Coolier - 新生・東方創想話

紫のメルレット

2005/03/05 09:31:56
最終更新
サイズ
20.72KB
ページ数
1
閲覧数
682
評価数
2/30
POINT
1310
Rate
8.61
「紫ー。カキ氷できたわよ」
 博麗神社の裏。ちょっとした庭のようになっている広場で、霊夢はきょろきょろと辺りを見渡した。
 まばらに木が生えているだけで人影はない。木陰の一つに隠れて一脚の白テーブルがあり、二つの椅子がテーブルを挟んで置かれていた。誰もいないが。
 霊夢はさして気にすることなくテーブルにカキ氷を置き、のんびり空など見上げながらつまみ始めた。
 太陽がさんさんとまぶしい。夏の盛りを肌で感じる。暑くなってきたので袖を外してひざの上に置いた。
 不意に、
「あら、溶けちゃうじゃない。呼んでちょうだいよ」
「呼んだわよ」
 声が聞こえた。この辺りではわりと起こる現象だ。
 スプーンは止めずに声のほうを見ると、木の前辺りの空間を裂いて一人の少女が姿を現すところだった。ひょいと気軽にこちら側の世界までやってくると、歪んだ空間の向こうからティーカップを取り出す。
 境界を渡ってきた少女、紫はカップを掲げながら霊夢に向き直った。
「ちょうどいいお茶が手に入ったのよ。霊夢もどう?」
「カキ氷と熱いお茶の組み合わせは舌に悪いわ」
「残念ね。私もカキ氷は遠慮するわ」
 紫はかすかに肩をすくめると、カキ氷を皿ごと境界の中にしまいこむ。
「溶けるわよ」
「橙が食べるわ。あの子猫舌だからお茶は飲めないの」
 紫は椅子にかけると、何事もなかったようにお茶を飲む。背後では結界の名残がかすかに揺らめいて消えた。
 博麗神社には毎日のようにわけの分からない客が来る。ほとんどが妖怪で、残りは妖怪並みに奇特な人間が少々。
 境内の裏は涼をとるには悪くない場所だし、別に拒む気もないので来客は後を絶たない。
 今日の客は紫だ。いつもながら胡散臭い。一見して全く分からないが、彼女こそ博麗大結界の仕掛け人であった。厳密にいえば仕掛け妖怪。実に何百年も行き続けているという。それもまた胡散臭いが。
 霊夢はなんとなく気になって聞いてみた。
「紫って、博麗大結界を作ったんでしょ?」
「なぁに霊夢、ひょっとして信じてないの?」
「あまり信じられないけど、結界を作る前はなにしてたの? あんたみたいなのんきな妖怪が何で幻想郷を作ったのかしらって思って」
「幻想郷ができる前ねぇ……いろいろやってたわよ。あっちこっちいろいろ歩いて回ってたわ。式を会得するために西洋に足を運んで精霊の勉強したり」
「勉強? 紫が? 嘘くさいわよ」
 思い切り訝しげな表情で紫を見やる。本人も少しは分かっているようで、目元で苦笑のようなものを浮かべつつティーカップを口に運んでいた。
「昔の話だものね。懐かしいわ……その頃私はメルレットって名乗ってたのよ。紫のメルレット」
「何で名前変える必要があるのよ」
「仕方ないじゃない、ユカリじゃ通りが悪かったんだもの。現地の言葉に合わせるのはちょっと大変だったわ。先方では、精霊はネイティアルって呼ばれたりして。ともかく、当時の私は一流の召喚術士として、一目置かれる存在だったのよ」
「へぇ……精霊を召喚できるの? 今すぐ呼べる?」
 一流うんぬんというのは意図的に聞き流した。
「今はネイティアルはやめたわ。いちいち召喚に道具が要るんですもの。スキマにしまっておけばかさばらないけれど、道具を使うのは私の趣味じゃないのよね」
 軽く首を振る紫。
「日本に戻ってから、結界の作り方を試したり好みに合った召喚法を探してみたりして……そうそう、霊峰富嶽幻遊会を開催したこともあったわね」
 あからさまに怪しすぎる名前に、思わず押し黙る霊夢。
 数拍の沈黙をはさんでから、何でこんな怪しい話になったんだっけ、と自問しつつ訊ねる。
「……何なのよ、そのなんたら会って」
「昔、霊峰富嶽にいた荒御霊を鎮めるためのニセの儀式。ニセの懸賞金を用意してあちこちから腕に覚えのある幻魔使いを呼び寄せて戦わせたのよ。あ、ちなみに幻魔っていうのは昔の呼び名で、精霊のこと。まだ幕府統治だった頃の話」
「昔っからそんな胡散臭いことやってたのか……」
 げんなりしてスプーンをぷらぷらと揺らす霊夢。カキ氷はもう溶けて、冷や水とイチゴシロップの混ざった汁だけがガラス皿の底に残っていた。
 紫は心外だとでもいいたげに顔を曇らせると、お茶を一口すすってから先を続けた。さっきから飲んでるのに減らないのか、あのお茶は?
「私にとっては思い出深い出来事だったのだけれどね。幻想郷を作るきっかけの一つだったから」
「へぇ?」
 思わず興味を引かれ、視線を上げる。いたずらっぽく微笑む紫はちょっと考えるようなしぐさをしてから、
「でも話すと長くなるし、面倒だからやめるわ」
「確か栗羊羹がまだ残ってたわ。食べる?」
「あら、じゃあ頂こうかしら」
 くすっと笑うと、紫はしばし目を閉じて回想にふけった。
 そして懐かしい思い出とともに、昔話が始まった。

