Coolier - 新生・東方創想話

Keine Kamishirasawa & Mokou Huziwara -その“証”を記す、歴史喰い-

2005/03/18 22:27:25
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――雪が、舞い降りていた。


雪はしんしんと降り積もり、針葉樹の緑が鋭い緑に生い茂る冬の森の中で。


大きな木の、ふもとに――私は小さな泣き声を聞いた。


すい、と降り立ったそこにいたのは――年端も行かぬ、小さな少女。


その姿には、見覚えがあった。


いつもは元気な笑顔を浮かべ、外を元気に駆けていた少女が――今日ばかりは、真っ黒な服を着て。


震える手には、一輪の花――


「……どうした?」


涙でくしゃくしゃになった顔で泣き続ける少女に、私はそっと近づく。


「……慧音……おねえ……ちゃ、んっ……」


さくさくと、雪を踏む音。


歩み寄る私に、泣きじゃくる少女は、堪えても堪えても溢れてくる嗚咽をなんとか飲み込んで。


精一杯、搾り出した声で――口を開いた。







「…………おばあ、ちゃんが…………死んじゃっ……たの…………っ……」








舞い降りる雪が。

世界から音を奪った冬の日の事だった――








人妖弾幕幻夜 東方永夜抄 ~ Imperishable Night.

Keine Kamishirasawa & Mokou Huziwara -その“証”を記す、歴史喰い-








幻想の生物達の生きるこの地・幻想郷には、数々の妖怪が存在している。
古今東西、世界各国で語り継がれている数多くの妖怪が、まるで坩堝のようにひしめいていると言っていい。
仮に、幻想郷が何らかの意思を持って妖怪を呼び寄せているならば、『無節操』の三文字以外に似合う言葉はないが――
心なし、私の見た限りでは氷精や冬の妖怪の姿が、特に多く見られた。
そのためか――人間界よりも、幻想郷の冬は少しだけ長い。


私の足元を、するりとくすぐる木枯らし。
長い冬の始まりを告げる使者の存在に、もう秋も終わりかと――高く澄んだ青空を眺めながら、私が集落を歩いていた時。

「あ――慧音お姉ちゃんだ!!」

その呼びかけは甲高く、幼いものだった。
振り返った先にいたのは、寒さに頬を紅く染めた、元気盛りの子供達。
恐らく、放課後――学校から直接、ずっと外で遊んでいるのだろう。
視線をやれば、近くに開けた原っぱの隅に、ランドセルが纏めて置き去りにされていた。
元気な事である。

子供達は、私の元へ駆け寄ってくるやいなや、期待の眼差しで見上げてくる。
その中でも、リーダーだと思われる野球帽の少年が―― 一歩、私の前に出て。

「慧音お姉ちゃん、ピンチヒッター……お願いできない?」
「ん……ピンチヒッター?」

こくんと頷き、少年は視線で原っぱの方を示す――
そこにいたのは、駆け寄ってきた子供達と同じぐらいの年格好の子供達。
独特の陣を張り、中心にいるリーダー格の少年の手に握られた軟球――草野球の途中だろうか。

「ここで逆転が決まるかどうかの大事な一打なんだ!」
「もうずっと負けっぱなしで……慧音お姉ちゃん、お願いっ!」
「おねがいします!!」
「お願いしますっ!」

揃って頭を下げ、口々に紡がれる「お願いします」のコールに――

「……判った。仕方ないな、一回だけだぞ?」

――彼らの快哉ぶりは、まるで誕生日と正月が一度にやってきたかと思うほどのものだった。
そしてそのまま、あれよあれよと手を引っ張られて原っぱへ連れられ、そこにいた一人からバットを手渡される。
相手側の守備陣営に、自然と緊張感が漂い――投手の少年が、ごくりとつばを飲んだ。

私は肩の力を抜いて、本塁へと近づき。
その位置を、軽く先端で叩いて確認し――しっかりと、柄を握り締めた。

三十六本の視線が、私と相手の投手役の子に注がれる中――彼が、動く。

少年の、鋭い投球。
柔らかいボールでありながらも、空気を貫くような勢いをもって突き進んできた一球を――



――ぱこぉぉんっ――!!



子供達の歓声が、どっと沸き起こった。
真芯で捉えた私の一閃に的確に打ち返された軟球は――見る見る、青い空へと吸い込まれていく。
本塁打の境界線を遥か遠くに突き抜ける、会心の一発だった。

「逆点だーっ!!」
「やったぁ、慧音お姉ちゃんすごいすごい!!」
「ばんざぁぁいっ!!」

ゆっくりと、塁を回り――本塁に並んで、溢れんばかりの声援で出迎えてくれた子供達一人一人の手を軽く叩き。
打ち抜かれてがっくりと肩を落とした相手の投手に、歴史を操作し手元に戻した軟球を投げ返してやる。
危なげなくそれを受け取った少年は、ちょっと口元を尖らせて私を見返すと、

「ちぇー……慧音さんが相手じゃ、いくらオレでも勝ち目無いですって」
「まあ、そう腐るな……私の場合、お前達より少しばかり経験があるだけの事だ」
「くぅ……次は絶対! 三振にして見せますからね?」
「ああ、その時を楽しみにしてるよ」

それだけで――少年は、唐突な私の『ピンチヒッター』の件を非難するようなことはしなかった。
勝っても負けても、遊びに深い遺恨を残さない――
この位の年の頃になると、全員が全員そんなに純粋な感情で遊べるというのは珍しいはずなのだが。
幻想郷の子供達は、そういった部分で妙に達観した、あるいは純粋な部分を残して成長していく傾向が強い。
だから私も、安心して彼らと一緒に混ざり、こうやって遊んでやることが出来るわけだ。

私の一打をもって、野球は一試合が終了し――先刻の投手役の少年の招集で、次の遊びを何にするかを協議する。
その最中、彼らを遠巻きに眺める私に、目をきらきらと輝かせながら話かけてくる子は意外に多かった。

これでも、かなりの時をこの体で過ごしてきたが――どれほど年月が過ぎ、子供達の遊び方が変わっても。
基本的に、子供たちに好かれることが多かった。
私自身も子供は大好きだから、この事が少しばかり嬉しかったりする。

