本日の天候は、雨ときどき曇り。
雨が降っていると思えば、気がつくと止んでいることもある。
現在は雨がしとしとと降り、屋根を優しく叩いて、心地よい音を奏でている。
僅かに雫がこびりついた窓の外は、木々の青が一層増して見えた。
山の中にある、一つの家。
そこに住む天狗は、頬杖とついてぼーっと外を眺めていた。
その表情は無そのもので、まるで人形のようだった。
新聞記者でもある彼女は、今はペンを持つ気力すらない。
別に雨が嫌いだとか、機嫌が悪いからとか、そういうものではない。
なにか、もやもやとした感情が頭を埋め尽くしていたからだった。
伝えたい気持ちが、文にはあった。
だけど、それを上手く伝えられない、伝える勇気が無かったのだ。
新聞で、手紙でなら上手く伝える事が出来るだろう。
なぜなら、それは文が今までやってきた新聞記者としての仕事と変わらないから。
しかし、口でそれを伝えるとなれば、話が違った。
早くこんな気持ちとは縁を切りたい。
だけど、それができないからずっとこうしているのだ。
「今日の天気は、まるで私の心のようですね」
ふと、文が呟いた。
文には、この感情がどういったものかが分かっている。
だからこそ、伝えられない。
普段は気軽に喋れるのに、その話になると喋られなくなってしまう。
それは自分の弱さであり、恥ずかしさなんだってことくらい、分かってる。
伝えてしまえば楽なのに、それができない。
もし、その言葉を口にしたとしよう。
相手が文と同じ気持ちだったのならば、それでいい。
だけどもし、相手がどうとも思ってなかった、もしくは嫌いだったときどうすればいいか、文には分からなかった。
恥ずかしくて話すことができなくなってしまうかもしれない。
なんと鬱陶しい感情なんだろうと、文は思う。
抑えきれないから、尚更である。
「はぁ、霊夢さん……」
この気持ちが恋だなんて、理解したくもなかった。
文は、胸が引き締まるような感覚に襲われた。
これも恋のせいだと、心の中で言い聞かせる。
それでこの気持ちが収まるのなら、楽なのに。
文は、純粋に思った。
後日、幻想郷に晴天が訪れた。
雨上がりの山は、とても美しい。
葉から滴り落ちる雫は輝き、また地を潤していく。
木々で雨宿りをしていた鳥たちも、晴れを喜ぶようにして囀っている。
鳥だけじゃない。
小さな虫達や、大きな動物達も、ゆっくりと出てくる。
改めて、山にはたくさんの生き物がいるのだと実感する瞬間である。
しかし、文の気持ちは晴天ではなかった。
文は、せっかく晴れたので気分転換も兼ねて、山を一回りする事にした。
たくさんの樹木を抜けていくと、一本の小川が見える。
文は、川辺の方を低く飛んでいると、見覚えのある青い服と髪が見えた。
どうやらあちらは気づいたようで、文の名前を大声で呼んだ。
文はその声のほうへとゆっくりと近づいていく。
すると、声の主は笑顔で言った。
「今日は晴れたねぇ。元気かい、文」
「えぇ、まぁ」
文が作り笑いで返すと、にとりは首をかしげた。
「最近元気そうじゃないねぇ。何か悩み事があるんなら私が聞くよ?」
「い、いえ、別に対した悩み事なんかじゃないですし、迷惑かけますから」
「やっぱり悩み事があるんだね。迷惑だなんてとんでもない。文とは長い付き合いだろう? 迷惑だなんて思うわけが無いじゃないか」
「で、でも……」
もじもじとしている文を見て、にとりはふぅとため息をついた。
そして、文の腕をぐっと引っ張る。
「え、あ、ちょっと?」
「私の家でゆっくり話そう、ね?」
それに文は頷くと、にとりは、にっと笑った。
にとりの笑顔は、とても純粋で眩しい。
彼女は、この世界に悪いものなんてないんだと思っている。
だからこそ、純粋で綺麗な笑顔が生まれる。
私もこんなふうに笑えたらなぁと、文は思った。
また、にとりは誰に対しても優しい。
誰かが困っていたら全力で協力してくれる。
これほど親身になってくれる友人はいない。
文は、心の底からにとりの事を尊敬していた。
「ありがとう、にとり」
「なぁに、困ったときはお互い様だよ」
そしてまた、にとりは笑った。
にとりの家は、洞窟の中にある。
洞窟の中を弄りまわして、様々な電気器具が置かれている。
ただでさえ涼しい洞窟の中では、扇風機がくるくると回っていた。
「とりあえず座りなよ」
「ありがとう」
文に座るように促すと共に、コーヒーを机に置いた。
隣に置いてあるミルクを少し垂らし、くるくるとかき混ぜる。
黒と白が、複雑に絡み合う。
なんだか、自分の心のようだと文は思った。
「で、悩み事ってなにさ」
にとりは、真っ直ぐ文を見つめて言った。
何年も生きている妖怪が、数年しか生きていないような人間に恋をしている。
しかも片思いだ。
何年も生きているのに、恋なんて感情に押しつぶされそうになっている。
何とも惨めで、格好が悪い。
そんなことを言って、にとりはなんと言うだろうか。
文は恥ずかしくて溜まらなかった。
「笑わないでくれる?」
「あぁ、笑わないよ。真剣に悩んでるのに、笑ったら失礼だからね」
