Coolier - 新生・東方創想話

ベイビーフッド・クライシス(後)

2005/03/07 10:40:27
最終更新
サイズ
74.48KB
ページ数
1
閲覧数
2030
評価数
26/164
POINT
8950
Rate
10.88

分類タグ


「……な、治らないって……そんな、薬の効果が切れれば元に戻るんじゃ……!」


己の期待と常識をブッちぎった永琳の衝撃的な宣告に、思わず身を乗り出す咲夜。
永久に効く薬がどこにある、そんな馬鹿な話があってたまるか。
にもかかわらず、永琳の言った言葉は「時間はかかるけど治る」どころではなく
「治らない」という、ある意味では死の宣告にも近い絶望的なもの。
咲夜の瞳に信じられない、いや、信じたくないという色が浮かぶ。


「……治らないっていうのは語弊があるかしら。例えば解熱剤っていうのは
体の本質をどうこう弄くるんじゃなくて、あくまで熱を下げる為だけのものよね?
これだと効果時間が切れるのにつれて熱はまた出てくるでしょ。
それはあくまで『熱がある状態』が基準としてあって、そこに薬を用いて
『熱を下げた状態』に無理矢理ひっぱっていってるだけだからよ。
殆どの薬は、この『効果が切れればそこでおしまい』な物。時間と程度の差はあれ、ね」


そして先程までの痴態など何処吹く風で、永琳がまっすぐに咲夜を見据えて
月の頭脳と呼ぶに相応しい、真剣かつ理知的な表情で噛んで含めるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
その顔面に思いっきり畳の跡が付いてさえいなければ完璧だったのだが、
変えようの無い現実を嘆いていても何も変わらないのでとりあえずそれは置いておく。


「それに対して今回のケース。
体内の薬が妙な化学反応を起こした所為で
肉体の本質に作用するタイプのに変化しちゃったのよ。
つまり、このちっちゃい状態が基準になっちゃったって訳。
ドーピングで少しずつ筋肉を付けてくのを一気にやっちゃった、とでも言えばいいかしら。
この『本質に作用する薬』の分かりやすい例は蓬莱の薬ね。
一度手をだしゃ大人になれぬ、そういう類の禁忌の具現よ」

「……そ、それなら……逆の効果を持つ薬を使えば……」


すがるような表情になった咲夜が弱々しく言う。
しかしこの信じたくない現実から必死に目をそむけようとし、
ある筈のない救いを求めようとする様をいったい誰が責められようか。
理解不能な現実と襲い来るメイド及び美鈴に身も心も磨耗し、
自分の使命は果たせず最愛の人には迷惑を掛け、挙句の果てに
最後の砦として頼った永琳からは絶望的な宣告を受けるという、
それこそまさに絶望と言うのが相応しいこの状況で。


「無理よ。貴方に魔法と気功が使われたその時の状況及び時間、そして貴方の体の状態。
それらを完全に再現できない以上は、体内でどんな反応が起こってこの結果を導いたのか
究明のしようが無いし、変化の過程が分からなければ対処法も分からないわ。
身体を大きくするだけなら出来ない事も無いけど、それで元の姿になるかは疑問よ。
それとも、ここにある薬片っ端からチャンポンにして飲みまくってみる?
自分が死ぬ前に効果が出そうな組み合わせを当てる自信があるならね」

「…………嘘…………」


襲い来る絶望に、咲夜ががっくりと肩を落とす。
永琳の言ってる事はもっともだ。
「元の姿」と一口に言うものの、厳密に考えていけば
何かの記憶媒体に情報が完璧に残っているわけでもあるまいし
完全に元の状態に戻す事など不可能だ。
この時咲夜は、もしかしてわざと「治らない」といって
絶望させたスキにつけこみ永琳が襲い掛かってくるのではないかとも思ったが、
流石の永琳もそこまで変態では無かったようで、神妙な面持ちで咲夜を見つめている。
その鼻から滝の様に流れ出している鼻血さえなければ完璧だった。
何故かその血がブラックホールの様にどす黒いのが少々気になったが
もはや今の咲夜にはそんな瑣末事にツッコむ元気は無かった。


「……お茶でも持ってくるわ」


あまりの落胆ッぷりにいたたまれなくなったのか、永琳が立ち上がり、廊下へと向かう。
そして部屋を出て行く前に一度振り返ったが、咲夜はずっとうなだれたままで
決して顔を上げようとはしなかった……。


・ ・ ・


「うーん……ちっちゃくなった……って……てゐ、信じられる?」

「信じるも何も……実際にちゃっちゃくなってるでごわすよ……?」

「そ、それはそうだけど……いや、ちっちゃくなるって簡単に言ってるけど
考えてみればたとえ魔法使ったって説明が付かない気が……」


永遠亭の長い廊下で、二つの影が動いた。
永琳の部屋の襖に長い耳をくっつけながら、二匹の兎がこそこそと話し合っている。
言わずと知れた永遠亭の詐欺師・因幡てゐ、そして鈴仙・優曇華院・イナバである。
今はその長くて感度の素晴らしい耳を生かした盗み聞きの真っ最中だ。


「それにしても……てゐが『紅魔館のメイドが師匠に言い寄りに来た』って言ってたから
不安になって付いてきてみたけど……何か全然そんな雰囲気じゃ……」

「何を言っているんでごわすか、これからが大人の世界でごわす。
あ、ほら……今がっくりと肩を落としたごわすよ。見ていてください、
この後永琳さまがあの子の肩を優しく抱いて、そして繰り広げられるめくるめく壺中の大銀河!
永琳さまの手管手練はまさに天網蜘網捕蝶の法、傷付いた心にゆっくり染み渡り
そして気が付いた時にはもう座薬の様に身体にこびり付いて消えず……ああ!破廉恥でごわす!」

「……うぅ……師匠……わ、私という弟子がありながら……そ、そんなご無体な……!
毎日の様にコロニー落としプレイや月面宙返りプレイに付き合わせたのは
師匠にとってただの遊びだったのですか!?この間なんか座薬にトウガラシを塗ったものが
そこはかとなく健康にいいって師匠が仰るから……わ、私は……私は……ッッ!!」


僅かに開いた襖の隙間から中を覗き見しつつ、
ミュージカルでもしているかの様に猛スピードで縦回転しながらてゐが叫ぶ。
そして何やら凄まじく情報が錯綜しているが、そんな事には気付かない鈴仙は
ハンカチの持ち合わせが無いので自分の左耳を噛んで転がりながら悲しみに耐えていた。
そんな鈴仙の切なげな様子を見て、ひとりこっそりと悦に入るてゐ。
鈴仙に嘘の情報を与えて覗きをする方向へとそれとなく誘導し、主犯にしてしまう。
更にまた嘘の情報を与えて鈴仙の心を引っ掻き回し、反応を見て愉しむ。
ペテン師と言うよりは悪戯好きの小娘と言った方が近いかもしれない。


「……ッ」


その時、ぎし、と部屋の中から足音がした。
動物的な本能で素早く危険を察知したてゐが
何時の間にそんなもん拵えたのか、床板を外して地面の下に姿を隠す。
流石は永遠亭の詐欺師、状況証拠はともかく物的証拠は残さない。
現行犯逮捕さえされなければ後はどうとでも言い逃れが出来る。
やはりてゐは悪戯好きの小娘ではなく生粋のペテン師だった様だ。


「ぎし?ぎし!?こ、この不吉でどことなく淫猥な響きを持つ音はまさかッッ!
そう、確かこれは……嫌ッ!やめて!そんな会ってまもなくベッドインだなんて
私の師匠はそんな変態星人じゃないわ!嫌!聞きたくない!聞きたくなーいッ!
確かに普段から座薬相対性理論だとかロリータの定理だとか三元連立百合方程式とか
まるで意味の分からない事ばかり言ってるけど師匠はホントは凄く素敵で優しくて強くて
そしてちょっぴり狂ってるところがとっても魅力的なってまたぎしぎし言ってるぅぅぅぅぅぅ!!
い、嫌!来ないで!見たくない!し、師匠が幼女を喰らってるとこなんて見たくな……ッッ!!」


そして一体どこで何をどう勘違いしたのか、凄まじく意味不明な事を叫びながら
たまたまそこに落ちていた二股大根を振り回して己の頭を激しく殴りまくる鈴仙。
流石はあの月の頭脳八意永琳の弟子だけの事はある、正気を失う様も実に天才的だ。


「……あら」

「う」


すうと襖が開いて、何やら左肩と頭で自分の体重を支えて逆立ちしつつ
足で英字のKを作るという芸術的な格好のまま斜めにブッ潰れていた鈴仙と
部屋から出てきた永琳の視線がぶつかった。
そしてその瞬間、永琳の目の色が変わる。
天才的な脳細胞がオーバードライブひっこぬいて動き出し、
瞬時にいくつもの理論を展開してこの状況でするべき
最善かつ最高の方法を導き出した。


「盗み聞きとは感心しないわね、ウドンゲ」


まるで聖母の様に優しく微笑みながら囁く永琳。
その手にはいつのまにか明らかに永琳の身長よりでかい怪しい器具が携えられている。
ガッチョンガッチョンとかギュインギュインとかポラララポリリリとかラッシャッシャッレェーとか
どこか芸術復興的な息吹を感じさせる音を発しているのが実に天才的だ。
そしてその素敵に無敵なラブリーガジェットを目の当たりにし、感動の嵐に見舞われた鈴仙が
思わず腰を抜かして後ずさる。


「いえ、その、あの、いや、ぬ、盗み聞きだなんてまさかそんな馬鹿な話が!
その、えーと、ちょっと襖のスキマほどの空間からでも敵を狂わす事ができるように
邪眼のトレーニングを!本当です!信じてください!嘘じゃないんです!
だからそのもはや人に対して駆使(つか)っていいものかどうかも怪しい謎の器具はしまってください!
いや、あの、ちょ、縛、な、何、動、や、やめ、し、ししょ、待、やめ……ッ!!」


・ ・ ・


「はにょぉぉぉぉぉぉ!に、24個のシリンダーがマーマレード色のチェーンソーを用い
三次元の帝国において核に至る砂上の唄が触紅と青色を含んで
デスバレーの底で蟲は明日無き幸福を子供の様に弄びながら鴉はピンク色を殺し
神の芯を深く葬る琥珀色した鬼の眼が逆上堪能ケロイドミルクゥゥゥゥゥゥ!!
や、やめてください師匠ぉぉぉぉ!!意識が!理性が!しょ、昇天しちゃいますぅぅ!!
す、スカイハイ!ハイ!Hi!Hi!FILTH ハァァァァァァイ!!ふにゃぁぁぁぁぁぁ!!」


部屋の外から聞こえてくる、天使のラッパの様な鈴仙の感動の叫び。
まさに荘厳かつ美麗な神の旋律と言っても差し支えの無いそれを
どこか遠い世界の喧騒の様に感じながら、誰も居ない部屋の真ん中でしょんぼりと俯く咲夜。


「……なんで……なんでこんな事に……」


そう小さく呟いて、咲夜が大きく溜息を付く。。
一生戻らないと言われはしたものの、別にどこかが痛むわけでもない、それこそ死ぬわけでもない。
どこぞの紅白の脳内春爛漫な巫女ならあまり気にしないかもしれないが、
咲夜には「これはこれで」とあっさり納得することの出来ない理由があった。


「……おじょうさま……」


そう。
咲夜があまりにも愛しすぎてハルマゲドンの風情漂うほどに愛している
レミリア・スカーレットの存在が、彼女をここまで落胆させているのだ。
幼女になってしみじみと感じた、今の自分の無力さ。
普段の仕事すら満足にこなせないばかりか、他のメイド達にまで
図らずも悪影響を与えてしまっているその事実。
更にこの身体では満足にレミリアに変態行為をしかけられないという
目を覆わんばかりに凄惨かつ惨憺たる現実。

そして何より、レミリアの世話をするどころか
迷惑をかけてしまっているという事が耐えられなかった。
咲夜の心はボロボロだ。
仕事は別に自分が直接やらなくても、結果的に片付けばいい。
他のメイド達の求愛行動はとりあえず撃退すればいい。
変態行為だってその気になれば一人でも出来ない事はない。
と言うか普段の変態行為の方が明らかに迷惑だという事を
塵ほども思いつかない辺りやっぱり人間って結構罪深い存在なのかもしれない。

ともかく、レミリアの脚を引っ張ってしまうのだけは耐えられない。
日常の世話は勿論、最悪のケースとしてレミリアを狙う魑魅魍魎が現れたりしたら……。


「…………ッ」


ぎゅっと拳を握り歯を噛み締め、己の無力さを呪う咲夜。
その時、こつん、と、正座した脚の指先に何かが当たる感触。
危うく己の殻に閉じ篭りかけた咲夜の意識を、それが現実に引き戻した。
ふと振向くと、そこにあったのは何やらいかがわしい色の座薬。


