血塗れた大地は空に乞う。犬は狼、鳥は人。空は答えた。牙が腕を裂き、人は墜ちる。そのときを待つべし。
紅魔館に連結されたヴワル魔法図書館。大人の身長の五倍はあろうかという棚に生地の傷んだ背表紙が窮屈そうに収まっている。紙の乾きが埃を寄せ、神経質な者であれば一秒もじっとはしていられない。十六夜咲夜にとっても、ここは決して居心地の良い場所ではなかった。彼女は頬に手をあてた。
不安定な時空。不安定な知識。不安定な病。ここは気が狂《ふ》れるには充分な場所だろう。
「パチュリー様はどうなのですか」
真っ先にパチュリーを確保した咲夜が彼女に問う。パチュリーは膝に抱えた本を読みつつ、咲夜に答える。
「あの子たちを止められたら、教えてあげるわ」
「かしこまりました」
図書館をこの空間に繋ぎとめている術式が施された中枢部は、現在、造反者達によって占拠されている。その内訳は、図書を管理する司書そのものを管理することを目的として設けられた司書管理部であり、加えて、その動きに呼応した少数の一般メイドによって構成されている。
実の所、厄介なのはその呼応した少数であって、判別が難しい上に図書館外に散在していることがその理由だ。先ほどに咲夜を襲ったのもその内の一人だろう。図書館の治安を取り戻すことに手間取れば、その間に咲夜の能力行使以外の方法で外側から図書館を空間的に隔絶されることもありうる(そのぐらいの準備はされていると考えるべきだ)。とはいえ、そうなったとしてもレミリアが負けることなどありえない。では何が問題なのかといえば、結局の所、咲夜自身が嘗められることが問題なのだった。
咲夜にとって、主人であるレミリア以外に主導権を奪われることほど我慢のならないことなど無い。咲夜がどう思っているにせよ、レミリアが咲夜を見限ればそれまでだ。
『咲夜はよくやってくれたわ。でも潮時ね』
そんな台詞が咲夜の頭を過ぎるなど、毎日のことである。完全な自分は完全であってこそ完全でいられるのである。禅問答のような葛藤は彼女を練磨していく。絶対完全主義。完璧のように玉に瑕《きず》がつくことなどありえない。
咲夜は親衛隊に突撃を命じると、傍でちょこまかと火事場泥棒を働く魔理沙の首根っこを摘みあげた。
「にゃーん」
「魔理沙、九十点あげるわ」
「高っ!」
やる気の無い魔理沙の即興にパチュリーが厭に真剣な表情で猫度判定を下す。咲夜の不服を意に介さず、パチュリーは再び挿絵の多い本の世界に戻った。
「魔理沙、このどうあっても手伝ってくれなさそうなパチュリー様に代わって、手伝いなさい」
「嫌だね。ここがどうなっても、本があることには変わりが無いんだ」
「私がクビになったら寝込みを襲ってやるわ」
「仕事の鬱憤を他で晴らすのはみっともないぜ。これだから最近の社会人は性質《たち》が悪い」
「あなたもじきにわかるわよ」
「私はニートな人生さ」
「あなた、意味わかってる?」
「さあ?」
魔法使いほど世の中の役に立たない人種もそうはいないだろうから、その意味では当たっている。これほど活動的なそれもそうはいないのだろうが。咲夜は魔理沙を地面に下ろした。
「社会の役に立たなくても良いから、友人の役にぐらい立ちなさい」
「お前は友人じゃないが?」
「私がいなくなったら、あなたが妹様の相手をすることになるのよ。他に適任者がいないんだから」
「それはそれで楽しそうだが、恋人が最高の伴侶とは限らないからな」
「あなた、意味わかってる?」
「さあ?」
最初からやる気があったのか無かったのか。魔理沙は颯爽と箒を跨ぐと、宙に浮いたのだった。
「援護は咲夜に任せたぜ」
「最初からそのつもりよ」
最後の確認が終わると、いよいよ魔理沙は遥か彼方にある中枢部へと突進して行った。脇に挟んだ本はそのままに。咲夜は大きく溜息を吐くと、パチュリーを一瞥してから、魔理沙の後を追ったのだった。
「ああ、そういうことね。ようやくわかったわ。やっぱり土壇場が閃きにはちょうど良いわね」
誰もいなくなった図書館の片隅でパチュリーは独り言を終えると、珍しく積極的に図書館を出た。彼女が読んでいたのは、タペストリーの目録だった。そこにはタペストリーの原画と、それの文句が連なっている。何日か前から、彼女はそれしか読んでいなかった。
そもそもの造反の理由は何だったか。ここでは名など何の意味も持たぬが、バエルと呼ばれたことのある悪魔は考えていた。自分は幻想郷に流れ着き、力を失った魔の一人に過ぎない。神魔の差、実に紙一重。そんな自分が紙に埋もれて過ごしているのは、何かの皮肉なのかもしれなかった。