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
念を押す文と、それをしっかりと受け入れるにとり。
なんだか逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
だけど、言わなければずっとこんな思いをする事になる。
せめて、私の思いが少しでも分かってくれる人物が一人でもいてくれれば楽になる。
だから、恥ずかしい気持ちを押し殺して、言った。
「私、霊夢さんの事が……す、好きみたい、なのよ」
部屋に沈黙が流れた。
聞こえるのは、カタカタと首を回して動く扇風機の音だけ。
あぁ、やらかしてしまった。
やっぱり誰かに言うんじゃなくて、一人でこの思いをしまいこんでおくべきだったんだ。
襲ってくるのは、後悔と恥ずかしさ。
顔が真っ赤になっていくのが、なんとなく分かった。
「ようするに、恋したってことだね?」
ようやくにとりが口にした言葉。
文はそれに対し、首を立てに振った。
「その様子だと、気持ちは伝えてない、というか伝えられないって感じだね」
それにも、首を立てに振って返した。
にとりは顎に手をやると、う~んと考える。
最初は、相談して間違いだったと思ったが、今のにとりの反応を見てその思いを取り消した。
やっぱり、相談してよかった。
「手紙とかなら伝えられる事はできるの。だけど、いざ口で言うとなると、恥ずかしくて……」
「うんうん、分かるよ。だけどさ、いきなり口で言わなくてもいいんじゃないかな?」
「じゃ、じゃあどうやって?」
「そうだねぇ……。とりあえず、最初は自分が霊夢の事を好きなんだって、相手に気づかせるようにしたらいいんじゃないかな?」
「と、言いますと?」
なんだか勇気がわいてくる思いだった。
不安で、何をすれば言いか分からなかった文に、にとりが助言をしてくれる。
味方がいるという事を改めて感じるし、どうすればいいかという方法を教えてくれる。
文の心に、光が差した。
「そうだねぇ、例えばその気持ちを形にしてプレゼントする、とか」
「なるほど……。でも、どんなものをプレゼントすればいいんでしょうか」
プレゼント、と言っても霊夢が気に入らなければ意味がない。
変なものあげてしまえば、逆に悪い印象を与えてしまう。
何をあげればいいのか、想像も出来なかった。
「う~ん、花束とかお菓子とか、そういうのに小さな手紙を付けてプレゼントするとか、そんなんでいいと思うんだよね」
「でも、急にそんなことして変に思われませんかね?」
「大丈夫さ。他人の目なんて気にしてたら恋なんて出来ないよ?」
「う……。それもそうですね」
霊夢の場合、花はあまり好きそうには見えない。
だから、お菓子の方がいいかなぁと文は思った。
それにしても、にとりはどんな相談にも答えてしまう。
なんというか、凄い。
にとりも恋をした事があるんだろうなぁと思う。
にとりは人間が好きだ。
きっと、私と同じように人間と恋したのだろう。
だけど、いつかは寿命の関係で別れることになる。
辛い別れも経験しているのかもしれない。
「ありがとう、にとり」
「どういたしまして」
「それじゃあ、早速がんばってみるわ」
文はコーヒーを飲み干すと、急ぐように椅子から立ち上がり、外へと向かっていった。
そんな文を笑顔で見つめ、にとりは言った。
「後悔のしない恋をしなよ、文」
「うん、ありがとう」
文は、大空を駆けた。
目指す場所は、魔法の森にある一軒のお店。
こんな場所にお店構えて誰がくるんだろうかと疑問に思う事は多々ある。
しかし、ここにしか置いていないものはたくさんある。
まさか自分がここに頼ることになるとは文も思っていなかった。
香霖堂と書かれた大きな看板。
店の前にもわけのわからないものが雑に散らかっている。
ガラガラと戸を開けると、いかにも胡散臭い雰囲気の空間が広がっていた。
どことなく、八雲紫を連想させる空間だった。
辺りを見まわし、本が置いてある場所を探した。
すると……
「おや、これはこれは。今日は取材かい?」
「いいえ、お買い物です」
「ほぉ。何をお求めで?」
取材でしか訪れた事が無いため、文がこう言われるのも仕方が無いことではある。
ここに来る前までは、なんとか自力でお菓子の本を探そうと考えていた。
しかし、本棚をはみ出し、山積みになっている本を見て諦めた。
でも、なんだか恥ずかしくて言いたくない。
なんだか馬鹿にされそうな気がする。
霖之助が首をかしげると、文はしぶしぶ口にした。
「お菓子の本、あります?」
「お菓子の本ね、それならこの本の山の中にたくさんあるよ」
そういって指を指した本の山の中、様々なお菓子の本が出てきた。
いろんなお菓子があって、なんだか見ていて楽しくなってきた文は、いろんなお菓子の本を広げた。
これなら気に入ってくれるかなぁ、でも、こっちもいいかも。
でも、お茶が好きだし、和菓子とかそういうのがいいのかなぁ。
もしかしたら、洋菓子を試してみたいけど、自分に合わないからとかいう理由で食べなかったり?
