――『戦場薬種千万応錬』曰く。
夫れ兎薬の術は、天道の恐るべきを知らざれば、狂学のわざに近し。万渦無辺、天理に背きて間道を造る詐術である。
薬師・八意永琳の造る薬は全てに効く。
空間はもちろん、運命、破壊、万霊、剣術、そして、時間にすら効果を及ぼす。
巫女と魔女を経由して届けられた『永琳が製作した薬』は、
蓬莱山輝夜、藤原妹紅、彼女らの意識を、既に『過去へ飛ばし』ていた。
+++
「ここまで、ですかね……」
「……ああ」
「あの子に、会えないのは残念ですけど」
「……望むのは、贅沢だろう」
「そうですね」
「…………」
「……結局、親になれなかったのでしょうか」
「……そうかも、しれん」
「あの子の笑った顔、見れませんでしたね」
「……むしろ、必要だったのは……」
そんな会話で、妹紅は目覚めた。
いや、覚める、というのは正しい表現ではないかもしれない。
正しくは『意識が目の前を把握した』のだ。
躰の無いまま、五感だけがそこにある。さながら幽霊のように観察できた。
話し合う声は、酷く聞き取りにくい。
雑音が、絶え間なく邪魔していた。
パイプに膨大な空気を送り込み続けているような騒音。
凶暴な風音だった、
目の前にいるのは二人の男女だ。
年寄りと呼ぶには若すぎ、中年と呼ぶには年を取り過ぎていた。
薄汚れた和装はツギハギがいたるところになされ、茶けたシミが元からの意匠のように溶け込んでた。
向かい合い、穏やかに話し合っている。
酷く、奇異に映った。
何故そのように感じたのか分からず、妹紅が周囲を見渡してみると、その理由が分かった。
燃えているのだ。
狭い室内のそこかしこで炎の舌は伸び、天井は黒い煙で燻されている。
入り口は特に念入りに燃やされ、逃亡を防ぐ処置がなされていた。
先ほどからの凶暴な風音は、これが原因であるらしい。
ほんの僅かな時間――それこそ茶を一杯飲むだけの時間があれば、炎は小屋全てを嘗め尽くすだろうと見えた。
劫火は、既に人が消せる段階を過ぎていた。
死は必至だ。
にもかかわらず、夫婦はまるで慌てていなかった。
不可避なものを丸呑みした人間が持つ、静かな諦観がそこにはあった。
『―――』
喉奥からの、かすれる音がする。
続いて、絶叫が妹紅の意識を叩いた。
すぐ横からだ。
否定と懇願を混合させた、絶望色の叫び。
壮絶な声、だった。
(輝夜……?)
妹紅は半信半疑だ。
それは永遠亭あるじには相応しくない、感情に染め抜かれたものだった。
彼女は、養父母を逃そうと、無駄な行動を繰り返していた。
幽体である身では、触れることも気づかせることもできない。
平素の彼女からは、まるで想像できなかった。
再び前を注視する。
(――とすると、この人たちは……)
輝夜の養父母、なのだろうか?
人の良さそうな、穏やかな人柄は、見ているだけで分かった。
平素な顔からも、笑顔が容易に思い浮かべられた。
皺の一つにすら菩薩がある。
言っちゃ悪いが、とても輝夜の養父母やっていたとは思えない。
妹紅は、もっと苦労とストレスとに押し潰された顔だと想像していた。
あの我侭三昧の姫の世話をしたのだ、そうであって当然だった。
焔が躍る中、夫婦は喋っていた。
日常的な光景が、非日常の中で行なわれていた。
声は聞こえない。
炎が音を飲み込んでる。
穏やかなまま、頷き合い。
静かな挙措で何かを取り出す。
『いやっ! なんで!? なんでなの!!! わたし、そんなことの為に渡したんじゃないのに!!!』
――蓬莱の薬――
夫婦は、躊うことなく、『二人の中央にいる女の子』に投与する。
(あ。あたし、だ――――)
直感でも何でもない、いつも水鏡に映っている姿がそこにある。
息も絶え絶え、矢じりを幾本も身に受け、冥府に向かう直前だった女の子は、苦しげな呼吸の合間に薬を飲んだ。
嚥下し、喉がごくりと鳴り、肺腑に溶ける。
瞬間。
瞳が限界まで開いた。
紅く染まる。
肺から空気が押し出され、背骨が弓なりに反り返る。
そして、その躰から炎を吐き出した。
輝く赤色は夫婦を舐め、周囲の小屋を喰らい尽くし、更に取り囲む都の兵団を灰塵に帰す。
舞い上がるは鳳凰。
復活を司る霊鳥。
巨大な翼がばさり、と広がった。
肺腑からの絶叫が聞こえた。
すぐ横からだ。
『どうして!?』と幾度も叫んでいた。
妹紅はぎゅっと目を瞑った。
眼前の『過去』を見たくなかった。
輝夜の問いは、また妹紅が幾重も反芻したものでもあった。
炎の爆ぜる音を聞きながら、再び問いを繰り返す。
なぜ、あの夫婦は自分をこのような躰にしたのか?
