Coolier - 新生・東方創想話

白楼剣 後編

2005/03/15 02:17:56
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 そうして、三十昼夜の月日は飛ぶが如く流れた。

 黄昏の中、妖夢が対峙するのは顔面の中心に隻眼を持つ巨人である。少女の五倍はあろ
うかという巨躯と大木の幹じみた四肢、盛り上がった筋肉がその剛力を示している。
 しかし――どうしたわけか巨人は凍りついたように動かない。
 まるでその命が……すでに事切れてしまっているかのように。

 巨人の総身に、翠色の光線が引かれて行く。
 脳天から股下まで、右肩から左脇腹へ、左肩から右脇腹へ、そして腹を両断する一線――
 停止した時間が突如動き出すが如く、巨躯から鮮血が迸る。
 解体されていく怪物の返り血を浴びて、紅く染まった白髪は女に妖しい色気を加えていた。
 残心を解き、血振りの後に納刀。一連の動作を終えると怜悧な美貌は硝子のように割れ
て、あどけない少女の趣を取り戻した。

「やれやれ、これではまた洗濯が大変だ」
 手ぬぐいで身体を拭い、振り返ると。
 半身を喪った杉に凭れ、拍手を打つ白楼の姿があった。
 脇に立て掛けられている長刀。見紛うはずもない、あれは――
「楼観剣……! では」
「然り。修復完了、だ」
 その言葉は修行の終了、そして……白楼との決戦が明日に迫ったことを意味していた。
 お互い、万感の想いでしばし見詰め合う。

「……貴様の刀だ、持ってゆけ」
 白楼は鞘を握り、差し出す。妖夢は頷いて受け取り、代わりに白楼の短刀を差し出した。
 この短刀も、今では身体の一部のように手に馴染んでいる。返してしまうと、腕が一本
減ってしまったような寂寥を感じた。
 妖魔の刀匠は得意げに薄笑みを浮かべ、顎をしゃくって大岩を示した。
 それだけで解釈し、妖夢は楼観剣を抜刀する。

「――――――」
 言葉も……ない。手に吸い付くような一体感。
 刀の柄から切っ先まで、残らず腕の延長になってしまったようだった。
 神経が繋がっている……そんな錯覚すら覚えてしまう。

 一間先の大岩に向かい、妖気を込めた剣を軽く振ってみる。たちまち生じたカマイタチ
は硬堅たる大岩を易々と両断し――その先の大木すらをも切断した。
 妖夢は溜息を吐くしかない。ここまで強化されていては、最早別物である。

「当然であろう。今までの楼観剣、あれは妖忌の剣なのだ。おまえに使いこなせる道理が
ない。だが――
 その楼観剣は正真正銘、魂魄妖夢のために造られた、魂魄妖夢にしか使いこなせん至高
の妖刀。……俺の腕を舐めるなよ? 最早その剣に、斬れぬ物などありはせん」
 絶対の自信を漲らせて、白楼は宣言した。
「妖怪が鍛えた楼観剣に、斬れない物などこの世にない……か。確かに。これならば――」
「俺にも勝てる、か?」
 氷の視線を放った白楼に、妖夢は不敵な視線を返し、
「はい、必ずや」
 明瞭に見得を切った。
 
「――――いい答えだ。すべては明日……愉しみにしているぞ、妖夢」
        
        *

 夜も更けて……二人は寝所に布団を並べて、背中合わせに床に就いている。
 冴えた目を瞑っても、今夜はどうせ眠れはしまい。
 妖夢は意を決して、背後で横臥する敵へと声をかけた。
「白楼……起きていますか?」
「ふん――眠れんか」
 低く澄んだ声は妖夢の胸に快く響く。この一月で慣れ親しんだ、もう一人の師。
「はい、何か話をしても?」
 深い吐息の音。……呆れられてしまっただろうか。明日は命を賭して雌雄を決する相手
だというのに、この期に及んで話すことなど……そう自分でも分かっているのだが。