いや、でも……
「君がお菓子を作るなんて、好きな人でもできたのかい?」
「えぇ、好きな人が……って、はっ!? な、何でも無いです」
文の反応を見て、霖之助がにやける。
あぁ、口を滑らせてしまったと文は後悔する。
「そうかい、何でも無いのならいいんだよ。そこらの本は一冊ならただで持っていっていいよ」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
文は、分厚いお菓子の本を適当に抜き取ると、そそくさと出ていった。
そんな文の姿を見て、霖之助はくすっと笑った。
「逃げるようにして出ていかなくてもいいのに」
店の外に出てみると、文は既に遠くまで飛んでいってしまっていた。
一度家へ帰ると、お菓子の本をゆっくりと眺めた。
分厚いだけあって、様々なものが書かれていて迷う。
それでいて、どれも美味しそうだった。
だけど、素材が揃えられそうに無いものや、作るのが難しいものもたくさんあった。
しばらくして文は、チョコレートの特集が載っているのに気がついた。
なにやら、バレンタインというものでチョコレートを好きな人に渡すらしい。
これだと思った文は、すぐさまチョコレートを作る事に決めた。
人里へ行き、既に形として売られているチョコレートを数個購入することにした。
店員にチョコレート好きだったのかい?と聞かれたが、文は無視した。
また、中に入れるくるみも購入した。
そして、お菓子に関するお店へ行き、チョコレートを冷やす型を貸してもらった。
形は、ハート。
「天狗さん、好きな男の人でもできたのかい?」
「え、えぇ、まぁ……」
「そうかい! 応援してるからね。今度紹介しておくれ」
「あ、はい。それじゃあ、ありがとうございます……」
相手が女だなんて文は言えるわけも無く、さっさとその場を後にした。
家へ帰ると、台所にチョコレートとくるみを広げ、エプロンをつけた。
エプロンをつけるなんていつぶりだろうかと文は考えながら、お鍋を取り出した。
「さてと、それじゃあ愛情たっぷりのチョコレート作りですね」
蛇口をきゅっと捻り、水を鍋に入れる。
コンロへ運ぶ為持ち上げると、ゆらゆらと水が鍋の中で暴れ出した。
「よいしょっと」
コンロの上にまで運ぶと、鍋に火を通す。
まず手始めに、チョコレートを溶かし、くるみと混ぜなければならない。
しかし、水が沸騰するまでに時間がある。
その時間を利用すべく、人里で購入したくるみを取り出した。
殻を取り、棒で程よい大きさに砕く事にした。
砕いたくるみをおわんに入れておき、やる事が無くなった文は、鍋の中の水とじーっとにらめっこをする事にした。
やがて水は沸騰し始めた。
「もう十分ですね」
すぐさま火を止め、お湯の上にボウルを浮かべる。
文は、にらめっこをしていた際に、少しばかりチョコレートの説明に目を通していた。
お湯は熱すぎてもいけないと書かれていて、少し冷めるまで待たなければならない。
「あ、そういえば」
ブロックの形をしたチョコレートじゃ溶けるのに時間がかかる。
砕いたほうが溶けるのが早いだろうと思った文は、チョコレートもくるみ同様に砕く事にした。
何事も効率よくしなければいけないなぁと文はつくづく思うのであった。
しばらくして、お湯も冷めてきて、ボウルはほどよい暖かさになった。
それに、先ほど砕いたチョコレートを入れる。
ばらばらに散らばったチョコレートをへらで転がすと、ゆっくりと溶けていく。
文は、溶けたチョコレートを指にちょんとつけると、口へと運んだ。
「うん、あまい」
文はチョコレートにくるみを混ぜると、くるくるとかき混ぜた。
薄い茶色のくるみが、チョコレート色に染められていく。
くるみを覆うようにしてチョコレートが絡まっていて、とても美味しそうに見えた。
そして、お店から借りたハートの形をした型を用意する。
私の気持ちがこのハートに詰まるとおもうと、文はなんだか嬉しかった。
そのハートの型へ、ゆっくりと文の愛情を流しこむ。
ゆっくりと流れこむチョコレートは、型を少しずつ満たしていく。
「気に入ってくれるといいんだけどなぁ」
型にたっぷり詰まったチョコレートを、愛しい瞳で見つめる。
あとは、このチョコレートを冷やすだけ。
そうして、完璧な愛の形を成すのだ。
チョコレートは冷めても、文の愛情は冷めない。
文は、チョコレートが冷めるのを首を長くして待つことにした。
「あ、そういえば、ちょっとした手紙も入れておいたほうがいいんでしたよね」
思い出したように言うと、早速紙を小さく切り取った。
まずは下書きをと、文は筆ではなく鉛筆を手にした。
これなら私の得意分野だと言わんばかりに、文はにっこり笑う。
思いをストレート過ぎずに、雲に隠すようにして伝える。
普段、嫌味をストレートに言わず、間接的に言うのと同じだ。
手紙の最初に霊夢さんへと書き、次に何を書くか、文は思いをはせた。
あれから、数十分が経過した頃だった。
椅子に座る文は、冷や汗たっぷりで、焦る表情を浮かべていた。
思いを文にする事ができなかったのだ。
「な、なぜ……。私はこんなにも霊夢さんが好きなのに、なんでできないのよ……」
