※本作は、断じてシリアスなSSではありません。
ミスティア・ローレライ。人並みに妖力を操る、何の変哲もない夜雀である。
日も暮れた夜道。
ミスティアは一人、暗い空に軽快な鼻歌を響かせながら気分よく歩いていた。
「良い夜ね。みーちゃん!」
鼻歌を止め、同意を求めるように横を向いて笑顔を浮かべる。
彼女の傍らにいつも付き添っている一匹の羽虫が、その笑顔を受け止めてか上下に揺れた。
この羽虫が、天蛾(スズメガ)のみーちゃんである。
もうどれくらい前からだろうか、ミスティアと共に過ごしている使い魔だ。
極度の恥ずかしがり屋で人前には姿を見せない子で、いつもミスティアの服の中に隠れている。
しかし、こうしてミスティアと二人っきりの時だけは外に出て、こうして散歩を楽しむのである。
決して人前に出たがらないのが災いして使い魔としては激しく役立たずなのだが、
良く言えば平和的な性格であるこの天蛾は、ミスティアの心を癒すという方向に一役買っていた。
ちなみに、種族名に『み』がない天蛾に対し、何故みーちゃんと名付けたのかは誰も覚えていない。
「今日はどこまで足を伸ばしましょうか。みーちゃんはどこに行きたい?」
会話を楽しむように、穏やかに語りかけるミスティア。
少し先導するように前に出て、みーちゃんがゆらゆらと羽ばたく。
微弱な指向性を持った鱗粉が月夜を反射して輝き、森の奥を指し示した。
「こっち? もぉ、しょうがないなぁ」
みーちゃんが行きたがる場所といえば相場が決まっていて、恐らくは誰も居ないところである。
主人と一緒に夜を舞い、響く歌声に合わせて羽ばたくのが幸せなのだ。
ミスティアとしても、そうして甘えてくるみーちゃんが可愛いのでつい溺愛してしまっている。
「じゃあ、今夜は歌い明かしましょうか!」
丁度、数日後の幽霊楽団鎮魂コンサートに、ゲストとしてお呼ばれもしていたところだ。
その練習にちょうど良いとばかりにみーちゃんの希望を快諾し、ゆっくりと歩き出した。
そんな彼女らに、そっと忍び寄る影が一つ。
みーちゃんと親しげに笑い合うミスティアは、それに気がつかない。
じりじりと距離が縮まっていく。そしてとうとう、影が行動を起こした。
「う、うらめしやぁーっ」
どこか遠慮がちな感じの大声を上げて、一人の妖怪が飛び出してきたのだ。
ミスティアは慣れた様子で声の方向を睨みつけ、油断無く構えるかのように一歩あとずさる。
「また! 私は妖怪だから、驚かせても仕方がないって言ってるでしょッ?」
怒鳴りつけるようにそう言って、ミスティアは服を少し緩めた。
服の隙間へ、みーちゃんが逃げるように飛び込んでいく。
どこか迫力のない妖怪が相手であっても、みーちゃんにとっては怖い相手なのである。
みーちゃんを無事に隠してから、ミスティアは妖怪に向かって、ビシと人差し指を向けた。
「もう何度目よ! いい加減、そうやって驚かせようとするの止めてよね!」
怒りを向けられた妖怪は、少し悲しそうな表情を浮かべて黙り込んでしまう。
どこか潤んだ眼差しでミスティアを見るのは、大きな一つ目の化傘を携えた少女であった。
いつが始まりだったか。
唐傘お化けの小傘が、突如としてミスティアの前に出没するようになった。
いつも『うらめしやー』と言って飛び出して来ては、怒るミスティアに怯んで逃げて行く。
妖怪の驚きは、妖怪の心の飢えを満たすには効率が悪すぎる。
まして、小傘の場合はミスティアが慣れてしまっているため、効果は全く無いと言っていい。
それにも関わらず執拗に現れるものだから、ミスティアもかなりうんざりしていた。
最初の頃こそ、付きまとう理由を聞いてみようともした。
しかし、ミスティアが強い口調で問い詰めにかかると、小傘は決まって固まってしまう。
そしてそのまま、逃げ帰ってしまうのだ。これでは話の聞きようがない。
それだけならまだ良かったのだが、実際は連日連夜、驚きの出現率。
こんな方向に驚かせてどうするんだか、と心の中で何度毒づいた事だろう。
更にミスティアを腹立たせているのは、小傘が現れるタイミングだ。
驚かす為のセオリーとしては当たり前の話かも知れないが、決まって一人のところを襲撃される。