 勝つにしろ、負けるにしろ。明日が今生の別れとなる。
 その前に。
 最後に。
 白楼とは何か話をしておかなければならないような――そんな気がする。

「よかろう。では、何を話そうか……」
 その声色はとても優しくて、眠れぬ娘に物語を語って聞かせる父のようでもあった。

「白楼、貴方はどうして妖怪に?」
 ずっと気になっていたことを聞いてみた。
 妖怪には生まれながらの妖と、他の生き物から転じて妖怪となった者の二種類がある。
 彼は恐らく、人の変化だろう。
 長く生きれば妖怪に転じる獣と違い、人から妖怪になった者にはそれだけの理由がある。
 それは古傷を抉る問い。そう知ってはいても、全てが終わる前に聞いておきたかった。
 敗北は考えない。明日、魂魄妖夢は白楼を斬り捨てる。
 なら……彼の背負っていたものを少しでも、魂に刻み付けておかなければ。
 そうしなければ、きっと後悔する。

 白楼はゆっくりと口を開いた。
「――気付いていたか。然り、俺は生粋の妖魔ではない。幻想郷で育った貴様の眼はごま
かせんな。俺はもっと強くなりたかった。それ故に、死すべきときに死ねなかったのだ。
 ……二百年ほど前のことだ。俺は麓の集落に住んでおってな、まあ今と同じような暮ら
しをしていた。
 剣を打ち、剣の腕を磨き、猛者が居ると聞けば西へ東へ駆け回ったものよ。
 ある日、集落が山賊に襲われた。俺は剣を執り戦ったが、所詮は人の剣。百を超える数
の山賊どもには手も足も出ず――妻も子も、仲間も、皆死んだ。
 白楼という男は余程無念だったのだろうな。皆を殺されたことではなく、むしろ己の弱
さが許せなんだ。生涯を通じて鍛え上げてきた剣が、かような下郎どもにすら通用せん。
 それはそれは、死人が蘇るほどに口惜しかったのだろうよ」

「どうしてそんな――」
 他人事のように語るのですかと、男の背に向き直って妖夢は問う。
 白楼は寝返りを打つように向き直り、答えた。
「……他人事だからよ。その時に死した白楼という人間と、今ここにおる白楼という妖怪
はすでに別のモノだ。人であった時の記憶など、擦れて零れて、もう自分の物とはとても
思えん。ただ、あの時そういうことがあったと思い出せるだけよ。まあ……それでも」

 胸に残るものが、ないわけでもないのだがな――

 妖夢を見詰める白楼の顔は、どうしてか泣いているようにも見えた。

「俺がもっと――百の賊を斬り伏せるほどに強かったならば、誰も殺させはしなかったも
のを。闇の中でそればかり繰り返していた。
 強くなりたい、強くなりたい、強くなりたいと、な。
 そうして、気付いて見れば。山賊どもの屍の山で立ち尽くす、妖怪が一人そこにいた……
 ただそれだけの……つまらぬ話。少しは眠くなったろうが」

 いいえ、と妖夢は首を振り。
「ずっと、覚えておきます。きっと……生涯忘れない」
 胸を押さえて、言った。

 大袈裟な奴よと苦笑して、今度は白楼が妖夢に問うた。
「では妖夢。貴様は何のために強さを求める? 俺は強くなりたいという慚愧無念が凝っ
て生まれた妖怪。手段と目的がすでに同化している。だが、貴様はそうではあるまい。
 魂魄妖夢は何故に――強くなりたいのだ」

 ――そんなことは決まっている。

「その力で、守りたい人がいます。この身はその御方の剣であり、盾であり、手足である
と。今はもう遠い日に、そう誓いました」

「然様か。よい主に恵まれたのだな」
 妖夢は首肯し、拳を握り締めて、
「ええ、だから私は――貴方に負けるわけにはいかない」
 あの御方の下へ、帰らなければならないのだからと言葉を締めた。