「部長、第四波の邀撃が終わりました」
「こちらの損害は?」
「八十七名が負傷、十六名が残機ゼロ、五名が投降。以上です」
「これで六十六軍の内の七割が壊滅か……」
やはり幻想郷では中途半端な神魔よりも実体としての化け物……吸血鬼や能力者の力が上か。それは最初にレミリアに会ったときにわかっていたことだ。だからこそ、自分は彼女に頭を下げ、こうして客人であるパチュリーのために働くという名目でここに住まわせてもらっている。ここを離れれば自分は消えて無くなるだけだ。それだけは我慢がならなかった。
そんなプライド、捨ててしまえば良かったのに。ここで何かに拘ることは、それこそ死を意味する。全てを気だるい日常に任せることこそが、ここでの幸せだったというのに。
理由は何でも良かったのかもしれない。客人であるパチュリーが直々に召喚し、契約した悪魔ども。奴らが増長しているようだとわかったとき、それに反抗した。それだけのことだ。だが、どうしても納得のいかないことがある。
何故にパチュリーは止めなかったのか。彼女ならば子飼いの悪魔に注意を促すこともできたろう。直に管理部に対して口を利くこともできた。それだというのに、一部の悪魔が不服に思うような、本を与えるようなことまでしてみせた。
「お疲れですか? 声が掠れておりますが」
「これが地声だ」
思考を止めると、予定していた措置を採るよう命令する。そうしてから彼女は、億劫そうに椅子に腰掛けた。彼女の足下では、直径七十二メートルのダビデの星が、怪しげな光を放っていた。それ自体に意味は無く、彼女の存在証明に過ぎない。もしかしたら自分はとっくに気が狂れていたのかもしれない。彼女の口元から笑みがこぼれた。
「咲夜、雑魚は頼むぜ!」
「仕方無いわねぇ、その代わり一発で決めなさいよ。空間定着ぐらい、いくらだってやり直せるんだから」
「了解了解、っと」
魔理沙はファイナルスパークのスペルカードを取り出すと、狙点を見定めた。それと並行して、スペルの発動を行っていく。その間、一秒半ではあったが、その隙を逃すまいと敵の悪魔が殺到する。彼女らの進路を阻むように咲夜はナイフによる弾幕を張る。動きが止まった悪魔を、親衛隊――何かを外す程度の能力や潰す程度の能力を持った者たちが次々と仕留めていく。親衛隊側の損害は未だゼロである。
「おっしゃ、いくぜ! 魔砲――」
と、魔理沙の目が一瞬、狙点の中心を捉えた。それは五キロメートル先であるから驚異的な視力と集中力である。そこには悠然と構えた悪魔がこちらをねめつけている。
何を思ったか魔理沙は咄嗟に角度を一度程ずらすと、いよいよ魔砲を放った。タイミング良く正面から撤退した咲夜と親衛隊に置いてきぼりを食らった悪魔の群れという群れが、光に目を眩ませた直後、撃墜されていく。幸い、事前に命令が通っていたため、彼女らは残機を保っていた。というより、そういった者だけが戦闘行為を許されていた。それでも何名かは忠誠心や野望のために殉死を遂げている。
光の帯はその外縁部に拡散と解れを生じさせながらも、真っ直ぐに目標へと向かっていく。そう、魔理沙の定めた場所へ。それを目にしたバエルが声を荒げた。
「直撃ではない!?」
彼女はこのまま死ぬつもりだった。部下には全て奸計の為す業であったと伝えるように命令していた。彼女に思い残すことなど無くなっていた。事実、部下の云った通り、彼女は疲れ切っていたのだった。
彼女の二メートル程横をファイナルスパークの先端が本棚を薙ぎ倒しながら通過して行く。その棚の中に本は既に無い。本は全て、戦闘が想定された範囲から運び出した後であった。
そして百メートルほど後方で地面に着弾すると、魔砲はエネルギーの洪水を起こし、辺りを飲み込んでいった。
「馬鹿な、これでは、これでは――死ねぬ!」
魔力の津波に押し流されながら、それでも彼女は耐えていた。耐えていられた。本来であれば、咲夜によって直接に息の根を止められるはずだった。例えパチュリーにせよ魔理沙にせよ、その魔法が直撃すれば死ねるはずだった。自殺を許されぬ悪魔にとって、他殺だけが永劫の安らぎを得られる手段だった。それこそ、事が動き出してから彼女が考えていた、幸福の形だった。
信仰を忘れられ、主に歯向かい、ようやく殺される準備が整ったというのに……!
