Coolier - 新生・東方創想話

白楼剣 前編

2005/03/06 07:14:45
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 落ちる瀑布が滝壺に至り、白い飛沫を舞い上げている。
 岩場に掛かる虹の橋を、透明な雫が貫いていく刹那。
 半秒にも満たない間隙に、魂魄妖夢は四度に渡る剣戟を撃ち放っていた。

 白髪の矮躯が振るうのは、身長以上はあろうかという長刀。
 名を楼観剣。一振りで十の妖を滅する、妖怪が鍛え上げた刀である。
 (ひび)が入っているとはいえ、並の刀など一撃の下に打ち砕けるだろう剣を、しかし対峙する
敵は易々と防いでみせる。まるでその手に構える短刀が、楼観剣以上の強度を誇っているか
のように。

 それも当然。  
 濃紺の侍装束に身を包み、後ろで束ねた黒髪は剣を振るうたびに風を切る。
 殺意に塗れた真紅の双眸は、天を衝く長躯よりもなお妖魔の趣を宿す。
 男の名は白楼。かつて楼観剣を創造せしめた妖魔の刀匠である。
 ならば、同等の武具を持っていても何の不思議もない。
「どうした小僧。俺を倒し、剣を打たせるのではなかったか? この様では残りの命、ここ
で捨てることになる」
 透き通った低い声で、告げる。
 小僧と呼ばれはしたが、妖夢はれっきとした女である。しかし少女にしては短い白髪と男
物の和装という今の出で立ちでは、確かに中性的な少年にも見えるだろう。
 死の宣告を受けた妖夢は、けれど不敵な嘲笑を浮かべた。
「貴方を殺してしまっては、剣を打たせることも叶わぬと――遠慮していただけのこと。
 安心した。その腕ならば、よもや死ぬこともないだろう」
「……抜かしたな」
 白楼の殺意が凍り付く。眼光に鬼火が宿り、針の視線が妖夢の総身を刺し貫いた。
     
 間合いは三間。瀑布の水音を背景に、対峙する二人は共に剣を構え直す。
 背の鞘を右手に持ち替え、地に伏す程に身体を前傾させた妖夢は静かに楼観剣を鞘に納めた。
「居合いか、よかろう」
 男の構えは、妖夢に合わせたものか奇しくも同じ居合いであった。
 腰に提げた鞘に短刀を納め、直立姿勢で瞑目する。
 ……この男、弁えている。妖夢は精神を研ぎ澄ましながらも、相手の力量に感じ入った。
 妖夢の姿勢から次撃を突進からの抜刀と見破った白楼は、直立不動の抜刀にて迎え撃つ腹積も
りだろう。そこまで読めていれば、他にもっと有用な手立てがあるだろうに。
 ――あくまで真っ向からの勝負に拘るか。
 少女の唇が僅かに笑みの形に歪む。

 真昼の陽光が楼観剣の白刃を煌かせた刹那、妖夢の姿は掻き消えた。
 瞬間移動じみた踏み込みから、現世を断ち割るような斬撃が白楼を襲う。
 白楼はその場で独楽のように高速旋回、神速の抜刀で迎え撃った。

 ――激突する鋼と鋼。妖気と火花が散華する。
 激しく鍔迫り合う二本の妖刀。楼観剣が悲鳴のような軋みを上げる。
 美麗な白刃を割り裂いて、奈落が(あぎと)を開くように、黒い罅が広がっていく――。
「愚かなり。罅の入った楼観剣で、我が剣を断てると思うたか」
 渇ッ! と白楼は鬼神の如き剣気を放出する。剣が噴出する妖気と混じり合い、発気は濁流と
なって妖夢の身体を虚空に弾き飛ばす。

 仰向けに倒れた少女の眼前で……空を舞った楼観剣は硝子の如く砕け散り四散した。

 白楼は妖夢に剣を突き付けて、見下すような眼で言葉を紡ぐ。
「……興が削げた。久方ぶりに楽しめるかと、血が騒いだのだがな。罅入りの刀とは、俺も愚弄さ
れたものよ」
 顎を撫ぜて、妖魔の刀匠はふむ、と何かを思いついたようだった。
「名を申してみよ、小僧」
「魂魄妖夢」
 負けてなお堂々と名乗りを上げた妖夢。言葉を受けて白楼は瞠目する。
「ほう、魂魄妖夢……。かような小僧が何故ゆえに楼観剣を持つのかと訝ったが――成る程、魂魄
縁の者であったか。よかろう……砕けた楼観剣、この白楼が修復してしんぜよう」
 但し、と男は一度言葉を止める。
「完全なる楼観剣で今一度、俺と仕合え。俺を倒せばそれでよし、できなくば……その命を代価と
しようぞ」
     