「……こんなの、何処から……?」


ささやかな疑問を浮かばせつつ、薬を拾ってぐるりと周りを見渡す咲夜。
と、机の上に幾つかの座薬が置いてあるのに目が留まった。
どうやらその内の一個が床に落ちて転がってきたのだろう。
ちなみに机だけではなく、部屋の隅の方に敷いてある布団の周囲にも
何やら怪しげな薬の包みやらくしゃくしゃに丸められた紙やら
絡み合った薄紫色と銀色の髪の毛やらが所狭しと散乱しているが、
咲夜はあえてそれらを見て見ぬフリをした。触らぬ座薬に副作用無しだ。
それらが何に使用された物なのかは目下の所調査中であるが
何者かの天才的な妨害によって作業は難航している。


「……そう言えば……今回の原因になったのも座薬形の薬だったわね……」


座薬を指の中で弄びながら、しみじみと呟く咲夜。
この事態の一因を担ったパチュリーと美鈴を責める事は出来ない。
彼女達は彼女なりの優しさを持ってあの行動をしたのだ。
それさえなければこんな事にはなり得なかったというのも事実だが
もはやすべてが終わった事だ。咲夜が再び大きな溜息を付く。
責める事は出来ないというよりも、責める気力も無いと言った方が近い。
しかしその時、暗く深い闇の底に沈んでいこうとした咲夜の心を一筋の光明が照らし出した。












「泣かないでくれたまえ、可憐で無垢なセニョリータ」












「…………はっ?」


咲夜の時間がそこはかとなく止まった。
自分の他には誰も居ない部屋。どこからともなく聞こえてきた声。手の中にある妙な座薬。
その場の状況を総合して考えれば何が起こったかは大体想像が付きそうなものだが、
それに反して理性が思考の成就を阻む。
理解してはいけない。
それを「理解する」というのは、おちょこに湯船一杯分の水を注ぐようなものだ。
絶対溢れる。間違いなく溢れる。天地がひっくり返っても溢れる。
その事実は私の許容範囲を逸脱している、待て、やめろ、現実から目を逸らせ。
理性が必死に咲夜の思考をかき乱す。
しかし既に精神的に甚大なダメージを受けてボーダークラッシュ状態な咲夜は、
もはや自分の精神を防御する事も忘れ、あっさりと現実を受け入れてしまった。


「みにゃぁぁぁぁぁぁ!薬が!無機物が!喋った!喋ったぁぁぁぁぁぁ!」


あまりのショックに咲夜が耳の穴から血を噴き出しながら部屋中を転げ回った。
咲夜の言う通り、その声は何と咲夜の手の中にある座薬から発されていた。
何時だかパチュリーが『小悪魔の持ってた水飴が喋った』とか言い出した時には
「こいつ引き篭もりすぎて脳細胞と視神経が壊死したんじゃねーか」と思って
全然真面目に聞いていなかった自分を恥じる咲夜。


「失礼とは思ったが、先程からずっと話を聞かせて貰っていた。
いやはや、しかし幼児に戻ってしまうとは……珍しい事もあるものだな」


咲夜の混乱に追い討ちをかける様に、なにやら高いとも低いとも付かない
中性的と言うよりはむしろ無機物的な声で座薬が語りかけてくる。


この時咲夜が「座薬がモノ言う事の方が数倍珍しいわよ」と思ったのは言うまでも無い。


「な……ちょっ……え……な、何で座薬が口利くのよ……!?」

「ふむ、人間の常識では座薬というのは喋らないものなのか」

「いや、喋ったら物凄く使いづらいじゃない……じゃなくて、あ、貴方一体何者なのッ!?」

「自己紹介を忘れていたな……私は……まあ、名前は無いのだが……以前は……」


ゆっくりと口を開く、いや、口は無いので声を発する座薬。
そしてその座薬の話をまとめるとこういう事だった。


……自分はもともと植物の妖怪だった。
三日ほど前、その日の糧を探して竹林をさまよっていたら
何やら美味そうな兎肉の匂いが何処からとも無く漂ってきた。
そのいい匂いにつられてふらふらと歩いていくと、
食べごろの兎がゴロゴロ居る家、つまり此処に辿り着いた。
早速豪華な晩餐としゃれ込もうとしたら、
いきなりリーダー格の兎に弾幕を張られてぶっ飛ばされて
この家の主と思わしき銀髪の女へと生け贄的に差し出された。
おまけに植物妖怪だったのが災いし、すり潰されて薬の材料にされ今に至るという訳だ。


「……バカだわアナタ」


一通り話を聞き終わるなりその妖怪のあまりのアホさに思わず感動の涙を流しかける咲夜。
いくら腹が減っていたとは言え永遠亭の兎を狙うなどアホとしか言いようが無い。
飛んで火にいる夏の虫とはまさにこの事だ。
野性の世界において目の前にいる相手の戦力を瞬時に見抜く才能、
それは時として闘いの強さ以上に重要になり得るのだ。
永遠亭には、てゐと鈴仙はまだしも超規格外の爆薬が二つもある事に気付かなかったのか。
まったくこれだから道管と師管で維管束形作ってる奴は、と妙な事を考える咲夜。


「馬鹿とは何だ。今でこそこんな破廉恥な風貌になってしまったが
もともと私はここら一体の植物妖怪のリーダー的存在だったのだぞ。
仲間を養う為には例えどれだけ危険でも怯む訳にはいかん」


そしてそんな咲夜の想いに気付いたのか、どことなく誇らしげに座薬が言う。


「リーダーねぇ……道理で妙に態度が大きいと思ったわ。
それにしても植物妖怪……ベースになった植物は何なの?」

「冬虫夏草だ」

「ふぅん……ちょっと待って、何で貴方すり潰されてるのに喋れるのよ」

「まあ、もし燃やされていたら流石に死んでいたな」

「いや、全然答えになってないから」


摘んだ座薬をしげしげと見つめる咲夜。
冬虫夏草だったのなら確かに薬の材料になるわね、と
詮無い事を考えながら、何か胸の奥に引っかかる物があるのを感じていた。

……そもそも何でコイツは私と接触を持とうとしたのか。
落ち込む私を見るに見かねて助けてくれようとしたのだろうか。
しかしこんな座薬如きにこの幼児化現象をどうにか出来るとも思えない。
そして逆に私に助けを求めるにしても、座薬になってしまっているのでは
助けようにも助けられないし、第一助かったとしても身の振りようが無い。
まさかただ単に私と話がしたかっただけという事は無いだろう。
……いや、待てよ。確か、冬虫夏草というのは…………。


「ところで言い忘れてたが……私はこんな形してても実は貼り薬なのだよ」

「貼り薬!?そ、そういう事存在の本質に関わる重要な事は先に言いなさいよ!
思いっきり掴んじゃったじゃないの!うっかり服用しちゃったじゃないの!
何か凄い勢いで皮膚から薬効成分が浸透してきてるじゃないのよぉぉぉぉぉぉ!」

「しかも私があの薬師に「要らない」って言われたのはつまり薬として失敗作だからだ」

「嘘ぉぉぉぉぉぉ!?いやぁぁぁぁぁぁ!医療ミスが!重大な医療ミスがぁぁぁぁぁぁ!」


悲劇だ。そしてある意味喜劇だ。
まさか本当に触った座薬に副作用があるとは思わなかった。
飛んで火に入る夏の虫とはまさにこの事だ。
指先にじくじくと感じる熱い血の脈動が全身に広がっていく。
そしてそれに伴い、咲夜の意識が暗転していった。


・ ・ ・


一方その頃。
咲夜の身に起こったシリアスプロブレムの事など知る由も無い永琳が
鈴仙を軽くストロベリった後に向かった台所から戻ってきていた。


「……茶葉が切れてるなんて気付かなかったわ、後で作っておかなきゃ」


お盆に二人分の湯飲みと禍々しいオーラ漂う薬の包みを乗せて
正中線を一切揺らさないという無意味に天才的な歩行術を用いながら、
自分の他には誰も居ない廊下で永琳が一人ごちる。
ちなみに輝夜は妹紅の所以外は家から一歩も出ようとしないし、
それに付随して永琳は輝夜の世話をしなければならないので
永遠亭の買出し役はもっぱら鈴仙一人が担っている。
しかし実は以前永琳が光臨堂に買出しに行ったところ、
醤油と重油を間違えて買って来るという天才的な間違いを犯して
危うく物凄い環境問題を発生させかけたから鈴仙が買出し役をしているのだが
この際それは関係ない。


「とりあえず手近な物で代用したけど……確かベニテングタケってお茶の一種よね。
ま、私ほどの天才がそんな簡単な事を間違える訳が無いけどね……おまたせ……」


そう言っている内に、襖の前に着くと両手が塞がっている事など全く問題にせず
後に纏めた髪を振り乱して取っ手に引っ掛け天才的に襖を開く永琳。
足なり何なり使えばいいのにそこはやはり天才だ。
その深遠な思考及び行動は一般人には理解できない。
ちなみにここで言う「深遠」には「どあほ」というルビが振られる。


「……って、ど、どうしたの!?一体何が……!?しっかりしなさ」


そして部屋に入った永琳の視界に飛び込んできたのは、
あろう事か畳に突っ伏してちょっぴり扇情的な体勢で倒れている咲夜の姿だった。
流石の永琳も全く予測していなかった緊急事態に、慌てて咲夜に駆け寄り
瞳孔及び鼓動を確かめようとして、その小さな体を抱き起こし…………














ヂャクッ














「い───────ッ───────!?」






突如腹部を襲った、禍々しい音と鈍い痛み。


刺された、という事を理解した次の瞬間、
まるで悪鬼羅刹の様に口元を歪める咲夜を見上げながら
力なく畳へと崩れ落ち、その衝撃を最後に永琳の視界がブラックアウトした。



・ ・ ・



「……永琳さまは部屋に戻ったでごわすね」


パカ、と床の一部が開き、先程から隠れていたてゐがぴょこんと顔を出した。
辺りを伺うついでに、ぶっ倒れている鈴仙のスカートの中身をこっそり盗み見てから
颯爽と床に登り、服に付いた埃をぱたぱたと払う。
ちなみにスカートの中身を記録して誰かに売りつけるなどという余計な真似はしない。
そんな事をすれば今まで永遠亭で築きあげた無邪気な幼女キャラが崩れてしまうからだ。
千里の堤も蟻の穴から崩れる、詐欺師家業には一瞬の油断も許されない。
それ以前に無邪気な幼女は倒れてる人のスカートの中見ねーよ、とツッコめる者が
この場に居ないのが非常に悲劇的だがこの際それは関係ない。


「(鈴仙さまと永琳さまの繰り広げる桃源郷をこの目に収められなかったのは
いささか不覚でごわしたが……背に腹はかえられないでごわす。さてと、鈴仙さまを起こさねば)」


と、てゐが鈴仙に歩み寄って体に触れようとしたまさにその時。
永琳の部屋の中から、何やら人間が倒れたような倒されたような、ドサっと言う音が聞こえてきた。
てゐの耳がぴんと立つ。


「──こ、これはッ!まさに完全で瀟洒な百合色メイクラブタイムの始まりの合図!
鈴仙さま、起きてくださいでごわす!永琳さまがついに彼女を押し倒しましたよ!
お茶を飲ませてそのスキに襲い掛かるとはまさしく天才!まさしく偉大!
さあ!ここから先は一瞬のまばたきすら許されないでごわす!
だから早く起きてください!万が一にもこれを見逃したら一生
人に後ろ指指されて生きねばならなくなるでごわす!!」

「……う、う~ん……し、ししょぉ……む、無理です……タケノコとか普通に無理です……あ、あぁ……」


これは面白い事になってきた。
師匠と弟子と幼女の泥沼劣情爆裂三角関係の幕開けだ。
こんな楽しそうな事態の火種を掘っておく、いや、放っておく訳には行かない。と、
勘違いも甚だしいがそれに気付く事無く鈴仙を揺すって起こそうとするてゐ。
しかしどれほどまでに重大なダメージを受けたのか、鈴仙は未だぐったりと横たわり
何やらうわ言のようにぶつぶつと呟いているだけだった。


「タケノコ?無理?鈴仙さま、何時の間にイルカ語を覚えたんでごわすか!
まったく冗談は座薬だけにしてくださいでごわす!早く起きないと終わっちゃうでごわすよ!」

「はにゃーん」

「はにゃーんじゃねーよ!起きろッつってんだろこのアイコンタクトインポッシブル野郎!!」

「シャラボワッシュ!!」


いつまでたっても目覚めない鈴仙に業を煮やしたてゐが
鈴仙めがけて思い切り胴廻し回転蹴りを叩き込んだ。
鈴仙が夢の世界にトリップしている事を確認した上での本性を表した攻撃、
いかなる時でもペテン師の心がけを失わない、てゐらしいお茶目な行動だ。


「ふぇ!?な、何!?妖怪の襲来!?月の軍勢の攻撃!?それとも外宇宙からの飛来物!?」

「大丈夫でごわすか鈴仙さま!いきなり天井から大王イカが落ちてきたでごわすよ!」

「い、イカって……ここ竹林のど真ん中……」

「そんな事より大変でごわす!永琳さまの部屋から
何やら人を押し倒した様な音が聞こえたでごわす!」

「嘘ッッ!?」


鈴仙の至極真っ当な疑問を難なく潰して事態をうやむやにするてゐ。
他者の疑問に対してそれより大きく重大な情報を与えて矛先をずらす、
これが因幡流実戦ペテン術その七「大事の前の所ショージ戦法」だ。
効果は覿面、鈴仙も今はそんな瑣末事に構っている暇はないと判断し
素早く起き上がって永琳の部屋の襖に耳を当て、内部の様子を伺おうとする。


