観を押し付けても、相手からしてみれば滑稽なだけではないのだろうか……。
知性は不要か? 否か?
……。
…………。
もっとも、こうして比較して思考している……この行為自体が――既にどうしようもない矛盾なのだが。
答えの出ない無為なパラドクスを尻目に、緑色のカエルは一匹、すこしでも暖かな場所を目指してぴょんぴょん跳ねる。
ぴょーん
ぴょーん
ぴょー……
「あっ! たのしいオモチャみーつけ!!」
グダグダとした思索とは無縁の、愉快な氷精が現れた。
ゲコ…
「ふっふっふ……あんた運がわるかったね。月の無い夜に、このわたしと出会うとは」
ちなみに、今は昼間である。それに、夜になった所で今日の月齢は新月でもなんでもないのだが。
「フフフフフ……うはははは……あーっはっはっはーーー」
ゲコ ゲコ ゲコー
「月を見るたび思い出しな、このチルノさまの……きょうふをー」
わっし
おもむろに健気で哀れな緑色の両生類の顔面を鷲掴み。
ヒヤヒヤした氷精の手に宿る冷気に当てられ、ビクリと痙攣するカエル。
生命の危機を理解しているのかいないのか、ぼこりと飛び出た可愛いおめめをギョロギョロとせわしなく動かしている。
「ええい、おうじょうせいやぁ! おとなしくしてないと、冷凍するまえにおしりぺんぺんしちゃうぞー。
それとも、つららでげーじゅつてきなオブジャにしたほうがいいかなあ」
無邪気さゆえの残酷。
皆さんは幼き頃に、彼ら日々を懸命に生きる無辜の生命に――笑いながら尻爆竹などしたことは御有りか?
コンビニなどで紙パック飲料を購入した際に、要りもしないのにレジでにこやかに渡される細いストローを本来の用途に使用せず、ニコニコと尻に挿し込み、吸引…否、圧搾空気の噴出を行なったことが御有りか?
いにしえの串刺し公ヴラドのように、知性の無いものとして軽んじられる異生命たちを、焼き鳥の串で尻から貫き路傍に晒したことは?
ここまで例を挙げておいてなんだが、私は幼少時そこまで尻に興味は持てなかったので、これらの罪を犯したことは一度足りとて無い。
今現在とて、その認識は変わるものではない。尻はあくまで排泄器官であり、様々な異物を突っ込む場所ではないのだから。
話がまた逸れた。
要するに、此処で言いたいことは――――尻を弄ぶ者は、尻に泣く。
という因果である。
***
女がいた。
氷精の湖を臨む高台。
背の低い灌木がまばらに群生する、天然の遮蔽物に囲まれた――狙撃にはうってつけの好ポイントだ。
腹這いになり、仮設狙撃拠点に身を隠す女。
暗殺を生業とする彼女に、標的に対する同情も共感も無い。
チロリと指先を舐め風にかざす。
目を閉じて五感を指先に集中。
――……
―――………
問題ない。
天候は良好。
無風状態。
湿度、気温ともに快適。
防寒ブレザーの効果は仕様書通りの出来だ。
これならば、寒さで手元が震え照準がブレることもあるまい。
自らのコンディションには寸分の狂いも見受けられない。
外的要因もまるで早く撃ってくれと言わんばかりの都合よさ。
(……他愛なさ過ぎる、な)
地形効果も抜群だった。
こちらからは標的は丸見えだが、
標的からは狙撃手を視認できない。
まさにパーフェクトフリーズ。
――フリーズ。
……今回の仕事に限らず、ワンショット・ワンキルのスタイルを貫く熟練した暗殺者の彼女にとっては……使用する機会が絶無の、無意味な警告言語である。
自分で連想した皮肉な単語に、巌の如く引き締まった唇を僅かに歪めた。