彼女の神経が一時的に断絶する。次に目覚めたとき、彼女は魔理沙の膝の上に頭を乗せていた。
「どういうつもりだ……?」
「あんた、バールだよな。バビロニアの」
「その名で呼ばれるのは、真に久しい。久し過ぎて面映いくらいだ。バエルで構わんよ」
魔法使いと云えど、どうしてこのような少女が自分の姿形を知っているのか。かろうじて書物で伝播していたのだろうか。それともかつて自分を使役した者の末裔か。魔理沙は口元を綻ばせた。
「なあに、ダビデの星だろ、それに確認できた軍団が六十六。それに造反だなんていう厭らしい手口。だったら答えは一つだぜ。お前さん良い奴だな、ソロモンの頃の部下をここで働かせてたなんて。女性だとは知らなかったが」
「豊穣を司っていたのはそれよりも遠い昔だが、そういった神は女性である場合が多い。私もそうだったいうだけの話だ」
実際、容姿や性別に感慨を覚えたことなど一度も無い。ただ、手足や身体の肉は既に豊穣の象徴とは思えないほどやつれてしまった。それだけが悔しかった。部下などはそれぐらいでちょうど良いと云ってくれたが、何が良いのか、彼女にはわからなかった。いっそ、蛙や猫にでもなってしまいたかった。
「まさかこんな大物がいるとは思わなかったぜ」
「普段は奥に引っ込んでいるのでな。パチュリー様以外と顔を合わせるのは、何年かぶりだ」
「その何年か前には誰と会ったんだ?」
「メイド長とだよ」
「なるほどね」
バエルには魔理沙が楽しそうにしていることが不思議に思えた。それはかつての神に会えたからか。それとも魔法使いとして知識を証明することができたからなのか。どれも違うように思える。魔理沙は辺りを見回す。咲夜には手ごたえがあったと嘘を教え、彼女は胡散臭そうに魔理沙の言葉を聞きながらも、状況が切迫していたため、図書館の外へと向かった。ここには魔理沙とバエル以外、誰もいない。魔理沙はバエルの目を見つめた。
「お前さんの能力、人を透明にする程度のものだったよな?」
魔理沙の傍らで、本が束になっていた。
紅魔館に連結されたヴワル魔法図書館。大人の身長の五倍はあろうかという棚に生地の傷んだ背表紙が窮屈そうに収まっている。紙の乾きが埃を寄せ、神経質な者であれば一秒もじっとはしていられない。十六夜咲夜にとっても、ここは決して居心地の良い場所ではなかった。彼女は頬に手をあてた。
不安定な時空。不安定な知識。不安定な病。ここは気が狂《ふ》れるには充分な場所だろう。
「パチュリー様はどうなのですか」
真っ先にパチュリーを確保した咲夜が彼女に問う。パチュリーは膝に抱えた本を読みつつ、咲夜に答える。
「あの子たちを止められたら、教えてあげるわ」
「かしこまりました」
図書館をこの空間に繋ぎとめている術式が施された中枢部は、現在、造反者達によって占拠されている。その内訳は、図書を管理する司書そのものを管理することを目的として設けられた司書管理部であり、加えて、その動きに呼応した少数の一般メイドによって構成されている。
実の所、厄介なのはその呼応した少数であって、判別が難しい上に図書館外に散在していることがその理由だ。先ほどに咲夜を襲ったのもその内の一人だろう。図書館の治安を取り戻すことに手間取れば、その間に咲夜の能力行使以外の方法で外側から図書館を空間的に隔絶されることもありうる(そのぐらいの準備はされていると考えるべきだ)。とはいえ、そうなったとしてもレミリアが負けることなどありえない。では何が問題なのかといえば、結局の所、咲夜自身が嘗められることが問題なのだった。
咲夜にとって、主人であるレミリア以外に主導権を奪われることほど我慢のならないことなど無い。咲夜がどう思っているにせよ、レミリアが咲夜を見限ればそれまでだ。
『咲夜はよくやってくれたわ。でも潮時ね』
そんな台詞が咲夜の頭を過ぎるなど、毎日のことである。完全な自分は完全であってこそ完全でいられるのである。禅問答のような葛藤は彼女を練磨していく。絶対完全主義。完璧のように玉に瑕《きず》がつくことなどありえない。
咲夜は親衛隊に突撃を命じると、傍でちょこまかと火事場泥棒を働く魔理沙の首根っこを摘みあげた。
「にゃーん」
「魔理沙、九十点あげるわ」
「高っ!」