「……あれ?別に何も聞こえなきゃああああああ!!」

「れ、鈴仙さまッ!?」


鈴仙が小声で呟いたその刹那、ベッシァァァという轟音及び
原因不明の爆発を伴って襖が勢いよく吹き飛んだ。
それに付随した衝撃波で飛ばされた鈴仙を受け止めてさりげなく好感度を稼ぎつつ、
素早く扉から離れて警戒態勢を取るてゐ。
そして、もうもうと立ち込める発生源不明の煙の中にゆらりと浮かぶシルエット。
子細を確かめるまでも無く、その影の大きさで何者かの判断は付く。
右手に煌く銀の閃光、煙の中でもくっきりと分かる蒼色の瞳。
ぞろりと煙を掻き分けてその姿を現したのは、まさに十六夜咲夜その人だった。


「ど、どうして……何であの人が、こんな……ッ!?」

「……先程永琳さまが、茶葉が無くて代わりにベニテングダケを
使ったと言っておられましたので……恐らくそれが原因かと……」

「ベニテングダケ……確かあれの中毒症状は主に消化器症状、
それと興奮、幻覚などの神経症状だった筈……な、なるほどそれで……」


信じられない、と言った表情になる鈴仙と呆れたような表情になるてゐ。
事実とは食い違っているのだが、しかし二人がそれを知る由は無かった。
この時鈴仙が、私の師匠って茶葉のかわりに毒キノコ使うような人だったの?
葉じゃないじゃん。明らかに葉じゃないじゃん。傘じゃん。傘と茎じゃん。
キノコの事嘗めてンじゃん、と、己の師の天才的な間違いに感動して
狂喜乱舞の阿波踊りを始めた事は言うまでもない。


「そんな事より鈴仙さま、輝夜さまを……」

「……姫は昨日の夜中から……その、妹紅さんの所に泊り込みで……」

「……夜這いでごわすか」

「……うん」


てゐは普段健康の為に早寝早起きをしているので
他の三人と深夜の接触はほとんど無い上、
輝夜は普段いくら起こしても布団に引き篭もって出てこないので
毎朝皆を起こす際にも一人だけ無視している。
つまり今日輝夜が居ない事をこの時初めて知ったらしく、
何で肝心な時にあの引き篭もりは、とでも言いたそうに小さく舌打ちをするてゐ。
……さて、ならば別の手を考えねばなるまい。
あの紅魔館のメイド長に対して最も有効な手段、それは即ち……。


「鈴仙さま……あの館に行って、主の吸血鬼を連れて来てくださいでごわす」

「連れて来て……って……てゐ、それじゃ貴方は……」

「永琳さまは倒れて輝夜さまはお出かけ中。
ここで鈴仙さままで失うわけにはいきませんでごわす。
あの吸血鬼さえいればきっと彼女は止まります……さぁ、早く!」


吸血鬼、という単語に、正気を失っている筈の咲夜がぴくっと反応した。
それを見て、やはり私の読みは正しかったとばかりにてゐが鈴仙を追い立て
自身はずい、と咲夜の前に立ちはだかった。
ああ、何と美しい光景か。
ペテン師は仕事に命を懸けない、ヤバくなったらサッサと逃げる。
永く生きている中で身に付けたてゐの処世術であり生き方の根本。
その事について部下の兎が「まさに亀の甲より年の功、おばあちゃんの知恵袋と言う事ですね」と言ったら
本人は褒めたつもりなのに何故だか殴られまくったと言うのはこの際関係ない話なので置いておく。
そしてその仕事に命を懸けず、ヤバくなったらさっさと逃げるペテン師である筈のてゐが、
友の為に己の命を削って大いなる敵に立ち向かおうとしている。
ちなみにてゐは以前「健康にいい」と言う事で始めた太極拳をきっかけに
百と四十六年ほど中国拳法を嗜んでいたので、実は弾幕より肉弾戦のほうが得意だったりする。
もはや完全に正気を失っている様子の咲夜が既にナイフを構えているが、てゐはまったく動じない。
使用(つか)えばいいじゃないか、勝つために刃物が必要なら迷わず使うべきだ。
もはや中国拳法に見えぬほどオリジナリティ溢れる構えを取りながら、
どれほど迅く動こうが、なにを使用おうが、ペテン師の私が先に届くとでも言いたそうに咲夜を見据える。


「で、でも……てゐ一人で彼女を相手にするなんてッ……!」

「……ここで二人とも倒れたら、一体誰が幻想郷を守るんでごわすか!」

「……ッ!!」


珍しく大声で叫んだてゐに鈴仙が一瞬たじろぐ。
そして、「幻想郷を守る」というてゐの台詞が鈴仙の弄られキャラゲージを一気に振り切らせた。
妖夢に匹敵するほどのバカ正直さを誇る鈴仙には、ある程度誇張した表現や言い回しが
実に効果的なのだ。根が真面目なものだから、重い雰囲気にはあっさりと乗せられてしまう。
弾幕はあっち行ったりこっち行ったり狂いまくってるのに、性根はどストレート極まりない。
やっぱり貴方達はワカってないウドンゲという宇宙兎を、そういう部分がそそるのよ、ハハ。
と、どこかの変態薬師が常々そう言っているがそれはこの際関係ない。


「……てゐ……私が戻ってくるまで死んだら駄目だからね!」


そう言って、対峙するてゐと咲夜に背を向けて駆け出す鈴仙。
この時てゐは戻ってくるまで死ぬなってそれ戻ってきたら死んでもいいって事?と思ったが
今迂闊にツッコむと目の前の咲夜からナイフがかっ飛んできそうなのであえて黙っていた。


そして、鈴仙の姿が完全に見えなくなったのを確認すると。


「おい、そこの正気を失ってるチビ!お前の事だ、そこのチビ!
あまりにも小さすぎて肉眼で確認できなかったなぁ!!!!
今この拳で正気に戻してやるから大人しく突っ立ってろ!この幼女がぁ!」


今までの甘ったるい雰囲気が劇的に変化し、
鋭い眼光を放ち引き締まった表情を浮かべるてゐ。
もはやここには輝夜も永琳も鈴仙も居ない。真の自分を隠す必要は無くなった。
もしも鈴仙辺りがこれを見ていたら感動しながら絶望してひっくり返る事間違い無しだ。


「よく聞け!ペテン師が本性を表すってのはどういうことか分かるかチビ!?
生きて帰さねェってことさ!五体満足で永遠亭から出さねェッてことさ!」


その可憐な容姿にはとても似つかない啖呵を切りながら素早く戦略を練るてゐ。
勿論この口上も時間稼ぎの内、あくまでも自分の健康が第一なのだ。
鈴仙の戻ってくる時間を計算し、ペース配分及び闘いの進め方を考える。


「(鈴仙さまが戻られるまで……三十、いや……四十分……!!)」


てゐの瞳が真っ赤に燃える。ペテンにかけろと轟き叫ぶ。
良しッ、と心の中で呟いて気合を入れる。
例え多く見積もっても五十分、全力で動いても健康に被害が出ない活動限界には十分に余裕がある。
……第一、私は健康に気使って長く生きているうちに妖怪変化の力を身につけた程の
そんじょそこらの兎とは一味も二味も違う、超一流のラビットオブラビッツだ。
たかだか薬のひとつやふたつ飲んだだけでコロッと正気を失うような、
たったの三、四十年も生きていなさそうな、こんな小娘に後れを取る筈が無い。



永遠亭は、私が守る。



決意と闘志を四肢に漲らせ、てゐが咲夜めがけて奔り出した。


「ちょうしこいてんじゃねェ小娘ェッ!!」



・ ・ ・



てゐと咲夜の熱い闘いが幕を開けたその十数分後、
紅魔館中にかつてない程の衝撃が走っていた。
なんとあの完全で瀟洒で変態な鬼のメイド長、十六夜咲夜が
正気を失って永琳を倒し、今なお大暴れしているというのだ。
大慌てで飛んできたためにあちこちぶつけて怪我をしてしまい、
小悪魔の治療を受けている鈴仙が必死の形相で事態の説明をしている。


「今てゐが必死で彼女を押さえています。早く止めないと師匠どころかてゐまで……ッ!」

「……咲夜ったら……あんな状態で無理するから……分かったわ、今すぐ永遠亭に向かいましょう」

「お嬢様、私もお供いたします!咲夜さんの緊急事態に黙って待っているなんて事は出来ません!」


今にも泣き出しそうな鈴仙の言葉を聞き、レミリアがゆっくりとソファから立ち上がった。
そして、後に控えていた美鈴が自分を連れて行ってくれと申し出る。
上司であり友でもある咲夜を放ってはおけない、という美鈴の男気ならぬ女気。
しかし、レミリアの答えは至極冷静かつ現実的なものだった。


「美鈴は紅魔館(ここ)に残りなさい。咲夜が居ない今、メイド達を纏めるのは貴方の仕事よ。
それに貴方はここの門番でしょ?門番が門の番をしてなくてどうするの」

「で、でも……もう朝になってますからお嬢様一人じゃ……」


あっさりと却下されても、なおも食い下がる美鈴。
それを受けて、レミリアがふぅ小さくと溜息をつく。


「……貴方、随分と私を信用していないようね」

「い、いえ!そ、そんな滅相も……!!」

「だったら大人しく従いなさい。貴方は私と咲夜が戻ってくるまで
普段の業務に滞りを出さないこと。それと、パチェ……分かってるわよね」

「ええ、妹様は適当に誤魔化しておくわ……はい、日傘」


レミリアの発した強烈なプレッシャーに、思わず美鈴が冷や汗を流す。
そして友人と従者を信頼しているのか、はたまたあまり興味がないのか。
レミリアに声をかけられても、読んでいた本から視線を外しもせずに言うパチュリー。
そしてその一瞬後、レミリアの頭上に魔方陣が現れ、そこから豪奢な作りの日傘がせり出た。


「ありがと……さてと、それじゃ先に行ってるわよ、宇宙兎」

「あ、ちょっ……!」


傘を受け取ってちらりと鈴仙の方を見つつそう言い、返事をするのも待たずに
レミリアの姿が僅かにぶれたかと思うと、次の瞬間にはもはや跡形も無く消え去っていた。
鈴仙が小悪魔に礼を言い、あわてて立ち上がって応接間から駆け出していく。
その後に残されたのはパチュリーに美鈴と小悪魔、それとメイド達だけだった。


「お嬢様……大丈夫かなぁ……」


鈴仙が出て行った後の開きっぱなしになったドアを見つめながら、美鈴が呟く。
美鈴はこの時、言い知れぬ不安を感じていた。
それは例えば今まで進んできた道を根底から否定され
己の愚かさをその身に叩きつけられる、どうしようもない無力感にも似て……。



・ ・ ・




「くッ……!」


おかしい。
どうもおかしい。
まるで殺人狂の様にナイフを振り回す咲夜をかわしつつ、
てゐは言いようの無い違和感を感じていた。


「(このスピード……この反応速度……どう考えても幼女のものではないッ)」


……先程こっそり盗み聞きをしている際、咲夜が身体能力が落ちてきていると言っていた。
それを踏まえて考えると、見た目はこんなんでもまがりなりにも妖怪である自分と
マトモに張り合える筈などある訳がない。
しかも咲夜は妖怪でも吸血鬼でもないただの人間なのだ。
例え魔法で肉体能力を補強するにしても、基本が幼女ではたかが知れている。
しかし魔法による補強にさらにもう一段階、例えば妖力による補強を加えたとすれば……。


「……フフフフフフ……フーフフフ……いつ気付くかと思って黙っていたが……フフフ……」

「(……気付く……?何をいきなり……)」

「フフ……妖怪兎のリーダーと言えども大した事は無いな、この程度の事に気付かないとは!」



いきなり口を聞いたと思ったら今度は何を訳の分からないたわ言を、と
思考を放棄しようとしたてゐの脳裏にとある記憶が甦った。
自分の記憶にある咲夜の口調とは明らかに違う。
そして確か三日ほど前、今のと似たような偉そうな喋りを耳にした記憶がある。


「!……その何処か妙に偉そうな口調……もしやお前、此間の妖怪……ッ」

「全くもってその通り。私が冬虫夏草の妖怪変化である事を失念していたようだな。
さして警戒されていなければ他者に寄生する事など造作も無い。
この娘はなにやら非常に大きいショックを受けた所為で心が隙だらけだった。
とりあえず利用だけする心算だったが……意識まで借りられるとはまさに僥倖。
このまま養分を吸い取る事も出来るが、この娘もお前達も殺すつもりは無い。
しかしあの時お前達に受けた屈辱の借り、それだけはしっかりと返させてもらう。
お前もここの兎達の長ならば分かるだろう、組織のトップという物は『弱く』てはならないのだ。
例え虚構だとしてもある程度『強い』と思わせねばならない、やられっ放しなどもっての他」