切れ長の鷹目(ホークアイ)が獲物を捉え――冷徹に輝く。
軽薄さとは無縁であるしかめられた太く男らしい眉毛の間には、深いしわが刻まれている。
毎朝食べている人参の数ほど、数え切れない有象無象を誅してきた彼女に技量の不安は皆無。
この――小手調べのようなぬるいミッションを達成するのは、容易なことだ。
両手に握る愛銃――M16アーマライト座薬カスタムを無表情に眺める。
無骨な黒い銃身、軽量化が為され洗練された不吉なフォルム。
銃身を覆うのは彼女の愛する人参を模したハンドガード。
特殊な弾丸を発射する銃身の先端には、月の隕鉄から鋳造されたフラッシュハイダーが。
ピタリと銃身を固定できるストックの形状も、秀逸としか言えない出来。
特注で取り寄せたスコープの精度は、彼方に位置する標的の動向をつぶさに見て取れる程。
唯一の計算外不確定要素があるとすれば――
レッドアイ・スコープのレンズ面の陽光反射が、ターゲットに察知されることであったのだが……
「………」
確信する。
無邪気にカエルと戯れる、童女の如きあどけなさで笑うチルノをスコープ越しに見て、この依頼の成功を確信した。
万が一にも、あの氷精はこのようなささいな異常には気づくまい。
比類なきスナイパー、アポロ13のターゲットとして――奴はあまりに役不足。
(……面白くない依頼だ。すべてあの女の言うとおりにことが進む……)
先日の記憶……黒き野望に燃える、熱き氷のような女――八意 永琳とのやり取りが、彼女――鈴仙・U・イナバ――通称アポロ13の、哀愁を帯びたヨレヨレのうさ耳に甦った。
………
………………
「――ウドン、居るわね?」
信用ならない愛想笑いを浮かべた女が闇のなかで囁く。
「……用件を聞こうか」
女の背後で黒いシルエットが答える。
「我ら月の民が覇権を取る刻が来たのです」
……。
「その為には邪魔な各勢力を叩かなければなりません」
……。
「その数は……大きく分けて3つ」
「まず、第一の勢力。――”永遠に幼き紅い月”館主レミリア・スカーレット率いる――『紅魔館』――」
……。
「先の抗争でも、彼女の組織は我々月の民にとって大きな障害になりました。彼女自身の類稀なるカリスマと戦闘力に加え、絶大な破壊力を姉や魔女に命ぜられるまま、なんの考えもなく振るう紅魔の妹――」
「フランドール・スカーレット」
…………。
「館主のブレーンであり、陰険陰湿な策謀を操らせたら…幻想郷で私以外に右に出るものが居ない、恐るべき策士。知識と日陰の魔女――」
「パチュリー・ノーレッジ」
…………。
「あの策士は私の見るところ、館主レミリアに重用され、それに見合った忠誠を誓っているものの――それは、上辺だけに過ぎないと見受けられます。彼女は状況次第でどの勢力に寝返ってもおかしくない反骨の士であると、私の占星術に出ておりました。ですから――パチュリーの真に求めるものがなにか、さえリサーチ出来れば…こちらの陣営に引き込めることも、可能性としてはかなり高い。その辺りは当方の諜報員 因幡てゐが調査中ですので、射殺する機会があっても彼女には手出し無用ということで」
「殺戮戯曲の紅月姉妹。これだけでも、途轍もない脅威ではあるのですが……彼女たちを影から補佐する、忠誠無比の――どんな汚れ仕事でも嬉々としてこなす狂気の冥土長」
「十六夜 咲夜」
…………。