必然的に、みーちゃんとの散歩中にぶち当たることが多いのである。
小傘が現れる度、みーちゃんが驚き怯えてしまう姿を見るのがいたたまれなかった。
勿論、人間でもなく、ましてや妖怪としても小さい存在である天蛾が死ぬほど驚いたところで、
妖怪の心の飢えを満たす足しになる筈など無く。これほど無意味な襲撃もそうないだろう。
「…………ッ!」
今夜もまた、小傘は何を言うでもなく、ミスティアの眼力に気圧されて逃げていく。
小傘が見えなくなってから、ミスティアは溜め息をついて腕を上げた。
袖口から、みーちゃんが恐る恐るといった感じで顔を出す。
「大丈夫、みーちゃん? 小傘は追い払ったからね、怖かったね」
優しい顔つきに戻ったミスティアを前に、みーちゃんも安心したように大きく羽ばたいた。
夜雀の歌声とは別の意味で騒がしい夜の始まりになってしまったことを残念に思いながら、
ミスティアはみーちゃんを伴って、夜の森へと消えていった。
§
幽霊楽団鎮魂コンサート当日。
出演を間近に控えたミスティアは、その準備に余念が無かった。
魔法の森の人形遣いに依頼した、ステージ衣装もバッチリ間に合っている。
めいっぱいおめかしして来てねと騒霊姉妹に囁かれた事もあって、気合い十分な服飾だ。
ひらひらと風になびくリボンや、所々にあしらわれたフリルが特徴的である。
普段の服とは比べ物にならないゴテゴテさで若干動き辛そうだが、そのぶん綺麗で可愛らしい。
開演までは、まだかなりの時間がある。
ミスティアはうきうきした様子で、新しい衣装へと袖を通した。
念のためサイズを確認しようと着てみたが、特に問題は無いようだ。
「ね、ね、みーちゃん! 見て見て、似合うっ?」
だんだんと気分が盛り上がってきたミスティアが、みーちゃんの前でくるりと一回転した。
服についた沢山のリボンとフリルが、その動きに合わせて柔らかく揺れる。
みーちゃんが微笑ましげに、はしゃぐミスティアの周りを飛び回った。
「ありがと、今日は頑張って歌うからね~。おいで、みーちゃん」
そう言って、ミスティアは腰のリボンを緩める。
ここに、みーちゃんが入るためのポケットが取り付けられていた。
舞台上で多少激しく動き回ってもみーちゃんが苦しくならないように、特別に付けたものだ。
みーちゃんは素直にミスティアの言葉に従い、服の中に身を潜めた。
そして、一旦きゅっとリボンを締め直す。どうやら窮屈さは無いようだ。
「えへへっ、あの人にお願いして正解だったかなっ!」
まさに依頼した通り、いや、想像以上の完成度であった。
隠れながらでもいい、みーちゃんと一緒にこの舞台を成功させたい。
ミスティアは改めてそう心に誓うと、開演までのあいだ一旦衣装を脱ぐことにした。
まずはみーちゃんを出してあげようと腰のリボンに手を伸ばす。
「うらめしやぁっ」
その時、誰かが背後から飛び出してきて、夜雀に飛び掛かった。
否応無しに聞き慣れてしまった台詞と共に、背中に嫌な感触が走る。
「ぅゅッ……?」
ミスティアは背中を弓なりにしならせると、飛び跳ねるように背後の気配から距離を取った。
みればそこには、想像通りの小傘の姿。
「もぉ……こんな日にまでェ……!」
苛立たしげに背中をまさぐるが、今のミスティアはいつもの服ではない。
背中に入れられた物体、恐らくは蒟蒻であろうが、それをなかなか取り出せずに悪戦苦闘する。
もがくミスティアをじっと見つめ、小傘は微動だにしない。
ただ、いつもすぐさま向けられていた怒気が無いからだろうか、表情には幾らかの余裕があった。
「あ、あのさっ」
「何よ、うっさいわね! わたしのことおちょくって、そんなに楽しいッ?」
意を決した風に声を上げた小傘に、脊髄反射するかのように怒鳴り声で返す。
服の隙間からやっと取り出した蒟蒻を地面に叩きつけて、ミスティアは更に声を荒げた。
ずっと続いてきた理由の明かされない襲撃が、この大事な日にまで続いてしまった。
ミスティアがずっと溜め込んできた苛立ちが、今この瞬間に爆発してしまったのである。
「止めてよね! ずっとずっと邪魔ばっかり!」
「ご、ごめ……」
「五月蝿い! 謝るくらいならもう来ないで、わたしの生活にはあなたなんて必要ないのよ!」