 宵はさらに更けて行く。
 唯々強さのみを求める剣士。
 守る者のために、強さを求める剣士。
 二人の運命はくるくると廻りながら、黎明へと収束してゆく。
     
        *

 すでに日は高く、燦々と輝く陽光が流水の水面を眩く照らしている。
 悠久に変わらぬ瀑布の音色は凛々と耳朶に響き、雑音を消し去ってくれる。

 滝壺を臨む岬にて、両名は一月前と同じように対峙した。
 全身の力を程よく抜いて、自然体で構える妖夢。腰元の楼観剣は後方に長く刃を伸ばし
ている。攻撃に特化した姿勢を見せた妖夢に対し、白楼はしかし構えない。
 短刀を納めたまま、ゆるりと悠然に立ち尽くしている。こちらの攻撃に合わせ、如何様
にも対応可能な『構えぬことがすでに構えとなっている』体勢。
 柳生新影流奥義『無形の位』に酷似したその特性を、二人は知らず弁えていた。
     
 互いの眼に迷いはなく、凄烈な視線が三間を隔て火花を散らす。
 岩盤を揺るがす程に膨張した大気。濃密な殺意が世界を決戦場へと塗り替える。
 けれど二人の顔には共に、嬉しげな笑みが浮かんでいた。
    
「この日を待ちかねたぞ……妖夢」
「はい……私もです。白楼」
     
 死を賭した決闘を前に、声は愛を囁くように甘い。
 剣に生きる二人にとって、斬り合いは逢瀬に等しいもの。
 これから始まる死闘は正に、蜜月に違いなかった。

 機先を制するべく、先制攻撃を仕掛けたのはやはり妖夢。その気性、清冽にして剛直。
 剣は心を映す鏡にも似ている。ゆえにその初太刀、狙うは必殺以外ありはしない。

 踏み込みが雷光ならば、薙ぎ払う刃は辻風。無謬の斬撃が白楼の首に肉薄する。
 ――()った。
 積み上げた経験が、未来予知めいた手応えを残すが。
 高い金属音が鳴り響き、呵責ない必殺剣が標的の手前で停止していた。
 妖夢の剣を止めたのは無論、白楼が振るった短刀である。

 初撃を止められた妖夢は、刀身を旋回させて逆側から首を狙う。
 上半身を逸らし回避した白楼。
 すかさず追撃の太刀を浴びせようとした妖夢は目を剥いた。
 彼は崩した体勢を直そうともせずに、反撃の刃を放ってきたのである。
 短刀が空に半月を描く。一片の容赦すらない斬撃が妖夢の首を狩りに来る。
 妖夢は寸前踏みとどまり、追撃を防御に代えて辛うじて刃を弾いた。
 総身を掠める死の感触。少しでも気を抜けば、それが死への片道切符となる……。

「――く」
 妖夢の口が歓喜に歪む。寒気と快感が綯い交ぜになって脊髄を駆け上る。
 脳髄は沸き、髄液は煮え滾り、全身を網羅する神経に高圧電流を流し込まれたようだった。
 昂っていく精神に呼応して、四肢の動きが速度を上げてゆく。
 楼観剣が唸りを上げる。繰り出される連続斬撃は、最早人の目には残像すらも捉えられまい。

「どうだ妖夢。斬り合いは愉しかろう……!」
 嘯く眼光はあくまで涼やかだ。暴風の如き連撃を悠々と捌き続ける。
 唐竹、袈裟斬り、逆袈裟、右薙、逆胴、右切上、左切上、逆風。
 ――そして最後の刺突までも。
 先を読み切ったように同じ場所、同じ軌道、同じ威力で斬って落とす。
 双刀の切っ先が弾け、間合いは二丈にまで分かたれた。
     
 開幕の立会いは完全なる互角。二人は共に余力を残している。
 しかしながらその余力……どちらがより多く残しているのか。
 残念ながら、それは白楼だろう。今の一幕、妖夢が八分の力とすれば白楼は六分。
 いや……五分ほどと見て相違ない。妖夢は滾った血潮を一時抑え、冷静に分析する。

 勝負とは、常に強者が勝つとは限らない。己の弱さを嘆いたところで、今すぐ強くはな
れぬ。ならば、弱さを認めよう。認めた上で、強者を倒す気概を捨てなければ。
 ――あるいは窮鼠が猫を噛むことも、ある。
 技倆も膂力も、白楼には遙か遠く及ばない。
 だが、妖夢には矮躯ゆえの速度と半霊ゆえの強い妖力がある。

