Coolier - 新生・東方創想話

スキマ妖怪~それから~

2005/03/15 00:54:34
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            【注意】

これは「スキマ妖怪」の完全な続編となっています。
故に、前作を読み終わった上で今作を読むことを強くお勧め致します。

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トン トン トン

台所に規則正しい音が響き渡る。

時刻はちょうど夕食時。大分暖かくなってきたとはいえ、この時間帯はやっぱり冷え込んでくる。

あの子はそろそろ帰ってきてるかな?

私はつけ合わせのキャベツを切る手を休めると菜箸に持ち替えた。

「さて、そろそろ頃合かな……と」

鼻歌を口ずさみながら、私はこんがりと揚げ上がったコロッケを鍋からつまみ出す。
そして、ふとテーブルに視線を移したところで……ある異変に気づく。

「減ってる……」

さっきまで大皿の上に積んであったはずの、コロッケ山の頂上が欠けていたのだ。

台所にいるのは私一人。
私以外に人妖の出入りした様子もない。

ということは……

「また、あの子か……」

仕方なく、つかんだままのコロッケを山の頂上に添えると再び包丁を手にした。

トン トン トン

台所に再び規則正しい音が響き渡る。

キャベツを切る手は休めずに意識だけを自分の背中に集中。

犯人ってのは、再び犯行現場に戻ってくるものだからね……

トン トン トン

トン トン トン

「……」

トン トン ト……

……来たな

背中で明らかな変化。
そう、何かが……「裂ける」感覚。

ビンゴ……!

私はすかさず菜箸に持ちかえると、クルリと後ろを向いて……

ピシャリ!

空間の「裂け目」から大皿に向かって伸びていた手を叩いた。

「いた!」

声は「裂け目」……スキマの中からした。
何も驚くことは無い。日常茶飯事のことだった。

「コラ、つまみ食いはダメっていったでしょう?」

私もスキマに手を突っ込むと、頭がありそうなところをポコッと叩いておいた。

「……だって、だって、お腹がすいたんだもん~」

「もうすぐで用意できるから、あっちで待ってなさい」

「……は~い」

ブーと不機嫌そうにスキマから出てくると、その子は居間にトコトコと走っていった。

「まったく、誰に似たんだか……」

私はため息をつきながら正面に向き直ると、そのまま背中越しに声をかけた。

「御帰りなさい、楓」
      ・
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スキマ妖怪~それから~




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      ・
八雲 紫が幻想郷から「消えて」二年の月日がたとうとしていた。
相変わらず、私、博麗 霊夢はノンビリと毎日を過ごしている。

ただ、変わったことと言えば……

「わ~い、コロッケ、コロッケ!」
「コラ、ちゃんと頂きますしてからよ、楓」
「は~い」

博麗神社に小さな同居人が住み始めたことだ。

この子の名前は、楓(ふう)。スキマ妖怪の……子供だ。

紫が消えて一週間もたたないある日、私は博麗神社の入り口で倒れているこの子を見つけた。
とりあえず、神社の中に運びこんで介抱してみたのだが、後日話を聞いてみると……

『お名前は?』
『??』
『わからない?』
『うん、「おなまえ」って何?』
『……』

『どこから来たの?』
『わかんないけど……たぶんここだと思う』
『……スキマ?あなたはスキマ妖怪なの?』
『スキマ妖怪?そうなの?』
『……』

『知ってる人とかいる?』
『ううん、だけど……』
『だけど?』
『今は、お姉ちゃんのことが知りたい』
『私?私は博麗 霊夢だけど……』
『霊夢か……えへへ、よろしく、霊夢!』
『……』

というわけで、その後の施しようがまったくなかった。

そのまま、1週間が過ぎ、2週間が過ぎ……ある日、私はその子に切り出した。

『ここに住む?』
『ここ?』
『そう、私と一緒に』
『今でも一緒に住んでるよ?』
『うーん、何ていうか……ずっと一緒……みたいな』
『霊夢と、ずっと……一緒?』
『嫌かな?』
『ううん!嬉しい!』
『うん、じゃあ、決定だね』

結局、私が面倒を見るということで落ち着いたのだった。

ただ、誤解しないで欲しいのが、場に流されて嫌々引き取ったというわけではないということだ。
「母親」という役回りも悪くはないと思っていたし、
何より……紫が消えて日もたたない内に現われたこの子に、多少なりとも縁を感じていたからだ。

今となっては、この子が日に日に変わっていく姿を見ることが本当に楽しみになってきている。

「こら、楓。箸は突き刺して使うものじゃないでしょう?」
「うゆ?じゃあ、こう?」
「そうそう、そのまま食べ物をつかんで食べるの」
「う~、食べにくい……」
「我慢我慢」

ちなみ「楓」という名前の名づけ親は魔理沙だった。
曰く、『響きがいいから』だそうだ。
そのまま「風」と呼ぶのも無骨なので、同名の植物にちなんで「楓」と呼ぶことにした。

「どう?美味しい?」
「うん!霊夢のコロッケだ~い好き!」
「ふふ、ありがと。いっぱいおかわりしなさいよ?」
「は~い!!」

と言って楓が立ち上がったとき、突然、ドンドンと乱暴に扉を叩く音が聞こえた。

「う?お客さんかな、霊夢?」
「ええ、こんな乱暴な叩き方をする奴なんて一人しかいないわ」
「ちょっと、楓が見てくるね~」
「お皿は置いていってよ」
「わかってる~」

楓は手に持ったお皿をテーブルに置くと、トテトテと玄関に向かって走っていった。

「さてと……」

楓のおかわりと新たなお皿を用意するために私は重い腰を上げた。


「よう、霊夢」
「やっぱりあんたか」

嬉しそうにはしゃぐ楓を背中に背負いながら、魔理沙が現われた。

紫がいなくなってからというもの、魔理沙は一週間に一度は神社を訪れるようになった。
会話の内容は「最近、どうしてる?」とか、「楓は元気か?」とか実の無いものばかりだが、
彼女なりに私のことを心配してくれているという気持ちは十分伝わっていた。

「どうだ?相変わらずか?」
「相変わらずよ。トラブルメーカーのせいで毎日がてんてこまい」
「あはは、あんまり霊夢に迷惑かけるんじゃないぞ、楓?」
「楓はいつもいい子だよ~」

楓がプーと顔を膨らます。

「……その中には一応あんたも含まれているんだけどね、魔理沙」
「は、あはは……」

ボリボリと頭を掻く魔理沙。

どうも魔理沙は楓と気が合うらしく、しょっ中楓を箒にのせて幻想郷中を飛び回っている。
いたずら盛りの子供に魔理沙の「足」が加わり、その性質の悪さは何倍にもなってしまっている。

「魔理沙怒られた~、あはは~」

背中におぶさったまま、楓が魔理沙の帽子をペシペシと叩いていた。

「……おい、おい、そんなことやってると、『トレード』してやらないぜ?」

その単語を聞くや否や楓の表情がパッと変わる。

「あっ、ごめんごめん、嘘嘘~!」

そう言って楓は魔理沙の背中から飛び降りた。

「もう、変な物を楓にやらないでよね」
「違うよ~霊夢。『変な』物じゃなくて、『宝』物だよ~」

ねぇ~と声を合わせる魔理沙と楓。

トレードというのは、魔理沙と楓の間で密かに流行ってる遊びみたいなものだ。
魔理沙は自分のコレクション(ガラクタ?)から一つ、楓はスキマの中で見つけた怪しい物(これもガラクタ?)を一つ。
それぞれ持ってきては、それらを交換しているのだ。

「ほら、今日のアイテムは……これだ!」

魔理沙が正面のポケットから、何やらドス黒い物体を取り出した。

「うわ~、何これ、何これ?」
「『地蜥蜴の尻尾』だよ。煎じて飲むと気分がハイになるぜ!」

あぁ、また、情操教育に良くなさそうな物を……

「わ~、ありがとう、魔理沙!それじゃあねぇ、楓はこれ~!」

そう言って楓はスキマに手を突っ込むと、見たことも無いような物を取り出した。

「何だこりゃ?もしかして、『標識』って奴か?」
「そうなの?よくわからないけど、おもしろそうだから持ってきたの」

正直、楓の嗜好は常人(もちろん基準は私だ)の少し斜め上をいっている。
藁人形で着せ替えごっこをしていたときは、ちょっと育て方を再考したし。
……まぁ、結局、そういうところで魔理沙と気が会うんだろうが。

「ハハ、まるで、紫みたいな嗜好をしている奴だな」

いや、あんたも似たような……って、んっ?
何気なく魔理沙が発した単語に引っ掛かった。

あぁ、不味いな……

「紫って誰?」

当然の会話の流れ。
だからこそ、私はそうならないように四苦八苦してきたというのに……

「……へっ?お前、紫のこと知らないのか?霊夢から何も聞いてないのか?」
「うん。ねぇ、霊夢?」
「……そうだっけ」

私は出来るだけ感情が篭らないように、そう返事をした。

「……楓」
「どうしたの、魔理沙?」
「玄関に忘れ物をしたみたいなんだ。ちょっと見てきてくれないか?」
「うん、わかった~」

魔理沙の言葉を微塵も疑わず、楓は玄関に走っていき、居間には私と魔理沙の二人だけになった。


「……どういうことだよ、霊夢」
「何がよ」
「何で、まだあの子に紫のことを話してないんだよ」
「あの子には……関係ないでしょう」
「あるさ。お前等、家族なんだろう?だったら、お前の『事情』ぐらい話してやるのは当然だろう?」
「……余計なお世話よ。あんたが首をつっこむ話じゃないわ」
「……何だと?」
「言いたいことはそれで終わり?
それじゃあ、用がすんだなら帰ってよ。あんまり、あんたと話をする気分じゃないの」

もう止めたい、こんな会話。
心が磨耗していくだけなのに……なのに……

「吹っ切れてないのか?」

魔理沙は突っ込んできた。

「……えっ?」
「まだ、紫のことを吹っ切れてないのか、って聞いてるんだ」
「……そんなわけ」
「真面目に答えろよ、霊夢」
「……」

……何でこいつは人の絶対領域にズカズカと土足で上がってくるのだろうか?
私の……私の気持ちも知らないくせに……!