「彼女は紅魔館唯一の人間でありながら、時間を操作する程度の卑怯臭い能力を持っています。これは、そんじょそこらに居る中堅以上の妖怪を大きく上回るアドバンテージです。それに、彼女のなによりも恐ろしいのは……紅魔の嬢にのみ向けられた、愚犬の如き絶対忠誠。懐柔は不可能と見ていいでしょう。あの能力は敵に回すと厄介。スナイプする際にはくれぐれも初弾で仕留められますよう」
…………。
「ああ、忘れる所でした。紅魔館にはもう一つ忘れてはいけない伏兵が居るのです」
「名前も知らない、いち門番。にも拘らず先の大抗争ではめざましい戦果を上げた、ノーマークであるがゆえに先の読めないダークホース」
「――名を…」
……。
………
………………
………
………………
「………どうやら、隠蔽工作が為されているようですね。月の頭脳たるこの私に真の名を掴ませないその技量……認めないわけにはいかないでしょう。……そうですね――外見の風聞からして、仮に”中国”とでも呼称しておきましょうか。彼女は謎に包まれた存在である為、充分な警戒を」
…………。
「残りの2勢力、その他中立勢力については今回の依頼が達成された後にでも、おいおい説明していきましょう。取り合えず状況説明は以上です。なにか疑問点などは?」
………
………………
………
………………
「無いようでしたら、早速今回のミッション説明を……」
「……報酬は」
「ああ、無論あなたの腕前を考慮して充分な額を提示させて頂きます。このぐらいで……どうでしょうか」
………。
………。
「……安い。最低でも――倍、用意しろ」
「なっ……くっ、どうしても…ですか(おのれ……人の足元を見て、調子に乗りおってからに……うどんげ風情が強欲なッ!……――まあいい。すべてが済んだら奴は用済み。せいぜい今の内はいい夢でも見させてあげるわよ)」
………。
………。
にこりと営業用スマイルで微笑む永琳。だが、目はまったく笑っていない。
人参シガレットを死を招く繊細な指先に挟み、じっ…と雇い主の性根を探るアポロ13。
殺伐とした空気が永遠亭の一室に満ちる。
幾多の騙まし討ちを成功させてきた永琳だが、さすがに稀代の超一流スナーパーの目は厳しい。
輝夜にしか向けられない誠意は、他の有象無象どもを単なる道具としか見ていない。
取り繕った笑顔と、冷徹な無表情が交差。
しばしの沈黙の後、アポロ13の「いいだろう……」という承諾の声で冷戦の幕は閉じた。
「――ご理解頂けて恐縮ですわ。依頼がすべて成功した折には、可能な限り色を付けさせてお支払い致します」
「――報酬の高級人参は、いつもの冷蔵バンクに払い込んで置け。警告しておくが――みょんな考えは起こさぬ方が互いの為だ」
「……ええ、それはもう(ちぃっ……どこまで扱い辛いのか、この女は。座薬の基礎を教えたのは誰だと思っている……!)」
闇取引はそれぞれの思惑を秘め、終わりに近づいていく。
「では、大分回り道になりましたが、今回のミッションを」
「…………」目を閉じて壁にもたれながら先を促すアポロ13。
「……(何様のつもりよ…うどんげの分際で…)手始めに、紅魔館に対する牽制と警告を兼ねて、館の近隣に位置する湖に棲む氷精を血祭りに上げて欲しいのです」
………。
「まあ、いうなれば新たなる抗争の火種となる生贄です。氷精チルノは」
………。
「彼女に罪はありませんが、私たち永遠亭、千年の繁栄を築く為の人柱となれるのですから、きっと彼女も本望に違いありません」
「……ターゲットの事情になど、興味は無い」
「そうですか。さすがはアポロ13。話が早い」