「慧音おねえちゃんって……すごい……!」

この時、丁度話していた少年も、目をきらきらとさせて私を見上げている。
ああいった遊びで華麗な活躍をする者は、年齢や境遇に関係なくその日の『英雄』扱いだ。
しかし、その少年が私に向けている感情は、他の子達と少し違って――

「少年――お前の『おばあちゃん』と、どちらが凄いだろうな?」
「うーん、むずかしいかも。うちのおばあちゃんはだって、とってもすごいもん」
「そうか……私も、思わぬライバル出現だな」

少年が、鼻息も荒く興奮して喋る『自慢のおばあちゃん』。
実際、自慢になるだけの魅力を持つ女性だった。
もう90歳を越えているにもかかわらず、言葉遣いも立ち居振る舞いもしっかりとしていて。
色々なことに詳しく、機転も利き、そしてどんな遊びであっても、必ず勝ってしまう。
見聞だけでなく、実際に出会った私も、彼女には人間としての魅力の溢れた強い印象を感じた。


「本当に……お前は、おばあちゃんが好きなんだな」
「うん! とっても大好きだよ!!」


とても嬉しそうに、真っ直ぐに『好き』と言ってみせる。
そんな少年の姿が、可愛らしくて。
結局その日は、日が暮れるまで子供達と遊び――少年の話に付き合った。




それからも度々、子供達とは一緒に遊んだし、少年は嬉しそうに私と「おばあちゃん」の話をした。
少年にとって、そのおばあちゃんは『英雄』だった。
私には、肉親が誰もいない――だから、少年の心情を完全に理解してやれるかどうか自信はなかったが。
私にも親がいるなら、この少年の「おばあちゃん」のような、自慢できる人であればいいな、などと思ったりもした。


しかし、冬が段々とその寒さと厳しさを増して。
朝、目が覚めると、降り積もった雪で腰まで埋まってしまいそうなほどの本格的な冬に突入した頃。

普段は元気一杯な少年が、今日ばかりは何故か膝を抱え、遊びにもまるで参加しようとしなかった。
その様子がふと気になって、私は少年に一体何があったのか、訪ねる。

「……おばあちゃんが……とつぜん、たおれたの」

少年は、顔を上げることもなく。


「もう、ながくないんだ……って……お医者さんが、いってた……」


枯れたような、悲しい声で――寂しくぽつりと、呟いた。








少年の祖母が患った病気自体は、それほど大したことではないものだったらしい。
しかし、元気そうに見えた彼女も――寄る年波には抗えなかった。
医者を呼び、闘病を続けていたが、その病気に跳ね返すだけの体力を奪われていてはどうしようもなく。
命の灯火は、彼女の天命の蝋燭をじりじりと焼き焦がしていき。


とうとう――医者も、さじを投げた。


消沈する少年と別れた翌日、私は彼の家へと足を運んでいた。
手にした籠には、見舞いの果物。
集落にいる人間達の住所は、全て頭の中に叩き込んであった。

あの少年は、集落の他の子供達に混ざって、毎日毎日真っ黒になるまで遊んでいたが――
彼の家自身は、集落の中でも有数の大きさを誇る、純和風の大屋敷だった。
人が横に並んで、十人は余裕で通り抜けられそうなほどに大きな木の門――そして、来客時の案内人を兼ねた門番。
私は彼らに軽く会釈し、見舞いに来た事を説明する。
程無く、門番の一人が私を屋敷の中に案内してくれ――磨きこまれた廊下の上を、彼の先導の元に進んでいった。

医者が、これ以上の延命を断念したときから――
彼女は、屋敷の離れに、最低限の使用人だけを置いて暮らすようになったという。
その使用人さえも、夜半を過ぎた頃には本亭へと返してしまうらしい。
これは、誰が何を言っても頑として聞かなかったそうだ。

こちらです――と、離れへ続く廊下の一本を前にしたところで、案内人はぺこりと一礼し、その場を去っていく。
その様子では、彼もまた、離れへの出入りを禁じられているのだろう。
私の見舞いも、恐らく私が白沢である故の、特別な措置。
背を向けしずしずと去っていく彼に軽く頭を下げ、私は真っ直ぐに廊下を進んでいく。

随分と長い廊下だった。
左右の壁を取り払ったそこからは、雪景色に彩られた屋敷の庭が良く見える。
これが春になれば、さぞ美しく緑が芽吹くのだろうな――などと考えながら、木の軋む僅かな音だけが響いて。




ようやく辿り着いた離れの障子に、私がそっと手をかけた時。
部屋の中に、複数の気配を感じた。

私は、失礼だとは承知しつつも――そっと聞き耳を立てる。

聞こえてきたのは――すすり泣く、まだ幼い子供の声だった。




「おばあちゃん……死んじゃうの……?」


喉の奥で震え、洟を啜る音としゃくりあげる呼吸に、たどたどしく言葉が遮られる。

それは、あの少年のもの。


そんな少年をあやす様に、やんわりとかけられた声。
穏やかで、おおらかで――暖かい、声。


「そうだね……今年の桜は、どうも白玉楼で観ることに……なりそうだねぇ……」

体を蝕む、病に――随分とその声には、張りが失われてしまっていたが。
間違いない――少年の祖母の。

『おばあちゃん』の――ものだ。


「ほら……なんて顔、してるんだい……いい男が、台無しじゃないか……ん……?」
「いやだよ……死んじゃ、やだよ……」


すがりつく少年の背中を、ゆっくりとさすり、あやす声。
やがて言葉が消え――すすり泣く声が、静かな寝息に変わっていく。


少年が、完全に寝入ったのを確認した時――


「……お待ちしてましたよ。どうぞ、上がってくださいな」


障子一枚を隔て、私の存在に気付いていたらしい。
私は軽く息を吸い――深呼吸すると。


「……失礼する――」


そっと、障子を開け――命尽きようとする老女と、相対した――






その日の後。
外で遊ぶ子供達の中に、少年の姿を見出すことが出来ない日が数日続いた。




少年の祖母が亡くなったという話を聞いたのは、それからさらに数日後の事だった。








少年の家が、大きな家であったこと。
そして彼女が、米寿も越える長寿であったことも一因だったのか、告別式の参列者は思ったよりも多かった。
かく言う私も、今日は一参列者として参加するため、普段のドレスも装飾を落とした黒色のものに変えている。
ただ、唯一この銀色の髪が装飾のように輝いてしまうため、格好に合わせて黒いヴェールを軽く被せておいた。