「……なぁ、霊夢、答えてくれ」
「……なによ」
「霊夢?」
「何よ……あんたなんかに私の気持ちわかるわけないじゃない」
「……霊夢」
「『吹っ切る』?簡単にいってくれるわね。そんな、簡単に切り捨てられるほど単純な問題だと思ってるの?」
「私はそんなつもりで言ったんじゃ……」
「じゃあ、どういうつもりよ?言って良い事と悪い事の区別もつかないの?そこまで鈍感だったんだ、あんたは」
「……っ」

もう、気兼ねなどしていられない。先にふっかけてきたのはあいつの方だから。

「……あぁ、そうだな」

皮肉をたっぷり込めた嫌らしいイントネーションで魔理沙が返してきた。

「鈍感な私に、お前『なんか』の気持ちはわからん」
「……へぇ、言ってくれるじゃない」
「わからん……が、私が言いたい事は別にある」
「何よ?もったいぶるほどのことでもないじゃない。さっさと……」

「霊夢、あの子に紫の影を重ねることは止めろ」

「なっ……」

「あの子はあの子でちゃんと一つの人格を持っているんだ。紫の代わりの『お人形さん』なんかじゃない」
「……何を根拠にそんな……」

胸が……呻いた。
怒りと……狼狽で。

「そうか?じゃあ、あの子に教えやれよ、紫のことを。
それとも何だ?怖いのか?紫の事を話した瞬間、『代わり蓑』に使えなくなるから怖いのか?」
「!……あんた」

私は敵意のこもった目で魔理沙を睨みつけた。
いや、元々魔理沙からは睨まれているのだ。
だから正しくは、睨み「返した」だ。

「……お前があの子への接し方を変えないなら……あの子は、私が引き取る」
「……バカも休み休み言ってよ。私でも手を焼いてるのに、あんたなんかが……」
「育てるさ、死ぬ気で、な。少なくとも、あいつを不幸にする奴の手元に置いておくよりかはマシだからな」
「……っ!」

さすがにその言葉には我慢できなかった。

私はスクッと立ち上がると、魔理沙の胸倉を掴み上げた。

「さっきから黙ってれば、好き勝手なことばっかり……!」
「あ~!?」

同じように魔理沙も私の胸倉を掴み上げてくる。

両者とも譲らずの一触即発。どちらの拳が先に飛んできてもおかしくはない状況だった。

そこに……

「魔理沙~、玄関、何もなかったよ……って、何してるの!?」

楓はこの異常な事態を目にした瞬間、急いで駆け寄ってきた。

「喧嘩はダメ~!!」

そうやって、楓は自分の小さな体を一生懸命私と魔理沙の間に割り込ませようしていた。

……その様子を見て、頭に上った血がフッと下りるのを感じ、私は魔理沙から手を離した。

「……んっ、ごめん、魔理沙。ちょっとカッとなっちゃって……」

それを聞いて、魔理沙は意外にあっさりとその手を離した。

「……あぁ、私も悪かった。少し、言い過ぎた」

『少し』という言葉にムッとしたが、それは魔理沙の遠まわしの主張なんだろう。どうあっても譲るつもりはないらしい。

私は衣を整えると食卓に戻った。

「……それじゃあ、夕飯の続きをしましょうか。魔理沙も食べていくでしょう?」
「んっ、あぁ、そうだな」
「魔理沙、魔理沙。霊夢のコロッケはとっても美味しいんだよ」
「あぁ、知ってるぜ。何を隠そう、私は霊夢のコロッケのファンだからな」
「楓も、楓も!楓も霊夢のコロッケの『ふぁん』だよ!」

魔理沙はそうかそうかと言って楓を撫でると一緒に食卓についた。

そうして、穏やかな空気が再び食卓に戻った。
      ・
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「それじゃあ、私はそろそろ帰るな」

夕食を食べ終わり一通りの雑談をした後で、魔理沙はそう切り出してきた。

「え~?もう帰っちゃうの?」
「心配するな、今度はもっとすごいお宝持ってきてやるから」
「本当?」
「あぁ、だから楓もすごいの用意しといてくれよ?」
「うん!魔理沙の腰をぬかしてやるんだから!」
「そいつは楽しみだ」

ハハハと笑うと魔理沙は私の方に向き直った。

「じゃあな、霊夢」
「んっ」

魔理沙とは目を合わせずに、無愛想にそう答えた。

「……私の言ったこと、忘れるなよ、霊夢」
「……」

今度は返事もしなかった。

******************************

「ホラ、楓。今日のお話をして」
「うん、わかった~」

夕食の後、楓と二人で布団に包まりながら、私は日課をこなしていた。

楓に今日の出来事を聞く。
これが私達の日課だ。

スキマ妖怪である以上、楓が他人にちょっかいを出すのは仕方が無いことである。
となれば、問題なのは程度である。
必要以上に迷惑をかけた場合などには、本人を諌めたり、被害者のところへ謝罪に行ったりしなければならない。
もっとも、幻想郷には大らかな連中が多いので、謝罪に行くというケースはめったにないが。

「今日はね、まず紅魔館に行ったの」
「レミリアのところ?」
「うん。でも、その前にフランちゃんと弾幕ごっこしたの」
「……で、どのくらい壊したの?」

私は恐る恐る聞いてみた。

「ん~、あんまりわかんないけど……パチェは『予想の範疇』って言ってた」
「んっ……ならいいか。続けて楓」

良くはないけどいいのだ。紅魔館では日常茶飯事みたいなものだから。

「んとね、その後、レミリアちゃんと紅茶を飲んだの。紅茶は咲夜が淹れてくれたんだよ」
「美味しかった?」
「うん、とっても!」

……ふぅ、とりあえず第一関門はクリアか。私はご褒美に楓の頭を撫でてやった。

「えへへ~」

「それで、次はどこにいったの?」
「次は、白玉楼」
「幽々子のところね。それで?」
「え~と、幽々ちゃんと一緒に桜餅を食べたの」
「……それだけ?」

今度はちょっとだけホッとしながら聞き返してみた。

「あっ、そう言えば妖夢ちゃんとも遊んだ」
「……どんなことしたの?」
「んっとね、妖夢ちゃんの刀を、スキマに放りこんで『取ってこ~い』って。……やったのは幽々ちゃんだけど」
「……妖夢はどうしてた?」
「『気にしないでください』って言ってたよ。ちょっと泣いてたような気もしてたけど……」

あちゃ~、ごめん妖夢。

「楓。妖夢をからかうのいいけど、泣かせちゃダメよ?」
「だって、幽々ちゃんが……」
「それと、幽々子の言うことは話半分で聞いておくこと」
「『話半分』って?」
「う~ん、要するに、一緒になって妖夢を苛めちゃだめってこと。わかった?」
「ん~~~~、わかった」
「よしよし」

問題はあったが第二関門もクリア。私はご褒美に楓の頭をグリグリと撫でてやった。

「おぉ~」

「今日はこれでお終い?」
「ううん、最後にマヨイガに行ってきた」
「藍のところか……それで、何をしてきたの?」
「んっとね、橙と一緒にお空をくるくる~って回ったりしてたの」
「うんうん、それから?」
「その後は、橙と一緒に藍おばちゃんの尻尾の中でお昼寝したり……」
「ストップ、楓」
「うゆ?」
「『藍おばちゃん』じゃないでしょ?『藍お姉ちゃん』か、せめて呼び捨てで『藍』って呼ばなきゃ」
「だって、おばちゃんみたいなんだもん」

うわ、それ聞いたら藍はヘコムだろうな……

「とにかく、『藍おばちゃん』は止めときなさい。そのうち藍が泣くかもよ?」
「ん~、それは嫌だな……」
「だったら、ちゃんと呼ぶこと。わかった?」
「うん、わかった!」

これで終わりか。第三関門クリアっと。私はご褒美に楓の頭を力一杯撫でてやった。

「えへへへ~」

「ちゃんと帰るときには、皆に『ありがとう』って言ってきた?」
「うん!」
「よしよし」

実のところ、こういう躾の一つ一つも思った以上に楽しいものだった。
このままこの子がまっすぐに育っていく姿を想像すると胸が高鳴る。

……と同時に表しようの無い不安も渦巻いていた。

『ユカリハドウダッタカナ?』

「……っ。……馬鹿らしい……」

私は頭の中に浮かんだ馬鹿らしい考えを払拭した。

「んっ?どうしたの、霊夢?」
「ううん、大丈夫。何でもないわ」

楓と紫を比べるなんて……どうかしてる。
こんなことをグズグズと考えてるから、今日みたいに魔理沙に好き放題言われるのだ。

『紫の影を重ねるな』

魔理沙のあの言葉が再び胸を刺す。

私にそんなつもりはない。
そんなつもりは……ない……はずなのに……

「……え、ねえ、ねえ、霊夢!」

ハッと気が付くと、楓が私の腕を引っ張りながら一生懸命話しかけていた。

「んっ、ごめん、楓。何?」
「ねぇ、『紫』って、誰?」


「……えっ?」


予想外の質問に不意をつかれて、私はとっさに反応できなかった。

「ねえねえ、『紫』って誰なの?」
「……どうしてそんなことを聞くの?」
「だって、今日魔理沙が言ってたじゃない、『紫みたい』って」
「あっ……」
「それに、みんな言ってたよ。レミリアちゃんも、幽々ちゃんも、藍も。『紫にそっくりだ』って」
「んっ……」

皆に悪気はないんだろうが、何気ないその一言一言が私を苛ませているかと思うと、腹が立ってしょうがなかった。

「ねえねえ、教えて、霊夢。『紫』って誰?楓の知ってる人?」

「……楓は知らない……と思うよ」

私はかろうじてその言葉だけを紡ぎ出した。

「ふえ~、じゃあね、じゃあね、。霊夢は『紫』のことを知ってるの?」
「……ねえ、楓。そろそろ寝る時間だから……」
「え~、もっとお話してよ、霊夢。『紫』のこと聞きたい、聞きたい~!」
「楓、あんまり困らせないで、ね?……そのうち、いっぱいお話してあげるから」
「もう~絶対だよ、霊夢?」
「うん、約束」

そう言って私は部屋の明かりを消した。



「……ねぇ、霊夢」
「……何、楓?」

布団に潜り込んだ後、楓が小さな声で私に語りかけてきた。

「霊夢は……私のこと、好き?」
「当たり前よ。楓のことが大好きだから、いつも一緒にいるんじゃない」
「えへへ、楓も霊夢のこと大好きだよ。
魔理沙も大好きだし、フランちゃんもレミリアちゃんも、
咲夜もパチェも、幽々ちゃんも妖夢ちゃんも、それに橙も藍おば……じゃなくて藍も、み~んな大好き!」
「そう、いい子ね……楓は」

布団の中から手を伸ばすと、楓の頭を優しく撫でてやった。
楓はその手に自分の両手を重ねると、さきほどよりやや声のトーンを落として話かけてきた。

「……だからね、霊夢。さっきみたいに、魔理沙と喧嘩したら……嫌だな」
「楓……」

楓は……さっきの私と魔理沙のやりとりを心配していたのか……

「……大丈夫よ、楓。あれは、魔理沙が嫌いってわけでやったことじゃないのよ」
「……本当?」
「うん、本当」

これは、本当。
魔理沙が私を思いやってくれる気持ちは、私本人が一番わかっているつもりだ。
だからこその行き違いというか……説明するのが難しい。
とにかく、魔理沙には悪いことを言ったな。
……明日あたり、改めて謝りにいこうかな。