「可能な限り、仕事は隠密裏にお願いします。当方としては…この暗殺を他の勢力の仕業に偽装して、先の抗争で締結した不可侵条約を逆手に取り、奴らを疑心暗鬼に陥らせ互いに骨肉相食む程度の潰し合いをさせたいので。頼みましたよ、うどん……いえ、アポロ13」
「――では、貴女に欠けた満月の加護が在らんことを」
「――やってみよう……」
………
………………
チャキッ
『その時』が迫る。
トリガーに掛けた指が、緩やかに冷たい引き金をなぞる。
スコープごしに氷精の姿を確認。
当然のことながら、相手は無防備。
これから自分の尻にどんな悲劇が訪れるのかも……彼女はわかっていまい。
アポロ13――
冷酷非情な殺し屋。
スコープを通した視線に慈悲は、無い。
愉悦も禁忌もなく、彼女はただ――依頼を遂行するのみ。
「…………………」
次に、チルノがアポロ13に背を向けた時が……
チルノが守ってきた貞操の――最後だ。
***
チルノが居る。
世界に辛いことや不条理なことなど一つも無いと信じる純真な少女。
氷上の妖精はくるくると舞い踊る。
手に持った素敵なカエルを、どう遊ぼうか期待に胸を高鳴らせなが
ら
ズキュゥゥゥーーーーーーーン…………
………
………………
………
………………
………
………………
さよなら
さよなら
さよなら……
ち
る
の、
ガァァアアァァーーーーー…………ン
ああ、
アポロ13…
貴女は、
なんと慈悲深い……
座薬を撃ちこまれて昇天したチルノが、
天国で寂しくないように…
難度の高い、宙をきりもみしてすっ飛んでいくカエルの”ピー”を見事捉えた――精密射撃。
サヨナラ
サヨナラ
さよなら…
さよなら――――
スチャ。
「…………」
スコープから目を離し、次なるミッションの下準備に入るアポロ13。
軽く目蓋を閉じ、無実の氷精とカエルの冥福を祈る。
無言でM16を手際よく分解、うさぎバッグの中に人目を引かぬように仕舞い込む。
今回はあくまで紅魔館の領域内での銃撃騒動発生が目的。
普段のセオリー通りでは、わざと急所を外し――助けを求める犠牲者を餌として放置し、
救助に駆けつけた者たちを順次仕留めてゆくのが定番だ。
だが、所詮この氷精程度の撒き餌では、紅魔館の大物どもなど到底釣れまい。
早急に撤収し今後の方策を練るべきであろう。
冷静でクール。
それが…
一流スナイパーの絶対条件だ。
シュボッ
「……………」フゥーーー。
《結果報告》
アポロ13 ミッション1 ”座薬は哀のうめき”
――コンプリート――
被害ゼロ
犠牲者2
取得報酬:高級人参3本(60000ペリカ相当)
以上。
ライセンス不所持の方はACID CLUB EASTへどうぞ。
冷たい風が吹いていた。
もうすぐ春にさしかかろうという3月の中旬。いまだ白銀の残り雪が白々と点在する湖のほとり。
吹く風は大分暖かくなってきたとはいえ、調子こいて全裸で半日ぐらい乾布摩擦したら夜の帳を待たずして風邪を引いてしまう程度の寒々しさだ。
だから、
冷気に弱い――ブリザドのダメージが倍化するような輩どもは、春の訪れを生暖かくじめった雪下の黒い大地の毛布にくるまり暢気に寝て過ごしているのが生活の知恵、生命の神秘だ。でも……
待ちきれなくなったのだろうか。
白い絨毯の上をぴよこん、ぴよこんと跳ねる緑色。ケツの先にぶっといチューブが挿入されたおもちゃのように、微笑ましい挙動を行なう下等な両生類が、ひやりと冷たい雪の上を懸命に踏破しようとあがいていた。
かわいいかわいいカエルさん。あなたのおうちはどこですか?