行なう理由は何も無いはずだ。
まるで初対面。赤の他人である。
怪我も、蓬莱の薬を盗もうとして、兵の流れ矢に当たってのことなのだ。
まるで自業自得だ。二人が命を捨てる訳になりはしない。
不死の薬を強奪しようとする兵団が取り囲んだのも、ただの不運でしかないのだ。
何故なのか、何故なのか……
妹紅は、目を開き、再び眼前の惨状を見る。
――炎を纏ったまま、男が寝そべっている『過去の自分』に語りかけていた。
奇妙に穏やかな顔だ。
焼かれても、落ち着いていた。
口が動く。
意味のある言葉を紡ぐ。
妹紅の意識という意識は今度こそ凍りついた。
意味が分からない。訳が分からない。そんなことは理由にも原因にもならない――――!
「……もし、良かったら」
――もし、叶うなら。
穏やかなまま、苦しさを微塵も感じさせず、無限の愛情を込めて口は動いた。
「……あの子の、友達になってくれないか?」
+++
輝夜の意識は、竹の囁きで目を覚ました。
養父母が焼き殺された光景が離れない。
何も考えられない。
何も考えたくない。
ぎゅう、っと己の躰を抱き締め、その場で蹲った。
永遠にこうして、石になってしまえば良いと思った。
(――?)
その自分を、『何か』が通った。
相変わらず幽霊じみた躰であるらしい。
高く可愛らしい鳴き声を上げながら、小動物が向かう先には――
(妹紅……)
『現在』の姿とは、少し異なっていた。
髪はばっさりと短く、服も世捨て人のようだ。
自然に溶け込んだレンジャー、と言えば聞こえは良いが、実際の所、ただの放浪者であった。
小動物――子犬のようにも子猫のようにも見えるそれは、何かの妖怪なのだろう。
幻想郷で生きている『一般的な生物』は人間くらいのものだ。他は『幻想』と評されるもので溢れている。
過去の妹紅は、嬉しそうに纏わりつく動物を一顧だにせず、ただ上方を向き、煙草を喫んでいた。
緩やかに煙はたなびく。
動物を無視する様子は、よくある『本当は気にかけているのだけれど気にしない振りをしている』のではなく、本当に興味が無いだけだった。
嬉しげにつき纏う小動物とは対照的に、冷ややかな無関心を貫いていた。
――妹紅の背後では、熊猫と思われる巨大な妖怪が倒れ伏していた。
全身から黒煙を燻らせている様を見ると、どうやら彼女が倒したらしい。
それを称讃するように、小動物は跳ねる。
だが、『関わりあいなど、御免こうむる』と言わんばかりに、妹紅はその存在を無視していた。
足元で跳ね喜ぶのとは対照的に、酷く冷めている。
やがて、妹紅は煙草を消し、反動をつけて立ち上がると、その場を後にした。
動作の途中で小動物を蹴り飛ばしたが、気にしていなかった。
(やっぱり、あんな奴なんだ)
礼節なんて無い。
誇り高さもありはしない。
蓬莱の薬に値する命などではないのだ。
奥歯の鳴る音がした。
『過去』の映像ですら気に食わなかった。
八つ裂きにしても足りぬと深く確信する合間にも、目の前の光景は流れた。季節が秒針の速度で移り行く。
座り、煙草の煙をたなびかせる妹紅に変化はほとんど無かった。
髪の伸びる様だけが、時間の進みを知らせていた。
妹紅と小動物との関係も、また変わらなかった。
時折、ほんの気まぐれに余った食料をやり、自衛のついでに助けた程度だ。
基本的な『距離の遠さ』は変わらない。
(え……?)
