私の名前は 十六夜咲夜
お嬢様から戴いた名である
本来の私が誰なのかは知らない 知る必要もない
知ったところで 私が十六夜咲夜であることは変わらない
お嬢様がいて 私が十六夜咲夜であり お傍に置いて貰える
私が 完全で瀟洒なメイド長であり続けることが真実なのだから
私が 十六夜咲夜であり続けることが かけがえの無い今なのだから
「おはよう、咲夜。」
「おはようございます、お嬢様。」
日はとうに没し 月明かりのみが幻想卿を妖しく照らす時刻
お目覚めになったお嬢様の最初の挨拶は 本来朝の日の出を祝福する言葉だ
だがお嬢様には今こそが朝であり 一日の始まりなのだ
吸血鬼であるお嬢様は 夜行性であり 陽が沈むまでは館奥深く自室でお休みになられていることがほとんどだ
時々 日中の宴会に参加する時や 客人を招く時などは 日の高い内から起きていることもあるが
お嬢様にとっては それこそ「夜更かし」であり 不健康かつ不摂生なのだ
故にここでは誰もその挨拶に 怪訝な顔をするものなどいない
もちろん 私も含めてのことだ
驕りかもしれないが 私はお嬢様の最高の理解者を自負している
お嬢様には 気軽に愛称で呼び合うご友人がいる
動かない大図書館の主であり 精霊魔法使いのパチュリー様だ
そのパチュリー様と比べても なお劣るとは思わない
なぜだろう 時々思うのだ 私はパチュリー様よりもずっと ずっとずっと
長い間 お嬢様と連れ添ってきたような
そんな幻想が時々心をよぎる
パチュリー様は魔法使い お嬢様は吸血鬼 そして私は 人間
普通に考えればありえないのにだ
なんの根拠も無いのに むしろ 否定できない要素すら皆無なのに
この想いは まるで確信の如く強く私の中にあり続ける
「あ、咲夜さん、こんばんわ。」
「こんばんわ、美鈴。」
紅魔館の門番 紅美鈴だ
彼女は性分なのか つとめて親しみをこめてか
私のことを他のメイドのように「メイド長」と呼ばず 名前で呼ぶ
お嬢様から戴いたこの名前 呼ばれてうれしくないはずがない
だから私も彼女を渾名では呼ばず 彼女を彼女だけの名前で呼んでやる
というのも 美鈴はどうにも 変な というか 安易な渾名をつけられてしまっている
はたから見て不憫ではあるが それはそれで親しまれている証拠だろう 本人は必死そうだが
美しい鈴 名は体を表すというが 彼女は実際美しい
整った顔立ちに 引き締まりつつも女性らしい膨らみを十二分に誇るその体は
女性の私から見てもとても魅力的だ
言葉とは言霊だ おそらく名前とは一生の中で その本人に向けて最も多く用いられる言霊だろう
故に彼女は美しいのか しかし哀しいかな 彼女を本名で呼ぶ者は少ない
もし誰もが彼女を名前で呼べば 彼女は更に美しくなっていくのだろうか
とりあえず挨拶のついでに名前で呼んでやると ぱっと笑顔の花が咲いた 見惚れるほどに美しく
・・・ おそるべし言霊 これほどの効果 それも即効性までも併せ持つとは
ふと 自分の名前について考えてみる
私の名前は 言霊として 私にどのような影響を与えているのだろうか
十六夜咲夜
十六夜とは満月の次の 少しだけ欠けた月だ
完全を求められ完全であることを謳う私には あまり良い影響を与えないのかもしれない
と早合点しかかったが ふと別の解釈が浮かんだ
十六夜は満月の次 十六夜は満月の隣だ
お嬢様を満月とするならば 私はその次であり その隣なのだ
そして咲夜とは 夜の時間 お嬢様の時間に咲くこととすると
十六夜咲夜とは即ち お嬢様の時間をお嬢様の隣で共有することを許された者ということだろうか
お嬢様はそこまでのお考えで この名前を私に賜ったのだろうか
そう思うとうれしさがこみ上げてくる ああお嬢様・・・
今私は自室のベッドに横になっている 時間は勤務時間中だ
この場合理由は二つ考えられる さぼっているか 勤務したくてもできないかだ