――ゲコ、ゲコ。
お家を聞かれても、自分が何処から来て何処に行くのかも解らない小さな脳みそ。
”我思わず、されど我在り”
結局の所、自分が何なのかなどという、小難しいことをいちいち考えなくとも、生きているものは生きているし、死んでいるものは死んでいるのが当たり前。
たとえ当の本人が深遠なる思考の果てに自己の確たる存在証明を持ちえていたとしても、そんなこと考えたことすら無かったとしても、それを傍から観測する者にとっては対象の自意識の有無など瑣末事でしかない。
その好例になるかどうかは微妙だが、こんな話がある。
生きているのに、死んでいる――箱の中の奇妙な猫。
額面どおりに受け取ると、そんな変態的なイキモノは――理論と思索のなかでしか存在し得ない奇怪な幻想。
量子論の世界ではそういうことも在るのかも知れないが、現実には観測できない現象。
よって、真実がどうあれ、インチキ臭い紅魔館の手品が得意な彼女の胸疑惑のように、証明不可能な事象。
まあ、此処…幻想郷では、そのような不安定な概念状態の空想の産物が目に見える形で存在してもおかしくないのだが。
たとえば、そう。すべての境界があやふやな……今頃ぐうぐう冬眠している怠惰なスキマ妖怪のように。
けれどそれは、あまりにも稀有な絶滅存在なので一部の例外として除外する。
兎にも角にも話を戻そう。
人間だけだ。
生きることや死ぬことに理由を欲するのは。
賢いは、愚か。
愚かは、賢い。
限りある生命を不毛な思索に費やし、挙句の果てに自ら死を呼び込んでしまう高等な知性と
生きることに必死で、否。その自覚も無いままに本能に従い、生命を謳歌する下等な知性と
どちらが――しあわせと言えるのであろうか。
何を持って、しあわせと定義づけることが真理なのであろうか。
価値観というものは所詮他者と比較することでしか得られない自己満足。
では、比較対象に価値観が無いときも、また――その天秤は有効に働くのだろうか? 相手がどうとも思っていないのに「お前は知性が無いから不幸だ」「私は知性があるから幸福だ」と一方的な価値観を押し付けても、相手からしてみれば滑稽なだけではないのだろうか……。
知性は不要か? 否か?
……。
…………。
もっとも、こうして比較して思考している……この行為自体が――既にどうしようもない矛盾なのだが。
答えの出ない無為なパラドクスを尻目に、緑色のカエルは一匹、すこしでも暖かな場所を目指してぴょんぴょん跳ねる。
ぴょーん
ぴょーん
ぴょー……
「あっ! たのしいオモチャみーつけ!!」
グダグダとした思索とは無縁の、愉快な氷精が現れた。
ゲコ…
「ふっふっふ……あんた運がわるかったね。月の無い夜に、このわたしと出会うとは」
ちなみに、今は昼間である。それに、夜になった所で今日の月齢は新月でもなんでもないのだが。
「フフフフフ……うはははは……あーっはっはっはーーー」
ゲコ ゲコ ゲコー
「月を見るたび思い出しな、このチルノさまの……きょうふをー」
わっし
おもむろに健気で哀れな緑色の両生類の顔面を鷲掴み。
ヒヤヒヤした氷精の手に宿る冷気に当てられ、ビクリと痙攣するカエル。
生命の危機を理解しているのかいないのか、ぼこりと飛び出た可愛いおめめをギョロギョロとせわしなく動かしている。
「ええい、おうじょうせいやぁ! おとなしくしてないと、冷凍するまえにおしりぺんぺんしちゃうぞー。
それとも、つららでげーじゅつてきなオブジャにしたほうがいいかなあ」
無邪気さゆえの残酷。
皆さんは幼き頃に、彼ら日々を懸命に生きる無辜の生命に――笑いながら尻爆竹などしたことは御有りか?
コンビニなどで紙パック飲料を購入した際に、要りもしないのにレジでにこやかに渡される細いストローを本来の用途に使用せず、ニコニコと尻に挿し込み、吸引…否、圧搾空気の噴出を行なったことが御有りか?
いにしえの串刺し公ヴラドのように、知性の無いものとして軽んじられる異生命たちを、焼き鳥の串で尻から貫き路傍に晒したことは?