「要、要ら……ッ?」
「要らない! 要らない、要らない、要らないッ! 居なくなっちゃえ!」
ミスティアは動かない小傘に痺れを切らし、追い払うべく威嚇射撃を放った。
霊鳥に取り囲まれて悲しみに染まっていた小傘の表情が、少しずつ失われていく。
やがて無表情となり、静かに両目を伏せて、そして持っていた傘の先が地面について。
拒否され、攻撃されたという事実に、小傘の中の何かが音を立てて切れた。
「止めて……壊さないで……捨てないで……私、要らなくなんて……ッ!」
それは無意識の自衛だったのか。
目を見開いた小傘が、化傘の骨を一本だけ抜き出した。
細く尖った傘の骨は、小傘の手の中で妖力を与えられて薄く発光する。
鋭利な剣となったそれを手に、我を忘れた小傘は叫び声をあげてミスティアへと踊りかかった。
「なっ……ちょっと、正気なのッ?」
声を掛けてみるもそれに対する反応は無く、ただ光を失った瞳が視線を返してくるばかり。
ミスティアはやむなく、対抗するために持てる妖力を解放する。
空に投げたカードは『真夜中のコーラスマスター』。
小傘が振るう傘から生まれた弾幕を相殺すべく、ミスティアの霊鳥が弾幕を張った。
ミスティア自身は渦巻く妖力を片手に集め、霊鳥を操る指揮棒を生成する。
相殺を起こす弾幕の中を、化傘を盾に突き破ってくる小傘。
振るわれた骨は空気を切り裂き、真っ直ぐにミスティアへと落ちてくる。
指揮棒は溢れる妖力により、短剣の如き煌めきを放って小傘の骨を受け止めた。
咄嗟の近接戦闘ではあったが何とか捌ききり、何度かの剣戟のあと二人の距離が開いた。
ミスティアは心の中に生まれた恐怖を感じ、微かに翼を震わせる。
これまで、普段の弱々しい小傘しか知らなかったミスティアにとって、
いま斬りかかって来た小傘というのはまるで別人のように映った。
傘の骨による攻撃も思いのほか威力が高く、受け止めた指揮棒の妖力が散ってしまっている。
役目を終えた指揮棒を無へと帰し、代わりとなる次の手を打つ。
「お、お願いッ……!」
ミスティアを護るように姿を現したのは二羽の木菟。
咆哮をあげてその姿を回転させ、己が身を妖力のドリルと化して小傘へと突撃していく。
接近戦は危険だと判断したミスティアは、遠距離攻撃に頼ることにしたのである。
しかし、小傘は左手に持っている化傘を前に構えると、二羽の木菟を真正面から受け止めた。
傘を貫かんと唸りをあげる嘴だが、小傘の妖力に満ちた化傘を貫くことは叶わない。
「うそ、そんなっ」
まさか無傷で受けきられると思っていなかったミスティアが動揺する。
攻撃の手が止んだその一瞬をついて、再び小傘が地を蹴って飛び出した。
「私は、私はただッ!」
そう叫びながら、驚くべき速度で距離をつめる小傘。
我に返ったミスティアも、迫り来る刃から逃れようと慌てて地を蹴る。
だが、ミスティアは頭に思い描いたようには動くことが出来なかった。
「あぁっ!」
いつもと違う格好なのが災いして、回避運動に影響が出てしまったのだ。
それでも何とか、直接切り裂かれることだけは避けることが出来たのは僥倖といえよう。
「あなたとお話が出来ればと思っただけなのにぃぃッ!」
「…………え、えっ?」
小傘が言った台詞が耳に届き、夜雀は困惑する。
同時に、切り裂かれた衣装に混じって、見慣れた姿が飛び出すのが見えた。
小傘によって服の一部が破られ、隠れ場所を失ったみーちゃんだった。
急に居場所を追われたみーちゃんは、この状況を上手く把握できていない。
ただ、小傘という他人に自分が晒されているということだけは分かっているらしかった。
羞恥のあまりか、物凄い速度で羽ばたき始めたのである。
羽ばたきに合わせて大量に飛び散ったリンプンがあたかも分身のようにその場に残り、
まるで辺り一面に大量の蛾が現れたかのような錯覚すら起こる。
「…………ッ!」
あまりに異様な光景に、小傘の目が一瞬だけ狂気を忘れ、戸惑いに揺れる。
だがそんな事は関係なく、みーちゃんのパニックは一向に収まらない。
増え続ける蛾の残影が、とうとう一定の指向性を以って移動を始めた。
主人たるミスティアを襲うなど有り得ない。
即ち、標的はみーちゃんにとってこの場の『異物』たる小傘である。