「下衆な寄生生物めが……意識のほころびにつけ込んで乗っ取ったという訳か!」

「乗っ取るとは人聞きの悪い、せめて拝借していると言って欲しいものだ
しかしこれはいい身体だ……内に秘める力は勿論、時を操る能力も素晴らしい。
あの薬師の部屋の時間を止めておいて正解だった、しばらく目覚めてもらっては困る」


キリ、と小さく歯噛みしつつ、てゐが思考を巡らせる。
……これは少々拙い事態になってきた。
先程感じた違和感の正体はこの妖力だったのか
まさか妖怪に乗っ取られているとは思いもよらなかった。
とりあえず永琳は蓬莱の薬で不老不死となっているので
とにかく時間さえ動き出せばほっといても元に戻るからいいとしても、
自分の場合はそうは行かない。
しかもこれは弾幕ごっこではなくまごう事無き闘争であり、
更に相手は咲夜ではなく自分への恨みを持つ妖怪。
わざわざこんな危険な事態に飛び込んでしまうとは、自分はまだ護身開眼には遠いようだ。
単なる兎やってりゃここで引き返しも出来た筈だが、ここが妖怪の辛いところだ。


「そして……残るはお前だけだッッ」

「!!」


咲夜がそう叫ぶと、いきなりその姿が消え去った。
刹那の殺気を感じたてゐが一歩後に飛びのく、その眼前を掠めるナイフ。
やはり魔力及び妖力による補強を施しているようで、身体能力の増加は凄まじい。
見た目は女の子だからやりにくいったらありゃしない、とてゐが考えていると、再び銀刃が煌く。


  (間合をッ)


            (取れない)


   (間合ッ)


                    (距離──)


横薙ぎに振り払われたナイフをてゐがバックステップで躱す、
そして同時に咲夜がつっかけた。
てゐの視界一杯に咲夜の顔が広がる。
そしててゐの足が床に付くか付かないかの内に、
咲夜がナイフを持った手を弓を引き絞るかの如く大きく後ろに引く。


           (ナイフッッ)


       (腹ッッ)
                 (躱すッッ)


    (右!!?)      (左!!?)


          (躱せないッッ)

          (どちらにもッッ)


てゐの背中に一筋の汗が流れる。
よりにもよって銀製のナイフ、万が一にもそんなものを喰らったら
死にはしないまでも、しばらく満足に動けなくなるのは明らかだ。
こうなったら背に腹は変えられない、一か八かでこのナイフを潰す。
繰り出されるナイフを刹那で見切り、てゐの右拳が唸りをあげて奔る。


「だおォッ」

「ッ!」


ペキ、と、てゐの渾身のフックの直撃を受け、銀のナイフが粉々に砕け散った。
一瞬とは言え銀に触れた右手に、じわりと痛みが浸透していく。
そして咲夜の表情が驚愕に歪んだその一瞬をてゐは見逃さなかった。
好機。武器さえ無くせば危険は半減する。
再びナイフを構えるにしても素手で向かってくるにしても自分が有利だ。
その際に生じた刹那のスキを逃さず、てゐがつっかけた。


(砕いたッッ)

(ここから継ぐ)

(肉体にはダメージを与えず……意識のみを刈り取るッッ)

(右の上段蹴り……こめかみへッッ!!)


そう、今は咲夜の意識を取り戻す方法を模索している暇は無い。
それは後で永琳もしくはレミリアにでも任せればいい。
とりあえず今は肉体的に押さえつける事が先決だ。
意識を失えば能力による拘束も切れ、永琳も目覚める筈。
その為にてゐが選んだのは、女性ならば誰でも嫌う顔面への攻撃。
まともに当たれば失神は免れない、まるで冥府の死神が振るう魔鎌の如き蹴りが
華麗かつ豪快に風を切って襲い掛かった。
意識どころか命すら刈り取ってしまいかねない、必殺の一撃だ。


……しかし次の瞬間、てゐは叩きつけられた現実を疑った。


ス カ


(~~~~~~~~)


確実に来る筈の当たる感触。それが来ない。
一分のスキも妥協も無い必殺必至の攻撃。
それを防がれるどころかあっさりとスカされた。


(消え…………!?右にいるッ、逃がすかッッ)


眼前にいる筈の咲夜はまるで煙の様に掻き消えていた。
しかしてゐも伊達に健康に気を使って生きていない。
瞬時にして気配と殺気を感じ取り、蹴りの勢いを殺さぬままにそちらを振向く。
そしてそのコンマ一秒にも満たない僅かな時間の中で、
その計算高さをフルに発揮し、素早く戦略を練っていた。
……攻撃自体は外したが体勢は整っている、
この勢いを殺さず、すぐさま右のローを叩き込んでやる。
当たれば御の字、避けるにしても飛ぶしかない。
その無防備な落下中に渾身の一撃を当てる。
これで完璧だ、ウイニングロードはもはや眼前に広がっている。
そしてそこまで考え、蹴りを放とうとした次の瞬間。


(……な……ッッ!?何時の間に……詰められ……寸頸ッッ)


眼前を埋め尽くす咲夜の顔。
何時の間にか鼻の頭が触れ合う程の超至近距離まで迫られていた。
その緊急事態に驚きつつも、半ば反射的に寸頸を放つ為に手を伸ばす。
そして、そんなてゐを嘲笑うかの様に……。


「本性────────────────────バラすわよ?」


咲夜が、哂った。


「────────────────────────え?」


しまった、と、てゐが我に返ったその刹那、己の顔の横を凪ぐ一陣の風を感じた。
咲夜の顔に、より一層凶悪な微笑が浮かぶ。
……まずい。引っかかった。罠、ブラフ、計画的。
てゐの全身に、電撃にも似た悪寒が走る。


(え!?)


(後から……?)


(誰が……!?)


(不意打ち……?)


しかし、気付いた時にはもう全てが遅かった。
背後からてゐの後頭部目掛けて蹴りが飛んできたのだ。
頭の横からしなやかに回り込む、まるで鞭の様な右回し蹴り。
常識の域を遙かに超えた、正体不明の絶技が炸裂した。


「~~~~~~ッッ!!」

「借りは返した……噴(フン)ッ 破ッ!」


咲夜が叫び、左足でギャッと床を蹴って
大きく体全体をねじり、その反動を利用して
てゐを自分の背後目掛けて蹴り飛ばした。


「ダッシャァァァァァァ!!」


成す術もなく、凄まじいスピードで吹っ飛ばされるてゐ。
素早く受身の態勢を取りながらも、必死で先程の現実に納得の行く答えを探そうとしていた。

……咲夜はあの妖怪に乗っ取られて意識を失っているのでは無かったか。
にも関わらず、咲夜もしくは妖怪は『本性バラすわよ』と言った。
まさか最初から乗っ取られているというのは嘘だったのか。
しかしそれでは咲夜から感じたあの妖力の説明が付かない。
先程の台詞、アレはまるで咲夜本人が喋っているような……と、
そこまで考えた時、てゐの体が空中で急停止した。


「遅くなったわね、妖怪兎」

「あ……あなたは……!」

「~~てゐ!ごめんなさい、遅くなったわ!大丈夫!?し、しっかりして!」


ヒロインのピンチに現れるヒーローの如く颯爽と姿を表したのは、
言わずと知れた幼き夜の王、レミリア・スカーレット。
右手一本で受け止めたてゐを一足遅れて現れた鈴仙に預け、自身は咲夜へと歩を進める。
ちなみにてゐ自身はとある奥義を使って自分の体重を消し去っていたのでダメージは無かった。
あくまでてゐにとって最優先に達成すべき目標は己の健康維持及び向上なのだ。
ちょっぴりかっこつけて永遠亭は私が守るとか思ってみたものの、それはやはり
自分のキャラではないと再認識する結果に終わっただけだった。


「てゐ、大丈夫?怪我してな……あっ……み、右手が……!」

「鈴仙さま……それより……さ、咲夜さんは妖怪に意識を奪われて……!」

「よ、妖怪ィ……!?」


唖然として顔を上げる鈴仙。
その目線の先では、既にレミリアと咲夜が対峙していた。
しかし様子がおかしい。
先程までてゐに対して牙を剥き襲い掛かっていた咲夜が
まさに己の主人に対するようにして傅いているのだ。


「さく……いや、違うな。何者だ、お前」

「これはレミリア・スカーレット様……お目にかかれて光栄でございます」

「……妖怪だな。なるほど咲夜に寄生しているという訳か」

「……妖怪って……何か妙にかしこまってるんだけど……?」

「……あの妖怪の目的は永琳さまと私だったようでごわす……。
だからレミリアさんには恐らく何の敵意も無いのでは……」


その様子を見て、鈴仙が思わずてゐに質問を投げかける。
そして鈴仙とてゐが話している間も、レミリア達の会話は進んでいた。


「……ふん、守るほどの矜持など端からあったかどうかも疑わしいな」

「……恐れ入ります」

「くだらない用はもう終わったんだろ?ならば早く咲夜から出て往け」

「仰せのままに……しかし、その前にお耳に入れておきたい事がございます」


そう言って、今まで傅いていた咲夜がふと立ち上がった。
しかし、またも様子がおかしい。
何かを言い淀むようにもじもじとして、
いざ口を開こうとしても言葉が形になる前に止まってしまっている。

怪訝に思ったレミリアが声を掛けようとした次の瞬間、やっと言葉が紡がれた。


「……ぁっ……お……ょう……さま……も……い……すみま……も……おわ……」

「……咲夜……ッ!?」


途切れ途切れではあったが、それは間違いなく咲夜そのものの言葉だった。


「……意識が戻りかけましたね……しかし、また……」

「ふざけるなよ、下種が……余程滅されたいようだな」


その瞬間、レミリアから凄まじい殺気が発せられた。
すぐ側に居た鈴仙は思わず縮み上がって後ずさったが、
その物理的な圧力すら感じられる程の奔流をモロに受けても
咲夜は淡々とした調子で言葉を紡ぐだけだった。
そしてレミリアの瞳を真っ直ぐに見据え、再び口を開く。


「……名高く威光輝かしい紅魔様ともあろう貴方が、従者の気持ち一つ汲んでやれないとは……。
貴方は恐らく、欲しいモノはとにかく手に入れるタイプでありましょうから分からないかも知れませんが
この娘は……何と言いますか、実におくゆかしいというか、健気というか……」

「……何が言いたい……」

「もう少し分かり易く言って差し上げましょう……
『今の自分ではとてもじゃないが貴方のお役には立てません。それどころかご迷惑すらかけてしまいます。
そうなったらもはや私の存在する意味はありません。どうせなら最後は貴方の手で終わらせてください』
……と、まあ……貴方が他の者に執心しているから、せめて精一杯貴方に尽くす事がこの娘なりの……
そうですね、ある意味では自己防衛の手段であったのでしょう。それすら出来なくなったのでは……」

「……自己防衛だと……何を訳の分からない事を……ッ」


どくん。

レミリアの中で、何かが疼く。

どくん。どくん。どくん。

胎動の様な、もしくは鼓動の様なそれは、一度律動を始めると
徐々に大きく、強くなってレミリアの中を浸食していく。

……何だ、これは。
あいつが。あの妖怪が。
咲夜の姿で、咲夜の声で訳の分からない事を言うから。
だからちょっとした違和感を感じているだけだ。
そう、ただそれだけの事。
咲夜があんな事を思っている訳が無い。
私は咲夜の事なら全て知っている。
普段の完全で瀟洒な侍女長としての咲夜も、
二人の時に見せる獣の様に乱れた咲夜も、
それらの仮面に隠された少女としての咲夜も、全部知っている。
だから、咲夜があんな酔狂な事を思っている筈は無い。
せいぜい一時の気の迷い、そう、咲夜は疲れているだけだ。
この妖怪を消し飛ばして咲夜を紅魔館に連れて帰って少し休ませれば、
何時の間にか私のクローゼットに侵入して悶えてくねくねしてたり
図書館で偶然見つけた「超幼女」という学術書を六日も寝ずに読み耽ったり
事あるごとに意味の分からない理由をでっち上げて紅魔館メイド必殺奥義零を仕掛けて来るような、
またいつも通りの完全で瀟洒な咲夜に戻るに決まっている。


……ああ、しかし、だが、しかし。


この胸を刺すようなちくちくとした痛みは一体何なのだ。


「ところで……貴方は確かどこかの神社の巫女に御執心でしたね?」

「…………何で」


お前がそれを知っている、と、そう言い掛けてはっと口をつむぐレミリア。
しかし咲夜はそれをさほど意に介さずと言った様子で言葉を続けた。


「まあ、私の様な塵ごときが何をしようともそよ風すら起こりませんが……
レミリア・スカーレット様ほどの……言わば悠然とそびえる大山が鳴動なされれば
我々下々の者どもは、もう誰もがその鳴動に畏れ怯えますので……」