ここまで例を挙げておいてなんだが、私は幼少時そこまで尻に興味は持てなかったので、これらの罪を犯したことは一度足りとて無い。
今現在とて、その認識は変わるものではない。尻はあくまで排泄器官であり、様々な異物を突っ込む場所ではないのだから。
話がまた逸れた。
要するに、此処で言いたいことは――――尻を弄ぶ者は、尻に泣く。
という因果である。
***
女がいた。
氷精の湖を臨む高台。
背の低い灌木がまばらに群生する、天然の遮蔽物に囲まれた――狙撃にはうってつけの好ポイントだ。
腹這いになり、仮設狙撃拠点に身を隠す女。
暗殺を生業とする彼女に、標的に対する同情も共感も無い。
チロリと指先を舐め風にかざす。
目を閉じて五感を指先に集中。
――……
―――………
問題ない。
天候は良好。
無風状態。
湿度、気温ともに快適。
防寒ブレザーの効果は仕様書通りの出来だ。
これならば、寒さで手元が震え照準がブレることもあるまい。
自らのコンディションには寸分の狂いも見受けられない。
外的要因もまるで早く撃ってくれと言わんばかりの都合よさ。
(……他愛なさ過ぎる、な)
地形効果も抜群だった。
こちらからは標的は丸見えだが、
標的からは狙撃手を視認できない。
まさにパーフェクトフリーズ。
――フリーズ。
……今回の仕事に限らず、ワンショット・ワンキルのスタイルを貫く熟練した暗殺者の彼女にとっては……使用する機会が絶無の、無意味な警告言語である。
自分で連想した皮肉な単語に、巌の如く引き締まった唇を僅かに歪めた。
切れ長の鷹目(ホークアイ)が獲物を捉え――冷徹に輝く。
軽薄さとは無縁であるしかめられた太く男らしい眉毛の間には、深いしわが刻まれている。
毎朝食べている人参の数ほど、数え切れない有象無象を誅してきた彼女に技量の不安は皆無。
この――小手調べのようなぬるいミッションを達成するのは、容易なことだ。
両手に握る愛銃――M16アーマライト座薬カスタムを無表情に眺める。
無骨な黒い銃身、軽量化が為され洗練された不吉なフォルム。
銃身を覆うのは彼女の愛する人参を模したハンドガード。
特殊な弾丸を発射する銃身の先端には、月の隕鉄から鋳造されたフラッシュハイダーが。
ピタリと銃身を固定できるストックの形状も、秀逸としか言えない出来。
特注で取り寄せたスコープの精度は、彼方に位置する標的の動向をつぶさに見て取れる程。
唯一の計算外不確定要素があるとすれば――
レッドアイ・スコープのレンズ面の陽光反射が、ターゲットに察知されることであったのだが……
「………」
確信する。
無邪気にカエルと戯れる、童女の如きあどけなさで笑うチルノをスコープ越しに見て、この依頼の成功を確信した。
万が一にも、あの氷精はこのようなささいな異常には気づくまい。
比類なきスナイパー、アポロ13のターゲットとして――奴はあまりに役不足。
(……面白くない依頼だ。すべてあの女の言うとおりにことが進む……)
先日の記憶……黒き野望に燃える、熱き氷のような女――八意 永琳とのやり取りが、彼女――鈴仙・U・イナバ――通称アポロ13の、哀愁を帯びたヨレヨレのうさ耳に甦った。
………
………………
「――ウドン、居るわね?」
信用ならない愛想笑いを浮かべた女が闇のなかで囁く。
「……用件を聞こうか」
女の背後で黒いシルエットが答える。
「我ら月の民が覇権を取る刻が来たのです」
……。
「その為には邪魔な各勢力を叩かなければなりません」
……。
「その数は……大きく分けて3つ」
「まず、第一の勢力。――”永遠に幼き紅い月”館主レミリア・スカーレット率いる――『紅魔館』――」
……。
「先の抗争でも、彼女の組織は我々月の民にとって大きな障害になりました。彼女自身の類稀なるカリスマと戦闘力に加え、絶大な破壊力を姉や魔女に命ぜられるまま、なんの考えもなく振るう紅魔の妹――」
「フランドール・スカーレット」