こんな調子で、ずーっと手紙を書けないでいる。
鉛筆の芯は何度も折れ、先ほどまで長かった鉛筆は小さくなっている。
文の心も折れそうだった。
だけど、この思いを伝えるまでは、そんなことできない。
思えば思うほど、霊夢の笑顔が頭の中に蘇る。
「そうだ! それでいいじゃないですか!」
ふと思いついた文は、鉛筆を紙の上に走らせた。
鉛が紙に文字を描き、そうして連なる文の思い。
「よし、これでいきましょう」
もう一度、丁寧に紙を切り取ると、文は筆を手に取った。
そして、後日。
チョコレートは見事に固まり、美味しそうに出来上がっていた。
ハートの型をもらった際に、おばさんが可愛い包装もいるだろう?と言ってくれた包装で丁寧に包む。
派手過ぎず、控えめな可愛らしさがある箱。
チョコレートを透明の袋に包むと、箱の中にそっと入れた。
その横に、文の思いが描かれた手紙も入れた。
そして仕上げに、綺麗なピンクのリボンできゅっと結んだ。
「うん、完璧ね」
あとは、これを霊夢のもとに届けるだけ。
ここに辿りつくまで、どれほどの時間があっただろうか。
初めて出会った日。
変わった人間だなぁと思う程度だったのに、今では愛してやまないくらいになっている。
生きている間は、何が起こるか分からないものだなぁとつくづく文は思った。
まさか人間を好きになるなんて、思いもしなかった。
だけど、これが現実で、幻想なんかではない。
文は、そっと箱を手に取る。
この思いを、少しずつ霊夢さんに伝えていく。
それがいつか、実るまで……。
文は決意を胸に、太陽の輝く空へと羽ばたいていった。
博麗神社では、霊夢が一人お茶を飲んでいた。
もし誰かがいたらどうしようかと思っていたが、今は幸い誰もいない。
きっと天も私の味方をしているのだと文は胸が踊る思いだった。
とん。
静かに地面に下りると、霊夢は文の方に目をやった。
そして、文が手に持っている可愛らしい箱にも、霊夢は目をやった。
不思議そうに文を見つめる霊夢。
文は勇気を振り絞って、霊夢に声をかけた。
「れ、霊夢さん」
「なに?」
「あ、あの~、こ、これをですね……」
頭の中でイメージして何度も練習してきたのに、本番じゃどうも上手くいかない。
もじもじしてしまう自分が恥ずかしかった。
だけど、いつまでもこんなふうにはしていられない。
霊夢は、顔が少しばかり赤い文を見て、首をかしげる。
「大丈夫? 熱でもあるの?」
「い、いえ、大丈夫です」
「ならいいんだけど……」
熱かと思って心配してくれる霊夢の優しさが、今の文には痛かった。
だけど、自分の事を心配して声をかけてくれた。
それが今まで出なかった思いを伝える為の、勇気のひとかけらとなった。
「これ、霊夢さんの為に作りました。よかったら食べてください」
「あら、嬉しい。ありがとう、文」
霊夢は優しく微笑むと、文から箱を受け取った。
「中、見てもいい?」
「あ、はい」
ちょうちょ結びされたピンクのリボンをすっと引っ張り、解く。
そのリボンを腕にかけ、箱をそっと開けた。
すると見えるのは、ハート型の大きなチョコレート。
それをみて、霊夢は少し驚いた表情を見せた。
それに対して文は、恥ずかしそうに俯く。
「そ、それじゃあまた今度も持ってきますね!」
「え、あ! ちょっと文!」
あまりの恥ずかしさに耐えられなかった文は、その場から逃げ出した。
後ろで聞こえる、霊夢の声を押し切って。
あぁ、逃げてしまった。
文の中に、後悔の気持ちが芽生える。
だけど、ちゃんと思いを伝える事が出来た。
後悔もあれば、喜びだってあった。
「今度は何を作ろうかなぁ」
もう、頭の中は霊夢でいっぱいだった。
思いを一度伝えてしまった文に、怖いものなんてない。
恋する乙女に、敵はなかった。
「んもう、逃げなくてもいいのに」
一人ぽつんと残された霊夢は、ハートの形をしたチョコレートをじっと見つめる。
「文、私の事好きなのかな? でも……まさかそんなはずないわよね」
ふと箱の中を見ると、小さな紙切れがチョコレートの横に入っている。
なんだろうとそれを手に取る。
霊夢さんへと書かれており、これは普段見なれた文の字だった。
「なんだろ?」
二つ折りにされた手紙を開くと、そこには文字が少しだけ。
『また霊夢さんの笑顔を見るために作ります。
今度来る時には、チョコレートの感想くださいね。 文』
なんとも簡単な手紙。
簡単過ぎて、笑えてくる。
「そうねぇ、それじゃあちょっとだけ」
霊夢は箱を持つと、縁側へと戻った。
そして、透明の袋からチョコレートを出すと、少しだけ齧った。
口の中には、くるみの風味と、チョコレートのあまさが広がった。
「ん、おいしいわね」
霊夢は、冷たいお茶を啜った。
「だけど、お茶とは合わないかも」
そんなことを呟きながら、霊夢は笑った。
今度文が言った時に何を言ってやろうか。
ちょっとした悪戯の心が、霊夢の中に湧き出てくる。
霊夢は、文が泣きべそをかく顔を想像して、また笑った。
「まぁ、気長に待つわ。いつまでも、ね」
その“待つ”は、また文が来る事に向けてなのか。
それとも、文が霊夢に告白するまでのことなのか。