 決意を固めた妖夢は楼観剣を振り被った。
 間合いを詰めず振り下ろされた一刀から蒼い妖気が迸る。
 刀身から数多の魔弾が発生し、標的目掛けて殺到する。二度三度四度五度と、振るう度
に生まれ出ずる蒼星の如き弾幕。着弾した魔弾は蒼い花弁のように弾け爆散していく。
 妖夢の妖力を増幅する、新生楼観剣ならではの飛び道具であった。

 閃光に塗れ白楼の身体が見えなくなる。それでも妖夢は苛烈に魔弾を撃ち込み続けた。
 こんな急襲は二度と通用しまい。今のうちに少しでも体力を削ってしまわなければ。
 しかし。
 額を串刺しにされたような悪寒を覚え、妖夢は上空に向き直る。
 ――そこに。侍装束を風に靡かせて、宙空に停止する剣士の姿があった。
  
 飛行術。

「そうだ妖夢、妖魔の剣士ともなれば飛び道具くらい嗜むべきだと前に言ってあったな。
 これで貴様はまた一つ強くなった。――だがまだ温い。いかに楼観剣の力を借りようと、
妖術は貴様の本分ではあるまい」
 追撃の魔弾を易々と斬り伏せて、白楼は剣を高く構えた。
「……二日目の夜、何故飛行術を使わなかったのかと問うた俺に、おまえは言ったな。
 飛行術は苦手なのだ、と。とても妖鳥を落とせるとは思えなかったと。
 さて、修練の程――採点してくれようか」

 言って、白楼はカマイタチを巻き起こした。真円の軌道で振るわれた短刀から斬撃波が
撃ち出される。狙いは妖夢でなく、真下の大地へ向けて。
 地に致命的な溝が引かれていく。がくん、と妖夢の視線が一段下がる。

 ……二人が対峙していたのは滝壺を望む岬。
 つまり。
 あろうことか白楼の回転斬りはその剣閃によって、岬を両断したのである。
 
        *
     
 妖夢は頭から落ちていく。このままならば、ほどなくして滝壺に至るだろう。
 白楼は依然宙で停止したまま腕を束ね、愉しげに妖夢を睥睨している。
「さあ……翔べ、妖夢。幽玄たる瀑布を眺めながら斬り合うというのもまた、風流なもの
ではないか」
     
 白楼の言を受け、妖夢はくるりと宙転し虚空を蹴った。
 空中に確たる足場を幻想し具現化。足元で妖気が弾け、妖夢の身体が跳躍を果たす。
「はあぁあああ――――!」
 瀑布を昇る竜の如く、魂魄妖夢は飛翔する。
 すでに刀は納められ、抜刀の体勢に入っている。狙うは跳躍からの抜刀斬撃。そして――
 本来なら敵を宙へ打ち上げた後、完全なる止めを刺す必殺剣の筈だったが……
 敵が己から宙に居てくれるというのだ。ならば是非もない、そのまま(なます)にしてくれよう。

 人鬼『未来永劫斬』

 抜き放たれた楼観剣が、世界を縦に両断した。辛うじて受けた白楼すらも弾き飛ばし、
妖夢はさらに高く飛翔。ひらりと反転天を蹴り、体重を乗せた唐竹割りが白楼を追撃する。

「ぐ……!」

 白楼の顔から余裕が消える、歯を軋らせて落雷じみた一撃を受けて流す。それでも妖夢
は止まらない。直角に軌道を変えて、左右を往復する連続斬撃で畳み掛ける。
 攻撃速度は加速度的に増加の一途を辿り、すでに剣筋はおろか本体の動きすら補足不可能。

 神速の抜刀から始動する、全方位からの空中超高速連撃――!