…………。
「館主のブレーンであり、陰険陰湿な策謀を操らせたら…幻想郷で私以外に右に出るものが居ない、恐るべき策士。知識と日陰の魔女――」
「パチュリー・ノーレッジ」
…………。
「あの策士は私の見るところ、館主レミリアに重用され、それに見合った忠誠を誓っているものの――それは、上辺だけに過ぎないと見受けられます。彼女は状況次第でどの勢力に寝返ってもおかしくない反骨の士であると、私の占星術に出ておりました。ですから――パチュリーの真に求めるものがなにか、さえリサーチ出来れば…こちらの陣営に引き込めることも、可能性としてはかなり高い。その辺りは当方の諜報員 因幡てゐが調査中ですので、射殺する機会があっても彼女には手出し無用ということで」
「殺戮戯曲の紅月姉妹。これだけでも、途轍もない脅威ではあるのですが……彼女たちを影から補佐する、忠誠無比の――どんな汚れ仕事でも嬉々としてこなす狂気の冥土長」
「十六夜 咲夜」
…………。
「彼女は紅魔館唯一の人間でありながら、時間を操作する程度の卑怯臭い能力を持っています。これは、そんじょそこらに居る中堅以上の妖怪を大きく上回るアドバンテージです。それに、彼女のなによりも恐ろしいのは……紅魔の嬢にのみ向けられた、愚犬の如き絶対忠誠。懐柔は不可能と見ていいでしょう。あの能力は敵に回すと厄介。スナイプする際にはくれぐれも初弾で仕留められますよう」
…………。
「ああ、忘れる所でした。紅魔館にはもう一つ忘れてはいけない伏兵が居るのです」
「名前も知らない、いち門番。にも拘らず先の大抗争ではめざましい戦果を上げた、ノーマークであるがゆえに先の読めないダークホース」
「――名を…」
……。
………
………………
………
………………
「………どうやら、隠蔽工作が為されているようですね。月の頭脳たるこの私に真の名を掴ませないその技量……認めないわけにはいかないでしょう。……そうですね――外見の風聞からして、仮に”中国”とでも呼称しておきましょうか。彼女は謎に包まれた存在である為、充分な警戒を」
…………。
「残りの2勢力、その他中立勢力については今回の依頼が達成された後にでも、おいおい説明していきましょう。取り合えず状況説明は以上です。なにか疑問点などは?」
………
………………
………
………………
「無いようでしたら、早速今回のミッション説明を……」
「……報酬は」
「ああ、無論あなたの腕前を考慮して充分な額を提示させて頂きます。このぐらいで……どうでしょうか」
………。
………。
「……安い。最低でも――倍、用意しろ」
「なっ……くっ、どうしても…ですか(おのれ……人の足元を見て、調子に乗りおってからに……うどんげ風情が強欲なッ!……――まあいい。すべてが済んだら奴は用済み。せいぜい今の内はいい夢でも見させてあげるわよ)」
………。
………。
にこりと営業用スマイルで微笑む永琳。だが、目はまったく笑っていない。
人参シガレットを死を招く繊細な指先に挟み、じっ…と雇い主の性根を探るアポロ13。
殺伐とした空気が永遠亭の一室に満ちる。
幾多の騙まし討ちを成功させてきた永琳だが、さすがに稀代の超一流スナーパーの目は厳しい。
輝夜にしか向けられない誠意は、他の有象無象どもを単なる道具としか見ていない。
取り繕った笑顔と、冷徹な無表情が交差。
しばしの沈黙の後、アポロ13の「いいだろう……」という承諾の声で冷戦の幕は閉じた。
「――ご理解頂けて恐縮ですわ。依頼がすべて成功した折には、可能な限り色を付けさせてお支払い致します」
「――報酬の高級人参は、いつもの冷蔵バンクに払い込んで置け。警告しておくが――みょんな考えは起こさぬ方が互いの為だ」
「……ええ、それはもう(ちぃっ……どこまで扱い辛いのか、この女は。座薬の基礎を教えたのは誰だと思っている……!)」
闇取引はそれぞれの思惑を秘め、終わりに近づいていく。