雪が降っていた。
幻想郷中を包み込むように降り注ぐ白の中、喪服の黒が妙に映えて。


雪に、全ての音を呑み込まれた幻想郷は――とても静かなものだった。




受付で記帳を済ませ、亡くなった彼女の親族に会釈する。
そんな中、母親の陰に隠れるようにした少年の姿を見つけたが――
私が声をかける前、少年はふっと奥へ去っていってしまった。
俯いた少年の表情さえ、前髪に隠れて見る事が出来なかった。
彼を追うべきか、それともそっとしておくべきなのか。
どちらにするか、判断を迷った――その時だった。

「……慧音?」


門の外から、私の名を呼ぶ声。
振り返ったその先に立っていたのは、一人の少女。

色素の薄い肌と、日の光に青く輝く髪。
少し力を入れれば折れてしまいそうなほど華奢な体には――大きなシャツと袴を、サスペンダーで重ね。
その上から、分厚い綿入りの半纏とマフラーを着ているせいで、まるで防寒具に体が埋もれているようにさえ見える。
まるでリボンかなにかのお洒落のように髪に結っているのは、複雑な文様の描かれた符札――
それは、椿色をした大きな袴にもあしらわれていた。

特異な格好、印象的な雰囲気。

そして――その瞳の中に宿る、夕焼けのような紅の輝き。

この声と姿を、私が間違えることなどない。




「半年、か……久方ぶりだな、妹紅」




長い長い付き合いとなる『友』の姿に――思わずふっと、笑みが浮かんだ。












「その格好……雪降ってるのに、寒くないの?」
「ああ。……少々、ひやりとする程度だ」
「あー、いいなそれ……羨ましい……私、寒いの苦手なのよ」

これだけ防寒具を羽織りながら、なお寒そうに首筋を縮める少女に――私は思わず、笑ってしまいそうになった。

流石に、人を弔うための式場の中で、旧友との再会に花を咲かせるような真似は出来ない。
そこで、少し場所を移し――門柱の下、久に雪がさえぎられる中。
私は改めて、久しぶりに見る旧友の姿に目を細めた。

「だがまあ、相変わらず元気そうで何よりだよ――妹紅」

藤原妹紅。
私と同じく、幻想郷の『外』で生まれた者。
数奇な運命の元、人でありながらも、人と異なる存在に生まれ変わった者。

決して老いることも死ぬこともない、蓬莱人。

そしてこの幻想郷で、ようやく安住の地を見つけた者の一人でもある。


彼女との付き合いは長い。
ざっと考えるだけで、限りなく四桁に近い三桁の年月が過ぎているのではないだろうか。


「半年ぶり、か……今まで何処に行っていた?」
「ん、深山奥深くで、雪見酒を一杯とかね」
「先刻寒いのは嫌だと自分で言っていなかったか……?」
「ほら、今は冬真っ盛りだから――今まで山の奥で過ごしていた氷精達が、満遍なく幻想郷に溢れてるでしょ?
 案外そうなると、山の深くのほうが暖かかったりするのよ。これが不思議な話だけどね」


妹紅は、一つに住む場所を決めていない。
基本的には、永遠亭から少し離れた竹林や、使われていない山小屋を無断で使用してるのだが、
気が向きさえすれば、幻想郷の各地をあてもなく、自らの足で転々と回っている。
幻想郷で異変がないか目を走らせながらも、
基本的には人間の集落を長期にわたって離れることはない私とは対照的だろう。
そんな彼女の話は何よりの土産話であり、楽しみの一つである。


……しかし――手持ちの懐中時計を、さっと眺める。
時計の針はそろそろ、式の開催を告げていた。

私は立ち上がり、肩にちらちらと舞い降りた雪を軽く手で払いのける。


「このままぶらぶら喋ってる……ってわけにもいかないわよね、その様子だと。……ここのお葬式に出るの?」
「ああ……まあな」
「ん……そっか。それじゃ、終わるまで待ってるわね」
「済まん。終わり次第、迎えに来るから」
「はいはい」

笑って私を見送る妹紅の姿に、軽く頭を下げて。
私は式に参列するために、再び門を潜っていく。

やはり、彼女は――葬儀には出席しないのだな、と思いながら。

妹紅はそもそも、あまり幻想郷の誰とも関わろうとしないが――こと「葬儀」となると、頑として絶対に出席しない。
こうして、冠婚葬祭の最中に妹紅に出会ったことなら、長い付き合いの中で何度もある。
そしてその主役の中には――ごく稀に、私だけではなく妹紅もまた、決して浅くはない付き合い方をしてきた者もいた。
そういった時、彼女は渋々ながらも式に出席したり、祝辞を述べたこともあるのだが――

それがこと、葬儀になった時は。
てこでも動かないと言わんばかりに――全ての参列を、やんわりと拒否し続けた。
いや、今でも彼女が葬儀に出たという話は聞いたことがない。


何か理由があるのだろうか。


妹紅は、本当に知られたくないことは、絶対に自分から口にしない。
――自分で誓ったことは、絶対に破らない。


幻想郷がどのような地で、どのような人々が住んでいるかを理解しても、なお集落で過ごす事をよしとしないように。




それでも、妹紅の事を考えていたのは式場に入るまでのこと。
席に着き、喪主が一礼して挨拶を述べた頃には――私の意識は、葬儀のほうへと集中していた。








式は滞りなく進んでいった。
葬儀というのは、その家その家によって多様にやり方が分かれているが、この家の場合は仏教を機軸にしたものだった。
喪主による挨拶があった後、僧侶を呼び、読経が始まり――やがて、参列者達の焼香が始まる。
生前の彼女と懇意だった者は、すでに前日に涙を流し、悲しみの別れを済ませている。
死者を悼みながらも、式の進行は淡々と進んでいった。