   ■ ● ■

 和国に帰ってきて間もない頃はまだ西洋の風習が抜けきらず、相変わらずの紫の衣装を身にまとい、メルレットを名乗っていた。
 西洋で暮らすうちにいくつかの連れ合いができたので、和国にも連れてきている。
 一つは黒猫。しゃべる黒猫。あまり長いこと生きてはいないようだが、彼女の持つ魔力はただならぬものがあった。鉄格子を一睨みで溶解させたこともある。もっとも、その程度は紫にとっても猫にとっても造作ないが。
 この黒猫との付き合いは意外に長いものになった。今ではその曾孫が式の式となり、家族として迎えている。
 次に杖。コウモリの杖。杖の先端がコウモリの彫刻になっているのだが、実は彫刻でもなんでもなく魔性のコウモリそのもの。分離して巨大なコウモリに変身することもできる。移動するときはよく背中にお邪魔させてもらった。
 最後に帽子。しゃべる帽子。しわがれた老婆の声でしゃべる。帽子に老婆の意識が乗り移ったのか、帽子が意思を持つようになったのかは分からない。なかなか憎めない帽子だった。形はいわゆる魔女の三角帽というやつだが、三角錐の付け根の辺りがぱかっと開いて口になったりもする。しかも歯が生えているので凶悪だ。
 帰国してからは、自分の記憶と歴史の隔たりを感じつつ彼らに名所案内などしていた。
 たかだか百年ちょっとで世の中は大きく変わってしまうものだ。


 あるとき、日本一高い山、富士山を観光して回っていたときのことだ。
 さすがに目立つ格好なので表立って山登りしたわけではなく、空の隙間からちょこちょこ顔を出しては要所を見て回っていただけだったが。
 人気のない山の斜面で、気になる妖気を感じ取ったのだ。やたらと妙な妖気だった。漏れ出てくる気配からかなり強力な力が封印されていることは分かったが、それ以外は雲をつかむようだった。
 一体何なのか判然としなかったので、連れ合いたちとあーでもないこーでもないと話しつつ正体を突き止めることにした。
 探すことしばし。境界を行き来できるためさほどの手間はかからず、妖気の源を見つけ出すことができた。