 いかな二百年の歳月を経た妖魔であろうと、反撃の余地などありはしない。
 ただ成すがままに、その命最後の一片まで切り裂かれるのみ。
     
 楼観剣が稲妻を帯びる。全身を切り刻まれて吐血する敵を酷薄に見据え、妖夢は連撃の
終幕を飾る最強の一手を撃ち放った。
 電を纏う切り上げが虚空に一条の光を刻む。
 妖気を孕む烈斬は速やかに敵を焼き尽くし、息の根を断ち切るだろう。
 刀身から迸った轟雷が、地から天へと逆流していく――
     
 飛燕の如く、迅雷の如く。妖夢の剣舞は冴え冴えと舞い踊り、宿敵を斬滅せしめた。
 ――筈、であった。
 愕然と下を向く。

「な――貴方は不死身ですか、白楼……!」
「無茶苦茶な技を考える奴よ、流石の俺も防ぎ切れなんだわ」
 流血に塗れた白楼は、それでも飄然と宙に浮いている。……ありえない話だった。
 剣舞の内幾らかは短刀に防がれた。しかし数合は確実に肉を抉り、なおかつ最後の一撃
に至っては完全に決まっていた筈なのに。

「生憎と、そう簡単に死んでくれる身ではなくてな」
 鼻血を袖で拭った白楼は、己が左胸を指差した。
「ここだ。俺を殺したくば、心の臓を貫くことだ」
     
 慙愧無念によって現世に留まる剣の鬼。妖力の根源たる核を砕かねば死に切れぬと。
 その言葉通り、白楼の傷がみるみると塞がっていく。

 超再生能力。

 ふざけた話もあったものだ。……それでは、まるで不死人と大差ないではないか。

「空中戦は満点をくれてやる。それでは川辺にでも降りようか、貴様の下着も些か見飽き
たところ。縞模様とはまたハイカラな」
「うわあっ!?」
 ぼんと急速に上気して、スカートを抑える妖夢。
「あ、貴方はっ! こんな時までどこを見ているっ!」
「ハハハ……そんなひらひらした履物で飛ぶのが悪い。特に嬉しくもないが」

 涙目で睨み付ける妖夢を尻目に、白楼は首を上向きに固定したまま目下の川辺に降下し
ていった。

「ううぅ……一度ならず二度までも。この恥辱、その命で購わせてやる!」
 半泣きで見得を切る妖夢。見えないようにしっかりとスカートを抑えつつ、白楼の後を
追って降下、二人は再び対峙した。

「妖夢、貴様は素晴らしく強くなった。俺も本気を出さねばならんか」
 轟と颶風が巻き起こり、男の雰囲気が一変する。
 見るだけで射殺されそうな剣鬼の眼光。全身から水蒸気のように溢れる禍々しい妖気。
 妖夢の力量を認め、妖魔・白楼が全力を出した姿であった。
 その気魄、正に修羅の如し。
    
 怯まず、しかと見据える。気魄に呑まれてしまえば、その瞬間に首が飛ぶ。
 剣技で負けるのはいい。だが、心で負けてしまうわけにはいかなかった。

「――いいだろう。魂魄妖夢、ここからは全力でお相手する」
 少女の眸子に炎が灯る。爛と輝く紅の双眸。纏う妖気は勢いを増して大気を震撼させた。
     
 妖夢は一陣の風となって突進する。対する白楼は鏡写しのように地を蹴った。
 今まで妖夢の力を測るように受けに徹していた剣士は、ここに至って攻撃に転じたので
ある。様子見はすでに終わり、これよりは全力をもって殺しにかかると言わんばかりに。

 出鼻を挫くべく楼観剣が魔弾を撃ち出す。けれど白楼は止まらない、小細工など無為と
ばかり突進速度を更に上げる。纏う妖気が悉く魔弾を無効化し、消し去っていく。
 妖夢が防御姿勢を取るよりなお速く、疾風の如き刺突が額に突きつけられていた。
     
 双方の時間が停止する。永遠にも思えた数秒の後、何を思ったのか男は剣を引いた。
 その整い過ぎた唇に、憫笑すら浮かべて。

「白楼ッ!」
 憤怒を乗せた楼観剣が亜音速の斬撃を放つ。手応えはない。残像すらも残さず男は掻き
消え、次の瞬間、妖夢は首筋に冷たい鉄の感触を覚えた。
 背後から押し殺した声が響いてくる。
「――これで貴様は二度死んだ。その実力、底が見えたな」
「く……!」
「妖夢、貴様はもっと強くなれる。ここは退け、まだ生かしておいてやってもいい」
     