お香の香りが立ちこめる中、やがて出棺の時となる。

亡くなった女性の親族達が、一人一人、棺の中の遺体を花で飾っていく。
これが終われば、あとは棺の蓋を閉め――釘を打ち、火葬のために出棺される。
生前の姿を目に出来る、これが最期の機会となるわけだ。

花を添えながら、生前の彼女との記憶を確かめている遺族達の中に。

あの少年の姿があった。

棺に添える一輪を、その小さな手でぐっと握り締めて。
大好きだった祖母をじっと見つめる、小さな背中。

棺の中で眠る彼女の姿は――清められ、病気で弱っていた頃よりずっと綺麗で。
安らかなその寝顔は、今にも目を開け、少年を優しく抱きしめてしまいそうだというのに。


彼女がその目を開けることは、二度と――無い。



その行動は、唐突だった。

少年が、花を添える番になった時――いきなり彼は顔を上げ、花を握り締めたまま全力で駆け出したのだ。
大人達が慌てて彼を捕まえようとするが、一足遅い。
まるで少年は、一本の黒い矢のように腕の間を掻い潜って、そのまま一気に式場の外へと飛び出していく――

慌てて少年を追いかけようとする母親を。

「――待て!!」

私は鋭く引き止め、代わりに一歩踏み出して自分を指し示す。

「ここは……私に任せてくれないか?」

よくよく考えれば、実の母親を差し置いてこの私が彼を追いかけるなど、おかしい話である。
しかし、少年の母親は一瞬、躊躇うように私の瞳を見て――そこから、私の真剣さを汲み取ってくれたらしい。


「……白沢様……あの子の事、どうかお願いします」
「ああ――任せろ」


ぺこりと頭を下げた母親に、私も頭を軽く下げ――そのままくるりと背を向け、全力で少年を追いかけた。
もう少年の姿は何処にも見当たらない。
しかし、しばらくならその行き先は決まっている。
普段は使わないような速度で、私は廊下を駆け抜け―― 一陣の黒い風となって、一気に正門の前まで辿り着いた。
門柱にもたれかかって空を見上げていた妹紅が、私のこの突然の登場にぎょっとした表情を浮かべる。

「け――慧音!? どうしたの一体!?」
「妹紅――ここを子供が走っていかなかったか!?」

妹紅の疑問ももっともだが、答えている時間が惜しい。
長年の付き合いから、こういった際の私との付き合い方も理解してくれている。
妹紅は自分の疑問を飲み込み、こくりと頷くと、

「それならこっちに走っていったわよ――追いかけるの?」
「ああ!」
「判った――私も付いていくわ」

そう言った時には既に、妹紅も私も人間の限界に近い速さで地面を蹴っている。
こうも雪が降り続ける中では、下手に空を飛ぶよりも陸路を行ったほうが早いからだ。
まだまだ幼いものの、意外に少年の足は早い――遥か先にぽつんと、黒い粒が見える程度まで距離は開いている。
私たちは息をすることさえもどかしい勢いで、その背中を全力で追いかけ続けた――








「……どう、慧音? 手掛かりみたいなものはあった――?」
目の前にあった茂みをがさがさとかき分ける彼女。
私もまた、似たような姿で茂みをかき分けながら首を横に振る。
「いや――駄目だ。……私にもさっぱり判らない」
「……八方手塞がり、ね……とすると……」
がっくりと項垂れた妹紅のため息が、雪の積もる山中に呑まれて消えた。



全力で走った私達と少年とでは、当然ながら私達の方が圧倒的に早い。
後もう少し時間と距離が許したならば、きっとその背中をこの手に捕まえることが出来たのだが――
少年は途中でいきなり進路を変えると、とある山の中へと駆け込み、あっという間に姿を眩ませてしまった。
慌てて私達も少年を追い、山の中へ足を踏み入れたが――時、既に遅し。
それでもここまでは、まだ足跡が残っていたから、追いかけることもさほど苦労しなかったのだが――
かつては山中で過ごし、山の事はそれなりに詳しい私でも。
鬱蒼と茂る木々と、雪の合間に消えた少年の背を捜すのは無理だった。

「ねぇ、慧音……歴史を調べて、なんとかならないの?」
「難しいだろうな……。
 あの少年の取った行動が周囲の空間に『歴史』として堆積するには、時間の経過があまりに無さすぎる」
「それはどれぐらい時間がたてば、歴史として読み取れるようになるわけ?」
「誤差はあれど……大体、一晩といったところだな」

本当に手塞がりね――と、肩を落とす妹紅。
それだけ待っていれば、ろくな防寒具もつけずに冬の空の下に駆け込んだ少年は確実に凍死してしまう。
こういった唐突のアクシデントに応用が利かないのが、歴史を操る私の能力の数少ない欠点の一つだ。
白沢としての能力を扱えない以上、かくなる上は人としての能力のみで少年を捜索しなければいけないのだが――

「…………ん?」

何か手掛かりが無いかと、周囲を見渡していた時。
私の記憶の中で、この光景にふっとひっかかるものを感じた。


最初は、ただの錯覚かと思った。
記憶の中のその光景と――私の今見ている光景は、明らかに異なっている。
例え同じ場所であったとしても、山がそう簡単に姿を変えるものでは無いとしても。
長い時間の堆積は、移ろいづらい山の光景ですら――がらりと変えてしまう。

だから、私の記憶の中のその光景と、今の光景は全く一致する点が無かったが。
それでも、私の体は勝手に、その記憶を辿るように近くの茂みを掻き分ける。
そして、そこに隠れるようにしてあったものが――私の記憶の場所とここを、ぴたりと符合させる――


――これは。
あの少年の居場所の、最も重要な『手掛かり』――


「……慧音」
しかし、そんな私を先制するようにして口を開いたのは、妹紅の方だった。
今も、少年の行き先の手掛かりが無いかどうか、辺りを見渡しながら――こちら見ずに、口を開く。