「だから、安心して寝なさい、楓」
「うん!お休み、霊夢……」
「お休み……楓」


私は目を閉じると今の出来事を反芻してみた。

楓は本当にまっすぐな気持ちで私に接してくれている。
子供故の裏表ないまっすぐな「好意」だ。
なのに……私は……

「ごめんね、楓」

その気持ちに応えるかわりに、スゥスゥと可愛い寝息を立てている楓の髪を優しく撫でてやった。

頭の中では相変わらずいろんなことがモヤモヤしていた。

「紫……」

そうやって、ただただ不安な思いは募るばかりだった。

……だからだろうか、今まで我慢していた言葉がふいに口をついた。

「会いたい……紫……」

******************************

次の日、私は楓と一緒に魔理沙の住む魔法の森に向かっていた。

「待ってよ~、霊夢」
「もう、少しは飛ぶ練習しなさいって言ったでしょう?」
「だって~」

楓はブーたれながら萃香みたいにフラフラとしながら飛んでいた。

普段から魔理沙を「足」として使っているため、楓は飛ぶことがちょっと苦手だった。

……今度あたり、根をつめて教えこまないとな。

「疲れたよ~、霊夢~」
「ホラ、頑張って。もう魔理沙の家は見えてるんだから」
「……は~い」

そうやって、危なげなくではないが、何とか霧雨邸に到着した。


「魔理沙、いる?」

ドアには鍵がかかってなかったので、私達はそのまま霧雨邸の中に入った。

「相変わらず、無用心なんだから……」

私がそうボヤいていると、薄暗い霧雨邸の奥から魔理沙がのっそりと現われた。

「あー?誰かと思ったら、お前らか。ここに来るなんて珍しいな」
「魔理沙~!」

楓は魔理沙の姿を見るや、一目散に駆け寄っていった。

「よう、楓。いい子にしてたか?」
「うん!楓はいつもいい子だよ!」

魔理沙は楓をよしよしと撫でてやると自分の腕に抱きかかえた。

「まぁ、遠慮せずあがれ。ちょっと散らかってるけどな」
「あんたの場合は、謙遜でもなんでもないのよね、それ」
「はは、それを言われるとつらいな」

そうして、ギシギシと軋む廊下を3人で歩いていった。


「あら」

霧雨邸のリビングには予想外の来客がいた。

「アリス?あんたも珍しいわね、魔理沙の家に来るなんて」

アリス・マーガトロイド。
魔理沙と同じ魔法の森に住む魔法使いだ。ちなみに妖怪である。

「来たくて来たわけじゃないわよ。こいつが私のグリモワールを借りっぱなしだから、取立てにきたのよ」

そうは言いながらも、アリスはソファに腰掛けて、ゆったりとくつろぎながら本を読んでいた。

「ねえねえ、霊夢。この人だれ?」

楓はアリスを指差すと、興味深そうに私に問いかけてきた。

「そういえば、楓はアリスに会うのは初めてだったわね」
「ふぅん、それがうわさのスキマ妖怪か。……そのわりには、あいつに似てないみたいだけど」

あいつ……紫のことか。

私は楓がアリスの言動に追求しないように、率先して話を繋いだ。

「楓、こいつはアリス・マーガトロイドよ。アリスでも何でも好きなように呼ぶといいわ」
「……って、それはあんたが言うべきセリフじゃないでしょう。まぁ、呼び方なんて別にどうでもいいけど」
「それでね、アリス、この子は楓って……」
「興味ないわ」

アリスはそう言って視線を本に戻した。

「おいおい、アリス。それはちょっと冷たいんじゃないか?」
「あんたにそんなこと言われる義理は無いわよ。それより早く私のグリモワール返してよ」
「か~、本当に薄情な奴だな」

そうやってあれこれやり取りする二人の様子を見ていると、突然楓が私の袖を引っ張ってきた。

「んっ、何、楓?」
「……ん~、アリスは楓のことが嫌いなのかな?」
「違う違う。あいつは誰にだってあんな感じよ。だから、心の中ではきっと楓のことが大好きに決まっているわ」
「本当かな……」
楓が不安そうに俯いたので、私は少し強めに頭を撫でてやった。

さて……

「魔理沙」

相変わらずアリスと口論を続けていた魔理沙を呼び止めた。

「あー?何だ霊夢?」
「ちょっと……」

そう言って私は魔理沙だけに見えるように「お願い」のポーズをした。

……魔理沙とは二人っきりで話したいことがあった。

「……ん、わかった」

どうやら、うまいこと魔理沙にも私の意図が伝わったらしい。

「おい、アリス」
「何よ、突然?」
「お前、楓を連れて外で遊んでいてくれ」
「……はっ?」

こういうとき、魔理沙は回りくどくなくて本当に助かる。アリスにはちょっと同情するが……

「……何で私があのスキマ妖怪と遊ばなければいけないのよ」
「いいだろ、少しぐらい。グリモワール返さないぜ?」
「『返さないぜ』って、あんた、どの面下げて……」
「なっ?頼むぜ、アリス?何なら、私の作った丹をやるから、なっ?」
「……もう、しょうがないわね」

魔理沙の性格をよくわかってるのであろう。アリスはあっさりと引き下がった。

「あんたの丹は、『ほぐせば』役に立つからね」
「お前、そんな製作者の意図を無視した使い方を……」
「別にどうだっていいでしょう、そんなの。こうやって黙って条件飲んであげたんだから」
「むぅ……」

アリスはソファから立ち上がると、そのまま玄関に向かって歩いていった。

「ほら、スキマ妖怪、ついてきなさい」

楓には目もくれず、アリスはずんずんと歩いていく。

「ほら、楓」

私は楓を促した。

「えっ?えっ?」
「アリスが『遊んであげる』って言ってるのよ。だから、楓も早く行きなさい」
「……苛めない?」
「大丈夫、大丈夫」
「……んっ、それじゃあ行ってくる」

そう言って楓はトコトコとアリスの後をついていった。

「やれやれ、何とか行ってくれたみたいだな」
「そうね」

そうして霧雨邸のリビングには、昨日と同じように私と魔理沙の二人だけになった。


「さて、霊夢。茶ぐらいは出せるが、どうする?」
「必要ないわ」

私はそう言うと、さっきまでアリスが座っていたソファに腰をかける。
続いて魔理沙も私の隣に座った。

「……魔理沙」
「……んっ」

そこでしばしの沈黙。
私も魔理沙も何故か変な緊張をしていた。

「……昨日は……ごめんね」


「へっ??」

魔理沙は目をパチクリさせながら私を見ていた。

「……何よ、私、何かおかしいこと言った?」
「あっ、いや。まったく予想外だったからな。てっきり、私は昨日の続きでもおっ始めると思ってたぜ」
「何よ、それ」

私は苦笑した。

「昔のお前ならそうしていただろう?本当に丸くなったもんだ」
「あんた、人を何だと……」
「……『母親』の力ってやつかな」
「……まぁ……そうかもね」

私はポリポリと頬を掻いた。

くすぐったいけど、少し暖かい雰囲気がリビングを包んでいた。

「……なぁ、霊夢」
「何?」
「お前の話はそれでお終いか?」
「……」
「他に聞いておきたいことがあったから、ここに来たんじゃないのか?」
「……やっぱり、魔理沙に嘘はつけない……か」
「……荒っぽい話じゃないんなら、今度こそ茶を淹れてくるが。どうする?」
「んっ、それじゃあ、お願いするわ。至極、穏やかな話だから」
「わかった」

そう言って魔理沙はソファから立ち上がった。


キッチンから帰ってきた魔理沙の手にはビーカーが二つ。中には紅い液体がなみなみと注がれていた。
「ちょっと、それをカップがわりにしないでよ」
「んっ?大丈夫だよ。ちゃんと紅茶で洗ったから濃度は変わらん」
「そういう問題じゃないわよ」
「まぁ、いいから、呑め呑め」
「まったく……」

魔理沙は再びソファに腰を掛けると、ビーカーを私に差し出してきた。

「……それで、話ってのは何だ、霊夢?」
「んっ、昨日の話に関連しているんだけど……」
「あぁ」

私は紅茶を口にした。
……なるべくビーカーに唇はつけないようにして。

「私……楓に紫を重ねているように……見える?」
「ああ」

バッサリと即答。

「私自身にはそんなつもりはないんだけどな……」
「見えるもんは見えるんだからしょうがないだろう?」

無礼というか、歯に布を着せないというか……

「紫が消えて、ポッカリと空いてしまった『スキマ』を、楓で埋めている……少なくとも、私にはそう見えるぜ」
「そう……なのかな」

他人から言われて初めて気づく、ということもあるらしいが自分の場合はどうなのだろうか?
正直なところ今の自分ではわからない。
ただ……胸が疼いていたのは確かだった……

「お前はそれを自分では認めたくない。だから、敢えて紫と違う『スキマ妖怪』になるように育てている……違うか?」
「……だったら、おかしいじゃない。紫と『違う』ように育てているんなら、紫の影を重ねているわけじゃ……」
「『誰』と違うようにだ?『誰』を基準にしているんだ?」
「あっ……」
「お前の中では、まず『紫』ありきなんだよ」
「……」
「目に見える接し方以前に、人と人の付き合いとして、それは失礼じゃないのか?」
「……そんなこと言ったって」
「『紫』を忘れて、『楓』として接する。これが、当面の課題だな」
「そんなの、紫を忘れるなんて……難しいよ」
「あぁ、わかっている」

そう言って魔理沙は私に頭を下げた。

「魔理沙?」
「だから、私も謝る。昨日は軽率なことを言って悪かった。スマン、霊夢」
「……んっ、いいよ、魔理沙。大丈夫だから頭を上げて」

魔理沙はゆっくりと頭を上げた。

「……ただ、私の言ったことも忘れないんで欲しいんだ、霊夢」
「わかってるよ、魔理沙。ごめんね、私の問題なのに、嫌な役回りさせちゃって」
「気にするな。私も楓のことが大好きだからな」

そう言って魔理沙はニッカリと笑った。

「……うん、その言葉が一番嬉しいわ。私にも、楓にも」

今日はここにきてよかった……と思った。ありがとう、魔理沙。

「……なぁ、霊夢」
「何?」
「辛かったら、泣いてもいいんだぜ?」
「何よ、いきなり」
「紫がいなくなってから、お前は泣く気配すらも見せてないじゃないか」
「……そうだったかな」
「感情に歯止めをかけるのは馬鹿のすることだぜ」

何か魔理沙が言うと妙に説得力がある言葉だな。

でも……

「ごめん、それはできない」
「……どうして?」
「あいつとの……約束だから」
「……紫……か」
「……うん」
「だったら、しょうがないな……」

それっきりお互い押し黙ってしまった。


「……さてと、それじゃあそろそろ楓達を迎えにいきますか」

グッと紅茶を飲み干すと、私はソファから立ち上がった。

「あぁ、アリスの奴が楓を苛めてないか心配だからな」
「大丈夫。そんな奴じゃないわよ」
「わかってるって」

私はスタスタと霧雨邸の玄関に向かった。

「先に行ってるよ、魔理沙」
「あぁ、紅茶を片付けたらすぐ追いつく」
「んっ」


霊夢が消え、霧雨邸のリビングには魔理沙一人だけとなった。
魔理沙はティーカップを兼ねたビーカ-を両手に持つと、流しに向かった。

「……紫の奴、霊夢の心にでっかい『スキマ』を作りやがって……」

そうボヤいて魔理沙はビーカーを流しに置いた。
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
私達がアリスのところにたどり着いたとき、そこには予想外の光景が広がっていた。

「何やってんだ、アリスの奴?」
「あれは……人形劇?」

それは切り株を舞台に見立てた小さな小さな劇場。

観客は楓と……十数体の小さな人形たち。
ところ狭しと動く舞台の人形を見ながら、皆、手を叩いて喜んでいた。

「おい、どうする?」

魔理沙が肘で私をつつきながら、小声で話しかけてきた。

「おもしろそうだし、ちょっと見ていきましょう」

そう言って私と魔理沙も地面に腰を下ろした。
その間、観客はおろか操者のアリスまでもが私達の入場に気づくことはなかった。

「すごいな、皆よっぽど見入っているんだな」
「そりゃそうよ。だってアリスもあんなに真剣なんだから」

アリスは額に汗を流しながら、でも、本当に面白そうな顔で人形達を操っていた。
それは……普段のクールな彼女からは想像も出来ない表情だった。

「おわ、見ろよ、霊夢。あれ、スペルカードまで使ってるぜ」
「あっ、本当……」

演出の一つ一つも本当に凝っている。
火が出るわ、水が出るわ、風が吹くわで目を離す暇もなかった。

そこはアリスの箱庭。
そこはアリスの小さな世界。
そこでは皆幸せな顔をしていた。

……私と魔理沙は、しばらく楓や人形達と一緒にその世界に見入っていた。




やがて終幕の時を向かえ、ステージにアリスが現われた。
そして、一礼。

カーテンコールだ。

パチパチパチパチ!!