それを知るのは、霊夢だけだった。
夏の暑さに、チョコレートが少しだけ溶けていく。
文の熱い思いが、溶けていく。
そしてそれが、霊夢の思いと絡まって。
暑い夏は、まだ始まったばかりだった。
雨が降っていると思えば、気がつくと止んでいることもある。
現在は雨がしとしとと降り、屋根を優しく叩いて、心地よい音を奏でている。
僅かに雫がこびりついた窓の外は、木々の青が一層増して見えた。
山の中にある、一つの家。
そこに住む天狗は、頬杖とついてぼーっと外を眺めていた。
その表情は無そのもので、まるで人形のようだった。
新聞記者でもある彼女は、今はペンを持つ気力すらない。
別に雨が嫌いだとか、機嫌が悪いからとか、そういうものではない。
なにか、もやもやとした感情が頭を埋め尽くしていたからだった。
伝えたい気持ちが、文にはあった。
だけど、それを上手く伝えられない、伝える勇気が無かったのだ。
新聞で、手紙でなら上手く伝える事が出来るだろう。
なぜなら、それは文が今までやってきた新聞記者としての仕事と変わらないから。
しかし、口でそれを伝えるとなれば、話が違った。
早くこんな気持ちとは縁を切りたい。
だけど、それができないからずっとこうしているのだ。
「今日の天気は、まるで私の心のようですね」
ふと、文が呟いた。
文には、この感情がどういったものかが分かっている。
だからこそ、伝えられない。
普段は気軽に喋れるのに、その話になると喋られなくなってしまう。
それは自分の弱さであり、恥ずかしさなんだってことくらい、分かってる。
伝えてしまえば楽なのに、それができない。
もし、その言葉を口にしたとしよう。
相手が文と同じ気持ちだったのならば、それでいい。
だけどもし、相手がどうとも思ってなかった、もしくは嫌いだったときどうすればいいか、文には分からなかった。
恥ずかしくて話すことができなくなってしまうかもしれない。
なんと鬱陶しい感情なんだろうと、文は思う。
抑えきれないから、尚更である。
「はぁ、霊夢さん……」
この気持ちが恋だなんて、理解したくもなかった。
文は、胸が引き締まるような感覚に襲われた。
これも恋のせいだと、心の中で言い聞かせる。
それでこの気持ちが収まるのなら、楽なのに。
文は、純粋に思った。
後日、幻想郷に晴天が訪れた。
雨上がりの山は、とても美しい。
葉から滴り落ちる雫は輝き、また地を潤していく。
木々で雨宿りをしていた鳥たちも、晴れを喜ぶようにして囀っている。
鳥だけじゃない。
小さな虫達や、大きな動物達も、ゆっくりと出てくる。
改めて、山にはたくさんの生き物がいるのだと実感する瞬間である。
しかし、文の気持ちは晴天ではなかった。
文は、せっかく晴れたので気分転換も兼ねて、山を一回りする事にした。
たくさんの樹木を抜けていくと、一本の小川が見える。
文は、川辺の方を低く飛んでいると、見覚えのある青い服と髪が見えた。
どうやらあちらは気づいたようで、文の名前を大声で呼んだ。
文はその声のほうへとゆっくりと近づいていく。
すると、声の主は笑顔で言った。
「今日は晴れたねぇ。元気かい、文」
「えぇ、まぁ」
文が作り笑いで返すと、にとりは首をかしげた。
「最近元気そうじゃないねぇ。何か悩み事があるんなら私が聞くよ?」
「い、いえ、別に対した悩み事なんかじゃないですし、迷惑かけますから」
「やっぱり悩み事があるんだね。迷惑だなんてとんでもない。文とは長い付き合いだろう? 迷惑だなんて思うわけが無いじゃないか」
「で、でも……」
もじもじとしている文を見て、にとりはふぅとため息をついた。
そして、文の腕をぐっと引っ張る。
「え、あ、ちょっと?」
「私の家でゆっくり話そう、ね?」
それに文は頷くと、にとりは、にっと笑った。
にとりの笑顔は、とても純粋で眩しい。
彼女は、この世界に悪いものなんてないんだと思っている。
だからこそ、純粋で綺麗な笑顔が生まれる。
私もこんなふうに笑えたらなぁと、文は思った。
また、にとりは誰に対しても優しい。
誰かが困っていたら全力で協力してくれる。
これほど親身になってくれる友人はいない。
文は、心の底からにとりの事を尊敬していた。
「ありがとう、にとり」
「なぁに、困ったときはお互い様だよ」
そしてまた、にとりは笑った。
にとりの家は、洞窟の中にある。
洞窟の中を弄りまわして、様々な電気器具が置かれている。
ただでさえ涼しい洞窟の中では、扇風機がくるくると回っていた。
「とりあえず座りなよ」
「ありがとう」
文に座るように促すと共に、コーヒーを机に置いた。
隣に置いてあるミルクを少し垂らし、くるくるとかき混ぜる。
黒と白が、複雑に絡み合う。
なんだか、自分の心のようだと文は思った。
「で、悩み事ってなにさ」
にとりは、真っ直ぐ文を見つめて言った。
何年も生きている妖怪が、数年しか生きていないような人間に恋をしている。
しかも片思いだ。
何年も生きているのに、恋なんて感情に押しつぶされそうになっている。
何とも惨めで、格好が悪い。
そんなことを言って、にとりはなんと言うだろうか。
文は恥ずかしくて溜まらなかった。
「笑わないでくれる?」