「こんな時に聞くことじゃないと思うんだけど……慧音って結構、人間の集落での葬儀に出席してたわよね」
「ん……ああ、まあな」

随分と唐突な話題である。
一体どうしたのだろうかと――私が顔を上げた時。

「『死』を知らない者が――『死』を悼んでいいと思う?」

どう考えても、軽く受け止めてはいけないような事を。
ことさら、どうでもいいことのような淡々とした口調で――妹紅は続ける。

「……私は、誰かと喜びを共有することは出来る。悲しみを分かち合うことは……出来る。
 だって私も、それを知ってるもの――その想いを、誰かと共有できるから」

空から舞い降りる雪は、妹紅の青い髪に舞い散り、まるで吸い込まれるように消えていく。
純白の世界にただ一人、紅に身を包んだ少女は――ふわりと、微笑んで。

「でも、私は『死』を知らない――『死』の恐怖を、誰とも共有してあげられない」

彼女の背から、音も無く生まれる炎の翼――不死の証である、燃え盛る一対の翼。
彼女の周りに生まれた熱は、その姿が純白に包まれる事を拒絶しているかのようで。
そっと翳した掌から――炎が生まれる。
掌の上で踊る炎は、白銀の世界を紅に染め――彼女の白い肌に陰影を描く。

「あの子が、私の前を通り過ぎていった時……凄い、悲しい顔をしてた。
 この薄ぼんやりした白の世界で、鮮やかなぐらいくっきりとした悲しい気持ちを顔に浮かべてたわ。
 でも、私はその悲しい気持ちを――そこまで強く、抱くことができるのかしら……って」

燃す物も無く、音さえ無く。
ただ、紅く揺らめく炎を――じっと見つめる妹紅。

「『死』を悲しむ気持ちは……人として、大事な感情だと思う」
「………………」
「でも私は、不死の力と引き換えに――その大事な感情を、理解できなくなってしまった」

炎は――彼女自身の瞳のように、ゆらゆらと揺らめいていた。

「そんな私が、誰かの『死』を悲しんだり――その人のために、祈ることは。
 ……『冒涜』と――呼べないかしら?」


互いの息遣いさえ、降り注ぐ雪の中に消される中。
世界から、雪は音を奪っていた。


向かい合うのは、ただ私達の瞳のみ。

白一色の世界の中で――私は。
私を真正面から見つめる紅に向き直り、口を開いた。

「お前が死を悼むのは自分の満足のためか? それとも、死んだ相手を偲ぶ気持ちからか?」

私の、露骨なほどに直接的な言葉に――妹紅が思わず、言葉に詰まる。
私は軽く笑って――

「はっきり断言できないだろう? それは――私だって、同じだ」

自分の今の、この黒い姿をじっと眺める。

「こうやって黒い服に身を包み、故人を偲んでも。
 ……本当にそれが、故人のためになるのか。
 葬儀とは、その人物が、もういないという事を受け止めるためのけじめなのか。
 ……それとも、故人を偲んでいるという自分の姿に、軽い自己満足を感じているのか。
 それを、はっきりと断言できるような者は――そうはいない」

この、葛藤は。
きっと、私達にしか判らない。

幻想郷の『外』を知る、私達にしか。

飢饉。
疫病。
戦乱――

人の命が軽くなる瞬間が、外にはある。
『死』というものを解釈するために、あまりにも沢山の手段がありすぎる。


そんな『外』から来た私達は――あまりにも、心にしがらみを持ちすぎているから。



……それでも。
私達が今いる場所が『幻想郷』であるのなら――


「なら、そういう時は下手に理屈で考えず――自分のやりたいようにやれば、いいのではないか?」

私の、いたって気楽なその答えに。
しばらくの間、妹紅はぽかんと呆気に取られていたが――

「……随分と、気楽な答えね……慧音にしては」
「郷に入れば、郷に従え……これが幻想郷流というものさ」

それこそ、幻想郷の住民たちのように――私は笑って、妹紅を見返す。

「それに、妹紅はそこまで真剣に『死』と向き合い、悩み……本当に、相手の事を想いやっているだろう?
 そんなお前の姿を見て――お前に弔われることを嫌に感じる恩知らずなど、どの冥界にだっていないさ」


――その、私の言葉に。


「……ありがとう。慧音」

すっ――と、空を見上げて。

「そうよね――私は『生きて』いるの……よね?」

ちらりと、首を向け――微笑する妹紅に。
私は大きく頷き、近くにあった茂みを押し開く。

「さあ、そろそろあの子を迎えにいこうか」

その茂みの奥、僅かに踏み均された獣道のような――長い長い、一本の道。


「……その道は――」
「ああ。少年は間違いなく――この先にいる」











道無き道に見えた、山の中――細いながらも続く、一本の獣道。
それは、一朝一夕に出来るものではない。
何度も何度も足を運び、踏み固められたことで生まれた道。
例えどれほど、周囲の環境が変わろうと――歩き続けたその歴史は、決して失われない。


私はこの道を、他の誰よりも知っていた。


妹紅が少しでも後に続きやすいように、枝葉を掻き分け、木々の間を潜り抜ける。
途中、突き出した枝葉が肌を裂き、服を傷つけていったが――それには眼を瞑って。
細く険しい道を、先へ先へと進んで。

やがて唐突に、その視界が開けた。

森の中に、まるで小さな広場のようにぽっかりと開けていた場所。
中心に腰を下ろす、一本の巨木の他に木々は無く――
しっかりと張られた枝葉に雪を支えられ、根元には乾いた地面が広がっていた。


噂に聞く妖怪桜・西行妖ほどの巨木ではないが――それでも、目を見張るほどに逞しいその木の根元に。



――少年が、いた。




「やはり……ここにいたんだな」
「慧音……お姉ちゃん……」

私の言葉に振り返った少年の顔は、厳しく強張っている。
不安定に泳ぐその瞳は、言葉以上に少年の心の揺らぎを表していた。

ここで下手に刺激をすれば――また、少年は逃げ出していってしまうに違いない。

自らの内で混沌とする、幾多の感情。
それを制することが出来るほど、少年はまだ年を重ねてはいないのだから。


だから私は、努めて穏やかな表情を顔に浮かべて。

ゆっくりと彼に近づいていった。


「なあ……少年。お前のおばあちゃんは……最期、辛そうな顔をしていたか?」


触れてしまうだけで、脆く崩れてそうな少年の心。
その心のもつれを、慌てずに一つ一つ。
優しく解きほぐすように――少年の頬に、そっと指を添える。

「まるで、眠るような穏やかな表情で……最期を、迎えた。そうじゃなかったか?」

私の言葉に。
力なく、項垂れるようだったが。

少年は、小さく頷く。


「誰でも、いつか……人は死ぬ。でも、その過程は……人それぞれで、違うんだ。
 事故に巻き込まれて、苦しい思いをして亡くなる人もいる。
 まだ死にたくないのに……それでも、どうしてもその死を受け入れなくちゃいけない人だっている。
 でも、そんな中で――お前の、おばあちゃんは。
 苦しいことも、痛いことも感じずに……安心して逝くことが出来た。
 それは……判るな?」