       *
    
 師より賜った刀には、僅かな罅が入っていた。
「よいか妖夢よ、楼観剣を修復できるのはこの世で一人。白楼という妖怪だけだ。その剣を見事修
復し帰って来たならば、その時こそおまえに皆伝を授けよう」
     
 架せられた絶対命令。あの時は師の言葉を訝ったものだったが、白楼に会った瞬間。
 ああ、そういうことかと得心した。
 この男ならば確かに、魂魄の剣技を継ぐ儀式。最終試練の相手に相応しかろう。
 幻想郷を出て遥か北、後は広大な海を臨むばかりの最果ての地。
 深い山の渓谷。崖の上に庵を造り、かの者は住んでいた。

 人に曰く、渓谷に妖魔の刀匠ありけり。人外の魔剣を求め、訪れる武芸者は数知れず。
 されど……いまだ帰る者なし。

 白楼は己が剣を求める者に、代価として立会いを望む。
 俺を倒すことが出来たならば、貴様の剣を打ってやろうと。
 妖夢がそうであったように武芸者たちは悉く返り討ちに遭い、白楼に喰われてしまったのだろう。
 そんなことをつらつら考えていると、件の人喰いが声を掛けてきた。
「どうした……山の飯は口に合わんか。生憎、他に出せるものはないが」
 部屋は木造、十畳ばかりの広さで、二人を分かつようにして鍋が煮えている。
「いえ、あるいは私が夕餉にされていたかもしれないと……思っただけです」
 白楼は柳眉を顰めた。改めて見れば類稀なる美丈夫である。だが、幻想郷で育った妖夢にはさほ
ど目新しくもない。妖怪とは、得てして人にあらざる美しさを持つものだからだ。
 寧ろ、男性そのものが珍しい。
「俺は人など喰わん。大体貴様のような肉薄を喰ろうたところで、腹も膨れぬわ」
 男の台詞は意図とは無関係に、痛烈な皮肉となって妖夢の耳を直撃した。
 ぴきりとこめかみに血管が浮かび上がり、妖夢の視線が凍気を帯びる。
「よい殺気だ。剣客とはそうでなくてはな――毒も人肉も入っておらぬ、安心めされい」
 鍋から取った茸を頬張り、見当違いの解釈をした白楼は呵呵と笑んだ。
 妖夢は呆れ、鍋を突付きつつ話の筋を修正。
「しかし、麓の村人たちは渓谷から戻ってきた武芸者はいないと……」
「反対側から下りただけのことよ。当然であろう? 妖怪に返り討ちにされて逃げ帰ってきたなど
と、どの口で侍が言える。尤も我が剣の糧にしてやった(つわもの)も無論おるが――」
 妖夢は眼差しだけで、先を言う必要はない旨を伝えた。そんなことは剣に生きるものなら幼子だ
とて覚悟している結末。人殺しと責めるのはお門違いというものである。
「それで、修復にはどれほど?」
「そうさな、砕けたとはいえ楼観剣は死したわけではない。一月もあれば蘇るか。……ついでだ、
貴様向けに改良を施しておいてやる」
「……どうしてそこまでしてくれる」
 至極当然の疑問である。何故わざわざ、敵を強くするというのか。
 白楼は簡潔に答えた。
「俺はただ、強き剣士と斬り合いたいだけよ。貴様には期待している。俺を失望させるな……」
 唯々強さを求め、唯々強き敵を欲し、唯々繚乱たる闘争を求める。
 根底からの戦闘狂。剣のみに生きる修羅の言葉であった。