「幻魔だね、これは」
 帽子がしゃがれた声で呟いた。
 岩肌に隠れるようにあけられた洞窟。人工的に掘られたらしいその空洞はたいした奥行きもなく、行き止まりには祠が一つ鎮座していた。
 封印されている妖気はそこからあふれ出ている。
「でもただの幻魔じゃないみたいよ? なんかどことなく人間の気配がするもの」
 猫が足元をうろうろと調べつつ言う。
 紫はそのどちらも正しいことがなんとなく分かった。ゆっくりと祠に近づくと、祀ってあるご神体を眺める。
 幻魔はその本体が異界に存在する。それを呼び出すには境界に穴を開けねばならない。そして穴を開けるために、幻魔に対応する道具が必ずこの世に存在する。
 どうやらこの幻魔を呼び出す道具は一振りの太刀であるらしい。拵えは物々しいが、装飾らしき装飾はない。紫の目には、実戦で振るうことも霊的に使用することもできる刀だと見えた。
「人間が幻魔になるって話も聞くぜ。こいつもその類か?」
 コウモリが刀を警戒しつつ囁く。
「なんにしても、ふたを空けてみれば中身は分かるわ」
 紫は特に気負った風もない。わずかに目を細めただけで刀を持ち上げる。
 ずしりと思い手ごたえを残す古風な刀。柄が手になじむような気がしない。だが大して構わず、紫は呼気とともに鞘を払った。
「いいのかえ? そやつ少々厄介なにおいがするぞい」
「ダメそうだったら逃げるわ」
 すべるようにあらわになる刃。怪しく輝く切っ先を見つめながら、紫はのどの奥で鋭く呟いた。
「出でよ」
 ――洞窟の中だというのに風が逆巻いた。
 波紋が広がるような錯覚を感じる。どこからか低い唸り声が耳をかすめていった。水で満たされるように、心が鮮烈な感覚に染まる。
 力は封印から解き放たれた。他の何ものでもなく、手ごたえから来る道理がそれを知らせた。
 そして……触れれば切れるのではないかとも思える気配が、どこからか漂ってくる。
「外だな」
 コウモリが敏感に反応し、洞窟の出口に向き直った。
 振り向く。果たしてそこに幻魔はいた。
 全身を鎧兜で武装した武士だった。兜の陰に隠れ、表情は窺えない。
 静謐の中、何をするでもなく佇んでいる。あまりに密やかないでたちは、直前までのあふれる力と異なるものではないかとさえ感じられた。
 しかし理解できた。探る必要はない。ただ直感で、この幻魔が危険すぎることを理解できた。
「――ソノ太刀ヲ返シテモラオウ」
 幻魔が告げた。厳かな声だった。口調に、敵対するような色は感じられない。
 紫は逡巡したが、刀を鞘に収めると幻魔へ太刀を手渡した。
「我ガ名ハマサカド。汝ハ我ノ封印ヲ解キシ者カ?」
「……ええ。私は紫のメルレット。あるいは紫」
 間合いを取りつつ様子を窺う。洞窟から出て、辺りは傾斜の少ない開けた場所だ。
 マサカドが不意に首をめぐらせた。視線は山頂に向いている。紫もまた同じ方向を眺めたが、何かあるようには感じられなかった。
 しばらくして、マサカドがその姿勢のまま訊ねてきた。
「汝、西国ノ者カ?」
「違うわよ。……西洋の暮らしは長かったし、こんな格好してるけど、歴とした和のものよ」
「汝、妖化カ」
 質問ではなく断定の響きだった。
 辺りの空気がざわめき始める。マサカドから、にじみ出るような気が生まれていた。
 相変わらず表情は窺えないが、物腰がわずかに変化した。もとからほとんど動くことはなかったが、今は張り詰めたような気迫を感じる。
 ……少々、目測を誤ったか。
「別にあなたを倒そうって気はないわ。おとなしく見逃してほしいのだけれど」
「コノ地ヲ西国ノ因習ニ侵サレルワケニハイカヌ。東方ニハ東方ノ歴史ガアル。異国ノ風ハ、コノマサカドガ押シトドメル」
「……和国の独立した文化を堅持しようというわけ? 私は別に外のものを持ち込むつもりはないわ――」