だが、纏わりつく小動物の姿と形は、時の影響を被った。
(なんで?)
輝夜は目を見開いた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(なんでたかが50年程度で老衰してるの?)
小さな躰が大きくなり、成体を過ぎ、遂には老境へ行こうとしていた。
そこに先ほどまでの快活さは無い。
輝夜は、ショックだった。
普通の人間の感覚で言えば、一週間で老いを迎えてしまう生き物を見るのと同じだ。
『なんでこんな短期間で?』と思わずにはいられない。
過去の妹紅は、その動物の姿を黙って見ていた。
瞳の奥では、感情らしきものが揺れていたが、それでも黙ったまま、ただ見てた。
今はもう、動物は地に倒れ伏し、荒い呼吸だけを繰り返していた。
「…………」
妹紅の指先が揺れる、伸びだそうとする腕を自分で押させた。
歯を噛み締め地面を見つめる。
日が沈み、月が昇るまで、ずっと。
そうして、躊躇に葛藤を重ねたのち、
――そうっと、触れた。
まるで、生まれたての赤ん坊を扱う慎重さで、妹紅は動物の毛皮を撫ぜた。
苦しそうな呼吸の最中、濡れた瞳が向き。
「――」
微笑んだ。
名も付けられていない動物の、それは確かに笑みだった。
そして、コトリ、と頭骨が地に落ちる。
それを最後に動かなくなった。
「…………」
妹紅は何も喋らない。
唇を噛み締め、ただ立ち尽くす。
歯の隙間から、声にならない声が漏れた。
――こんなの、いつものことじゃない。
腹が震え、その情動が足に伝わる。
――1人なのはいつものこと。
――置いていかれるのも、いつものこと。
「またここで、煙草を吸って、ただ時間を過ごせばいい。それだけで――」
他は何もいらない。
そう続けようとした言葉は、竹林の向こうから来たものに遮られた。
倒れ伏した動物、
――その子どもだった。
「!!」
おぞ気が、寒気がいっぺんに妹紅の背中を駆け上った。
50年前と、同じ姿がそこにある。
ひょっとしたら、妹紅は親として、託されたのかもしれない、だが――
「あたしは人間だ!」
駆け寄ろうとする小動物に、妹紅は叫んだ。
凄まじい現実味を伴ない見えた。自分がいつまでもこうやって竹林で過ごし、あるいはこの動物たちに世話をする光景が。
仙人のように、神さまのように、ただ君臨し、見守る存在になってしまうのが。
――それは、もう人間ではなかった。
妹紅はひたすらに逃げた。
竹薮の中を走り抜ける。
後ろから迫る、小動物の足音が何より怖かった。
「こんなの、こんなの! ただの呪いじゃないか!」
その声は、輝夜にとって何よりの糾弾だった。
自分の能力を使い、作られた薬、その行方がそこにはあった。
+++
「おおおお!??」
風景が螺旋を描き、迫り来る弾幕を映した。
直線する動きに別のベクトルが加わり、魔理沙から見れば無茶苦茶だ。
ただでさえ難しい弾幕が、自分の動きで更に高難易度になっていた。
絶後な弾幕を相手に、勘だけで『弾幕の薄そうな場所』を検索し、半身分もない地点へ躰を突っ込ませた。
ランダムな軌道を描く箒の柄を中心に、片手飛行、大車輪、背面跳びを繰り出し、更に天衣無縫な軌道としてる。
だが、後ろから迫るのは整然とした、軍隊じみた行進を行なう兎の群れだ。
このままでは『チェックメイト』を掛けられるのは時間の問題と思われた。
「しっつこいぜ! もう配達は終わったってば」
だから、魔理沙は懐を探り、無農薬印の人参を放り投げた。
整然としていた隊列が乱れた。電撃が走る。うさぎ達の視線が一匹残らず人参の動きを追随した。真っ赤な赤が目にまぶしい、葉緑素も瑞々しく緑葉を広げてる、土の汚れでさえも、その新鮮さを証明していた。
隊列があっという間に崩れ、争奪戦の阿鼻叫喚が出現した。
「うお!?」
三次元空間の一角だけに殺到し、訳の分からぬ騒ぎとなる。