 ――その言葉で、血が上って熱くなっていた頭が一気に冷えた。
 妖夢は底冷えするような声で返答する。

「何か、勘違いをしておられるようだ」
 瞬間男の鳩尾に、深々と肘がめり込んでいた。
 白楼はたまらず腹を押さえ、たたらを踏む。その隙に妖夢は悠々と間合いを離していた。
 殺すつもりのない剣など、首に触れていたところで何の脅威がある? このような侮辱
は我慢の限界を超えていた。怒りのあまり、逆に冷静になってしまう程に。

「私は、まだ一度たりとも死した覚えはない。ここまできて、今更つまらないことを言わ
ないで欲しい。次に手心を加えた時、その首が付いていられると思わないことだ」
 男は諦観と哀愁を合わせたような顔で、深く嘆息した。
「世迷言であった、許せ。その腕……あまりにも、勿体無く思うてな」

 白楼は瞑目し、右手を真っ直ぐ横に伸ばす。構えた短刀に翠緑の妖気が収束していく。
 生まれ出ずるは妖気の刃、全てを断ち切る白楼が奥義。
『迷津慈航斬』によく似ているが、全ての力を初太刀に込めるそれと違い、この技は連射
に耐える費用対効果を備えている。一撃の威力は最終奥義に劣るものの、連撃と組み合わ
せれば正に、絶死を約束する乱舞と化す。

「今こそ別れの時ぞ。名残惜しいがこれにて幕だ。断命剣『冥想斬』……参る」
「心得た。では、貴方の死で終わりにしよう」

 同じく目を閉じた妖夢。殺意に凍えた鞘鳴りと共に、楼観剣を納刀する。
 白楼の奥義に、知り尽くされた『迷津慈航斬』で相対するのは愚の骨頂。ならば……
 妖夢が最後に選ぶ技は長年に渡って使い込み、必殺にまで昇華させた抜刀術『現世斬』
 彼と初めて立会った時、粉々に打ち砕かれた魂魄が奥義である。

 一月で成長した己……そして生まれ変わった楼観剣。
 今の自分ならば、かつてと同じようにはいかぬ。
 元より、実力は敵の方が遙かに上手。まともに撃ち合えば敗北は必定。
 勝機は唯一、妖夢が最も信頼している最速の一撃で、絶死の連撃が始動する前、白楼の
初太刀よりも更に速く斬り込む。反撃は考えない。次撃すらもありはしない。

 正真正銘、次が最後の一太刀となる――

 ゆっくりと目を開ける。
 最早交わす言葉もなく、しかし微笑だけで二人は刹那通じ合う。
 殺意は恋よりも熱く激しく燃え盛る。花束よりも剣を執り、愛ではなく死を告げよう。
 終着に向けて突撃していく剣士たちは、掛け替えのないこの時を魂に刻み。

 ――最後の斬撃を撃ち放った。




 ……結末はあっけなかった。ざぐん、という肉を断つ音を少女は聞いた。
 相撃ちすら覚悟の上で放った一撃は、容易く男の心臓を両断し――大きく胸を切り裂い
ていた。
 半身が繋がっているのが不思議なほど……。確かにそれは、決定的な止めであった。

「白楼。何故……斬らなかった」

 それは本心からの問い。
 妖夢は己の最速で切り込んだ。しかし、長く伸びた白楼の剣はそれよりも速く少女の細
首に達していた筈なのに。
 だというのに見えない何かに阻まれたように、冥想斬は停止していたのだ。

 侍装束は男の血で赤々と染まり、端から順にさらさらと砂に変わっていく。
 核を失った妖怪は、疾く土に還るのみ。白楼は薄く目を開けて、そして皮肉に微笑った。

「……今更何を言っても言い訳になろう。見事な斬撃であった、強くなったな妖夢」
「白楼……」

 妖夢は男を見上げる。決して涙を見せぬよう、凛と心を引き締めて。

「私は、貴方よりもずっと弱い。こんな決着では納得がいかない。まだ――消えるな」
 今一度、剣を合わせろと。詰め寄る剣幕は慟哭にも似ていた。

「そう我侭を言うものではないぞ。誰が何と言おうと貴様は俺に勝ったのだ。胸を張って
誇ればいい。俺は戦えるだけ戦った。全力を出し尽くした……最早悔いはない。
 感謝するぞ妖夢。貴様と出会わなければ、こんな気分にはなれなかった」