やる気の無い魔理沙の即興にパチュリーが厭に真剣な表情で猫度判定を下す。咲夜の不服を意に介さず、パチュリーは再び挿絵の多い本の世界に戻った。
「魔理沙、このどうあっても手伝ってくれなさそうなパチュリー様に代わって、手伝いなさい」
「嫌だね。ここがどうなっても、本があることには変わりが無いんだ」
「私がクビになったら寝込みを襲ってやるわ」
「仕事の鬱憤を他で晴らすのはみっともないぜ。これだから最近の社会人は性質《たち》が悪い」
「あなたもじきにわかるわよ」
「私はニートな人生さ」
「あなた、意味わかってる?」
「さあ?」
魔法使いほど世の中の役に立たない人種もそうはいないだろうから、その意味では当たっている。これほど活動的なそれもそうはいないのだろうが。咲夜は魔理沙を地面に下ろした。
「社会の役に立たなくても良いから、友人の役にぐらい立ちなさい」
「お前は友人じゃないが?」
「私がいなくなったら、あなたが妹様の相手をすることになるのよ。他に適任者がいないんだから」
「それはそれで楽しそうだが、恋人が最高の伴侶とは限らないからな」
「あなた、意味わかってる?」
「さあ?」
最初からやる気があったのか無かったのか。魔理沙は颯爽と箒を跨ぐと、宙に浮いたのだった。
「援護は咲夜に任せたぜ」
「最初からそのつもりよ」
最後の確認が終わると、いよいよ魔理沙は遥か彼方にある中枢部へと突進して行った。脇に挟んだ本はそのままに。咲夜は大きく溜息を吐くと、パチュリーを一瞥してから、魔理沙の後を追ったのだった。
「ああ、そういうことね。ようやくわかったわ。やっぱり土壇場が閃きにはちょうど良いわね」
誰もいなくなった図書館の片隅でパチュリーは独り言を終えると、珍しく積極的に図書館を出た。彼女が読んでいたのは、タペストリーの目録だった。そこにはタペストリーの原画と、それの文句が連なっている。何日か前から、彼女はそれしか読んでいなかった。
そもそもの造反の理由は何だったか。ここでは名など何の意味も持たぬが、バエルと呼ばれたことのある悪魔は考えていた。自分は幻想郷に流れ着き、力を失った魔の一人に過ぎない。神魔の差、実に紙一重。そんな自分が紙に埋もれて過ごしているのは、何かの皮肉なのかもしれなかった。
「部長、第四波の邀撃が終わりました」
「こちらの損害は?」
「八十七名が負傷、十六名が残機ゼロ、五名が投降。以上です」
「これで六十六軍の内の七割が壊滅か……」
やはり幻想郷では中途半端な神魔よりも実体としての化け物……吸血鬼や能力者の力が上か。それは最初にレミリアに会ったときにわかっていたことだ。だからこそ、自分は彼女に頭を下げ、こうして客人であるパチュリーのために働くという名目でここに住まわせてもらっている。ここを離れれば自分は消えて無くなるだけだ。それだけは我慢がならなかった。
そんなプライド、捨ててしまえば良かったのに。ここで何かに拘ることは、それこそ死を意味する。全てを気だるい日常に任せることこそが、ここでの幸せだったというのに。
理由は何でも良かったのかもしれない。客人であるパチュリーが直々に召喚し、契約した悪魔ども。奴らが増長しているようだとわかったとき、それに反抗した。それだけのことだ。だが、どうしても納得のいかないことがある。
何故にパチュリーは止めなかったのか。彼女ならば子飼いの悪魔に注意を促すこともできたろう。直に管理部に対して口を利くこともできた。それだというのに、一部の悪魔が不服に思うような、本を与えるようなことまでしてみせた。
「お疲れですか? 声が掠れておりますが」
「これが地声だ」
思考を止めると、予定していた措置を採るよう命令する。そうしてから彼女は、億劫そうに椅子に腰掛けた。彼女の足下では、直径七十二メートルのダビデの星が、怪しげな光を放っていた。それ自体に意味は無く、彼女の存在証明に過ぎない。もしかしたら自分はとっくに気が狂れていたのかもしれない。彼女の口元から笑みがこぼれた。
「咲夜、雑魚は頼むぜ!」
「仕方無いわねぇ、その代わり一発で決めなさいよ。空間定着ぐらい、いくらだってやり直せるんだから」
「了解了解、っと」