「西国ノ習ワシハ毒ナリ。我ガ国ニ彼ノ如キ悪性ハ外道!」
 叫ぶと同時、マサカドが腕を天に伸ばすとその体がまばゆく光り、周囲一体の気が彼の目の前に集結した。それはただの気ではなく、意思あるもの、形あるもの。
 紅蓮の炎を吹きながら出現したそれは、六本の腕を持つ強力の化身。まさしく幻魔であった。
「――あいつ、幻魔のくせに幻魔を使うのか!?」
 黒猫が驚きの声とともに身を翻し、紫の肩に駆け上る。
 じり、と岩肌を踏みしめる紫。幻魔使いの幻魔、幻魔の幻魔使い。逃げても追ってくるだろう。振り切れるとは思えない。
 腹をくくると、スキマから箱を取り出した。幻魔を呼び出すための道具だ。
「……やるしかないわね。水のもの来たれ!」
 言葉とともに、祈りの心を強く持つ。幻魔は異界の存在。呼び出すためには幻魔の世界に触れる心があればいい。
 一瞬閃きが目の前を通り過ぎたかと思うと、すでに水しぶきを上げながら紫の前に姿を現す一体の幻魔の姿があった。亀に乗った、一見してか弱い女性型の幻魔。しかし内に秘めた力強さは有象無象とわけが違う。
 幻魔は術者の意思に従う。
「かかれ!」
 号令一下、マサカドの火の幻魔と紫の水の幻魔が激突した。明王の姿を模した火の幻魔は果敢に攻め立てたが、紫の水の幻魔も負けじと続けざまに水弾を放つ。弾をよけそこなった火の幻魔は次々と手傷を負い、最後には恨めしげな咆哮を残し朧に燃える火影と消えた。
 両者のぶつかり合いの間にも、マサカドは新たに二体の幻魔を召喚した。空中を水のように泳ぎ回るエイと、空を我がものとする天の戦乙女。
 紫もまた黙ってはいない。スキマから小さな石臼と鬼の頭蓋を取り出すと一息に叫んだ。
「地のもの、火のもの来たれ!」
 大地を割り、あるいは火の粉を散らしながら、紫の眼前に新たに二体の幻魔が出現した。片や巨大な砲を携えた月のウサギ、片や弓矢を携えた戦装束の大骸骨。
 マサカドの火の幻魔が弾け散る瞬間、その影から踏み込んだ敵の二者が中空へ飛翔した。空を自在に駆け、恐るべき速さで接近してくる。
 紫のウサギがわずかに前進し、空を泳ぐエイに狙いを定めた。ほとんど照準の隙など感じさせず発砲。放たれた弾幕に阻まれ、エイはひとまず迂回するように進路を変えた。
 ほぼ同時、神速の踏み込みで宙を駆け抜けた戦乙女がウサギの背後を取った。まるで淀みない動作で刀に手をかけると、次の瞬間残影も残さぬ速度でウサギを袈裟懸けに切り裂く。
 しかしそのさらに背後に回り込んでいた大骸骨がいた。すでに矢はつがえてある。
 戦乙女が動きを止めた刹那、地獄の業火をやじりに灯しながら死の矢が戦乙女の背中に直撃した。そしてただその一撃で幻魔は砕け散り、一陣の風のみ残し霞となった。まさに一撃必殺。
 一方のエイは弾幕を回避しつつ側面から大骸骨に攻撃を仕掛けた。まともにもらうもののなんとか持ちこたえる大骸骨。そこへウサギの弾幕が追いつき、空飛ぶエイは空中で撃墜され無数の飛沫となった。
「メルレット、前だ!」
 コウモリが鋭く叫ぶ。
 視線を引き戻すと、敵の幻魔使いが紫の水の幻魔切り伏せて紫に猛進してくるところだった。
 即座に地と火の幻魔が進路をふさぐ。紫も懐からスペルカードを出し、来るべき瞬間に備えた。マサカドは先ほどの戦乙女の数倍に比する凄まじい剣技を繰り出し、瞬く間に手負いの二体妖刀の餌食とする。その速さ、鋭さ、もはや筆舌に尽くしがたい。
 猛然と剣を振りかぶるマサカドに向け、紫は手持ちのカードを掲げ、唱えた。
「我は放つ光の白刃!」
 声に導かれるように、いく筋ものきらめきが滑るようにマサカドを襲った。その実体は魔力を練って作られた狂気の刃。無数の軌跡を描き殺到する刃の全てを回避することは不可能だ。