やるせない感情の波に、花を握った手が、白く震えていた。
唇を、血がにじむほどに噛み締め、俯いた瞳から涙が零れないよう、瞼を閉じながらも。


それでも――少年は、こくりと頷いた。


……そう。
彼は、祖母の死が受け入れられなかったわけではない。
祖母の死を、理解できなかったわけではない。


誰もが、いつかは死ぬこと。
決してそれは、避けることができないことを。

全部、理解しているからこそ――こんなにも心は悲しく、痛みを訴える。




行き場のない感情のうねりに、自分自身を抑えられなくなる――




「じゃあ……おばあちゃんは……ぼくのことなんかどうでもよかったの……?」


それが、人間の弱さであり。

最も――愛しいところ。


「おいてかれるぼくのことなんか、どうでもいいから……あんしんして、消えちゃったの……?」


――全てを理解していても、どうしようもない痛みだから。
口を突いて出る言葉が、大好きだったおばあちゃんを傷つけるような言葉であっても。

この痛みを感じる、自分自身の切ない思いを――無視できるものなど、いないのだから。

だから私は、ゆっくりと首を横に振る。


「……そうじゃ、ない。お前のおばあちゃんは、消えたわけでも……いなくなったわけでもない。
 お前の中に、お前の大好きなおばあちゃんは……きちんと、生き続けているんだ」

震える少年の頬に、私はそっと手を添える

「お前のおばあちゃんと、おじいちゃんが……お前のお母さんを産んだ。
 お前のお母さんが……やがて成長して、お前のお父さんと知り合って。
 お母さんが、一生をかけて愛すると誓った人とこの世に産んだのが……お前なんだ」

絹のように、つやつやとした頬を――愛しく、撫でて。

「お前のこの体には、沢山の愛が詰まってる。
 おばあちゃんとおじいちゃんが、お母さんに注いでくれた沢山の愛。
 そのお母さんと、お父さんが沢山沢山、注いでくれた愛が詰まってる。
 そしてお前の心には、おばあちゃんとの大事な記憶が……。
 おばあちゃんが大好きだった想いが、沢山……あるのだろう?」
「…………うん…………うん……」

素直に、私の言葉を聞き、頷く。
頬を摺り寄せるように、私の手をそっと握り返す少年の手は――寒さにすっかり、冷えていた

「だから、お前が生きている限り――お前の中で生きるおばあちゃんは、ずっと消えたりしないんだ」

雪の日に冷えた手を、そっと包み込むようにして暖めて。
――少年が、一番欲しい温もりを――与えてやれるように。

「お前の中には、心も体も……たくさんの人の想いと、歴史が詰まってる。
 ……だから、お前がここに生きていることが、おばあちゃんには、凄く幸せなことなんだ……」
「………………うん…………っ……」

もう、少年の瞳には――零れてしまいそうなほどの涙が溢れていて。
嗚咽を必死で堪えたその体は、溢れ出す感情に小刻みに震えていた。

「……もう、我慢しなくても、いい」

この寒い日の中、喪服だけで外に飛び出した少年の体は――驚くほど、冷えてしまっていた。
私は、自分の肩にかけていたショールを少年の体にかけて、そっとその体を抱きしめる。

「……それが、判っていても……気にするなといわれても。やっぱり、お前の心は悲しいのだろう?
 なら、無理して笑顔にならなくてもいい――今はもっと、素直でいていい。
 泣いて泣いて、泣き叫んで――心の中を、全部洗って……」


少年の両親が。
おばあちゃんが。
――私が彼を思う、この心の暖かさが。


少しでも、震える少年の心を、暖めてくれるように。


「……そうしたら、きっとその時は――笑顔に、戻ってくれるな?」


そして、それが――少年の、限界だった。

必死に堪えていた、心の堰が。
音を立てて決壊する。
大きな声で泣いて、叫んで――私の服を、ただひたすら握りしめて。

ぼろぼろと零れ落ちる、涙。

私はドレスが汚れることも厭わず、少年の体を抱き締めて――背中をそっとさすってやった。

「……おばあちゃん、みたいに…………ぼく、も……いつか……死んじゃう、の…………?」
「……ああ」
「……いや、だよ…………こわい、よ……」

少年は、首を横に振る。
私の服を握る手が、まっしろになるほど握り締められていた。

「……もし……もしも、……ぼくに……だれも……いなかった、ら……。
 おと、さんも……おかあさん、も死んじゃっ、て……だれともっ、いっしょになれな、かった……ら……。
 ぼくのなかにある、おばあちゃん、は……おとうさんや、おかあ、さん、は…………。
 ぼく……の……いた、あかしは…………どうなっ、ちゃう……の……?」

初めて知った『死』に。
万人に等しく訪れ――避けられぬ終末の恐怖に震える、少年の小さな体を。

「……心配しなくて、いい――」

私は力の限り抱き締める。

涙でぐしゃぐしゃになった、少年の顔を――そっと撫でて。


「その時は……私が、お前のいた証になってやる」

今、確かにこの腕の中で――『生きている』少年。

「私は、まだまだ死なない。お前が亡くなるまで、ずっとずっと……私は、この姿のままだ。
 だから、一人が寂しくなったら……その時は、私を呼べ。私はずっと……傍にいるから」