その言葉に僅かに柳眉を歪ませ、レミリアが押し黙る。
……言われてみればその通りだ。
持っている力の割に威厳とか体面とかそういうものに興味の無い
白玉楼の脳天気亡霊姫ならともかく、自分はそうではない。
人間妖怪その他の魑魅魍魎にも恐れられている紅魔館の主なのだ。
その自分が直に動けば、多少なりとも辺りの者に知れ渡るのは道理だ。
そしてまたもレミリアの思考は意に介さず咲夜が口を開く。


「恐らくこの娘は変態的な行為の影にやり切れない想いを隠していたのでしょう。
さしずめ道化師が泣き顔や怒り顔を虚実の笑顔の化粧で隠しているように。
それを貴方に気付かせない辺り、従者としては相当に良く出来ていますね。
しかし、よくもこれほどまでに煮え滾る想いを隠し通せたもの……
自分の想いが成し遂げられないかわりに、貴方が幸せになるならそれでいい。
そして、それでも溢れ来る狂おしい想い……その具現が変態行為という訳です。
……せいぜいがタチの悪い洒落で済む範囲で、ですが」


……五月蝿い。
……喧しい。
取るに足らない下等な妖怪風情めが、知った口を聞くな。
これが咲夜の気持ちだ、等と姦計を用いて私を翻弄する気か。

矛盾。
己の識る咲夜との矛盾。
そんな馬鹿な。
咲夜がそんな事を考えている筈が無い。
主である私がその位の事に気付かない筈が無い。

ああ、しかし、だが、しかし。

この胸の奥でもぞもぞと動く、殻を破ろうとしている蛹の様な違和感は何なのだ。

レミリアの思考が歪む。タガが緩んでいく。
そして心の隙間からとろとろと入り込んで来るのは、
半ば本能的に、そして意図的に見て見ぬふりをしていた現実。

……今まで咲夜がしでかして来た、口にするのも恐ろしい数々の変態行為はすべて
ともすれば切なさと哀しみと劣情に押し潰されそうな自我を護る為の
言わば苦肉の策だったというのか。まさか、そんな馬鹿な話がある訳が無い。
そう、冷蔵庫プレイに興じている時も居合蹴りプレイに勤しんでいる時も、
あまつさえ亜光速七回転半ひねりプレイかっぱらってる時にだって
咲夜は苦悶の表情一つ見せなかった筈。それどころか……。

……いや、違う。

違う。アレは悦楽と快楽に酔い知れた、狂喜の貌(かお)などではない。

歪む柳眉は哀しみを。

漏らす喘ぎは切なさを。

そして、汗と涎で濡れた頬を伝うあの涙は……。


「しかし……この娘は気付いてしまった、と『言って』います。
……レミリア・スカーレット様、貴方がこの娘を
決して手に入らない想い人の代わりとして見ている事に……」

「──────ッ!!」


……ああ、それを一体どう表せばいいのだろうか?

気付かなかった。気付けなかった。気付きたくなかった。

絶望、失望、破滅、終局、終末、壊滅、滅殺、滅亡。

「負」を象徴するあらゆる言の葉を尽くしても足りぬ「絶望」。
夜毎夜毎に、朝も夜もなく、場所を厭わず、方法を厭わず。

自分がその様な目に遭ったら、などと想像するまでも無い。
愛している人に、自分ではない誰かの代わりにされる。
その人の一番になりたいのに、誰かの代わりにされる。

いびつに歪んだ優しさは、まさに牙。
素肌を撫でる愛しい手は、まさに爪。
伝えるべき相手を見失った甘い言葉は、まさに呪詛。

そして、ベッドの上はまるで黒百合狂い咲く紅の処刑場。
心も体も、あまつさえ愛情すらもズタズタに切り刻まれる。


……咲夜は、最も愛する者の手でその「絶望」を刻み付けられたのか?


……気付かなかった!

……気付けなかった!

……気付きたくなかった!


「私は貴方には何の恨みつらみもありません。
とりあえずここの屋敷の二人への借りを返すという目的は達成しました。
……これは結果的に騙して身体を借りる事になったこの娘へのお節介です。
しかし……色恋沙汰とは本当に恐ろしい。レミリア・スカーレット様、
貴方ほどのお方がこうも愚かになってしまうのですから……」


……そうだ。これはこの妖怪の言葉ではない。
咲夜がその心の奥に無理矢理押し込んでいた、
私に傷付けられぐじゅぐじゅと膿んだ心の傷の痛みにすすり泣く声なのだ。
全くもって笑い話にもならない。
この私が、この500年の永きに渡り生きてきたレミリア・スカーレットが
此処に来てこんな愚鈍極まりない事をしでかしてしまうとは。
咲夜の気持ち一つ気付いてやれない、いや、あまつさえ
気付いていないフリをしていたなど、どれだけ言葉を費やしても償えるものではない。
……ならば、どうする。
あくまで咲夜の主人らしく、そしてあくまで私らしく。
自分と咲夜のの気持ちに真正面からぶつかる。
小細工無しの直球で、キッチリ白黒付けてやる。


「そうだな」


ぎゅっと拳を握り締めて俯いたまま、ぽつりと呟く。
しかし顔を上げたレミリアが浮かべていた表情は、
自分を責めるでも後悔に歪んでいるでも無く、ある種の
清々しささえ感じさせる、何の迷いも煩悶もないものだった。


「愚かだったよ」


レミリアは強かった。
ともすれば屁理屈をこねて己の間違いを認めずに現実から逃げてしまいそうな、
誰かを傷付けた事により津波の様に襲い掛かる、胸を貫くような感情の奔流。
咲夜を傷付けている事を気付かなかった己の愚かさを真正面から受け止めたのだ。
もはやその瞳には一点の曇りも存在しない。
人の目が前に付いているのは何故か、前へ前へと進むためだ。
過去の事について何時までもうじうじ悩んでいても何ももたらさない。
それを糧にしてよりよい明日へ進んでいく事の方が重要なのだ。
振り返らないで、常に明日を目指してがんばれ。
と言うかそこまで気付いてるのに、普段霊夢に仕掛けている
一歩間違えれば命さえも奪いかねない危険な求愛行動については
これっぽっちも反省していないのがこの主人にしてあの従者ありという事だろうか。


「さあ、それではこの娘の心と体に伝えてあげてください。
貴方の想い、懺悔、後悔、悲しみ、そして愛の全てを!!」


大きく両腕を広げて天を仰ぎつつ咲夜が叫ぶ。
ちなみにこの時鈴仙は「別にそんな事しなくても問題ないんじゃ」と思ったが
話に入り込むスキマが全く無いので仕方なくツッコむ事を諦めた。


「私は咲夜は殺さない…………自分の愚かさを殺す!!」


そしてレミリアも咲夜だけではなく自分にも言い聞かせるように叫ぶ。
ちなみにこの時鈴仙は「だったら自分を殴るべきなんじゃ」と思ったのだが
その場のよく分からない空気に呑まれてツッコむどころか喋れもしなかった。

レミリアが奔った。
全てのしがらみを振り切るように、風を切り空気を震わせ
荘厳な紅の軌跡を残しつつ、咲夜目掛けて真っ直ぐに奔った。
そしてその右手が紅く染まる。
溢れ出す想いにも似た力が、やがて目で視えるまでに膨張し
今にも爆ぜんとして渦巻き燃え上がり、唸りを上げて咲夜へと迸る。


「不夜城!!ラァァァァブラブ!!天驚けぇぇぇぇぇぇん!!!」

「ら…………ラブリィィィィィィィィィィィ!!」


断ち切るのは己の愚かさ。
癒すのは咲夜の哀しみ。
辛い過去も涙の夜も、すべてこの紅の拳で塗り替える。
万感の想いを込め、愛と感動渦巻くあり得ないネーミングの拳が咲夜に炸裂した。
轟々と暴れまわる紅の波動がレミリアの拳を伝って咲夜の体を駆け巡り、
背中からまるで光の翼の様に爆ぜ、霧散していった。


「最後に……申し上げたい事がございます……
……この娘の心は……もはや……貴方だけの……」

「ワカっている……もう、二度と咲夜を哀しませはしない」

「……これで……この娘も、喜ぶでしょう……
それでは……私の出番は……ここまで、と言う事で……」

「…………咲夜…………」


レミリアの言葉をゆっくりと噛み締め、最後に小さく呟いて咲夜が崩れ落ち
それと同時に咲夜の中にあった妖気が消えていった。
レミリアがもたれかかってくる咲夜を抱き止め、ゆっくりと床に腰を下ろす。


「あいたた……って、あら?何、もう終わったところ?」

「……し、師匠!」


その時咲夜が気絶した事によって時間停止の拘束が解けたのか、
奥の部屋から永琳がお腹を擦りながらひょっこりと顔を出した。
今の今まですっかり忘れていた事を誤魔化す手段を考えつつ、慌てて鈴仙が駆け寄る。


「だ、大丈夫ですか!?って言うか師匠、咲夜さんに刺されたんじゃ……!?」

「刺されたわよ、ナイフじゃなくてリニアモーターカーの模型で。
ところで……あの妖怪は消えたみたいね?妖気が感じられなくなってるわ」

「妖怪……って……き、気付いてたんですか?」

「気付いた時にはもはや喰らってたけどね。
さて、後はあの子の体を元に戻す手段さえ見つかれば……」


そう言って、レミリアに抱き抱えられた咲夜をちらりと見遣る。
そしてその時、まるで赤子の様に安らかな表情のまま
未だ目覚めない咲夜の頬にそっと手を添えて、レミリアが
ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。


「ワカッていたわ……霊夢は、私が……いえ、私に限った事じゃないけど
それこそ誰が何をしようとも何ものにも縛られない、無重力な彼女のまま。
どれだけ私が霊夢を『欲しい』と思ってもそれは未来永劫叶う訳も無く、
だからって無理矢理眷属にしてしまえば、それはもう『私の愛した霊夢』では無い」


咲夜に、というよりはむしろ自分自身に語りかける様に
優しく、そして一抹の寂しさを孕んだ表情でレミリアが言う。
レミリアもまた、思い通りにならない恋の行く末を見定められずに
時には悩み時には迷い、時には傷付いた経験を持つ。
その胸中には如何ほどの想いが湛えられているのだろうか。


「……最初は他愛も無い好奇心みたいなものだったけど、その気持ちは何時の間にか
自分でも抑えられない位に大きくなって、でも、それは決して叶う事は無くて……。
私がどれだけ手を伸ばしても、抱いて欲しいと願っても、身を焦がす程に想っても
霊夢はいっつもふわふわ、ゆらゆら……。雲を掴むような、とはよく言ったものね。
ホント、霊夢は私にとって満月の様に輝いていて、雲の様に掴めなくて……
ふふ、私もとんだ馬鹿ね……雲を雲のままで掴もうだなんて、到底出来もしない事を……」


僅かに俯き、己に対する嘲笑とも哄笑とも取れる微笑を浮かべるレミリア。
もはや相手が悪かった、としか言いようが無い。よりにもよって博麗霊夢、
何ものにも縛られず、あらゆる束縛は意味を為さず、すべては在るがままに。
きっといつかはこの想いが、など、それこそ天地がひっくり返っても起こり得ないのだ。
決して叶わぬ夢に必死で縋った日々をレミリアはどう思うのだろうか。


「でも……霊夢が駄目なら咲夜に、という気持ちにはなれないわ。
それは霊夢だけじゃなくて咲夜にも失礼だし、そして何より私自身が我慢できない。
……誰かの代わりとして別の誰かを愛する、それは途方も無く愚かという事にやっと気付いたわ」


紅爪に彩られた幼い繊手が、優しく咲夜の頬を撫でる。
咲夜の心に刻まれた深い哀しみを癒す様に、優しく、そっと。
その言の葉は懺悔であり、愚かな自分を戒める言わば己に刻む罪の刻印。
犯した間違いに真っ直ぐ向かい合い、逃げずに受け止めて前に進む。
咲夜を傷付けていた己に気付いた今、レミリアは何を想い、何をするのだろうか。


「それに……私はまだ、この恋をやり切っていないわ。
全身全霊を掛けて、霊夢に私の想いを伝える。
霊夢が好きだからこそ、妥協なんかしたくない。
モノにならない、じゃあやめましょうなんて事は出来ない。
進む道がどれだけ困難だって、途中で諦めるなんてまっぴら御免よ」


心に滾るこの気持ちから決して目を逸らさない。
霊夢を好きになって今まで過ごして来た日々が無駄だなんて思ってない。
出来る事は今も変わらず、譲れないこの想いを真っ直ぐにぶつける事だけ。
想いが届くからヤル、フラれるからヤラない。
もはやこれはそういう恋じゃない。
誰が無重力だとか頭が春だとか、もうそんなことには興味がない。
ふとレミリアが目を閉じ、何かを考えるような仕草を見せた。
これから言う言葉に嘘は許されない。
それは言わば咲夜に対する契りであり、誓いだからだ。
覚悟を決める様にして咲夜の顔を真っ直ぐに見据え、
だから、と一呼吸おいてから再び言葉を紡ぐレミリア。