「あぁ、笑わないよ。真剣に悩んでるのに、笑ったら失礼だからね」
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
念を押す文と、それをしっかりと受け入れるにとり。
なんだか逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
だけど、言わなければずっとこんな思いをする事になる。
せめて、私の思いが少しでも分かってくれる人物が一人でもいてくれれば楽になる。
だから、恥ずかしい気持ちを押し殺して、言った。
「私、霊夢さんの事が……す、好きみたい、なのよ」
部屋に沈黙が流れた。
聞こえるのは、カタカタと首を回して動く扇風機の音だけ。
あぁ、やらかしてしまった。
やっぱり誰かに言うんじゃなくて、一人でこの思いをしまいこんでおくべきだったんだ。
襲ってくるのは、後悔と恥ずかしさ。
顔が真っ赤になっていくのが、なんとなく分かった。
「ようするに、恋したってことだね?」
ようやくにとりが口にした言葉。
文はそれに対し、首を立てに振った。
「その様子だと、気持ちは伝えてない、というか伝えられないって感じだね」
それにも、首を立てに振って返した。
にとりは顎に手をやると、う~んと考える。
最初は、相談して間違いだったと思ったが、今のにとりの反応を見てその思いを取り消した。
やっぱり、相談してよかった。
「手紙とかなら伝えられる事はできるの。だけど、いざ口で言うとなると、恥ずかしくて……」
「うんうん、分かるよ。だけどさ、いきなり口で言わなくてもいいんじゃないかな?」
「じゃ、じゃあどうやって?」
「そうだねぇ……。とりあえず、最初は自分が霊夢の事を好きなんだって、相手に気づかせるようにしたらいいんじゃないかな?」
「と、言いますと?」
なんだか勇気がわいてくる思いだった。
不安で、何をすれば言いか分からなかった文に、にとりが助言をしてくれる。
味方がいるという事を改めて感じるし、どうすればいいかという方法を教えてくれる。
文の心に、光が差した。
「そうだねぇ、例えばその気持ちを形にしてプレゼントする、とか」
「なるほど……。でも、どんなものをプレゼントすればいいんでしょうか」
プレゼント、と言っても霊夢が気に入らなければ意味がない。
変なものあげてしまえば、逆に悪い印象を与えてしまう。
何をあげればいいのか、想像も出来なかった。
「う~ん、花束とかお菓子とか、そういうのに小さな手紙を付けてプレゼントするとか、そんなんでいいと思うんだよね」
「でも、急にそんなことして変に思われませんかね?」
「大丈夫さ。他人の目なんて気にしてたら恋なんて出来ないよ?」
「う……。それもそうですね」
霊夢の場合、花はあまり好きそうには見えない。
だから、お菓子の方がいいかなぁと文は思った。
それにしても、にとりはどんな相談にも答えてしまう。
なんというか、凄い。
にとりも恋をした事があるんだろうなぁと思う。
にとりは人間が好きだ。
きっと、私と同じように人間と恋したのだろう。
だけど、いつかは寿命の関係で別れることになる。
辛い別れも経験しているのかもしれない。
「ありがとう、にとり」
「どういたしまして」
「それじゃあ、早速がんばってみるわ」
文はコーヒーを飲み干すと、急ぐように椅子から立ち上がり、外へと向かっていった。
そんな文を笑顔で見つめ、にとりは言った。
「後悔のしない恋をしなよ、文」
「うん、ありがとう」
文は、大空を駆けた。
目指す場所は、魔法の森にある一軒のお店。
こんな場所にお店構えて誰がくるんだろうかと疑問に思う事は多々ある。
しかし、ここにしか置いていないものはたくさんある。
まさか自分がここに頼ることになるとは文も思っていなかった。
香霖堂と書かれた大きな看板。
店の前にもわけのわからないものが雑に散らかっている。
ガラガラと戸を開けると、いかにも胡散臭い雰囲気の空間が広がっていた。
どことなく、八雲紫を連想させる空間だった。
辺りを見まわし、本が置いてある場所を探した。
すると……
「おや、これはこれは。今日は取材かい?」
「いいえ、お買い物です」
「ほぉ。何をお求めで?」
取材でしか訪れた事が無いため、文がこう言われるのも仕方が無いことではある。
ここに来る前までは、なんとか自力でお菓子の本を探そうと考えていた。
しかし、本棚をはみ出し、山積みになっている本を見て諦めた。
でも、なんだか恥ずかしくて言いたくない。
なんだか馬鹿にされそうな気がする。
霖之助が首をかしげると、文はしぶしぶ口にした。
「お菓子の本、あります?」
「お菓子の本ね、それならこの本の山の中にたくさんあるよ」
そういって指を指した本の山の中、様々なお菓子の本が出てきた。
いろんなお菓子があって、なんだか見ていて楽しくなってきた文は、いろんなお菓子の本を広げた。
これなら気に入ってくれるかなぁ、でも、こっちもいいかも。
でも、お茶が好きだし、和菓子とかそういうのがいいのかなぁ。
もしかしたら、洋菓子を試してみたいけど、自分に合わないからとかいう理由で食べなかったり?