       *

「裏に温泉が湧いている。勝手に使うがいい」
 白楼の申し出はありがたかった。妖夢とて娘、身体を洗うのは好きであるし、長旅の垢を落とせ
るのは嬉しい。早速、湯を頂くことにした。
 庵を出て裏に回ると、鬱蒼とした林が広がっていた。夜の帳に閉ざされて、差し込む月明かりだ
けが頼りなく林道を照らしている。
 ……粛々と夜道を進む。五分ほど歩いて、妖夢は硫黄の匂いを嗅いだ。
 立ち昇る湯気と暖かな熱気。開けた視界の先には、岩で囲われた天然の露天風呂が妖夢を待ち受
けていた。
 妖夢は岩場の影で旅着を脱いで、白い素肌を夜気に晒す。わざわざ男物の着物を用意したのは、
その方が娘の一人旅よりは何かと都合がよかろうという師の配慮からである。
 事実、宿一つ取るにしても娘の格好では良き悪きに関わらず、他人の興を引き易い。
 多少の面倒ごとなど捻じ伏せる自信は勿論あるが、無用な騒ぎを起こすよりは、服一つで予防で
きるものならそれでいいと妖夢は思う。
 湯に映る少年のような肢体。乙女の憂鬱を顔に浮かべ、妖夢は一つ溜息を吐いた。
 足元からそっと湯に漬かる。
 指先からじわじわと伝導する熱が、少女の柔肌をうっすらと桃色に染めていく。
「……ふぅ……」
 白い吐息を漏らして、陶然と夜空を見上げた。月は上弦、散りばめられた星々の一つ一つが花弁
に見えて、否応なしに満開の桜を思い出してしまう。
 情けないことだ。
 幻想郷を出て、まだ一月余りだというのに……もう望郷の念に囚われてしまっているなんて。
 ……あの御方は、今頃何をしているだろう。この時間ならば、すでにお休みになっているかもし
れない。それとも、妖夢と同じようにこの星空を見上げているだろうか。
 この情けない庭師見習いのことを、少しでも気にかけてくれているだろうか。
「幽々子さま……私、きっと強くなって、それで……」
 寂寥と思慕で破裂してしまいそうな少女の顔を、月と星が見下ろしていた。
     
 不自然に草の揺れる音がして、妖夢は立ち上がり、はっと振り返った。
 人の気配……。かような深夜の山奥に、よもや山賊でもあるまいに。
 ほどなくして姿を現した人影は、妖夢の見知った人物であった。
 白楼、である。
 引き締まった痩身長躯。一糸纏わぬ彼の身体は総身くまなく鍛え抜かれていた。
     
 妖夢は思考停止。丸々と見開いた両の目は、とある一点に収束している。
「ぅ、ぅ……っ」
 言語中枢が麻痺。震える唇は言葉を紡げない。
 手ぬぐいを肩に引っ掛けて、彼は堂々と腕などを振って歩いてくる。挙動不審な妖夢の様子を見
て、何ごとかと首を捻った。
 あまりの事態に、胸を隠すことすら忘れていたが――それでも白楼は気付かない。
 後々、落ち着いて思い返してみれば失礼千万極まりなかった。百度殺しても飽き足らぬ。
    
 彼は湯に漬かり、妖夢の隣に腰掛けた。隙間は一寸もない。肩と肩が触れ合うか触れ合わぬかと
いう微妙な距離である。
 白楼の隣で、妖夢は水飛沫を上げてしゃがみ身体を硬直させる。千々に乱れた思考はいまだ混乱
の渦中にあり、やはり身体を隠すことまでは気が回らなかった。
「どうした小僧。もう茹ったのか?」
 情けない奴だと揶揄するように言って、彼は妖夢に向き直った。
 視線を感じると、急速に血が昇っていくのが実感できた。湯のせいでは断じてないが、完全に茹
で上がってしまっている。

「貴様の師……魂魄妖忌であろう」
 師の名前を出されて、煮立った脳髄が急速に冷める。
「いかにも。ですが、どうしてそれを」
「察しが悪いな。とうに気づいているかと思うたが。彼奴の佩刀、楼観剣は俺の作。つまり……」
「……貴方は師に敗れたのですね」
 その言葉は白楼にとって由々しきものであったらしい。憤怒の顔で勢いよく立ち上がった。
 妖夢は顔を羞恥に染めて、亜音速で目を逸らす。
「負けたわけではない……! 刀は彼奴の技倆に免じてくれてやっただけのこと。この勝負、どち
らかの命が尽きるまで終わらせはせぬと――しかと約束した」
 剣鬼の顔で、白楼は言う。
「あれから俺は更に強くなった。今ならばかつての妖忌とて敵ではない。再戦が叶う日を心待ちに
していたというのに……! 何故ゆえ彼奴ではなく貴様が俺の前に現れたのだ!」
 ……師も人が悪い。この男を倒せとはすなわち、己を超えて見せよということではないか。
 剣士の魂が奮い立つ。これほど心躍る試練、他にあろうはずがない。
 立ち上がり、激昂する男と向かい合った。