 この技は紫がまだ日本を離れていた折、とある古城で知り合った口と目つきの悪い魔道士から伝授されたものだ。
 魔刃を受けながら飛び退るマサカド。紫もまた大きく間合いを広げながら、スキマから一枚の金鏡を取り出す。
 おそらく最後の召喚になるだろうことを予感し、一声鋭くささやいた。
「天のもの来たれ!」
 紫の目の前の空間から疾風が放たれる。まるで無を切り裂いて出現するように、一体の幻魔が風をまといつつ幽玄にその姿を現した。
 絢爛豪華な衣装をひるがえした女性型の幻魔。そしてその頭上には、一見しただけで神聖さのあまり身震いを覚えるような見事な鏡を戴いていた。
 マサカドはすかさず、単身紫の幻魔へと突撃する。しかし間合いを詰めきられる前、紫もまたマサカドを示しつつ命令を下した。
「――撃て」
 幻魔の鏡が一瞬妖しくきらめいた。
 かと思うと次の瞬間、大地を揺るがしかねないほどの凄絶な極太レーザーが発射される。その余波たるや想像を絶し、光線の軌跡には岩も土も、また空気さえ灼熱にさらされて微塵も残さず焼却された。轟音は耳を裂き、風の乱れはとどまるところを知らないかに見える。
 およそ数秒、暴虐の限りを尽くした一撃が残響を震わせつつ収束した。辺りにはもうもうと煙幕が立ち上り、マサカドの姿は見えない。
「やったか?」
「どうかしら……」
 わずかに腰を落とした警戒の態勢は解かず、紫は静かに煙幕が晴れるのを待った。
 しばし――
 突然、脈絡なく煙幕が逆巻いたかと思うと、刃の閃きが一瞬のうちに幻魔を両断していた。応戦の余裕もなく、口惜しげな呪詛をもらしながら消えていく幻魔。
「く……」
 半身を向け、紫は懐のスペルカードを探った。残りの術力では、もはや最後の一撃になるだろうと確信しながら。
 煙幕を割ってマサカドが姿を現した。その体躯、もはや満身創痍といっても過言ではない――かに見えた。
 しかし妖刀が不気味に白光を輝かせたかと思うと、見る間にその傷がふさがれていく。
 紫は舌打ちしつつ理解した。どうやらあの妖刀、血を吸って使い手の力を回復させるものらしい。全てを癒すことはできなかったようだが、もはや尋常な攻撃では必殺できない。
 ならば。
「……私のもてる最高の一撃で、あなたにお相手するわ。黄泉の覇者の力、地を裂き天を割るその力、とくと味あわせてあげる」
 懐から取り出すのは一枚のスペルカード。マサカドは無言で刀を腰の位置に構える。
 間合いは……近くはないが、この剣士ならば一歩踏み込んで抜き打ちを仕掛けてくれば、首が落ちる距離である。だが動く気にはなれなかった。
「古より、生ある内に修得できた者は五指にも満たないというわ。私のような妖の者を除いて」
 強力すぎて西洋では禁忌とされたカードだ。掲げながら、これを放てば勝つだろうと、ひどく当たり前に紫には予想できた。
 だが、もう一つ。なぜか、この幻魔を下すことはできないだろうということも、漠然と分かっていた。
 全ての意思と感情をひとところに封じ、紫は無をもってカードの名を唱えた。
「我は指す冥府の王!」
 その刹那、彼女の左手に、小さな黒い渦の塊のようなものが現れる――
 直径は数センチ。音もなく、炎のように揺れるわけでもなく、ただ存在を始める。重力体でも、ましてや物質でもなかった。それはただの情報、因子でしかない。それ自体がなにかの作用を持つのではなく、一種の引き金なのだった。
 彼女は左手を振り下ろした。
 “因子”が指先から解き放たれて、マサカドに向かって飛んでいく。マサカドは一撃食らうことは覚悟して、その因子を無視し、攻撃のための一刀を放とうとしたようだった。
 ――そしてそれが、裏目に出た。
 因子はマサカドに触れると消失した。触れて消失するだけで引き金としての役割は終わる。