いや、でも……
「君がお菓子を作るなんて、好きな人でもできたのかい?」
「えぇ、好きな人が……って、はっ!? な、何でも無いです」
文の反応を見て、霖之助がにやける。
あぁ、口を滑らせてしまったと文は後悔する。
「そうかい、何でも無いのならいいんだよ。そこらの本は一冊ならただで持っていっていいよ」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
文は、分厚いお菓子の本を適当に抜き取ると、そそくさと出ていった。
そんな文の姿を見て、霖之助はくすっと笑った。
「逃げるようにして出ていかなくてもいいのに」
店の外に出てみると、文は既に遠くまで飛んでいってしまっていた。
一度家へ帰ると、お菓子の本をゆっくりと眺めた。
分厚いだけあって、様々なものが書かれていて迷う。
それでいて、どれも美味しそうだった。
だけど、素材が揃えられそうに無いものや、作るのが難しいものもたくさんあった。
しばらくして文は、チョコレートの特集が載っているのに気がついた。
なにやら、バレンタインというものでチョコレートを好きな人に渡すらしい。
これだと思った文は、すぐさまチョコレートを作る事に決めた。
人里へ行き、既に形として売られているチョコレートを数個購入することにした。
店員にチョコレート好きだったのかい?と聞かれたが、文は無視した。
また、中に入れるくるみも購入した。
そして、お菓子に関するお店へ行き、チョコレートを冷やす型を貸してもらった。
形は、ハート。
「天狗さん、好きな男の人でもできたのかい?」
「え、えぇ、まぁ……」
「そうかい! 応援してるからね。今度紹介しておくれ」
「あ、はい。それじゃあ、ありがとうございます……」
相手が女だなんて文は言えるわけも無く、さっさとその場を後にした。
家へ帰ると、台所にチョコレートとくるみを広げ、エプロンをつけた。
エプロンをつけるなんていつぶりだろうかと文は考えながら、お鍋を取り出した。
「さてと、それじゃあ愛情たっぷりのチョコレート作りですね」
蛇口をきゅっと捻り、水を鍋に入れる。
コンロへ運ぶ為持ち上げると、ゆらゆらと水が鍋の中で暴れ出した。
「よいしょっと」
コンロの上にまで運ぶと、鍋に火を通す。
まず手始めに、チョコレートを溶かし、くるみと混ぜなければならない。
しかし、水が沸騰するまでに時間がある。
その時間を利用すべく、人里で購入したくるみを取り出した。
殻を取り、棒で程よい大きさに砕く事にした。
砕いたくるみをおわんに入れておき、やる事が無くなった文は、鍋の中の水とじーっとにらめっこをする事にした。
やがて水は沸騰し始めた。
「もう十分ですね」
すぐさま火を止め、お湯の上にボウルを浮かべる。
文は、にらめっこをしていた際に、少しばかりチョコレートの説明に目を通していた。
お湯は熱すぎてもいけないと書かれていて、少し冷めるまで待たなければならない。
「あ、そういえば」
ブロックの形をしたチョコレートじゃ溶けるのに時間がかかる。
砕いたほうが溶けるのが早いだろうと思った文は、チョコレートもくるみ同様に砕く事にした。
何事も効率よくしなければいけないなぁと文はつくづく思うのであった。
しばらくして、お湯も冷めてきて、ボウルはほどよい暖かさになった。
それに、先ほど砕いたチョコレートを入れる。
ばらばらに散らばったチョコレートをへらで転がすと、ゆっくりと溶けていく。
文は、溶けたチョコレートを指にちょんとつけると、口へと運んだ。
「うん、あまい」
文はチョコレートにくるみを混ぜると、くるくるとかき混ぜた。
薄い茶色のくるみが、チョコレート色に染められていく。
くるみを覆うようにしてチョコレートが絡まっていて、とても美味しそうに見えた。
そして、お店から借りたハートの形をした型を用意する。
私の気持ちがこのハートに詰まるとおもうと、文はなんだか嬉しかった。
そのハートの型へ、ゆっくりと文の愛情を流しこむ。
ゆっくりと流れこむチョコレートは、型を少しずつ満たしていく。
「気に入ってくれるといいんだけどなぁ」
型にたっぷり詰まったチョコレートを、愛しい瞳で見つめる。
あとは、このチョコレートを冷やすだけ。
そうして、完璧な愛の形を成すのだ。
チョコレートは冷めても、文の愛情は冷めない。
文は、チョコレートが冷めるのを首を長くして待つことにした。
「あ、そういえば、ちょっとした手紙も入れておいたほうがいいんでしたよね」
思い出したように言うと、早速紙を小さく切り取った。
まずは下書きをと、文は筆ではなく鉛筆を手にした。
これなら私の得意分野だと言わんばかりに、文はにっこり笑う。
思いをストレート過ぎずに、雲に隠すようにして伝える。
普段、嫌味をストレートに言わず、間接的に言うのと同じだ。
手紙の最初に霊夢さんへと書き、次に何を書くか、文は思いをはせた。
あれから、数十分が経過した頃だった。
椅子に座る文は、冷や汗たっぷりで、焦る表情を浮かべていた。
思いを文にする事ができなかったのだ。
「な、なぜ……。私はこんなにも霊夢さんが好きなのに、なんでできないのよ……」
こんな調子で、ずーっと手紙を書けないでいる。
鉛筆の芯は何度も折れ、先ほどまで長かった鉛筆は小さくなっている。
文の心も折れそうだった。
だけど、この思いを伝えるまでは、そんなことできない。
思えば思うほど、霊夢の笑顔が頭の中に蘇る。