惜しみない拍手がアリスに送られた。

「ったく、気取りやがって」

悪態をつきながらも、魔理沙は一際大きい拍手をアリスに送っていた。

その音で気づいたのだろうか、アリスは私達と目が合った。

「うあ……」

「何よ、『うあ』って」
「見られて困るもんでもあったのか、あ~ん?」

魔理沙がニヤニヤしながら問い詰めると、アリスは顔を真っ赤にした。

「あっ、霊夢と魔理沙だ!」

静かに劇を見ていた楓も、私と魔理沙の姿を見るなりパタパタと駆け寄ってきた。

「いっぱい遊んでもらえた、楓?」
「うん!アリスってすごいんだよ、人形が、こう、生きてるみたいに動くの!」

興奮冷めやらぬ様子で、楓は身振り手振りを使って一生懸命解説していた。
私はその話を聞きながら、楓と魔理沙と一緒にアリスのところに向かっていった。

「ありがとう、アリス」
「……その子があんまりうるさいから、黙らせてやったのよ。勘違いしないで」
「はいはい、そういうことにしといてやるよ」
「何か、引っ掛かるいい方ね……」
「にしても、自前の人形で『サクラ』を用意するとは、手の込んだ奴だな」
「しょうがないでしょ。観客が一人だけってのも寂しいじゃない」

……「誰が」とは口にしなかったが、きっと「楓が」寂しいと思って用意してくれたんだろう。

「……じゃあ、3人だったら十分よね」
「何よそれ?」
「私と魔理沙と楓で、3人の観客よ。今度は最初から見せてもらいたいわ」
「そうだな、お前のトチるところも見たいしな」
「そんなの……お断りよ」

そう言ってアリスはそっぽを向いた。相変わらず顔は赤いままだったけど。


「それじゃあ、私と楓はそろそろ帰るわね」
「おっ、そうか?」
「うん。大分暗くなってきたからね」
「まぁ、元々この森は暗いんだがな」

このやりとりを聞いたからかどうかはわからないが、アリスは突然森の奥に向かって歩き始めた。

「おい、どこ行くんだよ、アリス」
「お守りが終わったから、帰るのよ」
「『帰る』ってお前、挨拶ぐらい……」

魔理沙の制止も空しく、アリスは歩を進めていくが……

「バイバイ~、アリス!」

楓だけが去っていくアリスに向かって元気よく手を振った。

当のアリスは振り返りもせずにスタスタと歩いていったが、その肩では上海人形が微笑みながらずっと手を振っていた。

やがてアリスが森の奥に消えると、私と魔理沙はお互いに顔を見合って笑った。

「かー、素直じゃない奴だな」
「そうね、本当に」
「でも、楓はアリスのこと好きだよ!」
「なはは、それをアリスに言ってやれ。とんでもなく喜ぶぞ」
「わかった~!」

私は楓の頭を撫でると、帰り支度を整え空に浮かび上がった。

「それじゃあね、魔理沙」
「あぁ、また来いよ」
「バイバイ、魔理沙!」
「おう、楓もまた来いよ」
「うん!」

そう言って私と楓は魔法の森を後にした。

******************************

「それじゃあ、今日のお話」
「は~い」

恒例の「今日の出来事」だ。もっとも、今日は殆んど一緒だったので聞くまでもないが。

「今日はね、霊夢と一緒に魔理沙の家に行って、アリスと一緒に遊んだの!」
「アリスとはどんなことしたの?」

結局、一番興味があるのはそこだった。あのアリスがどうやって楓をあやしたのか、ずっと気になっていた。

「えっとね、最初は遊んでもらえなかったの……」
「どうして?」
「わかんなかったけど……何か怒ってるみたいで、怖くて……話しかけられなくて……」
「それから?」
「……怖くてね、楓は泣いちゃったの……」
「もう、楓は泣き虫なんだから」
「だって、だって本当に怖かったんだもん。なんか『ぴりぴり』していて……」
「アリスはどうしたの?そのまま楓をほったらかした?」

ちょっとしたイタズラ心で聞いてみた。
すると、案の定、楓はブンブンと首を振って否定してくれた。

「ううん。そしたらね、お人形さん達……上海ちゃんと蓬莱ちゃんっていうんだけど、その二人が楓の頭を撫で撫でしてくれたの」
「アリスは?」
「アリスは『その子達が遊んでくれるからしばらく待ってて』って言って、劇の準備をしてくれたの」

その時の情景を一つ一つ思い出しながら楓は嬉しそうに語っていた。

アリスはその時、一体どんな顔をしていたのだろうか?
いつものようなつんけんとした表情?
いやいや、楓の前だ。
きっと、彼女の……素の表情だろう。

「ん?どうして笑ってるの、霊夢?」
「何でもないわ、大丈夫。……ね、今でもアリスは怖い?」
「ううん。アリス、顔は怒ってるけど、とっても優しいの。だから、大好き!」
「そう、いい子ね、楓は」

幻想郷にはクセのある奴がたくさんいるが、真の意味で悪い奴はいない。
泣いたり、笑ったり、怒ったり。
毎日が毎日、ドンチャン騒ぎで退屈する暇もない。

……だからこそ、空いた欠番が大きく感じてしまうのだ。

「霊夢?」
「んっ、ごめん、楓。何の話だったっけ?」
「約束~約束~」
「約束?」
「昨日の約束だよ!霊夢、言ったじゃない」
「あっ……」

そう言えば、昨日約束したな。
「紫のことを話してあげる」って。

「聞きたい、聞きたい!『紫』のことを聞きたい~!」
「んっ……」

紫のことを話すなら今が好機だった。

普通に普通に教えてやればいい。
紫がどんな奴で、どんな事をしていたか。
でも……でも……

「ごめん、楓。また、今度ね」

私は言い出せなかった。

「ん……」

昨日みたいに駄々をこねると思っていたが、楓は存外静かだった。

「楓?どうしたの?」
「……霊夢もなんだね」
「えっ?」
「霊夢も『紫』のことを教えてくれないんだね」

私「も」?

「どういうことなの、楓?」
「……今日ね、アリスに聞いてみたの。『紫って知ってる?』って」
「……アリスに」
「そしたら、アリスは『知らない』って、『あんたには関係ない』って……」
「……」

アリス……ごめん。

「ねぇ、霊夢。『紫』って、楓に関係ないの?本当に?」
「紫は……」
「ねぇ、教えて……霊夢」

2度目の好機。

これを逃す手はない。
おそらくこれ以降、楓は紫のことを聞いてこないだろうし、私も紫のことを話すことはないだろう。
ともなれば、今話さずいつ話すのだ?
このまま、わだかまりを残したまま日を重ねていくのは……嫌だ!

「紫は……」

だから

「楓に……」

私は

「関係……」

意を決して……

「……」

口に……


「ない……よ」

できなかった……

「そう……なの?」
「……うん、だから楓が悩むことは無いよ」
「んっ……ごめんなさい」
「謝ることないのに」
「んっ……」

そう言って暗い面持ちのまま楓は自分の布団に潜りこんだ。

「楓、もう寝るの?」
「うん、疲れたから。
……お休み、霊夢」
「……お休み、楓」

私も布団に入ると、部屋の明かりを消した。



その暗闇の中で私は思案していた。


馬鹿だ、馬鹿だ。

何であそこで言い出すことが出来なかったんだろう?
何を私は恐れていたんだろうか?

そのせいで楓に必要の無い不安を抱かせて、あんな、あんな暗い顔をさせて。

本当に馬鹿だ。

馬鹿だ、馬鹿だ!


……でも、理由はわかっている。

私にだって、何故話せないのか、理由はわかっている。

仮にあの子に紫のことを話せたとしよう。
紫がどんな奴で、どんな事をしていたか、それらを語るのは容易い。

でも……その場合、私は最後に言葉を付け加えないといけない。

「今はいない」と。

私はそれを認めたくない。
幻想郷の皆は信じないが、紫はいなくなったのではない。
だって、だって……私と約束したんだから……
「また会おうね」って約束したんだから……!

「くっ……!」

必死に奥歯を噛んで涙を堪える……
その代わりになるかわからないが、私は昨日と同じ言葉を漏らした。

「会いたい……会いたいよ……紫」

******************************

よく晴れた次の日、その事件は起こった。


「楓……これは、どこで拾ってきたの?」
「ふえ?」

私の手には古ぼけた傘。
普段なら楓の持ってきたガラクタには見向きもしないが、この傘だけには……目が止まった。
見覚えがあったのだ。

「ねえ、教えて、楓?」
「え、えっとね、いつもどおり、スキマの中で……だけど」
「スキマ……」

間違いない。

私はすかさず傘の持ち手を調べてみた。
すると、そこには……

『Y・Y』とイニシャルが彫ってあった。

間違いない……間違いない!

「ね、ね、どうしたの、霊夢?何か、様子が変だよ?」
「楓はここで待っていて!」

私はそういって傘を放り出すと、文字どおり「飛び」出していった。

「!!霊夢!!」

楓の叫びは耳に入らなかった。


紫だ。

間違いない。

だって、いくらなんでもタイミングが良すぎる。
「会いたい」と強く想った次の日に、こうやって出てくるなんて……

紫は言った。
『想いが私達を作り出す』と。
だったら、だったら……
紫は……あそこに……いるはず。

私は逸る気持ちを抑えられず、スピードを上げた。

目指すは……あの場所。


紫岬は相変わらず殺風景な場所だった。
2、3本の針葉樹に風と波のBGMだけ。
もちろん人の気配などあるはずもなかった。

もっとも、そんなことが気にならないぐらいに私の心は浮かれていたのだが……

「紫、紫!」

私は紫の姿を求めてあたりを探しまわったが、それらしいものは影すらなかった。

「あっ、そうか……」

紫はこちらが探して出てくるような奴じゃない。
呼んでもないのに『呼ばれて、飛び出て……』とか言って、ひょっこり顔を出す奴だった。

「私ったら……」

何を生真面目に探していたのだろうか。少し馬鹿らしくなった。

「こんなことだから、あいつにからかわれるんだろうなぁ……」

私はため息をつきながら木の側に腰を下ろすと、紫が出てくるのに備えた。

「さぁ、どこからでもかかってきなさい」

頭上では太陽がサンサンと輝いていた。




紫に会ったら最初に何を言おうか?
「また会えたね」?「久しぶり」?「遅いじゃない!」?