 因子が消失した瞬間、マサカドの身体に異変が起こった。何の前触れもなく、マサカドの体の半分近くが、えぐり取られたように分解される。あっという間に周囲の空気が帯電し、あちこちで火花が散った。全ては一瞬のことである。最後に――
 爆発が起こった。閃光が視界を埋め尽くす。鳴動と衝撃が五感を圧倒し、紫は身体を丸めて防御姿勢を取った。その後は成り行きに任せて、考えることをやめる。
 炎も起こったはずである。全身に激痛が走った。呼吸ができなくなる。だがその苦痛すらも、一瞬のこと――
 熱を感じなくなり、紫は目を開いた。爆発は――マサカドは無論のこと、山肌にも甚大なダメージを与えていた。
 マサカドは先ほどの傷をさらに層倍したような異様な姿だった。半身は裂け、四肢は両断されたか、あらぬ方向に捻じ曲がっている。
 しかしそれでも、富嶽に巣食う怨念が息づいたこの幻魔は、なお口を震わせながら声を絞り出していた。
「我ヲ殺スコト……無益。我ガ身ハ永久ニ在リ続ケル」
 あるいはまだ挑みかかってくるかとも思えたが、その一言を聞いてようやく勝ったらしいことを自覚する。
 軽く安堵のため息などつきながら、紫は打ちつけた箇所をさすりつつマサカドを見つめた。
「そしていつまでも私と戦い続ける? それこそ無益だわ。繰り返すけど、私はこの地に西の文化を持ち込む気はないし、むしろ排斥したいくらいよ」
「我ハ古クハ人ナリ……然レドモ人ノ生ハ限リアリ。永久ニ西ノ風ヲ押シトドメルニ能ハズ」
「…………」
 主張を無視されたか――紫は訝ったが、すぐに彼が答えるつもりで語っているのだと気づいた。黙して聞く。マサカドの声は低く聞き取りづらいが、不思議と聞き逃すこともない。
「ソノタメニ我ハ不滅ヲ証明スル力ヲ欲シタ」
「証明?」
「文字通リ。不滅ノ力ヲ示ス存在ヲ地ニ永続サセルコトガ、我ガ自ラニ下シタ命ダッタ」
 彼の声は、直感とともに記憶を刺激した。西国の因習に侵されるわけにはいかない――
「そのために自らを精霊に変えた……心の不在を証明し、絶対的な守護者になった。そしてその力で、いつまでもこの地の伝統を守る?」
「イカニモ……ダガ、コノ国ニ我ヲモ上回ル強者ガ現レタトキ、我ハソノ役目ヲ終エ、未来ヲ人ノ手ニ託ス……ソレダケノ力ノ誕生ヲ、我ハ待チ続ケテイル」
 マサカドはかすかに首をめぐらすと、どこにそんな余力があるのか、わずかに口の端を引きつらせた。その笑みは満足げなものでは決してない。自虐的な――あるいは、紫を嘲笑するようでもあった。
「汝ノ如キ妖化ニ我ヲ倒スコトハデキヌ。西ノ力ヲ持ツ汝ニハ……」
「そう」
 紫は特に意味もなく、辺りの景色を見渡した。美しい眺めだ。西洋にいた頃とはまた違うものを感じる……それこそおそらくは、この東方に根付く文化の粋なのだろう。
 紫は呟いた。呟いてから唐突な話題だと気づいたが、そのあたりのことは気にせず続ける。
「……いずれ、西といわず、あらゆる場所から幻想が消えてなくなる日が来るわ。あなたも私も、必要とされなくなる日が……私はそれがとても怖い。あなたがこの国の伝統を失うことを恐れたように」
 マサカドに背を向け、紫は空にスキマを生み出した。手をかけながら、独りごちるように続ける。
「そのとき、洋の東西なんて無関係になるでしょうね。そこにあるのは新しい時代。私はそれを、みすみす認めるつもりはないの」
 スキマに身体を滑り込ませながら、紫は最後にマサカドを振り返った。彼はつまりこう言ったのだ。自らを不死不滅に変え、この国の全てに結界を張り、いかなる西風も押しとどめる盾となると――
「幻想を守るため、あなたのように絶対的な守護者になるのもいいかもしれないわね」
 その言葉が持つ重みがいかに凄まじいか知りながら、紫はそれだけ残して富嶽を去った。