「では、大分回り道になりましたが、今回のミッションを」
「…………」目を閉じて壁にもたれながら先を促すアポロ13。
「……(何様のつもりよ…うどんげの分際で…)手始めに、紅魔館に対する牽制と警告を兼ねて、館の近隣に位置する湖に棲む氷精を血祭りに上げて欲しいのです」
………。
「まあ、いうなれば新たなる抗争の火種となる生贄です。氷精チルノは」
………。
「彼女に罪はありませんが、私たち永遠亭、千年の繁栄を築く為の人柱となれるのですから、きっと彼女も本望に違いありません」
「……ターゲットの事情になど、興味は無い」
「そうですか。さすがはアポロ13。話が早い」
「可能な限り、仕事は隠密裏にお願いします。当方としては…この暗殺を他の勢力の仕業に偽装して、先の抗争で締結した不可侵条約を逆手に取り、奴らを疑心暗鬼に陥らせ互いに骨肉相食む程度の潰し合いをさせたいので。頼みましたよ、うどん……いえ、アポロ13」
「――では、貴女に欠けた満月の加護が在らんことを」
「――やってみよう……」
………
………………
チャキッ
『その時』が迫る。
トリガーに掛けた指が、緩やかに冷たい引き金をなぞる。
スコープごしに氷精の姿を確認。
当然のことながら、相手は無防備。
これから自分の尻にどんな悲劇が訪れるのかも……彼女はわかっていまい。
アポロ13――
冷酷非情な殺し屋。
スコープを通した視線に慈悲は、無い。
愉悦も禁忌もなく、彼女はただ――依頼を遂行するのみ。
「…………………」
次に、チルノがアポロ13に背を向けた時が……
チルノが守ってきた貞操の――最後だ。
***
チルノが居る。
世界に辛いことや不条理なことなど一つも無いと信じる純真な少女。
氷上の妖精はくるくると舞い踊る。
手に持った素敵なカエルを、どう遊ぼうか期待に胸を高鳴らせなが
ら
ズキュゥゥゥーーーーーーーン…………
………
………………
………
………………
………
………………
さよなら
さよなら
さよなら……
ち
る
の、
ガァァアアァァーーーーー…………ン
ああ、
アポロ13…
貴女は、
なんと慈悲深い……
座薬を撃ちこまれて昇天したチルノが、
天国で寂しくないように…
難度の高い、宙をきりもみしてすっ飛んでいくカエルの”ピー”を見事捉えた――精密射撃。
サヨナラ
サヨナラ
さよなら…
さよなら――――
スチャ。
「…………」
スコープから目を離し、次なるミッションの下準備に入るアポロ13。
軽く目蓋を閉じ、無実の氷精とカエルの冥福を祈る。
無言でM16を手際よく分解、うさぎバッグの中に人目を引かぬように仕舞い込む。
今回はあくまで紅魔館の領域内での銃撃騒動発生が目的。
普段のセオリー通りでは、わざと急所を外し――助けを求める犠牲者を餌として放置し、
救助に駆けつけた者たちを順次仕留めてゆくのが定番だ。
だが、所詮この氷精程度の撒き餌では、紅魔館の大物どもなど到底釣れまい。
早急に撤収し今後の方策を練るべきであろう。
冷静でクール。
それが…
一流スナイパーの絶対条件だ。
シュボッ
「……………」フゥーーー。
《結果報告》
アポロ13 ミッション1 ”座薬は哀のうめき”
――コンプリート――
被害ゼロ
犠牲者2
取得報酬:高級人参3本(60000ペリカ相当)
以上。
ゴ○ゴも真っ青な狙撃術しかと見ましたア、ヤメテウタナイd(サヨナラーサヨナラー
でも引用元は明記したほうが良いと思うZE!
彼女の活躍はいつまで続く事やら・・・
幻想郷の「後ろ」を危惧しつつ。さよなら、さよなら、さよなら(涙
しかしあのフラッシュが日の目を見てから幾ばくも無い期間で、これだけの仕事を・・・。デュークしん、あなたはやはり只者ではない。その力に、私は時としてどうしようもない恐怖を感じる。
永琳師匠、ノリがいいですね。
何も言うまい。 貴方は最高だ。
普通に鈴仙萌えな俺も認めよう。 間違いない。