……あっ、でも、言うより先に手が出てしまうだろうな。
「待たせすぎよ、バカ妖怪!」みたいな感じで。

うん、うん。そっちの方が私達らしい。

そしたら、紫はきっとこう言うだろうな。
「あら、時効よ」って。

そこでまた一悶着。
ドタバタドタバタ。
幻想郷お馴染みのドンチャン騒ぎだ。

ふふ、何か想像しただけで楽しくなってきたな。


そうだ、楓のことも紹介しなきゃ。

紫のことだ、「あなたの子供ね」とか言って茶かすに違いない。
うーん、これにはどう返そうか?
言われぱなしってのも癪だしな……まぁ、その時になって考えるか。

それより楓には何て説明しようか?
「フラフラと幻想郷中をうろつくフーテン」?「毎日寝倒しのスキマひきこもり」?「嘘を吐き続ける妖怪百枚舌」?

……どれだっていいか。

紫がいて、楓がいて、私がいる。
それだけで最高なんだから。


ある日、私と楓は仲良く夕食を食べている。
好き嫌いの多い楓を嗜めながら、愉快に騒がしく。

そうこうしてるうちに、あいつのスキマがこっそりと現われるんだ。
バレバレだけど、私達は見てみぬふり。

『……霊夢、霊夢』
『シー、本人はあれでバレてないつもりだから』

そうして、おかずに向かって手が伸びたところで……

ピシッ!

と手をはたく。

『痛~い!』
『何やってんのよ、馬鹿妖怪』
『あはは、馬鹿~馬鹿~』

叩かれた手を摩りながらブーたれる紫に、そのやり取りを見ながらはしゃぐ楓。

『もう、叩かなくてもいいじゃない、霊夢』
『……はい、楓、ご挨拶して』
『紫おばちゃん、こんばんわ!』

それを聞くと紫は顔を強張らせながらこう言うに違いない。

『ねっ、楓ちゃん?紫「おばちゃん」じゃなくて、せめて……』
『紫「おばさん」よ、楓』
『うん、わかった!こんばんわ、紫おばさん!』
『……いや~!霊夢と楓ちゃんが苛める~』

それを合図に皆が笑い始めるんだ。
私はアハハと、楓は手を振りながらキャッキャッと、そして紫は嘘泣きをしながらウフフと。

その後は何事もなかったかのように、紫は食卓につき私は当然のように茶を振舞う。
紫は「んむんむ……美味美味」とか言いながらおかずを頬張り、
一通り食べ終わった後で「塩味がきつい」とか「味がしつこい」とか、小姑のように難癖をつけてくるに違いない。
「だったら、食べなきゃいいじゃない」と私が言うと、紫は私の頬を撫でながらこう言うだろう。

『でも、好きだから』

……と。

……うわ、そんなことされたら真っ赤になるだろうな私……

当然、紫にも「アラアラ、この娘は何勘違いしちゃっているのかしら?」みたいな感じでからかわれるだろう。


あはは。
あり得る、あり得る。

どんな些細なことでも紫が交じれば面白おかしくなってしまう。

あはは、あはは。

楽しい楽しい。

想像しただけでこんなにも笑えてくるんだもの。

あはは、あはは、あはは。

実際はどんなに楽しいことやら。

あはは、あはは、あはは、あはは。

何か涙まで出てきちゃった。きっと嬉し泣きなんだろうな、あはは。

アハハ……

でも、嬉し泣きって……

こんなに……こんなに……


胸が……痛かったかな?




「アハハ……アハハ……」

夕日で紅く染まった紫岬で、私は一人蹲り……泣いていた。

「アハハ……ハハ……ア……」

無茶苦茶だ。

あぁ、無茶苦茶だ。

私は二年前なんと約束した?
この岬で流す涙は「どういうもの」だけと約束した?

「はぁ……う……」

既に涙は嗚咽に変わっていた。

「紫との再開の嬉し泣き」……そう約束したはずなのに……はずなのに……

どうして、どうして、自分は今、こんな惨めな涙を流しているのだろう?

「く……う……うぅ……」

でも、でも、悪いのは全部あいつだ。
私は律儀に律儀に約束を守り続け……あいつを待ち続けたのに……!
あいつは……あいつは……いつまでたっても……!

「……こんな、こんな大事な約束にまで、嘘をつかないでよ、大バカ妖怪!!」

力の限り私は叫んだ。

何度も何度も、声が枯れてしまうまで。

叫んで

叫んで

叫び続けた末に返ってきた返事は……波の音だけだった。

「……う……こほ……うぐ……」

本当に無茶苦茶だ……何もかも。



……悲嘆に暮れるその時……私はふと背中に「気配」を感じた。

「……!」

私は反射的に後ろを振り向いた。

元々勘は良い方だが、その「変化」には経験によって裏付けされた確かな確信があった。

「やっぱり……」

そこにあったのは、空間の綻び。
いや、いちいち言いまわすのも煩わしい。
間違いなく、スキマ妖怪の……スキマだ。

「……紫?」

問いかけへの返事は無かった。
しかしながら、スキマはしだいに広がっていき、人一人が通れるほどの大きさにまでなった。

「紫……なんだよね?」

スキマからニュッと手が伸びてきた。
……その手には見覚えのある傘。

「紫……紫!」

そうして、現われたのは……


「霊夢~!」


「えっ?」

楓……だった。

「霊夢、霊夢、忘れ物だよ。急いでたから忘れたんだよね?」

楓はハァハァと息を切らしながら、嬉しそうに手に持った傘をぶんぶんと振り回していた。

「楓……あんた、どうしてここに?」
「あのね、あのね、霊夢が忘れ物してたから、いっぱいいっぱい捜したの!
そしたらここに霊夢がいて……あれ、霊夢泣いてるの?」

楓は赤くなった私の瞳を覗き込みながら、心配そうに尋ねてきた。

「大丈夫?どこか痛いの?ねぇ、霊夢?」

そうやって私の身を案じる楓の声は本当に無垢なものだった。


だからこそ……その態度が……私の癪に障った。

「何……で……よ」
「えっ?」
「……言ったのに」
「??……霊夢?」

私は……私は……!

「待ってなさいって言ったのに!!」

「!!」

突然の怒声に楓は竦みあがった。

「えっ、えっ?霊夢?」
「何で私の言うことが聞けないの!?どうして……こんなところに来るのよ!!」

どうして、どうして、紫じゃなくて、あんたが……!

「霊夢、霊……夢?」

楓は目に涙を浮かべながら、ただオロオロとしているだけだった。

今まで叱ることはあっても、怒鳴りつけることはなかったから当然かもしれない。
……それでも、今の私にそれを心配するような余裕は残ってなかった。

「帰って楓!帰りなさい!!」

私はそう言って手を薙いだ。

「早く帰って、楓!私を困らせないでよ!!」
「あ……」

叱咤ですらないそれは明らかな拒絶。

消えろ いなくなれ

私はあらん限りの身振り手振り……口振りで腹の底の感情を吐露した。

「うっ……」

しかし……楓はギュっと拳を強く握ると、目に涙を溜めながらこちらに向かってトコトコと歩き始めた。

何を……考えてるのよ……!

「楓!私の言う事が聞けないの!?」

楓の歩が緩むことはなかった。
真っ直ぐに、一直線にこちらに向かってきていた。

「楓!!!」

今までよりも激しい怒声に一瞬身を竦めたが、楓は変わらず歩を進める。

「……っ!この!」

そうして、私は眼前にまで迫った楓に対して……手を振り上げた。

「んっ!」

楓はグッと目を瞑ると、振り上げた手を掻い潜るようにして私の胸にポスッと倒れこんできた。


それが引き金。

楓は堰を切ったように声を上げて泣き始めた。

「……!!」

その様子はまるで赤ん坊の癇癪のようだった。
私の服を握り締め、ひたすらに何かを求めるように泣け叫んでいた。

「霊夢、霊夢!ひぐ……うぅ……」

……そのときになって私はやっと楓の有様に気が付いた。

何かにぶつかったてできたような打ち身に、どこかに引っ掛けて破いてしまったような服の破損。

まるで……萃香みたいにフラフラとしながら……飛んだ……ような……

……あっ。

『あのね、あのね、霊夢が忘れ物してたから、いっぱいいっぱい捜したの!』

楓のさっきの言葉……
いっぱい、いっぱい「捜した」?
しかも、私がいなくなって……「から」?

私が博麗神社を飛び出したのが……確か朝早くで……
そのときから今まで……ずっと……私を?
あの……拙い飛び方で?

「あっ、あぁ……」

途端に頭に上っていた血がスーっと下り、止めどない罪悪感が襲ってくる。

楓はただ忘れ物を届けるためだけに、四半日以上も私を捜してくれていたのに……

私は……楓になんてことを言った?
私は……楓になんてことをしようとした?

「あ……あぁ……」

もう……無茶苦茶……だ……


私は脱力して地面にヘタりこむと、胸の中で泣き続ける楓の頭を撫でた。

「……ごめんね、楓」
「……うぐ……うぅ……!」
「……寂しかったんだよね?ごめんね、一人ぼっちにしちゃって……」
「ひぐ……うぐ……ううぅ……」
「それと……嫌なこと言っちゃったね……本当にごめん……」
「ひぐ……霊夢、もう怒ってない……?」
「うん、だから、楓も泣き止んで……」
「うぐ……うん……」

しばらく楓はえずいていたが、時間が経つにつれ大分落ち着いてきた。

私はそれを確認すると、楓を膝の上に乗せ後ろから両手で抱きしめた。


「ね、楓?」
「何……霊夢?」
「紫の話……してあげよっか?」
「『紫』の……?」

何故そんな気持ちになったのかわからなかった。
でも、楓になら……全てを話してもいいと思ったから。



「紫はね……私の友人だったの」

「魔理沙みたいな?」

「うん。まぁ、人間じゃなくてスキマ妖怪だけどね」

「楓と一緒の?」

「うん……楓と一緒」


「どんな妖怪だったの?」

「紫は、あいつはとにかく嘘付きで……胡散臭くて……よく言えば、つかみどころのない奴……かな」

「嘘つきなの?悪い子なの?」

「悪い子……うーん、確かに紫の嘘は性質が悪いけど……どこか憎めないというか……」

「んん?」

「楓にはわからないか」


「霊夢は紫のこと好き?」

「私は……うん、大好きだよ」

「楓よりも?」

「楓と同じくらい」

「えへへ。じゃあ楓も紫のこと好きになれるかな?」

「大丈夫よ。楓は誰だって好きになれるし、誰だって楓のことを好きになってくれるわ」

「本当?」

「うん、本当。楓を嫌いになる奴なんてここにはいないわよ」

「……うん!」


「……ねぇ、霊夢」

「何?」

「紫は今どこにいるの?」

「……」

「霊夢?」

「紫は……今……」

「うん?」

「紫は……今は……いないの」

「……いないの?」

「うん、ちょっとね……」

「……じゃあ、霊夢は寂しい?」

「……えっ?」

「霊夢は……紫がいなくて……寂しい?」

「私は……私は……うん、やっぱり寂しい……かな」

「そっか……」



そう言うと楓は私の膝から立ち上がりこちらを振り返った。

「楓……?」
「霊夢は……紫がいなくて寂しいんだよね?だったら……」

楓は顔を伏せて一瞬つらい表情を浮かべたが、顔を上げたときには笑顔に戻っていた。

「だったら、楓が紫の代わり」

「えっ?」
「霊夢が寂しくないように、楓が紫の代わりをするよ」
「何を言って……」
「だって楓と紫は同じ『スキマ妖怪』なんでしょ?だったら、『もんだいなし』だよ」