「そうだ! それでいいじゃないですか!」
ふと思いついた文は、鉛筆を紙の上に走らせた。
鉛が紙に文字を描き、そうして連なる文の思い。
「よし、これでいきましょう」
もう一度、丁寧に紙を切り取ると、文は筆を手に取った。
そして、後日。
チョコレートは見事に固まり、美味しそうに出来上がっていた。
ハートの型をもらった際に、おばさんが可愛い包装もいるだろう?と言ってくれた包装で丁寧に包む。
派手過ぎず、控えめな可愛らしさがある箱。
チョコレートを透明の袋に包むと、箱の中にそっと入れた。
その横に、文の思いが描かれた手紙も入れた。
そして仕上げに、綺麗なピンクのリボンできゅっと結んだ。
「うん、完璧ね」
あとは、これを霊夢のもとに届けるだけ。
ここに辿りつくまで、どれほどの時間があっただろうか。
初めて出会った日。
変わった人間だなぁと思う程度だったのに、今では愛してやまないくらいになっている。
生きている間は、何が起こるか分からないものだなぁとつくづく文は思った。
まさか人間を好きになるなんて、思いもしなかった。
だけど、これが現実で、幻想なんかではない。
文は、そっと箱を手に取る。
この思いを、少しずつ霊夢さんに伝えていく。
それがいつか、実るまで……。
文は決意を胸に、太陽の輝く空へと羽ばたいていった。
博麗神社では、霊夢が一人お茶を飲んでいた。
もし誰かがいたらどうしようかと思っていたが、今は幸い誰もいない。
きっと天も私の味方をしているのだと文は胸が踊る思いだった。
とん。
静かに地面に下りると、霊夢は文の方に目をやった。
そして、文が手に持っている可愛らしい箱にも、霊夢は目をやった。
不思議そうに文を見つめる霊夢。
文は勇気を振り絞って、霊夢に声をかけた。
「れ、霊夢さん」
「なに?」
「あ、あの~、こ、これをですね……」
頭の中でイメージして何度も練習してきたのに、本番じゃどうも上手くいかない。
もじもじしてしまう自分が恥ずかしかった。
だけど、いつまでもこんなふうにはしていられない。
霊夢は、顔が少しばかり赤い文を見て、首をかしげる。
「大丈夫? 熱でもあるの?」
「い、いえ、大丈夫です」
「ならいいんだけど……」
熱かと思って心配してくれる霊夢の優しさが、今の文には痛かった。
だけど、自分の事を心配して声をかけてくれた。
それが今まで出なかった思いを伝える為の、勇気のひとかけらとなった。
「これ、霊夢さんの為に作りました。よかったら食べてください」
「あら、嬉しい。ありがとう、文」
霊夢は優しく微笑むと、文から箱を受け取った。
「中、見てもいい?」
「あ、はい」
ちょうちょ結びされたピンクのリボンをすっと引っ張り、解く。
そのリボンを腕にかけ、箱をそっと開けた。
すると見えるのは、ハート型の大きなチョコレート。
それをみて、霊夢は少し驚いた表情を見せた。
それに対して文は、恥ずかしそうに俯く。
「そ、それじゃあまた今度も持ってきますね!」
「え、あ! ちょっと文!」
あまりの恥ずかしさに耐えられなかった文は、その場から逃げ出した。
後ろで聞こえる、霊夢の声を押し切って。
あぁ、逃げてしまった。
文の中に、後悔の気持ちが芽生える。
だけど、ちゃんと思いを伝える事が出来た。
後悔もあれば、喜びだってあった。
「今度は何を作ろうかなぁ」
もう、頭の中は霊夢でいっぱいだった。
思いを一度伝えてしまった文に、怖いものなんてない。
恋する乙女に、敵はなかった。
「んもう、逃げなくてもいいのに」
一人ぽつんと残された霊夢は、ハートの形をしたチョコレートをじっと見つめる。
「文、私の事好きなのかな? でも……まさかそんなはずないわよね」
ふと箱の中を見ると、小さな紙切れがチョコレートの横に入っている。
なんだろうとそれを手に取る。
霊夢さんへと書かれており、これは普段見なれた文の字だった。
「なんだろ?」
二つ折りにされた手紙を開くと、そこには文字が少しだけ。
『また霊夢さんの笑顔を見るために作ります。
今度来る時には、チョコレートの感想くださいね。 文』
なんとも簡単な手紙。
簡単過ぎて、笑えてくる。
「そうねぇ、それじゃあちょっとだけ」
霊夢は箱を持つと、縁側へと戻った。
そして、透明の袋からチョコレートを出すと、少しだけ齧った。
口の中には、くるみの風味と、チョコレートのあまさが広がった。
「ん、おいしいわね」
霊夢は、冷たいお茶を啜った。
「だけど、お茶とは合わないかも」
そんなことを呟きながら、霊夢は笑った。
今度文が言った時に何を言ってやろうか。
ちょっとした悪戯の心が、霊夢の中に湧き出てくる。
霊夢は、文が泣きべそをかく顔を想像して、また笑った。
「まぁ、気長に待つわ。いつまでも、ね」
その“待つ”は、また文が来る事に向けてなのか。
それとも、文が霊夢に告白するまでのことなのか。
それを知るのは、霊夢だけだった。
夏の暑さに、チョコレートが少しだけ溶けていく。
文の熱い思いが、溶けていく。
そしてそれが、霊夢の思いと絡まって。
暑い夏は、まだ始まったばかりだった。
素晴らしい
評価ありがとうございます。
残念ながら単発です、すみません。
>4 様
評価ありがとうございます。
残念ながら単発で(ry
>9 様
評価ありがとうございます。
純粋っていい。
>13 様
評価ありがとうございます。
甘い世界を描くのって難しいです。
>26 様
評価ありがとうございます。
あやれいむいいよね!