答えは後者だ 私は先日胆試しに出かけた際 深刻な大怪我を負ってしまった
最近は博麗達との馴れ合いが多く すっかり「ごっこ」が体に染み付いてしまったいたのか
久しぶりの「殺し合い」の場で 必要なだけの覚悟の量を見誤った結果だ
私の枕もとにはお嬢様がいる
ご友人も妹様も美鈴も 私とお嬢様以外の者を全員追い出して ただ一人私の傍で ずっと泣いてくれている
「ぐずっ・・ 咲夜ぁ どうして、どうして・・」
お嬢様を悲しませているのに どうしようもできない 自分の不甲斐なさに 情けなくて 涙が出てくる
弱気になってしまう それもしかたないのかもしれない もう私は長くないのだ
あるいは妖怪であったなら 助かったかもしれない 悪魔であったならかすり傷だろう
だが私は人間だ 弱く虚ろな人間だ お嬢様の何分の一も生きられない・・・
そうだ お嬢様だ 自分の行末などどうでもよい 残してゆくお嬢様だけが心配で気がかりだ
お嬢様には内外にご友人がいる 紅魔館は私がいなくても機能する
では何が心配なのか 「お嬢様は私がいなくても大丈夫なのか?」
口の端に自嘲の笑みが浮かぶ どれだけの思い上がりだろうかと
そうだ 私は驕っていた それはさぞ滑稽だったろう
そうだ お嬢様は 強いお方だ 私などいなくとも何の問題もない
そうだ お嬢様の心に残ってはいけない お嬢様には明日が来る 例えそれが月の無い十六夜だとしても
そうだ もう 思い残すことは なにもないんだ
「咲夜・・・咲夜・・・! 咲夜っ! 咲夜ぁーー!!」
「うっううっ 咲夜、 咲夜・・・咲夜・・・さくや・・ ふふ・・・さくや・・・」
「やり直しね、咲夜。もう一度、あなたの運命をあの日からやり直すわね、咲夜。」
「咲夜、今度は、なにがいい?」
「また完全で瀟洒なメイド長?それともその少し前のどこか抜けてる門番補佐かしら?」
「平穏の中に老いてゆくあなたとまた一緒に日がな一日ゆったりお茶を飲むのも悪くないわね・・・」
「ふふ、ずっと前の私を殺そうとしたあなたも素敵だったわね・・・」
「思い出せないぐらい前の、血を絞られるだけの家畜として飼われるあなたも、よかった・・・」
「狂おしいほどの愛も、憎しみも、哀しみも、あなたのものはすべて私のもの・・・」
「因果律の法則に従って今は未来の一つになり過去が今になるの。」
「でも私は大丈夫。私の能力は因果律に干渉することはできないけれど、私自身は因果律に逆らうことができる・・・」
「私だけはあなたの全てを忘れない。永遠とも言えるほど繰り返したあなたとの営みを忘れない。」
「さあ行きましょう、あなたと私が出会ったあの日へ・・・新しいあなたと私を、始めましょう。十六夜咲夜・・・」
私の名前は 十六夜咲夜
お嬢様から戴いた名である
本来の私が誰なのかは知らない 知る必要もない
知ったところで 私が十六夜咲夜であることは変わらない
お嬢様がいて 私が十六夜咲夜であり なぜかこんな私をお傍に置いて貰える
私が 健気でいっぱいいっぱいな門番補佐であり続けることが真実なのだから
私が 十六夜咲夜であり続けることが かけがえの無い今なのだから
「おはよう、咲夜。」
「おはようございます、お嬢様。」
何にも言わないのもはばかられるから一言
こういう2人の関係が一番好きです。
0から始まる咲夜の命と0から始めるレミリアの命は共に白磁の盤面を滑り、
12に来たらまたやり直し、時の流れは永久不変。
まあ少々困ったことに、この気まぐれな一本の針はそれまで一緒であった時計を捨てて
他の時計の針に成り代わってしまうことが趣味であるようですけれど。
これが悲劇か喜劇かなんて詮無きことでしょうね、そんなことを決めるのは当人達の問題でしょうから。
近頃あなたの作品と似たテーマのSSを書かせていただいた者として、
この作品での二人の関係は非常に勉強になるものがありました。
その感謝の意味も込めてこの点数を。ありがとうございます。