楓は笑っていた。
笑っていたけど、泣いていた。
そうして、つらそうに、嬉しそうに言葉を紡いでいった。

「だから……ね。霊夢は……」

楓の顔が翳った。

「霊夢は……泣かないで……うぐ……」

そこが限界だった。

頑張って作った笑顔も崩れ、楓はボロボロと涙をこぼし始めた。

「ひぐ……楓は『楓』じゃなくていいから……
霊夢は……うぐ……楓のこと……『紫』って呼んでいいから……だから……」

何で……この子がこんなつらいことを言わなければならない?
誰が……この子にこんな残酷なことを言わせているんだろう?

「……っ」

私はたまらず楓を抱きしめた。

力一杯、強く強く。

こんなにも頑張っている子を傍観できるような人がいるだろうか?
……いや、いるはずはない。

「霊夢…霊夢……ごめんな……うぐ……ごめんなさい……」
「何謝っているのよ……バカ」
「だって……だって……ひぐ…うぅ……」
「……楓。よく聞いて頂戴」

私はそう言って楓の頭を優しく撫でた。

「……ぐす……うん」
「……楓なんかに紫の代わりは務まらないわ」
「……えっ?」
「同じように……紫なんかに楓の代わりは務まらない」
「……霊夢」

私は楓の頬を両手で優しく包むと、そのおでこに自分のおでこを重ねた。

「あなたは楓。博麗 楓よ。八雲 紫でもなければ……スキマ妖怪でもない……」

楓に重なっていた紫の影はもう見えなかった。
見えるのはただ一つ。
私の……私の……

「私の……大切な一人娘なんだから」

そう言ってニッコリと楓に笑いかけた。

もう、恐れることはない。
もう、臆すことはない。
もう、紫がどうであろうと関係ない。

私は楓をありのまま受け止めたのだから。

「あう……霊夢ぅ……」

クシャっと顔を崩しながら楓は私にしがみついてきた。

私はそれを力一杯抱きとめる。
二度と……離したりしないように。

「楓……いてくれて、ありがとう……」

そうして日が暮れるまで、二人の涙が枯れ切るまで、ずっと抱き合っていた。

暖かい温もりはいつまでも続いていた。

いつまでも……いつまでも……

******************************

日が沈み、紫岬は漆黒に包まれていた。

楓は……私の腕の中でかわいい寝息を立てながら眠っている。

「ごめんね……疲れてたんだよね……」

そう言って楓の髪を撫でると、楓は一瞬だけくすぐったそうな表情を浮かべたが、すぐにもとの寝顔に戻った。

「んっ……あれ?」

突然の睡魔。

何だかんだいって博麗神社からここまでかなり飛ばしてきたから疲れもたまっているのだろう。

「だったら……いいか……」

私は気の赴くまま、瞼を閉じた。
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
その夢は不思議なものだった。

白一色の空間に、いるのは私一人だけ。
その「私」も不思議なもので、見た目も服装も今よりちょっと若かった。
ちょうど2年ぐらい前の……

「……この流れだと……」

私は直感的に感じた。
来る、と。

「呼ばれて飛び出て……」

「呼んでないわよ」

空間を裂いて、スキマからあいつが……紫が現われた。

「うふふ。夢と現(うつつ)の境界からこんにちは。久しぶりね、霊夢」
「んっ、久しぶり、紫。……後、ここは境界じゃないわよ。完全な夢よ」
「夢と現実の境なんて曖昧なものよ。もしかしたら、起きているときのほうが夢かもしれないし……」
「『胡蝶の夢』の話?そんなの関係ないわ。私は自分が感じたように解釈するんだから」
「ふふ、相変わらずね、霊夢は」
「んっ、あんたもね」

紫は変わっていなかった。
やっぱり胡散臭くて……何を考えているかわかったもんじゃない。

「さて、紫。あんたは何か言うことがあるんじゃない?」
「時効よ」
「まだ、何も言ってないし……」
「霊夢はわかりやすいからね。いつまでたっても」
「……それはどうも」
「あら、珍しい。いつもだったら怒るとこだったのに」
「魔理沙と同じようなこと言ってるし……それに、いつまでも『いつも』ってわけじゃないわよ」
「そっか……『そっち』ではちゃんと時間が流れてるからね……」

紫がしんみりと語った。
……紫にしては珍しい表情。
これが素と思っておけば……いいかな。

「霊夢は私に聞きたいことはないの?」
「……じゃあ、一つだけ」
「何?」
「楓のこと」

聞いておきたい。
少なくとも何かしら紫と関連があるはずだから。

「あぁ、あの子ね。素直ないい子よね。私みたいに」
「……あの子は一体何なの?」
「霊夢の子供」
「確かにそれはそうだけど……実際のところは……」
「あなたはどう見るの?」
「紫の子供」
「いやん」
「はいはい、いいからいいから……それで実のところどうなのよ?」
「さっきも言った通りよ。『霊夢』の子供って」
「……説明してくれる?」
「私の言葉を覚えてる?スキマ妖怪が『どうやって』生まれるか」
「確か……強い想いによって……」

スキマから具現化するんだったっけ……

「あなたがあの子を最初に見つけた場所は『どこ』かしら?」
「博麗神社だけど……」

「それじゃあ次の質問。あなたは『いつ』あの子を見つけたのかしら?」
「それは……あんたが消えて、一週間も経たない……あっ」

そういうこと……なのか?

「私が消えて一週間も経たないその頃、
博麗神社付近でスキマ妖怪を生み出すほどの強い想いを抱いていたのは……誰かしら?」
「それじゃあ……本当に……私の……」
「うふふ。一体あなたは『誰』に対して、そんなにも強い想いを抱いていたのかしら?」
「……あんた、わかってて聞いてるでしょう?」
「さ~てね。まぁ、この仮定からすると、あの子はさしずめ……」
「さしずめ?」
「私と霊夢の子供かしら」

ブッ

「……それは、笑えない冗談だわ」
「あら、夢があっていいじゃない」
「悪い夢よ」

「夢か……それじゃあ、霊夢は『この』夢をどう思う?」
「……夢は……夢よ。だからここにいるあんたも……きっと私の妄想……」
「妄想?結構なことだわ。実に曖昧で『私』らしいわ」
「茶化さないでよ。生憎そんな気分じゃないの」

「……霊夢は私が約束破ったと思ってる?」
「うん。一体、何年待たせると思ってるのよ……このバカ妖怪」
「この夢はノーカン?」
「当然よ。夢は夢でしかないんだから」
「ん~~~~それでも、私なりの解釈だと、私はいつも霊夢の傍にいるんだけどな」
「どういうことよ?」
「私は消えたんじゃなくて、スキマに還っただけ。
つまり、幻想郷に存在するあらゆるスキマの中でいつも霊夢を見守っているってことね」
「……それじゃあ、私はいつも紫と会ってるってわけ?」
「そうそう。飲み込みが早くて……」

「ふざけないで!」

「……霊夢」
「あんたはそれで約束を守ったつもりかもしれないけど、私は『そんな風』には考えられないわ」
「……」
「私にとっては……
手を握りあって、抱き合って……それで初めて『会う』ってことなの!」

思いの丈をぶちまけるとはよく言ったものだった。
私はお腹の底に渦巻いていた最後のものを全て吐露しようとしていた。

「ねぇ、会いたい……会いたい……会いたいよ、紫。
もう一度あんたと、泣いたり、怒ったり……笑いあったり……したいよ」

紫は苦しそうな顔をして俯いた。

わかっている。
私にもわかっている。
「これが」叶わない夢だってことはわかっている。
届かない想いだってことは……わかりきっている。

わかった上で言葉にしてしまい、その結果……こんなふうに紫を困らせている。

私は大馬鹿者だ……

「……ごめん、紫。あんたの気持ちも考えず、浅はかだったわ……」

きっと、さっきの『スキマの中からいつも見守っている』という発言は紫なりの思いやりだろう。
いつまでも私が自分に引きずられないように、って考えてそう助言してくれたのだろう。

私は……その気持ちすらも酌むことはできなかったが……

「本当にごめん……あんたの気も考え……」

「そうだ」

突然、紫は顔を上げると、ポンと手を叩いた。

「……紫?」
「思いついちゃった。霊夢と『会える』方法」
「えっ?」
「さすがに手を握りあったり、抱き合ったりは無理だと思うけど……あなたに効きそうな良い方法よ」

そんな都合のいい話あるはずがない……
あるはずがないと思いながらも、私は聞き返した。

「……私は、どうすれば……」
「あなたは……想って」

紫が私の鼻先に人差し指を突きつけた。

「想うって……それだけ?」
「そう、簡単なことでしょう?」

確かにそうだけど……でも……

「無理よ……想いだけじゃとても……現に私がどれだけ強く想っても、あんたは帰ってこなかったし……」
「楓は?あの子はあなたの『想い』の創造物よ」
「そりゃそうだけど……」
「大丈夫。想いは通じるよ、霊夢」
「だけど……」
「疑わないで。
信じて霊夢。
私の好きだった、まっすぐな霊夢はもういないの?」
「うっ……」
「信じて。無駄な想いなんてないの。
どんな些細な想いでも、私達を構成する因子になり得るんだから」
「……」
「私は想いによって生まれ、想いによって育つスキマ妖怪。
……だったら、あなたが想わなくて、誰が想うのよ?」
「……んっ、そうだね。ごめん、紫」

私の返事を聞くと、紫はニッコリと笑って一言付け足した。

「ただ、私はひねくれものだから、少しコツがいるの」
「コツ?」
「『会いたい』じゃないわ。『会える』と想って」
「『会える』……?」
「そういうこと。わかった、霊夢?」
「……うん、紫。また『会える』んだよね?」
「よしよし、良く出来ました」

そう言って紫は私の頭をクシャクシャと撫でた。私が楓にそうするように。

「もう、やめてよ、くすぐったい」
「うふふ。さぁ、そろそろお目覚めの時間よ。楓ちゃんが首を長くして待ってるわ」

紫がそう言うと、突然、まわりの景色がぼやけ始めた。

夢の終わり……か。

「じゃあね、霊夢。また後で」
「んっ、じゃあね、紫。期待しないで待ってるわ。また、後で」

もう輪郭も判断できないぐらいぼやけた視界の中で、確かに紫は微笑んでいた……あの日のように……

「最後に……私のこと、楓ちゃんに話してくれて……ありがとう」

あんたがお礼を言う義理なんてないわよ、と言おうとしたところで、視界は完全に途切れた。
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
      ・
「……夢、霊夢、霊夢!」
「んっ……楓?」

眠い目をこすると楓が私を揺すっているのが見えた。

「あ~、やっと起きた。もうこんなに真っ暗になっているよ~」
「へっ……」

私はあたりを見回した。
確かに、あたりは寝る前より真っ暗になっていた。

たしか日が沈んだ頃に目を閉じたから……ちょうど、子の3つ(深夜0時)ぐらいか。

「……それでね、霊夢!聞いて聞いて!」

楓はそう言って私の袖をグイグイと引っ張っていた。

「はいはい、どうしたの?」
「楓ね、楓ね。紫の夢を見たの!」

はっ?