「その勝負、魂魄妖夢が継承した。白楼、貴方を斬るのは師ではなく――この私だ」

 白楼の眼を凛と見据え、瞳に炎を宿らせて。妖夢は真っ直ぐに見得を切った。
「よくぞ抜かした! ならば残された一月、死ぬ気で剣を執れ。貴様の腕はいまだ未熟、妖忌の足
元にも及ぶまい。だが、俺は其処許に天賦の剣を見た。三十昼夜、命を賭して修練を積めば――
 あるいは、師に届くやもしれぬ。何、至らなければそれでもよい。貴様の素首叩き落して、彼奴
への土産と代えてくれるだけのこと。ん、んん……しかしだ、妖夢」
 白楼は言葉に迷い頭を掻いて、やや困窮した調子で言う。
「彼奴めの刺客が……よもや、娘であったとは思わなんだ。目には楽しいがな。その格好、些か慎
みに欠けてはいるまいか」
「わぁっ!」
 妖夢は己が裸身を顧みて、状況を再認識。沸騰した薬缶のように上気してしまう。
「うっ、ぅぅぅ……ぁぁ」
 少女のまなじりが潤み、頬はほおずきのように赤に染まる。
「そう気にするな、俺も忘れる。あえて覚えておくほどの物でもない」
 ブチン、と。心の奥底で、何かが切れたようだった。
 ……最早これまで。この恥辱を晴らすには速やかにこの男を殺すしかない。
 憤怒と恥辱によって白熱した思考は、無我の境地によく似ていた。
 矮躯に眠る潜在能力、その全てが言っている。覗き魔誅すべし。乙女の敵に容赦するまじ。
 滅殺以外の未来はありえぬと。
 轟と白髪が舞い上がり、握り締めた拳に膨大な妖力が収束していく。
「うおお!? 落ち着け妖夢! 仕合うのは一月後と言うたではないかっ」
 妖夢の気配にただならぬものを感じたのか、剣鬼は情けなく狼狽した。
「わ、わた、私のっ。はだ、はだ、はだ……っ。あああ問答無用――――!」
 翠緑の妖気を纏った鉄拳は、妖怪の動体視力ですら補足不可能。先の立会いでこの力を出せてい
たなら勝負など一撃で決していただろうに。女の怒りとは、かくも恐ろしいものか。
 爆音にも似た衝撃。地から天へ、音速を超えた速度で裸夫が吹き飛んでいった。

 満点の星空に、新たなる星が一つ。……これもまた、風情なり哉。
ご無沙汰しております。そして初めまして、FUSIです。
前作を評価してくださった方々、コメントをくださった方々、この場を借りて御礼を申し上げます。

前回は本編再構築ものでしたが、今回はオリジナルストーリー&オリキャラでいってみようかと思います。
やりごたえはあるものの……これが難しい。設定に矛盾、間違いなどありましたら、ごめんなさい。

というわけで「白楼剣」前中後編の前編でした。
FUSI
[email protected]
http://fusi24.hp.infoseek.co.jp/index.html
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コメント



0.1820簡易評価
2.90しん削除
素刃裸師衣ですね。妖夢が格好いい……。
みょんみょん言わない妖夢も素敵だと思いました。
白楼も渋いし……でも露出卿。
続編たのしみです。
7.無評価名前が無い程度の能力削除
妖夢と刀匠の格好の良さ、それと引き立て会うようなコミカル。
正統派妖夢物であり、正統派妖夢弄りであると感じました。
またの作を期待申し上げます。
8.50てーる削除
久しぶりな真面目妖夢の続編凄く楽しみです。

・・最後の一コマに笑ってしまった・・w(妖夢スマナイorz
21.80藤村流削除
妖夢の真骨頂を見た気がします。

剣を取り、剣と共に生きる彼女の在り方は、
ただそれだけで美しく、流麗なのだと思います。

続編、期待しております。