「……ごめんなさい、まだ咲夜の気持ちには応えて上げられない……。
我侭だって言うのは分かってるけど……もう少し……もう少しだけ、続けさせて……」


この恋の決着は、後からこうすれば良かったとか
あの媚薬を使ったらモノに出来たとかの一点の疑問の入る余地もなく、曇りもなく
ごく自然に恋の終わりを納得できる、真の失恋を知った時なのだ。
そして、その時はまだ来ていない。まだ敗北していない。


「だけど……この恋が終わって……私の中の、霊夢への狂おしい想いが……熔けていって……。
……例えば春になって、どこにも雪が無くなって、また華が咲くようになった……その時は……」


未だ目覚めぬ咲夜を抱いてゆっくりと優しく語りかけるレミリア。
その姿はまるで聖母と呼ぶに相応しい、あらゆるものを包み込む優しささえ感じさせる
穏やかな表情に声、そして心。
ちなみにこの時鈴仙は「それってもしかして保険もしくはキープって事?」と思ったが
今この状況でそんな野暮な事を言ったが最後、消し炭すらも残らないほど
激しくぶっ飛ばされるのが目に見えているのであえて黙っていた。



「誓うわ─────────私は、咲夜……あなたを─────────……」



そして、咲夜の耳元でレミリアが囁く。
嘘偽りの無い真摯な契り。
やがて冬が来て春になり来年も夏が来るように、
何れ必ず訪れる幸せを確約する、愛の言霊。
その小さな胸一杯に、今となっては自分より小さな咲夜の体を掻き抱く。
聞こえていないかも知れない。伝わらないかもしれない。
それでも言わなければならない、そして伝えなければならない。
愛と懺悔を、契りと誓いを、体温と鼓動を。


「…………お……ょ…………さま…………」

「……え……?」


咲夜の目がうっすらと開き、そう弱々しく呟いた。
何を言わんとしたのか確かめようとしたレミリアが聞き返すが、
次の瞬間レミリア及びその場に居たもの全てが己の目を疑った。
何と咲夜の身体の至る所から、湯気にも似た紅の煙が立ち上ってきたのだ。


「ッッッッッ……オイ……これは…………きゃッ!?」


そして、それに気付いた永琳が口を開いたその刹那、閃光が世界を満たした。
屋根を引っぺがし襖を吹き飛ばし、永遠亭中の兎達をもかっ飛ばして
咲夜の体を礎として、巨大な墓標にも似た紅の十字架が迸った。


「きゃぁぁぁぁぁぁ!や、屋根が!襖がぁぁぁぁぁぁ!」

「落ち着きなさいウドンゲ!こういう状況への対処法は既に教えた筈よ!
私に続きなさい!八意究極三神技の参!AR(エーリン)フィールド発動ッッ!!」

「エーリンフィールド!?何ですかその情緒不安定な事この上ない奇想天外な技ッ!?」

「(全身の骨が……無いものとイメージするッッ!!護身完成ッっ!!)」


そしてそれに付随して発生した衝撃波に対して
よく分からない技を使って衝撃波を防ぐ永琳と、
永琳に捕まって何とか吹き飛ばされるのを防いでいる鈴仙、
そして原理は不明だが自分の体重を消し去る奥義を利用して受け流すてゐ。
ちなみに体重を消し去った所為でモロに爆風に煽られて吹っ飛びかけ
内心死ぬ程うろたえたのはてゐ本人だけのささやかな秘密だ。


「そ、それより……咲夜さんとレミリアさんは……ッ!?」


何とか爆風をやり過ごしてふぅと一息ついた鈴仙だが、
すぐにはっとしてレミリア達の居た場所を見つめる。
先程咲夜が永琳の部屋から出て来た時とは比較にならない規模の爆風、
色濃く立ち込める紅の煙で爆心地の様子は分からない。
まさか最悪のシナリオが実現してしまったのでは、と、
鈴仙だけではなくあの変態永琳とペテン師てゐさえもがそう思った、その時。





奇跡が、起きた。






「……おじょう……さま……」

「さ…………さく、や……?」


今にも消え入りそうなか細い声が響き、レミリアが咲夜の手を取る。
そしてその時、咲夜の体に起こった異変に気が付いた。。

……すらりと美しい、雌豹の様に伸びやかな四肢。
……あらゆる芸術家でも写し取る事の出来ない氷の美貌。
……もはや神の設計ミスとしか形容しようが無い完璧なヴァランスの肢体。

煙の晴れたそこに居たのは、あのいたいけで可憐だったロリータさくやちゃんではなく
凍てつく氷の美貌と果てし無く広がる大地(ヴァース)をその胸に抱いた、
完全で瀟洒で自称ダイナマイトバディな紅魔館のメイド長、十六夜咲夜だった。


「そッ……そうきたかァ~~……十六夜咲夜……ッ!!!!」

「へ?え?い、いや、そうきたかァ~~って……ま、全くもって意味が分からないんですけど……」



その奇跡を目の当たりにして何やら唐突にテンションが上がっている永琳と、
事態が全く呑み込めずに素っ頓狂な声を上げてしまう鈴仙。
そんな鈴仙を見て、永琳がやっと見せ場が出来たといった風情で
颯爽と解説を始める。


「いいウドンゲ、そもそもさっきまでのロリータな状態は
私の薬に加えて紅魔館にいる魔女の魔力、そして門番の気……すなわち妖力が
彼女の中で未知の化学反応を起こしてスパークした結果の産物なの」

「そ、そうだったんですか?いや、でも幼児化現象が治った理由がさっぱり……」

「もう、鈍いわねぇ。いい、今回もまた私の薬、そこにあの吸血鬼の魔力と
薬に混ぜた妖怪の妖力が加わっているの。別にそれだけだったら
以前の薬の効果を根源から消し去るほどの威力は生まない筈なんだけど……」


と、一旦そこで興奮を収める為に言葉を切る。
深呼吸を一つ、二つ、二つ半。上出来だ。
カッコよく解説を締める為に気合を入れなおし、
再び永琳が口を開く。


「そこに史上にして至高、究極にして最高のエッセンスが加わったのよ!
すなわちそれはあの吸血鬼が彼女に向けた愛!愛情!!
薬、魔力、妖力……そして愛!あの吸血鬼の抱擁によってもたらされた
例え世界の終わりすら笑って迎えられるほどの多幸感!!
それらが体内で渦巻き混ざって暴れて爆ぜて化学反応マスタースパーク!
そう、つまり薬が裏返った!私も永いこと薬師やってるけど初めての現象だわ!
まさに愛!まさに奇跡!そしてまさにルネッサンス!
十六夜咲夜、復ッ活ッ!十六夜咲夜、復ッ活ッ!十六夜咲夜、復ッ活ッ!
十六夜咲夜、復ッ活ッ!十六夜咲夜、復ッ活ッ!十六夜咲夜、復ッ活ッ!」

「あ、愛って……何でもかんでもそれで片付けるのはちょっドリュブ!!」


奇跡だ。
まさにこれこそが奇跡だ。
タンパク質とカルシウムでしか人体を語れねェ医者にはワカらねェ世界がある。
天才である永琳ですら匙を投げた脅威の幼児化現象が
一人の少女の愛によって完膚無きまでに浄化され癒されたのだ。
これを奇跡と呼ばずして何と形容できようか。
おびただしい感動の波に襲われて狂喜の乱舞をおっ始める永琳と
普段の癖でうっかりツッコんでしまった為に乱舞の勢いをイカした
必殺のウエスタンラリアートを喰らって庭までぶっ飛ばされる鈴仙。
そんな三馬鹿の痴態を何処吹く風とシカトぶちかまし、レミリアと咲夜は
実に感動的かつ地中海沿岸の風より爽やかな光景を繰り広げていた。


「……お嬢様……こ、ここは……」

「しっかりして咲夜……貴方は今までずっとわるい ゆめをみていたのよ」

「わ、わたしは………………」

「あくむは はやくわすれて また ふたりなかよく こうまかんでくらしましょう」


まるで突然世界制服を企んだ仲良しの友達すらも許すかのように
レミリアが咲夜の手を優しく握り締めて語りかける。
二人の間にそれ以上の言葉は要らない。
咲夜はレミリアの慈愛に満ちた表情を見て全てを理解したのだ。
そして咲夜の目尻に、まるで宝石の様な雫が煌く。


「あ、あぁ……お嬢様……」


そっと咲夜がレミリアの耳元に顔を近付け、そして……


「うふ……約束……しましたからね……お嬢様……?」


……そう小さく囁いた。


「────────────────────え?」

「夜霧の幻影キッス魔参上ォォォォ!!お嬢様ぁぁぁぁぁぁ!!」


レミリアが僅かに目を見開いた次の瞬間、まるでボーガンの様な勢いで咲夜が跳ね起きて
たまたま床に敷かれる形になって吹き飛んでいた襖の上にレミリアを押し倒した。
その動きの華麗さとダンディさと言ったらまるで死肉を食い漁るハイエナの様だ。
咲夜の一言に気を取られていたレミリアはなす術も無く咲夜にふん捕まえられて
頬擦り抱擁撫で回し、その他諸々のとても人語では表現できないような破廉恥な猛攻にさらされている。


「ちょっ……!?なっ……えっ……さ、咲夜、貴方ッ……も、もしかして……ひゃっ!?」

「あぁんお嬢様ぁ、咲夜は、咲夜は切なかったですわぁぁぁぁぁぁ!!
この数日の私はまさに哀しみのプリズナー!まさに飛べないモスキート!
そしてお嬢様はやはり私にとってのゆずれないマイセルフ!
もはやお嬢様じゃなきゃ愛じゃない、あなたが私をだめにする!!
さあ、この雨に濡れた子犬の様に傷付いた私めを慰めてくださいませ!
いざ!公衆の面前で真夜中のダンディもといプリティィィィィィィ─────!!」


……まさか先程の告白を聞かれていたのだろうか。
それは流石にちょっと、いや、かなり恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
今振り返れば幾らなんでもカッコつけ過ぎた台詞の様な気がする。
頬を紅く染めつつ、必死で咲夜の乱舞をかわしながらレミリアが言うが、
咲夜は大瀑布の如き涙を流しながら訳の分からない事を叫んで
怒涛のラブラブラッシュを仕掛けているばかりだ。

そして、何時の間にか夜の帳が降りた空には燦然と輝く銀色の満月。
勿論二人に気を効かせて永琳が創った偽物。
しかし偽物が本物に敵わないという道理など何処にあろうか。
そこに込められた想いが強く美しければそれは既に本物、
いや、本物すら軽く凌駕した、まさに宇宙に煌く愛の印となり得るのだ。


「お嬢様ぁぁぁぁぁぁ!ああ!ぁぁ!すべすべ!ふにふにぃぃぃぃぃぃ!!」

「てゐ……そろそろ外野は退場しましょうか」

「ふふ……そうでごわすな」

「そんな小粋な計らい要らないから助けてよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


きめ細やかかつほほえましく、そして何より愛情たっぷりに睦み合う咲夜とレミリア。
幻想郷中に二人の少女の仲睦まじい笑い声が響き渡った。
人の温かさが身にしみる、素晴らしい瞬間。
ダイヤの様に妖しく光る雫が飛び交う、大いなる愛に包まれた優しい時間。
もはや彼女達の絆を引き裂くものなどどこにも存在しない。
しかし人が誰かを愛する心を持つ限り、またいつか迷うかもしれない、悩むかもしれない。
その時も繋いだこの手だけを決して離さず、二人一緒に歩んで行けばいい。
辛い現実から目を逸らしてはならない。その先にはきっと輝く未来がある筈だから。
そしてそれを暗示する様に、夜空に輝く偽の満月がその穏やかに降り注ぐ光で
愛し合う少女達をいつまでも優しく照らし出していた……。



・ ・ ・



「う、うう……師匠ったら……い、幾らなんでもあんな激しいラリアートをかまさなくても……」


永遠亭の廊下で咲夜とレミリアが宜しくやっているその頃、
迂闊にも永琳にツッコんだ為にラリアートで庭まで吹き飛ばされて
気を失っていた鈴仙が漸く目覚めた。


「さてと……とりあえず終わった事だし、家の中片付……?……ぶにゅ?」


よいしょ、と立ち上がろうとした鈴仙の右手が何か柔らかいものを掴んだ。
もしかしてさっきの爆風で兎の一人が飛ばされてきたのだろうか、と思って
そちらを向いた次の瞬間、鈴仙は思わずこの世に生を受けたことを呪った。
そこに転がっていたのは何と両手両足の八割と頭全体が無い死体だったのだ。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!死体が!四肢の千切れた死体が!
首及び四肢を豪快に欠損した血塗れの死体がぁぁぁぁぁぁ!!」


あまりにもショッキングな事態を目の当たりにしてあやうく失神しかけた鈴仙だが、
その死体が身に付けているのが作業服みたいなズボンにサスペンダーという
月の頭脳である永琳でも考え付かない程の天才的なファッションセンスに気付き
まだ大分慌てながらも、恐る恐ると言った感じで口を開く。


「あ、あの……もしかして……妹紅さん、ですか……?」


あらん限りの勇気を振り絞ってそう尋ねると、喋れないからなのかどうかは分からないが
いきなりその死体の胸から肺が飛び出してきて鈴仙の頭にべちゃっと乗っかった。
そして今度は失神どころか失神した向こうの精神世界でもまた失神して結果的に現実的に戻ってくる鈴仙。
とりあえず頭に乗った肺を死体に再び埋め込んでやり、今度は別の質問を投げかける。