「紫の?」
「うん、紫が出てきて、いっぱいお話したの!」
「はぁ~」

やっぱりあいつはどこにでも出てくるんだな……

「……それで、楓からみた紫はどんな感じだった?」
「とっても綺麗だった!」
「私より?」
「んー、霊夢は綺麗って言うより、可愛いからな……」
「あはは、そっかそっか」

まぁ、それはそれで良しとしよう。まだまだ若いってことだし。

「紫とはどんなお話したの?」
「あのね、紫はこう言っていたよ。『私の愛しい霊夢が寂しがってるから、楓ちゃんが慰めてあげて』って」

あいつは……

「でもでも。『愛しい』って『愛してる』ってことだよね?女の子同士なのに?」
「楓……あんた、どこでそんなマセた知識を……」
「んっ?魔理沙の家にあった本に書いてあったの」

あぁ、つくづく私のまわりには子育てに適した環境は存在しないんだな、って痛感した。

「ねぇねぇ、どういうこと?霊夢も紫のこと愛している?」
「……あのね、楓。あいつの言った『愛しい』ってのは、『大好きな』って意味だから……」
「そうなの?」
「うん。だから女の子同士でもいいのよ」
「そーなのかー」

どこぞの宵闇の妖怪のような口調で、楓は納得してくれた。

「……だったら、楓も霊夢のこと愛してる!」

そう言うと、楓はいきなり飛びついてきた。

「こらこら、危ないわよ、楓」

そうは言いながらも、私は笑顔で抱きとめて上げた。

「霊夢……大好き……」
「……んっ」

あぁ、本当に悪くないな、こういうのも。

「……紫は他に何か言ってた?」
「……んっ、後ね、『いい物を見せて上げる』って」
「それは楓に?」
「たぶん……でも……」
「どうしたの?」
「そこで……夢が終わっちゃったの」

それは……何とも歯切れの悪い。

「まぁ、次の機会にってことよ」
「うーん、でも……」
「まぁまぁ、とりあえず今日のところは神社に帰りましょう。いい加減ここにいたら風邪をひいてしまうわ」
「……うん」

煮え切らない表情を浮かべながらも、楓は頷いてくれた。

私は楓を離すと、スッと立ち上がった。


「さぁ、行きましょう……って、楓?」

楓は何故かボゥっとした表情で空を見つめていた。

「どうしたの?空に何かいるの?」
「……てる」
「えっ?」
「……動いてる。空が動いてるの」
「空が?そんなはず……」

ない、と思って、私も顔を空に向けたが……

「本当だ……」

うまくいい表すことは出来ないが、確かに空は動いていた。
脈打つように、胎動するように。
まるで、何かを押し出すように……

「あっ……」

私は見覚えがある。この現象には見覚えがある。
確か、彼女はこうやって夜から昼に変えたり、昼から夜に変えたり……

「紫!?」

紫はもっとスムーズだったが、間違いない。
この不自然な現象はあいつの……境界操作だ。


……そう言えば、『さっき』……

『思いついちゃった。霊夢と「会える」方法』

彼女は言っていた。

『さすがに手を握りあったり、抱き合ったりは無理だと思うけど……』

……でも……

『あなたに効きそうな』

夢の中での話なのに……

『良い方法よ』

馬鹿らしい……話なのに……なのに……


「紫!!」

私は叫んでいた。

『疑わないで』

「紫、紫!!」

枯れたはずの声で何度も何度も。

『信じて』

「霊夢……?」

楓は心配そうな面持ちで私を見上げていた。

『大丈夫。想いは通じるよ……霊夢』

「……!」

私はお腹いっぱいに空気を吸い込むと……


「紫!!!!」

力の限り叫んだ。


そして、想った。


強く 強く


「会える」……と。










『よく出来ました……霊夢』










そして



水平線のかなたに一筋の光明。

見覚えがあるけど、今まで忘れていたその景色。

世界が変わる。黒から白に。


朝日がゆっくりとゆっくりと、紫岬を光に包んでいく。

愛するように、慈しむように。

「わぁ……」

横では楓が感嘆の声をあげていた。
まるであの日の私のように、キラキラと目を輝かせながらこの景色に見入っていた。


そう、これはあの日の再現。

観客は一人多いけど、他は……一緒。

朝日の美しさも、懐かしいようなくすぐったい感情も、あいつが「ここ」にいるっていう安堵も……全部一緒。

「……ったく、いるなら姿ぐらい現しなさいよ……バカ妖怪」

私はそう漏らしながら、朝日に向かって大きく手を振った。

あいつが……どこにいても見えるように。





――そう、再会はこの岬で。






























【エピローグ】


『宴会をしようぜ』

いつものように、魔理沙の鶴の一声で博麗神社にみんなが集まった。

一応、魔理沙に理由を聞いてみたところ……

『理由なんてあるもんか。私がやりたいと思っただけさ』

予想通りの返答だったが……

『……まぁ、敢えていうなら、楓が現われてちょうど2年目ぐらいだろう?』

とだけ付け足していた。





トン トン トン

台所に規則正しい音が響き渡る。

外ではあの騒音3姉妹が好き勝手気ままに演奏をしているのが聞こえる。

「……小骨は抜いといた方がいいかな。楓と……幽々子が苦戦しそうだし」

宴会に集まった面子の嗜好を一つ一つ考慮しながら、私は食事を準備していた。

「唐辛子を効かせたらアリスが泣きそうだから……と」

アリス用に別の小皿を用意してあげた。


『見て見て、レティ!蛙がこんなにおっきな蛙が!』
『嫌だ、チルノ!あんまり近づけないでよ』
『大丈夫、大丈夫。カッチンコチンなんだから!
……あっ』
『……えっ?~~~~!!』
『……落としちゃった』
『っっ!!何で外側しか凍らせててないのよ!!』
『あはは……うわ、グロ……』


レティとチルノのやり取りが聞こえたと思ったら、今度は会場に絶叫が木霊した。


『いやあぁぁぁぁぁ!!止めてください、ししょー!!』
『これが48の宴会技の一つ、呪術「マイファニー デーボ人形」よ。
原理を説明をすると、私が特別に調合したこの「ゾンビパウダー」を被験者に嗅がせて一種の催眠状態にするわけね。
その後は煮るなり焼くなり好きなように。どんな命令でもこなすようになってくれるわ。
起源を辿ると、古くは邪教の儀式で……』
『これが……本物の自動人形(オートマーター)か』


窓から少し外の様子を覗いてみた。
コマのように回転を続ける月兎と、その横でひたすら熱弁を振るう八意 永琳に、それを熱心に聞いているアリス。

「……何やってんだか」

私は視線を戻すと料理の準備を続けた。

「咲夜は猫舌だから、少し温めのお茶を用意してやるか」

まぁ、フーフーしながらお茶をすする咲夜も見てみたいが。

「後はこの大豆を炒ってと……」

「それ、嫌い~」

突然の声。
一点ではなく台所全体から響くような……

「……馬鹿なことしてないで、姿を現しなさい」
「ふん」

霧らしきものが収束し、一つの形となった。
子供のような小さな体躯に、天を突く特徴的な2本の角。
疎と密を操る程度の能力を持つ鬼……伊吹 萃香だ。

「久しぶりね、萃香」
「久しぶり?前の宴会で会ったばかりだろう?」
「社交辞令みたいなもんよ。そのくらい酌んで」
「……まったく、お前等はややこしいな」

そう言って萃香はどっかりと地面に座りこんだ。

「それで何か用?」
「酒が切れたんだよ。だから取りにきた」
「切れたって……あんたの腰にぶら下がっているのは何よ?」
「んっ?あぁ……これか。これはダメだ。
呑み慣れてしまって、最早体液の一部となってるからな。これじゃあ、酔えんよ」
「まったく……」

私は戸棚を開けて残っている酒を探し出した。

「……おい、人間」
「何よ?」

私は振り返ろうとしたが……

「そのままでいい。黙って聞け」
「……はいはい」

後ろではグビグビと瓢箪から酒を飲む音が聞こえていた。

「……プハッ。お前、紫の話は聞いたか?」
「……もっと具体的に言ってよ。漠然としすぎよ」
「『どこにでもいる』ってやつだ」
「あぁ、それなら聞いたわ。もっとも、ずいぶん前だけど」

何で今頃そんなことを……と思っていると、再びグビグビと酒を呑む音が聞こえてきた。

「……あいつは私と似ていたんだ」
「はっ?いきなり何を言ってんのよ?」
「そのくらい酌んでみろ。私の『疎』の能力のことだ」
「あぁ、それが『どこにでもいる』ってことと似ているってわけね」
「……だからなんだろうな、あいつと私はよく気が合った」
「あんたら仲が良かったもんね」
「『仲が良い』?ふん、人間らしい解釈だな」
「何よ、何か言いたいことでもあるわけ?」
「あぁ、いい、いい。話がこじれるだけだ」
「結局、何が言いたいのよ?」
「……私とあいつは似ていたが、決定的に違う点が一つあった。それは……」

「『どこかにはいない』ってとこでしょ?」

「!お前……」

「それも紫に聞いたのよ。『どこにでもいるからどこかにはいない』って」
「……そうだ。私には『密』の能力があったが、あいつにはそれに相当する能力は無かった。
あいつはそれを……憂いていたよ」
「憂いて?」
「あぁ、あいつは曖昧な自分の存在に密かにコンプレックスを感じていた。
おかしな話だろう?自由奔放に生きる妖怪が、自分の存在に自問自答するなんて……」
「……」
「馬鹿なやつだよ。悩んで、悩んで、外からの『想い』を断絶するぐらいに悩んで……」

そこまで言うと、萃香はもう一度瓢箪から酒を呑んだ。

「……悩んだ果てに、あんなに早く……」

私はお酒を探す手を止め、萃香の話を黙って聞いていた。

「早く……」

「本当に馬鹿よね」

後ろで萃香がバッと顔を上げた気がした。

そんなに驚くことないのに……

「『どこかにはいないけどどこにでもいる』のよ。
密が『固』でないなら、疎が『固』であるだけの話よ。
あいつは馬鹿みたいにこだわりすぎたのよ」

「誰」にこだわったのだろう?
「誰」と一緒になることにこだわったのだろう?
答えは……明白か。

「泣く紫も、怒る紫も、笑う紫も、ここにいない紫も、私にとっては全部一人の紫よ。ずっと……ね」

ねぇ……聞いてる、紫?