みーちゃんとて蛾の妖怪。その鱗粉は、主人以外には猛毒だ。
皮膚に触れれば酷くかぶれるし、目に入れば失明の恐れだってある。
それが分身したかの如き勢いで拡散する中に晒されれば、とても無事ではすまないだろう。
「みーちゃん、みーちゃんッ! 待ってッ!」
ミスティアが、制止の声を張り上げる。
その手は素早く胸元のリボンを緩め、首との間に僅かな隙間を作っていた。
「こっちよ、みーちゃん! 落ち着いて、ここに隠れるのっ!」
みーちゃんが、主人の声に反応する。
張り上げられた声は、しっかりと使い魔の元へと届いたのだ。
小傘の目の前にまで迫っていた『蛾の大群』。
その先頭に居たみーちゃんがくるりと方向転換をし、ミスティアの胸元へとおさまった。
辺りに漂う鱗粉の分身も、みーちゃんの妖力を失ってさらさらと消えていく。
あとに残ったのは、傘と骨を両手に立ち尽くす小傘と、安堵の表情を浮かべるミスティアだけ。
「ねぇ、どういうこと? わたしとお話がしたかった……って」
これまでと打って変わって、ミスティアは優しい声色で小傘に話しかけた。
放心していた小傘が、やっと我に返ったかのようにビクリと肩を震わせる。
ミスティアは静かに小傘を見つめたまま、ただじっと答えを待った。
「言葉……どおり。でも、声をかけても、怒られてばっかりで……その……」
言い辛そうにそれだけ言い、声を詰まらせる小傘。どうやら嘘ではないらしい。
ミスティアとしては、その言い分には呆れるしかなかった。
何せ、いきなり無意味に驚かされるところから始まったのだ。
最初から高い警戒心を以って対応をするのも仕方のないことだろう。
小傘は自分が植えつけた警戒心に邪魔をされ、自分の目的を言い出すことが出来なかった。
それが積もり重なり、いつしかミスティアは小傘が訪れることそのものが疎ましくなった。
そんなくだらない悪循環が起こり、お互い無駄に精神をすり減らしていたのである。
「はぁー。馬鹿みたいじゃない、わたしたち」
「うん……ごめんなさい……」
「いいけどさぁ。それで、どうするの?」
「どうする、って?」
傘の骨を化傘へと戻しながら、小傘は少し遠慮がちに聞き返した。
ミスティアは腰の一部が破けてしまった衣装を確認し、
パンパンと埃を払いながら溜め息混じりに小傘へと答えを返す。
「お話。わたしは構わないよ? 普通に逢いにきてくれるならさ」
「本当っ? 分かった、次から普通に出て行く!」
小傘の元気な返事に頷いて、ミスティアは改めて破れた箇所をなぞった。
このまま舞台に上がるのは、流石にちょっと抵抗がある。
申し訳無さそうにする小傘の視線を感じながら少しだけ考えを巡らせて、
ミスティアは思いついたように自分の爪を破れた場所へと差し込んだ。
みーちゃんを入れるはずだったポケットが、外側だけ切り裂かれている。
ということは、丁寧にポケットの外布だけを切り取れば、遠目には目立たないだろう。
「はい、解決っと。みーちゃんごめん、窮屈だけど今日は我慢してね」
服の中のみーちゃんにそう声を掛けて、ミスティアは改めて小傘を見る。
小傘は、先程まで相対していた蛾を思い出してまだ浮かない顔をしていた。
「私、みーちゃんにも謝らなくっちゃ」
「ちゃんと聞こえてるよ。大丈夫」
ミスティアは笑顔を浮かべると、優しげに頷いて見せた。
沈んでいた小傘の表情も、やっと明るさを取り戻し始める。
「色々言いたい事はあるけれど、まずはまた今度ね。今日は……」
「今日は? あっ」
いつもと違う夜雀の衣装が何を意味するのかに思い至り、小傘は小さく声を上げる。
コンサートの会場を伝えて、ミスティアはウィンクしながら人指し指を振った。
「新しい友達に、わたしの歌を知ってもらわなきゃね♪」
―― 第一話『前奏曲』 完
だってどちらも小動物チックだもの。
優しい物語にアンコール! と、いきたい所ですが、
そうか、続かないのかぁ。ちょっと残念です。
「つづかない」に定評がある云々というのがあってだn(ry
みーちゃんがいい味出してるなあ。
確かにこのお話はシリアスではないんでしょうね。
あと後書きの「中二病溢るる設定」にワクワクしたのは内緒。