「(……は、肺だけに……yesって事……?)……も、妹紅さん……今日はまた
何でそんなにもアバンギャルドでデンジャラスな姿で……こ、ここに……?」


そしてその問いに対して、流石に今度は臓器で返事をする事が出来ないのか
何やらむず痒そうにもぞもぞと体を揺らす死体、もとい妹紅。
しばらくそうしていると、やがて首っぽい場所からニョッキリと頭が生えた。


「……あー、ッたくーッ!手間かかるったらありゃしないッ!
どうせ復活するんならもっとこうパーッと生えたり塞がったりすりゃいいものを!
いつもの事だけど何だかんだいって蓬莱の薬ってやっぱ大した事な……あ、こんちは」

「は、はぁ……こんにちは……」

「早速だけどお届けものがあるの。左肋骨の内側辺りに入ってるから引っこ抜いて」

「は、はい(こ、この私が恐れている!?いかん!これはよいことではない!
手術に必要なのは成功への欲求ではない!手術に必要なもの!
一番効果的な座薬を一番効果的な角度で一番効果的なタイミングにて
一番速いスピードで挿す!無論一錠一錠を全力で!!
その世界では患者に対する気遣いですらが邪念!!
でもダメッ!やっぱり無理!どうやっても自分を誤魔化せない!
怖いよ!怖いよぉ!徒手空拳で手術って怖いよぉぉぉぉぉぉ!!)」


頭が生えてくるなり、これまた限りなくスプラッタな事を平然と口走る妹紅。
鈴仙としてはすごく気が進まなかったが、ここで下手に逆らうと
今度は肝臓を飛ばされて変な酵素で溶かされるかもしれないと考えて
大人しく妹紅に従ってハラワタに手を突っ込み、ずるりと何かを取り出す。


「……お届けものって………んっと………こ、このデカイ西瓜みたいな玉ですか?
何だか妙にぶにゅぶにゅしてるんですけど……ま、まさかこれも内臓じゃ……」

「いや、性懲りも無く夜這いをかましてきた輝夜を返しに来たのよ」

「ひ、姫様……って……これどう見てもただの柔らかい玉……ッッ!!??」


そこまで言った次の瞬間、鈴仙は自分の目と頭を同時に疑った。
あろう事か両手に抱えたよく分からない球状の物体から
突然輝夜の頭がぴょこんと飛び出したのである。


「……もう、もこたんったら……愛情表現もこのレベルだと流石に危険よ」

「ろぱぱぁぁぁぁぁぁ!どことなくナイトメア!言うなればナイトメア!
胡蝶の夢のデイドリームがナイトメアでPTSD大盤振る舞いぃぃぃぃぃぃ!!
た、た、玉が喋ったぁぁぁぁぁぁ!!」


あまりの恐ろしさに体の震えが止まらなくなる鈴仙。
しかしそんな彼女の恐怖には気づく様子も無く、
輝夜が至極脳天気な表情のまま口を開いた。


「あ、イナバ……丁度良かったわ、血まみれだからお風呂沸かして」

「は、はは、は、はい……も、妹紅さんも入りますか?ち、血まみれですし……」

「あら、それじゃお言葉に甘えよっかな……おじゃましま……うっわァ」


もこたんそんな一緒にお風呂だなんて大胆すぎるわよ、
うるさいだまれぶっ殺すぞグッチャッ、と言うやり取りを繰り広げつつ
だるま的存在と化した輝夜を抱えて永遠亭の中に戻る鈴仙と、
髪や手に付いた血を払いつつ、その後から付いて来る妹紅。
と、永遠亭の中に一歩足を踏み入れた瞬間に漂ってきた
凄まじい百合色の空気に、妹紅が思わず顔をしかめつつ頬を染める。


「お嬢様ぁぁぁぁ!ああ!貴方の瞳!貴方の体温!貴方の芳香!
その全てが私の劣情をくすぐる!くすぐる!わたしの りせいが みだれる!
今こそ!今こそ積もり積もったこの想いを解き放つ時ィィィィイイィィィィ!!!」

「あ、赤ッ!目が赤ッ!魔力とかスペルカードとかそういう問題じゃなくて
生物学的にもごくごく自然に眼球に奔る毛細血管に因って赤ッ!!
って言うか早く誰かたすけアンドラ・ラ・べリャァァァァァァァァァァァァ!!」

「ちょっ……アレ確か紅魔館のあの二人よね?何であいつらが
ここでその……何て言うか、えーと、は、激しく乳繰り合ってる訳?」


何やら黒砂糖を溶かした水で腐る寸前まで熟した桃を煮込み、
それにハチミツをたっぷりと塗りたくって砂糖をごってりと塗し、
更にそれを溶かしたチョコでコーティングした物を焼いたお菓子のような
果てし無い甘ったるさを垂れ流している咲夜達の方を見遣って
何時の間にか手足が生えて普通に立っている妹紅が言う。


「あぁ、あれはですね……」


咲夜達の方から途切れる事なく聞こえてくる非常に粘性の高い声を必死で無視しつつ、
咲夜が幼女で正気を失って主人の愛をゲットした、と、事の顛末をかいつまんで話す鈴仙。
そして最初はうんうんと相槌を打ちながら聞いていた妹紅だが、
途中ふと何か気付いてはいけない事に気付いてしまったかのように無言になり、
話が終わる頃には何故かどことなく申し訳無さそうな表情になってしまった。


「えーと……その……この状況でこんな事言うのってちょっとアレなんだけど……」


それだけ言ってぽりぽりと頭を掻き、後はもごもごと口篭ってしまった。
輝夜の顔面が潰されてなければ鼻血噴出している事は
まず間違いないレアな表情だ。


「……言っていい?」

「え……ど、どうしたんですか?な、何か問題でも……?」


そう鈴仙に尋ね返され、あー、うー、と、まるでこれから
触れてはいけないタブーに触れようとするかの様に考え込んでしまう妹紅。
どうしよっかなぁ、やっぱやめよっかなぁ、世の中には知らない方がいい事もあるしなぁ、と
しばしごにょごにょと呟いていたが、やがて意を決して一つ深呼吸をし、ゆっくりと口を開いた。


「何ていうか、その、不慮の事故でちっちゃくなったって言うんならさ……」





















「慧音に頼めばよかったのに……」








「「「「───────────────ッッッッ!!!!!」」」」







その場に居る全員の、いや、世界の時が止まった。
耳に痛いほどの静寂。
誰も動かない、いや、動けない、停止した空間。
景色は徐々に色を失っていき、やがて完全なるモノクロと化して
人も、風も、音も、時も、光さえも死に絶えたかのような
ある意味パーフェクトなスクウェアへと変貌していく世界。
時が止まっているのに五分と数えるのもおかしいがとにかく五分ほどの沈黙の後、
時間を操る程度の能力を持つ咲夜が真っ先に世界の呪縛から抜け出し、そして。


「何でそれを最初に言わねーんだよこの粘着逆恨みアイドルもこたん約1000歳がぁぁぁぁぁぁ!!」

「うわッ!?ちょ、さ、刺さるって!だ、だからさっき言っても良いかどうか確認取ったじゃないのよぉ!!」

「妹紅さま、貴方は今とても物凄くこの上なく果てし無くアバンギャルドに軽率な事をしたでごわす」

「流石に天才であるこの私もこのタイミングでそんな爆薬を投下されるとは思いもしなかったわ」

「な、ナイフが!い、痛ッ!って言うかアンタら何時の間に現れたの!?
だ、だって仕方ないじゃない!厳然として揺るぎようの無い現実でしょ!?
ホントの事を言われて怒るだなんてあんまり感心しないわよって言うか
なッ!?い、何時の間にか影が縫いつけられて身動きが取れないッッ!?」

「八意究極三神技の壱……『影縫いちくちく貴方の為にセーター縫います寒空の下』よ。
さて、世界に喧嘩を売ったに等しいとんでもない行為をしでかしてくれた貴方には
それ相応の報いを受けてもらわなきゃねぇウフフウフウフウフ」

「セーターって普通縫うんじゃなくて編むんじゃなかったっけってツッコむ間もなく怖ッ!!
ちょ、やめ、だ、ダメだってば!何!何それ!?何そのリニアモーターカーの模型ッ!?
ある意味ナイフより恐ろしいんだけどってそっちはそっちでまたおびただしい数の人参とか用意してるし
何かこの先私が辿る運命が何となく見えたかなって言うか何でアンタはそんな素敵な笑顔を浮かべつつ
フォルムだけで人殺せそうな怪しい器具を携えられるのよぉぉぉぉぉぉ!正義は死んだの!?神はほろびたの!?
そ、それより宇宙兎!そんな物陰に隠れてこっそり見てないで助けてよぉぉぉぉぉぉ!!」

「……すみません妹紅さん、そのツッコミは禁忌じゃないッスかァ、すべてが覆されるじゃないッスかァ」

「何言ってんのぉぉぉぉぉぉ!?ああ!よく見たらあの吸血鬼は何故か失神してるし
もはや私を救うものは誰一人いなって言うか許して!ごめん!悪かった!許して!
も、もう二度とあんな馬鹿な事しないから!ちょっ、まっ、い、いや、やだ、助け、やめッ」




「「「人生(ラヴィ)イイイィィィ~~~~~~~」」」




「───────────────ッッッッ!!!!!」




……光があれば影がある。
正義があれば悪がある。
恋を成し遂げる者がいれば破れる者がいる。
誰かの幸せの陰では、きっと誰かが泣いている。
この世に生を受けた以上、それを決して忘れてはいけない。


「いやぁぁぁぁぁぁ!た、たちゅけてぇぇぇぇぇぇ!!ひ……ひぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」


しかし中には、誰かの為に冷たい雨に濡れる事を厭わない者もいる。
おーい雲よ、この町に雨降る時、どこかの町は光の中。
そんな素晴らしい人類愛を心に秘めた一人の少女が、今散った。
咲夜は、永琳は、てゐは、鈴仙は決して彼女の事を忘れないだろう。
そう、何時だって彼女は皆の心の中で微笑んでくれているのだから……。













──ベイビーフッド・クライシス(Baby-food Cry-sister)──







──めでたし、めでたし──











「全然めでたくないぃぃぃぃぃぃ!!は、はにゃぁぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁ!!」














……どっとはらい?
































































(ep)



幻想郷に朝日が昇る。
東の空が輝かしいオレンジ色で塗りつぶされ、
橙の光が山々の稜線を美しく染め上げていく。
空は絶景。空気は清涼。首筋には昨晩付けて貰った唇の跡。
気分はまさに最高だ、今なら空も飛べそうな気がする。
そんな事を考えながら、完全で瀟洒な紅魔館のメイド長
十六夜咲夜は、一日の仕事が始まる前のゆったりとした時間を満喫していた。


「……ふふ」


昨夜の伽を思い返すだけで、自然と咲夜の頬が緩む。
あの紅魔館史上最悪の数日間から、はや一週間が経ち
今はもう何も変わらない、いつも通りの生活に戻っていた。
朝起きてレミリアの部屋に忍び込んで色々して夜寝る、
完全で瀟洒なメイド長、十六夜咲夜としての生活に。
しかし、ひとつだけ変わったことがある。それは咲夜とレミリアの関係。
咲夜の歪んだ変態行為は全て自分の所為だったと気付いたレミリアが、
今までよりもっと優しく、有体に言えば咲夜の気持ちを受け止めてくれる様になったのだ。
今はまだ霊夢にアタックしている最中ではあるが、何れは自分の所に来てくれる。
そう考えるだけで咲夜の神経細胞が爆発しそうになる。


「咲夜殿」

「……?」

と、そんな咲夜に声を掛けるものがいた。
きょろきょろと辺りを見回すが、誰の姿も見えない。
気配はするのにおかしいわね、と咲夜が首をかしげる。


「……あら?貴方……確か……この前の……」


ふと側にあった花壇に目をやると、何やら妙な形の茸が生えていた。
そこから伝わってくる気配、いや、妖力。
……忘れもしない、あの時永遠亭で私に寄生しようとした座薬じゃなくて妖怪だ。
花壇に歩み寄ってしゃがみ込みながらその茸に声を掛ける咲夜。


「過日はどうも、大変お世話になりまして……。
あの時レミリア様の魔力を注いでいただいたお陰で
これ、このように元気に寄生生活を送っております」

「(それは元気って形容していいものかしら……)
いえいえ、こちらこそ貴方のお陰で……うふふ……
……って、何で今日はまたそんなに改まって……」

「いえいえ……あのように見事な『手管』を目の当たりにしてしまったら
とてもではありませんがあのような無礼な口調など……」

「あら……これはこれは……」

「……それにしてもしかし、貴方は本当に恐ろしいお人だ……
吸血鬼、というそれだけの単語で私の精神寄生をほぼ破り
そして妖怪兎が吸血鬼を呼ぶ、と言った後のものの十数秒で
あれだけの計画を練り上げ、それを完璧に成し遂げたのだから……。
あの天才、詐欺師、そしてレミリア様までも最後まで騙し切って……」