「……」

何か後ろが静かだったので振り返ってみると、萃香がポッカリと口を開けていた。

「何よ、その顔は?」
「……お前、本当に人間か?」
「失礼ね。見ればわかるでしょう?」
「んっ……人間ごときにそんな考え方ができるとは……」

萃香は頭を捻りながら、もう一度酒を口にした。

「お前はそれで寂しくないのか?」
「そりゃあ寂しいわよ。
でも、『どこにだっている』んでしょう?
気が向いたら、またスキマの中からちょっかいだしてくるわよ」

「……ふん」

萃香はグビッと大袈裟に瓢箪の酒を呷ると、立ち上がった。

「どこにいくのよ?まだ、お酒見つかってないわよ」
「興が冷めたんだよ。宴会に戻る」

そう言ってスタスタと台所を去っていこうとした。

「まったく……」

私は酒を捜すため、もう一度戸棚の方に振り返った。

後で楓にでも持っていってもらうか……

「おい、博麗 霊夢」

去ったと思ったはずの萃香がまた話かけてきた。

「今度は何よ」

私は振り返らずに返事をした。

「……お前のさっきの言葉は、私が紫に言ってやりたかった言葉だ。言い回しは幼稚だがな」
「それはどうも」

「……認めてやるよ、お前は紫の親友だ」
「……それはどうも」

偉そうな物言いだったけど、不思議と悪い気はしなかった。

何か、こいつとも仲良くやっていけそうだな……

「……後、老婆心で忠告しといてやる」
「何?」
「あいつ……確か楓と言ったな」
「楓がどうかしたの?」
「あいつは頭がいい。それも……紫みたいにな。
だからこそ……この先紫と同じことで悩むかもしれない。そのときは……」
「私が導いてやれっていうんでしょう?」
「……ちっ。本当に不愉快な人間だ」
「あんたも相当に物好きな鬼よ」

そうして背中越しで微かに笑い合った。


「それじゃあ、お酒を見つけたら楓にでも持っていかせるから、あんたは……」
「ふん、噂をすれば何とやらだ。楓が来たぞ」
「えっ?」

ドタドタと廊下を走る音。
私は慌てて萃香が佇む入り口の方に振り返った。

「霊夢~!みんなお腹へってるから早くって……うゆ?」

台所に飛び込んできた楓は、真っ先に萃香と目が合った。

「あっ、萃香ちゃん、こんなところにいたんだ~」
「おぉ、楓か!飲ま、呑ま、イェイ!」
「飲ま、呑ま、イェイ!」

イェイと瓢箪を掲げ、萃香は楓にそれを飲ませようとしていた。

「待て!楓には飲ませるな!」
「「え~?」」

ブーと口を尖らせて不満を口にする二人。
その様子はパッと見、同年代の友達のようだった。

「ほらほら、いいからいいから。
もう少ししたら、料理もお酒も持っていくから、あんたらは先に会場に行ってて」

「だってさ。行こ、萃香ちゃん」
「ふん、人間に指図されるのは気に食わんが……まぁいい」

そう言って楓と萃香は仲良く手をつないで会場に戻っていった。




「……さてと」

私は戸棚の奥で見つけた、銘酒「鬼564」を腋に抱えると、食卓の上に用意された大皿を手にした。

「よっこらしょっと……」

持てるものは出来るだけ持って、持てないものは空を「飛ぶ」程度の能力で浮かせ、全て運ぶことにした。

「おっと……」

いけないいけない。

私は大皿からコロッケを一つ摘むと、食卓の上で寂しそうに佇む空の小皿に移した。

「自信作なんだから、残さないでよ」

そういい残して私は台所を後にした。


神社の外は雲一つない快晴。
まさに宴会日和だ。

「霊夢~!」

遠くで楓が大きく手を振りながら私を呼んでいた。

「すぐ行くから!」

両手が塞がっているから、私は声だけで返した。

「さて……」

楓の後ろを見てみると、他のメンツは毎度のようにドタバタと賑やかにやっていた。

本を読みふけるパチュリーに、それに絡んでグダをまく魔理沙。
レミリアの我儘に右往左往する咲夜。
幽々子の奇題を必死にこなそうとする妖夢。
それに、大勢でワイワイとはしゃぐ永遠亭の面々。

相変わらずの……日常だ。


そう、幻想郷は何も変わらない。


人間も妖怪も、喜びも悲しみも、今も昔も、全てを受け入れている。

何も変わらず、「ありのまま」を全て受け入れている。

だから……





――さっさと帰ってきなさい、バカ妖怪――

























































静寂が包み込む、ここは博麗神社の台所。

食卓の上には小皿が一つ。

その上では揚げたてのコロッケが湯気を立てていた。











ヒョイ パク


「んむんむ……美味美味」















end
ダラダラと長い文章をここまで読んでくださってありがとうございます。
まずは、なけなしの感謝の気持ちを。

これはゆかりんが決勝に出たら、投下するつもりだった作品です。
まぁ、結果は見ての通りでしたが、おかげ様でエピローグを追加できる時間が出来たのでよかったです。
蛇足のような感じもしますが……

場違いな上に音速も遅いですが、この場を借りて申し上げます。
第2回東方最萌えトーナメント、本当にお疲れ様でした。
この祭りがなければ、SSという媒体に出会うことなど一生なかったと思います。
ウドンゲに始まったSSも、咲夜、こーりん、そしてゆかりんにまで手を広めていきました。
そのゆかりんも、当初はウドンゲを破ったという理由だけで応援していましたが、
SSを書いていくうちにだんだん愛着が沸いてきて、今では萌えの四天王に入っちゃってます(笑)
暇な人は夢想してみてください。この作品には、そのうち3人が出てきてます。


今、この瞬間、自分は「祭り」と「日常」の境界にいます。
だから、これを投稿して初めて自分の「祭り」が終わります。

名残惜しいですが、これをもって締めの挨拶とさせて頂きます。
それでは、また次の作品で。

3/18 ホームページのURL追加。

so
http://www.geocities.jp/not_article/
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コメント



0.6520簡易評価
2.100ABYSS削除
えーと。最萌の最中スレに投下された前作をリアルタイムで読んで涙ぐんだ、
そんな記憶がよみがえりました。

しんみりと、まるで降り積もる雪のように穏やかな感情が胸をよぎります。
いいものを読ませていただきました。

しかし何気に楓は強いのかな?フランと弾幕に興じれるなんてすげぇ。
あと至上のツンデレっぷりを発揮するアリスが萌え。

そして最萌にて東方SSに手を染めたワタクシとしてもその境遇に共感すると共
に筆力の差を見せ付けられて凹みます。
また氏の作品を目にするのを楽しみにしています。
12.100シゲル削除
かなり泣きながら読んでいます。
so さんの次の作品も楽しみにしています。
感想が短くてすいませんが、これからも頑張ってください。
24.100necro削除
感動しました。永夜組大好きな私のツボにきましたよ。
次回作も期待してます。頑張ってください。
29.100AG削除
おおお・・・涙が・・・
久しぶりに泣きました。
良い物を読ませてもらいました
40.100名前が無い程度の能力削除
 前作も今作も泣けて泣けて・・・
 霊夢、これからも頑張れ。
 紫が先読みできないほどに。

*前作は長々と感想書きまして失礼しましたm(__)m。
41.100水影削除
久々に涙が・・・
いいものを読ませてもらいました。ありがとうございます。
霊夢と紫のことがもっと好きになってしまった(お
44.100hori削除
霊夢と楓の岬でのやり取りが・・・(ノ□;)メソメソ
45.100てーる削除
霊夢をここまで惑わせる紫様と
楓と紫との差異に感じる感傷。


何気に大人びた萃香との霊夢のやり取りのなかの紫の思いに
心動かされつつ・・

人妖の境界の二人に幸あれ。
次回作楽しみにしております。
49.100しん削除
うはぁ……
いいなぁ、こういう雰囲気。
スクロールバーの長さにめげず、もっと早くに読んでいればよかた。
51.100名前が無い程度の能力削除
100点じゃ足らないですよ・・・
ご馳走さまでした。
53.100名前が無い程度の能力削除
あぁ、あんたは最高だ
いや、あんたこそが最高だ
67.100菜々氏削除
…………
涙で何も出来ません
あなたは神だ
83.100ry削除
あんたは最高だ。
91.80名前が無い程度の能力削除
心が温かくなりました・・・「泣き」は泣きでも『嬉し泣き』のような読了感です
・・・ってか、アリスが本当完璧だと思いました。

マイナス20点は
萃香のしゃべり方が大人びすぎな点(←わざとかな?)がちょっと気になったので
113.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい
115.100テン削除
読みました。感動です!!もろ泣きです!!!
最後の「モグモグ」が特に!!!
133.100名前が無い程度の能力削除
・・・くそう・・・
ラスト・・・ラストで・・・
よくあるオチなのに・・・!
俺の負けだぁああああああああああああ!!!!(何
136.100名前が無い程度の能力削除
これは…泣きました。
霊夢はこれからも頑張って欲しいなぁ。
紫様、いつかどうにかして逢ってあげてくれ。
137.100名前が無い程度の能力削除
小説を読んで泣いたのは久々でした。
霊夢と紫が今まで以上に大好きになりました。
138.100daiLv4削除
このような作品にこそ満点は相応しいと思うのですよ
139.100名前が無い程度の能力削除
↓やぁ、同士。
140.100名前が無い程度の能力削除
泣きました。楓強いなぁ。
141.90名前が無い程度の能力削除
良いもの読んだ
143.100時空や空間を翔る程度の能力削除
この作品が誕生して二年越しに出会えたこと・・・
時間のめぐり合い感謝かな・・・

良い作品です。
もっと早くめぐり合いたかったです。
144.100名前が無い程度の能力削除
紫と霊夢の気の置けない関係がとても良かったです。
147.100名前が無い程度の能力削除
ラストで一気に堤防が決壊しました。泣ける。
148.100名前が無い程度の能力削除
久しぶりに東方小説で涙が出た。
153.100名前が無い程度の能力削除
最後で泣いた
155.100名前が無い程度の能力削除
オリキャラかよと一瞬でも考えた自分をスキマ送りにしてやってください。
いいお話でした。
159.100名はない猫削除
霊夢、紫、楓の三人の心情は言うに及ばず、魔理沙をはじめとした周りの人物の『熱さ』までもが伝わってきました。文句なしの100点です!
165.100名前が無い程度の能力削除
・・・泣いた。
本気で泣いた・・・
でも、萃香ってこんな口調だったかな?
166.90名前が無い程度の能力削除
萃香はもともとこんな感じの口調・性格だと思うがな
二次が変に幼すぎるだけで
169.100名前が無い程度の能力削除
大好き