 慙愧無念が消えたのか、白楼の顔は晴れやかだった。
 短刀が地に落ちる。鍛え抜かれた腕も、強靭な足腰も薄く透き通り、すでにこの世の物
ではない。

「否、ただ一つだけ無念が残っておったわ。今やそれも叶わぬ。ふん……出来れば貴様の
先、最後までこの目で見届けたかったのだが」
 ついでに扁平胸の行く末もな、と。こんな時まで軽口を叩いて、最後に。

「――いや、知らなんだ。よもや俺が鍛えた剣に……斬れぬものがあったとは、な」

 嬉しそうに呟いて、妖魔の刀匠は消滅した。




 蒼空は晴れ渡っているというのに、雨が頬を濡らしていた。
 男と過ごした日々を、走馬灯のように想いだす。ひたすら修練ばかりに明け暮れた日々。
 それでも――楽しかったと確かに言える。
 この一月、白楼は妖夢の父で、師で、そして最強の敵でいてくれたのだ。

 だから妖夢は、
「――――ありがとうございました」
 深く深く一礼した。

 大地に突き刺さる白楼剣。まるで墓標のように屹立するそれを抜き払い、掲げる。
 だって彼は言ったのだ。最後まで見届けたい――と。
 ならばまだ、眠ってもらっては困る。傍で、見ていて貰わないと。
 二刀を極めるのも悪くはない。きっと今よりずっとずっと強くなれる。

 長刀を背に、短刀は腰に。二刀を携え魂魄妖夢は天を仰ぐ。
     
「さあ、行こうか白楼。……三月もじき終わる。
 帰り着く頃にはきっと、満開の桜が咲いているだろうから――――」

 先の雨は、やはり幻想であったのだろう。
 天にも心にも、胸のすくような青空がどこまでも広がっていた。

こんなに長くなってしまって、最後まで読んでくれる方がいらっしゃるのだろうか。
心配しきりの「白楼剣」後編でした。

ここまで読んでくれた貴方に感謝を。
それではまたいつか、新たな作品にてお会いしましょう。
FUSI
http://fusi24.hp.infoseek.co.jp/index.html
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コメント



0.3100簡易評価
4.100ABYSS削除
……溜息しか出ないとはまさにこのことでしょうか。
確かに少々分量があったとはいえ、圧倒的な筆力によりその長さを感じさせず、むしろ短いくらいだと錯覚させてしまうその世界の構築の上手さには感嘆するほかありません。

妖夢のみた青空と同じように、爽やかなものが読後胸に去来します。


文章の表現も美しいものが多く、日本語の美しさが際立つのもまた素晴らしい。
「先の雨は、やはり幻想であったのだろう。」という言い回しが非常に私好みだったり。

もはや言いすぎて価値が下がるかもしれませんが、
「素晴らしい」作品をどうもありがとうございました。
6.100しん削除
超再生能力(リジェネレイション)>白楼はアンデルセン神父なんすね(ぉ
戦闘燃えるし、そこはかとなく妖夢のスカートの中身が萌えるし。
読み終えて一言。

「――――ありがとうございました」
14.100ミコト削除
すげぇ……。最早その言葉しか出ません。
正しく「剣に生き、剣に死ぬ」者達の物語。
殺陣のシーンはさながら時代劇を見ているような気分でした。やや古臭い白楼の口調も、違和感無く溶け込んでて素晴らしいとしか言いようがありません。

……そうか、妖夢は縞パn(現世ざーん

……失礼しました。
素晴らしい作品を仕上げてくれた作者様に、最上級の感謝を。
22.100名前が無い程度の能力削除
これ程までに燃えて萌える妖夢に出会えるとは、歓喜の極み。楽しませて頂きました。
24.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい。多少コミカルな面を持ち合わせつつ決めるところはきっちり決める。というわけでこの点を送りたいと思います。
26.100てーる削除
真の剣鬼同士の死闘の感動。
27.100名前が無い程度の能力削除
ああ、だからこそ「斬れぬ物など、あんまりない」んだな。

お見事。ただそれだけを。
47.無評価名前が無い程度の能力削除