魔理沙はファイナルスパークのスペルカードを取り出すと、狙点を見定めた。それと並行して、スペルの発動を行っていく。その間、一秒半ではあったが、その隙を逃すまいと敵の悪魔が殺到する。彼女らの進路を阻むように咲夜はナイフによる弾幕を張る。動きが止まった悪魔を、親衛隊――何かを外す程度の能力や潰す程度の能力を持った者たちが次々と仕留めていく。親衛隊側の損害は未だゼロである。
「おっしゃ、いくぜ! 魔砲――」
と、魔理沙の目が一瞬、狙点の中心を捉えた。それは五キロメートル先であるから驚異的な視力と集中力である。そこには悠然と構えた悪魔がこちらをねめつけている。
何を思ったか魔理沙は咄嗟に角度を一度程ずらすと、いよいよ魔砲を放った。タイミング良く正面から撤退した咲夜と親衛隊に置いてきぼりを食らった悪魔の群れという群れが、光に目を眩ませた直後、撃墜されていく。幸い、事前に命令が通っていたため、彼女らは残機を保っていた。というより、そういった者だけが戦闘行為を許されていた。それでも何名かは忠誠心や野望のために殉死を遂げている。
光の帯はその外縁部に拡散と解れを生じさせながらも、真っ直ぐに目標へと向かっていく。そう、魔理沙の定めた場所へ。それを目にしたバエルが声を荒げた。
「直撃ではない!?」
彼女はこのまま死ぬつもりだった。部下には全て奸計の為す業であったと伝えるように命令していた。彼女に思い残すことなど無くなっていた。事実、部下の云った通り、彼女は疲れ切っていたのだった。
彼女の二メートル程横をファイナルスパークの先端が本棚を薙ぎ倒しながら通過して行く。その棚の中に本は既に無い。本は全て、戦闘が想定された範囲から運び出した後であった。
そして百メートルほど後方で地面に着弾すると、魔砲はエネルギーの洪水を起こし、辺りを飲み込んでいった。
「馬鹿な、これでは、これでは――死ねぬ!」
魔力の津波に押し流されながら、それでも彼女は耐えていた。耐えていられた。本来であれば、咲夜によって直接に息の根を止められるはずだった。例えパチュリーにせよ魔理沙にせよ、その魔法が直撃すれば死ねるはずだった。自殺を許されぬ悪魔にとって、他殺だけが永劫の安らぎを得られる手段だった。それこそ、事が動き出してから彼女が考えていた、幸福の形だった。
信仰を忘れられ、主に歯向かい、ようやく殺される準備が整ったというのに……!
彼女の神経が一時的に断絶する。次に目覚めたとき、彼女は魔理沙の膝の上に頭を乗せていた。
「どういうつもりだ……?」
「あんた、バールだよな。バビロニアの」
「その名で呼ばれるのは、真に久しい。久し過ぎて面映いくらいだ。バエルで構わんよ」
魔法使いと云えど、どうしてこのような少女が自分の姿形を知っているのか。かろうじて書物で伝播していたのだろうか。それともかつて自分を使役した者の末裔か。魔理沙は口元を綻ばせた。
「なあに、ダビデの星だろ、それに確認できた軍団が六十六。それに造反だなんていう厭らしい手口。だったら答えは一つだぜ。お前さん良い奴だな、ソロモンの頃の部下をここで働かせてたなんて。女性だとは知らなかったが」
「豊穣を司っていたのはそれよりも遠い昔だが、そういった神は女性である場合が多い。私もそうだったいうだけの話だ」
実際、容姿や性別に感慨を覚えたことなど一度も無い。ただ、手足や身体の肉は既に豊穣の象徴とは思えないほどやつれてしまった。それだけが悔しかった。部下などはそれぐらいでちょうど良いと云ってくれたが、何が良いのか、彼女にはわからなかった。いっそ、蛙や猫にでもなってしまいたかった。
「まさかこんな大物がいるとは思わなかったぜ」
「普段は奥に引っ込んでいるのでな。パチュリー様以外と顔を合わせるのは、何年かぶりだ」
「その何年か前には誰と会ったんだ?」
「メイド長とだよ」
「なるほどね」
バエルには魔理沙が楽しそうにしていることが不思議に思えた。それはかつての神に会えたからか。それとも魔法使いとして知識を証明することができたからなのか。どれも違うように思える。魔理沙は辺りを見回す。咲夜には手ごたえがあったと嘘を教え、彼女は胡散臭そうに魔理沙の言葉を聞きながらも、状況が切迫していたため、図書館の外へと向かった。ここには魔理沙とバエル以外、誰もいない。魔理沙はバエルの目を見つめた。
「お前さんの能力、人を透明にする程度のものだったよな?」
魔理沙の傍らで、本が束になっていた。