だが、まあ、これで一安心、もう追っ手は来ないぜと安心したのもつかの間。進行方向より、わらわらと応援部隊がやって来た。
「しつこい!」
その場でUターンを行ない、人参中毒な兎達の横をすり抜ける。
真っ赤な光弾を首を傾げて躱し、きりもみしながら突入してくる兎を跳び箱の要領で避ける。
魔理沙の懐から溢れる人参が、さらに事態を悪化させていた。
騒ぎに騒ぎを足し重ねたような乱痴気騒ぎ。
気の安まる暇は一刻たりとて無い。
凄まじい速度で逆行し、遂には先ほどまでいた場所、届先人がいた地点にまで帰還する。
「うりゃ!」
閉められたフスマを蹴破る。思ったよりも固くて、速度がガクンと落ちた。
ついさっき落ち開けた天井の大穴を確認、スピードを再加速させる刹那の間、『それ』を魔理沙の目は確かに捉えた。
――1枚の、絵画のようだった。
妹紅と輝夜は互いを見詰め合っていた。
口は半ば開き、両手は畳に置かれたまま。
目は確かな焦点を結んでいなかった。人形のような、意思を持たない瞳。今はただ、現では無いものを映してる。
人形と異なっているのは、二人の双眸から、涙があふれ、零れてることだけ。
その涙のうつくしさだけが、違っていた。
限界速の最中の、一瞬だけの映像。
(こいつら、こんなに似てったっけ?)
双生児みたいだと、魔理沙は思った。
鏡写しのジェミニ、異なる生を受け、異なる生き方をし、異なる思考を発するにも関わらず、あまりにも、誰の目にも確かな相似性。
他のなにものでもない、たましいが同じ輝きを放つ。
「ははっ!」
網膜に灼きついた、何よりの報酬を糧に、魔女は天井の穴から脱出した。
夜空を見ながら満足した。
良くは分からない、何故そうなったのかは知らない。
けれど、きっと『大切な何か』を自分は届けたのだ――
+++
「ふう」
逃げ出す魔女を見ながら永琳は嘆息した。
追撃してくる部下たちを、フスマを閉めることで追い返す。
今度、あの巫女を懲らしめてやらねばと決心した。
彼女がちゃんと、直接に渡したなら、ここまで大仰な事態にはならなかった筈である。
それをサボリ、他人の手を貸りたということは、頼まれていた薬がどのようになっても構わないという意なのだろう。
例え違っていても知るもんか、こんな騒ぎを巻き起こした張本人が悪いに決まってる。
「でも、まあ……」
こんな時、穢れた地上人は何と言うのだろう?
「あ、そっか」
けっか、おーらい。
口中で言の葉をころがす。
なんだか、気恥ずかしかった。
座り込んでいる二人、彼女らは、幼子のような、無垢な視線を投げかけ合っていた。
まるで初めて人間を目にした知恵ある動物。
原初の好奇が、不思議そうに問う。
あなたはいったい誰? と。
流れる涙は哀切なのか、慚愧なのか、歓喜なのか分からない。
きっと本人たちにすら。
「では行きますよ?」
永琳は言う。
「さーん、にーい、いーち、ハイっ!」
拍手と共に放たれた言葉は勢い良く、有無を言わさぬ強制力を秘めていた。
意識がないのだから、なおさら効く。
だから、きっと、一番したかったことを、お互いに行なった。
目の前の人が可哀想で、暖めたくて、
ただ、そっと抱き締め合った――――
+++
――外は満月。
静かな、湖面のような静寂の中を飛んでいる。
窓向こうに二人の姿が垣間見えた。
口許には笑顔が浮かぶ。
おかしさが、腹の底からフツフツ湧く。
それを抑えることができなかった。
――宅急便、わるくないぜ。
そんなことすら思ってしまった。
魔理沙は、夜空の中をひたすら飛んだ。
個人的にもこてるのお話は大好きなので、まりーさ中心はお話でもこういう一面が見れたのは嬉しかったですねー。
それにしてもまりさがカッ飛んでる(笑)
「私が幻想郷で最速だぜ!」
...これがハッピィエンドってえ奴なんだなぁ!!
うぅっ...思いっきり泣かせて貰ったよっ
素敵なハッピーエンドでした