いつしか、少年が泣き疲れて――眠ってしまうまで。


「……お前達、人間の傍に――私はずっと、いてやるから…………」




私はずっと――少年の体と心を、抱き続けていた――








泣き疲れて、すっかり眠ってしまった子供を背負い、妹紅と共に山を降りた時。
空はすっかり晴れ、雪は止んでしまっていた。
麓で待っていた母親に、子供を預け――私と妹紅は、そのままの足で帰路につく。


燃えるような夕日を、雪が弾いて――辺り一面、紅の夜空のようにきらきらと輝いていた。


「……すっかり、汚れちゃったわね……その服」
「……ん、そうだな」

自分の格好を見下ろし、心の底から私は頷く。
ただでさえ、山の奥にドレス姿で踏み入ったのである。
頭に被せていたヴェールは、走っているうちに落としてしまった。
裾はすっかりぼろぼろに裂けていたし、一切遠慮なく大泣きに泣いた少年の涙と洟で胸元はどろどろだ。
ハンカチで一応、拭き取っていたものの――
一時間以上に渡って泣き続けたその跡は、拭った程度では誤魔化せない。

……しかし――

「これくらいなら、洗って繕えば済むことだろう? 大した問題じゃないさ」

私の言葉に、妹紅は何故か苦笑を浮かべた。



「……にしても、凄かったわね……あれ」
「……何のことだ?」
「あの子を説得した時のあれよ。……よくあんなのがすらすら出てくるわね、貴女って」
「……凄い……のか?」
「慧音……貴女本当、自覚無いの……?」

別にすらすらと出てきたわけではない。
少年がどんな想いで、あの場所に駆けたのか。
一体、何が悲しく――何が辛いのか。
心に感じ取った事を、そのまま口にしただけなんだが……。

「あれよりよっぽど上手く言葉を纏められる者はごまんといると思うぞ?」
「何言ってるのよ。ああいう感じだから、心に響くんじゃない」

……そういうものなのだろうか。
白沢としての知識の中にも、そういったものは一切含まれていない。

「それに。……忘れたとは言わせないわよ?
 あの子がいなくなった場所のあんな道、どうやって見つけたのよ?」

……まあ、確かにあれは、私でなければ出来なかったわけだが。
それも恐らく、彼女が考えているものとは違う――

「あれば別に、特別なことでも何でもないぞ? 単にあの場所を私が知っていただけだ」
「……そうなの?」
「ああ。親は子に、子は孫に似るというやつさ……彼女と初めてあった場所が、あそこだったからな」

――私のその言葉を聞いた時。
妹紅がぴたりと、その足を止めた。

驚愕に軽く目を見開き、私を見つめ返す――

「……彼……女……?」
「……む……お前には、言ってなかったか――?」




――見舞いに向かった、あの日の会話を。
私は、そっと目を細めて思い返す――





―――……随分、落ち着いているのだな―――

―――ふふ……私ももう、米寿を迎えました。それに……あの子がいますからね。心細さはありませんよ―――

―――そう、か……―――

―――……ただ、一つだけ……心残りなのは―――

―――判っている。……お前が亡くなった後も、私はあの子を……お前のいた“証”を護り続けてやる―――

―――……ありがとうございます―――




―――…………本当に…………ありがとう―――




―――慧音――お姉ちゃん―――




「亡くなった彼女とは――彼女がまだ、あの少年と同じぐらいの年の頃、何かと面倒を見ていたものだからな」


――妹紅はただ立ち尽くして、何も言い出せないようだった。
ただ、気まずそうに言葉を捜し――それでも言葉が見つからず、悲しげな表情で私を見つめる。


妹紅が何を思っているのか。
何を言いたいのか、判らないわけではない。

その誕生を喜び、慈しみ――後を追うように、眼を輝かせていた子供達が。
私よりも――ずっと早く老い、私を置いて亡くなっていく。
その事が痛くないと言えば、嘘になる。



だが。



「……そう、不安そうな表情をするな――私は、大丈夫だ」


――この胸に、痛みが残るとしても。

離別の悲しみが――これからも、続いていくとしても――




「――それだけ、私は人間が好きだということさ」




それでも私は、人間を護りたい。

離別と同じ数だけ存在する、出会いに。

思い出を共に抱く、あの暖かさを――嬉しく、思うから。



「……そう、ね」

私の言葉に、やがて妹紅は――微笑を浮かべて。


「慧音は、そういう生き方が―― 一番、活き活きしてるものね」

何処か、呆れ果てたような――ふっと、苦笑するような。
それでいて、暖かな微笑みが。


夕日の紅に、暖かく照らされていた。


「……ねえ、慧音」
「ん?」
「あの子にショール、かけたままだったじゃない? 首元、寒そうよね――」

口早に言うなり――妹紅は自分のマフラーを解き、私の首へとかける。
たっぷりとした長さを持っていたマフラーは、私の首にゆったりとかけて、まだ余裕があった。
その余分を、妹紅はそのまま自分の首へと手早く巻きつけてしまう。

「ふふ――これで、お揃いでしょ?」

悪戯っぽく笑って――私の腕に絡むように、ぎゅっと抱きついてきた。

「ど、どうした妹紅――いきなり?」
「んー……まあ、いいじゃない。そういうときもあるのよ♪」

悪戯好きな少女のような表情で、ぺろりと舌の先を出す妹紅。
唐突な行動に、戸惑いながらも。



……こんな、彼女の優しさに――私は心の中で、静かに感謝していた。



幻想郷の人間達の間で、阻害や迫害を受けたことは無い。
むしろ、彼らの心の温かさは――私自身でも自覚していなかった『外』での心の傷を癒してくれた。
彼らと共にいて、苦痛を覚えたことは一度だって無い――