   ■ ● ■

 ――鳥のさえずりも耳に心地よい。紫の話は本当に長かったが、ようやく終わりなようだ。
「というわけで、そのときはマサカド殿を倒すことはできなかったんだけれど、さっき話した幻遊会というのを開いて彼には眠ってもらったわ」
「嘘くさー……」
 ため息一つ。話を聞いているだけで無駄に肩がこったような気がした。
「なぁに霊夢、ひょっとして信じてないの?」
「おもいりき信じられないけど」
「まぁ、別にいいけどね」
 少々残念そうにお茶をすする紫。話が最後まで来ても、結局小さなティーカップの中身が切れることはなかった。
 話の途中から気になっていたことを、一つ訊く。
「途中から存在を忘れられたかのように話が進められてたけど、あんたの連れの猫と杖と帽子は今はどうしたの?」
「猫は……どうかしら、生きてるか死んでるか分からないわね。藍が式にした黒猫が、偶然その猫の曾孫だってことくらいかしら。杖と帽子は幻想郷までつれてきたんだけど、まだ起きてる時間のほうが長かった時代に、どこかへ行ったまま帰ってこなくなったわ」
「今は寝てる時間のほうが長いのか……」
 なんとなくそんな話を小耳に挟んだこともあったが、本人から何の臆面もなく言われると少々うんざりする。
「さて、思わず長居してしまったわね。今日はこの辺にして帰るわ」
 紫はティーカップから手を離した。数十センチを自由落下した白いカップは、空間に何気なく空けられたスキマに吸い込まれてどこかへ消える。
 椅子を立つ彼女の横にスキマが生まれた。それに手をかけ、かすかに微笑みながら霊夢を振り返る紫。
「じゃあね霊夢。また遊びに来るわ」
「そのときは、なにかお土産を持ってきてくれるとうれしいわね」
「土産話でいいのなら、いくらでも持ってくるわよ」
 そんな言葉を残して、幻想郷随一の変妖怪はスキマの向こうに姿を消した。

   ■ ● ■

 某日 霧雨邸

「やれやれ、そろそろ部屋の整理でもしてもらいたいのう。最近の若い者はこれだからいかん。まったく、私も名のある魔法の道具だというのに、あの小娘の扱いはぞんざいに過ぎるわい。何が悲しくてこの私が部屋の隅でほこりをかぶりつつ、粛々と朽ちていかねばならんのか。しかも周りにあるのはガラクタばかりでもなかろうに。見るものが見れば喉から手を出してでも欲しがるような貴重品まで、あの小娘は……全く、見ていられんわい」
 家主が出かけている部屋の一角で、しゃがれた声で延々と愚痴をこぼし続ける帽子の姿があった。

   ■ ● ■

 某日 紅魔館

「あーまったく、やってられないぜ。『形が気に入ったの』くらいで拾ったくせに、ここんとこめっきり手にとりゃしねぇんだから。ま、確かにこの俺をまともに使いこなせる奴はそうめったにいるもんじゃねぇが。それにしたってひどすぎやしねぇか? 俺だって最初は宝石翼の女に重用されてたってに、いつの間にかぐにゃぐにゃ杖に取って代わられるしよ。もう一人のほうは俺と同じにおいがするからちょっとは期待してたんだけどなぁ……全然ダメだし。赤毛と銀髪にいたっちゃまるで無視だ。悲しくなるね、全く」
 館の外れに設けられた物置で、乱暴な声で延々と愚痴をこぼし続ける杖の姿があった。
後半から連れ合いの出番が消えてなくなるのは仕様です。
なぜかというと、ちょうどその辺に差し掛かったとき風邪にみまわれ、頭ん中が朦朧としてきたからです。

えー、ここに来て日の浅い男、腐りジャムです。今もまだちょっとくらくらします。
皆さんも体調管理には気をつけてください。東京地方、大雪に見舞われたばかりですし、寒暖の差が激しい季節になってまいりました。

それにしてもこの小説、初めはわりと普通に書いていたのですが先に進むにしたがってどんどん暴走気味になり、最終的には何を言いたいのかわけの分からない作品になってしまいました。
話が一人歩きすると収集つかなくなる悪い例です。一握りの作家さんはキャラに歩かせたほうがいい物を書くようですが、筆者はそんな才を憧れるばかりです。

こんなつたない作品ですが、筆者の愛にあふれております。一読された方、最萌では紫様に一票を。……ちと早いですかな。

追記:オトドはけーねだと思います。角とか術エフェクトとか。特に術エフェクト。
腐りジャム
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1210簡易評価
4.50ななし削除
VMJかぁ。普通のVMのほうが好きだったんだが。
ゴウテンショウの魔法ですらあの威力なら、タクアンの通常攻撃はいったいどうなるんだ。
19.50しがない執事削除
お元気でしたか黒魔術師殿