「言った筈よ、私の心はもはやお嬢様にしか向いていない。
お嬢様を表す言葉が聞こえればどこにだって飛んでいくし
この心に燃える愛がある限り、何者からの束縛も受けないわ。
最初に意識を乗っ取られかけたのは予想外だったけど……
お互いの利益が一致した、となれば……ねぇ?」


そう言って、咲夜が妖怪を見下ろす。
そして、よく言うよ、と内心一人ごちる妖怪。
……あんな強固な精神に寄生したのは初めてだ。
強固なだけではない、氷の様に冷たくそして美しい心。
あの時は幸運な事に、何だか知らないが凄まじいショックを受けていたから
辛うじてそこにつけ込めたものの、万全の状態だったらこちらの方が保たない。
……正直、寄生しているのはこちらだと言うのに生きた心地がしなかった。


「全くでございます。貴方は私が喋っているように見せかけて
レミリア様に思いの丈を告白する、そして私は貴方の身体を借りて
あの薬師と妖怪兎に借りを返す…………」

「やっぱり第三者からの意見ってのは効果的よね。
内容自体は変わっていなくても客観性と説得力が違うわ。
アレじゃ殆ど私本人が喋ってるようなものだったのにね」

「かと言って私本体が直接言っても、多分レミリア様は
下種な妖怪のたわ言として聞き入れてくださらなかったでしょうね。
咲夜殿の意見を汲んで喋っている、と言うのが効果的でありましたな」


その畏れが表に出ないよう、努めて冷静を装いながら言葉を返す妖怪。
……とんでもない人間だ、伊達にあのレミリア・スカーレットに従っていない。
改めて気付いた。もはや心が強いとか弱いとかそういう次元ではない。
妖怪である私が見ても思う、この娘は精神構造が根本から違うのだ。
それを狂気と形容するのが正しいかどうかについて、私は判断する術を持たない。


「いやはや……内心ではもう生きた心地が致しませんでした。
しかし、まさか自分の主人にまで嘘を付くとは、何ともはや……」


……生きた心地がしなかったのは、レミリア・スカーレットと相対したからではない。
途中からずっとこの娘に脅され続けていたようなものだったからだ。
下手に寄生してしまったのが不味かった。この娘の、怨念としか言いようが無い
凄まじい思念の波に曝されて、蛇に睨まれた蛙の如く逃げる事すら出来なかった。


「あら、それは当たり前じゃないの。だって───────」


と、咲夜がクスリと微笑んだ。
その表情を見て、内心戦慄を禁じ得なくなる妖怪。
……何も知らない者が見れば、とても魅了されずにはいられない
氷の様に鋭利でしかしどことなく柔らかい、魅力的な笑顔に映るのだろう。
しかしこの娘の心を間近で「見てしまった」私にとっては、
魅力的どころか心が底冷えするような狂気の表情としか思えない。
柔らかなその笑顔の端々から溢れるのは、言わば獣性。
ニ、と歪む口の端はまるで冥府の入口の様だ。


「────悪い事企んでる奴は嘘を付くのよ(はぁと)」


……怖い、としか言いようが無い。
圧倒的な存在に対した時に感じるような、発狂しかねない程の恐怖。
ただの人間であるこの娘がこれほどの「圧力」を持っているとはぞっとしない。


「でも、あながち嘘ばっかりでも無くてよ?
お嬢様のお役に立てないのならいっそ……というのも本音だし、
変態的な行為の影にやり切れない想いを隠していたのも本当の事」


再びクスクスと咲夜が哂う。
もはや妖怪の心は叫びだしたい衝動で一杯だった。
そして、ふと、周りの妖怪達が咲夜の事を何と形容していたかを思い出した。
……そう、あれは……確か────────。





「さてと……悪い事した後には……」





完全で、瀟洒な────────





「…………証拠隠滅が必要よね」





『悪魔の』────────狗。





……最後に私の意識が認識したのは、ギラリと光る紅いナイフと彼女の瞳。
それが朝焼けの焔による錯覚だったのかどうか、今となっては確かめる術もな




ジャクッ




(了)

何とか完結させる事が出来ました。
内容は物凄く薄っぺらの癖に何故か容量ばかりが
まるで水に漬けた乾燥ワカメの如く増えまくるものですから
どこの誰だよこんな収拾の付かない馬鹿話考えたのはとか
灯台下暗しな事を考えつつキーボードを引っ叩いていたのが
まるで昨日の事の様です。

言い訳したい箇所はそれこそ天の川に流れる星の数ほどあるのですが、
色々と見苦しい事になりそうなので自粛いたします。
とりあえずオリジナルキャラ出さなきゃ話を纏められなかったこの愚かな私に
どなたか断頭台もしくは十三段の階段及び荒縄を用意していただけませんか?


最後になりましたが、拙作にここまでお付き合い頂き誠に有難うございました。

(誤字を修正しました。ご指摘ありがとうございます)
c.n.v-Anthem
http://www.geocities.jp/cnv_anthem/
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.6520簡易評価
7.100SRW削除
グゥレイト……
ソレしか言葉に出来ません
12.100名前が無い程度の能力削除
「ふふ……そうでごわすな」
がクリティカル。無性に笑える。何故だ。あと、もこたん素直なイイコですね。

運命を操る主の紅い糸は、忠実で献身的な走狗に絡め取られましたとさ。
おお、恐や、恐や。
16.100しん削除
――座薬が極めて紳士的だ。
レミリアと咲夜さんが素晴しく生き生きしてますね(方向性は問わない
もう、なんて言えばいいのか……。ああ、なんとも素敵な世界でありますな。
とりあえず、666点です。世界を変態の月光蝶で覆い尽せるのは貴方しか居ない。
21.無評価名前が無い程度の能力削除
怖い
恐い
・・・・・
強い(咲夜が


てかホンマに恐えよ
27.90るふぇ削除
がは!なんだこの幻想郷パラレル咲夜インザワールドは(笑)
てゐのごわすもなぞすぎでうけました。

でもやっぱり個人的に一番うけたのはもこたんのはny(
35.100朱(Aka)削除
すみません、貴方の狂気にあてられてしまいそうなくらい大好きです(笑
貴方の作品に出会ってから胃がよじれっぱなしです。天晴れ!!

ゴリゴリとラッシュを畳み掛けるような狂気的なまでの面白さがいいですw
で、今回の三話を通しての主題は……「リニアモーターカー」ですよね?(ぇ
48.80名前が無い程度の能力削除
中編で謎だった、リニアモーターカーの模型…
8センチという太さはアレに使うには大きすぎるし何に使うの!?と思っていたら、
「ひぎぃ」だったのですね!
49.100名前が無い程度の能力削除
誰か、誰かまともな人はいないんですかぁ!?
A.「いません」

グッドラック変態。
50.70藤村流削除
ああああああ!
惜しい! 非常に惜しいッ!

何が惜しいのかというとギャグについては文句なしですし、
シリアスでギャップを図るというのも少し深い気もしましたが良いです。
もう少し容量が短ければ最後のオチにも納得がいったかと思いますが。
レミリア→霊夢の恋話にしても、冬虫夏草にしても、伏線をもっと押し出して
ほしかったかなあという気持ちがあるのです。

うまいが故に惜しいといいますか。
二股大根は最高ですが。つーかたまたま落ちてないだろー。
52.無評価shinsokku削除
これは混沌の具現。最早画一的なジャンルの檻では狭すぎる。
危険物扱いするだけの価値がある、と矮小な若輩は感じました。
この“危機的状況(クライシス)”は、
確実に攻撃力を持っている、影響力を保有している、と。
有害とはつまり毒になること、つまり薬になること。
有害図書ほど人間の為になる物はない。
良の為になるか悪の為になるかは、触媒よりもその者次第・・・。

まるで貶すような言葉になってしまいましたが、
『御作は「取るに足らない、駄菓子の如き」モノでは有り得ない』、
ということだけが主旨でございます。
お気を悪くなさいませんよう、お願いしたく。

ああ、面白い!
55.90TAK削除
シリアスよりの急転直下。
そこから上昇後直下型きりもみ急降下。
その破壊力たるや計り知れず。

…要するに「グゥゥゥッドジョォォォォォブ!!」という事です(一部暴走により文章破綻)。
56.100てーる削除
・・・・どうやって言葉にすればいいのやら・・・・・。

アァ、何から言えばいいのかもどかしいぃw
59.100名前が無い程度の能力削除
うーわー…
凄まじいまでの色んな狂気に精神ボロボロです
でも激しくGJ!!
62.100名前が無い程度の能力削除
面白すぎる。
面白すぎる。
面白すぎる。

というかむしろさんざん弄られてだまされてヒドイ目にあっているのにそれでもえーりんを慕いつづけているうどんげに萌えました。

てゐよ、あの時見たスカートの中身を俺に教えてく(ルナティックレッドアイズ
67.無評価七死削除
ああそうか。 一番最初に乗っちゃった走り出したらとまらない車ってのは。

まっすぐに突っ走っちゃ直ぐに壁にぶつかってそこを突き破ってそこで飛び上がってホバリングしてスキップしてギャロップしてコサックして盆踊りしてとやりたい放題のいい加減にしてくれって感じで走り回ってたこの車は。

俺はこの車に乗ってたんじゃないんだ。 押し込められたんだ。 覗いた瞬間絶対逃げられないように、自分で乗ったつもりで閉じ込められてたんだ。 道理でハンドルもブレーキも、そしてタイヤもない筈だよ。 参った。

だってこれ車じゃないよ。 本当は全然暴走してなかったんだ。 
ただ蹴り落とされてたんだ。 真横に。

車じゃなかった。 何を勘違いしてたんだ? だってこれ・・・。 
これって棺桶じゃないか。 俺の。

そんな感じのする・・・作品。
69.90名前を決めかねる程度の能力削除
各所の無茶苦茶な暴走がストーリーに見事に絡め取られて、暴走列車は、線路のないところを突っ走り、銀河の彼方へ行った模様。
今までより、変態百合テイストは抑えめで、表現手法や、トリックを重視しているので、読んだ瞬間爆笑する濃い味ではなく、噛めば噛む程、味わいのあるものに。
あんた、ただの変態じゃネェな。
74.100名前が無い程度の能力削除
鈴仙も変態だったか・・・。

>コロニー落としプレイや月面宙返りプレイ
>亜光速七回転半ひねりプレイ
幻想郷のプレイの可能性は無限大ですね。
77.80名前が無い程度の能力削除
咲夜さん怖えぇえ!
いやもうすごい話でした
寄生した妖怪も本当に大変だったろうなぁ
83.90瀬月削除
「慧音に頼めばよかったのに……」

・・・だよな。

次点はゆかりんかな?
幼女と少女の境界を弄ってもらって・・・
・・・いや、絶対まともに治してくれる訳無いな。

永琳がダメでも、他に何とか出来そうな連中が結構いるはずなんですよねぇ。
色んな意味で気づけ、おまいら(苦笑

個人的にEPが最高でした。
咲夜さんの、実に完全で瀟洒な悪魔の狗っぷりが。
84.100nagi削除
なんというか感動しました。

あの妖怪をどうこうとかじゃないんですが、咲夜さんには
話し相手が必要なんじゃないかと思ってしまいました。萌えの。

>咲夜の伽を思い返すだけで、自然と咲夜の頬が緩む。
ここは“昨夜の伽”ではないでしょうか?
もし何かしらの意図があってこうされたのならすみません。
ちょっと気になったものですから。
89.80名前が無い程度の能力削除
うわぁ、途中まで「咲夜さんいじらしい…」とか思っていたのに…

咲夜、恐ろしい娘…!
99.100名前が無い程度の能力削除
もこたんの返事のくだりで、飛び出したyesのごとく爆笑。
いつの間にそんなお茶目になりやがられましたかもこたん。

恐ろしく長い話だったけど、一気に読めました。
102.90名前が無い程度の能力削除
セラムンネタが解った人がどれだけいるだろう。そういえばアレもハート型の穴が開いてたねぇ。
ギャグとシリアスの境界がいい感じに行ったり来たり。
エピローグも含め、大変楽しませて頂きました。
あと誤字報告です。作中での『天才』の9割が『天災』ではないかと思うのですよーw
103.100名前が無い程度の能力削除
散々壊れた話で進めておきながら、中盤で突然のシリアス展開。
その後の再びぶっ壊れ。
そして、驚愕のエピローグ……

私ごときの文章能力では、
貴方の凄さを表現し、褒め称えることすら叶いません。

出来る事といえば、100点という、
この作品の評価としてはあまりにも低すぎる点数を入れる事のみです…
121.100HR削除
おもしろかったです。
136.100名前が無い程度の能力削除
それでこそ悪魔の狗!!
流れる文章の構築に感服でごわす。
153.100名前が無い程度の能力削除
あー、笑った笑ったwww
155.100名前が無い程度の能力削除
これはあかんてwwwwwwww
いい意味で感想に困るなww
158.70名前が無い程度の能力削除
えーりんが烈海王すぎるwwww
笑わしてもらったよwwwwwww