それでも。

時折、どうしようもなく――孤独な感傷に、揺れることがある。


特に、今日のような日には。




「慧音……今日は久々に、呑まない?
 半年ぶりに会ったっていうのもあるし……今日はとことん、付き合うわよ?」
「そうだな……」


……彼女には叶わないなと、思う。

夕日に照らされた表情は、悪戯げな様子よりも――暖かくて。
その瞳にある光は――その夕日よりも、優しく私を見つめている。


そんな妹紅の、優しさのおかげで。


「……たまには、いいかもな」
「うわ珍しい。慧音が私の誘いに乗ってくれるなんて」
「……まあ、いいだろう? そういう時も――あるんだよ」




……私も、こうして――『笑顔』を浮かべることが出来る。




雪は闇、一面銀と紅に染まった世界を――同じマフラーに包まれ、私達は歩いていく。

しばらく会えなかった間、互いにあった色々な事を話しながら。




共に、常に傍らに居続けているわけではない。


常に、その存在を確認しあえる間柄じゃない。


それでも。


心に寂寥を感じそうな時は、傍でこうやって、温もりをくれる。




掛け替えの無い――私の『友』と。




今日はゆっくり、歴史を紡ごうと思う。




――此処の名は幻想郷。
妖怪と人間――少女達の飛び交う、幻想と弾幕の世界。




繰り返される、邂逅と離別の螺旋に――私達は今日も生きている。






朱(Aka)です。
これは最萌での準々決勝時に書き上げたものです。
そして、この準々決勝をもって慧音が敗退してしまったため、
これをもって最後の作品となってしまいました。



半分は人でありながら、もう半分の妖としての姿が、人より遥かに長い寿命を与える歴史喰いの半獣。
蓬莱の薬に手を出し、永遠に老いることも死ぬことも無くなった蓬莱の人形。

そして、普通に年を取り、老い――死ぬ、人間。

限りなく近く、そして遠い『死』という存在。
彼女らにとって、『死』とは一体何なのか――?


そんな事を考えながら書き上げた一本です。


慧音たちの歩む、果てしなき道に連なった、輝かんばかりの出会いの記憶のように。
最萌を通じて、オレの作品を知って下さった読者の方々との出会いもまた、
きらきらと輝く大切な思い出の一つであり――


ここにある作品が、私がいたことの“証”になると信じて。



――其処の名は幻想郷。
妖怪と人間――少女達の飛び交う、幻想と弾幕の世界。


果てしなく遠く、限りなく近いその地に想いを馳せながら――
幻想の心を抱き、限りある旅路を歩んでいこうと思います。


ここまで、私の紡いだ話にお付き合いいただき、誠に有難うございました。

※ 2009/02/26追記
久々に覗かせて頂いたところ、創想話の仕様が変更されたようですね。
項目:分類 部分を付け加えさせて頂きました。
そして拙作に評価・得点・感想を下さった全ての皆様へ、ありがとうございました。
朱(Aka)
[email protected]
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コメント



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7.100しん削除
ぶらぼー。
全く、とことん素敵で格好いい慧音と妹紅ですわ。

>準々決勝をもって慧音が敗退してしまったため
ということは、慧音が勝利していたら、まだ続けられる予定だったので?
できるなら、もっとこの慧音と妹紅の話を読んでみたいですね。続編希望。
8.90名前が無い程度の能力削除
いつもながら読んでいて慧音に対する愛を溢れんばかりに感じます。気が付いたら微笑しているような、そんな物語。楽しませて頂きました。

しかし野球する慧音ってのは、なんか新鮮だなぁ(笑)
11.80名前が無い程度の能力削除
この話を読んでいると、妹紅から見れば慧音もまたいつかは去ってしまう訳で
ちょっと可哀相な気もします…
人と妖怪、そして永遠を生きる蓬莱人の話はいつ読んでみても興味深いものです。

ああ、自分もけーね先生に人生について教えていただきたいw
23.100名前が無い程度の能力削除
その人間が生きた証を護り続けるという事は、
人間の寿命にあわせた時間感覚をもってして、その人間の生き様と向き合い理解しているということではなかろうか。
だから、
人間に比べてえらく長い時間を生きる彼女は余計に人間との差異を感じ、孤独となるのではないか。
人間の時間感覚を彼女が持っていなくとも、
結局は歴史を護る者として、積み重ねを確実にするための絶対時間・絶対定規なるものを持っているだろうから、人間との差異は容易に理解する事ができる。
絶対時間による比較は、無機質だ。
歴史は偏向することが極力無いことが望ましい、故に絶対時間によって積まれた歴史はどこまでも均一である。濃淡は無い。
ところがだ。
彼女は、もちろん絶対時間による歴史の積み重ね及び守護をするが、
一方で彼女自身の寿命からくる相対時間をも持つ。
そして人間の寿命からくる相対時間をも持つ。
絶対時間を護り、濃淡に富む有機質な人間の相対時間を護る。
無機の中で有機をつなぐ。
相対時間がどんなものであれ、絶対時間は静かに、頑なに積まれてゆく。
彼女はそれを理解している、というより理解そのものが彼女なのだろう。
そうでなければ、人間の歴史を護る事など、到底できるものではない。

「死」って、その人の中では重要で大きいものですけど、歴史の中だと幾度と無く繰り返されてきただけに、案外、ちっぽけなものなのかな?と、思ったりしました。
彼女は大変ですよ。その人の証を護るために人生で最も濃い部分であろう「死」、絶対時間の中には「組み込め」ない濃淡を絶対時間に「乗せ」てゆくのですから。
24.無評価名前が無い程度の能力削除
何がなんだかわかりませんね(^^;;
すいません。。。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
61.80HR削除
ひびきました。
65.100名前が無い程度の能力削除
少年の死ぬのが怖いと言う言葉に曾祖母が死に始めて死を身近に感じた少年時代を思い出しました。
それから10年程しか経っていませんが、慕っていた人が死に恩師が死に、一番死から遠いと思っていた師であり友人でもあった人も死に、心が磨り減り病んでいた自分にも、慧音のような人が居てくれたら…と感じました。
73.100名前が無い程度の能力削除
涙腺がゆるくなっちゃいました
74.100自転車で流鏑馬削除
あなたは私のベスト オブ けいもこです。
私のじいちゃんが死んだ時を思い出して泣きながら読みました。
親戚の人に同じような事を言われました。
今まで読んだSSで一番感動しました。有難うございました。
82.100読む程度の能力削除
自分の中で、この作品が一番好きな東方小説です

言いたいことが沢山ありますが言語力が足りないのでうまく言い表せません

ただこんな作品と出逢わせてくれた朱さんに感謝です

これからも朱さんの作品に期待してます!!!!